聴いてみた 第139回 フェイセズ

今日聴いてみたのはフェイセズ。
特に予定もしてなかったのだが、たまたまユニオンに行ってCD見つけたので買ってみました。(失礼)

フェイセズはもちろん聴いてない。
昔借りたロッド・スチュワートのベスト盤にあった「Stay With Me」を知っているくらいで、BLOGで採り上げること自体初めてである。

フェイセズの来歴はストーンズハンブル・パイの学習過程でぼんやりとなぞった程度で、今突然フェイセズ検定を受けてもたぶん不合格である。
取り急ぎ試験前に血眼になってテキストをあちこちめくる往生際の悪いバカ学生のようにフェイセズについて付け焼刃学習。

源流はスモール・フェイセズというバンド。
なぜスモールだったのかというと背の低いメンバーばかりだからとのこと。
主力メンバーのスティーブ・マリオットがスモール・フェイセズから脱退し、ピーター・フランプトンとともにハンブル・パイを結成する。
スモール側に残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズと、ジェフ・ベック・グループを脱退したベタベタ仲良しコンビのロッド・スチュワート、ロン・ウッドが合流。
「クワイエット・メロン」という名で活動を開始するが、ロッドとロンは長身だったので、70年にスモールが取れた新生フェイセズとしてスタート。

フェイセズは4年ほどの期間にコンスタントに4枚のスタジオ盤を発表。
この過程でロッドのシンガーとしての人気がむやみに肥大し、ソロ活動も始めたため、フェイセズは次第にロッドのバックバンド化していき、バンド名も「ロッド・スチュワート&フェイセズ」になる。

バックバンドのメンバーという扱われ方に不満がつのったロニー・レーンは73年に脱退。
その後はベーシストとして日本人の山内テツが加入。
74年にアルバム「ウー・ラ・ラ」を発表するが、ロッドと他のメンバーとの間に軋轢が生じ、またロン・ウッドはストーンズのサポート活動に移ったため、フェイセズは解散する。
・・・フェイセズ概論としてはだいたいこんなところでしょうか。
ほとんど今初めて知った話ばっかですけど。

Faces

今回聴いた「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」はフェイセズとしては3枚目のアルバム。
71年発表で邦題は「馬の耳に念仏」。
原題をそのまま訳したわけではなさそうで、ことわざの意味として同じになってるかはよくわからない。
「猫に小判」とか「豚に真珠」にしなくてよかったとは思うが。(そんなの売れねえよ)

メンバーは以下の面々である。

・ロッド・スチュワート(V)
・ロニー・レーン(B/G/V)
・ロン・ウッド(G)
・イアン・マクレガン(K)
・ケニー・ジョーンズ(D)

プロデューサーはスモール・フェイセズ時代から作品を手掛けてきたグリン・ジョンズ。
ちなみにグリン・ジョンズはスモール・フェイセズを非常に高く評価しており、最近のインタビューでも「非常にエネルギッシュな連中で、アメリカに進出していたらそのうち世界制覇していたかも」と答えている。

そんな名プロデューサー・グリンの協力もあってか、フェイセズの「馬の耳に念仏」も全米チャートでは最高6位、全英では2位を記録した。
セールス的にはフェイセズ最大の歴史的名盤・・だと思うけど、果たして自分の耳には念仏のように聞こえるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Miss Judy's Farm
トップは辛口なブルース・ナンバー。
ロッドの投げやりなボーカル、ノイジーなギター。
終盤テンポアップしてくるところもなんとなくスリリング。

2.You're So Rude
前の曲よりは多少明るい感じで、ロニー・レーンとイアン・マクレガンの作品。
ロニーのボーカルは悪くはないが、声はやはりロッドに比べるとふつうの人。
ガヤガヤしたメロディはどこかストーンズに似ている。

3.Love Lives Here
これもその後のストーンズを思わせるようなバラード。
ロッドのバラードでの魅力もすでに完成されている。
決して歌がうまいとは思えないロッドだが、この声で歌われるとやはりしみじみいいなぁと感じてしまうから不思議だ。

4.Last Orders Please
ロニーの作で歌っているのもロニー。
ウキウキしたリズムにギターが左から、ピアノが右から響く。
ロニーのボーカルも少し砕けた感じ。

5.Stay with Me
フェイセズ最大のヒット曲で、これだけ知っていた。
右から聞こえるきゅいーんというロン・ウッドのギターがいい。
ロッドのボーカルはもちろんだが、エンディングの演奏も見事である。
歌詞はケバい?女を引っかけたチャラい男の適当で情けない叫びを歌ったもので、ロッドのボーカルに似合った内容である。

6.Debris
ロニーの作でメインのボーカルもロニーだが、バックでロッドも歌う。
ロッドが一歩引いてバックをしぶしぶ歌ったとも言われているらしいが、バックにロッドの声はさすがに無理があるように思う。
レベルは小さくともロッドの声は目立つし、ハーモニーも微妙でロニーとの相性もいいとは思えない。

7.Memphis, Tennessee
チャック・ベリーのカバー。
後半の演奏が意外に長く、この曲もラストは徐々にテンポアップ。

8.Too Bad(ひどいもんだよ)
跳ねるようなリズムにロッドのシャウト、ギターの絞り出す音や軽快なピアノが加わる一体感。
ただし歌詞の内容は、下町育ちの若者があこがれの上流階級の人々の集まりに出かけてみたが、拒絶されて追い返されるという悲しいもの。
ロッドとロンの作だが、酒や女を歌うだけでなく、こんな社会派な曲も作っていたんだね。

9.That's All You Need
ラストはさらに躍動感のあるロック。
終始叫び続けるロッド、間奏でばりばり鳴るロンのギター。
後半はキーボードなどいろいろな楽器の音がする。
この曲ではハリー・ファウラーという人がスティール・ドラムを叩いているそうだ。

さて聴き終えた。
楽曲としてはどれも刺激的でいい音がする。
71年発表だが、60年代の古き良きロックを継承したどの曲もおおむね自分の好みに整合しており、ジェフ・ベック・グループのロッドが歌った「Truth」「Beck-Ola」よりも断然いいと感じる。

やはり評価の中心はボーカルだ。
あらためてロッド・スチュワートの魅力が全開である。
ロニー・レーンもそれなりに歌えているが、やや線の細い声でブルースやロックを歌うには少し物足りない感じだ。
ただ物足りないと思うのはすぐそばにロッドがいるからという気の毒な部分もある。

ロニーはフェイセズのリーダーとして曲も作って歌って弾いてマルチに活動していたのだろうが、ロッド・スチュワートという突出した才能を持つボーカリストに歌わせたことで、相対的に評価が下がっていったのではないかと思う。
ロッドとともに同じバンド内で歌う、というのはボーカリストを務めるうえで非常にリスキーだ。
どうしたって比べられてしまうし、ロッド以上に歌でアピールするのは相当きついだろう。

ロッド・スチュワートはソロ転向以降、デュエットでヒットを飛ばした実績はあまりない。
やはりロッドといっしょに歌う、というのは「あんな人と歌ったら全部持っていかれる」無謀な行為だと大半の歌手は考えるからではないだろうか。
なのでこのアルバムも1曲おきにロニーも歌う構成になってるけど、正直「全部ロッドでいいじゃん」と思ってしまう。
意地悪な評価ですけど、もし全曲ロニーが歌っていたら、やはり全米6位はムリだったんじゃないでしょうか。

こうしたパワーバランスを考えればフェイセズ解散もやむなしと思うが、他にもロッドとロニーの音楽性の違いも要因としてあるようだ。
ロッドはロニーよりもブルースに寄った方向を向いており、ロック志向のロニーとのズレも埋めがたい溝になっていったらしい。
このアルバムでは、クレジットではロッドの単独作品はない。
ロッドの手がけた曲は必ずロン・ウッドとの共作になっている。(「Love Lives Here」だけロニーとロッドとロンの3人の共作)
ロニーとロッドはお互いの作る曲をあんまし良いとは思ってなかったのかもしれない・・などと思うとわくわくしますね。(邪道)

フェイセズは何度かイベント的に再結成しているが、結局この時のメンバー全員がそろうことはなかったようだ。
この後公式にフェイセズ再結成にロッド・スチュワートが登場するのは、なんと解散から40年後のことである。
97年にロニー・レーンが亡くなり、2008年頃には残る4人が集まって話合いやサウンドチェックまでしたそうだが、公の場での演奏には至らなかった。
2009年にはロン・ウッド、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの3人が、ビル・ワイマンやシンプリー・レッドのミック・ハックネルとともにステージに立ち演奏を行った。
そして2015年にようやくロッド・スチュワートが参加し、ロン・ウッド、ケニー・ジョーンズとともにフェイセズの再結成パフォーマンスを披露。
「Stay With Me」を含む7曲を演奏したそうだ。

というわけで、フェイセズの「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」。
これはかなりよかったです。
フェイセズは同時期に活躍していたストーンズやツェッペリンやザ・フーに比べて地味な印象で全然聴いてきませんでしたが、それは勝手な思い込みだったようです。
他に3枚スタジオ盤があるようなので、近いうちに全部聴いてみようかと思います。

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聴いてない 第225回 アトランタ・リズム・セクション

ロックにも様々なカテゴリーがあるが、ふと気がつくと全くなじんでいないのがサザン・ロックという分野である。
もちろんメタルもプログレもキャンディポップも全然なじんでないのは同じだが、ことサザン・ロックに関しては基礎知識すら大貧弱である。
レイナード・スキナードやスティーブ・ミラー・バンドなどが該当する、ということくらいしか知らず、曲も全然聴いていない。

そんな中唐突に名前を思い出したアトランタ・リズム・セクション。
サザン・ロックに所属するということも今回初めて知った。
なぜ名前を知っているかというと、実は1曲だけ聴いているからだ。
それは81年の「Alien」だが、例によって柏村武昭の紹介でエアチェックしている。
なおこの曲と同時に録音したのはキッスの「エルダーの戦士」、ポリスの「Every Little Thing She Does Is Magic」など。

ただし柏村武昭は曲紹介はしたがバンドの経歴や秘密などは一切明かしていない。
・・・と思うのだが、あの番組はとにかく「トークを入れずに曲だけ録音する」という前提で必死にポーズボタンに手をかけて聴いていたので、柏村武昭がバンドの経歴などしゃべってたとしてもたぶん「いいから早く曲かけろよ!」とラジオを凝視していて、話の中身なんか覚えていないんだろうとも思う。
もともと誠実に曲だけを流しトークをかぶせないという寡黙なDJによる番組(そうか?)だったので、アトランタ・リズム・セクションに限らずどのアーチストでも情報発信は少なかったが。
なのでこのバンドについても、人数構成やキャリアやメンバーの名前なども全く知らない。

「Alien」はどこかAORの香りただようオトナなナンバーである。
他の曲にはさまれて録音されたので消すこともできず、そのまま聴いてきたという状態。
この曲以外にアトランタ・リズム・セクションをFMで聴いたことはたぶんない。
おそらくは日本での人気はそれほどでもなかったものと思われる。

録音してから35年以上(!)の歳月が流れているが、遅まきながらアトランタ・リズム・セクションについて調べてみた。(手遅れ)
今回もある程度覚悟はしていたが、やはりウィキペディアの日本語説明は見当たらない。
あちこち掘り起こして集めた情報をまとめると以下のような感じである。

アトランタ・リズム・セクションは名前のとおりジョージア州アトランタで結成・・と思ったら、厳密にはアトランタのそばにあるドラヴィルという街で結成されたようだ。
「江戸川リズム隊」と名乗っているが実は市川で結成、みたいなもんだろうか。
ちなみにアトランタと言えば当時からあのブッチャーのホームタウンであり、現在もブッチャーはアトランタにバーベキューレストランを持っているそうだ。
あ、もういいですか?こういう情報は・・・

で、アトランタ・リズム・セクション。
60年代に活躍していたクラシックスIVというバンドが源流と言われる。
クラシックスにいたギターのJ.R.コッブ、そのプロデューサーであるバディ・ビューイが地元アトランタのお友達を勧誘して結成。
他のメンバーはロニー・ハモンド(Vo)、バリー・ベイリー(G)、ディーン・ドートリー(K)、ロバート・ニックス(D)、ポール・ゴダード(B)。
バディ・ビューイはメンバーではないが、曲作りやマネージャーやプロデューサーなど裏方としてバンドを支えた人物。

72年にバンド名をタイトルにしたアルバム「Atlanta Rhythm Section」でデビュー。
しばらくは骨太なサザン・ロックを主体としていたが、徐々にソフトな路線に変更。
76年「So In to You」が全米7位を記録し、アルバム「A Rock And Roll Alternative」(邦題:ロックンロール魂)も大ヒット。
78年には「Imaginary Lover」がまたも全米7位となり、「I'm Not Gonna Bother Me Tonight」も14位のヒットとなった。
バンドの最盛期はこの頃と言われているようだ。

79年には「Do It Or Die」「Spooky」がヒットするが、ドラムのロバート・ニックスが脱退。
81年にアルバム「Quinella」(邦題:アトランタ・フィーリング)を発表。
この中に自分が聴いた「Alien」が収録されている。
柏村武昭もレコード会社一押しの新曲としてオンエアしたのだろう。
結果的にはこの「Alien」が全米チャート100位以内の最後のヒット曲となる。(最高29位)

その後アルバム発表の間隔は徐々に開いていき、2000以降オリジナルスタジオ盤はリリースしていないが、活動は継続しているようだ。
2012年にロバート・ニックスが、2014年にはポール・ゴダードが亡くなっている。
今のオリジナルメンバーはディーン・ドートリーだけとのこと。

ということでやっぱりどれも全部初めて知った話であった。(もう誰も驚かない)
歴代のアルバムジャケットを見てみたが、見覚えのある絵はひとつもなかった。

唯一聴いた「Alien」はもちろん地球外生物の話ではなく、居場所のない孤独な男を歌ったものだそうだ。
サウンドはキーボード主体でそれほど盛り上がりもなく落ち着いたメロディ。
悪くはないが、当時も今も振り向くような感情の高ぶりは特にない。
どこか同時期のドゥービー・ブラザーズのような音がするように思う。

学習要領としては、まずはサザン・ロックのセンターにあるオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードを聴いて概要を学び、その後応用編としてアトランタ・リズム・セクションや38スペシャルなどに広げていく、というのが正しいと思われる。
・・・とは思ったものの、今回突然アトランタ・リズム・セクションを思い出してしまったので、取り急ぎ皆様の鑑賞履歴や感想を教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第138回 プリファブ・スプラウト

連休終了で日本中のサラリーマンが憂鬱になっている本日、聴いてみたのはプリファブ・スプラウトのセカンドアルバム「Steve McQueen」。
全英で2位を記録した大ヒットアルバムである。
・・・のだが、プリファブ・スプラウト、実は名前しか知らない。
そもそもなぜ名前だけ知っているのか不明だが、このトシになるまで一度も聴いたことがなかった。
東郷かおる子が当時推してたのかもわからないが、少なくとも柏村武昭が曲紹介をした記憶は一切ない。
アズテック・カメラもそうだが、どんなジャンルなのかもメンバーが何人いるのかも知らない。
今回はネオアコというキーワードを頼りにモンスリー師匠の指導のもと聴くことになったのだ。

Steve_mcqueen_2

プリファブ・スプラウトは1982年にデビューしたイギリスのバンドである。
「Steve McQueen」は85年発表なので、自分にとってはリアルタイムで聴いていて当然の時代のはず。
82年と言えばカルチャー・クラブやエイジアが登場し、85年はa-haダイアー・ストレイツがチャートをにぎわせていた頃だ。
「We Are The World」も85年だし、ハニー・ドリッパーズが流行ったのも同じ年である。
毎晩サルのようにエアチェックに没頭していたのに、なぜプリファブ・スプラウトは聴いてないのか明確には説明できないが、おそらくはデュランやカルチャー・クラブやa-haに比べてFMオンエア頻度や雑誌などの掲載量が少なかったものと思われる。

メンバーは以下のみなさんである。
パディ・マクアルーン(Vo・G)
マーティン・マクアルーン(B)=パディの実弟
ウェンディ・スミス(Vo・G・K)
マイケル・サーモン(D)

のちにドラムはマイケル・サーモンからニール・コンティに変わり、今回の「Steve McQueen」ではニールが叩いているそうだ。

パディ&マーティンのマクアルーン兄弟を中心に77年頃に結成。
構成としてはウェンディだけが女性なのだが、プリテンダーズブロンディとは違い、女性ボーカルが男どもを牽引というスタイルではない。

前述のとおり82年にデビューし、84年に最初のアルバム「Swoon」を発表。
パンクロックが下火になりつつあった中で、80年代特有の大衆迎合的なチャラい音楽とは異なり、さらにはプログレやネオアコなどとも一線を画すという複雑な音楽性を持っていたそうだ。
・・・よくわからないけどネオアコというくくりにはまっただけの存在ではない、ということで合ってますかね?
で、ネオアコという言葉で検索すると同じようによく登場するのがアズテック・カメラだが、プリファブ・スプラウトとは接点や交流はほとんどないらしい。
仲悪かったんスかね?

85年にトーマス・ドルビーをプロデューサーに起用し「Steve McQueen」を発表。
・・・実はトーマス・ドルビーも名前しか知らない。
トーマスさんについても少し調べたので後述します。

バンドにとっては2枚目のアルバムだが、前作とは雰囲気が相当違うそうだ。
このあたりはトーマス・ドルビーのもたらした効果も大きいらしい。
日本ではこれがデビュー作で、このアルバムからプリファブ・スプラウトを知った日本の少年少女も多いと思われる。
タイトルの語源はもちろん俳優スティーブ・マックイーンだが、ジャケットもマックイーン主演映画の「大脱走」をイメージしている。

このアルバムからは「When Love Breaks Down」を含む4枚のシングルが生まれており、いずれもヒットしたそうだ。
・・・本当か?そんな状況の中、柏村武昭は何をしていたのだろうか?
ちなみに当時アルバムの日本語表記は「プレファブ・スプラウト」だったとのこと。
日本語読み風に「プレハブ・スプラウト」としなくてよかったと思う。

88年には「From Langley Park To Memphis」(邦題:ラングレー・パークからの挨拶状)をリリース。
このアルバムにはスティービー・ワンダーピート・タウンゼンドも参加。
シングル「The King of Rock 'N' Roll」が全英7位を記録するヒットとなる。

ここからプリファブ・スプラウトは全盛期を迎え、89年に「Protest Songs」、90年「Jordan: The Comeback」と3年間毎年アルバム発表という多忙な日々を送る。
いずれのアルバムでもトーマス・ドルビーがプロデューサーとして活躍しており、パディは全面的にトーマスを信頼していたようだ。

92年にベスト盤「A Life Of Surprises」を発表。
これまたイギリスでは大ヒットで全英3位を記録するが、その後ニール・コンティが脱退。
2001年にはウェンディ・スミスも出産を機に脱退する。

バンドとしてはほぼパディのソロユニットっぽくなってはいるがその後も継続しており、2013年の「Crimson/Red」が最新作である。
なおこの作品、発表前に曲順の異なるデモ音源がネット上に流出するという事件で話題を呼んだとのこと。
流出は関係者によるものかファンの仕業か明らかにはなっていないらしい。
パディは目や耳の難病を患い、苦労も多いがミュージシャンをやめてはいないそうだ。

毎回台本どおりの展開に辟易するが、終始全部一貫して知らない話であった。
事前学習に少し時間を取られたが、とにかく聴いてみることにした。

・・・・・聴いてみた。

1. Faron Young
2. Bonny
3. Appetite
4. When Love Breaks Down
5. Goodbye Lucille
6. Hallelujah
7. Moving The River
8. Horsin' Around
9. Desire As
10. Blueberry Pies
11. When The Angels

うーん・・・
うーん・・・・
うーん・・・・・

長いこと腐れ音楽BLOGを続けてきたが、文字で感想を表すのにここまで苦労した音楽はあまりない気がする。
ネガティブな感想は特にわいてこないし、聴きづらいとか難しいといった形容も当てはまらない。
似ているバンドも思いつかないが、突出して個性的な音が向正面からやって来るわけでもない。

ネオアコというキーワードについては、このアルバムにはあまり関係ないようだ。
少なくともアコースティックなナンバーはないし、比較的全編ポップなサウンドである。
しかしながら産業ロックのレシピに従った音の重ねやコーラスやアレンジといった技も希薄だ。
多少霧っぽい曇ったサウンドの造りを感じるが、当時全盛だったアンチ渋谷な音楽とは次元が違うところで勝負している気がする。

なのでどの曲にも「なんじゃこの音は?」「げぇー変な音楽」という疑問や不快感は一切ない。
・・・のだが、どの曲にも「おお」とか「へぇ」とか「いいね!」といったSNSっぽい感性の盛り上がりも全く感じない。
拒絶感はないけど、おそらく好みの音ではないのだろう。
この感覚はイーグルスを聴いた時のものに近い。
3回ほど聴いてみたが、まだ定着の予感は全然ない。
駅を降りて遠くにある新緑が美しい山を目指してしばらく歩いたが、いっこうに登山口に近づく感じがしない、というところだろうか。(伝わらない)

モンスリー師匠からの情報では、「Amazanのリスナーレビューの評価がすごく高い」とのことであったが、聴いたあと見てみたら確かに絶賛レビューが多い。
まあ総じてAmazanのレビューはどんなアーチストでも熱い評価が多いとは思うが、大半の人が星5つを付けているのはやはり驚きである。
あと「聴き込むほどに良さがわかる」といった意見も多いので、自分みたいに3回くらいでうなっているようではまだ学習が足りないのだろう。

ちなみに名前しか知らなかったトーマス・ドルビーだが、今回調べてみたら驚きの経歴が続出。
いえ、驚いてるのは自分だけでこんな話はどれも鉄板なんでしょうけど。
もともとトーマスさんはキーボード・プレイヤーで、あのブルース・ウーリー・アンド・ザ・カメラ・クラブにも在籍したことがあり、フォリナーの「Urgent」「Waiting for a Girl like You」のシンセサイザーもトーマスの演奏とのこと。
そうなんだ・・・全然知らなかった・・・

交流はデビッド・ボウイジョニ・ミッチェルデフ・レパードやロジャー・ウォーターズから坂本龍一まで非常に顔の幅広い人物である。
日本では「She Blinded Me With Science(彼女はサイエンス)」という妙な邦題の曲が有名らしい。(当然聴いてない)
92年の「Close But No Cigar(シガーにご用心)」というこれまた妙な邦題の曲ではエドワード・ヴァン・ヘイレンがギターで参加。
こういう情報だけだと産業ロック側のヒトという判定をされてもおかしくはない気もする。
渋谷陽一はトーマス・ドルビーをどう評価しているのだろうか?(どうでもいい話だが。)

というわけで、プリファブ・スプラウト。
パンクやプログレほどの困難さはなかったものの、残念ながら正直思ったよりも自分の好みからは遠い音楽でした。
もっと若い時に聴いていれば違った評価になっていた可能性も高いですが・・・
前作「Swoon」はかなり作風が異なるそうなので、期会があれば聴き比べてみようかと思います。

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聴いてない 第224回 エディ・マネー

果たしてどれだけの人が覚えているだろうか、エディ・マネー。
日本ではなかなか人気が出ず、国内盤で買えるアルバムはベスト盤だけだそうだ。

そんな逆境の元警官シンガー、エディ・マネー。
実は顔と名前を先に知り、ほどなくヒット曲を聴いたという、自分にしては珍しい展開のアーチストである。
情報源は当時のナウいヤングの信頼を集めていた安心の月刊誌ミュージック・ライフ。
従って東郷かおる子がいなければ生涯エディ・マネーを知ることはなかった可能性も高い。

ただしエディを知ったのは記事ではなく、カセットインデックス用の写真である。
昔の音楽雑誌によくあったカセットケースにうまく収まるサイズのアーチスト写真で、エディ・マネーを知った次第。
これがその写真である。

Eddie

ページを切り取って保存しているので奥付は不明だが、おそらく79年頃の号と思われる。
ちなみに隣にはプリテンダーズ、裏面にはロバート・プラントとナックが載っていた。

86年の大ヒット曲「Take Me Home Tonight」だけは聴いており、聴いてない度は2。
この曲にはロネッツの大ヒット曲「Be My Baby」も挿入されているが、その部分を歌っているのはロネッツのボーカル、ロニー・スペクター本人ということで話題になった。
・・・らしいのだが、ヒットしていた当時は全く知らなかった。
この事実を知ったのはヒットしてから20年近く経ってからで、ココログ同期生のgetsmart0086さんの書かれたある記事を読んでのことであった。
ロニー・スペクターはこの頃すでに芸能界を引退しており、そこをエディ・マネーが直接頼み込んでボーカル参加が実現したそうだ。

さてエディ・マネーについて調査を開始したら、頼みの心の友ウィキペディアは日本語での紹介がない。
英語ページをむりやり日本語変換して読んでみたが、やはりカタコトでいまいちよくわからない。
いろいろ検索して引っかかった情報をなんとか整理してみた。
もし事実と違うようでしたらご指摘ください。

エディ・マネー、本名エドワード・ジョセフ・マホーニーは1949年ニューヨークはブルックリンに生まれ、マンハッタンで育つ。
祖父の代から三代続く警官一家であり、兄弟も全員ニューヨーク市警察局の警官。
エディも警官として働いたが、音楽で身を立てる決意をして西海岸に移り住む。

78年に「Eddie Money(噂のエディ・マネー)」でデビュー。
シングルカットされた「Two Ticket To Paradise」「Baby Hold On」は大ヒットし、アルバムもダブルプラチナディスクを獲得。
なおこのアルバムではスモーキー・ロビンソンの「You've Really Got A Hold On Me」もカバーしている。
エディは歌だけでなくギターやサックスも演奏できる器用な人だそうだ。

80年代に入るとプロデューサーにロン・ネヴィソンやトム・ダウドを起用してアルバムをコンスタントにリリースする。
プロモ・ビデオ制作にも積極的な姿勢を見せるが、一方で薬物中毒にもなってしまい、83年「Where's The Party?(パーティの夜)」発表後は一時期活動停止状態となる。
警官やってた人が歌手になって薬物中毒って、警官やめないほうがよかったんじゃないのかとも思いますが・・
もし今の日本でこんな人がいたら間違いなく袋だたきだよなぁ。

しかしエディ・マネーは86年にアルバム「Can't Hold Back」で見事復活。
プロデューサーはチープ・トリックハートのアルバムにおいても復活をアシストしたリッチー・ジット。
シングル「Take Me Home Tonight」がキャリア最大のヒットとなる。

しかし同じくリッチー・ジットのプロデュースによる88年の作品「Nothing To Lose」からは、日本盤発売はなくなった。
エディ・マネーにとって、日本はマーケットとしては見切りをつけられたらしい。

翌年には初のベスト盤が発表され、初のライブ曲も収録された。
90年以降も本国では活動を続けており、2007年にはアルバムも発表。
2010年にはフットボールのハーフタイムショウで、かつてのヒット曲のメドレーを歌ったそうだ。
しかし日本では話題になることもあまりないようである。

1曲しか聴いてないので何もわからないが、ルックスやボーカルからはスタイリッシュで都会的な印象を受ける。
「Take Me Home Tonight」も夢中になったほどではないが、悪くはないと思う。
誰も共感しない意見だとは思うが、エディの声に近い感じがするのはエリック・カルメンである。

ただ同時期に活躍していたブライアン・アダムスジョン・クーガーに比べると、洗練された分インパクトは弱かったかもしれない。
あと2~3曲柏村武昭が紹介してくれていれば、アルバム1枚くらいは聴いていたのに。(でまかせ)
どっぷり産業ロックに染まってチャラい曲を量産するとか、あちこちで女性トラブルばかり起こすとか、バックバンドのメンバーをギターで殴ったりとか、なんかしらの尖った話題があったら違った展開になっていただろう。(言いたい放題)

というわけで、エディ・マネー。
これまで意識してCDを探したことがないので、輸入盤も含めて2017年現在でどれだけ店頭在庫があるのかわからないが、「Can't Hold Back」は聴いてみてもいいかなと考えている。
他にもおすすめのアルバムがあればご指導いただけたらと思います。

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聴いてない 第223回 アラニス・モリセット

90年代に登場した怒れる逆ギレクイーン、アラニス・モリセット。
実は大ヒットアルバム「Jagged Little Pill」だけ聴いたことがある。

初めて彼女の曲にふれたのはシングル「You Oughta Know」である。
変わったタイトルだが、oughtaという単語もこの曲でしか目にしたことがない。
「ought to」を短く発音する時の表記だそうですけど。
「You Oughta Know」は気に入ったわけではなかったが、妙にイラついた歌い方は印象に残るものだった。

直後に知り合いの女性が「Jagged Little Pill」を貸してくれた。
通しで聴いてもそれほど評価は好転しなかったが、1年くらい後で再びMTVで「Ironic」を知る。
てっきり新曲かと思ったら、借りたCDに収録されていたのだった。
従って聴いてない度は4だが、実質3程度。

アラニス・モリセット情報として持ち合わせているものはあまりなく、カナダの人でマドンナが主宰するレーベルに所属している、という話くらい。
「Jagged Little Pill」以降の活動は全く追っていないので、今どうしているのかも知らない。

取り急ぎアラニス・モリセットについて逆ギレ気味に調査。
アラニス・ナディーン・モリセットは1974年カナダに生まれた。
3歳から6歳まではドイツで育ち、カナダに戻ってからピアノやダンスを習い始める。
なおアラニスは兄妹の二卵性の双子で、その兄もミュージシャンだそうだ。

高校在学中の1991年カナダ国内でデビューアルバム「Alanis」を発表し、プラチナム・ディスクを獲得。
翌年2作目「Now Is the Time」をリリースするが、セールス的には失敗し、カナダのレコード会社とは契約解消。
95年にマドンナの立ち上げたマーベリック・レコードと契約し、世界デビューとなる「Jagged Little Pill」を発表。
全米・全英で1位を記録し、世界中で3000万枚を超える大ヒットアルバムとなった。

自分もほどなくMTVでアラニスを知り、CDも聴くことになったのだが、当時雑誌で「アラニス・モリセッテ」と表記されていたのを見たことがある。
おそらくは「Morissette」のスペルにつられたのだろう。
発音としてモリセットとどっちが正しいのかは知らない。
またアオリとしては「マドンナの秘蔵っ子」という表現があったことを覚えている。

その後98年にアルバム「Supposed Former Infatuation Junkie」をリリース。
全米1位は獲得したが、前作の売上がすごすぎたためか、売上枚数は大きく後退。
(それでも全米では250万枚以上の記録)
2002年に自身がプロデュースした「Under Rug Swept」も世界中でヒットするが、以降は4年ごとにアルバムを出すものの、全米でも100万枚を超えるようなセールスは記録していない。
日本には96年から2004年までの間に数回来て公演を行っており、愛知万博のカナダ関連イベントで歌ったこともあるそうだ。
女優としても活動しており、映画やテレビドラマにも出演している。

こんな自分でも「Jagged Little Pill」は聴いているくらいなので、当時の大反響は一応知っているつもりだが、その後の活動については知らなかった。
今もカナダやアメリカでは大スターなのだろうが、音楽以外の話で注目されることも多く、それがどれも明るい話題ではないようだ。
ネットで調べてみると、「過食症に苦しむ」「空き巣被害2億円」「過酷労働で息子のシッターに訴えられる」「元マネージャーが詐欺行為」など、アラニス本人だけでなく周辺を含む気の毒な週刊大衆っぽい話が多い。

肝心の音楽性だが、アルバム1枚しか聴いてないので評価も難しい。
が、結局ほとんど定着もしておらず、正直好みの範疇には該当はしていない。
歌い方に特徴のあるシンガーだが、あの時々裏返る声もどちらかと言えば苦手な感じだ。
顔はなんとなくシェールに似ていると思う。

ただしヒット曲「Ironic」だけはいいと思っている。
皮肉な例えを並べた歌詞も面白いし、サウンドも印象的でアラニスの声にマッチしている。
アラニスが車に乗り運転するシーンから始まり、4人のアラニスが歌いながらふざけあうというプロモ・ビデオも結構記憶には残っている。
初めはアラニスが一人で運転していたが、ミラーを見ると別の服装のアラニスが後ろに乗っていて、どんどん別のアラニスが増えてくる・・という、どこか怖い映像。

というわけで、やや上級者向けシンガーという感じがするアラニス・モリセット。
他のアルバムとしては99年の「Alanis Unplugged」や、バラードが多いとされる「Under Rug Swept」にかすかに興味がわいている。
聴くとしたらこのあたりではないかと思いますが、皆様のおすすめはありますでしょうか?

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聴いてない 第222回 アズテック・カメラ

人並みはずれて聴いてないものが多い自分だが、名前しか知らず聴いてない理由すら判然としない人たちがまだまだ大勢いる。
そこでしばらくはこの「なぜわたくしは聴いていないのだろうか」シリーズを続けてみようと思います。
結局ここまでのシリーズとなんら変わりませんが・・・

さて記念すべき222回は80年代洋楽好きなら誰でも知ってるアズテック・カメラ。
名前しか知らず、1曲も聴いてない。
どんなジャンルなのか、メンバーは何人いるのか、どこの国の人たちなのか、どれくらい借金があるのか、一切の情報を持っていない。
むしろどうして名前を知っているのか不思議だ。

80年代に活躍した人たちだと思うが、おそらくはそれほどチャートに登場してはいないのではないかと思う。
東郷かおる子や柏村武昭から教わった記憶もない。
ファンの間では「アズカメ」って呼ばれてるんですよね。
それほど親しくもなかった同級生が当時「アズカメは・・」と口にしてたような記憶はおぼろげにあるが、話はおそらくそれ以上広がらなかったと思う。
名前から勝手にテクノっぽい音楽をやるバンドなのかと思っていたが、どうも大はずれらしい。

そこで人生で初めて「アズテック・カメラ」をGoogleで検索してみた。
つくづく便利な世の中。
20年前だったら例によってFROCKLで「すいません、アズテック・カメラってどんなバンドですか?」と臆面もなく質問してしまっていたはずである。
Googleで得られた親切なアズカメ情報を羅列すると以下のとおり。

アズテック・カメラは80年にスコットランドで結成された。
初期のメンバーはロディ・フレイム(Vo・G)、キャンベル・オウエンズ(B)、デイブ・マルホランド(D)、クレイグ・ギャノン(G)。
しかしデビュー前にメンバーチェンジが相次ぎ、デビュー時にはロディとキャンベルの二人組となった。
・・・申し訳ないが、一人も名前を知らない。

バンド名の由来については特に意味はなく、古代的なもの(アズテック=アステカ文明)と近代的なもの(カメラ)を組み合わせただけとのこと。
このあたり、全くかみ合わないような2つの言葉を組み合わせた例として、レッド・ツェッペリンやアイアン・バタフライと同じようなノリなのだろうか?

81年にインディーズレーベルでシングルを2枚発表。
83年にデビューアルバム「High Land、Hard Rain」をリリース。
内容は当時のチャラい流行に逆らうかのような、アコースティックなサウンドに美しく青き若者の苦悩を歌う歌詞というものだった。
・・・すいません、テクノでもなんでもないんですね。

翌84年にダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーがプロデュースした2作目「Knife」を発表。
ここまではネオアコと呼ばれるサウンドだったが、次の「Love」では黒っぽいソウルフル路線に転換。
さらに90年の「Stray」では曲ごとに音が拡散しており、バラエティに富んだ仕上がりの一方で散漫という評価もあるそうだ。
転換以降の「Love」「Stray」はチャートでは地味な扱いだったが、この頃は日本では女性ファンにウケがよく、来日公演も何度か行なわれていた。

90年発表のシングル「Good Morning Britain」ではミック・ジョーンズが参加。
この名前で自分が先に思いつくのはフォリナーのリーダーだが、このミックさんは元クラッシュのギタリストでした。

デビュー10周年の93年に坂本龍一プロデュースの「Dreamland」をリリースし、全英チャート21位を記録。
同年にカバー曲と未収録曲の企画盤「Covers & Rare」を日本でのみ発表。
なおアズテック・カメラはカバーがわりと好きなようで、ヴァン・ヘイレンの「Jump」もカバーしてるとのこと。
全然知らなかった・・
雰囲気は元曲とは程遠いそうだが・・・

今のところ95年の「Frestonia」を最後に、アズテック・カメラとしてのオリジナルアルバムは作成されておらず、ロディ・フレイムはソロやユニットでの活動を続けている。
アズテック・カメラのベスト盤は99年と2011年に出ているようだ。
ロディのソロアルバムは2014年に最新盤が発表されている。

アズテック・カメラ、ウィキペディアではジャンルが「ギターポップ」「オルタナティヴ・ロック」「インディー・ロック」「ポストパンク」となっており、アルバムごとに音楽性がかなり異なるらしいので、一言でくくれるような人々ではないようだ。
少なくともテクノっぽいというのは自分の大幅な勘違いだった。
単純に名前の持つ響きだけでテクノかな?と勝手に思ってただけである。
ロック検定でアズテック・カメラについての問題が出なくてよかったよ。

また同じくウィキペディアでは「日本においては、ペイル・ファウンテンズや、オレンジ・ジュース、ブルー・ベルズ、エブリシング・バット・ザ・ガール等と共にネオ・アコースティック・サウンド(ネオアコ)の中心的核をなすグループと位置付けられており、ギターポップ的な指針を示した最も大切なグループの一つである。」と説明されている。
ここに挙がってるグループで自分が聴いてるのはエブリシング・バット・ザ・ガールだけだ。
(というか他は名前すら知らない)
が、なんとなくテクノよりは抵抗なく聴けそうな気がしてきた。
ネオアコという分野を意欲的に学習した実績は全くないが、サウンドが美しく調和がとれたものであれば、好みに合致する可能性もあると思う。(本当か?)

というわけで、アズテック・カメラ。
ネットで調べた範囲ではデビューアルバム「High Land、Hard Rain」と次の「Knife」の評価が高いようだ。
パンクやテクノの潮流に寄り添うことなくネオアコのブームを牽引した、という点で絶賛されているらしい。
一方で坂本龍一プロデュースの「Dreamland」が最高傑作との意見もある。
自分が聴くとすればネオアコ時代の2枚が比較的安心なのではと思われますが、皆様の評価はいかがでしょうか?

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聴いてない 第221回 モンキーズ

「長いこと勘違いしていた」というものは誰にでもあると思う。
それは人に言えないほどひどい勘違いだったり、他の人とも共通していて「オマエも?」といった連帯感を覚えたり、様々だろう。
で、自分の場合は「茶色い牛からコーヒー牛乳が出ると思っていた」「狂犬病の犬は電線を伝って歩くと思っていた」というのがある。(赤面)
いずれも小学生の半ばで勘違いに気づいたのだが、勘違いしたままオトナになっていたら・・と思うと寒気がする。
なお狂犬病については「伝染病」という言葉をよく理解せず「デンセン病=電線を歩く病気」だと解釈しておったのだろう。
子供ってメルヘンですね。(違うと思う)

さてさらにひどい勘違いが今日のお題。
実は「ビートルズに対抗すべくアメリカで作られたアイドルグループ」を、わりと長いことビーチ・ボーイズだと思っていたのだった。
いつ頃真実に気づいたのかは定かでないが、少なくとも80年代半ばまではそう思っていた。
柏村武昭も教えてくれなかったし。
ビーチ・ボーイズを聴いたのはこのBLOGを始めてからである。(遅すぎ)

そんな青春の誤解バンド、モンキーズ。
そもそもバンドじゃないと言い切る人もいるらしいが、聴いたことがあるのは「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」と「Daydream Believer」だけ。
「モンキーズのテーマ」ってのもあったような気がするが、フルコーラス聴いたことはない。
聴いてない度は3。

作られたグループなので人気と活動が続いた期間は短いようだが、優れた作曲者と演奏者により名曲を残しているという不思議な人たちである。
洋楽における必修科目とされる存在でもないだろうが、自分より少し上の世代の方が親しんでいたと思われる。

誤解はいちおう解いたつもりでいるが、あらためてモンキーズについてサルのように補習。

ビートルズをはじめとするイギリスのバンド人気に触発されたアメリカのテレビ番組制作スタッフが、ビートルズっぽいグループ主体の音楽番組シリーズを企画。
ロサンゼルスでメンバーがオーディションによって集められ、1966年モンキーズが結成される。
メンバーはデイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミス、ピーター・トークの4人。
この人数もおそらくはビートルズを強く意識してのものだろう。
なおスペルは猿の複数形「Monkeys」ではなく「Monkees」だそうだ。
これもビートルズを意識しての命名ですかね?

こうして「テレビ番組で4人のグループを人気者にする」という企画ありきの音楽活動がスタート。
NBCテレビで放送された「ザ・モンキーズ・ショー」が狙い通り爆発的な人気を呼び、モンキーズは一躍スターとなる。
実際に楽器ができたのはマイクとピーターの二人だけで、作曲も演奏もプロの手を借りてのものであったが、それが功を奏したのだろう。
デビュー曲「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」は全米1位を記録し、ニール・ダイヤモンド作の「I'm a Believer」は7週連続1位という記録を残している。

67年のシングル「Daydream Believer」も全米1位・全英5位の名曲である。
日本では80年にコダックのCMで使われ、現在も忌野清志郎(正確にはザ・タイマーズ名義)のカバーがセブンイレブンのCMで流れている。
今の若者の中には「Daydream Believer」がセブンイレブンのテーマソングだと思っている人もいるんじゃないだろうか。

その後メンバーは人気とは裏腹に次第に「やらされ感」に悩むようになる。
が、残念ながらビートルズみたいに音楽で自立できるほどの実力はなく、レコード会社や事務所側の意向に沿ってアルバム制作・映画撮影・世界各国での公演といった詰め込み活動を強いられ続ける。

3作目のアルバム「Headquarters」でオリジナル曲を7曲にまで増やしたものの、次の「Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd(スター・コレクターズ)」ではオリジナル曲は3曲だけとなるなど、自立困難な状況が続く。

68年にはテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」が終了する。
人気が落ちたからという理由ではなかったらしいが、当時テレビ番組はレコードセールスにおいてものすごい影響力を持っていたため、ここから売上は下り坂となっていく。

同年東京や京都で来日公演が行われるが、直後にピーターがグループを脱退。
69年に「Instant Replay」「Present」と2枚のアルバムを発表するがヒットには至らず、特に「Present」は全米100位までしか上がらなかった。
翌年マイク・ネスミスも脱退し、デイビーとミッキーの2人でアルバム「Changes」をリリースするが、全く売れないという悲しい結果に終わる。

モンキーズとしてのオリジナルアルバムはここまでとされているようだ。
86年にデイビー、ミッキー、ピーターによるデビュー20周年を記念しての再結成が行われ、新曲「That Was Then, This Is Now」も発表された。
全米20位まで上昇したそうだが、全然知らなかった・・
86年だとまだわりとマジメにチャートを追っていたはずなのだが・・

以降もベスト盤や企画盤は発売されており、結成30周年や45周年の節目に再結成ツアーを行なっている。
2010年には来日して「SMAP×SMAP」にも出演。
2012年にデイビー・ジョーンズが心臓発作で死去。
その後も残った3人(またはミッキーとピーターの2人で)時々ステージに立つことを続けている。

昨年モンキーズは20年ぶりの新作アルバム「Good Times!」を発表。
ノエル・ギャラガーやリヴァース・クオモが曲を提供し、亡くなったデイビーのボーカルも聴けるという。
マイクは不参加だが、アルバム発表を記念したツアーも行われたとのこと。

作られたバンドではあるが、デビューから50年経ってもオリジナルメンバーがステージに立てるというのはすごいことだ。
世の中に息の長いバンドはけっこうあるし、その肺活量も様々だとは思うが、こんな経歴と実績のグループだとは全然知らなかった。

初めて聴いた曲はおそらく前述のCMソングとしての「Daydream Believer」だったと思う。
その後FMの「オールディーズ特集」みたいな番組で「Last Train to Clarksville(恋の終列車)」を録音した。
これデビュー曲だったんスね。
初めて知りました・・

で、「Daydream Believer」である。
これもメンバーの作ではなく、作ったのはジョン・スチュアートという人。
親しみやすいメロディは清志郎の声でもいい曲だなぁと思うが、原曲の歌詞の意味はどうもわかりにくい。

タイトルの「Daydream Believer」自体がそもそもピンと来ないんだが、ネットで調べると「夢想家」「夢見る人」「夢見がちなヤツ」などとある。
さらにセットとなっている「homecoming queen」もなじみのない言葉だが、地域で学生によって選ばれる「ミス・キャンパス」みたいな意味とのこと。

サビの始まりの「Cheer up」は「元気出せよ」という訳が一般的のようだけど、言い方によっては「オマエ何言ってんだよ」というたしなめる時のセリフでもあるそうだ。
なので「いつも寝ぼけて夢みたいなことばかり言ってるジーン君、ミス・キャンパスだった彼女との現実の暮らしにはカネもいるし、そこんとこわかってるのか?」というおっさんくさい心配の歌、と解釈したんですけど、合ってます?
ジーン君本人が自らを奮い立たせる歌、という解釈もあるそうですが・・・

というわけで、モンキーズ。
ロクに聴いてない上に何一つ理解できていないという定番な有様ですが、正直それほどの危機感も持ってはおりません。
ただなんとなく「Daydream Believer」以外の曲も少し聴いてみたいとは思っています。
オリジナルアルバムが現在CDで入手可能なのかもわかってませんが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第137回 エリック・クラプトン その2

今日聴いてみたのはエリック・クラプトンの最高傑作とも言われる名盤「Slowhand」。
昨年あたりからクラプトンの学習意欲はなんとか続いているが、前回聴いた「461 Ocean Boulevard」は決して自分に定着したわけではない。
イーグルスの各盤も同じような感想になるが、「ああいい音楽だなあ」とは思うが、「繰り返し聴きたいなあ」とはまだならない。
一生ならないかもしれないけど。

あまり無理して玉砕し以降一切聴かなくなりましたという展開も悲しいので、今回は知ってる曲も多い「Slowhand」を弱気のチョイス。
これでダメならこの先もうクラプトンを聴く資格はない。
そんな初心者向けマンション投資講座に向かう心境で池袋ユニオンにて617円で中古CDを購入。

Slowhand

「Slowhand」は77年発表。
チャートでは全米2位、全英23位を記録。
アルバムタイトルはヤードバーズ時代につけられたクラプトンの例のあだ名を使ったもので、由来はやはりギターの弦を切って交換する間に客席で起こった催促の拍手とのこと。
最近ネットや書籍でクラプトンに関するいろいろな文章を読んだが、スローハンドの由来については、やはり「ギターを弾く手の動きが早すぎてゆっくり動いて見える」という説は後からくっついた話のように思う。

「Slowhand」はブルースに回帰したアルバムと言われる。
「461 Ocean Boulevard」のような復帰途上のリハビリアルバムではなく、精力的にライブを行った勢いそのままでスタジオ入りし、心身ともに万全の体制で臨んだ力作とのこと。
全曲イギリスで録音され、プロデューサーはストーンズツェッペリンのアルバムプロデュースでも有名なグリン・ジョンズ。

ブルース回帰盤と聞くと多少不安な面はあるが、知っている曲はそれほどどっぷりなブルースでもないので、まあなんとかなるだろう。
そんな「オレってインフルエンザにはかからないほうだから」と根拠もなくほざくバカサラリーマンのような思い上がった態度で聴くことにしました。

・・・・・聴いてみた。

1.Cocaine
オープニングは超有名な「コカイン」。
ただし発音はコケインである。
尊敬するアーチスト、J.J.ケイルのカバー。
ギターはもちろんクラプトン学習の教科書みたいにいい音がする。
全然明るくないのに、なぜか嫌いではない。
歌詞は「もし日常に飽きて逃げだしたいならコカイン」「不安を蹴飛ばしたいならコカイン」という薬物賛歌とも言える内容なのだが、クラプトンは逆説的にクスリとの決別を込めて歌っている、という説もあるようだ。

2.Wonderful Tonight
珠玉の名曲で、「日本では披露宴ソングの定番」と書いてあるサイトもあるけど、本当?
「Cocaine」との対比が象徴的な美しいバラードではあるが、先日読んだで、実は身支度や化粧の長いパティを皮肉った歌だと知った。

3.Lay Down Sally
軽快なリズムのカントリー風な曲。
これもベスト盤で聴いている。

4.Next Time You See Her
タイトルが思い出せなかったのだが、これもベスト盤で聴いていた。
少しのんびりしたゆるいリズム、どこかボブ・ディランのようにけだるそうに歌うクラプトン。
レゲエとカントリーをミックスしたような不思議な曲だが、いい曲である。

5.We're All The Way
初めて聴く曲である。
カントリー歌手のドン・ウィリアムスのカバーだそうだ。
ささやくようにクラプトンが歌い、左側奥から女性のバックボーカルが小さく聞こえる。
メロディは暗くはないが、クラプトンの声に抑揚がなく、やや重く感じる。

6.The Core
ギターやキーボードの音がなかなかかっこいいナンバー。
歌いだしがいきなり女性ボーカルで、クラプトンはむしろ後追いでサポートシンガーのように歌う。
この女性はボブ・シーガーのバンドにいたマーシー・レヴィという人で、曲もクラプトンとマーシーの共作とのこと。
ここまでで一番クラプトンのブルースギターが激しくうなる。
マーシーの声も曲調のわりには重くなくていい感じ。

7.May You Never
ミドルテンポでなんとなくジョージ・ハリスンのような雰囲気だが、曲はジョン・マーティンという人の作品。

8.Mean Old Frisco
一転どっぷりのブルース。
これもカバーで、作者はブルースミュージシャンのアーサー・クルーダップ。
サウンドは重いが、ギターの音は意外に悪くない。

9.Peaches And Diesel
ラストはインストナンバー。
リズムもメロディも「Wonderful Tonight」を少しいじったような感じで、安心して聴ける。

聴き終えた。
率直に言えば「461 Ocean Boulevard」よりもはるかに聴きやすい。
知っている曲も多かったせいもあるが、曲ごとの特徴は比較的はっきりしており、それがどれも自分にとってそれほど苦手な音ではなかったと思う。
クラプトン自身の充実した気力が伝わる作品である。(知ったかぶり)
多くの方々が名盤と評するのが少しだけわかった気がする。

グリン・ジョンズはこのアルバムで初めてクラプトンのプロデュースをすることになったが、それまでクラプトンに対してはあんましいい印象を持っていなかったらしい。
クスリや酒におぼれたダメなミュージシャンだと聞いていれば当然だとは思うが、実際アルバム作成にとりかかっても、クラプトンは怠け者ですぐスタジオを抜け出して外にサッカーしに行ってしまい、その度にグリンがスタジオに連れ戻してギターを弾かせたそうだ。
なのでグリン指導官がいなければ、おそらくこの名盤も生まれなかったということになる。
なんかこのグリン・ジョンズといいキース・リチャーズといい、「クラプトンは怠け者」って評判が多い感じですけど、こうなるとやっぱホントに怠け者なんでしょうね。

さてクラプトン。
この名盤を聴いて自分の中で評価が変わったかというと、まだはっきりとはわからない。
「Slowhand」は繰り返し聴きたいか?と八名信夫にすごまれたらうまく答えられるか不安なレベル。(伝わらない)
今のところまだクリームの音のほうが自分には合っているという感覚は変わらない。
やはりもう少し学習を継続する必要がありそうだ。(当たり前)

というわけで、「Slowhand」。
このアルバムは聴いて良かったです。
・・・ですが、この先どうしたらいいのか、少々迷っています。
70年代のアルバムとなると「Eric Clapton」「安息の地を求めて」「No Reason to Cry」が残っていますが、それよりは80年代の作品のほうが自分の耳には合いそうな気もするので・・・(いいから聴けよ)
いずれにしろ、近いうちに別の作品にトライしようと思います。

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聴いてみた 第135回 ローリング・ストーンズ その16

前回のストーンズ学習から早くも1年以上が経過してしまった。
もう主なアルバムはだいたい聴いてみたという思い上がったつもりでいたが、先日読んだブライアン・ジョーンズの伝記本に触発されて、ブライアン在籍中の未聴アルバムを学習することにした。
1965年発表の「Out Of Our Heads」である。

Our_heads_2

アルバムタイトルはなんとなく知っていたが、調べてみるとけっこう複雑な事情のもとに発表されている。
まずイギリス盤とアメリカ盤で収録曲が大幅に違う。
曲数はどちらも12曲だが、英米共通の収録曲は半分の6曲しかない。
なによりアメリカ盤にある「Satisfaction」が、イギリス盤には収録されていないのだ。

また公式アルバムとしてもイギリスでは3枚目、アメリカでは4枚目にあたる。
ジャケットも全然違うので、タイトルこそ共通だけど別の作品と考えてよさそうだ。
イギリスとアメリカで中身の違うレコードになっている、というのはビートルズでもあるけど、半分しか共通曲がないというのもややこしい話だ。

さらに。
アメリカでは次のオリジナルアルバムとして「December's Children (And Everybody's) 」が同じ年の年末に発表されているが、これがイギリス盤「Out Of Our Heads」の収録曲といくつかかぶっていて、ジャケットも同じ写真を使っている。
「Out Of Our Heads」の実績としては、イギリス本国ではアメリカ盤が1位を記録したが、イギリス盤は最高2位に終わっている。
うーん・・結果はともかく、そこまで国別に戦略を変える必要があったんだろうか?

自分は今回渋谷のレコファンで中古CDを買ったのだが、確認したらアメリカ盤のデジタルリマスターであった。
大英帝国のストーンズについて、アメリカ盤で「聴いてみた」と宣言してよいものか少し心配にはなったが、年末の忙しいさなかにこんな力のないBLOGなんてどうせ誰も見ていないので、開き直って聴くことにした。
うっすら調べたところでは、どうやらアメリカ盤のほうが世界中でより出回っているらしい。
日本でも発売されたのはアメリカ盤と同じ内容だそうだ。
なので今後たぶんイギリス盤は買わないと思う。
安けりゃ買ってもいいんだけど。

目玉はもちろん「Satisfaction」である。
ここからストーンズを追い始めたという元少年の熱き文章が、ネット上のそこかしこに置いてある。
今まで聴いてみた初期作品の「12×5」「Aftermath」はいずれも良かったので、今回もほとんど不安はない。
果たしてブライアン・ジョーンズはわたくしの心にどのような音を響かせるのでしょうか。(安い表現)

・・・・・聴いてみた。
 
1.Mercy, Mercy
若きミックの魅力あるボーカルが全開である。
まずはスタートからいい感じ。
ドン・コヴェイ&ザ・グッドタイマーズというバンドのヒット曲のカバー。
オリジナルのほうの録音にはジミ・ヘンドリックスが参加してるそうです。

2.Hitch Hike
路線は前の曲に似ている。
単調なメロディだが、間奏の甲高いギターがアクセントになっている。

3.The Last Time
ジャガー&リチャードのオリジナル。
この曲は粗野なイメージがなく、どこかビートルズを思わせるコーラスワーク。
意外なサウンドだが、悪くない。

4.That's How Strong My Love Is
ルーズベルト・ジェイミソンという人の作品。
ワルツ調のリズムにミックのガサツなボーカルが乗っかってこれまた意外な音になっている。

5.Good Times
なんとなくレゲエっぽいゆるいリズムにほのぼのサウンド。
ミックは結構器用に歌っている。

6.I'm All Right
この曲だけライブバージョンで、疾走感に満ちたロック。
観客の叫び声がかなり近い感じで聞こえるので、それほど大きな会場ではないように思う。

7.(I Can't Get No) Satisfaction
言わずと知れたストーンズ初期の名曲だが、フルコーラスを真剣に通して聴くのは初めてである。
もっと粗暴で早いスピードのイメージがあったが、あらためて聴くとそうでもない。

8.Cry to Me
これもワルツのリズムだが、バラードのように始まり、サビはブルースでミックがシャウト。
後半よく聞こえるベースラインが意外にいい。

9.The Under Assistant West Coast Promotion Man(ウエストコーストの宣伝屋)
同じメロディが延々続くやや単調な曲で、ハーモニカはブライアン・ジョーンズ。
ナンカー・フェルジ名義となっているが、元はバスター・ブラウンという人の「Fannie mae」という曲だそうだ。

10.Play with Fire
フォークソング風の静かなサウンド。
ハープシコードの音が聞こえるが、これはジャック・ニッチェの演奏とのこと。

11.The Spider and the Fly(クモとハエ)
どんよりしたブルース。
ネットで調べるとこの曲を一番に推す人も多いが、自分の好みからは少しはずれている。
玄人好みの一曲ということだろうか。
終盤でブルース・ハープを吹いているのはミック。

12.One More Try
ラストはロカビリーのようなノリのいい曲。
誰かのカバーかと思ったが、これはジャガー&リチャードの作品。

全体としては非常に聴きやすい印象である。
若きストーンズがリズム&ブルースを彼らなりに実直に表現しており、ミックのボーカルも比較的おとなしい。
「Satisfaction」は先鋭的な曲として語り継がれることになるが、今あらためて聴いてみると思ったほど粗暴でも野蛮でもなく、わかりやすいリズムとメロディである。
この曲での成功が後の「Jumpin' Jack Flash」につながっているのがよくわかる。

ストーンズとしての多面性が表面化するのはこのアルバムの次の「Aftermath」からだと思われる。
「Aftermath」は全曲ジャガー&リチャードのオリジナルであり、使用した楽器の種類も格段に多くなっている。
そういう意味では今回聴いた「Out Of Our Heads」は、まだカバーを多用する自立前時代の最終作品ということになる。

ブライアン・ジョーンズの演奏については、使用楽器はギターの他にはハーモニカとオルガンとなっている。
だがどの音がブライアンによるものなのかがあまりわからず、CDには解説もなかったので残念ながら評価のしようがなかった。
この点はもう少しネットで確認したり、詳しい人からの指導が必要である。

さて前述のとおりアメリカ盤とイギリス盤ではジャケットも違うのだが、アートとしてはイギリス盤のほうがいいと思う。
イギリス盤のほうが隙間からのアングルや構図に工夫があるし、メンバーの表情もきりっとしたイギリス盤に比べ、アメリカ盤のほうはどうもぼんやりした印象である。

ところで、タイトルの「Out Of Our Heads」とはどういう意味なのだろうか?
直訳すると「俺達の頭の中から」だと思うけど、それではいったい何のことやらである。
俗語では「酒や薬でフラフラ」「正気じゃない」といった意味にもなるようなので、「オレたちイカレてるぜ!」みたいな感じなのだろうか・・?
この後ブライアンが本当にイカレて死んでしまったので、もしそういう意味でタイトルにしてたらとても皮肉な話なのだが・・・

ということで、「Out Of Our Heads」のアメリカ盤。
「12×5」「Aftermath」に比べてややインパクトは弱いものの、全体的には聴きやすく良かったと思います。
次回もブライアン在籍時代の「Between the Buttons」を聴いてみようかと考えております。

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聴いてない 第220回 ハンブル・パイ

先日のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞騒動、いったい何だったんでしょうか。
マスコミが「ディランは傲慢」で見出しも本文も止めちゃったもんだから日本中のディランのファンが委員会に対して「お前らのほうが傲慢」と総ツッコミ。
中には「お前らはディランを全然わかっていない」と親戚みたいに突っ込んじゃった人までいたのに、実は委員会側も「傲慢だがそれが彼というものだ」と理解した上での授与であったことが後から発覚。
発覚というかマスコミが委員会の見解を正しく報じなかっただけのようですけど。

さらにその後ディランが委員会側に対して「授賞式には行けたら行く」と大阪のおっさんみたいな返事をしており、自称「ディランをわかっているファン」の人をさらにあわてさせる展開に。
結局はマスコミもファンもディランのことをあんましよくわかっていないということですかね。
「行けたら行く」「考えとくわ」は大阪人ならNOの返事だそうですけど、果たして授賞式にディランは現れるのか?
ディランのことを何もわかっていない自分も固唾を飲んで見守りたいと思います。

さて今日のお題はハンブル・パイ。
ディランともアンナミラーズともあまり関係はなさそうですが、とりあえず名前を知ってるだけで1曲も聴いたことはなし。
特にぷく先輩に「聴けたら聴く」とか生返事していたわけではないけど、触れる機会もなくこの歳まで生きてきた状態。
こんな珍奇BLOGを始めて13年近くになりますけど、13年経ってもまだこういった案件が出てくるってのも救いようのない話ですが。

仕方なくハンブル・パイについてパイ生地をめくるようにうっすらと調査。
ハンブル・パイは1968年にスモール・フェイセズのリーダーであったスティーヴ・マリオットとハードのピーター・フランプトンを中心にイギリスで結成。
フランプトンの誘いでグレッグ・リドリーとジェリー・シャーリーが加入し、ハンブル・パイとして活動を開始。
メンバーそれぞれが別のバンドで成功体験を持つというスーパーグループの誕生であった。
なおハンブル・パイとは直訳すると「粗末なパイ」「面白くないパイ」という意味だが、「鹿の内臓で作ったパイ」の意味もあるらしい。
鹿の内臓ってのはなんだ?と思ったら、その昔イギリスでは鹿狩りに出かけた主人が、狩りの成果として仕留めた鹿の内臓を使ってパイを作り、使用人たちに分け与えたという習慣?みたいなものがあり、このパイがハンブル・パイと呼ばれた、ということだそうです。
鹿の内臓パイ、うまいんだろうか・・・

そんな鹿の内臓バンドは69年にアルバム「As Safe As Yesterday Is」をリリース。
70年にA&Mレコードへ移籍し、バンドと同名アルバム「Humble Pie(大地と海の歌)」を発表。
ここから音楽性も変化し、プログレやブギーといった志向を採り入れていく。
しかし71年の「Performance Rockin' The Fillmore」を最後にフランプトンはバンドを脱退。
後任にデイヴ・クレムソンが加入し、バンドはマリオットを中心とするブルース・ソウル路線に傾倒していく。

新生ハンブル・パイは72年に不朽の名作と言われる「Smokin'」を発表し、全米6位を記録。
翌年の2枚組アルバム「Eat It」は、一瞬アル・ヤンコビックの顔が浮かんでしまうようなタイトルだが、AからC面がR&Bのスタジオ録音、D面だけライブという変則構成で、これも大ヒット。
このアルバムでストーンズの「Honky Tonk Women」やレイ・チャールズの「I Believe to My Soul」をカバーしている。
だがこの頃からバンド内は摩擦が生じ始め、75年には解散してしまう。

1980年にマリオットとシャーリー、さらに元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ、アンソニー・ジョーンズを加えた4人でハンブル・パイを再結成。
「On To Victory」「Go For The Throat」の2枚を出すものの、セールス的には振るわずチャート100位にも入ることなくやはり解散。
解散後もジェリー・シャーリーが時々ハンブル・パイを名乗って活動していたらしいが、ほとんど話題になることはなかったようだ。

90年代になってようやくマリオットとフランプトンが歩み寄りを始め、ハンブル・パイ再結成も近いと思われた。
しかしスティーヴ・マリオットは91年に寝タバコで火事を起こしてしまい44歳の若さで亡くなった。
このマリオットの死によって、純正ハンブル・パイ再結成は永久に不可能となってしまう。

21世紀になってからは時々再結成を行うが、いずれも一時的なものに終わっている。
ハンブル・パイ名義の公式アルバムは2002年の「Back On Track」が今のところ最後である。
この時のメンバーはグレッグ・リドリー、ジェリー・シャーリー、ボブ・テンチ、テイブ・コルウェルで、ピーター・フランプトンは参加していない。
なおグレッグ・リドリーは2003年に亡くなっている。

以上がハンブル・パイの略歴だが、知ってた話はひとつもない。
80年代の再結成とか91年マリオット焼死なんてどこかで聞いていてもおかしくなさそうだが、残念ながら柏村武昭はこのあたりは教えてくれなかった。

スティーヴ・マリオットは元スモール・フェイセズという肩書きなので、そこにピーター・フランプトンも加わってのスーパーグループというのはなんとなくわかるんだけど、そもそもスモール・フェイセズもピーター・フランプトンも全然聴いてないので、スーパーグループとしてのハンブル・パイのありがたみは全くわかっていない。
実は未だにエイジアのありがたみがわかっていないのと似ている。(違うような気もするけど)

ハンブル・パイというふわふわしたイメージから、勝手におだやかで軽いサウンドを想像していたが、全く違うようだ。
ネットで調べると、デイヴ・クレムソンのギターとスティーヴ・マリオットのボーカルが見事な調和で素晴らしいロックを聞かせる、という評価が非常に多い。
中には「ツェッペリンに匹敵するポテンシャル」「ペイジ&プラントを思わせる」と書いてあるサイトもあった。
ただしスティーヴ・マリオットの声はロバート・プラントのように金属的ではなく、ハイトーンではあるがハスキーなしゃがれ声だそうだ。

フランプトン脱退の理由はよくある「音楽性の違い」とのことだが、スティーヴ・マリオットは黒っぽいブルースやハードな音楽を追求したがっており、対してフランプトンはポップでアコースティックな音を好んでいたらしい。
もちろん聴いてみないと何にもわからないのだが、そうだとすれば自分の好みに合うのはフランプトン脱退以降である可能性が高い。
どっちもダメな恐れもあるが・・・
いずれにしろフランプトンは脱退後にソロで大成功しており、お互いの道を歩んで正解だった、ということだろう。

ネットでの評価では「Smokin'」「Eat It」の人気が特に高いようだ。
これまで全く視野に入ってこなかったバンドであるが、スティーヴ・マリオットの声やサウンドにわずかに興味がわいている。
上記2枚も含め、おすすめのアルバムを教えていただけたらと思います。

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