読んでみた 第51回 ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像

ローリング・ストーンズと言えばミック・ジャガーであり、次いでキース・リチャーズである。
雑誌や書籍への露出も当然この二人が中心であり、他のメンバーは単独で採り上げられることも極端に少ない、という状況であろう。
従ってブライアン・ジョーンズも名前と早逝したことくらいは知っているが、実際にどういう略歴でバンドに何をもたらしたのかは全然知らない。
まあそれはチャーリー・ワッツもビル・ワイマンも同じなのだが、ストーンズ結成における最大のキーマンがブライアンであった、という点について、今回学習する機会を得た。
読んでみたのは「ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像」という本である。

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著者はマンディ・アフテル、編集は鳥井賀句、翻訳が玉置悟。
版元はシンコーミュージック、初版発売は1983年となっている。
自分が読んだのは1991年改訂第3版である。
意欲的に探していたわけではなく、たまたま図書館に置いてあったのを借りてみたのだが、古い本なので現在古書店でも見つけるのは相当難しいのではないかと思う。

ミックとキースの出会いについては、ご存じの方も多いであろう。
二人は小学校の頃からの知り合いではあったが、ずっと継続して仲良しというわけでもなく、17歳に成長したある日駅で偶然再会し、その時ミックが持っていたレコードにキースが反応したことがきっかけで意気投合・・という例のストーリーである。

だが。
この出会いがそのままストーンズ結成に直結したわけではない、というところまではうっすら知っていたが、じゃあストーンズはどういう経緯で誕生したのかは知らずにいた。
今回ブライアンの伝記を読んで、ストーンズ結成の秘密(表現ダサすぎ)をようやく知ることができた。
いちおうこの本は事実に基づいて書かれているという前提での話だが。

まず超ざっくり言うと、バンド結成の経緯は以下の通り。
ブライアン・ジョーンズが1962年にイアン・スチュワートと出会い、さらにアレクシス・コーナーのブルース・バンドにギタリストとして参加。
その後ブライアンがジャズクラブで演奏中に、観客として来ていたミック・ジャガーとキース・リチャーズと意気投合。
バンドを組むため共同生活も始める。
ブライアンの提案でバンド名を「ローリング・ストーンズ」とし、その後ビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが相次いで加入、レコード・デビュー。

なのでミックとキースの駅での再会がストーンズ誕生の瞬間みたいに伝わってる部分もあるが、少なくともブライアンがいなければ「ローリング・ストーンズ」は始まらなかったのは間違いない。
そんな重要な人物ブライアン・ジョーンズの伝記本。
果たしてどんな内容なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次は以下である。

第一章 理由なき反抗者 
第二章 ブルースに魅せられて 
第三章 愛と触れあいを求めて 
第四章 孤立したストーン 
第五章 ドラッグ中毒 
第六章 モロッコ旅行 
第七章 麻薬裁判 
第八章 ジャジュカの儀式 
第九章 この世のプールを泳ぎ疲れて

著者マンディ・アフテルはアメリカ人女性で、アーチストやライターを対象とした精神科治療の専門家である。
この本はマンディがストーンズのメンバーを含む周囲の人々にブライアンのことを聞いて書き上げたものだ。
メンバーの中で最も多くの証言をしているのはキース・リチャーズで、ミックの話は思ったよりも少ない。
あとはイアン・スチュワートが取材に応じており、チャーリー・ワッツやビル・ワイマンの談話はほとんどない。

ブライアン・ジョーンズはイギリス南部、ロンドンから西に約200kmのチェルトナムというのどかな田園都市の中流階級の家に生まれた。
父親は航空技術者で、幼少の頃から頭の良かった息子ブライアンに寄せる期待は大きかったようだ。

しかし。
礼儀正しく聡明だったはずのブライアン少年、やはり音楽と女に夢中になるというありがちな踏み外し方で両親を悩ませ、16歳の時に14歳の少女を妊娠させ、学校を退学となる。
退学後、家出して職を転々とした後ストーンズとしてデビューを果たすのだが、ブライアンはわりとまめに実家に顔を出していたようだ。
ただしストーンズのリーダーとして売れるようになっても、親や妹の反応は厳しいものだった。

息子と父親の対立構造は世界共通なものだとは思うんだが、ブライアンの場合も父親が「息子がロックという野蛮な音楽で有名になる」ことはあまり良く思っていなかった、という図式だった。
ブライアンはカタギの仕事には就けなかったが、父親には認めてもらいたかったことを周囲には漏らし続けていた。
もしかしたら父親自身は息子の成功を内心うれしく思っていたのかもしれないが、デビュー当時のストーンズは野蛮で攻撃的なパフォーマンスを売りにしていたので、のどかな街チェルトナムでの周囲の目、いわゆる世間体を気にして手放しでは喜べなかったのではないだろうか。

ブライアンには判明してるだけで5人の私生児がいるそうなので、若い頃から女グセは全然良くなかった人のようだ。(まあミックもキースもそうなんだろうけど)
若い頃に交流のあった人物によれば「女の数を数えたら1か月で合計64人にもなった」などの証言もある。
酒やクスリのせいもあろうが、付き合っていた女性に暴力をふるうこともしょっちゅうだったようで、この本にもそんな話は繰り返し出てくる。
一時期恋仲にあった女優アニタ・パレンバーグは、激高したブライアンに鼻を殴られ血だらけになった、などということも書いてある。

全般的にどの章でもブライアンのダメっぷりが満載であり、読んでいてあまり明るい気持ちにはならない。
ただしストーンズ結成当時バンドを牽引していたのはブライアンである、ということはキースやイアンも含めて登場するほとんどの人物が認めている。

ではなぜブライアンのリーダーシップは続かなかったのか?
理由は複合的に存在するようだが、ひとつには曲作りに積極的でなかった、という点はあると思われる。
自ら作った曲を自ら演奏して歌う、というスタイルは、当時ビートルズやストーンズを含む多くのバンドがとっていたものだったので、ストーンズに所属しながら曲は作らないとなると、やはり発言力や統率力に大きく影響してくるはずだ。
イアンやチャーリーは「ブライアンに作曲の才能はなかった」と証言している。
しかしキースは「作曲なんてその気になれば誰でもできる。ヤツはまじめに取り組まなかっただけだ」と主張する。
これはキース自身の体験や経緯から来る発言だろう。

ちなみにキースによれば、ミックとキースに曲を作るよう強く勧めたのはマネージャーのアンドリュー・オールダムだった。
ただしアンドリューは二人のクリエイティブな才能をいち早く見抜いていた・・といった感動ストーリーでは全然なく、全てはカネのためだった。
自ら曲を作って演奏して歌ったほうがカネになる、ということだ。
当時ビートルズというあまりにもわかりやすい成功例がすぐ近くにいたため、アンドリューさんも短絡的にそう思ったのだろう。

結果的にこのアンドリューの戦略(と成功)が、ミック&キースとブライアンを分断することになる。
もともとブライアンはボーカルを楽器演奏より下に見ており、バンド結成当初はミックをはずして別のボーカルを加入させるかどうかを考えたこともあったようだ。
ところがミックとキースが曲を作って売れてくると立場は逆転する。
ブライアンは徐々に二人が作った曲に音を添える演奏係に成り下がってしまう。

それでも楽器演奏の才能は突出して優れていたので、しばらくはバンドの音に厚みや変革をもたらす重要な役割を担っていた。
ブライアンの楽器に関する才能は多くの人が高く評価しており、初めてさわる楽器でも短い時間で聴かせる音を出すことができたそうだ。
なのでミックやキースからも楽器に関しては信頼されていたはずなのだが、どうもミックがブライアンの音やリズムも含めて、音楽性や発案などもあまり快く思っていなかったようだ。

ビートルズの大成功に触発されたブライアンは、ボーカルにコーラスを当てることを提案し、実際にビル・ワイマンとともにコーラスをやってみたそうだが、キースに言わせれば全然使えるものではなかったらしい。
Beggars Banquet」の頃になるといよいよブライアンはバンドの中でやることがなくなる恐怖感に襲われ、録音前からスタッフに「あんまし貢献できないかもしれない」みたいなことを口にしたそうだ。
この有様ではリーダーとしてバンド牽引なんてそりゃムリだろう。

またライ・クーダーらとセッションする際、ブライアンがミックにギターをどう弾いたらいいかたずねると、ミックは「好きなように弾いてくれたらいい」と返事したにも関わらず、実際にブライアンがギターを鳴らすとすぐに「そうじゃない、それじゃダメだ」「それもよくないよ、ブライアン」とダメ出し。
コンガをたたいてみてもビートはぎくしゃくしてしまい、またダメ出し。
さらにはハーモニカを懸命に吹いてみたものの、ミックはあきれて無言で上着を引っかけて出て行ってしまう。
ブライアンはこうしたミックの度重なるつれない対応に疲弊し、不信感や不健康が加速していく。

決定的だったのはモロッコ旅行での出来事であった。
恋人のアニタ・パレンバーグ、デボラ・ディクソン、キースとその運転手とともにモロッコ旅行に出かけたブライアン。
ところがその途中、キースとアニタはブライアンを置いて二人でどこかに行ってしまった。
しかもこの後二人は付き合い始めてしまう。
著者はどうやらこの脱走?はアニタが仕組んだことと推察しているが、アニタは認めていない。
いずれにしろブライアンは同じバンドの仲間に自分の女を取られた形になってしまった。

ブライアンも女に対する態度は果てしなくデタラメではあったので、因果応報というか文句も言えない話ではあるのだが、こういう事件が起きれば、その後キースのいるスタジオや事務所に平常心で出かけることはできなくなって当然だと思う。
こうしてブライアン・ジョーンズはミックとキースの様々な言動や行動による圧力に追い込まれ、以前にも増して酒やクスリに逃避する。

で、酒やクスリをやりすぎてスタジオやステージにも来ないといった状態が頻発し、ミックはキースとともにブライアンの家に行き、バンドを抜けるか、戻ってツアーに出るかを決断するよう言った。
ブライアンの返事は「バンドをやめる、でいい。戻る気になった時には戻る」だったが、ミックはそれも許さず、「ダメだ。やめるか残るかはっきりしろ」とせまったそうだ。キツいなぁ。

ロック・ミュージシャンと酒とクスリと女はどうしても切り離せない構造なんだろうけど、結局は音楽産業上の活動である以上、やはり野蛮なロッカーとしての生き様よりもビジネスとしての成立が優先する。
ミック・ジャガーはローリング・ストーンズをビジネスとして継続する上で、ブライアンの状態が障害になっていると判断したのだろう。
ミック自身やキースにしたってクスリや女で無茶ばっかしてたはずだけどね。
さすがのミックも見切りを付けるほどブライアンの状態がヤバかったということだろう。
結成当初からいっしょにやってきた仲間ではあるが、バンドのためには切らざるを得ないという苦渋の決断だったと思う。

チャーリーやイアンはブライアンについて「もともとリーダーの素質はなかった」と言い切っている。
特にイアンが不満に感じていたのは、ブライアンのメンバーに対する不公平さだったようだ。
一方でキースは、ブライアンについて「オレと二人でいる時は、パラノイアさえなければ実に気持ちのいいヤツだった」と証言する。
ブライアンのリーダーシップに関するミックの明確な証言はこの本にはないが、総合するとやはりブライアンはミックとはうまくいかなかった、というのが脱退の大きな要因であると推測できる。

ブライアンが亡くなった時の様子も、この本で初めて詳しく知った。
自宅で当時の恋人アンナ・ウォーリン、看護婦であるジャネット・ローソン、また家に出入りしていた建築業者フランク・サログッドと酒を飲んでいる最中に、酔ったブライアンは「ちょっと泳いでくる」と言って自らプールに向かった。
ブライアンは泳ぎが得意だったそうだ。

フランクもいっしょに泳いでいたが、先にプールから上がり、ブライアンの様子もおかしくはなかったという。
しかし、誰かが気づいた時にはすでにプールの底に沈んでおり、人工呼吸などを行ったが助からなかった。
死因は溺死だが酒や薬物の過剰摂取による心臓麻痺・臓器不全との説もあり、また最近になってあらためてブライアンの死因を調査しなおすという動きもあるようだ。
50年近く経っている話なのに、どうやって調べるんだろう?

ネットでブライアンの死因を検索すると、日本語でも多くのサイトにヒットする。
で、どの話も少しずつ状況や内容が違っており、どれが真実なのかはやはりわからない。
多いのは建築業者フランクがブライアンを殺害したという説だが、この本にはそうした記述はない。
またフランク犯人説にしても、フランクが自白した・いっしょにいたジャネットがそう証言した・ミックがフランクに依頼したなど様々な設定になっている。
(2005年にはフランク犯人設定で映画化もされたそうだ)

死因は今も謎に包まれているが、とにかくブライアンは27歳でこの世を去ってしまった。
メンバーの中では葬儀に参列したのはビル・ワイマンとチャーリー・ワッツで、ミックもキースも姿を現さなかった。
それがまた様々な憶測を呼ぶことになったのだろう。
「キースがプール脇の藪から出てきてブライアンを突き落とした」などといったデマも飛び交ったらしい。
本はブライアンの死を伝えたところで終わっている。
チェルトナムの街にはブライアンの生家や墓があり、地元の人にとってはやはり(悲劇の)ヒーローだそうだ。

さて読み終えた。
訳本なので多少日本語表現が冗長だったり平易だったり、という部分はたまにあったが、全般的には特に引っかかることもなく読めた。
キースのセリフもイメージどおりの粗野な言葉使いになっている。

これは個人的な感覚だが、この本も巻末に注釈がまとめられているのだが、やはりページを行ったり来たりで少し使いにくいと感じる。
注釈の数はかなりの量になるので、脚注というスタイルをとってほしいと思った。

詳細な情報を知り得たことは有意義だったが、読後感として気分がいいとか明るくなるといった性質のものでは全くなく、ひたすら気の毒なブライアン・・という感想しかない。
普段からロックバンドのモメ事大好きを自認する自分でも、ここまで悲惨だと笑えもしないスね。
でもこれでさらにストーンズ情報について学習意欲は高まりました。
ブライアン・ジョーンズに関する他の本も読んでみたいと思います。

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読んでみた 第50回 文藝別冊「増補新版 エリック・クラプトン」

今回読んでみたのは文藝別冊「増補新版 エリック・クラプトン」。
「読んでみた」シリーズではすっかりおなじみとなった河出書房新社のKAWADE夢ムック・文藝別冊のクラプトン本である。
初版は2002年発行だが、増補新版として2014年1月に再発行された。
定価は本体価格1200円だが、神田古本まつりで河出書房新社のブースに600円で置いてあったのを購入。
なので古本ではなく、おそらく版元に返品されたものと思われる。

Clapton

日本人が大好きな三大ギタリストというくくり。
この中で一番鑑賞学習に遅れをとっているのがクラプトンである。
実は3人とも好みにそれほど大きな差はないと感じているのだが、なぜか一番聴いてないのがクラプトンになってしまっている。
別に鑑賞履歴に差があってもどうだっていい話ではあるが、昨年末くらいからなんとなく義務感みたいなものがわいてきて、少しずつクラプトン学習し始めている状態。

さて、クラプトンについてはかなり前に「エリック・クラプトン・ストーリー」という伝記本を読んだことがあるが、リッチー・ブラックモアやジミー・ペイジの本に比べて印象は薄い。
自分の興味や期待が音楽活動よりも諍いや争いやいたずらやゴシップといった方面に強くあるからだ。
クラプトンもそれなりに香ばしい経歴をたくさん持っているはずだが、周囲との衝突の伝説はそれほど知りえていない。
ヤードバーズやクリームにおいておそらく様々な衝突や小競り合いはあったであろうが、あんましそういうことを書いてある本には出会っていないのだ。
本国でも日本でも、あまりそのあたりをイジられることがない人のように感じるのだが、果たしてこの本ではどうなのだろうか。(読み方が誤っている)

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

・エリック・クラプトン・ロングインタビュー2003
 ブルースに捧げた人生を語る
・エリック・クラプトンの魅力
 インタビュー/ギターから歌へ、歌からギターへ:斎藤誠
 魅力/アナザー・サイド・オブ・エリック・クラプトン:大友博
 魅力/放っておけないオトコ:東郷かおる子
 魅力/ジョージ・ハリスンとの友情:広田寛治
 インタビュー/来日公演で魅せた色気と進化:面谷誠二
・エリック・クラプトンの音楽活動
・エリック・クラプトン・ディスコグラフィ
・エリック・クラプトンのセッション
 B.B.キングとブルースマン:小出斉
 ボブ・マーリーとレゲエ・アーティスト:和田玄
 ビートルズ:淡路和子
 フィル・コリンズ:吉野慎一郎
 マーク・ノップラーとエルトン・ジョン:吉野慎一郎
 ローリング・ストーンズ:越谷政義
・エリック・クラプトンの足跡と名曲20
・エリック・クラプトンの年譜
・エリック・クラプトン・ブック・ガイド

目次を見ただけでだいたい想像がつきそうな内容だが、全くその通りでほぼ全編クラプトンの正調音楽教本である。
幼少の頃の話やプロになる前のエピソードなどもわずかにあるが、基本はミュージシャンとしてのクラプトン伝記本で間違いない。
母親が16歳で産んだ私生児であることや、アルコールや薬物におぼれてまともにステージにも立てない日々があったことは有名だが、この経緯や詳細を記述したページはほとんどない。
やはり日本ではオフステージのクラプトンを追っかけまわして悪意の混じった文章にする、という企画は通りにくいらしい。
これはジェフ・ベックでも同じような気がする。

インタビュー記事は本人以外はほぼ日本人であり、当然音楽家クラプトンについて、またクラプトンの楽曲や歌について純朴に語っている。
一通り読んだ感じでは、突出して上から目線とか誰もそこまで聞いてないようなコアすぎるウンチク垂れ流しみたいな鼻につく文章やインタビューはなかった。
全員無条件で持ち上げというわけでもないが、みなおおむね温かい論調である。
このあたりは以前読んだ同じ文藝別冊シリーズのツェッペリン本やパープル本とは少し違う。

なので読んでいて引っかかるような文章や表現にはあまり出会わない。
強いて言えば面谷誠二という人がインタビューで「エリック・プランクトン(笑)」といった脱力なことを言っていたくらいである。
まあこの呼び方は「ニック・ジャガー」と並んで年配のファンが21世紀の今も居酒屋で使い続けているものなので、もはや止めようもないんだが。
時々自分より年下のヤツが「これは年寄りにはウケるやろ」と確信して使うのを聞くと殴ったろかと思いますけど。(どうでもいい)

ちなみに面谷氏はクラプトンについてこんなことも言っている。

「悪い言い方をすれば、人のテクニックもとるし、人のアレンジもとるし、人のバンドメンバーもとるし、人の女もとる(笑)」

表現はともかく、人間クラプトンの魅力的なところはこの辺にある、という意見。
あまりクラプトンを聴いてない自分でも、なんとなくわかる気がする。
いずれにしろ、面谷氏はとにかくクラプトンを語るのが楽しくて仕方がないようだ。
紙面からもそれは十二分に伝わってくる。

さてクラプトン本人の2003年のインタビューだが、これはなかなか面白い。
もちろん音楽の話題が大半なのだが、こんなことを答えている。

「アメリカ人だと思われることが多いのは、アメリカン・アクセントで歌っているからだ」

えっそうなの?
自分みたいな英語のわからない極東の小市民には全く判別不能だが、そういうことだそうです。
そもそもエリック・クラプトンをアメリカ人だと思って聴いてる人がアメリカには多いというのも意外だった。
日本でクラプトンを自主的に聴いているリスナーなら、こんな勘違いをしている人はまずいないと思うんだが、本当のところはどうなんだろうか?

またこれだけのキャリアを持つギタリストでありながら、指先はそのままではなかなか弾くのに適した硬さではないらしく、「ツアーの前には指先を硬くするために、傷薬のウィッチヘーゼルに指を浸す」とのこと。
こんな準備をしてもギター弾くと指は痛いそうで、好きでなければ耐えられないことのようだ。
クラプトンほどの名手であっても毎回こんな苦労があるんですね。

他のアーチストとのセッション活動についてのページはかなり読み応えがある。
各メンバーを含むビートルズとストーンズ、ボブ・ディラン、B.B.キング、ボブ・マーリー、フィル・コリンズ、マーク・ノップラーエルトン・ジョンなどとの競演やセッションを紹介している。

中でもキース・リチャーズについては「血を分けた兄弟」同然の深い絆があるという話は印象に残った。
二人は歳も同じで昔から仲がいいそうである。
もっともキースはクラプトンの実力については認めていたものの、ストーンズのメンバーはつとまらないとみていたらしく、2003年のインタビューで「エリックは俺より怠け者でバンド・メンバーには向いていない」と的確?な評価を発言している。
なおクラプトンは「Brown Sugar」の録音に参加したことがあり、この本では「非公表」と書いてあった。
調べたら昨年リイシューされた「Sticky Fingers」にクラプトン参加の「Brown Sugar」が収録されているそうだ。

さてクラプトンと言えば誰でも知っているあだ名が「ギターの神様」、そして「スローハンド」。
当然この本にもその由来や本人の考えなどについて書かれているが、それがまさに「諸説ある」といった状態になっている。

たとえば大友博という人は「ギターの神様」についてはこう論じている。

「それは西洋的な宗教観とも密接な関係を持つ表現なのだ。そのことときわめて日本的な「ギターの神様」という概念は全くべつのものなのではないだろうか。」 
「ギターの奏法だけに関して言うなら、クラプトンよりうまい人はいくらもいる」

大友氏は決してクラプトンや神様という称号を非難しているわけではない。
ただ日本語としての「神様」という表現や感覚と、本国での「God」という称号には違いがあるのではないか、という主張だと解釈した。

一方で東郷かおる子はこの件について、クラプトン本人からこんな回答を引き出してみせている。

「最近は、そう呼ばれるのは僕に対するほめ言葉なんだとすなおに思えるようになった」

英語の概念はよくわからないが、クラプトンも神様と呼ばれることには困惑していたようだ。
長いキャリアを経てようやくほめ言葉だと受け入れられるようになったのだろう。
さすがは東郷女史、いい話だ。(知り合いかよ)
本人が了承してんだからもう周りが騒ぐことも不要ではないかと思う。

「神様」よりももっと由来や意味や解釈が割れていそうなのが「スローハンド」である。
まず坪田稔という人は以下のとおり断言している。

「スペアのギターを持たなかったクラプトンが、演奏途中で弦を切って交換するのに、モタモタしたのがそのネーミングの由来だ」 
「スローハンド・クラップ(ゆっくりと手拍子をする)というのがある。それは早くしろと催促するブーイング表現なのだが、そのクラップとクラプトンをひっかけた言葉遊びだ」

実際にライブでもクラプトンを紹介する際に「エリック・スローハンド・クラップトンでーす」と皮肉っぽく言われたりしていたそうなので、由来としてはこの説が正しいのではないかと思う。

しかし。
前述の大友博氏は別章で異なる由来を展開している。

「遠くから見るとあまり手を動かしていないような状態でソロを弾いていた。のちにアルバムのタイトルともなるそのニックネームはそういったところからつけられたものなのだそうだ」

この説も本やネットなどあちこちで見かけるのだが、先の「スローハンド・クラップ」説に比べて説得力はかなり落ちる気がする。
大友氏も「だそうだ」と伝聞として書いており、こっちは後から加わったこじつけみたいなものではないかと感じた。
編集サイドでは「スローハンド」の由来については諸説ありOKとして出版したのか、校正でも気がつかなかったのかは不明だが・・・

名曲を採り上げたコラムがいくつかあるが、その中では「Wonderful Tonight」の歌詞解釈が面白い。
ご存じのとおりパティとパーティーに行く様子を歌った極上のバラード・・だと思っていたのだが、実はそれだけでもないらしく、こんなことが書いてある。

歌詞に出てくる「You are wonderful tonight」を「今夜のキミはキレイだよ」と訳してはいけない。 
「ハイハイ、今夜のキミはキレイだよっ」と、待たされたことを皮肉たっぷりに言っているのだそうだ。

このあたりは英国人特有の皮肉とかヒネリみたいなもので、我々日本人にはわかりにくい感覚だが、そういう意味にもとれる歌詞であるらしい。

表紙は陶酔の表情でギターを奏でるステージ上のクラプトン。
これはよくある絵なので違和感はないが、裏表紙は長髪でギターも持たずに立つポートレイトなのだが、冒険映画のポスターみたいで少し雰囲気が違う。
ギターを持たせるなどもう少し演出があってもよかったのでは・・とも思う。

ということで、文藝別冊「増補新版 エリック・クラプトン」。
ゴシップ系の文章が全然なかった点は多少残念でしたが、安く買えてよかったです。(貧乏人のまとめ)
今後の未聴アルバム鑑賞のガイドとしても大いに利用していきたいと思います。

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読んでみた 第49回 解読 レッド・ツェッペリン

今日読んでみたのは「解読 レッド・ツェッペリン」。
版元は河出書房新社だが、いつもの文藝別冊シリーズではない単行本である。

いちおうオリジナルスタジオ盤は全部聴いてるツェッペリン。
ロックバンドとプロレス団体にありがちな再結成も当分なさそうだし、新曲新譜なんかもう出ないと思うので、今はこうして書物や文献に目を通しながら知識を蓄積するという余生を送っている。
・・・などと書いてますけど、こと資料を用いた学習については、ツェッペリンはパープルよりも遅れをとっていて、この歳でまだ知らないことがたくさんあるのだった。

「解読 レッド・ツェッペリン」、著者は「ユリシーズ 編」となっている。
ユリシーズって誰・・?と思ったら、十数人からなるロック書籍編集集団だそうだ。
A5判228ページ、発売日は2014年6月27日、定価2,160円。
神田の古本まつりで購入。
発売開始後1年でもう古本になったようだ。

Kaidoku

表紙は普通にメンバー4人のモノクロ顔写真を使用。
このシンプルでやや堅めの装丁から、なんとなく論調や雰囲気は感じるような気がする。
おそらくは「文藝別冊」よりもコアで深堀りした先鋭的内容だろう。(適当)
またおそらくは文中にディープ・パープルやリッチー・ブラックモアが登場することはないだろう。
ツェッペリンを語る人々はそもそもパープルは「眼中にない」のだ。
表紙をめくる前からそんなニオイが漂うような、そんな本である。

パープルはさておき、「解読」と歌っているからにはツェッペリンを様々な角度から解読するという学術書であろう。
全盤制覇したとはいえ、ただ聴いただけでペイジのギターワークの技術的考察やプラントの作詞の志向性について解析したわけではない三流リスナーなので、全くついていけない可能性も高いのだが、次回ぷく先輩の前で薄っぺらく相槌を打つためにもともかく読んでみることにした。

版元が作ったアオリ文句には「一歩踏み込んだ野心的な論考を中心に構成。バンドのパブリック・イメージを解体・更新する刺激に満ちた一冊」などといった表現が踊る。
そういうからにはあまり知られていなかった裏話や、独自性の高い興味深い考察などがさぞかしたくさん出てくるのだろう。
果たしてツェッペリンをどう解読してくれているのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

第1章 レッド・ツェッペリンとその磁場
 ・「自伝」に抗い続ける燐光性の肖像群―『Jimmy Page The Photographic Autobiography』を読む
 ・コミュニケイション断絶―ツェッペリン・バッシングの真実
 ・私たちは「幻惑されて」いた?―歌詞の世界に近づくツールとしての対訳を考える
 ・仰角構図と縦空間―ペニー・スミスが捉えたレッド・ツェッペリン
 ・光と影の完璧なバランス―エントランス・バンド、レッド・ツェッペリンを語る
第2章 レッド・ツェッペリンの作品
 ・レッド・ツェッペリン
 ・レッド・ツェッペリン2
 ・レッド・ツェッペリン3
 ・レッド・ツェッペリン4
 ・聖なる館 ほか
第3章 レッド・ツェッペリンと300枚のアルバム

構成は意外にスタンダードで、第1章で各著者がそれぞれ語り、第2章でアルバムレビュー、第3章はメンバーの参加作品を含む、相互に影響されたとされる他のアーチストの代表作300枚をレビューする、という段取りである。
ページ数は少ないが巻頭・巻末にカラーグラビアもあり、若き彼らの姿を見ることができるという、中高年が喜びそうな編集がなされている。

まず感じたのは、文章がどれもやや難解であることだ。
そもそも音楽的知識が不足していて単語の意味がわからないということもあるが、そうではなく日本語の文章として難しい語句や修飾語を用いて語る傾向が強く、ストレートに言うと「ちょっと何言ってるかわかんない」という富澤状態にさせられることが頻発する。
音楽評論にはありがちな傾向ではあるが、それはこの本も相当に顕著だ。
「わかる人にはわかる」という素人放置のプロ仕様である。

第2章のアルバムレビューも、全スタジオ盤とBBCライブ盤などほぼもれなく解説はしてくれるのだが、どのレビューもあまり共感や納得というところまでたどりつかず、いまひとつアタマに入らない。
「聖なる館」を「最盛期の傑作」と評したり、「Physical Graffiti」は「原点回帰的なサウンドの成熟」と表現したりなのだが、個人的にはそうかなぁ?とも思う。
どのレビューも残念ながら自分のような素人リスナーにはスイングしないのだった。

第3章にある300枚のアルバムも、聴いたことがあるものはもちろんごくわずかで、名前すら知らないアーチストも多い。
巻末にはバンドの歴史年表が付いているのだが、むしろここをもっと掘り下げて書いてほしかったなぁ。
ボンゾの死からバンド解散まで、ドキュメンタリーとして詳細に追ってくれてたら夢中で読むんだが・・・
なお毎度しつこくて申し訳ないけど、この本でも後期のロバート・プラントの声の劣化について述べている人は誰もいない。

さて。
気になったのは河添剛という人の文章だ。
美術・音楽評論家、画家、グラフィック・デザイナー、アート・コンサルタントといった肩書きで通る人物だそうだが、文章でも対談でもどこか引っかかる箇所がある。
平治という人との対談では、こんなことを言っている。
「1971年の初来日時にツェッペリンは大阪ではノン・ストップで3時間半も演奏しやがったの。」
そうかぁ・・と一瞬受け入れそうになったが、巻末の著者紹介を見ると1960年生まれとある。
てことは71年の初来日の時は小学生で、おそらくは自身は大阪のコンサートには行っておらず、「演奏しやがったの」は伝聞ではないだろうか。(ホントに行ってたらすいません)

またあまりに鉄板すぎて笑ってしまうが、やはりこの人もパープル(とファミリー)は完全に下に見ているようで、特に「カヴァーデイル・ペイジはないよね。いくらなんでもあんまりだろう」とカバペーのことは全く認めていない。
盛り上がりついでに「カヴァーデイルなんてただのホストだよ。安っぽいホスト。実際あいつはホスト面をしている。(笑)」などと発言。
河添氏としてはペイジと組んだのがよりによってパープル出身のカバだったことが、音楽性以前に許せなかったのだと思われる。

また第3章の「レッド・ツェッペリンと300枚のアルバム」ではパープルの「Machine Head」をあえて紹介するという悪意に満ちた?編集なのだが、ここでも河添氏がレビューを書いている。
「ディープ・パープルは寝そべったレッド・ツェッペリンである。骨の髄まで世俗的なディープ・パープルは、後のヘヴィ・メタル・ファンの劣情のみに訴えることとなる。」
様々な語句を並べてはいるけど、ツェッペリン信奉者が書くパープル評論の典型のように思う。

まだある。
同じく第3章、フォリナーのファーストアルバムのレビューにも「ジミー・ペイジはロバート・プラントを連れて彼らのライヴに出向くが、もちろんどんな教訓も得ることがない時間を過ごす。」とある。
まさに見てきたような書きっぷりがステキ。
まあ確かにペイジがフォリナーを評価してたとも思えないけど、結局この人自身がフォリナー嫌いなんだろうね。

それでも文章は難解ではあるが勉強になる記述はあった。
近藤哲史という人の「私たちは『幻惑されて』いた?」というタイトルで書かれた文章は、ツェッペリンのアルバムにある訳詞のおかしな部分を丁寧な解説で正している。
もちろん英語のわからない自分にはすぐに理解できるものではないのだが、より正確な翻訳によってツェッペリンの詞の世界の理解を深めようという提案であり、なるほどと思う内容である。

また意外だったのは、第3章のジミ・ヘンドリックスのアルバムレビューにあった話である。
ペイジはジミ・ヘンドリックスのライブを見ることも会話したことも全くなかったそうだ。
へぇー・・そうだったんだ・・
なんかけっこう仲良しで情報交換でもしてそうな気が勝手にしてましたけど、そういうことらしいです。
以前読んだ本では、ペイジはジョン・レノンに会えなかったことを非常に悔やんでいたと書いてあったが、ジミヘンに対してはそういう感情はなかったんスかね?

ということで、「解読 レッド・ツェッペリン」。
高尚で知的な書物であることに異論はありませんが、正直、知り合いの少ない飲み会に参加させられたような、居心地の良くない印象が終始消えませんでした。
予想どおり上級者編であり、自分のような偏差値の低いリスナーにとってはレベルが高すぎたようです。
やはり骨の髄まで世俗的な自分には、東スポっぽい下世話で品のないゴシップ本が合っていると確信した次第です。

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読んでみた 第48回 文藝別冊「ポール・マッカートニー」

今回読んでみたのは「文藝別冊 ポール・マッカートニー」。
これまで読んできた文藝別冊の洋楽シリーズでも古いもので、2001年発行。
先月神保町の古本まつりで購入した。
2011年に増補新版が出版されている。

正式書名は「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 ポール・マッカートニー ~世紀を越えた音楽家~」。
版元はおなじみ河出書房新社、判型はA5判、200ページ。
本体価格は1,143円。
自分が購入した古本は800円だった。

Paul

同じシリーズにジョン・レノンやジョージ・ハリスンもあって図書館で読んだような気もするが、このポール本は読むのは初めてである。
ビートルズ関連の書籍は世の中にたくさんあるが、たいていはポールの情報に最も多くページを割いている。
理由は簡単で作品もメディアの露出もポールが一番多いからだ。
しかもジョンやジョージは故人なので情報は全て過去の掘り起こしだが、ポールは今なお現役であり、版元にとって話題に事欠かないありがたいスターである。

この本は偶然古本まつりで見つけたのだが、最近ポール未聴作品の学習を始めたこともあり、教材としても使えそうなので買ってみた。
果たして中高年再履修の指針となる内容なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

【巻頭カラー・グラビア】
ポール・マッカートニー ライブ・ヒストリー
 
【独占掲載 ロング・インタビュー】
LISTEN TO WHAT THE MAN SAID
ポール・マッカートニーが語る
昨日(イエスタデイ)、今日(ヒア・トゥデイ)、明日(トゥモロウ)
 
PART 1 音楽家ポール・マッカートニー その魅力を語る
【インタビュー】
財津和夫・林哲司・奥田俊作(ザ・ブリリアントグリーン) 
 
【対談】
杉真理×松尾清憲
ポールと同じ時代に生まれて、みなさんラッキーですよ
 
評論
あらゆる要素を包み込むポールの音楽性 藤本国彦
リトル・ボーイのビッグな体験 ジム・オルーク
ポールのベース革命 鈴木佳昌
リンダ・マッカートニー 淡路和子
ポールのクラシック音楽作品 山川真理
 
PART 2
音楽家ポール・マッカートニー その足跡と音楽活動の記録
・音楽家ポール・マッカートニーの誕生 / 藤本国彦
・ビートルズ、ライブ活動の時代 / 広田寛治
・ビートルズ、新たな挑戦の時代 / 広田寛治
・産声をあげたウイングス / 山川真理
・はばたきはじめたウイングス / 山川真理
・ウイングスで世界制覇 / 淡路和子
・ウイングス最後の夢 / 淡路和子
・本格的なソロ活動時代 / 吉野由樹
・20世紀の総括と新たな挑戦 / 及川和恵
 
PART 3
音楽家ポール・マッカートニー 全作品
・音楽作品 音楽作品の全体像とベスト盤紹介
・映像作品 映像作品の全体像と公式ヒストリー
・本、インターネット
 ポールを「正しく」知るためのブック・ガイド
 インターネット・ガイド

全体は三部構成で、ポール本人や日本のミュージシャンのインタビュー、ポールの音楽家としての履歴紹介、作品紹介、となっている。
まさに偉大な音楽家ポール・マッカートニーを知るための正調な企画である。

判型はA5だが、ムックなので中身は雑誌としての編集になっている。
特にコアなポールのファンではない自分には気楽に読める内容である。
上級者には少し物足りないというところだろうか。
ジョン・レノンとの対比はこの手の本での常套手段だが、その点もそれほど鋭く切り込んではいない。
結果論だが、ビートルズ解散後の二人の決定的な違いは、「ビートルズではないバンドを組んだかどうか」である。
二人とも解散は後悔していたが、リンダやデニーとウィングスを結成したポールに対し、ジョンは残りの生涯でついにバンドを組むことはなかった。(ヨーコとバンドを組んだ、という見方もあるが)
どっちがいい悪いという話ではなく、ポールというミュージシャンはバンド志向・ライブ重視だった、ということが書いてある。

当たり前だが2001年の本なので情報もそこまでで止まっている。
日本人ミュージシャンのことは全然詳しくないのでわからないのだが、インタビューや対談に登場する奥田俊作(ザ・ブリリアントグリーン)、杉真理や松尾清憲といった人たちは最近も活躍しているのだろうか?(大きなお世話)
あ、CMでおなじみの「ウイスキーが、お好きでしょ」という歌は杉真理作曲だそうです。

ちなみに2011年に出版された増補新版では、2000年以降の10年間の活動や作品紹介が追加されているらしい。
増補なので基本は変わっておらず、インタビュー記事もそのままだそうだ。

その「独占掲載 ロング・インタビュー」で、「あなたの影響を受けていると思われるアーティストは?」という問いに、ポールは「スティングやビリー・ジョエルには同じような色を感じる」と答えている。
なんとなく意外な回答。
2015年の今でも、この質問には同じ回答をするんだろうか。
スティングやビリー・ジョエルを聴いて、ポール・マッカートニーを感じたことは全然なかったんですけど。
一方で「オアシスの曲の中にはビートルズの影響が色濃く表れたものがある」という、世界中が納得するふつうの回答もある。

記事内容そのものではないが、気になった点。
履歴紹介の部分は見開きごとの章になっているのだが、このタイトルが今ひとつゆるい。
特にウィングス時代の章は「シングル・ヒット曲あれこれ」「俺たちはバンドだ!」「ラブ・ソングで何が悪い!」「ロックショー!」といった昭和の雑誌みたいなノリでタイトルが付けられている。
またこの履歴紹介のあちこちに、見開きでコラムが挟まっているのだが、コラムで紹介される曲が履歴紹介の流れの時系列に合っておらず、これも今ひとつリズムのよくない編集だと感じた。

「インターネット・ガイド」とわざわざ紹介ページが設けられているのも時代(というほど前の話じゃないが)を感じさせる。
2000年当時はまだインターネットが特殊なメディアであり、今のように動画や音楽が誰でもスマホでふつうに楽しめるなどといった状況ではなかったので、先端を行く情報公開の場として掲載されているのだった。
ここでも章のタイトルが「ポール流『電脳空間』の楽しみ方」という、今口にしたら赤面しそうな表現になっている。

全体を通して言えるのは、どの評論も当たりが柔らかい点だ。
人気者ポールを語るのに皮肉や揶揄や罵詈雑言は不要。
いいじゃんみんな好きなんだから。
ねえ?
そういう感じの文章ばかりである。

巻頭から巻末まで終始ポール礼賛。
しかも表4(裏表紙)は当時発売されたばかりのウィングスのベスト盤「WINGSPAN」の広告である。
なので「アンチ」な人や「ジョン派」な人にとっては、当然退屈な本かもしれない。
作品紹介の中でも厳しい批判などは一切なし。
セールス的には不調だったアルバム「Press To Play」についても「チャートでは低迷したが、再評価の待たれるアルバム」という表現。
そこまで気を使わんでも的な書きっぷりである。

この当時の編集ポリシーはこうだったのだろうし、ポールの本だから2015年の今出版しても同じようなテイストになるのかもしれない。
これがのちのパープルツェッペリンニルヴァーナといった企画になると、辛辣な批評やしょうもないゴシップという話も混ぜての内容になっている。
ポール・マッカートニーだって掘り起こせばもっと人間くさいネタもいっぱいあるはずだし、書こうと思えばポールをこきおろしてジョン・レノンを称賛することもできるわけで、事実そういうテイストの書籍はいくつも出ていると思う。
でもこの本はやはり日本のファンに向けておだやかに読まれるべき本なのだ。

ということで、「文藝別冊 ポール・マッカートニー」。
古本だったので増補新版でなかった点は残念でしたが、読めてよかったです。
まあもう少し辛口な意見やダークな話題があってもバランスがとれてよかったんじゃないかとも思いましたが、あらためてポール・マッカートニーの未聴盤学習に取り組みたいという気にさせてくれました。
今後も学習参考書として利用したいと思います。

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読んでみた 第47回 文藝別冊「ニルヴァーナ」

今日読んでみたのは、昨年出版された文藝別冊「ニルヴァーナ」。
カート・コバーン没後20年の節目に出版された本である。
書店に並んでいたのはなんとなく知っていたが、没後20年も経過していたことに今さらながら驚く。

Nirvana

正式な書籍名は「KAWADE夢ムック ニルヴァーナ カート没後20年/最後のロック魂」。
版元は河出書房新社、224ページ、定価1,404円。
構成は文藝別冊ロック本シリーズの基本フォーマットのとおり、複数の書き手がそれぞれのニルヴァーナ論・カート論を展開している。
執筆者は音楽評論家だけでなく作家や写真家や文芸評論家などもいる。
メンバーを含む本国関係者へのインタビュー記事はない。
日本人による少し堅めのニルヴァーナ評論集である。

自分はもちろんニルヴァーナを聴いていない。
大ヒットアルバム「Nevermind」はいちおう聴いてみたが、80年代の産業ロックとのあまりの乖離に全くついていけず、録音したテープも消してしまった。
そんなニルヴァーナ挫折組の自分が、こんな本を読んでもなおさらよくわからないとは思うが、カート・コバーンとは果たして何者だったのか?ニルヴァーナはなぜ支持されたのか?そもそもグランジとは何だったのか?といった挫折じじいの疑問に多少でも答えてくれそうな気がして、なんとなく図書館で借りてみました。
果たして20年ぶりのニルヴァーナ予備校の補講は功を奏するでしょうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

・ニルヴァーナ・ストーリー 一色こうき 
・I'm not the not only one よしもとばなな 
・ニルヴァーナという発明 津原泰水 
・寒いロック 清野栄一 
・恐竜の息子の排泄物 海猫沢めろん 
・私とカート・コバーン ミユキ(ハルカトミユキ) 
・午後の最後の恐竜 川﨑大助 
・「ティーン・スピリット」の匂い 佐々木敦 
・ニルヴァーナ原理の手前で 上野俊哉 
・野良犬のような存在感 石田昌隆 
・カートの「パンク魂」 行川和彦 
・ニルヴァーナ論 -グランジとはなにか 林浩平

執筆者全員がニルヴァーナの大ファンでしたというわけではなさそうで、ニルヴァーナではない他のミュージシャンを延々語るヘンな文章があったり、聴いてはいたがそれほど共感してなかったりという人もいて、なんとなく賛否愛憎入り乱れるネットの掲示板みたいな雰囲気も感じる。

読んでみて気づいたのが、ニルヴァーナ及びカート・コバーンを語る際にかなり重要なファクターとされるのが「年齢」及び「世代」であることだ。
これまで文藝別冊シリーズでストーンズやツェッペリンパープルを読んできたが、それらと違ってこのニルヴァーナ本の場合、書き手自らが文中で生まれ年を明らかにしているケースが多い気がする。
カートは1967年生まれで94年没だが、カートとの年齢差を提示した上で、バンドやグランジというカテゴリーについて述べているのである。
端的に言えば「年が近いから共感できる」「世代が違うから理解しづらい」ということなのだろうが、他のミュージシャンを語るのにそこまで年齢や世代の差が重要なことってあっただろうか?と思うのだ。

「オレはジミヘンと同い年」「アタシはマドンナの1コ下」なんてのは飲み屋で一瞬盛り上がるためのどうでもいい情報のはずだけど、どうもカート・コバーンの場合は意味合いが少し違うらしい。
日本ではカートよりも少し年下の世代、「Nevermind」が流行ったころに20歳前後だった人々を中心に支持されているようだ。
80年代のクソキラキラ商業主義まみれの産業ロック大好き世代(ワタシです)にとって、グランジの台頭は未だによく理解できない・・と思うし、90年代グランジにどっぷり浸かった世代においてカートはヒーローであり、80年代の音楽なんぞダサすぎて聴くのも恥ずかしい・・という、深い断絶が全体を覆っているようにも感じる。

この本にも書かれているが、映画「レスラー」の中に80年代メタルの栄華と90年代グランジ台頭を表す象徴的なセリフがある。
ミッキー・ローク演じるロートルレスラーのランディが、想いを寄せるトウの立った女キャシディと酒場で盛り上がる場面でのやりとり。
ランディが「ガンズ&ローゼズ!」と叫ぶと、キャシディも「モトリー・クルー!デフ・レパード!」と応じ、ランディが「でもあの女々しいカート・コバーンが出てきて全部台無しだ!」。
そして2人が「90年代なんぞクソくらえだ!」と言う。
このやりとりに対する共感の度合いは、80年代支持者と90年代支持者では当然正反対なのだそうだ。
やっぱそういう感じなのね。

しかし。
時代の寵児となったカートだが、決して裕福ではなかった子供の頃に聴いていたのは、サバスやツェッペリンやエアロスミスのほか、ナックチープ・トリッククイーン、ELO、ボストンといった、それこそグランジな世代からは真っ先にダメ出しをくらいそうなダサい産業ロックもたくさん含まれていたのだった。
カートの父親がLPレコード通販を利用していて、機嫌のいい時はカートにも選択権が与えられたりしたそうだ。
いやーそうだったんだ・・・ニルヴァーナ挫折組の自分としては、こういう情報を見るとなんとなくほっとするよ。

また世代論も度が過ぎれば見苦しいのはご承知の通り。
詩人の林浩平(1954年生まれ)という人は、冒頭から「我が家のCD収納ラックにはニルヴァーナのものは1枚もない」と切り捨てている。
さらにグランジを聴いていたような世代に対し、「電車の中で足を投げ出して座る」「ドアの前に尻を落とす」「他者の錯誤や失策に対して寛容になれない」などといろいろお気に召さないようで、実際に「グランジ嫌悪」という言葉も使ってこの世代について否定的な意見を書いている。
気持ちはわからんでもないけど、「寛容でない」と言ってるアナタがグランジ世代に全然寛容でないのでは?と突っ込みたくもなる。

グランジは音楽ジャンルだけでなくファッションとしても大きなムーブメントになっていったが、当のカートはファッションのつもりはなくて本当に貧乏で薄汚い格好をしていただけで、あんまし深く考えてなかったようである。
コートニー・ラブとの結婚式でも終始パジャマ姿だったのは有名な話だが、カートによれば「いつ睡魔に襲われてもいいようにパジャマ姿でいる」という理由だったそうだ。
確かにヘンな人だけど、おそらくカート自身も「オレってイケてるだろ?」と思って汚いカッコウをしていたわけではないのだろう。
いわゆる「イタい人」とは少し違う。
「着るものなんてなんでもいいや」と思ってたら周りが勝手に「これぞグランジ!時代の反逆児!きぃー!」なんて持ち上げてしまって、本人も困惑してたんじゃないかと思う。

なお日本では書籍でも雑誌でもほとんどカート・コバーンと表記されるが、作家の川﨑大助は「コバーンと書くのは完全に間違っている」と一喝している。
カートの姓はCobainなのでコベインと書くしかないそうだ。
こうなったのは俳優のジェームズ・コバーン(James Coburn)に引きずられての表記と川﨑大助は推理しており、日本のレコード会社か雑誌で最初にコバーンでええやろと勝手に書いてしまったのが定着してしまったらしい。
アドリアン・アドニスもそうだけど、外国人の名前を母国発音どおりカタカナで忠実に表記してない典型ですね。
で、この本でも多くはコバーンだが、執筆者によっては全てコベイン表記に徹底している人もいる。
ただし「ニルヴァーナ」も発音に則して書くと実は「ナーヴァナ」と表記するのが適切、とは誰も指摘していない。

ちなみに、仲が悪いという噂のアクセル・ローズとカートだが、この本には残念ながらそういう話は書いていない。
ネットでいろいろ調べてみると、どっちかっつうとアクセルのほうがやや分が悪いというか残念な結果になっているらしい。
アクセルは初めはカートをそれほど嫌っておらず、むしろニルヴァーナの音楽は気に入っていることも公言していた。
で、アクセルが人づてにカートに会いたいと伝えたがカートは無視。
カートはガンズモトリーみたいな商業主義まみれのチャラいバンドが大キライだったそうだ。
その後アクセルがコートニーの悪口を言い出してガチな不仲に発展。
ある日偶然バックステージで出くわした二人は台本どおり乱闘になったが、意外にもカートがアクセルをボコボコにしたそうだ。
アクセルはこの件に関しては全く口を閉ざしており、カートはライブで多少脚色もあれど「アクセルをぶん殴ってやったよ」などと楽しそうに話したことがあったらしい。

本とは関係ない話だが、今回この記事を書くにあたりネットでいろいろニルヴァーナを調べてみたが、その過程で見覚えのあるダサい文章に遭遇した。
自分が「聴いてないシリーズ」でニルヴァーナを採り上げたのはもう11年前なのだが、その時の記事の一部分が無断で2ちゃんねるのあるスレッド立てに使われていたのだった。
しかもスレッドが立ったのは2007年だが、コメントは2014年まで延々と続いていたのだ。
さらに。
このスレッドが先月別のサイトでまた無断で採り上げられており、そこにもまたコメントがいくつか付いているという状態。
全然知らなかった・・・誰だよ勝手に2ちゃんねるに転載したのは?まあいいですけど。
でもニルヴァーナを採り上げると、今なおこれだけ反応があるのはやはりすごいことだと思ったよ。

というわけで、「文藝別冊 ニルヴァーナ」。
やはり知らない話が多く、勉強になりました。
没後20年経ってもこういう書籍が出ること自体が、やはりカート・コバーンの非凡さ、ニルヴァーナの偉大さの表れである。
自分は「Nevermind」挫折以降ニルヴァーナは遠ざけていたので、他の2枚のアルバムについては全く聴いていないのだが、それぞれ内容も雰囲気もかなり異なり、評価も様々のようだ。
こんな本ばかり読んでいないで、やはり他の2枚もさっさと聴いてみないといかんのかなぁ・・とぼんやり思った次第です。

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読んでみた 第46回 ミック・ジャガーの成功哲学

ローリング・ストーンズが今なお現役のロックバンドとして君臨し続けられる理由として、ミック・ジャガーの非凡なビジネス手腕をあげる人は多い。
バンドの音楽性やグルーヴ感やメンバーの技量やキャラクターが人気の秘密であることは言うまでもないが、タダの音楽集団ではこれだけ長い期間活動できるわけではない。
音楽産業の中での確固たるバンド経営理念というものがあり、それに裏打ちされた方針・戦略・戦術を打ち出してはPDCAサイクルを回してきたのがミック・ジャガーである。
今回読んでみたのはそのミック・ジャガーを語る本だ。

Mickjagger

「ミック・ジャガーの成功哲学」、原題は名前そのまま「Mick Jagger」。
著者は音楽評論家のアラン・クレイソン、訳者は大田黒奉之。
初版発行2008年11月、2,381円、320ページ。
版元はブルース・インターアクションズだが、この会社は現在解散しており、事業はスペースシャワーネットワークに譲渡されている。

ロック・ミュージック関連の書籍は、基本的にはミュージシャン伝記ものが大半であると思われる。
まあ中には著者の勝手な解釈や妄想を延々綴ったり、純粋に音楽性を説く本もあったりするだろうが、アーチストの生い立ちからデビュー、バンドの変遷、栄光と挫折、絶頂と没落、対立と葛藤、離合と集散、女と暴力、おカネとトラブル、聖地後楽園ホール、海賊男、馳浩と山田邦子、なんて構成で進んでいくものが多いはずである。(後半適当)

ところがこの本は「成功哲学」という、ロック本ではあまり例のない角度からのタイトルが付いている。
ミックのような有名なミュージシャンに付帯するのであれば違和感のない言葉ではあるが、「ありそうでなかった」典型のような気がする。

経済書や自己啓発本にもありがちな題名だけど、版元側にもそれなりの計算はあったのだろう。
ミック・ジャガーなので当然主たるターゲットは自分のような中年男性である。
日々金策やノルマや納期や刷り直しやシール貼りや乱丁や返品に追われるサラリーマン諸兄に響く文字列として、「成功哲学」が見事企画会議で通ったのだ。(知ったかぶり)
果たしてあたしもミック・ジャガーの成功哲学を見習ってピケティ理論を撃破することができるでしょうか。(意味不明)

・・・・・読んでみた。

本書の目次は以下のとおり。

プロローグ:ビッグ・ボス・マン 
第1章:スクール・デイズ 
第2章:ブルースに焦がれて 
第3章:ロンドンの外れで 
第4章:クロウ・ダディ 
第5章:デビュー 
第6章:ブリティッシュ・インヴェイジョン 
第7章:スウィンギング・ロンドン 
第8章:サイケデリックの時代 
第9章:悪魔を憐れむ歌 
第10章:70年代の幕開け 
第11章:結婚 
第12章:スタジアム・バンド 
第13章:再びツアーへ 
第14章:パンク・ロックの時代 
第15章:スタート・ミー・アップ 
第16章:ソロ活動 
第17章:ストーンズ再始動 
第18章:サー・マイケル・フィリップ・ジャガー 
エピローグ:最後に笑う者

目次を見ると、構成はやはり伝記ものの定型である。
当然ミック・ジャガーの立身出世物語ではあるが、ストーンズという粗野で野蛮なバンドを、粗野で野蛮で女にだらしないミック・ジャガーが、しっかり管理運営して業績を残している、という対比に重きを置いている。
若きミックとストーンズならではのやんちゃ話がある一方、業界関係者の「ミックは交渉において手強い相手だった」という談話もいくつか書かれている。
「野蛮な女たらしだけど商才に長けている。ミック・ジャガーはやっぱりすごいよ」というのが著者の主張のようだ。

文章中にはミックの家族、メンバーを含む音楽仲間、業界人など様々な人物が登場するが、キース以外のメンバーは思ったほど出てこない。
またブライアンの死やオルタモントの悲劇についても、それほどページをさいているわけではなかった。
このあたりは個人的には多少物足りないと思う。

むしろ多いのはマリアンヌ・フェイスフルやビアンカといったミックの恋人たちの話である。
特にマリアンヌについては、ミックと縁が切れて心身ともにぼろぼろになった以降も追い続けて書いており、「成功哲学」の裏側にはこうした影の話もあると強調しているようだ。

自分はストーンズのファンとはとても言えないし、ミック信者でもないので、ミック・ジャガーのすごさは表層的にしかわからない。
エピソードの大半は知らなかった話だが、コアなファンであれば知っている・聞いたことがあるというものが多いのかもしれない。

純粋にロック本としては充分に面白いのだが、経済書や啓発本の類とは違うし、著者も経済学者ではなくロック評論家という肩書きであり、内容も特に経済学やマーケティングの視点からミックの活動を分析するようなものではない。
もちろんあちこちにミックの非凡な商才を示す発言やエピソードは出てくるのだが、まずはふつうのロック本と思って間違いない。
結局テーマとしての「成功哲学」は文章の根幹をなすものではなく、ところどころで匂わす程度。
ある意味秀逸な編集であり、自分のような中年サラリーマンの手にとらせた時点で「タイトル勝ち」である。

ロンドンのスクールで経済学を学んだミックの経歴が、その後のバンド運営において大いに役立った、という見方もありだとは思うが、あんまし関係ないような気もする。
ミックの商才はもっと本質的なもので、学歴はたまたまそうだっただけ、というところではないだろうか。

一方で編集の観点から気になった点はいくつかあった。

訳本にはよくある構成だが、注釈がかなり多い。
しかも説明は巻末に集約されているので、丁寧に読もうとすると本文と巻末を行き来しなければならず、使い勝手はいまいちよくない。
巻末に行ってみると注釈は出典資料を英文で紹介しているだけのものも多く、日本の読者にはあまり必要のなさそうな内容だったりで、少し疲れる構成である。
注釈を付けたければ、ページの下にスペースを作るとか、レイアウト上の工夫はもう少しできそうだが・・・

ちなみにその巻末にある注釈の記述で、「皮肉屋のミックは、好きなシンガーとしてジミー・ペイジの名前を挙げていた」という話に一番笑った。
こういうことはぜひ本文中にもっとふくらませて書いてほしいものだ。

またこれは個人の感覚的な話だが、書体がやけに古くさい。
最近の書籍ではあまり見られない明朝で、80年代発行の古本を読んでいるような感覚になるのだ。
ハードカバーだし、確かに50年以上前のエピソードもたくさんあるので、編集サイドはあえてこの書体を使っているのかもしれないが、2008年発行の書籍としてはどうなんだろう・・と思う。

というわけで、「ミック・ジャガーの成功哲学」。
タイトルに過剰に反応せずふつうに読めば非常に面白い本ですが、モメ事の好きな自分としては、もう少し事件事故の話があるとよかったのに・・と感じたりもしました。
同じ著者・版元による「キース・リチャーズの不良哲学」という本もあるそうなので、近いうちにこちらも読んでみようと思います。

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読んでみた 第45回 文藝別冊「ディープ・パープル」

「日本人はすぐにパープルツェッペリンを比較しすぎだ!」という批判はごもっともだと感じているSYUNJIといいます。
そうだよなぁ、どっちも素晴らしいバンドであり音楽性も違うし比較にムリがあるよなぁ。
でもやっぱ比較するのが楽しいんだよ、このふたつのバンド。
そんな濁った感性で読んでみたのが、文藝別冊「ディープ・パープル」。
昨年出版した「レッド・ツェッペリン」に味をしめた版元が、自分のような比較したがりリスナーをターゲットに出版したとしか思えない一冊です。

Purple

そんな比較大好き中年の自分だが、こうして音楽以外の情報にふれる場合、個人的には両者の総合エンターテイメント性には大きな差があると確信している。
端的に言って、パープル(とそのファミリー)はやたらモメるけど、ツェッペリンはあんましモメない。
モメ話が大好きなあたしとしては、どうしてもパープルに肩入れしたくなるのである。

なので元祖モメバンドのパープルについて、こうして良質なテキストにたどり着けるというのはありがたい話だ。
ディアゴスティーニで「月刊パープル」なんてパートワークが出版されたら毎号揃えるよ。

正式な書名は「KAWADE夢ムック[永久保存版 総特集]文藝別冊『ディープ・パープル~ハードロックの伝道者、紫煙の旅路』」。(長い)
版元は河出書房新社、発行は2014年3月30日、226ページ。
定価は1200円だが、東京国際ブックフェアに出展していた河出書房のブースで割引購入。
果たして全編モメ事だらけの幸せな福音書なのでしょうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

【独占インタヴュー】
・イアン・ギラン
「ジョンはディープ・パープルの父親だったんだ」  
・キース・エマーソン
「ディープ・パープルはクラシックとロックを融合し、ロックを〝洗練〟させたんだ」
 
【ロング・インタヴュー】伊藤政則が語る、ディープ・パープル受容史  
 
【エッセイ】 奥田英朗 リッチーが「ガラクタ」と言った『嵐の使者』を聴き直す 
 
【テーマ論考】
・独裁者 「白い羊の群れ」を去った「一匹の黒い羊」 増田勇一 
・多様性 本質的に持っていたデパート的な体質 大鷹俊一
・初期作品 SHADES OF DEEP PURPLE ―紫の世界― 大貫憲章
・武道館 紫の伝説の〝暗部の生き証人〟として  和久井光司 
・歌詞 ギランの下ネタは何を“掘った”のか 山崎智之 
・オーケストラ ブリティッシュ・ロックとオーケストラの関係について 
          ―対極にありながらも最も相性のいい2つの音楽的形態― 岩本晃市郎 
・鍵盤 キーボード・ロック ―ジョン・ロードの場合― 巽孝之 
・プロデューサー 「専制政治」と「共和制」 御法川裕三 
・ブラック企業 ディープ・パープルはブラック企業か? 常見陽平 
 
【人物論】
ジョン・ロード論 クラシック的なものとロック的なもの 小沼純一 
リッチー・ブラックモア論 ガールフレンドから読み解くブラックモア史 御法川裕三
 
【インタヴュー】
・熊谷達也 あの熱視線を浴びていたら、小説を書こうと思わなかったかもしれない 
・適菜収 D層の研究?   
 
【論考・歴史と現在】
・現メンバーは〝選ばれし人材〟か 御法川裕三
・THE HISTORY OF DEEP PURPLE 舩曳将仁 
 
【関連アルバムセレクト30】
・メンバー絡みで特に聴いておくべき10枚
・〝パープル的〟を語るために欠かせない70年・80年代の10枚 
・時代を貫通するパープルの遺伝子、90年代以降の10枚 
  
【徹底解題レビュー】

内外の関係者インタビューや有識者の評論があり、メンバー考察、アルバムレビューと続くスキのない構成である。
当たり前だが全編モメ事話ではない。
ツェッペリンもそうだったが、わりとマジメにパープルという音楽集団を語る王道な編集だ。
アルバムレビューにも相当チカラが入っているし、ギランのインタビューも読み応えがある。
アオリが「独占インタビュー」ってのがダサすぎなんだが、編集側もわかっていてそう書いているのだろう。(本当か?)
さらにもうひとつのインタビュー記事はキース・エマーソンという意外な人選。
内容はキース独自のパープル論やジョン・ロード考察なのだが、実直な音楽論に終始している。

読んでいくとやっぱりあちこちにパープルとツェッペリンを対比させたり比較したりする表現が見つかる。
日本ではもう書き手も読者もリスナーも、ツェッペリンなしではパープルを分析できないのだ。
前回読んだツェッペリン本には、パープルの名前はそれほどには出てこなかったことからも、「パープルなしでも企画できるツェッペリン本」「ツェッペリンなしでは企画が通らないパープル本」という図式が版元側にほぼできあがっていることがわかる。

作家であり音楽活動も行う熊谷達也は、日本のCMで使われるのはツェッペリンよりもパープルのほうが圧倒的に多い点について、「どこか15秒を抜き出しても魅力が伝わるのがパープル、一曲通して聴いてこそ魅力が伝わるのがツェッペリン」と説いている。
実際にはCMにツェッペリンが使われにくいのはペイジが権利関係にうるさいなど他の理由もあるとは思うが、この解説は秀逸だと思う。
言われてみればその通り、の典型。

パープル特集本なので、音楽以外の話題で文章を建てているページも多い。
これはやはりツェッペリンよりもその傾向は強くなる。
良い悪いは別として、パープルってのはそういう見方もされる宿命のバンドだし、それが楽しくてこういう本を作ったり読んだりするんだよね。

しかしだ。
じゃあそういう音楽外ページはどの文章も爆笑なのかと言えば、正直そうでもない。
自分の趣味が極端にトラブルバトル因縁恩讐系に傾いているのがいけないのは承知の上で言うと、思ったより物足りない文章が多い。

「ディープ・パープルはブラック企業か?」なんてタイトルだけで大笑いしそうな感じだが、全体の1/3くらいはブラック企業の定義みたいなことが書いてあって、肝心のパープルにおけるブラック企業的考察は、これまで様々なメディアで語られてきた内容からはみ出すものではないと思った。

適菜収のインタビュー「D層の研究?」も、聞き手との話がいまひとつかみ合っておらず、さらに適菜収も「何も上から目線で『パープルなんてくだらない』と言いたいわけではない」などと言ってしまっていて、まさに語るに落ちた感じ。
しかも「パープルの本に載るなら少しはほめておかないと」などなぜか上からの発言もあり、この人やっぱりホントはあんましパープル好きじゃないんだろうな・・と思う。

「ロックを語る」という行為は、プロアマ問わず楽しいものだ。
そもそも自分自身が10年以上もBLOGでロックを(聴いてないけど)延々語るという馬鹿な行為を続けているくらいなので、プロのライターからすればそれはそれはチカラの入る仕事だろう。
中でもパープルは突出して「語りやすい」バンドである。
音楽や楽曲以外に、メンバーのキャラクターや伝説、バンドの抗争歴史などに「語りたくなる」エピソードが多いからだ。
なのでこの本もそれぞれの書き手がそれぞれの視点でやはり「語って」いる。

ただし、その語りが三流読み手である自分の感覚にスイングするかどうかは、読んでみないとわからない。
内容的にはとても興味深いものでも、「語り」のスタンスや切り口や文体や誤字など、いまいちのめりこめない要素があると、評価としては厳しいものになる。
自分はパープルも大して聴いてなかったくせにそういう点に過剰反応する面倒な読者なのである。

それでもこの本には今まで知らなかったパープル知識がそこかしこに登場していて、ためになる。
詳細はぜひ本書をお読みいただきたいのだが、たとえばキンクスの「You Really Got Me」の録音にはジョン・ロードも参加していたなど、オールドなパープルファンにとっては鉄板な話かもしれないが、自分は初めて知ったのだった。
なお「You Really Got Me」の録音にはペイジも参加したという話もあるらしいが、ペイジは否定してるそうです。

表紙は「In Rock」のジャケ絵を持ってきていて、これもパープル本の必須条件である「特有のダサさ」をがっちり備えたやっぱりな装丁。
表2(表紙の裏側)は現在のメンバー写真、表3(裏表紙の裏側)はステージに立つリッチーのシルエットである。
で、ここもやっぱり紫の1色刷りという避けようのない直球定型。
さらに目次までもが紫1色刷りでステキ。
編集側も読者も何も考えなくてもいい世界だと思います。

今さらだが、ツェッペリンはもうないが、パープルはまだある。
しかも現ギタリストのスティーブ・モーズが加入して20年以上経っており、在籍期間はリッチーよりもずっと長くなっている。
当然スティーブ加入後のパープルは全く別のバンドになっているのだろうが、この本でもネットでも、スティーブ・モーズの評価はかなり高い。
もちろんリッチーやジョンあってのパープルではあろうが、スティーブのパープルでのプレイも一度聴いておく必要がありそうだ。

ということで、文藝別冊「ディープ・パープル」。
失礼ながら期待が大きすぎてやや物足りなかったという感想になりました。
まあいい加減プロレス雑誌と同じ感覚でパープル本を読もうとする姿勢は改めたほうがいいのかもしれません。
と言いながらおそらく今後も、パープルのモメ事を求めてさまよい歩く自分の根性は治らないと思います。

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読んでみた 第44回 文藝別冊「レッド・ツェッペリン」

最近ジミー・ペイジ周辺の学習に意外とまじめに取り組んでいるSYUNJIといいます。
まあ学習と言ってもヤードバーズを聴いたり「炎帝」というレア盤を掘り起こしたりしてるだけですけど。
そんなペイジ検定必勝合格強化合宿中のある日、とある書物が視界に入ってきました。
それが文藝別冊「レッド・ツェッペリン」。

Zeppelin

河出書房新社の「KAWADE夢ムック」というシリーズなのだが、これまでにクイーンやジョン・レノンやポール・マッカートニーなどが出版されており、その最新刊である。
昨年「祭典の日」が公開されたこともあり、ペイジ周辺は相変わらずいろいろ騒がしいようだ。
そんなタイミングでの出版に、版元のしたたかな戦略を感じる。(知ったかぶり)

これまでツェッペリンに関する書籍や雑誌はいくつか読んだことがある。
もちろんどれも非常に面白くてためになる?本だったのですが、ロック・ミュージシャンに対する自分の最大の興味が「争い」「モメ事」「暴力」「いたずら」などの分野に向けられており、その範囲においてはパープル・ファミリーが圧倒的に他のミュージシャンやバンドをリードしているのだ。

ツェッペリンもモメ事や争いや蛮行と無縁な品行方正公務員バンドでなかったはずだが、そういう話は思ったほど東洋の小国には伝わってきていないように思う。
少なくとも書籍でもネットでも、そうしたモメ事レビューが多いのはやっぱりパープル(とそのファミリー)。
偏見だけど、ツェッペリンのファンは純粋に彼らの楽曲や創造性やデータやアイテムなんかを楽しむという傾向が強く、争いやらモメ事やらそういう下品な話題にあまりふれたくない意識があるんじゃないだろうか。(何言ってんだか)
というかミュージシャンの最大の興味ポイントをモメ事に置いてる自分が一番邪道なんだとはわかってますけど・・・
渋谷陽一がペイジの暴力沙汰を面白おかしく活字にしたりラジオで話したりする、ということもあまり想像できないし、実際そんなになかったんじゃないかと思う。
今回この本にはそんな彼らの闇の部分にも踏み込んだ記述があることを期待して読んでみました。

・・・・・読んでみた。

版元は河出書房新社、判型はA5、200ページ、1260円。

目次はこんな感じ。

■ジミー・ペイジの証言1
「ツェッペリン再結成の葛藤と決意」
 
■ジミー・ペイジの証言2
「ツェッペリン・サウンドを育んだレコード・コレクション」
 
■ツェッペリンのロック革命
・対談/伊藤政則×大貫憲章
 「唯一無二」の理由 伝説の正体 ? ツェッペリンは、なぜ特別か
 
・インタビュー1
 山本恭司 ZEPマジックの正体 バンドが現出するマジック
 
・インタビュー2
 土屋昌巳 バンドの音を死守 プレイヤーの熱情とプロデューサーの制御
 
・インタビュー3
 折田育造 レッド・ツェッペリン、日本上陸 レコード・リリース時の裏側と初来日時の噂の真相を語る
 
■ヒストリー
・レッド・ツェッペリン奇跡の足跡 高見展
 
■ロック史のなかのレッド・ツェッペリン
・セッション時代の全貌 小松崎健郎
・ツェッペリンとビートルズ 矢吹渉
・ツェッペリンとストーンズ 寺田正典
・ツェッペリンとジェフ・ベック・グループ 赤岩和美
・ツェッペリンとディープ・パープル 大鷹俊一
・ツェッペリンとブラック・サバス 平野和祥
 
■全アルバム徹底ガイド
・オリジナル・アルバム
・ベスト・アルバム
・ライブ・アルバム
・DVD
・ソロ作品

なお表紙はツェッペリン本といいながらやっぱりペイジ&プラント。
なんかちょっと宝塚っぽい絵だ。
チープ・トリックみたいなロコツな格差はないものの、ビジュアル的に考えると編集サイドとしてもやはりこの二人で行きましょうとなるんだろうね。
なお表4(裏表紙)は4人のいまいち地味な集合写真です。

中身のほうだが率直に言うと、ツェッペリンと言うテーマで編集するとこうなります、という基本的な方針からは特にはずれていない。
インタビューあり対談ありアルバムレビューありという構成は、この手の音楽情報書籍ではむしろ定番である。
なのでその中から自分がこれまで知らなかった話にいちいち驚いたり感動したり、というのが一般的な運用と思われる。(まわりくどい)

で、記事の中で突出して面白かったのは折田育造氏のインタビューである。
この人はレコード会社でツェッペリンを担当していて、来日公演の際に彼らに同行していた経歴を持つ。
なのでツェッペリンの音楽ではなく主に来日時の素行について語っているのだが、やっぱりいろいろな蛮行で苦労させられたようだ。

切り取って紹介すると誤解を招くとは思うが、折田氏によればペイジは「意地悪でオフステージはデタラメ」でボンゾは「人間的にはいいんだけど行いが最悪」、ジョーンジーも「一見いい人ぶってるけどクセ悪い」そうだ。
でもプラントのことは「大スターの雰囲気がある」という評価。
まあ4人とも素行においては全然まともじゃなく「聞きしにまさるひどさ」だったらしい。
いい話ですねぇ。

特にペイジは女グセが良くなく、京都の街を夜クルマで走っている時に、道行く女性を見て「あの女連れてこい」と命令したり、寝台車で逃げ出したグルーピーを追っかけて夜中にあちこちの寝台のカーテンをめくっては「どこに行った?」と探したりといったナイスなエピソードがたくさん出てくる。

コンサートの最中にボンゾとプラントがけんかになり、アンコールを待つ間ジョーンジーだけがステージに残ってキーボードでつなぎ、再び登場した時は二人のどっちかが流血していた、なんて話も書いてある。
この手のプロレスチックな話題はパープルではしょっちゅう聞くのだが、やはりツェッペリンにもあったんですね。

でもこの本でそういったファンクな話が書いてあるのはここだけ。
そういう意味でもやはりパープルとは音楽性も方向性も素行も違うバンドなのだ。
好みは別として、この本は基本的にはツェッペリンの真面目な学習教材的建て付けになっている。

ペイジのインタビューはどちらも貴重なものだとは思うが、ペイジの好きなレコードコレクション紹介については、自分のような素人は1枚も聴いてないので、共感できるものは何もないのが残念。
というかこのコレクション全部聴いてる人なんているのかなぁ?

お約束な企画ではあるが、他のバンドとの対比や関連を採り上げたコーナーも読み応えがある。
ジェフ・ベックとの関係やパープルとの対比については他の本でも読んだことがあったが、ビートルズやストーンズサバスとの関係については、それほど語られてこなかったのではないだろうか?
ビートルズとの関連性については、ポール・マッカートニーがペイジをかなり意識していたという有名な話があるが、一方でペイジはジョン・レノンに一度も会えなかったことを非常に悔やんでいたそうである。

ディープ・パープルとの対比については、この手の論評だと書き手の好みが記事内容に強く投影されすぎてしまうことが多いのだが、この本では比較的冷静に両者を分析している。
どちらがいいとか好きとかではなく、志向や方向性の違いを語る内容となっているので、若干物足りなさは感じるが、秀逸な構成だと思う。

さて自分はツェッペリンについては完全後追い世代なのだが、後期におけるプラントの声のヘタリは未だに残念に感じている。
前期の力強い声のまま、後期の名曲を歌ってもらったらもっと良かったのに・・といつも思うのだが、賛同してくれる方はあまりいない。
しかも。
ツェッペリン関連の本を読んでいても、後期におけるプラントの変声についてふれている文章には滅多に出会わない。
この本も例外ではなく、どの記事でもそんな話題はいっさい出てこない。
今さら採り上げたところでどうにかなるような話でもないし、そもそもそんなことにこだわって聴くヤツが浅はかだということだろうか・・・

というわけで、ページ数はやや少なく物足りなさはありますが、全体としては非常に楽しめる内容で良かったです。
ペイジは巻頭のインタビューでもジョーンジーやジェイソンとの共同作業で新曲も作ったことを明かしているので、その発表も楽しみに待ちたいと思います。

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読んでみた 第43回 YUCARI

今回読んでみたのは「YUCARI」。
「20代から40代の女性を主な読者層とするワンテーママガジン」だそうだ。

読んでみた」シリーズで女性誌を採り上げるのは初めてである。
そもそもこの雑誌、存在自体全く知らなかった。
胃腸の調子が相変わらず悪いため内科医院に行こうとして、長い待ち時間をつぶすためコンビニで適当に選んだのが「YUCARI」だった。

選んだ理由は680円というお手頃価格と100ページというお手頃なボリューム、あとは特集に「日本の庭」があったからだ。
女性誌だと気づいたのは家で公式サイトを見てからである。
当たり前だが特集がブライダルエステや足つぼダイエットや強力つけまつげだったら買ってない。

Yucari

創刊は2012年3月の隔月刊雑誌。
版元はマガジンハウスだが、「シダックスグループが特別協力するカルチャー誌」とある。
雑誌まるごと特別協力という形態はけっこうめずらしいんじゃないだろうか?
「毎号ひとつのテーマにしぼり、1 冊をとおして、日本の暮らしの中にある人と人との絆、おもてなし、文化、風習、地域のつながりなどを追求し、日本の魅力をお伝えしています。」とのこと。

日本の魅力を伝えるという趣旨と、シダックスという企業イメージがいまいち結びつかないんだが、そういう雑誌だそうです。
ちなみにシダックスが運営するレストランやカラオケ店には、この「YUCARI」の通常市販誌を抜粋した特別編集版がタダで置いてあるそうだ。

テーマはともかく、仕組みとしてはなんだか新しい試みのような雑誌である。
果たしてあたしはこの雑誌で日本の魅力に気づくことができるのでしょうか。

・・・・・読んでみた。

今回読んだのはVol.9、7月20日発売、680円。
テーマは前述のとおり「日本の庭」である。

目次はこんな感じ。

・特集 日本の庭
 重森三玲の世界
 どうしても見ておきたい名庭
・連載 私の日本遺産
・残しておきたい日本の風景
・深夜の10分料理
・ニッポン 習ってます!
・美しい和のふるまい
・今日の手習ひ

まずトータルなイメージとして非常にナチュラルで自然志向的なものが感じられる。
いわゆるファッションやゴシップ中心の女性誌とは全然趣が異なり、表紙やページデザインも「リンネル」とか「ku:nel」みたいな感じで生成っぽい雰囲気。
ただ書体やレイアウトに必要以上に凝ったものはなく、主義主張が前面に出まくりというような機関誌調の香りはない。

特集が「日本の庭」なので買ってみたのだが、これはなかなか面白い。
庭園の種類や石組などについてもわかりやすく解説しており、50ページ程度の特集なので入門編としては充分な内容である。
あまり細かいことはわからないのだが、実は寺の庭園や坪庭を眺めるのは嫌いではない。
京都にある有名な寺の庭はけっこう見てきたし、黒谷のように庭目当てで見に行ったりした寺もある。

巻頭は「重森三玲の世界」。
京都の東福寺の庭園を手がけたことで有名だが、他にも全国に作品の庭があり、どれも非常に印象的だ。
旧友琳会館は一度見てみたいと思うすごい庭園である。
表紙も重森三玲の作品である興禅寺庭園。

「どうしても見ておきたい名庭」として、以下の全国10の庭園を紹介している。
・毛越寺庭園
・西芳寺庭園
・天龍寺庭園
・龍安寺庭園
・大仙院庭園
・兼六園庭園
・修学院離宮庭園
・栗林公園庭園
・六義園
・桂離宮

数えてみたら自分が行ったことのある庭園は7つあった。
逆に言うと行ってない3つの庭園は西芳寺・修学院離宮・桂離宮で、これらは全て京都にある。
この3つに共通するのは見学に事前予約が必要な点だ。
当然申し込みが多い場合は希望の日時に見学できるとは限らない。
なので普通の庭園に比べてハードルが一段高いのだが、修学院離宮はいつか行ってみたいと思っている。

特集以外には日本の伝統や食べ物や場所などに関わるページがある。
どれも編集には気負いがなく、読みやすい。
広告のない機内誌という感じだろうか。
また本文には広告ページは全くない。
出版の仕組みが他の雑誌とは違うようなので、こういうことが可能なのだろう。

日本の伝統や習慣や文化を共有しましょうという全体のコンセプトはわかりやすく、体裁やレイアウトもその理念にそって作られており、まとまりのある編集だ。
「日本の伝統文化や、日本に古くから伝わる生活習慣の中から、これからの日本や日本で暮す私たちにとって大切な何かをみつけられる雑誌になりたい。日本に暮らしていてよかったと思える読後感を読者のみなさんと共有したい」というのが編集長の言葉だそうだ。

紙はどのページも光沢のないマットなものを使っているが、これもおそらく和の情報を表現することへの配慮だろう。
巻末にモノクロのページがあるが、完全なモノクロでなく、ヨモギというかウグイスというか、淡いグリーンを1色使っている。
この色の使い方も、雑誌全体のコンセプトにきちんと整合したものだ。

ということで、「YUCARI」。
偶然手に取ってみただけですけど、内容はかなりよかったです。
特に日本の伝統に強い興味を示すタイプの人間ではありませんが、今後も面白そうな特集が組まれればまた買ってみてもいいかなと思います。

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読んでみた 第42回 ウィッチンケア

今日読んでみたのは「ウィッチンケア」。
失礼ながら自分は手にとるまで存在を全く知りませんでした。
みなさまはご存じでしょうか?

「ウィッチンケア」はいわゆるリトルプレスのインディーズ文芸創作誌である。
自分が購入したのはvol.3、2012年4月1日発行、A5判190ページ、定価980円。
版元は「yoichijerry (よいちじぇりー)」という出版社。
ISBNもとっているので、流通にちゃんと乗っている書籍であり、ABC本店や蔦屋代官山店など指定の書店に行くと置いてあるそうだ。

Witchenkare_2

自分と「ウィッチンケア」の出会いは偶然の連続である。
昨年11月に奈良に紅葉を見に行き、宿がある梅田に戻る手前で中崎町というところに立ち寄った。
梅田のとなりなのだが、最近は小さな雑貨店やカフェなどが増えて若い人に人気の街である。
個人的な印象では、東京では根津や谷中が近い雰囲気だと感じる。

で、中崎町のリトルプレス専門書店「Books DANTARION」をたずね、そこでたまたま「ウィッチンケア」を手に取ったのである。
特に表紙や見出しにひかれたわけでもなく、目の前にあったから取っただけだった。
パラパラめくっていくと、書き手の中に見覚えのある名前を発見した。
自分ではなく妻の知り合いなのだが、ライターとして名の知られた人であり、自分も名前を覚えていたのだ。

妻に確認したらやはりその人だった。
「へぇーこんなところにも書いてるんだ。偶然だね」と言うので、じゃあ買っていこうかということになった。
ところがオカネを払っていると店の人から「この店は明後日で終わりなんですよ」と言われた。
えっそうなの?
じゃあもし自分が大阪に来るのが一週間遅かったら、ここでこの本を手に取ることはなかったんだ・・
せっかく来たのに明後日で終わりとは残念な話だったが、店に来て本が買えたのはよかったと思った。

家に帰ってから、実は「ウィッチンケア」のことは放置していた。
忘れたわけではなかったのだが、まあそのうちゆっくり読めばいいやと思っていたのだ。
ところが2月になって妻があのライターさんも含めた昔の知り合い達と会うと言う。
そうかい、じゃあその人の書いた文章だけでも読んでみるかな。
別に自分の直接の知り合いではないんで、自分が読んでも何か話がつながるというわけでもないんだが、読むきっかけになったのは確かだ。

妻はそのライターさんと会った時に、「ウチのだんなが大阪のリトルプレス書店で偶然あんたの名前を見つけて本買ってたよ」みたいな報告をしたそうだ。
ライターさん本人はたくさんの著書や寄稿がある人なのだが、その中から偶然手にした「ウィッチンケア」で自分に名前を見つけられたことはかなり驚きだったらしい。

ということで前置きが異常に長くて恐縮だけど、このような経緯で読むことになった「ウィッチンケア」。
ちなみに「ウィッチンケア」というタイトルは、「キッチンウェア」のKとWを入れ替えた造語とのこと。
果たしてどんな本なのでしょうか。

・・・・・読んでみた。

目次は以下のとおり。

006……中野 純/美しく暗い未来のために 
014……仲俣暁生/父という謎
020……久保憲司/僕と川崎さん
030……かとうちあき/台所まわりのこと
036……池本良介/Bearpark ?Prefab Sprout と私
044……小田島久恵/スピリチュアル元年
050……武田 徹/お茶ノ水と前衛
054……栗原裕一郎/あるイベントに引っ張り出されたがためにだいたい三日間で付け焼き刃した成果としての「BGMの歴史」
064……浅生ハルミン/あの子
074……多田洋一/きれいごとで語るのは
080……藤森陽子/4つあったら。
084……吉永嘉明/ブルー・ヘヴン
098……大西寿男/棟梁のこころ ─日本で木造住宅を建てる、ということ
108……我妻俊樹/たたずんだり
114……木村カナ/パンダはおそろしい
120……稲葉なおと/段ボール
128……澤 水月/怪談問わず語り
134……友田 聡/手前味噌にてございます
140……やまきひろみ/小さな亡骸
148……高橋宏文/ブルー・ナイルと出逢った人生
154……木村重樹/更新期の〝オルタナ〟
164……多田遠志/電話のお姉さん
186……参加者のプロフィール

感想。
・・・・・非常におもしろい!
文芸誌なんて全然読まない自分にとって、こんなことは滅多にないのだが、どの文章も作品も、非常に読みやすく楽しく、感動する。
もちろん中にはテーマが自分とは無縁の内容だったり難解な話だったりもあるにはあるが、トータルで考えた時に、この物量でさほど拒絶感を覚えなかったのは非常に珍しいことである。

20人くらいの書き手が、エッセイや小説や対談など思い思いの文章を寄せているのだが、自分が詳しくない分野(ほとんどそうだけど)でも、あまり「置いていかれた」感がない。
インディーズ文芸誌などと書いてあるから全然期待してなかったんだが、これはものすごい収穫である。
エッセイやインタビュー形式の記事はどれもおもしろいが、いくつか小説(ショートショート)もあり、これがまたどれも味わい深くいい作品だ。

ひとつ気づいたのだが、どうやら書き手に自分と同世代の人がわりといるようだ。
文章の中に年齢や世代の情報がはっきりとは書いていなくても、少し読んでいくとなぜか感覚的に「この人はたぶん歳が近いのでは?」と思えることが多く、実際プロフィールを見るとその通りだったりする。
このあたりの世代観の勝手な共有が、文章や書き手に対する親近感にもつながり、ストレスなく読み進むことができたんじゃないかとも思う。

200弱のページ数なのでどの文章もコンパクトで、この点も読みやすさにつながっている。
判型もA5で小さく、書籍や雑誌というよりブックレットな体裁なので、物理的に軽いというのもありがたい。

さてこの記事を書いている最中、さらに後日談があった。
くだんのライターさんにまた妻が会う機会があり、妻はご本人からvol.2をいただいてきた。
今回読んだVol.3は昨年発行で、vol.4は来月発行されるそうだ。
まだ読んでいないが、前後の号も楽しみである。

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