聴いてない 第254回 ザ・キュアー

80年代に本国で輝かしい実績を残しながら、なぜかその情報にほとんど触れることができず、結果的に取りこぼした心苦しい人々がいる。
調べてみてじわじわ判明しつつあるが、どうも大英帝国にその損失傾向が強いようで、前回のニュー・オーダーもそうだが、今回採り上げるザ・キュアーもまさにそんな事例である。

ザ・キュアー、1曲しか聴いておらず、聴いてない度は2。
聴いたのは89年の「Lovesong」だけ。
FMエアチェックではなく、MTVの音声からテープに録音している。
調べたら日本未発売だった。
やっぱりなぁ。

結局自分の場合、柏村武昭・東郷かおる子・小林克也のいずれからも紹介を受けていないこのパターンが、イギリスのミュージシャンに多いようなのだ。
あ、自分が勝手に「紹介を受けてない」と言ってるだけで、「サンスイ・ベストリクエスト」「ミュージックライフ」「ベストヒットUSA」ではちゃんと採り上げていた可能性もありますけど。
当然バンド名とこの曲以外に情報は持っておらず、そのまま30年経過してしまった。
プロモ・ビデオの映像も全く覚えていない。

仕方なく半期末の決算報告作成のようにけだるくキュアー調査開始。
ところが。
これまたウィキペディア日本語版が驚くほど詳しく充実している。
いろいろ聴いてないアーチストの略歴をウィキペディア日本語版で調べてきたが、ザ・キュアーはその中でも突出して情報量が多い。
ありがたいけど、読むのも大変だ。
バカ大学生の適当卒論みたいに抜粋要約コピペすると以下の通り。

冒頭から衝撃だが、「ザ・キュアー (The Cure) は、1978年に結成されたイングランド・クローリー出身のロックバンド」とある。
70年代末にはすでに登場してたんですね・・
しかも歴史が第1期から9期までパープル並みに刻まれている。
さらにアルバムは13枚、シングルが44曲もあるという大量生産バンド。
イメージしてたのとかなり違う・・

で、やっぱり前身バンド名「イージー・キュアー」も書いてある。
「イージー・キュアーを母体として」とあるので、キュアーになった時点で誰か抜けたのだろう。
結成時メンバーは以下のみなさんである。
・ロバート・スミス(Vo・G)
・マイケル・デンプシー(B)
・ローレンス・トルハースト(D・K)

1979年にシングル「Killing An Arab」でデビュー。
翌年には早くもメンバー交代で2期開始。
どうもキュアーってバンドはこんな調子で小刻みにメンバーチェンジを繰り返してるようだ。
ファンの方なら全部暗記してるんでしょうか。

また驚くのはロバート・スミスがスージー・アンド・ザ・バンシーズとキュアーを掛け持ちしていた、という話。
ゲスト参加ってのはよく聞くが、掛け持ちはそんな簡単ではないだろう。
当然体にこたえたロバートさんは、結局働き方改革によりキュアーに活動を絞ったそうですけど。
なおスージー・アンド・ザ・バンシーズは名前だけ知ってて1曲も聴いてない。

で、2期キュアーは忙しいながらも「Seventeen Seconds」「Faith(信仰)」「Pornography」といったアルバムを発表。
これらは「概念三部作」とか「暗黒三部作」などと呼ばれ、厭世観に満ちた重い雰囲気の作品のようだ。

3期のキュアーはポール・トンプソン、アンディ・アンダーソン、フィル・ソーナリーが加入し、アルバム「The Top」を発表。
直後に初来日し、中野サンプラザと大阪サンケイホールで公演。

4期がザ・キュアーの黄金期とされる。
メンバーはロバート、ポール、サイモン・ギャラップ、ボリス・ウィリアムス、ロジャー・オドネル。
87年に7枚目のアルバム「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」をリリース。
これが初期の暗ーい音楽とは全く違い、非常に多面的でバラエティに富んだ名作と評価が高く、彼らをワールドクラスのバンドに変えた作品らしい。

しかしロバート・スミスという人はそんなに簡単な人じゃなかったようで、次の作品「Disintegration」で儲かり路線から再び内省的どんより路線に戻してしまった。
自分が唯一聴いた「Lovesong」もこのアルバムに収録されているが、確かに明るく楽しくな曲ではない。
レコード会社は発表をやめるよう説得したそうだが、「Disintegration」はアメリカでも人気が出てセールスは300万枚を記録。
事務所や会社は手のひらを返して大喜びし、ツアースケジュールを組みまくり、メンバーの疲労がたまっていく。

でも90年代に入っても意外に?キュアーは快進撃。
ギターのペリー・バモンテ加入で5期を迎え、アルバム「Wish」で全英チャート1位・全米2位という彼らの最高位を記録。
・・・すいません、こんな名盤なのにタイトルもジャケットも全く知らない・・

いずれにしても、このあたりの展開は自分みたいな極東の素人には非常にわかりにくい。
アルバムごとに雰囲気がユラユラ変わるバンドってのはあまり人気が安定しないような気がするが、陰鬱でじめじめな作品でも売れたってのはどういうことだろう?
アメリカで売れたってのはグランジ・オルタナブームに少し関係があるんだろうか?

6期はかなりハデにメンバーチェンジ。
ポール・トンプソンとボリス・ウィリアムスは脱退、ロジャー・オドネルが復帰、ジェイソン・クーパーが加入。
96年に通算10枚目の記念すべきアルバム「Wild Mood Swings」を発表するが、残念ながらあんまし売れずロバートは徐々に混乱。
2000年の「Bloodflowers」リリースと同時に解散宣言するが、こっちは佳作として評価されて意外にいい売れ行きだったので解散は回避。
その後2003年にアルバム「Pornography」「Disintegration」「Bloodflowers」の全曲を演奏したライブDVD「Trilogy」を、翌04年にはスタジオ盤「The Cure」を発表する。

バンドはいつの間にか8期に突入。
相変わらずメンバーの出入りは激しく、ロジャー・オドネルとペリー・バモンテが脱退、ポール・トンプソンが復帰して4人編成となる。
しつこいけど、ファンは期とメンバーを全部暗記してるんでしょうか。
2007年には久しぶりに来日し、フジ・ロック・フェスティバルに登場。
翌年にはアルバム「4:13 Dream」が発売された。

2011年から12年にかけてまたメンツが入れ替わり、現在第9期とのこと。
現メンバーはロバート・スミス、リーブス・ガブレルス、ロジャー・オドネル、サイモン・ギャラップ、ジェイソン・クーパーの5人・・で合ってますかね?
2013年には再びフジ・ロックのステージに立ち、2019年にはロックの殿堂入りを果たす。
今年も日本に来てフジ・ロックに出演。
「Lovesong」も含め2時間の演奏を披露したとのこと。

あああ長い。
こんなにもメンバーチェンジの激しいパープルチックなバンドだったんスね・・
しかも今も現役でフジロックの常連にもなりつつあるという驚きの活躍ぶり。
毎度のことながら何もかもが知らない話である。

「Lovesong」だが、明るくはないけどそんなに重苦しい曲ではなく、リズムは軽快でキーボードの音が結構いい感じである。
80年代のa-haやデュランにも少し似ていると思う。
これだけ多作バンドなんで、この1曲だけでキュアーを評価判断するのはやはり無謀だろう。

ということで、ザ・キュアー。
今回はほとんどよそのサイトの情報の引き写しに終始してしまいましたが、驚愕の連続でした。
やはり売れ筋と言われる「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」「Wish」あたりから始めて、慣れてきたら「Lovesong」を頼りに「Disintegration」を試す・・・というのが、自分のための更生プログラムのように思えるのですが、他におすすめのアルバムはありますでしょうか?

 

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聴いてない 第252回 ロビー・デュプリー

子供の頃は「オトナの音楽だから」と解釈してあまり聴こうともしなかったAOR。
年齢だけはアダルトどころかシニアの領域にさしかかりつつあるものの、結局全然聴いてないAOR。
そんなAORの世界に燦然と輝く?アーチスト、ロビー・デュプリー。

イントロからグダグダですけど、台本どおりロビー・デュプリー、聴いてはおりません。
ただ今回はむしろこんな偏差値の低い自分でも2曲聴いてることをむしろ自慢したい気分。
聴いたのは「Steal Away(ふたりだけの夜)」、「Hot Rod Hearts」。
意外でもなんでもなく、当時のヒット曲を柏村武昭が紹介し、従順にエアチェックしただけ。
聴いてない度は3。

で、名前とアルバムジャケットの薄暗い顔とこの2曲以外に持ってる情報は一切ない。
曲の感じからなんとなくAORにくくられる人だろうなくらいにとらえていたが、これはおおむね当たっていそうだ。
AORファンの方であれば押さえていて当然の歌手・・なのだろうか。
まずは略歴を調査します。

・・・と意気込んだものの、心の友ウィキペディアは日本語版がない。
日本だとそんな扱いなの?
聴いてもいないくせに不満をもらしつつ、他のサイトやBLOGで学習続行。

ロビー・デュプリーは1946年ニューヨーク州ブルックリンに生まれる。
AORの人というくくりは間違いではないようだが、元々はR&Bの人だったようで、70年代には他のメンバー全員が黒人というバンドで活動していたらしい。
また多くのサイトでブルー・アイド・ソウルという形容がなされている。

で、70年代初めにザ・バンドトッド・ラングレンらと交流・・といくつかのサイトに書いてあるが、ザ・バンドとトッド以外に誰と交流があったのかは不明。
英語版ウィキペディアにはザ・バンドやトッド・ラングレンの名前もない。
どれも聴いてないのでよくわからないけど、ザ・バンドやトッドはAORとも雰囲気は違うように思いますが・・・

その後西海岸に拠点を移し、80年にアルバム「Robbie Dupree」でデビュー。
シングル「Steal Away(ふたりだけの夜)」が全米チャート6位、「Hot Rod Hearts」は15位を記録。
ということは、いちおう自分もデビュー当時に聴いたことになる。
本人も認めているが、人生初の大ヒットの時にすでに33歳になっており、当時の米歌謡界では遅咲きの人だった。
あとシングル「Steal Away」は確かに全米6位の大ヒットだが、アルバムは最高51位と意外な成績。
トップ20のシングル曲を2つ収録しながら、アルバムは50位以内には入らなかった・・というアメリカ音楽界の厳しさを物語る結果となっている。
理由はよくわかりませんけど。

翌81年にはほぼ同じスタッフのもとで2作目アルバム「Street Corner Heroes」を発表。
しかし残念ながら前作ほどには売れず、シングル「Brooklyn Girls」も全米54位といまひとつ振るわず。

その6年後にアルバム「Carried Away」、93年「Walking On Water(傷心の街)」、95年「Smoke and Mirrors」をリリースするが、商業的にはほとんど話題にならなかった。
なお「Walking On Water」にはナイル・ロジャースがギターで参加してる曲があるそうだ。
えっそうなの?
いやーだったらギターだけでなくプロデュースもお願いしたらよかったのに・・と思いました。
なんでもロビーとナイルは昔バンド仲間だったそうだが、ロビーは話題作りや売上のためだけに旧友ナイル・ロジャースの力を借りることはしなかったらしい。
98年にはライブアルバム「All Night Long」を発表。

意外・・と言っては失礼かもしれないけど、ロビー・デュプリーは何度か来日してライブも行っており、2004年に渋谷Duo、2008年と2011年には丸の内コットン・クラブで歌っている。
2008年のライブでは、新作アルバム「Time and Tide」をまるごと全部歌うという大胆なステージを披露したとのこと。

2012年にはカバー集EP「Arc of a Romance」を発表。
フラミンゴスやアイズレー・ブラザーズ、プリファブ・スプラウトなどをカバーしている。
その後もヒット曲は出ないもののマイペースで活動中。
昨年デビューとセカンドアルバムがそれぞれ本国で再発され、ボーナストラックとして「Steal Away」「Hot Rod Heart」を含む4曲がスペイン語バージョンで収録されているそうだ。
こういう企画、ファンにとってはたまらない、のだろうか?

当然だが、今回も全く知らない話だらけ。
聴いてた「Steal Away」「Hot Rod Heart」はどちらも悪くはなかったが、アルバムを借りて聴こうという心境には至らず。
ちなみに「Steal Away」と同時にエアチェックしたのがアリ・トムソンの「Take A Little Rhythm(恋はリズムに乗って)」である。
たぶん二人の間に交流はない(と思う)。

さて多くのサイトに書いてある話として、「Steal Away」はドゥービー・ブラザーズの「What A Fool Believes」のパクリ、というのがある。
まあ確かに両方聴けばリズムは同じだし、音も似てるとは思う。
ただそれぞれ書かれてるニュアンスや事情が少しずつ違っていて、「似ている」「パクリ」だけでなく「ドゥービー側からクレーム」「裁判沙汰」などの楽しそうな話もあれば、「ドゥービー側のスタッフがロビーのアレンジにも参加」とか「マイケル・マクドナルドもコーラスで参加」などの記述もあった。
全部総合するとなんかつじつまが合わない気もするけど、真相はいかに?

で、いろいろ調べていくとどうやらカギとなりそうな存在は「クラッキン」のようだ。
クラッキンはニューヨーク郊外のウッドストックで結成された白人黒人混合のブルーアイドソウルグループ。
ロビー・デュプリーはウッドストック時代からクラッキンのメンバーとつき合いがあり、クラッキンが西海岸へ活動拠点を移すと、ロビーも彼らの後を追って西海岸へ移動。

クラッキンはドゥービー・ブラザーズのツアーで前座を務めたりしながら、4枚のアルバムを発表するもののあまり売れず解散。
ただメンバーは解散後も西海岸で様々な活動を続け、ロビー・デュプリーのデビューのために協力する。
主力メンバーだったリック・チューダコフとピーター・バネッタは、ロビーのデビューアルバムのプロデュースを担当。
「Steal Away」はロビーとリックの共作で、アレンジにはこれまた元クラッキンのレスター・エイブラムスが参加。
なるほど・・・
おそらくはこのファミリーを含むクラッキンのメンバー参加が、ロビー・デュプリーの音をドゥービー寄りにした要因と言えそうだ。
意図的にそうしたのか、やってるうちになんか似ちゃったのかはわからないですけど。

というわけで、謎のAOR住人ロビー・デュプリー。
デビューアルバムが必修であることは間違いなさそうですが、他の作品でもおすすめがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてない 第251回 ジーザス・ジョーンズ

今日のお題はジーザス・ジョーンズ。
もはや流れとか何もなく、ただひたすら聴いてない音楽を脈絡もなく振り回すだけのパンクなBLOGになってますけど(なってない)、どうせ誰も読んでないので構わず振り回すよ。

キレてるわりにはジーザス・ジョーンズ、全く聴いてません。
1曲も知らないので、聴いてない度は安心の1。
厳密にはある曲のワンフレーズだけ記憶に残っていて、今回調べたらそれは「Right Here, Right Now」の「I was alive and I waited waited」という部分であった。
たまたまMTVか何かでこの曲が流れていて、なぜかそこだけ覚えているという状態。
なのでフルコーラスで聴いた曲はない。

ジーザス・ジョーンズの名前をなんで知ってるのかもよくわからないが、漫画の中に出てきたのをうっすらとだが覚えている。
誰の何という漫画なのか忘れたので調べたら「ツルモク独身寮」でした。
確か普段はマジメな寮長が突然新人歓迎会でいきなり「JESUS JONES!!」と叫んでギターを手に歌いだす・・という、そんなシーンだった。
なので曲もメンバーも全然知らないけどたぶん若い人に人気のバンド、という表層部分だけすくい取って脳みそに貼りつけておいたレベル。
相変わらずエラくもなんともない。 

本当に当時のナウいヤングに人気があったのかを確かめるべく、さらに薄い学習を敢行。

ジーザス・ジョーンズは、80年代終盤に登場したイギリスのバンドである。
初めて知った・・・アメリカの人たちじゃないんですね。
ボーカルのマイク・エドワーズを中心に、ジェリー・デ・ボルグ (G)、イアン・ベイカー (K)、アラン・ヤワルスキー (B)、ジェン (D)の5人で結成され、1989年にデビュー。

ハウス・テクノ・ヒップホップ・ロックといった要素を基盤としたデジタルサウンドと、メッセージ性の強い歌詞、ハデなビジュアルなどが支持され、91年に発表した2作目のアルバム「Doubt」が全英チャートで初登場1位の大ヒット。
シングル「Real Real Real」も全英19位・全米4位を記録。

自分が少しだけ聴いた「Right Here, Right Now」は全英37位だが全米では2位まで上昇したそうだ。
なおこの頃になるとビルボードでもチャートのジャンルが細分化されてきて、全米2位とは「ポップ・チャート」で2位、ということだが、「オルタナティブ・チャート」では堂々の1位を記録している。
・・・オルタナのチャートってのはなじみがないので、どれくらいスゴイことなのかよくわからないですけど、とにかくヒットしたそうです。(雑)

しかし。
ジーザス・ジョーンズは早くも転換期を迎える。
93年のアルバム「Perverse」は、よりデジタルサウンドに傾倒した戦略が裏目に出て、ビルボードでも最高59位と営業的には後退する。
この不振についてはあちこちのサイトでほぼ同じ分析がなされており、「ブリットポップの台頭に負けた」というのが共通した見解のようだ。
この頃のイギリスではオアシスブラーといったストレートでどこか古臭いけどシンプルなサウンドが好まれており、その時流に乗り切れなかったジーザス・ジョーンズのデジタルサウンドは支持されなくなった、ということらしい。
本国イギリスの事情はなんとなくそうかもという気はするけど、アメリカでも受けなくなったんですかね?

その後98年にマイクの幼なじみでもあったジェンが脱退し、入れ替わりにトニー・アーシーが加入。
ただしこのメンバーチェンジ以降のジーザス・ジョーンズはそれほど目立った実績はなく、ベスト盤やライブ盤は出たが、スタジオアルバムは2001年の「London」くらいだった。

で、2014年になってやっぱりジェンがバンドに復帰。
クラウドファンディングでキャンペーンを行い新しいアルバム制作の準備を行うという今風な展開を見せ、晴れて2018年4月20日に17年ぶりのスタジオ盤「Passages」をリリースした。

以上がジーザス・ジョーンズの簡単な略歴である。
知ってた話はひとつもない。
ジーザス・ジョーンズを語るサイトやBLOGにアルバムのジャケットが貼ってあったりするが、なんとなく見覚えのある絵はいくつかあった。
それだけです。

さて。
毎度聴く前からヘタレな話だが、ハウス・テクノ・ヒップホップ・オルタナという何一つなじみのないジャンルが並んでいるところに高い難易度を感じてしまう。
こんなの自分みたいな素人が聴いて平気でしょうか?(知らねーよ)

自分が部分的に聴いた「Right Here, Right Now」は、歌詞にボブ・ディランが出てくるそうだ。
「but Bob Dylan didn't have this to sing about you.」という歌詞があり、訳すると「ボブ・ディランはお前について歌うことはもうなかった」となるようだが、何を言っているのかはよくわからない。
訳詞全体を見るとなんとなく70年代っぽい主張のように感じる。

というわけで、ジーザス・ジョーンズ。
これはもう学習カリキュラムとしてアルバム「Doubt」が必修でしょうね。
大ヒット曲「Real Real Real」や「Right Here, Right Now」を含めてまずはこのアルバムを確認して、他の作品にも拡張していく・・というのが正しい人の道と思われますが、他のおすすめアルバムやエピソードなど教えていただけるとありがたいです。

 

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聴いてみた 第151回 ブルース・スプリングスティーン

「いい歳してあれほどの名盤を実は聴いてないんです」を白状しつつ聴く機会を恵んでもらう、という志の低いコンセプトがウチのBLOGの根幹ですけど、今回はまさにその決定版。
今さら誰にも言えないブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」を聴いてみました。(遅い)

ブルース・スプリングスティーンは全然聴いてこなかったわけでもないのだが、70年代の名盤学習は完全に怠っている。
セールス的にはNo.1の「Born In The U.S.A.」と、「Human Touch」「The Ghost of Tom Joad」を中途半端に聴き、その後ベスト盤を買ってしまったのでそれで満足してしまい、今に至る。
好きな曲ももちろんあるが、こんなBLOGを続けていながらなぜかストーンズイーグルスのように学習意欲は盛り上がらず、焦燥感も劣等感もさほどないまま惰性加齢。
業を煮やした?モンスリー師匠から直々に行政指導処分を受け、今回の鑑賞となった次第。(長い言い訳)

Born-to-run

「明日なき暴走」は75年の作品。
アルバムとしては3作目で、全米3位・全英17位を記録。
日本では52位が最高となっているが、それもなんとなく意外。
もっと上位に食い込んでたのかと思っていたが・・・

このアルバムを作るにあたってボスは、後世に残る非常に有名な「ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌いたかった」という発言を残している。
そんな想いで完成したアルバムだが、果たして本当にロイ・オービソンのように歌えたのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Thunder Road(涙のサンダー・ロード)
この曲はベスト盤やライブ音源で聴いている。
あらためて聴くとかなりいろいろな楽器の音がしており、コーラスワークも仕込まれてけっこう複雑な構成。
スタジオ盤でもライブみたいに聞こえるのが不思議だ。

2.Tenth Avenue Freeze-Out(凍てついた十番街)
前の曲に比べてシンプルなサウンド。
どこかジャズっぽい感じだと思ったら、参加しているミュージシャンもジャズの人たちとのこと。
80年代の邦楽にもこんな雰囲気の曲があったような・・と思わせるような曲。

3.Night(夜に叫ぶ)
「Thunder Road」をややスピードアップさせたような曲。
いい感じ・・と思って聴いていると終わってしまい、かなり短い。

4.Backstreets(裏通り)
イントロは壮大なピアノで始まる。
低めのキーで歌い、サビはシャウト。
この叫びと演奏は若干騒々しい印象。

5.Born To Run(明日なき暴走)
この名曲もベスト盤で何度も聴いている。
イントロが勇壮で冒険映画のオープニングのようだ。
聴きどころの多い曲だが、楽器で言えば主役でないキーボードが効果的に使われていると思う。
力強いけど決して満たされてもいない、傷ついて擦り減ってはいるけど希望は捨てていないといった歌詞はボスの世界観そのものである。(知ったかぶり)
なので邦題は内容にちょっと合っていない、という指摘があちこちのサイトに書いてあったが、まあそうですね。
明日もないほど暴走してんのかというと、そこまでヤケクソでもないような・・

6.She's The One(彼女でなけりゃ)
この曲は初めて聴いた。
だん・だん・だん・だんだんという少し変わったリズム、時々入るボスの「ハッ!」という掛け声?が独特。
でも中盤以降は叫んだりサックスが響いたりという定番の味付け。

7.Meeting Across The River
ピアノを基調としたシンプルな演奏。
遠くにトランペットが聞こえ、ボスがゆるやかに歌う。
あまり盛り上がることなく、叫ぶこともなく静かに終わる。

8.Jungleland
ラストは9分半の大作。
「Thunder Road」や「Born To Run」をもっと大げさにしたような楽曲で、3分過ぎあたりのギターが意外だけど感動的。
この後少しテンポを落としサックスがうなる間奏が続く。
6分あたりでいったんピアノを残して全員引き上げ、沈静。
ストリングスをバックに詩を朗読するようにボスが歌い、最後に雄叫び。
感動巨編映画をダイジェストで見るような、秀逸な構成である。

聴き終えた。
知っていた曲もいくつかあり、どのサウンドもおおむね想定範囲内でイメージどおりの展開である。
ただし曲ごとのメリハリや曲の中での強弱は思ったよりもはっきりしている。
すんごく暗いとかムダに重いといった曲はなく、変な評価だが安心して聴ける。

バックはEストリート・バンドが務めているが、楽器の音はかなり重厚だと思う。
なんとなく「演奏はシンプルで、ボーカルのパワーで引っ張るシンガー」というのが勝手なイメージだったのだが、70年代からすでに多彩なサウンドと個性的なボーカルを組み合わせていたようだ。
ただ冒頭に挙げた名言のように「ロイ・オービソンのように歌えた」のかはわからない。

このアルバムは夜をテーマにしているそうだ。
やり場のない怒り、出口の見えない苦しさなどを夜の闇にたとえ、かすかに見える(かもしれない)光や希望に向かって走り出す若者・・を歌っているとのこと。
このアルバムに限らずボスが作る曲・歌う歌はだいたいこの路線だと思う。
「さあみんなで希望に向かって走り出そうよ」ではなく、「しょうがないだろ!走り出すしかないんだ」という感じ。
この臨場感満載の等身大な呼びかけに、アメリカの若者は共感するのだと思われる。(知ったかぶり)

さて。
ではこの名盤、感想としてはどうなのかというと、まだよくわからない。(バカなの?)
・・・まあ苦手とか好みでないといった感想を述べるには勇気のいる歌手だと思うが、「すごい!感動した!次も聴く!」といった若い情動?がそれほど起こらないのだった。
拒絶感や敗北感は全くないので、もっと繰り返し聴いていけば変わってくるかもしれない。
どの名盤でもそうなんだけど、もっと若いうちに聴いておけばよかったと毎回つくづく思う。

ブルース・スプリングスティーンという人は、曲によってかなり歌い方を変えてくるシンガーだと思っている。
初めて聴いたのは「Hungry Heart」だが、後からいろいろ他の曲を聴いていくとこの曲ではかなり高いキーで歌っていることがわかった。
全編叫びっぱなしな「Born In The U.S.A.」と、終始地味な「Nebraska」では声のトーンが全然違う。
その歌い方にそれほど明確な好みの差はないが、どちらかというと静かな歌声のほうが好きなようだ。
そういう意味では、このアルバムにももう少しおだやかなバラードがあってもよかったかもしれない。

ジャケットはギターを背負い誰かの肩に寄りかかって笑うボスの姿。
寄りかかられた人は誰かというと、サックスを担当したクラレンス・クレモンズ。
ボスの作品の中では好きなジャケットである。
なお「明日なき暴走」は2015年にリマスター盤が再発されており、最近も発売40周年を記念してボスが公式サイトでコメントしているそうなので、本人も気に入っているアルバムなのだろう。

というわけで、「明日なき暴走」。
感想としては非常に中途半端ではありますが、聴けてよかったです。
まだその良さを語れるレベルにありませんが、名盤と呼ばれる理由も少しだけわかったような気がします。
70年代の未聴アルバムはまだありますので、速やかに聴いていこうと思います。

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聴いてない 第250回 ゲイリー・ニューマン

アジアで二番目に貧弱なBLOGの最劣等シリーズを15年半続けてようやくたどり着いた250回。
今回は記念すべき250回目にふさわしいアーチストをお呼びしました。
皆さま拍手でお迎えください、ゲイリー・ニューマンです。(場内大歓声)

ゲイリー・ニューマン、1曲しか聴いてません。
「お前みたいなヤツがよく1曲聴いてたな」と感心されそうですが、その通りです。
79年のシングル「Complex」だけ聴いている。
聴いたのは80年になってからで、当時最先端の一流FM音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音。

しかしその後FMでゲイリー・ニューマンを録音できたことは一度もない。
出会いは非常に古いがその後の交流は一切なく、この曲以外に情報も全くない。
ゲイリーという外国人を最初に覚えたのは、ゲイリー・ムーアでもゲイリー・オブライトでもなくニューマンさんなのだった。
雑誌でもゲイリー・ニューマンの記事を見た記憶はないし、チャートに頻出してたとも思えないので、コアな歌手なんだろうなと思って調べてみたら、今回も驚愕の連続でした。

ゲイリー・ニューマンは本名ゲイリー・アンソニー・ジェイムズ・ウェブという長い名前。
1958年ロンドンで生まれ、77年にはチューブウェイ・アーミーというバンドを結成。
78年レコードデビューし、バンドと同名のパンク系ライブアルバム「Tubeway Army」を発表。
翌年には当時流行のテクノサウンドを採り入れたスタジオアルバム「Replicas」をリリース。

この時の展開が少しわかりにくいが、バンド名義でセカンドアルバムは出したけど実質はゲイリーのソロだったらしい。
じゃあ他のメンバーのみなさんはどうしたのと思ったら、ゲイリーのバックバンドと化し、以降は演奏はするもののバンド名が表に出ることはなくなったそうです。
ゲイリーだけが突出した才能を持ってたということだろうか。

その才能を振りかざすべく、ゲイリー・ニューマンは同じ79年に最初のソロ作品「The Pleasure Principle(邦題「エレクトリック・ショック」)を発表。
サウンドはシンセサイザーをふんだんに使用した先鋭的な音に進化しており、全英1位を記録。
ええ~??そうなの?
これに自分が聴いた「Complex」が収録されているが、この曲も実は全英6位。
ええ~??そうなの?

・・・すいません、何度も驚いてしまい恐縮ですけど、まさかそんなに売れた曲だったとは・・
柏村武昭も大ヒットの予感ゆえのオンエアだったのだろうか。

その後の活動もびっくり仰天(死語)な実績。
80年の彼の作品、ちょっと見てください。
ウィキペディア丸写しで申し訳ないが、こんなことになっていた。
 テレコン (Telekon 1980年)
 ダンス (Dance 1981年)
 アイ・アサシン (I,Assassin 1982年)
 ウォーリアーズ (Warriors 1983年)
 バーサーカー (Berserker 1984年)
 ザ・フューリー (The Fury 1985年)
 ストレンジ・チャーム (Strange Charm 1986年)
 メタル・リズム (Metal Rhythm 1988年)
 オートマティック (Automatic 1989年)

80年代の10年間で9枚ものアルバムを残している。
発表しなかったのは87年だけ。
ええ~??そうなの?(しつこい)
まさに「逆ボストン」みたいな勢いである。

ただセールスとしては81年の「Dance」あたりから下降しており、イギリス本国ではなんとかチャートインはしてたようだが、日本では話題になることもほとんどなくなったらしい。
なおその「Dance」にはジャパンのミック・カーンやロブ・ディーン、クイーンのロジャー・テイラーが参加しているそうだ。

ちなみに80年には来日公演も行われている。
場所は日本武道館や中野サンプラザと書いてあるサイトもあったが、渋谷公会堂が正しいようだ。

90年代に入ってもゲイリーの創作意欲はそれほど変わることなく、毎年のようにアルバムを発表。
こうした活動が同業者からはリスペクトされていたようで、フー・ファイターズやマリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズなどがゲイリーの作品をカバーしたり、トリビュート盤が作られたりしている。

21世紀に入るとゲイリーには次々に子供が生まれ、親になることのプレッシャーから精神的にダメージを負い、2年ほど治療した経験も持つ。
2009年にはかつての大ヒットアルバム「Pleasure Principle」の発売30周年記念盤が発売された。

その後も精力的に活動を続けており、最新作は2017年の「Savage (Songs From A Broken World)」。
前作からは4年ぶり、通算22作目(!)。
ゲイリーによればこのアルバムは「トランプ大統領へのリアクションとして作った作品」だそうだ。
初めはそういうつもりはなかったらしいが、曲を書いている時にトランプが登場し、特にトランプの地球温暖化についての発言や行動には賛成できないものがあり、そうした思いがこのアルバムのテーマになっていったとのこと。

毎度のことながら何一つ知らない話であった。
特に驚いたのは英国での実績が非常に輝かしいものであり、また多作であること。
そして音楽活動が意欲的で評価も高いこと。
そんなスゴイ人だったんですね・・
全然知らなかった・・

ネットでゲイリー・ニューマンを調べると、必ず名前が出てくるのがジョン・フォックスである。
ジョン・フォックスのことを「一番影響を受けた、師と仰ぐミュージシャン」と公言もしており、そもそも最初にバンド結成したのも、ウルトラボックスクラフトワークなどに影響を受けてのことだったそうだ。
ジョン・フォックスもウルトラボックスも全く聴いてないので、この情報は自分にとっては思い当たるものが何もない・・(いつものこと)

唯一聴いている「Complex」だが、決して明るく楽しくチャラい産業ロックではない。
ニューロマとプログレを混ぜたような、どっちかっつうとやや暗めで物憂いサウンドで、サビもなくどんよりと進行する変わった感じの曲である。
ゲイリーの声もどこか無機質で粘性の高いセメダインみたいなボーカル。
これ生声なんですかね?
今回歌詞を初めて見たが、やはり楽しい内容ではなく、絶望的な悲しみを短い言葉でじめじめと綴っている。
これがイギリスでは6位を記録するヒット曲なんスね・・

ちなみに「Complex」と同時に録音したのはバグルスの「ラジオスターの悲劇」やケニー・ロジャース「弱虫トミー」といった日本人にもなじみの深いヒット曲であった。
これらにはさまれて録音できてしまったので、その後も消さずに長年聴いていただけで、能動的なゲイリー・ニューマン鑑賞をしてきたわけではない。(よくあるパターン)

この曲の印象だけでずうっと内向的なスタジオ志向の人見知り芸人なのかと勝手に想像していたが、最近のインタビューで「最も興奮するのはステージの上」「ツアーで世界を旅することが大好き」などと発言している。
実は非常にアクティブで体育会系のパワーアーチストのようだ。

というわけで、ゲイリー・ニューマン。
驚愕の連続の割にはあまり鑑賞意欲もわいていませんが、こんな初心者でも聴きやすいアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてみた 第150回 フェイセズ その2

今日聴いてみたのはフェイセズ「Long Player」。
1971年発表で、全英31位・全米29位を記録した、フェイセズとしては2枚目のアルバム。

フェイセズ結成の経緯をおさらい。
まずスモール・フェイセズからスティーブ・マリオットがハンブル・パイを結成するため脱退。
残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの3人が呆然としていたところに、ジェフ・ベック・グループ解散後のロン・ウッドが気まぐれに参加。
一方同じくJBG出身のロッド・スチュワートはソロでやっていくことを決意してソロアルバムも出したが、これが思ったほど売れず暇をもてあまし、ロンに誘われてスモール・フェイセズのレコーディングに来てみたらそのままボーカルとして採用されたという、案外適当なフェイセズのスタート。

バンドは1970年3月に最初のアルバム「First Step」をリリース。
イギリスではフェイセズとしての発表だったが、アメリカではまだスモール・フェイセズのほうが通りがよかったため、スモール・フェイセズ名義となっている。
その半年後にはロッドがまたもソロアルバム「Gasoline Alley」を発表。
フェイセズのメンバーも参加しており、この頃はソロとバンドの間をわりとみなさん自由に行き来していたようだ。
さらにその半年後に出たのが、今回聴いたフェイセズとしての「Long Player」である。

Long-player

アルバムタイトル「Long Player」はLPレコードの意味だそうだが、「それはわかってますけど」というタイトル。
当時発売されるアルバムレコードはフェイセズ以外もみーんな「Long Player」だったはずで、「だから正式なタイトルは何なんだよ」とファンは思ったんじゃないだろうか?
何か意味や意図があってのタイトルかな?
なおジャケットは2枚のボール紙をミシンで縫い合わせるという凝った造りだったそうだ。

前回聴いた「馬の耳に念仏」で、フェイセズは自分にとって信頼と実績のバンドだと確信したので、今回も不安材料は全然ない。
世界最強のB級ガレージバンドなんて評価もあるようだが、あの楽曲とロッドのボーカルがあれば大概は大丈夫なはずだ。
ふんぞり返って聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1. Bad 'N' Ruin
オープニングはイアンとロッドの共作で軽快なロック。
ロッドのボーカルが相変わらず魅力全開だが、後半の間奏部分でそれぞれの楽器も主張しあう。
うまいかどうかはよくわからないが、ノリは非常によい。
ラストはテンポを落として終わる。

2. Tell Everyone
前の曲のエンディングから続くようなスローバラード。
ここまでの2曲がアルバムのハイライトと評する人も多いようだ。
ロッドの味わい深いボーカルの見本のような曲だが、後半に登場するキーボードが意外にいい感じ。
ロニー・レーンの作品だが、本人は歌っていない(と思う)。

3. Sweet Lady Mary
引き続きフォークっぽいバラード。
6分近くあって結構長い。
右のオルガンと左のアコースティックギターが不思議な調和を奏で、ロッドのざらつくボーカルが乗る。
ドラムは出てこない。
どこかで聴いたような音だが、たぶんこの路線は後のロッドのソロ「Sailing」「Maggie May」につながっている気がする。

4. Richmond
なんとなくストーンズっぽいカントリー調のサウンド。
ここでようやくロニー・レーンが歌う。
この人の声はやはりジョージ・ハリスンに似ている。
いい曲だし、ジョージっぽい頼りなさげなボーカルも悪くないが、もしロッドが歌ってたらやはり相当引っ張られてさらに名曲になっていただろう。

5. Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)
ポール・マッカートニーの作品がなぜかこんなところでライブで登場。
意外な選曲に少し戸惑う。
これポール本人もライブで歌ったことないんじゃないだろうか?
初めはロニーのボーカル。
続いて楽器のボリュームも上がったところでロッドが歌い、中盤は二人で声を合わせる。
ロッドはところどころ音をはずしており、ちゃんと聴けばロニーのほうが歌がうまいんだが、魅力的かどうかといえばやはりロッドにはかなわない。
ポールの歌とはまた違った、聴きどころの多い曲。

6. Had Me A Real Good Time
LPではB面がこの曲でスタート。
A面にはないブルージーなロックで、ロッドが本領発揮。
ロニーとロッドとロン・ウッド、バンドの「3R」共作。
これも後の「Hot Legs」なんかにつながっていく名曲だと思う。
後半からサックスやトランペットも加わりファンク度がアップしている。
なおサックスはボビー・キーズ、トランペットはハリー・バケットという人が担当。

7. On The Beach
ボーカルはロニーだと思うが、ややまとまりのない異質なサウンド。
ブルースを軸にフォークのように比較的おだやかに進行するが、楽器も声もあえて調和を少し乱しているようなイメージ。

8. I Feel So Good
この曲もライブで、ニューヨークでのコンサートが音源とのこと。
前半はわりとふつうに進行するが、中盤で臨場感あふれるロッドと観客の掛け合いがあり、後半はそれぞれのパートが目いっぱい主張し合う。
ロックバンドのライブの見本のような構成。

9. Jerusalem(エルサレム)
エンディングはロン・ウッドによるインスト。
原曲は讃美歌でイギリスでは「第二の国歌」と言われており、ELPも「恐怖の頭脳改革」で1曲目に収録している。
2分弱しかなく、ラストにしては少し物足りない。

聴き終えた。
全体的な印象としては、バラエティ豊かなアルバムである。
ロック・ブルース・フォークといった当時の音楽シーンを基軸に、ライブやインストも収録。
ポール・マッカートニーのカバーをライブでという意外なチョイスは誰の発案なのかわからないが、曲の良さをさらに引き出した秀逸なライブである。
「馬の耳に念仏」よりも散漫な感じもしないではないが、ロッドもロニーもそれぞれの得意な曲で歌っているように思う。
このアルバム制作時点ではまだグループは安定していたのだろう。

フェイセズのサウンドに慣れたせいか、ロニーの頼りないボーカルもそれほど気にならなかった。
ロッドの突出した個性に対してはもちろん分が悪いが、ロニーの声もバンドの顔である。
「馬の耳に念仏」同様、やはりロッド在籍時のジェフ・ベック・グループよりもいいと感じる。

少しずつわかってきたのだが、フェイセズはツェッペリンやパープルといった突き抜けたギタリスト・ボーカリストを擁するバンドとは少し違うようだ。
ロッド・スチュワートという突き抜けたボーカルは確かにいるが、ロバート・プラントやイアン・ギランのような金属系ボーカリストではない。

ロッドは変わった声なので「個性的」という評価になるのだが、ミック・ジャガーのように力で押し通すような歌い方はしておらず、基本は楽しくやろうぜ的なガヤ系バンドだと思う。
簡単に言うと「毒のないバンド」である。
ツェッペリンなんてそもそもメンバー全員毒キノコだし、ストーンズもパープルもフグっぽい人が多く混ぜると危険な毒だらけだ。
で、このフェイセズの毒のなさ、聴いてみるとかなり心地よいのだ。
残念ながらバンドとしては長続きはしなかったようだが・・・

というわけで、「Long Player」。
これもかなりよかったです。
フェイセズのスタジオ盤はあと2枚残っていますので、早いうちに聴いておこうと思います。

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聴いてない 第249回 キム・カーンズ

80年代に全米各地でキラキラな輝きを放ったアーチストはたくさんいるが、日本での人気や知名度が全く見当もつかない人というのも多い。
今回採り上げるキム・カーンズも、自分にとってまさにそんな存在。
キラー・カーンのほうがまだ多少は知っている。(←スベっている)

キム・カーンズ、聴いてない度は3。
実は2曲聴いているという自分にしては上出来の実績。
81年の大ヒット曲「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」と、85年の「Crazy In The Night」を聴いている。
アルバム「Mistaken Identity(私の中のドラマ)」は姉が貸しレコード屋で借りてたような気がするが、自分は聴いていない。
その後USAフォー・アフリカにも参加して順調に活躍するのかと思ったが、以降の足取りは全く不明。
いえ、自分が知らないだけですけど。

ということで大ヒットから40年近く経過した今も、上記以外の情報は何一つ持ち合わせていない。
それ以前にそもそもベティ・デイビスって誰?というレベル。
このままでは何も知らないまま人生が終わりそうなので(お約束)、キム・カーンズについて人生初の調査開始。

キム・カーンズは1945年ロサンゼルス生まれ。
60年代後半には地元のクラブで歌手として活動を始め、66年頃に西海岸のフォークグループ「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」に加入。
このグループにはジョン・デンバーケニー・ロジャースもいたそうだ。

72年にフォークやカントリー系の歌手としてソロ・デビュー。
長い下積みを経て、80年にキムが作曲したケニー・ロジャースとのデュエット「Don't Fall In Love With The Dreamer(荒野に消えた愛)」が全米4位の大ヒットとなる。
さらにスモーキー・ロビンソンのカバー「More Love」も全米10位の大ヒット。

・・・このあたりで軽い衝撃。
80年で全米4位とか10位って、時期的にはすでにリアルタイムではあったはずだけど全く知らない・・
日本でもヒットしてたんでしょうか?
これは柏村武昭からは教わらなかった。
オンエアを聴き逃した可能性も高いですが・・

さて。
翌1981年のキム・カーンズの活躍がどれほどすごかったのかを検証。
「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」は全米チャートで9週間1位。(全英は10位)
1981年度のビルボード年間チャートでも第1位、1980年代全体でも第2位。
アルバム「Mistaken Identity」ももちろん全米1位を獲得。(全英26位)
こんだけすんごい成績だったら当然だが、82年のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞をがっちりと受賞。

大ヒットの熱気が続く中、82年にアルバム「Voyeur(愛と幻の世界)」、翌年「Cafe Racers」を発表するが、前作を超えるヒットにはならなかった。
その後、ケニー・ロジャースとジェームズ・イングラムとともに歌った「What About Me」は全米15位を記録。
85年のアルバム「Barking At Airplanes」は久々のヒットとなったが、このアルバムに自分が聴いた「Crazy In The Night」(全米15位)が収録されている。
なので苦労はそれなりにあれど、「ベティ・デイビスの瞳」で当てた一発屋という評価は正しくはないようだ。

前述のとおりキム・カーンズはUSAフォー・アフリカの「We Are The World」にも参加している。
ボーカル・リレーの後半でヒューイ・ルイス、シンディ・ローパーと組んで歌っているが、キムのソロパートは「When we・・」しかなく、ヒューイやシンディといった濃すぎるメンバーと一緒にされたことであのハスキーボイスもやや割を食った感じだった。

実績から言うとこの85年がターニングポイントのようだ。
86年、キム・カーンズは本来のジャンルともいうべきカントリーのテイストを濃くしたアルバム「Light House」を発表するが、売上は全く振るわず惨敗。
88年に再度カントリーな「View From The House」をリリース。
しかしカントリー・チャート以外ではやっぱりヒットもせず、レコード会社から契約終了を告げられる。

その後の活動はかなり地味なものとなる。
91年にはなぜか日本のテイチクからアルバムを1枚発表している。
さらになぜか松田聖子のカバーアルバムで1曲「Hold Me」をカバー。
2004年にはインディーズ・レーベルからカントリーのセルフカバー・アルバム「Chasin' Wild Trains'」をリリース。
以降はテネシー州ナッシュビルを拠点に活動を続けていたが、話題になることはほとんどなかったようだ。

まさにアメリカン・ドリームそのものな経歴だが、多くのサイトに書かれているとおり、「ベティ・デイビスの瞳」はキム・カーンズの曲の中では突出して「変わっている」曲のようだ。
本来はフォークやカントリーのシンガーだったそうだが、少なくともこの曲のサウンドはどちらでもない。
朝とか草原とか山並みとか牧場といったのどかな田舎イメージとは全く別の世界で、個人的には当時の深夜のテレビで流れているような雰囲気と感じる。
銀座じゅわいよ・くちゅーるマキとかスーザン・アントンとかハンターレコードとかヤタガイとかロンドングループとか、そんなイメージ。(伝わらない)

その「ベティ・デイビスの瞳」だが、オリジナルは1974年にジャッキー・デ・シャノンという人がドナ・ワイスとの共作で自身のアルバム「New Arrangement」に収録した曲とのこと。
ジャッキー・デ・シャノンは「Needles and Pins」「When You Walk In The Room」「Put A Little Love In Your Heart」などのヒット曲を持つ女性歌手で、ビートルズが初めてアメリカ・ツアーを行った時にオープニング・アクトを務めたそうだ。

キム・カーンズに「ベティ・デイビスの瞳」を歌わせたのは、長くキムの活動を支えてきたヴァル・ギャレイというエンジニアで、それまでのキムの音楽ともオリジナルの「ベティ・デイビスの瞳」とも全く異なるアレンジを試み、それが全米1位の大ヒットにつながったという出来すぎでミラクルひかるなストーリー。
サウンドは聴いてのとおり80年代そのもののキラキラシャラシャラなシンセ音。
時々入る「ばんばん!」というビンタ音もインパクト充分で、これにキムのガサっぽいボーカルが乗っかり、独特の世界観を構築したのだ。(全部受け売り)

「ベティ・デイビスの瞳」で商業的には大成功をおさめたはずだが、フォークやカントリーではない音楽での大ヒットに、キム・カーンズ自身が一番戸惑ったのだろう。
その後やっぱり本来のテリトリーであるカントリーに戻っているが、キム本人はあまりチャート・アクションなんかもう気にしてなかったんじゃないだろうか。

なおそもそもベティ・デイビスとは何者なのかも全然知らなかったので、こちらの宿題もあらためて調査。
ウィキペディア日本語版では「キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優で、尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた」などと書いてある。
個性的な顔立ちと幅広い演技で人気だったそうだが、特に悪女・悪い役を演じた時の評価が高く、これが「ベティ・デイビスの瞳」の歌詞にも表れているようだ。
この曲には他にもジーン・ハーロウやグレタ・ガルボといった女優の名前が出てくるので、このあたりの知識や情報を備えていないと、歌詞の意味や表現を的確に評価できないと思われる。

さて聴いてるもう1曲の「Crazy In The Night」も印象としては80年代キラキラのスパンコール・サウンドだ。
「ベティ・デイビスの瞳」に比べて情感は少し抑え目だが、イントロに「ごつ・ごつ・ごつ・ごつ!」という近づいてくる(たぶん)男の足音、「ごんごん!」とドアを乱暴にノックする音、キムの「Who is it?(誰?)」というセリフがあり、その後で演奏が始まるといった演出がある。
これがなかなか印象的で面白く、記憶に残る曲である。
ただこれ以降キム・カーンズの曲をエアチェックしたことは一度もなく、アルバム鑑賞にも発展しなかった。

というわけで、キム・カーンズ。
アルバムを聴くとしたら当然「私の中のドラマ」は必修でしょうけど、「Barking At Airplanes」やカントリー作品にもわずかに興味はあります。
皆様の鑑賞履歴はどのような感じでしょうか?

 

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聴いてない 第248回 ブラック

80年代に産業ロックにかぶれて中途半端に洋楽を聴きあさり、結果としてこれだけの「聴いてない」アーチストを量産してきたのだが、当時と今で決定的に異なるのは、当然だがネットの存在である。
90年代後半あたりからパソコン通信という手段が出現してはいたが、そこで自分がしていたのは「洋楽なんでも相談」であった。
「○○というアーチストについて教えてください」「○○の86年のヒット曲名の原題は××で合ってますか」という、今のYahoo!知恵袋みたいなことを厚かましくやっていたのだ。
自分の低レベルな質問に多くの方が親切に答えてくれていた。
今もこの図式のままBLOG続けてますけど・・

21世紀に入ると、そうした「洋楽調べもの」において画期的なサービスが登場する。
それはGoogleをはじめとする検索サイト、そしてYou Tubeに代表される動画サイトである。
この二つによって、それまで自分が長年知りたかった洋楽の情報が、能動的に入手可能となったのだ。
もちろん今も使用しているBLOGというフォーマットと、ネットの向こうに存在する「洋楽に詳しい親切な方々」が、自分の音楽鑑賞人生を支えていることは言うまでもない。

一方で、疑問の発生から情報の発見までのプロセスと時間が飛躍的に簡略短縮された現在、事実確認によって衝撃を受けるケースもわりと多い。
自分の場合、そもそものレベルが低いので「えっそうなの?」ということが多発するだけなんでしょうけど。

前置き長くなりましたけど、今日ご紹介したいブラックも、まさにそういう状態。
先に書くが、今回の衝撃は以下の2つだ。
1.実はスタート時はグループだった
2.実はもう亡くなっている

ブラック、聴いたのはメジャーデビュー曲にして最大のヒット作「Wonderful Life」だけ。
聴いてない度は2。
日本じゃ一発屋という扱いも多いらしいので、自分と同じ状態の人はそれなりにいるんじゃないだろうか。

あらためて謎のシンガー、ブラックについて迅速拙速に調査。
ブラックの正体は、リバプール出身のコリン・ヴァーンコム。
特に本名にはブラックとは付いていないし、なんでブラックなのかはよくわからない。
やってる音楽もブラック・ミュージックではないようだし、コリン自身は白人である。
たぶんサバスリッチーにあこがれたのかもしれない。(適当)

で、ブラックは3人組としてスタートしたグループだったが、デビューする前に2人が抜けてコリンのソロプロジェクトとなり、コリンはそのままブラックを名乗ってデビュー。
自分は「Wonderful Life」をMTVで聴いた(観た)ので、歌ってる人がどうやら1人だけというのは知っていた。
なので「もともとはグループ」というのは全然知らなかったのだ。
まあデビュー時点でソロなんで、ソロシンガーでいいんでしょうけど。

87年のシングル「Wonderful Life」は全英8位を記録した大ヒットだが、実はメジャーデビュー前の85年と、デビュー後の94年と通算3度もリリースされており、いずれもトップ100に入るという快挙?を成し遂げた名曲とのこと。
日本でもサントリーのオールド・フォレスターというウィスキーのCMに使われたそうだ。
同名のアルバムも全英3位を記録。
来日公演もあったそうです。

しかし残念ながら以降はデビュー作を超える実績を一度も残していない。
各アルバムの最高位は88年「Comedy」が全英32位、91年「Black」が42位で、93年の「Are We Having Fun Yet?」に至っては100位にも届いていない。
99年と2001年にはコリン・ヴァーンコムとしてアルバムを発表したが、いずれも100位圏外という結果に終わる。
なお97年から2000年にかけてベスト盤が3枚ほど出ていて、これらは評判がよいらしい。
2002年には全英ツアーも行ったが、05年に再びブラックに戻り活動再開・・といっても中身はコリンさんで変わらないですけど。

その後はコリン・ヴァーンコムとブラックの間を行き来しながら地味に活動を継続。
たぶん日本では話題になることもあまりなかったのではないかと思われる。

で、今回調べていて実はブラックはすでに亡くなっていたことを知る。
2016年1月にアイルランドで自動車事故にあい昏睡状態となり、2週間後に53歳で死去。
そうだったのか・・
事故死とはあまりにもむごい最期だが、本人はワンダフルなライフだったのだろうか。

「Wonderful Life」しか聴いてないので何も語れないのだが、この曲は嫌いではない。
「素晴らしい人生」を連呼するわりにちっとも楽しそうじゃないメロディ、終始鳴り続けるスティール・パン?の音、とぼとぼ歩くようなけだるいリズム、高いキーだがハリのない歌声・・といった特徴が印象的。
プロモ・ビデオの映像はほとんど覚えていない。

あたらめて歌詞を見たが、いまいち何を言いたいのかはわからない。
基本は「逃げる必要も隠れる必要もない、泣いたり笑ったりも不要な素晴らしい人生」という歌詞なので、じゃあいいじゃんと言いたいところだが、まあ逆説的というか皮肉っぽいヤケクソな心境を投影しているのだろう。
少なくとも「オレ様の素晴らしい人生」を強調するようなイケイケ人生賛歌ではない。
もしそうだったらこのメロディにはならないよね。

ちなみに続けて録音したのがチープ・トリックの「Ghost Town」なのだが、この2曲は偶然にもリズムがほとんど同じなのだった。(どうでもいい情報)

というわけで、ブラック。
聴くとしたら当然デビューアルバムからで、その後ベスト盤を経て他のアルバムにもアプローチしていく、というのが正しい学習姿勢でしょうか。
かなりコアなアーチストだと思うのですが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

 

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聴いてない 第247回 ルパート・ホルムズ

これまで繰り返し述べてきたとおり、自分が主に柏村武昭の指導で洋楽を幅広く聴き始めたのは79年からなのだが、その79年に全米1位の大ヒットを飛ばしたのがルパート・ホルムズである。
大ヒット曲とは言わずと知れた「Escape(The Pina Colada Song)」。
40年(!)経過した今でもたまにFMでかかることがある、名曲である。
でも、たぶん曲のほうが知名度が高く、世間では一発屋とされてることも多いのではないかと思われる。

ルパート・ホルムズ、全米1位以外のキャリアについてはほとんど知らず、実は顔もよく知らない。
そもそもルパート・ホルムズという当時の表記も発音に忠実ではなく、途中からルパート・ホームズに変わったことも覚えている。
たぶんHolmesの綴りに釣られたんでしょうね。
ホルメスにしなかっただけでもよかったとは思うけど。
適切でないことは承知の上で、やはりホルムズのほうがしっくりくるので、今回の表記もホルムズとします。

そのルパート・ホルムズ、一応「Him」「Morning Man」も聴いている。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度は異例の3。
「Morning Man」は80年の作品だが、発売当時AMラジオの深夜放送でもコマーシャルが流れていた。
全米1位という快挙の翌年だったので、レコード会社もまだ気合を込めてプロモーションしていたのだろう。
残念ながらこの曲は最高68位に終わったそうだが・・・

全米1位から記念すべき40周年をむかえ、あらためてルパート・ホルムズについて調査。

ルパート・ホルムズは1947年イギリスに生まれ、ニューヨークで育つ。
60年代後半に作曲家となり、アレンジやプロデュース業でも活動。
「71年に初のヒットを飛ばす」・・っていくつかのサイトに書いてあるが、ソロデビューは74年。
あれ・・?
じゃあ71年の初ヒット曲って何?バンド?提供曲?

謎の初ヒット曲はよくわからないまま、取り急ぎアルバム「Widescreen」でソロデビュー。
その後バーブラ・ストライサンドに気に入られ、バーブラの75年発表のアルバム「Lazy Afternoon」をプロデュース。
またバリー・マニロウへの楽曲提供やプロデュースなども手がける。

自身のブレイクは79年に発表したアルバム「Partners In Crime(邦題:共犯者)」。
このアルバムからシングルカットされた「「Escape(The Pina Colada Song)」が全米1位を記録。
「Him」も全米6位と大ヒットし、一躍スターの座とありあまるおこづかい(たぶん)を獲得した。
ちなみにシングルはもう1曲「Answering Machine」があり、全米32位。

勢いに乗ったルパートは翌80年にアルバム「Adventure」をリリース、返す刀で世界歌謡祭で歌うため来日も果たす。
「Adventure」は自分の聴いた「Morning Man」も収録された渾身の作品だったが、前述のとおりセールスとしては振るわず前作よりも大幅に後退した形となった。
81年に「Full Circle」を発表するが、その後歌手としての活動はほぼ停止。
ミュージカルの音楽担当など裏方の仕事を主軸に活動し、トニー賞も受賞。

シンガーとしての作品発表は10年以上経過してからとなる。
94年にアルバム「Scenario(シナリオ)」を発表するが、オリジナルアルバムはこれ以降出ておらず、企画盤やベスト盤のみが発売されている。
ということでアルバムは10枚くらい発表しているようだが、今日本で全て手に入れることは難しいのかな?

やはりどれも知らない話ばかりであった。
世界歌謡祭にも来てたんスね。
本人に聞いてみないことには何もわからないけど、実は華やかな表舞台で喝采浴びるよりも、大スターを支える裏方のほうが性に合ってる人なのかもしれない。
思いがけない大ヒットに一番困惑してしまったのがルパート・ホルムズ自身だったりするのだろうか。

さて「Escape」がヒットした理由は、サウンドよりも歌詞の内容にある、と言っていいと思う。
今ネットで検索しても歌詞の内容にふれた文章が多く見つかるし、独自に和訳している人も多い。
当時日本語だけはまあまあ話せる極東の低偏差値学生だった自分でも、この曲の歌詞の大意情報を仕入れることはできていた。
雑誌に和訳が書いてあったり、ラジオ番組でも意味を説明したりしていたからだ。
日本でも歌詞の意味を理解して聴いてほしいとレコード会社側が思ったのだろうか?
いずれにしても「ザッパ&マザースのライブに行ったらどっかのバカが火を放ち、湖上の煙~火の粉がパチパチ~」とか「ママが教えた動き方だよ!汗をかいて気持ちいい!ああ僕の赤ちゃん!」とか、「実は大したことを歌っていない」という数ある洋楽の名曲とは一線を画す名作なのだ。(適当かつ乱暴)

副題でもあり歌詞にも出てくる「ピニャ・コラーダ」とは、ラムとココナッツミルクとパイナップルジュースを合わせたカクテルの名前とのこと。
ともあれアダルトな雰囲気の充満する、しっかりオチまでついた物語は、日本のアホウな子供であった自分にとっても興味深いものだった。
学校でも洋楽好きな先輩(女子)と「いい曲だね」「でも出来すぎだね」などと語り合った記憶がある。

ただしそこまで盛り上がっていながら、ほぼその時だけの流行で終わってしまい、アルバムを聴いたりしたことはなかった。
録音できた3曲はいずれも嫌いではなかったので、その後も柏村武昭が紹介さえしてくれたらきっとアルバムも聴いていたと思う。(毎回人のせい)

というわけで、ルパート・ホルムズ。
チャラい産業ロックとは少し違う、AORを中心に聴いてきた方々に支持されるアーチストだという予感はありますけど、果たしてどうなのでしょうか?
入手可能なおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてない 第246回 ボニー・レイット

聴いてない女性ボーカリストシリーズ、メイヤに続きボニー・レイット。
意外すぎるチョイスですが、ご安心ください、全然聴いておりません。
聴いているのは89年の「You Got It」だけ。
従って聴いてない度は2。

そもそもこの曲を聴くまでは、名前もぼんやり知っていた程度。
聴いた後も知識は全く増えてないのでぼんやり度も何ら変わりませんが。
80年代にこの人の曲をエアチェックしたり雑誌で記事を読んだりしたことはない。
キャリアは非常に長いようだが、我が国での知名度はどれくらいなのか見当もつかない。

というわけでスマートスピーカーに向かって「ボニー・レイットとは?」と話しかけたら、以下のような答えが返ってきた。
・・・というのは嘘だけど、たぶんこのくらいのことはもう実現してるんだろうね。

ボニー・レイットは1949年11月8日、カリフォルニア州バーバンクに生まれた。
1971年、ワーナー・ブラザーズと契約しデビューアルバム「Bonnie Raitt」を発表する。
ゲストにブルース・プレーヤーのジュニア・ウェルズ、サックスのA.C. リードが参加し、ロバート・ジョンソンやトミー・ジョンソンなどのデルタ・ブルースの名曲をカバーするという大胆なデビュー。
事務所やレコード会社の期待の大きさがうかがえるが、セールスとしてはそれほどには伸びなかったらしい。

続く72年にセカンドアルバム「Give It Up」をリリース。
ジョン・ホール、ポール・バターフィールド、エリック・カズなどが参加しており、このアルバムをボニー・レイットの代表作と評する人も多いようだ。

以降ほぼ毎年のようにアルバムを出し続け、86年の「Nine Lives」までワーナーから9枚アルバムをリリース。
しかしながらどれも残念ながら大ヒットには及ばなかった。
この70年代後半から80年代半ばまでは、セールスや作品の方向性をめぐってレコード会社との摩擦や対立が続き、徐々に活動は停滞していったようだ。
9枚もアルバム出せてたんだから順調だったのかと思ったら、いろいろ苦労もあったらしい。

ウィキペディア日本語版では日本公演は78年しか書いていない。
他のミュージシャンとの競演で日本に来たりしたこともないのだろうか?
レコード会社も事務所もあまり日本をマーケットとして重視していないということか?

あちこちのサイトに書いてあるが、ボニー・レイットの最大の転機はそのレコード会社の移籍とともにやって来たそうだ。
ワーナーとの契約を解除し(され?)、ボニーはアルコール中毒になり活動は休止。
3年ほどのリハビリ期間を経てキャピトルに移籍したら状況が一変。
プロデューサーにドン・ウォズを迎え、ゲストとしてデビッド・クロスビーやグラハム・ナッシュ、ハービー・ハンコックらが参加した89年のアルバム「Nick of Time」で初めて全米1位を記録し、グラミー賞も3部門で獲得。

・・・そうなの?全然知らなかった・・・
89年というと個人的にはかなり微妙な時期で、FM雑誌を買ったりエアチェックしたりはもうやめていて、全米チャートも真剣に追ったりはしていなかった。
なのでボニー・レイットがこの年に本国ではむやみに売れていた、という情報は仕入れることができなかったと思われる。
ちなみにこの「Nick of Time」は、シングルは特に売れたわけでもないけどアルバムとしてがっちり売れた、とのこと。
タイトルは「間一髪」という意味だそうだ。

この後は91年「Luck of the Draw」で全米2位、94年「Longing in Their Hearts(心の絆)」が全米1位と、キャピトルの偉い人を喜ばせる好調な売り上げが続く。
95年にはブライアン・アダムスジャクソン・ブラウン、ルース・ブラウン、ブルース・ホーンスビーなどが参加した初の2枚組ライブ盤「Road Tested」を発表。

2000年にはロックの殿堂入りを果たす。
キャピトルとの契約は2006年のライブ盤「Bonnie Raitt and Friends」まで続いた。
このライブではノラ・ジョーンズ、ベン・ハーパー、アリソン・クラウスなどとの競演が見られるそうだ。

今年で70歳となるが、現在も精力的に活動中。
昨年もジェイムス・テイラー&ヒズ・オールスター・バンドとともに北米やイギリスなどでコンサートを行い、今年もロサンゼルスやタルサなどアメリカ各都市をツアーで巡っている。

ということで毎度ながら全て初めて知る話ばかりであった。
少しずつわかってきたが、この人を表現するキーワードとして「ブルース」「スライドギター」「カバー」があるようだ。

音楽基盤はブルースにあり、少なくとも産業ロックの住人ではないだろう。
柏村武昭からは教わらなかったし、小林克也が紹介してた記憶もない。
またスライドギターについても子供の頃に自宅の庭で、ローウェル・ジョージとライ・クーダーの3人でスライドギターを弾いたりしていたそうなので、「弾ける歌手」ではなく「歌えるギタリスト」で全然いいくらいのキャリアと腕前とのこと。
自作曲も歌うが、他の人の作品をカバーしたり、曲を提供してもらうのも好きなようで、全曲自作のアルバムはないそうだ。
(逆に全曲他作アルバムはある)

自分が聴いた「You Got It」、調べて初めて知ったが、ロイ・オービソンの曲だそうだ。
しかも発表された直後にロイは亡くなったので、彼の遺作である。
(厳密にはロイとトム・ペティ、ジェフ・リンの共作)
この曲をボニー・レイットが歌い、それが95年の映画「ボーイズ・オン・ザ・サイド」で使われ、全米第33位を記録したとのこと。
自分はMTVの音声をテープに録音しており、ギターを抱えて楽しそうに弾き語るボニー・レイットの姿をかすかに記憶している。
サウンドは合いの手のようにどんどん!と鳴るドラムが印象的で、言われてみると確かにジェフ・リンが好きそうな音のような気がする。(知ったかぶり)

というわけで、ボニー・レイット。
そもそもブルースも得意ではないような素人の自分に聴けるような感じがあまりしないのですが、日本ではどれくらい売れてたんでしょうか?
皆様の鑑賞履歴について教えていただけたらと思います。

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