聴いてみた 第167回 ジョン・レノン その2

中高年ジョン・レノン周回遅れ補習シリーズ、名盤「Imagine」を発売50年後にようやく聴いてみました。(遅すぎ)

「Imagine」は71年発表で、ジョンとヨーコ、フィル・スペクターの共同プロデュース。
チャートでも全米・全英、さらには日本のオリコンやオーストラリア・西ドイツ・ノルウェーなど世界中で1位を獲得した、名実ともに輝く不滅の金字塔アルバムである。

前作「ジョンの魂」はジョンの私小説的な雰囲気が充満していたが、「Imagine」では楽曲も比較的一般受けしやすいものが収録され、プロデューサーに音壁王子ことフィル・スペクターを起用するなど、商業ベースを多少意識した音作りになっているとされる。

Imagine

参加メンバーもさらに豪華な顔ぶれ。
ジョージ・ハリスン、ニッキー・ホプキンス、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、さらにはキング・カーティスやジョン・バーハムも登場という贅沢なサポートを受けて完成したアルバム。
よく見るとドラマーが3人もいる。
(アラン・ホワイト、ジム・ケルトナー、ジム・ゴードン)
制作中のスタジオにはリンゴ・スターもいたはずだが、リンゴの名前はない。
ジョンがリンゴに「今回はもうええわ」と言ったのか、リンゴが自ら「今回はもうええわ」と断ったのかはわからない。
ただジョージやクラウスやニッキー・ホプキンスらが賑やかに集まるスタジオで、ビートルズ時代のような活動的なジョンの姿を見たリンゴは「もうジョンは大丈夫やな」と安心したのではないかと思う。
互いの曲作りへの協力体制は時期により違っていたらしいが、この頃までは引き続きポール以外の3人はそれぞれ仲良くやっていたようだ。

タイトル曲だけ突出してワールドクラスの名曲になっているので、アルバムとしての評価は今ひとつよくわかっていない。
チャート実績だけ見れば歴史的名盤なのは明白なのだが、果たして自分の耳にはどう聞こえるのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Imagine
タイトル曲でスタート。
すでに何度も聴いてきた名曲だが、初めて聴いたのはジョンが亡くなった直後である。
自主的に録音したことはないが、ジョンの死後にテレビやラジオで盛んに流れるようになったので、いつの間にか覚えてしまった。
この曲のドラムはアラン・ホワイト。

2. Crippled Inside
カントリー調のがちゃがちゃした楽しいメロディ。
コメディ映画のテーマソングのようだ。
あまりジョンらしくないサウンドで、少し意外な感じがする。
ジョージ・ハリスンの弾く印象的なギターはドブロ・ギターという楽器で、ボディに丸い金属の共鳴板がついているそうだ。

3. Jealous Guy
これもベスト盤で聴いていた名曲。
ブライアン・フェリーがステージでこの曲を歌う映像を見たことがあるが、やはり本家には及ばない。
バックに流れる壮大なストリングスには賛否両論あるようだが、これもフィル・スペクターの仕業なのだろう。
今まで聴いてきて全く気にならなかった。

4. It's So Hard
一転辛口でブルージーな楽曲。
ジョンのボーカルもワイルドで、本領発揮といったところ。
サクソフォーンでキング・カーティスが参加。

5. I Don't Wanna Be A Soldier Mama(兵隊にはなりたくない)
これも重くのしかかるブルース調のサウンド。
「兵隊にはなりたくない、死にたくない」というフレーズを繰り返す、これ以上ないストレートな反戦ソングである。
一度終わりかけてまた音が続く、どこかポールっぽいエンディング。

6. Gimme Some Truth(真実が欲しい)
LPではここからB面。
やや騒々しいジョージのギター、ジョンの絞り出す濁ったボーカル、詰め込まれた歌詞。
決して楽しい曲ではないが、悪くない音だ。

7. Oh My Love
再び静かなピアノのバラード。
雰囲気は「Love」の延長上にある。
このあたりの対比や緩急の付け方が見事である。

8. How Do You Sleep?(眠れるかい?)
ポールを徹底的にこきおろしたとされる問題作。
邦題は「眠れるかい?」となっているが、ビートルズ時代から目のでかいポールをからかってジョンが言っていたのが「How Do You Sleep?」という言葉で、「ヤツは寝てる時も目が開いてるんじゃねーのか?どうやって寝てるんだよ?」ということらしい。
初めて聴くが、サウンドはジョンの皮肉っぽい音そのものだ。
実際レコーディングの時にジョンはジョージや他のメンバーにも「もっと悪意を込めて演奏しろよ」と指示している。
この音にこの歌詞じゃ、さぞポールもイヤな思いをしたはずだろうけど、ポールは「この曲でジョンはひどいヤツだとは思わないでほしい」と大人な発言をしたそうだ。
おそらくこれがジョンにも伝わり、後にジョンは「結果的にポールを利用させてもらった」といった後悔のコメントにつながったのだと思う。

9. How?
おだやかな調べに乗せて歌うジョン。
むしろこの曲が一番ジョンらしい気がする。
あまりいい表現ではないが、ジョン版「The Long And Winding Road」のようだ。

10. Oh Yoko!
ラストも少しカントリーテイストなリズムとフォーク調メロディ。
終盤のハーモニカも効果的で、教科書の課題曲のような名曲である。
ジョンにしてはヒネリのないエンディングだが、安心して最後まで聴ける。
ラストでこんなストレートで純粋な曲を持ってくるのは素晴らしい。

聴き終えた。
「ジョンの魂」で感じた難しさはほとんどなく、初心者の自分にも聴きやすいアルバムだと思う。
フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに自分の耳が毒されていると言えなくもないが、結果的に世界中でチャート1位を獲得し、自分のような極東の貧困中年リスナーにもきちんと届くサウンドになっている。
ジョンの狙いもまさにその点にあり、「政治的なメッセージに、少し砂糖をまぶしてやればいいとわかったんだ」と発言している。

大雑把に言うと、ピアノやギター基調のシンプルな曲と、重くヘビーなブルース調の曲に分かれる。
ただビートルズにおけるホワイトアルバム以降のジョンの曲とそう遠くはないので、意外な展開や困惑する楽曲はなかった。

好みで言えば「Crippled Inside」「Gimme Some Truth」「Oh My Love」「Oh Yoko!」あたりがいいと感じる。
「Imagine」と「Jealous Guy」があまりにも偉大すぎるので、評価の中心もこの2曲になるのはやむを得ないが、他にもいい曲がたくさんあるじゃんというのが率直な感想である。

やはり最も異色なのが「How Do You Sleep?」である。
サウンド的にはヘビーなブルース調に属するが、そもそもA面のトップで世界平和を誠実に訴えていながら、B面では一番の友人を徹底的に攻撃してる時点でヤバいだろという状態。
世界平和の前にまずポールと仲良くやれよ、そんな話ならレコードに入れずに電話でポールに直接言えよという内容だが、まあこういうことを平気でやってしまうのがジョン・レノンという人なのだろう。
本当はもっと下品で辛辣な歌詞だったのを、あまりのひどさに不愉快になったリンゴが「いい加減にしろよ」と忠告したため、ジョンは渋々歌詞を修正したそうだが、修正前の歌詞も聴いてみたい気はする。
ポールのアルバム「Ram」もそうだが、こんな互いを攻撃するような極めてプライベートな内容の曲を、お金を出して聴かされていた当時の世界中のナウいヤングはどう感じていたのだろうか?

雲がかかったような印象的なジャケット写真は、以前はアンディ・ウォーホルが撮影したと言われていたが、実はヨーコがポラロイドカメラで撮影したものだそうだ。
ジョンには常に芸術家ヨーコがついていたからという理由だけでもないとは思うが、ジョンのソロアルバムのジャケットは、ポールの作品よりもアートな雰囲気がにじみ出ていて、どれもレベルが少し違うと感じる。

というわけで、「Imagine」。
これはよかったです。
特に初めて聴いた曲がどれも素晴らしく、あらためてジョンの才能やセンスに驚かされました。
発表から50年も経って今さらこんな陳腐な感想を発信してるのもどうかとは思いますが・・
次は「Mind Games」「心の壁、愛の橋」のどちらかを聴いてみようと思います。

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聴いてない 第275回 M

タイプミスではありません。
今日のお題は懐かしのM。
70年代末期に「Pop Muzik」を大ヒットさせたあのMです。

聴いたのはその「Pop Muzik」と、80年のシングル「Official Secrets」だけ。
いずれも柏村武昭の紹介により地味にエアチェック。
本名や国籍や家族構成や貯蓄額などは一切知らない。
聴いてない度は3。

「Pop Muzik」が大ヒットしていた当時、Mにハマった友人がいて、アルバム「New York-London-Paris-Munich」の輸入盤を入手していた。
そいつはよほどうれしかったのか、買った輸入盤をわざわざ学校に持ってきて自慢していたのだが、当時の輸入盤レコードは独特の黄色っぽいニオイがして、自分はどうにもあの香りになじめず、友人からの「貸してやる」のお誘いも丁重にお断り。
結局アルバムは聴かずじまい。
そんなわけで自分にとってMといえば楽曲とともにあの強烈なニオイが強く印象に残っている。

「Pop Muzik」は聴いたものの、世界中を席巻していたテクノポップにも実はそれほど興味はわかなかった。
日本でもYMOをはじめヒカシューやランドセルやPモデルやプラスチックスといったテクノな人たちが続々登場したが、どれもまともに聴いたことはない。

大ヒット40周年を記念してMについて今夜調べてみました。(適当)

本名はロビン・エドモンド・スコット。
とりあえずイニシャルMではないようです。
1947年イギリスのサリー州クロイドン生まれ。
ロビン少年はクロイドンで育ち、地元の美術大学に通う。

60年代後半にセックス・ピストルズのマネージャーとして知られるマルコム・マクラーレンと、マルコムのパートナーでありファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドに出会う。
ロビンはマクラーレンとウェストウッドから、彼らが立ち上げたチェルシーのブティック「SEX」に参加しないかというお誘いを断り、音楽でのキャリアを築くことを選ぶ。
あのマクラーレンとウェストウッドに出会った・誘われたという経歴はジョン・ライドンと同じだが、その後の展開は全く違ったようだ。
そのまま二人の誘いに乗っかってたら、パンクで有名になっていたかもしれない。

ロビン・スコットは大学在学中からラジオやテレビ用に曲を書く仕事を始め、1969年にアルバム「Woman From The Warm Glass」でデビューする。
中身はアシッド・フォーク・ロックで、マイティ・ベイビーというバンドのメンバーが参加。

その後はブルースバンドに参加したり、デビッド・ボウイキャメルなど様々なミュージシャンと交流し曲を作ったりしたが、メジャーリリースには至らず。
他にもミュージカル用の曲を書いたり、プロデュース業をやってみたりと地味に音楽活動を継続。

78年頃、ルーガレーターというR&Bバンドのデビューアルバムをプロデュースするため、「Do It Records」という名のレーベルを知人とともに設立。
このレーベルから初期のアダム&ジ・アンツの作品をリリースしたり、ロビン自身も「Comic Romance」という名義でシングル「Cry Myself to Sleep」を発表している。

そしてロビンが当時「M」と呼んでいたセッションミュージシャンのグループとともに、名曲「Pop Muzik」、アルバム「New York-London-Paris-Munich」をプロデュースして録音する。
参加した他のミュージシャンには、ロビンの弟であるジュリアン・スコット、キーボード奏者ワリー・バダロウ、ジョン・ルイス、ブリジット・ノヴィク、後にレベル42に加入するフィリップ・グールドがいた。
録音はスイスのモントルーで行われ、当時モントルーに住んでいたデビッド・ボウイも手拍子で参加している。
え、手拍子だけ?
せっかくボウイさん来てくれはったならワンフレーズでもいいから歌も録音したらよかったのに・・

手拍子の甲斐もあって「Pop Muzik」は各国の週間チャートで軒並み上位を記録し、全米1位・全英2位、オーストラリアやカナダや西ドイツでも1位を獲得する大ヒットとなった。

今回調べてみて初めて知ったのだが、Mとは公式にはロビン・スコットの個人ユニットではあるが、そもそもはロビンも含めたセッションミュージシャングループのことだった。
大ヒットした後、ギャラや印税の配分でモメたりしなかったのだろうか。
ボウイは手拍子だけでいくらもらえたのだろうか。(発想が貧乏人)
なおMという名前は、当時パリでジャケットのデザインを考えていたロビンが、地下鉄(メトロ)のでかいMの字看板を見て思いついたとのこと。

Mは80年シングル「Official Secrets」「Keep It to Yourself」とアルバム「The Official Secrets Act」をリリース。
イギリスとアイルランドで録音され、レベル42からフィル・グールドとマーク・キングも参加。
「Pop Muzik」の国際的大ヒットの勢いそのままに、事務所もレコード会社も期待を込めての発表だったが、なんと結果は惨敗。
「Official Secrets」は全英64位どまり、アルバムも全米全英はおろかどこの国でも200位にも入らず。
この落差は今見ても驚くほど厳しい。
イギリスの芸能界も怖いスね。
日本じゃ一発屋の称号が似合うMだが、そう言われても仕方がない実績である。
なお惨敗をよそにロビン・スコットは、坂本龍一に誘われて81年のアルバム「左うでの夢」を共同プロデュースしている。

懲りないロビン・スコット、82年にはMとしての3枚目のアルバム「Famous Last Words」を発表。
再びレベル42からはフィル・グールドとマーク・キングが参加。
また高橋幸宏やトーマス・ドルビーも協力した話題性がっちりの作品だったが、セールスとしてはまたも失敗で、本国イギリスでは発売もされず、他国のチャートをにぎわすようなこともなかった。

これでレコード会社MCAとの対立も決定的なものとなり、以降二度とMCAから作品をリリースすることはなかった。
ロビンは新たな方向性としてアフリカ民族音楽に傾倒するようになる。
83年から84年にかけて多くのアフリカのミュージシャンたちと共演。
南アフリカの女性ボーカルトリオ、シキシャとの共作アルバムも発表した。

その後はしばらく表舞台に立つこともなく、当然ヒット曲もロケ弁もギャラも出ない状態が続く。
ただアルバム「New York-London-Paris-Munich」は歴史的名盤として評価は高く、97年再発時にはボーナストラックが13曲も追加された。
また2002年にもボートラ5曲を含む全13曲収録で再発売されている。

2007年8月頃オーストラリアで開催されたコンサートに出演し、初めて「Pop Muzik」をライブ演奏した。
現時点での最新作は2017年リリースの「Emotional DNA」。

・・・今回も全っ然知らない話だらけ。
失礼ながら今も現役で活動中というのも知らなかったし、マクラーレンとウェストウッドに誘われたという経歴も初めて知った。

聴いた2曲はどちらもテクノサウンド満載で、当時の音楽情勢を雄弁に語る楽曲である。
「Official Secrets」のほうがやや英国エレポップの神経質な要素を取り込んでいる気がする。
「Pop Muzik」はイントロは印象的だが、リズムやメロディは思ったよりも単調に思える。
どちらも好みの音かと言われるとやはり微妙で、当時流行っていて録音できたから消さずに聴いていただけ。

でも「Pop Muzik」はU2がツアーでこの曲をリミックスして使ったり、カバーした人たちも複数おり、イギリスではテクノブーム時代を象徴する名曲ではあるらしい。
本国ではMことロビン・スコットは一発屋扱いではないのだろうか?

「Pop Muzik」の歌詞も今回初めて調べてみたが、つぶやきや口語の部分も多いので、紹介してるサイトごとに細かい部分で微妙に言葉やスペルが違う。
少なくとも恋する心情を歌ったり愛の情景を綴ったりといったものではなく、韻を踏んで言葉をつないでみたり、思いつくままフレーズを並べているだけで、日本語に訳すること自体無理があるようだ。

アルバムのタイトルのとおりニューヨーク・ロンドン・パリ・ミュンヘンが出てきたり、「ラジオにビデオ、スーツケースを持ってブギーしよう、ディスコ三昧の生活をしよう」と呼びかけたりしている。
「I can't get jumping jack、I wanna hold get back」という部分は、ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」とビートルズの「Get Back」を指しているとのこと。

なんとなく意味がありそうなセンテンスはそれくらいで、他はディズニーアニメ「ミッキーのジャックと豆の木」で巨人が口ずさむ鼻歌部分「Fe, fi, foe, fum(ふんふんふん♪といった感じ?)」を歌詞に入れてみたり、子供が使う古典的な言い回し「Eenie, meenie, mienie, mo(日本語で言うと「どーれーにーしーよーうーかな」)」を採り入れたり、かなり自由で好き勝手な歌詞だ。

さてロビン・スコットから「Pop Muzik」のパクリだと訴えられた、とあちこちのサイトに書いてあるのが以下の2曲だ。
・ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「I Want A New Drug」
・レイ・パーカー・ジュニア「Ghostbusters」

ただしこれもサイトによって記述はけっこうバラバラ。
結果は「ロビンの勝訴」と書いてあったり、「ほとんど話題にならず」で終わってたり。
さらには訴えられたのはレイ・パーカーだけになってるサイトもあって、真相はよくわからない。
なおヒューイ・ルイスが「Ghostbusters」は「I Want A New Drug」のパクリだとレイ・パーカー・ジュニアを訴えた、というのは各サイトとも共通していた。
とりあえず3曲とも知ってるが、まあ確かにリズムは似てるけど・・これがパクリだったらもっと似てる組み合わせはあるよなという感想。
そういえば「うっせえわ」って、ストーンズの「Neighbours」に似てません?

というわけで、M。
そもそも日本のリスナーからはどんな評価を受けてるのか全くわかりません。
M名義のスタジオ盤は3枚とのことなので、気合いを持って臨めば全盤制覇も不可能ではないとは思うが、当然名盤「New York-London-Paris-Munich」ははずせないでしょうね。
皆さまの鑑賞履歴や評価について教えていただけたらと思います。

 

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聴いてみた 第166回 ジョン・レノン

70年代ポール・マッカートニーをなんとか制覇してやれやれ一安心の聴いてみたシリーズ。
だが没後40年半、また東洋一の珍奇BLOG開設以降17年半もの間力一杯放置していたのが、ポールと並ぶ大英帝国音楽界の双璧・巨大なる音楽山脈・ひとり民族大移動ことジョン・レノンである。(適当)
まあジョージリンゴも放置してることに変わりはないが、ポールだけ聴いてジョンの作品を一切聴いてないというのは相当深刻な状況だ。(今さら)

ただし。
相手は一筋縄ではいかないジョン・レノン。
時系列にそって正しく鑑賞・・と行きたいところだが、さすがに前衛芸術家ヨーコと組んで発表した69年までの3作品からではハードルが高すぎであろう。(聴いてないけど)
なので一応ビートルズ解散後のソロキャリアとして最初の作品である「ジョンの魂」を聴くことにしました。
なお今回聞いたのは2000年発売のリマスター盤である。

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原題は「John Lennon/Plastic Ono Band」。
ジョンとヨーコ、フィル・スペクターによる共同プロデュースで、ヨーコ名義の「Yoko Ono/Plastic Ono Band」という前衛的な曲を集めたアルバムと対になっているそうだ。
申し訳ないけど、ヨーコ名義の音楽は全く興味はわかない。

取り急ぎ制作の経緯をネットで調べてみた。
ビートルズ解散騒動の影響は4人それぞれにあっただろうが、ソロアルバムをポールは一人で作ったのに、ジョンにはリンゴ・スターやクラウス・フォアマン、ビリー・プレストンが協力している。
またジョンが30歳の誕生日である10月9日に「Remember」を録音していると、ジョージ・ハリスンがお祝いのためスタジオを訪れ、リンゴと3人でしばしご歓談したという話もある。
なので図式としてはやはり解散前後はポールだけが孤立し、ジョン・ジョージ・リンゴと対立関係にあったのは間違いないようだ。

ビートルズ解散後、ジョンの精神的ダメージやLSDの影響を心配したヨーコは、ジョンとともにアメリカのアーサー・ヤノフ博士が提唱した精神療法である「プライマル・スクリーム(原初の叫び)療法」を受けることにした。
治療はまずロンドンで4週間行われ、その後はロサンゼルスで4ヶ月間続けられた。
ヤノフ博士の治療は、抑圧された子供時代のトラウマを感情的に吐き出すことを主眼としていたとされる。

しかし、ビザ期限切れを理由にアメリカ移民局からジョンに国外退去命令が出たため、イギリスに戻らねばならず、治療は中断してしまったそうだ。
ヤノフ博士は、ジョンのトラウマはかなりの重症であり、治療は最低1年は必要と判断していたので、治療が途中で終わってしまったことを心配していた。

ジョン自身は、途中で終わってしまったものの治療については肯定的で、感情を価値のある自己啓発的な作品に昇華することができたと表明している。
結果として「ジョンの魂」は、この原初療法の経験が強く反映され、シンプルではあるが強烈な内面感情の発信となって完成されたことになる。

レコーディング中もジョンはかなり不安定で、「録音の途中で急に泣き出したり、叫び始めたりしたこともあった」と後にリンゴは語っている。
そもそも「オレはもうビートルズをやめてヨーコと生きていくんや」と先に脱退表明したのはジョンなのに、いざ解散となったら混乱ぶりはポール以上に深刻で、たぶんリンゴはジョンのことが心配でレコーディングに協力したんじゃないかとも思う。
長い付き合いの中で、リンゴはジョンのことを「常にそばに誰かがいないとダメなヤツ」だとわかっていたんじゃないだろうか。
いずれにしてもリンゴがいてよかったなぁ、ジョン。

こうして泣いたり叫んだりヨーコや友人に支えられたりで混乱しながらも完成した、文字通り魂の叫びとしてのジョン・レノンの「ジョンの魂」。
果たしてジョンの叫びは自分にはどう聞こえるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Mother(母)
部分的に聴いたことはあるが、全編まともに聴くのは初めてである。
重い鐘の音が4回鳴ったあと、唐突に曲が始まる。
ラストの2行は一部リズムが急いでいる。
歌詞も原初療法の成果なのだろうか。
解釈はいろいろあるようだが、個人的には「世界中の子供たちに自分と同じような思いをしてほしくない」というメッセージである説を支持したい気がする。

2. Hold On(しっかりジョン)
ゆったりしたリズム、リンゴのころがるドラム。
これにジョンのボーカルが二重で乗る安心のサウンドだが、短い。

3. I Found Out(悟り)
ジョンならではの辛口なブルージーメロディとサウンド。
どの楽器も主張しており、意外にバンド感がある。

4. Working Class Hero(労働階級の英雄)
アコースティックギターの弾き語り。
どの評論にも書いてあるが、「ボブ・ディランを思わせる」フォーク調の曲。
まあ確かにメロディも歌い方もディラン風ではあるが、ジョンのボーカルなので安心して聴ける。
この後「God」で「ディランを信じない」と言ってしまうんだけど。
歌詞の和訳をあちこちのサイトで見てみたが、解釈がかなり難しい。
そもそもイギリスの階級自体が日本人に正確に理解できるんかと言われたら、これも微妙だ。
繰り返される「A working class hero is something to be」は「労働者階級の英雄になれるならそりゃカッコいいよ、大したもんだよ」といった意味だろうが、単純に労働者階級の人々を鼓舞してがんばろうぜと呼びかけているわけではない。
「英雄になれたらいいけど、そんなに簡単じゃないぜ、気をつけなよ」といったニュアンスだろうか。

5. Isolation(孤独)
今度はピアノの弾き語り。
前半はなんとなく後の「Imagine」につながるような旋律。
中盤はピアノもボーカルもたたきつけるようなブルース調に変わる。
・・と思ったら突然終わる。

6. Remember(思い出すんだ)
少しテンポを上げたピアノ基調の曲だが、ハーモニーやリズムをあまり気にしていない展開で、複雑な構成。
リンゴのドラムがいい。
爆発音が鳴り、この曲も唐突に終わる。

7. Love(愛)
この曲だけベスト盤で聴いていた。
他の曲とは違い、歌詞もメロディも構成も非常に誠実で、皮肉や裏をかくような切り返しが一切ない。
やはり後世に残る名曲である。

8. Well Well Well
一転重苦しいブルース。
どこか「Yer Blues」や「Come Together」を思わせる。
中盤以降はボーカルもかなりクスリっぽいヤケクソなシャウトが混じる。

9. Look At Me(ぼくを見て)
「OK?」という掛け声で始まる、アコースティックギター。
これもどの評論にも書いてあるが、リズムもメロディも「Julia」に似ている。
確かにそのままホワイトアルバムに入っていても違和感のない曲である。
実際この曲の原型を作ったのはホワイトアルバム制作の頃らしい。

10. God(神)
この曲もまともに聴くのは初めてである。
ビリー・プレストンがピアノで参加。
サウンドは美しいが、歌詞は読んでのとおり、世の中の何もかも信じない、真実としてあるのは自分とヨーコだけ、夢は終わった・・という強烈な決別宣言である。
「僕はビートルズを信じない」という衝撃の一節があるが、ここは「The Beatles」とは言っていないので、ジョンが信じないと言ったのは「バンドとしてのビートルズ」ではなく、「ビートルズをとりまく一連の騒動や現象を指している」という解釈があるそうだ。
ファンとしての切実な想いも込めた解釈のようだが、当時の状況からしてもジョンはやはり「ザ・ビートルズ(=ほぼポール)」も信じられなかったのではないだろうか。
今なら炎上必至の歌詞だけど、そういうことをついストレートに歌ってしまうのがジョン・レノンという人なんだと思う。
なお歌詞にある「Zimmerman」はボブ・ディランの本名とのこと。

11. My Mummy's Dead(母の死)
ジョンがカセットテープに録音したという短い曲。
元曲はイギリス民謡の「Three Blind Mice(三匹の盲目のネズミ)」だそうだ。

以下はボーナストラック。

12. Power to the People
この曲もベスト盤で聴いていた。
タイトルどおりの力強い歌と演奏。
ジョンにとってはどうでもいい話だが、あの内田裕也が政見放送でこの曲を歌っていたのをリアルタイムで見たことがある。

13. Do the Oz
ビル・エリオット&エラスティック・オズ・バンドというグループのシングル「God Save Us」のB面に収録された曲で、歌っているのはジョン。
曲はジョンが作ったもので、イギリスの雑誌「Oz」が猥褻の罪で裁判にかけられた際、雑誌を救う募金活動を行うのに合わせて作られたそうだ。
ビル・エリオットとは何者?と思って調べたら、ハーフ・ブリードというバンドで活動していた歌手で、ビートルズのロードマネージャーだったマル・エヴァンスによってスカウトされた人、とのこと。
ただしサウンドは前衛的で歌詞もタイトルの繰り返し、ジョンのボーカルもヤケクソで聴きどころは全然ない。
これで募金は目標どおり集まったの?
なんでこれをボーナストラックとして採用したんだろうか?

聴き終えた。
「よかった」「そうでもなかった」という感想の前に、やはり「難しい」という感覚はある。
「難しい」の定義すら難しいのだが、プログレやパンクを聴いた時の難しさとは当然違う。
楽しくなったり高揚するような曲はひとつもなく、かと言って受け入れがたいような変わった音でもない。
もう少し反復が必要なことは言うまでもないが、第一印象としては思ったより難しかった、というのが正直なところ。

好みかどうかは別として、ポールの「McCartney」よりも印象に残るアルバムではある。
「ジョンの魂」も音楽として楽曲や歌声や演奏だけを純粋に鑑賞するのではなく、当時の状況や背景をふまえ、ジョンの心情や決意、ポールやリンゴとの関係などをくみ取りながら聴くのが正しい姿勢であろう。
「McCartney」同様そうした情報も含めての鑑賞だったが、やはりジョンの魂の叫びのほうがインパクトは大きいものがある。

歌詞はどれもシンプルでストレートがゆえに、日本のリスナーでも様々な解釈がなされている。
特に「God」の「ビートルズもディランも信じない」とは当時の本心なのか、皮肉なのか、はたまたジョン特有のジョークなのか、判断は難しい。
ホントのところはジョンに聞いてみないともちろんわからないが、当時は本気でそう思っていて歌詞にも直球で書いちゃったけど、その後やっぱ少しマズかったかな?と後悔していた・・というあたりではないだろうか。

というわけで、「ジョンの魂」。
名盤であることはなんとか理解できたものの、まだ学習は全然足りておらず、繰り返し鑑賞が必要と感じました。
次作の名盤「Imagine」にも挑戦しようと思います。

 

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聴いてみた 第165回 ハロウィン

中高年メタル緊急事態再履修シリーズ、今回はハロウィンの「Keeper Of The Seven Keys Part 1(守護神伝 第一章)」を聴いてみました。
CDは昨年渋谷レコファンが閉店する直前に買っておいたのだが、特にハロウィンについて主体的に購入しに行ったわけでもなく、閉店直前でザワつく店内で、目の前にあったから手に取っただけ。(失礼)
入院やボウイ学習やウィングス鑑賞のためすっかり放置しており、半年以上経ってようやく聴くことになった。

Keeper-of-the-seven-keys-part-1

「守護神伝 第一章」は87年5月にリリースされた、ハロウィン2枚目のアルバム。
メンバーは以下のみなさんである。
 マイケル・キスク(Vo)
 カイ・ハンセン(G、Vo)
 マーカス・グロスコフ(B)
 マイケル・ヴァイカート(G)
 インゴ・シュヴィヒテンバーグ(D)

アルバム最大のポイントは新ボーカリストとしてマイケル・キスクが登場したことだ。
前作ではカイ・ハンセンが曲作って歌って弾いてというえらくカイ一人に負荷のかかる作業配分だったが、カイ本人も自身のボーカルがあんましうまいとも思っていなかったらしく、ああしんどいもう誰かに歌わせたろとボーカリスト探しを始めたところに、当時18歳の若きマイケル・キスクが加入。
キスクがこれまたメタルのボーカルとして最適なハイトーンボイスの持ち主で、バンドのパワーバランスとクオリティは劇的に向上し、完成したのが「守護神伝 第一章」である。

当初は2枚組アルバムとしてリリースする予定だったが、レコード会社の指示で1枚ずつリリースすることになったそうだ。
なので第一章と第二章を両方聴かないと正しい鑑賞とは言えないらしい。
でも買ってきたのは第一章だけなので、とりあえず第一章で入門することにした。
ハロウィンのアルバムを聴くのが初めてなので、カイ・ハンセンとマイケル・キスクのボーカルを比較することもできないが、入門編としては申し分ないだろう。

・・・・・聴いてみた。

1.Initiation
オープニングはどこかELPを思わせる重く壮大なインスト。

2.I'm Alive
1曲目からそのまま疾走感あふれるロックに突入。
いわゆるメロスピの基本王道路線であり、キャッチーで聴きやすいが、行き急ぐギターやドラムがやややりすぎ感もある。

3.A Little Time
重厚なリズムとギターサウンドを重ねた楽曲。
中盤部分の構成はツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」を思わせる。

4.Twilight of the Gods
カイ・ハンセンの作品だが、歌うのはキスク。
速度は他の曲と同様に急いでいるが、メロディや曲調は意外に明るく、どこかコミカルでSFアニメのテーマソングのような雰囲気。
ヤケクソなギターソロが割といい感じだし、コーラスやエコーなどのアレンジが壮大なイメージを作り上げている。

5.A Tale That Wasn't Right
一転哀愁に満ちたバラード。
ギターのマイケル・ヴァイカートの作品。
サビではマイケル・キスクが高音で叫びつつ歌う。

6.Future World
これも保守本流なメタルの構成とサウンド。
シングルカットされた曲で、ライブでもよく歌われ、終盤は観客とともに大合唱となるそうだ。

7.Halloween
13分間に及ぶ長大な曲。
バンド名「Helloween」と同じタイトルだ・・と思ったら、曲のほうはハロウィンの正しいスペルだった。
中盤までは通常のメタルサウンド。
やがて左右のギターソロかき鳴らしが加わり、アコギを響かせて鎮めた後、再びギターソロの応酬、ボーカルに対してワイルドな合いの手など、このあたりは結構複雑な構成。
ただ基盤となるのはやはり速度超過気味のメタリックな金属加工進行である。
長さを感じさせない・・という評価が多いが、やはり初心者にはやや長い。
エンディングは唐突に切れる。

8.Follow the Sign
ラストは奥行きのあるサウンドに、重い響きをひっかけたギターが乗る短い曲。
ささやくような声は入っているが、ほぼインストである。

聴き終えた。

率直な感想として、やはりマイケル・キスクのボーカルに安定感があると感じる。
聴いていて考え込むような感覚は全くなく、個人的にはデイヴ・ムステインジェームズ・ヘットフィールドよりは好きな声だ。
この喜助ボーカルと、楽曲と演奏のバランスがとれていて聴きやすい。
「守護神伝」は第二章を高く評価する人が多いようだが、同じ頃に作られた路線であれば、おそらく第二章もさほど抵抗なく聴ける気がする。

「守護神伝」が作られた時期をバンドの黄金期と呼ぶそうだ。
カイ・ハンセンとマイケル・ヴァイカートのツインリードに、超絶高音ボーカルのマイケル・キスク。
この3人が創作と演奏の主軸であり、三頭体制とも呼ばれる・・などと以前の記事で勝手に書いてたけど、ハロウィンの場合あまりそういう言われ方はしてないみたいです。
すいません・・・

しかし、バンドとしては第二章をめでたく発表した後、カイ・ハンセン脱退、レーベル変更や裁判沙汰、キスクとインゴ・シュヴィヒテンバーグの脱退・・と絵に描いたようなトラブル続きで内紛崩壊していく。
それが作品にどう影響したかは聴いてみないとわからないが、ハロウィン鑑賞においてはバンド黄金期の「守護神伝」はやはり必修科目であることは間違いなさそうだ。

というわけで、ハロウィン「守護神伝 第一章」。
これは良かったです。
このトシで今さらメタル聴き始めてどうするつもりやというお叱りはあろうかと思いますが、せっかくなので第二章も聴いてみようと思います。

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聴いてない 第274回 レオ・セイヤー

どこかの国の組織委員会ばりの無能ポンコツ盤石安定の聴いてないシリーズ、今日も1曲しか知らないアーチスト、レオ・セイヤーの巻。

レオ・セイヤー、全米2位の大ヒット曲「More Than I Can Say(星影のバラード)」しか聴いておりません。
もちろん当時のナウいヤング憧れの流行最先端一流音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音したのだが、以降柏村武昭も急にレオ・セイヤーに対してつれなくなり、他の曲がオンエアされることはなかった。
実際にはあったかもしれないけど、自分は聴く機会はなかったです。
洋楽を聴き始めて間もない頃に録音したので、出会いだけはやたら早かったけどその後ふれる機会も全然ないままムダに加齢した状態。
聴いてない度は2。

日本での人気や知名度は全くわからないが、雑誌やテレビでレオ・セイヤーを紹介していたのを見た記憶もないし、姉や友人との会話に登場した実績もなし。
FM雑誌でも記事ではなくてカセットインデックス用のポートレート写真が掲載されていたのを覚えている。
「星影のバラード」は邦題はダサいけど曲は嫌いではなかったので、柏村武昭や東郷かおる子がもう少し本気を出して情報発信してくれていれば、鑑賞履歴はまた違ったものになっていただろう。(人のせい)

1曲聴いてから40年以上経過してやっとレオ・セイヤーの身辺調査に着手。

レオ・セイヤーは1948年大英帝国ウェスト・サセックス州ショアハムで、アイルランド人の母親とイギリス人の父親の間に生まれる。
本名はジェラルド・ヒュー・セイヤー。

三人兄弟の真ん中として育ち、ウエストサセックス芸術大学で商業芸術とグラフィックデザインを学ぶ。
その後ホテルでホールポーターとして働いていたときに、学生時代からのバンド仲間と音楽コンテストに出場。
そこでミュージシャンのデビッド・コートニーによって発掘されるという、漫画みたいな話から芸能生活が始まる。

デビッドとレオ・セイヤーがまず行ったのは曲の共作だった。
二人で「Giving It ALL Away」という曲を作り、ロジャー・ダルトリーに歌わせたら全英5位の大ヒットになった。
すっかり気を良くしたデビッドは、元ポップシンガーからマネージャーに転向したアダム・フェイスと組んでレオ・セイヤーを歌手としてプロデュースすることを決意。
こうしてレオ・セイヤーは73年にシングル「Why Is Everybody Going Home」でデビューする。
セカンドシングルの「The Show Must Go On」が、ピエロの衣装とメイクでイギリスのテレビ番組で人気となり、チャートで2位を記録。
デビューアルバム「Silverbird」も全英2位となった。

その後レオ・セイヤーは英米で順調にヒットを飛ばす。
74年のシングル「One Man Band」は全英6位、「Long Tall Glasses」は全英4位・全米9位。
翌年「Moonlighting」は全英2位を記録した。

76年にはビートルズの「I Am the Walrus」「Let It Be」「The Long and Winding Road」をカバー。
同年の4枚目のアルバム「Endless Flight」で国際的な人気を確立。
全英4位・全米10位で英米ともにプラチナアルバムに認定された他、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ニュージーランドなどでも実績を残した。

77年にレオ・セイヤーはついにアメリカで連続ナンバーワンヒットを達成する。
それがディスコスタイルの「You Make Me Feel Like Dancing(恋の魔法使い)」と、アルバート・ハモンドとキャロル・ベイヤー・セイガーによって書かれたバラード「When I Need You(はるかなる想い)」である。
「When I Need You」はイギリスとアメリカの両方でナンバーワンになった曲で、イギリスでの最初のナンバーワンシングルでもあった。

同じ年にアルバム「Thunder In My Heart」を発表。
売り上げは前作には及ばなかったものの、ラリー・カールトン、リー・リトナー、デビッド・ペイチ、ボビー・キンボール、レイ・パーカーJrなどゴージャスなメンバーが参加。
ジェフ・ポーカロが全曲ドラムを担当した。

1979年、ベスト盤「The Very Best of Leo Sayer」をリリース。
これが自身初の全英1位アルバムとなる。
80年にはアルバム「Living in a Fantasy」を発表。
これに自分が聴いた「More Than I Can Say(星影のバラード)」が収録されており、アルバムは全英15位。
直後の81年には東京と大阪で来日公演が行われた。
その後も82年にアルバム「World Radio」、83年「Have You Ever Been in Love」をリリースし、それぞれ全英トップ20に入る実績を残す。

しかし。
レオ・セイヤーの人気と実績はここから急激に落ち込んでいく。
90年以降5枚のアルバムを発表しているが、どれも英米のチャートでは100位にも入っていない。
その大きな要因は裁判にあった。

最初の妻ジャニスと1985年に離婚。
その後デビュー当時のプロデューサーだったアダム・フェイスが、どうやらレオ・セイヤーが稼いだ金を疑わしい投資とインチキくさい事業費に回していたことが明らかになり、レオ・セイヤーはアダムを訴える。
この訴訟は最終的に和解という形で解決され、レオ・セイヤーは65万ポンドの支払いを受け取ったが、この他にも初期の曲の版権を取り戻すために以前のレーベルと法廷闘争を行うなどしていたため、音楽活動にも大きな支障となった。
さらに1996年、レオ・セイヤーは年金基金が誤って管理されていたことで新しい経営陣を訴えたが、費用が足りず訴訟を放棄せざるを得なくなったとのこと。
こうして90年代の大半をモメ事の調整に費やしてしまったらしい。
せっかく稼いだのに・・・

ミュージシャンが周辺のスタッフや身内と、金銭や権利を巡って争うという話はよく聞くが、レオ・セイヤーも音楽の才能はふんだんにあったけど、お金の管理はやはり他人に任せっぱなしだったようだ。
レオ・セイヤー自身はたぶんいい人なんだろうが、人が良すぎて簡単に言うと食い物にされてしまったのだろう。

離婚と訴訟でぐったり疲れたレオ・セイヤーは、ヴァン・モリソンのアルバム制作に参加した実績のあるギタリスト、ロニー・ジョンソンとバンドを結成し、90年代後半からようやく地味に活動を再開。
2005年には初のセルフプロデュースアルバム「Voice in My Head」をリリース。
2008年の「Don't Wait Until Tomorrow」は、アコースティックやジャズ寄りにアレンジしたセレクションアルバムで、オーストラリアでのみ発売された。
この頃からオーストラリアとは相性がよかったのか、2009年にはメルボルンに移住している。

2015年にアルバム「Restless Years」を発表。
英米含む各国のチャートには記録すら残っていないが、全豪だけは39位となっている。
また同じ年には34年ぶりの日本公演がビルボード東京で行われ、大ヒット曲「はるかなる想い」「星影のバラード」などを歌い、アンコールでは「Let It Be」も披露したそうだ。
現時点での最新アルバムは2019年発表の「Selfie」。
本人が写ってるジャケットを見たが、さすがに歳とったなあという印象。

毎度のことながら、知ってた話がひとつもなかった。
90年代以降実績は下降したようだが、たぶん日本での人気や実績は、80年代のMTV全盛期に活躍したアーチスト達に押しのけられる形で、英米よりも早く落ち込んでいったのではないかと思われる。
もしバンド・エイドやライブ・エイドなどでかいイベントに参加していたら、日本での扱いも少しは違っていた気もする。

唯一聴いていた「More Than I Can Say(星影のバラード)」も、本人作ではなくカバーだと今回初めて知った。
オリジナルはバディ・ホリーのバックバンドだったザ・クリケッツ。
メンバーのジェリー・アリソンが詞を書きソニー・カーティスが作曲、1960年にザ・クリケッツの曲として発表された。
その翌年にはアメリカの歌手ボビー・ヴィーがカバーしている。

「星影のバラード」という70年代ムード歌謡みたいな邦題は、レオ・セイヤーがカバーした時に付けられたようだ。
当然・・でもないが、原曲の歌詞には星も影も出てこない。
なおレオ・セイヤー版は日本でリーバイスやアサヒの缶コーヒーなどのCMでも使われたとのことだが、これは全然覚えていない。
いずれにしろ各国でいろいろな歌手によってカバーされている名曲であることだけはわかった。(雑)
日本でも欧陽菲菲や柳ジョージがカバーしたそうです。

というわけで、レオ・セイヤー。
三流の自分が聴くとしたら「星影のバラード」を頼りに「Living in a Fantasy」からということになりそうだが、一番売れた「Endless Flight」や、TOTOのメンバーが参加している「Thunder In My Heart」も日本国民としてはずせないところだとは思います。
皆さまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第164回 ポール・マッカートニー&ウィングス その4

五輪直前ポール・マッカートニー緊急連続鑑賞シリーズ、今回はウィングスとして最後に残った未聴盤「Wild Life」を聴いてみました。

「Wild Life」は71年12月発表で、名義はウィングス。
鑑賞前に制作経緯を金融機関からの働きかけにより拙速学習。

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2枚のソロアルバム発表後、ポールは新バンド結成に向けて動き出す。
Ram」に参加していたドラマーのデニー・シーウェルと、ギターのヒュー・マクラッケンに、ポールはバンド参加を打診。
デニー・シーウェルは承諾したが、ヒュー・マクラッケンは拒否。
ポールは元ムーディー・ブルースのデニー・レインに声をかけ、さらに音楽経験ほぼゼロの写真家リンダを加えてウィングスを結成した。

その後のウィングス成功を思えばポールには先見の明があったと言えなくもないけど、ド素人リンダをよく加入させたもんだと思う。
失敗すれば夫婦ごと炎上だろうし、それで夫婦仲が悪くなるリスクも当然あったはず。
揺るがない自信が道を切り開いた典型である。
まあリンダではないしっかりしたプロが参加しても、成功はしてたとも思いますけど。

レコーディングは71年8月から始まる。
出版社の年末進行っぽい日程に驚くが、それで年末にはリリースしてるんだからすごいよなぁ。
8曲中5曲は1テイクというセッションっぽい録音で、場所はアビイ・ロード・スタジオ。
トニー・クラークとアラン・パーソンズがエンジニアを務めた。
オリジナル盤のジャケットにはバンド名もタイトルも記載されていなかったとのこと。

今回聴いたのは「ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズの一部として93年に発売されたリマスター盤。
果たしてウィングス最初にして最大の問題作はどんなワイルドな演奏を聴かせてくれるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Mumbo
どこか「Birthday」のような、キレ気味のロックナンバーでスタート。
リズムやメロディは終始同じで、時々聞こえるキーボードが安っぽくてなんかいい。
タイトルは音楽ジャンルのマンボではなく、ちんぷんかんぷん意味不明という意味・・らしい。

2.Bip Bop
ゆったりしたアコースティックギターに、ザラザラでワイルドなボーカル。
これポールの声?
一度聴いただけではわからないくらい、絞り出すように歌っている。
これもずっと同じリズムとメロディが4分も続き、少し長い。
ベスト盤「夢の翼」では「Bip Bop / Hey Diddle」のメドレーで聴いているはずだが、これも全然覚えていない。

3.Love Is Strange
50年代に全米1位を獲得したミッキー&シルヴィアというデュオのカバー。
長いイントロの後で歌が始まり、ポール登場はさらに後。
この曲はその後もケニー・ロジャース&ドリー・パートンや、エブリシング・バット・ザ・ガールもカバーしている。
エブリシング・バット・ザ・ガールのカバーは聴いていたが、ウィングス版はレゲエ調のアレンジになっており、一度聴いても同じ曲だとはわからなかった。

4.Wild Life
タイトル曲はややブルース調の物悲しい調べ。
ポールがやはり絞り出すように歌う。
シャウトに続きコーラスが当たり、ギターが鳴る。
タイトルは野生動物の意味で、歌詞は動物にも人間と同じように生きる権利があると訴える内容。

5.Some People Never Know
LPではここからB面。
ようやくポールらしいバラード。
シンプルな演奏に安心感が漂い、リンダとのハーモニーもまあなんとか聴ける。
解散後ずっと険悪だったジョン・レノンへのメッセージソングで、この曲に対するジョンの回答が「I Know」という曲だそうだ。

6.I Am Your Singer
ポールとリンダが歌うが、リードはリンダ。
ウィングスではバックコーラスでこそ力を発揮してきたリンダだが、この曲ではリードでも健闘している。

7.Bip Bop Link
2曲目のリプライズのインスト。
発売当時はタイトルもないシークレット・トラックの扱いだったが、CD化の際に初めてタイトルが付けられたそうだ。

8.Tomorrow
タイトルが「Yesterday」と対になっていて、しかもコード進行も同じらしい。
ただメロディやサウンドは全く違うし、自分には聴いてもコードが同じかどうかはわからなかった。
この曲もベスト盤「夢の翼」で聴いていたはずだが、やはりあまり印象に残っていない。
エンディングは壮大でやや大げさに終わる。

9.Dear Friend
ビートルズ解散直後に作ったバラードで、前作「Ram」のセッションで録音は済んでいたとのこと。
暗いメロディだが、ジョンとの和解を表している曲で、ポール自身リマスター盤発売時に「この曲はビートルズ解散に関する様々な論争の後に、僕がジョンに語りかけているような曲」「今聴くととても感情的になってしまって、涙が込み上げてくる」「歌詞はジョンに「ワインでも飲んで仲直りしよう」と話しかけているようなもの」と明かしている。
そういう情報を仕入れて聴くと味わいが違うのも不思議だ。

10.Mumbo Link
1曲目のリプライズのインスト。
これもアナログ盤ではタイトルなしトラックの扱いだったとのこと。
演奏はやや乱暴で、ポールらしい終わり方とも言えるけど、アルバムのラストに必要だったのかは疑問が残る。

以下はボーナストラック。

11.Give Ireland Back to the Irish(アイルランドに平和を)
この曲は初めて聴いた。
72年にアイルランドで起きた「血の日曜日事件」に衝撃を受けたポールが1日で書き上げたとのこと。
BBCでは放送禁止となったが、全英チャートでは16位を記録。
やや騒々しい印象だが、力のこもった歌と演奏だ。
ジョン・レノンは「歌詞が幼い」と批判したらしい。
厳しいけど、この頃もジョンはやはりポールのことをいつも気にかけていたんだろう。

12.Mary Had A Little Lamb(メアリーの子羊)
これはベスト盤で聴いていた。
タイトルと歌詞は童謡から取られているが、メロディはポールのオリジナル。

13.Little Woman Love
ジャズっぽいピアノに乗せてメンバーがワイワイと歌う。
思ったより短く、エンディングも突然終わる。
「Ram」のセッション時に録音された曲で、「Ram」リマスター盤にもボーナストラックとして収録されている。

14.Mama's Little Girl
Red Rose Speedway」制作時に録音された、ボートラの中では一番静かな曲。
おだやかな調べにポールが高いキーで歌い、メンバーがコーラスを当てる。
シンプルだが、バンドの一体感がありいい曲だ。


聴き終えた。
うーん・・・・
そもそも大ヒット曲やシングル曲が収録されておらず、初めて聴く知らない曲が大半だったが、第一印象としてはそれほど好みの曲がなかったのが正直な感想。
特にA面はポールの良さ・バンドの良さがあまり感じられず、まだなじめない。
もう少し聴きこんでいけば展望が開ける・・ような気もするけど。

逆にB面はジョンへのメッセージという話題性や、ポールらしい美しいメロディ、リンダとのハーモニーなど聴き所は多く楽しめる。
ネットでも「B面ばかり聴いている」という意見が見つかるので、同じように感じている人も多いようだ。
そう考えると、前回聴いた「Back to the Egg」同様、ボーナストラックの存在が大きい。
ボートラ4曲はどれもいい曲ばかりだ。

ビートルズ解散後のキャリアの中でも、このアルバムの評価は総じて低いようだ。
解散直後のセッションを含め、トータル制作期間が2週間、録音は実質3日程度というラフな造りで、バンドとしての一体感や厚みもなく、ヒット曲もない。
申し訳ないけど、自分みたいな三流リスナーが聴いてもそれは感じる。
なぜそんなに急いで作る必要があったんだろうか?

実績も全英11位・全米12位・・・は健闘したほうじゃないのかとも思うけど、これも当時は各方面から酷評だったんだろうなぁ。
ジョン・レノンだけは「悪くない。いい方向に進んでいる」と評価してたそうですけど。
これジョンの本音なのか皮肉なのかもよくわかりませんが・・

このアルバム発表後、ポールは英国内の田舎の大学などで地道にライブを行い、ウィングスの名を世界レベルにすべく奮闘を開始する、というストーリー。
実際それでバンドは成功につながっていくのだから、やはりポール・マッカートニーはすごい人なのだ。(単純)

ジャケットは水辺を背景にポールがギターを持って水中に立ち、メンバーは木に腰掛けるという観光記念写真みたいな絵。
タイトルに合ったデザインで悪くはないが、ウィングスのファーストとしては少し地味だと感じる。

さてこれで一応70年代のポール・マッカートニーとウィングスのオリジナルアルバムは全て聴いたことになる。(遅すぎ)
誰でもそうだと思うが、やはり明確な好みの序列はあるものだ。
自分としては、やはり「Venus And Mars」が最高傑作で、次点は「Band On The Run」。
後は「Wings At The Speed Of Sound」「London Town」「Red Rose Speedway」「Ram」と続き、現時点では「Wild Life」「McCartney」「Back To The Egg」がほぼ横並びといったところ。
「Wild Life」はもう少し聴きこめば上昇する可能性もある・・ような気もする。
実は80年代以降にも未聴盤はまだ残っているので、早いうちに片付けようと思います。

 

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聴いてみた 第163回 ポール・マッカートニー&ウィングス その3

中高年初夏のポール・マッカートニー手遅れ補講シリーズ、今回はウィングスのラストアルバム「Back to the Egg」を聴いてみました。

「Back to the Egg」は79年発表。
ちょうど自分は洋楽を聴き始めた頃で、収録曲のいくつかはリアルタイムで聴いたが、アルバムは聴いていない。
姉は友人からレコードを借りてテープに録音していたが、残念ながらテープの貸し借りをするほど仲良し姉弟でもなかったので、自分は聴くことはなかった。

Back-to-the-egg

あらためて鑑賞前に制作背景を一夜漬け学習。
前作「London Town」の制作中にジミー・マカロックとジョー・イングリッシュが脱退。
いったんウィングスは3人組バンドとなる。
ポールは「London Town」発表後、デニー・レインの紹介でやってきたローレンス・ジューバー(G)とスティーブ・ホーリー(D)をバンドに加入させた。

メンバーがそろったところで、新アルバム制作にとりかかる。
ポールはロックやライブへの回帰を目指し、娘との会話で出た「Back to the Egg」という言葉をタイトルに採用。
観客が夜にコンサートに向かう情景、ラジオ放送やライブそのものなど、臨場感に満ちた過程を表現すべく制作を開始した。
プロデューサーにはクリス・トーマスを起用。
ウィングスとしては最初で最後の外部スタッフによるプロデュースとなる。
(実際にはポールとの共同プロデュース)

このアルバムの目玉イベントはやはり「ロケストラ」だろう。
ポールが構想していた「ロックとオーケストラの融合」を体現すべく、ポール自身が直接ミュージシャン達に電話連絡しまくり、アビー・ロード・スタジオに集合させた。
集まったミュージシャンはいずれもビッグネームばかり。
ピート・タウンゼント、ケニー・ジョーンズ、デヴィッド・ギルモア、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ、ゲイリー・ブルッカー、ロニー・レインなど、自分が知ってるだけでもそうそうたる豪華メンバーである。
しかも実はリンゴ・スターとキース・ムーン、さらにはジェフ・ベックエリック・クラプトンも参加予定だったそうだ。
不参加となった理由はわからないが、もし参加してたらさらに話題になったと思われる。
ロケストラは丸1日がかりで「Rockestra Theme」「So Glad To See You Here」の2曲を録音。

さらにポールはディスコ・テクノ・ニューウェーブ・パンクといった、当時の音楽シーンでの流行も大胆に採り入れている。
原点回帰と最先端流行の採用という難易度の高い挑戦だったが、ポールの才覚により無事アルバムは完成した。
名義はウィングスだが、ライナーの一部には「ポール・マッカートニー&ウィングス」とも書かれているそうだ。
先行発売されたシングル「Goodnight Tonight」も全米・全英5位と上々の滑り出し。

ポールとウィングスは当然このアルバムを大ヒットさせ、その後ツアーにも出て世界中の会場を連日満員にするぜ・・というつもりだったはずである。
まだそれほど盛んではなかったプロモ・ビデオも8曲分も作り、稼ぐ気満々だったポール。

しかし。
構想も企画も人員もご予算も申し分のないもののはずだったが、なぜかアルバムは期待していたほどのヒットにはならなかった。
もちろん天下のウィングスなので、各国のチャートでトップ10入りは果たしたが、1位を獲得した国はナシ。
全英は6位、全米は8位が最高である。
(一番売れたカナダでも最高2位)
数字だけならこれで十分売れたんじゃねーの?とは思うけど、そこはポール・マッカートニー&ウィングスなので、どうしても世間や事務所の評価はキツくなるんだろう。

さらにシングル「Getting Closer」「Old Siam,Sir」「Arrow Through Me」も全て伸び悩み。
「Old Siam,Sir」は全英35位、「Arrow Through Me」は全米29位、「Getting Closer」なんか全英60位止まりって、本当?
・・・まあ「Getting Closer」はともかく、「Old Siam,Sir」「Arrow Through Me」はシングル向きでもないよね。
サウンドもメロディも大衆向きじゃないし、ポールの曲の中でコレ一番好き!という人もいないでしょ。
あと「Goodnight Tonight」をアルバムには収録しなかったのもマイナス要因だと思う。
ポールほどのマーケティング達人が、どうしてそこを読み違えたんだろうか。

こうなるとがぜん勢いづくのが英米の音楽評論家たちである。
「まずい小さなオムレツ」「最近の記憶の中で最も悲惨な安物の詰め合わせ」「どの曲も少しも肉付けされていない」「この元ビートルズは、ロックンロールの歴史の中で最もダメなレコードにその素晴らしい才能を使ってしまった」「ウィングスなのにどこにも翼がない」などとムチャクチャ厳しい意見が評論家から続出し、今風に言うと大炎上。
評論家の厳しい意見は毎度のことなのでポールはあんまし気にしてなかったらしいが、売り上げがふるわなかったのは結構こたえたんじゃないかと思う。

その後ウィングスはいくつかの国内ライブを経てワールドツアーに出る予定だったが、ご存じのとおりポールは日本公演直前に大麻不法所持で逮捕され、9日間警視庁の留置所で過ごした後強制送還。
予定されていたウィングスの日本公演や以降のツアーも全部中止となった。

自分はこの80年の日本公演に行く予定で、友人がウドーで買ってきてくれたチケットもすでに持っていた。
まさかのポール逮捕に動揺はしたが、中止が決まった時の感想は「ああ残念」よりも「ああ払い戻しの電車賃がかかる」というクソ極貧なものだった。
当時はまだ偏差値の低い極東のバカ中学生だったので、事の重大さがあんましよくわかってなかったんスね。
後に大学でポールの熱狂的ファンの友人に出会うが、そいつは騒動の時に夜中に中目黒の麻薬取締官事務所の前まで行ったそうだ。

こうして自分とポール・マッカートニーの歴史的対面はまぼろし~(チョコプラ調)となった。
まあ「Back to the Egg」すら聴いてなかった自分に、そもそも公演に行く資格はなかったとも言えますけど。

結局このまぼろしな逮捕騒動が、ポールの活動停滞・デニーの脱退・ウィングス解散という途方もないクライシスにつながってしまう。
なので「Back to the Egg」はいまいち売れなかった上にバンドのラスト作品という因縁のアルバムなのである。
聴いてないことへの危機感もそんなになかったが、あらためて調べてみるとかなりいろいろなドラマがあったようだ。

「Back to the Egg」のタイトルに引っかけて、LPではA面に「Sunny Side Up(片面を焼いた半熟目玉焼き)」、B面は「Over Easy(両面焼きの半熟目玉焼き)」という副題が付けられている。
果たしてこの因縁の目玉焼き、どんな味がするのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Reception
ラジオの音から突然曲が始まる。
このラジオの音は実際の放送された音声が使われており、曲の間も裏で続く。
タイトルは「受信」という意味で、ポールがラジオのチューニングダイヤルを回して4つの放送局を見つけた状況を表現しているとのこと。

2. Getting Closer
この曲はほぼリアルタイムで聴いていた。
ウィングスの中では好きな曲のひとつ。
イントロのノイズは前の曲からのラジオチューニング音で、周波数が合った瞬間に曲が始まるという演出。
「Jet」「Rockshow」にも通じる、ノリのいいロックナンバーである。

3. We're Open Tonight(今宵楽しく)
初めて聴く曲。
アコースティックギターが静かに流れ、ややはかなげなメロディでポールが歌う。

4. Spin It On
この曲はかすかに聴き覚えがある。
タイトなリズム、重く響くギターとベース。

5. Again And Again And Again
デニー・レインの作品で、デニー自身がボーカル。
明るい曲で、ベースラインも悪くないが、やはりデニーのボーカルにそれほど魅力を感じない。
ウィングスがバンドであることの証明として、ポールは最後までデニーとリンダも歌うことにこだわったのだろうけど、正直リスナーとしてそこはそんなに大切な点でもないのだ。
全部ポールでいいです。

6. Old Siam, Sir
この曲も聴いていたはずだが、メロディは思い出せなかった。
重たい感じの曲調にキレ気味に歌うポール。
「どこかオリエンタル風」という評価が多いようだが、自分にはあまりそう思えない。
歌詞は昔のタイ(シャム)の村で起きた男女のトラブルを童話のように語るという内容。

7. Arrow Through Me
アルバム中唯一エアチェックで録音した曲。
もちろん柏村武昭の紹介である。
ウィングスの曲だからと気合を入れて録音してみたが、そんなに好みのサウンドでもなかったことを覚えている。
同時期に録音できた「Goodnight Tonight」のほうがずっと好きだった。
あらためて聴いてみると、レゲエやAORのようなリズムにテクノっぽいサウンドやコーラスなど、いろいろ工夫されたアレンジが乗っている。

8. Rockestra Theme(ロケストラのテーマ)
LPではここからB面で、いよいよロケストラ登場。
「ロックとオーケストラの融合を目指したプロジェクト」として「ロケストラ」という造語が付けられた、ということは知っていた。
発表当時は日本盤では「ロッケストラ」という表記だった。
歌詞はなく、ポールはアドリブで歌ってはいるが、インスト・ナンバーとされているそうだ。
ベスト盤「夢の翼」で聴いていたはずだが、実はあまり印象に残っていない。
壮大で面白いサウンドだが、豪華なメンバーの特徴がパートやボーカルを通じてもう少し伝わってくれば・・と思う。

9. To You(君のために)
これも初めて聴く曲。
ヤケクソで投げやりなポールのボーカルがいいという評価だそうだけど、そうかなぁ。

10. After the Ball / Million Miles
ゴスペルのような壮大なメロディ、シャウトするポール。
長いことポールの歌を聴いてきたが、この頃の声の調子はあまりよいとも思えない。
ポール自身はこの声でいけると思っていたのだろうか。
後半の「Million Miles」はアコーディオンだけが鳴るシンプルな曲。
メドレーとした理由はなんだろう?

11. Winter Rose(冬のバラ) / Love Awake
次もメドレーで、冬から春への移り変わりを表現しているとのこと。
前半は哀愁に満ちた冬の調べ、重いリズムでゆっくり進行。
後半は春の訪れをポールお得意のアコースティックなバラードで歌う。

12. The Broadcast
ポールのピアノの音をバックに、男性が詩を朗読する。
歌はない。
朗読したのはレコーディングに使用したリンプ城の所有者ハロルド・マーガリー氏。
ポールとリンダは城に滞在中毎晩マーガリー夫妻から歓待を受け、仲良くなる。
ポールは詩の朗読を録音するアイディアを思いつき、城の図書館にあったマーガリー氏の蔵書からランダムに本を選び、マーガリー氏に好きな散文や詩を読んでもらった。
その中からイアン・ヘイ作「The Sport Of Kings」とジョン・ゴールズワージー作「The Little Man」を採用したとのこと。
高尚な富裕層のお遊びといった感じだが、詩の中身はさっぱりわからない。

13. So Glad To See You Here
ロケストラによるロックナンバーで、ポールはボーカルとベースを担当。
アルバム中一番ノリのいい曲だが、メロディがあまり明るくない。
当初はこの曲がラストの予定だったそうだ。

14. Baby's Request
最後に追加で収録されたのが、ピアノとギター中心のジャズ調のバラード。
これで終わりにしたのは正解だと思う。
イギリスでのシングル「Getting Closer」のB面がこの曲だったそうだ。

以下はボーナストラック。
15.Daytime Nightime Suffering
16.Wonderful Christmastime
17.Rudolph The Red-Nosed Reggae(赤鼻のトナカイ)

なお2007年のiTunesでの再発時にはボーナストラックとして「Goodnight Tonight」のリミックスが追加されている。
なんでアルバムにこの曲が収録されなかったのか、ずっと不満だった。
同じように思っていた人も多いと思う。

ようやく聴き終えた。
感想としては、どこか散漫な印象がまずある。
ロックありバラードありテクノあり、パンクやレゲエやジャズの香りあり、メドレーからインストから詩の朗読までいろいろ多面的ではあるが、思ったほど印象に残らない曲が多い。
ロケストラの2曲も明るくなく、聴いていてそれほど楽しくない。
ロケストラという情報を仕入れずに聴いたら、評価はもっと下がっていた可能性がある。

ポールはいろいろやりたくて詰め込んでみたのだろうけど、そのいろいろが全部ありがたかった・・というようにはならなかった。
「Getting Closer」は昔から好きな曲だが、他にあまり繰り返し聴きたくなるような曲がない、というのが正直なところ。
聴いていた「Spin It On」「Arrow Through Me」がそれほど好みではなかったので、初めて聴く曲に期待していたのだが、その期待どおりにはいかなかった。

ウィングスのアルバムはこれで「Wild Life」以外は全て鑑賞したが、残念ながら「Back to the Egg」には「Venus and Mars」「Band on the Run」ほどの楽しさはまだ感じない。
たぶん今後もその差が埋まることはない気がする。

もしリアルタイムで聴いていれば、それなりに繰り返し聴いたとは思う。
ただしいわゆる愛聴盤となっていたかは自信がない。
この翌年に出た「McCartney II」は、友人からレコードを借りてテープは繰り返し聴いてきたが、そこに愛はあるんかと大地真央に問われたら、実はそんなに自信はないのだ。
よく聴いたアルバムではあっても、好きなアルバムかというと微妙なところ。
「Back to the Egg」もたぶんそうなっていたような気がする。

ネット上では「最高傑作ではないが好きなアルバム」といったあたたかい評価が意外に多い。
自分がその境地までたどりつくにはまだまだ時間がかかりそうである。

ジャケットはヒプノシスのデザインで、ウィングスのメンバーがビリヤード台のようなハッチを通して宇宙空間に浮かぶ地球を見下ろしている写真。
メンバーの背後にあるマントルピースの上の小さな像は、「Greatest Hits」のアートワークに表示されているものと同じだそうだ。
初めて知った・・
このジャケット、ウィングスのアルバムの中ではSFチックで好きなほうである。

というわけで、発売から42年も経ってやっとたどりついた「Back to the Egg」。
聴いてみた達成感はそれなりにありましたが、満足感・充足感は思ったほど得られませんでした。
ウィングスの残る未聴盤は「Wild Life」のみとなりましたので、早急に聴いて全盤制覇したいと思います。

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聴いてない 第273回 Eve6

今日は自分が暗黒の90年代に仕入れた数少ないバンドを採り上げます。
打ち間違いではありません、Eve6。
みなさんはこのバンド、ご存じでしょうか?

Eve6は90年代に登場したカリフォルニア出身のバンド。
読み方は「イヴシックス」でいいはず。
デビュー直後に大ヒットした「Inside Out」だけ聴いている。
自分にとっては「最近の人たち」という印象だが、20年以上前の話を「最近」などと言ってしまう中高年あるあるなバンドである。(意味不明)

全米では大ヒットしたらしいけど、日本での人気や実績は全くわからない。
というかメンバーの顔も名前も人数も資産も全然知らない。
「Inside Out」のプロモ・ビデオの音声をカセットテープに録音したのだが、映像は全く覚えていない。
「仕入れた」とかほざいてますけど、1曲しか知らないので仕入れてもいないレベル。
聴いてない度は2。

仕方がないので20年以上経ってよろよろとEve6情報の仕入れに出かけることにしました。
しかし心の友ウィキペディアは日本語版がない。
こりゃあ日本での実績はかなり厳しい予感がするなぁ。
英語版をGoogle翻訳で適当に訳しつつ、他のサイトも見ながらまとめたEve6の歴史は以下である。

Eve6は95年に南カリフォルニアで結成された。
結成時のバンド名はヤクーだったが、その後イレブンティーンに改称。
メンバーは以下の方々である。
・マックス・コリンズ(B・V)
・ジョン・ジーベルズ(G・V)
・ニック・メイヤーズ(D)

イレブンティーンは95年にRCAと契約してシングル曲をレコーディングするが、直後にニックが脱退。
ドラムと後にキーボードも担当するトニー・フェイゲンソンが加入し、バンド名をEve6とした。

1998年にジャケットがハエのアルバム「Eve6」でデビュー。
シングル「Inside Out」はオルタナ系のモダン・ロック・チャートでいきなり1位を獲得。
アルバムもUS Billboard 200の週間チャートで33位を記録した。
なお日本盤では「Inside Out」のアコースティックバージョンも収録されているそうだ。

2000年に2枚目のアルバム「Horroscope」を発表。
アメコミ系のジャケットにかすかに見覚えがある。
シングル「Promise」「Here's To The Night」 の2曲がヒットし、アルバムはゴールド・セラーとなった。
日本盤にはなぜかジョン・デンバーのカバー「Jet Plane」がボーナストラックにある。
誰の発案?
すっかり人気者となったEve6は、この後1年半もツアーに出続けることになる。
2000年のフジ・ロック・フェスティバルにも出演が決まっていたが、飛行機のトラブルのため来日できなかったそうだ。(代役はデッドウェイトが務めた)

世界中を回り続けたEve6はさすがに疲れたため、方向転換を試みる。
2003年にはパンク色をやや抑えたアルバム「It's All In Your Head」をリリース。
シングル「Think Twice」はヒットしたものの、アルバムは思ったほど売れず、レコード会社との契約も解除されてしまう。
マックス・コリンズは治療が必要なほどのアルコール中毒となり、バンドは内外で問題が噴出。
2004年にEve6は無期限の活動休止を発表することになる。

Eve6は休眠となったが、マックスとトニーは「The Sugi Tap」というユニットで活動を開始。
ユニットはデモ曲を録音したり、カリフォルニアでライブを行うなどして1年が経過。

このユニットにギタリストのマット・ベイアーが加わる形でEve6は再結成する。
アルバムは出さなかったが、新曲をレコーディングしたりライブを行うなど活動を継続。
さらにインディーレーベルのフィアレス・レコードと契約した後、マット・ベイアーが脱退し、ジョン・ジーベルズが復帰する。

復活したEve6、初期の2作でプロデューサーを務めたドン・ギルモアを再度プロデューサーに起用し、2012年に9年ぶりの新作アルバム「Speak in Code」を発表。
このアルバム、ウィキペディアでは「ダンスの影響を受けた曲が多い」と書いてあるが、Amazonだと「ヘヴィメタル」に分類されているのだが・・どっち?
なおドン・ギルモアはあのデイヴ・ギルモアの息子・・というわけではなく、調べてもデイヴさんとの関係は全然見つからないので、親戚とかそういう関係でもなさそうです。

2012年末にはファーストアルバム「Eve6」のリマスター盤も発売された。
2014年には沖縄の米軍基地「キャンプ・シュワブ」のフェスティバルで演奏。
なお出演日は異なるが、このフェスティバルにはブラインド・メロンも登場している。

鉄壁のトライアングル復活でEve6もこれで安泰かと思われたが、2018年4月にトニー・フェイゲンソンが脱退を表明。
後任ドラマーとしてベン・ヒルジンガーが加入。
現在もこの3人で活動中で、スタジオ盤は「Speak in Code」以降出ていないが、2020年にはライブ盤「The Fly Record Live」、今年に入ってもEP盤「Grim Value」を発表している。

初めて聴いてから23年も経ってようやく概略は把握した。
くくりとしては「オルタナ」「インディーズ」といったキーワードで表されるバンド、で合っているだろうか。
全米レベルのヒット曲はあるが、日本ではそれほど実績は残せていないようだ。
もっとも2000年以降の音楽界では日本というマーケットそのものが縮小傾向にあるので、Eve6だけが苦戦してたわけでもないとは思うが。

「Inside Out」について言えば、明るく楽しいという馬場派サウンドではなく、ギターもドラムも尖ったソリッドな音がする。
ボーカルもツヤと伸びのある高音・・とはかなり違った、結構太い声だ。
個人的にはこの音は嫌いではなく、同じ頃聴いていたサード・アイ・ブラインドにもどこか似ていると感じる。
You Tubeで「Inside Out」以外の曲もいくつか聴いてみた。
やはりどれもあまり明るくはないが、サウンドは悪くない。
お気楽な感想だが、たぶんアルバム全部を聴いても飽きないと思う。

というわけで、Eve6。
スタジオ盤はポリスより少ない4枚なので、今から全部聴くことも全然可能ですけど、聴くとしたらやはり発表順に追っていくのが正しいやり方でしょうね。
一番興味があるのはデビューアルバムですが、他におすすめがあればご指導いただけたらと思います。

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聴いてない 第272回 クォーターフラッシュ

前回に続いて80年代女性ボーカルと野郎どもバンドを採り上げます。
クォーターフラッシュ、みなさんは覚えておられますでしょうか?

クォーターフラッシュは80年にアメリカで結成されたバンド。
特徴はその女性リードシンガーがサックスも演奏することである。
自分が聴いたのは以下の各曲。

・Harden My Heart(ミスティ・ハート)
・Night Sift
・Take Me To Heart
・Caught In The Rain(恋は雨模様)

意外なことに4曲も聴いている。
3曲目までは当時の流行最先端音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」、4曲目は「クロスオーバー・イレブン」で録音している。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度は3。
4曲目には「恋は雨模様」なんて邦題がついてるけど、調べても日本でシングルカットされた形跡はない。
この邦題、誰が付けたの?

女性ボーカルがサックスも演奏するという情報は、当時のテレビ音楽番組や雑誌で知った。
聴けばどれも確かにサックスを効果的に吹いてる曲であり、またロックバンドでこの構成は珍しかったのではないかと思う。
ただし曲は悪くはなかったものの、他に聴きたい音楽を日々サルのように集めていたので、クォーターフラッシュにはそれほど興味もわかず、録音できたので消さなかったという失礼な扱い。

そこであらためてクォーターフラッシュについて調べてみた。
クォーターフラッシュは、1980年にオレゴン州ポートランドで結成された。
メンバーは以下のみなさんである。
・リンディ・ロス(リードボーカル・サックス)
・マーヴ・ロス(ギター)
・ジャック・チャールズ(ギター)
・リック・ディジャロナルド(キーボード・シンセサイザー)
・リッチ・グーチ(エレクトリックベース)
・ブライアン・デビッドウィリス(ドラム・パーカッション)

リンディとマーヴは夫婦で元教師という経歴を持ち、79年にオレゴン州でシーフード・ママというグループで音楽活動を開始。
そこにパイロットというバンドの4名が合流し、80年にクォーターフラッシュと改称。
バンド名はオーストラリア移民の「4分の1は閃き、残りの4分の3はバカ」というスラングに由来していから来ているとのこと。
あまり上品な名前ではなさそうですけど。

81年にゲフィン・レコードと契約し、ボストンやリトル・リバー・バンドなどを手がけた実績のあるジョン・ボイランのプロデュースで、バンド名と同じタイトルのアルバムでデビュー。
アルバムは全米8位を記録し、シングル「Harden My Heart」も最高3位、「Find Another Fool」も16位まで上昇。
当時「Harden My Heart」が他のどんな曲とチャートで争っていたかというと、J.ガイルズ・バンドの「堕ちた天使」やジャーニー「Open Arms」、オリビアの「Physical」やフォリナー「Waiting For a Girl Like You」などといった後世に残る名曲だらけ。
この強豪に囲まれたデビュー曲が全米3位の成績というのはものすごいことだったんだろうね。
日本盤でも湯川れい子がライナーノーツに文章を書くなど、プロモーションに気合いが入っていたようだ。

デビュー直後にいきなり人気が出たクォーターフラッシュは、82年のショーン・ペンやフィービー・ケイツ出演の映画「初体験/リッジモント・ハイ」のサントラ盤に、「Don't Be Lonely」という曲で参加。
このサントラがまたかなり豪華で、ジャクソン・ブラウンの全米7位のヒット曲「誰かが彼女をみつめてる」が収録されている。
他にもイーグルスの面々やゴーゴーズ、サミー・ヘイガー、ドナ・サマー、スティービー・ニックスなどが参加しており、発売当時は2枚組LPだったそうだ。

83年にはジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットらが参加した2枚目のアルバム「Take Another Picture」をリリース。
しかしさすがに前作ほどには売れず、シングル「Take Me to Heart」は14位と健闘したが、アルバムは全米34位に終わる。
この後ジャック・チャールズ、リック・ディジャロナルドは脱退。

4人組となったバンドは、カルチャー・クラブなどを手がけたスティーヴ・リヴァインのプロデュースで85年に「BackInto Blue」を発表。
残念ながら成績は振るわず全米150位にしか届かなかった。
完全に失速したクォーターフラッシュは、ゲフィンとの契約も切れていったん解散する。
以降、現在までクォーターフラッシュのアルバムはチャートには登場していない。

90年にロス夫妻以外のメンバーを入れ替え、ベースはサンディン・ウィルソン、ドラマーのグレッグ・ウィリアムズ、ギタリストのダグ・フレイザーで、クォーターフラッシュは再スタート。
今度はエピック・レコードからアルバム「Girl in the Wind」をリリースしたが、再スタート自体に注目もされず、アルバムは全然売れなかった。
結局クォーターフラッシュはここで再度解散。

その後ロス夫妻はオレゴン州で芸能プロダクション「ロス・プロダクションズ」を設立。
91年にはザ・トレイル・バンドというカントリーミュージック主体のプロジェクトに参加し、今もCD発表やツアーを行っているそうだ。

97年にはクォーターフラッシュのベスト盤が発表される。
その後のスタジオ盤はいずれも「Marv & Rindy Ross/ Quarterflash」としてリリースしており、ロス夫妻名義ではあるがクォーターフラッシュの名も書かれている。
権利関係はよくわからないけど、ロス夫妻がクォーターフラッシュを併記してもいいことにはなっているようだ。
その併記名義で2018年に「Goodbye Uncle Buzz」、2013年「Love Is a Road」、2020年「A better World」というアルバムをリリースしている。

今回も隅々まで知らない話だらけであった。
イーグルスのメンバーとかなり関わりがあったことも、今回初めて知った。
今も活動中で、ヒットはしていないものの昨年もアルバムを出してるのは驚きである。

聴いた4曲のうち「恋は雨模様」以外はどれも憂いに満ちたメロディで、リンディの切ないボーカルに切ないサックスが加わり、アダルトな雰囲気を作り上げている。
繰り返しになるが、どの曲も悪くはなかったが、その良さがわかるほどオトナでもなかったので、そのまま通り過ぎたという状態。
じゃあ中高年の今なら聴けるのかと言われると全然自信はないが・・
感覚的にサックスの音に思ったほど惹かれないという点もあるかもしれない。
リンディの声はパット・ベネターに似ているという意見があちこちのサイトに見られるが、個人的にはそう言われればそうかも・・くらいの感覚である。

ということでクォーターフラッシュ。
日本でどのアルバムまで入手できるのかわからないが、聴くとしたら当然デビューアルバムははずせないでしょうね。
実は「初体験/リッジモント・ハイ」のサントラ盤のほうにも興味はわいております。
みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第162回 デビッド・ボウイ その2

まん延防止等重点措置といういまいち伝わらない施策の最中、引きこもり中高年の私はデビッド・ボウイを聴くことにしました。
前回ボウイを聴いて「よおし次はLet's Danceにしよう!」と固く決意し(適当)、閉店間近の渋谷レコファンに最後の入店。
しかしこんな時に限って「Let's Dance」が見当たらない。
遅い時間だったので、もう他の店を探す根性もなく、その場でさんざん迷った末に購入したのが「Tonight」である。(決意粉砕)

Tonight

「Tonight」は84年発表のボウイ15枚目のアルバム。
前作「Let's Dance」の路線を継承した作品で、期待どおり全英1位・全米11位を記録。
・・・なのだが、評論家やファンの評価はそれほど高くもないらしい。
「Let's Dance」が良すぎたという背景もありそうだが、「Tonight」こそボウイの最高傑作と推すファンはほとんどいないとのこと。
本当?
少し気になったので、聴く前に制作の背景を調べてみました。

リスナーの評価には本来あまり関係ないことだが、この頃のボウイはひたすら多忙で準備不足だったという点は、結果的にやはりマイナスに作用してるらしい。
「Let's Dance」の発表&大成功の後、ツアーやら映画撮影やらでマヂカルラブリー並みの忙しさとなったボウイに、レコード会社や事務所からは「次のアルバムはよ出さんと」と無茶ぶりの要請。
誠実なボウイはすぐに次作アルバムの制作にとりかかる。
スターもラクじゃないよなぁ。

ボウイ自身は次のアルバムをR&Bやファンクやレゲエを採り入れた、「さらに進化した音楽の追求」としたいと考えていた。
さらにボウイは「ヒットメーカー」なしでもヒットが出せることを証明したいと考え、「Let's Dance」のプロデューサーを務めたナイル・ロジャースには声をかけなかったそうだ。
ナイル・ロジャースはてっきり次もボウイと仕事ができるものと思っていたので、かなり驚いたらしい。

ボウイはファンクバンド「ヒートウェイヴ」のデレク・ブランブルに声をかけ、プロデュースを依頼。
デモ録音の場所はスイス・モントルーのマウンテンスタジオが選ばれた。
しかしデレクさんはプロデュース業経験がまだ浅く、なんでボウイから依頼が来たのかもよくわからずにスタジオ入り。

そんなんで大丈夫なの?
・・・と思ったら、現場でもやっぱり不安に思ってた人はいたようです。
このままだとマズイ・・と思ったエンジニアのボブ・クリアマウンテンは、XTCポリスのプロデュース実績のあるヒュー・パジャムにも声をかけるようボウイに提案。
ボウイはボブの提案を受け入れてヒュー・パジャムもスイスに呼び、マウンテンスタジオでデモ録音を開始した。
ボウイの狙いどおりレゲエ色を強調し、現地のミュージシャンも加わってのファンキーな演奏でデモは成功したかに見えた。

しかし。
やはりプロデューサー経験不足のデレク・ブランブル、本番ではどうも働きがいまいちでボウイとの意志もかみ合わず、ボウイも納得がいかないまま繰り返しレコーディングさせられたりして、不満がたまり制作は一時中断。
一方でヒュー・パジャムもプロデュースのため来たつもりが、デレクの下でエンジニアとして働くよう言われたことに不満を覚えていた。
当時すでに売れっ子プロデューサーだったヒュー・パジャムは、ボウイに言われてポリスとの仕事を大急ぎで終わらせてスイス入りしていたのだ。
ヒュー・パジャムにしてみれば、「ワシも急いで駆けつけたのになんでこんな素人の下でエンジニアやらなあかんねん」と思うのも無理はないだろう。

しかもボウイがこのアルバム用に書いてきた新曲は「Loving The Alien」「Blue Jean」の2曲のみ。
ツアーや映画撮影で曲を書く時間もなく、ネタ不足のままスタジオ入りしてしまい、人選も人間関係も良くない状況のままレコーディングは再開されたが、結局デレク・ブランブルは戻ってこなかった。

このピンチを救ったのはイギー・ポップだった。
旧知の仲であるイギー・ポップは、悩めるボウイのために長い時間を共にスタジオで過ごし、二人はビールを飲みながらスタジオ内で激論を戦わせたこともあったそうだ。
ボウイにとって何でも互いに遠慮なく言い合える盟友、それがイギー・ポップだった。

めでたくイギーの様々なアイディアが作品に反映され、最終的にプロデュースを引き継いだヒュー・パジャムがアルバムを完成させた。
ヒュー・パジャムは「正味の話こんなん始めっからワシにやらしてもうたらもっとエエもんになっとったはずや」とこぼしたそうだ。
まあ気持ちはわかりますけど。
というわけで「Tonight」制作は5週間ほどかかって完成。
アルバム発表のプレスインタビューもほとんど行わず、新曲も少ないのでツアーもやらなかったとのこと。
なるほど・・・意外に複雑な事情の中で作られたアルバムではあったのね。

今回買ったCDは95年の再発輸入盤で、ボーナストラック3曲が収録されている。
自分にとって頼みの綱は、一番聴いたシングル「Blue Jean」が収録されていることだけだ。
初心者のくせに難しいアルバムを選択してしまった感は否めないが、渋谷レコファンは閉店してしまったので返すこともできない。(返しませんけど)
果たしてどんな音楽なのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Loving the Alien
ボウイ作の新曲でスタート。
シングルカットもされたそうだが、これは初めて聴く。
80年代の物憂げなメロディとサウンドで、どこかデュランジャパンの音にも似ている。

2.Don't Look Down
イギー・ポップ、ジェームス・ウィリアムソンの共作。
けだるいレゲエのリズムにジャズっぽい音が乗る。
スティングが歌っても違和感のない曲。

3.God Only Knows(神のみぞ知る)
ビーチ・ボーイズのカバー。
と言っても元曲を覚えてないので比較のしようがないが、ボウイは意外に力強く歌う。

4.Tonight
タイトルナンバーはティナ・ターナーとのデュエット。
ボウイとイギー・ポップの共作で、ティナ・ターナーは1日でレコーディングを終えたそうだ。
全く聴いたことがないと思っていたが、南国調のゆったりしたリズムとメロディがかすかに記憶に残っている・・ような気がする。
せっかくティナ・ターナーを呼んだのだから、もっと激しいボーカルのぶつけ合いのロックな曲のほうがよかったのでは・・と思うが。

5.Neighborhood Threat
LPではここからB面。
これもボウイとイギーの共作で、アップテンポのロック。
アクションドラマのテーマソングのようだ。

6.Blue Jean
唯一聴いているナンバーで、ボウイの作品。
異なるバージョンのプロモ・ビデオ映像や、12インチシングルバージョンも含め、思い入れのある1曲。
自分にとってボウイと言えばやはりこの曲なのだ。
あらためて聴くと決して明るく楽しいサウンド・・でもなく、サビのボーカルもキレ気味だし、ブルー・ジーンという名の女に夢中になってる少しヤバい感じの男の歌なのだが、聴いていて高揚する不思議な曲である。

7.Tumble and Twirl
ノリのいいリズムにホーンが鳴り響くファンクな曲。

8.I Keep Forgettin'
さらに加速したリズムに80年代の様々な音が散りばめられている。
ボウイのボーカルは意外にワイルド。

9.Dancing with the Big Boys
ラストも80年代特有のきらびやかなサウンド。
ボウイ&イギーの他、カルロス・アロマーという人の名がクレジットにある。

以下はボーナストラック。
10.This Is Not America
ミドルテンポのおだやかな曲。
ボウイは少しムリして歌ってるように聞こえるが、雰囲気は悪くない。
85年公開の、ティモシー・ハットンとショーン・ペン主演のサスペンス映画「コードネームはファルコン」のメインテーマだそうだ。
パット・メセニー・グループとボウイの共演作品。

11.As the World Falls Down(世界が崩れる時)
この曲はどこかで聴いたことがある・・と思ったら、ボウイ出演の映画「ラビリンス」で使われたそうだ。
どのシーンで流れたのかは全く覚えていないけど。
映画のイメージに合ったファンタジックなサウンド。

12.Absolute Beginners
時々出てくる「んーぱっぱっぱうー」というコーラスにはかすかに聴き覚えがある。
これもボウイの映画に使われており、このトラックは8分を超えるFull Length Versionとなっている。
「Blue Jean」もそうだが、この曲もサックスが非常に効果的に使われており、いい曲だ。

聴き終えた。
なじみの「Blue Jean」に牽引される形ではあるが、全体として聴きやすいとまず感じた。
ボウイの戦略どおりR&Bやファンクやレゲエを採り入れてはいるが、サウンドのアレンジなどは80年代の基盤からはずれておらず、「なんだこの音・・」という部分が一切ない。
聴き慣れた80年代サウンドがもたらす安心感。
さすがはヒュー・パジャムである。(知ったかぶり)

ファンの間では「物足りない」と言われているそうだが、おそらくは前作「Let's Dance」に比べての評価とも思われる。
自分のように「Tonight」しか聴いてないという人は多分いないだろうし。
このCDで言えばボーナストラックが多少なりとも物足りなさを解消しているのではないだろうか。
まあ「Let's Dance」を聴いてしまえば、そんな感想も変わってしまう可能性もあるけど。

ボウイ自身、このアルバムの出来には満足していないそうだ。
「コンセプトがなく、ただの曲のコレクションで、ちょっとごちゃごちゃに聞こえてうまくまとめられなかった」とコメントしている。
そう言われればそんな気もするけど、初心者にはバラエティに富んでいて聴きやすいのではないかと思う。
少なくとも自分には「ごちゃごちゃに聞こえる」感覚は全くない。

前回聴いた「Ziggy Stardust」とは時代も音もかなり違うので、どちらがいいとか合うとかの比較もしづらい。
「どちらも聴きやすかったです」というポンコツな感想しか出てこないが、現状はそんなところです。
やはり「Let's Dance」を含む他の作品も聴かねばなりません。(当然)

ジャケットはステンドグラスのような花の背景に青い顔のボウイという絵。
あまり印象に残っていなかったが、アートとしては悪くない。
デザインしたのはミック・ハガティという人で、ボウイの「Let's Dance」「Never Let Me Down」の他、スーパートランプの「Breakfast in America」や、ポリスの「Ghost in the Machine」なども手がけたそうだ。
そう言われても各ジャケットにあまり共通点は見当たりませんけど。

というわけで、「Tonight」。
これもよかったです。
必修科目である「Let's Dance」をすっ飛ばして聴いてしまったので、次回こそは「Let's Dance」に挑戦しようと思います。

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