聴いてない 第237回 グラス・タイガー

今日のお題は唐突に思い出したグラス・タイガー。
日本でヒットしてた時期がわりと短い期間だったため、その当時洋楽を聴いていた人でなければ知らないバンドだと思う。

グラス・タイガーはカナダのバンドである。
ヒットした「Don't forget me(When I'm Gone)」にブライアン・アダムスが参加しており、当時の雑誌には「ブライアンの弟分」「ブライアンが発掘」などといったアオリで紹介されていた。
この情報も聴いていた人ならおおむね知っているのではないだろうか。

で、自分も一応そこまでの知識は仕入れていたが、エアチェックできたのはその「Don't forget me(When I'm Gone)」と、「Someday」の2曲だけ。
どちらもいい曲だったが、アルバム鑑賞にまでは発展せず、それっきり。
聴いてない度は微妙の3。

さてグラス・タイガーを採り上げるにあたり、まずはネットで検索・・と思ったら、やはりウィキペディア日本語版がない。
いくつかのサイトやBLOGを巡回しかき集めた情報が以下になります。

グラスタイガーは83年頃カナダのオンタリオ州で結成。
カナダの5人組だがアラン・フルーだけがスコットランド出身。
メンバーは以下のみなさんである。
・アラン・フルー(Vo)
・アル・コンリー(G)
・サム・リード(K)
・ウェイン・パーカー(B)
・マイケル・ハンソン(D)

グラス・タイガーの原型はアル・コンリーを除く4人が結成した「Tokyo」というバンド。
(アル・コンリーは後から加入)
カルチャー・クラブのツアー前座が評価され、85年頃にキャピトルレコードと契約し、グラス・タイガーとしてデビュー。
ブライアン・アダムスのバックバンドなどを務めた後、ジム・ヴァランスのプロデュースでアルバム「Thin Red Line(傷だらけの勲章)」を発表。
ブライアンも参加した「Don't forget me(When I'm Gone)」や、「Someday」を含むシングル5曲が全てチャートインし、アルバムもカナダやアメリカで大ヒット。

その後88年にアルバム「Diamond Sun」を発表し、カナダではダブルプラチナを獲得したが、ドラムのマイケル・ハンソンが脱退。
4人となった後もバンドは91年にアルバム「Simple Mission」をリリース。
シングル「My Town」にはロッド・スチュワートが参加し、カナダでは8位、イギリスで33位、ドイツでは1位を記録した。
しかしアメリカや日本ではあまり売れず、バンドは93年に解散する。

2000年にクリス・マクニールをドラマーに迎え、5人組で再結成。
2005年に新曲を含むベスト盤を発表。
2012年にはデビューアルバム「Thin Red Line」のアニバーサリー・エディション盤が発売された。
DISC1がオリジナル・アルバムのリマスター盤、DISC2はヒット曲のロング・バージョンやライブ音源、未発表デモなどが収録されているそうだ。
本国カナダでは現在も活動中で、昨年もイベントやフェスで演奏したとのこと。
ただスタジオ盤は93年以降リリースはない。

ということでどれも全然知らない話であった。
アマチュア時代のバンド名が「Tokyo」だったのも今回初めて知った。
なんでTokyoだったんだろう?

同じような時期に同じくカナダ出身として活躍したラヴァーボーイコリー・ハートよりも印象は薄く、ミュージックライフで彼らの記事を見た記憶もない。
申し訳ないがアルバムジャケットも全く見覚えはなく、メンバーの名前も顔も知らなかった。
洋楽新人バンドってのはボーカルやリーダーによほど強烈なキャラクターやビジュアルや奇行が備わっていないと、日本のリスナーにメンバーまで記憶してもらうのは難しいとは思う。
デビューアルバムの邦題「傷だらけの勲章」も、当時のレコード会社の人は一生懸命考えたんだろうけど、なんか70年代青春ドラマっぽくてバンドのイメージやサウンドには全然合っておらず、戦略的に成功したとは思えませんけど・・

聴いてる2曲はたぶん柏村武昭プレゼンツだが、どちらもおだやかで聴きやすくいい曲だ。
「Someday」のほうがメロディがきれいだが、サビまでが少し短いように思う。
「Don't forget me(When I'm Gone)」のブライアン・アダムスのバックボーカルは、聴けばすぐにブライアンだとわかる。
曲調を大幅に飛び越えてブライアンの声が出ているので、冷静に聴くと少しやりすぎというかあまり合っていない気はする。
ただ「ブライアンも参加してる!」というのは当時の日本のヤングにとっては重要な付加情報だったので、やはり参加していただいて正解であったと思われる。

88年の「My Song」はアラン・フルーが故郷スコットランドに思いをはせて作った歌だそうだ。
前述のとおりロッド・スチュワートが参加してるそうだが、これもブライアン同様ある意味リスキーな演出ではある。
ロッドなんてブライアン以上に聴いてすぐわかるシンガーなので、話題にはなるけどヘタすると全部持っていかれる・・という葛藤はなかったのだろうか?
いずれにせよこの曲は聴いてみたいと思う。

というわけで、グラス・タイガー。
そもそも皆様はこのバンド、覚えておられるでしょうか?
アルバムを聴くとしたら当然「「Thin Red Line」からだとは思いますが、鑑賞履歴などお知らせいただけたらと思います。

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聴いてみた 第145回 デュラン・デュラン

今日聴いてみたのは驚愕のデュラン・デュラン
92年発表の「Duran Duran」、通称「ザ・ウェディング・アルバム」を聴いてみました。

その昔デュランはカルチャー・クラブ、ワム!とともに3大英国バンドとして日本のナウい若者を狂喜させていた・・と勝手に思う。
勝手に思ってるだけなので「バカモノオマエ3大英国バンドと言ったらなぁ」というご意見は当然あろうが、柏村チルドレンであるあたしは当時も今もこう思ってます。
その3大バンドで自分がよく聴いていたのはカルチャー・クラブだけだが、デュランの曲もFMで簡単にエアチェックできたので、知ってるヒット曲はそれなりにある。
アルバム「Rio」「Seven And The Ragged Tiger」は貸しレコード屋でLPを借りたが、思ったほど定着せず録音したテープは残っていない。
90年以降アルバムは聴いておらず、シングルも「Ordinary World」しか知らない。
自分のデュランに対する扱いはおおむねこんな程度だった。

1985年にバンドは分裂し、パワー・ステーションとアーケィデイアそれぞれで活動。
その後デュランとして再始動するがメンバーは3人となった。
アルバム「Notorious」は大ヒットするが、88年の「Big Thing」、90年「Liberty」で段階的に人気が下降。
3年ほどの停滞期間を経て発表されたのがこの「ウェディング・アルバム」である。

Duran

メンバーはニック、サイモン、ジョンに加え、ウォーレン・ククルロ。
ただしジョン・テイラーは2曲だけの参加。
ククルロさんのことはよく知らなかったので少し調べました。
元はフランク・ザッパ・バンドのメンバーで、脱退後はテリー・ボジオ夫妻らとともにミッシング・パーソンズを結成。
解散後86年頃デュランにサポートとして参加し、ツアーにも同行するようになる。
アルバム「Liberty」では正式なメンバーとなり、2001年までバンドに在籍した。
ザッパ・バンド出身ミュージシャンは変な人ばっかだそうだが、ククルロさんもギターテクは鋭いけどやっぱ変人らしい。

ということでレコード会社も当初発売には難色を示したと言われるデュラン復活の名盤「ウェディング・アルバム」。
果たしてどんな音がするのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

Too Much Information
Ordinary World
Love Voodoo
Drowning Man
Shotgun
Come Undone
Breath After Breath
UMF
Femme Fatale
None of the Above
Shelter
To Whom It May Concern
Sin of the City

ボーナストラック
Time for Temptation
Stop Dead

うーん・・・
80年代の軽薄と神経質が同居するあのデュランとは少し違う。
このアルバムでは軽薄も神経質もやや抑えられた印象。
全体的には落ち着きをたたえ、神経質は幽寂に姿を変えた・・ような感じ。

オープニングの「Too Much Information」はノリのいいロックだが、かつてのヒット曲のようなキャッチーさはない。
かっこいいサウンドではあるが、思ったほど印象に残らないのはなぜだろうか。

大ヒットとなった「Ordinary World」「Come Undone」だが、どちらも確かに名曲だと思う。
特に「Ordinary World」はオープニングの乾いたギターの音、曇ったモノクロなメロディ、広がりのわりにはかなげなボーカルという不思議な聴き所が随所にある。
歌詞を見ながら聴くとわかるが、詞のセンテンスとメロディの小節が微妙に合っておらず、けっこう凝った造りだ。
全然覚えてないが、ソニーのMDウォークマンとトヨタのレジアスのCMにも使われていたそうです。

「Come Undone」は「Ordinary World」と同じく物悲しいバラードだが、もう少しリズミカルで女性ボーカルと掛け合いがあるなど、わりとオールドでシンプルな構成。
ほぼウォーレン・ククルロの作品とのこと。

「Breath After Breath」はイントロは壮大で感動的だが、本編はジェネシスがフラメンコを歌ってるような妙な雰囲気。
「Femme Fatale」は「宿命の女」という邦題がついているようだが、シングルとしてはフランスでのみ発売されたそうだ。
この曲のメロディはどこかジョン・レノンの「Imagine」に似ている。

「UMF」「None of the Above」はどちらも80年代っぽいサウンド。
かすかに聴き覚えがある気がするが、「None of the Above」はホンダのインテグラのCMに使われたそうなので、たぶんそれが記憶の隅に残っていたものと思われる。
なお「None of the Above」は日本でのみシングル発売されている。

「To Whom It May Concern」はイントロでプッシュホン(という呼び方が当時のイギリスでも通用したかは知らないけど)のボタン音や呼び出し音が、また「Sin of the City」では都会の喧騒やパトカーのサイレンが効果として使われているが、どちらもさすがに21世紀の今聴くと古臭い。
90年代でもデュランはまだこういうアレンジをしてたのか・・・
曲調もお得意の神経質エレポで、このあたりはやはり(しかも自分は苦手な)デュランである。

聴き終えた。
テクノやダンスなどあちこちに80年代の音の破片やリズムの残り香はあるが、チャラいイメージや尖った雰囲気はやや薄まり、どこかプログレっぽく難しい雰囲気だと思う。
「オルタナにシフトした」という評価があるようだが、オルタナ自体よく知らないので、あまりこの評価はわからない。
少なくともミラーボールやレーザービームが飛び交うダンスフロアやフルーツ盛り合わせや席取られてるといったオールドなディスコイメージはもうない。(当たり前)

「Ordinary World」「Come Undone」の大ヒット曲は、評判どおりの高品質な作品である。
このヒットで新しいファン層を獲得したそうだが、わかる気はする。
逆に言うとこの2曲が突出して素晴らしく、他の曲とは明らかに色が違うのだ。
全曲この路線で行ってほしかった気もするが、それだとたぶんデュランじゃなくなるのかもしれない。

ジャケットはメンバーの両親の結婚写真とのこと。
どの写真が誰の両親なのか不明だけど、絵としてはもちろん幸せそうで悪くない。
ただなぜこのアルバムはウェディングなのかもよくわからない。
シングルカットされた曲はいずれも結婚とはあんまし関係なさそうだと思いますが・・

デュランのアルバム鑑賞はこれで3枚目なのだが、いずれも曲ごとの好みや評価が大きく分かれてしまい、アルバムとしてのお買い得感はやはり得られなかった。
結局失礼な話になるが、自分にとってデュラン・デュランはやはりベスト盤で満足してしまうバンドなのだ。

ということで、デュラン・デュラン「ウェディング・アルバム」。
「Ordinary World」「Come Undone」が名曲であることは理解できましたが、アルバム全体では好みから遠く難しく厳しい感覚が残りました。
無意味な判定ですが、リアルタイムで聴いていても感想はおそらく同じだったように思います。
残念ながらもう学習意欲はほとんどありませんので、デュランのアルバム鑑賞はこれで終わりになる可能性が高いです。

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聴いてみた 第144回 エアプレイ

今日聴いてみたのは奇跡のAORユニット、エアプレイ。
唯一のアルバム「Airplay」、モンスリー師匠の指導に従って聴いてみました。
邦題はCCBみたいな「ロマンティック」・・

実はエアプレイ、1曲も知らない。
デビッド・フォスターが作ったAORな西海岸ユニットで、アルバムにはTOTOのメンバーが参加したという基礎情報はなんとなく知っていたが、曲は全く聴いたことがない。
理由は不明。
80年の作品なんだから少しくらい柏村武昭が教えてくれてもよさそうなもんだが、なぜか「サンスイ・ベストリクエスト」では録音する機会はなかったし、オンエアしてた記憶もない。
実は紹介してたのを聴きのがした可能性もあるが・・

Airplay

このアルバムジャケットも見覚えはあまりなく、エアプレイの記事がミュージックライフにも載ってたかどうかも全然覚えていない。
自分にとって80年代洋楽三大講師とは柏村武昭・東郷かおる子・小林克也だが、誰からもエアプレイの一般教養を教えてもらえなかった。

仕方なくエアプレイについて38年も経ってから自主的に学習。
中心メンバーはデビッド・フォスターとジェイ・グレイドン。
もともと二人ともミュージシャンだが、様々なアーチストのプロデュースやサポートで売ってきた人たちである。
デビッドの主な実績はEW&Fホール&オーツマイケル・ジャクソンなどのアルバムのプロデュース。
そしてジェイはマンハッタン・トランスファーのアルバム・プロデューサーや、スティーリー・ダンの「aja」でギターを担当するなどの輝かしい経歴を持つ。

LAで出会い意気投合した二人はジェイの家で曲作りを開始。
初めはホール&オーツに提供するつもりでデモテープを作ったが、ホール&オーツのマネージャーの助言でデビッド&ジェイ二人の作品として発表することにした。

二人の広すぎる顔で様々なミュージシャンが参加。
ボーカルは後にボストンに参加するトミー・ファンダーバーグ、後にシカゴに参加するビル・チャンプリン。
さらにTOTOからはジェフ・ポーカロ、デビッド・ハンゲイト、スティーブ・ルカサー、スティーブ・ポーカロ。
他にジェリー・ヘイ、レイ・パーカーJr.という面々が参加し、アルバム「Airplay」は完成した。

こうしてエアプレイは名実ともにビッグ・バンドとして80年代の輝かしい音楽シーンを牽引し、全米で多くのファンを魅了・・でもなかったみたいです。
本国アメリカではそれほどヒットもせず、ユニットとしての作品はこのアルバム1枚のみという伝説手前の実績が残っているとのこと。

そうなった理由はいろいろありそうだが、ともかく内容を調べてみよう。
果たしてどんな音楽なのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Stranded
2. Cryin' All Night
3. It Will Be Alright
4. Nothin' You Can Do about It (貴方には何も出来ない)
5. Should We Carry on
6. Leave Me Alone
7. Sweet Body
8. Bix
9. She Waits for Me (彼女はウェイト・フォー・ミー)
10. After the Love Is Gone

いわゆる日本で言うところのAORそのもので、交通安全協会発行のAOR教本みたいな音楽である。(意味不明)
サウンドはどこまでも明るく透明感に満ちており、ハイトーンなボーカルが鈴木英人のイラストのように広がる。(意味不明)
青すぎる空と高いヤシの並木道、オープンカーに乗った白いスーツの男、なんて光景が浮かぶ音がする。
・・・書いててダサすぎてイヤになるが、まあそういう音楽だと感じる。

TOTOのメンバーが4人もいるからサウンドもやはりTOTOの香りはする。
またところどころスティクスREOスピードワゴンを思わせる音もあり、聴きやすいことは確かである。
「変な曲」「怪しい音」「奇妙な楽曲」といった形容が一切登場しない、信頼と実績が誇る安心の80年代サウンド。

ただしやはりTOTOではない。
ジェフ・ポーカロもスティーブ・ルカサーも聴いてすぐ彼らの音だとわかるようなプレイではない気がする。
(実際どの音がジェフやルカサーのものなのかわかんない)
逆説的に言うと、ボーカルも楽器も誰一人他を押しのけて前に出ようとしていない。
突出して聞かせるパートはなく、皆それぞれがきちんと仕事を全うしている、そんなアルバムだと思う。
無意味なたとえだろうが、もしボビー・キンボールやブラッド・デルプが歌っていたら、もしエドワード・ヴァン・ヘイレンがギターで参加していたら、それだけでかなり尖った曲ができてアルバムの印象も違ったはずである。
(その時点でAORじゃなくなりますけど)

良質なAORではあるが、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのような深みもなく、TOTOのようなソリッドさも感じない。
もちろんブルースやパンクよりもはるかに聴きやすく心地よい音楽であることは間違いないが、好みかどうか問われると思ったよりも微妙。
80年当時に貸しレコード屋で借りていれば必ず愛聴盤になっていただろうが、今の自分にはどこか物足りなさが残る。
堅いロックや渋いバラードはなく、バラエティ感は今一つ。
そもそもそういう音楽じゃないだろと言われればその通りなんだけど。

ちなみに「Nothin' You Can Do about It」はマンハッタン・トランスファーに、また「After the Love Is Gone」はアース・ウインド&ファイアーに提供した曲で、エアプレイのアルバムでセルフカバーした形になっている。
曲の印象はどちらもかなり違うそうです。

ネット上には「TOTOに似てはいるがTOTOよりベタでダサい」という評価がかなりあった。
これはなんとなくわかる。
エアプレイはTOTOをもっと大衆的にした感じで、昼間のファミレスで流れていても全く違和感のない音だと思う。

なのでもっと大ヒットしてもよさそうなもんだが、結果はそうでもなかったのはなぜだろうか?
理由としてはシングル出してアルバム売ってライブをやってツアーで全米巡る、という当時のアメリカ音楽界の正調なコースを進まなかった点にあるらしい。
いくつかのサイトやBLOGに書いてあるが、ライブやツアーを行わないと当時のアメリカでは音楽バンドとしては認められなかったそうだ。
エアプレイの二人は音楽の「創作」活動は大好きだったが、エアプレイを「興業」に乗っけることにはそれほど興味がなかったのだろう。

エアプレイのアルバムはこの1枚だけだが、「解散」という意識もあまりなかったんじゃないかと思う。
デビッドとジェイはその後も他のミュージシャンやバンドのプロデュース・サポート活動ばかりで、自らステージの真ん中でスポットライトを浴びるようなことはしていない。
先日書いたJ.D.サウザーもそうだが、どちらかと言えば世話好き裏方志向なプレイヤーなんでしょうね。

厳密にはエアプレイとしての作品はもう少しだけあり、映画「セント・エルモス・ファイアー」のサントラアルバムにある「Stressed Out (Close To The Edge)」という曲はエアプレイの二人の作品だそうだ。
このサントラのプロデュースもデビッド・フォスターが行っているとのこと。
あと93年には「Airplay For The Planet」という思わせぶりなタイトルでジェイ・グレイドンがアルバムをリリース。
デビッドやTOTOのジョセフ・ウイリアムズも少しだけ参加したが、やっぱりエアプレイではなかったので、これは全然売れなかったそうです。

ということで、エアプレイ。
楽曲として好みにがっちりマッチしたわけではありませんが、とりあえず聴きやすかったのでほっとしました。
AORの歴史上非常に重要なユニットであることも少しだけ理解できました。
80年代でも聴いてこなかった音楽はまだたくさんあるはずですので、引き続き掘り起こしてみようと思います。

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聴いてない 第236回 ビリー・アイドル

逆上のパンクロック・アイドル、ビリー・アイドル。
当然ですが全然聴いてません。

唯一聴いているのがたぶん最大のヒット曲「Mony Mony」。
なので聴いてない度は2。
しかもこの曲が実はカバーだとさっき知ったばかり。
かろうじて88年頃にエアチェックはしたので、柏村武昭プレゼンツによるオンエアのはずである。
毎度どうでもいい情報ですけど。
パンクというわりにはなんか軽い感じだなぁと思ってはいましたが・・

とりあえずビリー・アイドルと入力してGoogle検索し、得られた情報をアジェンダとしてお配りします。
ビリー・アイドルは1955年11月30日ロンドン生まれ。
ということは現在62歳・・そうスか・・エアチェックから30年経ってるからそのくらい加齢してて当然だけど。
本名が「ウィリアム・マイケル・アルバート・ブロード」って書いてあるけど、これどこまでが名前でどこからが苗字なの?

で、若きウィリアムはセックス・ピストルズにあこがれて親衛隊に加入したりしてたそうだ。
1977年にジェネレーションXという名のパンク・バンドでデビュー。(78年と書いてあるサイトもあり)
アルバムを4枚発表するが、商業的には成功せず解散。
解散後ビリーはアメリカに渡り、その後長きにわたりビリーを強力にサポートすることとなるスティーブ・スティーブンスの協力を得て81年「Mony Mony」でソロ・デビュー。
・・・あれ?この曲は81年のデビュー曲だったの?

もう少し詳しく調べてみたら状況が判明。
「Mony Mony」の発表は確かに81年だったが、その時は全然ヒットせず。
その後3枚アルバムを発表し、87年にヒット曲集リミックスアルバム「Vital Idol」をリリース。
この企画盤に「Mony Mony」のライブバージョンが収録された。
このライブ映像がテレビで放映されると人気が急上昇し、「Mony Mony」はシングルカットされ、全米1位を獲得・・という流れだそうです。
そういえばよく考えたら自分がエアチェックしたのはライブバージョンだった・・

ここからスター街道まっしぐら(表現が昭和)と行きたかったビリー・アイドルだが、バイク(ハーレー)事故で重傷を負う。
このケガにより予定されていた映画「ドアーズ」のジム・モリスン役になれず、別の役で出るはめに。
94年には映画「スピード」の主題歌「Speed」をヒットさせる。
この曲でもスティーブ・スティーブンスが参加。
98年の映画「ウェディング・シンガー」に俳優として出演。

90年代は音楽も俳優も目立った活動はなく、ビリー・アイドルは沈黙期間に入る。
21世紀になってようやく音楽活動を再開。
2005年に12年ぶりのアルバム「Devil's Playground」をリリース。
その後も2006年「Happy Holidays」というクリスマスアルバムを発表。
現時点での最新作は、2014年のアルバム「Kings & Queens Of The Underground」。
トレバー・ホーンのプロデュースで、またもスティーブ・スティーブンスが参加。
邦題は「逆襲のアイドル」だそうです。
最近の洋楽(死語)でも邦題が付くことがあるんですね・・

個人的には「Mony Mony」1曲しか知らないが、他にもヒット曲を持ち現在も活動中なので、一発屋とか懐かしのアイドルとかではなさそうである。
なお音楽性としてはもっとパンク寄りな人で、「Mony Mony」はカバーでもあり、ビリーのキャリアの中ではむしろ少し変わってる曲だそうです。

その「Mony Mony」。
歌詞を見たがストーリーやメッセージは全然なく、ノリだけで中身のないガヤ系の軽い歌である(と思う)。
「あの娘が来たぜ!モニーモニー!いいね!いいね!気持ちいいね!オレはイェーイェーイェーって言うぜ!」みたいな感じ(だと思う)。
パンクな人なのにこんなチャラい歌で大ヒットしちゃって大丈夫だったんだろうか?

そもそも「Mony Mony」とはどういう意味だろう?と思ったら、元の言葉は「Mutual Of New York」(ニューヨーク相互保険会社)の頭文字とのこと。
この会社の看板が街中にあって、「MONY-MONY,MONEY-MONEY」と書かれていたのを目にした作者のリッチー・コーデルさんという人が、曲のタイトルにした、という話。
・・それって保険会社側と権利関係でモメたりしなかったの?
「あの娘が来たぜ!アフラック!」とか「気持ちいいね!損保ジャパン日本興亜ひまわり生命!」なんてのと同じってこと?(違う気もする)
結局やっぱし意味はあまりなく、もちろん保険やお金を歌ったものでもないそうです。
あっそう・・「ラッスンゴレライ」とか「ワカチコ」みたいなもんかな。(適当)

オリジナルはトミー・ジェイムス&ションデルズというグループのヒット曲。
ちなみにこのグループの「I Think We’re Alone Now」という曲を、ビリー・アイドルと同じく87年頃にティファニーがカバーし、これまた全米1位を獲得している。

正直「Mony Mony」もたまたま録音しただけでそれほど気に入ったわけでもなく、またビリー・アイドルのやや野太い濁り声もどちらかと言えば苦手なほうだ。
ただハノイ・ロックス学習の過程でスティーブ・スティーブンスの名と経歴を知ったので、スティーブ参加の曲なら聴いてみてもいいかもなどとぼんやり考えている。
パンクも苦手なんで玉砕敗退する可能性も高いですが・・・

というわけで、ビリー・アイドル。
日本での評判は例によって見当もつきませんが、おすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第235回 ダイアナ・ロス

ブラックミュージックの重鎮、モータウンの女王ことダイアナ・ロス。
あまりに偉大すぎて自分みたいな極東三流腸弱リスナーが採り上げること自体おこがましいですけど、聴いてません。

もちろん存在は認識しているつもりだし、ジャズやクラシックのような「全くなじみのないジャンルの人」というわけでもない。
80年代当時アジアの辺境貧乏学生だった自分にもダイアナ・ロスは寛容だったのである。(意味不明)
大スターが集う音楽祭で、キラキラのゴージャス衣装に身を包み大トリで歌う都はるみっぽい人、というイメージ。(雑)

シュープリームス時代も含め、聴いている曲は以下である。
・You Can't Hurry Love(恋はあせらず)
・Upside Down
・Endless Love
・Chain Reaction
・If We Hold On Together

「恋はあせらず」以外はいちおうリアルタイムで聴いている。
なお「恋はあせらず」はフィル・コリンズのカバーを先に聴いた。
ソロで最初に聴いた曲は「Upside Down」だが、聴く前からダイアナ・ロスの名前は知っていたと思う。
「Endless Love」はライオネル・リッチーとのデュエット。
「Chain Reaction」はバックコーラスにビージーズが参加している。
自分にしてはわりと聴けてるほうだと思うのだが、アルバムは全く聴いてないので、聴いてない度は3。

ブラックミュージックの女性シンガーとして最も成功した人であり、80年代も90年代も全く現役だったが、当時の日本のナウいヤングやダサい男子学生が最優先で聴いていたアーチストではなさそうである。
姉や友人との会話にダイアナ・ロスが登場した記憶もない。
なので当時から今に至るまで聴いてない敗北感や危機感もないまま惰性で歳をとっている状態。

ということで、あらためて偉大なるダイアナ・ロスの華麗なる経歴について拙速なる学習。
ダイアナ・ロスは、1944年デトロイトに生まれた。
父親は自動車工員、母親は白人家庭のメイドとして働く家庭で育つ。
中学生の時、近所の友人たちと4人組コーラス・グループ「プライメッツ」を結成。
(プリメッツと書いてあるサイトもあり)
デトロイトの小さなレコード会社からシングルレコードを発表した後、さらに大きなレコード会社であるヒッツヴィル(のちのモータウン)への売り込みを始める。
この時ダイアナ・ロスの売り込みを受けてモータウンの社長にプライメッツを紹介したのがスモーキー・ロビンソンだそうだ。

62年モータウンと正式に契約し、グループ名をシュープリームスと改める。
この時点でメンバーは1人抜けてダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソンとフローレンス・バラードの3人となった。

で、シュープリームスについても少し調べてみたが、今は発音により忠実な「スプリームス」と表記するようだ。
・・・なんか「ダイアナ・ロス&スプリームス」ってあまりなじめない感じですけど、もっと早く矯正できなかったんスかね?
カート・コバーンレディー・ガガもアドリアン・アドニスもみんなそうだが、日本人てよその国の人の名前はホント適当だよなぁ。
シュープリームスもたぶん「シュークリーム」につられたんだと思う。(適当)
とりあえずウチのBLOGではシュープリームスに統一しておきます。

シュープリームスは64年「Where Did Our Love Go?(愛はどこへ行ったの)」で初の全米No.1を獲得。
翌65年には「Stop! In the Name of Love」がヒット。
この曲はのちにホリーズがカバーしてまたヒットしている。
さらに66年には「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」、「You Keep Me Hangin' On」もヒット。
(「You Keep Me Hangin' On」はヴァニラ・ファッジのカバーでも有名)
大量のヒット曲を放つスーパーグループに成長を遂げる。

67年に「ダイアナ・ロス&シュープリームス」と改名。
しかしダイアナ本人がセンターでいることにこだわり過ぎて、他の2人との確執・軋轢・摩擦が生じ、リーダーだったフローレンス・バラードは脱退。
69年にはダイアナもグループから脱退しソロとなる。

ソロ転向後もダイアナ・ロスの活動は順調に進んだ。
70年「Ain't No Mountain High Enough」でソロ初の全米1位を獲得。
73年にも「Touch Me In The Morning」をヒットさせた。

また映画女優としても活動の幅を広げ、「ビリー・ホリデイ物語」で主役を演じる。
しかし女優としては大成功とは言い難く、その後の主演映画「マホガニー物語」やミュージカル「ウィズ」は興行的には残念な結果に終わってしまった。

80年にナイル・ロジャースによるプロデュースの「Upside Down」でシンガーとして完全復活し、全米1位をまた獲得する。
81年ライオネル・リッチーとのデュエット「Endless Love」も大ヒットを記録。
いちおう全米1位獲得の曲はこの「Endless Love」を最後に出ておらず、モータウンからRCAに移籍する。
85年にはUSA for Africaに参加。
「We Are The World」でソロパートを歌い、マイケル・ジャクソンとも声を合わせた。

この後アメリカでは人気もセールスも下降していく。
しかし日本では91年発表の「If We Hold On Together」が、ドラマ「想い出に変わるまで」の主題歌に使われて大ヒットという日本限定の現象が起こる。
確かに曲は自分もリアルタイムで聴いているが、このドラマは見ていた記憶はない。
主演は今井美樹と石田純一、脚本は内館牧子というトレンディなドラマだったそうですけど・・・

ヒット曲は出ていないが、今もアメリカ音楽界の重鎮として記念行事や音楽祭などのイベントに登場し、変わらぬ歌声で観客を魅了している。(表現が昭和っぽい)
2015年には日本公演も行われ、またこの年からツィッターも始めるなど、現在も精力的に活動中とのこと。

繰り返しの言い訳で恐縮ですけど、偉大なる存在であることはもちろん認識してはいた。
が、上記の経歴話は半分も知らなかった。
エアチェックした曲は冒頭述べたとおりだが、積極的に録音しに行ったものではなく、柏村武昭の案内に従順に対応していただけの話である。
聴いている中では「Chain Reaction」がノリが良くていいと思う。

ウィキペディアには「シュープリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のビルボード1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。」と書いてある。
金額的にどうなのかはわからないけど、記録としてはグループ時代のほうがすごかったということになる。
なのできちんとダイアナ・ロス学習をするのであれば、シュープリームス鑑賞も必修科目となるはずだ。

楽曲や声の好みはともかく、歌唱力においては不安など感じる必要も一切ない、信頼と実績が誇る安心安定な歌手であることは間違いない。
ただ勝手な推測だが、ダイアナ・ロスもカーペンターズ同様にアルバムよりは曲単位での評価が主流ではないだろうか。
なのでシュープリームス時代のヒット曲も収録されたいい感じのベスト盤があれば聴いてみたいと、ムシのいいことを考えている。

ということで、ダイアナ・ロス。
偉大すぎて評価が難しいようなアーチストではあると思いますが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第143回 ブロンディ

今回聴いてみたのはブロンディ
さりげなく書いてますけど、このバンドのアルバムをまともに聴くのは初めてである。
中学生の頃からデボラ・ハリーの顔と体つきにだけ反応し続けてきて、アルバム鑑賞なんかほったらかしだったのだが、今回ようやく「Eat To The Beat(恋のハートビート)」を聴くことができたよ。(手遅れ)

Eat_to_the_beat

「Eat To The Beat」は79年発表の4枚目のアルバム。
全英チャートで見事に1位を記録した名盤である。(全米は最高17位)
前作「Parallel Lines(恋の平行線)」に続いてプロデューサーにマイク・チャップマンを起用。
チャップマンさんは田村信の漫画の主人公・・ではもちろんなく、ナックの「My Sharona」を手がけたことでも有名。
前作で開花した多様性がさらにレベルアップし、Amazonのレビューでも高く評価している人が多い。

知ってるヒット曲も多数あり、おそらく困惑するような結果にはならないだろう。
聴いてみたシリーズ、聴く前からこれだけ精神的に余裕のある作品は初めてである。
ふんぞりかえって聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1.Dreaming
オープニングにふさわしいノリのいい大ヒット曲。
あらためて聴くとキーボードの音が効果的だと感じる。

2.The Hardest Part
シングルにもなっていた曲だそうだが、これは初めて聴く。
やや辛口なナンバー。
エンディングで拍が足りない部分があるような気がしたけど、違います?

3.Union City Blue(涙のユニオン・シティ)
数あるシングルの中でも好きな曲。
ユニオン・シティはニュージャージー州の都市だが、ニューヨークの隣にあり、マンハッタン島からハドソン川を渡ったところに位置する街。
プロモ・ビデオにも都市の風景や自由の女神が映っている。
どこか都会的な香り漂うサウンドがいい。
レディオヘッドがカバーしているそうだ。

4.Shayla
実はブロンディで一番好きな曲がこれ。
シングルカットはされておらず、隠れた名曲だ(と思っている)。
前の曲と音の雰囲気は似ており、ライブでも続けて歌うことがあった。
歌詞は名前でなく番号でしか呼ばれない工場で働く娘が、工場をやめてどこかに行ったという少しさびしい内容。

5.Eat To The Beat(恋のハートビート)
一転パンクなタイトルチューン。
そのせいかどうか不明だが全英チャートでは1位を記録している。
「Eat To The Beat」とはどういう意味かと思ったが、歌詞カードの訳では「ビートに合わせて食べるのよ」となっている。
何を意味しているのだろう・・

6.Accidents Never Happen
初めて聴く曲。
流れは前の曲に近く、疾走感に満ちたロック。
ただメロディはそれほど抑揚はなく、意外に地味。
エルビス・コステロの「Accidents Will Happen」という曲へのアンサーソングという噂もあるそうだけど、本当?

7.Die Young Stay Pretty(青春のときめき)
南国調のサウンド、レゲエっぽいリズム。
プロモ・ビデオの映像をうっすら覚えている。
なんとなくブロンディっぽくなくて誰かのカバーなのかと勝手に思っていたが、これもデボラとクリス・シュタインの作品。

8.Slow Motion(素敵な時間をスローモーション)
フレンチっぽいオシャレなサウンド。
タイトルに反してリズムはわりとキャッチーである。
奥のほうで控えめに鳴るキーボードが意外にいい感じ。

9.Atomic(銀河のアトミック)
デボラのお色気(死語)全開の一曲。
音はアメリカっぽい気がするけど、売れたのはやっぱりイギリスで、きちんと1位を獲得。
(全米は最高39位)
デボラの「・・・Atomic」という低くてエロい声が印象的だが、リズムを刻むドラムとしゃりしゃり鳴り続けるシンバルが楽曲をよりきらびやかに彩っており、結構凝った造りだ。
ダサい邦題が一周回って今は秀逸に思える。

10.Sound-A-Sleep
アルバム中唯一のスローバラード。
初めて聴いたが、非常にいい。
シングルカットされてもヒットしていただろう。

11.Victor
前の曲とは真逆のガサツな雰囲気。
男どものむさ苦しいバックコーラス、デボラがヤケクソ気味にシャウト。
ここまで散りばめられたヒット曲や極上のバラードに比べてずいぶんひねった感じ。

12.Living In The Real World
同じノリのまま加速してパンクロック。
この終盤の流れは少し好みからは遠い。

以下はボーナストラック。
13.Die Young Stay Pretty (青春のときめき:Live)
14.Seven Rooms Of Gloom (BBC Live)
15.Heroes (Live)
16.Ring Of Fire (Live)

ボーナストラックはいずれもライブだが、グラスゴーやロンドンなどイギリスでの公演らしい。
思ったより音が安い感じで、逆に臨場感がある。

聴き終えた。
曲ごとの好みの差はもちろんあるが、やはりバラエティ豊かなアルバムである。
バンドの特徴そのものでもあるが、パンク・ロック・レゲエ・バラード、どれもクオリティが高くゴージャスな仕上がりだ。

ただ初めて聴く曲に、よいと思える作品が意外に少なかった。
「Sound-A-Sleep」はいいと思うが、「Accidents Never Happen」「Victor」「Living In The Real World」などは特に楽しくなるような印象ではない。
もう1曲明るくノリのいい作品があればよかったのだが・・

しかしどんな曲でもデボラは器用に歌う。
加えて楽器や作り込みもしっかりしており、レベルの高い音楽だと思う。
クレジットを見ると、半分以上の曲作りにデボラとギターのクリスが参加しており、他の男どもはそれぞれ手分けして担当している状態。
少なくともデボラはただ歌うだけのエロいお飾り姉さんではなく、クリエイティブ面でもバンドを牽引するフロントウーマンである。
これまでずうっとデボラの顔とか露出の多い衣装しか見てこなかったんですけど、なんかすごくチカラのあるバンドだったんスね。(今さら)

このアルバムのオリジナル収録曲は全てプロモ・ビデオが作られているそうだ。
まあ映像の出来は70年代末なのであまり凝ったものではないようだが、この後やってくるMTV時代を見通しての戦略だったとすれば、先見の明があったということだろう。
エロいボーカルにばかり気を取られてましたが、ラップを初めてポピュラー音楽に大胆に採り入れて見事チャートインさせるなど、やってることはかなり野心的だったのだね。

気になるのがなぜかイギリスでの評判が高いブロンディ。
このアルバムも含め、セールスとしては本国アメリカよりもなぜかイギリスのほうが売れている。
見るからにアメリカンな人たちだと思うのだが、理由はよくわからない。

というわけで、ブロンディ「Eat To The Beat」。
おおむね想定どおりで余裕の鑑賞となりましたが、あらためてこのバンドの楽曲の多様性に気づかされました。
70年代のアルバムはあと3枚ありますが、全部聴いていきたいと思います。

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聴いてない 第234回 トリーネ・レイン

北欧のシルク姉さん、トリーネ・レイン。(大スベリ)
こんなあたしでも1曲聴いてるし、1枚だけだがアルバムジャケットもよく覚えているので、日本でも相当流行ったと思われる。
聴いたのはもちろん大ヒット曲「Just Missed The Train」。
昨日たまたま耳にしてトリーネ・レインを思い出した次第。
93年の曲だが聴いたのはその3年後くらい。
当時もうFMからのエアチェックなんか誰もやっておらず、自分もNOW系オムニバスCDで聴いた。
あともう1曲聴いてるはずだがタイトルが不明。
後で調べます。
聴いてない度は2。

「Just Missed The Train」はいい曲だったが、CDショップに大量入荷してた爆乳ジャケットには手を出さず、トリーネ・レインについてさらに掘り下げることはしていない。
繰り返しの言い訳になるが、聴いた当時はもうエアチェックもFMステーションもミュージックライフも卒業しており、自主的な音楽学習をほとんど行わなくなった時期にあたる。
なのであと5年登場が早ければおそらく違った展開になっていたと思う。
あのジャケットのイメージから、マドンナデボラ・ハリーのような妖艶路線(表現ダサ過ぎ)の人なのかと思ったけどそうでもないみたいです。

ということで25年(!)経った今頃トリーネ・レインについて、果てしなき手遅れ学習を敢行。
毎回恒例で当たり前だが調べてみると驚くような話が続出である。

トリーネ・レインは1970年サンフランシスコに生まれ、ノルウェーで育つ。
91年頃からノルウェーで活躍し始め、93年11月にソロデビューアルバム「Finders Keepers」発表。
このアルバムについてはどこのサイトでも全世界で60万枚売れたとあるが、内訳についてはあるサイトが「ノルウェーで20万枚」、別のサイトでは「日本で40万枚」などとなっており、総合するとノルウェーと日本でしか売れてないことになるけど合ってます?
いずれにしろ日本で本国以上のセールスを記録しており、ジャケットも大きく売り上げに貢献したと思われる。

96年のセカンドアルバム「Beneath My Skin」も30万枚中日本では18万枚売れ、同年来日コンサートが行われた。
さらに98年アルバム「To Find The Truth」を発表するが、セールス的には10万枚と伸び悩む。

ここから先の経歴はサイトによりニュアンスが少し異なる。
ウィキペディアでは「有名人としての生活に辟易」「活動を停止し2000年にアメリカ移住」「数年間リムジンのドライバーなどを経験」となっている。
しかし別のサイトでは「リムジン会社で運転手のアルバイトをしながらソングライターやプロデューサーとのネットワークを作っていった」と書いてある。
アメリカ移住・リムジン運転手は同じだが、芸能界がイヤで移住だったのか、さらなる夢を抱いて移住だったのかで話は大きく変わってくる気がするが・・・

諸説あるようだが、転機は意外なところから。
ケリー・クラークソンというアイドル歌手が2003年に「Just Missed The Train」をカバーしヒットしたことで、再びトリーネ・レインが注目されることになったらしい。
その後2004年にノルウェーでの野外フェス出演をきっかけに本格的に復帰し、ベストアルバム「The Very Best Of Trine Rein」も発表というハッピーな展開。
2010年に12年ぶりのシングル「I Found Love」とアルバム「Seeds of Joy」をリリース。
2011年3月にはノルウェーで東日本大震災復興支援チャリティコンサートを開催。
現在もノルウェーで音楽活動を続けているそうだ。

もちろん知ってた話はひとつもないが、本国より日本のほうが多く売れたアルバムがある、というのはかなりすごいことのように思う。
トリーネ・レイン本人も日本に対して良い思いでいるであろうし、そうしたことが復興支援コンサート主催などの行動にもつながっているのだろう。

「Just Missed The Train」しか聴いてないが、歌唱力は非常に高いものがある。
シンディ・ローパースティービー・ニックスのような特徴的な声ではないが、情感こめてひきずるように歌うボーカルは聴いていて安心する。
またセールスとしてはマライア・キャリーセリーヌ・ディオンには及ばないだろうが、個人的にはあの2人よりもトリーネ・レインの声のほうが好きである。
ちなみに「Just Missed The Train」はトリーネのオリジナルではなくダニエル・ブリズボワという人の作品で、94年にダニエル自身がセルフカバーを発表しているそうだ。

トリーネ・レインについて調べていくと、度々名前が見つかるのが椎名林檎だ。
椎名林檎は中学生の頃に「Just Missed The Train」を聴いて歌を作ろうと決心し、高校2年生でヤマハ主催の音楽フェスティバル全国大会にバンドで出演、この曲を歌い激励賞を受賞したとのこと。
椎名林檎のアルバムには「Just Missed The Train」に似ている曲もあるようなので、トリーネ・レインに強く影響を受けているのは間違いなさそうである。

というわけで、トリーネ・レイン。
オリジナルアルバムは今のところ4枚なので、「Finders Keepers」から順番に聴けばいいだけの話だが、ベスト盤でお手軽に学習してしまう予感もする。
みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてない 第233回 J.D.サウザー

ウエストコーストの黄金期を支えた一人、J.D.サウザーことジョン・デビッド・サウザー。
全然聴いておりません。
聴いているのは誰でも知ってる大ヒット曲「You're Only Lonely」だけ。
この曲はほぼリアルタイムで聴いたはずだが、エアチェックできたのはなぜかライブバージョンだった。
長いことスタジオバージョンのオンエアを待っていたのだが、柏村武昭はその少年の思いにこたえてはくれなかった。

ジェームス・テイラーとの共作「Her Town Too(憶い出の町)」もエアチェックはしたが、この曲はジェームス・テイラーのアルバム収録曲なので、J.D.サウザー名義では実質1曲しか聴いていない。
聴いてない度は2。

J.D.サウザーはイーグルスを学習していれば必ず登場する人物である。
・・・という話だけはこっそり知っているが、具体的にどう関係していたのか詳しくは知らない。
というわけで、このまま表層的知識だけでやっていくのもオトナとしてどうかなと思いまして(ウソ800)、略歴を調べてみました。

ジョン・デビッド・サウザーは1945年デトロイトに生まれ、あのザ・ファンクスの故郷テキサス州アマリロで育った。
若きジョン・デビッドは音楽で身を立てることを決意し20歳でロサンゼルスに移住。
ここで偶然同郷のグレン・フライに出会い、共同生活を始める。
68年グレン・フライとともにロングブランチ・ペニーウィッスルという名でユニットを結成し、70年にアルバムも発表。
しかしユニットはアルバム1枚で解散となり、グレン・フライは71年にイーグルスを結成する。
J.D.サウザーはグレンと決別したわけではなく、その後も互いの活動に参加協力していく。

72年、グレン・フライも参加したソロアルバム「John David Souther」を発表。
しかしセールスはいまいちだったため、レコード会社の意向もあって74年には元バーズのクリス・ヒルマン、元バッファロー・スプリング・フィールド、ポコのリッチー・フューレイとともにバンドを結成。
メンバーの名をつなげたサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドは2枚のアルバムを残すが、思ったほど売れず解散。
バンド解散後もイーグルスの曲作りに協力したり、リンダ・ロンシュタットのプロデュースを手掛けたりといったスタッフとしての活動を続けた。

ソロに戻ったJ.D.サウザーは76年にリンダ・ロンシュタットやデビッド・クロスビー、イーグルスのメンバーが参加したアルバム「Black Rose」を発表。
さらに79年「You're Only Lonely」をリリース。
ジャケットはうつむき加減で立つJ.D.サウザーの姿で、当時流行のAOR感に満ちた絵はあちこちの貸しレコード屋でよく見かけたものだ。(借りませんでしたが・・)
ただし内容はAORというよりややロック寄りな曲が多いらしい。
同名シングルは全米7位を記録する大ヒットとなり、日本でもその名を知られることとなる。

「You're Only Lonely」は確かに名曲だと思う。
おだやかな旋律は当時極東の貧乏中学生だった自分が聴いても心温まるものだったし、友達の間でも人気があったことを覚えている。
ロイ・オービソンの影響を強く受けた曲だそうだが、わかるような気もする。
(ロイ・オービソンもあまり聴いてませんけど)

だが。
全米7位のヒット曲を持ちながら、80年以降のソロ歌手としての活動はかなり控えめである。
アルバムは84年の「Home by Dawn」、その次がなんと24年後の2008年「If the World Was You」。
ただし24年間表舞台から姿を消したわけではなく、他のミュージシャンとの活動は続けていたようだ。
以降のソロアルバムは2009年の「Rain」、2011年「A Natural History」となっている。

最近も2014年9月にテネシー州ナッシュビルでの「アメリカーナ・ミュージック・アワード2014」でジェームス・テイラーと共演。
2015年にはアルバム「Tenderness」も発表し、ビルボード東京や大阪で歌ったりしている。

・・・というわけで、やはり知らない話ばかりであった。
リンダ・ロンシュタットとの交流もどこかで聞いたような気はするが、一時期恋仲にあったりリンダに捧げる曲を書いたりといった深い情報までは知らなかった。

45年以上のキャリアでリリースしたソロアルバムは10枚に満たないことになる。
なんとなくわかってきたが、この人はソロ歌手としてのゴージャスな立ち位置をあまり好まないようだ。
いい曲を作って友達に歌ってもらって売れたら自分もハッピー、みたいな裏方志向のミュージシャンなのだろうか。
スパンコール付きの衣装でステージ上を回転しながらスポットライト浴びたり、ホテルの窓から裸の女を投げ捨てたり、バックステージでメンバー同士殴り合って血だらけでアンコール登場といったことは苦手なんだと思う。

J.D.サウザーが制作に参加したイーグルスの主な名曲は以下である。
・Doolin-Dalton
・James Dean
・Best Of My Love(我が愛の至上)
・New Kid In Town
・Victim Of Love
・Heartache Tonight
・The Sad Cafe

最近の来日公演ではこれらイーグルスの名曲も歌ったりしたそうだ。

不思議なのはイーグルスにどうして加入しなかったのか?という点。
ジャクソン・ブラウンもそうだが、メンバーとの親交も深く、これだけ数々の名曲も手掛けてきたのであれば、「オマエも入れよ」とか「じゃあオレも入るかな」という流れになってもおかしくない気はするが・・
イーグルスもモメ事の多いパープルっぽい団体だったので、純粋に音楽は追求するけどグレンやドン・ヘンリーともめたりするのは御免だと思ってたんだろうか?
ランディ・マイズナーが加入に反対だったとかレコード会社が認めなかったとか、いろいろ楽しそうな話もあるようだが・・

というわけで、J.D.サウザー。
今さらですが聴くとすれば当然まずは「You're Only Lonely」でしょうけど、他にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第142回 ジャパン

もうすでに半月過ぎようとしていますが、みなさま新年明けましておめでとうございます。
2018年最初の聴いてみたシリーズ、自分でも意外なジャパンを選んでみました。

ジャパンの記事を書いたのは驚愕の14年前。
BLOGを始めて間もない頃で、記事書いたら最初のコメントでいきなりお叱りをくらってしまったという当然かつ因縁のバンドでもある。
しかもお叱りを受けていながらやっぱり14年間も放置という救いようのない展開。
他にもそんな扱いのバンドはたくさんありますけど。
しかし2018年のわたしはそんな自堕落な自分と今年こそ決別すべく(棒読み)、日本人なら誰でも知ってる「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」を渋谷のレコファンにて750円で購入。

Japan

14年前に記事書いた時はジャパンの歴史すら全然調べなかったので、今回は少し調べました。(手遅れ)
ジャパンは1974年にロンドンで結成された。
メンバーはリチャード・バルビエリ(K)、ミック・カーン(B)、デビッド・シルビアン(Vo・G)、ロブ・ディーン(G)、スティーブ・ジャンセン(D)。
デビッド・シルビアンとスティーブ・ジャンセンは兄弟。(デビッドが兄)
デビュー当時ロブ以外の4人は結成当時全員10代だった。
なおバンド名の由来に明確な意味はなく、デビッドによれば「なんとなくジャパンという言葉が浮かんだ」からとのこと。
あとミック・カーンは奥さん日本人だそうです。

アルバム「Adolescent Sex」でデビュー。
ブラックやグラムやパンクなどを混ぜた感じの内容で、邦題は「果てしなき反抗」っていかにもなタイトルだけど、本国やアメリカでは全然売れず、一方日本では売上15000枚という実績を残す。
その名のとおり日本から人気に火がついたバンドとなった。

バンドは3枚目のアルバム「Quiet Life」より転換を見せる。
グラムやブラックな要素を大幅に縮小して、シンセサイザー多用やアレンジなど技巧面でのサウンド変化を実行。
さらにデビッドの粘性ボーカルに暗い歌詞といった独特な様式美を確立。
「耽美派」「内省的」といった形容が定着し始め、ようやく本国やアメリカでの人気が追いついていく。

80年代に入り、バンドはアフリカや東洋の音楽を取り入れた「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」、「Tin Drum(錻力の太鼓)」を発表する。
特に「Tin Drum」には、デビッドの中国に対する興味や関心が、曲やジャケットやプロモビデオにも反映されているそうだ。
シングル「Ghosts」は全英4位を記録するバンド最高のヒットとなった。

しかし「Tin Drum」リリース直前、ギターのロブ・ディーンが脱退。
最後のライブツアーでは一風堂の土屋昌巳がサポートギタリストを務め、日本公演では土屋に加えて坂本龍一、高橋ユキヒロ、矢野顕子も参加した。
この後デビッドとミックの仲がうまくいかなくなり、ジャパンは82年に解散する。
バンドは91年に一時的に復活したが、ジャパンとは名乗らず「レイン・ツリー・クロウ」という名で同名のアルバムもリリース。
2011年ミック・カーンがロンドンで死去し、オリジナルメンバーによるジャパン再結成は永久になくなった。

14年前からジャパンに関する知識は全く向上しておらず、もちろん大半が初めて知る話である。
ただ「孤独な影」「ブリキの太鼓」が日本でも売れていたことはうっすら覚えており、ジャケットも記憶に残っていたので、聴くならこの2枚からだと思って選んでみました。(安直)

今回買った「孤独な影」はデジタルリマスター盤で、曲順も曲数もジャケットもオリジナルとは少し違うようだ。
果たしてあたしは14年間に及ぶ孤独を埋めることができるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Gentlemen Take Polaroids
2. Swing
3. Burning Bridges
4. My New Career
5. Methods Of Dance
6. Ain't That Peculiar
7. Nightporter
8. Taking Islands In Africa
9. The Experience Of Swimming
10. The Width Of A Room
11. Taking Islands In Africa (Steve Nye Remix)

サウンドやボーカルはおおむね想定していたとおりだった。
デビュー当時のジャパンはブラックやパンクやレゲエも採り入れた荒削りな音楽だったそうだが、このアルバムについてはその残り香はどこにも感じなかった。
唯一聴いていた「I Second That Emotion」と路線はだいたい同じである。
なおtatsuromanさんに教えていただいて初めて知ったのだが、その「I Second That Emotion」はカバー曲で、彼らのオリジナルアルバムには収録されていないのだった。

タイトルだけは知っていた「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」も含め、聴いたことのある曲は全くない。
デビッド・シルビアンのオクラ納豆系ボーカル、どこか曇ったサウンドとはかなげなメロディ、いかにも80年代っぽいアレンジ。
スピード感あふれるロックやノリのいい楽しいポップといった要素はなく、同じ時代に開花した他のニューロマな人たちとはやはり違う。
部分的にデュラン・デュランABCと似ているところはあるが、デュランにある力強さや神経質さはそれほど感じない。
・・・などと知ったかぶりカマして書いてますが、デュランもABCもちゃんと聴いてませんが・・・(台本どおり)
ジャパンの独創的な世界観はこのアルバムで完成したようだ。

聴いてみて意外だったのはリズムがかなりしっかりしているところだ。
ボーカルが粘性なので曲全体ももっとぐにゃぐにゃしてんのかと思ったが、そうでもない。
「Methods Of Dance」「Ain't That Peculiar」などはドラムの音がけっこうソリッドで、それでいて不思議な調和がある。
ちなみに「Ain't That Peculiar」もスモーキー・ロビンソン&ミラクルズのカバーだそうです。

一方で「Nightporter」は静かなピアノバラード。
あまり美しいとも思えないデビッドの声だが、これも悪くない。
「Taking Islands In Africa」は坂本龍一が参加してるそうだが、YMOもあまり聴いてないので「おお!やはり教授っぽい」などといった感想もなく、デビッドはやはりここでも糸引きボーカルである。
どの曲も全然明るくないし、やはり好みからは距離を感じるのだが、プログレのような置き去り感は思ったよりもない。
デビッドのボーカルも意外なほど拒絶感はなかったので、やや安心。

聴き終えた。
正直当時も今もミーハー(死語)で産業ロックに汚染された自分には難しい音楽だが、一回聴いて「あああダメだこりゃ」といった感情はありがたいことにわかなかった。
ジャパン、細かく聴いていくと「案外いいな」という音がわりと拾えるのだ。

矛盾してるようだが、おそらくリアルタイムで聴いていたら、拒絶反応だったと思う。
当時のチャラい産業ロック上等の自分では、この音はたぶん受け入れることは無理だった気がする。
好みや習熟は別として、中年になってから多少音楽鑑賞の枠を広げるようになったので、わずかではあるが寛容になっているのかもしれないが・・

というわけで、ジャパン「孤独な影」。
思ったより悪くなかったです。
とてもスタンディング・オベーションというレベルにまではいきませんが、もっと過酷な結果を想定していたので、この感想は自分でもホントに意外でした。
次作「ブリキの太鼓」にもチャレンジしてみようと思います。

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聴いてない 第231回 パット・ベネター

前回のプレイヤー同様、出会いは中学生の頃と非常に古いが全然聴いてないパット・ベネター。
いちおうリアルタイムで聴いてる曲もあったのだが、BLOG開始後14年目にしてようやく初登場である。(遅すぎ)
時系列的にはなんとなくだがリンダ・ロンシュタットマドンナの間にいた人、という感じにとらえている。

聴いた曲は以下のとおり。
・Heartbreaker
・We Live For Love(愛にまかせて)
・Hit Me With Your Best Shot(強気で愛して)
・Fire And Ice
・Little Too Late

他に全曲ブルースというアルバムをレンタルで聴いたことがあったが、そもそもブルースも得意ではないため1回だけ聴いて返却。
聴いてない度は3くらい。
能動的に聴きに行ったことはなく、FMでオンエアされた曲を録音できればしておく、という扱いだった。

ハードなロックナンバーを男まさりに歌うという立ち位置は嫌いではなかったが、申し訳ないけど顔も声も好みの範疇には入らなかった。
自分の場合、少なくとも顔面に関してはデボラ・ハリーが他の並み居る女性アーチストを全て粉砕していたのである。

つれない扱いに若干の罪悪感を覚えながら(ウソ)調査開始。
パット・ベネターの本名はパトリシア・アンジェイェフスキ。
えっそんな名前だったの?
姓の響きが東欧っぽいなと思ったら、やはりルーツはポーランドにあるようです。

本名パトリシア・アンジェイェフスキは1953年ニューヨーク生まれ。
ポーランド系の父親は板金工場経営、アイルランド系の母親は美容師という裕福な家庭に育つが、お嬢パトリシアは厳格な教育方針にやっぱり反発。
親は娘をクラシックかオペラ歌手にさせたかったようだが、パトリシアはジュリアード音楽院というクラシックの名門校のボイストレーニングの繰り返しに飽きてしまい、反動でロックに没頭というわかりやすい展開。

18歳からナイトクラブで歌い始め、レコード会社の担当者の目に止まり1974年にロック歌手としてデビュー。
この頃デニス・ベネターと結婚。
後に離婚することになるが、芸名パット・ベネターは変えなかったようだ。

しかしデビューはしてみたものの全然売れず、下積み時代が4年以上も続いた。
79年再デビューという形でようやくアルバム「In The Heat Of The Night」を発表。
シングル「Heartbreaker」は全米23位を記録した。
ということは自分もいちおうデビュー当時から聴いてはいた、ということになる。
偉くもなんともないが・・

なおこのアルバムのプロデューサーはスージー・クアトロやブロンディなどのプロデュース経験もあるマイク・チャップマン。
再デビューとはいえ売れっ子プロデューサーのチャップマンさんを起用できたというのはすごい話なんじゃなかろうか。
また収録曲である「I Need a Lover」はジョン・クーガーの作品とのこと。

ここから85年の間にコンスタントにアルバムをリリースし、特に「Precious Time」「Get Nervous」は大ヒット。
この間グラミー賞のロック女性ボーカル部門で5年連続受賞。
またバックバンドでギターを弾いて彼女をサポートし続けたのは夫であるニール・ジェラルドという泣かせる話もある。

しかし85年あたりに転機が来る。
この年のシングル「Sex as a Weapon」はタイトルが女性団体から問題視され、有害指定を受けたそうだ。
正確には「Stop Using the Sex as a Weapon」であり、むしろ女性団体から支持されそうなメッセージソングのはずだが、パットやレコード会社側の思惑とは違った形で騒動になってしまったらしい。
ちなみにこの曲とマドンナの「Like a Virgin」はどちらもトム・ケリーとビリー・スタインバーグという人たちの作曲だそうです。

別に競ったり衝突したわけでもないと思うけど、そのマドンナの台頭と入れ替わるような形でパット・ベネターの人気と活動量は下降していく。
チャートへの登場もアルバム発表も徐々に間隔が空いてきて、21世紀以降はあまり目立った活動はしていないようである。
スタジオ盤としては2003年の「Go」が今のところ最後のアルバムとなっている。
来日公演も95年に一度あったのみとのこと。

どれも全然知らない話ではあったが、確かに自分も80年代後半以降はパット・ベネターの曲はエアチェックできていない。
意識的に避けた記憶もないので、日本でもFMでのオンエア自体の頻度も下がっていたと思われる。

やはりロック・ボーカリストという特殊な職業は、特に女性が長い期間続けていくことは相当に難しいのだろう。
まあ女性に限らず男でもロック歌い続けるのがキツイのは同じだと思うけど。
マドンナは今も現役だがロック歌手とも言えないし、歌うスタイルもかなり変わってきている。
男でもミック・ジャガーという化けもんみたいな人だけが今もロックを歌っているのだ。

話がかなりそれましたけど、パット・ベネター。
出会いが早かったわりにちっとも聴いてこなかったが、理由に特に強固なものはない。
前述のとおり顔や声が好みではなかった、ということはあるかもしれないが。
アルバムジャケットや雑誌で見た範囲で言えば、化粧がかなり濃いなとは思っていた。
(中学生なのにそこかよ)

でもデボラ・ハリーの顔は大好きだったのにアルバムはまともに聴いてなかったし、ジョーン・ジェットも化粧濃いけど顔は好きだったので、化粧と顔は鑑賞にはあんまし関係ないみたいです。(適当)
あと個人的には声がシーナ・イーストンにも少し似ていると思う。
どちらもあのファルセットが少し苦手・・・

1回だけ聴いたアルバム「True Love」は全編ブルースで、たぶんレンタル料金も無料か激安で、他のCD借りるついでだったような気がする。
(自分の意志でなく姉の気まぐれだった可能性あり)
パット・ベネターでブルースという組み合わせはやはりハードルが高く、ラストのクリスマスソング「Please Come Home For Christmas」だけテープに録って返してしまった。
店側もずいぶんとマニアックな盤を入荷したもんだと思うが・・

しかし歌うスタイルや歌唱力はやはり非凡なものがあり、今一度おさらいをしておくのもいいかもしれない。
聴くとしたら大ヒット作品「In The Heat Of The Night」「Precious Time」「Get Nervous」は外せないと思いますけど、他にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。


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