聴いてない 第250回 ゲイリー・ニューマン

アジアで二番目に貧弱なBLOGの最劣等シリーズを15年半続けてようやくたどり着いた250回。
今回は記念すべき250回目にふさわしいアーチストをお呼びしました。
皆さま拍手でお迎えください、ゲイリー・ニューマンです。(場内大歓声)

ゲイリー・ニューマン、1曲しか聴いてません。
「お前みたいなヤツがよく1曲聴いてたな」と感心されそうですが、その通りです。
79年のシングル「Complex」だけ聴いている。
聴いたのは80年になってからで、当時最先端の一流FM音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音。

しかしその後FMでゲイリー・ニューマンを録音できたことは一度もない。
出会いは非常に古いがその後の交流は一切なく、この曲以外に情報も全くない。
ゲイリーという外国人を最初に覚えたのは、ゲイリー・ムーアでもゲイリー・オブライトでもなくニューマンさんなのだった。
雑誌でもゲイリー・ニューマンの記事を見た記憶はないし、チャートに頻出してたとも思えないので、コアな歌手なんだろうなと思って調べてみたら、今回も驚愕の連続でした。

ゲイリー・ニューマンは本名ゲイリー・アンソニー・ジェイムズ・ウェブという長い名前。
1958年ロンドンで生まれ、77年にはチューブウェイ・アーミーというバンドを結成。
78年レコードデビューし、バンドと同名のパンク系ライブアルバム「Tubeway Army」を発表。
翌年には当時流行のテクノサウンドを採り入れたスタジオアルバム「Replicas」をリリース。

この時の展開が少しわかりにくいが、バンド名義でセカンドアルバムは出したけど実質はゲイリーのソロだったらしい。
じゃあ他のメンバーのみなさんはどうしたのと思ったら、ゲイリーのバックバンドと化し、以降は演奏はするもののバンド名が表に出ることはなくなったそうです。
ゲイリーだけが突出した才能を持ってたということだろうか。

その才能を振りかざすべく、ゲイリー・ニューマンは同じ79年に最初のソロ作品「The Pleasure Principle(邦題「エレクトリック・ショック」)を発表。
サウンドはシンセサイザーをふんだんに使用した先鋭的な音に進化しており、全英1位を記録。
ええ~??そうなの?
これに自分が聴いた「Complex」が収録されているが、この曲も実は全英6位。
ええ~??そうなの?

・・・すいません、何度も驚いてしまい恐縮ですけど、まさかそんなに売れた曲だったとは・・
柏村武昭も大ヒットの予感ゆえのオンエアだったのだろうか。

その後の活動もびっくり仰天(死語)な実績。
80年の彼の作品、ちょっと見てください。
ウィキペディア丸写しで申し訳ないが、こんなことになっていた。
 テレコン (Telekon 1980年)
 ダンス (Dance 1981年)
 アイ・アサシン (I,Assassin 1982年)
 ウォーリアーズ (Warriors 1983年)
 バーサーカー (Berserker 1984年)
 ザ・フューリー (The Fury 1985年)
 ストレンジ・チャーム (Strange Charm 1986年)
 メタル・リズム (Metal Rhythm 1988年)
 オートマティック (Automatic 1989年)

80年代の10年間で9枚ものアルバムを残している。
発表しなかったのは87年だけ。
ええ~??そうなの?(しつこい)
まさに「逆ボストン」みたいな勢いである。

ただセールスとしては81年の「Dance」あたりから下降しており、イギリス本国ではなんとかチャートインはしてたようだが、日本では話題になることもほとんどなくなったらしい。
なおその「Dance」にはジャパンのミック・カーンやロブ・ディーン、クイーンのロジャー・テイラーが参加しているそうだ。

ちなみに80年には来日公演も行われている。
場所は日本武道館や中野サンプラザと書いてあるサイトもあったが、渋谷公会堂が正しいようだ。

90年代に入ってもゲイリーの創作意欲はそれほど変わることなく、毎年のようにアルバムを発表。
こうした活動が同業者からはリスペクトされていたようで、フー・ファイターズやマリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズなどがゲイリーの作品をカバーしたり、トリビュート盤が作られたりしている。

21世紀に入るとゲイリーには次々に子供が生まれ、親になることのプレッシャーから精神的にダメージを負い、2年ほど治療した経験も持つ。
2009年にはかつての大ヒットアルバム「Pleasure Principle」の発売30周年記念盤が発売された。

その後も精力的に活動を続けており、最新作は2017年の「Savage (Songs From A Broken World)」。
前作からは4年ぶり、通算22作目(!)。
ゲイリーによればこのアルバムは「トランプ大統領へのリアクションとして作った作品」だそうだ。
初めはそういうつもりはなかったらしいが、曲を書いている時にトランプが登場し、特にトランプの地球温暖化についての発言や行動には賛成できないものがあり、そうした思いがこのアルバムのテーマになっていったとのこと。

毎度のことながら何一つ知らない話であった。
特に驚いたのは英国での実績が非常に輝かしいものであり、また多作であること。
そして音楽活動が意欲的で評価も高いこと。
そんなスゴイ人だったんですね・・
全然知らなかった・・

ネットでゲイリー・ニューマンを調べると、必ず名前が出てくるのがジョン・フォックスである。
ジョン・フォックスのことを「一番影響を受けた、師と仰ぐミュージシャン」と公言もしており、そもそも最初にバンド結成したのも、ウルトラボックスクラフトワークなどに影響を受けてのことだったそうだ。
ジョン・フォックスもウルトラボックスも全く聴いてないので、この情報は自分にとっては思い当たるものが何もない・・(いつものこと)

唯一聴いている「Complex」だが、決して明るく楽しくチャラい産業ロックではない。
ニューロマとプログレを混ぜたような、どっちかっつうとやや暗めで物憂いサウンドで、サビもなくどんよりと進行する変わった感じの曲である。
ゲイリーの声もどこか無機質で粘性の高いセメダインみたいなボーカル。
これ生声なんですかね?
今回歌詞を初めて見たが、やはり楽しい内容ではなく、絶望的な悲しみを短い言葉でじめじめと綴っている。
これがイギリスでは6位を記録するヒット曲なんスね・・

ちなみに「Complex」と同時に録音したのはバグルスの「ラジオスターの悲劇」やケニー・ロジャース「弱虫トミー」といった日本人にもなじみの深いヒット曲であった。
これらにはさまれて録音できてしまったので、その後も消さずに長年聴いていただけで、能動的なゲイリー・ニューマン鑑賞をしてきたわけではない。(よくあるパターン)

この曲の印象だけでずうっと内向的なスタジオ志向の人見知り芸人なのかと勝手に想像していたが、最近のインタビューで「最も興奮するのはステージの上」「ツアーで世界を旅することが大好き」などと発言している。
実は非常にアクティブで体育会系のパワーアーチストのようだ。

というわけで、ゲイリー・ニューマン。
驚愕の連続の割にはあまり鑑賞意欲もわいていませんが、こんな初心者でも聴きやすいアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてみた 第150回 フェイセズ その2

今日聴いてみたのはフェイセズ「Long Player」。
1971年発表で、全英31位・全米29位を記録した、フェイセズとしては2枚目のアルバム。

フェイセズ結成の経緯をおさらい。
まずスモール・フェイセズからスティーブ・マリオットがハンブル・パイを結成するため脱退。
残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの3人が呆然としていたところに、ジェフ・ベック・グループ解散後のロン・ウッドが気まぐれに参加。
一方同じくJBG出身のロッド・スチュワートはソロでやっていくことを決意してソロアルバムも出したが、これが思ったほど売れず暇をもてあまし、ロンに誘われてスモール・フェイセズのレコーディングに来てみたらそのままボーカルとして採用されたという、案外適当なフェイセズのスタート。

バンドは1970年3月に最初のアルバム「First Step」をリリース。
イギリスではフェイセズとしての発表だったが、アメリカではまだスモール・フェイセズのほうが通りがよかったため、スモール・フェイセズ名義となっている。
その半年後にはロッドがまたもソロアルバム「Gasoline Alley」を発表。
フェイセズのメンバーも参加しており、この頃はソロとバンドの間をわりとみなさん自由に行き来していたようだ。
さらにその半年後に出たのが、今回聴いたフェイセズとしての「Long Player」である。

Long-player

アルバムタイトル「Long Player」はLPレコードの意味だそうだが、「それはわかってますけど」というタイトル。
当時発売されるアルバムレコードはフェイセズ以外もみーんな「Long Player」だったはずで、「だから正式なタイトルは何なんだよ」とファンは思ったんじゃないだろうか?
何か意味や意図があってのタイトルかな?
なおジャケットは2枚のボール紙をミシンで縫い合わせるという凝った造りだったそうだ。

前回聴いた「馬の耳に念仏」で、フェイセズは自分にとって信頼と実績のバンドだと確信したので、今回も不安材料は全然ない。
世界最強のB級ガレージバンドなんて評価もあるようだが、あの楽曲とロッドのボーカルがあれば大概は大丈夫なはずだ。
ふんぞり返って聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1. Bad 'N' Ruin
オープニングはイアンとロッドの共作で軽快なロック。
ロッドのボーカルが相変わらず魅力全開だが、後半の間奏部分でそれぞれの楽器も主張しあう。
うまいかどうかはよくわからないが、ノリは非常によい。
ラストはテンポを落として終わる。

2. Tell Everyone
前の曲のエンディングから続くようなスローバラード。
ここまでの2曲がアルバムのハイライトと評する人も多いようだ。
ロッドの味わい深いボーカルの見本のような曲だが、後半に登場するキーボードが意外にいい感じ。
ロニー・レーンの作品だが、本人は歌っていない(と思う)。

3. Sweet Lady Mary
引き続きフォークっぽいバラード。
6分近くあって結構長い。
右のオルガンと左のアコースティックギターが不思議な調和を奏で、ロッドのざらつくボーカルが乗る。
ドラムは出てこない。
どこかで聴いたような音だが、たぶんこの路線は後のロッドのソロ「Sailing」「Maggie May」につながっている気がする。

4. Richmond
なんとなくストーンズっぽいカントリー調のサウンド。
ここでようやくロニー・レーンが歌う。
この人の声はやはりジョージ・ハリスンに似ている。
いい曲だし、ジョージっぽい頼りなさげなボーカルも悪くないが、もしロッドが歌ってたらやはり相当引っ張られてさらに名曲になっていただろう。

5. Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)
ポール・マッカートニーの作品がなぜかこんなところでライブで登場。
意外な選曲に少し戸惑う。
これポール本人もライブで歌ったことないんじゃないだろうか?
初めはロニーのボーカル。
続いて楽器のボリュームも上がったところでロッドが歌い、中盤は二人で声を合わせる。
ロッドはところどころ音をはずしており、ちゃんと聴けばロニーのほうが歌がうまいんだが、魅力的かどうかといえばやはりロッドにはかなわない。
ポールの歌とはまた違った、聴きどころの多い曲。

6. Had Me A Real Good Time
LPではB面がこの曲でスタート。
A面にはないブルージーなロックで、ロッドが本領発揮。
ロニーとロッドとロン・ウッド、バンドの「3R」共作。
これも後の「Hot Legs」なんかにつながっていく名曲だと思う。
後半からサックスやトランペットも加わりファンク度がアップしている。
なおサックスはボビー・キーズ、トランペットはハリー・バケットという人が担当。

7. On The Beach
ボーカルはロニーだと思うが、ややまとまりのない異質なサウンド。
ブルースを軸にフォークのように比較的おだやかに進行するが、楽器も声もあえて調和を少し乱しているようなイメージ。

8. I Feel So Good
この曲もライブで、ニューヨークでのコンサートが音源とのこと。
前半はわりとふつうに進行するが、中盤で臨場感あふれるロッドと観客の掛け合いがあり、後半はそれぞれのパートが目いっぱい主張し合う。
ロックバンドのライブの見本のような構成。

9. Jerusalem(エルサレム)
エンディングはロン・ウッドによるインスト。
原曲は讃美歌でイギリスでは「第二の国歌」と言われており、ELPも「恐怖の頭脳改革」で1曲目に収録している。
2分弱しかなく、ラストにしては少し物足りない。

聴き終えた。
全体的な印象としては、バラエティ豊かなアルバムである。
ロック・ブルース・フォークといった当時の音楽シーンを基軸に、ライブやインストも収録。
ポール・マッカートニーのカバーをライブでという意外なチョイスは誰の発案なのかわからないが、曲の良さをさらに引き出した秀逸なライブである。
「馬の耳に念仏」よりも散漫な感じもしないではないが、ロッドもロニーもそれぞれの得意な曲で歌っているように思う。
このアルバム制作時点ではまだグループは安定していたのだろう。

フェイセズのサウンドに慣れたせいか、ロニーの頼りないボーカルもそれほど気にならなかった。
ロッドの突出した個性に対してはもちろん分が悪いが、ロニーの声もバンドの顔である。
「馬の耳に念仏」同様、やはりロッド在籍時のジェフ・ベック・グループよりもいいと感じる。

少しずつわかってきたのだが、フェイセズはツェッペリンやパープルといった突き抜けたギタリスト・ボーカリストを擁するバンドとは少し違うようだ。
ロッド・スチュワートという突き抜けたボーカルは確かにいるが、ロバート・プラントやイアン・ギランのような金属系ボーカリストではない。

ロッドは変わった声なので「個性的」という評価になるのだが、ミック・ジャガーのように力で押し通すような歌い方はしておらず、基本は楽しくやろうぜ的なガヤ系バンドだと思う。
簡単に言うと「毒のないバンド」である。
ツェッペリンなんてそもそもメンバー全員毒キノコだし、ストーンズもパープルもフグっぽい人が多く混ぜると危険な毒だらけだ。
で、このフェイセズの毒のなさ、聴いてみるとかなり心地よいのだ。
残念ながらバンドとしては長続きはしなかったようだが・・・

というわけで、「Long Player」。
これもかなりよかったです。
フェイセズのスタジオ盤はあと2枚残っていますので、早いうちに聴いておこうと思います。

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聴いてない 第249回 キム・カーンズ

80年代に全米各地でキラキラな輝きを放ったアーチストはたくさんいるが、日本での人気や知名度が全く見当もつかない人というのも多い。
今回採り上げるキム・カーンズも、自分にとってまさにそんな存在。
キラー・カーンのほうがまだ多少は知っている。(←スベっている)

キム・カーンズ、聴いてない度は3。
実は2曲聴いているという自分にしては上出来の実績。
81年の大ヒット曲「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」と、85年の「Crazy In The Night」を聴いている。
アルバム「Mistaken Identity(私の中のドラマ)」は姉が貸しレコード屋で借りてたような気がするが、自分は聴いていない。
その後USAフォー・アフリカにも参加して順調に活躍するのかと思ったが、以降の足取りは全く不明。
いえ、自分が知らないだけですけど。

ということで大ヒットから40年近く経過した今も、上記以外の情報は何一つ持ち合わせていない。
それ以前にそもそもベティ・デイビスって誰?というレベル。
このままでは何も知らないまま人生が終わりそうなので(お約束)、キム・カーンズについて人生初の調査開始。

キム・カーンズは1945年ロサンゼルス生まれ。
60年代後半には地元のクラブで歌手として活動を始め、66年頃に西海岸のフォークグループ「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」に加入。
このグループにはジョン・デンバーケニー・ロジャースもいたそうだ。

72年にフォークやカントリー系の歌手としてソロ・デビュー。
長い下積みを経て、80年にキムが作曲したケニー・ロジャースとのデュエット「Don't Fall In Love With The Dreamer(荒野に消えた愛)」が全米4位の大ヒットとなる。
さらにスモーキー・ロビンソンのカバー「More Love」も全米10位の大ヒット。

・・・このあたりで軽い衝撃。
80年で全米4位とか10位って、時期的にはすでにリアルタイムではあったはずだけど全く知らない・・
日本でもヒットしてたんでしょうか?
これは柏村武昭からは教わらなかった。
オンエアを聴き逃した可能性も高いですが・・

さて。
翌1981年のキム・カーンズの活躍がどれほどすごかったのかを検証。
「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」は全米チャートで9週間1位。(全英は10位)
1981年度のビルボード年間チャートでも第1位、1980年代全体でも第2位。
アルバム「Mistaken Identity」ももちろん全米1位を獲得。(全英26位)
こんだけすんごい成績だったら当然だが、82年のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞をがっちりと受賞。

大ヒットの熱気が続く中、82年にアルバム「Voyeur(愛と幻の世界)」、翌年「Cafe Racers」を発表するが、前作を超えるヒットにはならなかった。
その後、ケニー・ロジャースとジェームズ・イングラムとともに歌った「What About Me」は全米15位を記録。
85年のアルバム「Barking At Airplanes」は久々のヒットとなったが、このアルバムに自分が聴いた「Crazy In The Night」(全米15位)が収録されている。
なので苦労はそれなりにあれど、「ベティ・デイビスの瞳」で当てた一発屋という評価は正しくはないようだ。

前述のとおりキム・カーンズはUSAフォー・アフリカの「We Are The World」にも参加している。
ボーカル・リレーの後半でヒューイ・ルイス、シンディ・ローパーと組んで歌っているが、キムのソロパートは「When we・・」しかなく、ヒューイやシンディといった濃すぎるメンバーと一緒にされたことであのハスキーボイスもやや割を食った感じだった。

実績から言うとこの85年がターニングポイントのようだ。
86年、キム・カーンズは本来のジャンルともいうべきカントリーのテイストを濃くしたアルバム「Light House」を発表するが、売上は全く振るわず惨敗。
88年に再度カントリーな「View From The House」をリリース。
しかしカントリー・チャート以外ではやっぱりヒットもせず、レコード会社から契約終了を告げられる。

その後の活動はかなり地味なものとなる。
91年にはなぜか日本のテイチクからアルバムを1枚発表している。
さらになぜか松田聖子のカバーアルバムで1曲「Hold Me」をカバー。
2004年にはインディーズ・レーベルからカントリーのセルフカバー・アルバム「Chasin' Wild Trains'」をリリース。
以降はテネシー州ナッシュビルを拠点に活動を続けていたが、話題になることはほとんどなかったようだ。

まさにアメリカン・ドリームそのものな経歴だが、多くのサイトに書かれているとおり、「ベティ・デイビスの瞳」はキム・カーンズの曲の中では突出して「変わっている」曲のようだ。
本来はフォークやカントリーのシンガーだったそうだが、少なくともこの曲のサウンドはどちらでもない。
朝とか草原とか山並みとか牧場といったのどかな田舎イメージとは全く別の世界で、個人的には当時の深夜のテレビで流れているような雰囲気と感じる。
銀座じゅわいよ・くちゅーるマキとかスーザン・アントンとかハンターレコードとかヤタガイとかロンドングループとか、そんなイメージ。(伝わらない)

その「ベティ・デイビスの瞳」だが、オリジナルは1974年にジャッキー・デ・シャノンという人がドナ・ワイスとの共作で自身のアルバム「New Arrangement」に収録した曲とのこと。
ジャッキー・デ・シャノンは「Needles and Pins」「When You Walk In The Room」「Put A Little Love In Your Heart」などのヒット曲を持つ女性歌手で、ビートルズが初めてアメリカ・ツアーを行った時にオープニング・アクトを務めたそうだ。

キム・カーンズに「ベティ・デイビスの瞳」を歌わせたのは、長くキムの活動を支えてきたヴァル・ギャレイというエンジニアで、それまでのキムの音楽ともオリジナルの「ベティ・デイビスの瞳」とも全く異なるアレンジを試み、それが全米1位の大ヒットにつながったという出来すぎでミラクルひかるなストーリー。
サウンドは聴いてのとおり80年代そのもののキラキラシャラシャラなシンセ音。
時々入る「ばんばん!」というビンタ音もインパクト充分で、これにキムのガサっぽいボーカルが乗っかり、独特の世界観を構築したのだ。(全部受け売り)

「ベティ・デイビスの瞳」で商業的には大成功をおさめたはずだが、フォークやカントリーではない音楽での大ヒットに、キム・カーンズ自身が一番戸惑ったのだろう。
その後やっぱり本来のテリトリーであるカントリーに戻っているが、キム本人はあまりチャート・アクションなんかもう気にしてなかったんじゃないだろうか。

なおそもそもベティ・デイビスとは何者なのかも全然知らなかったので、こちらの宿題もあらためて調査。
ウィキペディア日本語版では「キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優で、尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた」などと書いてある。
個性的な顔立ちと幅広い演技で人気だったそうだが、特に悪女・悪い役を演じた時の評価が高く、これが「ベティ・デイビスの瞳」の歌詞にも表れているようだ。
この曲には他にもジーン・ハーロウやグレタ・ガルボといった女優の名前が出てくるので、このあたりの知識や情報を備えていないと、歌詞の意味や表現を的確に評価できないと思われる。

さて聴いてるもう1曲の「Crazy In The Night」も印象としては80年代キラキラのスパンコール・サウンドだ。
「ベティ・デイビスの瞳」に比べて情感は少し抑え目だが、イントロに「ごつ・ごつ・ごつ・ごつ!」という近づいてくる(たぶん)男の足音、「ごんごん!」とドアを乱暴にノックする音、キムの「Who is it?(誰?)」というセリフがあり、その後で演奏が始まるといった演出がある。
これがなかなか印象的で面白く、記憶に残る曲である。
ただこれ以降キム・カーンズの曲をエアチェックしたことは一度もなく、アルバム鑑賞にも発展しなかった。

というわけで、キム・カーンズ。
アルバムを聴くとしたら当然「私の中のドラマ」は必修でしょうけど、「Barking At Airplanes」やカントリー作品にもわずかに興味はあります。
皆様の鑑賞履歴はどのような感じでしょうか?

 

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聴いてない 第248回 ブラック

80年代に産業ロックにかぶれて中途半端に洋楽を聴きあさり、結果としてこれだけの「聴いてない」アーチストを量産してきたのだが、当時と今で決定的に異なるのは、当然だがネットの存在である。
90年代後半あたりからパソコン通信という手段が出現してはいたが、そこで自分がしていたのは「洋楽なんでも相談」であった。
「○○というアーチストについて教えてください」「○○の86年のヒット曲名の原題は××で合ってますか」という、今のYahoo!知恵袋みたいなことを厚かましくやっていたのだ。
自分の低レベルな質問に多くの方が親切に答えてくれていた。
今もこの図式のままBLOG続けてますけど・・

21世紀に入ると、そうした「洋楽調べもの」において画期的なサービスが登場する。
それはGoogleをはじめとする検索サイト、そしてYou Tubeに代表される動画サイトである。
この二つによって、それまで自分が長年知りたかった洋楽の情報が、能動的に入手可能となったのだ。
もちろん今も使用しているBLOGというフォーマットと、ネットの向こうに存在する「洋楽に詳しい親切な方々」が、自分の音楽鑑賞人生を支えていることは言うまでもない。

一方で、疑問の発生から情報の発見までのプロセスと時間が飛躍的に簡略短縮された現在、事実確認によって衝撃を受けるケースもわりと多い。
自分の場合、そもそものレベルが低いので「えっそうなの?」ということが多発するだけなんでしょうけど。

前置き長くなりましたけど、今日ご紹介したいブラックも、まさにそういう状態。
先に書くが、今回の衝撃は以下の2つだ。
1.実はスタート時はグループだった
2.実はもう亡くなっている

ブラック、聴いたのはメジャーデビュー曲にして最大のヒット作「Wonderful Life」だけ。
聴いてない度は2。
日本じゃ一発屋という扱いも多いらしいので、自分と同じ状態の人はそれなりにいるんじゃないだろうか。

あらためて謎のシンガー、ブラックについて迅速拙速に調査。
ブラックの正体は、リバプール出身のコリン・ヴァーンコム。
特に本名にはブラックとは付いていないし、なんでブラックなのかはよくわからない。
やってる音楽もブラック・ミュージックではないようだし、コリン自身は白人である。
たぶんサバスリッチーにあこがれたのかもしれない。(適当)

で、ブラックは3人組としてスタートしたグループだったが、デビューする前に2人が抜けてコリンのソロプロジェクトとなり、コリンはそのままブラックを名乗ってデビュー。
自分は「Wonderful Life」をMTVで聴いた(観た)ので、歌ってる人がどうやら1人だけというのは知っていた。
なので「もともとはグループ」というのは全然知らなかったのだ。
まあデビュー時点でソロなんで、ソロシンガーでいいんでしょうけど。

87年のシングル「Wonderful Life」は全英8位を記録した大ヒットだが、実はメジャーデビュー前の85年と、デビュー後の94年と通算3度もリリースされており、いずれもトップ100に入るという快挙?を成し遂げた名曲とのこと。
日本でもサントリーのオールド・フォレスターというウィスキーのCMに使われたそうだ。
同名のアルバムも全英3位を記録。
来日公演もあったそうです。

しかし残念ながら以降はデビュー作を超える実績を一度も残していない。
各アルバムの最高位は88年「Comedy」が全英32位、91年「Black」が42位で、93年の「Are We Having Fun Yet?」に至っては100位にも届いていない。
99年と2001年にはコリン・ヴァーンコムとしてアルバムを発表したが、いずれも100位圏外という結果に終わる。
なお97年から2000年にかけてベスト盤が3枚ほど出ていて、これらは評判がよいらしい。
2002年には全英ツアーも行ったが、05年に再びブラックに戻り活動再開・・といっても中身はコリンさんで変わらないですけど。

その後はコリン・ヴァーンコムとブラックの間を行き来しながら地味に活動を継続。
たぶん日本では話題になることもあまりなかったのではないかと思われる。

で、今回調べていて実はブラックはすでに亡くなっていたことを知る。
2016年1月にアイルランドで自動車事故にあい昏睡状態となり、2週間後に53歳で死去。
そうだったのか・・
事故死とはあまりにもむごい最期だが、本人はワンダフルなライフだったのだろうか。

「Wonderful Life」しか聴いてないので何も語れないのだが、この曲は嫌いではない。
「素晴らしい人生」を連呼するわりにちっとも楽しそうじゃないメロディ、終始鳴り続けるスティール・パン?の音、とぼとぼ歩くようなけだるいリズム、高いキーだがハリのない歌声・・といった特徴が印象的。
プロモ・ビデオの映像はほとんど覚えていない。

あたらめて歌詞を見たが、いまいち何を言いたいのかはわからない。
基本は「逃げる必要も隠れる必要もない、泣いたり笑ったりも不要な素晴らしい人生」という歌詞なので、じゃあいいじゃんと言いたいところだが、まあ逆説的というか皮肉っぽいヤケクソな心境を投影しているのだろう。
少なくとも「オレ様の素晴らしい人生」を強調するようなイケイケ人生賛歌ではない。
もしそうだったらこのメロディにはならないよね。

ちなみに続けて録音したのがチープ・トリックの「Ghost Town」なのだが、この2曲は偶然にもリズムがほとんど同じなのだった。(どうでもいい情報)

というわけで、ブラック。
聴くとしたら当然デビューアルバムからで、その後ベスト盤を経て他のアルバムにもアプローチしていく、というのが正しい学習姿勢でしょうか。
かなりコアなアーチストだと思うのですが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

 

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聴いてない 第247回 ルパート・ホルムズ

これまで繰り返し述べてきたとおり、自分が主に柏村武昭の指導で洋楽を幅広く聴き始めたのは79年からなのだが、その79年に全米1位の大ヒットを飛ばしたのがルパート・ホルムズである。
大ヒット曲とは言わずと知れた「Escape(The Pina Colada Song)」。
40年(!)経過した今でもたまにFMでかかることがある、名曲である。
でも、たぶん曲のほうが知名度が高く、世間では一発屋とされてることも多いのではないかと思われる。

ルパート・ホルムズ、全米1位以外のキャリアについてはほとんど知らず、実は顔もよく知らない。
そもそもルパート・ホルムズという当時の表記も発音に忠実ではなく、途中からルパート・ホームズに変わったことも覚えている。
たぶんHolmesの綴りに釣られたんでしょうね。
ホルメスにしなかっただけでもよかったとは思うけど。
適切でないことは承知の上で、やはりホルムズのほうがしっくりくるので、今回の表記もホルムズとします。

そのルパート・ホルムズ、一応「Him」「Morning Man」も聴いている。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度は異例の3。
「Morning Man」は80年の作品だが、発売当時AMラジオの深夜放送でもコマーシャルが流れていた。
全米1位という快挙の翌年だったので、レコード会社もまだ気合を込めてプロモーションしていたのだろう。
残念ながらこの曲は最高68位に終わったそうだが・・・

全米1位から記念すべき40周年をむかえ、あらためてルパート・ホルムズについて調査。

ルパート・ホルムズは1947年イギリスに生まれ、ニューヨークで育つ。
60年代後半に作曲家となり、アレンジやプロデュース業でも活動。
「71年に初のヒットを飛ばす」・・っていくつかのサイトに書いてあるが、ソロデビューは74年。
あれ・・?
じゃあ71年の初ヒット曲って何?バンド?提供曲?

謎の初ヒット曲はよくわからないまま、取り急ぎアルバム「Widescreen」でソロデビュー。
その後バーブラ・ストライサンドに気に入られ、バーブラの75年発表のアルバム「Lazy Afternoon」をプロデュース。
またバリー・マニロウへの楽曲提供やプロデュースなども手がける。

自身のブレイクは79年に発表したアルバム「Partners In Crime(邦題:共犯者)」。
このアルバムからシングルカットされた「「Escape(The Pina Colada Song)」が全米1位を記録。
「Him」も全米6位と大ヒットし、一躍スターの座とありあまるおこづかい(たぶん)を獲得した。
ちなみにシングルはもう1曲「Answering Machine」があり、全米32位。

勢いに乗ったルパートは翌80年にアルバム「Adventure」をリリース、返す刀で世界歌謡祭で歌うため来日も果たす。
「Adventure」は自分の聴いた「Morning Man」も収録された渾身の作品だったが、前述のとおりセールスとしては振るわず前作よりも大幅に後退した形となった。
81年に「Full Circle」を発表するが、その後歌手としての活動はほぼ停止。
ミュージカルの音楽担当など裏方の仕事を主軸に活動し、トニー賞も受賞。

シンガーとしての作品発表は10年以上経過してからとなる。
94年にアルバム「Scenario(シナリオ)」を発表するが、オリジナルアルバムはこれ以降出ておらず、企画盤やベスト盤のみが発売されている。
ということでアルバムは10枚くらい発表しているようだが、今日本で全て手に入れることは難しいのかな?

やはりどれも知らない話ばかりであった。
世界歌謡祭にも来てたんスね。
本人に聞いてみないことには何もわからないけど、実は華やかな表舞台で喝采浴びるよりも、大スターを支える裏方のほうが性に合ってる人なのかもしれない。
思いがけない大ヒットに一番困惑してしまったのがルパート・ホルムズ自身だったりするのだろうか。

さて「Escape」がヒットした理由は、サウンドよりも歌詞の内容にある、と言っていいと思う。
今ネットで検索しても歌詞の内容にふれた文章が多く見つかるし、独自に和訳している人も多い。
当時日本語だけはまあまあ話せる極東の低偏差値学生だった自分でも、この曲の歌詞の大意情報を仕入れることはできていた。
雑誌に和訳が書いてあったり、ラジオ番組でも意味を説明したりしていたからだ。
日本でも歌詞の意味を理解して聴いてほしいとレコード会社側が思ったのだろうか?
いずれにしても「ザッパ&マザースのライブに行ったらどっかのバカが火を放ち、湖上の煙~火の粉がパチパチ~」とか「ママが教えた動き方だよ!汗をかいて気持ちいい!ああ僕の赤ちゃん!」とか、「実は大したことを歌っていない」という数ある洋楽の名曲とは一線を画す名作なのだ。(適当かつ乱暴)

副題でもあり歌詞にも出てくる「ピニャ・コラーダ」とは、ラムとココナッツミルクとパイナップルジュースを合わせたカクテルの名前とのこと。
ともあれアダルトな雰囲気の充満する、しっかりオチまでついた物語は、日本のアホウな子供であった自分にとっても興味深いものだった。
学校でも洋楽好きな先輩(女子)と「いい曲だね」「でも出来すぎだね」などと語り合った記憶がある。

ただしそこまで盛り上がっていながら、ほぼその時だけの流行で終わってしまい、アルバムを聴いたりしたことはなかった。
録音できた3曲はいずれも嫌いではなかったので、その後も柏村武昭が紹介さえしてくれたらきっとアルバムも聴いていたと思う。(毎回人のせい)

というわけで、ルパート・ホルムズ。
チャラい産業ロックとは少し違う、AORを中心に聴いてきた方々に支持されるアーチストだという予感はありますけど、果たしてどうなのでしょうか?
入手可能なおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてない 第246回 ボニー・レイット

聴いてない女性ボーカリストシリーズ、メイヤに続きボニー・レイット。
意外すぎるチョイスですが、ご安心ください、全然聴いておりません。
聴いているのは89年の「You Got It」だけ。
従って聴いてない度は2。

そもそもこの曲を聴くまでは、名前もぼんやり知っていた程度。
聴いた後も知識は全く増えてないのでぼんやり度も何ら変わりませんが。
80年代にこの人の曲をエアチェックしたり雑誌で記事を読んだりしたことはない。
キャリアは非常に長いようだが、我が国での知名度はどれくらいなのか見当もつかない。

というわけでスマートスピーカーに向かって「ボニー・レイットとは?」と話しかけたら、以下のような答えが返ってきた。
・・・というのは嘘だけど、たぶんこのくらいのことはもう実現してるんだろうね。

ボニー・レイットは1949年11月8日、カリフォルニア州バーバンクに生まれた。
1971年、ワーナー・ブラザーズと契約しデビューアルバム「Bonnie Raitt」を発表する。
ゲストにブルース・プレーヤーのジュニア・ウェルズ、サックスのA.C. リードが参加し、ロバート・ジョンソンやトミー・ジョンソンなどのデルタ・ブルースの名曲をカバーするという大胆なデビュー。
事務所やレコード会社の期待の大きさがうかがえるが、セールスとしてはそれほどには伸びなかったらしい。

続く72年にセカンドアルバム「Give It Up」をリリース。
ジョン・ホール、ポール・バターフィールド、エリック・カズなどが参加しており、このアルバムをボニー・レイットの代表作と評する人も多いようだ。

以降ほぼ毎年のようにアルバムを出し続け、86年の「Nine Lives」までワーナーから9枚アルバムをリリース。
しかしながらどれも残念ながら大ヒットには及ばなかった。
この70年代後半から80年代半ばまでは、セールスや作品の方向性をめぐってレコード会社との摩擦や対立が続き、徐々に活動は停滞していったようだ。
9枚もアルバム出せてたんだから順調だったのかと思ったら、いろいろ苦労もあったらしい。

ウィキペディア日本語版では日本公演は78年しか書いていない。
他のミュージシャンとの競演で日本に来たりしたこともないのだろうか?
レコード会社も事務所もあまり日本をマーケットとして重視していないということか?

あちこちのサイトに書いてあるが、ボニー・レイットの最大の転機はそのレコード会社の移籍とともにやって来たそうだ。
ワーナーとの契約を解除し(され?)、ボニーはアルコール中毒になり活動は休止。
3年ほどのリハビリ期間を経てキャピトルに移籍したら状況が一変。
プロデューサーにドン・ウォズを迎え、ゲストとしてデビッド・クロスビーやグラハム・ナッシュ、ハービー・ハンコックらが参加した89年のアルバム「Nick of Time」で初めて全米1位を記録し、グラミー賞も3部門で獲得。

・・・そうなの?全然知らなかった・・・
89年というと個人的にはかなり微妙な時期で、FM雑誌を買ったりエアチェックしたりはもうやめていて、全米チャートも真剣に追ったりはしていなかった。
なのでボニー・レイットがこの年に本国ではむやみに売れていた、という情報は仕入れることができなかったと思われる。
ちなみにこの「Nick of Time」は、シングルは特に売れたわけでもないけどアルバムとしてがっちり売れた、とのこと。
タイトルは「間一髪」という意味だそうだ。

この後は91年「Luck of the Draw」で全米2位、94年「Longing in Their Hearts(心の絆)」が全米1位と、キャピトルの偉い人を喜ばせる好調な売り上げが続く。
95年にはブライアン・アダムスジャクソン・ブラウン、ルース・ブラウン、ブルース・ホーンスビーなどが参加した初の2枚組ライブ盤「Road Tested」を発表。

2000年にはロックの殿堂入りを果たす。
キャピトルとの契約は2006年のライブ盤「Bonnie Raitt and Friends」まで続いた。
このライブではノラ・ジョーンズ、ベン・ハーパー、アリソン・クラウスなどとの競演が見られるそうだ。

今年で70歳となるが、現在も精力的に活動中。
昨年もジェイムス・テイラー&ヒズ・オールスター・バンドとともに北米やイギリスなどでコンサートを行い、今年もロサンゼルスやタルサなどアメリカ各都市をツアーで巡っている。

ということで毎度ながら全て初めて知る話ばかりであった。
少しずつわかってきたが、この人を表現するキーワードとして「ブルース」「スライドギター」「カバー」があるようだ。

音楽基盤はブルースにあり、少なくとも産業ロックの住人ではないだろう。
柏村武昭からは教わらなかったし、小林克也が紹介してた記憶もない。
またスライドギターについても子供の頃に自宅の庭で、ローウェル・ジョージとライ・クーダーの3人でスライドギターを弾いたりしていたそうなので、「弾ける歌手」ではなく「歌えるギタリスト」で全然いいくらいのキャリアと腕前とのこと。
自作曲も歌うが、他の人の作品をカバーしたり、曲を提供してもらうのも好きなようで、全曲自作のアルバムはないそうだ。
(逆に全曲他作アルバムはある)

自分が聴いた「You Got It」、調べて初めて知ったが、ロイ・オービソンの曲だそうだ。
しかも発表された直後にロイは亡くなったので、彼の遺作である。
(厳密にはロイとトム・ペティ、ジェフ・リンの共作)
この曲をボニー・レイットが歌い、それが95年の映画「ボーイズ・オン・ザ・サイド」で使われ、全米第33位を記録したとのこと。
自分はMTVの音声をテープに録音しており、ギターを抱えて楽しそうに弾き語るボニー・レイットの姿をかすかに記憶している。
サウンドは合いの手のようにどんどん!と鳴るドラムが印象的で、言われてみると確かにジェフ・リンが好きそうな音のような気がする。(知ったかぶり)

というわけで、ボニー・レイット。
そもそもブルースも得意ではないような素人の自分に聴けるような感じがあまりしないのですが、日本ではどれくらい売れてたんでしょうか?
皆様の鑑賞履歴について教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第149回 キッス

前回ポール・マッカートニー「Ram」を聴いてみたが、実は同時に購入したのがキッスである。
我ながら毎度脈絡のないズサンな購入と鑑賞にめまいがするが、ポールつながりでなんとなく気が向いたので買ってみました。(適当)
買ったのは2004年発売の「The Very Best Of KISS」。
来日記念ベスト盤である。

Kiss_2

キッスは「聴いてない」シリーズでかなり早めに採り上げているが、その時書いたとおり「能動的に聴いたことはないが相当数聴かされた」バンドだ。
おそらく姉のコレクションが最も多く鑑賞期間も長かったのがキッスだと思う。
デビュー当時から5年ほどは日々強制鑑賞が行われたため、記憶に残っている曲も多い。
あれから40年(!)ほど経過し、自分もようやく自主的にキッスを聴いてみることになったのだ。
ただしさほど強固な決意でもなく、目に止まって安かったから買っちゃったんですけど。
しかもベスト盤。

邦題は「地獄の宝石」という彦摩呂っぽいタイトル。
ジャケットは結成当時メンバー4人の顔写真で、集合写真ではなく、構図としてはビートルズ「Let It Be」形式。
途中参加のエリック・カーやヴィニー・ヴィンセントの顔はない。

ベスト盤なので知っている曲の確認作業が主眼となりそうだ。
果たしてどれだけ知っている曲があるのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Strutter
2. Deuce
3. Got To Choose
4. Hotter Than Hell
5. C'Mon And Love Me(激しい愛を)
6. Rock And Roll All Nite (live)
7. Detroit Rock City
8. Shout It Out Loud(狂気の叫び)
9. Beth
10. I Want You(いかすぜあの娘)
11. Calling Dr. Love(悪魔のドクター・ラヴ)
12. Hard Luck Woman
13. I Stole Your Love(愛の謀略)
14. Christine Sixteen
15. Love Gun
16. New York Groove
17. I Was Made For Loving You(ラヴィン・ユー・ベイビー)
18. I Love It Loud(勇士の叫び)
19. Lick It Up
20. Forever
21. God Gave Rock 'N' Roll To You II

各アルバムからの収録曲内訳は以下のとおり。
・Kiss(キッス・ファースト 地獄からの使者):2曲
・Hotter Than Hell(地獄のさけび):2曲
・Dressed to Kill(地獄への接吻):1曲
・Alive!(地獄の狂獣 キッス・ライヴ):1曲
・Destroyer(地獄の軍団):3曲
・Rock and Roll Over(地獄のロックファイアー):3曲
・Love Gun:3曲
・Dynasty(地獄からの脱出):1曲
・Creatures of the Night(暗黒の神話):1曲
・Lick It Up(地獄の回想):1曲
・Hot in the Shade:1曲
・Revenge:1曲
曲は年代順になっており、彼らのヒット曲が一通り押さえられている。

思ったよりも知らない曲が多い。
「Rock And Roll All Nite」「Detroit Rock City」「狂気の叫び」「いかすぜあの娘」「悪魔のドクター・ラヴ」「Hard Luck Woman」などはもちろん覚えていたが、初期の名曲とされる「Deuce」「Got To Choose」「Hotter Than Hell」「Beth」はメロディに全く記憶がない。
かなり意外な展開。
悩む必要は全然ないが、少し考え込んでしまった。
もう少し聴いてた(聴かされてた)と思っていたが・・

「Beth」はタイトルだけは知ってたが、こんなバラードだったとは知らなかった。
この曲はピーター・クリスのボーカルだが、クリスとボブ・エズリン、スタン・ペンリッジという人の共作だそうだ。
ピーターが歌う曲はいずれもバラードだが、個人的には「うまいボーカル」ではなく、「味わい深い歌声」だと思う。

「New York Groove」という曲だけ少し違った印象だが、これはエースのソロヒット曲とのこと。
83年の「Lick It Up」はメイクをせず素顔で登場したキッスの最初のヒット曲で、これはよく覚えている。
「Forever」はポールとマイケル・ボルトンの共作で、全米8位の大ヒットを記録している。

一通り聴いた中ではやはり「Detroit Rock City」「狂気の叫び」「Beth」「いかすぜあの娘」「Hard Luck Woman」「Lick It Up」あたりが好みだ。
(邦題はダサいのが多いが・・)

知っていた曲も、子供の頃に聴いた印象とは少し違うものが多い。
もっとギトギトでドスの効いた重低音なサウンドだったと思ったら、あらためて聴いてみるとそうでもない。
加齢により耳が退化したのかもしれないが、メイクやステージスタイルから受ける地獄の恐怖イメージに、幼い感性は支配されていたのだろう。
世の中にはもっと粗暴で野蛮な音楽がたくさんあることを、40年かけて学習してきたしね。

なので当時は姉への反発もあって「クソやかましい音楽」だと思っていた部分もあったが、今聴くと全体的には非常にキャッチーでよくできた造りの曲ばかりだと感じる。
凝ったアレンジや怪しいサウンドや変な構成楽曲はなく、その後の80年代アメリカ音楽の源流のような音がたくさんある。
メイクとパフォーマンスのイメージが先行するが、やってる音楽はわりとマジメでタイトなサウンドが多い。
キッスの成功の理由もここにあったと思われる。

ネット上ではファンの「この曲がない・あの曲がない」といった収録への不満がいくつか見つかる。
まあ他のアーチストでも企画盤についてはたいていこの現象は起こるもので、キッスみたいな人気バンドであればファンの好みも割れてくるはずだ。
いわゆる隠れた名曲といったナンバーは、このベスト盤には入っていないのだろう。
大して聴いてない自分でも、似たような感覚は不思議とあり、個人的には80年代のヒット曲「Shandi」「エルダーの戦士」も入れといてほしかったなぁ・・と感じた。
単にこの2曲がリアルタイムでエアチェックできたから、というだけですけど。

キッスは現在最後のツアー中で、メンバーはポールとジーン、トミー・セイヤー、エリック・シンガー。
ポール・スタンレーはツアー終了後引退することを表明している。
脱退組のエースとピーターは残念なことにツアー不参加とのことだが、ここに来てジーンとエースの仲が今さらだけどかなり悪いというナイスな情報もある。
元々ポール&ジーンとピーター&エースで年中対立してて、結局それが発展して脱退になったという話ですけど。
相変わらず楽しそうな人たち。

というわけで、キッス「地獄の宝石」。
小学校時代の教科書を実家で発見したような感覚でしたが、単純に良かったです。
このベスト盤を聴くまでは、オリジナルアルバム学習の意欲は全然ありませんでしたが、機会があれば聴いてみてもいいかなと思い始めております。

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聴いてみた 第148回 ポール・マッカートニー その2

中高年ポール・マッカートニー手遅れ補講シリーズ、今回は「Ram」を聴いてみました。

「Ram」は1971年5月発表で、名義としてはソロではなくポール&リンダ・マッカートニーで、プロデュースもこの二人。
主な参加ミュージシャンはデビッド・スピノザ(G)、ヒュー・マクラッケン(G)、デニー・シーウェル(D)。
また「Uncle Albert/Admiral Halsey」「The Back Seat of My Car」の2曲でニューヨーク・フィルハーモニー楽団を起用するなど、前作に比べ力の入った造りのアルバムとのこと。
セールスとしても全英1位・全米2位を記録。
曲の大半をスコットランドの農場に引きこもった時に作ったので、その農場の丘にたくさんいた羊をタイトルやジャケットに使ったらしい。
自分が聴いたのは1993年発売のリマスター盤で、ボーナストラック2曲が追加収録されている。

Ram

このアルバムこそがポールの作品で最も「ジョン・レノンの存在」を意識して作られているそうだ。
果たしてどんなアルバムなのだろうか。

・・・・・聴いてみた。 

1. Too Many People
いちおう以前から聴いてはいた曲でスタート。
ジョン・レノンに対する批判と、ビートルズへの決別を表現した曲とされる。
そういう情報をふまえて聴くと、ポールのボーカルもなんとなく不機嫌でキレ気味に思えるから不思議だ。
メロディは楽しそうでいいけど。

2. 3 Legs(3本足)
この曲は初めて聴いた。
アコースティックなブルースだが、これもまたジョンに対する失望を歌っているそうだ。
終盤リズムが変わるところはやはりポールらしいと思う。

3. Ram On
ウクレレで始まる意外なイントロ。
楽曲自体は後世に歌い継がれる名曲・・ではなく、感動もあまりない。
むしろリンダのコーラスがいい味わいであることに気づく。

4. Dear Boy
ここからようやくポール・マッカートニー本領発揮。
美しいメロディや構成、コーラスとの調和はやはり秀逸である。

5. Uncle Albert/Admiral Halsey(アンクル・アルバート~ハルセイ提督)
LPではA面最後のこの曲はベスト盤で聴いていた。
個人的には「Yellow Submarine」に似ていると思う。
雷雨効果音や不思議なメドレーが物語を感じさせる。
アルバムではエンディングも次の曲とつながっている感じ。
ポールのシングル(厳密にはポール&リンダ名義だけど)としての最初の全米1位を記録。
アンクル・アルバートとはポールの叔父の名前で、父親の仕事仲間だった人物とのこと。

6. Smile Away
重低音が腹に響くロック。
これは面白い。
ジョンや評論家からの批判を「笑い飛ばせ」と押し返した曲とのこと。

7. Heart Of The Country(故郷のこころ)
これもベスト盤で聴いていた。
田舎暮らしを歌った曲だそうだが、ただのカントリーにならないのがポールらしいところ。

8. Monkberry Moon Delight
「Smile Away」をさらに野蛮にしたような雰囲気。
これもキレ気味なボーカルだが、メロディ自体は悪くない。
ポールがもっと普通に歌ったらヒットしたんじゃないだろうか。
ところどころで入るリンダの合いの手?も多少雑な感じだが、二人の声や調子は意外にマッチしている。
コーラスには娘のヘザーも参加してるそうだ。

9. Eat At Home(出ておいでよ、お嬢さん)
軽快で楽しいナンバー。
リンダは合いの手ではなくきっちりバックボーカルを務めている。

10. Long Haired Lady
曲の雰囲気は「Heart Of The Country」に似ているが、結構いろいろな楽器の音がする。
リンダがバックでなく前に出て歌ったり一人で歌うパートがあるが、やはりポールと合わせたほうがいいなぁ。
リードシンガーとしてはやはり不安だ。

11. Ram On
LPではA面にあった曲のリプライズ。
この辺の作りはやはりビートルズを思わせる。

12. The Back Seat Of My Car
ネットではこの曲を一押しする意見がたくさんあるが、個人的にはそれほど印象には残らない。

以下はボーナストラック。
13. Another Day
ビートルズの曲と同じように何度も聴いてきた曲である。
ボーナストラックではあるが、これが一番ポールらしい名曲。
なぜ発売当時にアルバム収録されなかったのか不思議だ。

14. Oh Woman, Oh Why
終始「Oh! Darling」のようなヤケクソなシャウト。
終盤で銃声のような音が聞こえるのが不気味。

聴き終えた。

まず率直な感想として、前作よりもレベルが上がっているという評価は当たっていると感じた。
曲を作った時期は前作各曲と同じく田舎に引きこもった頃のものが多いらしいが、「Ram」のほうが歌い方にも力がこもっているし、楽曲としての完成度が高いと思う。
そう感じる明確な理由はもうひとつあって、リンダの存在感が飛躍的に向上している点。
どの曲でもポールのボーカルをしっかりサポートする見事なコーラスを当てている。

ただし。
ポールのロックンロールやブルース趣味が全面的に好みに合致するかというとそうでもない。
自分の場合、ビートルズでのポールのロックでも好みはわりとはっきりしており、「のっぽのサリー」なんかは大好きだが、「Why Don't We Do It In The Road?」「Oh! Darling」のシャウトや「Hey Jude」のアウトロなどはそれほどいいとも思わない。
なのでこのアルバムでも、もう少し落ち着いて歌ってほしい曲がいくつかある、という感想になる。

さてウィングスも含めて70年代のポールの作品は、どれもジョン・レノンとの関係をふまえて鑑賞するというのが世界標準の規定になっている。
前述の通りこの「Ram」もそうした情報抜きには語れず、A面の4曲はいずれもジョン・レノンに対する批判皮肉が歌詞に込められた曲とされている。
これらに対するジョンの反撃・返答が「How Do You Sleep?」で、あえてジョージ・ハリスンを参加させてポールの気持ちを逆なでようとするえげつない意図が強烈に表れている。
この曲を作っている場面にはリンゴも立ち会っていたが、元の歌詞のあまりのひどさに次第に不愉快になり、ジョンに「いい加減にしろよ」と忠告したため、ジョンは渋々?婉曲な表現に歌詞を変えたそうだ。

さらに「How Do You Sleep?」が収録されたアルバム「Imagine」には、ジョンが豚を捕まえている写真がおまけで付いていた。
ジョンが「Ram」のジャケットをからかって作ったのは明らかで、ここまで露骨な構図を見れば、やっぱり当時の二人の関係は険悪だったというのが一般的な解釈だろう。
「How Do You Sleep?」についてのジョンのコメントをどこかで読んだが、「当時の心の中の怒りやフラストレーションをぶつけた曲で、結果としてポールを利用させてもらった」「結局は自分のことを書いていたのかもしれない」というようなことを言っていた。
後付けの言い訳のようにも思えるが、やや後悔の心境が表れたジョンの本音だと感じた。
いずれにしてもポールもジョンも、互いを攻撃する曲を作って歌っても、話題にはなるけど歌い継がれる名曲にはやっぱりならなかったようだ。

というわけで、「Ram」。
トータルでは決して悪くないが、やはりウィングスのアルバムに比べるとやや物足りない印象でした。
もう少し聴きこんでいけば、評価は変わってくるかもしれません。
ウィングス作品では「Wings Wild Life」「Back to the Egg」が未聴で残っているので、早いうちに聴いておきたいと思います。

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聴いてない 第245回 メイヤ

覚えてる人は覚えてると思うが、90年代半ばにいわゆるスウェディッシュ・ポップがブームになったことがあった。
当然自分はそれほどマジメに取り組んだりはしなかったが、「NOW」系の企画CDでスウェディッシュ・ポップを集めたものを少し聴いたりはした。
そのブームの中でも日本でも人気が高かったと思われるのがメイヤである。

聴いたのは誰でも知ってる「How Crazy Are You?」。
日本でも80万枚くらい売れたそうで、「ぱらっぱーんぱらっぱーん、ぱっぱらっぱぱぱーん」という文字にするとイマイチ偏差値の低そうなイントロは一度聴けば思い出す人も多いはずだ。
あともう1曲聴いてるはず・・と思って調べたら曲名が判明。
「All 'bout Money」で、「だんだんどぅどぅだんだん」とか言うサビが特徴。
ネットでは「ダンダンダラランラン」とか「ダンダンダダダンダン」とかいろいろな表記で書かれてますが、歌詞としては「dun dun do do do dumb」だそうです。
聴いてない度は2を少し超えるくらい。(どうでもいい)
デビューアルバムのジャケットも記憶にはあるが、聴いたことはない。

スウェディッシュ・ポップのブームは認識していたが、その中から特定のアーチストを深掘りはしなかった。
具体的にはメイヤの他、カーディガンズ、クラウドベリー・ジャム、ソフィー・セルマーニなどである。
それぞれに特徴はあるが、聴いた範囲では全般的に比較的おだやかで透明度の高いサウンドやボーカル(ほとんどが女性)だったと認識している。
ソフィー・セルマーニの「Always You」なんて今聴いてもいい曲だなぁと改めて思う。

本題のメイヤ。
スウェーデンの人だということ以外に特に知識は持っていない。
スウェディッシュ・ポップ・ブームの頃にFROCKLによく出入りしていたが、メイヤのファンの人も多く、「メイヤかわいーい!」と書かれたコメント(本当にこの文字列のままだった)も見たことがある。
何も知らない自分はただツリーをながめるだけだったが。
ということで20年以上出遅れたメイヤについて手遅れ上等で調べてみた。

メイヤは1969年ストックホルムで、クラシック作曲家の父親と画家の母親のもとに生まれた。

生まれた時の本名はアンナだったが、幼少の頃にすでに本人がメイヤを名乗り、その後正式にメイヤに改名。
80年代前半にスペイン留学を経てアメリカに渡り、ロサンゼルスでジャズや声楽を学ぶ。
その後「レガシー・オブ・サウンド」というグループに加入し、ボーカルを担当。
96年ソロデビュー、シングル「How Crazy Are You?」とアルバム「Meja」が欧米でも日本でも大ヒット。
翌年には早くも来日公演が行われ、中野サンプラザとNHKホールでのライブを収録したアルバムも発売された。

しかし結果的にはデビューシングルとアルバムが最初で最大のヒットとなっている。
98年のアルバム「Seven sisters」もシングル「All'bout money」もヒットはしたが、前作を超えることにはなっていない。

2000年にはリッキー・マーティンとのデュエット「Private Emotion」がヒット。
ただしこの年の自らのアルバム「Realitales」では方向性をヒッピーやロックに転換し、ファンを困惑させる結果となった。

この後メイヤ(の事務所?)は日本市場に目を向ける戦略に出たようだ。
2001年に来日し、東京・横浜・大阪公演を行う。
さらに翌年日本だけの限定ベスト盤をリリースし、矢井田瞳のカバー「I'm Here Say Nothing」も収録。

2004年にはカバー集「Mellow」を発表。
アントニオ・カルロス・ジョビンやキャロル・キングなどの名曲揃いとの評判だが、活動や実績は次第に地味になっていく。
2009年の「Urban Gypsy」は配信限定で発売開始。
でも検索するとCDも見つかるので、その後CDとしても発売はされたのかな?

もはやこれまで・・かと思われたが、そこは困った時の日本市場。
2010年にまたも日本限定でジブリ・ソングのカバーアルバムを発表。
邦題が「アニメイヤ」というレコード会社渾身のダジャレタイトル。
日本人なら誰でも知ってる「となりのトトロ」「もののけ姫」「ルージュの伝言」「崖の上のポニョ」「風の谷のナウシカ」なんかを詰め込んだお買い盤だそうですけど、売れたんでしょうか?
で、この年にもやっぱり来日して各地の会場を満員にしたそうです。

今も現役で活動中。
最新作品は2015年のアルバム「Stroboscope Sky」となっている。
・・・やっぱり全部知らない話だった。

デビュー当時のノリのいい楽曲しか知らないが、キャリアの過程ではかなり様々なジャンルにもトライしていたようだ。
聴いてる2曲とも悪くないし、歌声や容姿は特に好みや苦手といった感覚もないので、どの作品でもそんなに難易度は高くはないと勝手に思う。
ただ自分は特にジブリ作品のファンではないので、「アニメイヤ」という企画盤にはあまり興味がわかない。
ネットで見つかるメイヤの顔は年代や角度でかなり違った印象を受ける。
ジャケットの顔写真も作品によってずいぶん違うなぁと感じるんですが・・(大きなお世話)

というわけで普段にも増して雑な文章になってますが、メイヤ。
まあ聴くとしたら自分の場合「Meja」「Seven sisters」からになると思いますが、みなさまはメイヤ、聴いておられたでしょうか?
当時のスウェディッシュ・ポップのブームへの対応についても教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第244回 ゴットハード

16年目に突入した比類なき惰性珍奇インチキBLOG、2019年初回はゴットハード。
当然聴いてないのだが、個人的にはひとつだけエピソードを持っているバンドである。
・・・いえ、例によって全然大した話じゃないですけど。

まずは聴いてない度、安定の2。
「All I Care For」という曲しか聴いてない。
92年頃にMTVの音声をテープに録音しており、調べたらデビューアルバム収録曲なのでデビュー当時リアルタイムで聴いたことになる。
ただしその他の曲は全く聴いていない。

一応MTV画面に表示されたバンド名・曲名を見ながらインデックスに書き写したのだが、いまいち自信がなかったので数年後にFROCKLでバンド名について質問してみた。
そう、「ゴットハードかゴッドハードかゴットハートかゴッドハートか?」という愚かな問い合わせである。
するとやはりありがたきFROCKL、親切な人から「ゴットハードでOKです」という回答をいただいたのだ。
ついでにその人からは「アンディ・フグのテーマソングも歌っています」という情報もいただいた。

持ってる話は以上です。
・・・まあいつものパターンですけど。
せっかく貴重な追加情報までもらっておきながら、その後一切の学習もして来なかったという失礼極まる展開。
パソコン通信には熱心だったが、肝心の音楽鑑賞(特にエアチェック)をしなくなっていた時期だったので、ゴットハードに限らず学習は停滞してしまったのである。(クソ言い訳)

ということでゴットハードについてあらためてハードな調査。
やはり意外な情報(常識?)がどんどん見つかる。

スイスのロックバンドだということはうっすら知っていたが、ウィキペディアには「バンド名はスイスのゴッタルド峠にちなむ」と書いてある。
えっそうだったの?
Got Hardとか英熟語だと思ってました・・
峠の名前バンドってことは、もし日本だったら「ヤビツ」とか「笹子」「小仏」みたいなバンドってことですかね。(微妙)
ちなみにゴッタルド峠はスイス連邦の起源となった歴史的な地点でもあり、スイス国民にとって象徴的な場所でもあるとのこと。
現在世界一長いトンネルがあるのもこの峠だそうだ。

低偏差値を痛感しながら先に進む。
1991年にスティーブ・リー(V)、レオ・レオーニ(G)、マーク・リン(B)、ヘナ・ハーベッガー(D)の4人で結成。
92年デビューアルバム「Gotthard」発表。
パープルもカバーした「Hush」が収録されており、ディオやデフ・レパードでギタリストを務めたビビアン・キャンベルも2曲参加している。

94年のセカンドアルバム「Dial Hard」ではビートルズの「Come Together」やツェッペリンの「Rock'n Roll」をカバー(日本盤ボーナストラックのみ)。
続く3作目「G」にはディランの「Mighty Quinn」もカバー収録。
なんかこのバンド、けっこうカバー好きみたいですね。

なおFROCKLで教わったアンディ・フグのテーマソングだが「Fight For Your Life(邦題:闘え!アンディ・フグ)」という曲で、97年の企画盤CDにはアンディ・フグの日本語による挨拶も収録されているそうです。
この曲の制作はボーカルのスティーブがアンディと親交があったため実現したらしい。
しかし発表後わずか3年ほどで、アンディは白血病のため日本で亡くなってしまう。

ここでさらに意外な人物の名前を発見。
98年にはすでにライブでバンドに帯同していたマンディ・メイヤーが正式に加入。
エイジアの3枚目のアルバム「Astra」でスティーブ・ハウの後任としてギターを弾いていた人である。
マンディ・メイヤーの名前はもちろん知っていたが、その後ゴットハードに加入してたとは知らなかった・・
ここからゴットハードはしばらくツインギターバンドとなる。

2001年アルバム「Homerun」をリリース。
シングル「Heaven」はスイスのチャート1位となりバンド最大のヒットを記録。
このアルバムではアンディ・テイラーの「Take It Easy」という意外なカバーを残している。
2003年の「Human Zoo」リリース後、やっぱりマンディ・メイヤーは脱退し、フレディ・シエラーが加入。
2009年のラウドパーク09に、あのアンヴィルやスレイヤーとともに参加している。

ところが。
2010年にバンド史上最大の悲劇が発生する。
ボーカルのスティーブ・リーが、アメリカ旅行中トレーラーに飛ばされたバイクの直撃で即死してしまう。
そうだったのか・・
バンドは分解することなくスティーブ追悼盤としてバラード集「Heaven - Best of Ballads Part 2」を発表し、バンドの継続を宣言。
新ボーカリストとしてニック・メーダーが加入し、2017年までに3枚のアルバムを発表している。

なお2018年にレオ・レオーニはゴットハード25周年を記念して自らのトリビュート盤を発表。
これはゴットハード名義ではなく「コアレオーニ」というプロジェクトで、ゴットハードからはドラムのヘナ・ハーベッガーが参加している。

ということで、いつものとおり知らない話だらけだが、ボーカルが既に亡くなっていたことも全く知らなかった。
サウンドとしてはハードロックを基調にバラードやメロディアスな楽曲も得意としており、前述のとおり様々なカバーもこなす器用な楽団らしい。

「All I Care For」はアコースティックな演奏にスティーブの朗々とした太いボーカルが乗る、やや重めの曲である。
80年代のクソチャラいキラキラサウンドとはちょっと違い、好みかどうかと言われれば微妙だが印象に残る曲だ。
あちこちのサイトに書いてあるが、スティーブ・リーの声はデビッド・カバーディル(の低音)にも似ている。
カバの声は嫌いではないので、ゴットハードもそんなにハードルは高くはないかもしれない・・と安易に考えていますが・・

というわけで、ゴットハード。
まずはデビューアルバムから順に聴いていけばいいはずですが、みなさんの鑑賞履歴やおすすめのアルバムについて教えていただけたらと思います。


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