読んでみた 第60回 デヴィッド・ボウイ

今回読んでみたのは、ちくま新書「デヴィッド・ボウイ」。
2017年1月に出版された新書である。

版元は筑摩書房、価格は税込924円。
2017年1月5日出版、判型は新書判、256ページ。
副題は「変幻するカルト・スター」。

Davidbowie

先に書いてしまうが、ボウイは2016年1月10日に亡くなっており、あとがきでボウイの死についてもふれている。
この本がボウイの死を受けて企画されたのか、執筆編集の途中で訃報が飛び込んできたのかはわからない。
ただボウイの死を受けてこの本を手に取った読者は多いはずである。

自分はボウイをロクに聴いておらず、ボウイについて書かれた本を読むのも初めてである。
こんな自分にボウイ本など読む資格があるのか疑問ではあるが、入門書として確認しておいたほうがよいだろうと勝手に判断して読むことにした。

・・・・・読んでみた。

 

目次はこんな感じ。

第1章 郊外少年の野望(1947‐1966)
第2章 ソロ・デビューからの試行錯誤(1966‐1971)
第3章 ジギー・マニア(1972‐1973)
第4章 変身を重ねるカルト・スター(1973‐1979)
第5章 インターナショナル・スーパースター(1980‐1992)
第6章 “大人のロックスター”の存在感(1992‐2006)
第7章 仕掛けられたグランドフィナーレ(2013‐2016)

生い立ちから音楽への目覚め、バンドデビューからソロへ、成功への道のり、スターとしての葛藤や沈黙、仕掛けられた遺作発表と、生涯を誠実に時系列に沿って記している。
ロックスターの伝記としては正調の構成であり、また本文は著者の想いや主張も控えめである。
発表してきたアルバムはジャケット付きで紹介しているが、曲リストまでは掲載していない。
この点は少し残念だが、新書という規格ではそこまでは難しかったかもしれない。

逆にボウイの楽曲・歌詞・サウンド・楽器などに関する音楽的考察もそれほど多くない。
そういう性質の本ではなく、あくまでロックスターであるボウイの一生をシンプルに捉えた伝記本である。
なので自分みたいなボウイを聴いていない素人リスナーにも非常にわかりやすい文章で書かれている。
基本的に書いてある情報は全部初めて知る話だが、こんな自分でも驚くようなエピソードは結構あった。

デヴィッド・ボウイの本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ。
1947年1月8日にロンドン郊外のブリクストンに生まれた。
なお同じ1947年生まれの有名人として、ビートたけし、高田純次、加藤和彦、平野レミ、細野晴臣、大島弓子、山岸涼子、エルトン・ジョン、ブライアン・メイ、アーノルド・シュワルツェネッガーなどを挙げている。
こういう情報はいかにも日本的だ。
日本人は互いの年齢を異様に気にするという世界でも珍しい民族だそうで、正直「ボウイと高田純次と平野レミは同い年」なんてどうでもいいトリビアなんだけど、著者も読者もこういう情報を好んでいるところがやはり日本人なんだろうなと思う。
欧米の著書にこんな同い年情報なんて書いてあったりするんだろうか?

デヴィッド少年は父親の影響でアメリカのポピュラー音楽が好きになり、さらに異母兄の影響でジャズ奏者にあこがれ、12歳で近所のサックス業者ロニー・ロスのレッスンを受けた。
デヴィッドはロニーに直接電話をかけ、「サックスを習いたい」とお願いしたそうだ。
その後ブロムリー工業中等学校に進学。
この学校の美術教員のオーウェン・フランプトンはピーター・フランプトン(ボウイの2歳下)の父親である。

17歳でディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズという音楽グループを結成するが、この時出資やマネジメントを実業家ジョン・ブルームに手紙で直接交渉している。
あまりイメージできませんけど、若い頃からやり手で積極的だったんスね。
ただ熱意は空転してキング・ビーズは全然売れず、65年にマニッシュ・ボーイズというバンドを結成する。
パーロフォンから「I Pity The Fool」という曲をリリースしたが、ギターを弾いているのはなんと若き日のジミー・ペイジ
でもペイジ参加もむなしく、やはり全然売れなかったそうだ。
まあボウイもペイジもお互いまだ無名で、この時は特に奇跡は起きなかったみたいです。

この頃デヴィッド・ボウイに改名したが、19世紀に活躍したアメリカの開拓者であるジェームズ・ボウイから取ったとのこと。
また別の理由として、モンキーズのデイヴィー・ジョーンズとの混同を避けるため、というのもあったそうだ。
グループとしては結局芽が出ず、ボウイは67年にソロに転向する。

ソロになってからはその後長く活動を共にした、ミック・ロンソン、カルロス・アロマー、イギー・ポップなど盟友と呼ばれる人物が登場する。
意外なところでは71年「Hunky Dory」のレコーディングにリック・ウェイクマンが参加している。
その後リックはボウイのバンドとイエスの両方から加入の誘いを受けたが、結果的にはイエスを選んでいる。

70年代のボウイは変幻自在で多作だった。
順にグラムロック時代、アメリカ時代、ベルリン時代と呼ばれるそうだが、いずれもそれほど長期間でもなく、それぞれの時代は3~4年程度。
その間に名盤や話題作を次々と発表し、ジギー・スターダストやシン・ホワイト・デュークというキャラクターを演じては終焉を迎えることを繰り返している。
創造性や創作意欲にあふれたこの時期が一番好きというファンも多いと思う。

80年代に入ると、ポップスターと俳優業の印象が強い。
ハデで独創的で自主興行的な70年代の活動と比べると、他者の力も大きく利用しながら、より大衆的な芸能にシフトした感じがする。
アルバム「Let's Dance」はキャリア最大のヒット・アルバムだが、当時最強のヒットメーカーのナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したことが大きいのは、本人もファンも納得する点であろう。
ただこの本にはそうした考察とは別のほのぼのエピソードも紹介されている。
82年秋、ボウイはニューヨークのクラブで偶然ナイル・ロジャースに会う。
ナイルと意気投合したボウイは、次作のプロデュースを依頼するため、後日ホテルのバーで待ち合わせたが、お互いに相手が隣にいながらも20分間気付かなかったとのこと。
人間くさい話ではあるけど、誰か周りにいた人が教えてあげればいいのに・・・

ボウイの出演作品として日本人にとって最もなじみの深い映画「戦場のメリークリスマス」だが、この本では思ったほど紙面を割いていない。
取材上の限界はあっただろうが、せっかく日本の読者向けに出版するのであれば、できればビートたけしや坂本龍一のコメントや撮影時の裏話など、もう少し書いてくれたら・・と思った。
本書はやはり基本的にはミュージシャンとしてのボウイを紹介するスタンスのようで、「ラビリンス」出演についても一言程度の案内にとどまっている。

人気実績とも絶頂を迎えたボウイだが、やはり葛藤はあったようだ。
ファンからは以降のボウイは迷走期に入ったと言われているそうだが、その迷走のひとつがバンド結成だった。

ミュージシャンとは知らずに友達になっていたリーヴス・ゲイブレルス。
彼の妻はボウイのアメリカでの広報を担当しており、妻はボウイにリーヴスのデモテープを渡し、ギターを気に入ったボウイはバンドを結成して一員として活動するアイデイアを思いつく。
ボウイはリーヴスの他、イギー・ポップのバンドにいたトニーとハントのセールス兄弟を誘った。
これがティン・マシーンである。

ティン・マシーンは2枚のアルバムを発表するが、売り上げはそれまでのボウイの実績に遠く及ばず、4年ほど活動しそのままフェードアウト。
ボウイが何をねらってバンドを結成したのか、なぜ「ボウイ&ティン・マシーン」ではなかったのか、結局ファンにもあまり伝わらなかったようだ。

90年代に入るとアルバム発表の間隔は広がったものの、活動自体は止まることはなかった。
93年には再びナイル・ロジャースにプロデュースを依頼し、アルバム「Black Tie White Noise」発表
盟友ミック・ロンソンも参加したが、残念なことにミックは発表の3週間後に肝臓がんで死亡している。
95年のアルバム「Outside」では、「Lodger」以来のブライアン・イーノとのコラボが実現。

ボウイは早くからパソコンやインターネットに親しみ、93・94年ころからマッキントッシュを使い始め、お絵かきソフトで遊んでいたそうだ。
94年には早くも公式ウェブサイトを開設している。
日本ではまだ個人でPCを購入したりインターネットを使ったりしてた人は少なかった頃だ。
98年には「ボウイネット」を立ち上げ、会員限定コンテンツを提供するなど、時代を20年以上先取りしていた感がある。

2000年代前半までは活動的だったが、後半は沈黙の期間と呼ばれた。
2002年のアルバム「Heathen」では22年ぶりにトニー・ヴィスコンティと共演。
「Let's Dance」でナイル・ロジャースを起用したことから二人は疎遠になっていたらしい。
ピート・タウンゼンドデイヴ・グロール、トニー・レヴィンも参加している。

2003年「Reality」を発表。
2004年のツアー中の公演で9曲演奏した後、肩の痛みを訴えてステージを降り、その後ハンブルグで入院し心臓手術を受ける。
2006年11月、HIVに感染した子供の家族支援チャリティイベントで、アリシア・キーズと「Changes」を歌った後、公の場での歌唱や演奏を行わなくなった、とある。
詳細や真相は明らかにされていないが、やはり健康面で問題がいろいろ発生していたと思われる。

しかし2013年「The Next Day」を発表し、突然のカムバックを果たす。
2011年から秘密裏にこのアルバムのための作業を進めていたそうで、レコーディングは自宅から徒歩10分のスタジオ。
この場所なら行き帰りを目撃されても散歩の途中と説明できる、という理由で選んだとのこと。
関係者には箝口令が敷かれ、内容を漏らさないという契約書の署名が求められた。

そして2016年1月8日、ボウイ69歳の誕生日に「★(ブラックスター)」リリース。
だがその2日後にはボウイ死去が伝えられた。
2年ほど闘病の末に肝臓がんで亡くなったそうだが、おそらくは2011年当時から病気を抱えながらの創作活動となっていたのだろう。
スターであるがゆえに弱った姿を見せず、病と闘いながら新作を発表したのだ。
自らの命をもアルバム発表の演出に使ってみせた遺作が「★」である。

著者は73年生まれで、70年代の変幻カルト・スターとしてのボウイについては後追い世代だ。
本人もアルバムを買い集めたりライブに行きまくったり・・といった熱狂的なファンではないことをあとがきで告白している。
そういう人がデヴィッド・ボウイについて1冊の本を出版するのは、かなり勇気がいる決断だったのではないかと思う。
70年代ボウイをリアルタイムで追っていた古参のファンはこの本をどう評価しているのか気になるが、素人の自分としては、マニア視点ではない分、フラットにボウイの生涯を記していてわかりやすいと感じた。

というわけで、「デヴィッド・ボウイ」。
非常にいい内容で、読めてよかったです。
ボウイの未聴盤なんて山ほど残ってるので、この本を見ながら次はどれにしようか選んでみるのもいいかなと思いました。
読む前はロックスターの伝記が新書なの?と思いましたが、初心者にはありがたい情報量と構成なので、版元や著者には今後も他のロックスターについてもシリーズ化出版をぜひお願いしたいところです。

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読んでみた 第59回 炎 Vol.3「エドワード・ヴァン・ヘイレン特集」

今回読んでみたのはシンコー・ミュージック・ムックのBURRN! PRESENTS 炎 Vol.3「エドワード・ヴァン・ヘイレン特集」。
前回読んだ文藝別冊同様、エドワード・ヴァン・ヘイレンの死を受けて出版された、HM/HR専門誌である。

版元はシンコーミュージック・エンターテイメント。
価格は本体1,200円、発売日は2021年1月26日、判型はA5判、212ページ。
表紙のアオリは全然ヒネリのない「ギターの革命家エドワード・ヴァン・ヘイレンの人生を祝福する一冊!」。

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文藝別冊よりも発売日が少しだけ早い。
エドの死から半年も経っていない中、これだけの内容で出版したということは、当然編集も進行も相当キツかったはずである。
印刷・製本は大日本印刷なので、きっと校正部屋を河出の編集者と奪い合いながら校正したんだろう。
ちなみに本文の紙質はかつての月刊炎と同様、ややザラッとした感触。

HM/HR専門誌を名乗るからには、極東のリスナーが初めて知るような情報がたくさん書かれているはずだ。
果たしてどんな内容なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

・エディ・ヴァン・ヘイレン写真館
・エディ・ヴァン・ヘイレン年表

・特別読み物
 エディ・ヴァン・ヘイレンという「分岐点」

・独占インタビュー
 エディを愛し、影響を受けた仲間達に緊急取材
 ゲイリー・シェローン
 スティーヴ・ルカサー
 ドゥイー・ジル・ザッパ
 ヌーノ・ベッテンコート
 ビリー・シーン
 スティーヴ・ヴァイ
 ザック・ワイルド
 ジョー・サトリアーニ
 ニール・ショーン
 マーク・フェラーリ
 ジョン・5
 ウォーレン・デ・マルティーニ
 スティーヴン・パーシー

・作品解説
 ディスコグラフィ

・緊急アンケート
 私の好きなエディのベスト5曲

・追悼コラム
 エディが語った言葉に込められていた想い
 『5150』スタジオ探訪の思い出
 エディのプレイ・音・曲、ここが凄い!

・特別インタビュー
 野村義男
 高崎 晃[ラウドネス]

この本の編集スタンスは文藝別冊とは異なり、基本的に「共感」ではなく「情報供給」である。
日本の評論家や業界人が集まってエドワードの思い出を語るのではなく、米英のギタリスト仲間や内外のミュージシャンに取材したインタビュー記事が中心。
ミュージックライフや月刊炎での過去記事の再録もなし。

なので日本のファンがすでにおおむね知ってると思われる、兄弟の生い立ちや略歴といった基礎情報は非常に少なく、冒頭に年表があるだけ。
ディスコグラフィも至極まっとうな構成と内容。
特に思い入れが強すぎてほとんど共感できないような評論や、なぜか他のバンドを見下すような比較記事もない。(ツェッペリン本だとどっちもよくある)
当たり前だが喜国雅彦の脱力漫画もない。(安堵)

やはりすごいのはインタビュー記事である。
バンドメイトとして登場しているのはゲイリー・シェローンだけだが、スティーヴ・ルカサーやヌーノ・ベッテンコート、スティーヴ・ヴァイやザック・ワイルド、ジョー・サトリアーニにニール・ショーンといった名だたるギタリストたちが、エドワードについて語っている。
話の中心はその人しか知らない(と思われる)エドとのエピソードなので、出版意義としてはやはり日本の読者への「情報供給」ということになる。

インタビュアーは全てジョン・ハーレルという「BURRN!」現地特派員が担当。
これだけの短期間にこれだけのビッグネームにインタビューできた、という点だけ見ても、シンコーの底力と機動力を感じる。
まあ欲を言えば、アレックスやウルフギャングへの取材はムリだとしても、デイヴやサミーやマイケル・アンソニーにも一言語って欲しかったが。
あとできれば先輩芸人としてリッチー・ブラックモアやマイケル・シェンカーやジミー・ペイジにも取材してくれたらよかったのに・・と思いました。

インタビューではほぼ全員がエドワードは革命的な存在だったと語っている。
唯一無二のテクニック、革新的なサウンド、ファンや業界に与えた影響など、エドワード登場前と登場後の大きな変化を感じたと口をそろえる。
ザック・ワイルドはバスケットのマイケル・ジョーダンを引き合いに出して「どの世界にも、皆を向上させるプレイヤーがいる」と述べている。
メンバーの個性や力量を称賛している人も多いが、ヌーノ・ベッテンコートとニール・ショーンはテッド・テンプルマンの功績も大きいと発言している。

なお「エドがドラムについて文句を言っているのを聞いたことがあるか?」との問いに対し、ビリー・シーンは「アレックスについては何とも言いかねる」と答えている。
「その凄さがわからないこっちがバカなんだろうけど」と一応気を使いながら話しているが、アレックスはスゴイ!と思ったことは一度もないそうだ。
日本の評論家や芸能人でなく、本国のプロミュージシャンからのアレックス評(しかも低評価)は初めて見たが、やっぱそんな感じなのね。
インタビュアーによればエド本人も「ドラムの音がひどいんだ」とこぼしたことがあるとのことです。
そんなひどい音でも、さすがにお兄ちゃんをクビにしたりはできなかったんでしょうね。

また共通しているのは「エドワードは暗いところがない人だった」という点。
昔から演奏中も基本笑顔の変わったギタリストで、この本に掲載されている写真も笑顔が多いが、表情そのままの人柄だったのだろう。
アレックスは弟に比べて内向的で、それほど明るさが全面ににじみ出るようなタイプではないらしい。

もしマイケル・シェンカーインギーとエドワードがそれぞれ東京でラーメン屋をやっていたら(久しぶりのラーメン屋例え。何年経ってもバカなBLOG・・)、やっぱエドワードの店に行きたくなると思う。
そう思いません?
だってさぁ、「麺屋マイケル」は注文しても作ってくれないままどこかに行っちゃって帰ってこなかったりしそうだし、「らぁめんマルムスティーン」で「鶏塩そばひとつ・・」と言っても「ダメだ!オレ様の店では豚骨背脂中太麺しか認めない!」とか佐野実の3倍くらいの勢いで叱られそうだし。
その点「ラーメンスタジオ5150」ではエドがにこやかに「いらっしゃい、久しぶりだね。仕事忙しいの?」とか聞いてくれそうだもんなぁ。(知らねーよ)

「私の好きなエディのベスト5曲」というアンケートは、昔の明星みたいなベタな企画だが、中身は結構驚く内容になっている。
予想通りではあるが「Eruption(暗闇の爆撃)」を挙げている人が非常に多い。
やはりあの音に世界中が驚愕したのは間違いなく、デニス・デ・ヤングは「ベスト5曲」なのにこの曲に2票入れている。

他には「Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)」「Runnin' With The Devil(悪魔のハイウェイ)」などファーストアルバムの曲を選んでいる人が多いが、「When It's Love」「Dreams」などサミー時代の曲も結構挙がっている。
これは意外だった。
日本でもデイヴ時代のヴァン・ヘイレンを評価する人が多数派だと思うが、インタビューではドゥイージル・ザッパがサミー時代を支持しており、「サミーが来てからエドワードはちゃんと音楽を作るようになった」などと言う人もいるので、プロから見てもサミー・ヘイガーの功績はやはり大きかったのだ、ということがわかる。
サミー派の自分としては少し安心。

革命的なギタリストの追悼本だが、ギターテクニックや構造の秘密を詳細に解き明かすような記事はない。
ギターが弾けない自分には、技術評論記事はどっちみち理解できないので、書いてなくて逆にありがたかった。
まあ文字や絵にしたところでエドワードの凄さも伝わらないだろう。
このあたりは出版物の限界であり、やはり映像と音声で解析すべき話である。

巻末の特別インタビューは野村義男とラウドネス高崎晃。
高崎晃は文藝別冊でもインタビューに応じており、日本のギタリストではエドワードの一番のファンとして名が挙がるのだろう。

問題は野村義男。
ヨッチャンもベックなどギタリストの特集本によく登場するけど、本人も公言してる通りこの人はそもそもペイジのファンである。
なのでエドワードについてのインタビューなんだけど、ペイジに会った時の話を楽しそうにしちゃったり、エドワードに顔が似ているという点について聞かれても「周りが勝手に言ってるだけ」とばっさり切り捨てたりで、なんか編集側が期待してたエド話にはあんましなってない感じ。
でもこれはペイジファンのヨッチャンに罪はなく、エドワードの話をヨッチャンに聞きにいった編集サイドが悪い。
今度ペイジ本の企画が出たら、真っ先にヨッチャンのスケジュールを押さえるべきだ。(何様?)

表紙はギターを笑顔で操るエドワード・ヴァン・ヘイレンのステージ姿。
しかも自慢のギターを模した赤白黒のテーピングデザインが施されている。
表4(裏表紙)はギターを手にジャンプするエドワードのモノクロ写真。
やはりシンコー、スキのない装丁である。

というわけで、炎 Vol.3「エドワード・ヴァン・ヘイレン特集」。
昨年文藝別冊を読んだ時、「これもしシンコーが版元だったら・・」と思いましたが、やはりシンコー、中身は期待どおりでした。
エドワードと交流のあったミュージシャンの発言など、初めて知る情報が満載で(←表現が昭和)、読めてよかったです。
あまり大きな声では言えませんが(今さら)、実はヴァン・ヘイレンもまだ聴いてないアルバムが少しだけ残っているので、この本の評論も参考にしながら鑑賞してみようと思います。

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読んでみた 第58回 文藝別冊「ヴァン・ヘイレン」

今回読んでみたのは文藝別冊「ヴァン・ヘイレン」。
エドワード・ヴァン・ヘイレンの死を受けて出版された、ヴァン・ヘイレンの「永久保存版 総特集」である。
今回は珍しく書店で定価購入してみました。

Van-halen

版元は河出書房新社、ムックA5判、192ページ、発売日は2021年2月8日、定価1,430円(本体1,300円)。
200ページもないので、文藝別冊シリーズとしては薄め。
副題は「革命を起こしたギター・ヒーローと時代に愛されたスーパー・バンド」とややダサめ。
もう少しいい感じのアオリが書けなかったのだろうか。
まあそういうアオリこそが一番似合わないバンドではあるが。

エドワード・ヴァン・ヘイレンは2020年10月6日に亡くなったことが、息子のウルフギャングによって公表されている。
そこからコロナ禍と年末進行のクソ忙しい中、とりあえずライターや評論家など片っ端から声をかけ、デタラメな日程と予算の中、正月返上で印刷会社の校正部屋に泊まりこんでどろどろになりながら必死に出版までこぎ着けた、執念の一冊である。
(編集の人たちと知り合いじゃないけど、たぶんだいたい当たってると思う)
果たしてどんな内容なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

【ロング・インタビュー】
「伊藤政則が語る ハード・ロック史のなかのヴァン・ヘイレン」(聞き手:武田砂鉄)
【スペシャル・インタビュー】
高崎晃(LOUDNESS)「衝撃の出会いからずっと憧れの存在 エディのテクニックとスピリットを継承したい」
【スペシャル・インタビュー】
マーティ・フリードマン「エディこそ、唯一無二の「ザ・ギター・ヒーロー」」
【スペシャル・インタビュー】
「小説家・平野啓一郎が語るヴァン・ヘイレンの魅力」
【特別寄稿/エッセイ】
堂場瞬一「ブラウン・サウンドが出ない(泣)」
【特別寄稿/マンガ】
喜国雅彦「エディくん」
小林克也「エディ・ヴァン・ヘイレンを悼む」
【ヒストリー】
舩曳将仁「炎と爆撃のハイウェイ――The History of VAN HALEN」
【論考】
大鷹俊一「70年代のロック・シーンとヴァン・ヘイレン登場の衝撃」
増田勇一「顔で笑って、心で弾いて」
五十嵐太郎「ブリコラージュの楽器、フランケンシュタイン」
武田砂鉄「その緻密な楽天性について――エディ・ヴァン・ヘイレンと志村けん」
山﨑智之「ヴァン・ヘイレンに受け継がれるオランダの血」
武田昭彦「ヴァン・ヘイレンの音」
鈴木輝久「失われた拍を求めて――マイケル・アンソニーとアレックス・ヴァン・ヘイレンのこと」
御法川裕三「初期ヴァン・ヘイレンを支えた二人――テッド・テンプルマンとノエル・モンク」
【エッセイ】
春日武彦「初来日の頃」
松田行正「エディとウィリアム・モリス」
吉川浩満「ヴァン・ヘイレンと私」
【サイド・ストーリー】
山﨑智之「ソロとしてのデイヴィッド・リー・ロス――ダイアモンドの軌跡」
舩曳将仁「ソロとしてのサミー・ヘイガー――VOAの軌跡」
●本書執筆陣が選ぶ エディのこのギター・ソロがすごい!
●徹底解題ディスク・レビュー


構成はいつもの文藝別冊シリーズで、目次の次に在りし日のエドの写真が2枚。
1枚はデイヴとの、そしてもう1枚はマイケル・ジャクソンとのステージ写真である。

書き手の大半はリスナーとしてバンドの音楽にふれてきた日本人であり、実際にエドやバンドと直接仕事で関わった人はいないようだ。
これはマイケル・シェンカー本と同様で、もちろん過去のエドワードご本人のインタビューもなく、他のメンバーやプロデューサーといった関係者の談話もない。
日本人書き手の中で、実際にメンバーに会ってインタビューしたことを明かしているのは山﨑智之だけだ。

文藝別冊シリーズについては基本的に「情報供給」よりも「共感」の編集スタンスをとっているようだ。
ああエドワード死んじゃったなぁ、オレは中学生の頃初めて聴いたんだよ、オマエも?というようなノリで、それぞれの記事が作られている。
方針としてわからんではないけど、やはり新たな発見を読者としては求めたいところもあるはずだ。
このあたりはやはり少し物足りない感じがする。
読者側の勝手な意見だが、これもしシンコーが版元だったら、構成や内容はかなり違っていたのではないだろうか。

目玉記事としては、伊藤政則、高崎晃、マーティ・フリードマンのインタビュー。
実はヴァン・ヘイレンのデビューアルバムのライナーを書いたのは政則氏である。
なのでいくつものメディアが政則氏にコメントを求めてきたそうだ。
ただ予想どおり政則氏のヴァン・ヘイレンに関する感想はかなり淡泊である。

政則氏はもちろんバンドについての様々な知識があり、技術や実績も認めるが、そもそも基本的に語ることがない存在というような表現をしている。
「エディ以外には、影響を受けたという話も出てこない」「ヴァン・ヘイレンって、曲かけてりゃいい、ってことなのよ」「ヴァン・ヘイレンについて、こんなに話すとは思わなかったよ(笑)」なんて感じで話している。
まあそんなとこなんだろう。
これが例えばもし3大ギタリストの誰かが亡くなったりしたら、政則氏の話はこんなぬるいもんじゃ済まないし、頼んでもいないのにもっといろんな話をしてくれるはずだ。
洋楽の世界にも「語りたくなるアーチスト」と「聴いてればそれでいいアーチスト」がいるのである。

このあたり、日本のリスナーでもエドワード・ヴァン・ヘイレンを3大ギタリストより下に見る人は意外に多い。
エドワードの死亡ニュースに対してSNSでもたくさんのコメントが出たが、中には「結局この人の功績はタッピングだけでしょ」なんて切り捨てる人もいた。
特に70年代に3大ギタリストに夢中になった年配のファンに、こういう意見が多く見られるようだ。
そう言いたくなる心理はわからんでもないけど、結局はリスナー個人としての感想でしかないし、「3大ギタリストに心酔するエラいオレ様」のマウント感がにじみ出過ぎて、なんだかなぁと思う。

インタビュー記事の中で良かったのはマーティ・フリードマンの談話。
同じギタリストだし、日本人の評論家や作家なんかよりもエドワードに近いところにいる人だ。
マーティは実際にエドと会ったこともあり、ライブも見に行ったことを明らかにしている。
ただマーティもエドのギターには衝撃を受けたものの、ボーカルがサミー・ヘイガーに代わった以降のバンドには興味がなくなったそうだ。
個人的にはサミー派の自分としてはやや寂しいが、マーティに限らずこういう人は多いんでしょうね。

政則氏の予言?どおり、他の評論やエッセイは、それぞれエドのギターに受けた衝撃やバンドの実績について語るものの、熱量や尖り具合はそれほど強い記事は見当たらない。
楽器や機器類の細かな性能について技術的見地から語るような記事もほとんどなく、比較的一般向けな内容で記されている。
武田砂鉄のエドワードと志村けんを結び付けた文章はかなりムリヤリな印象だけど。

兄弟やバンドのヒストリーは詳しく書かれているが、エドの闘病や死亡前後の模様などについては、公式に伝えられている範囲でしか載っていない。
兄アレックスや関係者などもう少しエドに近い人のコメントなどがあったらと思ったが、日本の出版社でそこまで切り込むのは難しかっただろう。

追悼版なのでエドワードを対象にした文章が当然多いが、サイドストーリーとしてデイヴとサミーのソロキャリアについても別途まとめられているのはいい構成だ。
ヴァン・ヘイレンはエドワードのソロプロジェクトではない。
ボーカルの二人がいてこその実績と人気だったことを、この文章と構成で示している。
逆に言うとアレックスとマイキー、ゲイリーについて書かれた文章はほとんどない。

少し気になったのは、アレックス&エドワード兄弟の生い立ちや両親に関する話、バンドを支えたプロデューサーの情報が、複数の記事に書かれている点。
エドの死を受けて各書き手が一斉に情報をかき集めて文章にしたのだろうから、現象として同じ話が重なることはやむを得ないとは思うが、編集側でそこを調整しなかったのは少し惜しい気がする。
読者からすると「それさっきも聞いたよ」という話をまた目にすることになる。
「兄弟はオランダ人の父とインドネシア系の母の間にオランダで生まれた」「初めは兄がギター、弟がドラムだった」なんてファンなら誰でも知ってる話は、今さら何度もこの本で見たくもないと思う。

バンドを支えたプロデューサーとしてテッド・テンプルマンの名前があがっているが、これも武田昭彦と御法川裕三がそれぞれ書いている。
中身は周辺情報として非常にいいものだが、やはり重複した部分もあり、なんとか編集側で調整してほしかったと感じる。
難しいことは承知の上だが、やはり読む側からすると「初めて知った」話が続々登場する紙面を期待するものなのだ。

で、今回も特別寄稿と題して喜国雅彦のマンガ「エディくん」が4ページ載っているが、予想通り滑っていて、大学生同人誌以下のひどいレベル。
せめて4コママンガで8本ほど書いてくれていれば・・と思う。
なぜ編集側は懲りずに喜国雅彦に発注するのだろうか。
というか原稿上がった段階でよく掲載OKとしたもんだ。
いちいち引っかかる自分も狭量だとは思うが、こういうことやってるから本が売れないんだよなぁ。

表紙はギターを操るエドワード・ヴァン・ヘイレンのステージ姿。
いいショットだが、モノクロなので自慢のギターはやはり赤白がわかる写真がよかったかなと思いました。

ということで、文藝別冊「ヴァン・ヘイレン」。
物足りなさは感じましたが、久しぶりにヴァン・ヘイレンに関するテキストにふれてよかったです。
今後もう少し掘り下げた情報を加えて増補版が出てくれたらと思います。

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読んでみた 第57回 文藝別冊「リンゴ・スター」

今回読んでみたのは文藝別冊「リンゴ・スター」。
図書館に置いてあったのを借りてみました。

2003年11月19日発売、200ページ、本体価格1,143円。
版元は河出書房新社、編集・制作はフロム・ビー。
フロム・ビーとは、ビートルズ研究家の広田寛治氏が運営する、音楽書・雑誌を中心に制作する編集プロダクション。

Ringo

文藝別冊シリーズではビートルズの4人について、それぞれ個別に出版している。
・ジョン・レノン(2000年)
・ジョン・レノン その生と死と音楽と(2010年)
・ジョン・レノン フォーエバー(2020年)
・ポール・マッカートニー(2001年)
・増補新版 ポール・マッカートニー(2011年)
・ジョージ・ハリスン(2001年)
・増補新版 ジョージ・ハリスン(2011年)
・リンゴ・スター(2003年)

上記のジョン・ポール・ジョージ本はいくつか読んできたが、リンゴ本だけ未読だった。
致し方ない話ではあるが、このラインナップを見ても、やはりリンゴの企画は4番目でしかない。
版元のサイトでは品切・重版未定となっていて、表紙写真もなく、当面重版・増補版予定はなさそうである。

自分は未だにリンゴ・スターを全然聴いていない。
4人の中でもジョンはベスト盤、ジョージも「All Things Must Pass」とライブ盤しか聴いておらず、ポール・マッカートニーの学習ですらまだ全作品まで手が回らない状態。

これまでリンゴ情報は全て「ビートルズ」に関連する本や雑誌、ネット記事から仕入れている。
リンゴ・スターだけを扱った本・雑誌は読んだことがない。
なのでおそらくはこのリンゴ本には知らない話がたくさん書かれているはずだ。
情報は2003年時点でのものなのでやや古いが、とにかく読んでみることにした。

・・・・・読んでみた。

目次は以下のとおり。

Part 1 Let us talk about Ringo Starr
リンゴの話をしよう
《インタビュー》
上田雅利★リンゴは革命児であり、クリエイティブなテクニシャン
大間ジロー★「楽しい」というものが伝わってくるリンゴのオーラ
城間正博★テクニックだけではない、絶妙なタイミングとグルーブ感
《評論・エッセイ》
星加ルミ子☆思いやりあふれるリンゴとの思い出
広田寛治☆リンゴ・スター加入がもたらしたビートルズの世界的成功
和久井光司☆ビートルズのエンタテイメント性を継承・発展させるリンゴ
藤本国彦☆プロデューサーとの出会いとリンゴの音楽
加藤正人☆今この瞬間を最も大切に生きるリンゴ
山川真理☆「リンゴ語」にみる言語感覚とユーモア
《リンゴの足跡を訪ねて》
リンゴのセンチメンタル・ジャーニー☆越膳こずえ
《リンゴ・スターの名曲7》
♪ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ ♪オクトパス・ガーデン 
♪明日への願い ♪想い出のフォトグラフ ♪ユア・シックスティーン 
♪アイム・ザ・グレーテスト ♪ノー・ノー・ソング

Part 2 With a lot of Help from RINGO STARR
大交友録/リンゴとロックと仲間たち
リンゴの交友録、それはロックの歴史☆淡路和子

Part 3 Biography...so far
リンゴの誕生から現在まで☆山川真理

Part 4 Discography, etc
リンゴ・スター作品集
《音楽作品》
《映像作品》
《ウェブサイト》

リンゴ本人も含めてのインタビュー、バイオグラフィー、ディスコグラフィーといった構成は、他の文藝別冊シリーズと同じ。
文藝別冊シリーズはあまりシビアな論調がなく柔らかい編集が多いが、この本もまさにそんな感じだ。
編集方針以上にリンゴの人柄や交友の広さがそうさせていると思う。

インタビュー記事では上田雅利(チューリップ)、大間ジロー(オフコース)、城間正博(バッド・ボーイズ、リボルバー)の3人のプロドラマーが、リンゴのドラミングについて語っている。
話のポイントはそれぞれだが、総じて指摘しているのはリンゴが左利きである点。
ドラムセットは右利き用だが、それを左利きのリンゴが叩くリズムやテクニックは独特のもので、完璧にコピーできてるドラマーはほとんどいないそうだ。
世界一のテクニックや手数ではないけど、クリエイティブさ・引き出しの多さ・タイミングやグルーヴ感などは他のドラマーにはない、リンゴ独特の演奏スタイルとのこと。
楽器のことはよくわからないが、この記事はどれも面白かった。

なお上田雅利は「The End」のドラムソロを絶賛しているが、リンゴ本人はあのソロは大嫌いだと公言してるそうだ。
というかそもそもリンゴはドラムソロ自体が嫌いで、それが理由でビートルズの曲では「The End」以外にドラムソロがないんだそうです。

星加ルミ子は66年の全米ツアーに同行した時の、リンゴの思いやりあふれる配慮について語っている。
パーティー会場で世界中の記者がビートルズのメンバーそれぞれに群がる中、入り込めず立ち尽くしている星加ルミ子のところにリンゴがやってきて「ジョンはあとまわしにして、僕からはじめたら」と言ってくれたり、「ジョンの所、だいぶ人がいなくなったよ。行っておいでよ」と気を使ってくれたりしたそうだ。
星加ルミ子が4人から気に入られていたのは有名だけど、中でもリンゴは気配りのできる心底やさしい人だったとのこと。
会ったことないけど、そうだろうなあとなぜか納得できる話である。

リンゴならではの特集が「Part 2 With a lot of Help from RINGO STARR」。
「リンゴとロックと仲間たち」という副題で、時代を6つに区分してリンゴの交友を詳細に紹介している。
これを読むだけでも、4人の中でも最も幅広い交友関係を築いてきたのがリンゴだとわかる。
様々なメディアで語られてきたことだが、やはりジョン・ポール・ジョージの3人はそれなりにクセがスゴく、それを受け入れられる人だけが交流できるという人物像だが、リンゴ・スターは人との間の垣根がさらに低く、人付き合いに苦労のなさそうなタイプなのだろう。
スター集団を引き連れて世界中を回ることを30年も続けられるのは、4人の中ではやはりリンゴ・スターなのだ。

この本のあちこちに書いてあり、全然知らなかった話だが、70年代前半でソロとして残した実績は、少なくともジョンやジョージよりも上だという点。
全米10位以内に入る曲を、「You're Sixteen」「Photograph」など7曲も発表している。

ビートルズ解散前後から、実はソロとして最も順調だったのはリンゴだった。
解散問題でバンドや会社が大揺れの最中に、ジョージ・マーティンをプロデューサーに起用し、ポールの協力も得てアメリカのスタンダードカバー集「Sentimental Journey」を発表。
リリース直後の2週間でアメリカで50万枚を売り上げ、全英7位、全米も22位を記録した。
同じ70年に、今度はテネシー州ナッシュビルでカントリーのミュージシャンたちとアルバム「Beaucoups of Blues」を録音。

リンゴの快進撃は翌年も継続。
初のソロシングル「It Don't Come Easy(明日への願い)」を発表し、全米4位の大ヒット。
続く72年のシングル「Back Off Boogaloo」にはジョージも参加し、全英2位、全米9位の大ヒットを記録した。
そしてソロアルバム「RINGO」が73年に発表され、全英7位、全米2位を記録。
シングル「Photograph」「You're Sixteen」が全米1位という実績。
このアルバムにはビートルズの3人、ニッキ―・ホプキンス、ジム・ケルトナー、ビリー・プレストン、マーク・ボランザ・バンドのメンバーなどが参加。
アルバム・ジャケットにも参加したメンバーのイラストが書かれている。

この期間の活躍ぶりは、4人の中でもやはり先頭を行っている。
解散トラブルの中のリンゴの立ち位置はよくわからないものの、混乱の時期にあっても好きなことを好きな人たちとやっていけるということが、リンゴの人柄を表していると思う。
比較はあまり意味がないが、ジョン脱退のショックで農場に引きこもったり、リンダとともにイギリス国内の大学でのライブ(ドサ回りとも言われる)からソロ活動を始めたポールとはかなり様子が違う気がする。
リンゴもソロ活動をしてたことはなんとなく知っていたが、こうして実績や協力者人数を数字で示されると、あらためてリンゴのミュージシャンとしての実力・人気のほどがよくわかる。
すいません、「よくわかる」とか書きましたけど全然わかってませんでした・・・

歴代のリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのメンバーも詳細に紹介されている。
これも自分が知らなかっただけだが、ジャック・ブルースやグレッグ・レイクロジャー・ホジソンジョン・ウェイトも参加したことがあるんですね。
この本の出版以降もオールスター・バンドは世界中を巡っていて、現時点では第14期を数え、昨年はスティーヴ・ルカサー、コリン・ヘイ、グレッグ・ローリーらが参加して日本公演も行われた。
リンゴによれば「全員がヒット曲を持っているから楽しい」のが、オールスター・バンドを続ける理由のひとつだそうだ。

巻末にはリンゴのソロ作品や参加作品レビューが掲載されている。
出版時点の最新作「Ringo Rama」も評価が高い。
やはりソロ作品の中では「Ringo」「Goodnight Vienna」「Ringo Rama」は聴いておかねばならないようだ。

というわけで、文藝別冊「リンゴ・スター」。
とにかく70年代の実績を全く知らず、作品はおろかエピソードにも全くふれて来なかったので、この本に出会えてよかったです。
これを機にソロアルバムを聴いてみようと思います。

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読んでみた 第56回 ジミー・ペイジの真実

今回読んでみたのはペイジ伝記本「ジミー・ペイジの真実」。
緊急事態宣言のさなか4月に発売された新刊である。

著者は元NME紙の名物ライターでロンドン在住のクリス・セイルヴィッチ、訳者は奥田祐士。
版元はハーパーコリンズ・ジャパン、定価3,300円(税込)。
国語辞典並みに非常に分厚く、544ページもあり、束は3cmもある。
帯には「Led Zeppelin アルバムデビュー50周年記念特別企画」と書かれた飛行船が浮かび、「ロックがひれ伏す伝説」とでかいアオリが踊る。

Page

これまで様々なミュージシャンの本を読んできたが、ツェッペリン関連の書籍やムックは結構読んでいると思う。
統計とったわけではないが、感覚的には日本で出版された本の中で、ビートルズとストーンズに次いで多いのはペイジ含むツェッペリン関連本ではないだろうか。
少なくともパープル本よりは多いはずだ。

「真実」と歌うからには、これまで知られていなかった実話がどっさり書かれているのだろう。
厚さと重さに戦いながら読んでみることにした。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

まえがき
序 章
第1章 サリーのスパニッシュ・ギター
第2章 ネルソン・ストームからセッション・プレイヤーに
第3章 シー・ジャスト・サティスファイズ
第4章 ベックス・ボレロ
第5章 欲望
第6章 「1000ドルぽっちのためにオレを殺すつもりか?」
第7章 「鉛の飛行船みたいに」
第8章 アメリカからの引き合い
第9章 〈胸いっぱいの愛を〉
第10章 《レッド・ツェッペリンⅡ》
第11章 「汝の思うところを為せ」
第12章 大いなる獣666
第13章 輝けるものすべてが
第14章 ZOSOの伝説
第15章 天使の街
第16章 王様(キング)とジミー・ペイジ
第17章 コカインの夜と幽霊屋敷
第18章 亡命中の事故
第19章 ケネス・アンガーの呪い
第20章 直接対決
第21章 交戦規則
第22章 ボンゾ最後の戦い
第23章 隠者
第24章 中年のギター神
第25章 魔法使いの弟子
第26章 不死鳥の飛翔
謝辞
参考文献

構成は一般的な伝記本のとおり時系列順に進行しており、ロンドン郊外に生まれたジェイムス・パトリック・ペイジ少年が、成長してセッションギタリストを経てヤードバーズ加入、レッド・ツェッペリン結成、解散、その後の様々なプロジェクト・・という流れ。
なお「まえがき」の前に写真が8ページほどあり、若き日のペイジやツェッペリンのメンバーが写っている。

各章とも非常に細かいエピソードが連結されて綴られている。
もちろん知らなかった話はたくさんあるが、どこかで聞いたエピソードもかなりあり、ああやっぱそうだったんだ、という確認ができる受験参考書のような書物だ。
真偽はともかくここまで詳細なペイジ伝記は日本では初めてだろう。
サウンドや歌詞に関する分析や考察といった音楽的視点はほぼない。
この点は素人の自分にはありがたかった。

改行や余白が思ったほど取られていないため、各エピソードの切れ目がわかりにくく、気づかないうちに場面や話が変わっていることが度々あった。
また当然人物名が全て外国人なので把握しづらく、有名人でないスタッフなど数人が一度に登場すると、誰が誰やらで確認するのにページを戻ったりすることが何度かあった。

いよいよ本編。
プロデビューからツェッペリン結成までにかなりのページ数をさいており、やはり知らなかった話は多い。
この時期ペイジ周辺の人物で多く登場するのは、ツェッペリンの3人とマネージャーのピーター・グラント、そしてジェフ・ベックである。

ベックの「Beck's Bolero」という曲にペイジが参加しているのはよく知られている話だが、他にもニッキー・ホプキンス、キース・ムーン、ジョン・ポール・ジョーンズも参加している。
しかも本当はジョン・エントウィッスルが参加するはずが、ジョンが現れなかったため急遽ジョーンジーが呼ばれたとのこと。
当時ペイジがキース・ムーンのバンドに加入するという噂もあったらしい。

良き友人同士であったはずのベックとペイジだが、仕事となれば美しい友情物語ばかりでもなかったようだ。
ジェフ・ベック・グループで録音した「You Shook Me」を、ペイジもツェッペリンとして同じ曲をファーストアルバムに収録したことを知ったベックは「怒りの涙がこみ上げてきた」と書いてある。
ベック的にはいい気分ではなかっただろうなと思っていたけど、そんなにイヤだったのか・・
この時ペイジはベックに「同じ曲を録音したよ」ではなく「ぼくが見つけてきたジョン・ボーナムって男を聞いてくれ」と言っている。
ベックは同じ曲を聞いてボンゾのドラムに脅威を感じ「またあとから来たのに追い越されるのか」と思ったそうだ。
ちなみにツェッペリンのファーストアルバムについては、ミック・ジャガージョージ・ハリスンにはあまり理解されなかったらしい。

エリック・クラプトンとの出会いは、短いながらまるで青春ドラマのような非常にいい感じで書かれている。
当時「ゴム底ズック」といういまいちイケてないあだ名で呼ばれていたクラプトン。
ペイジがある晩ステージを終えた後にゴム底クラプトンがやって来て、「君のプレイはマット・マーフィー(ブルース・ピアノ奏者メンフィス・スリムとコンビを組んでいたギタリスト)に似てるね」と、ペイジのギタープレイが気に入ったことを伝えた、とある。
その後の二人の関係はあまり書かれておらず、ベックと比較するとクラプトンの登場回数はかなり少ない。

キンクスの「You Really Got Me」でペイジがギターを弾いてる疑惑、は自分も本やネットでも何度も目にしている。
ペイジ本人の否定発言も読んだことがあり、大半は「噂にはなったが事実ではない」という論調だ。
この本にもその疑惑について、「ペイジはたしかにキンクスのファーストLPでリズムギターを弾いているが、「You Really Got Me」のリードを弾いた事実はない」という関係者の証言を掲載している。
他の曲でもリズムギターは弾いたが、リードギターを弾いたのは1曲もないそうだ。
あの印象的なイントロと、その後スーパースターとなったペイジのギターが勝手に結びつけられて「ペイジの弾いた印象的なイントロ」になってしまったと思われる。

本業のツェッペリンの活動履歴については、時期にもよるがおおむね時系列に沿って、ペイジ本人のインタビューや、関係者の証言などをベースにかなり詳細に記されている。
著者は特にアルバム「IV」を高く評価しているようで、ほぼ全曲について制作経緯や周辺情報を紹介している。
一方で後期ツェッペリンはバンド内外においてトラブルだらけであったこと、パンク台頭による「時代遅れ」的評価や、ペイジのヘロイン中毒、メンバー3人との間にできた溝なども忖度なく記載してある。

ペイジのヘロイン中毒は相当深刻で、あまりの体調の悪さに車椅子や担架でライブ会場入りしたり(本人やマネージャーは否定)、ヘロインから足を洗うためにコカインと酒だけに集中しようと画策したり(結局失敗・・そりゃそうでしょうよ)、意識朦朧のままステージに立ち、勝手に曲順を変えて演奏を始めたため、他のメンバーが合わせるのに苦労したり・・といった不細工な話が何度も書かれている。
クラプトンやキース・リチャーズもそうだけど、当時のロッカーたちはみーんなドラッグ中毒でトラブルだらけだったろうが、ペイジのヤバさはかなりのレベル。
ヘロインやめるためにコカインと酒にしますって・・キースもやらなかったジャンキーの典型的なデタラメ屁理屈。
よく復活(してないという見方はあるが)したもんだと思う。

こうしたペイジのパフォーマンス低下に、徐々にバンド主導権を取るようになっていったのがロバート・プラントだった。
結成当時はすでに一流ギタリストだったペイジに、無名のプラントとボンゾはついて行くしかなかったが、プラントは次第にバンドのフロントマンとしてその立ち位置を確立していく。
「In Through the Out Door」制作過程においては、ペイジのあまりのポンコツぶりにプラントが奮起し、ジョーンジーとともにバンドを牽引していった。
また偶発的ではあったが、プラントの息子の葬儀にペイジとジョーンジーは参列しなかった(理由は書いてない)という出来事が、4人の絆とパワーバランスに変化をもたらしたのは間違いなさそうである。

結局プラントの主導権は解散を経て再結成ライブとそのDVD発売に至るまでずうっと続いたようで、2007年のライブのDVDが発売されるまで5年もかかったのは、プラントが映像編集においてペイジに対して我を通したためだった。
そうだったのか・・
なんかいろいろモメてそうな話は聞いたような気がしてたけど、そんな経緯があったんですね。

なおボンゾの死とバンドの解散については、思ったほどの量でもなかったが、それなりに詳しく書かれてはいた。
ボンゾの死後もツェッペリンを続けるという選択肢は、少なくともペイジとプラントには全くなかったようだ。
ボンゾの死因はよく知られているとおり吐瀉物の誤飲だが、この本を読んでもそれが突然訪れた不慮の事故ではなく、そうなっても仕方がないような生活をしてきたんだなぁと思う。
とにかく日々酒を飲んでは行く先々でトラブルの繰り返しで、もし今の時代だったら炎上間違いなしの荒れっぷり。
ボンゾ自身の談話は全然ないので真相はわからないが、ボンゾはアルバムを出した後のツアーで長く家族と離れるのがイヤだった、というようなことが書いてあった。

ちなみにボンゾの死後、イエスのクリス・スクワイアとアラン・ホワイトが、マネージャーを通じてペイジとプラントに「スーパーグループ」を組んでみないかと持ちかけてきたそうだ。
しかもバンド名も決まっていたようで「XYZ」。
Xは「元」という意味で、Yがイエス、Zはツェッペリン・・
プラントは話を聞くなり「あり得ない」と一蹴して、スーパーグループXYZは幻となったとのこと。
これは知らなかった。
まあXYZが実現したとしても長続きはしなかっただろうという気はするが・・

結局ペイジ&プラントや再結成などで解散後も何度も競演した二人だが、「ペイジは結局パーシーが忘れられないんだ」という関係者の発言が真理だったと思う。

さてペイジと言えばオカルト。
この本でもそのオカルト趣味についてふれているが、それを語る上で最も重要なのがアレイスター・クロウリーなる人物である。
イギリスの魔術師でオカルト団体を主宰し、魔術に関する著書も多い。
で、確かにペイジはクロウリーの著書やアイテムをコレクションしたり、ネス湖のほとりにあったクロウリーの屋敷を買ったりという行動はしていた。

クロウリーについては、60~70年代当時のミュージシャンにも支持者が多く、ポール・マッカートニーリンゴ・スターも「ぼくらのヒーロー」「尊敬していた」などといった発言をしており、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のジャケットにはクロウリーの写真がある。(最後列左から二人目)
またデビッド・ボウイは71年の「Quicksand(流砂)」という曲で「クロウリーの制服に夢中だ」と歌っている。
この本には他にもドアーズのアルバム「13」の裏ジャケットでクロウリーの胸像写真が使われたり、オジー・オズボーンやアイアン・メイデンがクロウリーをモチーフに曲を作ったことも書いてある。
ファッション的な要素も含め心酔の度合いはそれぞれだが、当時も今も、一部のミュージシャンから支持されるオカルトの教祖的存在なのだろう。

ただペイジが実際に黒魔術を使って誰かに呪いをかけたりヤバイ儀式をおこなったり・・ということまでは、この本にも書いていない。
書いてはいないんだけど、周囲からは「ヤツはそういうこともしてるんじゃないのか」と恐ろしいイメージでとらえられていたこともあったようだ。

そのペイジのオカルト趣味について、同じくクロウリー愛好家として強い興味を示したのは他でもない、リッチー・ブラックモアだった。(拍手)
72年にペイジがそのネス湖のクロウリー屋敷にこもっていた時、リッチーがパープルの照明監督ディック・オーデルを伴って訪問。
オーデル氏によれば「たぶんリッチーはあの屋敷を見たかったんだと思う。きっと嫉妬していたんだろう」とのこと。
このエピソードでは残念ながらリッチー本人の談話はない。
その場で二人は殴り合いの騒動に発展・・という胸おどる昭和プロレス的展開は全くなく、午後の半日だけで二大巨頭対面はおだやかに終了。
ここにもし東郷かおる子が立ち会っていたら・・となぜか思わずにはいられない。
オーデル氏は「ふたりのギタリストは明らかにライバル意識を燃やしていた」「なごやかだったけれど、闘牛士が2人いるような感じ」という臨場感に満ちた発言をしている。
しかしながらこのエピソードはそこまで。
以降この本にはリッチーは二度と登場せず、ペイジがリッチーについて語るシーンもやっぱり一切なし。
がっかり・・わかってはいたけど、やはりそういうことなのだね。
記者がペイジに「リッチーについてどう思うか」と質問するのは、ダウンタウンに「とんねるずをどう思うか」と聞くのと同じくらいヤバイ質問なんだろうね。(たぶん違う)

というわけで、「ジミー・ペイジの真実」。
さすがに長かったし、リッチー本のような爆笑話はあまり出てこなかったけど、読めてよかったです。
総合すると、様々な浮き沈みはあれど世界中を驚喜させた偉大な音楽家である、という主張。
もちろん間違いではないし、批判やダメ歴史についてもけっこう載せてるので、日本人評論家によるツェッペリン礼賛本なんかよりはバランスが取れていてよほどマトモではないかと感じました。
あらためてツェッペリン解散後の作品を学習してみようと思います。

 

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読んでみた 第55回 文藝別冊 マイケル・シェンカー

今回読んでみたのは「文藝別冊 マイケル・シェンカー」。
前回のジェフ・ベック以上に聴いてないマイケル・シェンカーだが、文藝別冊シリーズで昨年8月に出版されたので図書館で借りてみました。

Michael_schenker

マイケル・シェンカー・グループのアルバムを聴いたのは10年以上前になる。
その時はさほど拒絶感はなかったはずなのだが、その後全く定着せずUFOも含めた他のアルバムにも一切手を出すことなく今に至る。
中古で買ったMSGのファーストアルバムCDも手元に残っているかどうかすら不明。
「ストーンズやパープルなどの学習に忙しかった」という中学生みたいな言い訳しか出てこないが、実態はこんな有様である。

そんなつれない扱いしかしてこなかった自分が、マイケル本を読んで理解できるわけもないのだが、河出書房新社の寛容な社風に感謝しながら読むことにした。(買ってないけど)

・・・・・読んでみた。

正式な書名は「KAWADE夢ムック 文藝別冊 マイケル・シェンカー」。
サブタイトルには「永久保存版 総特集」とか「神、降臨――永遠のフライング・アロウ」などといった勇ましいアオリが並ぶ。
版元は信頼の企画と安心の編集で名高い河出書房新社。
176ページ、本体価格1,300円。
他の文藝別冊シリーズに比べると若干ページ数が少ない。

目次はこんな感じ。 

【ロング・インタビュー】
伊藤政則
「伊藤政則が語るフライングV伝説」(聞き手:武田砂鉄)
 
【スペシャル・インタビュー】
松本孝弘(B'z)
「神には感謝しかない――もはや血肉となっているその音と技」(聞き手:伊藤政則)
 
【特別寄稿/エッセイ】
堂場瞬一「この神はどちらの神か」
 
【特別寄稿/マンガ】
喜国雅彦「Vの神様」
 
【インタビュー】
マーティ・フリードマン
「HR/HMのクオリティを押し上げたメロディアス・ギタリストの元祖」
 
【ヒストリー】
舩曳将仁「神の軌跡」
 
【論考】
大鷹俊一「マイケル・シェンカーは来なかった!――UFO襲来の衝撃」
増田勇一「彼のギターが歌うのだから」
山﨑智之「マイケル・シェンカーとギタリストたち」
 
【エッセイ】
五十嵐太郎「アイコン楽器としてのフライングV」
武田砂鉄「その不機嫌を観たい」
本郷和人「滝廉太郎とマイケル・シェンカーの遠くて近い関係」
吉川浩満「部屋に到来する神について」
鈴木輝久「「ゲイリー・バーデン版ダンサー」の始末」
 
【アルバム・セレクト】
マイケル・シェンカーと響き合う10枚(舩曳将仁)
マイケル・シェンカーの遺伝子を受け継ぐ10枚(武田砂鉄)
 
【徹底解題ディスク・レビュー 1972~2018】

構成自体はいつも通りの文藝別冊シリーズである。
インタビューも書き手も「なぜこんな人が?」という例はおそらくなく、王道の企画と鉄板の編集。
巻頭には信頼と実績の伊藤政則インタビュー。
さらに他のインタビュー記事はB'zの松本孝弘、そしてマーティー・フリードマン。
この人選はマイケルのファンとしても良かったんじゃないでしょうか?
ジェフ・ベックを語るのにヨッチャン呼んじゃうよりは全然いいのでは・・・

ただし。
インタビューも書き手も、現業こそ違えど大半は「リスナーとしてマイケル・シェンカーにふれてきた日本人」という立場の方々である。
マイケルご本人のインタビューはなく、バンドメイトやプロデューサーといった関係者の話もない。
関係者の談話が絶対必要なのかと言われるとそうでもないが、やはり新たな発見を読者としては求めたいはずである。
今はネットで海外ミュージシャンの最近の動向や関係者の裏話も簡単に得られるので、編集側としてもあえてそういう企画は起こさなかったということだろうか。

そういう意味ではかつて70・80年代にあった洋楽雑誌のような「懐かしい」編集である。
巻頭インタビューで政則氏が「当時はネットなんてないから、みんな想像も膨らませつつ書いてたんだ。その分書き手の思いが入ってくる」と話しているが、この本はまさにそういうノリである。
その「書き手の思い」が心にスイングするかどうかは読者側の問題なので、当然だが評価は割れると思う。
まあこれはマイケル・シェンカーだけでなく、この「文藝別冊シリーズ」に共通することかもしれないが。

ちなみに他のシリーズにはあったカラーグラビアページも、この本にはない。
意図は不明。
フライングVを手にするマイケル・シェンカーなんて文字通り「絵になる男」ではあると思うのだが・・
権利関係とか予算の問題だろうか?

また全体としてはわりと平易でわかりやすい文章が多い。
これは「文章がわかりやすい」という意味であり、「そんな話はオレでも知っている」ということではもちろんない。
マイケル・シェンカーを全然聴いてない自分でも、「ちょっと何を言ってるのかわからない」といった富澤状態になるような難解な内容や文体はあまり出てこない。
マイケル神を崇拝するあまり延々と知識自慢を繰り広げたり他のアーチストを見下したりというクセのすごい文章は見当たらなかった。

なのでマイケル・シェンカー入門書としての体裁は問題ないと思う。
逆に言えば大笑いや大発見といった尖った話も思ったほど書かれていない(と思う)。
前述のとおり現場関係者の談話がないので、日本のファンでも「えっ知らなかった」という類のエピソードは載っていないんじゃないかと思われる。
Amazonレビューにはかなり厳しい評価が並んでいるが、詳しいファンや長くマイケル・シェンカーを聴いてきたリスナーから言わせると「物足りない」ということになるのかもしれない。

自分はやはり山﨑智之の「マイケル・シェンカーとギタリストたち」が一番面白かった。
業界に居並ぶ名ギタリストに対するマイケルの評価は非常に興味深い。
まずマイケルは「レッド・ツェッペリンディープ・パープルブラック・サバスのディストーション・サウンドを愛している」という。
その前提?で、ジミー・ペイジについては「ギタリストとしては過大評価されている」と辛辣な意見。
一方でトニー・アイオミを「最高のリード・プレイヤーではないが、魂とスペシャルな個性がある」と評価している。
さらにリッチー・ブラックモアに対しては「ロック界で彼だけの個性を確立している」と絶賛。
ただし「リッチーに影響を受けた」とは言っていないそうだが。

このギタリスト評をまとめると、なんとなく言ってることはイングウェイ・マルムスティーンに近い気がする。
さらに興味深いのが、そのインギーとエドワード・ヴァン・ヘイレンについて「無視できない存在だった」としている点。
神と呼ばれたマイケルも、後輩二人の突出した才能は認めていたということのようだ。

あちこちに書いてあるのがマイケル・シェンカーの「不安定」な部分。
ハードロック業界には他にもそんなアーチストはたっくさんいるはずだけど、とにかくマイケルは体調不良やドラッグやアルコールなどで精神も就業に対しても不安定になることが多発しており、バンド脱退や解散、コンサート中止・中断なんかしょっちゅうというステキな人物で通ってきている。
一時期は「今回はちゃんと日本に来た」ってのがファンの間で話題になるくらいだったそうですが・・

単純に言えば社会人としてちょっと一緒には仕事したくはないと思うレベルなんだけど、コアなファンはそういう不安定なところも含めてマイケル・シェンカーを追っているフシがある。
無事に来日してくれて無事にコンサートやってくれてという普通の展開に安堵しながらも、どこかで「ああああやっぱ今回もダメだったマイケル・シェンカー」を期待している・・という、一般人には理解しがたい感覚を持って臨んでいる人が必ずいるのだ。
まあ故障だらけの外車の話を楽しそうにしてるオヤジってのもいますけど、あれに近いのかな?

そんなわけでどのページも比較的おだやかに楽しめるこの本だが、自分でもわかる残念な点はやはりある。
それは読者全員が共感するであろう、喜国雅彦のマンガ「Vの神様」。
喜国雅彦と言えばメタルファン(確かモトリーの大ファン)で有名な漫画家であり、編集側としても間違いのない人選だったはず。
しかし。
非常に残念なことに、この「Vの神様」は文字にすることすら億劫なほどレベルが低く、マイケル・シェンカーにはほとんどふれず、ダジャレとダ落ちに終始するという大学生の同人誌以下な内容。
これはダメでしょう。
「特別寄稿」として発注した以上掲載しないわけにはいかなかった版元側の都合もあっただろうけど、この内容で掲載を決断しちゃったのは編集の落ち度でもある。
それにしてもどうした喜国雅彦?
もしかしてあんましマイケル・シェンカーには興味なかったのか?

というわけで、「文藝別冊 マイケル・シェンカー」。
初心者の自分からするととてもためになる内容だと思います。
本文はもとより巻末のディスク・レビューなど今後の学習(するのか不明だけど)には大変役立つ資料になると感じました。
一方でファンからの厳しい感想も、なんとなくわかる気はしました。
今後もし増補版が出るようなら、もう少しマイケル本人や近い人の談話を掲載してもらえたらと思います。

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読んでみた 第54回 文藝別冊 ジェフ・ベック

三大ギタリストの中で、その人物像について一番情報量の少ないのがジェフ・ベックである。
作品はクラプトンよりは聴いてるはずだが、どんな人なのか、誰と仲良しなのか、誰と競演NGなのか、お金をいくら持っているのか、実はよく知らない。
そんなベック情弱を解消するため、今回読んでみたのが「文藝別冊 ジェフ・ベック」。
ジェフ・ベック個人について書かれた本を読むのは初めてということになる。

Jeff_beck

副題は「超人的ギタリストの伝説」、版元は河出書房新社、A5判224ページ、本体1,300円。
発売日は2017年11月28日。
版元のサイトでは「デビュー50年を過ぎて第一線で活躍する生ける伝説的ギタリストの軌跡と魅力をさぐる」とある。
この表現だとクラプトンでも当てはまりそうな気はするので、もう少しベックならではのアオリを工夫すべきでは・・と偉そうなことを感じました。

文藝別冊シリーズでベックなので、それほど尖った内容やヒネた編集ではないと予測したが、果たしてどんな本なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

■対談
佐藤晃彦×大鷹俊一 ギターを弾くために生まれてきた男
■インタビュー
是方博邦 音楽と人生を学ばせてもらった人
野村義男 革命児ではなく唯一無二
Rei また新しい彼に出会ったという嬉しさ
■ジェフ・ベック入門
突っ走ってきた孤高のギタリスト 立川芳雄
ジェフ・ベック/ヒストリー 船曳将仁
ストラトキャスターを最も弾きこなしたギタリスト 佐藤晃彦 
■ディスコグラフィ
セッション・ワークス50選
JAPAN TOUR 1973-2017 ジェフが残した日本の足跡 佐藤晃彦
 
・音色戦慄と変調の平面 江川隆男
・ジェフ・ベックは誰の影響を受けたのか 大鷹俊一
・超人ベックはロックンローラー 川﨑大助
・ジェフ・ベックとギターヒーローの文化史、あるいはギターというメディア 長澤唯史
・保守と革新のフュージョン 或いはそのどりらからも自由なギタリスト 松井巧
・ギターの肉声 後藤幸浩
・若さが生む艶やかなギターサウンド 林浩平
・まだヘヴィ・メタルが嫌いなのか 武田砂鉄

これまで読んできた文藝別冊シリーズで最も正調音楽教本だと感じる。
ギタリストなんで当然だが、ほぼ全てがベックとギターで起こした文章や対談である。
当然音楽やギターに精通する人たちによる対談や寄稿ばかりなので、章によってはほとんど理解できないのもあった。

特にギターそのもの(メーカーやモデルなど)の解析やテクニック論を基盤として語る文章は、自分のようなド素人には全然わからない。
まあこれまでの文藝別冊シリーズでもおおむねそうだったので、ある程度は想定していたが、やはりジェフ・ベックというスーパー・ギタリストが素材の場合、書き手は当然として、読者側の教養ステージもそれなりのレベルが要求されるのである。

逆に言うとベックの私生活やオフステージや幼少期を採り上げた文章は皆無。
もちろん他のミュージシャンとのいさかいやお金や女にまつわるゴシップなんてのもナシ。
この出版不況のさなか、ベックに関する音楽以外の話題はやはり企画として通らないようだ。
そもそもベック本にそんな話を期待するほうが間違っている。
「ベックは本当に夜道でペイジを殴って逃げたのか?」なんて特集があっても、たぶんAmazonレビューが大荒れするだけで売り上げには全くつながらないだろう。

タイトルの通りジェフ・ベック入門としての「突っ走ってきた孤高のギタリスト」は、ベックの経歴をハードロック期・クロスオーヴァー時代・試行錯誤の時代・再充実期に分けて解説しているので、入門テキストとして非常にわかりやすく構成されている。

ベックを表す有名な言葉として「ギタリストは二種類しかいない。ジェフ・ベックか、ジェフ・ベック以外だ」というのがあるが、これはポール・ロジャース(またはジョン・ポール・ジョーンズ)の発言とされている。
ところが書き手の立川芳雄という人は「少し調べてみたが、二人ともそんなことは言っていない」と明かしている。
どうやら日本のメディアが作った伝説みたいなもののようだ。
あっそう・・なんかネタばらしされたみたいで少しがっかりだけど、この件については他の文章中にも「真偽は不明」とか書いてあるので、やっぱ日本発の創作なんでしょうね。
まあロックに関する伝説なんてプロレスと似たようなもんで、「全身の血を入れ替えた」とか「ジャック・ダニエルで入れ歯を洗っている」とか「ステージ上で生きたコウモリを食い散らかした」とか「グラハム・ボネットのリーゼントアタマをギターでかち割った」とか、どこまでホントの話なのかわかりませんよね・・

ちなみに日本では知ってて当然の「三大ギタリスト」というくくりも、そうとらえているのは日本のマスコミとファンで、本国イギリスでは全然そういう認識はされていないらしい。
(最近は逆輸入的に本国のメディアでも時折見られるとか・・)
日本人は「三大○○」とか「○○四天王」とか「三頭体制」とか大好きなので、70年代では音楽メディアが作るこうした楽しいセッティングや伝説に、ナウいヤングは相当引きずられたと思われる。

あと同じ立川芳雄の文章の中には、「ニール・ヤングの自伝の3分の1は鉄道模型の話」というのもあって笑ってしまった。
プラモデルや模型など男の子が夢中になる文化とロックの親和性を説く文だったのだが、ニール・ヤングにそんな趣味があったんスね・・という点につい食いついてしまった。

ベック本なので同業者であるギタリストを呼んで対談、という当然な企画がいくつかあるが、登場するのはヨッチャンこと野村義男。
Amazonレビューには「野村義男のインタビューはいらない。ほかにギタリストはいるだろうに」というキツイ意見もあったが、まあ気持ちはなんとなくわかる。
それこそ高中正義とかチャーとか布袋寅泰とかローリーとか、日本を代表するようなギタリストに語らせたらどうだ、ということだろう。
で、当のヨッチャンはベックを心底崇拝してるという感じではなく、他の誰とも違う謎のギタリストととらえているようだ。
ベックの出す音がどういうテクニックによるものなのか、プロのヨッチャンでもわからないらしい。
ライブも見に行ったけど、「『そうやって弾いてるんだ!』という衝撃がなかった。『全然わからないや!』でした。」とのこと。

もう一人のギタリスト対談は、93年生まれの女性ギタリスト、rei。
この人はもちろんベック後追い世代で、作品をどんどんさかのぼって聴いて吸収しているという至極まっとうな展開。
最近ベックが自身と同世代の若いミュージシャンと組んでアルバム作ったりステージに立ったりしてることはやはり気になるようで、「ジェフ・ベックのバンドに入ることは、夢のひとつ」という勇ましい発言もあった。

ただし。
reiさん、一番好きなアルバムを問われると「フラッシュ」と答えていたのには少々驚いた。
自分もあのアルバムは嫌いではないが、決して評判がいいと言えないことはもちろん知っているし、ベック自身も気にいっておらず「レコード会社が作ったアルバム」とまで言ってることもわかっている。
古参のファンからはド素人扱いされかねない大胆な意見だが、そういう人もいるんですね。
個人的には少しうれしいです。

三大ギタリストの中で現役感がもっとも強いのはベックである、という点についてはファン全員満場一致全会一致で可決するところだろう。
この本でも複数の書き手がベックの「若さ」について高く評価している。
林浩平は北京五輪閉会式に登場したペイジを「うわあ、すっかりお婆ちゃんだ(笑)」、クラプトンの近影については「ダンディ」としながらも「老けたなあ」、ベックに対しては「七十歳前後にはまるで見えない」という万人共感の感想を記している。
ベックがギタリストとして現役なのはもちろん事実だが、体つきが締まっていて腕の筋肉が落ちていない、それを誇示するかのようにノースリーブで演奏する、髪の毛が多いわりに白髪が少ない、若いミュージシャンとも積極的に競演しているなど、現役でいることを裏打ちする「若さ」がビジュアル的にわかりやすいのもベックの特徴である。
ファンにとってはステージや映像で力強く演奏するベックの若さも大きな魅力なのだろう。
ちなみにこの本の表紙も、まさにノースリーブで力強く演奏するベックの姿です。

というわけで、「文藝別冊 ジェフ・ベック」。
大半の話を理解できないくせに言うのもナンですけど、読んでみてよかったです。
まあどこかに少しでもベックのギター話じゃない人間くさいエピソードがあればなおよかったですけど・・
しばらくベック学習から遠ざかってましたが、これを機に未聴盤である「Blow by Blow」「There & Back」を聴いてみようかと思います。

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読んでみた 第53回 文藝別冊「イーグルス」

今日読んでみたのは「文藝別冊 イーグルス」。
毎度おなじみの河出書房新社の文藝別冊シリーズだが、副題がいまひとつ垢抜けない「アメリカン・ロックの神話」。
加えて表紙には「グレン・フライ追悼」と記載されている。
定価は1300円、178ページ。
業界の展示会で版元のブースに置いてあったのを見つけて15%OFFで購入した。

Eagles_2

「The Long Run」までのイーグルスについては、いちおう全アルバム鑑賞は終えている。
しかし全盤聴いたあとでもそれほど深い感動もなく、一番好きなのは「The Long Run」で変わらなかったという脱力なリスナーである。

イーグルスも活動中から解散後に至ってもメンバー間のいさかいが絶えず、ロックバンドのモメ事見本市のようなパープルっぽい人たちであったことはよく知られている。
・・・のだが、実はイーグルスに関するモメ事学習もそれほど熱心には行ってきていないのだった。
ロックバンドのモメ事マニアを名乗る者として非常にゆゆしき事態である。
なぜかイーグルスのモメ事についてはさほど学習意欲もなく、主体的にこの本を買ったわけでもない。
結局たまたま見つけて買ってみたという失礼な動機だが、果たしてどんなモメ事が書いてあるのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じである。

・対談 小林克也×萩原健太 イーグルスという変革者 
・中川五郎インタビュー ぶち壊される側になった、象徴的バンド 
・久保田麻琴インタビュー 音楽的ゴールドラッシュの果て 
・五十嵐正インタビュー イーグルス入門 
・「ならず者」にならず!? テヘッ。 綾戸智恵 
・墓探しにて 湯浅学 
・火照るカリフォルニア 佐藤良明 
・LA/アメリカを演じ続けること 長澤唯史 
・イーグルズ大阪公演 中村とうよう 
・サウンドをハードに変化させるにあたって 若月眞人 
・イーグルスに会ったあの日 松尾一正 
・ディスクガイド

まず巻頭にメンバーのステージ写真(ただしモノクロ)、続いて対談・インタビュー記事が4本あり、イーグルスに関する文章、イラスト集、曲の対訳などのページがあり、最後にディスクガイドといった標準的な構成である。
表紙は「Hotel California」、裏表紙は「ならず者」のアルバムジャケットを使用。
他の文藝別冊シリーズにあったカラー写真ページはなく、表紙と目次以外は全て単色。
しかもスミ100(黒)ではなく、セピアな古くさい色をしている。

先に書いてしまうが、グレン・フライ個人に特化して書いたり話したりしている文章・記事はない。
当然バンドの核であるグレンとドン・ヘンリーに関する記述の割合は多いが、あくまでバンドとしてのイーグルスを語る書物である。
インタビュー記事はいずれもグレン・フライの死についてふれてはいるが、どれもほぼ「ひとこと」程度にとどまっている。

グレン・フライは2016年1月16日に亡くなっている。
この本は同年9月30日出版だが、訃報を受けて急遽企画されたのか、企画進行中に訃報が飛び込んだのかはわからない。
追悼版と付けたのであれば、もう少しグレンの最期の詳細やメンバーのコメントなど、またグレン個人のヒストリーなんかもあってもよかったのではないかと感じた。

インタビューでも文章でも、イーグルスの活動を時代背景とともに分析・考察するものが多い。
陳腐な言い回しだが、70年代アメリカ文化を代表するスーパーグループとしてのイーグルスを語る場合、当時の世相や若者文化などを前提に考えるのは当然なのだろう。
このあたりは極東の中学生だった自分には理解も共感もしづらい部分なので、あまり頭には入ってこない感じがした。

またロサンゼルス・カリフォルニア・西海岸といった地理的要素からバンドを語る文章もいくつかある。
デビュー当時から「ロサンゼルスから来ましたイーグルスでーす」という自己紹介をしていたそうだが、実は結成時の4人にロサンゼルス出身者はいない、ということがあちこちに書いてあった。
真のロサンゼルス出身者は、解散直前になってようやく登場したティモシー・B・シュミットだけである。

小林克也と萩原健太の対談はやはり面白く、興味深いエピソードがいろいろ語られている。
小林克也はグレン・フライについて「最初に会った時、こいつ絶対喧嘩っ早いと思った」と明かしている。
萩原健太がその理由を問うと、「頭蓋骨を見ればわかる」「殴り合いの喧嘩をいっぱいしてる」とのこと。
・・・当たってるのかどうか不明だが、克也氏は自信満々である。

他にも「ホテル・カリフォルニア」の有名な一節である「1969年以降スピリットは切らしております」は、70年代ディスコ・ミュージックが化け物になったことに対する皮肉なんだとか、ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュがギターをかき鳴らしてドヤ顔で決めたらドン・ヘンリーがダメ出ししたとか、初めて知る話がたくさん出てくる。

イーグルスを語る文献の多くに登場するスタッフの一人がビル・シムジクである。
この本でもビル・シムジクについて複数の人がインタビューで語る部分がいくつかあり、また若月眞人はビルをメインテーマに据えて文章を書いている。
これまでイーグルスの歴史学習はおろか鑑賞もやっと終えた程度だったので、正直ビル・シムジクの名前も知らなかった。
あらためて読んでみると、バンドにとって非常に重要な人物だったことがわかる。

デビューから「On The Border」までは、ツェッペリンストーンズを手がけたイギリス人のグリン・ジョンズがプロデューサーを担当。
ところが音楽の方向性についてメンバーと意見が対立し、グリンはクビとなる。

後任として登場したのが、ビル・シムジク。
若い頃から音感が優れていたビルは、アメリカ海軍で潜水艦をソナーで探知するオペレーター訓練を積み、除隊後は音楽エンジニアに転身。
B.B.キングのアルバム制作に関わり、J・ガイルズ・バンドのエンジニアを務め、ジョー・ウォルシュのソロアルバムをプロデュースした経歴を持つ。

ビルはイーグルスのサウンド面にロックやブルース色を反映させることを提案し、メンバーと意見が一致。
以降「呪われた夜」「Hotel California」「The Long Run」までプロデューサーを担当、というのがビルとバンドのヒストリーだ。

ものすごく簡単に言うと、グリン・ジョンズはカントリーフォークやコーラス、ビル・シムジクはロックやブルースでバンドを売ろうとした、ということらしい。
ロックやブルースもやりたかったドン・ヘンリーとグレン・フライは、ビルと意見が合ったのでグリンを解雇。
この方向性に反対だったバーニー・レドンは脱退・・という展開。

これはこの本ではなくネットで見つけたエピソードだが、ドン・ヘンリーはボンゾのようなドラム音が出せないかグリンに相談したこともあったそうだ。
ドンはツェッペリンやストーンズを手がけた経験を持つグリンの「ロック」な助言を期待していたのだろう。
ところがグリンはイーグルスを「バラードに強いカントリーフォークなバンド」と見ており、実際それで売ってきたんだからわざわざロックなんかやらんでもええやんけと思っていたらしい。
もしドンとグレンがロックをあきらめて引き続きグリンさんのお世話になっていたら、名盤「Hotel California」も生まれなかったであろう・・という話。

グリンは「On The Border」の録音途中でクビになったので、「You Never Cry Like A Lover」「Best Of My Love」以外に録ってあった曲は捨てられてしまい、あらためてアルバム用に足りない曲を録音することになった。
ここでビル・シムジクはドンとグレンが求めていたのがロック色の濃い楽曲だったことを理解し、希望に沿うようなサウンドを作るようにした。
メンバーはビルのことを親しみを込めて「先生」と呼ぶこともあり、ビルの作るサウンドに驚いたり感激したりすることも多かったそうだ。
モメ事の多いバンドだったけど、これはなんとなくイイ話ですね。

実は個人的に一番面白かったのは、松尾一正という人の文章。
若い頃に友人とあてもないアメリカ放浪の旅に出て、思いつきでエリック・クラプトンに会いに行こうとロサンゼルスのスタジオをアポなしで訪問。
ところがクラプトンはスタジオを引き上げた後ですでにおらず、中から出てきたのがイーグルスだった、という映画みたいな話から始まる。
他のインタビューや評論などとは明らかに調子の異なる読み物なのだが、個々のメンバーの人柄やバンドの内情がなんとなく伝わる、非常に臨場感にあふれた内容となっている。

さて。
この本はこれまで読んできた他の文藝別冊シリーズよりもページ数がやや少ないのだが、通して読むとやはりなんとなく急いだ編集を思わせるものがある。

「Songbook」というページは「Hotel California」「Take It Easy」「Desperado」「Take It To The Limit」「Life In The Fast Lane」「I Can't Tell You Why」の歌詞と対訳が掲載されている。
が、解説や考察は一切ない。
せっかく出版するのであれば、CDの歌詞カード以上の情報が少しでもあってほしかったと思う。

またイーグルスをテーマ?にしたイラストレーターの八木康夫氏の描くイラストがいくつか載っているが、残念なことに全てモノクロで、絵そのものも個人的には良さがよくわからない。
このあたりいろいろ編集側の事情があるとは思うが、申し訳ないけどこういうページを作るくらいなら、やはりもっとバンド内紛やグレン・フライ死亡に関する情報を掲載してほしいと感じた。

ということで、「文藝別冊 イーグルス」。
興味深い記事も多かったですが、それほど印象に残らない部分もかなりありました。
イーグルスというバンドに対する自分の興味というか熱量が、そのままこの本でも同じように再現された感じです。
特に「グレン・フライ追悼」というアオリに対しては少々物足りない内容だった、というのが正直な感想。
もし今後増補版が出版されるようなら、この点に期待したいと思います。

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読んでみた 第52回 文藝別冊「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」

今回読んでみたのは、文藝別冊「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」。
昨年のノーベル文学賞受賞を受けて急ぎ出版されたムックである。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞は日本でもビッグニュースにはなったが、報道のされ方にいろいろ問題があり、受賞そのものとは違うところでも騒動となった。
発端としてはノーベル賞委員会側が受賞の連絡をしても反応のないボブ・ディランに対して「ボブ・ディランは傲慢だ」と表明したことにあった。
これに対してプロアマ問わずディランのファンがネット上で一斉に反応。
「傲慢なのはお前らのほう」「ディランのことを何もわかっていない」「ノーベル賞などにディランが迎合するはずがない」といった論調で委員会側を批判した。

しかし実は委員会側の表明には続きがあり、「ボブ・ディランは傲慢だ。しかしそれが彼というものだ。我々は彼からの連絡を待つ」という内容だった。
「傲慢だ」と「傲慢だがそれがディランだ」では意味合いがかなり違う。
委員会側の「ノーベル賞くれてやる」姿勢にはやはり問題はあるが、ボブ・ディランをなんにもわかっていないトンチンカンな集団というわけでもなさそうな話であった。
こうなると「傲慢だ」の部分だけ切り取って記事にしたマスコミの責任が大きい。

その後ようやく出されたディランの返事が思いがけず「素直にうれしい」「授賞式には行けたら行く」など受賞をわりと喜んでいるものだったため、過剰に反応してしまった自称「ディランをわかっている」人たちはさらに混乱。
結局授賞式は都合がつかず欠席し、スピーチも代読を依頼。
ここでも「栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄」「キップリング、トーマス・マン、パール・バックなど偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄」と表明。
少なくとも受賞を拒否したり無視したりはしておらず、ファンが期待していた?傲慢なディランではなかったようだ。
ファンであることにもそれなりの力量が問われるボブ・ディラン、ということだけは自分にもわかった。

上記の騒動は置いておくとしても、受賞をきっかけにマーケット的に様々な動きがあることは簡単に予想できた。
なんと言ってもボブ・ディラン+ノーベル文学賞である。
スタン・ハンセンがブロディをおんぶして花道に登場したようなものだ。(だいぶ違う)
当然音楽業界や出版業界にとっては大きなビジネスチャンスである。
なのでこの本の出版も企画や書き手の確保やページ構成やレイアウトや面付や出張校正やお弁当手配やカプセルホテルなど、とにかく大急ぎで進められたはずだ。
そんな版元の苦労にもらい泣きしながら読んでみることにした。(大ウソ)

Dylan

・・・・・読んでみた。

版元はおなじみ河出書房新社、192ページ、定価1404円。
書名の「マイ・バック・ページズ」は曲のタイトルから取られたもの。
目次は以下である。

<総論>菅野ヘッケル:だれもディランのように歌えない
<特別対談>保坂和志×湯浅学:ディラン談義
<インタビュー>
ピーター・バラカン:ボブ・ディランが開いた扉
中川五郎:正しく理解された受賞者
田中宗一郎:因果律を断ち切り、こんがらがった男
 
<エッセイ>
磯崎憲一郎:全ての芸術家の導き
坪内祐三:ボブ・ディランは『廃墟を見る人』だ、と片岡義男は言った
森達也:生きる反語としてのディラン
樋口泰人:巨大なモニターの前の小さな人
 
<論考>
四方田犬彦:道化が泥棒に
西崎憲:表徴としてのディラン
近藤康太郎:歌う人類史
マニュエル・ヤン:ラディカル・サイド・オブ・ボブ・ディラン
石川忠司:ディランのプロソディ
 
<アメリカ文学史の中で>
小澤英実:ホイットマン、ギンズバーグ、ディラン
波戸岡景太:ディランの声と文学の距離
長澤唯史:不幸な変り者の系譜
 
アルバムガイド 1962→2016

予想どおり全般的に誠実にディランを語る文章が大半で、論評とインタビューとアルバムガイドという普通の構成である。
テーマは特に歌詞に寄ったものだけではなく、書き手全員がそれぞれの得意分野である様々な主題でディランを評している。
対象がディランだからなのか、ノーベル賞という付加情報がそうさせるのかは不明だが、堅実でまじめな文章が多い。
ノーベル文学賞という栄誉やイベントの方から掘り下げた文章はあまりなく、ニュース性に引っ張られずに落ち着いて語っている印象。
時間的制約が多い中での編集だったであろうからムリだとは思うが、もう少し騒動の顛末や委員会側の主張の詳細なども書いてあったらよかったのにと感じた。

自分はディランを全然聴いていないので評価はできないが、少なくとも情報の品質としてはおそらくは非常にレベルの高い内容であると思う。
なにしろディランなので、うっかりぬるい評論や間違った情報を載せてしまうと炎上は必至である。
編集側も緊張しながら進行したであろう。
歌詞に言及する部分も多いので、正直ほとんど理解できないような文章が多い。
今回はディラン本だが、たぶん村上春樹本でも同じ状況が起こるはずである。

当然ディラン(とその曲)を愛する基本姿勢はどの著者にも共通しており、ニルヴァーナ本にあったような批判的な文章や発言はあまりない。
またディラン愛が過ぎるあまり他のアーチストを小バカにしたり独善的な論調を延々展開したりといった「ハナにつく」文章もなかった。(ツェッペリン本だとよくある)

読む前から予想できて、やっぱり書いてあったのが「受賞を伝えるマスコミのレベルの低さ」である。
磯崎憲一郎は「受賞を報じる新聞や雑誌に掲載された小説家や評論家のコメントは酷かった、読むに堪えなかった。」と嘆き、「現代の吟遊詩人」「ロックを芸術にまで高めた」という新聞におどるダサい表現を批判している。
また湯浅学は対談の中で「代表曲が「風に吹かれて」となったらテレビ全体がそうなっちゃって」と嘆き、聞き手の「象徴派やビートとの関わりも報道では見かけないですよね」という問いに「常識ないのかお前ら、と思う」とテレビの平易で浅すぎる報道を切り捨てている。

ボブ・ディランをある程度学習していれば、「現代の吟遊詩人」「フォークの神様」「アメリカを代表するシンガーソングライター」といったアオリは恥ずかしすぎて使えないはずだが、大新聞でもこうした表現は堂々と掲載されていて、そうした程度の低い記事に辟易する、ということだろう。
気持ちはわかるが、日本のマスコミ(特に大新聞)なんてそんなもんだと思う。(偉そう)

比較的わかりやすいと感じたのが田中宗一郎のインタビュー記事である。
ディランの音楽性の変遷と自らのディラン鑑賞歴とをうまく対比させながら、ディランの変化ぶりを的確?に説明している。

「ある種の身体的な反射神経みたいなものですり抜けながらやってきた唯一のアーティスト」
「ボブ・ディランのキャリアというのは、常に自分が築き上げてきたものをぶち壊しにする」
「デヴィッド・ボウイのように常に変化していくというよりは、ひとつ前のキャリアを台無しにする」

・・的確とか書きましたが、ディラン聴いてないので当たってるのかどうかは自分にはわかんないんスけど、説明は非常にわかりやすいです。
この解説を頼りにディラン学習を進めてみたい気持ちになった。

アルバムガイドも特にこきおろしたり駄作と決めつけたりといった陽一風の尖った評論はなく、懇切丁寧な解説で初心者にはありがたい内容である。

本を読んでこの記事を書いている間に、ディランの受賞記念講演をノーベル財団がWEB上に公開した。
映像はなく、ロサンゼルスで録音されたという27分間の音声のみ。
作曲を始めるきっかけとして、子供の頃学校で学んだホメロスの叙事詩「オデュッセイア」やレマルクの「西部戦線異状なし」などの文学作品がある、ということを説明しているそうだ。
このニュースは「報道ステーション」で知ったのだが、小川アナは「話し言葉の中でも韻を踏んでいるように聞こえるところがあった」と言っていた。

ディランは文学賞を受賞してから、果たして自分の曲は文学なのか?と自問自答したそうだが、「歌は読まれるのではなく、歌われることを意図してつくられている」と語っており、本の上で読まれる文学とは異なる、という結論に至ったようである。
ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞を27分も語った貴重な記録なので、近いうちにこの音声を全文和訳掲載した本が出版される予感がする。
なお今回の音声でも、受賞拒否とか返上といった傲慢な反応はしていない。

初めて知ったのだが、受賞の賞金を手にするには、期限内に受賞に関する講演を行うことが条件とのこと。
まあ受賞を無視するようなヤツにはお金やらないからな、という理屈なんだろうけど、こういう点はやはり財団・委員会側が傲慢な感じはするよなぁ。

本の中では、上述の田中宗一郎は「もらうものはもらうが、だからといって何も変わらない」と判断している。
一方ジャーナリストの森達也は、受賞のニュースを聞いた時、ディランは拒否するのではないかとも思っていたようで、「言葉を失っていた?嘘つけ。絶対にそんなタマじゃない。」と、受賞を素直に喜ぶディランを想像できなかったらしい。
同じように思ったファンもきっと多いはずだが、今のところ田中宗一郎の推測が当たっているようだ。
今後もおそらく受賞の喜びを歌にしたりノーベル賞を皮肉った曲を作ったりはしないと思われる。

というわけで、「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」。
正直内容面ではレベルが高すぎてついていけませんでしたが、今後ディラン鑑賞の教科書としては確実に役に立つ本だと感じました。
いつになるかはわかりませんが、アルバムを選ぶ時には参考にしたいと思います。

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読んでみた 第51回 ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像

ローリング・ストーンズと言えばミック・ジャガーであり、次いでキース・リチャーズである。
雑誌や書籍への露出も当然この二人が中心であり、他のメンバーは単独で採り上げられることも極端に少ない、という状況であろう。
従ってブライアン・ジョーンズも名前と早逝したことくらいは知っているが、実際にどういう略歴でバンドに何をもたらしたのかは全然知らない。
まあそれはチャーリー・ワッツもビル・ワイマンも同じなのだが、ストーンズ結成における最大のキーマンがブライアンであった、という点について、今回学習する機会を得た。
読んでみたのは「ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像」という本である。

Brian_jones_2

著者はマンディ・アフテル、編集は鳥井賀句、翻訳が玉置悟。
版元はシンコーミュージック、初版発売は1983年となっている。
自分が読んだのは1991年改訂第3版である。
意欲的に探していたわけではなく、たまたま図書館に置いてあったのを借りてみたのだが、古い本なので現在古書店でも見つけるのは相当難しいのではないかと思う。

ミックとキースの出会いについては、ご存じの方も多いであろう。
二人は小学校の頃からの知り合いではあったが、ずっと継続して仲良しというわけでもなく、17歳に成長したある日駅で偶然再会し、その時ミックが持っていたレコードにキースが反応したことがきっかけで意気投合・・という例のストーリーである。

だが。
この出会いがそのままストーンズ結成に直結したわけではない、というところまではうっすら知っていたが、じゃあストーンズはどういう経緯で誕生したのかは知らずにいた。
今回ブライアンの伝記を読んで、ストーンズ結成の秘密(表現ダサすぎ)をようやく知ることができた。
いちおうこの本は事実に基づいて書かれているという前提での話だが。

まず超ざっくり言うと、バンド結成の経緯は以下の通り。
ブライアン・ジョーンズが1962年にイアン・スチュワートと出会い、さらにアレクシス・コーナーのブルース・バンドにギタリストとして参加。
その後ブライアンがジャズクラブで演奏中に、観客として来ていたミック・ジャガーとキース・リチャーズと意気投合。
バンドを組むため共同生活も始める。
ブライアンの提案でバンド名を「ローリング・ストーンズ」とし、その後ビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが相次いで加入、レコード・デビュー。

なのでミックとキースの駅での再会がストーンズ誕生の瞬間みたいに伝わってる部分もあるが、少なくともブライアンがいなければ「ローリング・ストーンズ」は始まらなかったのは間違いない。
そんな重要な人物ブライアン・ジョーンズの伝記本。
果たしてどんな内容なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次は以下である。

第一章 理由なき反抗者 
第二章 ブルースに魅せられて 
第三章 愛と触れあいを求めて 
第四章 孤立したストーン 
第五章 ドラッグ中毒 
第六章 モロッコ旅行 
第七章 麻薬裁判 
第八章 ジャジュカの儀式 
第九章 この世のプールを泳ぎ疲れて

著者マンディ・アフテルはアメリカ人女性で、アーチストやライターを対象とした精神科治療の専門家である。
この本はマンディがストーンズのメンバーを含む周囲の人々にブライアンのことを聞いて書き上げたものだ。
メンバーの中で最も多くの証言をしているのはキース・リチャーズで、ミックの話は思ったよりも少ない。
あとはイアン・スチュワートが取材に応じており、チャーリー・ワッツやビル・ワイマンの談話はほとんどない。

ブライアン・ジョーンズはイギリス南部、ロンドンから西に約200kmのチェルトナムというのどかな田園都市の中流階級の家に生まれた。
父親は航空技術者で、幼少の頃から頭の良かった息子ブライアンに寄せる期待は大きかったようだ。

しかし。
礼儀正しく聡明だったはずのブライアン少年、やはり音楽と女に夢中になるというありがちな踏み外し方で両親を悩ませ、16歳の時に14歳の少女を妊娠させ、学校を退学となる。
退学後、家出して職を転々とした後ストーンズとしてデビューを果たすのだが、ブライアンはわりとまめに実家に顔を出していたようだ。
ただしストーンズのリーダーとして売れるようになっても、親や妹の反応は厳しいものだった。

息子と父親の対立構造は世界共通なものだとは思うんだが、ブライアンの場合も父親が「息子がロックという野蛮な音楽で有名になる」ことはあまり良く思っていなかった、という図式だった。
ブライアンはカタギの仕事には就けなかったが、父親には認めてもらいたかったことを周囲には漏らし続けていた。
もしかしたら父親自身は息子の成功を内心うれしく思っていたのかもしれないが、デビュー当時のストーンズは野蛮で攻撃的なパフォーマンスを売りにしていたので、のどかな街チェルトナムでの周囲の目、いわゆる世間体を気にして手放しでは喜べなかったのではないだろうか。

ブライアンには判明してるだけで5人の私生児がいるそうなので、若い頃から女グセは全然良くなかった人のようだ。(まあミックもキースもそうなんだろうけど)
若い頃に交流のあった人物によれば「女の数を数えたら1か月で合計64人にもなった」などの証言もある。
酒やクスリのせいもあろうが、付き合っていた女性に暴力をふるうこともしょっちゅうだったようで、この本にもそんな話は繰り返し出てくる。
一時期恋仲にあった女優アニタ・パレンバーグは、激高したブライアンに鼻を殴られ血だらけになった、などということも書いてある。

全般的にどの章でもブライアンのダメっぷりが満載であり、読んでいてあまり明るい気持ちにはならない。
ただしストーンズ結成当時バンドを牽引していたのはブライアンである、ということはキースやイアンも含めて登場するほとんどの人物が認めている。

ではなぜブライアンのリーダーシップは続かなかったのか?
理由は複合的に存在するようだが、ひとつには曲作りに積極的でなかった、という点はあると思われる。
自ら作った曲を自ら演奏して歌う、というスタイルは、当時ビートルズやストーンズを含む多くのバンドがとっていたものだったので、ストーンズに所属しながら曲は作らないとなると、やはり発言力や統率力に大きく影響してくるはずだ。
イアンやチャーリーは「ブライアンに作曲の才能はなかった」と証言している。
しかしキースは「作曲なんてその気になれば誰でもできる。ヤツはまじめに取り組まなかっただけだ」と主張する。
これはキース自身の体験や経緯から来る発言だろう。

ちなみにキースによれば、ミックとキースに曲を作るよう強く勧めたのはマネージャーのアンドリュー・オールダムだった。
ただしアンドリューは二人のクリエイティブな才能をいち早く見抜いていた・・といった感動ストーリーでは全然なく、全てはカネのためだった。
自ら曲を作って演奏して歌ったほうがカネになる、ということだ。
当時ビートルズというあまりにもわかりやすい成功例がすぐ近くにいたため、アンドリューさんも短絡的にそう思ったのだろう。

結果的にこのアンドリューの戦略(と成功)が、ミック&キースとブライアンを分断することになる。
もともとブライアンはボーカルを楽器演奏より下に見ており、バンド結成当初はミックをはずして別のボーカルを加入させるかどうかを考えたこともあったようだ。
ところがミックとキースが曲を作って売れてくると立場は逆転する。
ブライアンは徐々に二人が作った曲に音を添える演奏係に成り下がってしまう。

それでも楽器演奏の才能は突出して優れていたので、しばらくはバンドの音に厚みや変革をもたらす重要な役割を担っていた。
ブライアンの楽器に関する才能は多くの人が高く評価しており、初めてさわる楽器でも短い時間で聴かせる音を出すことができたそうだ。
なのでミックやキースからも楽器に関しては信頼されていたはずなのだが、どうもミックがブライアンの音やリズムも含めて、音楽性や発案などもあまり快く思っていなかったようだ。

ビートルズの大成功に触発されたブライアンは、ボーカルにコーラスを当てることを提案し、実際にビル・ワイマンとともにコーラスをやってみたそうだが、キースに言わせれば全然使えるものではなかったらしい。
Beggars Banquet」の頃になるといよいよブライアンはバンドの中でやることがなくなる恐怖感に襲われ、録音前からスタッフに「あんまし貢献できないかもしれない」みたいなことを口にしたそうだ。
この有様ではリーダーとしてバンド牽引なんてそりゃムリだろう。

またライ・クーダーらとセッションする際、ブライアンがミックにギターをどう弾いたらいいかたずねると、ミックは「好きなように弾いてくれたらいい」と返事したにも関わらず、実際にブライアンがギターを鳴らすとすぐに「そうじゃない、それじゃダメだ」「それもよくないよ、ブライアン」とダメ出し。
コンガをたたいてみてもビートはぎくしゃくしてしまい、またダメ出し。
さらにはハーモニカを懸命に吹いてみたものの、ミックはあきれて無言で上着を引っかけて出て行ってしまう。
ブライアンはこうしたミックの度重なるつれない対応に疲弊し、不信感や不健康が加速していく。

決定的だったのはモロッコ旅行での出来事であった。
恋人のアニタ・パレンバーグ、デボラ・ディクソン、キースとその運転手とともにモロッコ旅行に出かけたブライアン。
ところがその途中、キースとアニタはブライアンを置いて二人でどこかに行ってしまった。
しかもこの後二人は付き合い始めてしまう。
著者はどうやらこの脱走?はアニタが仕組んだことと推察しているが、アニタは認めていない。
いずれにしろブライアンは同じバンドの仲間に自分の女を取られた形になってしまった。

ブライアンも女に対する態度は果てしなくデタラメではあったので、因果応報というか文句も言えない話ではあるのだが、こういう事件が起きれば、その後キースのいるスタジオや事務所に平常心で出かけることはできなくなって当然だと思う。
こうしてブライアン・ジョーンズはミックとキースの様々な言動や行動による圧力に追い込まれ、以前にも増して酒やクスリに逃避する。

で、酒やクスリをやりすぎてスタジオやステージにも来ないといった状態が頻発し、ミックはキースとともにブライアンの家に行き、バンドを抜けるか、戻ってツアーに出るかを決断するよう言った。
ブライアンの返事は「バンドをやめる、でいい。戻る気になった時には戻る」だったが、ミックはそれも許さず、「ダメだ。やめるか残るかはっきりしろ」とせまったそうだ。キツいなぁ。

ロック・ミュージシャンと酒とクスリと女はどうしても切り離せない構造なんだろうけど、結局は音楽産業上の活動である以上、やはり野蛮なロッカーとしての生き様よりもビジネスとしての成立が優先する。
ミック・ジャガーはローリング・ストーンズをビジネスとして継続する上で、ブライアンの状態が障害になっていると判断したのだろう。
ミック自身やキースにしたってクスリや女で無茶ばっかしてたはずだけどね。
さすがのミックも見切りを付けるほどブライアンの状態がヤバかったということだろう。
結成当初からいっしょにやってきた仲間ではあるが、バンドのためには切らざるを得ないという苦渋の決断だったと思う。

チャーリーやイアンはブライアンについて「もともとリーダーの素質はなかった」と言い切っている。
特にイアンが不満に感じていたのは、ブライアンのメンバーに対する不公平さだったようだ。
一方でキースは、ブライアンについて「オレと二人でいる時は、パラノイアさえなければ実に気持ちのいいヤツだった」と証言する。
ブライアンのリーダーシップに関するミックの明確な証言はこの本にはないが、総合するとやはりブライアンはミックとはうまくいかなかった、というのが脱退の大きな要因であると推測できる。

ブライアンが亡くなった時の様子も、この本で初めて詳しく知った。
自宅で当時の恋人アンナ・ウォーリン、看護婦であるジャネット・ローソン、また家に出入りしていた建築業者フランク・サログッドと酒を飲んでいる最中に、酔ったブライアンは「ちょっと泳いでくる」と言って自らプールに向かった。
ブライアンは泳ぎが得意だったそうだ。

フランクもいっしょに泳いでいたが、先にプールから上がり、ブライアンの様子もおかしくはなかったという。
しかし、誰かが気づいた時にはすでにプールの底に沈んでおり、人工呼吸などを行ったが助からなかった。
死因は溺死だが酒や薬物の過剰摂取による心臓麻痺・臓器不全との説もあり、また最近になってあらためてブライアンの死因を調査しなおすという動きもあるようだ。
50年近く経っている話なのに、どうやって調べるんだろう?

ネットでブライアンの死因を検索すると、日本語でも多くのサイトにヒットする。
で、どの話も少しずつ状況や内容が違っており、どれが真実なのかはやはりわからない。
多いのは建築業者フランクがブライアンを殺害したという説だが、この本にはそうした記述はない。
またフランク犯人説にしても、フランクが自白した・いっしょにいたジャネットがそう証言した・ミックがフランクに依頼したなど様々な設定になっている。
(2005年にはフランク犯人設定で映画化もされたそうだ)

死因は今も謎に包まれているが、とにかくブライアンは27歳でこの世を去ってしまった。
メンバーの中では葬儀に参列したのはビル・ワイマンとチャーリー・ワッツで、ミックもキースも姿を現さなかった。
それがまた様々な憶測を呼ぶことになったのだろう。
「キースがプール脇の藪から出てきてブライアンを突き落とした」などといったデマも飛び交ったらしい。
本はブライアンの死を伝えたところで終わっている。
チェルトナムの街にはブライアンの生家や墓があり、地元の人にとってはやはり(悲劇の)ヒーローだそうだ。

さて読み終えた。
訳本なので多少日本語表現が冗長だったり平易だったり、という部分はたまにあったが、全般的には特に引っかかることもなく読めた。
キースのセリフもイメージどおりの粗野な言葉使いになっている。

これは個人的な感覚だが、この本も巻末に注釈がまとめられているのだが、やはりページを行ったり来たりで少し使いにくいと感じる。
注釈の数はかなりの量になるので、脚注というスタイルをとってほしいと思った。

詳細な情報を知り得たことは有意義だったが、読後感として気分がいいとか明るくなるといった性質のものでは全くなく、ひたすら気の毒なブライアン・・という感想しかない。
普段からロックバンドのモメ事大好きを自認する自分でも、ここまで悲惨だと笑えもしないスね。
でもこれでさらにストーンズ情報について学習意欲は高まりました。
ブライアン・ジョーンズに関する他の本も読んでみたいと思います。

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