聴いてみた 第147回 グレン・フライ

今日聴いてみたのは前回のジェフ・ベックとは全く関係ないグレン・フライ。
たぶん競演したこともないと思います。(あったらすいません)
聴いたのは95年発売の「Solo Collection」というベスト盤である。

Glenn_frey

母校イーグルスの学習については、いちおう最初の解散までの全アルバムは履修済みで、最近は書籍などで少しずつ情報も仕入れたりもしている。
ただイーグルスのファンになったりライブに足を運んだり貴重な音源を西新宿で漁ったりといった発展成長にはつながっていない。
名曲をたくさん生み出した上に争い事も多いという極めて魅力的な団体のはずだが、何度聴いてもあまり向学向上心がわかないのだ。
理由は今もよくわからない。

そんな惰性で出席だけしてるバカ大学生みたいな自分だが、何を思ったかグレン・フライのソロまで聴くことになった。
イーグルスという名門バンド創設者のひとりであり、ソロでもヒットをたくさん飛ばしたことはもちろん知っているが、メンバーの中で特にひいきにしたりというわけでもない。
なおドン・ヘンリーについてもかなり前に「Boys Of Summer」を友人から借りて聴いたが、今も全然定着はしていない。
なんかよくわかりませんけど、自分はどうもイーグルス関連にはつれない感じなのだ。

そんな自分でもグレン・フライで知ってる曲もいくつかある。
「Sexy Girl」「Heat Is On」「You Belong To The City」「Love in the 21st Century」あたりがそうで、いずれもリアルタイムで聴いている。
テープに録音できたのは「Love in the 21st Century」だけだが、どれも覚えてしまうくらいFMやMTVでよくかかっていたのだろう。 

まあベスト盤なので初心者学習にはぴったりである。
知ってる曲もあるのでさほど不安なく聴けそうである。
果たして本当にグレン・フライの頭蓋骨はボコボコなのでしょうか。(意味不明)

・・・・・聴いてみた。

1.This Way To Happiness
2.Who's Been Sleeping in My Bed?
3.Common Ground
4.Call On Me
5.One You Love
6.Sexy Girl
7.Smuggler's Blues
8.Heat Is On
9.You Belong To The City
10.True Love
11.Soul Searchin'
12.Part Of Me, Part Of You
13.I've Got Mine
14.River Of Dreams
15.Rising Sun
16.Brave New World
17.Strange Weather

ベスト盤ではあるが、4曲目までは発売時点での新曲であり、またラストの「Strange Weather」は日本盤ボーナストラックのライブ曲。
「The Heat Is On」は映画「ビバリーヒルズ・コップ」の挿入歌、「You Belong To The City」はテレビドラマ「マイアミ・バイス」で使われた曲。
どちらも全米2位というグレンのキャリアの中で最高位を記録している大ヒット曲である。
なお「The Heat Is On」はグレンの作品ではなく、グレン自身も頼まれて歌った時はそこまでヒットするとは思っていなかったそうだ。

あらためて聴くと、イーグルス時代からのヒットメーカーとしての才覚がソロでも機能しているのがわかる。
AORとロックとポップスがバランスよく収録されており、飽きの来ない構成だ。
ベスト盤だから当然かもしれないが、どの曲も基本的に楽しくわかりやすく耳なじみの良い音で作られていて、変な旋律や不思議なアレンジといった演出がない。
加えてグレンのボーカルは、ゆったりAORでもスピーディーなロックでも不安定な箇所はなく、どの音域においてもツヤを失うことなく響いてくるので、引っかかる部分がどこにもない。
まさに信頼と実績のサウンドだ。

ただ、イーグルスのサウンドとはやはり違う。
当たり前だが、ドン・ヘンリーもジョー・ウォルシュもランディ・マイズナーもドン・フェルダーもいないからだ。
特にバックコーラスの作り込みは、やはりバンドとしてのイーグルスのほうが見事である。
バラエティに満ちたグレンのベスト盤なんだが、グレンが作ったり歌ったりしてるイーグルスの曲・・ではない。
ビッグなバンドの中では優れた才能同士が相互に作用して化学変化を起こし、1+1が3にも4にもなる、ということはよく言われる。
世界で一番有名な事例はもちろんレノン&マッカートニでありジャガー&リチャーズだが、この法則はフライ&ヘンリーにも当てはまるのだろう。

で、結局どう感じたのか?
サウンドが違うなどとエラそうに言っときながら、感想としてはイーグルスと同様なところになってしまう。
聴きやすくいい曲ばかりだが、繰り返し聴きたくなるかと言われると非常に微妙。
一軍登録から抹消するようなこともしないと思うが、先発ローテーション入りするのかどうか、現時点では断言できない・・といった低迷するダメ球団の監督みたいなコメントしか出てこない。

個人的には、この人はやはりしっとりバラードよりは軽快なロックで力を発揮するミュージシャンだと思っている。
なのでドン・ヘンリーとどちらが好きかは意見が割れると思う。
ドン・ヘンリーの神経質な世界観や哀愁に満ちたボーカルのほうが魅力を感じるという人もいるはずである。

グレン・フライは2016年1月に亡くなっている。
死因はリウマチ性関節炎と急性潰瘍性大腸炎、急性肺炎による合併症と発表されたそうだが、日本のニュースでの扱いはそれほど大きなものではなく、テレビで追悼番組が企画されることもなかったと思う。
本国アメリカや地元ロサンゼルスではどうだったんですかね?
なおその後今年になって、グレンに対して適切な治療を行わなかったとして、シンディ未亡人が病院と医師を訴えるという事態になっているらしい。

その後イーグルスとしては、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットの元メンバーに、カントリーミュージシャンのヴィンス・ギルとグレン・フライの息子ディーコンを加えた5人で全米ツアーを行い、来年はオーストラリアとニュージーランドでの公演も決定しているそうだ。

最近ヴァン・ヘイレンチープ・トリックなど、かつての名門バンドにメンバーの子供が加入してそれなりに活動してる例が増えているが、イーグルスも上記のツアーにドンの息子ウィル・ヘンリーも一時サポート参加するなど、このパターンになりつつある。
ライブでは息子側にも観客側にもやはり多少の緊張感はあるらしいが、名曲の演奏が進むにつれて相互の緊張も解けて大いに盛り上がる・・という共通した現象が起きるようだ。
息子の演奏技量や歌唱力が親父よりもポンコツだと、バンドまるごとダメージを負うため、息子もメンバーもそりゃあ緊張するでしょうね。
イーグルスもなんとかうまくやってもらいたいものだと思います。(上から目線)

というわけで、グレン・フライ「Solo Collection」。
もちろん決して悪い評価ではないのですが、ここからスタジオ盤学習へと発展するかどうかは自分でもわかりません。
イーグルスの作品含め、もうしばらく繰り返し聴いていこうと思います。

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聴いてみた 第146回 ジェフ・ベック その5

久しぶりの聴いてみたシリーズ、今回はこれまた久しぶりのジェフ・ベック
ロンドンにあるライブハウス「ロニー・スコッツ・ジャズ・クラブ」で2008年11月に行われたライブを収録したアルバムで、原題は「Performing This Week: Live at Ronnie Scott’s Jazz」。
モンスリー師匠のおすすめに従って聴くことにした。

Ronnie_scotts

ベックのライブ盤を聴くのは初めてである。
BBAや他のミュージシャンも参加したライブイベントでの演奏は聴いたことはあるが、ジェフ・ベック名義のライブ盤鑑賞はこれが最初となる。
そもそもスタジオ盤も大して聴いてないのにライブなど楽しめるのか不安は当然あるが、先日ベック本も読んだりして多少ベック学習に意欲がわいてきたところだったので、聴いてみることにした。

セットリストはベックの長年のキャリアのあちこちから集められており、新旧のファンを飽きさせない内容となっているそうだ。
果たして自分のような素人にも寛容なライブなのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

収録曲は以下のとおり。

1. Beck's Bolero
2. Eternity's Breath
3. Stratus
4. Cause We've Ended As Lovers
5. Behind The Veil
6. You Never Know
7. Nadia
8. Blast From The East
9. Led Boots
10. Angels (Footsteps)
11. Scatterbrain
12. Goodbye Pork Pie Hat / Bush With The Blues
13. Space Boogie
14. Big Block
15. A Day In The Life
16. Where Were You

基本的にはボーカル曲はなし。
この時のライブはゲストの歌うボーカル曲やクラプトンとの競演もあったそうだが、このCDには収録されておらず、インスト曲のみの構成となっている。
「Beck's Bolero」「Led Boots」といったスタジオ盤で聴き慣れた曲が登場するとやはり安心する。
このあたりはわりとスタジオ盤の音を丁寧に再現しているように聞こえた。

時代ごとの名曲をとりそろえたというセットリストだが、それぞれの曲の雰囲気はかなり違う。
ロックありレゲエありフュージョンありジャズありブルースあり。
ベックが長いキャリアの過程で様々なジャンルに傾倒していたことが、この16曲だけでもわかる気がする。
そもそもベックにそれほどなじんでもいないし、知ってる曲のほうが少ないが、退屈とか拒絶といったマイナスな感情は全くなかった。
バラエティに富んだ名演であることは間違いない。

この時のバンドメンバーは以下のみなさんである。
・タル・ウィルケンフェルド(B)
・ヴィニー・カリウタ(D)
・ジェイソン・リベロ(K)

いずれも自分は全然知らない人たちだが、ベックのバンドメンバーとしてはおなじみの面々だそうだ。
ベースのタルさんは当時21歳という超若い(言い方がおっさん)オーストラリア出身の女性ベーシスト。
ヴィニー・カリウタは様々なミュージシャンのサポートを務めており、ビリー・ジョエルの「ザ・ブリッジ」やデュランの「ザ・ウェディング・アルバム」などの参加実績を持ち、松任谷由実や中島みゆきなど日本人アーチストの曲でも演奏したことがあるとのこと。
「Blast From The East」の後半でそのカリウタさんのドラムソロがあるが、メンバー個人の目立ったソロパートはここくらいだったと思う。

期待して聴いたのはやはり「A Day In The Life」である。
この曲は本家ビートルズはもちろんライブで披露していないし、BBCでは放送禁止にもなったりしており、歌い継がれる名曲という趣きではない。
あまりカバーもされていないと思うので、ライブでこの曲を演奏したことがあるのは世界中でもベックくらいなんじゃないだろうか。
なんでこの曲を選んだんですかね?

で、ベックはこの曲をどう表現するのだろう・・と思って聴いてみたが、ボーカルの旋律をわりと丁寧にギターでたどっている。
ただしジョンの部分はボーカルのけだるい雰囲気をおおむね忠実にギターで再現していたが、ポールの部分は結構ベックの好きな音に引っ張っていたように聞こえた。
ポールのボーカル部分の独特な行き急ぐリズムにもあまり合わせておらず、そこだけ切り取って聞かされたら1回では「A Day In The Life」だと気づかないかもしれない。
大幅なアレンジもないが、単なる譜面どおりの演奏でもない、ベックならではの絶妙なカバーだと思う。

なおこのライブ盤は2014年にCD2枚組+DVD2枚組限定盤が再発され、音源も映像も追加されているようだ。
ゲストの歌うボーカル曲やクラプトンとの競演の他、映像には客席にいたロバート・プラントやジミー・ペイジの姿も収録されており、さらに充実した内容となっているらしい。

そんなわけであちこちのサイトに「やはりこのライブは映像で楽しむべきだ」という意見が書いてあったので、You Tubeでいくつか探して見てみた。
音だけ聴いていてもそれほど大きな会場ではないんだろうなと思っていたが、やはり客席とステージの距離はビルボード東京並みに近い。
サングラス姿のベックはこの時63歳だが、やはり若く見える。
何よりバックの3人との演奏を心から楽しんでいるのがわかるような表情だ。

さて男子注目のタル・ウィルケンフェルド。
このライブ以外の競演も含めて映像を見たが、ジェフ・ベックという大スターの横でベースを奏でるという、貧血起こしそうなプレッシャー・・なんか全っ然感じていないようなゆるやかな雰囲気。
多くの男性が「ベースのボディに片胸乗せて弦を弾く姿がたまらない」といったコメントを残してますけど、まあ同感ですわね。
ご指摘どおり見た目は確かに若くてセクシーな女性だが、演奏はもちろん体の中心でリズムをとる様子とか、ベックやメンバーに時々向ける視線など、存在感は完全にベテランの領域であると思う。
個人的には映像から受ける印象は大坂なおみに似てるように感じた。
ほわっとした力の抜けた表情でワールドクラスのすごいことをやってのける・・といったあたりが大坂なおみのようだ・・と思ったんですけどね。
まあこの時のタルさんの髪形も大坂なおみに似てたというのもあるが。

すでにこのライブから10年経過したことになるが、ベックの活動は今も変わらず積極的に続いている。
クラプトンはベックと競演しペイジは客席で見物という当時の状況は、3大スーパーギタリストの未来をそのまま投影していたようだ。

そんなわけでジェフ・ベックのライブ盤「Performing This Week: Live at Ronnie Scott’s Jazz」。
これはかなり良かったです。
もともとライブ音源をそれほど好まないほうで、しかもスタジオ盤ですら聴き慣れていないベックの作品でしたが、ベックの躍動感やバックバンドとの調和など、聴かせるポイントは随所にありました。
機会があれば追加音源や映像も鑑賞してみたいと思います。
その前にスタジオ盤の学習もしなければいけませんが・・・

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聴いてない 第243回 クリス・デ・バー

長くこんな珍奇BLOGをやってると、時々発覚するのが「本国(主に英米)と日本での人気に差があり過ぎる人」である。
今日採り上げるクリス・デ・バーもおそらくはそんな人ではないかと思われる。

クリス・デ・バー、聴いてない度は2。
1986年の「The Lady in Red」が唯一聴いている曲である。
この曲は全英1位・全米3位を記録し、映画「ワーキング・ガール」や日本のテレビドラマ「HOTEL」などに使われたそうだが、その話は全然知らなかった。
というかクリス・デ・バーについてはこの曲以外の情報は一切ない。
クリス・レアとの区別も全く自信がない状態である。

「The Lady in Red」は「サンスイ・ベストリクエスト」ではなく、たぶん「クロスオーバー・イレブン」で録音したと思う。
アルバムは聴いておらず、雑誌で記事を見かけたこともないため、顔もよく知らない。
自分にとっての洋楽三大講師である柏村武昭・小林克也・東郷かおる子のいずれからも、クリス・デ・バーに関する情報を一切教えてもらえなかった。
自分の場合、80年代当時にこの三講師から情報が得られていないと、結局今に至るまで情報量はほぼゼロなのである。
生涯初のクリス・デ・バー検索で得られた情報アジェンダをレジュメにしてお配りします。

・・・ところが出だしから衝撃の情報に遭遇。
調査のため真っ先にウィキペディア日本語版を見たら、「ジャンル:プログレッシブ・ロック アート・ロック ソフトロック ポップ・ロック」とあるけど、本当?
今までプログレについて様々な情報にふれてきたが、クリス・デ・バーがプログレの人だと書いている文章には出会ったことがない・・
あとプログレの他にアートやソフトやポップといったジャンル横断してるみたいですけど、そうなの?

謎は深まる一方の中、血を吐きながら続ける悲しいマラソン検索を進める。
クリス・デ・バーはアイルランドの人気歌手だが、国籍はイギリス。
税金はどっちに納めてるんですかね?
1948年アルゼンチン生まれ(ブラジル生まれと書いてあるサイトもあり)、本名はクリストファー・ジョン・デイヴィソン。
外交官の父の仕事により幼少期をマルタ・ザイール・ナイジェリアなどで過ごす。
アイルランドの首都ダブリンにあるトリニティ大学で学位を取得。
卒業後はイギリスに渡り、ミュージシャンとしての活動を開始。
「デ・バー」は英国王室の家系である母方の姓で、これを芸名に使用。

デビューは74年頃で、スーパートランプのツアーにサポート参加などもしたが、個人としてはなかなかヒット曲が出ず、長く下積み生活を送る。
82年のアルバム「The Getaway」でようやく全英30位を記録し、続く84年「Man on the Line」で全英11位を獲得した。
なお「The Getaway」は日本で初めて発売されたクリス・デ・バーのアルバムでもある。

86年シングル「The Lady in Red」が英米で大ヒット(イギリスで1位、アメリカ3位)し、アルバム「Into the Light」も全英2位を記録。
「The Lady in Red」は「ワーキング・ガール」の他、「ドッジボール」「ベイビーママ」という映画にも使われた。
このアルバムの9曲目「For Rosanna」で歌われた長女ロザンナは、後の2003年ミス・ワールドで優勝するという親孝行娘である。

88年にアルバム「Flying Colours」を発表。
しかし前作ほどの成績は残せず、結果的にここからセールスとしては下降に向かう。
89年には初めてにして今のところ唯一の日本公演が渋谷公会堂で行われた。
90年に初のライブアルバムを発表。
音源は地元ダブリンのコンサートで、日本公演の音は使われていない。

この後アルバムはベスト盤やライブやコンピレーションといった企画ものが増えていく。
全英トップ100位入りシングルは、今のところ99年の「When I Think Of You」が最後で、以降は出ていない。
94年のアルバム「This Way Up」にはアルバート・ハモンドが作曲した2曲が収録された。

2000年以降もコンスタントにアルバムをリリースしており、活動は継続中。
今年の夏もハイデルベルクやドルトムントなどドイツの各都市を巡るツアーが行われている。

例によってことごとく知らない話だった。
イギリス国籍でアイルランド中心に活動というのも初めて知りました。
なんか勝手にイタリアとかスペインとか南欧系の人なのかと思ってましたけど、違うようです。

日本公演は一度きりで、日本盤アルバムもほとんど廃盤らしいので、レコード会社も事務所も日本をマーケットとすることに関しては全然チカラが入らなかったと思われる。
なんでだろう?
「The Lady in Red」はおだやかで美しい曲だけど、当時のナウいジャパンのヤングが好んで聴いてたチャラい洋楽とは雰囲気がだいぶ異なるし、その後のクリスの曲がグランジ台頭にも合致したとも思えないので、戦略としては正解だったのかもしれないが。
アルバムはコンピ盤も含めると20枚以上あるようだが、この中のどれがプログレなんだろうか?

それでも「The Lady in Red」は名曲ではあると思う。
ゆるやかな旋律に愛情あふれる歌詞は、妻のダイアナが赤い服を着ていたのを見て作ったという話。
この曲はやはり夜が似合う。

もちろんクリス・デ・バーは全部こんな感じの曲だということではなく、ハードなロック・ナンバーからAORまでいろいろあるようだ。
アップテンポでシャウトする曲はあんまし評判よくないみたいですけど。

というわけで、クリス・デ・バー。
相変わらず失礼な問いかけで申し訳ないですが、聴いてた人っています?
アルバムを全部聴いてるよなんていう人は相当深いファンではないかと思いますが・・
日本盤は大半が廃盤らしいので、中古も含めてCDが店頭で売ってるのかもわかりませんけど、おすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第242回 バーブラ・ストライサンド

女性シンガーシリーズ、キム・ワイルドの次はバーブラ・ストライサンド。
自分のような万年初心者にしては極めて高尚なチョイスですけど。
女優としても有名だが、キャリアは歌手が先でアルバムも60枚以上発表してるそうなので、歌手として採り上げてみました。
バーブラなのかバーバラなのか、はたまたストライザンドなのかサンドなのか、ずうっと適当に覚えてましたけど、バーブラ・ストライサンドでいいそうです。

バーブラ・ストライサンド、聴いてない度は意外にも3。
80年の「Woman in Love」、81年の「Comin' In and Out of Your Life(愛のラストシーン)」の2曲を柏村武昭の案内により録音している。
バリー・ギブとのデュエット「Guilty」も大ヒットしたらしいが、これは聴いていない。
また当然ながら出演映画も全然見ていない。

実は女優でもあることを知ったのはこの2曲を録音した後である。
ロックやポップスというジャンルで長年活躍してきた人ではないとは思うが、録音した当時はFMでもよくかかっており、FMステーションに音楽記事が掲載されたこともあった。
本人の意向は不明だが、当時の日本ではレコード会社や音楽メディアもわりとバーブラ・ストライサンドを抵抗なく若者向けに発信していた気がする。
なので同世代の方であれば、映画は見ていないけど歌は知ってる、という人も多いのではないかと思う。

自分の実績は上記2曲という毎度のことながら頼りない状態である。
女優で歌手、大物、ユダヤ人という超基礎情報しか知らず、アルバムはもちろん聴いてない。
ネットで略歴を調べてみたが、ウィキペディア日本語版はかなり詳しい一方、他に詳しく書いてあるサイトはあまり見つからなかった。
今回はだらだら書かず、箇条書きでまとめてみました。

・本名はバーバラ・ジョアン・ストライサンド
・1942年4月24日ニューヨーク生まれ
・ユダヤ系ロシア人家系に育つ
・10代で歌手デビュー、女優としても活動
・下積み時代に芸名としてバーブラ・ストライサンドを名乗る
・1963年のファーストアルバム「The Barbra Streisand Album」でグラミー賞受賞
・1973年公開の映画「追憶」に出演、主題歌も歌いアカデミー賞受賞
・エミー賞、トニー賞も受賞経験あり
・ヒット曲は以下のとおり
 「People」(1964年)
「Stoney End」(1971年)
「The Way We Were(追憶)」(1974年)
「Love Theme from 'A Star is Born'(Evergreen)(スター誕生 愛のテーマ)」(1977年)
「Woman in Love」(1980年)
・ヒットしたデュエット曲
「You Don't Bring Me Flowers(愛のたそがれ)」 (ニール・ダイアモンドとのデュエット、1978年)
「No More Tears (Enough is Enough)」 (ドナ・サマーとのデュエット、1979年)
「Guilty」 (バリー・ギブとのデュエット、1981年)
・映画監督、プロデューサー、作曲家、脚本家の顔も持つ
・民主党支持者
・日本公演はまだ一度も行われていない

結局箇条書きでもだらだら書いてしまったが、やっぱり歌手・女優として長年活動してきたすごい人であることは間違いない。
しかもこの人の場合ただ活動するだけでなく、輝かしい実績が伴う豊かな活躍である。
1960年代から70年代・80年代・90年代・2000年代・2010年代でそれぞれアルバム全米1位を獲得しており、この記録はバーブラ・ストライサンドだけのものだそうだ。
また1位となったアルバムは10枚もあり、この記録も女性歌手としてトップだそうだ。

ロック・ミュージシャンとの競演や楽曲参加も多く、79年のアルバム「Wet」ではドナ・サマーとのデュエット「No More Tears (Enough is Enough)」を収録し、TOTOのメンバー(ジェフ・ポーカロ、デビッド・ハンゲイト、スティーブ・ルカサー、ボビー・キンボール)、デビッド・フォスターやラリー・カールトンらも参加。
84年の「Emotion」にもジョン・メレンキャンプの作品があり、ドン・フェルダーやスティーブ・ルカサーがギターで参加している。

すでに76歳を超えているが、今なお現役で活動中であり、年内に「Walls」というアルバムも発売予定。
ジョン・レノンの「Imagine」をカバーし、トランプ大統領に向けたメッセージソング「Don't Lie To Me」も収録されているとのこと。

実力は今さら自分みたいな素人が評価する必要もないだろう。
2曲しか聴いてないけど、歌唱力は確かなものだと極東の偏差値の低い学生でもはっきりわかったのだった。
ちなみに「Woman In Love」はバリー&ロビンのギブ兄弟の作品だそうだ。

個人的には顔もわりと好きなほうである。
本国では大きな鼻をイジられることも多いらしいが、実は目元や口元が高校の同級生のすみれちゃんに似ていて、すみれちゃんは顔も性格もすごくよくて好きだったので、つられてバーブラ・ストライサンド(の顔)も気に入ってたのだ。
天下の大女優に対して非常に失礼な話ですけど。

たぶん80年代後半だったと思うが、深夜のテレビでバーブラ・ストライサンドが出ていた映画を見た記憶がある。
全編通して見ていなかったので映画のタイトルもストーリーも不明だが、バーブラは確かストリッパーとかダンサーみたいな役で、シェリー・カーリーみたいな下着姿で、部屋で男と話し込むシーンだった。
この時もテレビ画面に映るバーブラの顔を見て「かわいいな」と感じたことを覚えている。(場内騒然)

なおネットで検索してて引っかかった情報だが、バラの品種に「バーブラ・ストライサンド」というのがあるらしい。
「多彩な才能で活躍したオスカー女優の名をもつ香り高く美しい魅力種」なんてアオリが書いてあります。

というわけで、バーブラ・ストライサンド。
やはり「Guilty」はアルバム・シングルとも聴いておかねばならない名盤なんでしょうね。
無難にベスト盤という選択肢もあるとは思いますが、TOTOの4人が参加してる「Wet」や、新作「Walls」も少し気になるところです。
日本での人気がどうなのか全然見当もつきませんが、おすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第241回 キム・ワイルド

女性ボーカリスト全般に疎いあたくしですが、この人もまた例にもれず聴いてません。
キム・ワイルド、聴いてるのは92年の「Million Miles Away」という1曲のみ。

存在はわりと早くから知っていたような気はするが、FMでふんだんにエアチェックしたり雑誌で頻繁に目にしたりといった人ではなかったと思う。
顔もレコードのジャケットなどを目にしていたので覚えてはいたが、事務所の戦略だったのか基本的に不満そうな表情(失礼)で、笑顔のイメージはない。
どこかSF映画の冷酷な悪役女性みたいな感じだと思っていた。

「Million Miles Away」はFMではなく、MTVの音声をテープに録音したのだった。
しかしテープが傷んでいたのか音飛びが発生してしまい、それで記憶に残っているという失礼かつ不本意な結果に終わっている。

これまでBLOGで採り上げてきたアーチストの大半が「自分が知らないだけで実はものすごい人気のスーパースター」だったりするので、キム・ワイルドもたぶんそうなんじゃないか・・?とおそるおそる調べてみたら、やっぱりそうでした。すいません・・・

キム・ワイルドは1960年11月ロンドン生まれ。
父親は歌手のマーティー・ワイルド。
母親もコーラスグループ所属の歌手、弟(兄と書いてあるサイトもあり)のリッキーも歌手・プロデューサーという音楽一家である。

81年にシングル「Kids In Ameica」でデビュー。
全英2位・全米25位を記録し、デンマークやアイルランドでは1位を獲得するなどヨーロッパ各国でも大ヒットとなった。
デビューアルバム「Kim Wilde(誘惑のキム)」は、父親マーティと弟リッキーが曲の大半を作詞・作曲し、リッキーがプロデュースを担当。
時代なんだろうけど、やっぱ邦題はダサい。
鋭いロックをまだあどけなさの残る美貌のブロンドが歌う、というミスマッチな魅力を狙っていたとされる。

82年のセカンドアルバム「Select」は、シンセサイザーを多用したポップ・ニューウェーブにシフト。
83年には日本の清涼飲料水のテレビCMに出演し、土屋昌巳がプロデュースした「Bitter Is Better」もヒットした・・ということですけど、すいません、全く覚えてません・・

ここまでは順調に進んできたキム・ワイルドだったが、アメリカ市場を意識してかダンスに路線変更。
しかしこれは裏目に出て、83年のアルバム「Catch As Catch Can」は全英最高90位にしかならず、続く「Teases & Dares」も全英66位・全米84位という悲しい結果に終わる。

低迷を脱出したきっかけは、86年発表のシュープリームスのカバー「You Keep Me Hangin' On」であった。
当時流行のディスコ調エフェクトで彩られたサウンドが世界中で大ヒットを記録し、キム・ワイルドは全米1位という自身初の快挙を達成。

88年に新曲「You Came」のプロモーションで来日。
あの11PMにも出演したそうだが、残念ながら記憶にない。
番組は見てたのかもしれないが、たぶん村上麗奈とかうさぎちゃんの登場を固唾を飲んで待っていて、キム・ワイルドはスルーした可能性が高い。

で、いよいよワールドクラスのスターの地位を確立・・かと思われたが、その後は意外に浮き沈みの激しい展開。
90年のアルバム「Love Moves」はアコースティック寄りに転向したことで、全米37位・全英24位といまいちな結果に終わる。
続く92年の「Love Is」もトップ10入りは果たせなかった。
自分が聴いた「Million Miles Away」はこのアルバム収録である。

93年にベスト盤「The Singles Collection 1981-1993」を発表。
シングル「If I Ccan't Have You」は全英12位・全豪(という言い方はチャートではあまりしないけど)3位のヒットを記録した。

しかし。
95年のアルバム「Now & Forever」”は全米114位・全英68位というかつてないほどの惨敗。
ここから活動はしばらく停滞し、新盤発表もなくなる。
2001年にまたベスト盤「The Very Best Of Kim Wilde」を作るなど、過去の財産を切り売りするような状況となる。

2003年に久々のシングル「Anyplace, Anywhere, Anytime」を発表。
あのネーナとデュエットしたことが話題となり、ヨーロッパ各国で大ヒット。
この影響からか、06年のアルバム「Never Say Never」は特にドイツで好評だったそうだ。
・・ネーナとキム・ワイルドがデュエットしてたなんて知らなかった・・
これ日本ではリリースされたんですかね?

2010年以降も活動は継続しており、2013年にクリスマス・アルバム「Wilde Winter Songbook」を発表。
企画盤のためセールスとしては全く話にならないレベルだったらしいが、本人はもうチャート入りなどどうでもいいことのようだ。
今年の3月にも「Here Come the Aliens」をリリースしている。

いろいろアップダウンはあったものの、世界的ヒット曲をいくつも持つシンガーであることは間違いないようだ。
全然知らなかったけど。
ただ日本では同じ時代に女性シンガーとしてマドンナシンディ・ローパーシーナ・イーストンオリビア・ニュートン・ジョンなんて人たちが活躍していて、これらの強敵を押しのけてFMや雑誌やMTVにぐいぐい露出する・・というのはかなり厳しかったと思われる。

聴いてない理由は単に機会がなかったからだけど、声やビジュアル面でも好みではなかった点もあるとは思う。
柏村武昭がもう少し推してくれていれば違った展開もあり得たのに・・(毎度)

変わった経歴?としては、キム・ワイルドは「世界で最も高いところで行われたライブ」の記録保持者だそうだ。
2013年にイギリスの航空会社が企画したイベントで、スパンダー・バレエのトニー・ハードリーとともにキム・ワイルドが飛行機に乗り、観客128人を前にライブを行った。
この時の高度が上空43000フィート(約13km)で、「世界で最も高いところで行われたライブ」の記録を更新したそうです。
飛行中の機内なんてキーンというノイズが鳴りっぱなしで、音響としても相当な悪環境だと思うが、ファンからすれば間近で歌うキム・ワイルドと世界記録達成を同時に共有できて、それは素晴らしい体験だったんだろう。

そんなわけで、キム・ワイルド。
今日本でふつうに手に入るかどうかもわかってませんが、聴くとしたらデビューアルバムか、むしろ売れなかったと言われてるアコースティック寄りの作品のほうが聴きやすいのではないか・・とぼんやり考えています。
みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてない 第240回 トム・ジョーンズ

毎日クソ暑い今年の夏、もうこんなBLOG誰も見ていないのをいいことによりによって芸能界一の暑苦しい男を採り上げてみました。
英米では「ザ・ヴォイス」「タイガー」などと称される大スターのトム・ジョーンズ。
日本での知名度は微妙だけど、たぶん多くの人が聴いたことがあるあの曲、邦題が「恋はメキ・メキ」。
自分もこの曲しか知らない。
80年代にプロモ・ビデオを伴って大ヒットしたりチャリティーコンサートで注目集めたりサーベルで若手をド突いたり雪の札幌をさまよったりといったミュージシャンではないので、日本でこの人の作品をくまなく聴いてるファンもそんなに多くはないんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうか。

「恋はメキ・メキ(If I Only Knew)」は日本のテレビ番組やCMで時々使われており、最も有名なところではテレビ東京「出没!アド街ック天国」の「○○コレクション」のBGMだろう。
○○には毎回採り上げられる街の名前が入る。
ご当地の女性60人を次々に映すあのコーナーだ。
自分もたぶんあのコーナーでこの曲を知ったと思う。
なお2018年現在はパティ・オースチンの「Kiss」が使われている。
短期間だが以前にヴァン・ヘイレンの「Dancing In The Street」も使われたことがあったはずだ。

で、トム・ジョーンズについてはそれ以上の情報は一切ない。
ベテラン歌手であることはなんとなくわかっていたが、そもそもどこの国の人なのか、どんなジャンルの人なのか、他にどんなヒット曲があるのかは全然知らない。

そこで宇宙人トム・ジョーンズについて調査開始。
だがやはり日本での支持率はさほど高くないのか、日本語で書かれたサイトは思ったよりも少ない。

トム・ジョーンズは本名をトーマス・ジョーンズ・ウッドウォードといい、1940年イギリスの南ウェールズ生まれ。
・・・あっそう・・・アメリカ人ではないんですね。
ずっとアメリカの人かと勝手に思ってました・・

16歳で結婚して子供も生まれたため、若くして歌手の他様々な仕事を経験。
ロンドンでの長い下積みを経て1964年にメジャーデビュー。
2枚目のシングル「It's Not Unusual(よくあることさ)」が全英1位の大ヒットとなった。
さらに「What's New, Pussy Cat(何かいいことないか小猫ちゃん)」、「I'll Never Fall In Love Again (最後の恋)」も英米でヒットし、スターの地位を獲得。

実力実績ともに認められたトム・ジョーンズは、1966年に007シリーズ映画「サンダーボール作戦」のテーマソングを歌った。
また同年カントリーのスタンダードである「Green, Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)」を歌い、7週連続全英1位を獲得。

69年にテレビの冠番組「This Is Tom Jones」がイギリスとアメリカで放送開始。
「Love Me Tonight(恋の終わり)」「I(愛の告白)」などカンツォーネやシャンソンを英語でカバーするなど人気は世界規模になっていった。

しかし70年代半ば頃からはカントリー中心の活動に移行し、人気も実績も徐々に縮小。
カントリー時代は86年頃までの10年間とされるが、その間に友人でもあったエルビス・プレスリーや、長年苦楽をともにしてきたプロデューサーやマネージャー、また実の父親も他界してしまい、トム・ジョーンズは大きなダメージを負う。

いよいよトム・ジョーンズも引退かと思われたが、87年にミュージカル「Matador」の劇中歌「A Boy From Nowhere」を歌い大ヒット。
翌88年にアート・オブ・ノイズとの共演でプリンスの「Kiss」をカバーし、これも大きな話題となった。

94年にアルバム「The Lead and How to Swing It(快楽天国)」をリリース。
プロデューサーはトムとの共演成功に味をしめた?アート・オブ・ノイズのトレヴァー・ホーンのほか、ジェフ・リンやリチャード・ペリーが名を連ねている。

90年代後半以降はセールス的には目立った実績はないようだが、今も現役で活動中。
長年の功績により99年には大英帝国勲位、2006年にはナイトの称号を贈られたそうだ。
2016年には日本公演(昭和女子大学人見講堂とオリックス劇場)が行われるはずだったが、家族の病気という理由で中止となった。

・・・ということで今回も初めて知る話だらけ。
なんとなく偉大な歌手なんだろうなくらいにしか考えていなかったが、長いキャリアの中で様々なジャンルを横断しており、想像以上に多角的な活動をしてきている人のようだ。
イギリスやアメリカでテレビの冠番組を持っていたそうなので、歌手というより「エンターテイナー」なのだろう。

さて唯一聴いてるシングル「If I Only Knew(恋はメキ・メキ)」。
全英チャート11位を記録したヒット曲だそうだが、ノリは嫌いではない。
「アド街ック天国」でもこの曲をチョイスしたのは良かったと思う。

しかし。
この曲についてさらに深く調べてみたら驚愕の事実が判明。
オリジナルはヒップホップのライズ・ロボッツ・ライズというグループが92年に出した曲だが、作者の中にはライズ・ロボッツ・ライズ以外にトレヴァー・ホーンとブルース・ウーリーの名前があるそうです。
ブルース・ウーリーはバックコーラスでも参加しているとのこと。
あの「ラジオスターの悲劇」を作って歌った人たちが、「恋はメキ・メキ」も作っていたとは・・全く知らなかった・・
全然雰囲気が違う曲だと思うんだが・・
もしかしてそんなの常識でしょうか?
ちなみに「恋はメキ・メキ」という邦題命名と日本盤ジャケット制作はみうらじゅんが担当。

アルバム「快楽天国」は聴いてはいないが、知り合いがCDを持っており、ジャケットが表裏とも強烈でよく覚えている。
アートのテーマはよくわからないが、どこか下品で古くさいアメリカのセンスを半分ギャグで使ってるような印象。
決して「オレってカッコいいだろ?」ではなく、「オレってダサいだろ?でもこんなこともできるのがオレ様なんだよ」という主張のように見える。(的はずれだったらすいません)

というわけで、トム・ジョーンズ。
自分みたいな万年ド素人が手を出せる相手でもないとは思いますが、聴くとしたらやはりまずは当然「快楽天国」からなんでしょうね。
他にもおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第239回 デペッシュ・モード

今日も相当ムリして採り上げてみました、デペッシュ・モード。
BLOGでこの文字列を入力すること自体初めてですけど、当然全く聴いておりません。
アズテック・カメラ同様、1曲も知らずメンバーも誰一人わからず。
イギリスのバンドだということはおぼろげにわかっていたが、なぜ名前だけは知っているのかもナゾ。
80年代洋楽につながる情報ソースを必死に思い浮かべてみたが、柏村武昭・東郷かおる子は言うに及ばず、姉や友人との会話に登場した記憶も一切ない。
そもそもわりと最近までテペッシュ・モードだと思っていた。

なので相当コアでマニアックなバンドなのかと思い、たわむれにウィキペディアをのぞいたら、いきなり「欧米ではスタジアム級の人気を誇る大物バンド」などと書いてあってびっくり仰天(死語)。
そうスか・・
激しく落胆のまま大物バンドであるデペッシュ・モード学習に突入。

デペッシュ・モードはロンドン郊外のバジルドンという街で、労働者階級出身の若者により結成されたバンドである。
結成当時のメンバーは以下のとおり。
・デイヴ・ガーン(Vo)
・マーティン・ゴア(G・Vo・K)
・アンディ・フレッチャー(K)
・ヴィンス・クラーク(K)

・・・なんかキーボード担当が多くないスか?
あとベースとドラムはいないの?

1980年に学校の同級生だったヴィンス、マーティン、アンディが「コンポジション・オブ・サウンド」というグループを結成。
さらに年下のデイヴを加入させ、バンド名をデペッシュ・モードとした。

81年シングル「Dreaming of me」でデビュー。
この曲はチャートで50位以内には入らなかったが、続く「New Life」が11位、「Just Can't Get Enough」は8位を記録し、アルバム「New Life」も全英10位と順調なスタートとなる。
・・・81年と言えばデュラン・デュランなど英国エレポップが極東日本のFMでもふつうに聴けた時期である。
全英10位を獲るほどのバンドの曲をどうして聴けなかったんだろう・・
柏村武昭は何をしていたのだろう・・

しかし好調だったはずのデペッシュ・モード、意外なほど早く内紛が発生。
多くの作詞作曲を担当していたヴィンスが「New Life」発表後に脱退し、その後ヤズーに加入。
ヴィンス脱退でそれなりにダメージは受けたものの、バンドは存続しアルバム「A Broken Flame」を発表。
シングル「「See You」も全英6位まで上昇した。

83年にはマーティンやアンディより2歳上の中流階級出身であるアラン・ワイルダーが加入し、アルバム「Construction Time Again」をリリース。
このアルバムからサウンドが変化し始め、また歌詞も社会派な内容が増えてきたそうだ。
なお83年には初来日も果たしている。

翌84年にバンドの代表曲と言われる「People Are People」を発表。
人種や階級による差別を批判する内容と言われ、様々な音をサンプリングした完成度の高い曲とのこと。
同年「Some Great Reword」、86年「Black Celebration」、87年「Music for the Masses」とコンスタントにアルバムを発表。
この頃から本国よりもアメリカでの人気が高まり、ツアーやプロモーションなども戦略的にアメリカ市場を強く意識した方向性に切り替わる。

90年代に入り、再びイギリスでの人気が復活。
アルバム「Violator」は英米ともに大ヒットし、全英チャートでは2位という最大のヒットアルバムとなった。

しかし大ヒットの副作用か、一時活動は停滞。
93年にようやくグランジやロックの影響を受けたとされる「Songs of faith and devotion」がリリースされる。
興行的には順調でアジアや南米も含むワールドツアーも行われた。(でも日本には来なかった)
ただメンバーはそれぞれ疲弊しており、アンディは精神を病み、アランは自分の扱いに不満を抱き脱退、デイヴは薬物中毒・自殺未遂・離婚を経験、マーティンもアルコール中毒となり、まともな人がいない苦しい時期が続いた。

だがバンドは解散せず、97年にアルバム「ULTRA」を発表。
全米1位・全英5位という底力を見せつける成績だったが、アラン不在の作品に厳しい評価を向けるファンも多かったらしい。

苦難を乗り越え、21世紀になっても活動は継続。
2001年に「Excitor」、2005年「Playing the Angel」、2009年「Sounds Of The Universe」、2013年「Delta Machine」が発売される。
アルバムの音楽性はそれぞれ異なるそうだが、どれも完成度の高い円熟の作品と高評価のようだ。
最新のアルバムは2017年の「Spirit」。

・・・今回も当然ながら知ってる話はもちろんひとつも出てこなかった。
そもそも音楽性もかなり変化してきたバンドで、一言でくくれるようなカテゴリーはないようだ。
初期はいわゆる英国エレポップにも含められていたようだが、ゴシックやメタルやグランジなど時代ごとに先端のエッセンスを採り入れて独自の路線を歩み実績を残してきたバンドだそうです。
・・・ということは、自分の場合ぶっつけで適当にアルバム選んで聴くと痛い目にあう確率が高い気がする。
入念に調べてから聴いてもダメかもしれませんけど。
ちなみに途中で脱退したヴィンスが加入したヤズーも全く聴いておりません。

英米ではスタジアムクラスのビッグなバンドとのことだが、日本では事情が少し異なると思われる。
ウィキペディアにも「日本での知名度は低いものの」って書いてあるし。
当時FMでもふつうに聴けたとか雑誌にばんばん載ってたとか「夜のヒットスタジオ」に出演して芳村真理が紹介スベったなどという扱いではなかったと思う。
でも90年の日本公演は武道館が2日もあったそうなので、やっぱり自分がよく知らないだけかもしれない。

なお日本のミュージシャンにはデペッシュ・モードのファンが多いそうだ。
石野卓球はプロになる前からずっとファンを続けており、土屋昌巳、高松浩史、ラルクのyukihiroなどは2016年にデペッシュ・モードのトリビュート・セッションを行ったとのこと。
玄人好みのバンドってことなんでしょうかね?

ということで、結局なんにもわからないデペッシュ・モード。
アルバムごとの特徴が相当異なるようなので、できれば重くて暗い音がするのは後回しにしたいところですが、こんな自分にも聴ける楽しいアルバムがあれば教えてください。

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聴いてない 第238回 アルバート・ハモンド

最近自分の鑑賞対象がほんの少しだがAORにふれつつあるが、「興味がわいた」「夢中になった」というレベルには全く達していない。
メタルやグランジといったジャンルよりも聴きやすいのではないかという安い理屈でしかないが、そんなAORの大海原をさまよううちにアルバート・ハモンドの名前にたどり着いた。

アルバート・ハモンド、たった1曲だけリアルタイムで聴いているのが81年の「Your World and My World(風のララバイ)」である。
AORと書いたが、アルバート・ハモンドがAORに該当するのかどうかもわかっていない。
聴いてない度は2。

FMでエアチェックできたのはこの曲だけだが、他に「カリフォルニアの青い空」「落ち葉のコンチェルト」といったナイスな邦題のヒット曲がある、ということはなんとなく知ってはいた。
でもどっちも聴いたことはない。
おそらく自分が思っているよりもずうっと偉大なミュージシャンなんだろう・・とぼんやり考えていたが、調べてみたら意外な事実が判明。
本人ではなく他のアーチストが歌った曲、要するに提供作品のほうが知ってる曲が多いのだ。
具体的には以下である。

スターシップ「Nothing's Gonna Stop Us Now(愛はとまらない)」
カーペンターズ「I Need To Be In Love(青春の輝き)」
・フリオ・イグレシアス&ウィリー・ネルソン「To All The Girls I've Loved Before(かつて愛した女性へ)」
シカゴ「I Don't Wanna Live Without Your Love」

厳密には他者との共作もあるようだが、いずれもアルバート・ハモンドの作品だとは今まで全く知らなかった。
やはり想像以上にすごい人なのだ。(単純)

ということであらためてアルバート・ハモンドのすごい略歴を調査。
1944年にロンドンに生まれたアルバート・ハモンド。
幼い頃に家族でスペインのジブラルタルに移住し、高校時代には友人とデュオグループを結成。
さらに「ダイアモンド・ボーイズ」というバンドでシングルレコードを出したりした。
その後イギリスでロス・シンコス・リカルドス、マジック・ランターン、ファミリー・ドッグといったバンドに参加し、ファミリー・ドッグでは「A Way of Life」というヒット曲も生まれた。
ちなみにこの曲にはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、エルトン・ジョンが参加しているそうだ。

70年代に入りアルバートはアメリカに活動の場を移す。
73年に「It Never Rains in Southern California(カリフォルニアの青い空)」を発表し、全米5位を記録する大ヒットとなる。
セカンドアルバムの収録曲「For the Peace of All Mankind(落ち葉のコンチェルト)」は日本でのみシングル発売され、日本でのみヒットした。

また同じ頃からアルバートの(共作含む)作品を他のミュージシャンが歌ってヒットという以下のようなパターンが続く。
・ホリーズ「The air that I breathe(安らぎの世界)」
・アート・ガーファンクル「Mary Was An Only Child(一人ぼっちのメリー)」
・カーペンターズ「I Need To Be In Love(青春の輝き)」
・レオ・セイヤー「When I Need You(はるかなる想い)」

その後も自身のシングルやアルバムはリリースしたが、80年代以降はほぼソングライター活動に主軸を置くことになる。
自分が聴いた唯一の曲「風のララバイ」は、実質アルバート・ハモンド最後のヒットシングルとなっているようだ。
この曲が収録された同名のアルバムにはジェフ・ポーカロ、ニコレット・ラーソン、ジェニファー・ウォーンズなどが参加している。

80年代のヒット作品は前述のとおり、スターシップやフリオ・イグレシアス&ウイリー・ネルソン、シカゴ、ホイットニー・ヒューストンといった多彩な人たちに歌われた。
その他にも以下のようなアルバート作品もある。
・リビング・イン・ア・ボックス「Room In Your Heart」
・クリス・デ・バー「The Snows of New York」
・ダイアナ・ロス「When You Tell Me That You Love Me」

90年代以降はそれほど目立った実績はないようだが、現在も活動中である。
2016年には43年ぶりの日本公演が行われた。
ビルボード東京及び大阪で自身のヒット曲に提供曲を混ぜたセットリストを披露し、日本のファンを喜ばせたとのこと。

相変わらず隅々まで知らない話だらけだが、やはり80年代のいくつかのヒット曲がアルバート・ハモンドの作品だったことに一番驚いた。
フリオ・イグレシアス&ウィリー・ネルソンの「To All The Girls I've Loved Before(かつて愛した女性へ)」は、自然界ではあまり出会わないくらいの凄すぎる組み合わせで話題となったことだけ覚えている。
当時アルバート作品という情報を仕入れていたら、アルバート本人の鑑賞もまた違った展開になっていたかもしれない。(適当)

ちなみに息子のアルバート・ハモンド・ジュニアは、ストロークスというバンドのギタリストとのこと。
・・ストロークスも全然知らないけど、わりと人気のあるバンドらしい。
ただジュニアは薬物中毒で他のメンバーとの間に溝ができてしまい、バンド運営にもいろいろ支障をきたしているそうだ。
お父さんはどう思っているんだろうか・・

というわけで、アルバート・ハモンド。
とりあえずは大ヒット曲「カリフォルニアの青い空」「落ち葉のコンチェルト」を聴かねばならないとは思いますが、「提供曲を含むベスト」みたいな企画盤はあるんでしょうか?
できればそんなところから試したいと虫のいいことを考えていますが、もしおすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第237回 グラス・タイガー

今日のお題は唐突に思い出したグラス・タイガー。
日本でヒットしてた時期がわりと短い期間だったため、その当時洋楽を聴いていた人でなければ知らないバンドだと思う。

グラス・タイガーはカナダのバンドである。
ヒットした「Don't forget me(When I'm Gone)」にブライアン・アダムスが参加しており、当時の雑誌には「ブライアンの弟分」「ブライアンが発掘」などといったアオリで紹介されていた。
この情報も聴いていた人ならおおむね知っているのではないだろうか。

で、自分も一応そこまでの知識は仕入れていたが、エアチェックできたのはその「Don't forget me(When I'm Gone)」と、「Someday」の2曲だけ。
どちらもいい曲だったが、アルバム鑑賞にまでは発展せず、それっきり。
聴いてない度は微妙の3。

さてグラス・タイガーを採り上げるにあたり、まずはネットで検索・・と思ったら、やはりウィキペディア日本語版がない。
いくつかのサイトやBLOGを巡回しかき集めた情報が以下になります。

グラスタイガーは83年頃カナダのオンタリオ州で結成。
カナダの5人組だがアラン・フルーだけがスコットランド出身。
メンバーは以下のみなさんである。
・アラン・フルー(Vo)
・アル・コンリー(G)
・サム・リード(K)
・ウェイン・パーカー(B)
・マイケル・ハンソン(D)

グラス・タイガーの原型はアル・コンリーを除く4人が結成した「Tokyo」というバンド。
(アル・コンリーは後から加入)
カルチャー・クラブのツアー前座が評価され、85年頃にキャピトルレコードと契約し、グラス・タイガーとしてデビュー。
ブライアン・アダムスのバックバンドなどを務めた後、ジム・ヴァランスのプロデュースでアルバム「Thin Red Line(傷だらけの勲章)」を発表。
ブライアンも参加した「Don't forget me(When I'm Gone)」や、「Someday」を含むシングル5曲が全てチャートインし、アルバムもカナダやアメリカで大ヒット。

その後88年にアルバム「Diamond Sun」を発表し、カナダではダブルプラチナを獲得したが、ドラムのマイケル・ハンソンが脱退。
4人となった後もバンドは91年にアルバム「Simple Mission」をリリース。
シングル「My Town」にはロッド・スチュワートが参加し、カナダでは8位、イギリスで33位、ドイツでは1位を記録した。
しかしアメリカや日本ではあまり売れず、バンドは93年に解散する。

2000年にクリス・マクニールをドラマーに迎え、5人組で再結成。
2005年に新曲を含むベスト盤を発表。
2012年にはデビューアルバム「Thin Red Line」のアニバーサリー・エディション盤が発売された。
DISC1がオリジナル・アルバムのリマスター盤、DISC2はヒット曲のロング・バージョンやライブ音源、未発表デモなどが収録されているそうだ。
本国カナダでは現在も活動中で、昨年もイベントやフェスで演奏したとのこと。
ただスタジオ盤は93年以降リリースはない。

ということでどれも全然知らない話であった。
アマチュア時代のバンド名が「Tokyo」だったのも今回初めて知った。
なんでTokyoだったんだろう?

同じような時期に同じくカナダ出身として活躍したラヴァーボーイコリー・ハートよりも印象は薄く、ミュージックライフで彼らの記事を見た記憶もない。
申し訳ないがアルバムジャケットも全く見覚えはなく、メンバーの名前も顔も知らなかった。
洋楽新人バンドってのはボーカルやリーダーによほど強烈なキャラクターやビジュアルや奇行が備わっていないと、日本のリスナーにメンバーまで記憶してもらうのは難しいとは思う。
デビューアルバムの邦題「傷だらけの勲章」も、当時のレコード会社の人は一生懸命考えたんだろうけど、なんか70年代青春ドラマっぽくてバンドのイメージやサウンドには全然合っておらず、戦略的に成功したとは思えませんけど・・

聴いてる2曲はたぶん柏村武昭プレゼンツだが、どちらもおだやかで聴きやすくいい曲だ。
「Someday」のほうがメロディがきれいだが、サビまでが少し短いように思う。
「Don't forget me(When I'm Gone)」のブライアン・アダムスのバックボーカルは、聴けばすぐにブライアンだとわかる。
曲調を大幅に飛び越えてブライアンの声が出ているので、冷静に聴くと少しやりすぎというかあまり合っていない気はする。
ただ「ブライアンも参加してる!」というのは当時の日本のヤングにとっては重要な付加情報だったので、やはり参加していただいて正解であったと思われる。

88年の「My Song」はアラン・フルーが故郷スコットランドに思いをはせて作った歌だそうだ。
前述のとおりロッド・スチュワートが参加してるそうだが、これもブライアン同様ある意味リスキーな演出ではある。
ロッドなんてブライアン以上に聴いてすぐわかるシンガーなので、話題にはなるけどヘタすると全部持っていかれる・・という葛藤はなかったのだろうか?
いずれにせよこの曲は聴いてみたいと思う。

というわけで、グラス・タイガー。
そもそも皆様はこのバンド、覚えておられるでしょうか?
アルバムを聴くとしたら当然「「Thin Red Line」からだとは思いますが、鑑賞履歴などお知らせいただけたらと思います。

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聴いてみた 第145回 デュラン・デュラン

今日聴いてみたのは驚愕のデュラン・デュラン
92年発表の「Duran Duran」、通称「ザ・ウェディング・アルバム」を聴いてみました。

その昔デュランはカルチャー・クラブ、ワム!とともに3大英国バンドとして日本のナウい若者を狂喜させていた・・と勝手に思う。
勝手に思ってるだけなので「バカモノオマエ3大英国バンドと言ったらなぁ」というご意見は当然あろうが、柏村チルドレンであるあたしは当時も今もこう思ってます。
その3大バンドで自分がよく聴いていたのはカルチャー・クラブだけだが、デュランの曲もFMで簡単にエアチェックできたので、知ってるヒット曲はそれなりにある。
アルバム「Rio」「Seven And The Ragged Tiger」は貸しレコード屋でLPを借りたが、思ったほど定着せず録音したテープは残っていない。
90年以降アルバムは聴いておらず、シングルも「Ordinary World」しか知らない。
自分のデュランに対する扱いはおおむねこんな程度だった。

1985年にバンドは分裂し、パワー・ステーションとアーケィデイアそれぞれで活動。
その後デュランとして再始動するがメンバーは3人となった。
アルバム「Notorious」は大ヒットするが、88年の「Big Thing」、90年「Liberty」で段階的に人気が下降。
3年ほどの停滞期間を経て発表されたのがこの「ウェディング・アルバム」である。

Duran

メンバーはニック、サイモン、ジョンに加え、ウォーレン・ククルロ。
ただしジョン・テイラーは2曲だけの参加。
ククルロさんのことはよく知らなかったので少し調べました。
元はフランク・ザッパ・バンドのメンバーで、脱退後はテリー・ボジオ夫妻らとともにミッシング・パーソンズを結成。
解散後86年頃デュランにサポートとして参加し、ツアーにも同行するようになる。
アルバム「Liberty」では正式なメンバーとなり、2001年までバンドに在籍した。
ザッパ・バンド出身ミュージシャンは変な人ばっかだそうだが、ククルロさんもギターテクは鋭いけどやっぱ変人らしい。

ということでレコード会社も当初発売には難色を示したと言われるデュラン復活の名盤「ウェディング・アルバム」。
果たしてどんな音がするのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

Too Much Information
Ordinary World
Love Voodoo
Drowning Man
Shotgun
Come Undone
Breath After Breath
UMF
Femme Fatale
None of the Above
Shelter
To Whom It May Concern
Sin of the City

ボーナストラック
Time for Temptation
Stop Dead

うーん・・・
80年代の軽薄と神経質が同居するあのデュランとは少し違う。
このアルバムでは軽薄も神経質もやや抑えられた印象。
全体的には落ち着きをたたえ、神経質は幽寂に姿を変えた・・ような感じ。

オープニングの「Too Much Information」はノリのいいロックだが、かつてのヒット曲のようなキャッチーさはない。
かっこいいサウンドではあるが、思ったほど印象に残らないのはなぜだろうか。

大ヒットとなった「Ordinary World」「Come Undone」だが、どちらも確かに名曲だと思う。
特に「Ordinary World」はオープニングの乾いたギターの音、曇ったモノクロなメロディ、広がりのわりにはかなげなボーカルという不思議な聴き所が随所にある。
歌詞を見ながら聴くとわかるが、詞のセンテンスとメロディの小節が微妙に合っておらず、けっこう凝った造りだ。
全然覚えてないが、ソニーのMDウォークマンとトヨタのレジアスのCMにも使われていたそうです。

「Come Undone」は「Ordinary World」と同じく物悲しいバラードだが、もう少しリズミカルで女性ボーカルと掛け合いがあるなど、わりとオールドでシンプルな構成。
ほぼウォーレン・ククルロの作品とのこと。

「Breath After Breath」はイントロは壮大で感動的だが、本編はジェネシスがフラメンコを歌ってるような妙な雰囲気。
「Femme Fatale」は「宿命の女」という邦題がついているようだが、シングルとしてはフランスでのみ発売されたそうだ。
この曲のメロディはどこかジョン・レノンの「Imagine」に似ている。

「UMF」「None of the Above」はどちらも80年代っぽいサウンド。
かすかに聴き覚えがある気がするが、「None of the Above」はホンダのインテグラのCMに使われたそうなので、たぶんそれが記憶の隅に残っていたものと思われる。
なお「None of the Above」は日本でのみシングル発売されている。

「To Whom It May Concern」はイントロでプッシュホン(という呼び方が当時のイギリスでも通用したかは知らないけど)のボタン音や呼び出し音が、また「Sin of the City」では都会の喧騒やパトカーのサイレンが効果として使われているが、どちらもさすがに21世紀の今聴くと古臭い。
90年代でもデュランはまだこういうアレンジをしてたのか・・・
曲調もお得意の神経質エレポで、このあたりはやはり(しかも自分は苦手な)デュランである。

聴き終えた。
テクノやダンスなどあちこちに80年代の音の破片やリズムの残り香はあるが、チャラいイメージや尖った雰囲気はやや薄まり、どこかプログレっぽく難しい雰囲気だと思う。
「オルタナにシフトした」という評価があるようだが、オルタナ自体よく知らないので、あまりこの評価はわからない。
少なくともミラーボールやレーザービームが飛び交うダンスフロアやフルーツ盛り合わせや席取られてるといったオールドなディスコイメージはもうない。(当たり前)

「Ordinary World」「Come Undone」の大ヒット曲は、評判どおりの高品質な作品である。
このヒットで新しいファン層を獲得したそうだが、わかる気はする。
逆に言うとこの2曲が突出して素晴らしく、他の曲とは明らかに色が違うのだ。
全曲この路線で行ってほしかった気もするが、それだとたぶんデュランじゃなくなるのかもしれない。

ジャケットはメンバーの両親の結婚写真とのこと。
どの写真が誰の両親なのか不明だけど、絵としてはもちろん幸せそうで悪くない。
ただなぜこのアルバムはウェディングなのかもよくわからない。
シングルカットされた曲はいずれも結婚とはあんまし関係なさそうだと思いますが・・

デュランのアルバム鑑賞はこれで3枚目なのだが、いずれも曲ごとの好みや評価が大きく分かれてしまい、アルバムとしてのお買い得感はやはり得られなかった。
結局失礼な話になるが、自分にとってデュラン・デュランはやはりベスト盤で満足してしまうバンドなのだ。

ということで、デュラン・デュラン「ウェディング・アルバム」。
「Ordinary World」「Come Undone」が名曲であることは理解できましたが、アルバム全体では好みから遠く難しく厳しい感覚が残りました。
無意味な判定ですが、リアルタイムで聴いていても感想はおそらく同じだったように思います。
残念ながらもう学習意欲はほとんどありませんので、デュランのアルバム鑑賞はこれで終わりになる可能性が高いです。

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