聴いてない 第296回 ジョージア・サテライツ

東日本一中身のない低レベルBLOG、さて今年最初の戯言でも書こうかと思ったところにジェフ・ベックの訃報。
でも今日はベックについては語りません。
まあ偉そうに宣言したところでこんな惰性BLOGなんて誰も見てないし、そもそも語れるほどベック聴いてないし。
ベックの未聴盤なんて山ほどあるので、書くならばやはり聴いてみたシリーズで行きたいと思います。

というわけで、20年目最初の聴いてないシリーズに見事選ばれたのはジョージア・サテライツ。
みなさんは覚えておられますでしょうか?
どうせ名前しか知らんやろとタカをくくっていたが、You Tubeで「Keep Your Hands to Yourself」のプロモ・ビデオを見て聴き覚えがあることが発覚。
偉くもなんともないが・・
聴いてない度はいちおう2となるが、エアチェックはできなかったので実質1である。

個人的につい混同しそうになるのがフーターズだ。
シングルに「Satellite」という曲があるので間違いそうになるが、両バンドには共通点も交流もないと思う。
しかたがないのでジョージア・サテライツについて正月早々ゆで卵の薄皮をはがす程度に薄ーく調査開始。
調べてみたら、結成当初からかなり苦労してきたバンドのようだ。

ジョージア・サテライツはその名のとおりジョージア州アトランタ出身のアメリカのサザン・ロックバンドである。
原型はベーシストのキース・クリストファーを中心としたキース・アンド・ザ・サテライツというバンド。
1980年にキースとダン・ベアード(G)、リック・リチャーズ(G)、デヴィッド・ミケルソン(D)はアトランタでキース・アンド・ザ・サテライツを結成。
地元のバーなどで演奏していたが、キースとデヴィッドが脱退。
ベースはデイヴ・ヒューイット、ドラマーはランディ・デレイに代わり、バンド名もジョージア・サテライツに変更した。

デビュー時の話はかなりドラマチックな展開。
バンドはアトランタで低迷し、メンバーは希望を失って84年夏頃に解散する。
だがイギリス人マネージャーのケヴィン・ジェニングスが、解散したはずのバンドのデモテープを小さなレコード会社に持ち込むことで事態が急変。
レコード会社はデモを気に入って85年にEPとしてリリースした。
これが意外に反応がよく、レコード会社側はバンドに再結成を促すことになった。

メンバーはそれぞれ別のバンドで活動していたが、ダン・ベアードがリック・リチャーズのいたヘル・ハウンズというバンドに加入することで、ヘル・ハウンズは新生ジョージア・サテライツとなった。
メンバーは以下のみなさんである。
・ダン・ベアード(V・G)
・リック・リチャーズ(V・G)
・リック・プライス(B)
・マウロ・マゼラン(D)

86年にデビューアルバム「Georgia Satellites」をリリースし、全米5位を記録。
シングル「Keep Your Hands to Yourself」はビルボードホット100で2位の大ヒットとなった。
ちなみにこの時1位を阻んだのがボン・ジョビの「Livin' on a Prayer」だったそうだ。
なおアルバムにはロッド・スチュワートのカバー「Every Picture Tells a Story」も収録されている。

このまま波に乗ると思われたジョージア・サテライツだが、以降の実績はかなり厳しいものとなった。
88年に映画「カクテル」の挿入歌として「Hippy Hippy Shake」のカバーを録音。
オリジナルはチャン・ロメオという歌手が59年に発表した曲で、スウィンギング・ブルー・ジーンズが64年にカバーして全英2位・全米24位を記録している。
映画「カクテル」は大ヒットしたのでジョージア・サテライツ版シングルも期待されたが、記録は45位。

この年には2枚目のアルバム「Open All Night」も発表。
スモール・フェイセズのイアン・マクレガンが参加し、リンゴ・スターが作ったビートルズの「Don't Pass Me By」のカバーもあったが、前作ほどの成功は収められず全米77位止まりに終わる。

バンドは再起を賭けて89年にアルバム「In the Land of Salvation and Sin」をリリース。
イアン・マクレガンが再び参加し、85年に作ったEPから「Six Years Gone」と「Crazy」を再録音して収録したが、商業的には失敗し全米130位という悲しい結果となった。
ダン・ベアードはソロに転向するためバンドを脱退。

93年にベスト盤「Let It Rock」が出て、黄金期メンバーで復活かと思いきや、ダン不在のままジョージア・サテライツは再結成。
メンバーはリック・リチャーズとリック・プライスに、ジェレミー・グラフ(G)。
その後ビリー・ピッツ(D)が加わり、96年にアルバム「Shaken Not Stirred」をリリースする。
これはオリジナル盤ではなく、初期の楽曲の再録音に、ビートルズの「Don't Pass Me By」「Rain」などカバーを含む8曲を追加した企画盤である。
90年以降現在まで新曲や新盤は出ておらず、最近のインタビューでもリック・リチャーズは「バンドが新譜をリリースする予定はない」と述べている。

なおリック・リチャーズは、元ガンズ・アンド・ローゼズのイジー・ストラドリンの11枚のアルバムに参加したり、元マネージャーであるケヴィン・ジェニングスとともにウェスタン・シズラーズというユニットで2013年に「For Ol' Times Sake」と題したアルバムを発表するなど、バンド外の活動にも積極的である。

ではジョージア・サテライツは解散したのかというとそうでもなく、一応活動は継続中。
2000年以降は基本的にアメリカ国内のライブが活動の中心のようだ。
単独のツアーもあるが、他のミュージシャンとのジョイントライブも多い。
アトランタ・リズム・セクション38スペシャルZZ TOPなど南部のバンドと、またREOスピードワゴンチープ・トリックなどと共にステージに上がっており、意外なところではエディ・マネーとも何度か共演している。

現在のメンバーはリック・リチャーズ、フレッド・マクニール(G)、ブルース・スミス(B)、トッド・ジョンストン(D)。
昨年3月には88年クリーブランドのナイトクラブでの演奏を録音した初のオフィシャルライブアルバム「Lightnin' In A Bottle」をリリースした。
自前のヒット曲に加え、ストーンズの「It's Only Rock n Roll」、ラモーンズの「I Wanna Be Sedated」などカバー曲も多数収録されている。

以上がジョージア・サテライツの意外に落差の激しい来歴である。
もう少し長く好成績を積み重ねてきたバンドなのかと思っていたが、チャートで上位を賑わせていたのは最初の頃だけだったようだ。
それでも30年以上新曲を出さずに昔の曲だけでライブを続けているので、昔からの根強いファンがアメリカ南部にはたくさんいる、ということなんだろう。

バンドを紹介してるサイトに共通して書いてあるのが「泥臭い」「古臭い」といった形容。
わかってるようでイマイチきちんと理解できていないけど、ストレートで野太くワイルドなサウンドやボーカルを指していると思われる。
ジョージア・サテライツが登場した80年代後半は、産業ロックとLAメタル全盛&グランジ前夜という微妙な時期で、その時代にオールドなロックを土埃っぽくガヤガヤ歌って演奏するというスタイルは、かえって新鮮だったんじゃないだろうか。
その後急激に失速したのも、グランジ台頭が大きく影響していたと思う。

大ヒット曲「Keep Your Hands to Yourself」は今も彼らのライブで聴けるはずだが、ヒット当時歌ってたダン・ベアードはもう長いこと不在のまま。
歌詞のあちこちで裏声を駆使するちょっと変わった歌い方なので、今のジョージア・サテライツではダン・ベアードが歌わなくてもファンは満足なんだろうか?

カバー曲「Every Picture Tells a Story」「Don't Pass Me By」もYou Tubeで聴いてみたが、元曲とはかなり雰囲気が異なり、彼らなりのワイルドな仕上がりになっている。
ビートルズの曲をカバーしたミュージシャンは世界中にいるが、200曲以上の中からリンゴの「Don't Pass Me By」を選んだセンスはいいと思う。
ただどちらも悪くはないけど、やはり元曲のほうがいいかなという感じ。

ということで、ジョージア・サテライツ。
スタジオ盤は4枚とのことですので、全盤制覇もそう難しくはないと思われますが、聴くならデビューアルバムだけでいいような気もします。(偉そう)
ただライブ盤「Lightnin' In A Bottle」も少しだけ興味があります。
全盤聴いてる方はおられますでしょうか?

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聴いてみた 第174回 スティクス その2

渋谷のレコファンが場所を変えて再オープンのニュースに驚愕したSYUNJIといいます。
渋谷レコファンと言えばあのぷく先輩との初対面の日にお連れした都内屈指の中古CDの名店である。
中古CD店なんて閉店はあっても開店はもう永久にないんじゃないかと思ってましたが、意外に早く渋谷レコファンは復活したようです。

というわけで今日聴いてみたのは渋谷レコファンではない店で購入したスティクス「Pieces of Eight」。
毎回どうでもいいマクラですいません・・

Pieces-of-eight

「Pieces of Eight」は78年9月1日にリリースされたスティクス8枚目のアルバム。
参加メンバーは前作同様以下のみなさんである。
・デニス・デ・ヤング
・ジェイムズ・ヤング
・チャック・パノッツォ
・ジョン・パノッツォ
・トミー・ショウ

トミー・ショウが加入して産業ロック(褒め言葉)転換後の3作目になる。
タイトルは「八角形のコイン」という意味で、邦題は「古代への追想」。
テーマとして「永遠の若さ・美しさは金では買えない」「お金や物質的な所有物を追求するために夢をあきらめない」という格言のようなことを表現している。
全米年間チャート7位を記録し、300万枚を売り上げた70年代スティクスの名盤である。

・・・などと毎度のことながら受け売りを並べているが、実はこのアルバムも聴いたかどうかよくわからないのだ。
ジャケットにも見覚えはあるし、80年代になってから貸しレコード屋で借りたような気もするんだが、テープは残っていないし曲名もあまり覚えていない。
イーグルス同様「聴いた気になっていた」記憶錯誤の問題作である可能性も高い・・・ということで、真相を確かめるべく鑑賞に赴いた次第。

ライブ盤やベスト盤で聴いている曲もあるので、それほど緊張は感じていない。
果たして自分はこのアルバムを聴いていたのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Great White Hope
オープニングは歓声とアナウンスに続いて始まる、ジェイムズが歌うノリのいいロック。
実際のライブ音源ではなく、「Sgt. Pepper's」のように臨場感を出すための演出と思われる。

2. I'm O.K.
デニスお得意の壮大でドラマチックな曲。
日本でのみシングルカットされたそうだが、聴いたことはなかった。
キーボードもギターもいかにもスティクスな音がする。
中盤のパイプオルガンもコーラスもやや大げさでオーバーな気もするが、このサウンド・世界観は好きである。
このパイプオルガンはシカゴ最古のセント・ジェームズ大聖堂で録音されたものだそうだ。

3. Sing for the Day(この一瞬のために)
トミーの作品。
歌詞にあるハンナという女性の名はトミーの娘ハンナにちなんで付けられたと思われていたが、トミーがこの曲を書いた時にはまだハンナは生まれておらず、ファンが勝手に誤解していたようだ。
これもイントロに流れるキーボードからしてがっつりスティクスの音。
トミーとデニスのコーラスでタイトルコールを繰り返し、メインはトミーが歌う。
やはりトミー・ショウはこういう明るい曲のほうがいい。

4. The Message
1分ほどの謎めいたインスト。
この後の曲とほぼつながっている。

5. Lords of the Ring(指輪物語)
再びデニスによる壮大で荘厳な楽曲。
タイトルの通り、J・R・R・トールキンによる小説「指輪物語」をモチーフにした曲。
映画になる前からスティクスはこんな曲を作ってたのね。
デニスが好きそうなメロディだが、メインボーカルはなぜかジェイムズ。
この曲ならデニスの声のほうがいいと思うが・・・

6. Blue Collar Man
この曲はベスト盤やライブ盤で聴いていた。
トミーの作品で全米チャートでは21位を記録している。
イントロの濁ったキーボードが印象的で、ライブでもこの音が流れると大歓声というお約束の曲。
でも歌詞の内容は当時の世相を反映した、無職の男の悲しい叫びという社会派な曲である。
ちなみにTOTOのスティーブ・ルカサーは、スティクスで一番好きな曲が「Blue Collar Man」だと発言している。

7. Queen of Spades(スペードの女王)
静かに始まりやがて激しく進むロック。
終盤にメタルっぽいギターソロもある。
「Blue Collar Man」のノリにも似ているが、デニスの作品。

8. Renegade(逃亡者)
これもベスト盤で聴いており、全米16位のヒット曲。
歌詞もメロディも明るくはないがトミーの自信作のようで、アメリカではフットボールチームのプロモーション映像などにも使用される人気の曲とのこと。

9. Pieces of Eight
静かに歌う部分と壮大な合唱が交互に繰り返される、モロにスティクスなタイトル曲。
盛り過ぎ感はあるが、これぞスティクスな名曲である。

10. Aku-Aku
ラストは3分弱のピアノ中心のおだやかなインスト。
タイトルはイースター島にまつわる伝説から来ているそうだ。


聴き終えた。
やはりこのアルバムは聴いていなかったようだ。
ただどの曲も自分が知っていたスティクスの音であり、想定通り楽しめた。
他のアルバムで時々現れるトミーの暗い曲も、このアルバムにはそれほどない。
前回聴いた「The Grand Illusion」よりもいいと感じた。
聴いていた「Blue Collar Man」「Renegade」よりも、初めて聴いた「I'm O.K.」「Sing for the Day」「Pieces of Eight」のほうが全然いい。
若い頃に聴いていたら、「Cornerstone」「Paradise Theater」と並んで愛聴盤になっていたはずである。

当時のスティクスを「ハード・プログレ」などと評する人が多いが、個人的にはこのアルバムにはあまりプログレの香りは感じなかった。
自分がプログレをよくわかっていないだけかもしれないが、少なくともサウンドはポップだし、変拍子や冗長組曲といった高嶋政宏好みのプログレな展開はない。
ハード・プログレってそういうのとは違うの?
この頃のスティクスはもう来たるべきチャラくてゴージャスな80年代に向けて大衆路線にシフトし始めていたのだと思う。
その経営戦略は「Cornerstone」「Paradise Theater」「Kilroy Was Here」で見事に成功を果たすことになるのだ。

スティクスは2010年に「The Grand Illusion」と「Pieces of Eight」を全曲収録順に忠実に演奏するというライブツアーを行い、この音源で2012年にライブアルバムも発表している。
なのでバンドとしても気に入っているアルバムなのだろう。

売り上げ実績は「Cornerstone」「Paradise Theater」の方が上だが、この2枚はデニス色が強すぎるあまり現メンバーは敬遠している・・ような気もする。
ジェイムズ&トミーとデニスは絶縁状態にあるからだ。
ローレンス・ガーワンが加入し、デニスがジェイムズ&トミーと決別してもう20年以上経っており、裁判でデニス側がスティクスを名乗れないことも確定したため、スティクスにデニスが復帰することももうないと思われる。

ジャケットはヒプノシスによるモアイ像のピアスを付けた中年の女性の顔。
加齢により変化する人間と、長い時間不変のモアイという対比で、アルバムのテーマを表現してるそうだが、どこか化粧品のポスターっぽくもあり、あまりよくわからない。
ただ初期のプログレやってました期のジャケットよりも、この頃のほうがアートとして高い水準にはあると思う。
なおデニスはリリース当時このジャケットは気に入らなかったらしいが、歳を重ねるごとに好きになっていったそうだ。

というわけで、「Pieces of Eight」。
かなりよかったです。
もっと早く聴いていれば・・と後悔させるに十分なアルバムでした。
次回は「Crystal Ball」を聴いてみようと思います。

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聴いてない 第295回 ブラック・クロウズ

1曲も聴いておらず名前しか知らないバンドは山ほどあるが、このバンドはメンバーじゃない人によって名前を知ったという珍しいケース。
・・・どうでもいい話で、どっちにしろ聴いてませんけど。
ブラック・クロウズである。

もうおわかりだと思うが、「メンバーじゃない人」とはジミー・ペイジだ。
ブラック・クロウズは1999年10月にジミー・ペイジとロサンゼルスなどで共演し、レッド・ツェッペリンの曲と古いブルースやロックのスタンダード曲でライブを行った。
このライブの模様は、翌年「Live at the Greek」のタイトルで2枚組アルバムとして発売されている。
この時のニュースでブラック・クロウズの名前を知った次第。

なので「ペイジと共演した人たち」という情報以外は何も知らない。
ライブ盤も聴いておらず、収録されてるのがほとんどツェッペリンの曲だということも知らなかった。

あらためてブラック・クロウズについてペイジ関連以外の情報を調べてみた。
ブラック・クロウズは、1984年にジョージア州アトランタで結成されたアメリカのロックバンド。
・・・そうなの?
ペイジと共演したからイギリスの人たちかと思ってました・・(適当)

初めはミスター・クロウズ・ガーデンというバンド名だった。
ボーカルの兄クリス・ロビンソンとギターの弟リッチ・ロビンソンの兄弟が高校在学中に結成。
ジェフ・シーズ(G)とジョニー・コルト(B)、少し後でスティーブ・ゴーマン(D)が加わり、89年にブラック・クロウズと改名した。

90年にデビューアルバム「Shake Your Money Maker」をリリース。
シングル「Hard to Handle」(オーティス・レディングのカバー)や「She Talks to Angels」「Jealous Again」「Twice As Hard」「Sister Luck」「Seeing Things」がヒットし、アルバムはマルチプラチナムを獲得。
最終的に500万枚以上のセールスを記録した。
バンドは91年5月からツアーを開始。
その後ヨーロッパでモンスターズ・オブ・ロックツアーに参加し、メタリカAC/DCモトリー・クルークイーンズライクの前座を務めた。

しかし早くもメンバーチェンジが発生。
ギタリストのジェフ・シーズが脱退し、マーク・フォードに交代。
92年にセカンドアルバム「The Southern Harmony and Musical Companion」を発表した。
前作を超えるヒットとなり、全米1位を獲得。
なおこのアルバムではボブ・マーリーの「Time Will Tell」をカバー。

キーボード担当のエディ・ハーシュが正式加入し、6人編成となったバンドは94年に問題作「Amorica」をリリース。
アメリカ国旗のTバックを履いた女性の股間の写真ジャケットで話題となった。
このジャケットがCDショップにたくさん並んでいた記憶があります(こういうのは覚えてる)が、あれブラック・クロウズのアルバムだったんスね。
あんなジャケットのため取り扱わない店もあり、黒ベタ背景で国旗をかたどった三角形だけが見える別バージョンも同時リリースされたそうです。
実績としては前作には及ばず全米11位。

96年7月に4作目「Three Snakes and One Charm」を発表。
全曲オリジナルで全米15位まで上昇したものの、その後マーク・フォードは解雇され、ベーシストのジョニー・コルトも脱退。
いったんバンドは停滞する。

3年ほど経過した後、スティーブ・ゴーマンの友人であるスヴェン・パイピーンが参加し、ブラック・クロウズは再結成する。
99年にコロムビア・レコードに移籍しアルバム「By Your Side」を制作。
議論を巻き起こすようなそれまでのジャケットから一転して、白い衣装に身を包んだメンバー写真というジャニーズの宣材みたいなジャケットになったが、成績は全米26位止まりとやや後退。

しかしここからは予想外の展開(だと思う)。
冒頭で紹介したとおり、99年10月にバンドはジミー・ペイジを迎え、ニューヨークとロサンゼルス、マサチューセッツ州ウースターのセントラムセンターでライブを実施。
その後ライブ盤「Live at the Greek」としてリリースされた。

これ、どっちからのアプローチで実現したんですかね?
ブラック・クロウズ側からあこがれのペイジ様との共演を熱望したんやろ?・・・と勝手に想像してたんだけど、その後のクリス・ロビンソンのインタビューを見ると、そうでもなかったようだ。
クリスは「実はそれほど楽しくなかった」と不満を漏らしており、「ジミーは驚異的なギタリストだけど、僕にはただの仕事だった。ロバート・プラントの歌詞や歌はあまり好きではないので、少し退屈だった」と発言している。

ということは、ブラック・クロウズとしてはホンマはあんましやりたくなかったんやけど事務所やレコード会社からの圧力でペイジに忖度しながら仕方なく歌って演奏してやった・・のか?
それはそれで面白そうな話ですけど。
ちなみにレコード会社との契約上の問題から、このライブ盤にはブラック・クロウズの自作曲(演奏にはペイジも参加した)は収録されていないそうだ。
また2000年にはペイジと共に来日する予定だったが、ペイジの体調不良を理由に(本当か?)キャンセルとなっている。

その後の展開はやはりロックバンドあるあるな状態。
2000年にはスヴェン・パイピーンが解雇され、オードリー・フリードが加入する。
翌2001年アルバム「Lions」を発表し、ツアーで4度目の来日も果たす。
しかし2002年1月にスティーブ・ゴーマンが脱退し、バンドは活動休止を発表した。

2005年にはロビンソン兄弟とエディ・ハーシュで案外早く再結成を宣言。
マーク・フォードとスヴェン・パイピーンも合流し、さらにスティーブ・ゴーマンはツアーの途中にアトランタ公演でバンドに復帰した。
このツアーでの音源がライブ盤アルバム「Freak 'n' Roll...Into the Fog」として2006年に発表された。

元のなかよしメンバーでブラック・クロウズもようやく安泰・・・なあんてことはやっぱりなく、メンバーチェンジが激化。
2006年にマーク・フォードとエディ・ハーシュが脱退し、ポール・ステイシー(オアシスのサポートメンバー)とロブ・クロアーズが加入。
しかしこの二人も長続きせず、2007年に二人ともやっぱり脱退。
代わってアダム・マクドーガルとルーサー・ディッキンソンが加入した。

2008年アルバム「Warpaint」をリリースするが、脱退したポール・ステイシーはプロデューサーとして参加している。
ポールの尽力もありアルバムは全米5位を記録した。
メンバーもこのアルバムは気に入ったようで、翌2009年には「Warpaint Live」と題した2枚組のライブ盤をリリースしている。
1枚目はアルバム「Warpaint」を全曲演奏、2枚目は過去のヒット曲とカバー(クラプトンの「Don't Know Why」やストーンズ「Torn and Frayed」など)という構成。

2010年8月全曲アコースティックの2枚組アルバム「Croweology」を発売。
2012年にルーサー・ディッキンソンが脱退し、代わりにジャッキー・グリーンがギターとバック・ボーカル担当として加入した。

そして2015年にロビンソン兄弟の不和というオアシスっぽいバンド最大の危機が訪れる。
兄弟はバンドの権利関係を巡って対立し、リッチ・ロビンソンはバンドの解散を発表した。
その後数年間ロビンソン兄弟は話し合いも行わず、それぞれ元メンバーを従えて活動。
弟リッチはマーク・フォードとスヴェン・パイピーンと共にザ・マグピー・サルートというバンドを結成した。
兄クリスもオードリー・フリードとアダム・マクドゥーガル、アンディ・ヘスを伴って「アズ・ザ・クロウ・ファイル」を結成。
兄弟それぞれが元メンバー従えてブラック・クロウズの曲を演奏するバンドを作った、ということは、平たく言うと分裂・・でいいと思うけど。

そんな分裂兄弟が和解したのは2019年末のことだった。
クリスとリッチは「Shake Your Money Maker」発売30周年記念ツアー計画を発表。
ツアーには兄弟以外の元バンドメンバーは参加しない予定だったが、コロナ禍で延期となり、2021年再調整されたツアー日程とスヴェン・パイピーンが復帰することを明らかにした。
現在のブラック・クロウズも、ロビンソン兄弟とスヴェンの3人で構成されている。

今年の5月、ブラック・クロウズは再結成以来初めて新たに録音した音源として、1972年発表の名曲から、ストーンズの「Rocks Off」やデビッド・ボウイの「Moonage Daydream」、リトル・フィートの「Easy To Slip」など6曲のカバーEP「1972」をAmazon Music限定でデジタル・リリースしている。

以上がブラック・クロウズの混沌と分裂の軌跡である。
大雑把かつ適当に言うと、こんな感じだろうか。
初期:70年代色を帯びた野郎サザンロック期
中期:ポップ路線に転換&ペイジとも共演したよ期
後期:混沌と兄弟ゲンカ勃発で解散したよ期
以降:再結成を繰り返してる期

当たり前だけどペイジとの共演は彼らの活動のごく一部で、本業はメンバーチェンジの激しいロックバンドだった。
けっこうカバーが好きだということも初めて知った。
カバー好きな兄弟バンドという点ではヴァン・ヘイレンにも似ている気がする。

ブラック・クロウズの曲をいくつかYou Tubeで聴いてみたが、それほど尖った音ではなく案外聴きやすいと感じた。
初期は70年代風と言われるそうだが、なんとなくわかる気もする。
プロモ・ビデオも全然凝ってなくて、あまりお金のかかってなさそうな演奏風景やライブステージの映像のまんま。
「Jealous Again」「Hard To Handle」「Remedy」などは映像まで70年代調で、マイケル・ジャクソンデュランを通ってきた90年代のプロモ・ビデオとは思えない。
その点ではジャーニーに似ていると思う。

ペイジとの共演映像も見たが、クリス・ロビンソンはツェッペリンの曲をかなり誠実かつ器用に歌いこなしている。
さすがにツェッペリン前期のロバート・プラントほどの切れ味はないが、ここまで歌える人だったらペイジも共演したくなって当然のように思う。

というわけで、ブラック・クロウズ。
ここまで調べておきながら、正直なところペイジ共演ライブ盤「Live at the Greek」にしか興味がわいておりませんが、本業のオリジナルアルバムでおすすめがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第294回 ブルーノ・マーズ

今回は珍しく現役の若きミュージシャンを採り上げてみます。
先日来日公演も行われ、日本のナウいヤングにも大人気のブルーノ・マーズ。
名前をいつ知ったのかも不明だが、初めはどこかのオシャレなライブハウスの名前かと思ってました・・・
曲も全く聴いていない・・・と思ってたが、「Just the Way You Are」はどこかで聴いたことがあった。
もちろんビリー・ジョエルの名曲とは別の曲である。
調べたら「カネボウ・コフレドール」や「三井のリハウス」のCMで使われたそうです。
いずれにしろ能動的鑑賞はしたことがなく、聴いてない度は実質1。

ブルーノ・マーズはアメリカのミュージシャンだが、ジャンルはとても幅広く、ロックやポップス、R&B、ファンク、ソウル、レゲエ、ディスコなど、枠にとらわれずに表現する歌手。
歌うだけでなくギターやベース、ピアノにキーボード、ドラムなど様々な楽器を演奏し、また他のアーチストのプロデュースや、ミュージックビデオの監督まで手がける多彩な人物である。
・・・という基礎情報もさっき調べて知りました。
なんか有能な人なんだろうなということはうっすら感じていたが、調べたら想像以上にスゴイ経歴と実績の持ち主だった。

なぜ突然ブルーノ・マーズを採り上げようと思ったのか。
それはカナさんのBLOGに「彼の芸名が、ブルーノ・サンマルチノに似ているから」と書いてあったからだ。(そこかよ)
・・・まあブルーノを聴いてるヤングにはサンマルチノなんて誰それ?という感じでしょうね。
人間発電所の異名で馬場と幾多の名勝負を繰り広げ、スタン・ハンセンが首を折ったことで出世のきっかけにもなったプロレスラーである。(←説明がウザい中高年)
そんなわけで動機はデタラメだけど、とりあえず若いヒトたちの話題に遅れまいと必死でかき集めたブルーノ・マーズの情報は以下です。

ブルーノ・マーズは世界中で1億3千万枚以上のレコードを売り上げ、史上最も売れたミュージシャンの一人。
8曲がビルボードホット100で1位を獲得し、グラミー賞15回(うち年間最優秀レコード賞が3回)、ブリット・アワード4回、アメリカン・ミュージック・アワード11回、ソウル・トレイン・アワード13回など、数々の栄冠を手にしている。

本名はピーター・ジーン・ヘルナンデス。
1985年10月8日ハワイ州ホノルルに生まれた。
父親はニューヨーク出身でプエルトリコ人と東欧系(ウクライナとハンガリー)ユダヤ人のハーフ、母親はフィリピン出身でフィリピン人とスペイン人の血を引く。
ピーター少年は幼少の頃、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノに似ていることから父親からブルーノとあだ名を付けられ、これを後に芸名に採用。
ブラッシーとかフリッツ・フォン・エリックに似てたら芸名に使ったんだろうか。(うるさいよ)

芸歴は非常に長く、4歳で早くも映画に出演。
92年の二コラス・ケイジやサラ・ジェシカ・パーカー出演の「ハネムーン・イン・ヴェガス」で「リトル・エルヴィス」を演じている。
地元ハワイでは子役ブルーノ・ヘルナンデスとして、プレスリーやマイケル・ジャクソンのモノマネをしていた。
またジミ・ヘンドリックスに影響を受けてギターを弾くようになり、小学生の頃には家族のバンドで一晩に2回ステージに立ったり、雑誌の表紙に載ったりしていたそうだ。

2003年ロサンゼルスに住む姉に呼び寄せられて音楽活動をするためにロスに移住。
しかしヘルナンデスという名字はいかにもヒスパニックの人名ということで、最初に所属したレコード会社からは「スペイン語で歌え・ラテン音楽をやれ」と言われたそうだ。
ブルーノはラテン音楽をやるつもりはなく、レコード会社の指示も断ってしまった。
この時芸名をブルーノ・マーズに変えようと決心。

後のインタビューでは周囲の女性からその才能を「この世の人とは思えない」と高く評価され、じゃあいっそ火星からやって来たってことにしたろかと思ってマーズを名乗るようになった、と答えている。
しかし真の理由は、レコード会社や事務所がブルーノ・ヘルナンデスを名前だけでラテンの人と扱うステレオタイプな発想がイヤだった、ということでもあった。

ブルーノ・マーズの音楽活動は最初から順調だったわけではないようだ。
2004年にモータウン・レコードと契約を結んだが、1年足らずで解除されている。
今頃モータウンの担当者は上司からメチャクチャ怒られてるんじゃないだろうか・・・

しかしブルーノはその後もロサンゼルスに残り、2005年にレコードプロデューサーであるスティーブ・リンジーと出会う。
ブルーノはリンジーの元で5年ほど他のアーチストにヒット曲を書いてプロデュースする活動を続けた。
なのでブルーノ・マーズのロサンゼルスでの音楽活動は、歌手ではなく裏方から始まっているようだ。
やがてブルーノは音楽プロデューサーとして認められ、アレクサンドラ・バーク、アダム・レヴィーン(マルーン5のボーカル)、ブランディ、ショーン・キングストン、フロー・ライダーなどのために曲を書いた。

2009年にはイギリスの女性3人組シュガーベイブスのヒット曲「Get Sexy」を6人共同で書き、2010年のアルバム「Sweet 7」ではバックボーカルを担当した。
またアジア系ヒップホップユニットのファー・イースト・ムーブメントのアルバム「Animal」、ラッパーB.o.Bの「Nothin’ On You」にもシンガーとして参加。
この頃から歌手としての活躍が増えていくことになる。

ブルーノ・マーズのソロシンガーとしてのスタートは非常に華々しいものだった。
2010年にソロとしてのデビューアルバム「Doo-Wops & Hooligans」を発表。
全米3位を記録し、イギリスやカナダやオランダなどでは1位を獲得。
シングル「Just the Way You Are」「Grenade」は全米で4週連続1位となり、「The Lazy Song」も4位とヒットを連発した。
翌2011年のグラミー賞で、ブルーノ・マーズは「Just the Way You Are」でグラミー賞の最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を初めて受賞した。
ちなみにその次の2012年のグラミー賞では、ノミネートされた6部門すべてをアデルに奪われている。

2012年末には2枚目のアルバム「Unorthodox Jukebox」をリリース。
制作前のインタビューでは「より音楽的に変化に富んだものになる」「今日はヒップホップ、R&B、ソウル、ロックのレコードを作りたいと言える自由と贅沢を手に入れたい」と宣言。
内容は宣言どおりバラエティに富んだ傑作となり、全米やオーストラリア、カナダ、イギリスでも1位にチャートインし、世界中で600万枚以上売れた。
さらにシングル「Locked out of Heaven」「When I Was Your Man(君がいたあの頃に)」「Treasure」も1位を獲得。
プレスリーを除けば、ブルーノ・マーズほど早く5枚のナンバーワンシングルを達成した男性アーティストはいないという記録を打ち立てた。

若きスターの快進撃は続く。(表現が昭和)
2014年2月に行われたスーパーボウルのハーフタイムショウで、ブルーノはレッド・ホット・チリ・ペッパーズをスペシャルゲストに迎え、ヘッドライナーとして歌と演奏を披露。
スーパーボウルのハーフタイムショウで30歳以下のパフォーマーがヘッドライナーを務めたの10年ぶりのことだったそうだ。
しかもハーフタイムショウの視聴率は、試合の視聴率よりも高かったらしい。

2014年のグラミー賞で、ブルーノ・マーズの「Unorthodox Jukebox」が最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞を受賞。
「Locked Out of Heaven」は年間レコード・ソング賞に、また「When I Was Your Man」は最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞にノミネートされた。

2014年11月10日、イギリスのミュージシャンでプロデューサーでもあるマーク・ロンソンとのコラボで「Uptown Funk」をリリースした。
この曲は全米では14週、全英で7週1位となり、またオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでも1位を記録。
トータルの売り上げは2000万枚を突破している。

2016年2月にコールドプレイがスーパーボウルのハーフタイム・ショウでヘッドライナーを務め、ゲスト・アクトとしてブルーノ・マーズとビヨンセが出演。
ブルーノは二度目のハーフタイム・ショウでの登場となった。

2016年11月に発売行されたアルバム「24K Magic」は、アメリカの他カナダやフランス、ニュージーランドで初登場2位となり、世界中で売り上げ500万枚を突破。
シングル「That's What I Like」と、ラッパーのカーディ・Bをフィーチャーした「Finesse」はビルボードのR&B/Hip-Hopで1位を獲得した。
2018年のグラミー賞では、「24K Magic」でアルバム・オブ・ザ・イヤーおよびベストR&Bアルバム、タイトル曲でレコード・オブ・ザ・イヤーなどノミネートされた6部門全て受賞。

最近のブルーノはコラボや映画など多方面で活躍。
2018年にシックのアルバム「It's About Time」に参加したり、昨年はラッパーのアンダーソン・パックとシルクソニックというバンド名でアルバム「An Evening with Silk Sonic」を発表している。
また2年前にはディズニーと提携して自身が主演・製作・楽曲提供を担当する長編映画を製作すると発表された。(まだ公開はされていないらしい)

以上がブルーノ・マーズ栄光の歴史絵巻である。
知ってた話は今回も全くない。
こんなにすごい人だったのね・・・
本国と日本では人気や知名度に大幅な乖離がある、というパターンではなく、日本でも人気が非常に高い人でした。(自分がよく知らないだけだった)
日本の芸能人にもブルーノのファンはたくさんおり、特に女性からの人気が高いようだ。
観月ありさや倖田來未、水樹奈々、日向坂46の佐々木久美と影山優佳などが、先日行われた日本公演の鑑賞報告をSNSなどで発信しているとのこと。

ブルーノ・マーズのヒット曲をいくつかYou Tubeで聴いてみたが、楽曲はバラエティに富んではいるが、どの曲も聴きやすい。
各ジャンルの先人が築いてきた王道なサウンドを比較的誠実に表現しているように感じた。
どういう音楽が売れるかをよくわかっている、という印象。
この人はたぶんメタルやプログレには当分手を出さない気がする。
(やってたらすいません)

というわけで、ブルーノ・マーズ。
公式スタジオ盤としては3枚なのでさっさと全部聴けよということでしょうけど、中でもこれが一番というアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第173回 フリートウッド・マック その2

フリートウッド・マック学習講座2限目、今回はボブ・ウェルチ期の「Bare Trees(枯木)」を聴いてみました。

前回「噂」を聴いてから9年(!)も経過しており、マック学習は完全に手遅れ状態。
しかも次回は「ファンタスティック・マック」「Tusk」「Mirage」のどれかを聴いてみようかなどとほざいておきながら、突然ウェルチ期作品に手を出すという計画性も脈絡もない発作的鑑賞。
でも名盤とのことなので開き直って聴いてみることにした。

Baretrees

「Bare Trees」は72年発表で、フリートウッド・マックのアルバムとしては6枚目。
ウェルチ期としては2作目となる。
ピーター・グリーン中心のブルースロックバンドだったマックは、ピーターが脱退した後ダニー・カーワンとボブ・ウェルチ、クリスティン・マクビーによりポップ路線に転換。
それぞれの才能が開花し、変革が成功したことを証明する名盤がこの「Bare Trees」とのこと。
しかしダニー・カーワンは後輩芸人ボブの才能にプレッシャーを感じてアルコールに依存していき、アメリカツアーで楽屋流血ステージ拒否事件を起こしてバンドをクビになる。
なのでこの「Bare Trees」はダニー在籍の最後のアルバムでもある。

ウェルチ期ではあるが、ダニーやクリスティンの仕事も聴きどころのはずだ。
3人の個性は楽曲やサウンドにどのように反映されているのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Child of Mine
ノリのいいロックナンバーでスタート。
ダニーの作品でボーカルもダニー。
曲調はロックだが、ダニーはわりと軽やかに歌う。
ベースやキーボードがかなり主張している。
ギターの音がなんとなく曇って聞こえる。

2. The Ghost
ボブ・ウェルチの曲で、やや哀愁を帯びたサウンド。
バックで流れ続けるフルートのような音が、間奏で左右に動くという演出?がある。
必要なのか?とも思うが・・

3. Homeward Bound
再びテンポのいい曲で、クリスティンがボーカル。
やはり声が若い。
ギターやキーボード、ドラムなど各楽器の一体感はさすがにマックである。
クリスティンが飛行機やツアーを嫌っていることを暗示しているとのこと。

4. Sunny Side of Heaven
ギター中心の美しいメロディなインスト。
ここでインストとは意外な気がするが、温かみのあるサウンドが印象的。
これならクリスティンのボーカルがあってもよかったと思う。

5. Bare Trees(枯木)
タイトル曲がここで登場するが、枯木を思わせる音ではなく、ちょっと変わった曲。
楽しそうなリズムにギターが乗るが、いまいちつかみどころがない・・
枯木が寂しい冬に恋人と別れた孤独・・を歌っているらしい・・のだが、やはりメロディとは合ってない気がする。

6. Sentimental Lady(悲しい女)
ボブ・ウェルチの作で、後にボブはソロとして再録しヒットさせている。
おだやかな調べで、確かにヒットしそうないい曲である。
ボブが最初の妻ナンシーを思い浮かべて書いた曲だそうだが、内容は「悲しい女」というより「悲しいボブ」だと思うけど。

7. Danny's Chant(ダニーの歌)
突然始まるイントロのノイジーなメタルっぽいギターがやや騒々しい。
セッションのようで唐突な感じ。
まともな歌詞もなく、当時の邦題がかなり適当だとわかる。
というか、こんな邦題いる?

8. Spare Me a Little of Your Love(あなたの愛を)
一転クリスティンの安心するボーカル。
やはりマックにはこの人の声が不可欠だと思う。
どこかイーグルスを思わせるようなメロディだが、ギターのゆがみが少しやり過ぎに聞こえる。

9. Dust(土埃)
これもボーカルとコーラスの組み合わせがイーグルスっぽい。
ダニーの作品で地味だが味わいのある曲。

10. Thoughts on a Grey Day(灰色の日に)
ラストになぜか歌ではなく詩の朗読。
神様をたたえる内容とのことだが、読んでいるのはメンバーが共同生活していた家の近くに住んでいたスカーロットというおばあさんだそうだ。
「With trees so bare, so bare」という一節があるので、アルバムのタイトルとも何か関連してるようだが、よくわからない。
どういう意図で朗読を入れたのだろう・・?

聴き終えた。
バラエティに富んだ構成だが、全体のイメージとしては、その後のリンジーとスティービー加入後のマックよりも一回り小さくまとまった印象である。
あの尖った二人がいないので当然でもあるが、突出した強力なナンバーもない代わりに、トータルでは拒絶感もあまりなく、聴きやすい音楽ではあった。
後のマックに通じる一体感や音の豊かさは、こんな自分にも十分伝わるものがある。

好みとしては「Homeward Bound」「Sentimental Lady」「Spare Me a Little of Your Love」がいいと感じた。
自分はマックの中にクリスティンの安心する声を求める傾向があるようだ。
一方で「Danny's Chant」「Thoughts on a Grey Day」は違和感というか異物感のような感覚がある。
末期ビートルズのような仕込みにも思えるが、全体のバランスを考えたら不要だったのではないかと思う。

ボブ・ウェルチはそれまでのブルースバンドだったマックをポップでおしゃれなグループに変革した立役者だが、このアルバムでは半分がダニー・カーワンの作品で占められており、バンド内のパワーバランスは微妙で絶妙というところだろうか。
いずれにしろウェルチ期の隠れた名盤という評価はその通りだと思う。

ジャケットはジョン・マクビーによるタイトルそのものの枯木の幻想的な写真。(絵?)
マックのジャケットはアルバムごとにホントにバラバラで、リアル宮殿からりぼんのふろくみたいなイラストまで様々だが、このジャケットはいいと思う。

というわけで、「Bare Trees」。
さすがに黄金期のゴージャス感はないものの、悪くはなかったです。
その黄金期の宿題「ファンタスティック・マック」「Tusk」「Mirage」の学習が優先なのはもちろんですが、機会があればウェルチ期の他のアルバムも聴いてみようと思います。

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聴いてない 第293回 G・ラヴ&スペシャル・ソース

聴いてないアーチストを19年近く量産し続ける珍奇絶滅危惧種BLOGのSYUNJIといいます。
今日のお題はG・ラヴ&スペシャル・ソース。
聴いてなくて当然ですが、「そもそもお前よう知らんやろ」的な題材。(毎度のこと)

G・ラヴ&スペシャル・ソース、確かにご指摘のとおりよく知らないんだけど、1曲だけ聴いているという貴重なパターン。
95年の「Kiss And Tell」という曲だけ録音している。
90年代半ばだったので、柏村武昭の指導からは卒業しており、FMエアチェックではない。
映像は全然記憶にないが、MTVの音声をテープに録った・・ような気がする。
以来この1曲だけ繰り返し聴いてきたはずだが、特に気に入った感覚はなく、アルバム鑑賞や周辺情報調査や人物考察に発展はしなかった。

G・ラヴという人がスペシャルなソースを集めて作ったバンドなんやろということくらいは想像がつくが、G・ラヴが何者なのか、スペシャルなソースは何人組なのか、日本での人気はいかほどなのか見当もつかない。
あらためてG・ラヴ&スペシャル・ソースについて捜査開始。

G・ラヴ&スペシャル・ソースはフィラデルフィア出身のオルタナティブ・ヒップホップバンド。
えっそうなの?
アメリカの人たちだとは思ってたけど、ヒップホップな音楽という認識はなかった・・
やはり1曲だけだとなんにもわからない。
デビュー当時は「ヒップホップを通過したブルースバンド」と紹介されていたらしい。
もう少し詳しく言うと、ブルースやヒップホップ、ロックやソウルを包含する、ユニークで気だるくレイドバックしたサウンドで知られている、とのこと。
さらにオーガニック系サーフロックというくくりに入れられることもあり、これはファンの間でも意見が分かれるそうだ。
やはりあまりよくわかりませんけど・・・

G・ラヴことギャレット・ダットン3世は1972年10月3日にフィラデルフィアに生まれた。
ギャレット少年は8歳でギターを弾き始め、ハイスクール時代には早くも作曲を始める。
ボブ・ディランやジョン・ハモンド・ジュニア、ランDMC、ビースティ・ボーイズなどに影響を受けたと述べている。

ギャレットはフィラデルフィアでストリート・ミュージシャンとして活動を始めた。
カレッジには1年通うが中退してボストンに移り住む。
ボストンのバーでG・ラヴと名乗って演奏していた時に、ドラマーのジェフリー・クレメンスと出会う。
その後ベースのジム・プレスコットが加わり、G・ラヴ&スペシャル・ソースを結成。

1994年、彼らはセルフタイトルのデビューアルバムをリリース。
シングル「Cold Beverage」がMTVで繰り返しオンエアされ、アルバムは「期待の新人チャート」とも称されるヒートシーカーズ・アルバムチャートで32位まで上昇した。

95年にセカンドアルバム「Coast to Coast Motel」を発表。
自分が聴いた「Kiss And Tell」も収録されている。
ヒップホップ色を抑え、南部寄りのサウンドにシフトし、多くの評論家からは高い評価を受けたが、前作ほどには売れなかった。

この後のツアーでグループ内に意見の相違が勃発。
一時は解散寸前までなりながらもなんとか調整し、97年10月には3作目の「Yeah, It's That Easy」をリリースした。
このアルバムには、オール・フェラズ・バンドやフィリー・カルテルなど、他のバンドやミュージシャンとコラボした曲もあり、ブルース界の重鎮ドクター・ジョンがキーボードで参加している。

99年のアルバム「Philadelphonic」では、当時まだ無名だったジャック・ジョンソンが作った「Rodeo Clowns」を本人とともに演奏。
G・ラヴは映像カメラマンのスコット・ソーエンズの紹介でジャックと出会い、スコットの強い推薦曲「Rodeo Clowns」を聴いてジャックの音楽的才能を見抜く。
その後G・ラヴはジャックをスタジオに招き、「Rodeo Clowns」を一緒にレコーディングした。

このG・ラヴ版「Rodeo Clowns」がジャックがインディーズレーベルからCDデビューするきっかけとなり、さらにデビューアルバムがメジャーレーベルのユニバーサルより再リリースされ、全米で大ヒットを記録するという、映画のような展開となったそうだ。
もしG・ラヴがいなかったら、ジャック・ジョンソンもスターになってたかどうかわからないという、アメリカンドリームなお話である。

2001年には、ヒップホップやファンク、ブルースやソウルを意欲的に取り入れたアルバム「Electric Mile」をリリース。

ところが2004年のアルバム「The Hustle」は位置づけがよくわからない。
このアルバムからはジャック・ジョンソンの設立したブラッシュファイアレコードに移籍。
名義はG・ラヴとなっているが、ジェフリー・クレメンスとジム・プレスコットもメンバーとして参加している。
英語版ウィキペディアではソロアルバムとなっているが、日本のファンサイトでは「バンド名をG・ラヴに変更した」と書かれていたりする。
この時点では解散してなかったらしいけど、バンド内には軋轢や混乱が生じたようだ。

2006年の「Lemonade」はG・ラヴ名義、2008年「Superhero Brother」は再びG・ラヴ&スペシャル・ソースとしてのリリースとなった。
しかし2009年1月15日、G・ラヴはバンドのウェブサイトで、ジム・プレスコットがメンバーでなくなったことを発表した。
なので2011年の「Fixin' to Die」はG・ラヴのソロとしてリリースされている。
ややこしい・・・
このアルバムではポール・サイモンの「恋人と別れる50の方法」をカバー。

しかしスペシャル・ソースは案外早く復活する。
2014年1月21日、G・ラヴはジムがバンドに復帰したと発表。
同時に8年ぶりにスペシャル・ソースとしてアルバム「Sugar」もリリースする。
このアルバムには盟友ベン・ハーパーの他、あの「Gimmie Shelter」でストーンズとデュエットしたメリー・クレイトンや、ニューオーリンズのトランペット奏者シャマー・アレン、ロス・ロボスのギタリストのデビッド・イダルゴなどが参加している。
この年の10月には来日して恵比寿リキッドルームや梅田クラブクアトロでライブも行った。
なお2020年にも来日公演を行う予定だったが、コロナ禍の影響で2年連続して延期となっている。

現時点で最新盤は2020年の「The Juice」。
・・・なのだが、これがまたサイトによって名義が割れている。
英語版ウィキペディアでは「with Special Sauce」に分類されているが、日本のファンサイトや音楽関連のページには「10年ぶりのソロ」などと書かれていたり、ブログのタイトルには「G. Love & Special Sauce『The Juice』」となっているのに本文には「ソロ名義では4枚目のアルバム」と書いてあったり。
もうファンも本人たちも「そんなんソロでもバンドでもどっちでもええやんけ」なのだろうか・・

毎度のことながら今回も何ひとつ知らない話ばかり。
バンドのことはもちろんだが、ドクター・ジョンやジャック・ジョンソンといった関係する人物名にもほとんどなじみがない。
ヒップホップやソウルなど様々な音楽要素を取り込んでいるが、キーワードとしてはやはりブルースが根底にあり、ブルース界の大物ミュージシャンとの競演も多いようだ。
いずれにしろ自分が慣れ親しんだ80年代産業ロックとは相当遠いところにいる人たちだと思われる。

「Kiss And Tell」は確かに素朴で楽器の生音そのままっぽいサウンドに、気だるくレイドバックしたようなリズム、G・ラヴのどこかはずしたような投げやりなボーカルが印象的である。
聴いたのはスタジオ盤のはずだけど、小さなライブハウスで歌ってるようなライブ感もある曲。
悪くはなかったけど、特に気に入ったり深掘りしたりという展開にはならなかった。
ジャケットにはG・ラヴの顔写真やイラストが使われているが、なんとなくプレスリーを思わせる。(気のせい?)

というわけで、G・ラヴ&スペシャル・ソース。
みなさんは聴いておられますでしょうか?
これまで採り上げてきたアーチストの中ではかなりハードルが高いのではないかと思っているのですが、もし初心者向けのアルバムがあるようでしたら、教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第292回 ファルコ

80年代洋楽の沼をさまよいながら、ふと思い出したファルコ。
日本では「Rock Me Amadeus」だけの一発屋的な扱いだと思うが、実は本国オーストリアでは想像を超える大スターだった。
わりと早くに亡くなったことはうっすら知っていたが、調べたら40歳という若さでこの世を去っていた。

ファルコは意外に聴いてるほうで、最大のヒット曲「Rock Me Amadeus」以外に「Vienna Calling」「The Sound of Musik」も聴いている。
確か3曲とも柏村武昭プレゼンツではなく、「クロスオーバー・イレブン」でエアチェックしたと思う。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度は3。

「Rock Me Amadeus」がヒットしてた頃、FMステーションにもこの曲の記事が載っていた。
短髪にサングラス姿の顔写真もあり、グラハム・ボネットに似てると思った記憶がある。
しかし以降ファルコに関する情報を得ることはなく、3曲を聴いてそれっきり。
死亡したことを知ったのはずいぶん後である。(ネットで知った)

ファルコの短く儚い生涯を調査してみた。

本名ヨハン・ハンス・ヘルツェル、1957年2月19日オーストリアの首都ウィーンに生まれた。
幼い頃に両親は離婚し、母親に育てられる。

ヨハン少年は非常に早く音楽に目覚める。
4歳でピアノを始め、5歳ですでにエルビス・プレスリーやクリフ・リチャードやビートルズのレコードを聴いていた。

母親はクラシック音楽をやらせたかったらしいが、ヨハン本人はあんましマジメな学生でもなく、16歳で現在のウィーン市立音楽芸術大学に入学するもすぐに退学する。
17歳でオーストリア軍の兵役に徴用されるが、1年もたず除隊。

その後ウィーンのアングラなクラブなどで歌うようになり、芸名ファルコを名乗る。
ファルコという名は、東ドイツのアルペンスキー選手のファルコ・ヴァイスフロクから拝借したとのこと。

81年にデビューし、ドイツ語で歌った「Der Kommissar(秘密警察)」がヨーロッパでヒットする。
この曲はアフター・ザ・ファイアーというバンドが英語でカバーし、アメリカではチャート5位を記録した。

82年にデビューアルバム「Einzelhaft」をリリース。
続くセカンドアルバム「Junge Roemer(若きローマ人たち)」は、本国オーストリアでは1位を獲得したが、他の国では前作ほど売れなかった。

この後ファルコの運命を大きく変える曲が登場する。
ファルコはアカデミー賞を受賞した映画「アマデウス」に触発されて作った「Rock Me Amadeus」を85年に発表。
すると本人も驚く世界的なヒットに発展する。
・アメリカ、イギリス、日本を含む十数カ国で1位を獲得
・ビルボードホット100で3週間首位を維持
・ビルボードR&Bトップシングルチャートで6位を記録
・アルバム「Falco 3」はビルボードのアルバムチャートで3位を記録
・「Falco 3」はトップR&B/ヒップホップアルバムチャートでも18位を記録

実績数字としてもすごい記録だが、ヨーロッパ出身の白人アーティストが英語とドイツ語を駆使してモーツァルトの生涯をラップで歌ったという非常に珍しい曲の世界的ヒットでもあった。

続くシングル「Vienna Calling(ウィーン・コーリング)」も世界中で大ヒット。
ビルボードチャートで18位、キャッシュボックスチャートで17位を獲得した。
86年には来日公演も行われている。

同年アルバム「Emotional」をリリース。
シングル「The Sound of Musik」はアメリカのダンスチャートでトップ20に入るヒットとなった。
しかしアルバムはオーストリアと西ドイツで1位を獲得したものの、イギリスとアメリカでは記録に残る実績はない。
発表すらされなかったということだろうか?

「Rock Me Amadeus」成功後、アメリカの音楽関係者と本格的に仕事をする話もあったようだが、アメリカ側はファルコのヒットを冷ややかに見ていたようで、「オーストリア人がドイツ語でモーツァルトをラップで歌ったらたまたま珍しくて当たっただけ」という辛辣な評価もあったらしい。
またファルコはこの大事な時期にアルコールやドラッグ中毒にもなっていたそうで、それもアメリカの関係者からは敬遠されたようだ。

アメリカで話題にならなくなったファルコは、当然日本でも名前や曲を聞くことはほとんどなくなった。
88年にアルバム「Wiener Blut(ウィーンの血)」を発表したが、やはりオーストリアと西ドイツ以外ではあまり評判にならなかった。

90年にアルバム「Data de Groove」をリリースするが、本国でも最高5位どまりで1位を獲得できずに終わる。
92年のアルバム「Nachtflug(夜間飛行)」はオーストリアで再び1位となるが、ドイツでは73位と低迷した。

そして再起をかけた次作「Out of the Dark (Into the Light)」が、最後のスタジオアルバムとなる。
98年2月6日、ドミニカ共和国内の高速道路でファルコの運転するパジェロと大型バスが衝突し、重傷を負ったファルコは病院で死亡。
亡くなったことを知ったのもかなり後だが、死因が交通事故だったことを今回初めて知った。
当時の日本ではファルコ死亡のニュースはどれくらい報道されたのだろうか・・

死亡から3週間後に「Out of the Dark」がヨーロッパで発売され、オーストリアでは21週にわたってチャート1位を記録した。
さらに99年には生前録音した未発表曲を収録したアルバム「Verdammt wir leben noch」がリリースされた。
タイトルの意味は「ちくしょう、俺達はまだ生きているんだ」とのこと。

2000年にはベルリンでミュージカル「Falco meets Amadeus」が初上演され、その後もドイツ語圏各地で上演されている。
2008年には没後10年を記念して製作された伝記映画「Falco - Verdammt wir leben noch!」が製作され、オーストリア、ドイツ、チェコで公開された。
(日本では未公開だがDVDで発売された)

ファルコの生涯と作品は以上だが、他にも本国やドイツではスターであることを証明するエピソードがネット上で見つかる。
ファルコの友人である元F1レーサーのニキ・ラウダは、ファルコの死を悼んで経営するラウダ航空の飛行機に「ファルコ」と命名している。
またウィーン郊外にあるレストラン「マーチフェルダーホフ」では、今なおファルコ専用の予約テーブルが用意されているそうだ。

「Rock Me Amadeus」はサウンドやボーカルに様々なアレンジが加えられていて、ラップというよりダンスやディスコやDJのような曲だと認識していた。
タイトルを連呼するのが女性の声なので、最初はグループかと思った記憶がある。

自分が録音した「Rock Me Amadeus」はかなり長く、8分くらいあったと思う。
標準版シングルは3分半くらいなので、たぶんロングバージョンである。
当時の「クロスオーバー・イレブン」は、こうしたヒット曲の長いバージョンを好んでオンエアしていたのだ。
今思うとそれほど長さを感じず、わりと面白い音なので飽きずに聴いていた。

「Vienna Calling」「The Sound of Musik」も路線は似たような感じだ。
このサウンドや楽曲を苦手と思ったことはないが、アルバムを聴いてみようという意欲は起こらなかった。
自分の中ではと同じような位置づけである。
生声でゆったりボーカルを聞かせたり、アコースティックなサウンドに乗せて歌う曲なんてのはあるんだろうか?

というわけで、ファルコ。
今から聴くなら当然「Rock Me Amadeus」収録の「Falco 3」でしょうね。
日本ではデビュー当時から知ってたりアルバムを全部聴いたりといった方はあまりいないんじゃないかと思いますが、「Falco 3」以外でもおすすめのアルバムがあればご紹介いただけたらと思います。

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聴いてない 第291回 W.A.S.P.

前回のラットに続くLAメタル聴いてないシリーズ、今日はW.A.S.P.。
カタカナでワスプと書くとなんかイメージが少し違う気がするので、一応英字表記にします。
なおピリオド付きのW.A.S.P.が正式な表記とのこと。
「今までピリオドを使ったバンドはなかった!」と彼らはドヤ顔で豪語したらしいが、実はW.A.S.P.よりも早くR.E.M.がデビューしているのだった。

そんな傲慢なW.A.S.P.。
1曲も聴いてない・・と思っていたが、92年の「Hold on to My Heart」を聴いていたことが判明。
FMエアチェックではなく、MTVの音声をテープに録音している。
聴いてない度は2。

前回ラットの評価が「メタルの暗く汚いイメージを覆したバンド」だったと書いたが、W.A.S.P.はむしろメタルの暗く汚いイメージを押し通したバンドらしい。
ではW.A.S.P.の暗く汚い歴史を学習開始。

W.A.S.P.はラットよりも少し後の82年頃に結成。
源流は、ブラッキー・ローレスとランディ・パイパーを中心としたサーカス・サーカスというバンド。
ちなみにブラッキーはモトリー・クルー結成前のニッキー・シックスとバンドを組んでいたこともあるそうだ。
サーカス解散後、ブラッキーとランディはリック・フォックスとトニー・リチャーズの2人を誘いW.A.S.P.を結成。
W.A.S.P.は観客に生肉を投げつけたり半裸のモデルをステージ上で拷問道具に縛りつけたりといった野蛮で下品なパフォーマンスで知られていった。

84年にデビューアルバム「W.A.S.P.(邦題:魔人伝)」発表。
ファーストシングル「Animal (Fuck Like a Beast)」は、タイトルや歌詞が下品という理由で、アメリカでは大手レコード店での販売禁止を防ぐためにアルバムから省かれたそうだ。
全米チャート74位という実績だったが、キッスのツアーで前座を務めたりサバスのツアーでサポートを行うなど、実力を認められた。
しかしアルバム発表後にドラムのトニー・リチャーズが脱退し、スティーブン・ライリーが加入する。

85年11月に2枚目のアルバム「The Last Command」をリリース。
直後にランディ・パイパーが脱退し、後任としてジョニー・ロッドが参加する。
W.A.S.P.もスタートからメンバーがいまいち定着しないバンドのようだ。
ジョニーが加わったため、ブラッキーはリズムギターに戻ったところ、これがあまり歓迎されなかったらしく、コンサートホールに爆破予告が届いたり、メンバーは殺害予告を受けたりした。
さらにブラッキー本人は2度にわたり銃撃もされる事態となった。
幸い弾丸が命中することはなかったそうだが。
怖い・・・

89年に4枚目のアルバム「The Headless Children」をリリース。
このアルバムでは、ドラムを元クワイエット・ライオットのフランキー・バナリが担当。
ザ・フーの「The Real Me」のカバーを収録している。
全米48位・全英8位を記録し、現在ではバンド史上最も売れた作品とされている。

しかしアルバム発表直後に今度はオリジナルメンバーだったクリス・ホルムスが「妻のリタ・フォードと人生を楽しみたい」というカッコいいのか悪いのかわかんない理由で脱退。
バンドは事実上の解散状態となり、ブラッキーはソロ活動を開始。

92年6月、ブラッキーが作ったコンセプトアルバム「The Crimson Idol」は、レコード会社のアドバイス(圧力と書いてるサイトもあり)により、W.A.S.P.の作品としてリリースされた。
このアルバムに自分が聴いた「Hold on to My Heart」が収録されている。
ブラッキー本人はバンド名義で発表することに不満だったらしいが、ファンからは最高のコンセプトアルバムとして高く評価されているそうだ。

続く95年の6枚目アルバム「Still Not Black Enough」も、前作の世界観を拡張したダークで内省的な曲のコレクションとなった。
ブラッキーが自身の感情について直接語りかけた歌詞は、社会から追放された不適格者、名声と圧力、愛の探求といった暗い内容が多いとのこと。
なおこのアルバムではジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」とクイーンの「Tie Your Mother Down」をカバーしている。

この後バンドはクリス・ホームズの出入りに振り回される。
96年にクリスはW.A.S.P.に復帰。
バンドはアルバム「Kill.Fuck.Die」「Helldorado」をリリースした。
さらに2001年にはアルバム「Unholy Terror」を発表。
順調かに見えたW.A.S.P.だったが、発表直後にクリスが今度は「ブルースをやりたい」と言い出し(本当?)バンドを脱退。

クリスの勝手な行動にブラッキーもあきれたようだが、バンドは解散せず2002年にはアルバム「Dying for the World」を発表。
このアルバムは前年起きた9.11同時多発テロを受けて作られ、作曲からレコーディングまで1年かからずにリリースされている。

2004年には再びコンセプトアルバム「The Neon God: Part 1 - The Rise」「The Neon God: Part 2 - The Demise」を発表。
虐待され孤児となった少年が、人の心を読み操る能力があることを発見するという内容で、2部構成となっている。

2006年に入るとバンドはまたも不安定になる。
ドラマーのステット・ホーランドがまず脱退。
さらにギターのダレル・ロバーツも脱退。
翌2007年にギターのダグ・ブレアーが復帰し、ドラムのマイク・デュプキーが加入する。

本来2006年10月にリリースされる予定だったアルバム「Dominator」は、メンバー交代の混乱もあって2007年4月まで延期され、なんとかメンバーが落ち着いたところでようやく発表となった。

2007年10月、W.A.S.P.はアルバム「The Crimson Idol」の発売15周年を記念して、ギリシャからツアーを開始した。
バンドの最高傑作とされるこのアルバムの10曲が、最初から最後まで忠実に演奏されたのは初めてのことだった。
2009年14枚目のスタジオアルバム「Babylon」を発表。
ここではパープルの「Burn」をカバー。

15枚目のアルバム「Golgotha(ゴルゴダの丘)」は4年の歳月をかけて作られ、2015年10月リリースされた。
アルバムはなんと26年ぶりに全米トップ100入り(でも93位・・・)を果たす。

2018年にはアルバム「The Crimson Idol」の発売25周年を記念した再録音集「Re-Idolized (The Soundtrack To The Crimson Idol)」を発表。
定期的に記念イベントが行われる「The Crimson Idol」は、やはりバンドとしても重要な作品なのだろう。

2020年8月20日、ドラマーのフランキー・バネリが膵臓癌で死亡。

いろいろあったW.A.S.P.だが、現在も活動中。
2021年10月から12月にかけて北米ツアーを行い、なんとマイケル・シェンカーのサポートも受けたステージもあったそうだ。
何かと後輩芸人から頼りにされるマイケル・シェンカー。
・・・ちゃんと会場には来たの?マイケル。
来年には結成40周年を記念したワールド・ツアーも予定されているとのこと。

以上がW.A.S.P.の野蛮で破天荒な沿革と概要。
知ってた話は今日もなし。

総合すると、下品で粗暴なステージと、緻密でストーリー性重視のコンセプトアルバム、という相反するような特徴を合わせ持つバンドということになる。
それぞれの特徴は同時進行というより少しずつ制作志向に移行していったようだ。
最初は凶暴で野蛮なパフォーマンスで注目され、徐々に作品作りに凝るようになっていった、という感じだろうか。
こうした成長過程はなんとなくストーンズを思わせる。(知ったかぶり)
あと結構カバーが好きで、特にイギリスのアーチストの名曲を採り入れているのも興味深い。

前回ラットがグランジの波で粉砕されたと書いたが、W.A.S.P.の歴史を説くサイトには、グランジの影響を受けたとはほとんど書かれていない。
商業的にダメージゼロではなかっただろうが、92年の「The Crimson Idol」はむしろメタル界の名コンセプトアルバムとして高く評価されている。
狙ったかどうかは不明だが、ブラッキー・ローレスの作り出した「社会の型枠にはめられてもがく若者」というテーマが、グランジの持つ内省的な怒りや不満といった感覚に近かったため、当時のナウい欧米ヤングの共感を得た、という説があるようだ。

なので「LAメタル=グランジにより粉砕」という図式は、W.A.S.P.においてはあんまし当てはまらないことになる。
W.A.S.P.の持つ暗さが幸運?にもグランジの波に多少共鳴することができた、ということだろうか。

バンド名のW.A.S.P.は、一般的な意味は「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」というアメリカ建国当時の移民の子孫たちで、今もアメリカ社会では主流・支配層を占めることの多いグループを指す。
たぶんメンバーもみんなそこに属しているからだとは思うが、あまり強調すると傲慢でイヤミで問題もあるからだろうか、ブラッキー・ローレスも明確な回答はしていないようだ。
またwaspという単語には「ハチ・怒りっぽい人」という意味もあり、そこからヒントを得たというこじつけっぽい話もあるらしい。

唯一聴いている「Hold on to My Heart」は、アコースティックなサウンドでゆったり進行するバラード。
粗暴な部分は一切なく、ハードロックやメタルの人たちがたまに作るバラードそのものである。
壮大で崇高なイメージは非常によかったが、残念なことに他の曲を聴く機会や意欲はなかった。
この曲しか聴いてないので、W.A.S.P.の本質的な魅力は結局全然知らないままである。

というわけで、W.A.S.P.。
聴くならまずは最高実績の「The Headless Children」か、最高傑作の「The Crimson Idol」だと思いますが、他におすすめのアルバムがありましたら、教えていただけたらと思います。

 

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聴いてない 第290回 ラット

前回ラッシュを採り上げて思い出したのがラットである。(雑)
思い出したなどと言ってるが、ラット本体の思い出は特になく、その昔バンド活動していた友人が「RATT」と書かれたTシャツを着ていた記憶があるくらい。
バンド名しか知らず、1曲も聴いてない(と思う)ので、聴いてない度は1。

やれやれじゃあしょうがないラットについて調べてやるか・・と駅前の商売っ気ゼロの不動産屋のじじいのように気だるく調査を開始。
ラットもまたロックバンドの定石どおり離合集散敵対分裂誹謗中傷訴訟殺伐の連続だった。

ファンの作るサイトには、「メタルの暗く汚いイメージを覆した」「モトリー・クルーとともにLAメタルブームを牽引」「派手なファッションと明るいセンス」「ラットン・ロール!」などの形容が目につく。
そこまでは想定どおりだが、驚いたのが他の有名バンドとの人事交流がかなりあった点である。

ラットは80年代のLAメタルを代表するロックバンド。
母体は76年にスティーブン・パーシーを中心にサンディエゴで結成したミッキー・ラットというバンド。
このミッキー・ラットには、後にオジー・オズボーン・バンドで名をはせたギタリストのジェイク・E・リーが参加していた。

81年にバンド名をラットに変更するが、ジェイク・E・リーは脱退。
再編されたラットのメンバーは以下のみなさんである。
スティーブン・パーシー(Vo)
ロビン・クロスビー(G)
ボビー・ブロッツァー(D)
ウォーレン・デ・マルティーニ(G)
フォアン・クルーシエ(B:元ドッケン

ちなみにロビン・クロスビーとモトリー・クルーのニッキー・シックスはルームメイト同士という間柄で、また脱退したジェイクと、ロビンとウォーレンは西海岸のサーフィン仲間だったそうだ。

ラットは83年にデビューし6曲入りEPを発表。
翌年3月にデビューアルバム「Out Of The Cellar(情欲の炎)」をリリースし、全米チャート7位のヒットとなる。
シングル「Round and Round」もMTVを通じて本国や日本で大ヒット。
・・・そうなの?
84年頃だったらリアルタイムで聴いていてもおかしくないはずだけど、全然知らない・・・

85年に2作目「Invasion of Your Privacy」を発表し、これも前作同様に全米7位を記録。
この年には初の日本公演も行われた。

ラットは順調に86年にもアルバム「Dancin’Undercover」をリリース。
このアルバムでは曲作りの担当が徐々にロビン・クロスビーからウォーレン・デ・マルティーニに移行。
また2度目の来日公演もこの年に行われている。
88年に4枚目のアルバム「Reach For The Sky」をリリースし、全米17位を記録。
翌年には3度目の日本公演。

順調だったラットも90年代に入ると様子が変わってくる。
背景にあったのはやはりグランジ・オルタナの台頭だった。

ラットは90年8月にアルバム「Detonator」を発表する。
前作までプロデューサーを務めたボー・ヒルに代わり、このアルバムではボン・ジョビを育てたと言われるデズモンド・チャイルドを起用。
よりポップな路線にシフトしたアルバムは全米23位と健闘したが、プラチナムは逃す結果となった。

全米23位はそんなにひどい成績じゃないと思うけど、ラットはこの後低迷する。
内部事情としてはロビンのヘロイン中毒もあったらしい。
ロビンのリハビリ期間中にマイケル・シェンカーがバンドをサポートしたそうだけど、これマイケルに頼んだこと自体がマズかったんじゃないの?
マイケル神、ちゃんとサポートできたんだろうか・・・

91年にはベスト盤「RATT & ROLL 8191」を出してなんとかつなごうとするが、グランジの波は予想以上に激しく、レコード会社からは契約を解除される。
結局ラットの人気が戻ることなく92年には解散してしまう。

ラット解散後、スティーブン・パーシーはアーケイドというバンドを結成。
またウォーレン・デ・マルティーニは94年にホワイトスネイクに加入する。
えっそうだったの?
・・・と思ったら、ギタリストとしてツアーには参加したけど、アルバム制作には関わらないまま脱退したそうです。

しかしラットはメンバーは以下のみなさんで意外に早く再結成する。
・スティーブン・パーシー
・ウォーレン・デ・マルティーニ
・ボビー・ブロッツァー
・ロビー・クレイン(元ヴィンス・ニール・バンド)

再結成したラットは97年に未発表の曲を集めたアルバム「Collage」をリリース。
99年には低迷バンド再生工場と言われるジョン・カロドナーさんをプロデューサーに起用したアルバム「Ratt」をリリースする。
より大衆的なサウンドで再起を図ったラットだったが、ジョン・カロドナー再生工場は残念ながら機能せず、全米169位という驚きの結果に。
がっかりしたスティーブン・パーシーはバンドを脱退。

スティーブン脱退後はジジー・パールや元モトリー・クルーのジョン・コラビが加入して活動を続けたが、盛り上がることなくバンドはフェードアウト。
再び解散となる。

2002年6月に初期メンバーだったロビン・クロスビーが42歳で亡くなる。
ヘロイン中毒からエイズを発症し、病気を苦にした自殺とも言われているそうだ。
その後もバンドは解散停止したままだったが、ベスト盤は何度も発表されている。

2007年にそのベスト盤「Tell the World: The Very Best of Ratt」発表を機に、スティーブン・パーシー、ウォーレン・デ・マルティーニ、ボビー・ブロッツァーがギグを行い、ラットは再々結成。
この年には日本でもウィンガーとのジョイント・ライブも行われた。
さらに2008年にはジョン・コラビが脱退し、後任として元クワイエット・ライオットのカルロス・カヴァーゾが参加する。

そして2010年4月、ラットは11年ぶりの新作「Infestation」を発表。
収録曲の異なる日本独自の企画盤までリリースされ、「LOUD PARK 10」出演のため来日も果たす。

奇跡の再々結成にファンも歓喜の涙・・かと思ったら、この後の展開は遅れてきたロックバンドあるあるな様相となる。
2012年にロビー・クレインが脱退し、懐かしのメンバーであるフォアン・クルーシエが復帰。
さらに2014年にはスティーブン・パーシーが再脱退。
ラットはまたも停滞する。

2015年、バンド運営や名称の権利を巡ってウォーレン・デ・マルティーニとボビー・ブロッツァーが対立。
昔のメンバーで組んでこそラットだと主張するウォーレンだったが、ボビー・ブロッツァーも「ボビー・ブロッツァーズ・ラット・エクスペリエンス」という長い名前で活動を開始。
両者は互いに訴訟を起こしたが、結果として亡くなったロビン以外の4人に権利ありとの裁定が下される。
この裁定を受け、ウォーレンとスティーブンとフォアンが結託し、ボビーをラットから除名する。

これで本流ラットも安泰かと思いきや、やはり人事異動は続く。
2018年にはウォーレンとカルロス・カヴァーゾが脱退。
現在はスティーブンとフォアンに2人の新メンバーを加えた4人がラットとして活動中とのこと。
ボビー側のラットもメンバー交代を繰り返しながらも継続はしているようだ。

以上がラットの長く波乱に満ちたストーリー。
バンド名や運営を巡って訴訟合戦に発展というのはよく聞く話ではあるが、ファンからはやはりあまり歓迎されていないらしい。
まあそうでしょうね。
ロックバンドのモメ事で喜ぶ変態は北半球でもアタシくらいでしょうし。

ボビー側ラットの評判もいまいちだそうだ。
「オレ一人でもラットを続けたる」というボビー・ブロッツァーはなかなか気骨のある男にも思えるが、解散前のラットでは特にバンドを牽引したり曲をたくさん作ったりという立ち位置ではなかった人だそうなので、やはり古いファンにとってはボビーのラットではインパクトが足りない・・という評価のようだ。

それにしても80年代に活躍したハードロックやメタルのバンドを調べると、ほぼもれなくグランジの波に(一度は)粉砕されていることがわかる。
どっちも未だにまともに聴いてないので、この現象は今もよく理解できないのだが、やはりグランジ恐るべし、カート・コバーンはすごい人である。(なんだそのまとめ)

というわけで、ラット。
作品としてはやはり80年代のアルバムの評価と実績が高いようだ。
なので聴くとしたらデビューアルバム「Out of the Cellar」から「Reach for the Sky」までを順に鑑賞するのが正しい姿勢と思われますが、みなさまのおすすめアルバムはどれなのか、教えていただけたらと思います。

 

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聴いてみた 第172回 ブラインド・ガーディアン

今日聴いてみたのはドイツを代表するパワーメタルバンド、ブラインド・ガーディアン。
88年のデビューアルバム「Battalions of Fear」を聴いてみました。

・・・などと軽く表明したけど、そもそもブラインド・ガーディアンの曲を聴くのは初めてである。
というかバンドについての知識も全然持ち合わせていない。
いつ頃登場したのかも何人組なのかも知らず、メンバーの名前も一切知らない。
なんとなくメタル学習をしたくなって、ユニオンで発作的に手に取っただけである。

Battalions-of-fear

ブラインド・ガーディアンは今も活動中で長い歴史を持っているため、取り急ぎバンド黎明期の一般教養を因循姑息的に学習。

結成は1984年。
西ドイツでまずハンズィ・キアシュとアンドレ・オルブリッチが組み、マーカス・ズィーペンとトーメン・スタッシュを誘ってルシファーズ・ヘリテージという名で結成された。
なおメンバー名の表記だが、みなさんドイツ人のためかサイトによってかなりゆらぎがある。
ボーカルのハンズィ・キアシュ(Hansi Kursch)は、サイトによってはハンシ・クルシュとかハンシ・キュルシュと書かれている。
サイトの中でも表記がバラバラだったりするが、ドイツ語発音に忠実な表記がおそらくハンズィ・キアシュなのだろうと思う。

バンドはレコード会社との契約直後にブラインド・ガーディアンに改名。
88年にデビューアルバム「Battalions Of Fear」を発表。
「Majesty」「Run for the Night」「By the Gates of Moria」「Gandalf's Rebirth」は、J・R・R・トールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」を題材としており、また「Guardian of the Blind」はスティーブン・キングの「イット」をモチーフにしているとのこと。
こうしたファンタジーをもとにした楽曲作りは、その後も彼らのスタイルとなっていったそうだ。

またブラインド・ガーディアンはハロウィンの影響を強く受けたバンドとして知られており、2作目ではカイ・ハンセンがゲスト参加している。
ということは、ハロウィンのサウンドや楽曲に似ているのだろうか?
じゃあブラインド・ガーディアンももしかしたら聴けるかも・・・という淡く短絡的な期待を寄せながら聴いてみることにした。
(ハロウィンもアルバム1枚しか聴いてませんけど)

・・・・・聴いてみた。

なお買ったのは93年再発の日本盤CDで、LPにはなかった1曲が追加されている。

1.Majesty
2.Guardian of the Blind
3.Trial by the Archon
4.Wizard's Crown
5.Run for the Night
6.The Martyr
7.Battalions of Fear
8.By the Gates of Moria
9.Gandalf's Rebirth(ボーナストラック)

サウンドは確かに疾走感あふれるスピードメタルである。
どの曲もドラムはムダにせっかちでギターはキレ気味に鳴り、余裕をもって聴けるバラードなどはない。
しかもただ早いだけでなく、非常にメロディアスでハデな音がする。
1回聴いただけでも高度な技術に支えられた演奏であることはわかる。

他のバンドと比較できるほどメタルを聴いていないが、感覚的にはハロウィンよりメガデスに近い気がする。
特にドラムのムリヤリな急ぎ方や、どこか全体的に香る暗さはメガデスに通じるものがあると感じた。
いずれにしろメタルの一般的イメージにはことごとく合致する構成とサウンドで、嫌いではない。
好みでもないけど・・

ファンタジーをもとにした楽曲作りが彼らのスタイルだという話だが、収録曲全部がファンタジックでUSJっぽい物語曲(意味不明)かというとそうでもなく、「The Martyr」はキリストの受難がテーマであり、タイトル曲「Battalions of Fear」はレーガン政権の戦略的防衛構想を批判する内容とのこと。
このあたりは訳詞だけでなく時代背景や当時の世相も含めて解釈しないと、理解することは難しい。

問題はハンズィのボーカル。
キーは高めだがそれほど金属感はなく、また頻繁に出るシャウトもどこか投げやりで、圧倒される歌唱力・・のようには聞こえない。
正直言ってあまり好みの声ではなく、申し訳ないけどどの曲も同じに聞こえる。
コーラスワークにもそれほど感動は起こらなかった。
なので総合すると、ハロウィンのほうが自分の好みには合っていると感じる。

ロックには様々な構成要素やパートがあるが、自分の場合ボーカルがかなり重要なファクターである。
ボーカルの声が好みがどうかで、鑑賞の扉が開く角度がかなり違ってくるのだ。
もちろん声には「慣れ」もあるが、第一印象としてのハンズィのボーカルはかなり難易度が高いと感じる。
マイケル・キスクやキップ・ウィンガーにはあまり感じなかった、扉の重さを実感する。

これは「やっぱ音楽はボーカルだよ」などとエラそうにカマすウザい中年音楽ライター気取りのようなスタンスではなく(必死)、長いこと聴いてたらどうもそういうことだった、という結果論である。
メガデスやメタリカに今ひとつなじめない感覚が抜けないのも、デイヴ・ムステインやジェームズ・ヘットフィールドの声のせいだと思う。

というわけで、ブラインド・ガーディアン。
まだ評価を下せるほど聴き込んでませんが、自分にはハードルのやや高い音楽だと感じました。
やはりハンズィ・キアシュのボーカルに、もう少し慣れる必要がありそうです。
ここを乗り越えないと、他のアルバムには進めない気がしています。

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