聴いてない 第229回 ハノイ・ロックス

北欧フィンランドからムーミンとともにやってきた元祖ビジュアル系?バンド、ハノイ・ロックス。
全然聴いておらず、フィンランド出身というのも実は今回調べて初めて知った。
ハノイなんて地名が付いてるので、アジア系アメリカ人がいるのかと勝手に思っていたが、バンド名はクスリの愛称に由来するそうです。
別の候補としてこれもクスリの名前で「チャイニーズ・ロックス」というのもあったらしい。

そんな北欧薬学部バンド、ハノイ・ロックス。
82年の「Motorvatin'(炎のドライビン)」だけ柏村武昭の紹介で聴いており、聴いてない度は2。
以降「サンスイ・ベストリクエスト」でハノイ・ロックスをエアチェックできたことはなく、おそらく柏村武昭の趣味ではなかったと思われる。

エアチェックより前からミュージックライフには時々登場していたので、バンドとマイケル・モンローの名は知ってはいた。
「炎のドライビン」はハードロックではあるが金属的なサウンドではなく、キッスをもっと若い感じにしたガヤ系のノリの曲である。
悪くはないが特に好みというわけでもなく、前後に別の曲を合わせて録音したため消さずにいたという扱い。

ハノイ・ロックスを語る上で必ず登場するのがモトリー・クルーのヴィンス・ニールだ。
モトリーを採り上げた時に調べたので、彼らの因縁については少し知っている。
あらためてその因縁も含めたハノイ・ロックスの歴史をひもといてみよう。

バンドは1980年フィンランドの首都ヘルシンキで結成。
マイケル・モンローとアンディ・マッコイが中心メンバーだが、最初はマイケルとギターのナスティ・スーサイドがスウェーデンで5人組バンドを結成し、少しあとでアンディが加入してハノイ・ロックスとなったそうだ。

1981年にシングル「I Want You」でデビュー。
アルバムはなぜか「Bangkok Shocks, Saigon Shakes」というタイトルで、邦題は「白夜のバイオレンス」。
地元フィンランドやスウェーデンでヒットし人気はイギリスまで拡張。

1982年アルバム「Oriental Beat」がフィンランドで1位を記録する。
自分が聴いた「炎のドライビン」はこのアルバムに収録されており、日本での人気に火が着き始めた頃のようだ。
イギリスでの人気に連動するように日本でも評価が上昇し、83年に初来日を果たす。
翌84年にも来日し、東京・大阪・福岡でライブを行った。

しかしこの年にバンド最大の悲劇と危機が発生。
ライブの最中にステージ上で高いところから飛び降りたマイケル・モンローが、アンディと衝突。
マイケルは足を骨折し、その後もムリしてツアーを続けたためケガは悪化。
ツアーは終盤だったが、残り5公演をキャンセルして中止になった。

このアクシデントが結果的にさらなる悲劇につながっていく。
バンドはツアー中止を受けて休養とプロモーション活動に切り替える。
この期間にメンバーはモトリー・クルーの面々と出会い意気投合。
マイケル以外のメンバーは、モトリー・クルーのトミー・リーの家でパーティーに参加。

パーティーの途中ヴィンス・ニールは当時ハノイ・ロックスのドラマーだったラズルを誘い、酒を買いに車(パンテーラ)で出かける。
しかし泥酔状態のヴィンスが運転するパンテーラは暴走し、車線をはみ出し対向車と正面衝突。
対向車の運転手とラズルが死亡、その他の車も巻き添えになり運転手が重傷という大事故を引き起こした。
ヴィンス自身はほぼ無傷だったそうだ。

ラズル死亡により年内に予定されていたハノイのライブは全て中止となり、翌年正月のライブは追悼公演となった。
結局ラズルが死んだ時点でハノイのバンドとしての歴史はほぼ終わったものとなる。
ベースのサミ・ヤッファは追悼公演直後に脱退し、アンディとナスティはクスリや酒におぼれ、マイケル・モンローも脱退を告げ、バンドは解散した。
その後マイケルはアクセル・ローズと交流し、それぞれお互いのライブに出たりと比較的なごやかに音楽活動を続ける。

しかし。
この後マイケル・モンローはさらにつらい思いをすることになる。
ここで登場するのが元ビリー・アイドル・バンドのギタリスト、スティーブ・スティーブンス。
昔猪木と戦った空手家みたいな名前だが、そのウィリー・・じゃなかったスティーブとマイケル・モンローはエルサレム・スリムというバンドを結成。
だが意見の相違からか公式アルバムを出す前に二人は決裂しバンドは破綻。
直後にスティーブはマイケルにとっては因縁のクソ野郎であるヴィンス・ニールのソロアルバムに参加してしまう。

ヴィンス・ニールによって盟友ラズルを死に追いやられ、さらにはスティーブという得難い名ギタリストまで引き抜かれる・・という、マイケルにとってはありえへん展開。
スティーブを引き抜いたヴィンスには他意や悪意はなかったらしいが、マイケル自身もハノイのファンも、ヴィンス・ニールのことは今でも良く思っていないそうだ。
そりゃそうだろうなぁ。
ラズルの件についてはモトリー・クルーを聴いた時に調べて知ったのだが、さらにスティーブを巡る因縁まであったとは・・・
どこまでも気の毒なマイケル・モンロー。

ただしいずれにしても作品に罪はない。
ヴィンス・ニールの「Can't Change Me」をリアルタイムで聴いているが、ここで素晴らしいギターを弾いているのがスティーブ・スティーブンスだったんスね。
この曲を作ったのはダム・ヤンキーズのジャック・ブレイズとトミー・ショウ
なおヴィンス・ニールは例の事故の服役後はモトリーのメンバーとも和解して、バンドとしては最近までわりとマジメに活動はしていた一方、やっぱり暴行や飲酒運転で逮捕歴を順調に積み重ねてきたり、ニコラス・ケイジと殴り合ったり、相変わらずなクソぶりで世間をにぎわせているようです。

で、主役のマイケル・モンローだが、まだ悲劇は続く。
2001年に最初の妻と死別。
2002年にはハノイ・ロックスを再結成するが、この頃マイケルはバセドウ氏病にかかっていたと言われている。
新生ハノイ・ロックスは2007年までに3枚アルバムを発表し、ラウドパーク07出演のため来日もするが、2009年には解散を表明。
解散後はソロとして、また自身のバンド「マイケル・モンロー・バンド」を率いて活動している。
なんか苦労の多い人だ。
特に自ら転落していったということではなく、他人によってつらい目に合わされた、というところが泣かせる。
半生が映画化されたりしないだろうか。

というわけで、ハノイ・ロックス。
悲劇的な歴史ばかりについ注目してしまうが、音楽作品としては第1期・2期(と呼んでいいのか不明だけど)で分けて評価するのが一般的のようだ。
ビジュアルの印象から毒っぽいサウンドをイメージしそうだが、根底にはR&Bを保持しながら多様な音楽性も持ち合わせるという、思ったよりも深いバンドのようです。
聴くとしたらやはりまずは第1期作品からだろう。
個人的には「炎のドライビン」収録の「Oriental Beat」か、または1期最後の作品「Two Steps From The Move」に興味がややあるところですが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてない 第228回 スクリッティ・ポリッティ

日々FMから大量に流される産業ロックを片っ端からエアチェックしていた80年代。
それでも全てのアーチストや楽曲にふれることは当然不可能で、残念ながら個人的には置き去りにしてしまったものもたくさんある。
今回のスクリッティ・ポリッティもまさにそんな80年代置き去りバンドです。

スクリッティ・ポリッティ、聴いたことがあるのは「Lover To Fall」の1曲だけ。
これは「サンスイ・ベストリクエスト」ではなく「クロスオーバー・イレブン」から録音している。
「サンスイ・ベストリクエスト」でスクリッティ・ポリッティを録音できたことはない。
たぶん柏村武昭の趣味ではなかったのだろう。
なお同時に録音したのがエイス・ワンダーの「オープン・ユア・マインド」やスターシップ「シスコはロックシティ」である。

この1曲以外に一切の情報を持ち合わせておらず、FMステーションやミュージックライフ、またベストヒットUSAでも彼らの情報を得ることはなかった。
あまり日本ではヒットもせずチャートをにぎわせるような存在ではなかった・・という認識なのだが、合ってますかね?
1曲だけ聴いた範囲で言えばデジタル・テクノ・シンセといったワードがぼんやり思い浮かぶが、果たして正しいのかどうかもわからない。

そもそもバンドなのかピン芸人なのかもよく知らないので、スクリッティ・ポリッティについて生涯初の検索を実行。(毎度のこと)

スクリッティ・ポリッティは1977年にイギリスでグリーン・ガートサイドを中心として結成された音楽ユニット。
実質グリーンさんのワンマンバンドで、学生時代に結成した時からメジャーになってもこの形態は変わらないそうだ。
主なメンバーにはデビッド・ギャムソンとフレッド・メイハーという人がおり、最大では8人編成にもなった時期もあったらしい。

ユニット名はイタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシの言葉から採ったもので、「政治的著作・文書・書簡」といった意味になるらしい。
たぶん意味よりも音を重視して命名したと推測。
レイナード・スキナードとかアドリアン・アドニスとかいんぐりもんぐりなんかとノリは同じだろう。(適当)

しかしウィキペディアには「登場したばかりのYAMAHA DX7とゲートリバーブを全面的に楽曲制作に導入し、音響効果の徹底的な練り込みやシーケンサーを用いた緻密な音色の配置により、都会的なポップミュージックに洗練したキューピッド&サイケ'85を制作し、80年代の音楽シーンに大きな影響を与えた。」とある。
この時点で何を言っているのかド素人の自分には全然わからない。
「DX7」ってのはシンセサイザーだと思うが、「ゲートリバーブ」「練り込み」「シーケンサー」「緻密な音色の配置」ってひとつもわからない・・・
なんかいろいろすごいユニットみたいです。(雑)

82年「Songs To Remember」でデビュー。
84年にシングル「Wood Beez」「Absolute」「Hypnotize」を立て続けに発表。
これらは3部作と呼ばれ、いずれも12インチ盤もリリースされた。
翌85年には3部作やマイルス・デイビスのカバー「Perfect Way」を収録したアルバム「Cupid & Psyche 85」も大ヒット。
自分が聴いた「Lover To Fall」もこのアルバムにあった。

88年には3枚目のアルバム「Provision」をリリースしたが、以降作品発表は停滞し、10年ほど沈黙期間となる。
デジタル技術を駆使した打ち込みによる楽曲創作を続けていたため、スタジオ以外での音の再現ができずライブでの演奏はほとんどしてこなかった。
その後楽器演奏の工夫や音声技術の進歩などでようやくライブ活動ができるようになり、2006年にはデビュー24年後にやっと来日公演が実現。

最近はあまり活動しておらず、アルバムは通算5枚というポリス並みの実績。
2011年にはベスト盤が発表されている。

大まかにいうと、テクノやエレクトリックという技術志向でソウルやレゲエやポップスなど多角的にトライしていたユニットということになるようだ。(かえってよくわからない)
音楽シーンに多大な影響を与えたという称号はついてまわるようだが、日本でどのくらいセールス的に実績があったのかは不明。
チャートアクションもよくわからない。
玄人好みというところなのだろうか。

唯一聴いた「Lover To Fall」も、前後の曲とまとめて録音したので消さなかっただけというのが実情。
テンポのいい80年代のリズムとサウンドだが、特にいいとも悪いとも感じなかった。
どこか冒険アニメのエンディングテーマ曲みたいな雰囲気。
「クロスオーバー・イレブン」で録音したので、FMステーションには曲とアーチスト名が記載されていた。
なのでスクリッティ・ポリッティの名もこの時正確に知ることができたが、それ以上の興味はわかなかった。

というわけで、スクリッティ・ポリッティ。
「Cupid & Psyche 85」はレゲエやソウルやバラードなど多彩なサウンドのようで評価も高いので、聴くとしたらこのアルバムからになると思いますが、他におすすめのアルバムがあれば教えていただきたいと思います。

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聴いてみた 第141回 XTC その3

聴いてない音楽を世界中に公表しアドバイスをいただいては生返事というろくでなしBLOGを13年半も続けているが、結局ちっとも定着せず放置してるアーチストを量産するはめになった。(愚)
図らずもその放置バンド代表格となったのがXTCである。

White Music」で粉々になり、「Nonsuch」で多少回復したものの、以降8年以上他のアルバムにトライしていないという、ダメOLのダイエットみたいな続かなさ。
そこで今回は生まれ変わったわたくしを見ていただくため、ボストンの新作並みに時間を空けて三度XTCに挑戦することを決意しました。(誰も視線を合わさない)
聴いたのはあのトッド・ラングレンがプロデュースした名盤「Skylarking」である。
あ、トッドも同じくらい長期間放置しています・・・すいません・・・

Skylarking

「Skylarking」は1986年の作品で、バンド8枚目のアルバム。
全英最高90位・全米では最高70位を記録。
世界中で大ヒットというわけではないが、トッド登場で話題性は充分にあったと思われる。
タイトルはひばりではなく「バカ騒ぎ」の意味だそうだ。

86年といえば自分は日々産業ロックに汚染され続け、FMステーションを買ってラテカセの前で息を殺して待機したり11PM秘湯の旅に出てくるうさぎちゃんを凝視していた頃だ。
XTCの存在は知っていたような気もするが、エアチェックの機会もなくアルバムジャケットも一切記憶に残っていない。

XTCの卓越した音楽センスと宅録職人トッドの微妙絶妙な融合に生まれた傑作「Skylarking」。(全部受け売り)
バンドのキャリア上の頂点と評価するファンも多いらしい。
正直そう言われても不安はぬぐえないが、果たしてどんな音楽なのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Summer's Cauldron
2.Grass
3.The Meeting Place
4.That's Really Super, Supergirl
5.Ballet for a Rainy Day
6.1000 Umbrellas
7.Season Cycle
8.Earn Enough for Us
9.Big Day
10.Another Satellite
11.Mermaid Smiled
12.The Man Who Sailed Around His Soul
13.Dying
14.Sacrificial Bonfire

「Season Cycle」や「Earn Enough for Us」は楽しそうでよい。
「Another Satellite」はどこか曇っためまい系サウンドだが、エコーやアレンジで80年代っぽい広がりになっており、これも意外にいい感じだ。

このアルバムもやはりあちこちポール・マッカートニー色が濃い。
特に1曲目から8曲目までは頻繁にポール。
メロディやリズムもそうだが、アンディ・パートリッジのボーカルはキーも声質も発声のしかたもポールに似ていると思う。
一方コリン・モールディングの曲や歌はアンディほどポール色は濃くはない。
声もやや濁りがあるし、サウンドも少しひねったものが多い気がする。

後半は曲ごとの雰囲気の違いが目立ち、なんとなく散漫な印象。
終盤「Man Who Sailed Around His Soul」「Dying」「Sacrificial Bonfire」など抑えた曲が続き、少し重い。

なお今回聴いた盤は「Dear God」という曲は未収録だった。
この曲はシングルのみのリリースだったが、思いがけずヒットし、後からアルバムに追加されたそうだ。

「ビートルズを思わせる」と多くのサイトには書いてあるが、個人的にはやはりポール寄りであって、ジョン・レノンを思わせる音は少ないように思う。
なのでむしろ「ウィングスを思わせる」というほうが自分としてはしっくりくる。

ただしウィングス(のヒット曲)ほどのゴージャスさは見当たらない。
86年の音楽にしてはシンプルで、産業ロック的な分厚いサウンド重ねやチャラいアレンジといった要素もない。
これがアンディの意向なのかトッドの趣味なのかはよくわからない。
「Nonsuch」のほうがもう少し大衆的な音だったように思う。

まず「White Music」のような拒絶感・絶望感はない。
どの曲も比較的おだやかで、ムダに絶叫したり不協和音の連続だったり両者リングアウトだったりといった不快感も置き去り感も特にない。
一方でどの曲も音の厚みはあまりなく、ハーモニーや一体感もそれほど重視されていない。
「壮大」「疾走感」「調和」というキーワードを想起させる曲がないのだ。

従って好みかと言われるとまたしても非常に微妙。
「Nonsuch」もそうだが、サウンドや雰囲気は悪くないとは感じたものの、繰り返し聴きたくなるという感情の煮立ちがまだない。
音楽性は全然違うが、感覚的にはイーグルスを聴いた時の状況に似ている。
86年当時リアルタイムで聴いていたら、もう少し違った展開になっていたとは思うが・・
ビートルズのフォロワーは世界中にたくさんいるが、おそらく自分はそういう中でももっとあからさまでダサいオアシスみたいなサウンドのほうが好きなのだろう。

さて。
トッド・ラングレンがプロデューサーを務めた経緯には諸説あるようだが、まずギターのデイブがトッドのファンだった、というのがあったらしい。
当時トッドも自身のバンドであるユートピアの活動は停止中で、意外にヒマだったとかお金がちょっと必要だったとかの背景もあったようだ。

ただ所属レコード会社ヴァージンはこの頃カルチャー・クラブのような稼げるチャラいバンドに注力していて、アンディの意向も深く確認しないままトッド起用を決めてしまったそうだ。
さらにデモテープを聴いたトッドが、曲の選択から曲順まで決めて仕切ろうとしてきたとのこと。
それだとやはりメンバーとしてはトッドを「ウザい教師」みたいに感じてあんましおもしろくはなかったんじゃないかなぁ。

XTCの作った原音に対して、それなりに時間をかけてトッドが調整を施したのに、メンバーは音の仕上がりにもいろいろ不満だったようだ。
発表直後にはアンディとトッドがメディアで互いを非難し合うという楽しい状況にもなったそうだが、まあ今風に言えば多少「釣り」「炎上商法」みたいなものだったのかもしれないスね。

なのでトッドがいなければこのサウンドはなかっただろうけど、XTCの長いキャリアの中で、結局トッドのプロデュースはこの「Skylarking」だけとなっている。
リスナー側にも様々な意見はあるようだが、ネットでいろいろ見てみた範囲ではトッドのプロデュースについてはわりと評価する人が多いように感じた。

というわけで、久しぶりにトライしてみたXTC。
やはりそう甘くはなかったというのが正直な感想です。
ただアルバムごとに作風が大きく違うのがXTCだそうなので、もう少し他のアルバムも学習してみようかと思います。

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聴いてない 第227回 イギー・ポップ

孤高の淫力魔人イギー・ポップ。
なんか昭和のエロい映画みたいなキャッチですけど、みなさんの期待を裏切ることなく、全く聴いておりません。
というか名前しか知らず、人物像や資格や懲罰などの情報も全然仕入れてこなかった。
1曲も知らず、アルバムのタイトルもジャケットも一切思い浮かばない。
聴いてない度は孤高の1。
超難関大学というより、全国でそこしかない独特な研究をやってる謎の学部という感じ。
自分みたいな万年ド素人がたしなむようなアーチストではないのだった。

イギー・ポップと聞いてうっすら前頭葉に浮上するのは「たぶん変わってる人」「なんかいつも上半身裸」といったイメージである。
これだけだと天龍でも飯伏でも真壁でも当てはまってしまうので、イギー・ポップについてマジメに経歴調査。

イギー・ポップは1947年アメリカのミシガン州に生まれる。
・・・出だしからつまづいてるけど、イギリスの人じゃないんですね。
イギーリスのポップな歌手だからイギー・ポップなのかと思ってました・・

本名はジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニアという長い名前。
どこにもイギーもポップもない。
ウィキペディアには「ハイスクール時代にザ・イグアナズなるバンドを結成する」と書いてあるけど、もしかしてこれが芸名の由来なの?
あとバンド名は正確には「ジ・イグアナズ」じゃないの?

その後パイン・ムーヴァーズというバンドを結成(加入?)。
ドラマーとしてスタートするが、ジム・モリソンに憧れてボーカリストに転向。
67年には伝説の破天荒バンド、ザ・ストゥージズを結成する。
69年に元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルのプロデュースによりアルバム「The Stooges」でデビュー。
当時の流行音楽を全て否定したサウンドや、ステージでの暴力的なパフォーマンスで元祖パンクとして若者の支持を集める。

70年にはアルバム「Fun House」を発表。
ここでバンドはいったん解散し、73年に再結成。
「Raw Power(淫力魔人)」はデビッド・ボウイがミキシングで協力したアルバムとして知られる。
しかしイギーの奇行やメンバーの薬物中毒が問題となり、再び活動停止となる。
イギー・ポップ本人はストゥージズを「独創的だっただけ」ととらえていて、メンバー間でもめたりすることもない平和なバンドだったそうだ。

その後ドイツ・ベルリンでボウイとの共作活動を開始する。
77年ボウイのプロデュースでソロアルバム「Idiot(愚者)」「Lust For Life(欲情)」をリリース。
79年にはボウイの力を借りずに「New Values」を発表。
80年以降も毎年アルバムを出したものの、セールスとしては低迷する。

86年に再度ボウイの協力を得てアルバム「Blah-Blah-Blah」をリリース。
収録されていたシングル「Real Wild Child」とともにイギー史上最大のヒットとなる。
・・・86年だと自分も毎晩サルのようにエアチェックしてた頃なのだが、申し訳ないけどイギー・ポップがヒットを飛ばしていたことは全く知らなかった。
たぶん柏村武昭の趣味ではなかったのだろう。

めでたく大ヒットでがっちりお金も儲けたはずだったが、イギー本人は世間に迎合しすぎたと感じていたらしく、このアルバムもシングルも気に入らなかったようだ。
続く88年の「Instinct」で自らの望む方向性に戻したが、売り上げは当然前作に比べて落ちてしまい、レコード会社を移籍することになる。

移籍後第1弾として、90年にドン・ウォズがプロデュースした「Brick By Brick」を発表。
このアルバムにはガンズ&ローゼスのスラッシュとダフ・マッケイガンも参加し、新境地を開拓したと評価されたそうだ。

98年には日本で開催されたフジ・ロック・フェスティバルに登場。
2003年に29年ぶりにストゥージズを再結成し、2007年にはストゥージズとしてアルバムも発表。
イギー本人はストゥージズのピークをこの再結成後の頃だと認識しているらしい。
なおその後も2007年までフジ・ロックなど日本のロック・フェスに度々出演している。

だが2014年ストゥージズのドラマー、スコット・アシュトンが亡くなり、バンドとしては活動停止となった。
イギーは今もステージには上がり続けているが、ストゥージズ時代の曲はもう歌っていないとのこと。

毎度のことながら端から端まで全く知らない話であった。
逆になぜイギー・ポップの名前だけは知っているのかが不明。
FMステーションやミュージックライフでイギーの記事を見た記憶も一切ない。

「なんか変わってる人」というのはたぶん当たっているだろう。
まあロックやパンクの人はだいたい変わってるとは思うが、ライブでのセットリストを事前に決めずステージに上がってから決めたとか、マイクを放り投げて探しもしないとか、客席にダイブしてそのまま帰ってこないとか、いろいろ周りは大変だった人のようだ。
ちなみに江頭2:50はイギーのステージに強い影響を受けてあの芸風になった、という話もあるようです。

イギー・ポップを調べていくと、デビッド・ボウイの名前が頻繁に出てくる。
ボウイが亡くなった後、イギーはボウイについて「人生の光」だと表現したそうだ。
あまりパンクロッカーらしくないけど、いい話だなぁ。
イギーはボウイの協力で何度かアルバムを発表しており、またボウイの作品にもイギーが協力したりという間柄だったそうだが、おそらくはイギーの鋭すぎる個性・音楽性と一般大衆をつなぐ役割をボウイが果たしたのではないかと思う。
ボウイとの共作活動をしていた「ベルリン時代」に作った曲を、今でもイギーは一番気に入っているらしい。

というわけで、イギー・ポップ。
アルバムをじっくり聴いて味わうタイプのミュージシャンではなく、むしろ映像から入ったほうがよさそうな気もしますが、80年代産業ロックに汚染された自分がもし学習を始めるのなら「Blah-Blah-Blah」「Brick By Brick」あたりになるのでしょうか。
みなさんの鑑賞履歴やおすすめのアルバムをご紹介いただけたらと思います。

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聴いてない 第226回 ブラインド・メロン

今日のお題は唐突に思い出したブラインド・メロン。
子供の頃はメロンといえばプリンスメロンだったのだが、最近はデパートやスーパーでも全く見かけない。
今の若い人はプリンスメロンなんて知らないだろうなぁ。
表面が網状のやつはマスクメロンと呼ばれ、プリンスメロンよりもずっと高級で入院しないと食べられないという認識だった。
それがどうしたって話ですが・・

そんな記憶も鑑賞も網状のブラインド・メロン。
「No Rain」という曲だけ聴いているので、聴いてない度は2。
これは柏村武昭の指導によるものではない。
92年の曲だがこの頃はもう「サンスイ・ベストリクエスト」は放送時間が変わったため聴いておらず、MTVで映像を見て音声だけテープに録音したものだ。
というか当時「サンスイ・ベストリクエスト」が続いていたかどうかも不明。
柏村チルドレンを卒業し、自立リスナーの道を歩んでいた頃の思い出の1曲である。

「No Rain」のプロモ・ビデオの始まりは以下のような流れ。
みつばちに扮した少女が小さな舞台でタップダンスのような踊りをたどたどしく披露し、踊りが終わったとたんに見ていた男(映像には姿はない)がなぜか大笑い。
少女は笑われた恥ずかしさからか、舞台から逃げるように走り去り、突然場面が草原に切り替わりブラインド・メロンのメンバーが演奏を始める、という妙な構成である。
なおこのみつばち少女は後に女優となったヘザー・デローチという人だそうだ。

この不思議な映像を伴う不思議なサウンドが不思議に売れて全米では最高20位、全英では17位を記録。
「No Rain」はブラインド・メロン最初で最大のヒットとなった。
残念ながら当時まだインターネットは普及しておらず、曲と映像以外の情報は得られなかった。
そしてその後他の曲にふれる機会も一切なし。
あれから25年が経過し、今回初めてバンドの略歴を知った次第。

ブラインド・メロンの結成時期には諸説あるようだが、89年・または90年頃とするサイトが多い。
メンバーはシャノン・フーン(Vo)、クリストファー・ソーン(G)、ロジャース・スティーブンス(G)、グレン・グレアム(D)、ブラッド・スミス(B)。
メンバーの多くはミシシッピ州出身だが、結成はロサンゼルス。
バンド名はコメディ映画「チーチ&チョン」に出てくる「ブラインド・メロン・チトリン」というキャラクターから、という由来らしい。

ブラインド・メロンを検索するとアクセル・ローズの名前がよく出てくる。
ボーカルのシャノンはアクセルの友人(後輩?)で、ガンズの「Don't Cry」という曲にも参加しており、プロモビデオにも出演しているそうだ。
アクセルのバックアップで、92年ブラインド・メロンはアルバム「Blind melon」でデビュー。
シングル「No Rain」が大ヒットし、アルバムも400万枚以上のセールスを記録。

ブラインド・メロンはこの大ヒットを興業的にはあまり利用せず、むしろ逆に内にひきこもるような共同生活を送りながら創作活動を続け、95年に方向性を大幅に転換した2枚目のアルバム「Soup」を発表。
「No Rain」の大ヒットによりフォークやヒッピーっぽいイメージが定着しそうになるのを嫌ったという話だが、残念ながらセールス的には厳しい展開となり、メンバーの間にドラッグが蔓延した。
95年10月、ツアー中のニューオーリンズでシャノン・フーンが死亡。
死因はドラッグの過剰摂取で、ツアーバスの中で倒れているのをアクセル・ローズが発見(他説もあるらしい)。
28歳の若さだった。

96年にシャノン参加の未発表曲を収録したアルバム「NICO」をリリースしたが、新しいボーカルが決まらず、バンドは10年近く停滞。
2006年にインディーズバンド出身のトラヴィス・ウォレンがボーカルとして加入。
2008年にアルバム「For My Friends」を発表した。
しかしこの直後にトラヴィスはメンバーとの意見が合わず脱退する。
全米ツアーではクリス・シンを臨時のボーカルとしたが、やはり後任が見つからず来日公演も中止となる。
現在はトラヴィスが復帰し、バンドとしては活動中のようだ。

何しろ「No Rain」以外に一切の情報を仕入れていなかったので、初代ボーカルがすでに死んでいたことも今回初めて知った。
最初のアルバム大ヒット→2枚目撃沈→ドラッグやりすぎ→ボーカル死亡とは、ロックバンドとしてあまりにも正調な展開。
90年代のバンドだけど70年代っぽい生き方である。
不謹慎な物言いになるが、もし死んだのが27歳だったら、マスコミやオールドなロックファンが食いつき、もう少し有名になっていたはずだ。

サウンドはかなり幅広いようで、ファンク・ハードロック・カントリー・ジャズ・ブルースといったジャンルをまたぐ様々な曲を生み出しているそうだ。
オルタナというカテゴリーにくくられることが多いが、退廃的なグランジとは違うらしい。
歌う内容も酒とダンスとお姉ちゃんといったチャラいものはあまりなく、そこは90年代らしく不安で不満で切なく物悲しい詞が多いとのこと。
突出して個性的というわけではないが、似たようなバンドも見つからない唯一無二の存在、というのがおおむね共通した評価のようだ。

「No Rain」はフォークっぽい感じもするが、青臭さはあまりなくのん気なサウンドにゆるいボーカルが乗る不思議な曲だ。
イントロのぽよーんというギターから気が抜けた感じで、悲壮感漂うバラードではなく、サビも盛り上がりはなく終始同じような調子。

当時の我が家の音響品質のせいかアレンジなのかは不明だが、なんとなく昔のオープンリールみたいな曇った音に聞こえる。
歌詞もやはり決して明るくはなく、なんとなく不満な気持ちを簡易な言葉だけで表している。
好みかと言われると微妙ではあるが、この曲は悪くない。

多くのファンが書いているように、「No Rain」だけではブラインド・メロンは語れないようだ。(当然だけど)
華やかな活動期間は短かったが、バラエティに富んだ楽曲や才能を持っていた多面的なバンドのようである。
1枚目「Blind melon」と2枚目「Soup」は必修科目でしょうが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第140回 ローリング・ストーンズ その17

今日聴いたのはローリング・ストーンズの「Between the Buttons」。
先日聴いたフェイセズとともにユニオンでお安く購入。

買う前からうっすらとわかってはいたが、このアルバムもイギリス盤とアメリカ盤で中身が異なる。
「Out of Our Heads」ほどではないが、全12曲中9曲が共通という状態。
店にはどちらも置いてあったが、特にこだわりもなかったので安いほうをつかんだらアメリカ盤だった。
ただしジャケットの写真は英米同じである。

Betweenthebuttonsus

いずれの収録曲も全てジャガー&リチャードのオリジナル。
シングル曲は同時発売のアルバムには収録しない、というイギリスのレコード制作上の慣例があり、シングル曲「Let's Spend The Night Together(夜をぶっとばせ)/Ruby Tuesday」はアルバムには収録されなかったとのこと。
こうしてイギリスでは67年1月、アメリカでは2月に、異なる内容で発表された。
セールスとしてはアメリカ盤のほうが売れて評判も高かったようだ。
売上とあまり関係はないが、発売直後にミックとキースとブライアンが相次いで大麻所持により逮捕されている。(キースだけ後に無罪)

「Between the Buttons」とは直訳すれば「ボタンの間」で、日本では邦題として「ボタンの間に」とも書かれていたそうだが、意味としては「まだ決めていない」ということになるらしい。
マネージャーのアンドリュー・オールダムがチャーリー・ワッツからタイトルをどうするのか聞かれ「まだ決めてない」と答えたらそれがそのままタイトルになった、という話。
ホントにそんな雑な経緯だったんだろうか?

なおミック・ジャガーはこのアルバム(イギリス盤)を評価しておらず、唯一好きなのは「Back Street Girl」だったそうだ。
今回アメリカ盤買ったんで収録されてないんですけど。
アンドリューの意向で「Back Street Girl」はアメリカ盤からは削除され、それがもとでミックとアンドリューの仲が悪くなった・・というわくわく話もあるらしい。
俄然聴く気になってきましたが、果たしてアメリカ盤はどんなアルバムなのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Let's Spend The Night Together(夜をぶっとばせ)
疾走感あふれるリズム、思ったより明るいメロディでスタート。
ミックは結構シャウトしてるが、楽曲の明るさでそれほど粗野な感じがしない。
時々聞こえるドラムの連打がいい。
「ぶっとばせ」ってのはいかにも60年代の邦題だが・・

2.Yesterday's Papers
これもノリは1曲目と同じでスピーディーな展開。
ボーカルはやや控えめ。
ところどころ意外な音がする。

3.Ruby Tuesday
有名な曲だと思うが、初めて聴いた。
ほのぼのコーラスが多用された、ストーンズらしくない美しい曲。
ちょっとバーズっぽい感じがする。
ミックのボーカルはどこか頼りないが、いい曲だと思う。

4.Connection
引き続きコーラス中心の不思議な雰囲気の曲。
主にキースが作った曲だそうで、ベースもキースが弾いている。

5.She Smiled Sweetly(甘いほほえみ)
ワルツのようなリズムにキーボードを乗せ、ミックがぼそりと歌うバラード。
このキーボードはキースが弾いているらしい。
ミックのバラードは決してうまくなく、低音部分ではむしろ痛いくらいなのだが、慣れたせいもあるが味わい深いとも思う。
これもストーンズらしくない、フォークソングのようなステキな一曲だ。

6.Cool, Calm And Collected
軽快な部分とスローな部分が交互にやってくる、コミックソングみたいな曲。
シタールのような妙な楽器の音が左から聞こえる。
バンジョーはブライアンが担当。
最後はどんどんスピードアップして終わる。
なんとなくビートルズっぽい音だ。

7.All Sold Out
LPではここからB面。
それぞれの楽器と歌がいまいち合っていない気がするが、意図されたものなんだろう。

8.My Obsession
それほどハデではないが、ようやくミックらしい投げやりなボーカル。
右で鳴り続けるドラムとシンバルがポイント。
ラストはわりと唐突に終わる。

9.Who's Been Sleeping Here?(眠りの少女)
あちこちのサイトに「ディラン風ストーンズ」と書いてあったが、まあその通りだ。
この頃のミックはこんな歌い方もしていたんだね。
後の「サタニック・マジェスティ」にあるようなサイケなニオイも少し感じる。

10.Complicated
リズムはおもしろいが、楽器もボーカルもコーラスも今一つかみ合わない。
好みは置いておくとして、このズサンさがストーンズの持ち味でもある。

11.Miss Amanda Jones
この曲が一番ストーンズらしく聞こえる。
太く響くギターやベースがいい。

12.Something Happened To Me Yesterday(昨日の出来事)
ラストはにぎやかなバラエティソング。
キース中心に作られた曲とのこと。
エンディングが少し雑にフェードアウトするけど、これはイギリス盤でも同じなのかな?

聴き終えた。
「Let's Spend The Night Together」と「Ruby Tuesday」は聴きたかった曲だったので、アメリカ盤を買ってよかったと思う。
「イギリス盤聴いてから言えやボケ」というお叱りはあると思いますが・・

以下は当然アメリカ盤を聴いての感想。
ストーンズの60年代のアルバムはどれも意外な発見があるが、今回もその通りとなった。
全体としては結構おだやかで牧歌的なほのぼのストーンズである。
今まで聴いたどのアルバムとも違う。
非常に聴きやすく、難しさは全く感じない。
というか、個人的には「Let It Bleed」「Out of Our Heads(アメリカ盤)」「Aftermath」などにも匹敵する受け入れやすさである。

自分は未だにストーンズ初心者で聴いてきた順番もデタラメなので、こうして初期作品にふれる度に「こんな音楽もやっていたのか・・」という新鮮?な感動がまずある。
野蛮で粗野でワルなイメージどおりのストーンズが好きな人だと、この造りは物足りないのではないだろうか。
この次が問題作「Their Satanic Majesties Request」で、おそらくこの2作品をストーンズの最高傑作と評するファンもあまり多くはないとは思う。
ピーター・バラカンはこの2作品について、発表直後に友人に聴かせてもらい「ビートルズの影響を受けすぎじゃないのか?」と思って買わなかったそうだ。

自分もどっちかっつうと粗野で乱暴なストーンズを好むつもりでいたが、いろいろ聴いてみるとそうでもないようだ。
Beggars Banquet」のソリッドで野蛮なサウンドは好きだが、それ以降の70年代アルバムはなかなかなじめない。
そんな中、60年代の「Out of Our Heads(アメリカ盤)」「Aftermath」とこの「Between the Buttons(アメリカ盤ですけど)」はどれも意外に楽しいと感じる。

さて「Between the Buttons」は、ロックの歴史を語る人たちが大好きな1967年発表である。
67年と言えば、その前年ビートルズは「Revolver」、ディランは「Blonde on Blonde」、ビーチ・ボーイズが「Pet Sounds」を生み出した、ロックの歴史において非常に重要な時期である。(注:一部に誤記がありましたので訂正しました)
こうしたライバル達の動きをストーンズ(および関係者)は全く無視していた、とも考えにくい。
何らかの影響やプレッシャーはあっただろう。
ただ結果論だが、ライバル達の名盤と比べてストーンズとしては「Between the Buttons」が後世に語り継がれる革命的アルバムにはならなかったようだ。
ストーンズのファンに「ストーンズ史上最も革命的なアルバムは?」と聞けば、おそらくは他のアルバムに票が集まるだろう。

ジャケットは屋外で寒そうなメンバーを写したかすれまくりの写真。
チャーリーが一番目立っているのも珍しいが、ブレのおかげか必要以上にふけて見える。
アートとしては傑作なのかもしれないが、自分にはよくわからない。
メンバー集合写真ジャケットであれば、「Out of Our Heads」のイギリス盤のほうがやはりかっこいいと思う。

というわけで、アメリカ盤「Between the Buttons」。
かなりよかったです。
イギリス盤も聴いてみようという野望はもうありませんけど、未聴の3曲だけどこかで押さえておいてもいいかなと思います。

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聴いてみた 第139回 フェイセズ

今日聴いてみたのはフェイセズ。
特に予定もしてなかったのだが、たまたまユニオンに行ってCD見つけたので買ってみました。(失礼)

フェイセズはもちろん聴いてない。
昔借りたロッド・スチュワートのベスト盤にあった「Stay With Me」を知っているくらいで、BLOGで採り上げること自体初めてである。

フェイセズの来歴はストーンズハンブル・パイの学習過程でぼんやりとなぞった程度で、今突然フェイセズ検定を受けてもたぶん不合格である。
取り急ぎ試験前に血眼になってテキストをあちこちめくる往生際の悪いバカ学生のようにフェイセズについて付け焼刃学習。

源流はスモール・フェイセズというバンド。
なぜスモールだったのかというと背の低いメンバーばかりだからとのこと。
主力メンバーのスティーブ・マリオットがスモール・フェイセズから脱退し、ピーター・フランプトンとともにハンブル・パイを結成する。
スモール側に残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズと、ジェフ・ベック・グループを脱退したベタベタ仲良しコンビのロッド・スチュワート、ロン・ウッドが合流。
「クワイエット・メロン」という名で活動を開始するが、ロッドとロンは長身だったので、70年にスモールが取れた新生フェイセズとしてスタート。

フェイセズは4年ほどの期間にコンスタントに4枚のスタジオ盤を発表。
この過程でロッドのシンガーとしての人気がむやみに肥大し、ソロ活動も始めたため、フェイセズは次第にロッドのバックバンド化していき、バンド名も「ロッド・スチュワート&フェイセズ」になる。

バックバンドのメンバーという扱われ方に不満がつのったロニー・レーンは73年に脱退。
その後はベーシストとして日本人の山内テツが加入。
74年にアルバム「ウー・ラ・ラ」を発表するが、ロッドと他のメンバーとの間に軋轢が生じ、またロン・ウッドはストーンズのサポート活動に移ったため、フェイセズは解散する。
・・・フェイセズ概論としてはだいたいこんなところでしょうか。
ほとんど今初めて知った話ばっかですけど。

Faces

今回聴いた「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」はフェイセズとしては3枚目のアルバム。
71年発表で邦題は「馬の耳に念仏」。
原題をそのまま訳したわけではなさそうで、ことわざの意味として同じになってるかはよくわからない。
「猫に小判」とか「豚に真珠」にしなくてよかったとは思うが。(そんなの売れねえよ)

メンバーは以下の面々である。

・ロッド・スチュワート(V)
・ロニー・レーン(B/G/V)
・ロン・ウッド(G)
・イアン・マクレガン(K)
・ケニー・ジョーンズ(D)

プロデューサーはスモール・フェイセズ時代から作品を手掛けてきたグリン・ジョンズ。
ちなみにグリン・ジョンズはスモール・フェイセズを非常に高く評価しており、最近のインタビューでも「非常にエネルギッシュな連中で、アメリカに進出していたらそのうち世界制覇していたかも」と答えている。

そんな名プロデューサー・グリンの協力もあってか、フェイセズの「馬の耳に念仏」も全米チャートでは最高6位、全英では2位を記録した。
セールス的にはフェイセズ最大の歴史的名盤・・だと思うけど、果たして自分の耳には念仏のように聞こえるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Miss Judy's Farm
トップは辛口なブルース・ナンバー。
ロッドの投げやりなボーカル、ノイジーなギター。
終盤テンポアップしてくるところもなんとなくスリリング。

2.You're So Rude
前の曲よりは多少明るい感じで、ロニー・レーンとイアン・マクレガンの作品。
ロニーのボーカルは悪くはないが、声はやはりロッドに比べるとふつうの人。
ガヤガヤしたメロディはどこかストーンズに似ている。

3.Love Lives Here
これもその後のストーンズを思わせるようなバラード。
ロッドのバラードでの魅力もすでに完成されている。
決して歌がうまいとは思えないロッドだが、この声で歌われるとやはりしみじみいいなぁと感じてしまうから不思議だ。

4.Last Orders Please
ロニーの作で歌っているのもロニー。
ウキウキしたリズムにギターが左から、ピアノが右から響く。
ロニーのボーカルも少し砕けた感じ。

5.Stay with Me
フェイセズ最大のヒット曲で、これだけ知っていた。
右から聞こえるきゅいーんというロン・ウッドのギターがいい。
ロッドのボーカルはもちろんだが、エンディングの演奏も見事である。
歌詞はケバい?女を引っかけたチャラい男の適当で情けない叫びを歌ったもので、ロッドのボーカルに似合った内容である。

6.Debris
ロニーの作でメインのボーカルもロニーだが、バックでロッドも歌う。
ロッドが一歩引いてバックをしぶしぶ歌ったとも言われているらしいが、バックにロッドの声はさすがに無理があるように思う。
レベルは小さくともロッドの声は目立つし、ハーモニーも微妙でロニーとの相性もいいとは思えない。

7.Memphis, Tennessee
チャック・ベリーのカバー。
後半の演奏が意外に長く、この曲もラストは徐々にテンポアップ。

8.Too Bad(ひどいもんだよ)
跳ねるようなリズムにロッドのシャウト、ギターの絞り出す音や軽快なピアノが加わる一体感。
ただし歌詞の内容は、下町育ちの若者があこがれの上流階級の人々の集まりに出かけてみたが、拒絶されて追い返されるという悲しいもの。
ロッドとロンの作だが、酒や女を歌うだけでなく、こんな社会派な曲も作っていたんだね。

9.That's All You Need
ラストはさらに躍動感のあるロック。
終始叫び続けるロッド、間奏でばりばり鳴るロンのギター。
後半はキーボードなどいろいろな楽器の音がする。
この曲ではハリー・ファウラーという人がスティール・ドラムを叩いているそうだ。

さて聴き終えた。
楽曲としてはどれも刺激的でいい音がする。
71年発表だが、60年代の古き良きロックを継承したどの曲もおおむね自分の好みに整合しており、ジェフ・ベック・グループのロッドが歌った「Truth」「Beck-Ola」よりも断然いいと感じる。

やはり評価の中心はボーカルだ。
あらためてロッド・スチュワートの魅力が全開である。
ロニー・レーンもそれなりに歌えているが、やや線の細い声でブルースやロックを歌うには少し物足りない感じだ。
ただ物足りないと思うのはすぐそばにロッドがいるからという気の毒な部分もある。

ロニーはフェイセズのリーダーとして曲も作って歌って弾いてマルチに活動していたのだろうが、ロッド・スチュワートという突出した才能を持つボーカリストに歌わせたことで、相対的に評価が下がっていったのではないかと思う。
ロッドとともに同じバンド内で歌う、というのはボーカリストを務めるうえで非常にリスキーだ。
どうしたって比べられてしまうし、ロッド以上に歌でアピールするのは相当きついだろう。

ロッド・スチュワートはソロ転向以降、デュエットでヒットを飛ばした実績はあまりない。
やはりロッドといっしょに歌う、というのは「あんな人と歌ったら全部持っていかれる」無謀な行為だと大半の歌手は考えるからではないだろうか。
なのでこのアルバムも1曲おきにロニーも歌う構成になってるけど、正直「全部ロッドでいいじゃん」と思ってしまう。
意地悪な評価ですけど、もし全曲ロニーが歌っていたら、やはり全米6位はムリだったんじゃないでしょうか。

こうしたパワーバランスを考えればフェイセズ解散もやむなしと思うが、他にもロッドとロニーの音楽性の違いも要因としてあるようだ。
ロッドはロニーよりもブルースに寄った方向を向いており、ロック志向のロニーとのズレも埋めがたい溝になっていったらしい。
このアルバムでは、クレジットではロッドの単独作品はない。
ロッドの手がけた曲は必ずロン・ウッドとの共作になっている。(「Love Lives Here」だけロニーとロッドとロンの3人の共作)
ロニーとロッドはお互いの作る曲をあんまし良いとは思ってなかったのかもしれない・・などと思うとわくわくしますね。(邪道)

フェイセズは何度かイベント的に再結成しているが、結局この時のメンバー全員がそろうことはなかったようだ。
この後公式にフェイセズ再結成にロッド・スチュワートが登場するのは、なんと解散から40年後のことである。
97年にロニー・レーンが亡くなり、2008年頃には残る4人が集まって話合いやサウンドチェックまでしたそうだが、公の場での演奏には至らなかった。
2009年にはロン・ウッド、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの3人が、ビル・ワイマンやシンプリー・レッドのミック・ハックネルとともにステージに立ち演奏を行った。
そして2015年にようやくロッド・スチュワートが参加し、ロン・ウッド、ケニー・ジョーンズとともにフェイセズの再結成パフォーマンスを披露。
「Stay With Me」を含む7曲を演奏したそうだ。

というわけで、フェイセズの「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」。
これはかなりよかったです。
フェイセズは同時期に活躍していたストーンズやツェッペリンやザ・フーに比べて地味な印象で全然聴いてきませんでしたが、それは勝手な思い込みだったようです。
他に3枚スタジオ盤があるようなので、近いうちに全部聴いてみようかと思います。

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聴いてない 第225回 アトランタ・リズム・セクション

ロックにも様々なカテゴリーがあるが、ふと気がつくと全くなじんでいないのがサザン・ロックという分野である。
もちろんメタルもプログレもキャンディポップも全然なじんでないのは同じだが、ことサザン・ロックに関しては基礎知識すら大貧弱である。
レイナード・スキナードやスティーブ・ミラー・バンドなどが該当する、ということくらいしか知らず、曲も全然聴いていない。

そんな中唐突に名前を思い出したアトランタ・リズム・セクション。
サザン・ロックに所属するということも今回初めて知った。
なぜ名前を知っているかというと、実は1曲だけ聴いているからだ。
それは81年の「Alien」だが、例によって柏村武昭の紹介でエアチェックしている。
なおこの曲と同時に録音したのはキッスの「エルダーの戦士」、ポリスの「Every Little Thing She Does Is Magic」など。

ただし柏村武昭は曲紹介はしたがバンドの経歴や秘密などは一切明かしていない。
・・・と思うのだが、あの番組はとにかく「トークを入れずに曲だけ録音する」という前提で必死にポーズボタンに手をかけて聴いていたので、柏村武昭がバンドの経歴などしゃべってたとしてもたぶん「いいから早く曲かけろよ!」とラジオを凝視していて、話の中身なんか覚えていないんだろうとも思う。
もともと誠実に曲だけを流しトークをかぶせないという寡黙なDJによる番組(そうか?)だったので、アトランタ・リズム・セクションに限らずどのアーチストでも情報発信は少なかったが。
なのでこのバンドについても、人数構成やキャリアやメンバーの名前なども全く知らない。

「Alien」はどこかAORの香りただようオトナなナンバーである。
他の曲にはさまれて録音されたので消すこともできず、そのまま聴いてきたという状態。
この曲以外にアトランタ・リズム・セクションをFMで聴いたことはたぶんない。
おそらくは日本での人気はそれほどでもなかったものと思われる。

録音してから35年以上(!)の歳月が流れているが、遅まきながらアトランタ・リズム・セクションについて調べてみた。(手遅れ)
今回もある程度覚悟はしていたが、やはりウィキペディアの日本語説明は見当たらない。
あちこち掘り起こして集めた情報をまとめると以下のような感じである。

アトランタ・リズム・セクションは名前のとおりジョージア州アトランタで結成・・と思ったら、厳密にはアトランタのそばにあるドラヴィルという街で結成されたようだ。
「江戸川リズム隊」と名乗っているが実は市川で結成、みたいなもんだろうか。
ちなみにアトランタと言えば当時からあのブッチャーのホームタウンであり、現在もブッチャーはアトランタにバーベキューレストランを持っているそうだ。
あ、もういいですか?こういう情報は・・・

で、アトランタ・リズム・セクション。
60年代に活躍していたクラシックスIVというバンドが源流と言われる。
クラシックスにいたギターのJ.R.コッブ、そのプロデューサーであるバディ・ビューイが地元アトランタのお友達を勧誘して結成。
他のメンバーはロニー・ハモンド(Vo)、バリー・ベイリー(G)、ディーン・ドートリー(K)、ロバート・ニックス(D)、ポール・ゴダード(B)。
バディ・ビューイはメンバーではないが、曲作りやマネージャーやプロデューサーなど裏方としてバンドを支えた人物。

72年にバンド名をタイトルにしたアルバム「Atlanta Rhythm Section」でデビュー。
しばらくは骨太なサザン・ロックを主体としていたが、徐々にソフトな路線に変更。
76年「So In to You」が全米7位を記録し、アルバム「A Rock And Roll Alternative」(邦題:ロックンロール魂)も大ヒット。
78年には「Imaginary Lover」がまたも全米7位となり、「I'm Not Gonna Bother Me Tonight」も14位のヒットとなった。
バンドの最盛期はこの頃と言われているようだ。

79年には「Do It Or Die」「Spooky」がヒットするが、ドラムのロバート・ニックスが脱退。
81年にアルバム「Quinella」(邦題:アトランタ・フィーリング)を発表。
この中に自分が聴いた「Alien」が収録されている。
柏村武昭もレコード会社一押しの新曲としてオンエアしたのだろう。
結果的にはこの「Alien」が全米チャート100位以内の最後のヒット曲となる。(最高29位)

その後アルバム発表の間隔は徐々に開いていき、2000以降オリジナルスタジオ盤はリリースしていないが、活動は継続しているようだ。
2012年にロバート・ニックスが、2014年にはポール・ゴダードが亡くなっている。
今のオリジナルメンバーはディーン・ドートリーだけとのこと。

ということでやっぱりどれも全部初めて知った話であった。(もう誰も驚かない)
歴代のアルバムジャケットを見てみたが、見覚えのある絵はひとつもなかった。

唯一聴いた「Alien」はもちろん地球外生物の話ではなく、居場所のない孤独な男を歌ったものだそうだ。
サウンドはキーボード主体でそれほど盛り上がりもなく落ち着いたメロディ。
悪くはないが、当時も今も振り向くような感情の高ぶりは特にない。
どこか同時期のドゥービー・ブラザーズのような音がするように思う。

学習要領としては、まずはサザン・ロックのセンターにあるオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードを聴いて概要を学び、その後応用編としてアトランタ・リズム・セクションや38スペシャルなどに広げていく、というのが正しいと思われる。
・・・とは思ったものの、今回突然アトランタ・リズム・セクションを思い出してしまったので、取り急ぎ皆様の鑑賞履歴や感想を教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第138回 プリファブ・スプラウト

連休終了で日本中のサラリーマンが憂鬱になっている本日、聴いてみたのはプリファブ・スプラウトのセカンドアルバム「Steve McQueen」。
全英で2位を記録した大ヒットアルバムである。
・・・のだが、プリファブ・スプラウト、実は名前しか知らない。
そもそもなぜ名前だけ知っているのか不明だが、このトシになるまで一度も聴いたことがなかった。
東郷かおる子が当時推してたのかもわからないが、少なくとも柏村武昭が曲紹介をした記憶は一切ない。
アズテック・カメラもそうだが、どんなジャンルなのかもメンバーが何人いるのかも知らない。
今回はネオアコというキーワードを頼りにモンスリー師匠の指導のもと聴くことになったのだ。

Steve_mcqueen_2

プリファブ・スプラウトは1982年にデビューしたイギリスのバンドである。
「Steve McQueen」は85年発表なので、自分にとってはリアルタイムで聴いていて当然の時代のはず。
82年と言えばカルチャー・クラブやエイジアが登場し、85年はa-haダイアー・ストレイツがチャートをにぎわせていた頃だ。
「We Are The World」も85年だし、ハニー・ドリッパーズが流行ったのも同じ年である。
毎晩サルのようにエアチェックに没頭していたのに、なぜプリファブ・スプラウトは聴いてないのか明確には説明できないが、おそらくはデュランやカルチャー・クラブやa-haに比べてFMオンエア頻度や雑誌などの掲載量が少なかったものと思われる。

メンバーは以下のみなさんである。
パディ・マクアルーン(Vo・G)
マーティン・マクアルーン(B)=パディの実弟
ウェンディ・スミス(Vo・G・K)
マイケル・サーモン(D)

のちにドラムはマイケル・サーモンからニール・コンティに変わり、今回の「Steve McQueen」ではニールが叩いているそうだ。

パディ&マーティンのマクアルーン兄弟を中心に77年頃に結成。
構成としてはウェンディだけが女性なのだが、プリテンダーズブロンディとは違い、女性ボーカルが男どもを牽引というスタイルではない。

前述のとおり82年にデビューし、84年に最初のアルバム「Swoon」を発表。
パンクロックが下火になりつつあった中で、80年代特有の大衆迎合的なチャラい音楽とは異なり、さらにはプログレやネオアコなどとも一線を画すという複雑な音楽性を持っていたそうだ。
・・・よくわからないけどネオアコというくくりにはまっただけの存在ではない、ということで合ってますかね?
で、ネオアコという言葉で検索すると同じようによく登場するのがアズテック・カメラだが、プリファブ・スプラウトとは接点や交流はほとんどないらしい。
仲悪かったんスかね?

85年にトーマス・ドルビーをプロデューサーに起用し「Steve McQueen」を発表。
・・・実はトーマス・ドルビーも名前しか知らない。
トーマスさんについても少し調べたので後述します。

バンドにとっては2枚目のアルバムだが、前作とは雰囲気が相当違うそうだ。
このあたりはトーマス・ドルビーのもたらした効果も大きいらしい。
日本ではこれがデビュー作で、このアルバムからプリファブ・スプラウトを知った日本の少年少女も多いと思われる。
タイトルの語源はもちろん俳優スティーブ・マックイーンだが、ジャケットもマックイーン主演映画の「大脱走」をイメージしている。

このアルバムからは「When Love Breaks Down」を含む4枚のシングルが生まれており、いずれもヒットしたそうだ。
・・・本当か?そんな状況の中、柏村武昭は何をしていたのだろうか?
ちなみに当時アルバムの日本語表記は「プレファブ・スプラウト」だったとのこと。
日本語読み風に「プレハブ・スプラウト」としなくてよかったと思う。

88年には「From Langley Park To Memphis」(邦題:ラングレー・パークからの挨拶状)をリリース。
このアルバムにはスティービー・ワンダーピート・タウンゼンドも参加。
シングル「The King of Rock 'N' Roll」が全英7位を記録するヒットとなる。

ここからプリファブ・スプラウトは全盛期を迎え、89年に「Protest Songs」、90年「Jordan: The Comeback」と3年間毎年アルバム発表という多忙な日々を送る。
いずれのアルバムでもトーマス・ドルビーがプロデューサーとして活躍しており、パディは全面的にトーマスを信頼していたようだ。

92年にベスト盤「A Life Of Surprises」を発表。
これまたイギリスでは大ヒットで全英3位を記録するが、その後ニール・コンティが脱退。
2001年にはウェンディ・スミスも出産を機に脱退する。

バンドとしてはほぼパディのソロユニットっぽくなってはいるがその後も継続しており、2013年の「Crimson/Red」が最新作である。
なおこの作品、発表前に曲順の異なるデモ音源がネット上に流出するという事件で話題を呼んだとのこと。
流出は関係者によるものかファンの仕業か明らかにはなっていないらしい。
パディは目や耳の難病を患い、苦労も多いがミュージシャンをやめてはいないそうだ。

毎回台本どおりの展開に辟易するが、終始全部一貫して知らない話であった。
事前学習に少し時間を取られたが、とにかく聴いてみることにした。

・・・・・聴いてみた。

1. Faron Young
2. Bonny
3. Appetite
4. When Love Breaks Down
5. Goodbye Lucille
6. Hallelujah
7. Moving The River
8. Horsin' Around
9. Desire As
10. Blueberry Pies
11. When The Angels

うーん・・・
うーん・・・・
うーん・・・・・

長いこと腐れ音楽BLOGを続けてきたが、文字で感想を表すのにここまで苦労した音楽はあまりない気がする。
ネガティブな感想は特にわいてこないし、聴きづらいとか難しいといった形容も当てはまらない。
似ているバンドも思いつかないが、突出して個性的な音が向正面からやって来るわけでもない。

ネオアコというキーワードについては、このアルバムにはあまり関係ないようだ。
少なくともアコースティックなナンバーはないし、比較的全編ポップなサウンドである。
しかしながら産業ロックのレシピに従った音の重ねやコーラスやアレンジといった技も希薄だ。
多少霧っぽい曇ったサウンドの造りを感じるが、当時全盛だったアンチ渋谷な音楽とは次元が違うところで勝負している気がする。

なのでどの曲にも「なんじゃこの音は?」「げぇー変な音楽」という疑問や不快感は一切ない。
・・・のだが、どの曲にも「おお」とか「へぇ」とか「いいね!」といったSNSっぽい感性の盛り上がりも全く感じない。
拒絶感はないけど、おそらく好みの音ではないのだろう。
この感覚はイーグルスを聴いた時のものに近い。
3回ほど聴いてみたが、まだ定着の予感は全然ない。
駅を降りて遠くにある新緑が美しい山を目指してしばらく歩いたが、いっこうに登山口に近づく感じがしない、というところだろうか。(伝わらない)

モンスリー師匠からの情報では、「Amazanのリスナーレビューの評価がすごく高い」とのことであったが、聴いたあと見てみたら確かに絶賛レビューが多い。
まあ総じてAmazanのレビューはどんなアーチストでも熱い評価が多いとは思うが、大半の人が星5つを付けているのはやはり驚きである。
あと「聴き込むほどに良さがわかる」といった意見も多いので、自分みたいに3回くらいでうなっているようではまだ学習が足りないのだろう。

ちなみに名前しか知らなかったトーマス・ドルビーだが、今回調べてみたら驚きの経歴が続出。
いえ、驚いてるのは自分だけでこんな話はどれも鉄板なんでしょうけど。
もともとトーマスさんはキーボード・プレイヤーで、あのブルース・ウーリー・アンド・ザ・カメラ・クラブにも在籍したことがあり、フォリナーの「Urgent」「Waiting for a Girl like You」のシンセサイザーもトーマスの演奏とのこと。
そうなんだ・・・全然知らなかった・・・

交流はデビッド・ボウイジョニ・ミッチェルデフ・レパードやロジャー・ウォーターズから坂本龍一まで非常に顔の幅広い人物である。
日本では「She Blinded Me With Science(彼女はサイエンス)」という妙な邦題の曲が有名らしい。(当然聴いてない)
92年の「Close But No Cigar(シガーにご用心)」というこれまた妙な邦題の曲ではエドワード・ヴァン・ヘイレンがギターで参加。
こういう情報だけだと産業ロック側のヒトという判定をされてもおかしくはない気もする。
渋谷陽一はトーマス・ドルビーをどう評価しているのだろうか?(どうでもいい話だが。)

というわけで、プリファブ・スプラウト。
パンクやプログレほどの困難さはなかったものの、残念ながら正直思ったよりも自分の好みからは遠い音楽でした。
もっと若い時に聴いていれば違った評価になっていた可能性も高いですが・・・
前作「Swoon」はかなり作風が異なるそうなので、期会があれば聴き比べてみようかと思います。

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聴いてない 第224回 エディ・マネー

果たしてどれだけの人が覚えているだろうか、エディ・マネー。
日本ではなかなか人気が出ず、国内盤で買えるアルバムはベスト盤だけだそうだ。

そんな逆境の元警官シンガー、エディ・マネー。
実は顔と名前を先に知り、ほどなくヒット曲を聴いたという、自分にしては珍しい展開のアーチストである。
情報源は当時のナウいヤングの信頼を集めていた安心の月刊誌ミュージック・ライフ。
従って東郷かおる子がいなければ生涯エディ・マネーを知ることはなかった可能性も高い。

ただしエディを知ったのは記事ではなく、カセットインデックス用の写真である。
昔の音楽雑誌によくあったカセットケースにうまく収まるサイズのアーチスト写真で、エディ・マネーを知った次第。
これがその写真である。

Eddie

ページを切り取って保存しているので奥付は不明だが、おそらく79年頃の号と思われる。
ちなみに隣にはプリテンダーズ、裏面にはロバート・プラントとナックが載っていた。

86年の大ヒット曲「Take Me Home Tonight」だけは聴いており、聴いてない度は2。
この曲にはロネッツの大ヒット曲「Be My Baby」も挿入されているが、その部分を歌っているのはロネッツのボーカル、ロニー・スペクター本人ということで話題になった。
・・・らしいのだが、ヒットしていた当時は全く知らなかった。
この事実を知ったのはヒットしてから20年近く経ってからで、ココログ同期生のgetsmart0086さんの書かれたある記事を読んでのことであった。
ロニー・スペクターはこの頃すでに芸能界を引退しており、そこをエディ・マネーが直接頼み込んでボーカル参加が実現したそうだ。

さてエディ・マネーについて調査を開始したら、頼みの心の友ウィキペディアは日本語での紹介がない。
英語ページをむりやり日本語変換して読んでみたが、やはりカタコトでいまいちよくわからない。
いろいろ検索して引っかかった情報をなんとか整理してみた。
もし事実と違うようでしたらご指摘ください。

エディ・マネー、本名エドワード・ジョセフ・マホーニーは1949年ニューヨークはブルックリンに生まれ、マンハッタンで育つ。
祖父の代から三代続く警官一家であり、兄弟も全員ニューヨーク市警察局の警官。
エディも警官として働いたが、音楽で身を立てる決意をして西海岸に移り住む。

78年に「Eddie Money(噂のエディ・マネー)」でデビュー。
シングルカットされた「Two Ticket To Paradise」「Baby Hold On」は大ヒットし、アルバムもダブルプラチナディスクを獲得。
なおこのアルバムではスモーキー・ロビンソンの「You've Really Got A Hold On Me」もカバーしている。
エディは歌だけでなくギターやサックスも演奏できる器用な人だそうだ。

80年代に入るとプロデューサーにロン・ネヴィソンやトム・ダウドを起用してアルバムをコンスタントにリリースする。
プロモ・ビデオ制作にも積極的な姿勢を見せるが、一方で薬物中毒にもなってしまい、83年「Where's The Party?(パーティの夜)」発表後は一時期活動停止状態となる。
警官やってた人が歌手になって薬物中毒って、警官やめないほうがよかったんじゃないのかとも思いますが・・
もし今の日本でこんな人がいたら間違いなく袋だたきだよなぁ。

しかしエディ・マネーは86年にアルバム「Can't Hold Back」で見事復活。
プロデューサーはチープ・トリックハートのアルバムにおいても復活をアシストしたリッチー・ジット。
シングル「Take Me Home Tonight」がキャリア最大のヒットとなる。

しかし同じくリッチー・ジットのプロデュースによる88年の作品「Nothing To Lose」からは、日本盤発売はなくなった。
エディ・マネーにとって、日本はマーケットとしては見切りをつけられたらしい。

翌年には初のベスト盤が発表され、初のライブ曲も収録された。
90年以降も本国では活動を続けており、2007年にはアルバムも発表。
2010年にはフットボールのハーフタイムショウで、かつてのヒット曲のメドレーを歌ったそうだ。
しかし日本では話題になることもあまりないようである。

1曲しか聴いてないので何もわからないが、ルックスやボーカルからはスタイリッシュで都会的な印象を受ける。
「Take Me Home Tonight」も夢中になったほどではないが、悪くはないと思う。
誰も共感しない意見だとは思うが、エディの声に近い感じがするのはエリック・カルメンである。

ただ同時期に活躍していたブライアン・アダムスジョン・クーガーに比べると、洗練された分インパクトは弱かったかもしれない。
あと2~3曲柏村武昭が紹介してくれていれば、アルバム1枚くらいは聴いていたのに。(でまかせ)
どっぷり産業ロックに染まってチャラい曲を量産するとか、あちこちで女性トラブルばかり起こすとか、バックバンドのメンバーをギターで殴ったりとか、なんかしらの尖った話題があったら違った展開になっていただろう。(言いたい放題)

というわけで、エディ・マネー。
これまで意識してCDを探したことがないので、輸入盤も含めて2017年現在でどれだけ店頭在庫があるのかわからないが、「Can't Hold Back」は聴いてみてもいいかなと考えている。
他にもおすすめのアルバムがあればご指導いただけたらと思います。

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