観てみた ジョン・レノン 失われた週末

滅多に映画を観ない自分ですが、久しぶりに映画館に行ってきました。
ジョン・レノン 失われた週末」。
ジョンの元恋人であるメイ・パンが語るドキュメンタリーで、公式サイトのアオリには「ヨーコとの『別離』が生んだ奇跡の日々」とあります。
ジョンがヨーコと離れ、私設秘書である中国系アメリカ人メイ・パンと恋仲になり、二人は西海岸などで1年半暮らしていました。
その間に起こった出来事について、メイが「真実」を語る、という映画です。

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今回は横浜市内の小さな映画館「シネマ・ジャック&ベティ」で観ました。
ここで観るのは初めてでしたが、日曜午前中の回だったためか、客は10人程度。
ジョン・レノンの映画なので観客は当然高齢者ばかりですが、一人だけ妙齢の女性もいました。

アメリカでは2022年に製作・公開されており、原題は「The Lost Weekend:A Love Story」。
92年に出版されたメイ・パンによる「The Lost Weekend」という本が下地になっており、ジョンの生前の映像や写真を見ながらメイがナレーションで語る形で進行し、メイ自身やジュリアン・レノンのインタビュー映像も何度も流れます。
映像が残っていなかったり、おそらく権利関係で使えないようなシーンでは、簡素なモノクロの線画アニメで表現されます。
なおジョンの曲はほとんど流れず、ビートルズ時代の曲は全く使われていません。

ジョン・レノン関連の書籍や雑誌記事でメイ・パンの一般教養的な情報は知っていたつもりでしたが、ジョンと付き合うよう指示したのがヨーコだったことは初めて知りました。
夫婦仲がおかしくなった時点で別居・・はよくある話ですが、妻が離婚せず夫に愛人を用意するという発想はやはり普通ではありません。
しかも夫は世界一有名なスターであるジョン・レノン。
何が起きても知らないからね的な決断ですが、そんな大胆な方法でもヨーコには勝算があったのでしょう。
ただし期間的な読み違いはあったようで、ヨーコはジョンがメイ・パンに飽きるまでを2週間程度と考えていたそうですが、実際には1年半かかっています。

若いメイは雇い主でもあるヨーコの指令に混乱しますが、やがてジョンのほうから接近し二人は恋仲になる・・という、ヨーコのシナリオ通りだけど安っぽい恋愛映画でも描かないような展開。
それだけでもスゴイ話ですが、メイが言いたかったのは「ジョンとは本当に恋仲にあった。それにその間にいろいろとジョンの人間関係(対ヨーコ以外)についてサポートしたのは私よ」という点。
メイによれば「ジョンと会ったこともないような人たちが、この時期のジョンと周辺について適当なことばかり言ったり書いたりしてきた」ので、「真実を自分が語ります」という決意表明の映画ということになります。

ジョンが前妻との息子ジュリアンに会えるよう取り計らったのがメイであり、実際海で楽しく過ごす親子の映像が流れ、現在もジュリアンはメイに感謝していると述べています。
ジュリアンの母親であるシンシアも、メイのジュリアンへのサポートに感謝していて、亡くなるまでずっとメイと仲良くしていたようです。

ジョンの音楽活動にもメイは献身的に尽くします。
ミュージシャンではないのでそれほど出しゃばったサポートではなかったようですが、コーラスに参加したりクレジットに名前が載ったりしたそうです。
そもそもジョンとヨーコという地球上で一番ハジけたアーティスト夫婦に雇われて信頼されていたメイですから、おそらくは頭の回転が速く、役割を理解し立場をわきまえて行動する、謙虚で有能で仕事のできる女性だったことは間違いありません。

ジョンはこの時期エルトン・ジョンデビッド・ボウイアリス・クーパーなど様々なミュージシャンとの交流競演をしており、ジョンはそういう場にもメイを連れていっていました。
若いメイはジョンの友人たちからも評判がよく、みんなのマスコットのようにかわいがられていたようです。
たぶんジョンの友人や周辺の人からすると、年上で眼光鋭いヨーコよりも、若くて愛敬のあるメイのほうが「今度のジョンの彼女、いいじゃん」と感じていたんじゃないかと思います。

映画にはポール・マッカートニーも登場します。
単独のインタビュー映像が少しですがあり、またジョンの西海岸の家にポールとリンダが来た時の状況もアニメとナレーションで紹介しています。
世間では決裂したとされていたジョンとポールが、ジョンの家で違和感なく楽しそうに話したりセッションする姿に感動したメイ。
メイのインタビューや、メイが撮影した二人の写真からも、メイの興奮が伝わってきます。

ジョンに「またポールと曲を作ったりするのはどうかな?」と聞かれたメイは「最高じゃない!」と賛同します。
このエピソードは以前テレビで見たメイのインタビュー映像にもありました。
映画では結末は紹介されませんでしたが、ジョンはヨーコのもとに戻った後も同じ相談をヨーコにしたそうです。
しかしヨーコの回答は「必要ない」。
メイの話が事実であれば、レノン=マッカートニー復活を却下したのはやはりヨーコであったということになります。

楽しかったジョンとメイの生活も1年半で終了します。
二人の仲は大きな衝突があって崩壊したわけでもなく、ジョンが「ちょっと行ってくる」といった感じで出かけていった先が実はヨーコのいる家だったそうです。
ジョンとメイは西海岸に家を買う相談までしてたそうなので、メイにしてみれば「なんで?」という話です。
ヨーコのもとに戻ったあとも、ジョンとメイとは何度か会っていたそうですが、結局は都合のいい女に格下げされてしまった状態。
ジョンはその後主夫生活を経て凶弾に倒れますが、デビッド・ボウイなど多くのジョンの友人たちがメイ・パンを心配して支えたそうです。
こういう話からも、メイの愛される人柄がわかる気がします。

エンディングはビジュアルも(たぶん)性格もかなり丸くなった現在のメイの映像。
メイがインタビューに答えていると横からジュリアンも登場し、二人は仲良く寄り添いながら街を歩いて去っていくところで映画は終わります。
当たり前かもしれませんが、メイ・パンは時代や年齢ごとに顔つきや雰囲気が全然違います。
今の姿をキャプションなしで見せられたらメイ・パンだとはわからないくらい変化していました。
大きなお世話ですが・・・

メイ・パンが語る映画なので、やはりヨーコが悪役の扱いで描かれます。
愛人になれとメイにムチャな命令したのも、勝手?にジョンを取り戻したのもヨーコ。
ジョンとジュリアンを会わせないようにしたのも、ジョンがポールと曲作りするのを潰したのもヨーコ。
少なくとも映画の中でメイが「ジョンとの素敵な時間を与えてくれてありがとう」みたいな感謝をヨーコに向ける発言は全くありません。

映画にはヨーコの昔のインタビュー映像もありましたが、こんな悪役扱いの映画にヨーコ側がよく映像使用を許諾したなと不思議でした。
ヨーコの映像の権利を誰が持ってるのかはわかりませんけど・・・
ヨーコが公開前にこの映画のチェックをしたのかどうかも不明ですし、最近のヨーコは認知症が進んでまともな判断ができていないのではないかとも思いましたが、ヨーコにだって当然言い分はあるわけで、この映画だけで判断されても不本意だと思われます。

単純にメイに感情移入すれば、悪役ヨーコと認定することは簡単ですが、自分が感じたのはヨーコの持つ壮大な構想でした。
音楽の才能は世界一、だけど人間関係においてはデタラメで穴だらけのしょーもない夫ジョン。
でもこのままこの男を潰すのはヨーコ自身も含めて人類にとって損失だとわかっていたのでしょう。
ダサい表現をすれば、ジョンの行動全てはヨーコの「手のひらの中」だったわけですが、自分が思い浮かべた言葉は「治療」でした。
愛人指令も主夫生活もポールとの活動却下も、全てはヨーコによる壮大なジョン・レノンの「治療」だったと思います。
ファンや周囲の評価など全く気にせず、「こうしないとあの人はダメになる」と信じてジョンを動かしてきた、これこそが誰もやらなかったヨーコ流の「治療」であり、ジョンはヨーコの「治療」によって更生できた・・はずでした。

たださすがのヨーコも、更生したジョンが目の前で命を落とすことになるとは予想していなかったはずです。
「治療」は成功したのにジョンは亡くなってしまった。
ヨーコの心中を思うと、やはり悪役として片づけることもできないという感覚になります。

というわけで、「ジョン・レノン 失われた週末」。
初めて知るメイ・パンの「真実」告白という意味では勉強になりました。
ただ制作過程を考えると仕方のない話ですが、ジョンの歌もあまりなく、過去の映像や写真の切り貼りの連続なので、「もう少し長くこのシーンが見たい・・」という場面ばかりで、その点は若干フラストレーションがたまる映画です。
日本では現在芸能人や著名人の行動について、世間の目が必要以上に厳しい傾向にあり、過去の不適切な行為が仕事を断絶するほどの事態に発展する事例が相次いでいる状況です。
今の日本なら炎上間違いなしのジョン・レノン(とメイ・パン)ですが、いろいろな意味で複雑な感覚を覚えた映画でした。

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The Lost Weekend: A Love Story

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John Lennon: "The Lost Weekend"
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ジョン・レノン 失われた週末

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観てみた ボヘミアン・ラプソディ

映画を全然観ない自分を2年ぶりに劇場へと向かわせる素晴らしい作品が公開されました。
そう、話題の大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」です。

公開前からネット上では様々な情報が飛び交っていたのは知っていましたが、それほど熱心に事前学習はしませんでした。
今回はクイーンのドキュメンタリーではないし、そもそも音楽も映画もプロアマ問わず他人の評価は自分にとってあまり意味がありません。
世間では評判の良くない作品がけっこう好きだったり、歴史的名盤を聴いても全く感動も定着もしなかったことなどしょっちゅうです。
なのでこの「ボヘミアン・ラプソディ」も世の中の反応はどうでもいいと考えており、観た後もそれは変わっておりません。

クイーンは80年の「The Game」の頃からがリアルタイムという、リスナーとしては少し出遅れた自分ですが、いちおうスタジオ盤は全て聴いている数少ないバンドのひとつです。
長さだけは40年近くにおよぶ自分の低レベルな音楽鑑賞歴の中で、ビートルズポリスと並び大きな位置を占めるクイーン。
フレディの生涯とクイーンの歴史功績を採り上げた映画ですので、さすがにスルーするわけにもいきません。
仕事も中途半端に切り上げて川崎市内の映画館へと向かいました。
中途半端はいつものことですが・・

自分が観たのは平日の夕方です。
見た感じ300席のうち半分くらいの入りで、自分は中段右端に座りましたが、前後隣は誰も来ませんでした。
新宿や渋谷など都心では平日でも毎回満席みたいな話でしたが、郊外ではそうでもないようです。
客層としては当然自分を含む中高年が大半ですが、中には高校生くらいの若者も来ていました。
果たしてクイーンは世代を超えて日本のファンを感動させるのでしょうか。

これより先、映画の内容にふれる記述となりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

Bohemian

・・・・・観てみた。

ロンドンでバンド「スマイル」を組んでいたブライアンとロジャー。
そこに空港で荷役のバイトをしていたインド系のファルーク・バルサラが登場し、ボーカルの抜けたばかりのスマイルへの加入希望を表明。
ファルークの歌唱力に納得した二人は加入を了承し、ジョン・ディーコンも加わって「クイーン」が誕生。

「Killer Queen」のヒットで地位を確立したクイーンは、マネージャーやレコード会社の重役など大人達の思惑に翻弄されながらもバンドの信念を押し通し、名作「ボヘミアン・ラプソディ」と名盤「オペラ座の夜」を完成させる。

その後もメンバーそれぞれの才能をぶつけ合いながら絆を深め、「We Will Rock You」「We Are The Champions」「地獄へ道連れ」など世界規模の大ヒットを生み出していく。

しかしファルーク=フレディ・マーキュリーは自らのアイデンティティやゲイであることへの葛藤などで次第にバンド内で孤独を感じるようになっていく。
フレディがソロアルバムを制作する話をきっかけに他の3人との間にも溝が生じてしまい、元マネージャーでゲイパートナーのポールの誘導により、事態はバンドにとって良くない方向に進んでいく。

さらに自らがエイズにかかっていることを知るフレディ。
同じ頃クイーンとしてライブ・エイドへの出演の話が持ち上がり、元妻メアリーの助言やポールの裏切りを知ることにより、「家族」でもあるクイーンの一員に戻って最後までやり遂げることを決意。

ここに4人は再び結束し、より強固な絆によってクイーンは再起。
ライブ・エイドで伝説の21分間の演奏を見せたのだった・・

勝手にまとめたあらすじとしてはこんなところでしょうか。
なおこの映画が始まる際の20世紀フォックスのファンファーレは、ブライアンとロジャーの演奏だそうです。

まず多くの方が同じ感想だと思いますが、クイーンのメンバー4人を演じた役者さんが、それぞれメンバー本人によく似てますよね。
もちろん似せる努力も相当したと思いますが、日本で長く伝わってきたクイーンの4人のパブリックなイメージを、そのまま持ってきてくれたと思います。

特に主役のフレディを演じたラミ・マレックと、ブライアン役のグウィリム・リーは素晴らしい演技でした。
ライブ・エイドのステージシーンと実際の映像を比較できるサイトも見ましたが、体の動きや表情など、この二人は特に細かいところまで丁寧に再現していました。
4人が集まったり肩を抱き合うシーンもありましたが、ブライアンが一番背が高いところまでそっくりでしたね。

あとこれもネットで見かけた意見に共感しましたが、初期のフレディを演じるラミ・マレックはミック・ジャガーにも似ています。
もしストーンズの伝記映画なんか撮ることがあったら、ぜひともミック役に挑戦してほしいと感じました。

ロジャーを演じたベン・ハーディは本物よりちょっと幼い感じのジャニーズ系ルックス。
あのチャラいイメージも劇中では両手にガールフレンドを伴うなどしっかりフォローされてましたが、フレディと真っ先に衝突するのがいつもロジャーという位置づけで描かれていました。

少しだけ気になったのがジョン・ディーコン役のジョゼフ・マゼロ。
(自分が勝手に持っていた)ジョンの柔和な雰囲気とは少し違って、ややシニカルな表情で皮肉も平気で言うクセの強いベーシストになっていました。
もっともブライアンによれば、契約など細かい箇所までチェックしてきっちり主張するバンド運営上のリーダーは実はジョンだったそうなので、そのあたりもしっかり踏まえた上での演技だったのかもしれません。

楽器も歌もプロではない彼らが、世界レベルの技巧派バンドの演奏や歌を演じるには、ものすごい苦労と努力があったことは間違いありません。
音源のほとんどはクイーンそのものやトリビュートバンドのものを使っているそうですが、少なくともピアノやギターやドラムを鳴らす動作で気になるようなところは全くありませんでした。
ブライアン・メイとロジャー・テイラー本人も、役者の演技を絶賛してましたね。

役者が本人に似てるのはメンバーにとどまらず、フレディの両親を演じた役者も、フレディの最後のパートナーとなったジム・ハットン役のアーロン・マカスカーも本人にそっくりです。
この点は制作側や監督が相当こだわったんでしょうか。
ただライブ・エイドのシーンでボブ・ゲルドフが登場しますが、この人だけは役者のダーモット・マーフィーのほうが断然イケメンでした。(失礼)

さて、この映画に対して指摘されてる意見として「史実と違う部分がある」「時系列が違う」があります。
史実との違いをまとめたサイトがあったり、中身は褒めてるはずなのに「ウソ」「史実との違い」という表題であおったマスコミの評論文も見ました。
実際クイーンに会ったこともないので「史実」がどうなのかもわからないですけど、こんな自分でも観ていて気付くシーンは確かにありました。

ただ、この映画はドキュメンタリーじゃないので、多少史実とは違っても本質的なテーマがしっかりしていれば、そういう点を気にせず楽しんだほうがいいのではないかと思います。
クイーンに詳しくなるほど史実との違いが気になるのは理解はできますけど、それをことさらネットで主張してしまうのも、「クイーンに詳しい俺様」自慢意識がにじみ出てしまい、あまり共感はできない気がします。
そういう現象について一番自分が共感できた意見はこれでした。

テレビのニュース番組やネットで「多くの中高年が号泣」と紹介している「ボヘミアン・ラプソディ」。
まあテレビなんかは多少配給会社への忖度もあるのかもしれませんけど、多くの方がフレディの姿に感動して涙したとのこと。
果たして自分はどうだったのか?
結論から言うと、自分はこの映画は泣けませんでした。
決して涙をこらえていたわけではなく、全編通してそういう性質の映画ではないと感じたのです。
単純に自分の感性が著しく衰えていて、人の心がわからないだけなのかもしれませんが・・

映画の見方は人それぞれなので、泣く方も泣かない方もいて当然ですが、自分はこの映画を相当表層的にとらえていたと思います。
ストーリーそのものを深く追いかけ、フレディやメンバーに感情移入する、といった見方はしていませんでした。
映画鑑賞としては決定的に間違っているかもしれませんが、どのシーンにおいても、ずっと感じていたのは「よくできてるなぁ」という感想でした。
役者の演技、ストーリー展開、衣装やステージ風景、ウェンブリー・アリーナの大観衆、各シーンのディテール、病院でのフレディと少年とのやりとり・・
どれをとってもドキュメンタリーと見まごう映像の連続に、一番感動していたのです。
初めて(というかまだ一度しか観てませんけど)本編を観たにも関わらず、始めから終わりまでメイキング映像を観ていたような感覚でした。

フレディがメアリーを追いかけて家の外に出て行くシーンがありますが、この時扉の上の壁に金閣寺のお札が貼ってありました。
この後降りしきる雨の中メアリーの言葉によってメンバーとの絆に気づくフレディ、というストーリー上は非常に重要かつ印象的なシーンなのですが、自分は金閣寺のお札を見て「あっ!ウチと同じ!」などとバカな興奮をしていたのです。(我が家の扉の上にも金閣寺のお札が貼ってあります)
ライブ・エイドのシーンでも、死を覚悟したフレディが圧倒的なパフォーマンスで観客を魅了する・・という感動の場面なんですけど、自分はやっぱりその「再現力」に圧倒されっぱなしだったのでした。

言い訳がましい話ですが、あの日同じ場所で観ていた方々の中で、号泣していたような人は見当たりませんでした。
観客全員の顔を出口でチェックしながら帰ったわけでもありませんが、場内からすすり泣きが聞こえることもなく、ハンカチで目を押さえるようなしぐさも見つけられず、みなさん非常に落ち着いて鑑賞されていたように見えました。
なので「中高年大号泣」といった報道も、実は人それぞれだと思います。
自分もあと何回か観たら泣けるのかもしれません。

少しだけストーリーの内部に反応した箇所がありました。
フレディの元マネージャーでゲイ仲間のポール・プレンター。
ポールはフレディにライブ・エイド出演依頼の話を伝えず、フレディをメンバーから遠ざけ、フレディから決別を言い渡されると、フレディのスキャンダル情報をテレビ番組で暴露するという悪役の設定で描かれています。
実際のポール・プレンターもクイーンではなくフレディ個人のマネージャーを長年務め、後に愛人関係となり、他のメンバーからはよく思われていなかったそうです。
気の毒なことに彼もフレディが亡くなる3ヶ月ほど前にエイズで亡くなったとのこと。

簡単に言うとポールは「あのフレディを裏切った悪いヤツ」ということになりますが、一方で誰よりもフレディを愛していたのもポールではなかったかと思います。
ただしその愛情は残念ながら「独占欲」「支配欲」という形で表れてしまい、対象こそスーパースターであるフレディ・マーキュリーですが、ポール・プレンターも骨の髄まで極悪人というわけでもなく、どこにでもころがっているありふれた話だよなぁ、と感じました。

なお後から知ったことですが、映画館によっては「応援上映」という、「バーフバリ」みたいな特殊?な鑑賞を許しているところがあるようです。
主にTOHOシネマズやユナイテッド・シネマ系で行われているそうですが、コスプレも拍手も手拍子も歌っても全部OKで、ヒゲと胸毛をつけてスクリーンに向かってペンライトを降りながらクイーンの曲を大声で歌って楽しもう!という企画(でいいの?)。

これは自分は絶対ダメです。
拍手や手拍子くらいはやってもいいですが、ヒゲつけて大声で歌ったり隣の知らないおっさんのあまりうまくない歌声を延々聞かされたりはやはり勘弁ですね。
たまたま自分が観た川崎市内の映画館では、応援上映は行っていないようで良かったです。
知らずに観に行って周りの客が突然歌い出したら、たぶん途中で出てきてしまうと思います。

というわけで、「ボヘミアン・ラプソディ」。
浅い感想で説得力も全然ありませんけど、非常に良かったです。
観るまでは結局再現ドラマの域を出ないレベルなんじゃないかと疑っていましたが、そういう次元ではありませんでした。
偏差値の低いファンである自分ですが、この映画の大ヒットをきっかけにジョン・ディーコンが再び合流してステージに立ったり新曲を発表してくれないだろうか・・
映画館を出て帰る途中そんなことを考えました。

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観てみた ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK

相変わらず映画を全然観ないあたしですが、そのモノグサ野郎(←表現ダサすぎ)を動かす力を持った作品が日本にも上陸しました。
「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」。
ビートルズのライブを中心に構成されたドキュメンタリー映画です。

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監督は「アポロ13」「ダ・ヴィンチ・コード」「ビューティフル・マインド」などの名作で知られるロン・ハワード。
・・・というのは受け売りで、実はどの作品も全然観ていません。
ウィキペディアで監督作品を調べたら、かろうじて86年の「ガン・ホー」を観たことがありました。

さて自分が観たのはTOHOシネマズ六本木。
ここで映画を観るのは初めてです。
新宿で観るつもりでしたが、ネットでチケット販売状況を見たらすでに完売。
やむを得ずなじみのない街である六本木に方向転換。
結果的にはこれが正解で、平日夕方の上映でしたが、客の入りは半分程度。
自分の左右と後ろには誰も来ませんでした。

これより先、映画の内容にふれる記述となりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

・・・・・観てみた。

Beatles_2

基本的な構成はコンサート映像と、当時の記者会見の模様、メンバーおよび関係者の回想。
さらにライブ周辺の様々な混乱と騒動を採り上げた記録映像の切り取り、映画撮影の話やスタジオ内の画像と音声などを織り交ぜて紹介。
ドキュメンタリーの手法としてはわりと普通で、話はおおむね時系列に沿って進行します。

とにかくビートルズがいかにすごかったか、そして彼らに夢中になった世界中の若者がいかに多かったか、行く先々で起こる騒動と鎮圧の状況がいかにすごかったか、の連続です。
ハンブルグでの修業時代、リバプールの熱狂、ブライアン・エプスタインによる統率とプロモーション、チャート制覇、アメリカ進出、キリスト発言騒動、映画制作と興行失敗、スタジオへの回帰・・
短いカットですが、プレスリーやモハメド・アリとの交流シーンもありました。
映像も50年前のものなので凝ったカメラワークなども少なく、企画としては極めてシンプルな造りです。

教科書どおりの進行ですが、この映画の基本はライブ演奏です。
リンゴも言ってましたが、やはりビートルズは世界で一番ライブがうまいバンドだったことを再認識させられる映像が続きます。
サービス精神も旺盛で、あるライブではステージの後ろ側の客にもよく見えるように?、途中でドラムやアンプの位置を180度回転させて再び演奏、なんてことをやっていました。

ただし。
確かに当時の騒動のすごさは伝わりますが、初めて知るようなエピソードはそれほど多くありませんでした。
ややエラそうな表現になりますが、過去に見た映像や本で得た情報を再確認していくといった感じです。
だからといって中身が退屈であるとか物足りないといったことではもちろんなく、なんつうか予定通り安心して見ていられる内容です。
昔観ていた懐かしいテレビ番組の再放送を久しぶりに楽しむような感覚。

当時の映像と音声は、いずれも処理によりクリアな品質になっているようです。
もっとも元の映像や音声と比べる手段がないので、自分のような素人には「ああ美しくなったなぁ」と実感するようなことはなく、ふつうの映画を観ているのと同じ印象でしかありません。
このあたりは今後DVDやブルーレイになった時に確認できるものなのでしょう。

当然存命であるポールとリンゴの回想が多いですが、ジョンとジョージも当時の混乱ぶりを語るシーンがあります。
ジョンの回想は解散前後の頃と思われますが、ジョージはもっと後の時代のインタビューが使われていました。
回想する人たちの中には当時のツアー同行記者やローディ担当者のほか、ウーピー・ゴールドバーグやシガニー・ウィーバーなどの女優、また作家・映画監督もいました。
各々がビートルズの公演について思い出を語るのですが、ウーピー・ゴールドバーグは今なおテンションが高く、またシガニー・ウィーバーは今も感動のあまり泣きそうな表情で、二人とも純粋に夢見る少女ファンのままです。
ミュージシャンではエルビス・コステロが登場し、「ラバー・ソウル」での音楽性の変わりように最初聴いた時は受け入れがたかったことを正直に述べていました。

ビートルズ来日に関する映像もありました。
日本公演のステージ映像の他、飛行機から降りてくるシーンや、武道館使用に反対する圧力団体、会場やホテルが厳戒態勢となったところなど、よく知られた来日時の映像が紹介されました。
ここで日本人回想者として写真家の浅井慎平氏が登場します。
ただ、浅井氏の感想はあまり頭に入ってきませんでした。
浅井氏自身も興奮したり熱狂したりはあったとは思うのですが、なぜ日本の若者までもがこれほど熱狂するのかがよくわからなかったようで、今も混乱しているように聞こえました。

よく知られているとおり、世界中どこでもあまりにも熱狂する観客のため、ステージ上ではお互いの楽器の音や歌も聞こえない状況に、メンバーは次第に嫌気がさしてきます。
またジョンのキリスト発言によりアメリカでは排斥運動が起こり、ビートルズのレコードを割ったり燃やしたりするイベントまで行われる事態に発展。
身の危険を感じたメンバーはますますライブへの意欲を失い、スタジオでの創作活動や映画撮影にシフトしていきます。

そして4人による最後のライブ演奏となった伝説のルーフトップ・セッション。
この映画では「Don't Let Me Down」「I've Got a Feeling」が採り上げられていました。
あらためて見るとジョンもポールも解散寸前のバンドとは思えないほど楽しそうな表情です。
残念ながら「Get Back」はなく、ジョンの「これでオーディションには受かっていればいいけど」という名セリフも出てきませんでした。

今ひとつ盛り上がりが足りないような感じでしたが、エンドロールが流れ始めました。
そしてファンクラブ向けに作られたクリスマス用レコードの音声が流れます。
ジョン、ポール、リンゴ、ジョージの順で、ファンに向けてクリスマスメッセージ。
エンドロールが終わりに近づく頃、出口に近い席から数人が早くも立ち上がり、階段を降りていきました。
自分は出口から一番遠い列に座っていたので、場内が明るくなるまで待つつもりでした。

ところが。
エンドロールが流れ切っても客席が明るくなりません。
なんか引っ張るなぁ・・しばらく余韻に浸れってことかな?などと思っていたら、スクリーンにまた映像が映り始めました。
実はここから第2部のような形で、1965年のニューヨーク・シェイ・スタジアムでのライブが始まったのでした。

意外な展開にちょっとびっくり。
いや、意外と思ったのは自分だけで、大半の人は落ち着いていたと思いますが。
さっき出ていった人たち、まだ映画は終わってないことに気づいていないんじゃないだろうか?
自分はたまたま奥にいたので立ち上がりませんでしたが、もし出口に一番近い席だったら、周りの人の雰囲気に押されて真っ先に出てしまった可能性が高いと思います。
「続いてシェイ・スタジアムのライブ映像をお楽しみください」くらいの案内があってもよかったのでは・・・
第1部終了で出ていってしまった人たちは、第2部開始後結構経ってから戻ってきたようでした。

第2部は純粋に当時のライブを収録したもので、スタジオ風景や関係者回想は一切なし。
狂乱するファンの大歓声の中、4人は誠実に演奏していきます。
これもあちこちで指摘されていることですが、明らかに日本武道館よりも4人のテンションは高いです。
ただし日本公演とアメリカ公演でどちらがメンバーのやる気が高かったのかは、いろいろな意見があるようです。
メンバーは狂乱するアメリカのファンに嫌気がさした、という話も、日本の観客が大人しすぎて受け入れてもらえなかったのかと不安になった、という話も聞いたことがありますが、どちらが真実なのかはメンバー本人たちにしかわからないんでしょうね。

MCではジョンもポールも「みんな聞こえる?」とたずねますが、観衆はそれには反応せず、みんな好き勝手に叫んでいます。
すでに第1部でも何度も出てくるシーンですが、気を失って運ばれる若い女性ファンが続出。
客席からグラウンドに降りて走り回るファンと必死に制止する警備員を見たジョンがMCの途中で「おおお~あれ見ろよ大丈夫か?」みたいなことを言いますが、やはり観衆にはあまり届いていないようでした。

ステージの下で、冷静な表情で場内やメンバーを見つめるブライアン・エプスタインが映ります。
大きな夢だったアメリカでの公演の成功に満足げな様子。
エプスタインこの時31歳。
そんな若さでこんなでかい仕事を成功させることができたんですね。

実はその昔テレビでこの伝説のシェイ・スタジアムの映像を見たことがあります。
1978年日本テレビで放送のビートルズの特番で、解説は大竹しのぶ。
調べたら「木曜スペシャル ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送」という番組でした。
番組のメインはもちろん日本公演ですが、その前にシェイ・スタジアムの映像も一部紹介されたのです。

ただ、どうも細かい部分で自分の記憶と少し違う部分があるような気がしました。
ラストは「I'm Down」でしたが、ジョンがキーボードを離れる最後のシーンは、自分の記憶よりも淡泊で「あれ?」と思いました。
ジョンの演奏のラストはもっとハチャメチャだったように記憶しています。
ビートルズは66年にも同じくシェイ・スタジアムでライブを行っているので、自分が昔見たのはこの映画とは別の映像だったかもしれませんし、音声だけ別の日のものだった可能性もあります。
また当時はシェイ・スタジアムではなく「シェア・スタジアム」と紹介されていました。
自分よりも上の世代の方々なら「シェア・スタジアム」のほうがしっくりくることでしょう。

第2部は30分ほどだったと思いますが、無事終了。
曲目は以下のとおり。

Twist and Shout
I Feel Fine
Dizzy Miss Lizzy
Ticket to Ride
Act Naturally
Can't Buy Me Love
Baby's In Black
A Hard Day's Night
Help!
I'm Down

第1部で終了だと思っていたので、なんか得した気分。(貧乏人)
今度こそ本当に終了で客席が明るくなりました。

ライブ映像ではあるものの、どこまでが本当の当時の映像と音声のままなのかは自分にはあまりよくわかりません。
それでもビートルズが世界一の水準にあったライブバンドということはよくわかります。
ビートルズ出現以降ポピュラー・ミュージックは50年間で様々な拡張を遂げ、ビートルズと同じくらいに世界中の若者を熱狂させるミュージシャンは出てきていないと思います。
何を今さらな感想ですけど、楽曲の美しさ・楽しさももちろんありますが、やはり4人の歌と演奏の調和がとにかく取れていると感じました。

自分の前の列には、当時まさに熱狂していたとおぼしき4人組の元若者男女が座っていました。
すでに足元もおぼつかない方もおられましたが、みなスクリーンの演奏や楽曲に合わせて体を揺らし、ジョンやポールのジョークに笑ったり、画面を指さして何か小声で話したりしています。
この方々にはおそらくリアルタイムでのビートルズ熱狂体験があり、すぐ後ろで見ている自分にはそれがありません。
やはり原体験のある人たちとは、この映画の楽しさの本質が違うのです。
そんなの当たり前のことで、言ってどうにかなるものでもないのですが、この「うらやましい」「引け目を感じる」感覚は、映画を観ている間中ずうっと消えませんでした。
まあ逆さに言うと、自分も生きてる間にこうした音楽や映像に出会えてよかったんだとも思います。

というわけで、「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK」。
鑑賞前からある程度予想はしてましたが、やはり良かったです。
もちろんDVDで観てもきっと良かったはずでしょうけど、大きなスクリーンで先輩方とともに鑑賞させていただいた、という記憶は一生残るものです。
これからもこうしてもっと貴重な記録が発掘・公開されればいいなと思いました。

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見ていない 第37回 あぶない刑事

先日ぼんやりテレビをながめていたら、芸能ニュースみたいなコーナーで来年公開予定の映画「さらばあぶない刑事」の話題を採り上げていた。
タカとユージの二人が定年とのことで、なんだかリアルな設定だなぁと感慨深いものがあった・・と書きたいところでふと気づいたが、実はテレビ番組も映画も全然見ていないのだった。

「あぶない刑事」のテレビ放送は1986年10月に開始。
関東では日本テレビで日曜夜9時からの放送だった。
その後続編として「もっとあぶない刑事」が88年10月から半年間、金曜夜9時に放送された。
テレビのシリーズはこれだけだが、いずれも全然見ておらず、おそらく1時間通しで見たことは一度もない。

今さらだがドラマの概要をあぶなっかしく学習。
横浜港警察署の刑事、タカこと鷹山敏樹(舘ひろし)とユージこと大下勇次(柴田恭兵)の二人が主人公。
現実ばなれした派手なアクションや独特のファッションセンスなどを基調とした刑事物語で、基本的には一話完結のテレビドラマシリーズである。
「太陽にほえろ!」「特捜最前線」「西部警察」といった、それまでのシリアスでハードボイルドな刑事ドラマとは違った破天荒で痛快かつコミカルなイメージが人気を呼び、映画も数多く制作されることとなった。
警察ものなのにレギュラー出演者が誰も殉職しないという点も、70年代刑事ドラマとは一線を画す象徴的な話である。
主な共演は浅野温子、仲村トオル。

ドラマは横浜が舞台であり、主人公二人が勤務する港警察署の管内は山手・根岸・本牧あたりという設定。
当然ロケも横浜を中心に行われ、ウィキペディアには「新港埠頭、髙島貨物駅、バンドホテル、イセザキモールのオブジェなど、後の再開発で取り壊されてしまった名所が頻繁に登場する。」と書いてある。
我々神奈川県民にとってはなじみのエリアであり、昔懐かしい建物が登場するという見方ができそうだ。
書いてある場所のいずれにも特に深い思い入れがあるわけでもないが、バンドホテルは閉鎖されて跡地にはドンキができたことは多くの県民が知っているはずだ。
そう考えると全然見ていなかったのも惜しい気がしてきた。
今から見直してもこの点だけは楽しめると思う。

見ていない理由は不明。
日曜夜9時なんて裏番組も全然思い出せないが、こんな時間に家の外で活動してた記憶もないので、たぶん裏番組をぼんやり見ていたのだろう。
・・・と思って初回放送時の裏番組を調べたが、86年の裏番組は「NHK特集」「花王名人劇場」「東芝日曜劇場」「日曜洋画劇場」など、とても見ていたとは思えない番組名ばかり。
じゃあ「もっとあぶない刑事」の裏は何だったかというと、「ニュースTODAY」「風雲!たけし城」「金曜おもしろバラエティ」「ミュージックステーション」。
うーん・・「たけし城」くらいは見ていたような気がするが、毎週かかさずというほどでもなかったかなぁ。
いずれにしても「あぶない刑事」にも裏番組にも意欲的にチャンネルを合わせたことはなかったと思う。
ちなみに最初のシリーズ終了後の後番組は「巨泉のこんなモノいらない?」で、これはよく見ていた記憶がある。

当然映画も全然見ていない。
この扱いは「踊る大走査線」と同じである。
特に舘ひろしや柴田恭平が嫌いとかそういうことでもなく、なぜか全く見ていないのだった。
舘ひろしと言えば自分の場合記憶にあるのはやはり「西部警察」である。
柴田恭平に至っては能瀬慶子と共演していた安い恋愛ドラマ「赤い嵐」しか覚えていない。(古すぎ)

というわけで、「あぶない刑事」。
テレビも映画もDVDが出ているので、今からでも追いかけることはなんとか可能なようだ。
正しく学習するならやはり映画を見る前にテレビ放送分を鑑賞すべきだろう。
比較は全く無意味だが、少なくとも「刑事コロンボ」よりはハードルが低そうな気はする。
みなさんの鑑賞履歴はいかがでしたでしょうか?

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見ていない 第36回 お笑いマンガ道場

花の80年代に洋楽にまみれた自分にとって、海外アーティストや新曲の情報を定期的に供給してくれたオトナと言えば、東郷かおる子、小林克也、そして柏村武昭である。
この三頭体制の一角を担う柏村武昭だが、司会者として出演していた代表的なテレビ番組がご存じ「お笑いマンガ道場」。
・・・なのだが実はほとんど見ていない。
番組の存在は知っていたが、目的意識を持って見たことはなく、初めから終わりまで通しで見たことは一度もない。
柏村チルドレンの身でありながら非常にゆゆしき事態である。(棒読み)

以前からウチは時々柏村武昭を連呼することがあるというおかしなBLOGだが、たまたま毎週聴いていた「サンスイ・ベストリクエスト」の司会がこの人だっただけで、別にみのもんたでも橋幸夫でもターザン山本でも、誰が司会だろうと構わず聴いていたはずである。
むしろ柏村武昭と聞いて「サンスイ・ベストリクエスト」を思い起こす人のほうが圧倒的に少数派だろう。
関東では「お笑いマンガ道場」以外に出演してたテレビ番組を知らない、という人も多いと思う。

柏村チルドレンとして取り急ぎ番組概要を調査。(薄い)
「お笑いマンガ道場」は1976年4月から1994年3月まで放送された、中京テレビ製作の30分間バラエティ番組である。
スタート時は中京ローカルで、後に全国ネットとなる。
関東では東京12チャンネルで放送され、80年以降は日本テレビになった。
放送される曜日や時刻の変更がかなり多かったようだ。
木曜夕方にやっていたような記憶がうっすらある。

初代司会は桂米丸、二代目が柏村武昭。
主な出演者は本職の鈴木義司と富永一朗、車だん吉、三波豊和、江藤博利(元ずうとるび)、エバ(元ゴールデンハーフ)、秋ひとみ、川島なお美、森山祐子など。
女性出演者は司会者のアシスタントの役割だが、出演は各人同時ではなくエバから森山祐子まで順に変更していったそうだ。
川島なお美の代役として君島十和子が出ていたこともあるらしい。

基本的な構成は、司会者がテーマを出題して、レギュラー・ゲストの各解答者がフリップに絵(マンガ)を描いて解答し会場と茶の間の笑いをとるというものである。(合ってます?)
出演者の中で「鈴木義司対富永一朗」「車だん吉対女性アシスタント」という対立構造ができており、お互いを解答のマンガによってこきおろしたりいじったり、というパターンが受けていた。
このあたりは昭和のお笑い番組にはよくある構図だろう。
他にも漫画家富永一朗の描く巨乳?画や、ずうとるび江藤博利は何を描かせてもひどい絵になるところなどが、この番組の定番な見どころであった。

川島なお美は歴代の女性アシスタントの中では最も長い期間出演していた。
ところが出演して7年経った頃に、「水戸黄門」のロケ中にバスが川底に転落する事故にあい、全治3か月の重傷を負う。
治療中は他のタレントが代役で出演したが、結局川島なお美は復帰せずそのまま「卒業」という形で番組を降板。
その後川島なお美を取材する際は「お笑いマンガ道場」出演の経歴にはふれないこと、という掟のようなものが業界では定説となった、などといった噂もあったらしいが、後に本人は否定しているとのこと。

結局、番組も出演者もなんとなく記憶があるけどはっきりとは覚えていない、という状態。
見てなかった理由も思い当たらないが、平日夕方なのであまり家にいなかったとか、少し見たけどそれほど面白いと思わなかったとか、家にいてもテレビをつけてなかったとか、その程度の話だと思われる。
関東では裏番組は何だったんだろう?

それにしても柏村武昭である。
中国放送アナウンサーから司会者タレントに転身し、ラジオや「お笑いマンガ道場」で人気を不動のものとし、その後参議医院議員となり防衛庁長官政務官も務めたという、かなり特殊な経歴を持つ人物だ。
冒頭で述べたとおり自分にとっては「サンスイ・ベストリクエスト」のパーソナリティなんだが、ネットで見つかるプロフィールにはこの番組のことはあまり詳しくは書かれていないのだ。
出演ラジオ番組では71年から16年間放送された「サテライトNo.1」のほうが圧倒的に有名らしい。

「サンスイ・ベストリクエスト」では海外ミュージシャンをゲストに呼んで流暢な英語でインタビュー、なんてことは一切やらず、ひたすら1時間9曲を流すことに徹する堅い構成だった。
今思うと実はそんなに洋楽に詳しい人でもなかったんじゃないか?とも思う。
なぜFMで洋楽番組の司会など引き受けたのだろうか?(大きなお世話)

というわけで、「お笑いマンガ道場」。
見てなかったことへの後悔や危機感も全然ありませんし、DVDが出るような話もなさそうですけど、この番組の思い出など教えていただけたらと思います。

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見ていない 第35回 連続テレビ小説

番組自体は半年で終わるが、枠としては50年以上(!)の歴史を誇る日本の伝統芸能文化、正調テレビドラマシリーズ、NHK連続テレビ小説。
いつから見ていないのかすら思い出せないくらい見てません。
最近は初回から最終回まで一度も見ないまま終了してることがとても多い。
「梅ちゃん先生」も一度も見ないままだったし、今の「あまちゃん」も全く見たことがない。
「じぇじぇ!」ってなんのこと?

こんなんでは話にならないので、連続テレビ小説について緊急学習。
NHK連続テレビ小説は昭和36年の「娘と私」が最初のシリーズで、以来52年間に88作品が放送されている。
(現在放送中の「あまちゃん」が88作目)
ほとんどの地区で同じ時間帯に放送されてると思うが、基本的には地上波では朝の8時15分から30分まで、再放送が同じ日の12時45分から13時まで。
74年の「鳩子の海」までは1年間1作品だったが、75年以降は前期をNHK東京、後期をNHK大阪が制作という1年2作品となっている。
ただし83年の「おしん」や94年の「春よ、来い」など1年間続いた例外もある。

50年以上なので様々な作品があるが、基盤的な特徴として以下がある。
・主人公は女性。
・若手女優・新人女優の登竜門的存在。
・おおむねハッピーエンド。
・ほとんどが現代劇。

作品名リストを確認すると、どうやら見なくなったのは「澪つくし(昭和60年)」あたりと判明。
タイトル以外記憶にないし、これ以降どの作品についても主演女優や舞台をまともに答えられない。
それ以前も親が見ていた時に横にいたという程度で、マジメに正座して1年間視聴した作品はない。

ぼんやりと記憶にある作品は「虹(昭和45年)」「繭子ひとり(昭和46年)」「鳩子の海(昭和49年)」「雲のじゅうたん(昭和51年)」「マー姉ちゃん(昭和54年)」「おしん(昭和58年)」あたり。
自分の年齢的にはだいたい小中学生の頃の作品だ。

たぶん最もたくさんの回を見たのは「おしん」である。
おしんの息子役が山下真司だったはず。
「おしんのしんは辛抱のしん」という名セリフがあるが、学校では友達と「おしんのしんはタイガー・ジェット・シン」などと言って大笑いしていたなぁ。(くだらねぇ・・)

その「おしん」は関東での年間平均視聴率が歴代最高の52.6%。
それに続くのは「繭子ひとり」の47.4%、「藍より青く」47.3%、「鳩子の海」47.2%といった作品だそうだ。
ここ10年くらいは20%を超えることはあまりなく、「梅ちゃん先生」がかろうじて20.7%を記録している。
今後も「おしん」を超える視聴率を記録することはないだろう。

見なくなった理由はわりと明確で、高校生の頃は「放送時間に家にいなかった」、大学生になると「寝てた」、社会人となってからは再び「家にいなかった」である。
録画して見るという意欲や根性はなく、最近では半年間タイトルすら知らずに終了してた、ということもかなりある。
過去の放送作品一覧表を見ても、タイトルもヒロインも全く知らない作品がいくつも出てくる。
ちなみに今後の予定もすでに決まっており、今年の10月からは杏主演の「ごちそうさん」、来年4月は吉高由里子主演で「花子とアン」だそうだ。

まあそもそもどのドラマもターゲットが男子学生や中年サラリーマンではないだろうし、ワシは50年かかさず見てきましたけどねという男性もあまり多くはいないだろう。
特定のヒロイン女優を鑑賞する目的で見ているという動機はありそうだが・・・

ちなみに自分は実は山口智子の古くからのファンだ。(場内騒然?)
まだモデルをしていたり酒屋に置いてある生ビールの看板になったりしてた頃から応援していて(場内騒然)、誕生日とか青山短大在学とか栃木の旅館の娘とか細かい情報も有名になる前からムダに覚えたものである。(場内引きまくり)
なので連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌(昭和63年)」のヒロインに抜擢された時は「今頃気づいたかNHK!この子はワシが育てたんや」という大錯覚に陥ったものだ。(バカ)
でも番組は全然見なかった。
どうせ見ても山口智子ばかり追ってしまい、ストーリーなんかアタマに入らなかったはずである。
もっと言うと実はその後の「ダブル・キッチン」「ロング・バケーション」など代表的な出演ドラマも全然見ていないのだった。(ホントにファンなのか?)
最近はたまにしかテレビに出ず、出たら出たでなんかイタイ感じの女優さんになってしまったが・・・

というわけで、連続テレビ小説。
とりあえずこれからもあまり見る予定はないんですけど、みなさんは連続テレビ小説って見てますか?
また過去の作品でよく見ていたものなど、教えていただけたらと思います。

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見ていない 第34回 ミュージックトマト

ポッパーズMTV」の巻でも告白したが、80年代の洋楽プロモーション・ビデオ紹介番組で自分がマメに見ていたのは「ベストヒットUSA」だけである。
当時PVを紹介するテレビ番組は他にもいろいろあったはずだが、「ポッパーズMTV」同様いっさい見ていなかったのが「ミュージックトマト」だ。
この番組は地元のテレビ神奈川が放送していたので、見てはいなかったが存在自体は知ってはいた。
ただし他の地方での放送実績は全然わからない。
また洋楽という分野では自分より先行していた姉も、この番組を見ていなかったと思う。

で、今回「ミュージックトマト」についてネットで調べてみたが、思ったよりも情報が少ない。
正確な放送開始年月日はわからなかったし、いつ終わったのかも不明。
どなたか詳細をご存じでしょうか?
主にウィキペディアで調べた概要は以下のとおりである。

「ミュージックトマト」は80年代に放送開始。
「ベストヒットUSA」や「ポッパーズMTV」との放送開始順序はわからないが、感覚的には同じ頃に放送していたんじゃないかと思っている。

放送時間は毎回16:55~17:45というややハンパな時間。
開始当初は全編洋楽ではなく、邦楽のビデオも混ぜて流していた。
その後邦楽部門は「ミュージックトマトJAPAN」という別番組となり、洋楽部門は「ミュージックトマトWorld」に名前を変更。
90年代には月曜がアーチスト特集、水曜がハードロック、金曜がリクエスト特集といった形で曜日ごとにテーマと担当ビデオジョッキーを分け、そのうち火水金は生放送だった。
水曜の担当は伊藤政則だが、このハードロック特集も見た記憶が全然ない。

同じテレビ神奈川のトマト系番組には「ファンキートマト」もあったが、どっちも見ていなかったのでどう違うのかもよく知らない。
「ファンキートマト」は洋楽中心ではあるが限定ではなく、また電話リクエストが番組の趣旨だったようだ。
司会はシャーリー富岡。
他にも「ライブ・トマト」「夕焼けトマト」「TVグラフィックおしゃべりトマト」「トマト・パーティー」なんてのもあったらしいが、どれも全然知らない。
長いこと神奈川県民なんですけど、なんで見てなかったのかよくわからないです。
なんでトマトなんだろう?
地元の名産品でもないと思うが・・・

「ミュージックトマト」を見てなかった理由として考えられるのは、「放送時間には基本的に家にいなかった」というもので、これは「夕やけニャンニャン」と同じである。
学生の頃はたぶん雀荘にいた時間だし、働いていたとしたらまだ会社にいる時間帯だ。
ビデオデッキは持っていたが、音楽番組はMTVしか録画していなかった。

「ミュージックトマト」って、PVはフルで流してトークをかぶせないスタイルだったんですかね?
もしそうだとしたらエアチェックの代わりにも使えたかもしれないなぁ。
サンスイ・ベストリクエスト」を聴かなくなってからは、MTVの録画映像から音声だけカセットテープに落とすという地味な活動をしばらく続けていたのだ。
レコードを買えない貧乏なリスナーは、実際に楽曲を鑑賞するにはひたすらFMを聴くとかPV放送を見るくらいしか手段がなかった。
だからこそ「テープに録音する」という行為自体に意味があったと言える。

今はかなり薄いアーチストの曲であっても、動画サイトでたいがいのPVを見ることが可能だ。
好きな時に好きなアーチストの好きな曲を能動的に見られる・聴けるという夢のような世界が実現してるんだけど、そう考えると当時の番組をもし録画していたら、価値はむしろトークのほうにあるような気がしてきた。
昔テレビで録画した映画やドラマをたまに見たりすると、感動するのは本編じゃなくてCMのほうだったりすることがあるよね。

ということで、なんだか変な結論になってますけど、「ミュージックトマト」。
そもそも他の地方では放送していたんでしょうか?
またいつ始まっていつ終わったのか、正確な情報をお持ちの方がおられましたら教えていただければ幸いです。

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観てみた レッド・ツェッペリン Celebration Day / 祭典の日

2007年にロンドンで行われた、レッド・ツェッペリン一夜限りの再結成コンサート。
そのライブDVD・CDの世界同時発売に先行して東京・名古屋・大阪・福岡の映画館で一週間限定の上映が行われるとのことで、滅多に映画館なんか行かないあたしですが、観に行って参りました。

2007年の再結成の騒動については、実は当時もかなり冷ややかに見ていました。
あのエリカ様も駆けつけたというライブでしたが、なんと言っても解散から27年も経っていて、メンバーそれぞれは27年分加齢しています。
ロバート・プラントに往年の声を求められるはずもなく、ツェッペリン最大の鑑賞ポイントがプラントの絶叫にあると信じているあたしとしては、数々の名曲が27年分枯れた声で歌われるのを今さら聴くのもなぁ・・と、さめた感情でとらえていました。
ライブ直後にネットでいくつか映像を見ましたが、そもそも一般人が携帯などで録画した映像なので、アングルは固定で画質も音も悪いものばかりで、さほど興奮するようなこともありませんでした。

なので今回の鑑賞においても、プラントに過剰な期待はするまい・・と思って着席。
まあ加齢が目立たない選曲だったり、昔の音を再現したりという工夫もあったりするんだろうなという、天下のツェッペリンを相手にすっかりナメた構えでおりました。

自分が観たのはTOHOシネマズ渋谷です。
200席のスクリーンですが、この回の客の入りは半分くらいでしょうか。
当然ですが中央部に客が集中しており、両サイドはガラガラです。
自分はどこでもよかったので前寄り右端に座りました。
客層はおっさんばかりかと思いきや、意外にそうでもなく、妙齢の女性も結構来ていました。

今回の上映については、主催者側としては映画としては見せるが、それ以上のことは何もしないというスタンスのようです。
パンフやグッズの販売なども全くありません。

これより先、ライブの内容にふれる記述となりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

・・・・・観てみた。

Zep_2

観るまで映画の趣旨はドキュメンタリーなのかライブなのかわかりませんでした。
自分は勝手にドキュメンタリーっぽいものだと思っていたので、記者会見の模様やメンバーの久々の再会の様子やリハーサル風景や楽屋で弁当食ってくつろぐジミー・ペイジなんかも出てくるんだろうと期待してスクリーンを見つめていました。

しかし。
映像はいきなり会場上空から撮影した大観衆で始まり、どこか古くさい「それではレッド・ツェッペリンの登場です」的なコールのあと、「Good Times Bad Times」のイントロがばんばん!ばんばん!と流れ、場内大歓声大興奮の幕開け。
何の前フリもなく、もう伝説のライブが始まりました。
前座も前説も一切なし。
いや、現地ではあったかもしれませんけど、映画ではそういうシーンはありません。

照明が当たってメンバーの顔があらわになりました。
この頃のペイジの姿は北京オリンピックやプロモーションの映像でけっこう目にしていたのですが、他のメンバーの2007年当時の顔はあまり見ていなかったので、やはりプラントもトシとったなぁ・・と感じました。
ちなみにプラントは髪型は解散当時とあまり変わってませんでした。
あれから5年経って今はだいぶ違うようですが。

ご存じのとおりペイジはすっかり白髪になっていて、黒いサングラス姿が内田裕也と神奈月扮する井上陽水をまぜたような雰囲気。
ジョン・ポール・ジョーンズは髪型が現役の頃と全く違うので、「こんなヒトだったっけ・・?」というのが正直な感想。
ただ3人とも体型にあまり変わりはないようでした。
ネットでは「ペイジの腹が出ていた」という厳しめの評価が多いようですが、80年代のぼよよんなペイジよりは全然マシ。
ドラムはジェイソン・ボーナムですが、すでに髪の毛は全然ありません。
ボンゾが存命だったら、やっぱしハゲてたんでしょうか。

貧困な感想ですけど、演奏はどれも素晴らしいものでした。
一夜限りとはいえみなさん加齢してるので、わりとおだやかなシニア向けナンバーが多いのかと思ってましたが、全然そんなことはありません。
思ったより体育会な選曲で、激しい楽曲が続き、特にペイジは弾きまくり。
さすがにプラントの声も加齢はしてましたが、後期の曲であればレコードの声とさほど変わらない印象を受けました。
むしろ90年代のペープラの時のほうが全然声が出てませんでしたね。

ペイジのギターも今まで聴いてきた音とほとんど変わりません。
たまにやや危なっかしいところはあったようですけど、がっかりするような場面は全くありませんでした。
スクリーンにはペイジの手元がよく映し出されます。
曲ごとにわりとマメにギターを変えており、「Dazed And Confused」「Stairway To Heaven」などはダブルネックの18弦(でいいの?)でいろいろな音を出していました。
弓を手に恒例のバイオリン奏法も披露。
自分はギターを弾けないのでペイジのすごさは具体的には理解できませんが、ギターが弾ける人なら非常に興味深いシーンがあちこちにあるんじゃないでしょうか。

ジョーンジーは曲ごとにベースまたはキーボードを担当。
なぜかキーボードの時は不安そうな表情が多く、ベースを手にした時のほうが楽しそうです。
ジェイソンのドラムをまともに聴いたのは初めてでしたが、お父さんの音にかなり忠実に叩いているように聞こえました。

セットリストはベスト盤のような選曲で、どの曲でも観客は盛り上がっていました。
自分は当然前期の曲が好きなのですが、「In My Time Of Dying」「For Your Life」「Nobody's Fault But Mine」といった後期の曲も、ライブで聴くと印象が違います。
今さらですが、「こんなにいい曲だったんだ・・」などと中学生のように感動。
ツェッペリンが最強のライブバンドだったことを再認識させられました。

たまにオーディエンスがちらっと映るのですが、若い女性ばかりを意図的にフォーカスします。
メンバーと同世代の元ヤングガールがステージ上のロバート様を見て感涙にむせぶ・・・なんてシーンはありませんでした。
あと日本のスポーツ中継などでよくある、客席の有名人なんかを抜いたショットも全然なし。
もちろんエリカ様も登場しません。
そういう趣旨のドキュメンタリー映像ではないようです。

客席側からステージを映すシーンも時々ありますが、多くの観客が携帯やデジカメでステージを撮影していて、暗い客席にぼんやり浮かぶ無数の携帯画面の明かりがなんとなく興ざめ。
ツェッペリンてバンドは権利関係にかなりうるさいはずだと思うんですけど、このライブは撮影OKだったんでしょうかね?

ライブ後半は前期の曲がほとんどでした。
「Stairway To Heaven」では観客とともに大合唱。
「Misty Mountain Hop」ではバックボーカルとしてジェイソンが参加。
プラントの怪しい歌に不協和音すれすれのレベルで声を合わせます。

最後に登場したのが大曲「Kashmir」。
これは後期の曲なのでスタジオ版でもプラントの絶叫はざらざらな印象なのですが、還暦に近い人が2時間歌い続けた上でのことを考えれば、この曲でのプラントのシャウトはむしろ驚異的なものとも言えるかもしれません。
実はこの曲もメロディは意外に単調なのであまり好きではなかったのですが、ライブで聴くとやはり違うようです。

ここでメンバーがステージ上に勢揃いし、肩を組んで一礼していったん退場。
当たり前ですけど、4人が並ぶとジェイソンだけが突出して若いです。ハゲてるけど。

アンコールは「Whole Lotta Love」。
さすがにスタジオ版のようなオカルトっぽいアレンジは再現できませんが、ペイジのゆがんだギターはサイケな雰囲気が充満していました。

そしてエンディングは「Rock And Roll」。
もうこれ以上ないというベタな演出です。
最後まで観客を魅了し続けた、伝説と呼ぶにふさわしいライブでした。

セットリストは以下のとおり。

1.Good Times Bad Times
2.Ramble On
3.Black Dog
4.In My Time Of Dying(死にかけて)
5.For Your Life
6.Trampled Under Foot
7.Nobody's Fault But Mine(俺の罪)
8.No Quarter
9.Since I've Been Loving You(貴方を愛しつづけて)
10.Dazed And Confused(幻惑されて)
11.Stairway To Heaven(天国への階段)
12.The Song Remains The Same(永遠の詩)
13.Misty Mountain Hop
14.Kashmir

アンコール:
15.Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)
16.Rock And Roll

個人的にはもう少しバラード系の曲があってもよかったのではないかとも思いました。
「Going To California」「Thank You」「Bron-Yr-Aur」なんてのも聴いてみたかったですね。

DVDではどうなっているのかわかりませんが、映画では日本語字幕や曲名紹介はいっさいありません。
その代わり曲のカットもないそうで、当日の演目を全てそのまま収録するという完全記録。
DVDにはボーナス映像ありとのことですが、どんなものなんでしょうね?

映画館でロックのライブ映像を観るというのは不思議な感覚です。
もちろん立ち上がってコブシを振り上げたりペンライト振ったりそろいのハッピ着たりする人は誰もおらず、暗い席でみんな静かにスクリーンを見つめています。
意外に感じたのは寝ている人やトイレ?に立つ人がわりといたことでした。
「For Your Life」「Trampled Under Foot」あたりがどうも軽い扱いのようで、上映開始から30分くらいしか経っていないのに席を立つ人が続出。
自分は通路横に座っていたので、暗闇でもどすどすと移動する人たちの足音はけっこう気になりました。
自分はふつうの映画でも途中で席を立ったりすることはまずしませんけど、音楽映画なんてみんなこんなもんなんでしょうか?

というわけで、「Celebration Day / 祭典の日」。
非常に良かったです。
ツェッペリンのファンとしてはあまりにも出遅れた自分ですが、このライブ映像を映画という大画面大音響な形で観ておいて本当に良かったと感じました。
DVD買って家の貧弱なオーディオ&ビジュアル環境で鑑賞しても、ここまでの迫力はきっと感じられないと思いますし・・

あらためて思いましたが、ツェッペリンの楽曲ってなんかすごい怪しいですよね。
ふつうに進行してびしっと収まるという音楽ではなく、変な音に変な構成に変な歌詞、それでいて奇妙な調和。
それを解散して27年も経っていながら、当時の怪しい音楽を一夜だけがっちり再現してがっちり稼いでまた隠れるという、アート&ビジネスの極致とも言える集団だとつくづく思います。

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見ていない 第33回 兼高かおる世界の旅

日本初のLCCのPeachで国内を旅してみたい引きこもり旅芸人のSYUNJIです。
もう長いこと海外旅行してませんが、Peachのような日本のLCCで韓国や台湾に行けるなら行ってみてもいいかなとぼんやり考えたりしています。
そのうち世の中がもっと雑になってくると、屋根のない飛行機とか全員つり革立ち乗りとか、アナーキーな鬼安LCCなんてのが出てきそうな気もしますが。

さて日本の元祖旅行番組である「兼高かおる世界の旅」。
実は一度も見たことがありません。
番組名くらいは知っているけど、意識して放送を見たことは一度もない。

この番組は「兼高かおる世界飛び歩き」として1959年12月TBS系列で放送開始。
1960年6月から3ヶ月中断の後、9月から「兼高かおる世界の旅」として再開した。
以来30年間放送され、回数は1586回。
開始当初は日曜午前だったり月曜深夜の放送だったが、62年以降は基本的に日曜朝の番組として定着。
完全カラー放送は67年からである。
放送は90年に終了したが、2007年からCSでデジタルリマスターによる再放送もしており、またTBSオンデマンドで配信もしているそうだ。
なので今から見ようとすることはわりと簡単かもしれない。

番組は長いことパンアメリカン航空の協賛で作られていた。
パンナムが倒産した後はスカンジナビア航空に変わったそうだ。
構成としては、セレブ系ジャーナリストの兼高かおるが外国を旅する映像を流し、それに本人とTBSアナウンサーである芥川隆行がナレーションやトークをかぶせる、といったものだったらしい。
訪れた国は150以上というから、一度も紹介されなかった国のほうがきっと少ないだろう。
北朝鮮はあったのかな?
ちなみにさすがに南極はないやろと思ったら、驚いたことに南極も何度か放送されているとのこと。

終了となった理由はやはり視聴率低下だそうだ。
長いこと日曜朝9時の始まりだったのを8時からに変更したら、とたんに視聴率が下がってしまったらしい。
が、これだけの長寿番組であれば放送終了は相当話題になったんじゃないかと思うが、全然記憶にない。
視聴率が下がったのは、おそらく多くの日本人にとって海外旅行が身近になったことも要因だと思う。
テレビで兼高かおるの説明映像を見るよりも、自分で見に行ったほうが早いという時代が来た、ということだろう。

見ていなかった理由は特にない。
生まれる前からの番組なので、親が見る習慣を持っていなかったと思われるが、その理由もはっきりしない。
90年まで放送してたんだから、自分の意志で見ることも可能だったはずだが、結局そうしたことをしないまま放送は終了。
終了当時のこの時間帯はまだ寝ていたんじゃないかと思う。
裏番組が何だったのかもよくわからないが、そもそも日曜朝に家族でテレビを見ていたかどうかさえ記憶にない。

母親は今も旅が好きで国内を徘徊することが多いが、海外旅行の経験は全くない。
父親は生前仕事で国内外を移動することが多く、特にデンマークにはよく出かけていたが、旅行として海外に出たことはなかったと思う。

冒頭に書いたとおり、自分はもう長いこと海外に行っていないが、これまで訪れた国は以下である。
西ドイツ・オーストリア・スイス・イタリア・バチカン・フランス・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・香港・カナダ。
国の数は父親より多いと思うが、滞在時間は全部合わせても1ヶ月半くらいしかなく、どれもあちこち見て回る落ち着きのないツアーばかりだ。
いずれにせよ程度の差はあれど、家族全員が比較的旅が好きなほうの部類だったわりに、なぜか「兼高かおる世界の旅」は誰も見ていなかったのだった。

旅番組ってのはけっこう微妙で、見ておもしろいと感じる要素は自分にもよくわからないほど多様性がある。
行きたいと思っていた場所が紹介されると「ああ行ってみたいなぁ」と思うはずだが、番組の構成や出演者の善し悪しによって急激に行く気が失せてしまう、ということも充分あり得るのだ。
全然行く気のなかった場所がたまたま番組で紹介されて、突然行く気が涌いてきて翌月行ってしまった、ということもあった。
(この時行ったのは安芸の宮島だ。)

高校生の頃見たテレビ番組で今も強く印象に残っているのは、アジアからヨーロッパを目指すバスツアーの紹介の特番だった。
決して楽しそうな話ではなく、むしろ多国籍な乗客の中で争いが発生したり犯罪者と疑われて強制下車する客が出るなど、けっこうハードな内容だったと思う。
厳密には旅番組というより社会派ドキュメンタリーみたいなものだったかもしれないが、こういう番組は記憶に残っているのだ。

というわけで、何が言いたいのかよくわからなくなってますけど、「兼高かおる世界の旅」。
みなさんはご覧になってましたでしょうか?
記憶に残っている放送などありましたら教えていただけたらと思います。

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観てみた ポール・マッカートニー THE LOVE WE MAKE

めったに映画を観ないあたしですが、2年ぶりに映画館に行ってみました。
今回はポール・マッカートニーのドキュメンタリー映画「THE LOVE WE MAKE」です。
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロに心を痛めたポールが、多くのアーチストに呼びかけて「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」を開催。
このコンサート開催までの日々といくつかのインタビュー、そして当日のライブの様子を織り交ぜた映像で構成された映画です。

Paul

この映画公開を知ったのは新聞広告でした。
9.11の後、様々な音楽イベントがアメリカで開催されていたと思いますが、このコンサートのことは正直覚えていませんでした。
従って映像も音楽も全く鑑賞していません。
事件から10年が経過したこの時期になぜ日本で公開されたのかもわかりませんが、記録映画として観ておきたいと思ったので、仕事の帰りに映画館に立ち寄りました。

直前まで六本木で観るつもりでしたが、上映時刻がかなり遅いため、もう少し早い時間に上映する横浜で観ることにしました。
TOHOシネマズららぽーと横浜で映画を観るのは初めてです。
たまたまですがこの日が上映最終日でした。
上映は19時20分からの1回だけ。
平日夜だったせいか、客は20人もいなかったと思います。

以下、映画の内容にふれる記述となりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

・・・・・観てみた。

監督はストーンズの「ギミー・シェルター」を撮ったアルバート・メイスルズ。
映像は主に5種類に分けられます。
1.コンサートに向けてのスタジオでの練習風景。
2.テレビやラジオ番組に出演してインタビューを受けるポール。
3.車の中でアルバートや運転手のジョージと会話し、時には街に繰り出してファンにサインするポール。
4.コンサート当日のバックステージの様子。
5.そしてステージ上の映像。
これらのパターンが小刻みに前後しながら登場しますが、1と3と4はモノクロ映像です。
画質も1から5まで含めてあまり良いとは言えず、特に3や4はピントが合わない部分もかなりあったりしますが、それゆえに臨場感はあります。

ドキュメンタリーなので妙な演出は全くありません。
また9.11そのもののニューヨーク市内の混乱の様子は、映像には一切登場しません。
この映画はあくまでポール・マッカートニーという音楽家のドキュメンタリーであり、政治や思想を強く反映した作品ではない、ということだと解釈しました。

そういう意味では初めから終わりまで映像は比較的平坦で、感動したり大笑いしたり、という場面も特になし。
でも車の中で運転手と会話したり、バックステージで様々なミュージシャンと楽しそうに会話するポールの映像は、やはり貴重なものだと思います。

スタジオで練習するサポートミュージシャンは全て若いアメリカ人なので、自分は名前も顔も知らない人でした。
またメディア側の人が数人登場しましたが、これまたダン・ラザー以外は全くわかりません。
登場人物についての字幕解説がないので、この人が誰でアメリカでどういう評判なのか、わからないまま映像を見ることになります。
名前を字幕で紹介するのはオジー・オズボーンやピート・タウンゼンド、ビリー・ジョエルなど有名なミュージシャンに限定しているようでした。
あたしのような万年初心者リスナーでも、オジーやピートの顔くらいはわかります。
むしろそんな有名人よりも、他の若いミュージシャンやメディア側の人たちについて、もう少し解説を入れてほしかったと思います。

会話から感じるポールの人柄は、パブリックなイメージそのものから全くはずれていませんでした。
深刻な事態に立ち向かう強い決意や姿勢はありますが、スタジオでも楽屋でも街中でも、とにかくポールはにこやかで楽しそうです。
冗談を言って周囲を笑わせ、自身もリラックスする、そういうシーンが何度も出てきます。
少し驚くのは、9.11直後のニューヨークでもわらわらと寄ってくるファンに気さくにサインをするポールの姿でした。
あの時期、誰もが次のテロ発生を恐れていたはずですが、超有名人であるポール自身はそれほど身の危険を感じてはいないように見えました。

思えばこの人は70年代からずうっとそうだったのではないかと思います。
ジョン・レノンのように反戦を訴えて過激な行動と言動によってFBIに監視されたり、アメリカ永住権をめぐって裁判で延々戦ったりといった展開もなく、ウィングスやソロでひたすら楽しい音楽を世界中に発信していたのでした。
テロに屈しないアメリカを支持する姿勢や考えは持っていますが、それを表現するのに音楽コンサートの枠からは決してはみ出そうとはしていない。
音楽の力を最も信じているミュージシャン、それがポール・マッカートニーであるということだと思います。

ポールに会いに来た時のオジーの若干緊張した面持ちや、コンサート前の打ち合わせ時にピートに向かって「クスリのやりすぎじゃないの?」などとイノセントにカマすポール、苦笑するしかないピート、こんなところはとてもおもしろい映像です。
コンサートで初めて新曲を披露するため、エリック・クラプトンとギターソロについて打ち合わせをするポール。
本番を前に高いテンションのポールに、クラプトンが終始落ち着いて「はいはい」と実直に返事をしているのがなんだか笑えます。
この二人の上下関係はよくわかりませんが、先輩ポールの命令をマジメに受け止める後輩クラプトン、といった感じ。

他にもハリソン・フォードやレオナルド・ディカプリオ、ビル・クリントンなど意外な顔ぶれがポールの楽屋を訪ねてきます。
どれも短いシーンですが、それぞれの特徴が映像から伝わってきます。
ハリソン・フォードは低い声で落ち着いた会話をポールと交わします。(でもジョークはお互い混ぜる)
クリントンは政治家らしくよくしゃべりますが、どこかあまり人の話を聞いていないような印象でした。

コンサートの映像は権利関係もあるのでしょうか、フルコーラスの場面はありませんでした。
どのミュージシャンもちょうどいいところで場面が楽屋で待機するポールなど別のシーンに切り替わってしまいます。
これはポールが歌う「I'm Down」「Let It Be」「Freedom」も同じでした。

そんな中で自分が最も感動したのは、ザ・フーの映像でした。
「Won't Get Fooled Again」を力強く歌うロジャー、風車奏法で観客を熱狂させるピート、ドラムはリンゴの息子のザック。
他にもデビッド・ボウイやミックとキース、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルやジェームス・テイラーなどが歌うシーンもありましたが、ザ・フーのステージ映像が際立って良かったと思います。

ポールがライブの大トリを新曲「Freedom」でシメてステージを後にし、別の日に消防署員に敬意を表するシーンで映画は終わります。
各シーンをフラッシュバックさせたりストップモーションで紹介したりといったベタな演出もなく、静かにエンディング。
なんだか終始NHKスペシャルっぽい雰囲気ですが、そういう映画です。

このコンサートでの各アーチストの選曲が、当時のアメリカ・ニューヨークを勇気づけるにふさわしいものだったかどうかは、正直よくわかりません。
あれから10年が経過し、音楽の力はニューヨークやアメリカに果たして幸福をもたらしたのか?と問われると、報道で見る限りはそうでもないように思えます。
映画の中で1つだけ気になったのが、ミュージシャンではない警察関係者?のような人が、ステージでビンラディンを名指しで非難し、観客がそれに呼応するシーン。
ポール・マッカートニーという不世出の楽天家ミュージシャンが起こした音楽イベントのドキュメンタリー映画において、この場面だけはカットしたほうが良かったのではないかと感じました。

エンドロールを見ながら、ふだんは考えないようなことを少し考えさせられました。
ジョン・レノンの映画を見終わった時も感じたことですが、世界中の誰もが望むはずの平和は、ジョンやポールのようなスーパースターをもってしても簡単には実現できないほど難しいものになっていると思います。
それは現代に生きる我々世界人類全員の責任でもあり、ポール自身もそれはわかっているはずです。
「それでも僕は歌うよ。だってミュージシャンだからね」とポールに言われたような気がしました。

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