聴いてみた 第154回 フェイセズ その3

令和2年最初の聴いてみたシリーズ、今回はフェイセズの「Ooh La La」を聴いてみました。

「Ooh La La」は73年の作品。
フェイセズとしては4枚目で最後のスタジオ盤であり、全英では1位を獲得。(全米21位)
主にA面の曲をロッド・スチュワート、B面曲はロニー・レーンが作っているが、クレジット上はロッドが一人で作った曲はなく、ロニーやロン・ウッド、イアン・マクレガンとの共作である。
プロデューサーはグリン・ジョンズ。

Ooh-la-la

そもそもフェイセズは発生時点から全員が他のバンドで活躍していた実績を持つ役者揃いのグループだが、このアルバムを最後に解散してそれぞれが別の場所でまた活躍していく。
書き並べてみるとよくわかるが、解散後はロッド・スチュワートはソロ、ロン・ウッドはストーンズに加入、イアン・マクレガンはストーンズのサポート、ケニー・ジョーンズはザ・フーに加入する・・という、なんだか山田が西武、里中がロッテ、岩鬼がダイエー・・みたいな明訓高校っぽいドラマチックな展開なのである。
そんなフェイセズ高校の歴史的な転換期に位置する「Ooh La La」。
果たしてフェイ高最後のアルバムはどんな盛り上がりなのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Silicone Grown
オープニングは軽快なリズムで始まるロック。
ノリまくるピアノがフリージャズっぽくもある。

2. Cindy Incidentally(いとしのシンディ)
少しテンポを落としたリズムで、ロッドがキー高めに歌う安心の一曲。
左のギター、右のピアノ、奥のドラムといったシンプルな音の振り分けが臨場感を生んでてよい。

3. Flags And Banners
この曲はロニー・レーンがボーカル。
バンジョーのような音やオルガンも聞こえてくる楽曲は悪くない。
悪くはないんだが、やはりロッドを聴いたすぐ後だと、ロニーの歌は若干頼りない印象。

4. My Fault(俺のせいだ)
これもいかにもロッドのための課題曲といった調子で、終始叫びがちに甲高く歌うロッド。
エンディングが意外にはかなげでいい。

5. Borstal Boys
A面ラストはやや粗暴な歌と演奏。
イントロで繰り返し鳴るサイレンのような警告音で緊張が高まる。
ピアノよりはギザギザなギターがメインで、ドラムもかなりヤケクソに主張してくる。

6. Fly In The Ointment
B面の最初がインストという不思議な構成。
この曲はロッド以外の4人の共作で、各パートの持ち味が調和していていい感じ。

7. If I'm On The Late Side
どこかフォークやカントリーの香りのするバラードだが、テンポは思ったより早く、あまり湿っぽい雰囲気はない。

8. Glad and Sorry
ようやく本格的なバラード登場。
これもいい曲である。
レイドバックしたけだるいボーカルはロニーだが、ほぼ全編コーラスなので線の細さはあまり気にならない。
ロッドの声は聞こえない。
ロニーのボーカルに声を合わせているのはイアンだそうだ。
エンディングで少しだけ不協和音が混じる。

9. Just Another Honky
引き続きバラードで、今度はロッドが歌う。
これも演奏がまとまっていて非常によく、時々聞こえるころがるようなドラムが印象的。

10. Ooh La La
ラストはカントリーっぽいアコースティックなアルバムタイトルナンバー。
女に関する爺さんから孫への教訓?を歌った、どこか切ない内容。
やや投げやりに歌っているのはロン・ウッド。
ロンの歌声を意識して聴くのは初めてだが、思ったよりうまく(失礼)、曲調に合っていると思う。
ロニーとロンの共作だが、ロニーは当然ロッドが歌うもんだと思って作っていたらしい。
なんでロン・ウッドが歌うことになったんだろう?
ここまで歌える人ならストーンズでもたまにはボーカルを任されてもよかったんじゃないかと思うが、あっちのバンドではそうはならなかったみたいスね。

聴き終えたが、このアルバムも聴いてて目立った不満はほとんどない。
むしろここまで聴いたフェイセズの3枚のアルバムの中で、一番まとまりがある気がする。
大まかに言うとA面がブルース基調のロック、B面はカントリーやフォークで味付けしたバラード中心、といった構成。
これはバランスがとれてて非常にいいと思う。
さらにインストやロン・ウッドのボーカルなど、意外に聴きどころは多い。

自分がフェイセズに感じる「不安」はロニー・レーンのボーカルだけなのだが、このアルバムでは(聴き慣れてきたせいもあるが)それほど気にならなかった。
「Flags And Banners」だけがロニーほぼ一人のボーカルだが、もしロッドかイアンがバックでコーラスを当てていたら、全く問題なかっただろうと思う。

路線としては他のアルバム同様、とにかく楽しくやろうぜ的ガヤ系サウンドである。(特にA面)
尖っていない分、平凡なロックになってる可能性はあるが、どこから聴いても問題ない。
3枚聴いてわかってきたが、フェイセズは自分にとって安心できる信頼と実績のバンドなのだ。
聴いてみたシリーズをここまで続けてきた中で自分なりに分析すると、聴く前の緊張感期待感に対し、聴いた後の充足感満足感の比率が極めて高いのがフェイセズ、ということになる。

制作当時、バンド内の状況はあんまし良くなく(いつも?)、俺様ロッドはメンバーをバックバンドとして下に見ていたり、自分が歌う時だけしかレコーディングに参加しないなど、ロッドと他のメンバーとの間に様々な摩擦が生じていたようだ。
まあ同じ頃作ったロッドのソロでは実際にメンバーがバックバンドを務めてたんで、ロッドがそう考えるのも仕方ないとは思うけど。

で、「Ooh La La」発売直後にはロッドが「最悪なアルバム」などと発言し、その発言にキレたロニーは「こんな会社やめてやる!」と叫んで雪の札幌をさまよいバンドを脱退。(ボケ使い回し)
後任ベーシストとして日本人の山内テツが加入したが、ライブアルバムだけ出してバンドは解散してしまう・・という因縁の作品になってしまった。
後にロッドは「最悪」発言を訂正したそうだけど、たぶん作品じゃなくて人間関係が当時最悪だったんでしょうね。
ロックバンドを調べていていつも不思議に思うんだが、パープルイーグルスにおいて特に顕著な通り、音楽作品の質と人間関係の状態は必ずしも相関しない、というのがこのフェイセズの「Ooh La La」にも当てはまるようだ。

結局ロッド・ロニー・ロンの3Rは二度と同じバンドで共に活動することはなく、フェイセズとしても最後のスタジオ盤となった。
喧嘩別れした形の3人だが、その後ロニーが難病にかかった際にロッドとロンが治療費を出してあげた・・というイイ話もあるようだ。

ジャケットはエットーレ・ペトロリニというイタリアのコメディアンが演じたガストーネというキャラクターで、LPでは目や口が動く仕掛けになっていたとのこと。
70年代末のミュージックライフにアルバムレビューが掲載されていて、レビューの中身は忘れたがジャケットとタイトルは覚えていた。
気に入っていたわけではもちろんないが、印象に残るアートではある。
短い歴史のフェイセズだが、アルバムジャケットに関しては統一性は一切なかったようだ。

というわけで、「Ooh La La」。
今回も非常に良かったです。
今さらだけど、ここまでのクオリティで作品を世に出しながらも、これを最後に解散してしまった・・というのはやっぱり残念ですね。
これでフェイセズの未聴盤は「First Step」だけになりましたので、こちらも早いうちに聴こうと思います。

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聴いてない 第258回 ELO(70年代)

80年代に活躍したバンドの中で、70年代の作品をさかのぼることなく過ごしたパターンとして、これまでにスティクスハートなどを採り上げてきたが、もうひとつ大事な存在を忘れていた。
ご存じエレクトリック・ライト・オーケストラだ。

ELOの80年代作品は以下を聴いている。
・Xanadu(80年)
・Time(81年)
・Secret Messages(83年)

「Time」と「Secret Messages」は今もよく聴いており、好きな曲ばかりの名盤である。
だったら70年代の作品にもトライしてよさそうなもんだが、なぜかそうはならなかった。
「Out of the Blue」や「Discovery」が貸しレコード屋に並んでいるのを見た記憶はあるが、おそらく持ち合わせがなかったとかつまらない理由で借りなかったものと思われる。

この中途半端な鑑賞で危機感がないことが、学習の大きな障害となった。
この現象は前述のスティクスやハートやブロンディなどにも同様に起きていて、余命いくばくもない今頃になってあわてて聴き始めている状況である。
さらにELOについては数年前に「Light Years」という2枚組ベスト盤を買ってしまい、これまた名曲揃いですっかり満足。
結局未だに70年代のアルバムは全く聴いてないという壊滅的な状態。

聴いてない感覚は希薄なのだが、振り返ると知識も教養も希薄だ。
ジェフ・リンのワンマンバンドであることはよく知っているが、他のメンバーは顔も名前も知らない。
70年代を聴いてないと書いたが、90年代以降も聴いてないのは同じである。
そこで生まれて初めて能動的にELOを検索して調べてみたのだが、その歴史は想像以上に複雑だった。

ELOの源流は「ザ・ムーブ」という名のバンドで、1970年には「エレクトリック・ライト・オーケストラ」の名を併用して活動。
・・・併用ってどういうこと?
スタートから不思議な展開だが、理由や経理処理は不明。
またその併用期間で人事異動も多少あったらしく、草創期の人数が3人なのか4人なのかもよくわからない。
とりあえずELOとして発進した時のメンバーはロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベヴ・ベヴァン。
ベースのリック・プライスを加えた4人がELOとしての始まりとしてるサイトもある。
この後もいろいろなミュージシャンが出入りしてるらしいが、どこまでが正式なメンバーになるのかがどうもわかりにくいのもELOの特徴のようだ。

1971年にバンド名アルバム「Electric Light Orchestra」を発表。
ザ・ムーブとの併用は72年にはもうやめており、バンドはELO一本でやっていくことを決意。
2枚目のアルバム「ELO II」の制作中にロイ・ウッドは脱退。
このあたりからジェフ・リンのワンマン経営が始まる。

74年のアルバム「Eldorado」は全米16位を記録し、ゴールドディスクに輝く。
翌年「Face The Music」で初めて全米アルバムチャートのトップ10入りを果たす。(最高8位)
さらに76年「A New World Record(オーロラの救世主)」は全英6位・全米5位、77年には2枚組アルバム「Out of the Blue」で全英・全米とも4位を記録し、トップ10の常連となった。

78年に初の日本公演が行われた。
ただし意外なことに現時点では日本ではこの時しかライブをやっていない。
79年「Discovery」が初の全英1位となり、バンドとしても頂点を極める。
それまではアルバムチャート順位は本国イギリスよりアメリカのほうが毎回上だったが、この「Discovery」からは逆転する。
乱暴に言うと70年代はアメリカでのほうが売れており、80年代はイギリスでの成績のほうがよかった、ということになる。

80年に映画「ザナドゥ」のサントラ盤を発表。
オリビア・ニュートンジョン主演の映画だが、自分は例によって映画を見ておらずレコードだけ聴いている。
A面がELOサイド、B面がオリビアサイドだったが、オリビアの曲はいまいち好みに合わずA面ばかり聴いていた。
調べて初めて知ったが、ELOとオリビアのどっちがA面なのかは国によって異なるそうだ。
映画の興行成績は知らないけど、サントラ盤は全英2位・全米4位を記録したので、この企画はELOとしても大成功だった、ということになる。

勢いに乗ったバンドは81年アルバム「Time」をリリース。
ウィキペデイアには書いてなかったが、日本盤の副題は確か「時へのパスポート」だったと思う。
これもあっさりと全英1位を獲得。(全米は16位)
このアルバムには後に日本でテレビドラマ「電車男」のテーマ曲に使われた「Twilight」が収録されている。

名実ともにビッグなバンドとなり、てっきりうまいこと行ってるもんだと当時は思ってたが、実はこの頃から事務所とバンドの関係がこじれ始めるというどこかの国のお笑い芸人みたいな事態が発生していたそうだ。
83年にアルバム「Secret Messages」が出てきちんと全英4位の成績を収めるが、事務所とモメたせいか新作発表後の全米ツアーも行われることはなかった。
86年「Balance Of Power」が出たことは知っていたが、これは聴いていない。

その後ELOがどうなったのかはよく知らなかったのだが、ジェフ・リンは様々なモメ事に嫌気がさし、バンド活動を停止してしまったとのこと。
なんかジェフ抜きのELOができたとか名前でモメたとかうっすら聞いたような気がしたけど、そういうことだったのか・・

ここからの展開もやはり複雑なようだが、とりあえずベヴ・ベヴァンがELOとして活動継続を望んだものの、ジェフ・リンが拒否。
じゃあお前抜きでもELOやるからなとベヴがジェフに言ったら、ジェフはそれも拒否。
ジェフにしてみれば「オレ様がいないのにELOを名乗るのは許さない」ってことかな。
まあ実態は確かにジェフ・リン・バンドではあるけど、拒否ばっかでジェフの駄々コネという感じもするなぁ。
ベヴは仕方なく「ELO Part2」という偽物っぽい名前で活動開始。

ここで登場するのがジョン・ペイン。
後にエイジアに参加してボーカル務めたあの人です。
でも調べてみたらジョン・ペインはELO Part2としての実績はほとんどないようだ。
「元ELO」って紹介してるサイトもあったのに・・

整理するとベヴはジョン・ペインに歌わせるつもりで曲作りを始めたが、バンド名の話でジェフ・リンともめて、なんとかPart2で折り合いがついたものの、今度はプロデューサーになるはずのジム・スタインマンともめて、ジョン・ペインはそれがイヤでELO2の正式加入前に脱退・・・というロックバンドあるあるなプロレスっぽい展開だそうです。
誰が悪いのか知らないけど、ジェフがいないとやはりまとまらない人たちみたいスね。
ベヴ・ベヴァンも苦労しながらELO Part2としてライブ盤を含むアルバム3枚を発表している。
残念ながらチャートインしたことはなかったようだが・・

全然売れなかったので、ベヴ・ベヴァンは力尽きて2000年にELO Part2は解散。
しかし話はこれで終わらず、ベヴ以外のPart2メンバーのミック・カミンスキー、ルイス・クラーク、エリック・トロイヤーといった人たちが、エレクトリックもライトも取り外した「The Orchestra」という大ざっぱな名前でバンド活動を継続。
2001年にアルバム「No Rewind」をリリース。
2008年にはライブ盤「The Orchestra Live」、翌2009年にはコンピ盤「Anthology 20Years and Counting...」を発表し、ELOの曲中心にライブ活動を続ける。

力尽きたはずのベヴ・ベヴァンは一度は芸能界を引退したのに、2004年には「ベヴ・ベヴァンズ・ザ・ムーブ」というバンドを旗揚げ。
こちらは「The Orchestra」とは対照的に、ELOの曲もPart2の曲も一切演奏しないという意地のポリシーを持って活動していたとのこと。

一方ジェフ・リンはバンドが割れた80年代後半から90年代は何をしてたかというと、ビッグネームとの共演やプロデュース業に力を注いでいた。
ジョージ・ハリスンやトム・ペティ、ロイ・オービソンといったアーチストのプロデュースで大いに盛り上がり、とうとうボブ・ディランも加わって覆面バンドのトラベリング・ウィルベリーズを結成。
ビートルズのアンソロジーでも共同プロデューサーとしてがっちり爪跡を残している。
まとまりのないメンバーでイヤイヤELOやるよりも、大スターを支えるプロデューザー業のほうが圧倒的に楽しかったのだろう。

なおアンソロジーの際にポール・マッカートニーはジェフ・リンの参加に最初は難色を示していたが、ジョージの説得に押し切られたらしい。
ポールほどの大作曲家でさえ「あいつにやらせたら全部持っていかれる」と思うほどジェフの才能に恐れを抱いていた、ということだろうか。
後にポールもジェフの才能を受け入れ、97年発表の自身のアルバム「Flaming Pie」には共同プロデューサーとして採用している。

21世紀もいちおうELOは続いている。
2000年にELO結成30周年記念ボックスセット制作のため、久々に昔のメンバーとジェフが再会し、ジェフはELOとしての活動再開に意欲を見せ始める。
2001年にはELO(実態はジェフのソロプロジェクト)としてアルバム「Zoom」をリリース。
しかしその後しばらくELOは停滞。
10年以上経過した後、コンピ盤やライブ盤が散発的に発表され、2014年からようやく「ジェフ・リンズELO」として活動再開。
2015年にアルバム「Alone In The Universe」、2019年には「From Out Of Nowhere」を発表する。
やはり実態はジェフのソロプロジェクトだが、キーボード奏者のリチャード・タンディが、アルバム制作やライブでサポート参加しているそうだ。

ということでずいぶんと長く引き写してしまったが、90年代以降の経緯については、やはりほとんど知らない話ばかりだった。
ジェフのソロプロジェクトではあるが、ELOとして活動が再開され昨年アルバムも出たというのも今回調べてみて初めて知った。
まあモメ事が多かったのは予想通りだったが、やめたリーダーがバンド名を巡ってメンバーとモメるってのは、スティクスでも聞いた話だったような気がする。

説明不能な矛盾話だけど、聴いている範囲でのELOの音楽は非常に好みに合致している。
クラシック基調の壮大なメロディ、エレクトリックなアレンジ、緻密なコーラス、ばすんばすん鳴る印象的なドラム、どれを取っても魅力満載の楽曲とサウンド。
基盤にはビートルズとオーケストラがあることも丸わかりで、この音が苦手な人ってあんましいないんじゃないかとも思う。
なのでなぜ70年代作品にさかのぼることをしなかったのか、今もよくわからない。

ELO学習としては、時間とお金があれば当然ファーストから順に鑑賞するのが正しい教職課程ではあるが、その中でも実績から見てもはずせないのは「オーロラの救世主」「Out of the Blue」「Discovery」の三部作でしょうね。
いずれもベスト盤で聴いてる曲がそれぞれ収録されているし、そもそもELOやジェフ・リンのサウンドに抵抗感は一切ないので、おそらくは関東最大級の余裕な鑑賞となるはずである。(さっさと聴けよ)
むしろ黎明期の作品にこそバンドの真の魅力ありと分析されるファンの方もおられると思いますが、70年代作品で一押しはコレ!というのを教えていただければ幸いです。

 

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聴いてない 第257回 パブロ・クルーズ

2020年最初の聴いてないシリーズはみなさまご存じのパブロ・クルーズ。
もちろん聴いておらず、バンド名と83年の「Will You, Won't You」しか知らない。
調べてみてわかったが、この曲が公式には最後のシングルのようだ。
従って聴いてない度は安定の2。

「Will You, Won't You」は柏村武昭プレゼンツでリアルタイム録音はできたが、その後パブロ・クルーズの曲や情報にふれたことは全くなく、自分の中では大変失礼ながら一発屋のような存在だった。
しかし調べてみると一発屋どころか輝かしい栄光の歴史を持つバンドであることが判明。
にわかに身の危険を感じ、今回の記事執筆に至った次第である。(場内静寂)

調査開始はしてみたが、またしてもウィキペデイアには日本語版がない。
いやがるところをムリヤリGoogle翻訳してカタコト日本語を解読し、その他のサイトやBLOGで情報を補いながらまとめたのが以下である。

パブロ・クルーズは1973年にサンフランシスコで結成された。
最初のメンバーは以下の面々である。
デビッド・ジェンキンス(ギター、リードボーカル)
コリー・レリオス(キーボード、ボーカル)
スティーブ・プライス(ドラム、パーカッション)
バッド・コックレル(ベース)

元々はデビッドとコリーとスティーブが「ストーン・グラウンド」というバンドを組んでおり、そこにバッド・コックレルが合流してパブロ・クルーズとなった。
1975年8月にバンド名タイトルのファーストアルバムをリリース。
さすがにいきなり大ヒットということにはならず、全米チャートでは最高174位。
翌76年にはセカンドアルバム「Lifeline」を発表するが、139位というそれなりに厳しい立ち上がり。

77年からようやくパブロ・クルーズの快進撃が始まる。(表現が昭和)
シングル「Whatcha Gonna Do?」が全米6位、「A Place in the Sun」が42位を記録し、アルバムも19位に達した。
しかしこのヒットの最中にバッド・コックレルが別のユニット結成のため脱退。
後任にはサンタナとの共演実績を持つブルース・デイが加入。

このメンバーチェンジはとりあえず興行的には吉と出て、ブルース・デイ加入後のアルバム「Worlds Away」からは全米6位の「Love Will Find a Way 」と21位の「Don't Want to Live It It」のヒットシングルが生まれている。
またこのアルバムには「You're Out To Lose」というマイケル・マクドナルドが参加している曲もあるそうだ。
79年には初来日公演も行われた。

しかしブルース・デイはわずか3年ほどで脱退。
ベースのジョン・ピアス、ギターのアンジェロ・ロッシが加入し、81年にアルバム「Reflector」をリリース。
アルバムは34位と微妙な売上だったが、シングル「Cool Love」は13位を記録。
残念ながらこれが最後のトップ100入りとなる。

バンドは83年にアルバム「Out of Our Hands」を発表するが、全く売れなかったらしい。
方向性をポップなキーボード路線に変更したりシンセサイザーを多用したりといった工夫が裏目に出たようだ。
自分が唯一聴いた「Will You, Won't You」も全米107位に終わっている。
バンドは混乱しメンバーチェンジを繰り返し、85年頃に解散。
その後再結成に向けての動きは何度かあったものの、単発的なものに終わる。

パブロ・クルーズが本格的に再結成されたのは2004年。
結成当時のメンバーであるデビッド・ジェンキンス、コリー・レリオス、スティーブ・プライス、バッド・コックレルが再会し、スティーブの結婚式で演奏したことがきっかけとなった。
盛り上がった彼らはマジメに再結成を検討し活動をスタート。
しかし結局バッド・コックレルは再結成パブロ・クルーズに参加せず、ジョージ・ガブリエルがベースとして加入する。

その後ジョージ・ガブリエルは2009年に脱退し、翌2010年にラリー・アントニーノが参加。
バッド・コックレルは2010年3月に糖尿病の合併症により59歳で亡くなったそうなので、再結成に参加しなかったのは病気が理由だったのかもしれない。

2011年11月に初のライブアルバム「It's Good to Be Live」をリリース。
2012年にはなんと33年ぶりの来日公演(ブルーノート東京)を実施。
2015年にも同じブルーノート東京でライブを行った。

2017年以降はロビー・ワイコフを加えた5人で活動中とのこと。
ロビー・ワイコフはロジャー・ウォーターズのザ・ウォール・ライブ・ツアーに帯同した経歴を持つミュージシャンで、パブロ・クルーズではパーカッションを担当。
再結成後は新曲もニューアルバムも出さず、主にカリフォルニア周辺をツアーして懐かしのヒット曲を披露するというスタイルだそうだ。

ということで、調べてみたら唯一聴いた曲が今のところ最後のシングルであり、全盛期を過ぎて解散寸前のところでかろうじて1曲聴いたという状態だった。
往年の大ヒット曲の存在すら知らず、もったいない状況のまま加齢してしまったことになる。(そんなんばっか)

ジャンルとしては「サーフ・ロック」という呼ばれ方をされることが多いようだ。
テンポのよいリズム、明るくさわやかなサウンド、太陽や海や砂浜などの情景を描いた歌詞などが特徴で、ジャケットにもヤシの実のロゴマークが使われているとのこと。
ただアルバムごとの雰囲気はかなり違うらしく、評価や好みも割れるらしい。
77年の「A Place in the Sun」と78年の「Worlds Away」の評価が高いようだが、「ファーストアルバムは隠れた名盤」といった意見もあった。

ということで、パブロ・クルーズ。
唯一聴いてる「Will You, Won't You」を頼りに最後のアルバムを聴くよりも、評判の「A Place in the Sun」と「Worlds Away」から聴いたほうが良さそうである、ということはなんとなくわかりましたが、みなさまの鑑賞履歴や評価はいかがでしょうか?

 

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聴いてない 第256回 ヴァネッサ・パラディ

北半球一唐突なヤケクソデタラメ洋楽シリーズ、今日はこんな人を採り上げてみました。
歌手・・でいいのかもよくわかってませんが、ヴァネッサ・パラディ。
聴いてない度は意外性の3。
大ヒット曲「Be My Baby」と、同じアルバムの「Sunday Mondays」を無事に聴いております。

フランスの歌手で女優なのだが、ワールドワイドな肩書き?としては「ジョニー・デップの元奥さん」と思われる。
厳密には結婚していなかったそうだが、ジョニーとの間に子供も二人いるので、まあ元奥さんでいいと思う。
若い人は知らないかもしれないけど、元奥さんは昔歌も歌っていたのよ。

芸能人の意外な過去を得意げに忘年会で語る古参の使えないサラリーマンみたいですけど、実は素性人格懲罰も含めてあまりよく知らないのだった。(古参の使えないサラリーマンは事実だけど)
ということでヴァネッサ・パラディを忘年会に間に合うよう内密に調査。

ヴァネッサ・パラディは1972年フランス生まれ。
親は装飾品会社経営というリッチな家庭に育ち、子供の頃にテレビ出演の経験あり。
1987年に「Joe Le Taxi(夢見るジョー)」で歌手としてデビュー。
さらに89年にはフランス映画「白い婚礼」で女優としてもデビュー。
なので15歳くらいですでに歌手、17歳で女優になっていたことになる。
「Joe Le Taxi」はフランスで大ヒットしたそうなので、金持ちのお嬢ちゃんがお遊びで歌ってみましたみたいなヤワな話ではなさそうだ。

1993年にアルバム「Vanessa Paradis(ビー・マイ・ベイビー)」を発表。
レニー・クラヴィッツのプロデュースで、レニー自身も楽器や歌で参加し、レニーの仲間のミュージシャンも多数参加という安心のバックアップ体制。
ヴァネッサは全曲を英語で歌い、シングル「Be My Baby」はフランスのチャートで5位を記録し、全英も6位と大ヒット。
自分は聴いた2曲をいずれもMTVで知ったので、ほぼリアルタイムで聴いていたことになるが、そんなにヒットしていたとは知らなかった。
その後歌手としてはライブも含めて10枚くらいアルバムを発表しているらしい。

またシャネルの広告モデルにも起用されており、香水やバッグなどの広告に登場。
香水「ココ・シャネル」のCMではカゴの中の鳥を演じて話題になったそうだが、これ日本でも放送されてたんですかね?
全然記憶にない・・

映画女優としての経歴がどのくらいのレベルなのか見当もつかないが、1998年に「ハーフ・ア・チャンス」でアラン・ドロンやジャン・ポール・ベルモンドと共演した実績あり。
以降も「橋の上の娘」「ロスト・イン・ラ・マンチャ」「天使の宿り木」「ハートブレイカー」「ジゴロ・イン・ニューヨーク」といった作品に出演。
中には「エイリアンVSヴァネッサ・パラディ」「コンビニ・ウォーズ」といったタイトルの映画もあるが、どんな内容なのだろうか・・

さて彼女の世界最大の肩書きである「ジョニー・デップの元奥さん」。
二人の関係は98年頃から14年間にもおよび、正式に結婚はしなかったものの、二人の間には娘のリリー・ローズ・デップ(現在は女優)と息子ジャックが生まれている。
なかよしカップルとして有名だったそうだが、原因は不明ながら2012年には公式?に破局。
ジョニーと別れた後は歌手のバンジャマン・ビオレという人と交際し、2015年にまた破局。
その後映画監督のサミュエル・ベンシェトリと2018年6月に結婚。
ヴァネッサにとってはこれが初めての結婚とのこと。

今回も知ってた話は何一つなし。
ジョニー・デップとの関係も「そうだったっけ・・」くらいの感覚しかなかった。
歌手としてアルバム10枚出してることも知らなかったし、映画ももちろん全く見たことがない。

最大のヒット曲とアルバムにレニー・クラヴィッツが関わっていたことも知らなかった。
アルバムの中で自分が聴いてた「Be My Baby」「Sunday Mondays」を含む4曲がレニーの作品だそうだ。
(厳密にはレニーと他の人との共作)
なおアルバムには「I'm Waiting for the Man」というヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコのカバーも収録されている。

「Be My Baby」はどこか60年代っぽいリズムやメロディで、ありふれたタイトルでもあったので、誰かのカバーなのかと思っていた。
プロモ・ビデオは全然凝った造りではなかったが、ヴァネッサのあどけなさと色っぽさが全開で、彼女の胸元ばかり見ていた記憶がある。

「Sunday Mondays」はゆったりしたリズムにのんびりしたサウンドとヴァネッサの舌足らずなボーカルが乗るほのぼのソング。
ラブコメアニメのエンディングテーマみたいな曲で、これも結構好きだ。
ただ当時我が家のテレビの受信状況がいまいち良くなく、残念ながらノイズ混じりで録音されてしまったことを覚えている。

あらためて彼女のプロモ・ビデオや画像をいろいろ見てみたが、顔の印象は思っていたのと少し違っていた。
若い頃のヴァネッサはもっとあどけないイメージだった気がしてたんだが、今見直すとそうでもなく、意外とゴツイ顔立ちである。
お母さんの若い頃よりは娘のリリーのほうがロリータ顔だと思う。

というわけで、ヴァネッサ・パラディ。
聴くなら当然「Vanessa Paradis(ビー・マイ・ベイビー)」からであろうことは明白でしょう。
とはいえ日本での知名度や人気は見当がつきませんし、聴いてないことを世界中に公表すべき存在なのかすらよくわかりませんけど、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

 

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聴いてない 第255回 ビリー・レイ・サイラス

ネットの普及で昔のヒット曲やアーチストの情報が簡単に得られる昨今、当時は全くわからなかった話に驚愕することもしょっちゅうである。
今日のお題ビリー・レイ・サイラスも、「調べて仰天」シリーズに該当。
仰天してるのは本州でも自分だけかもしれないけど。

ビリー・レイ・サイラス、聴いてない度は2。
92年の大ヒット曲「Achy Breaky Heart」だけ知っている。
FMのエアチェックではなく、MTVの番組まるごとを録画して、音声をテープに録ったものだ。
なお同時に録音したのがガンズの「November Rain」やヴァネッサ・ウィリアムズの「Save The Best For Last」だった。
「Achy Breaky Heart」の感じからロックとは少し違うような気がしていたが、調べたらビリー・レイ・サイラス、やはりカントリーの歌手だそうだ。

ただし今回仰天したのはそこではない。
(正体がカントリー歌手と知って仰天したのはテイラー・スウィフトだ)
「実は本人も娘も大スター」に仰天したのだ。
こういう話は極東の引きこもりリスナーには当時なかなか伝わってこなかった。
あらためてビリー・レイ・サイラスの身元調査をしたらこんな感じだった。

ビリー・レイ・サイラスはアメリカのカントリー歌手。
1961年ケンタッキー州に生まれ、1980年にはデビューって書いてあるので、二十歳前にはすでに歌手になっていたことになる。

92年の「Achy Breaky Heart」が大ヒット。
全豪1位、全米4位、同カントリーチャートで5週連続1位、さらにデビューアルバム「Some Gave All」はビルボードカントリー部門で17週連続1位など、輝かしい成績を記録。
ということは、いちおう自分も「Achy Breaky Heart」をほぼリアルタイムで聴いたことになる。

その後の活動については、ウィキペディア日本語版にはアルバム発表履歴くらいしか書いておらず、チャート順位や売上枚数は不明。
2012年までに13枚のアルバムをリリースしているようだが、目立ったヒット曲はなかったのだろうか。

今年に入ってからの情報に再仰天。
ラッパーのLil Nas Xが発表した「Old Town Road」という曲が、ビルボード1位を獲得。
この曲のリミックスにビリー・レイ・サイラスが参加しており、ビリーとしては初の全米1位・・という話。
カントリー歌手がなぜラッパーの曲に参加してるのか、どっちが誘ったのかはよくわからないが、この異業種交流名刺交換大会みたいな作品はやっぱし論争を呼び、ビルボードはこの曲をカントリーチャートから除すことにしたそうだ。
カントリーはアメリカでもっとも多くの人が聴いている音楽だそうだが、ラップとはリスナー層が全然違うんだろうね。

仰天情報はまだある。
全米で大人気のディズニーチャンネルの「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ」というドラマ番組で主人公役を務めたマイリー・サイラスが、ビリーの娘なんだそうだ。
この番組でビリー・レイ・サイラスもマイリーの父親役で登場。
実の親子が劇中も親子役で共演という話。
番組は2006年から5年間続き、2010年のマイリーの年収は30億円以上にもなったらしい。

さらにこの親子を含む家族みんなでカラオケ映像にて共演の実績も持つ。
2017年Apple Music配信のカープール・カラオケで、ビリーとマイリーに加え、妻やマイリーの兄弟も出演し、家族全員で「Achy Breaky Heart」を合唱したとのこと。
マイリーの兄トレイス、姉ブランディー、弟ブレイズン、妹ノアも全員芸能人だそうです。
高島一家も仰天の芸能家族。
いずれにしても親父を超える大スターとなったマイリー。
歌手や女優として活動し、様々なゴシップで全米を賑わせており、ウィキペディア日本語版は父親よりも情報量が多い。

もちろん何もかもが初めて知る話。
ビリー本人はともかく、子供たちの活躍も全然知らなかった。
ディズニー・チャンネルやカラオケ映像は日本でも観ることは可能なんだろうけど、番組や親子の大ファンでしたよなんて人は日本にどれくらいいるのかな?

お父ちゃんビリーの代名詞「Achy Breaky Heart」だが、本人のオリジナルではなく、作ったのはドン・ヴォン・トレスというカントリーの作曲家だそうだ。
またこの曲をビリーよりも前にマーシー・ブラザーズというバンドが「Don't Tell My Heart」というタイトルで曲名で発表しており、その翌年ビリー・レイ・サイラスがタイトルを「Achy Breaky Heart」に変えて大ヒット・・という経緯。

この曲、感覚的にはのどかな田舎の風景が思い浮かぶおだやかなカントリーのイメージとはかなり違う。
リズムやテンポはそれほど激しくはないが、なんとなくブルースの香りもする太い曲だ。
歌詞も別れた女に対するヤケクソな捨てゼリフのようであんまし明るくはない。
自分が聴いた・・というか見たMTVはライブ映像で、客の歓声も入っている。
好みかどうかは正直微妙だが、メロディや構成がわりと単調なので印象に残る曲ではある。

そんなわけで、ビリー・レイ・サイラス。
ジャンルがロックとは違うようなんで、日本では聴いてきた方もちょっと少ないのかもしれません。
聴くとしたらもちろん最初で最大のヒットアルバム「Some Gave All」は外せないでしょうけど、他によい作品があれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてみた 第153回 ピンク・フロイド その2

プログレ社会人学校シリーズ、今日はピンク・フロイドの「炎」を聴いてみました。

フロイド学習は完全に中退しており、「狂気」「原子心母」は悪くはなかったものの定着せず、ベスト盤ばかり聴いている。
今回もモンスリー師匠から直々に更生プログラムとして「炎」の強い推薦があり、「このままでは何も聴かないうちに人生が終わります」というぷく先輩の啓示を胸に、心を入れ替えて政府として適切に「炎」を聴くことにしたものであります。(官房長官の記者会見調)

Wishyouwerehere

「炎」は1975年の作品。
全米も全英も1位を記録という鬼アルバムで、原題は「Wish You Were Here」、日本語副題は「あなたがここにいてほしい」。

前作「狂気」で人気も名声もおこづかいもがっちり獲得したピンク・フロイド。
超傑作の次をどう作るかというプレッシャーに、彼らもまた悩むこととなる。
で、考えていたのが「家の中にある食器やら雑貨やらといった楽器ではないものを使って音楽を作る」という実験的な試み。
だがその企画は「やっぱやめよう」ということになり、ふつうの曲作りを開始。(なぜ?)
その時にテーマとしたのが、音楽ビジネスでの大成功における選ばれし者の恍惚と不安。
これをそのまま歌うことにしてできあがったのが「炎」という話。
なんかあまりよくわかりませんけど。

結果的にこの作戦は成功して英米1位も獲得したので、まあよかったのだろう。
食器や雑貨を使った実験的音楽だったら、おそらくは英米1位なんかとてもムリで、自分も一生聴かずにいたと思われる。
そんな運命的名盤を、このトシになって初めて聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1.Shine on You Crazy Diamond (Part1~5):狂ったダイアモンド(第1部)
元メンバーのシド・バレットに捧げた曲だと多くのサイトに書いてあるが、ウィキペディア日本語にはロジャー・ウォーターズが「決してシドのみに向けたメッセージではなく、すべての人間に当てはまることだ」と語った、とある。
「シドだけに宛てたメッセージ」は否定してるけど「シドへのメッセージでもある」ことは確かなようだ。
この曲はベスト盤で聴いていたが、オリジナルアルバムでは9つのパートから成り、最初がパート1から5まで、残りの6から9まではアルバムの最後に収録されている。
・・と言ってもどこからどこまでが1なのか2なのかはよくわからない。
甲高く響くブルースの調べはデイブ・ギルモアのギターだが、これは名演だと思う。
8分以上過ぎてようやく歌が始まる。
終盤にはサックスが鳴り響く渋い構成で飽きない。

2.Welcome to the Machine:ようこそマシーンへ
初めて聴く曲。
タイトルに合わせたような機械的なサウンドに、物悲しいボーカルが乗る。
歌詞は物わかりの良さそうな父親がロックスターを夢見る息子に語りかけるような感じで書かれているが、オチもなく意味もよくわからない。
ロックスターを夢見て成功しステーキ食ってジャガー乗っても、結局ミュージック・ビジネスというシステムに取り込まれるしかない、というフロイド自身の現状を皮肉った歌らしい。
終盤突然演奏が止まり、電子音や笑い声などが聞こえて終わる。

3.Have a Cigar:葉巻はいかが
これも初めて聴く曲。
フォーク歌手ロイ・ハーパーのボーカル。
ロイ・ハーパーはツェッペリンの「Hats Off to Roy Harper」でタイトルになってるその人であり、84年にペイジとのライブ盤も発表している。
で、偶然フロイドと同じスタジオにいたところをロジャー・ウォーターズに頼まれて歌ったらしいが、突然メインボーカルでフロイドの曲を歌うってスゴイ話だなぁ。
ロイ・ハーパーはアルバムの雰囲気を壊すことなく誠実にボーカルを務めており、違和感は全然ない。
大ヒットもしたので結果としては成功だったんだろうけど。
楽曲としてはやはり明るくはない辛口のブルースで、リズムも微妙で難しい感じ。
歌詞はバンドの売上だけにしか興味のないレコード会社の偉い人のとんちんかんなセリフがそのまま書かれているそうだ。
そのまま歌詞にしたら皮肉でもなんでもなく、その人にバレてしまうのでは・・
エンディングはフェードアウトではなく突然音が小さくなり、右側に寄って終わる・・んですけど、それでいいんですよね?
一瞬プレーヤーが故障したのかと思った・・

4.Wish You Were Here:あなたがここにいてほしい
これもベスト盤で聴いており、フロイドの曲の中では好きなほうである。
イントロに古いレコードをかけたような小さなノイズ混じり音が入っていて、後からアコースティックギターでメインの演奏が始まる。
この演出もいいと思う。
ロジャー・ウォーターズのやや濁った投げやりなボーカルも秀逸だ。
終盤ギターに合わせて高い声で歌詞なく歌っているのはギルモアだそうだ。

5.Shine on You Crazy Diamond (Part6~9):狂ったダイアモンド(第2部)
第1部とは違ったメロディで、リズムも早い。
やたら高音のギターが競うように重なり、やや耳障りだなぁと感じていたところで第1部と同じサウンドが戻ってくる。
後半はまた2部独自のメロディが長く続く。
エンディングも長く続くフェードアウト。

聴き終えた。
スタジオ盤としては「狂気」「原子心母」に次いで3枚目となるが、その中では一番聴きやすいと感じる。
収録曲の半分くらいはベスト盤で聴いていたので、慣れもあるだろう。
少なくとも難解だったり恐怖だったり舌打ちだったりのついていけない感覚は全くない。
どれも冗長ではあるが楽曲として比較的おだやかであり、落ち着いて聴ける。
この雰囲気は悪くない。

もっと言うと他のプログレにある絶叫とか変拍子とか方向転換といった傲慢な置き去り展開が思ったほどないので、わりと初心者にもありがたい内容である。
比較は無意味かもしれないが、クリムゾンイエスよりもフロイドの音は自分に合うのだろう。
エラそうに分析できるほどどれも鑑賞してないが、やはりグレッグ・レイクのがなり声やジョン・アンダーソンの凍結した甲高いボーカルは苦手なのだ。
とりあえずフロイドにはそれがない。
判定ポイントとしては実に幼稚なのだが、これが正直な感覚である。

さてこのアルバム。
シド・バレットを想って作った美しき友情と絆の物語・・なのかと思ったら、ウィキペディアを含む多くのサイトに書いてあった「シド本人の登場」話が笑えて泣ける。
このアルバムのレコーディング中にシド・バレット本人がまさかのアポなし登場。
しかしすっかり太ってハゲ散らかしたシドを見てもメンバーは本人だと気づかず、リチャード・ライトはロジャーのお友達かと、またギルモアもEMIのスタッフかと思ったそうだ。
シド自身は久しぶりのスタジオに上機嫌でギターも弾く気でいたそうだが、シドのあまりの変わりようにメンバーは引いてしまい、結局録音に参加することもなくシドは帰っていったとのこと。
しかも以降メンバーは誰もシドと会うこともなく、これが今生の別れになろうとは・・
「あなたがここにいてほしい」ってその願いがかなった展開になったのに、お互いに気の毒な話だなぁ。
「人は見た目が9割」って至言ですね。(なんだそのまとめ)

ジャケットは、二人の男が握手をしているが一人は火だるまという怖い絵。
「狂気」と同じくヒプノシスのデザインだそうだが、「狂気」の幾何学的で無機質な絵とは全く違った直情的な恐ろしさである。
フロイドのアルバムジャケットは怖いものが多いが、この「炎」は今風に言うと無敵なヤバさである。
やはりメンバーの顔がろうそくになって火が着いてたり、メンバーが火の玉になって宇宙空間を飛び回るようなどっかのバンドのポンチなジャケットとはセンスが違うのだ。

というわけで、ピンク・フロイド「炎」。
これはかなりよかったです。
これまで聴いてきたプログレの名盤の中では、おそらく最も自分に合う作品だと感じました。
次回は「アニマルズ」「おせっかい」あたりも学習してみようかと思います。

 

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聴いてみた 第152回 ドゥービー・ブラザーズ その2

中高年今さら名盤学習シリーズ、今回は70年代を代表する名作。
ドゥービー・ブラザーズの「The Captain And Me」を聴いてみました。

ドゥービー・ブラザーズ学習はサラリーマンの英会話教室同様ほぼ手つかずで放置状態だった。
このBLOGを始めたあとでベスト盤を聴いたが、その後ちっとも定着せずアルバムも全然聴いていない。
引き合いに出すのもよろしくはないが、70年代の作品はいちおう全部聴いたイーグルスに比べてお勉強ははるかに遅れている。
忘れていたわけではないが、危機感も全然ないまま惰性加齢。
あまりの杜撰さにあきれたモンスリー師匠から直々に申告漏れ追徴と衛生指導と非難勧告を受け、今回の鑑賞となった次第。(毎度の展開)

The-captain-and-me

「The Captain And Me」は1973年の作品。
ドゥービー・ブラザーズにとって3枚目のアルバムで、全米週間チャートでは最高7位、年間でも17位を記録した。
メンバーは以下の皆さんである。
・トム・ジョンストン
・パトリック・シモンズ
・タイラン・ポーター
・ジョン・ハートマン
・マイケル・ホザック

ゲストとしてリトル・フィートのビル・ペイン、後にバンドに加入することになるジェフ・バクスターが参加。
プロデューサーは後にヴァン・ヘイレンを発掘養成するテッド・テンプルマン。
と言ってもヴァン・ヘイレン聴いてて「ああこれテッドっぽい音だよな」などとわかったりすることは全然ないですが。
ドゥービー・ブラザーズとヴァン・ヘイレンで共通する音づくりなんてあるんでしょうか?

このアルバムの鑑賞においては、トム・ジョンストンとパトリック・シモンズの作風の違いとバランスを味わう、というのがドゥービー黄金の教義らしい。
トム・ジョンストンの作る軽快でノリのいいロックと、パトリック・シモンズが作るカントリーやバラードの対比を楽しむアルバム・・だそうです。

初期ドゥービー・ブラザーズの最高傑作との呼び声高き「The Captain And Me」。
果たして自分の耳にもキャプテンは的確に案内してくれるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Natural Thing
明るく軽快でドライブにも合いそうな爽快感の充満するサウンドでスタート。
酒とか車のCMに使われてもよさそうな曲だ。
中盤でころころころ・・と鳴る楽器はなんだろう?

2. Long Train Runnin'
国民の誰もが知っている名曲。
実はメロディも歌詞も明るくはないのだが、リズムは軽快そのものでこれがイヤという人もあまりいないだろう。
印象的なギターのカッティング、サビのコーラスなど聴きどころは多いが、イントロのギターリフについて「誰でもやりそうで実は誰もやらなかった」という評価があちこちのサイトに書いてある。

3. China Groove
引き続き町内の誰でも知っている全米15位の名作。
これも軽快で湿度の低い乾いたサウンド。
メロディが明るいので「Long Train Runnin'」よりこっちのほうが好きという人も多いようだが、自分もどちらかと言えばこれのほうが好みだ。

4. Dark Eyed Cajun Woman
前の3曲よりも少しテンポを落としたブルース調の1曲。
途中ギターソロがあったりコーラスポイントがあったりの正統派な構成。
ここまでがトム・ジョンストンの作品。

5. Clear As The Driven Snow
今度は趣きの違ったアコースティックの美しい旋律で始まる。
・・・と思ったら途中でブルージーな短調にスイッチするという意外な展開。
パトリック・シモンズの作品だそうだが、確かにトム・ジョンストンとは少し雰囲気が違う。
繰り返すアコギの音色は美しいけど、後半の演奏はやや重く長く難しい流れ。

6. Without You
B面は重厚なロックでスタート。
コーラスを多用しているが、イーグルスのような精緻なハーモニーではなく、ノリ重視のような感じに聞こえる。
後半の演奏の盛り上がりは、ザ・フーのような音にも聞こえる。
ドゥービーはツインドラムを擁するバンドだそうだが、言われてみれば確かに左右から異なるドラムの音がする。
この曲はメンバー全員の共作とのこと。

7. South City Midnight Lady
再びパトリック作のゆるやか西海岸ソング。
5分以上もあって結構長い。
アコギとピアノで進行し、合いの手のように入る甲高いギター、ボーカルに寄り添うコーラス。
こうなるとやはりイーグルスに似ていると感じる。

8. Evil Woman
再び切れ味鋭いシャープなロック。
軽快でも爽快でもなく、サビをハイトーンなコーラスで歌い、エンディングはバシっと切れる。
これもパトリックの作品だが、アルバムの中でもこの曲だけやや異質な気がする。

9. Busted Down Around O'Connelly Corners
ここでなぜか短いギターインストが入る。
1分もない。

10. Ukiah
「ユカイア」と読み、カリフォルニア州北部にあるのどかな町の名とのこと。
都会の喧騒とは別世界の自然豊かな町を歌っているらしい。
リズムは軽やかだが旋律はやや辛口で、どこか「Long Train Runnin'」にも似ていると思う。

11. The Captain And Me
前の曲がフェードアウトするところにイントロが重なって始まる。
アコースティックギターとバンジョーで組み立てられたソリッドなサウンドに、ボーカルとコーラスがからむというお得意の建てつけ。(受け売り)
終盤ややテンポアップして去っていく。

聴き終えた。
通して聴くと、LPのA面B面では雰囲気が少し違う気がする。
全編通してウエストコーストの青く乾いたサウンドなのだが、A面は軽快で楽しく、B面はやや重厚で思ったよりも多彩なイメージ。
最初の3曲につい引きずられてしまうが、想像以上に多面的なアルバムである。

冒頭で挙げたトム・ジョンストンとパトリック・シモンズの作風は、確かにわかりやすくはっきりと違う。
どちらにもいい曲はあるが、今のところトムの作品のほうが好みには合うと感じる。

ただここからドゥービーが定着する予感はまだない。
何度も引き合いに出して恐縮だが、イーグルスを聴いた時の感覚にやはり近いのだ。
いい音楽だなあ・いい曲だなあとは思うけど、繰り返し聴きたい音楽なのかと言われるとまだわからない。
他のアルバムもどんどん聴いていくぞう!という決意の感情はまだ湧かない。
一生湧かないかもしれませんけど。

ジャケットは建設中の高速道路の下に、開拓時代のような馬車に乗っているメンバーという不思議な絵。
時代の異なる要素を上下に同時配置する表現は面白いと思う。

というわけで、「The Captain And Me」。
定着する予感はまだないのが正直なところですが、もちろん名盤であることになんら異論はありません。
ドゥービー・ブラザーズ学習のさらに大きな課題としてジョンストン期とマクドナルド期の聴き比べというのも依然として残っていますので、引き続き学習を拡張させていく所存です。(ぬるい答弁)

 

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聴いてない 第254回 ザ・キュアー

80年代に本国で輝かしい実績を残しながら、なぜかその情報にほとんど触れることができず、結果的に取りこぼした心苦しい人々がいる。
調べてみてじわじわ判明しつつあるが、どうも大英帝国にその損失傾向が強いようで、前回のニュー・オーダーもそうだが、今回採り上げるザ・キュアーもまさにそんな事例である。

ザ・キュアー、1曲しか聴いておらず、聴いてない度は2。
聴いたのは89年の「Lovesong」だけ。
FMエアチェックではなく、MTVの音声からテープに録音している。
調べたら日本未発売だった。
やっぱりなぁ。

結局自分の場合、柏村武昭・東郷かおる子・小林克也のいずれからも紹介を受けていないこのパターンが、イギリスのミュージシャンに多いようなのだ。
あ、自分が勝手に「紹介を受けてない」と言ってるだけで、「サンスイ・ベストリクエスト」「ミュージックライフ」「ベストヒットUSA」ではちゃんと採り上げていた可能性もありますけど。
当然バンド名とこの曲以外に情報は持っておらず、そのまま30年経過してしまった。
プロモ・ビデオの映像も全く覚えていない。

仕方なく半期末の決算報告作成のようにけだるくキュアー調査開始。
ところが。
これまたウィキペディア日本語版が驚くほど詳しく充実している。
いろいろ聴いてないアーチストの略歴をウィキペディア日本語版で調べてきたが、ザ・キュアーはその中でも突出して情報量が多い。
ありがたいけど、読むのも大変だ。
バカ大学生の適当卒論みたいに抜粋要約コピペすると以下の通り。

冒頭から衝撃だが、「ザ・キュアー (The Cure) は、1978年に結成されたイングランド・クローリー出身のロックバンド」とある。
70年代末にはすでに登場してたんですね・・
しかも歴史が第1期から9期までパープル並みに刻まれている。
さらにアルバムは13枚、シングルが44曲もあるという大量生産バンド。
イメージしてたのとかなり違う・・

で、やっぱり前身バンド名「イージー・キュアー」も書いてある。
「イージー・キュアーを母体として」とあるので、キュアーになった時点で誰か抜けたのだろう。
結成時メンバーは以下のみなさんである。
・ロバート・スミス(Vo・G)
・マイケル・デンプシー(B)
・ローレンス・トルハースト(D・K)

1979年にシングル「Killing An Arab」でデビュー。
翌年には早くもメンバー交代で2期開始。
どうもキュアーってバンドはこんな調子で小刻みにメンバーチェンジを繰り返してるようだ。
ファンの方なら全部暗記してるんでしょうか。

また驚くのはロバート・スミスがスージー・アンド・ザ・バンシーズとキュアーを掛け持ちしていた、という話。
ゲスト参加ってのはよく聞くが、掛け持ちはそんな簡単ではないだろう。
当然体にこたえたロバートさんは、結局働き方改革によりキュアーに活動を絞ったそうですけど。
なおスージー・アンド・ザ・バンシーズは名前だけ知ってて1曲も聴いてない。

で、2期キュアーは忙しいながらも「Seventeen Seconds」「Faith(信仰)」「Pornography」といったアルバムを発表。
これらは「概念三部作」とか「暗黒三部作」などと呼ばれ、厭世観に満ちた重い雰囲気の作品のようだ。

3期のキュアーはポール・トンプソン、アンディ・アンダーソン、フィル・ソーナリーが加入し、アルバム「The Top」を発表。
直後に初来日し、中野サンプラザと大阪サンケイホールで公演。

4期がザ・キュアーの黄金期とされる。
メンバーはロバート、ポール、サイモン・ギャラップ、ボリス・ウィリアムス、ロジャー・オドネル。
87年に7枚目のアルバム「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」をリリース。
これが初期の暗ーい音楽とは全く違い、非常に多面的でバラエティに富んだ名作と評価が高く、彼らをワールドクラスのバンドに変えた作品らしい。

しかしロバート・スミスという人はそんなに簡単な人じゃなかったようで、次の作品「Disintegration」で儲かり路線から再び内省的どんより路線に戻してしまった。
自分が唯一聴いた「Lovesong」もこのアルバムに収録されているが、確かに明るく楽しくな曲ではない。
レコード会社は発表をやめるよう説得したそうだが、「Disintegration」はアメリカでも人気が出てセールスは300万枚を記録。
事務所や会社は手のひらを返して大喜びし、ツアースケジュールを組みまくり、メンバーの疲労がたまっていく。

でも90年代に入っても意外に?キュアーは快進撃。
ギターのペリー・バモンテ加入で5期を迎え、アルバム「Wish」で全英チャート1位・全米2位という彼らの最高位を記録。
・・・すいません、こんな名盤なのにタイトルもジャケットも全く知らない・・

いずれにしても、このあたりの展開は自分みたいな極東の素人には非常にわかりにくい。
アルバムごとに雰囲気がユラユラ変わるバンドってのはあまり人気が安定しないような気がするが、陰鬱でじめじめな作品でも売れたってのはどういうことだろう?
アメリカで売れたってのはグランジ・オルタナブームに少し関係があるんだろうか?

6期はかなりハデにメンバーチェンジ。
ポール・トンプソンとボリス・ウィリアムスは脱退、ロジャー・オドネルが復帰、ジェイソン・クーパーが加入。
96年に通算10枚目の記念すべきアルバム「Wild Mood Swings」を発表するが、残念ながらあんまし売れずロバートは徐々に混乱。
2000年の「Bloodflowers」リリースと同時に解散宣言するが、こっちは佳作として評価されて意外にいい売れ行きだったので解散は回避。
その後2003年にアルバム「Pornography」「Disintegration」「Bloodflowers」の全曲を演奏したライブDVD「Trilogy」を、翌04年にはスタジオ盤「The Cure」を発表する。

バンドはいつの間にか8期に突入。
相変わらずメンバーの出入りは激しく、ロジャー・オドネルとペリー・バモンテが脱退、ポール・トンプソンが復帰して4人編成となる。
しつこいけど、ファンは期とメンバーを全部暗記してるんでしょうか。
2007年には久しぶりに来日し、フジ・ロック・フェスティバルに登場。
翌年にはアルバム「4:13 Dream」が発売された。

2011年から12年にかけてまたメンツが入れ替わり、現在第9期とのこと。
現メンバーはロバート・スミス、リーブス・ガブレルス、ロジャー・オドネル、サイモン・ギャラップ、ジェイソン・クーパーの5人・・で合ってますかね?
2013年には再びフジ・ロックのステージに立ち、2019年にはロックの殿堂入りを果たす。
今年も日本に来てフジ・ロックに出演。
「Lovesong」も含め2時間の演奏を披露したとのこと。

あああ長い。
こんなにもメンバーチェンジの激しいパープルチックなバンドだったんスね・・
しかも今も現役でフジロックの常連にもなりつつあるという驚きの活躍ぶり。
毎度のことながら何もかもが知らない話である。

「Lovesong」だが、明るくはないけどそんなに重苦しい曲ではなく、リズムは軽快でキーボードの音が結構いい感じである。
80年代のa-haやデュランにも少し似ていると思う。
これだけ多作バンドなんで、この1曲だけでキュアーを評価判断するのはやはり無謀だろう。

ということで、ザ・キュアー。
今回はほとんどよそのサイトの情報の引き写しに終始してしまいましたが、驚愕の連続でした。
やはり売れ筋と言われる「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」「Wish」あたりから始めて、慣れてきたら「Lovesong」を頼りに「Disintegration」を試す・・・というのが、自分のための更生プログラムのように思えるのですが、他におすすめのアルバムはありますでしょうか?

 

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聴いてない 第253回 ニュー・オーダー

80年代洋楽しか心のよりどころのない自分にとって、80年代にとても人気があったはずなのに全くかすりもしなかったバンド。
それがニュー・オーダーである。

実は1曲も聴いておらず、バンド名しか知らない。
曲名もメンバーの名前も人数もジャケットもジャンルも賞罰も一切知らず、聴いてない度は1。
ゼロでもいいです。
なぜバンド名だけ知っているのかも不明。
柏村武昭、東郷かおる子、小林克也のいずれからも紹介を受けていない。

人のせいにしても始まらないので、生涯初のニュー・オーダー調査を敢行。
まずウィキペディアをのぞいたら、日本語版もちゃんとあってしかも結構長い。
ロビー・デュプリーとはえらく違う。
その長い説明を要約すると以下の略歴となる。

ニュー・オーダーは英国マンチェスターにて結成されたグループである。
まずイアン・カーティスを中心に1977年マンチェスターで結成されたワルシャワというバンドが、ジョイ・ディビジョンに改名しデビュー。
メンバーはイアンとバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーブン・モリス。
前衛的なエレクトリックサウンドで人気を博し、「Love Will Tear Us Apart」がヒット。
しかし80年の全米ツアー直前にイアンは自宅で首つり自殺。
セカンドアルバム「Closer」はイアンの死後に発表された。

残ったメンバーは、バーナード・サムナーがボーカルを担当しバンドを継続することを決意。
バンド名をニュー・オーダーと改め、ジョイ・ディビジョン時代に作った曲をニュー・オーダーのデビューシングル「セレモニー」としてリリースした。
81年11月にアルバム「Movement」を発表。
82年に女性キーボーディストのジリアン・ギルバートが加入し、エレクトロ・ダンス・サウンドに傾倒し始める。

83年に「イアンの死を知った月曜日」を歌った「Blue Monday」を発売し、イギリス国内で大ヒットとなった。
この曲を含め、ニュー・オーダーは当時ダンス・サウンドを意識した12インチシングルの制作に重点を置いていたそうだ。
あまりよくわかってなかったけど、当時はやはり12インチシングルが流行っていたんですね。
確かにニュー・オーダーに限らず、この頃はFMでも12インチシングルバージョンの曲がよくオンエアされていたなぁ。
クロスオーバー・イレブン」でマドンナデュランなんかの12インチシングルバージョンをいくつか録音したもんです。(遠い目)

一方でアルバム制作も並行してきちんとこなしており、83年「Power Corruption&Lies(権力の美学)」85年「Low Life」、86年「Brotherhood」、89年「Technique」をコンスタントに発表。
どれもイギリスでヒットし、80年代のニュー・オーダーは堅実で順調な実績を積み上げていく。
特に「Technique」は当時最新とされたクラブ・サウンドに彩られており、本国イギリスはもちろんアメリカでもゴールドディスクを獲得した。
・・・このあたりの情報が、書き写してて一番居心地が悪い・・・
そんなに大ヒットを連発していたのに、なぜか一切知らない・・・

居酒屋で同僚のラグビー談義に全然参加できないような心境のまま、さらに厳しい情報は続く。
ニュー・オーダー、来日公演が80年代から何度も行われている。
初来日は85年、東京厚生年金会館での単独ライブ。
87年にも東京・大阪・名古屋で公演を行った。
また「11PM」に出演し「Bizarre Love Triangle」を生演奏で披露。
・・そんなこともしてたの?
「11PM」は火曜の「秘湯の旅」コーナーだけを凝視していたので、ニュー・オーダーの生演奏は見事に見逃している。

そんなニュー・オーダーだが、やはり90年代になると様子が変わってくる。
93年のアルバム「Republic」が発表されたが、音楽性が変化しており、評判や実績は下降していく。
この頃にはメンバーの関係悪化やソロ活動やレコード会社破綻など楽しくない出来事が多発していたようで、アルバム発表後に活動休止。
結局その後の90年代にはバンドとしての活動はほとんど行われていない。

21世紀に入りニュー・オーダーはようやく復活し、2001年アルバム「Get Ready」を発表する。
スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンがレコーディングやツアーに参加するなど話題性もあったが、直後にジリアン・ギルバートが脱退し、フィル・カニンガムが加入する。

2005年「Waiting for Sirens' Call」をリリース。
シングル「Krafty」には日本語バージョンがあり、日本盤にだけボーナストラックとして収録され、フジ・ロック・フェスティバルでも演奏されたそうだ。

その後バンドは再び怪しい雲行きになる。
2007年にピーター・フックは「ウチらもう解散してますのや」を表明したが、バーナード・サムナーとスティーブン・モリスは「いやいや解散してへん」と否定。
結局ピーター脱退・バンド継続となったようだが、目立った活動実績はなく数年経過。
ピーター・フックとはその後曲の権利関係で裁判沙汰というロックバンドあるある展開にもなったらしい。

しかし2010年代に入るとバンドはまた復活。
2011年9月にジリアン・ギルバートが復帰・ピーター・フック不参加でバンド再結成を発表。
(じゃあやっぱり解散だったんじゃ・・?)
主にライブで昔のヒット曲も演奏というスタイルで活動を続け、この間にトム・チャップマン(B)とフィル・カニンガム(G)が加入。
2012年8月にはサマーソニック大阪と東京にも登場した。

2015年にアルバム「Music Complete」を発表。
2016年にはまた来日し、新木場STUDIO COASTなどでジョイ・ディビジョン時代の曲も披露。
で、今年の3月にも日本に来て歌って演奏して帰っており、2020年3月の来日公演も決定している。

最新作は今年の7月に発表されたライブ盤「∑(No,12k,Lg,17Mif)」。
この不思議なタイトルにはいろいろ意味が隠されていて、「12k」はシンセサイザー12台、「17Mif」は2017年のマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルを示しているとのこと。
ジョイ・ディビジョンのデビューアルバムにあった「Disorder」という曲が、ニュー・オーダーの曲として収録されているそうだ。

・・・いろいろ聴いてないアーチストを量産してきたが、今回は関東最大級の聴いてなさである。(←いつものこと)
知っていた話は全くなく、やはり1球もかすりもしない。

調べてみて思ったのは、ジョイ・ディビジョンという前身バンド、そしてイアン・カーティスの存在の大きさである。
ロックバンドの略歴と変遷を説明する上で、前身や元メンバーが重要というケースは結構あるとは思う。
例えばビートルズで言えば、クォーリー・メンやスチュアート・サトクリフ、ピート・ベストといった情報も含めてファンに広く知られてはいる。
が、ニュー・オーダーの場合はジョイ・ディビジョンやイアン・カーティスを抜きに語ることは許されないくらいの次元のようだ。
イアン・カーティスがすでにこの世を去って40年近くになるが、ニュー・オーダーのライブでは今もジョイ・ディビジョン時代の曲が必ずセットリストに入るそうなので、現メンバーやファンにとっても今なお大きな存在なのだろう。

そこまではわかったんだが、当時自分が見て聴いていた範囲でのメディアにニュー・オーダーが登場していた記憶が全くないのはどうしてだろうか?(知らんがな)
少なくとも彼らが輝いていたはずの80年代黄金期間は、自分も日々ラテカセの前で息を殺してポーズボタンに指をかけたり、FM雑誌のチャートを濁った眼で追ったり、秘湯につかるうさぎちゃんを凝視していたはずなのだ。
チャラい産業ロックとは一線を画す音楽だとは思うが、それにしても柏村武昭もニュー・オーダーについてはつれない対応だった・・という結論でいいですかね。(知らねーよ)

ニュー・オーダーの大きな功績として、ライブにおけるミュージシャンと観客のあり方を変えたという点があるそうだ。
「ステージ上で歌い演奏する側と、客席で聴く観客」という一般的なコンサート図式から、ミュージシャンと客が同じフロアで一体となってダンスを踊る「レイブ」スタイルに変えたのがニュー・オーダーである、ということらしい。
その表れのひとつが、踊るのに適した12インチシングルバージョンだったんですね。
なるほど・・少しだけわかった気がします。(本当かよ)

この流れは後のクラブシーンというスタイルやDJというポジションを確立させていく。
当時のニュー・オーダーはまさに最先端を行っていた、ということだろうか。
またこれも多くのサイトに書いてあるが、電気グルーブの石野卓球もピエール瀧も、ニュー・オーダーに強い影響を受けたことを公言しているそうだ。
そうなるとやっぱし産業ロックとは同じレベルで気安く語ったりできないんだろうな・・

というわけで、ニュー・オーダー。
もちろん全く聴いてなかったので調べた情報全てが知らなかった話ですけど、プログレやメタルとは異質の難しそうな印象を受けました。
気軽に聴いてみるという音楽ではなさそうな感じですが、こんな素人にもわかりやすい入門アルバムがもしあるようでしたら、教えてください。

 

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聴いてない 第252回 ロビー・デュプリー

子供の頃は「オトナの音楽だから」と解釈してあまり聴こうともしなかったAOR。
年齢だけはアダルトどころかシニアの領域にさしかかりつつあるものの、結局全然聴いてないAOR。
そんなAORの世界に燦然と輝く?アーチスト、ロビー・デュプリー。

イントロからグダグダですけど、台本どおりロビー・デュプリー、聴いてはおりません。
ただ今回はむしろこんな偏差値の低い自分でも2曲聴いてることをむしろ自慢したい気分。
聴いたのは「Steal Away(ふたりだけの夜)」、「Hot Rod Hearts」。
意外でもなんでもなく、当時のヒット曲を柏村武昭が紹介し、従順にエアチェックしただけ。
聴いてない度は3。

で、名前とアルバムジャケットの薄暗い顔とこの2曲以外に持ってる情報は一切ない。
曲の感じからなんとなくAORにくくられる人だろうなくらいにとらえていたが、これはおおむね当たっていそうだ。
AORファンの方であれば押さえていて当然の歌手・・なのだろうか。
まずは略歴を調査します。

・・・と意気込んだものの、心の友ウィキペディアは日本語版がない。
日本だとそんな扱いなの?
聴いてもいないくせに不満をもらしつつ、他のサイトやBLOGで学習続行。

ロビー・デュプリーは1946年ニューヨーク州ブルックリンに生まれる。
AORの人というくくりは間違いではないようだが、元々はR&Bの人だったようで、70年代には他のメンバー全員が黒人というバンドで活動していたらしい。
また多くのサイトでブルー・アイド・ソウルという形容がなされている。

で、70年代初めにザ・バンドトッド・ラングレンらと交流・・といくつかのサイトに書いてあるが、ザ・バンドとトッド以外に誰と交流があったのかは不明。
英語版ウィキペディアにはザ・バンドやトッド・ラングレンの名前もない。
どれも聴いてないのでよくわからないけど、ザ・バンドやトッドはAORとも雰囲気は違うように思いますが・・・

その後西海岸に拠点を移し、80年にアルバム「Robbie Dupree」でデビュー。
シングル「Steal Away(ふたりだけの夜)」が全米チャート6位、「Hot Rod Hearts」は15位を記録。
ということは、いちおう自分もデビュー当時に聴いたことになる。
本人も認めているが、人生初の大ヒットの時にすでに33歳になっており、当時の米歌謡界では遅咲きの人だった。
あとシングル「Steal Away」は確かに全米6位の大ヒットだが、アルバムは最高51位と意外な成績。
トップ20のシングル曲を2つ収録しながら、アルバムは50位以内には入らなかった・・というアメリカ音楽界の厳しさを物語る結果となっている。
理由はよくわかりませんけど。

翌81年にはほぼ同じスタッフのもとで2作目アルバム「Street Corner Heroes」を発表。
しかし残念ながら前作ほどには売れず、シングル「Brooklyn Girls」も全米54位といまひとつ振るわず。

その6年後にアルバム「Carried Away」、93年「Walking On Water(傷心の街)」、95年「Smoke and Mirrors」をリリースするが、商業的にはほとんど話題にならなかった。
なお「Walking On Water」にはナイル・ロジャースがギターで参加してる曲があるそうだ。
えっそうなの?
いやーだったらギターだけでなくプロデュースもお願いしたらよかったのに・・と思いました。
なんでもロビーとナイルは昔バンド仲間だったそうだが、ロビーは話題作りや売上のためだけに旧友ナイル・ロジャースの力を借りることはしなかったらしい。
98年にはライブアルバム「All Night Long」を発表。

意外・・と言っては失礼かもしれないけど、ロビー・デュプリーは何度か来日してライブも行っており、2004年に渋谷Duo、2008年と2011年には丸の内コットン・クラブで歌っている。
2008年のライブでは、新作アルバム「Time and Tide」をまるごと全部歌うという大胆なステージを披露したとのこと。

2012年にはカバー集EP「Arc of a Romance」を発表。
フラミンゴスやアイズレー・ブラザーズ、プリファブ・スプラウトなどをカバーしている。
その後もヒット曲は出ないもののマイペースで活動中。
昨年デビューとセカンドアルバムがそれぞれ本国で再発され、ボーナストラックとして「Steal Away」「Hot Rod Heart」を含む4曲がスペイン語バージョンで収録されているそうだ。
こういう企画、ファンにとってはたまらない、のだろうか?

当然だが、今回も全く知らない話だらけ。
聴いてた「Steal Away」「Hot Rod Heart」はどちらも悪くはなかったが、アルバムを借りて聴こうという心境には至らず。
ちなみに「Steal Away」と同時にエアチェックしたのがアリ・トムソンの「Take A Little Rhythm(恋はリズムに乗って)」である。
たぶん二人の間に交流はない(と思う)。

さて多くのサイトに書いてある話として、「Steal Away」はドゥービー・ブラザーズの「What A Fool Believes」のパクリ、というのがある。
まあ確かに両方聴けばリズムは同じだし、音も似てるとは思う。
ただそれぞれ書かれてるニュアンスや事情が少しずつ違っていて、「似ている」「パクリ」だけでなく「ドゥービー側からクレーム」「裁判沙汰」などの楽しそうな話もあれば、「ドゥービー側のスタッフがロビーのアレンジにも参加」とか「マイケル・マクドナルドもコーラスで参加」などの記述もあった。
全部総合するとなんかつじつまが合わない気もするけど、真相はいかに?

で、いろいろ調べていくとどうやらカギとなりそうな存在は「クラッキン」のようだ。
クラッキンはニューヨーク郊外のウッドストックで結成された白人黒人混合のブルーアイドソウルグループ。
ロビー・デュプリーはウッドストック時代からクラッキンのメンバーとつき合いがあり、クラッキンが西海岸へ活動拠点を移すと、ロビーも彼らの後を追って西海岸へ移動。

クラッキンはドゥービー・ブラザーズのツアーで前座を務めたりしながら、4枚のアルバムを発表するもののあまり売れず解散。
ただメンバーは解散後も西海岸で様々な活動を続け、ロビー・デュプリーのデビューのために協力する。
主力メンバーだったリック・チューダコフとピーター・バネッタは、ロビーのデビューアルバムのプロデュースを担当。
「Steal Away」はロビーとリックの共作で、アレンジにはこれまた元クラッキンのレスター・エイブラムスが参加。
なるほど・・・
おそらくはこのファミリーを含むクラッキンのメンバー参加が、ロビー・デュプリーの音をドゥービー寄りにした要因と言えそうだ。
意図的にそうしたのか、やってるうちになんか似ちゃったのかはわからないですけど。

というわけで、謎のAOR住人ロビー・デュプリー。
デビューアルバムが必修であることは間違いなさそうですが、他の作品でもおすすめがあれば教えていただけたらと思います。

 

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