聴いてない 第236回 ビリー・アイドル

逆上のパンクロック・アイドル、ビリー・アイドル。
当然ですが全然聴いてません。

唯一聴いているのがたぶん最大のヒット曲「Mony Mony」。
なので聴いてない度は2。
しかもこの曲が実はカバーだとさっき知ったばかり。
かろうじて88年頃にエアチェックはしたので、柏村武昭プレゼンツによるオンエアのはずである。
毎度どうでもいい情報ですけど。
パンクというわりにはなんか軽い感じだなぁと思ってはいましたが・・

とりあえずビリー・アイドルと入力してGoogle検索し、得られた情報をアジェンダとしてお配りします。
ビリー・アイドルは1955年11月30日ロンドン生まれ。
ということは現在62歳・・そうスか・・エアチェックから30年経ってるからそのくらい加齢してて当然だけど。
本名が「ウィリアム・マイケル・アルバート・ブロード」って書いてあるけど、これどこまでが名前でどこからが苗字なの?

で、若きウィリアムはセックス・ピストルズにあこがれて親衛隊に加入したりしてたそうだ。
1977年にジェネレーションXという名のパンク・バンドでデビュー。(78年と書いてあるサイトもあり)
アルバムを4枚発表するが、商業的には成功せず解散。
解散後ビリーはアメリカに渡り、その後長きにわたりビリーを強力にサポートすることとなるスティーブ・スティーブンスの協力を得て81年「Mony Mony」でソロ・デビュー。
・・・あれ?この曲は81年のデビュー曲だったの?

もう少し詳しく調べてみたら状況が判明。
「Mony Mony」の発表は確かに81年だったが、その時は全然ヒットせず。
その後3枚アルバムを発表し、87年にヒット曲集リミックスアルバム「Vital Idol」をリリース。
この企画盤に「Mony Mony」のライブバージョンが収録された。
このライブ映像がテレビで放映されると人気が急上昇し、「Mony Mony」はシングルカットされ、全米1位を獲得・・という流れだそうです。
そういえばよく考えたら自分がエアチェックしたのはライブバージョンだった・・

ここからスター街道まっしぐら(表現が昭和)と行きたかったビリー・アイドルだが、バイク(ハーレー)事故で重傷を負う。
このケガにより予定されていた映画「ドアーズ」のジム・モリスン役になれず、別の役で出るはめに。
94年には映画「スピード」の主題歌「Speed」をヒットさせる。
この曲でもスティーブ・スティーブンスが参加。
98年の映画「ウェディング・シンガー」に俳優として出演。

90年代は音楽も俳優も目立った活動はなく、ビリー・アイドルは沈黙期間に入る。
21世紀になってようやく音楽活動を再開。
2005年に12年ぶりのアルバム「Devil's Playground」をリリース。
その後も2006年「Happy Holidays」というクリスマスアルバムを発表。
現時点での最新作は、2014年のアルバム「Kings & Queens Of The Underground」。
トレバー・ホーンのプロデュースで、またもスティーブ・スティーブンスが参加。
邦題は「逆襲のアイドル」だそうです。
最近の洋楽(死語)でも邦題が付くことがあるんですね・・

個人的には「Mony Mony」1曲しか知らないが、他にもヒット曲を持ち現在も活動中なので、一発屋とか懐かしのアイドルとかではなさそうである。
なお音楽性としてはもっとパンク寄りな人で、「Mony Mony」はカバーでもあり、ビリーのキャリアの中ではむしろ少し変わってる曲だそうです。

その「Mony Mony」。
歌詞を見たがストーリーやメッセージは全然なく、ノリだけで中身のないガヤ系の軽い歌である(と思う)。
「あの娘が来たぜ!モニーモニー!いいね!いいね!気持ちいいね!オレはイェーイェーイェーって言うぜ!」みたいな感じ(だと思う)。
パンクな人なのにこんなチャラい歌で大ヒットしちゃって大丈夫だったんだろうか?

そもそも「Mony Mony」とはどういう意味だろう?と思ったら、元の言葉は「Mutual Of New York」(ニューヨーク相互保険会社)の頭文字とのこと。
この会社の看板が街中にあって、「MONY-MONY,MONEY-MONEY」と書かれていたのを目にした作者のリッチー・コーデルさんという人が、曲のタイトルにした、という話。
・・それって保険会社側と権利関係でモメたりしなかったの?
「あの娘が来たぜ!アフラック!」とか「気持ちいいね!損保ジャパン日本興亜ひまわり生命!」なんてのと同じってこと?(違う気もする)
結局やっぱし意味はあまりなく、もちろん保険やお金を歌ったものでもないそうです。
あっそう・・「ラッスンゴレライ」とか「ワカチコ」みたいなもんかな。(適当)

オリジナルはトミー・ジェイムス&ションデルズというグループのヒット曲。
ちなみにこのグループの「I Think We’re Alone Now」という曲を、ビリー・アイドルと同じく87年頃にティファニーがカバーし、これまた全米1位を獲得している。

正直「Mony Mony」もたまたま録音しただけでそれほど気に入ったわけでもなく、またビリー・アイドルのやや野太い濁り声もどちらかと言えば苦手なほうだ。
ただハノイ・ロックス学習の過程でスティーブ・スティーブンスの名と経歴を知ったので、スティーブ参加の曲なら聴いてみてもいいかもなどとぼんやり考えている。
パンクも苦手なんで玉砕敗退する可能性も高いですが・・・

というわけで、ビリー・アイドル。
日本での評判は例によって見当もつきませんが、おすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてない 第235回 ダイアナ・ロス

ブラックミュージックの重鎮、モータウンの女王ことダイアナ・ロス。
あまりに偉大すぎて自分みたいな極東三流腸弱リスナーが採り上げること自体おこがましいですけど、聴いてません。

もちろん存在は認識しているつもりだし、ジャズやクラシックのような「全くなじみのないジャンルの人」というわけでもない。
80年代当時アジアの辺境貧乏学生だった自分にもダイアナ・ロスは寛容だったのである。(意味不明)
大スターが集う音楽祭で、キラキラのゴージャス衣装に身を包み大トリで歌う都はるみっぽい人、というイメージ。(雑)

シュープリームス時代も含め、聴いている曲は以下である。
・You Can't Hurry Love(恋はあせらず)
・Upside Down
・Endless Love
・Chain Reaction
・If We Hold On Together

「恋はあせらず」以外はいちおうリアルタイムで聴いている。
なお「恋はあせらず」はフィル・コリンズのカバーを先に聴いた。
ソロで最初に聴いた曲は「Upside Down」だが、聴く前からダイアナ・ロスの名前は知っていたと思う。
「Endless Love」はライオネル・リッチーとのデュエット。
「Chain Reaction」はバックコーラスにビージーズが参加している。
自分にしてはわりと聴けてるほうだと思うのだが、アルバムは全く聴いてないので、聴いてない度は3。

ブラックミュージックの女性シンガーとして最も成功した人であり、80年代も90年代も全く現役だったが、当時の日本のナウいヤングやダサい男子学生が最優先で聴いていたアーチストではなさそうである。
姉や友人との会話にダイアナ・ロスが登場した記憶もない。
なので当時から今に至るまで聴いてない敗北感や危機感もないまま惰性で歳をとっている状態。

ということで、あらためて偉大なるダイアナ・ロスの華麗なる経歴について拙速なる学習。
ダイアナ・ロスは、1944年デトロイトに生まれた。
父親は自動車工員、母親は白人家庭のメイドとして働く家庭で育つ。
中学生の時、近所の友人たちと4人組コーラス・グループ「プライメッツ」を結成。
(プリメッツと書いてあるサイトもあり)
デトロイトの小さなレコード会社からシングルレコードを発表した後、さらに大きなレコード会社であるヒッツヴィル(のちのモータウン)への売り込みを始める。
この時ダイアナ・ロスの売り込みを受けてモータウンの社長にプライメッツを紹介したのがスモーキー・ロビンソンだそうだ。

62年モータウンと正式に契約し、グループ名をシュープリームスと改める。
この時点でメンバーは1人抜けてダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソンとフローレンス・バラードの3人となった。

で、シュープリームスについても少し調べてみたが、今は発音により忠実な「スプリームス」と表記するようだ。
・・・なんか「ダイアナ・ロス&スプリームス」ってあまりなじめない感じですけど、もっと早く矯正できなかったんスかね?
カート・コバーンレディー・ガガもアドリアン・アドニスもみんなそうだが、日本人てよその国の人の名前はホント適当だよなぁ。
シュープリームスもたぶん「シュークリーム」につられたんだと思う。(適当)
とりあえずウチのBLOGではシュープリームスに統一しておきます。

シュープリームスは64年「Where Did Our Love Go?(愛はどこへ行ったの)」で初の全米No.1を獲得。
翌65年には「Stop! In the Name of Love」がヒット。
この曲はのちにホリーズがカバーしてまたヒットしている。
さらに66年には「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」、「You Keep Me Hangin' On」もヒット。
(「You Keep Me Hangin' On」はヴァニラ・ファッジのカバーでも有名)
大量のヒット曲を放つスーパーグループに成長を遂げる。

67年に「ダイアナ・ロス&シュープリームス」と改名。
しかしダイアナ本人がセンターでいることにこだわり過ぎて、他の2人との確執・軋轢・摩擦が生じ、リーダーだったフローレンス・バラードは脱退。
69年にはダイアナもグループから脱退しソロとなる。

ソロ転向後もダイアナ・ロスの活動は順調に進んだ。
70年「Ain't No Mountain High Enough」でソロ初の全米1位を獲得。
73年にも「Touch Me In The Morning」をヒットさせた。

また映画女優としても活動の幅を広げ、「ビリー・ホリデイ物語」で主役を演じる。
しかし女優としては大成功とは言い難く、その後の主演映画「マホガニー物語」やミュージカル「ウィズ」は興行的には残念な結果に終わってしまった。

80年にナイル・ロジャースによるプロデュースの「Upside Down」でシンガーとして完全復活し、全米1位をまた獲得する。
81年ライオネル・リッチーとのデュエット「Endless Love」も大ヒットを記録。
いちおう全米1位獲得の曲はこの「Endless Love」を最後に出ておらず、モータウンからRCAに移籍する。
85年にはUSA for Africaに参加。
「We Are The World」でソロパートを歌い、マイケル・ジャクソンとも声を合わせた。

この後アメリカでは人気もセールスも下降していく。
しかし日本では91年発表の「If We Hold On Together」が、ドラマ「想い出に変わるまで」の主題歌に使われて大ヒットという日本限定の現象が起こる。
確かに曲は自分もリアルタイムで聴いているが、このドラマは見ていた記憶はない。
主演は今井美樹と石田純一、脚本は内館牧子というトレンディなドラマだったそうですけど・・・

ヒット曲は出ていないが、今もアメリカ音楽界の重鎮として記念行事や音楽祭などのイベントに登場し、変わらぬ歌声で観客を魅了している。(表現が昭和っぽい)
2015年には日本公演も行われ、またこの年からツィッターも始めるなど、現在も精力的に活動中とのこと。

繰り返しの言い訳で恐縮ですけど、偉大なる存在であることはもちろん認識してはいた。
が、上記の経歴話は半分も知らなかった。
エアチェックした曲は冒頭述べたとおりだが、積極的に録音しに行ったものではなく、柏村武昭の案内に従順に対応していただけの話である。
聴いている中では「Chain Reaction」がノリが良くていいと思う。

ウィキペディアには「シュープリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のビルボード1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。」と書いてある。
金額的にどうなのかはわからないけど、記録としてはグループ時代のほうがすごかったということになる。
なのできちんとダイアナ・ロス学習をするのであれば、シュープリームス鑑賞も必修科目となるはずだ。

楽曲や声の好みはともかく、歌唱力においては不安など感じる必要も一切ない、信頼と実績が誇る安心安定な歌手であることは間違いない。
ただ勝手な推測だが、ダイアナ・ロスもカーペンターズ同様にアルバムよりは曲単位での評価が主流ではないだろうか。
なのでシュープリームス時代のヒット曲も収録されたいい感じのベスト盤があれば聴いてみたいと、ムシのいいことを考えている。

ということで、ダイアナ・ロス。
偉大すぎて評価が難しいようなアーチストではあると思いますが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてみた 第143回 ブロンディ

今回聴いてみたのはブロンディ
さりげなく書いてますけど、このバンドのアルバムをまともに聴くのは初めてである。
中学生の頃からデボラ・ハリーの顔と体つきにだけ反応し続けてきて、アルバム鑑賞なんかほったらかしだったのだが、今回ようやく「Eat To The Beat(恋のハートビート)」を聴くことができたよ。(手遅れ)

Eat_to_the_beat

「Eat To The Beat」は79年発表の4枚目のアルバム。
全英チャートで見事に1位を記録した名盤である。(全米は最高17位)
前作「Parallel Lines(恋の平行線)」に続いてプロデューサーにマイク・チャップマンを起用。
チャップマンさんは田村信の漫画の主人公・・ではもちろんなく、ナックの「My Sharona」を手がけたことでも有名。
前作で開花した多様性がさらにレベルアップし、Amazonのレビューでも高く評価している人が多い。

知ってるヒット曲も多数あり、おそらく困惑するような結果にはならないだろう。
聴いてみたシリーズ、聴く前からこれだけ精神的に余裕のある作品は初めてである。
ふんぞりかえって聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1.Dreaming
オープニングにふさわしいノリのいい大ヒット曲。
あらためて聴くとキーボードの音が効果的だと感じる。

2.The Hardest Part
シングルにもなっていた曲だそうだが、これは初めて聴く。
やや辛口なナンバー。
エンディングで拍が足りない部分があるような気がしたけど、違います?

3.Union City Blue(涙のユニオン・シティ)
数あるシングルの中でも好きな曲。
ユニオン・シティはニュージャージー州の都市だが、ニューヨークの隣にあり、マンハッタン島からハドソン川を渡ったところに位置する街。
プロモ・ビデオにも都市の風景や自由の女神が映っている。
どこか都会的な香り漂うサウンドがいい。
レディオヘッドがカバーしているそうだ。

4.Shayla
実はブロンディで一番好きな曲がこれ。
シングルカットはされておらず、隠れた名曲だ(と思っている)。
前の曲と音の雰囲気は似ており、ライブでも続けて歌うことがあった。
歌詞は名前でなく番号でしか呼ばれない工場で働く娘が、工場をやめてどこかに行ったという少しさびしい内容。

5.Eat To The Beat(恋のハートビート)
一転パンクなタイトルチューン。
そのせいかどうか不明だが全英チャートでは1位を記録している。
「Eat To The Beat」とはどういう意味かと思ったが、歌詞カードの訳では「ビートに合わせて食べるのよ」となっている。
何を意味しているのだろう・・

6.Accidents Never Happen
初めて聴く曲。
流れは前の曲に近く、疾走感に満ちたロック。
ただメロディはそれほど抑揚はなく、意外に地味。
エルビス・コステロの「Accidents Will Happen」という曲へのアンサーソングという噂もあるそうだけど、本当?

7.Die Young Stay Pretty(青春のときめき)
南国調のサウンド、レゲエっぽいリズム。
プロモ・ビデオの映像をうっすら覚えている。
なんとなくブロンディっぽくなくて誰かのカバーなのかと勝手に思っていたが、これもデボラとクリス・シュタインの作品。

8.Slow Motion(素敵な時間をスローモーション)
フレンチっぽいオシャレなサウンド。
タイトルに反してリズムはわりとキャッチーである。
奥のほうで控えめに鳴るキーボードが意外にいい感じ。

9.Atomic(銀河のアトミック)
デボラのお色気(死語)全開の一曲。
音はアメリカっぽい気がするけど、売れたのはやっぱりイギリスで、きちんと1位を獲得。
(全米は最高39位)
デボラの「・・・Atomic」という低くてエロい声が印象的だが、リズムを刻むドラムとしゃりしゃり鳴り続けるシンバルが楽曲をよりきらびやかに彩っており、結構凝った造りだ。
ダサい邦題が一周回って今は秀逸に思える。

10.Sound-A-Sleep
アルバム中唯一のスローバラード。
初めて聴いたが、非常にいい。
シングルカットされてもヒットしていただろう。

11.Victor
前の曲とは真逆のガサツな雰囲気。
男どものむさ苦しいバックコーラス、デボラがヤケクソ気味にシャウト。
ここまで散りばめられたヒット曲や極上のバラードに比べてずいぶんひねった感じ。

12.Living In The Real World
同じノリのまま加速してパンクロック。
この終盤の流れは少し好みからは遠い。

以下はボーナストラック。
13.Die Young Stay Pretty (青春のときめき:Live)
14.Seven Rooms Of Gloom (BBC Live)
15.Heroes (Live)
16.Ring Of Fire (Live)

ボーナストラックはいずれもライブだが、グラスゴーやロンドンなどイギリスでの公演らしい。
思ったより音が安い感じで、逆に臨場感がある。

聴き終えた。
曲ごとの好みの差はもちろんあるが、やはりバラエティ豊かなアルバムである。
バンドの特徴そのものでもあるが、パンク・ロック・レゲエ・バラード、どれもクオリティが高くゴージャスな仕上がりだ。

ただ初めて聴く曲に、よいと思える作品が意外に少なかった。
「Sound-A-Sleep」はいいと思うが、「Accidents Never Happen」「Victor」「Living In The Real World」などは特に楽しくなるような印象ではない。
もう1曲明るくノリのいい作品があればよかったのだが・・

しかしどんな曲でもデボラは器用に歌う。
加えて楽器や作り込みもしっかりしており、レベルの高い音楽だと思う。
クレジットを見ると、半分以上の曲作りにデボラとギターのクリスが参加しており、他の男どもはそれぞれ手分けして担当している状態。
少なくともデボラはただ歌うだけのエロいお飾り姉さんではなく、クリエイティブ面でもバンドを牽引するフロントウーマンである。
これまでずうっとデボラの顔とか露出の多い衣装しか見てこなかったんですけど、なんかすごくチカラのあるバンドだったんスね。(今さら)

このアルバムのオリジナル収録曲は全てプロモ・ビデオが作られているそうだ。
まあ映像の出来は70年代末なのであまり凝ったものではないようだが、この後やってくるMTV時代を見通しての戦略だったとすれば、先見の明があったということだろう。
エロいボーカルにばかり気を取られてましたが、ラップを初めてポピュラー音楽に大胆に採り入れて見事チャートインさせるなど、やってることはかなり野心的だったのだね。

気になるのがなぜかイギリスでの評判が高いブロンディ。
このアルバムも含め、セールスとしては本国アメリカよりもなぜかイギリスのほうが売れている。
見るからにアメリカンな人たちだと思うのだが、理由はよくわからない。

というわけで、ブロンディ「Eat To The Beat」。
おおむね想定どおりで余裕の鑑賞となりましたが、あらためてこのバンドの楽曲の多様性に気づかされました。
70年代のアルバムはあと3枚ありますが、全部聴いていきたいと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

聴いてない 第234回 トリーネ・レイン

北欧のシルク姉さん、トリーネ・レイン。(大スベリ)
こんなあたしでも1曲聴いてるし、1枚だけだがアルバムジャケットもよく覚えているので、日本でも相当流行ったと思われる。
聴いたのはもちろん大ヒット曲「Just Missed The Train」。
昨日たまたま耳にしてトリーネ・レインを思い出した次第。
93年の曲だが聴いたのはその3年後くらい。
当時もうFMからのエアチェックなんか誰もやっておらず、自分もNOW系オムニバスCDで聴いた。
あともう1曲聴いてるはずだがタイトルが不明。
後で調べます。
聴いてない度は2。

「Just Missed The Train」はいい曲だったが、CDショップに大量入荷してた爆乳ジャケットには手を出さず、トリーネ・レインについてさらに掘り下げることはしていない。
繰り返しの言い訳になるが、聴いた当時はもうエアチェックもFMステーションもミュージックライフも卒業しており、自主的な音楽学習をほとんど行わなくなった時期にあたる。
なのであと5年登場が早ければおそらく違った展開になっていたと思う。
あのジャケットのイメージから、マドンナデボラ・ハリーのような妖艶路線(表現ダサ過ぎ)の人なのかと思ったけどそうでもないみたいです。

ということで25年(!)経った今頃トリーネ・レインについて、果てしなき手遅れ学習を敢行。
毎回恒例で当たり前だが調べてみると驚くような話が続出である。

トリーネ・レインは1970年サンフランシスコに生まれ、ノルウェーで育つ。
91年頃からノルウェーで活躍し始め、93年11月にソロデビューアルバム「Finders Keepers」発表。
このアルバムについてはどこのサイトでも全世界で60万枚売れたとあるが、内訳についてはあるサイトが「ノルウェーで20万枚」、別のサイトでは「日本で40万枚」などとなっており、総合するとノルウェーと日本でしか売れてないことになるけど合ってます?
いずれにしろ日本で本国以上のセールスを記録しており、ジャケットも大きく売り上げに貢献したと思われる。

96年のセカンドアルバム「Beneath My Skin」も30万枚中日本では18万枚売れ、同年来日コンサートが行われた。
さらに98年アルバム「To Find The Truth」を発表するが、セールス的には10万枚と伸び悩む。

ここから先の経歴はサイトによりニュアンスが少し異なる。
ウィキペディアでは「有名人としての生活に辟易」「活動を停止し2000年にアメリカ移住」「数年間リムジンのドライバーなどを経験」となっている。
しかし別のサイトでは「リムジン会社で運転手のアルバイトをしながらソングライターやプロデューサーとのネットワークを作っていった」と書いてある。
アメリカ移住・リムジン運転手は同じだが、芸能界がイヤで移住だったのか、さらなる夢を抱いて移住だったのかで話は大きく変わってくる気がするが・・・

諸説あるようだが、転機は意外なところから。
ケリー・クラークソンというアイドル歌手が2003年に「Just Missed The Train」をカバーしヒットしたことで、再びトリーネ・レインが注目されることになったらしい。
その後2004年にノルウェーでの野外フェス出演をきっかけに本格的に復帰し、ベストアルバム「The Very Best Of Trine Rein」も発表というハッピーな展開。
2010年に12年ぶりのシングル「I Found Love」とアルバム「Seeds of Joy」をリリース。
2011年3月にはノルウェーで東日本大震災復興支援チャリティコンサートを開催。
現在もノルウェーで音楽活動を続けているそうだ。

もちろん知ってた話はひとつもないが、本国より日本のほうが多く売れたアルバムがある、というのはかなりすごいことのように思う。
トリーネ・レイン本人も日本に対して良い思いでいるであろうし、そうしたことが復興支援コンサート主催などの行動にもつながっているのだろう。

「Just Missed The Train」しか聴いてないが、歌唱力は非常に高いものがある。
シンディ・ローパースティービー・ニックスのような特徴的な声ではないが、情感こめてひきずるように歌うボーカルは聴いていて安心する。
またセールスとしてはマライア・キャリーセリーヌ・ディオンには及ばないだろうが、個人的にはあの2人よりもトリーネ・レインの声のほうが好きである。
ちなみに「Just Missed The Train」はトリーネのオリジナルではなくダニエル・ブリズボワという人の作品で、94年にダニエル自身がセルフカバーを発表しているそうだ。

トリーネ・レインについて調べていくと、度々名前が見つかるのが椎名林檎だ。
椎名林檎は中学生の頃に「Just Missed The Train」を聴いて歌を作ろうと決心し、高校2年生でヤマハ主催の音楽フェスティバル全国大会にバンドで出演、この曲を歌い激励賞を受賞したとのこと。
椎名林檎のアルバムには「Just Missed The Train」に似ている曲もあるようなので、トリーネ・レインに強く影響を受けているのは間違いなさそうである。

というわけで、トリーネ・レイン。
オリジナルアルバムは今のところ4枚なので、「Finders Keepers」から順番に聴けばいいだけの話だが、ベスト盤でお手軽に学習してしまう予感もする。
みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてない 第233回 J.D.サウザー

ウエストコーストの黄金期を支えた一人、J.D.サウザーことジョン・デビッド・サウザー。
全然聴いておりません。
聴いているのは誰でも知ってる大ヒット曲「You're Only Lonely」だけ。
この曲はほぼリアルタイムで聴いたはずだが、エアチェックできたのはなぜかライブバージョンだった。
長いことスタジオバージョンのオンエアを待っていたのだが、柏村武昭はその少年の思いにこたえてはくれなかった。

ジェームス・テイラーとの共作「Her Town Too(憶い出の町)」もエアチェックはしたが、この曲はジェームス・テイラーのアルバム収録曲なので、J.D.サウザー名義では実質1曲しか聴いていない。
聴いてない度は2。

J.D.サウザーはイーグルスを学習していれば必ず登場する人物である。
・・・という話だけはこっそり知っているが、具体的にどう関係していたのか詳しくは知らない。
というわけで、このまま表層的知識だけでやっていくのもオトナとしてどうかなと思いまして(ウソ800)、略歴を調べてみました。

ジョン・デビッド・サウザーは1945年デトロイトに生まれ、あのザ・ファンクスの故郷テキサス州アマリロで育った。
若きジョン・デビッドは音楽で身を立てることを決意し20歳でロサンゼルスに移住。
ここで偶然同郷のグレン・フライに出会い、共同生活を始める。
68年グレン・フライとともにロングブランチ・ペニーウィッスルという名でユニットを結成し、70年にアルバムも発表。
しかしユニットはアルバム1枚で解散となり、グレン・フライは71年にイーグルスを結成する。
J.D.サウザーはグレンと決別したわけではなく、その後も互いの活動に参加協力していく。

72年、グレン・フライも参加したソロアルバム「John David Souther」を発表。
しかしセールスはいまいちだったため、レコード会社の意向もあって74年には元バーズのクリス・ヒルマン、元バッファロー・スプリング・フィールド、ポコのリッチー・フューレイとともにバンドを結成。
メンバーの名をつなげたサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドは2枚のアルバムを残すが、思ったほど売れず解散。
バンド解散後もイーグルスの曲作りに協力したり、リンダ・ロンシュタットのプロデュースを手掛けたりといったスタッフとしての活動を続けた。

ソロに戻ったJ.D.サウザーは76年にリンダ・ロンシュタットやデビッド・クロスビー、イーグルスのメンバーが参加したアルバム「Black Rose」を発表。
さらに79年「You're Only Lonely」をリリース。
ジャケットはうつむき加減で立つJ.D.サウザーの姿で、当時流行のAOR感に満ちた絵はあちこちの貸しレコード屋でよく見かけたものだ。(借りませんでしたが・・)
ただし内容はAORというよりややロック寄りな曲が多いらしい。
同名シングルは全米7位を記録する大ヒットとなり、日本でもその名を知られることとなる。

「You're Only Lonely」は確かに名曲だと思う。
おだやかな旋律は当時極東の貧乏中学生だった自分が聴いても心温まるものだったし、友達の間でも人気があったことを覚えている。
ロイ・オービソンの影響を強く受けた曲だそうだが、わかるような気もする。
(ロイ・オービソンもあまり聴いてませんけど)

だが。
全米7位のヒット曲を持ちながら、80年以降のソロ歌手としての活動はかなり控えめである。
アルバムは84年の「Home by Dawn」、その次がなんと24年後の2008年「If the World Was You」。
ただし24年間表舞台から姿を消したわけではなく、他のミュージシャンとの活動は続けていたようだ。
以降のソロアルバムは2009年の「Rain」、2011年「A Natural History」となっている。

最近も2014年9月にテネシー州ナッシュビルでの「アメリカーナ・ミュージック・アワード2014」でジェームス・テイラーと共演。
2015年にはアルバム「Tenderness」も発表し、ビルボード東京や大阪で歌ったりしている。

・・・というわけで、やはり知らない話ばかりであった。
リンダ・ロンシュタットとの交流もどこかで聞いたような気はするが、一時期恋仲にあったりリンダに捧げる曲を書いたりといった深い情報までは知らなかった。

45年以上のキャリアでリリースしたソロアルバムは10枚に満たないことになる。
なんとなくわかってきたが、この人はソロ歌手としてのゴージャスな立ち位置をあまり好まないようだ。
いい曲を作って友達に歌ってもらって売れたら自分もハッピー、みたいな裏方志向のミュージシャンなのだろうか。
スパンコール付きの衣装でステージ上を回転しながらスポットライト浴びたり、ホテルの窓から裸の女を投げ捨てたり、バックステージでメンバー同士殴り合って血だらけでアンコール登場といったことは苦手なんだと思う。

J.D.サウザーが制作に参加したイーグルスの主な名曲は以下である。
・Doolin-Dalton
・James Dean
・Best Of My Love(我が愛の至上)
・New Kid In Town
・Victim Of Love
・Heartache Tonight
・The Sad Cafe

最近の来日公演ではこれらイーグルスの名曲も歌ったりしたそうだ。

不思議なのはイーグルスにどうして加入しなかったのか?という点。
ジャクソン・ブラウンもそうだが、メンバーとの親交も深く、これだけ数々の名曲も手掛けてきたのであれば、「オマエも入れよ」とか「じゃあオレも入るかな」という流れになってもおかしくない気はするが・・
イーグルスもモメ事の多いパープルっぽい団体だったので、純粋に音楽は追求するけどグレンやドン・ヘンリーともめたりするのは御免だと思ってたんだろうか?
ランディ・マイズナーが加入に反対だったとかレコード会社が認めなかったとか、いろいろ楽しそうな話もあるようだが・・

というわけで、J.D.サウザー。
今さらですが聴くとすれば当然まずは「You're Only Lonely」でしょうけど、他にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

聴いてみた 第142回 ジャパン

もうすでに半月過ぎようとしていますが、みなさま新年明けましておめでとうございます。
2018年最初の聴いてみたシリーズ、自分でも意外なジャパンを選んでみました。

ジャパンの記事を書いたのは驚愕の14年前。
BLOGを始めて間もない頃で、記事書いたら最初のコメントでいきなりお叱りをくらってしまったという当然かつ因縁のバンドでもある。
しかもお叱りを受けていながらやっぱり14年間も放置という救いようのない展開。
他にもそんな扱いのバンドはたくさんありますけど。
しかし2018年のわたしはそんな自堕落な自分と今年こそ決別すべく(棒読み)、日本人なら誰でも知ってる「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」を渋谷のレコファンにて750円で購入。

Japan

14年前に記事書いた時はジャパンの歴史すら全然調べなかったので、今回は少し調べました。(手遅れ)
ジャパンは1974年にロンドンで結成された。
メンバーはリチャード・バルビエリ(K)、ミック・カーン(B)、デビッド・シルビアン(Vo・G)、ロブ・ディーン(G)、スティーブ・ジャンセン(D)。
デビッド・シルビアンとスティーブ・ジャンセンは兄弟。(デビッドが兄)
デビュー当時ロブ以外の4人は結成当時全員10代だった。
なおバンド名の由来に明確な意味はなく、デビッドによれば「なんとなくジャパンという言葉が浮かんだ」からとのこと。
あとミック・カーンは奥さん日本人だそうです。

アルバム「Adolescent Sex」でデビュー。
ブラックやグラムやパンクなどを混ぜた感じの内容で、邦題は「果てしなき反抗」っていかにもなタイトルだけど、本国やアメリカでは全然売れず、一方日本では売上15000枚という実績を残す。
その名のとおり日本から人気に火がついたバンドとなった。

バンドは3枚目のアルバム「Quiet Life」より転換を見せる。
グラムやブラックな要素を大幅に縮小して、シンセサイザー多用やアレンジなど技巧面でのサウンド変化を実行。
さらにデビッドの粘性ボーカルに暗い歌詞といった独特な様式美を確立。
「耽美派」「内省的」といった形容が定着し始め、ようやく本国やアメリカでの人気が追いついていく。

80年代に入り、バンドはアフリカや東洋の音楽を取り入れた「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」、「Tin Drum(錻力の太鼓)」を発表する。
特に「Tin Drum」には、デビッドの中国に対する興味や関心が、曲やジャケットやプロモビデオにも反映されているそうだ。
シングル「Ghosts」は全英4位を記録するバンド最高のヒットとなった。

しかし「Tin Drum」リリース直前、ギターのロブ・ディーンが脱退。
最後のライブツアーでは一風堂の土屋昌巳がサポートギタリストを務め、日本公演では土屋に加えて坂本龍一、高橋ユキヒロ、矢野顕子も参加した。
この後デビッドとミックの仲がうまくいかなくなり、ジャパンは82年に解散する。
バンドは91年に一時的に復活したが、ジャパンとは名乗らず「レイン・ツリー・クロウ」という名で同名のアルバムもリリース。
2011年ミック・カーンがロンドンで死去し、オリジナルメンバーによるジャパン再結成は永久になくなった。

14年前からジャパンに関する知識は全く向上しておらず、もちろん大半が初めて知る話である。
ただ「孤独な影」「ブリキの太鼓」が日本でも売れていたことはうっすら覚えており、ジャケットも記憶に残っていたので、聴くならこの2枚からだと思って選んでみました。(安直)

今回買った「孤独な影」はデジタルリマスター盤で、曲順も曲数もジャケットもオリジナルとは少し違うようだ。
果たしてあたしは14年間に及ぶ孤独を埋めることができるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Gentlemen Take Polaroids
2. Swing
3. Burning Bridges
4. My New Career
5. Methods Of Dance
6. Ain't That Peculiar
7. Nightporter
8. Taking Islands In Africa
9. The Experience Of Swimming
10. The Width Of A Room
11. Taking Islands In Africa (Steve Nye Remix)

サウンドやボーカルはおおむね想定していたとおりだった。
デビュー当時のジャパンはブラックやパンクやレゲエも採り入れた荒削りな音楽だったそうだが、このアルバムについてはその残り香はどこにも感じなかった。
唯一聴いていた「I Second That Emotion」と路線はだいたい同じである。
なおtatsuromanさんに教えていただいて初めて知ったのだが、その「I Second That Emotion」はカバー曲で、彼らのオリジナルアルバムには収録されていないのだった。

タイトルだけは知っていた「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」も含め、聴いたことのある曲は全くない。
デビッド・シルビアンのオクラ納豆系ボーカル、どこか曇ったサウンドとはかなげなメロディ、いかにも80年代っぽいアレンジ。
スピード感あふれるロックやノリのいい楽しいポップといった要素はなく、同じ時代に開花した他のニューロマな人たちとはやはり違う。
部分的にデュラン・デュランABCと似ているところはあるが、デュランにある力強さや神経質さはそれほど感じない。
・・・などと知ったかぶりカマして書いてますが、デュランもABCもちゃんと聴いてませんが・・・(台本どおり)
ジャパンの独創的な世界観はこのアルバムで完成したようだ。

聴いてみて意外だったのはリズムがかなりしっかりしているところだ。
ボーカルが粘性なので曲全体ももっとぐにゃぐにゃしてんのかと思ったが、そうでもない。
「Methods Of Dance」「Ain't That Peculiar」などはドラムの音がけっこうソリッドで、それでいて不思議な調和がある。
ちなみに「Ain't That Peculiar」もスモーキー・ロビンソン&ミラクルズのカバーだそうです。

一方で「Nightporter」は静かなピアノバラード。
あまり美しいとも思えないデビッドの声だが、これも悪くない。
「Taking Islands In Africa」は坂本龍一が参加してるそうだが、YMOもあまり聴いてないので「おお!やはり教授っぽい」などといった感想もなく、デビッドはやはりここでも糸引きボーカルである。
どの曲も全然明るくないし、やはり好みからは距離を感じるのだが、プログレのような置き去り感は思ったよりもない。
デビッドのボーカルも意外なほど拒絶感はなかったので、やや安心。

聴き終えた。
正直当時も今もミーハー(死語)で産業ロックに汚染された自分には難しい音楽だが、一回聴いて「あああダメだこりゃ」といった感情はありがたいことにわかなかった。
ジャパン、細かく聴いていくと「案外いいな」という音がわりと拾えるのだ。

矛盾してるようだが、おそらくリアルタイムで聴いていたら、拒絶反応だったと思う。
当時のチャラい産業ロック上等の自分では、この音はたぶん受け入れることは無理だった気がする。
好みや習熟は別として、中年になってから多少音楽鑑賞の枠を広げるようになったので、わずかではあるが寛容になっているのかもしれないが・・

というわけで、ジャパン「孤独な影」。
思ったより悪くなかったです。
とてもスタンディング・オベーションというレベルにまではいきませんが、もっと過酷な結果を想定していたので、この感想は自分でもホントに意外でした。
次作「ブリキの太鼓」にもチャレンジしてみようと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

聴いてない 第231回 パット・ベネター

前回のプレイヤー同様、出会いは中学生の頃と非常に古いが全然聴いてないパット・ベネター。
いちおうリアルタイムで聴いてる曲もあったのだが、BLOG開始後14年目にしてようやく初登場である。(遅すぎ)
時系列的にはなんとなくだがリンダ・ロンシュタットマドンナの間にいた人、という感じにとらえている。

聴いた曲は以下のとおり。
・Heartbreaker
・We Live For Love(愛にまかせて)
・Hit Me With Your Best Shot(強気で愛して)
・Fire And Ice
・Little Too Late

他に全曲ブルースというアルバムをレンタルで聴いたことがあったが、そもそもブルースも得意ではないため1回だけ聴いて返却。
聴いてない度は3くらい。
能動的に聴きに行ったことはなく、FMでオンエアされた曲を録音できればしておく、という扱いだった。

ハードなロックナンバーを男まさりに歌うという立ち位置は嫌いではなかったが、申し訳ないけど顔も声も好みの範疇には入らなかった。
自分の場合、少なくとも顔面に関してはデボラ・ハリーが他の並み居る女性アーチストを全て粉砕していたのである。

つれない扱いに若干の罪悪感を覚えながら(ウソ)調査開始。
パット・ベネターの本名はパトリシア・アンジェイェフスキ。
えっそんな名前だったの?
姓の響きが東欧っぽいなと思ったら、やはりルーツはポーランドにあるようです。

本名パトリシア・アンジェイェフスキは1953年ニューヨーク生まれ。
ポーランド系の父親は板金工場経営、アイルランド系の母親は美容師という裕福な家庭に育つが、お嬢パトリシアは厳格な教育方針にやっぱり反発。
親は娘をクラシックかオペラ歌手にさせたかったようだが、パトリシアはジュリアード音楽院というクラシックの名門校のボイストレーニングの繰り返しに飽きてしまい、反動でロックに没頭というわかりやすい展開。

18歳からナイトクラブで歌い始め、レコード会社の担当者の目に止まり1974年にロック歌手としてデビュー。
この頃デニス・ベネターと結婚。
後に離婚することになるが、芸名パット・ベネターは変えなかったようだ。

しかしデビューはしてみたものの全然売れず、下積み時代が4年以上も続いた。
79年再デビューという形でようやくアルバム「In The Heat Of The Night」を発表。
シングル「Heartbreaker」は全米23位を記録した。
ということは自分もいちおうデビュー当時から聴いてはいた、ということになる。
偉くもなんともないが・・

なおこのアルバムのプロデューサーはスージー・クアトロやブロンディなどのプロデュース経験もあるマイク・チャップマン。
再デビューとはいえ売れっ子プロデューサーのチャップマンさんを起用できたというのはすごい話なんじゃなかろうか。
また収録曲である「I Need a Lover」はジョン・クーガーの作品とのこと。

ここから85年の間にコンスタントにアルバムをリリースし、特に「Precious Time」「Get Nervous」は大ヒット。
この間グラミー賞のロック女性ボーカル部門で5年連続受賞。
またバックバンドでギターを弾いて彼女をサポートし続けたのは夫であるニール・ジェラルドという泣かせる話もある。

しかし85年あたりに転機が来る。
この年のシングル「Sex as a Weapon」はタイトルが女性団体から問題視され、有害指定を受けたそうだ。
正確には「Stop Using the Sex as a Weapon」であり、むしろ女性団体から支持されそうなメッセージソングのはずだが、パットやレコード会社側の思惑とは違った形で騒動になってしまったらしい。
ちなみにこの曲とマドンナの「Like a Virgin」はどちらもトム・ケリーとビリー・スタインバーグという人たちの作曲だそうです。

別に競ったり衝突したわけでもないと思うけど、そのマドンナの台頭と入れ替わるような形でパット・ベネターの人気と活動量は下降していく。
チャートへの登場もアルバム発表も徐々に間隔が空いてきて、21世紀以降はあまり目立った活動はしていないようである。
スタジオ盤としては2003年の「Go」が今のところ最後のアルバムとなっている。
来日公演も95年に一度あったのみとのこと。

どれも全然知らない話ではあったが、確かに自分も80年代後半以降はパット・ベネターの曲はエアチェックできていない。
意識的に避けた記憶もないので、日本でもFMでのオンエア自体の頻度も下がっていたと思われる。

やはりロック・ボーカリストという特殊な職業は、特に女性が長い期間続けていくことは相当に難しいのだろう。
まあ女性に限らず男でもロック歌い続けるのがキツイのは同じだと思うけど。
マドンナは今も現役だがロック歌手とも言えないし、歌うスタイルもかなり変わってきている。
男でもミック・ジャガーという化けもんみたいな人だけが今もロックを歌っているのだ。

話がかなりそれましたけど、パット・ベネター。
出会いが早かったわりにちっとも聴いてこなかったが、理由に特に強固なものはない。
前述のとおり顔や声が好みではなかった、ということはあるかもしれないが。
アルバムジャケットや雑誌で見た範囲で言えば、化粧がかなり濃いなとは思っていた。
(中学生なのにそこかよ)

でもデボラ・ハリーの顔は大好きだったのにアルバムはまともに聴いてなかったし、ジョーン・ジェットも化粧濃いけど顔は好きだったので、化粧と顔は鑑賞にはあんまし関係ないみたいです。(適当)
あと個人的には声がシーナ・イーストンにも少し似ていると思う。
どちらもあのファルセットが少し苦手・・・

1回だけ聴いたアルバム「True Love」は全編ブルースで、たぶんレンタル料金も無料か激安で、他のCD借りるついでだったような気がする。
(自分の意志でなく姉の気まぐれだった可能性あり)
パット・ベネターでブルースという組み合わせはやはりハードルが高く、ラストのクリスマスソング「Please Come Home For Christmas」だけテープに録って返してしまった。
店側もずいぶんとマニアックな盤を入荷したもんだと思うが・・

しかし歌うスタイルや歌唱力はやはり非凡なものがあり、今一度おさらいをしておくのもいいかもしれない。
聴くとしたら大ヒット作品「In The Heat Of The Night」「Precious Time」「Get Nervous」は外せないと思いますけど、他にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてない 第230回 プレイヤー

みなさんは洋楽を聴き始めた頃のことをどれくらい覚えておられるでしょうか?
自分の場合、洋楽に目覚めた79年頃、60分カセットテープに曲を録音することを始めた。
最終的にはこのオムニバスコレクションは120本を超えることになるのだが、その記念すべき1本目にボストンの「A Man I'll Never Be」やJ・ガイルズ・バンド「One Last Kiss」などとともに録音したのがプレイヤーの「Silver Lining」。
今日採り上げるのはそのプレイヤー。
個人的には出会いは非常に古く、バンド名も曲名も正確に記憶はしているが、結局それっきりという一期一会放置バンドである。
なお表記はウィキペディアなどでは「プレーヤー」となっているが、文字面がなんとなく平坦なので今回はプレイヤーで統一します。

このファーストコンタクト以降、プレイヤーの曲をFMから録音できたことは一度もない。
バンドの素性も知る機会は全くなく、ミュージックライフやFMステーションでも彼らの記事を見た記憶はない。
姉や友人との会話にプレイヤーが登場したこともなく、FROCKLでも話題になっていたかどうか不明。
従ってこの1曲だけの情報で止まっている状態。
日本での評判はどうだったのか、全然わからない。

どうやら西海岸の人たちであることを後からうっすら知った程度。
10年くらい前にベスト盤CDを買ったはずなのだが、実は今も持っているのかどうかすらはっきりしない。(杜撰)
あまり聴かないまま手放したような気もする。

ということで長きにわたり放置してきたプレイヤー、このままでは柏村武昭にも申し訳ないので(棒読み)、心を入れ替えて調べてみることにした。

プレイヤーはロサンゼルスで結成されたバンドで、AORやウエストコーストといったキーワードでくくられることが多いようだ。
源流は、イギリス人のピーター・べケット(Vo・G)と、テキサス出身のジョン・チャールズ・クロウリー(K)がハリウッドで出会って結成したバンダナというグループにある。
その後ロン・モス(B)とジョン・フリーゼン(D)が加入し、4人組バンド「プレイヤー」として活動を開始。

77年アルバム「Player」でデビュー。
シングル「Baby Come Back」がいきなり全米チャート1位を記録する大ヒット。
また「This Time I'm in It for Love(今こそ愛の時)」も10位まで上昇し、アルバムも26位と好調なスタートとなる。

78年には2作目アルバム「Danger Zone」を発表。
このアルバムに自分が聴いた「Silver Lining」が収録されている。
ということは自分が聴いた時点ではまだデビューしてから2年くらいのキャリアだったんスね。
「Silver Lining」は62位というやや微妙な成績だが、別のシングル「Prisoner of Your Love(恋のプリズナー)」は27位を記録。

しかしバンドはこの後早くも内紛が発生。
中心メンバーだったピーター・ベケットが脱退し、3人で存続を試みたが、ジョン・チャールズ・クロウリーも脱退する。
その後ピーターが戻り、サポートメンバーを加えて80年に3作目アルバム「Room with a View」をリリースするが、セールスとしては全く振るわず、ロン・モスが脱退。

ベースのラスティー・ブキャナンが加入し、81年アルバム「Spies of Life」を発表。
シングル「If Looks Could Kill」「I'd Rather Be Gone」がそこそこヒットするが、アルバムチャートでは152位止まりに終わり、バンドは83年に解散。
メンバーはそれぞれミュージシャンや俳優業やカントリー歌手といった分野で活動を続ける。
なおピーターはプレイヤー解散後、リトル・リバー・バンドにも参加している。

83年いったん解散というのも初めて知ったが、80年以降FMでプレイヤーの曲を聴いたり録音したことが全くないので、解散以前に日本でのプロモーションもあまり力が入らなかったんだろう。
80年代にはもっと儲かるバンドが山のように湧いてたしなぁ。

その後プレイヤーは95年にめでたく再結成される。
この時のメンバーが意外に興味深いメンツ。
元メンバーのピーター・ベケットとロン・モスに加え、元カーズのエリオット・イーストン、元リトル・リバー・バンドのトニー・シュート、アンブロージアのバーリー・ドラモンドという顔ぶれ。
バーリーさんはアンブロージアをやめておらず、プレイヤーと掛け持ちだったそうです。
エリオット・イーストンは再結成プレイヤーに参加したのか・・知らなかった・・
95年頃だとカーズはもう解散していて、リック・オケイセックもプロデューサー業にシフトしてたはず。
カーズは東海岸のバンドだけど、どういう経緯でエリオットはプレイヤーに参加したのだろう?

再結成アルバム「Electric Shadow」は日本で先行発売され、翌96年には本国でも「Lost in Reality」というタイトルでリリースされた。
さらにメンバーチェンジと解散・再結成を繰り返しながら断続的に活動を続け、クリストファー・クロスやロビー・デュプリーらとともにツアーにも出かけ、2013年にアルバム「Too Many Reasons」も発表。
今後もピーター・ベケットとロン・モスがいる限りバンドとしてはやっていけるのだろう。

唯一聴いている「Silver Lining」だが、悪くない。
記念すべき1本目のテープに録音したのでそれなりに思い入れもあるが、程よくノリのいい明るく爽快なサウンドだ。
歌いだしの前に鳴ってくるギターも意外な感じでいいと思う。
なおエアチェックではエンディングがフェードアウトされており、長いことそういう終わり方だと思っていたが、ベスト盤で聴きなおしたらもっと壮大な映画のラストみたいなエンディングだったのでちょっと驚いた。
ちなみに「Silver Lining」は直訳だと「銀の裏地」だが、意味としては「希望の光」みたいな言葉らしい。
歌詞として「every cloud has a silver lining」という英語のことわざが使われており、「どんな雲にも銀の裏地がある=絶望の中にも必ず希望はある」ということだそうです。

しかし残念ながらそれ以外の曲を聴く機会がなく、毎週量産される産業ロックの波に飲まれていったので、プレイヤーについて興味を持つことすらなかった。
最初にして最大のヒット曲「Baby Come Back」を、後追いでもいいから80年代当時に聴いていれば、その後の展開も多少は違ったのではないかと思うが。(今さら)

あらためてベスト盤に頼らず聴いてみるとしたら、やはりデビューアルバムと2枚目の「Danger Zone」ははずせないでしょうね。
今日本でふつうに手に入るのかどうかわかりませんけど・・・
これ以外にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてない 第229回 ハノイ・ロックス

北欧フィンランドからムーミンとともにやってきた元祖ビジュアル系?バンド、ハノイ・ロックス。
全然聴いておらず、フィンランド出身というのも実は今回調べて初めて知った。
ハノイなんて地名が付いてるので、アジア系アメリカ人がいるのかと勝手に思っていたが、バンド名はクスリの愛称に由来するそうです。
別の候補としてこれもクスリの名前で「チャイニーズ・ロックス」というのもあったらしい。

そんな北欧薬学部バンド、ハノイ・ロックス。
82年の「Motorvatin'(炎のドライビン)」だけ柏村武昭の紹介で聴いており、聴いてない度は2。
以降「サンスイ・ベストリクエスト」でハノイ・ロックスをエアチェックできたことはなく、おそらく柏村武昭の趣味ではなかったと思われる。

エアチェックより前からミュージックライフには時々登場していたので、バンドとマイケル・モンローの名は知ってはいた。
「炎のドライビン」はハードロックではあるが金属的なサウンドではなく、キッスをもっと若い感じにしたガヤ系のノリの曲である。
悪くはないが特に好みというわけでもなく、前後に別の曲を合わせて録音したため消さずにいたという扱い。

ハノイ・ロックスを語る上で必ず登場するのがモトリー・クルーのヴィンス・ニールだ。
モトリーを採り上げた時に調べたので、彼らの因縁については少し知っている。
あらためてその因縁も含めたハノイ・ロックスの歴史をひもといてみよう。

バンドは1980年フィンランドの首都ヘルシンキで結成。
マイケル・モンローとアンディ・マッコイが中心メンバーだが、最初はマイケルとギターのナスティ・スーサイドがスウェーデンで5人組バンドを結成し、少しあとでアンディが加入してハノイ・ロックスとなったそうだ。

1981年にシングル「I Want You」でデビュー。
アルバムはなぜか「Bangkok Shocks, Saigon Shakes」というタイトルで、邦題は「白夜のバイオレンス」。
地元フィンランドやスウェーデンでヒットし人気はイギリスまで拡張。

1982年アルバム「Oriental Beat」がフィンランドで1位を記録する。
自分が聴いた「炎のドライビン」はこのアルバムに収録されており、日本での人気に火が着き始めた頃のようだ。
イギリスでの人気に連動するように日本でも評価が上昇し、83年に初来日を果たす。
翌84年にも来日し、東京・大阪・福岡でライブを行った。

しかしこの年にバンド最大の悲劇と危機が発生。
ライブの最中にステージ上で高いところから飛び降りたマイケル・モンローが、アンディと衝突。
マイケルは足を骨折し、その後もムリしてツアーを続けたためケガは悪化。
ツアーは終盤だったが、残り5公演をキャンセルして中止になった。

このアクシデントが結果的にさらなる悲劇につながっていく。
バンドはツアー中止を受けて休養とプロモーション活動に切り替える。
この期間にメンバーはモトリー・クルーの面々と出会い意気投合。
マイケル以外のメンバーは、モトリー・クルーのトミー・リーの家でパーティーに参加。

パーティーの途中ヴィンス・ニールは当時ハノイ・ロックスのドラマーだったラズルを誘い、酒を買いに車(パンテーラ)で出かける。
しかし泥酔状態のヴィンスが運転するパンテーラは暴走し、車線をはみ出し対向車と正面衝突。
対向車の運転手とラズルが死亡、その他の車も巻き添えになり運転手が重傷という大事故を引き起こした。
ヴィンス自身はほぼ無傷だったそうだ。

ラズル死亡により年内に予定されていたハノイのライブは全て中止となり、翌年正月のライブは追悼公演となった。
結局ラズルが死んだ時点でハノイのバンドとしての歴史はほぼ終わったものとなる。
ベースのサミ・ヤッファは追悼公演直後に脱退し、アンディとナスティはクスリや酒におぼれ、マイケル・モンローも脱退を告げ、バンドは解散した。
その後マイケルはアクセル・ローズと交流し、それぞれお互いのライブに出たりと比較的なごやかに音楽活動を続ける。

しかし。
この後マイケル・モンローはさらにつらい思いをすることになる。
ここで登場するのが元ビリー・アイドル・バンドのギタリスト、スティーブ・スティーブンス。
昔猪木と戦った空手家みたいな名前だが、そのウィリー・・じゃなかったスティーブとマイケル・モンローはエルサレム・スリムというバンドを結成。
だが意見の相違からか公式アルバムを出す前に二人は決裂しバンドは破綻。
直後にスティーブはマイケルにとっては因縁のクソ野郎であるヴィンス・ニールのソロアルバムに参加してしまう。

ヴィンス・ニールによって盟友ラズルを死に追いやられ、さらにはスティーブという得難い名ギタリストまで引き抜かれる・・という、マイケルにとってはありえへん展開。
スティーブを引き抜いたヴィンスには他意や悪意はなかったらしいが、マイケル自身もハノイのファンも、ヴィンス・ニールのことは今でも良く思っていないそうだ。
そりゃそうだろうなぁ。
ラズルの件についてはモトリー・クルーを聴いた時に調べて知ったのだが、さらにスティーブを巡る因縁まであったとは・・・
どこまでも気の毒なマイケル・モンロー。

ただしいずれにしても作品に罪はない。
ヴィンス・ニールの「Can't Change Me」をリアルタイムで聴いているが、ここで素晴らしいギターを弾いているのがスティーブ・スティーブンスだったんスね。
この曲を作ったのはダム・ヤンキーズのジャック・ブレイズとトミー・ショウ
なおヴィンス・ニールは例の事故の服役後はモトリーのメンバーとも和解して、バンドとしては最近までわりとマジメに活動はしていた一方、やっぱり暴行や飲酒運転で逮捕歴を順調に積み重ねてきたり、ニコラス・ケイジと殴り合ったり、相変わらずなクソぶりで世間をにぎわせているようです。

で、主役のマイケル・モンローだが、まだ悲劇は続く。
2001年に最初の妻と死別。
2002年にはハノイ・ロックスを再結成するが、この頃マイケルはバセドウ氏病にかかっていたと言われている。
新生ハノイ・ロックスは2007年までに3枚アルバムを発表し、ラウドパーク07出演のため来日もするが、2009年には解散を表明。
解散後はソロとして、また自身のバンド「マイケル・モンロー・バンド」を率いて活動している。
なんか苦労の多い人だ。
特に自ら転落していったということではなく、他人によってつらい目に合わされた、というところが泣かせる。
半生が映画化されたりしないだろうか。

というわけで、ハノイ・ロックス。
悲劇的な歴史ばかりについ注目してしまうが、音楽作品としては第1期・2期(と呼んでいいのか不明だけど)で分けて評価するのが一般的のようだ。
ビジュアルの印象から毒っぽいサウンドをイメージしそうだが、根底にはR&Bを保持しながら多様な音楽性も持ち合わせるという、思ったよりも深いバンドのようです。
聴くとしたらやはりまずは第1期作品からだろう。
個人的には「炎のドライビン」収録の「Oriental Beat」か、または1期最後の作品「Two Steps From The Move」に興味がややあるところですが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

| | コメント (6) | トラックバック (0)

聴いてない 第228回 スクリッティ・ポリッティ

日々FMから大量に流される産業ロックを片っ端からエアチェックしていた80年代。
それでも全てのアーチストや楽曲にふれることは当然不可能で、残念ながら個人的には置き去りにしてしまったものもたくさんある。
今回のスクリッティ・ポリッティもまさにそんな80年代置き去りバンドです。

スクリッティ・ポリッティ、聴いたことがあるのは「Lover To Fall」の1曲だけ。
これは「サンスイ・ベストリクエスト」ではなく「クロスオーバー・イレブン」から録音している。
「サンスイ・ベストリクエスト」でスクリッティ・ポリッティを録音できたことはない。
たぶん柏村武昭の趣味ではなかったのだろう。
なお同時に録音したのがエイス・ワンダーの「オープン・ユア・マインド」やスターシップ「シスコはロックシティ」である。

この1曲以外に一切の情報を持ち合わせておらず、FMステーションやミュージックライフ、またベストヒットUSAでも彼らの情報を得ることはなかった。
あまり日本ではヒットもせずチャートをにぎわせるような存在ではなかった・・という認識なのだが、合ってますかね?
1曲だけ聴いた範囲で言えばデジタル・テクノ・シンセといったワードがぼんやり思い浮かぶが、果たして正しいのかどうかもわからない。

そもそもバンドなのかピン芸人なのかもよく知らないので、スクリッティ・ポリッティについて生涯初の検索を実行。(毎度のこと)

スクリッティ・ポリッティは1977年にイギリスでグリーン・ガートサイドを中心として結成された音楽ユニット。
実質グリーンさんのワンマンバンドで、学生時代に結成した時からメジャーになってもこの形態は変わらないそうだ。
主なメンバーにはデビッド・ギャムソンとフレッド・メイハーという人がおり、最大では8人編成にもなった時期もあったらしい。

ユニット名はイタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシの言葉から採ったもので、「政治的著作・文書・書簡」といった意味になるらしい。
たぶん意味よりも音を重視して命名したと推測。
レイナード・スキナードとかアドリアン・アドニスとかいんぐりもんぐりなんかとノリは同じだろう。(適当)

しかしウィキペディアには「登場したばかりのYAMAHA DX7とゲートリバーブを全面的に楽曲制作に導入し、音響効果の徹底的な練り込みやシーケンサーを用いた緻密な音色の配置により、都会的なポップミュージックに洗練したキューピッド&サイケ'85を制作し、80年代の音楽シーンに大きな影響を与えた。」とある。
この時点で何を言っているのかド素人の自分には全然わからない。
「DX7」ってのはシンセサイザーだと思うが、「ゲートリバーブ」「練り込み」「シーケンサー」「緻密な音色の配置」ってひとつもわからない・・・
なんかいろいろすごいユニットみたいです。(雑)

82年「Songs To Remember」でデビュー。
84年にシングル「Wood Beez」「Absolute」「Hypnotize」を立て続けに発表。
これらは3部作と呼ばれ、いずれも12インチ盤もリリースされた。
翌85年には3部作やマイルス・デイビスのカバー「Perfect Way」を収録したアルバム「Cupid & Psyche 85」も大ヒット。
自分が聴いた「Lover To Fall」もこのアルバムにあった。

88年には3枚目のアルバム「Provision」をリリースしたが、以降作品発表は停滞し、10年ほど沈黙期間となる。
デジタル技術を駆使した打ち込みによる楽曲創作を続けていたため、スタジオ以外での音の再現ができずライブでの演奏はほとんどしてこなかった。
その後楽器演奏の工夫や音声技術の進歩などでようやくライブ活動ができるようになり、2006年にはデビュー24年後にやっと来日公演が実現。

最近はあまり活動しておらず、アルバムは通算5枚というポリス並みの実績。
2011年にはベスト盤が発表されている。

大まかにいうと、テクノやエレクトリックという技術志向でソウルやレゲエやポップスなど多角的にトライしていたユニットということになるようだ。(かえってよくわからない)
音楽シーンに多大な影響を与えたという称号はついてまわるようだが、日本でどのくらいセールス的に実績があったのかは不明。
チャートアクションもよくわからない。
玄人好みというところなのだろうか。

唯一聴いた「Lover To Fall」も、前後の曲とまとめて録音したので消さなかっただけというのが実情。
テンポのいい80年代のリズムとサウンドだが、特にいいとも悪いとも感じなかった。
どこか冒険アニメのエンディングテーマ曲みたいな雰囲気。
「クロスオーバー・イレブン」で録音したので、FMステーションには曲とアーチスト名が記載されていた。
なのでスクリッティ・ポリッティの名もこの時正確に知ることができたが、それ以上の興味はわかなかった。

というわけで、スクリッティ・ポリッティ。
「Cupid & Psyche 85」はレゲエやソウルやバラードなど多彩なサウンドのようで評価も高いので、聴くとしたらこのアルバムからになると思いますが、他におすすめのアルバムがあれば教えていただきたいと思います。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧