聴いてない 第224回 エディ・マネー

果たしてどれだけの人が覚えているだろうか、エディ・マネー。
日本ではなかなか人気が出ず、国内盤で買えるアルバムはベスト盤だけだそうだ。

そんな逆境の元警官シンガー、エディ・マネー。
実は顔と名前を先に知り、ほどなくヒット曲を聴いたという、自分にしては珍しい展開のアーチストである。
情報源は当時のナウいヤングの信頼を集めていた安心の月刊誌ミュージック・ライフ。
従って東郷かおる子がいなければ生涯エディ・マネーを知ることはなかった可能性も高い。

ただしエディを知ったのは記事ではなく、カセットインデックス用の写真である。
昔の音楽雑誌によくあったカセットケースにうまく収まるサイズのアーチスト写真で、エディ・マネーを知った次第。
これがその写真である。

Eddie

ページを切り取って保存しているので奥付は不明だが、おそらく79年頃の号と思われる。
ちなみに隣にはプリテンダーズ、裏面にはロバート・プラントとナックが載っていた。

86年の大ヒット曲「Take Me Home Tonight」だけは聴いており、聴いてない度は2。
この曲にはロネッツの大ヒット曲「Be My Baby」も挿入されているが、その部分を歌っているのはロネッツのボーカル、ロニー・スペクター本人ということで話題になった。
・・・らしいのだが、ヒットしていた当時は全く知らなかった。
この事実を知ったのはヒットしてから20年近く経ってからで、ココログ同期生のgetsmart0086さんの書かれたある記事を読んでのことであった。
ロニー・スペクターはこの頃すでに芸能界を引退しており、そこをエディ・マネーが直接頼み込んでボーカル参加が実現したそうだ。

さてエディ・マネーについて調査を開始したら、頼みの心の友ウィキペディアは日本語での紹介がない。
英語ページをむりやり日本語変換して読んでみたが、やはりカタコトでいまいちよくわからない。
いろいろ検索して引っかかった情報をなんとか整理してみた。
もし事実と違うようでしたらご指摘ください。

エディ・マネー、本名エドワード・ジョセフ・マホーニーは1949年ニューヨークはブルックリンに生まれ、マンハッタンで育つ。
祖父の代から三代続く警官一家であり、兄弟も全員ニューヨーク市警察局の警官。
エディも警官として働いたが、音楽で身を立てる決意をして西海岸に移り住む。

78年に「Eddie Money(噂のエディ・マネー)」でデビュー。
シングルカットされた「Two Ticket To Paradise」「Baby Hold On」は大ヒットし、アルバムもダブルプラチナディスクを獲得。
なおこのアルバムではスモーキー・ロビンソンの「You've Really Got A Hold On Me」もカバーしている。
エディは歌だけでなくギターやサックスも演奏できる器用な人だそうだ。

80年代に入るとプロデューサーにロン・ネヴィソンやトム・ダウドを起用してアルバムをコンスタントにリリースする。
プロモ・ビデオ制作にも積極的な姿勢を見せるが、一方で薬物中毒にもなってしまい、83年「Where's The Party?(パーティの夜)」発表後は一時期活動停止状態となる。
警官やってた人が歌手になって薬物中毒って、警官やめないほうがよかったんじゃないのかとも思いますが・・
もし今の日本でこんな人がいたら間違いなく袋だたきだよなぁ。

しかしエディ・マネーは86年にアルバム「Can't Hold Back」で見事復活。
プロデューサーはチープ・トリックハートのアルバムにおいても復活をアシストしたリッチー・ジット。
シングル「Take Me Home Tonight」がキャリア最大のヒットとなる。

しかし同じくリッチー・ジットのプロデュースによる88年の作品「Nothing To Lose」からは、日本盤発売はなくなった。
エディ・マネーにとって、日本はマーケットとしては見切りをつけられたらしい。

翌年には初のベスト盤が発表され、初のライブ曲も収録された。
90年以降も本国では活動を続けており、2007年にはアルバムも発表。
2010年にはフットボールのハーフタイムショウで、かつてのヒット曲のメドレーを歌ったそうだ。
しかし日本では話題になることもあまりないようである。

1曲しか聴いてないので何もわからないが、ルックスやボーカルからはスタイリッシュで都会的な印象を受ける。
「Take Me Home Tonight」も夢中になったほどではないが、悪くはないと思う。
誰も共感しない意見だとは思うが、エディの声に近い感じがするのはエリック・カルメンである。

ただ同時期に活躍していたブライアン・アダムスジョン・クーガーに比べると、洗練された分インパクトは弱かったかもしれない。
あと2~3曲柏村武昭が紹介してくれていれば、アルバム1枚くらいは聴いていたのに。(でまかせ)
どっぷり産業ロックに染まってチャラい曲を量産するとか、あちこちで女性トラブルばかり起こすとか、バックバンドのメンバーをギターで殴ったりとか、なんかしらの尖った話題があったら違った展開になっていただろう。(言いたい放題)

というわけで、エディ・マネー。
これまで意識してCDを探したことがないので、輸入盤も含めて2017年現在でどれだけ店頭在庫があるのかわからないが、「Can't Hold Back」は聴いてみてもいいかなと考えている。
他にもおすすめのアルバムがあればご指導いただけたらと思います。

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聴いてない 第223回 アラニス・モリセット

90年代に登場した怒れる逆ギレクイーン、アラニス・モリセット。
実は大ヒットアルバム「Jagged Little Pill」だけ聴いたことがある。

初めて彼女の曲にふれたのはシングル「You Oughta Know」である。
変わったタイトルだが、oughtaという単語もこの曲でしか目にしたことがない。
「ought to」を短く発音する時の表記だそうですけど。
「You Oughta Know」は気に入ったわけではなかったが、妙にイラついた歌い方は印象に残るものだった。

直後に知り合いの女性が「Jagged Little Pill」を貸してくれた。
通しで聴いてもそれほど評価は好転しなかったが、1年くらい後で再びMTVで「Ironic」を知る。
てっきり新曲かと思ったら、借りたCDに収録されていたのだった。
従って聴いてない度は4だが、実質3程度。

アラニス・モリセット情報として持ち合わせているものはあまりなく、カナダの人でマドンナが主宰するレーベルに所属している、という話くらい。
「Jagged Little Pill」以降の活動は全く追っていないので、今どうしているのかも知らない。

取り急ぎアラニス・モリセットについて逆ギレ気味に調査。
アラニス・ナディーン・モリセットは1974年カナダに生まれた。
3歳から6歳まではドイツで育ち、カナダに戻ってからピアノやダンスを習い始める。
なおアラニスは兄妹の二卵性の双子で、その兄もミュージシャンだそうだ。

高校在学中の1991年カナダ国内でデビューアルバム「Alanis」を発表し、プラチナム・ディスクを獲得。
翌年2作目「Now Is the Time」をリリースするが、セールス的には失敗し、カナダのレコード会社とは契約解消。
95年にマドンナの立ち上げたマーベリック・レコードと契約し、世界デビューとなる「Jagged Little Pill」を発表。
全米・全英で1位を記録し、世界中で3000万枚を超える大ヒットアルバムとなった。

自分もほどなくMTVでアラニスを知り、CDも聴くことになったのだが、当時雑誌で「アラニス・モリセッテ」と表記されていたのを見たことがある。
おそらくは「Morissette」のスペルにつられたのだろう。
発音としてモリセットとどっちが正しいのかは知らない。
またアオリとしては「マドンナの秘蔵っ子」という表現があったことを覚えている。

その後98年にアルバム「Supposed Former Infatuation Junkie」をリリース。
全米1位は獲得したが、前作の売上がすごすぎたためか、売上枚数は大きく後退。
(それでも全米では250万枚以上の記録)
2002年に自身がプロデュースした「Under Rug Swept」も世界中でヒットするが、以降は4年ごとにアルバムを出すものの、全米でも100万枚を超えるようなセールスは記録していない。
日本には96年から2004年までの間に数回来て公演を行っており、愛知万博のカナダ関連イベントで歌ったこともあるそうだ。
女優としても活動しており、映画やテレビドラマにも出演している。

こんな自分でも「Jagged Little Pill」は聴いているくらいなので、当時の大反響は一応知っているつもりだが、その後の活動については知らなかった。
今もカナダやアメリカでは大スターなのだろうが、音楽以外の話で注目されることも多く、それがどれも明るい話題ではないようだ。
ネットで調べてみると、「過食症に苦しむ」「空き巣被害2億円」「過酷労働で息子のシッターに訴えられる」「元マネージャーが詐欺行為」など、アラニス本人だけでなく周辺を含む気の毒な週刊大衆っぽい話が多い。

肝心の音楽性だが、アルバム1枚しか聴いてないので評価も難しい。
が、結局ほとんど定着もしておらず、正直好みの範疇には該当はしていない。
歌い方に特徴のあるシンガーだが、あの時々裏返る声もどちらかと言えば苦手な感じだ。
顔はなんとなくシェールに似ていると思う。

ただしヒット曲「Ironic」だけはいいと思っている。
皮肉な例えを並べた歌詞も面白いし、サウンドも印象的でアラニスの声にマッチしている。
アラニスが車に乗り運転するシーンから始まり、4人のアラニスが歌いながらふざけあうというプロモ・ビデオも結構記憶には残っている。
初めはアラニスが一人で運転していたが、ミラーを見ると別の服装のアラニスが後ろに乗っていて、どんどん別のアラニスが増えてくる・・という、どこか怖い映像。

というわけで、やや上級者向けシンガーという感じがするアラニス・モリセット。
他のアルバムとしては99年の「Alanis Unplugged」や、バラードが多いとされる「Under Rug Swept」にかすかに興味がわいている。
聴くとしたらこのあたりではないかと思いますが、皆様のおすすめはありますでしょうか?

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聴いてない 第222回 アズテック・カメラ

人並みはずれて聴いてないものが多い自分だが、名前しか知らず聴いてない理由すら判然としない人たちがまだまだ大勢いる。
そこでしばらくはこの「なぜわたくしは聴いていないのだろうか」シリーズを続けてみようと思います。
結局ここまでのシリーズとなんら変わりませんが・・・

さて記念すべき222回は80年代洋楽好きなら誰でも知ってるアズテック・カメラ。
名前しか知らず、1曲も聴いてない。
どんなジャンルなのか、メンバーは何人いるのか、どこの国の人たちなのか、どれくらい借金があるのか、一切の情報を持っていない。
むしろどうして名前を知っているのか不思議だ。

80年代に活躍した人たちだと思うが、おそらくはそれほどチャートに登場してはいないのではないかと思う。
東郷かおる子や柏村武昭から教わった記憶もない。
ファンの間では「アズカメ」って呼ばれてるんですよね。
それほど親しくもなかった同級生が当時「アズカメは・・」と口にしてたような記憶はおぼろげにあるが、話はおそらくそれ以上広がらなかったと思う。
名前から勝手にテクノっぽい音楽をやるバンドなのかと思っていたが、どうも大はずれらしい。

そこで人生で初めて「アズテック・カメラ」をGoogleで検索してみた。
つくづく便利な世の中。
20年前だったら例によってFROCKLで「すいません、アズテック・カメラってどんなバンドですか?」と臆面もなく質問してしまっていたはずである。
Googleで得られた親切なアズカメ情報を羅列すると以下のとおり。

アズテック・カメラは80年にスコットランドで結成された。
初期のメンバーはロディ・フレイム(Vo・G)、キャンベル・オウエンズ(B)、デイブ・マルホランド(D)、クレイグ・ギャノン(G)。
しかしデビュー前にメンバーチェンジが相次ぎ、デビュー時にはロディとキャンベルの二人組となった。
・・・申し訳ないが、一人も名前を知らない。

バンド名の由来については特に意味はなく、古代的なもの(アズテック=アステカ文明)と近代的なもの(カメラ)を組み合わせただけとのこと。
このあたり、全くかみ合わないような2つの言葉を組み合わせた例として、レッド・ツェッペリンやアイアン・バタフライと同じようなノリなのだろうか?

81年にインディーズレーベルでシングルを2枚発表。
83年にデビューアルバム「High Land、Hard Rain」をリリース。
内容は当時のチャラい流行に逆らうかのような、アコースティックなサウンドに美しく青き若者の苦悩を歌う歌詞というものだった。
・・・すいません、テクノでもなんでもないんですね。

翌84年にダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーがプロデュースした2作目「Knife」を発表。
ここまではネオアコと呼ばれるサウンドだったが、次の「Love」では黒っぽいソウルフル路線に転換。
さらに90年の「Stray」では曲ごとに音が拡散しており、バラエティに富んだ仕上がりの一方で散漫という評価もあるそうだ。
転換以降の「Love」「Stray」はチャートでは地味な扱いだったが、この頃は日本では女性ファンにウケがよく、来日公演も何度か行なわれていた。

90年発表のシングル「Good Morning Britain」ではミック・ジョーンズが参加。
この名前で自分が先に思いつくのはフォリナーのリーダーだが、このミックさんは元クラッシュのギタリストでした。

デビュー10周年の93年に坂本龍一プロデュースの「Dreamland」をリリースし、全英チャート21位を記録。
同年にカバー曲と未収録曲の企画盤「Covers & Rare」を日本でのみ発表。
なおアズテック・カメラはカバーがわりと好きなようで、ヴァン・ヘイレンの「Jump」もカバーしてるとのこと。
全然知らなかった・・
雰囲気は元曲とは程遠いそうだが・・・

今のところ95年の「Frestonia」を最後に、アズテック・カメラとしてのオリジナルアルバムは作成されておらず、ロディ・フレイムはソロやユニットでの活動を続けている。
アズテック・カメラのベスト盤は99年と2011年に出ているようだ。
ロディのソロアルバムは2014年に最新盤が発表されている。

アズテック・カメラ、ウィキペディアではジャンルが「ギターポップ」「オルタナティヴ・ロック」「インディー・ロック」「ポストパンク」となっており、アルバムごとに音楽性がかなり異なるらしいので、一言でくくれるような人々ではないようだ。
少なくともテクノっぽいというのは自分の大幅な勘違いだった。
単純に名前の持つ響きだけでテクノかな?と勝手に思ってただけである。
ロック検定でアズテック・カメラについての問題が出なくてよかったよ。

また同じくウィキペディアでは「日本においては、ペイル・ファウンテンズや、オレンジ・ジュース、ブルー・ベルズ、エブリシング・バット・ザ・ガール等と共にネオ・アコースティック・サウンド(ネオアコ)の中心的核をなすグループと位置付けられており、ギターポップ的な指針を示した最も大切なグループの一つである。」と説明されている。
ここに挙がってるグループで自分が聴いてるのはエブリシング・バット・ザ・ガールだけだ。
(というか他は名前すら知らない)
が、なんとなくテクノよりは抵抗なく聴けそうな気がしてきた。
ネオアコという分野を意欲的に学習した実績は全くないが、サウンドが美しく調和がとれたものであれば、好みに合致する可能性もあると思う。(本当か?)

というわけで、アズテック・カメラ。
ネットで調べた範囲ではデビューアルバム「High Land、Hard Rain」と次の「Knife」の評価が高いようだ。
パンクやテクノの潮流に寄り添うことなくネオアコのブームを牽引した、という点で絶賛されているらしい。
一方で坂本龍一プロデュースの「Dreamland」が最高傑作との意見もある。
自分が聴くとすればネオアコ時代の2枚が比較的安心なのではと思われますが、皆様の評価はいかがでしょうか?

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聴いてない 第221回 モンキーズ

「長いこと勘違いしていた」というものは誰にでもあると思う。
それは人に言えないほどひどい勘違いだったり、他の人とも共通していて「オマエも?」といった連帯感を覚えたり、様々だろう。
で、自分の場合は「茶色い牛からコーヒー牛乳が出ると思っていた」「狂犬病の犬は電線を伝って歩くと思っていた」というのがある。(赤面)
いずれも小学生の半ばで勘違いに気づいたのだが、勘違いしたままオトナになっていたら・・と思うと寒気がする。
なお狂犬病については「伝染病」という言葉をよく理解せず「デンセン病=電線を歩く病気」だと解釈しておったのだろう。
子供ってメルヘンですね。(違うと思う)

さてさらにひどい勘違いが今日のお題。
実は「ビートルズに対抗すべくアメリカで作られたアイドルグループ」を、わりと長いことビーチ・ボーイズだと思っていたのだった。
いつ頃真実に気づいたのかは定かでないが、少なくとも80年代半ばまではそう思っていた。
柏村武昭も教えてくれなかったし。
ビーチ・ボーイズを聴いたのはこのBLOGを始めてからである。(遅すぎ)

そんな青春の誤解バンド、モンキーズ。
そもそもバンドじゃないと言い切る人もいるらしいが、聴いたことがあるのは「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」と「Daydream Believer」だけ。
「モンキーズのテーマ」ってのもあったような気がするが、フルコーラス聴いたことはない。
聴いてない度は3。

作られたグループなので人気と活動が続いた期間は短いようだが、優れた作曲者と演奏者により名曲を残しているという不思議な人たちである。
洋楽における必修科目とされる存在でもないだろうが、自分より少し上の世代の方が親しんでいたと思われる。

誤解はいちおう解いたつもりでいるが、あらためてモンキーズについてサルのように補習。

ビートルズをはじめとするイギリスのバンド人気に触発されたアメリカのテレビ番組制作スタッフが、ビートルズっぽいグループ主体の音楽番組シリーズを企画。
ロサンゼルスでメンバーがオーディションによって集められ、1966年モンキーズが結成される。
メンバーはデイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミス、ピーター・トークの4人。
この人数もおそらくはビートルズを強く意識してのものだろう。
なおスペルは猿の複数形「Monkeys」ではなく「Monkees」だそうだ。
これもビートルズを意識しての命名ですかね?

こうして「テレビ番組で4人のグループを人気者にする」という企画ありきの音楽活動がスタート。
NBCテレビで放送された「ザ・モンキーズ・ショー」が狙い通り爆発的な人気を呼び、モンキーズは一躍スターとなる。
実際に楽器ができたのはマイクとピーターの二人だけで、作曲も演奏もプロの手を借りてのものであったが、それが功を奏したのだろう。
デビュー曲「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」は全米1位を記録し、ニール・ダイヤモンド作の「I'm a Believer」は7週連続1位という記録を残している。

67年のシングル「Daydream Believer」も全米1位・全英5位の名曲である。
日本では80年にコダックのCMで使われ、現在も忌野清志郎(正確にはザ・タイマーズ名義)のカバーがセブンイレブンのCMで流れている。
今の若者の中には「Daydream Believer」がセブンイレブンのテーマソングだと思っている人もいるんじゃないだろうか。

その後メンバーは人気とは裏腹に次第に「やらされ感」に悩むようになる。
が、残念ながらビートルズみたいに音楽で自立できるほどの実力はなく、レコード会社や事務所側の意向に沿ってアルバム制作・映画撮影・世界各国での公演といった詰め込み活動を強いられ続ける。

3作目のアルバム「Headquarters」でオリジナル曲を7曲にまで増やしたものの、次の「Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd(スター・コレクターズ)」ではオリジナル曲は3曲だけとなるなど、自立困難な状況が続く。

68年にはテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」が終了する。
人気が落ちたからという理由ではなかったらしいが、当時テレビ番組はレコードセールスにおいてものすごい影響力を持っていたため、ここから売上は下り坂となっていく。

同年東京や京都で来日公演が行われるが、直後にピーターがグループを脱退。
69年に「Instant Replay」「Present」と2枚のアルバムを発表するがヒットには至らず、特に「Present」は全米100位までしか上がらなかった。
翌年マイク・ネスミスも脱退し、デイビーとミッキーの2人でアルバム「Changes」をリリースするが、全く売れないという悲しい結果に終わる。

モンキーズとしてのオリジナルアルバムはここまでとされているようだ。
86年にデイビー、ミッキー、ピーターによるデビュー20周年を記念しての再結成が行われ、新曲「That Was Then, This Is Now」も発表された。
全米20位まで上昇したそうだが、全然知らなかった・・
86年だとまだわりとマジメにチャートを追っていたはずなのだが・・

以降もベスト盤や企画盤は発売されており、結成30周年や45周年の節目に再結成ツアーを行なっている。
2010年には来日して「SMAP×SMAP」にも出演。
2012年にデイビー・ジョーンズが心臓発作で死去。
その後も残った3人(またはミッキーとピーターの2人で)時々ステージに立つことを続けている。

昨年モンキーズは20年ぶりの新作アルバム「Good Times!」を発表。
ノエル・ギャラガーやリヴァース・クオモが曲を提供し、亡くなったデイビーのボーカルも聴けるという。
マイクは不参加だが、アルバム発表を記念したツアーも行われたとのこと。

作られたバンドではあるが、デビューから50年経ってもオリジナルメンバーがステージに立てるというのはすごいことだ。
世の中に息の長いバンドはけっこうあるし、その肺活量も様々だとは思うが、こんな経歴と実績のグループだとは全然知らなかった。

初めて聴いた曲はおそらく前述のCMソングとしての「Daydream Believer」だったと思う。
その後FMの「オールディーズ特集」みたいな番組で「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」を録音した。
これデビュー曲だったんスね。
初めて知りました・・

で、「Daydream Believer」である。
これもメンバーの作ではなく、作ったのはジョン・スチュアートという人。
親しみやすいメロディは清志郎の声でもいい曲だなぁと思うが、原曲の歌詞の意味はどうもわかりにくい。

タイトルの「Daydream Believer」自体がそもそもピンと来ないんだが、ネットで調べると「夢想家」「夢見る人」「夢見がちなヤツ」などとある。
さらにセットとなっている「homecoming queen」もなじみのない言葉だが、地域で学生によって選ばれる「ミス・キャンパス」みたいな意味とのこと。

サビの始まりの「Cheer up」は「元気出せよ」という訳が一般的のようだけど、言い方によっては「オマエ何言ってんだよ」というたしなめる時のセリフでもあるそうだ。
なので「いつも寝ぼけて夢みたいなことばかり言ってるジーン君、ミス・キャンパスだった彼女との現実の暮らしにはカネもいるし、そこんとこわかってるのか?」というおっさんくさい心配の歌、と解釈したんですけど、合ってます?
ジーン君本人が自らを奮い立たせる歌、という解釈もあるそうですが・・・

というわけで、モンキーズ。
ロクに聴いてない上に何一つ理解できていないという定番な有様ですが、正直それほどの危機感も持ってはおりません。
ただなんとなく「Daydream Believer」以外の曲も少し聴いてみたいとは思っています。
オリジナルアルバムが現在CDで入手可能なのかもわかってませんが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第137回 エリック・クラプトン その2

今日聴いてみたのはエリック・クラプトンの最高傑作とも言われる名盤「Slowhand」。
昨年あたりからクラプトンの学習意欲はなんとか続いているが、前回聴いた「461 Ocean Boulevard」は決して自分に定着したわけではない。
イーグルスの各盤も同じような感想になるが、「ああいい音楽だなあ」とは思うが、「繰り返し聴きたいなあ」とはまだならない。
一生ならないかもしれないけど。

あまり無理して玉砕し以降一切聴かなくなりましたという展開も悲しいので、今回は知ってる曲も多い「Slowhand」を弱気のチョイス。
これでダメならこの先もうクラプトンを聴く資格はない。
そんな初心者向けマンション投資講座に向かう心境で池袋ユニオンにて617円で中古CDを購入。

Slowhand

「Slowhand」は77年発表。
チャートでは全米2位、全英23位を記録。
アルバムタイトルはヤードバーズ時代につけられたクラプトンの例のあだ名を使ったもので、由来はやはりギターの弦を切って交換する間に客席で起こった催促の拍手とのこと。
最近ネットや書籍でクラプトンに関するいろいろな文章を読んだが、スローハンドの由来については、やはり「ギターを弾く手の動きが早すぎてゆっくり動いて見える」という説は後からくっついた話のように思う。

「Slowhand」はブルースに回帰したアルバムと言われる。
「461 Ocean Boulevard」のような復帰途上のリハビリアルバムではなく、精力的にライブを行った勢いそのままでスタジオ入りし、心身ともに万全の体制で臨んだ力作とのこと。
全曲イギリスで録音され、プロデューサーはストーンズツェッペリンのアルバムプロデュースでも有名なグリン・ジョンズ。

ブルース回帰盤と聞くと多少不安な面はあるが、知っている曲はそれほどどっぷりなブルースでもないので、まあなんとかなるだろう。
そんな「オレってインフルエンザにはかからないほうだから」と根拠もなくほざくバカサラリーマンのような思い上がった態度で聴くことにしました。

・・・・・聴いてみた。

1.Cocaine
オープニングは超有名な「コカイン」。
ただし発音はコケインである。
尊敬するアーチスト、J.J.ケイルのカバー。
ギターはもちろんクラプトン学習の教科書みたいにいい音がする。
全然明るくないのに、なぜか嫌いではない。
歌詞は「もし日常に飽きて逃げだしたいならコカイン」「不安を蹴飛ばしたいならコカイン」という薬物賛歌とも言える内容なのだが、クラプトンは逆説的にクスリとの決別を込めて歌っている、という説もあるようだ。

2.Wonderful Tonight
珠玉の名曲で、「日本では披露宴ソングの定番」と書いてあるサイトもあるけど、本当?
「Cocaine」との対比が象徴的な美しいバラードではあるが、先日読んだで、実は身支度や化粧の長いパティを皮肉った歌だと知った。

3.Lay Down Sally
軽快なリズムのカントリー風な曲。
これもベスト盤で聴いている。

4.Next Time You See Her
タイトルが思い出せなかったのだが、これもベスト盤で聴いていた。
少しのんびりしたゆるいリズム、どこかボブ・ディランのようにけだるそうに歌うクラプトン。
レゲエとカントリーをミックスしたような不思議な曲だが、いい曲である。

5.We're All The Way
初めて聴く曲である。
カントリー歌手のドン・ウィリアムスのカバーだそうだ。
ささやくようにクラプトンが歌い、左側奥から女性のバックボーカルが小さく聞こえる。
メロディは暗くはないが、クラプトンの声に抑揚がなく、やや重く感じる。

6.The Core
ギターやキーボードの音がなかなかかっこいいナンバー。
歌いだしがいきなり女性ボーカルで、クラプトンはむしろ後追いでサポートシンガーのように歌う。
この女性はボブ・シーガーのバンドにいたマーシー・レヴィという人で、曲もクラプトンとマーシーの共作とのこと。
ここまでで一番クラプトンのブルースギターが激しくうなる。
マーシーの声も曲調のわりには重くなくていい感じ。

7.May You Never
ミドルテンポでなんとなくジョージ・ハリスンのような雰囲気だが、曲はジョン・マーティンという人の作品。

8.Mean Old Frisco
一転どっぷりのブルース。
これもカバーで、作者はブルースミュージシャンのアーサー・クルーダップ。
サウンドは重いが、ギターの音は意外に悪くない。

9.Peaches And Diesel
ラストはインストナンバー。
リズムもメロディも「Wonderful Tonight」を少しいじったような感じで、安心して聴ける。

聴き終えた。
率直に言えば「461 Ocean Boulevard」よりもはるかに聴きやすい。
知っている曲も多かったせいもあるが、曲ごとの特徴は比較的はっきりしており、それがどれも自分にとってそれほど苦手な音ではなかったと思う。
クラプトン自身の充実した気力が伝わる作品である。(知ったかぶり)
多くの方々が名盤と評するのが少しだけわかった気がする。

グリン・ジョンズはこのアルバムで初めてクラプトンのプロデュースをすることになったが、それまでクラプトンに対してはあんましいい印象を持っていなかったらしい。
クスリや酒におぼれたダメなミュージシャンだと聞いていれば当然だとは思うが、実際アルバム作成にとりかかっても、クラプトンは怠け者ですぐスタジオを抜け出して外にサッカーしに行ってしまい、その度にグリンがスタジオに連れ戻してギターを弾かせたそうだ。
なのでグリン指導官がいなければ、おそらくこの名盤も生まれなかったということになる。
なんかこのグリン・ジョンズといいキース・リチャーズといい、「クラプトンは怠け者」って評判が多い感じですけど、こうなるとやっぱホントに怠け者なんでしょうね。

さてクラプトン。
この名盤を聴いて自分の中で評価が変わったかというと、まだはっきりとはわからない。
「Slowhand」は繰り返し聴きたいか?と八名信夫にすごまれたらうまく答えられるか不安なレベル。(伝わらない)
今のところまだクリームの音のほうが自分には合っているという感覚は変わらない。
やはりもう少し学習を継続する必要がありそうだ。(当たり前)

というわけで、「Slowhand」。
このアルバムは聴いて良かったです。
・・・ですが、この先どうしたらいいのか、少々迷っています。
70年代のアルバムとなると「Eric Clapton」「安息の地を求めて」「No Reason to Cry」が残っていますが、それよりは80年代の作品のほうが自分の耳には合いそうな気もするので・・・(いいから聴けよ)
いずれにしろ、近いうちに別の作品にトライしようと思います。

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聴いてみた 第135回 ローリング・ストーンズ その16

前回のストーンズ学習から早くも1年以上が経過してしまった。
もう主なアルバムはだいたい聴いてみたという思い上がったつもりでいたが、先日読んだブライアン・ジョーンズの伝記本に触発されて、ブライアン在籍中の未聴アルバムを学習することにした。
1965年発表の「Out Of Our Heads」である。

Our_heads_2

アルバムタイトルはなんとなく知っていたが、調べてみるとけっこう複雑な事情のもとに発表されている。
まずイギリス盤とアメリカ盤で収録曲が大幅に違う。
曲数はどちらも12曲だが、英米共通の収録曲は半分の6曲しかない。
なによりアメリカ盤にある「Satisfaction」が、イギリス盤には収録されていないのだ。

また公式アルバムとしてもイギリスでは3枚目、アメリカでは4枚目にあたる。
ジャケットも全然違うので、タイトルこそ共通だけど別の作品と考えてよさそうだ。
イギリスとアメリカで中身の違うレコードになっている、というのはビートルズでもあるけど、半分しか共通曲がないというのもややこしい話だ。

さらに。
アメリカでは次のオリジナルアルバムとして「December's Children (And Everybody's) 」が同じ年の年末に発表されているが、これがイギリス盤「Out Of Our Heads」の収録曲といくつかかぶっていて、ジャケットも同じ写真を使っている。
「Out Of Our Heads」の実績としては、イギリス本国ではアメリカ盤が1位を記録したが、イギリス盤は最高2位に終わっている。
うーん・・結果はともかく、そこまで国別に戦略を変える必要があったんだろうか?

自分は今回渋谷のレコファンで中古CDを買ったのだが、確認したらアメリカ盤のデジタルリマスターであった。
大英帝国のストーンズについて、アメリカ盤で「聴いてみた」と宣言してよいものか少し心配にはなったが、年末の忙しいさなかにこんな力のないBLOGなんてどうせ誰も見ていないので、開き直って聴くことにした。
うっすら調べたところでは、どうやらアメリカ盤のほうが世界中でより出回っているらしい。
日本でも発売されたのはアメリカ盤と同じ内容だそうだ。
なので今後たぶんイギリス盤は買わないと思う。
安けりゃ買ってもいいんだけど。

目玉はもちろん「Satisfaction」である。
ここからストーンズを追い始めたという元少年の熱き文章が、ネット上のそこかしこに置いてある。
今まで聴いてみた初期作品の「12×5」「Aftermath」はいずれも良かったので、今回もほとんど不安はない。
果たしてブライアン・ジョーンズはわたくしの心にどのような音を響かせるのでしょうか。(安い表現)

・・・・・聴いてみた。
 
1.Mercy, Mercy
若きミックの魅力あるボーカルが全開である。
まずはスタートからいい感じ。
ドン・コヴェイ&ザ・グッドタイマーズというバンドのヒット曲のカバー。
オリジナルのほうの録音にはジミ・ヘンドリックスが参加してるそうです。

2.Hitch Hike
路線は前の曲に似ている。
単調なメロディだが、間奏の甲高いギターがアクセントになっている。

3.The Last Time
ジャガー&リチャードのオリジナル。
この曲は粗野なイメージがなく、どこかビートルズを思わせるコーラスワーク。
意外なサウンドだが、悪くない。

4.That's How Strong My Love Is
ルーズベルト・ジェイミソンという人の作品。
ワルツ調のリズムにミックのガサツなボーカルが乗っかってこれまた意外な音になっている。

5.Good Times
なんとなくレゲエっぽいゆるいリズムにほのぼのサウンド。
ミックは結構器用に歌っている。

6.I'm All Right
この曲だけライブバージョンで、疾走感に満ちたロック。
観客の叫び声がかなり近い感じで聞こえるので、それほど大きな会場ではないように思う。

7.(I Can't Get No) Satisfaction
言わずと知れたストーンズ初期の名曲だが、フルコーラスを真剣に通して聴くのは初めてである。
もっと粗暴で早いスピードのイメージがあったが、あらためて聴くとそうでもない。

8.Cry to Me
これもワルツのリズムだが、バラードのように始まり、サビはブルースでミックがシャウト。
後半よく聞こえるベースラインが意外にいい。

9.The Under Assistant West Coast Promotion Man(ウエストコーストの宣伝屋)
同じメロディが延々続くやや単調な曲で、ハーモニカはブライアン・ジョーンズ。
ナンカー・フェルジ名義となっているが、元はバスター・ブラウンという人の「Fannie mae」という曲だそうだ。

10.Play with Fire
フォークソング風の静かなサウンド。
ハープシコードの音が聞こえるが、これはジャック・ニッチェの演奏とのこと。

11.The Spider and the Fly(クモとハエ)
どんよりしたブルース。
ネットで調べるとこの曲を一番に推す人も多いが、自分の好みからは少しはずれている。
玄人好みの一曲ということだろうか。
終盤でブルース・ハープを吹いているのはミック。

12.One More Try
ラストはロカビリーのようなノリのいい曲。
誰かのカバーかと思ったが、これはジャガー&リチャードの作品。

全体としては非常に聴きやすい印象である。
若きストーンズがリズム&ブルースを彼らなりに実直に表現しており、ミックのボーカルも比較的おとなしい。
「Satisfaction」は先鋭的な曲として語り継がれることになるが、今あらためて聴いてみると思ったほど粗暴でも野蛮でもなく、わかりやすいリズムとメロディである。
この曲での成功が後の「Jumpin' Jack Flash」につながっているのがよくわかる。

ストーンズとしての多面性が表面化するのはこのアルバムの次の「Aftermath」からだと思われる。
「Aftermath」は全曲ジャガー&リチャードのオリジナルであり、使用した楽器の種類も格段に多くなっている。
そういう意味では今回聴いた「Out Of Our Heads」は、まだカバーを多用する自立前時代の最終作品ということになる。

ブライアン・ジョーンズの演奏については、使用楽器はギターの他にはハーモニカとオルガンとなっている。
だがどの音がブライアンによるものなのかがあまりわからず、CDには解説もなかったので残念ながら評価のしようがなかった。
この点はもう少しネットで確認したり、詳しい人からの指導が必要である。

さて前述のとおりアメリカ盤とイギリス盤ではジャケットも違うのだが、アートとしてはイギリス盤のほうがいいと思う。
イギリス盤のほうが隙間からのアングルや構図に工夫があるし、メンバーの表情もきりっとしたイギリス盤に比べ、アメリカ盤のほうはどうもぼんやりした印象である。

ところで、タイトルの「Out Of Our Heads」とはどういう意味なのだろうか?
直訳すると「俺達の頭の中から」だと思うけど、それではいったい何のことやらである。
俗語では「酒や薬でフラフラ」「正気じゃない」といった意味にもなるようなので、「オレたちイカレてるぜ!」みたいな感じなのだろうか・・?
この後ブライアンが本当にイカレて死んでしまったので、もしそういう意味でタイトルにしてたらとても皮肉な話なのだが・・・

ということで、「Out Of Our Heads」のアメリカ盤。
「12×5」「Aftermath」に比べてややインパクトは弱いものの、全体的には聴きやすく良かったと思います。
次回もブライアン在籍時代の「Between the Buttons」を聴いてみようかと考えております。

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聴いてない 第220回 ハンブル・パイ

先日のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞騒動、いったい何だったんでしょうか。
マスコミが「ディランは傲慢」で見出しも本文も止めちゃったもんだから日本中のディランのファンが委員会に対して「お前らのほうが傲慢」と総ツッコミ。
中には「お前らはディランを全然わかっていない」と親戚みたいに突っ込んじゃった人までいたのに、実は委員会側も「傲慢だがそれが彼というものだ」と理解した上での授与であったことが後から発覚。
発覚というかマスコミが委員会の見解を正しく報じなかっただけのようですけど。

さらにその後ディランが委員会側に対して「授賞式には行けたら行く」と大阪のおっさんみたいな返事をしており、自称「ディランをわかっているファン」の人をさらにあわてさせる展開に。
結局はマスコミもファンもディランのことをあんましよくわかっていないということですかね。
「行けたら行く」「考えとくわ」は大阪人ならNOの返事だそうですけど、果たして授賞式にディランは現れるのか?
ディランのことを何もわかっていない自分も固唾を飲んで見守りたいと思います。

さて今日のお題はハンブル・パイ。
ディランともアンナミラーズともあまり関係はなさそうですが、とりあえず名前を知ってるだけで1曲も聴いたことはなし。
特にぷく先輩に「聴けたら聴く」とか生返事していたわけではないけど、触れる機会もなくこの歳まで生きてきた状態。
こんな珍奇BLOGを始めて13年近くになりますけど、13年経ってもまだこういった案件が出てくるってのも救いようのない話ですが。

仕方なくハンブル・パイについてパイ生地をめくるようにうっすらと調査。
ハンブル・パイは1968年にスモール・フェイセズのリーダーであったスティーヴ・マリオットとハードのピーター・フランプトンを中心にイギリスで結成。
フランプトンの誘いでグレッグ・リドリーとジェリー・シャーリーが加入し、ハンブル・パイとして活動を開始。
メンバーそれぞれが別のバンドで成功体験を持つというスーパーグループの誕生であった。
なおハンブル・パイとは直訳すると「粗末なパイ」「面白くないパイ」という意味だが、「鹿の内臓で作ったパイ」の意味もあるらしい。
鹿の内臓ってのはなんだ?と思ったら、その昔イギリスでは鹿狩りに出かけた主人が、狩りの成果として仕留めた鹿の内臓を使ってパイを作り、使用人たちに分け与えたという習慣?みたいなものがあり、このパイがハンブル・パイと呼ばれた、ということだそうです。
鹿の内臓パイ、うまいんだろうか・・・

そんな鹿の内臓バンドは69年にアルバム「As Safe As Yesterday Is」をリリース。
70年にA&Mレコードへ移籍し、バンドと同名アルバム「Humble Pie(大地と海の歌)」を発表。
ここから音楽性も変化し、プログレやブギーといった志向を採り入れていく。
しかし71年の「Performance Rockin' The Fillmore」を最後にフランプトンはバンドを脱退。
後任にデイヴ・クレムソンが加入し、バンドはマリオットを中心とするブルース・ソウル路線に傾倒していく。

新生ハンブル・パイは72年に不朽の名作と言われる「Smokin'」を発表し、全米6位を記録。
翌年の2枚組アルバム「Eat It」は、一瞬アル・ヤンコビックの顔が浮かんでしまうようなタイトルだが、AからC面がR&Bのスタジオ録音、D面だけライブという変則構成で、これも大ヒット。
このアルバムでストーンズの「Honky Tonk Women」やレイ・チャールズの「I Believe to My Soul」をカバーしている。
だがこの頃からバンド内は摩擦が生じ始め、75年には解散してしまう。

1980年にマリオットとシャーリー、さらに元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ、アンソニー・ジョーンズを加えた4人でハンブル・パイを再結成。
「On To Victory」「Go For The Throat」の2枚を出すものの、セールス的には振るわずチャート100位にも入ることなくやはり解散。
解散後もジェリー・シャーリーが時々ハンブル・パイを名乗って活動していたらしいが、ほとんど話題になることはなかったようだ。

90年代になってようやくマリオットとフランプトンが歩み寄りを始め、ハンブル・パイ再結成も近いと思われた。
しかしスティーヴ・マリオットは91年に寝タバコで火事を起こしてしまい44歳の若さで亡くなった。
このマリオットの死によって、純正ハンブル・パイ再結成は永久に不可能となってしまう。

21世紀になってからは時々再結成を行うが、いずれも一時的なものに終わっている。
ハンブル・パイ名義の公式アルバムは2002年の「Back On Track」が今のところ最後である。
この時のメンバーはグレッグ・リドリー、ジェリー・シャーリー、ボブ・テンチ、テイブ・コルウェルで、ピーター・フランプトンは参加していない。
なおグレッグ・リドリーは2003年に亡くなっている。

以上がハンブル・パイの略歴だが、知ってた話はひとつもない。
80年代の再結成とか91年マリオット焼死なんてどこかで聞いていてもおかしくなさそうだが、残念ながら柏村武昭はこのあたりは教えてくれなかった。

スティーヴ・マリオットは元スモール・フェイセズという肩書きなので、そこにピーター・フランプトンも加わってのスーパーグループというのはなんとなくわかるんだけど、そもそもスモール・フェイセズもピーター・フランプトンも全然聴いてないので、スーパーグループとしてのハンブル・パイのありがたみは全くわかっていない。
実は未だにエイジアのありがたみがわかっていないのと似ている。(違うような気もするけど)

ハンブル・パイというふわふわしたイメージから、勝手におだやかで軽いサウンドを想像していたが、全く違うようだ。
ネットで調べると、デイヴ・クレムソンのギターとスティーヴ・マリオットのボーカルが見事な調和で素晴らしいロックを聞かせる、という評価が非常に多い。
中には「ツェッペリンに匹敵するポテンシャル」「ペイジ&プラントを思わせる」と書いてあるサイトもあった。
ただしスティーヴ・マリオットの声はロバート・プラントのように金属的ではなく、ハイトーンではあるがハスキーなしゃがれ声だそうだ。

フランプトン脱退の理由はよくある「音楽性の違い」とのことだが、スティーヴ・マリオットは黒っぽいブルースやハードな音楽を追求したがっており、対してフランプトンはポップでアコースティックな音を好んでいたらしい。
もちろん聴いてみないと何にもわからないのだが、そうだとすれば自分の好みに合うのはフランプトン脱退以降である可能性が高い。
どっちもダメな恐れもあるが・・・
いずれにしろフランプトンは脱退後にソロで大成功しており、お互いの道を歩んで正解だった、ということだろう。

ネットでの評価では「Smokin'」「Eat It」の人気が特に高いようだ。
これまで全く視野に入ってこなかったバンドであるが、スティーヴ・マリオットの声やサウンドにわずかに興味がわいている。
上記2枚も含め、おすすめのアルバムを教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第134回 ポール・マッカートニー

今日聴いてみたのはポール・マッカートニーのソロアルバム「McCartney」。
吉祥寺のパルコで開催された中古CDフェアで見つけて1488円で購入。
開催と言えば壮大な感じだが、買った時に場内にいた客は自分だけだった。
もうCDなんて中古でも売れない時代になってることを痛感。
なお自分が買ったのは1995年に発売された再発版である。

Mccartney

さて。
「McCartney」は1970年に発表されたポール初のソロアルバムであることは、ファンなら誰でも知っている。
しかし発表に至った経緯は、ビートルズ後追い世代である自分は今回ネットで調べてみて知ったことも多い。
大まかには以下のようだ。

69年9月:アップル社で行われたレコード会社との契約会議の席で、ジョンがビートルズ脱退の意志表明。(表沙汰にはならず)
69年末まで:ジョン脱退宣言のショックで、ポールがスコットランドに引きこもる。
69年末:持ち直したポール、ロンドンの自宅でソロアルバム用の録音開始。
70年2月:ポール、アビー・ロード・スタジオで「Every Night」「Maybe I'm Amazed」などを録音。
70年3月:ビートルズの「Let It Be」、リンゴのソロ、ポールのソロの発売順序を巡ってポールがアラン・クレインともめるが、結局リンゴのソロ→ポールのソロ→「Let It be」の発売順で落ち着く。
70年3月27日:リンゴのソロアルバム「Sentimental Journey」発売。
70年4月10日:ポール、マスコミ向けサンプル版でビートルズ脱退表明。すぐに新聞で報道される。
70年4月17日:「McCartney」発売。(アメリカでは20日、日本では6月25日)
70年5月8日:「Let It be」発売。(アメリカでは18日、日本では6月5日)

この流れで見ると、一般のファンはポール脱退をニュースで知り、さらにソロアルバム発表を知ってあわててレコード買う、ということになる。
どこまでがポールの意志によるものなのかわからないが、脱退宣言をソロアルバムのセールスに利用した、と見られるのもしょうがないタイミングだ。
実際この後長きにわたってポールは「ビートルズを解散させた男」として非難されることになり、この動きはジョンやジョージの不信を買うことにもなった。
メンバーもファンもレコード会社も事務所も大混乱の中で発表されたのが「McCartney」ということのようだ。

結果的にはジョンがこのポールのソロを作る動機になったと言える。
ジョンはビートルズ在籍中でありながらヨーコとともに独自の活動をすでに始めていて、ライブもやり始めていた。
ジョンの脱退意志を知らなかったポールは、ライブを始めたジョンに期待を寄せて「じゃあまた小さなクラブでギグでもどう?」と持ちかけたが、ジョンの回答は「オマエ何言うてんねん、オレもうビートルズやめたいんや」くらいにつれないものだったのだ。
ポールはショックで田舎に引きこもり、リンダの励ましによって蘇生する、というドラマな展開。
仮定は全く無意味だが、もしジョンがポールのライブ提案にもう少しゆるい回答をしていたら、ポールのソロアルバム誕生はもっと後になっていたのだろう。

これは全く自分の個人的な戯言なので「もっと勉強しましょう」とかのお説教はご遠慮願いたいけど、最初に脱退表明したのはジョンだったが、ジョンはもしかするとどこかで「ポール、オレは抜けるけどバンドはよろしく頼む」と思っていたのではないだろうか。
ポールがいればビートルズはなんとかなるだろうし、機会があればまた戻ってもいいし・・くらいに思っていたら、予想以上にポールが深刻に受け止めちゃって、ジョンより先に脱退宣言が表面化。
確かめる術はもうないけど、このあたりのズレが騒動を大きくしたんじゃないかなぁ・・などと勝手に思います。

いずれにしても「あのポール・マッカートニーがビートルズを脱退して初のソロアルバムを発表!」って、これ以上ないくらいのアオリであることは間違いない。
もし当時ネットがあったらYahooニュースでもダントツのトップニュースだったはずだ。
当時のナウいヤングの千々に乱れる心に思いをはせながら聴いてみることにしました。
果たしてポールはどんな音楽をファンに届けていたのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Lovely Linda
この曲は聴いたことがある・・と思ったらベスト盤にもあったことをすっかり忘れていた。
初のソロアルバムのスタートを飾るにふさわしい・・とも思えない、鼻歌のような小曲。

2. That Would Be Something(きっと何かが待っている)
これも同じフレーズを繰り返す実験曲。
シンバルは印象的だが、リハーサルっぽい感じがする。

3. Valentine Day
タイトルとあまり合っていない、やや辛口のブルース調インストナンバー。

4. Every Night
これもベスト盤収録だった。
おだやかなメロディで悪くない。
ベスト盤に入れたということは、ポール自身も気に入っていたのだろう。

5. Hot as Sun(燃ゆる太陽の如く)/Glasses
メドレーとなっているが、元は別々だった3曲をつなげたらしい。
いずれも短いのでどこが本来の切れ目なのかよくわからない。

6. Junk
この曲はかなり前から知っており、ビートルズを聴き始めた時に同時にテープに録音したことがある。
歌詞は物置に置かれたガラクタを擬人化しており、哀愁ただよう旋律とエンディングが好きだ。
ビートルズとしてインド滞在中に作った曲で、アンソロジーにも収録されている。

7. Man We Was Lonely(男はとっても寂しいもの)
リンダが参加した最初の曲。
あまり調和がとれている印象はないけど、ポールは楽しそうに歌っている。
ここまでの曲の中では一番丁寧に作り込まれているように聞こえる。

8. Oo You
ブルース基調のロック。
メロディはあまり明るくないのでそれほど楽しくはないが、ポールの趣味がにじみ出ている。

9. Momma Miss America
これもインストナンバー。
ドラムのサウンドは「Don't Pass Me By」なんかにも似ている。

10. Teddy Boy
アンソロジーにも収録されているので、メロディは覚えていた。
ベースが意外によく聞こえる。

11. Singalong Junk
「Junk」のインスト・カラオケ版。
ただし音や構成は全く同じではなく別テイクだそうだ。
確かにエンディングも違う。

12. Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)
唯一力のこもったシャウトを聴かせる、「Oh! Darling」にも似た完成度の高い曲である。
この後のアルバムにもこの路線の曲が時々出てくるので、ポールの得意技のひとつだろう。
フェードアウトで終わるのだが、もう少し豪快にラストを迎えてもいいように思う。
なおこの曲はアビー・ロードにあったEMIスタジオで録音されたそうだが、ポールは他のメンバーに知られないよう偽名を使ってスタジオ予約をしていたとのこと。
当時バンドはそこまでめんどくさい状況にあったということだが、悲しい話だ。

13. Kreen-Akrore
ラストはまたインストで、しかもプログレっぽい不思議なサウンドと構成。
動物の鳴き声や息づかいなどの効果音も入っている。
後半はこの効果音とドラムだけで、最後にまた思い出したようにギターが鳴る。
タイトルはブラジルのジャングルで暮らす原住民のことらしい。
うーん・・この曲はこのアルバムに必要だったのだろうか・・

聴き終えた。
知っている曲は「Junk」だけだと思っていたが、他にも聴いたことがある曲がいくつかあった。

全曲ポール作、演奏も全てポール。
このため作り込みは粗く、音もなんとなく曇っていてデモ盤みたいな感じがする。
曲のあちこちに末期ビートルズにもありそうな音が散りばめられている。
実際ビートルズ時代に作ったり録音しておいたりした曲もあるので、当然ではあるが。

全体的にはゆるく静かな調子の曲が多く、ビートルズ時代に得意としていたロックナンバーや物語調の楽しい楽曲はそれほど多くない。
インストが5曲もあり、やや間に合わせっぽい印象。
ラストの「Kreen-Akrore」もインストだがどこか散漫で、聴き終えた時の達成感は全然ない。
このあたりアルバムとしての組み立てとかバランスへの配慮は、ビートルズのアルバムとは比較にならないようだ。
ジョージ・マーティンもいないしね。

この後ポールはもう1枚のソロを経てウィングスを結成し、ワールドクラスのヒット曲や名盤を量産していくのである。
なのでこのソロアルバムは相対的に低い評価にならざるを得ないのが、多くのファンに共通することではないだろうか。
実際自分も繰り返し聴いてみてもそれほど大きな感動はわいてこない。

やはりこのアルバム、音楽として楽曲や歌声や演奏だけを純粋に鑑賞するのではなく、当時の状況や背景をふまえ、ポールの心情や決意、ジョンとの関係などをくみ取りながら聴くのが正しい姿勢であろう。
アルバムの付加価値もまさにそこにある。
全く同じ楽曲と構成だったとしても、もしビートルズが順調でその合間にポールが気まぐれに作ってみました的ソロアルバムだったら、セールスも評価も全然違ったものになっていたと思う。

ジャケットはリンダが撮影したドレンチェリーの写真。
ポールとリンダがカリブ海の島でバカンスを楽しんだ時、野鳥のために低い壁の上面にドレンチェリーを置いていたのを撮影した写真とのこと。
・・・ドレンチェリーって何?
調べたらお菓子の材料で、さくらんぼの種をとって砂糖漬けにして赤く着色したもの、だそうです。
あっそう・・・なんか醤油やイクラの宣伝ポスターみたいだと思ってたんですけど、そういうものだったんスね・・・

ということで、「McCartney」。
正直なところ音楽として聴いてよかった感はあまりありませんでした。
ただ周辺事情もいろいろ調べてみて聴いたことはよかったと思います。
解散前後のビートルズやポール・マッカートニーの一般教養として学習すべき教材であることは間違いありません。
残る70年代の作品も早いうちに学習しようと思います。

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聴いてない 第219回 ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック

若干出遅れた感もありますが、SMAP解散報道に揺れる日本。
ファンの中には政府筋に働きかけて解散を阻止しようとする人たちもいるとのことですが、騒動の大きさや拡張範囲に驚くばかりです。
そんな騒動の中、海の向こうではこういう男性アイドルグループってのは存在するのだろうか・・と考えて思い当たったのが、今回採り上げるニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
ここでワン・ダイレクションとか言えないのが中高年むき出しですけど。

そんなムキ身のアイドルグループ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
長い名前なんで以下NKOTBと表記しましょう・・と思ったら、グループの歴史の中で本当に「NKOTB」という名前で活動した時期もあったとのこと。
ややこしくて中高年にはついていけない状況ですが、とりあえず先に進む。
急げ!時間はあと101。(←誰もわからない)

ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、聴いてない度は3。
と言っても聴いたことがあるのは「Step By Step」「Tonight」の2曲だけ。
これらは柏村武昭プレゼンツではなく、MTVだったと思う。
ただし映像は全然覚えておらず、またアルバムは当然聴いてない。
なお個人的につい混同してしまうのがバックストリート・ボーイズだ。
このグループはニュー・キッズよりも後で登場したと記憶している。 

2曲は聴いたけど、そもそも何人組なのかすら知らない。
ということで残暑厳しいさなかニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックについて地味にブロック調査。(意味不明)

グループはボストン出身のドニー・ウォルバーグを中心とする5人で結成された。
他のメンバーはダニー・ウッド、ジョー・マッキンタイア、ジョーダンとジョナサンのナイト兄弟。
結成にあたってドニーらを発掘したのがプロデューサーのモーリス・スターである。
モーリスはボビー・ブラウンもメンバーだった人気グループ、ニュー・エディションの白人版を作ろうと考え、メンバーを集めた。

結成当時はナヌークというグループ名だったが、デビュー前に改名。
1986年4月にグループと同じ名前のデビューアルバム「New Kids On The Block」を発表。
しかし少年によるラップという路線がそれほど受けなかったのか売れ行きはいまいちで全米チャート25位止まり。
 
グループはめげずに88年にポップ・ロックにシフトした2作目「Hangin' Tough」をリリース。
シングル「Please Don't Go Girl・・」「You Got It (The Right Stuff)」「I'll Be Loving You (Forever)」「Hangin' Tough」もヒットし、じわじわと人気が上昇。

そして90年のアルバム「Step By Step」が大ヒット。
シングル「Step By Step」は全米1位、「Tonight」も7位を記録。
自分はちょうどこの2曲だけ聴いたことになる。
「Step By Step」はいかにもナウいヤングなノリのいい曲だが、「Tonight」はどこかビートルズティアーズ・フォー・フィアーズを思わせる雰囲気のあるサウンド。
こんな曲もあるんだ・・と少し驚いたことを覚えている。

絶頂をむかえたグループだったが、好事魔多し(死語?)。
人気上昇の一方で黒人層からは不評だったり、モーリス・スターが実は借金まみれだったことが発覚したり、ドニーが放火容疑で捕まったり、スタッフによる口パク暴露(メンバーは否定)といった暗い話題が続いたのだった。
グループは一時活動停止状態となる。

ドニーは本格的に音楽に向き合い独自路線を歩むことを決意。
モーリス・スターとも決別し、グループ名を「NKOTB」と改め、94年にアルバム「Face The Music」をリリースする。
しかし路線変更が裏目に出たのか、チャート上位に食い込むこともかなわず、セールス的には惨敗。
グループは解散となり、基本的な歴史はここでいったん終了している。

その後ドニーは俳優に転身。
「シックス・センス」「ドリーム・キャッチャー」「デッド・サイレンス」などの映画に出演した。
ちなみに弟のマーク・ウォルバーグは映画「テッド」の主演俳優である。

2008年再結成し、アルバム「「The Block」を発表。
2011年から12年にかけてバックストリート・ボーイズとのジョイントライブを行い、2013年にはアルバム「10」をリリースするなど、活動は継続中。

というわけで、例によって何一つ知らない話ばかり。
現在も活動中というのも驚きだが、アイドルグループのパイオニアとしてバックストリート・ボーイズやワン・ダイレクションからも慕われているそうだ。
あっそう・・・全然知りませんでした・・・

アメリカでも男性アイドルグループが長期間にわたって人気を維持しつつ活動し続けるのは難しいようだ。
メンバーが中年になっても「○○キッズ」「○○ボーイズ」でもないだろうし。
そういう意味では今も現役で活動中であること自体が、やはりパイオニア的存在なのかもしれないスね。

さて音楽作品だが、現在までスタジオ盤アルバム8枚が発表されている。
やはり聴くとすれば90年の「Step By Step」であろう。
前述のとおり「Tonight」は不思議な曲だが悪くないと思う。
もっともこちらもすっかり中高年なので、全盤追っかけむさぼり鑑賞という意欲も全然ありませんけど。

というわけで、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
おそらくは聴いておられたのは女性のほうが多いのではないかと思いますが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしたでしょうか?

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聴いてない 第218回 ジョン・デンバー

誰でも全く聴いていないジャンルはあると思うが、自分の場合カントリーはとにかく壊滅的である。
まあジャズもクラシックもフュージョンもシャンソンも同様に壊滅的ではあるが、カントリーも徹底して聴いていない。
テイラー・スウィフトが実はカントリーの人と知ったのもつい最近である。
そのカントリー界で、こんな自分でも名前を知っている数少ない歌手、それがジョン・デンバーである。

ジョン・デンバー、唯一聴いているのはド定番の「Take Me Home, Country Roads」。
邦題は「故郷へ帰りたい」だが、日本でも「カントリー・ロード」と認識してる人が多いと思う。
オリビア・ニュートン・ジョンがカバーしたことでも知られる名曲である。

唐突に思い出したジョン・デンバー、ネットで朴訥にざっくり調べた経歴は以下のとおり。
ジョン・デンバーは1943年ニューメキシコ州生まれ。
本名ヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフ・ジュニアという長い名前。
父親ヘンリーは空軍のパイロットで、いわゆる転勤族であり、ヘンリー坊やも全米各地を転々として過ごしたそうだ。
一時家族は日本にも住んでいたことがあり、弟ロンは日本で生まれている。

若きジョン・デンバー、ヘンリー君はハイスクール時代に音楽活動に没頭するようになる。
しかしやはり父親は息子をパイロットにしたがって親子衝突というありがちな展開に。
ヘンリー君はいちおう軍の採用試験も受けてみるが、近視のため不採用となった。
その後は建築家を目指して工学系大学に進学するが、音楽活動もやめることはできなかった。

60年代前半にあるオーディションに合格し、ロサンゼルスで歌い始める。
この頃芸名であるジョン・デンバーを名乗り、ミッチェル・トリオというフォークバンドでボーカルをつとめた。
なお芸名デンバーはコロラド州にある都市名からとったものだ。
ジョン・コロラドだと語感がいまいちな気がするので、デンバーさんで正解だったんじゃないだろうか。

その後ジョン・デンバー作の「Leaving on a Jet Plane(悲しみのジェット・プレーン)」をピーター・ポール&マリーが大ヒットさせ、69年に見事全米1位を獲得。
71年には友人たちとの共作「Take Me Home, Country Roads」がミリオン・セラーを記録。
全米のみならず世界的なヒットとなり、ジョン・デンバーはカントリー歌手として不動の地位を確立する。

その後「Rocky Mountain High」「I'd Rather Be A Cowboy(さすらいのカウボーイ)」「Sunshine on My Shoulders(太陽を背にうけて)」「Annie's Song(緑の風のアニー)」などの名曲を世に出し続け、全米を代表するカントリー歌手として活動。

一方でテレビドラマシリーズ「警部マクロード」に出演し、俳優業も始める。
「Oh, God!」「「The Christmas Gift」「The Leftovers」「Foxfire」などの映画にも登場し高い評価を得た。

だが。
80年代以降、全米チャートはキラキラなダンスやチャラいポップ中心となり、ジョン・デンバーの曲が上位に登場することはほとんどなくなった。
この頃からジョン・デンバーは反戦や環境保護活動に力を注いだり、スペース・シャトルの民間人搭乗計画に協力するなど、社会奉仕的慈善活動が多くなっていく。
大統領になるにはどうしたらいいか、ということを真剣に考えていた時期もあったらしい。
ミュージシャンとしてもソ連や中国でアメリカ人歌手として初めてツアーを行い、活躍の場を世界中に広げていった。

しかしながらアメリカ音楽市場においては大スターだった頃のセールスをあげることはかなわず、アルバムは出すものの商業的には非常に厳しい結果となることが続いた。
悲しいことに私生活も乱れ始め、病気になったり離婚したり飲酒運転でつかまったりと暗い話題で世間をにぎわすようなことが増えていく。

そして1997年10月。
小型自家用機を自ら操縦中に海上に墜落、53歳の若さで生涯を終えることとなった。

うーん・・・
もちろんどれも知らない話ばかり。
月並みな感想になるが、まるで映画のような人生である。
というかもしかしてすでに映画化や小説化されたりしてますかね?
歌と同様に素朴でおだやかな人生を送ってきた人なのかと思っていたが、やはりアメリカの芸能界はそんなに甘くないのである。
さすがにステージで火を吹いたりホテルの窓から女を投げたり逃げたグルーピーを寝台車の中で追いかけまわしたりはしてないみたいだが、浮き沈みはそれなりにあったんスね。
それにしても没後20年近く経つというのもけっこう驚きである。

最大のヒット曲「Take Me Home, Country Roads」はふたりの友人との共作だが、歌詞に出てくるウェスト・ヴァージニア州には、3人とも実は行ったことがなかったそうだ。
21世紀の今なら炎上必至な話だが、行ったことのない土地を想像して作った曲が大ヒットしてしまい、相当あわてたんじゃないだろうか。

一方「Rocky Mountain High」という曲は、ジョン・デンバーの故郷コロラド州アスペンへの愛着を現したものであり、2007年にはコロラド州の公式州歌に認定されている、といったことがウィキペディアに書いてある。
・・・あれ?
生まれたのはニューメキシコ州じゃないの?
故郷コロラド州ってスルっと書いてあるけど・・・
誰か校正したの?ウィキペディア。

まあセールス的には波も様々あれど、人気にあぐらをかいてふんぞりかえったり偉そうにしたり、というようなことはあまりなかった人のようだ。
アメリカのとある小さな田舎町で、たまたま「ジョン・デンバーそっくりさんコンテスト」が開かれていたのを知って、ジョン・デンバー本人はそっくりさんになりきって出場。
ところが本人なのに優勝できず5位に終わったそうだ。
これに似た話は他にもネットで見つかる。
テレビ番組のそっくりさんコンテストに身分を隠して出場したものの、審査員からキツイ評価を受け、出場者4人の中で最下位となった、という話。
伝わるうちに状況がいくつか変化した伝説という感じだが、根幹のところは事実だったのだろう。
ジョン・デンバー本人はコンテストで優勝できなかったことはあんまし気にしてなかったらしい。

ちなみにかなりあやふやな記憶だが、来日中のジョン・デンバーのテレビ映像をうっすら覚えている。
確かニュースのような番組であり、コンサート風景ではなく街中でファンに囲まれる姿なのだが、ジョン・デンバーは次々に握手を求めてくる日本のファンに気さくに応対していた。
そのファンに混じって握手してもらった女子高校生が、歓声をあげながらそばにいた友人に「ねえ、これ誰?」と大声で聞いていたのだった。
誰だか知らないけどなんか盛り上がってるし有名人っぽいから握手してもらおう、ということだったのだろうが、ジョン・デンバーはもちろんそんなことはわからずにこやかに握手していたのだ。

さて肝心の歌や楽曲。
カントリーの人は基本的に声につやがあってよく通る印象なのだが、ジョン・デンバーも全くその通りに聞こえる。
聴いてて精神的に安心するような声だ。
ガース・ブルックスはそうでもないが、アラン・ジャクソンは典型的なカントリーボイスというイメージ。
すごいハスキーなダミ声とか、舌足らずで甘ったれた鼻声のカントリー歌手っているんですかね?
音声学的に検証したわけではないが、カレン・カーペンターの声も、人の心を安心させるという点でジョン・デンバーと共通するものがあるように勝手に思う。

曲も「カントリー・ロード」のようなほのぼのサウンドであれば、あまり拒絶感はないような気はする。
ただし心がそんなにピュアな中年ではないので、アルバム1枚まるごと正座して聴けるのかどうか自信はあんましない。
退屈・物足りないといった感情がわく可能性も大いにあり得る。

カントリーというジャンルはアメリカの音楽の中で最も裾野の広い分野であり、ジョン・デンバーすら聴いてない極東のポンコシ中年には到底理解できるものではないだろう。
正直ベスト盤だけ聴いておくという安直な方法もあるけど、アメリカで大ヒットしたアルバムが、ゴールド・プラチナ合わせて20枚以上あるらしいので、どれか聴いてみてもいいかなとぼんやり考えている。

というわけで、ジョン・デンバー。
日本での人気が2016年現在どういう状態なのか見当もつきませんが、もしおすすめのアルバムがあればご指導いただきたいです。

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