聴いてない 第342回 レベル42
名前に数字が入っているバンドと言えば、U2や10CCやUB40、B-52'sや38スペシャルなどいろいろあるが、思いついたけど聴いてないのがレベル42である。
まあU2以外はどれも聴いてませんけど。
レベル42、1曲も知らないと胸をはるつもりだったが、87年の「Running In The Family」だけ当時のFM一流音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音していたことが判明。
さすがは柏村武昭、レベル42までちゃんとオンエアしていたのだ。
なのでレベル42、聴いてない度はなんとか2を確保。
ただしこの曲以外の情報は一切知らない。
そもそもどこの国の人たちなのか、メンバーは何人いるのか、曲やアルバムはどんだけ売れたのか、確定申告はきちんとしているのか、全くわからない。
そこでレベル42について生涯初のハイレベル調査を敢行。
なお先に書いておくと、木村カエラのデビュー曲も「レベル42」だそうだが、2004年に彼女が出演していたテレビ神奈川の音楽番組「saku saku」の企画でリリースされたもので、タイトルもテレビ神奈川のチャンネル42にちなむとのこと。
なので今回調査するレベル42とは無関係だそうです。
さてまずはウィキペディアを参照。
だが冒頭からいきなり混乱する状態に遭遇。
英語版と日本語版では最初の説明が微妙に異なっている。
英語版だと「イギリスのジャズファンクバンド」だが、日本語版では「イギリス出身のフュージョン・ポップ・バンド」と書いてある。
まあ日本語版でもジャンルの項には「ロック、ポップ、ジャズ・ファンク、フュージョン、ニュー・ウェイヴ」とあるので、いろいろやってる人たちだと解釈。(雑)
そのウィキペディアだが、日本語版は例によってかなり簡素な記述で、A4判1枚に収まる程度だが、英語版は非常に情報が詳細でメンバー一覧やディスコグラフィーは別項である。
なので本国での知名度や人気は日本とは相当異なるようだ。
レベル42の結成は79年頃。
メンバーは以下のみなさんである。
・マーク・キング(B・Vo)
・ローランド(ブーン)・グールド(G)
・フィリップ・グールド(D)※ローランドの弟
・マイク・リンダップ(K・Vo)
マークとグールド兄弟の3人はワイト島育ちの幼なじみで、マークとフィリップはレベル42結成前にあのMのプロジェクトに参加しており、Mの活動中にマイク・リンダップと知り合う。
4人はジャズ・ファンク・フュージョンなどのスタイルを採り入れたインストゥルメンタルを演奏するバンド「レベル42」を結成した。
バンド名はダグラス・アダムスのSFコメディ小説「銀河ヒッチハイク・ガイド」に由来するとのこと。
レベル42は80年にエリート・レコードというインディーズレーベルからシングル「Love Meeting Love」をリリース。
するとポリドール関係者の目に留まり、レコーディング契約を結び直す。
翌81年、ポリドールから初シングル「Love Games」をリリースし、全英38位となった。
セルフタイトルのデビューアルバムも全英20位を記録。
気を良くしたポリドールは、同年後半にエリート・レコード時代の楽曲を集めたコンピレーション・アルバム「The Early Tapes(Strategy)」をリリースした。
82年、レベル42はアルバム「The Pursuit of Accidents」を発表。
インストゥルメンタル・ジャズ・ファンクのスキルとスタイルは維持しつつ、ポップソングへの挑戦をさらに進めた内容で、前作を上回る全英17位に達した。
シングル「Weave Your Spell」と「The Chinese Way」はどちらも歌入り曲だがめでたくチャートインし、バンドはさらに幅広いファンを獲得した。
この後レベル42はインスト離れが加速する。
83年に4枚目のアルバム「Standing in the Light」をリリース。
ジャズ色が薄れ、インストゥルメンタル曲がなく、歌曲に重点を置いた作品となった。
アルバムは全英9位を記録し、シングル「The Sun Goes Down (Living It Up)」は初の全英トップ10入りを果たす。
84年のアルバム「True Colours」では、ジャズを基調とした音楽から離れ、バラエティ豊かなポップスに転換。
ファンク、パワーポップ、ミドルテンポなロック、ムーディなバラードを織り交ぜた。
アルバムは全英14位と前作からはやや後退したが、シングル「The Chant Has Begun」が41位、「Hot Water」は全英18位・オランダ5位・ベルギー7位・全米87位と健闘した。
バンドもレコード会社もこのポップス転向が成功への架け橋であることを確信した。
それは85年のアルバム「World Machine」でも明らかで、全英3位・全米18位のヒットとなり、シングル「Something About You」はバンド初の全米トップ10(7位)入りを果たす。
だが。
「World Machine」は評論家やファンから好評を博したものの、実はバンド内では意見の相違や衝突が起こり始めていたようだ。
アルバムのレコーディング中、フィリップ・グールドとマーク・キングの間で、音楽的な方向性や制作過程などをめぐって緊張が表面化し始める。
一時はフィリップがバンドを離脱し、マークが代役ドラマーとしてゲイリー・ハズバンドを指名するところまで行ったが、なんとか確執は収まり、フィリップは1週間ほどでスタジオに戻っている。
86年4月にリリースされたシングル「Lessons in Love」は、バンドがアメリカツアーで忙しい中、ヨーロッパのチャートの勢いを維持するために戦略的にレコーディングされた。
この作戦は見事に的中し、イギリスとアイルランドで3位の他、デンマーク、ドイツ、スイス、南アフリカで初の1位を記録。
またイタリアやオランダ、スウェーデンでも2位と、国際的なヒットとなり、バンド史上最大の売り上げとなった。
10月にはスティーブ・ウィンウッドのライブでオープニングアクトを務めた。
「Lessons in Love」を収録した87年のアルバム「Running in the Family」で、バンドは絶頂期を迎える。
アルバムは全英2位、シングル「To Be With You Again」「It's Over」「Running In The Family」も各国でヒット。
レベル42は6月に行われたプリンス・トラスト・コンサートに出演し「Running in the Family」を演奏したが、この時エリック・クラプトンがリードギターを弾いている。
成功の裏でバンド内部にはやはり問題が継続していたようだ。
フィリップ・グールドはバンドのポップ路線には依然として不満を露わにしていた。
だが最初に離脱したのは兄のブーンで、マドンナのツアーサポートを終えた87年後半に脱退。
神経衰弱に悩まされていたことや、ツアーの連続で妻子と過ごす時間がなかったことが脱退の理由とのこと。
ただしバンドとの関係は友好的なままで、ブーンは脱退後もバンドのために作詞作曲を続けたそうだ。
一方弟フィリップはポップ推進派マークとの関係がさらに悪化し、ツアーの最中にもかかわらず87年12月に脱退した。
ツアー日程を全うするため、バンドはプリファブ・スプラウトのドラマー、ニール・コンティを代役として雇った。
ここからの展開は想像以上に複雑である。
ツアー後、レベル42はドラマーとして以前も候補に挙がっていたゲイリー・ハズバンドを採用。
ブーンの後任ギタリストが見つからず、アルバム「Staring at the Sun」のほとんどは、専属ギタリストなしでレコーディングされたが、録音終盤になってようやく元ゴー・ウェストのアラン・マーフィーが加入した。
幸い「Staring at the Sun」は全英2位となり、シングル「Heaven in My Hands」も12位、「Tracie」も25位の好成績を残した。
アルバムのプロモーションのため、レベル42は4ヶ月間のヨーロッパツアーを開始。
ロンドンのウェンブリー・アリーナでの凱旋公演は全て完売となった。
この公演の模様は後にライブアルバム「Live At Wembley」としてリリースされている。
だがアラン・マーフィーはエイズを患っており、加入からわずか1年余りの89年10月19日に死亡。
またギタリストを失ったレベル42は1年間の活動休止となってしまう。
この間に結成10周年を記念したベスト盤「Level Best」を発表したが、ポリドールとの契約上出す必要があったためとも言われている。
アランの死の翌年、レベル42は活動を再開。
RCAレコードと契約を結び、アルバム「Guaranteed」を発表する。
バンドのメンバーはマークとマイク、ゲイリーの3人だが、ギターでドミニク・ミラーやアラン・ホールズワースが参加。
アルバムは全英3位、シングル「Guaranteed」も17位と健闘したが、バンド内はやっぱり不安定だった。
93年初頭、ゲイリー・ハズバンドが脱退し、フィリップ・グールドが復帰する。
翌94年に10枚目のスタジオアルバム「Forever Now」を発表。
全英8位でセールス的にも評論家からも高い評価は得たものの、フィリップはアルバムのプロモーション活動も1度演奏しただけでツアーも不参加。
バンドは仕方なく代役ドラマーのギャヴィン・ハリソンを雇いツアーを続行した。
この時点でマーク・キングはレベル42の継続はもう不可能と判断したようだ。
「Forever Now」ツアーの途中で、バンドはツアー終了後に解散すると発表。
レベル42は94年10月14日、ロンドンのアルバート・ホールで最後のライブを行った。
解散後マーク・キングはソロ活動を始め、アルバムも2枚作ったが、ライブではレベル42の曲を演奏するほうが盛り上がることを痛感していたそうだ。
その後たまに友人のパーティーやマイク・リンダップの結婚式でメンバーが集まって演奏することはあったが、再結成には至らなかった。
2001年後半、マーク・キングはようやくレベル42として活動再開を決意する。
メンバーはマークとゲイリー・ハズバンド、リンドン・コナー(K)とショーン・フリーマン(Sax)、マークの弟のネイサン・キング(G)。
2002年7月、レベル42は6年ぶりの公式コンサートを行う。
その後数年間、新曲発表はなかったが、定期的にツアーを行い昔のヒット曲を演奏していた。
12年間スタジオアルバムをリリースしていなかったレベル42は、再始動から4年後の2006年9月、ようやく「Retroglide」を発表した。
このアルバムには元メンバーのブーン・グールドとマイク・リンダップもゲスト参加。
フィリップ・グールドは兄のブーンと共同でアレンジを担当したが、クレジットには名前はなし。
「Retroglide」リリース後、マイク・リンダップはバンドに正式に復帰する。
2010年、ゲイリー・ハズバンドが脱退し、後任にはピート・レイ・ビギンが加入。
2012年、レベル42はアルバム「Running in the Family」発売25周年を記念し、イギリスやヨーロッパ各国をツアーで巡り、「Running in the Family」収録の全曲に加え、数々のヒット曲を演奏した。
2013年には6曲入りEP「Sirens」をリリース。
バンドは現在も活動継続中で、今月もキム・ワイルドやジョニー・ヘイツ・ジャズとのジョイントコンサートが行われ、7月にはロンドン郊外でのフェス出演も予定されている。
なお2019年5月にブーン・グールドは自宅で亡くなったそうだ。
以上がレベル42の思ったよりすごい(失礼)実績と略歴である。
知ってた話は当然なし。
メンバーがレベル42結成前にあのMに参加してたことも知らなかった。
プリンス・トラスト・コンサートに出演してクラプトンにギターを弾かせた、という話も驚きである。
クラプトンをバックに歌うくらいだから、当時の英国での人気ぶりは相当なものだったのだろう。
前回採り上げたアデルもそうだが、レベル42も本国と日本では人気も知名度も大幅に違うようだ。
「Running in the Family」はノリのよいリズムでファンクな感じ(知ったかぶり)だが、好みかと言われると微妙なサウンド。
夢中になって聴いてたわけでもなく、たまたま録音できたので消さずにいただけである。
歌詞の和訳を見てもいまいち何を言っているのかよくわからない。
「Running in the Family」とはどういう意味か?というと、「家族総出のかけっこ」ではもちろんなく、「そういう家系なんだ」とか「遺伝しているんだ」ということらしい。
厳格な父親に反発して兄弟で家出してみたものの、すぐに警察に保護され父の車で家に帰った。父は全てお見通しだった、そういう家系なんだ(おそらくは父も幼い頃そういう子供だったんだろう)・・・といった内容(だと思う)。
で、終盤には「いつかお前も音楽と真剣に向き合うことになる」といった、ミュージシャンとしての至言みたいな言葉も出てくる。(父親も音楽家だったのか?)
男女の愛を歌ってるわけでもないが、イギリスではこういう不思議な曲も当時ヒットしてたんスね。
というわけで、レベル42。
自分が聴くとしたらやはりアルバム「Running in the Family」からになると思われます。
果たしてどれくらいの方が聴いているのか想像もつきませんが、他のアルバムも含め、おすすめがあれば教えていただけたらと思います。
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| レベル42 Running in the Family |
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| レベル42 World Machine |
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| 木村カエラ レベル42 |

































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