やってない 第44回 「じゃりン子チエ」を読む

ただでさえやってないことだらけな上にコロナの影響であらゆることにやる気も失せる状況ですが、本日のテーマについては世代間はもとより、地域格差が大きいのでは・・と勝手に予想します。
名作漫画「じゃりン子チエ」ですが、ほとんど読んでません。
関西方面の方々は「そんなヤツおらんやろ」と思われるはずですが、他の地方では「あ、すいません自分も実は・・」とおずおず手を挙げていただける方もおられるのではないでしょうか。

「じゃりン子チエ」は「漫画アクション」にて1978年10月12日号から1997年8月19日号まで約19年間連載された、はるき悦巳の漫画である。
テレビアニメも2期に渡り放送され、第1期はチーフディレクターを高畑勲が務めたことでも有名。
大阪の下町を舞台に、定職につかないゴロツキのテツと、小学生ながらホルモン焼き屋を切り盛りする娘のチエ、親子の周囲の個性的な面々が織りなす人情喜劇漫画。

・・・というウィキペディア掲載の一般教養はなんとなく知っている。
厳密に言えば、1ページも読んだことがないというハード無知ではない。
自分は大学生の頃、新宿の雀荘で深夜アルバイトをしていて、夜中ヒマな時間はバイト仲間で店にあった漫画雑誌を回し読みしていた。
当時人気だったのは「スピリッツ」「モーニング」「ヤングジャンプ」あたりだったが、場所柄「近代麻雀オリジナル」「麻雀ゴラク」なんかもあり、「漫画アクション」もたまには読んだりしていた。
「じゃりン子チエ」も連載中だったので、実はリアルタイムで読んではいたのだ。

しかし。
「じゃりン子チエ」も読んではいたものの、文字通りヒマつぶしで夢中になるようなことは全くなかった。
バイト仲間と感想を言い合うようなこともなかったので、他の連中の感覚はもちろんわからないが、なんとなく同じような熱量だったのではないかと思う。

他の雑誌に連載されていた「めぞん一刻」「軽井沢シンドローム」は後で単行本を買ったし、「課長島耕作」「アクター」「ツヨシしっかりしなさい」「押忍!!空手部」など、毎号結構マジメに読んでた作品もあった。
でも「漫画アクション」は他の雑誌とは少し雰囲気が違い、どの作品もそんなに気合いを入れて読むようなことはなかったのだ。
余っていた「アクション」を読んでいて、バイト仲間が「スピリッツ」を読み終わったらすかさず「スピリッツ」にチェンジ・・みたいな扱いだった。
ちなみにバイト仲間の間でも「哭きの竜」はやはり人気がありました。

「じゃりン子チエ」になじめなかった理由にそれほど確固たるものはないが、今見ても絵があまり好みではないというのはある。
個人の感覚なんで説明のしようもないのだが、他の漫画で絵に対して「いやーこの絵は好みだ・・」とか意識したこともないので、単純にこういう画風が苦手なんだろう。
なおウィキペディアには「つげ義春を深く尊敬し、特に初期の頃につげ義春の画風が顕著に出ている」とあるが、「じゃりン子チエ」の絵の中には、むしろさらに源流である水木しげるの影響を感じるところがある。
・・・などと勝手なことを書いているが、つげ義春や水木しげるの画風には特に苦手なものを感じない。(説得力ゼロ)

さらに弱々しい言い訳にもなるが、セリフが全て関西弁という点もある・・かもしれない。
漫画を読む時、多くの人がセリフを自分のアタマの中で声優ばりに再生してると思うんだけど、関西弁の文字って、やはり関東育ちの自分の中ではネイティブのセリフには変換できないんだよね。
英語の文字列を脳内でクィーンズ・イングリッシュ再生できないのと一緒。(そうかなぁ)

説得力はあまりないが、登場人物の一部が関西弁ならばさほど気にならない・・ような気はする。
(例:「ドカベン」の岩鬼、「アストロ球団」の球四郎など)←例えが古くて恐縮です・・
が、「じゃりン子チエ」のように猫も含む全員が関西弁だと、やはりどっかでシンドさを感じるのかもしれない。
シンから楽しめないとはまさにこのことである。
「関西育ち」という基盤は、この漫画を楽しむ上でかなりのアドバンテージなのではないだろうか。

こういったつまんない理由が、作品の良さを感じる上で障害になっていたと思う。
ホルモン焼き屋で働くたくましい少女チエ、ごんたくれの父親テツ、会話する猫たちといったファンタジーな設定も、申し訳ないが「面白いなぁ」とは思えなかった。
それだけ自分も若かった・・と言いたい気もするが、今ネットで読める範囲で見返しても、感情としては当時とやっぱり変わらない。

漫画でこの有様だったので、アニメはもっと深刻。
一度も見たことがないし、そもそもいつどの時間帯にどの局で放送されてたのか全く知らない。
調べたら第1期が1981年10月3日から1983年3月25日まで、関東ではTBSで土曜17:00~17:30放送。
第2期は1991年10月19日から1992年9月22日まで、同じくTBSで金曜19:00~19:30放送とのこと。
残念ながら家族の誰も見ていなかったし、いずれもどんな裏番組を見ていたのかも全くわからない。
「じゃりン子チエ」を見てたとしても、やはり夢中になるようなことにはならなかったとは思う。

というわけで、「じゃりン子チエ」。
昨年末から「じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK」という月刊DVDが発売されているようで、学習条件は揃ってはいる。
漫画に限らず芸術作品の全ては個人の感性に依存するので、画風の好みはともかく関西弁は言い訳にしかなりませんが、もし自分と同じように感じている方がおられましたら、ぜひ教えてください。
あ、もちろん作品の魅力についても、ぜひ教えていただけたらと思います。

 

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2019年の終わりに

BLOGを始めてとうとう丸16年が過ぎてしまった。
16年といえば日本では小学校に入学して大学卒業までできる期間である。
小学1年生から洋楽聴き始めて大学まで出たら、相当洋楽に詳しい人間ができあがる気がする。(適当)
果たして自分はそれに匹敵する知識や教養が身に着いたのかと言われると全然自信がない。

ここまでの記事数は755。
コメントは、自分のものも含めて5685。
トラックバックは今年も1件も来なかったが、ココログでは3月でこの機能は終了となったようなので、おそらくもう来ることはない。
今考えると、トラックバックって機能は便利だったかもしれないけど、勝手に相手のBLOGに自分のBLOGのリンクを貼れるってところがやはりずうずうしい印象だよなぁ。
廃れた理由もこのあたりにあるんだろうか。

さて16年経とうともいっこうに聴いてない音楽は減らないが、今年白状した聴いてないシリーズは以下である。

聴いてない 第244回 ゴットハード
聴いてない 第245回 メイヤ
聴いてない 第246回 ボニー・レイット
聴いてない 第247回 ルパート・ホルムズ
聴いてない 第248回 ブラック
聴いてない 第249回 キム・カーンズ
聴いてない 第250回 ゲイリー・ニューマン
聴いてない 第251回 ジーザス・ジョーンズ
聴いてない 第252回 ロビー・デュプリー
聴いてない 第253回 ニュー・オーダー
聴いてない 第254回 ザ・キュアー
聴いてない 第255回 ビリー・レイ・サイラス
聴いてない 第256回 ヴァネッサ・パラディ

顔ぶれはかなり薄い(失礼)が、恐ろしいことに昨年の11本よりも多い。
ムリヤリひり出したネタも多いが、16年目でもまだこれだけ出てくるという救いようのない事態である。

政府の働き方改革並みに形骸化しているが、当BLOGの目的は「聴いてなかった音楽を聴いてみる」である。
今年その目的にそって聴いてみた音楽は以下のとおり。

聴いてみた 第148回 ポール・マッカートニー その2
聴いてみた 第149回 キッス
聴いてみた 第150回 フェイセズ その2
聴いてみた 第151回 ブルース・スプリングスティーン
聴いてみた 第152回 ドゥービー・ブラザーズ その2
聴いてみた 第153回 ピンク・フロイド その2

3年連続で年間6本。
しかも今年はこれ以上ないほどの大物だらけで「こいつまだこれも聴いてなかったのかよ」シリーズとして世間の皆様をあきれさせている。
16年とかエラそうに言ってるが、そもそも未だにそれだけ基礎ができてないということなのだが。

また「その2」が4本もあるのも昨年とは少し違う。(比較的どうでもいい)
本当はどれも「その3」「その4」と聴いていかねばならないはずなのだが・・
今年聴いたこの6作品では、キッスやフェイセズやフロイドにかすかな定着の予感がある。
ホントにかすかですけど・・
ただしストーンズクラプトンも学習は止まったままだ。
こちらも官僚の答弁のごとく前向きに善処せねばならない。

16年も音楽BLOGをやってるとどうしても遭遇するのがミュージシャンの訃報だ。
かつて記事で採り上げたミュージシャンで、2019年に亡くなった人は以下である。

リック・オケイセク(聴いてない 第99回 カーズ
ジンジャー・ベイカー(聴いてみた 第33回 ブラインド・フェイス
マリー・フレデリクソン(聴いてない 第209回 ロクセット

聴いてないうちに故人となってしまうパターンは増える一方だ。
この事態は自分が死なない限り来年もおそらく避けられないとは思うが、訃報を機に聴いてみるというのも動機としてどうなのかという気もするので、とにかくさっさと聴くことが重要であろう。

今年は「読んでみた」シリーズはマイケル・シェンカーしか書けなかった。
しかもマイケル・シェンカー全然聴いてないし。
我々中高年だけの文化だと思うが、古き良き洋楽の文献をあさって楽しむ・共有するということは続けていきたいと考えている。
音楽産業も出版界も見通しは果てしなく暗いが、今後も良質なテキストに巡り合えることを期待したい。

というわけで、コメントくださったみなさま、16年間ありがとうございました。
果たしていつまで続けられるのかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
みなさまよいお年を。

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行ってみた 東京モーターショー2019

中途半端な外車乗りのSYUNJIといいます。
先日東京モーターショーに行ってまいりました。

若者の車離れ・日産の問題・相次ぐ外国車メーカー撤退・あおり運転・高齢者の事故など、今自動車の周辺には明るい話があまりない気がします。(出版業界はもっと暗いが・・)
そんな中で今回も開催された東京モーターショー。
メーカーや団体はこの事態をなんとか打開すべく、様々な思いで開催出展に臨んだと思います。

今回はチケット購入にさほど悩みませんでした。
プレビューデーやナイトチケットなどに特に興味はなく、普通に設定された一般チケットを購入。
入場ゲートにてスマホでQRコードを表示すればよいので、これは便利です。

さすがに休日の混雑に突入する体力はもうないので、今回は平日に参上。
スマホを見せるだけの余裕の入場。
ただ自分の前に並んでいた人の大半は、コンビニでプリントしたと思われる紙のチケットを持っていました。

自分の興味対象はいちおうまだ外車なのですが、今回は外国車メーカーの出展がさらに減っていて、大衆車メーカーではルノーくらいという有様。
MINIの展示車に若者が群がっていた頃が懐かしいです。
次回はもう国産車だけのモーターショーになる予感がします・・

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さて今回の見学において大きな影響をおよぼしたのが会場の配置でした。
場所が「青海エリア」「有明エリア」の2か所になり、エリア間は鉄道1駅分離れています。
来年のオリンピック開催を前に、東京ビッグサイトはイベントや展示会場として使用することがじわじわ難しくなっており、モーターショーも例外ではなかったようです。
案内ではエリア間を徒歩で移動すると20分ということでしたが、その徒歩ルートにも車が展示されていて、それらを見ながら移動できますよとのこと。
電気自動車などを借りての移動も可能で、主催者側もこの状況をなんとか楽しく過ごしてほしいと懸命の策を凝らしていました。

しかし。
先に感想を書いてしまいますが、個人的にはやはり会場の分割は厳しかったと感じました。
徒歩20分はかなり長く、途中の車展示も思ったほどの数でもなく、また自分の興味対象となるような車種でもありませんでした。(文句ばっか)
徒歩ルートは屋外で、晴れていたのでよかったですが、雨や強風だったらさらにキツかったと思います。

ということで自分は「青海エリア」から見学開始。
入場するとやはり展示内容や雰囲気は過去の開催とは少し違ってきていました。
トミカやキッザニアとのコラボなど、明らかに子供をターゲットにした出展が目立ちます。
業界は未来のマーケットとして「子供たち」を意識しているのがはっきり伝わります。
もっともトミカの限定販売には、子供そっちのけのおっさんたちの長い行列ができていましたが・・

この子供向け展示作戦は賛否両論だったと聞きました。
自分はこの子供向け展示や企画はほぼスルーしてしまったので、中身はよくわかりませんが、出展者側もまだ試行錯誤の段階なのだと思います。

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青海エリアの乗用車出展はトヨタ・ダイハツ・スバルだけ。
トヨタは未来志向でコンセプトカーなどを気合い展示してましたが、予定を含む市販車は一切置いていませんでした。

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商業車の展示も以前より減っていました。
UDトラックスには知り合いが勤めていますが、この日は不在。
お姉さんがUDポーズをとっていました。

スバルやダイハツの展示をぼんやり眺めた後、徒歩で有明エリアまで移動。
確かに途中に車が置いてあります。

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ただし。
その展示もずらりと並んで・・という感じではなく、ぽつぽつ置いてある状態。
ラブワゴンの次はリーフのパトカー、さらに痛車、黄金のフェラーリ458スパイダーと今一つ脈絡がない流れ。
見てる人も少なかったのでラクな見学のはずでしたが、あまり興味のないジャンルだったので、立ち止まらず流して見てしまいました。

有明はいつものビッグサイトが会場ですが、これまで使われていた一番広い東ホールがオリンピックの開催準備で使用できないため、西ホールと新設の南ホールでの展示。
南ホールはやはり東よりも小さめです。

各メーカーの展示車があって客があちこち開けたり運転席でハンドル握ったりといういつものモーターショーの光景は確かにありました。
ただ、どのメーカーもそうした自由展示車を減らしていました。

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さらに感じたのはブースの見せ方が各社似ている点。
ムダに横長なステージにやたら横長のビジョンで映像を次々に流すという展示です。
映像は新型車のコンセプトなどではもちろんなく、近未来的でそれほど意味はないイメージビデオの連続。
一通り映像が終わるまでじっと見続けるようなものでもありません。
もちろん各社それぞれが工夫を凝らしてはいたのでしょうけど、個人的にはどこも同じような印象でした。

クルマのイベントに付き物のハデなお姉さんですが、その人数も肌の露出も、さらにそれを狙う爪の汚れたカメラ小僧(死語)も格段に減少していました。
会社によってはお姉さんのことはもう「コンパニオン」とも言わず、きっちり説明のできる「コンシェルジュ」として配置してたそうですが・・
やはりターゲットを大幅に子供にシフトしたこともあっての方針転換だと思われます。
今後もこの青少年教育的健全化路線はさらに加速するのでしょうね。

寂しさを感じながらルノーを見学。
アルピーヌ・ルーテシアと見ていたところで、ブース前に突然人だかりができており、社員が手を広げてブース内に近寄らないよう客を制しています。

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何事かと思ったら、ルノーの新会長スナール氏が日本メディアの取材に応じていたのでした。
直前に「フィアット・クライスラーがプジョー・シトロエンと対等合併」とのニュースがあったため、一般公開日にも関わらず急遽ブース内でインタビューが始まったようでした。
おかげで見たかったトゥインゴには正面から近寄れず、後ろからしか写真が撮れませんでした。

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アルピナは今回も無事出展はしてましたが、名物のマット塗装車は残念ながらナシ。
どうせ乗れませんが、見たかったと思いました。

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メルセデス・ベンツはまだ日本市場では強気とみえて、でかいブースにAMGからsmartまで幅広く展示。
新型車も市販車もコンセプトカーも配置した、正調モーターショーを展開しています。

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さて場内の端スペースに日本スーパーカー協会の展示エリアがありました。
スーパーカーという呼び名自体がほぼ死語みたいな感じですが、正直こういう展示のほうが我々のような中高年には響いたはずです。

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ディーノ・ミウラ・911などその昔少年ジャンプで必死にスペックまで覚えた70年代の名車や、アベンタドール・マクラーランセナなどのキレ気味なモデル、どっかの市長が自身の趣味でつい公用車として導入しちゃって非難を浴びたテスラなど、様々なスーパーカーが置かれていました。
このスーパーカー展示は会場の外にもたくさんあったので、元少年のみなさんにはありがたい企画だったと思います。
というか東京モーターショーから外国車メーカーが大幅撤退した現在、まさにこの企画がその穴埋めをしてるような状態だと感じました。

ということで見学は終了。
移動が多くかなり疲れました。
各自動車関連メディアは「大盛況のウチに閉幕!」「入場者数130万人突破!」などとこぞって勇ましき忖度記事をバラ巻いてましたが、これで若者の車離れに歯止めがかかるかどうかは不明。
イベントのあり方も転換期を迎えていることだけは確実なようです。
大勢の貧乏ドライバーが外国の新型車に群がり、コンパニオンがクルマそっちのけでフラッシュを浴びるようなオールドスタイルのモーターショーは、もう今後行われることはないと確信しました。

で、個人的な総括としては「申し訳ないけど東京オートサロンのほうが楽しい」という身も蓋もない感想になります。
そもそもあまり真面目な自動車乗りではないのですが、モーターショーがこうなってくると、やはりオートサロンのイカれた雰囲気やイジり倒した展示車のほうが断然おもしろいんじゃないの?と思ってしまいます。
ここまでわりと誠実に毎回のモーターショーに行ってきた自分ですが、次回はもうわからない、というところまで来たのが本音です。

 

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やってない 第43回 ファッション

少し日本語ヘンですけど、意味は伝わるでしょうか。
「おしゃれ」と言い換えてもいいですけど、簡単に言うと「ファッション全般にうとい」です。
具体的には、着るものについて積極的に流行を採り入れたり、バーゲン会場の行列に並んだり、こだわりのブランドアイテムをそろえたり、ファッション雑誌で最新トレンドを仕入れたり・・といった行動を全然していない、となる。
これは子供の頃から今に至るまで変わらないので、たぶん生涯うといままだろう。

着るものなんてどうでもいいや、といった尖った主義があるわけではないので、あたりさわりのない範囲で身につけてるだけ。
カネもないので当然ブランド物に身を包みプラチナのネックレスで決める、なんてのは全く世界が違うし、かと言って全身ファストファッションでもないし、日々しまむらをパトロールといった方向にも倒れてもいない。
要するに何もわかっていないし、中途半端で主体性もない、という状態。

昔の昭和の子供は多くがそうだったと思うが、親の買ってきた服や靴をそれほど抵抗もなく使用していた。
金持ちの家の友達もいたかもしれないが、少なくとも花輪君みたいなあからさまにステージの違う子は周りにはいなかった。

成長して高校生や大学生になれば、多くの男もそれなりに色気づいて突然モデルチェンジしたり(しかも大半は変なカッコウ)するもんだが、自分の場合はやや特殊な事情があった。
それは毎度おなじみ姉の存在である。

今はただのおばはんだが、若い頃は服飾の専門学校で洋裁を学んでおり、少なくともふつうの女子学生よりはファッションに関心が高い女だった。
で、歳だけはせっかくナウいヤングになってきたのにいつまでもクソダサい服しか着ない弟をたぶん恥ずかしく思ったのだろう、ファッション指定が始まったのである。
指導ではなく指定。
つまり「今日はこれを着ていけ」「これを買ってきたので着てみろ」という指定。
今風に言うと弟のスタイリストになったのだ。(少し違う)

その弟は、当時から己のファッションセンスになんか全く自信もなかったので、姉の指定に対して抵抗もなく従順に着て学校に行ったりデートに出かけたりしていた。
大学生の頃は、姉が時間割のように毎日のチョイスとコーディネートを表に書き、壁に貼ったりしていた。
毎朝何を着ていこうか迷うこともなかったので、この制度は実はかなりありがたかったのである。
当時あまり男子大学生が来てなかったような、ピンクハウスやパーソンズといったブランドを着せられていました。(女子かよ)

姉にとっても弟をコーディネートすることが自身のファッションの勉強に通じるところもあり、一方で弟の自分も「服飾専門学生の姉が最新のコーディネートをしてくれる」という特殊な環境を友人にうらやましがられたりしてたので、姉弟ともこの状況を案外楽しんでいたと思う。
この「姉の着せ替え人形時代」は学生である間中続いた。

結婚した後も服装は結局妻任せ。
妻は姉ほどの強固なファッションポリシーは持っていないが、「ダサいおっさん」になるかどうかの判断力は標準的に備わっており、今も服を買う時は妻のチェックを受けるようにしている。
当然だがこうして全てスタイリストに任せっぱなしだったために、センスや知識は一切向上せず、主体性のない典型的な昭和のダメおっさんが完成したのである。

なので今世の中でどんなファッションが流行っているのか、どれとどれを組み合わせたらいいのか、全然自信がない。
自力で全身コーディネートしてみたら、たぶんドン小西やアンミカから真っ先にダメ出しをくらうと思う。

生涯で一度もやったことのないファッションや身に着けたことがないアイテム、というのがかなりある。
・裸足に革靴
・タンクトップ
・和装
・ネックレス
・指輪
・ミリタリー
・ニット帽
・革ジャン
・ダメージジーンズ
・ループタイ

思いつくままあげてもこんなにある。
「どれも全部やってるよ」という男もあまりいないとは思うが、やはりバリエーションは貧弱なほうだと思う。
もう若くもないので、今さらできないものも相当あるはずだ。

体格が貧相なので裸足とかタンクトップなんて露出の多いカッコウはムリだ。
和装はせいぜい旅館の浴衣を着るくらいで、それも基本的に入院患者にしか見えない。
革ジャンは若い頃父親のものを勝手に着て出かけたことが一度だけあったが、サイズが微妙に合っておらず、革のニオイにも慣れなかったため、すぐにやめてしまった。

もともと雑誌はあまり読まないが、ファッション雑誌なんて買ったこともないし、病院の待合室でLEONとアサヒ芸能が置いてあったらまずアサ芸しか手に取らない。
従ってファッションの一般教養すらも身についていないのだ。
今メンズファッション雑誌ってどれくらいあるんだろう?

ファッション用語も意味をわかっていないものばかり。
デニムとジーンズって何が違うの?
ブルゾンとジャンパーの違いは?
チョッキとベストとジレって全部同じ?
・・・といった素朴な疑問から、「こなれ感」「抜け感」「ノームコア」「アースカラー」「ギーシック」なんて全然わからない謎の言葉もたくさんある。
みんなこれわかって使ってるんですかね?
「ぷく先輩、今日のブルゾン、アースカラーでこなれ感がイカしてますね!」とか言うんでしょうか?(適当)

というわけで、終始デタラメですがファッション。
みなさんはどれくらいファッションに関心をお持ちでしょうか?
こだわりのポリシーや自慢のアイテムなど、ご自身のファッションについて教えていただけたらと思います。

 

 

 

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2018年の終わりに

BLOGを始めてとうとう丸15年が過ぎてしまった。
なんと15年です。
なんと15年です。(鈴木奈々調)
15年も継続していながら成長の実感は全くなく、もう退化が進行してる感覚すらある。
何年経とうが感覚的には毎年ド素人のままである。
ちなみに15年前の2003年、世の中はどうだったかを少し調べてみたら、こんなことが起きていた。
・阪神タイガース優勝
・六本木ヒルズがグランドオープン
・スーパーフリー事件
・「世界に一つだけの花」が大ヒット
・auの「INFOBAR」発売

あっそう・・
こうして見ると確かにかなり前の話だよなぁ。
まあスマホもインスタもない時代から延々こんな偏差値の低いBLOGをよく続けてきたもんだと思う。

ここまでの記事数は725。
コメントは、自分のものも含めて5603。
トラックバック(死語)は今年も1件も来なかった。
2018年も終わろうとしてる今、この機能を使って楽しんでいる人なんているんだろうか?

15年経ってもいっこうに聴いてない音楽は減らないが、今年白状した聴いてないシリーズは以下である。

聴いてない 第233回 J.D.サウザー
聴いてない 第234回 トリーネ・レイン
聴いてない 第235回 ダイアナ・ロス
聴いてない 第236回 ビリー・アイドル
聴いてない 第237回 グラス・タイガー
聴いてない 第238回 アルバート・ハモンド
聴いてない 第239回 デペッシュ・モード
聴いてない 第240回 トム・ジョーンズ
聴いてない 第241回 キム・ワイルド
聴いてない 第242回 バーブラ・ストライサンド
聴いてない 第243回 クリス・デ・バー

聴いてないシリーズ、11回も書いてしまった。
しかも15年目になってもダイアナ・ロスとかバーブラ・ストライサンドなんて大物がまだ出てくる。
抜群の安定感シリーズである。(意味不明)

今さらだが当BLOGの目的は「聴いてなかった音楽を聴いてみる」である。
今年その目的にそって聴いてみた音楽は以下のとおり。

聴いてみた 第142回 ジャパン
聴いてみた 第143回 ブロンディ
聴いてみた 第144回 エアプレイ
聴いてみた 第145回 デュラン・デュラン
聴いてみた 第146回 ジェフ・ベック その5
聴いてみた 第147回 グレン・フライ

記事数は昨年と同じく6本だが、ベックはライブ盤だし、グレン・フライはベスト盤なので、今年は学習成果としてはやや頼りない結果となった。
定着感があるのはブロンディだけだが、もともと聴いてた曲も多かったのでいばれる話でもない。
クラプトンやポール・マッカートニー学習も全然進んでおらず、昨年に比べて達成感の薄い状態。

そんな惰性文章だらけの中、個人的には一番書くのに力が入った記事は以下だった。

観てみた ボヘミアン・ラプソディ

映画自体が今も大ヒットしてることもあるが、やはり内容がよかったし、多くの方々と思いを共有できたことをうれしく思いました。

というわけで、コメントくださったみなさま、15年間ありがとうございました。
果たしていつまで続けられるのかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

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やってない 第42回 遠慮

子供の頃から今に至るまで、ワタクシは遠慮したことがありません。
・・・こう書くと「じゃあオマエは今までずうっとズケズケ物を言って横柄に生きてきたのかよ」と各方面からつっこまれそうですが、そういうことではありません。
(そういう面も多少はあるかもしれないけど)

説明すると、「歓待・おもてなしを受ける場面において、飲食に関して遠慮したことはない」という話。
「なんだ、他人の金で好き勝手にじゃんじゃん高いもの注文して来たのかよ」と言われそうだが、それも違う。
日本では歓待・おもてなしをする側の決まり文句に「遠慮しないでどんどん食べろ・飲め」があると思うが、この言葉に期待どおりおこたえできたためしがない。
要するに自分は子供の頃から小食なため、必ず「遠慮しないで」を言われるのだが、こちらとしては決して「遠慮はしていない」のだ。

具体的には「大盛り」「おかわり」「追加」「シメの○○」といったことをしないので、普段どおり食べていると、一般の人からはどうしても「こいつ遠慮して食べていないんだな」と見えるらしい。
食事の形態やメニューにもよるが、一般的な「一人前」はなんとか食べられるが、「さらにもう一品」とか「大盛り」はまずしないというレベルである。

で、「遠慮しないで」に対して「小食である」「遠慮はしていない」ことを説明させていただくのだが、相手の反応はほぼ以下しかない。

・信用しない
・なんだつまらない

いずれにしろ楽しい会食の場が盛り下がるばかりで、殺伐(大げさ)とした空気になってしまう。

「小食な子供・若者」は大人から見れば「遠慮」か「異常」のどちらかである。
子供の頃は「遠慮しないで」をまず言われ、「遠慮はしていない」ことを告げると、ほぼ決まって「具合が悪いの?」と心配されたものだ。
こっちも面倒なんで時には「ごめんなさい、少し風邪気味で・・」なんて答えてその場をしのぐ、などという知恵もついてしまった。
いずれにしてもちっとも「かわいくない」子供である。
大人になっても小食は変わらず、おまけに酒も飲まないので、事態は全く好転しなかった。

新婚の頃に妻の親戚をたずねて会食したことがあったが、当然親戚の方々は「遠慮しないでどんどん食べてね」と様々な手料理を作ってもてなしてくれた。
まだ自分も若く、また味はとてもうまかったので自分にしては相当食べたつもりだったが、やはり限界はすぐ来た。
そこで「もう十分いただいた」「小食である」ことを説明したところ、いったん食事はお開きとなった。
・・・と安心していたのは自分だけで、10分後には大量の握り寿司がでかい桶で出てきたのである。

親戚のおばさんは満面の笑みで「お寿司なら食べられるでしょ?」と桶を自分の前に押してきた。
自分の「遠慮していない」「小食である」という主張は全く信用してもらえず、やむを得ず握り寿司にトライ。
しかしやはり限界はとっくに超えており、結局握り一つしか食べられなかった。
この時は自分の限界を察した妻が必死におばさんとの会話を盛り上げ、なんとか寿司から意識をそらせてくれたのだった。

15年ほど前、広島を旅行した時に現地在住の妻の知り合いの方(年配の男女)と会食する機会があった。
この時も地元で評判のお店で盛大な歓待を受け、きびなごやあなご飯などをたくさん食べさせていただいた。
「じゃあ次のお店に行こう」と言うので居酒屋で飲み足すのかな?と思ったら、着いたのは戦慄のお好み焼き屋であった。
広島名物お好み焼きをぜひ食べてほしい、というお気持ちはありがたかったが、すでに普段以上の量を食ってしまった自分には到底無理な相談である。
仕方なく妻と二人で一人前を注文したが、やはり箸は全く進まない。
とうとうその男性は「君らの食べっぷりは全くなっとらん!」と怒りだしてしまった。
自分はこの方と当日初めて会ったのだが、初対面の人からダメ出し食らうという情けない展開。

さすがに中年になって「遠慮しないでどんどん食べろ」と言われることももうあまりないので、実情としては解決したようなものだが、時々困るのは会社の忘年会などで若いヤツがこちらの分を取り分けてくれることである。
気がきくヤツほど皿が空くとすかさず次の分を鍋から大盛りで取り分けてくれたりするので、こっちも断りにくかったりする。
まあ会が進むにつれて連中も酔っぱらってそんなこともどうでもよくなっていくので、適当にもそもそ食っていればいいんだけど。

このとおり小食が有利にはたらいたということは人生で一度もない。(そりゃそうだ)
もてなす側にとって相手が小食だと、まず決定的につまらないし、もてなし甲斐がない。
昔武田鉄矢がテレビで言ってたけど、「世界中のどんな国に行っても現地の人と仲良くなるのに必要なのは、出されたものを残さず食べられる能力」だそうだ。
それ聞いた時「ああー自分には絶対ムリ」だと思った。

日本の接待において、接待する側・される側のいずれにも大食いの若者が一人いるだけで、場がとても盛り上がることは、多くのサラリーマン諸兄が共感するところだろう。
円滑なビジネスのために、大食いも有効な手段となりえるのだ。(経費はかかるかもしれないが・・)
うらやましいことこの上ない。

ギャル曽根を見ればわかるが、大食いはそれ自体が「価値を生む能力」であり、小食は何の価値もない「特異体質」「迷惑行為」でしかないのだ。
バラエティやドキュメンタリー番組でも、「ダイエット」はあるが「小食」はない。
「アメトーーク!」でさえ「小食芸人」という企画は成立していない。
そんなのつまんなくて誰も見ないと思うし。

昨今ダイバーシティという言葉が話題になることが多いが、こと人間の多様性を語る際に「小食」なんてジャンルはまず採り上げてもらえない。
女子ならともかく、「小食の男の子」は心配されるし、「小食の男」はビジネス周辺では「役立たず」である。
いえ、あたしの場合小食じゃなかったとしても役立たずですけど・・

ただ最近の子供や若者はアレルギーを持ってることも多いので、世間の理解もそのあたりから少しは進んでいるのかもしれない。
「お客様に遠慮させないでどんどん食べていただくのが真のおもてなし」という日本人の心意気は本来素晴らしいものだが、それがどんな客でも必ず通用するとは限らない、ということはわかってほしいとかなり真剣に思う。

というわけで、最後はダサい青年の主張みたいな話になりましたが、遠慮。
こんなクソちっちゃい話を気にしてるのは東日本でもあたしだけだと思いますが、みなさんは遠慮してますか?
自分と同じような経験や体質をお持ちの方、また逆に「世の中にそんなヤツが存在するのか」と驚愕された方、それぞれのお考えをお聞かせいただけたらと思います。

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やってない 第41回 ドライブスルー

みなさんはドライブスルーってよく利用されてますか?
自分は全然利用してません。
そもそもマジメに「利用したことがあったのか」が思い出せない。
学生の頃、当時流行り始めたドライブスルー(たぶんマクドナルド)を友人たちとネタのために用もないのに使ってみた、という経験があったような気がするが、記憶は果てしなくおぼろげ。
場所も世田谷だったか鎌倉だったか・・と全然定かでない。
(世田谷と鎌倉はちっとも近くないし)

そんなわけでまぼろしのドライブスルー。
自動車に乗ったままでの飲食物・商品の購入受け取り、各種サービスを受けることを指すと思うが、法的にも子供だけで利用という状況はないはずである。

利用しない理由を考えてみたが、まず自動車に乗ったまま・運転したまま食い物を買ったり商品受け取ったりが「落ち着かない・せわしない」という印象はある。
だったらクルマ降りて店内でゆっくり・・というのが自分の感覚。
車に乗ったまま何か食う、というのは助手席であってもあまり好きではない。
運転しながらは不自由でもっとイヤだ。

さらに別の理由として、行動範囲内にあまりドライブスルーのある店が多くない(と思う)、というのもある。
きちんとカウントしたわけでもないが、道路状況や店舗スペース事情があまり良くない環境に暮らしているので、ドライブスルー自体がそれほど多くはないのである。
近所の国道沿いにマクドナルドのドライブスルーがあるが、とにかくいつも混んでいて国道にスルー待ちの車列が年中できている。
全然スルーじゃないし、正直非常に迷惑なので入りたいとも思わないのだ。

なのでドライブスルーがほどよく繁盛するには地理的要因も大きく関係していそうである。
都心や駅前などムダにクルマが多くて年中渋滞してる場所だとむしろ不便だし、かといって山間部や離島だとそもそも利用者母数が少なくて商売も成立しない。
やはり向いているのは郊外で自動車が生活基盤の地域だろう。
広い道路・広い店舗敷地に一定の利用者数というバランスが重要と思われる。

利用してないから全然知らなかったのだが、今はファストフード以外にも様々な業態のドライブスルーがあるようだ。
調べてみたら驚愕の連続である。(じじい)

・長崎ちゃんぽん「リンガーハット」
言わずと知れたリンガーハットだが、ドライブスルーを実施してる店舗があるらしい。
専用容器・特殊調理方法によりちゃんぽんのテイクアウトを実現させたそうだが、大丈夫なのだろうか・・
車内で容器が座席から落下したらしばらく立ち直れない気がする。
麺類やアイスクリームなど持ち帰り時間が長いと厳しい食べ物はたくさんあるが、リンガーハットはそこをあえて挑戦している、ということなんだろうか?

・年賀状受付
年賀状を出しに車で郵便局まで来た人のためのサービス。
便利かもしれないが、ポストの前にちょっと止めて投函、ということが可能ならそれほど魅力もないような・・
そのうち「投函ついでにハンバーガーを注文」といったマクドナルドとコラボしたドライブスルー郵便局が出てきそうな予感がする。

・葬儀参列
これはさすがに驚いた。
葬式にドライブスルー導入ってのはかなり大胆な発想だ。
抵抗を感じる人も当然いるだろうが、高齢者や歩くのが不自由な人にとっては便利なシステムかもしれない。

・薬局
これも初めはドライブスルー導入の意義がわからなかったが、説明を読んで納得。
子供連れ・ケガや体調が悪い・他人に薬の説明を聞かれたくないなど、様々な理由で薬局に行くこと自体が大変な人がいる、ということ。
確かにそうだ。
また二次感染防止というのは患者だけでなく薬局側にとっても大切だろう。

・銀行ATM

利用形態としては薬局にも近いので、もっと普及してもよさそうだが、今のところ導入してるのは大垣共立銀行だけらしい。

・古紙回収
奈良の回収業「アライの森」が始めたサービス。
車に乗ったまま古紙を専用スペースでおろして帰る、という仕組みだと思う。
当地の事情は不明だが、これこそは地理的要因が大きく関係していそうな気がする。
我が家の場合、古新聞は新聞販売店が各家庭に回収に来る制度があり、新聞以外の古紙も自治体から委託された業者が定期的に回収に来るのだ。
従って今のところ自分で古紙を業者に持ち込む必要がないため、このサービスはたぶん出現しないだろう。

・書店
実は近所でかなり前からドライブスルーをやっている書店があるのだが、自分は利用したことはない。
ピンポイントで買いたい本が決まっていれば雨の日などは便利だが、書店は「本との出会いの場」だという感覚があるので(カッコつけんなよ)、今後もドライブスルーは利用しないと思う。

・公衆電話
今の若い人は使い方も知らないと言われる公衆電話。
ドライブスルー公衆電話の存在意義は、利便性でなく希少性だろう。
愛知県日進市にあるそうだが、「オレこないだドライブスルー公衆電話で電話かけてみた」というネタのためとか、インスタ用とかそんな次元だと思われる。

・ウェディング
アメリカ・ラスベガスにはドライブスルーでウェディング、というサービスがあり、日本の旅行代理店やブライダル業者が手配してくれるそうだ。
新郎新婦はオープンカーに乗ったままチャペル(本物なの?)に進入。
そのまま牧師の言葉を聞いて挙式は進行し、記念撮影までやってくれる。
「カジュアルで個性的なウェディングで、映画のワンシーンのようなひとときを」などといったアオリが書いてある。
利便性はもちろんなく、話題性で成立してる商売だね。
日本国内でもやってくれる式場とかあるんだろうか?

こんないろいろな業態で導入されてることにも驚いたが、かと言って利用したくなるサービスがあったわけでもない。
今後出てきそうな気がするのは、ドライブスルー中古品買取店。
メルカリ全盛の昨今だが、大きいもの・重いものは梱包が面倒なので、むき出しのままドライブスルーで持っていってAI査定で一瞬にして価格決定。
車から降りずに現金なりポイントを受け取って帰る、というシステムがあればそれなりに需要はありそうな感じだけど、どうだろうか。
もうすでにどこかで始まっているのかな?

というわけで、ドライブスルー。
まともに利用したことがほとんどないという果てしなく経験値の低い有様ですが、みなさんがよく利用するサービスや、「こんなものもある」といった風変わりな業態など、教えていただけたらと思います。

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2017年の終わりに

BLOGを始めてとうとう丸14年が過ぎてしまった。
14年も継続していながら進歩成長前進の実感は全くなく、もうたぶんこの体質のまま死ぬと思う。
何年経っても感覚的には毎年ド素人のままである。

ここまでの記事数は696。
コメントは、自分のものも含めて5403。
トラックバック(死語)は403だが、やはり2017年も1件も来なかった。
迷惑トラックバックすら来なくなって久しいので、この機能にはもう未来はないと思う。
そのうち機能自体がなくなるだろう。

今さらだけど当BLOGの目的は「聴いてなかった音楽を聴いてる人からのアドバイスで聴いてみる」である。
今年その目的にそって聴いてみた音楽は以下のとおり。

聴いてみた 第136回 スティクス
聴いてみた 第137回 エリック・クラプトン その2
聴いてみた 第138回 プリファブ・スプラウト
聴いてみた 第139回 フェイセズ
聴いてみた 第140回 ローリング・ストーンズ その17
聴いてみた 第141回 XTC その3

1年で6回なので全然多くもないが、今年は比較的みなさまのご指導にそって聴いてみたものばかりで、脈絡もなく発作的にユニオンで買っちゃったという例はない。
まあ発作的に聴いたらだいたいは玉砕するので、このポリシーは間違っていないだろう。

しかも今年は「聴いてよかった」と思えた作品が多い。
ストーンズの「Between the Buttons」、フェイセズの「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」、クラプトンの「Slowhand」、スティクスの「The Grand Illusion」がそうだ。
まあいずれも名盤であって今頃聴いて喜んでること自体がポンコツなんでしょうけど。
ポール・マッカートニーやクラプトンの学習もまだ全然途中であり、来年以降も引き続き聴いていかねばならない。

一方の聴いてないシリーズ、さすがに200回を超えてネタも枯れてきており、誰でも聴いてる大スター級の衝撃的発表もあまりなかった(と思う)。
実際聴いてない告白のあとすぐ聴いてみましたという例もなし。

個人的には「遠い」イメージなのが以下のみなさんである。

聴いてない 第222回 アズテック・カメラ
聴いてない 第227回 イギー・ポップ
聴いてない 第232回 クラフトワーク

1曲も聴いてないという当たり前な理由からだが、ホントに名前くらいしか知らないので、ハードルは依然高いままである。
比較は本来無意味なはずだけど、「イギー・ポップを聴いてない」よりは「ボブ・ディランを聴いてない」ほうがやっぱり深刻だと思うし。(どっちも早く聴けよ)

かすかに学習意欲が脳内に漂っているのは以下のアーチストだ。

聴いてない 第226回 ブラインド・メロン
聴いてない 第229回 ハノイ・ロックス

ブラインド・メロンの記事には残念ながら未だコメントがついていないので、題材としてはかなりコアだったかもしれない。

世間ではCDとかアルバムといった概念もじわじわ希薄になりつつあり、中古CD店も次々と閉店している。
さて聴いてみようかと思ったらもうそのCDを手に入れること自体が不可能、なんて事態になるんだろうか。
今さらあわててもしょうがないが、来年もたぶんオロオロしながら学習していくことになるだろう。

というわけで、コメントくださったみなさま、今年1年ありがとうございました。
15年目もよろしくお願いいたします。

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行ってみた 東京モーターショー2017

人混みがキライで車にもさほど詳しくないくせしやがってなんだかんだでモーターショーには毎回行ってしまうSYUNJIといいます。(滝沢カレン調)
前回は平日に行ったため、客の少なさが効果的過ぎて驚くほど短時間で見終わってしまいましたが、今回は休日だったため、やっぱり人の頭越しに車とお姉さんをながめる形になりました。

回を重ねるごとに評判が落ちていく悲しき東京モーターショー。
一番の原因は出展社や展示車の数が減っていることでしょう。
特に外車メーカーはもう日本を市場として全く重要視しておらず、イタリア車やイギリス車のメーカーはとうとう出展ゼロとなりました。
なじみの深いMINIやアルファロメオも今回は来ていませんし、アメリカのビッグ3も全て撤退。
東京モーターショー自体の存続もどうなるのか不透明。

加えて国産車メーカーも三菱・日産・スズキが不正検査などでグラグラ揺れており、マスコミ調に言えばモーターショー開催に冷水を浴びせることに。
ジャーナリストからは「つまんない」「盛り上がらない」などさんざんな言われようで、「プレスデーの挨拶にトヨタの社長が出なかった」など、いろいろ異常事態が起きているようです。

そんなプロレス団体っぽい展開の自動車業界ですが、それでも一般公開日はムダにたくさん人来てましたよ。
個人的には毎回外車中心の見学でしたが、その外車自体の出展が減ってるので、もうそういう区分してる場合じゃない感じです。

まずはポルシェ。
永久に縁のないクルマですけど、ドイツ車はまだまだ強気です。
911やBoxterといった王道車種からカイエン・パナメーラなど幅広く展示。
新しいカイエンは参考展示だそうですが、専用のスペースでどおんと置いてありました。

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パナメーラ ターボSのハイブリッド、最高速度が310kmだそうですけど、そこまで出すとハイブリッドの意味はなくなるような・・・毎回ポルシェの開発意義はナゾ。

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これはスピードスターの1955年モデル。
適当に撮ったのですが、背景がうまい具合に暗く、どこかいい感じの写真になりました。

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さらに縁のないレクサス。
写真はレクサスGS F 10周年記念特別仕様車と、LS500h。
LS500hはメーカー希望小売価格11,200,000円からだってさ。(ヤケクソ)
ブランドが登場した頃はラグジュアリーさだけが強調されてたような気がしますが、最近はデザインにも若干ワイルドさが加わってきた感じ。
徐々に趣味が若向きに変わってきたように思います。
当然ですけどクルマにさわれない展示が多く、民衆は回転するレクサス様を遠巻きにながめて写真を撮るだけ。

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カタギじゃ買えないレクサスブースを舌打ちしながら通り抜け、大衆車メーカーのフォルクスワーゲンへ。
up! GTIはもちろんさわったり乗ったりもOK。

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大衆車メーカーであるワーゲンにも回る展示がありました。
初めて知りましたが、アルテオンという車で、こちらは549万円。
今回日本初登場だそうです。
ライバルはBMW4シリーズ、アウディA5あたりとのこと。

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そのアウディも日本では元気です。
美しいブルーが映えるRS 4 Avantは日本初出品、黄色のオープンはR8 Spyder V10。
なんかその昔ホンダが作ったビートをでかくしたような車です。

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新型A8も日本初出品で、自動運転機能を搭載してるそうですが、こういう車はオーナー自身があんまし運転しないから、自動運転の必要もないように思うんですけど。

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再び大衆車メーカーのルノー。
意外に思いますが、販売はけっこう好調らしいです。
ルーテシアやメガーヌが置いてありました。

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トゥインゴは実際にディーラーで試乗して買うかどうか迷った車です。
この車の魅力はRR、つまりエンジンが後ろにあるという点をメーカーもディーラーも強調しますが、実は試乗してもRRの特徴的な加速はあまりわかりませんでした。
むしろマニュアルでありながら2速・3速の加速にやや物足りなさを感じたのが正直なところです。
まあ排気量を考えると当然ではありますけど。
展示車はオレンジでしたが、できればパリの夕暮れをイメージしたと言われる限定車「ノクターン」を置いといてほしかったです。

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不祥事で大揺れな日産も、この日はあまり関係なく結構盛り上がっていました。
もう他のブースにはあまりないような、車を機械で持ち上げてぐるぐる回すというアバウトな演出に対して、若者は野外フェスみたいに拳を上げていました。

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同じく揺れてるスズキも、ブース装飾は意外にハデでした。
壁面いっぱいに作ったビジョンで様々な映像を流し、ブース全体を明るくしていました。

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対照的にホンダは未来志向であまり身近に感じさせないイメージ。
市販車も一通りありましたが、コンセプトカーも多く依然として研究体質の強いメーカーという印象。
新型NSXも置いてありましたが、以前のようなエロさはなくなり、他のホンダ車同様トゲトゲしいマスクになっています。

強気のドイツ車はまだありました。
BMWアルピナです。

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基本的にはブース内に入れず、平民は見守るだけの展示。
青いほうのB7 Bi-Turbo Limousine Longは2216万円ですわ。

アルピナと言えばマット。
今回も置いてありました。

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マットな黄土色のほう(表現がダサイ)がConcept Z4、シルバーは上の青と同じB7 Bi-Turbo Limousine Long。
この塗装(と言っていいのかわからんけど)、他の車種ではまず見かけない質感です。
実物見てみるともっとわかりますが、絶対さわってみたくなります。

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スマートforfourは市販予定の電気自動車「electric drive」やBRABUSなどがありました。
forfourも購入を少しだけ考えたこともありましたが、やはり価格が高いので断念。(BRABUSは345万円)

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DSはシトロエンの車種が独立した新ブランド。
・・・ということを、実はこの展示で初めて知りました。
別ブランドにしたのは、「フレンチラグジュアリーの復活」のためとのことですけど、正直さっぱりわかりません。
シトロエンDS3は好きな車ですが、シトロエンの名をはずすことにどこまで意味や効果があるのか・・・?

最後に立ち寄ったのはダイハツとトヨタ。
この2つは会場が別の場所(西展示場)でした。

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ダイハツも雰囲気は良かったです。
ブースも明るくビジョンやスクリーンを効果的に使って映像を見せており、多くの人を集めていました。

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トヨタはやはり別格でした。
ウチの会社でもビッグサイトで開催された展示会に出展したことが何度もありますが、その感覚で言うとこのトヨタのブースはものすごくカネがかかっているはずです。
今回は特にブース装飾をシンプルにしてきたメーカーも多い中、幻想的なイメージはひときわ目立っていたと感じました。
ただ展示車そのものは個人的にはほとんど興味を引くものはありませんでした。

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ブース受付にいたこのコンパニオンのお姉さんも圧倒的な存在感でした。
ふつうモーターショーでカメラが殺到してるところにはたいてい露出の多い衣装に身を包んだコンパニオンがいるものですが、この人は顔だけで周辺の男どもを騒然とさせるだけの破壊力がありました。
調べたら一瀬優美さんというレースクイーンやモデルをしてる女性だそうです。

ということで、モーターショー見学も終了。
次回開催があるのかわかりませんが、このまま出展社が減っていくようであれば、次回見に行くのかどうかも本当にわかりません。
良くない話題ばかりの自動車業界ですが、次回はなんとか盛り返してイタリア車やイギリス車も見せてほしいと思います。

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やってない 第40回 書道

もはや誰も驚かないと思いますが、書道。
全くやっておりません。
小学校の習字の授業以来、墨で文字を書いたことがない状態。
当然だけど毛筆硬筆問わず字は全然ダメです。

文字も鍛錬した技量の賜物であり、きちんと練習しなければうまくならないのは当然である。
いわゆるアートとしての書になると話は違ってくるが、普通に人前で字を書けば、うまい・ヘタはわりと簡単にわかってしまう。
そういう意味では楽器やスポーツにも似ている。
で、自分はまたしてもその鍛錬のプロセスが面倒で、書についても習ったり学んだりをしてこなかったのだ。

高校生の頃、姉があの「日ペンの美子ちゃん」に発作的に興味がわいてテキスト一式を購入したが、全く長続きせず放置したので、自分もそのテキストで少しだけ学習してみたことがあった。
添削指導までは受けずにテキストのとおり字をなぞってみただけだが、弟の自分もこれまた長続きせず、やっぱり放置という恥ずべき経緯があった。

そんなわけで当然字は昔からちっともうまくなく、今も全く自信がない。
最近はパソコンの利用により手書きの文字を人様にお見せする機会も少ないが、それで逆に困るのがたまにある葬式や結婚式である。
以前急に葬式に出なければならなくなり、香典を用意したものの、筆ペンで書いた己の名前のあまりのひどさに、欠席しようかと本気で思ったこともある。

香典袋に名前を書くのにさすがにハンコやパソコンでプリントというわけにもいかない。
特に香典は名前をがっちりパソコンで印刷して持っていったら、ご不幸に対して前もって準備していたことになり、はなはだ失礼であろう。
・・・と思ったら、最近は香典袋に名前を印刷するフリーソフトやテンプレートがネット上に普通に登場しているようだ。
香典は集めて終わりじゃなく、そのあと遺族側からお返ししたりお礼状を出したりいろいろあるのだ。
読めないほど汚い字で名前書いて香典出したら、そのほうが実務的には迷惑だということになる。
よって香典袋の名前のプリントが失礼だと感じるかどうかは人による、という状況らしい。

記帳はもっと大変で、現地でぶっつけ本番で書き直しもできない。
だいたいが厳粛な場所で、記帳係はこちらの字を凝視している、という異常な空間の中でまともな字が書けるわけがない。(言い訳)
記帳係に後ろを向いてもらったところでヘタ字は同じなんですけど。
楽器やスポーツは他人の目の前で決して見せまいと決意すれば、ヘタがバレずに墓場まで持っていくことも可能だが、字と箸の持ち方はまだまだそうもいかないのだ。
スマホをピッとかざすだけ、というITな記帳が早く始まらないだろうか。(バカ妄想)

なのでネットでの発信が手書き文字限定でなくてホントによかったと思う。
もし仮に、ネットの世界でも文字だけは手書きであったとしたら、おそらく自分はBLOGもSNSもやっていないだろう。
こんなクソ汚い字で世界中に聴いてない音楽を公表するなんて・・とても恥ずかしくてできません。
・・・聴いてない音楽を公表してる時点ですでに恥なんですが。

ところで、そもそも習字と書道は違うんだそうだ。
どう違うのかというと、これもて定義や解釈がいろいろあるそうだが、お教室に通ったり先生について字を習うのが習字で、その過程で昇段して師範代の免状を得てからが書道、ということらしい。
なので自分の場合習字もしてないので、本当は今日のタイトルも「やってない 習字」にしないといけないようだ。

ちなみに書道における級や段は全国統一の基準はなく、それぞれの団体ごとに設定して昇格していくものらしい。
なので書道八段といってもレベルは様々で、将棋や柔道のような段位とは意味合いが異なるようだ。
最近はアート寄りに書の表現を発展させて有名になる書道家もいるが、実は段を持っていないというケースもあるとのこと。
漫画や映画の影響もあってか、若い人の間でもでかい紙にでかい筆で自由に書くというパフォーマンス書道?が人気らしい。
こうなると段位や級はそれほど重要なものでもなくなってきているのかもしれない。

それでも「書道○段」というのは自分みたいなヘタ字クソ野郎からすると単純に「すごい・・」と思ってしまう。
なんでもそうだが、字もうまいに越したことはない。
子供の頃は小学校にも字のうまい先生がいて、学校で出す賞状は必ずその先生が書く、なんてこともあった。
有名人だと字がヘタで見下されたり字が上手で見直されたりは相当あるだろう。
深田恭子やマツコ・デラックスやアンガールズ山根は書道の有段者だそうだ。
最近ネットで「野田幹事長の字は小学生レベル」などとバラされて気の毒だったが、そんな情報で本人や党の選挙にも影響が出なければいいけど・・

「絵がヘタ」よりも「字がヘタ」なことに世間は厳しいような気もする。
「野田氏は絵がヘタ」よりも「野田氏は字がヘタ」のほうが政治的ダメージが大きい(と思う)。
字よりは絵のほうが多少は手が動く自分としては、こうした風潮はやや不満だ。
ただ、冷静に考えればこれも当たり前の話ではある。
絵は基本的に趣味の範疇だが、字は情報伝達手段であり社会的な作法のようなものだ。
絵がヘタでも他人に迷惑がかかることはほとんどないけど、字は度を超して汚ければ他人には読めないし、読まされるほうは不快である。(悪筆で有名な大作家ってのもいますけど)
文句言ってないでお習字しろよって話でしょうけど・・・

というわけで、書道。
みなさんは習字や書道、やってますか?
「実は字が上手だ。ネットでも手書きで表現したいくらいだ!」という方、一方で自分と同様に「パソコンが普及して手書きの機会が減ってよかった・・」と思ってる方、みなさまの字について教えていただけたらと思います。

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