見ていない 第21回 探偵物語

みなさんは松田優作と言われたらどの作品が思い浮かぶでしょうか?
自分の場合、テレビドラマであれば「太陽にほえろ!」「大都会PARTII」、映画なら「ブラック・レイン」「家族ゲーム」なのですが、なぜか全く見ていないのがドラマ「探偵物語」。
当然松田優作が主演なので、今でも代表作として認識されていることは間違いなさそうだ。
今回こそ全国から「絶対見たほうがいい」という指導がきっとあるだろうなと思うのですが・・・
いつものことながら後ろめたさ全開なエントリ。
なお同名で松田優作と薬師丸ひろ子主演の映画もあるが、これも当然観てません。
内容はもちろんテレビドラマとは全く別の作品だそうです。

「探偵物語」は1979年から80年にかけて日本テレビ系列で放送されたテレビドラマである。
関東では火曜の午後9時からの放送だが、当時自分はいったい何を見ていたのか全く記憶がない。
この時「太陽にほえろ!」ではジーパンはすでに死んでいたし、「大都会」は終わっていたはずだ。

今でも工藤探偵に扮する松田優作の姿がCMに使われたりしているし、モンキッキー(元おさる)などマネする芸人もいるので、業界でも人気や評価は高いようだ。
見ていない自分でも、ソフト帽にサングラスでベスパにまたがる姿は記憶に残っている。
テーマソングは聴いたことがあるが、この曲はズバリ「Bad City」というタイトルで、歌っているのはSHOGUNというバンドだそうだ。

レギュラー共演者としては竹田かほり・倍賞美津子・成田三樹夫、一話限りの共演では風間杜夫・水谷豊・古尾谷雅人・原田美枝子・熊谷美由紀・ハナ肇など。
竹田かほり・・・懐かしい・・・そういや卒業文集の寄せ書きに「竹田かほり最高」って書いたヤツがいたっけ・・・
この人は今どうしているのでしょうか?
成田三樹夫や古尾谷雅人やハナ肇など、松田優作とともにすでに故人となった役者もかなりいるようだ。
あらためて数えて愕然とするが、もう30年近くも前の番組なんですね。(見ていなかったくせに)

自分は特に松田優作のファンだったわけではないが、印象に残る役者だったことは確かである。
「太陽にほえろ!」の名セリフ「なんじゃあこりゃあ!」はリアルタイムで見たし、「大都会PARTII」での徳吉刑事のキャラも好きだった。
ちなみに「太陽にほえろ!」でジーパンの母親を演じていたのは菅井きんである。

遺作となった映画「ブラック・レイン」はテレビで見たが、迫真の演技は主演の高倉健やマイケル・ダグラスを完全に食っていた。
まあこの映画は内田裕也やガッツ石松や島木譲二といった変わった役者?がたくさん登場したこともあってか、健さんの印象もややインパクトに欠けてしまったような気もしたが・・・

「家族ゲーム」はけっこう記憶には残っているが、不条理でシュールで意味不明だったので、おもしろいとは思わなかった。
松田優作のとぼけたわりに殺気だった振る舞いが恐ろしく思えたことを覚えている。
宮川一朗太は元気なのだろうか。

「探偵物語」のストーリーを知らないので、評価が高い理由もよくわからないのだが、工藤探偵のファッションセンスの良さはやはりあるんじゃないかと思う。
もちろん制作サイドの演出が良いということなんだが、松田優作という当時としては手足の長い見映えのする役者が演じたことも大きいだろう。
今CMで見ても古くささを感じないのはすごいと思う。
たとえば今後リメイクでキムタクや速水もこみちがどんなにカッコよく演じても、オリジナルを超えることは不可能なのではないだろうか。
故人がゆえに絶対視されがちなのかもしれないが、松田優作とはそういう扱いを受けるにふさわしい俳優である。

そんなわけで全然見ていない「探偵物語」。
たぶんDVDで見ることは可能なのでしょうけど、できれば鑑賞の前にみなさまの印象に残る工藤探偵を教えていただきたいと思います。

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見ていない 第20回 音楽の巨匠たち

この「見ていないシリーズ」は、誰もが知っている人気番組でありながら実は自分は見ていなかったことを告白するものなのですが、今日の題材は少しタイプが違います。
「音楽の巨匠たち」というテレビ番組、みなさんはご存じでしょうか?

この番組、全国ネットで放送されたのかどうかも不明だが、検索サイトで調べても情報がほとんど見つからない。
なんとかかき集めたのは以下の情報である。
・1988年頃、フジテレビ系で「JOCX-TV2」という深夜枠のシリーズがあり、その中のひとつとして放送された
・「音楽の巨匠たち」のあと「音楽の巨匠たちII」も放送された
・毎回ひとり(またはひと組)の音楽家を紹介する30分番組
・関東では早朝に再放送があった
・最終回はイーグルスで、この回だけ録画して見ている
・録画したのは1988年12月20日、たぶん朝6時
・動画が少なく、スチール写真にテロップ解説で、ナレーションはない

今よりもテレビ番組雑誌が隆盛だったころ、自分は小学館の「テレパル」を買っていた。
番組表の中で音楽番組に専用の色(確か緑色)がついていて、わかりやすかったためである。
このテレパルで、早朝の「音楽の巨匠たち」再放送があることを知ったのである。
番組表には採り上げられるアーチスト名も載っていて、ディープ・パープルやツェッペリン、キッスなどがあったことは覚えている。

ところが毎回どうしても放送を忘れてしまい、なかなか見ることができなかった。
そんな状態のある日、テレパルを見たら「音楽の巨匠たちII」(終)と書いてあるのを発見。
しまった・・・一度も見ていないのに最終回になってしまった・・・
がっかりしながらビデオをセットし、早朝の放送を録画した。
最終回はイーグルス特集で、これが最初で最後の鑑賞となった。

Kyosyotitle

Kyosyo1

Kyosyo2

内容はイーグルス結成から解散までを写真と曲と字幕で紹介するものだった。
権利関係の問題のせいか、ライブの様子やスタジオ映像などの動画は思ったより少ない。
最終回のビデオを再生しながら、もっと見ておけばよかった・・・と悔やんだことを覚えている。
今ならネットでいくらでも得られる情報だが、当時こうした構成の音楽番組は貴重な情報源だったのだ。

「JOCX-TV2」という深夜枠シリーズには「カノッサの屈辱」「やっぱり猫が好き」「夢で逢えたら」などの人気番組があったようだ。
この中で自分がよく見ていたのは「夢で逢えたら」しかない。
「カノッサの屈辱」も、「ビール戦争」の巻を友人が録画したものを後で見ただけだ。
厳密には「夢で逢えたら」も時間帯が変わってからよく見るようになったので、「JOCX-TV2」という枠自体「見ていない」ことになる。

とにかく今ネットで検索しても、「音楽の巨匠たち」に関する情報が全然ひっかかってこないのである。
いったいどのくらいの期間に放送されて、どんな巨匠が採り上げられたのか、詳細はわからない。
今日図書館で新聞の縮刷版を見て当時のテレビ欄を調べようと思ったら、一番古いのが1990年版だった・・

この番組について、もし何か情報をお持ちの方がおられましたら、ぜひ教えて下さい。
わかったところで、他の回を見ることはかなわないとは思いますが・・・

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観てみた PEACE BED

こんばんは、文化の香りが全くしないブロガーのSYUNJIといいます。
BLOGを始めて丸4年になりますが、映画の記事を書くのは初めてです。
自分は映画をめったに観ません。
最後に観たのがいつだったのかはっきりと思い出せないくらいですが、観た映画のストーリーも実はかなり忘れるほうです。
「嫌い」という感覚は持っていないつもりですが、テレビで映画公開のニュースや宣伝を見ても「あ、観に行こう」とはまず思わないのです。

そんな映画嫌い?のあたしですが、この映画は新聞の広告を見て久しぶりに「観たい」と思いました。
PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」。
ビートルズ解散前後から死に至るまでの10年間の中で、ジョンが平和を求めて活動することで、アメリカという国家権力と戦わざるを得なかった過程を描いたドキュメンタリー映画です。

John

ドキュメンタリーなのであまりこだわる必要はないかもしれませんが、映画の記事を書くときのエチケットを一応なぞってみます。
これより先は映画の内容に多少ふれておりますので、未鑑賞の方はご注意下さい。

公開中の映画館が新宿にあったので行ってみました。
400席ある館内はガラガラ。
観客はせいぜい30人程度でしょうか。
年末の平日の夕方でしたので、そんなものかもしれませんが、みなさんあまりジョン・レノンに関心がないのでしょうか。
(あたしもそれほど関心があったわけではないのですが)

さてこの映画、ドキュメンタリーなのでストーリー展開やミュージカルな演出はもちろんありません。
ベトナム戦争が泥沼化する中で、平和運動を展開し、アメリカの若い世代にも強い影響力を持つジョンは、アメリカ国家にとって脅威となっていました。
アメリカ当局やFBIはジョンに様々な圧力をかけ、過去のマリファナ所持歴を理由に国外退去命令まで出します。
平和運動と並行して行われたこのアメリカとの戦いについて、ジョンの数々のインタビューやライブでの発言がジョンの曲とともにコラージュされ、ヨーコをはじめ友人・ジャーナリスト・活動家・作家・元FBI監察官などの人々の証言が続きます。
NHK特集などで見られるドキュメンタリー番組と、基本的な構成は同じです。

この経緯は以前読んだ「ジョン・レノン アメリカでの日々」などでおおむね知ってはいました。
ただ映像はもちろん見たことのないものがほとんどでした。
ジョンの発言や周辺の人々の証言は時系列に沿って登場するため、同じ証言者が何度も出てきます。
ドキュメンタリーとして優れていると思ったのは、ジョン寄りの証言者だけでなく元FBI監察官など「アメリカ側」の証言者が登場したことでした。
元体制側の人間であっても、当時の体制側の方針やジョンに対する圧力は「良くなかった」というニュアンスの証言をしています。

ジョンの曲が映像とともに効果的に使われますが、大半はBGMで、歌うジョンが映るのは「ベッド・イン」での「Give Peace A Chance」など3曲くらいでした。
また流れるのはどの曲も一部です。
残念なことに自分はジョンの曲をあまり知らず、半分くらいしかわかりませんでした。
ビートルズ時代の映像はほとんどありません。
もちろんテーマが「アメリカVSジョン」なので当然なのですが。
この点は少し物足りなかったと勝手なことを思いました。

終盤の展開は非常に淡泊です。
ショーンが生まれ親バカとなったジョンを数分紹介し、ヨーコや友人の証言があり、家族3人で食事を楽しむ映像が流れ、唐突に銃声が4回。
暗転後はニューヨークに集まり悲しみにくれる群衆の映像です。
この日自分とともに映画を観ていた全員が、間違いなくジョンがどんな死をとげたのか知っているはずですが、「ここから先はもういいよね」と、製作側が言っているような感じです。
その後ヨーコが「ジョンはもういませんが、メッセージは残っています」のような証言をし、「インスタント・カーマ」が流れる中、エンドロールとなります。
それにしてもこんなエンディングを観てしまうと、ジョンが本当に単なるストーカーまがいの一ファンに射殺されただけだったのか、非常に疑り深くなってしまいます。

正直、「おもしろい」「楽しい」という感想はありませんし、そういう性質の映画ではないと思います。
自分は70年代のジョンは全くリアルタイムではありません。
未だに作品の大半は未聴です。
当時の映像、特にジョンの発言を映像で見られたことは良かったと思いました。
本で読んだ話と基本的に違いはありませんでしたが、「ジョンが話しているのを見て聞けた」ことで、当時のジョンが何を考えどう行動していたか、自分の中でより鮮明になってきたと感じました。

自分は米軍施設から歩いて1分のところに40年以上住んでいます。
家の上空を戦闘機が通過することは全く珍しくもなんともありません。
平日は米軍のスクールバスを普通に見かけ、休日ともなれば近所にはEナンバーの車がたくさん走っている、いわば「国境の町」に暮らしています。
延々続く鉄条網を見る度、正直「ジャマだ」とは思いますが、ではどうしたらいいのか、未だにわかりません。
ベトナム戦争がどういったものだったのか、あまりよくわかっていませんが、ここ10年くらいのアメリカは当時と似たような状況だと思います。
ヨーコの証言のとおりジョンのメッセージは世界中に残っていますが、現在も決してジョンが望んでいた世界になっていないことだけは確かです。

さて。
反戦運動とは全然次元が違いますが、世界中の様々な紛争のニュースをテレビで見る度、こんな自分ですが最近ぼんやりと思うことがあります。
自分は関東の人間なのですが、あえて関西弁のほうが説得力があるような気がしますので、使わせていただきます。

「もう、せんでええことはせんでええやないか?」

どんな人間でも必ず死にます。
これは自然の摂理で逃れることはできません。
生きている人間だけがいろいろなことができる。
だとすれば、どうせ誰だってほっといてもそのうち死ぬんだから、生きてる間はお互いのためになるようなことをすれば、生きてるコストに対するパフォーマンスが上がるってことですよね。
だから戦争とか殺人とか強盗とか虐待とか、人間の生産性が下がるような、せんでええことはせんでええのと違いますかね?
国連の総会とかで、大阪のおばちゃんにこんな風に言ってもらったら、意外に世界が変わるんじゃないかなぁ?

ジョン・レノンの映画を観てきた人間としてはあまりにも偏差値の低い話でホントに申し訳ないんですけど、そんなことを考えました。

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見ていない 第19回 キン肉マン

テレビアニメの多くは漫画を原作として後追いで放送が開始され、キャラクターグッズなども含めて大流行というパターンが多いと思われる。
今回採り上げる「キン肉マン」もまさにそういう経緯で人気を博したアニメだが、残念ながら全く見ていない。

アニメ「キン肉マン」は1983年から86年にかけて日本テレビ系列で放送された。
この頃すでに大学生で麻雀ばっかしていたので放送時間に家にいなかったこともあるが、見ていない最大の理由は「漫画も読んでいなかった」ためである。

「キン肉マン」が少年ジャンプに連載されていたのは79年から87年までである。
自分は76年に「アストロ球団」の連載が終了した時点でジャンプの定期購読に対する意欲が急激にうすれてしまい、それまで近所の酒屋で友人と先を争ってジャンプを毎号買ってその足で公園に行って読む、ということをすっぱりやめてしまった。(何やってんだか)
従ってこれ以降に連載が開始された「キン肉マン」はほとんど読んでいないのである。
ちなみに79年当時はサンデーやマガジンを読んでました。
「がんばれ元気」「男組」「野球狂の詩」の頃ですね。

原作の漫画も全然読んでいなかったので、当然ながらアニメ「キン肉マン」が放送開始されても全然興味もわかず、一話通して見たことは一度もない。
まあ何度も白状してる話だが、そもそも男の子向けのアニメを見る習慣が身に付かないまま成長したクソガキなので、こんなことになってるんですけど。
当時「キン肉マン」の話題で女子大生の興味を引くことはできないと思ってましたし。(ウソ)
自分がもう少し若かったら、連載当時や放送当時小学生だったら、おそらく違っていたとは思う。

さてストーリーとしては、漫画とアニメでいろいろ違いはあるらしいが、基本的には超人キン肉マンが様々なプロレス技を駆使して敵と戦う・・というものだと認識している。
ロクに読んだことも見たこともない自分だが、テリーマンやラーメンマンくらいはわかる。
もともとプロレス好き少年だったので、見ればハマる要素は充分あったかもしれない。

様々な超人が出てきてプロレスで戦う・・という時点でかなり荒唐無稽な内容だとは思うが、アニメとしては比較的まじめなストーリーだったのか、ギャグとして作られていたのかはよく知らない。
漫画のほうは初めの頃はギャグ漫画だったが、そのうちに割とシリアスな展開になり、それが読者を引きつけていたそうだ。
「キン肉マン」というネーミングや、作者であるゆでたまごの描く絵(顔など)は、いまいち自分の好みではなかったのも、見ていない理由のひとつでもある。
その昔ネットでアイコラが流行った時、アイドルグループ「SPEED」のメンバーの新垣仁絵だけキン肉マンの顔に書き換えたアイコラがあったなぁ。

さて二次的に流行したと言われるのがキン肉マン消しゴムである。
通称「キン消し」、実体は消しゴムでもなんでもないのは周知の事実であり、同じノリでこれより少し前に流行ったのが「スーパーカー消しゴム」だ。
こっちの流行の源流は漫画「サーキットの狼」である。
これももちろん消しゴムの機能は全然なく、本気で消そうとするとかえって紙がものすごく黒くなるという、始末の悪いものだった。
このスーパーカー消しゴムをBOXYのボールペンではじいて遊ぶ行為が、当時子供の間で全国的に流行したはずだ。
中にはスーパーカー消しゴムにホチキスの玉(針の固まり)を打ち込んで動摩擦係数を減らしたり、BOXYのボールペンのバネを二重にして強化したりといった工夫を重ねるヤツもいた。
いずれも「反則行為」と見なされ嫌われましたけど。
でも当時の子供たちって、こういうことへの意欲は本業のお勉強への意欲の数百倍はあったんじゃないかなぁ。
キン肉マン消しゴムの主な用途がどういうものなのかは知らないですけど。
レアな超人の消しゴムは今でもネットオークションで高値で取引されたりするんだろうか?

そんなわけで「キン肉マン」、扱いが非常に冷たくなってしまいました。
おそらく自分よりも若い世代では夢中になっていた方も多いと思われますが、自分の知らない見所などありましたらご披露いただけるとありがたいです。

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見ていない 第18回 ウルトラQ

かつて昭和の少年を熱狂させたウルトラシリーズのうち、実は見ていないのが「ウルトラQ」である。
あれだけぷく先輩モンスリー師匠とウルトラ談義に熱中し、ぷく先輩のBLOGに冠番組まで持っていた自分だが、そのウルトラシリーズの最初の作品である「ウルトラQ」を実はほとんど見ていないのだった。(失格)

ウルトラQは1966年放送開始であり、当時自分はまだ物心もついていない状態だったため、当然記憶はない。
もちろんこの後のウルトラマンやセブンも同じで、初回放送時の記憶があるのは「帰ってきたウルトラマン」からである。
ウルトラマンやセブンは何度も再放送を見ているが、ウルトラQについては再放送すらほとんど記憶に残っていないのだ。

ウルトラQで記憶に残っているのがたった一話だけある。
80年代前半頃にウルトラマニアな友人の家でビデオを見たのである。
「地底超特急西へ」という話で、M1号という巨大なサルが出てくるのだが、最後のM1号のセリフが「私はカモメ、私はカモメ」だった。
これは女性初の宇宙飛行士テレシコワのセリフをそのまま使ったものらしい。
しかしながら自分が覚えているのはこのセリフだけで、どういうストーリーだったのかは全く覚えていない。
(一話じゃないじゃん・・)

ウルトラQも関東では何度か再放送していたと思うが、子供の頃から実はあまり興味がわかなかった。
理由は以下のとおり。
・ウルトラマンのように怪獣と(大きさ的に)互角に戦う絶対的なヒーローが不在。
・加えて科特隊やウルトラ警備隊のような高度な防衛集団が不在。
・映像がモノクロで安っぽく感じる。

おそらくどこかで再放送をながめる機会はあったのだと思う。
その過程で「なんだかあんましおもしろくない・・」と、子供ながら判断したのだろう。
ウルトラマンやセブンと比べるとSFの香りが希薄な気がして、見劣りする感じなのである。
この時の感覚が今も自分を支配していると言える。
それでもウルトラシリーズなので、登場した怪獣は放送を見ていなくても雑誌や本などでかなり把握した。

ケムール人やラゴンなど一部の怪獣はその後のウルトラマンにも再度登場したので、制作側としてはシリーズを強調したかったのだろう。
よく知られた話だが、あの「どん・・・かーっ!!きゅううううううきいいいぃぃ」という非常に印象的なウルトラQのオープニング映像は、ウルトラマンでも使われていた。
ウルトラマンのオープニングは、ウルトラQのタイトルが固まったところで画面がばりっと裂けて赤い背景に「ウルトラマン」の文字が登場する、というものだ。
なぜウルトラQのオープニングから始まるのか、真相はよくわからないですけど。

ところで。
ウルトラQのテーマソングってあるんでしたっけ?
ウルトラマン以降のシリーズはテーマソングが必ずあったと思うが、ウルトラQにテーマソングがあるのかどうかは知らないのですが・・・
セブンのようにBGMの効果に凝ったりした回もあったりしたんでしょうか?
ちなみにあたしは「ダーク・ゾーン」でペガッサ星人とダンが対峙する場面と、「V3から来た男」でクラタがV3へ帰る時のキリヤマとのやりとりの場面のBGMが秀逸だと思います。

そんなわけで、ウルトラQ。
たぶん今ではDVDで全話見ることは可能だと思うが、全話見るほどの資本も時間も意欲もありません。
そこで「これだけは見ろ」という話があれば、ご指導くださいますようお願いします。

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見ていない 第17回 宇宙戦艦ヤマト

元祖SF超大作アニメ、「宇宙戦艦ヤマト」。
これだけ有名なアニメなのですっかり見ている気になっていましたが、それは単にあるシーンのワンカットを絵として見たり、雑誌でヤマトの記事を見たりしていただけでした。
全く見ていないと言って差し支えありません。
一話30分間を通しで見たことは一度もないし、もちろん映画も見ていません。

ただし。
さすがにヤマトなので、テレビを見ていなくても多少の情報は入ってきている。
古代進や森雪やデスラーといった登場人物から、イスカンダルやガミラス星や波動砲といった基礎用語は一応聞いたことはあるし、主題歌もとりあえずは歌えるというレベル。
見ていなくてもこのくらいのレベルにある人はけっこう多いのではないかと思われる。
最近は一部の民族団体が街宣車でなぜか軍歌でなくヤマトの歌を流していたりしますが・・・

テレビアニメとしての初回放送は1974年だそうだが、裏番組が「アルプスの少女ハイジ」だったため視聴率がとれず、打ち切りになったとのこと。
これだけでも驚きなのだが、もっと驚いたのは松本零士の漫画を原作として作られたアニメではない、ということ。
えっそうなの?
漫画も実は全然読んでいないのだが、今までずうっと漫画がアニメ化されたもんだと思っていました。

細かい真相はよくわからないのだが、ネットで大ざっぱに調べた範囲では、ヤマトはまずアニメが先に放送され、直後に松本零士による漫画が雑誌「冒険王」(懐かしい・・)に連載されたり、小説が出版されたりしたそうだ。
これは放送開始日より雑誌発売日が後だったというだけで、制作自体がどちらが先なのかはわからない。
で、漫画も実は松本先生のものだけでなく、ひおあきらや聖悠紀の「ヤマト」もあったそうだ。
いずれにしても全然知らない話である。
聖悠紀って「超人ロック」の人だよね。読んでませんけど。

さらに。
いちいち驚いてばっかで恐縮だが、ヤマトの著作者は誰なのか?という点について、アニメ作成プロデューサーと松本零士が争い、裁判にまでなったとのこと。
またヤマトのゲームソフトやパチンコ台(!)についても、著作権侵害で裁判沙汰になったという、何かと争いの目立つ作品になってしまっているらしい。

うーん・・・
名作として名高い宇宙戦艦ヤマト、実はこんなにモメ事があったんですね。
急速に興味がわいてきました。
そういや松本零士って、漫画のセリフをマッキーがパクったとかで騒ぎになってたなぁ・・・
その後あの問題はどうなったのだろうか。

松本零士と言えばやはり「銀河鉄道999」なのだろうが、これも当然見ていません。
こっちは漫画をほんの少しだけ読んだことがある。
松本零士の漫画では「男おいどん」という名作があるが、自分はこの路線を継承しつつSF展開もまぜた「大純情くん」という漫画が好きだった。
ちなみにこの漫画は少年マガジン連載である。

「銀河鉄道999」は、連載されてたのが少年キング。
残念ながらキングはジャンプやマガジンには人気において遠くおよばず、キングって名前だけでつい笑っちゃうくらい、当時の少年にとっては寒い存在だった。
中学生の頃、あえてキングを買って学校に持ってきて、「やっぱキングおもしれえよ」という手のこんだギャグをやるヤツが本当にいたくらいだった。
キングに連載されてた漫画って「999」以外にあまり思い浮かばないもんなぁ。
版元が少年画報社ってこと、どれくらいの人が知ってるんだろうか。
あ、キングと言えば「ワイルド7」ってのがあったけど、望月三起也の絵があまりなじめず、これもほとんど読んでいない。
「ワイルド7」は7人の男たちが主人公だが、飛葉と両国とオヤブンとヘボピーと八百と・・・あーあと2人わからないし。
ヘボピーとオヤブンと両国が相次いで死んだあたりは衝撃だったなあ・・・って、オレけっこう読んでるほう??

・・・・すいません、ヤマトでしたね。
どこでワイルド7になったんだろう。そのうち書こう。
さてヤマトだが、宇宙を舞台に様々な兵器を駆使して戦う勧善懲悪ものだと思うが、古代進をとりまく人間模様が見所のひとつでもあるのだろう。
単に敵の侵略から地球を守る、という話ではなく、まず地球が滅亡の危機に直面しているという設定も、強いメッセージが含まれているように思う。
地球の運命を背負い遠く離れた天体まで行って帰って来なければならない、という過酷な任務。
三流出版社社員ではとても務まりません。
今さらですが、少しはヤマトでも見て精神を鍛え直したほうがいいのではないか・・と不安な毎日です。
映画でも構いませんので、おすすめの作品などあればご紹介いただければと思います。
あ、あとヤマトの著作をめぐる争いのウラ話なんかも、ご存じでしたらぜひ・・・(ホントはこっちのほうを期待)

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見ていない 第16回 夕やけニャンニャン

かつて日本中の青少年を熱狂させた番組は数多くあるが、その中でもやや異質と思える「夕やけニャンニャン」。
女子高校生を大量にテレビに出演させてアイドルとして歌わせた、いかにも80年代な、いかにもフジテレビな番組である。
しかしながら自分はほとんど見ていなかった。
当たり前だが、「夕やけロンちゃん」とは全く関係ない。

「夕やけニャンニャン」は1985年から1987年の2年間、関東では平日の夕方5時から放送された1時間番組である。
司会は曜日や時期で変わったようだが、主に片岡鶴太郎や稲川淳司や吉田照美が担当。
とんねるずの出世番組としても有名である。
もう20年以上前の番組なんですね・・・
2年前に「CRおニャン子クラブ」ってパチンコ台も出たそうですけど。

見ていなかった最大の理由は、放送時間にはほとんど家にいなかったためだ。
学校は夕方まで授業があったわけではないが、この時間はたいがい雀荘にいたので、見ていなかったのである。
流行っていることはもちろん知っていたし、よく見ていた友人もいたとは思うが、自分の周囲に限っては、それほどの騒ぎにはなっていなかった。

この番組の前身?として存在したのが「オールナイト・フジ」だ。
素人の女子大生をたくさん集め、学園祭のようなノリで進行した、東京ローカルの深夜番組である。
この企画に味をしめたフジテレビが、女子高校生に対象をスライドして、鶴太郎やとんねるずもそのまま使って全国ネットで夕方に始めたのが「夕やけニャンニャン」である。

実は「オールナイト・フジ」はよく見ていたほうだ。
深夜に女子大生が大勢登場して素人全開で番組を進行するという試み自体は、当時としては新鮮だったし、また当時の音楽や映画などの情報発信番組でもあったのだ。
あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモ・ビデオを全編通して初めて見たのも「オールナイト・フジ」だった。

「オールナイト・フジ」に登場する女子大生は「オールナイターズ」と呼ばれ、会員番号や数人でユニットを結成するという企画も、そのまま「夕やけニャンニャン」に持ち込まれている。
ちょうど年齢がオールナイターズの女子大生らとほぼ同じだったため、多少親近感がわいたのは事実である。
友人の中にはオールナイターズのコンサートに行ったりアルバム買ったりしてたヤツもいました。
実はウチの大学にもオールナイターズの女の子(上級生)がいて、学内でもちょっとしたアイドル風情で歩いていたりした。
個人的には好みのタイプじゃなかったですけど。

ただこのテの番組は人気もそう長くは続かず、自分も土曜の夜中はバイトに出るようになったため、あまり見なくなった。
そのうちに「夕やけニャンニャン」が始まり、入れ替わるように「オールナイト・フジ」は終わったように記憶している。
「夕やけニャンニャン」にそれほど興味がわかなかったのは、前述のとおり家にいなかったこともあるが、すでに素人集団路線に飽きていた、というのもあると思う。
「おニャン子クラブ」という脱力な呼び名にも愛着はわかず、特に好みの女の子もいなかった。

あれから20年以上が過ぎ、芸能界に残っている元おニャン子も渡辺満里奈や国生さゆりなど数えるほどしかいない。
もともと出発点が素人であり、厳しい芸能界で生き残ること自体、他のアイドル志望者よりも困難な条件だったはずなので、当然の結果とも言えるだろう。
渡辺満里奈が役者ではなくバラエティタレントとして芸能活動を続けているのも、興味深い話だ。
とんねるずやビートたけしなどお笑いタレントにもまれて育ってきた人だが、特に笑いのセンスを磨くわけでもなく、歌や踊りを覚えて売ってきたわけでもない。
番組の中では芸人の個性を最大限に引き出すことに徹しており、そういう意味ではアタマのいいタレントだと思う。

というわけで、「夕やけニャンニャン」。
それにしてもつくづく軽薄な時代だったと、あらためて感じるのですが、こんな番組ならではとも言えるDVDボックスセットなどがちゃんと発売されているようです。
見ていないこと自体にはさほど後悔はないので、たぶんDVDも見ることはないでしょう。
バラエティ番組はやっぱりリアルタイムで楽しまないとダメなんでしょうね。
思い出に残るシーンや夢中になったおニャン子のことなど、元青少年のみなさまに語っていただけたらと思います。

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見ていない 第15回 みごろ!たべごろ!笑いごろ!

聴いてないシリーズをはじめ、あたしのBLOGの主なテーマである「各種未体験シリーズ」は毎回後ろめたい気分で延々書いているのですが、今回の「見ていない」番組については、どうも感覚が少し違うのです。
もちろん見ていないので後ろめたいには違いないのだが、一番的確にこの心境を表すとすれば「居心地が悪い」である。

その居心地の悪い「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」。
76年から78年にかけて、当時の小中学生の間で爆発的に人気があったお笑い番組である。
が、実はほとんど見ていない。

関東ではNET(現テレビ朝日)系で月曜夜8時からの放送。
加山雄三とキャンディーズが司会、出演は伊東四朗や小松政夫、西田敏行や武田鉄矢や木の実ナナなど。
今あらためてメンツを見るとかなり濃い。
活動の場はそれぞれだが、今も現役の芸能人ばかりである。

裏番組には日本テレビ系の「紅白歌のベストテン」があったはずで、我が家ではこっちばかり見ていた。
歌番組がそれほど好きだったというわけでもなかったんだが、迷いもなく「紅白歌のベストテン」を見ていたので、他のチャンネルを見てみる、という行為に及ぶことはほとんどなかった。
迷いがなかったんだから幸せなテレビライフだったはずなんだが、問題はやはり学校での話題である。
夢中になってたヤツが非常に多く、分が悪かったのである。

昭和の小学生にとって、テレビ番組はお勉強なんかよりもずうっと大切な情報である。
見ていて当然の番組を見てなかったわけだから、話題についていけない。
じゃあ見りゃあいいじゃん、となるんだが、ちょこっと見た範囲ではどーも自分の感覚に合わない笑いだったのである。
デンセンマンやしらけ鳥といった名物?も見たことはあったが、逆にこの笑いに夢中になる友人の感覚がいまいちわからない。
「乗り遅れた」ということもあるが、必要以上にハイテンションで電線音頭を大合唱するクラスの連中の姿に、かなりの違和感を覚えたのである。
「・・・あれってそんなにおもしれぇか?」という感じ。

でもクラスで孤立するのが怖かったので、見ていないことを悟られないようにしながら適当に声を合わせて「電線音頭」の合唱に参加したりしていた。
この「居心地が悪い」感覚が、今も残っているのだ。
(なんちゅうスケールの小さい話・・・)
このあたりの感覚は「仮面ライダー」や「サンダーマスク」といったヒーローものにも多少ある。

これまで述べてきたとおり、我が家は決して「お笑い番組禁止」などの措置はとられていなかった。
(ドリフは見放題だった)
ただ毎週見る番組が比較的固定されていて、そこを変えてみようという雰囲気にもあまりならず、結局「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に変えたことがなかったのだ。
おそらく親がどこかのタイミングでこの番組に切り替えていたら、そのまま見続けていたと思われる。
昔はテレビってふつう「一家に一台」だったので、案外そういうご家庭は多かったんじゃないでしょうか。

まあ冷静に考えればデンセンマンにしてもしらけ鳥にしても、姿がむやみにおもしろいとか歌詞が笑わせるといったものではない(と思う)。
昭和のコント番組は子供がマネしやすいものが受けたため、毎回わかっていながらお約束で誠実に登場するデンセンマンやしらけ鳥に、子供たちは夢中になったんだろう。
ドリフの「志村ー!うしろー!」なんて、子供の反応がそのまま文字になって後世に残ってるよね。

「電線音頭」は実はこの番組が原典ではなく、その前に放送していた別の番組で桂三枝が考案したものだそうだ。
デンセンマンのデザインは石ノ森章太郎が手がけており、あのオフィス北野の森社長(いつもビートたけしの記者会見の場にいる、髪を後ろでたばねたヒト)も、地方の営業でデンセンマンに扮して踊った経験があるらしい。
どこかなじめないデンセンマンにも、調べるとけっこう深い話があるわけですね。
最近では「パチンコCRデンセンマン」てのもあるそうですが・・・

つくづく便利な時代になったもんだが、こういう番組もDVDが発売されている。
明らかに我々中年をターゲットにした商品なのだろうが、自分の場合、今見たとしてもやっぱりシンから笑えないような気はするなぁ・・・
このトシで今になって電線音頭に開眼するってのもおかしな話だし。
そんなわけで未だに居心地の悪い自分ですが、見ていた方のご感想はいかがでしょうか・・・?

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見ていない 第14回 いかすバンド天国

90年代に突然巻き起こったバンドブーム。
そのきっかけともなったのが「いかすバンド天国」、通称「イカ天」である。
正確には「平成名物TV」という番組の「三宅裕司のいかすバンド天国」というコーナーだそうだが、ほとんど見ていない。

「イカ天」は89年から90年にかけて2年弱の間放送されていた。
関東ではTBSで土曜深夜の放送だったが、他に見る番組がないような時にぼんやりと見たことがある程度で、コーナー全編を通して見たことは一度もなかった。
基本的に洋楽にしか興味がない自分にとって、日本のバンド(しかもアマチュア)を追うような行為は考えたこともなかったのである。

ところが当時自分の周りではこの番組に夢中になっていたヤツが多かった。
デビュー前の時点でバンドを知り、どこまで勝ち抜くかを見届けるのが楽しいらしい。
実際早くから目をつけたバンドがイカ天キング・グランドキングと進み、メジャーデビューしたりすると「育てた」ような気分になったそうだ。
このあたりが番組の人気の秘密でもあったのだろう。

見ていない自分でも、いくつかのバンドの名前は知っていたりするので、当時のヤングの音楽文化にかなり強い影響力を持っていた番組であったことだけはわかる。
カブキロックス、BEGIN、人間椅子、マルコシアス・バンプ、宮尾すすむと日本の社長・・・
歴代のキングの行く末はそれぞれだと思うが、その中で実際に彼らの音楽に少しだけふれたことがあるのが「たま」だ。

たまはイカ天出身の中でも最も出世したバンドだろう。
友人にも夢中になっていたヤツが多く、当時そいつらと軽井沢や伊豆あたりにクルマで出かけたことがあったが、車内でも延々たまのテープをかけていた。

自分の印象ではコミックバンドの一種だと思っていたが、詞にしても歌や音にしてもそのセンスがいまいちピンとこなかった。
「オゾンのダンス」「学校にまにあわない」「さよなら人類」といった、歌詞もコンセプトもバラバラで意味不明な曲をずうっと聞かされたが、残念ながら自分の好みではなかった。

その後も目的意識を持ってイカ天を見たことは一度もなく、知らない間に終了していた。
見る気があまり起きなかったもうひとつの理由に、三宅裕司があまり好きではないというのもあった。
今でもふつうにテレビで見られるタレントなのだが、言ってることにいまいち笑えないのである。
劇団の座長だということはわかるのだが、テレビ番組でもそのスタンスがあまり変わらず、笑いをとるのに徹しきれていないところがどうにも不満なのだ。

番組の中で歌っている姿はあまり覚えていないが、イカ天出身の中でもう一人印象に残っているのが池田貴族である。
「remote現象」というバンドのボーカルだった貴族は、その不敵な態度や言動がかえって反響を呼び、その後コアな霊感タレントとしてテレビに時々出ることになる。
深夜の超常現象やオカルト特番などで時折見ることがあったが、番組進行や共演者との対話なんか無視したような発言に、「ナマイキなヤツ」と思いながらもなんとなくひかれるものはあった気がする。
(ナマイキとか言ってますけど、実はあたしより年上です。)

しばらくして貴族は全く別の話題によって再びメディアへの露出が増えることになった。
ガンにかかっていたのである。
しかも相当進行が早く、余命宣告をされたことも公表していた。
大槻ケンヂの本に貴族の闘病の話が書いてあったが、ガンのステージが末期まで進んだことを大槻ケンヂやみうらじゅんに自慢したりしていたらしい。
しかし闘病を境に貴族のキャラクターは大きく変わっていく。
生まれたばかりの娘のために延命を決意して4度も手術を受け、生前葬と銘打ってコンサートを開き、娘に捧げる歌を歌い、多くの人の支持を集めていた。
そこにはナマイキな霊感タレントの貴族の姿はなく、実は人一倍純粋で、生きることに貪欲で誠実なミュージシャンであり父親でもある池田貴がいた。
このあたりはテレビでドキュメンタリー番組として放映されたので、ご存じの方も多いだろう。

残念ながら池田貴族は21世紀を待たずに亡くなった。
今でもネットのあちこちで彼の残した文章を見つけることができる。
自分は貴族の曲はほとんど知らないが、曲よりも本人の生き様が人々の記憶に残った珍しいミュージシャンだと思う。

というわけで、いかすバンド天国。
DVDなどが出ているのかどうかわからないが、イカ天はドラマと違ってリアルタイムで楽しむべき番組だったと思うので、仮に今映像があって見直したとしても、あまり意味はないかもしれない。
音楽や映画は後追いでも楽しめることも多いが、テレビ番組(特にバラエティ)は、やはり進行形で楽しむものなんだということを、このシリーズを始めてみて痛感している次第です。
おそらく熱心に見ていた方も多いと思われますが、当時の思い出や応援していたバンドなど、コメントいただければ幸いです。

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見ていない 第13回 俺たちの旅

数ある青春ドラマの中でも名作との評判が高い「俺たちの旅」。
残念ながら全然見ていません。
似たようなタイトルや設定のドラマが他にもあったと思うが、どれもあまり区別がつかない。

「俺たちの旅」は75年秋から1年間日本テレビ系列で放送され、10年目・20年目という節目にも特番が制作された。
中村雅俊・秋野大作・田中健・森川正太らが学生と社会人の間あたりで様々な問題にぶつかり、それを克服しながら互いの友情や人とのふれあいについて学んでいく・・・といった、青春ドラマの教科書のようなストーリー。
毎回サブタイトルがついており、第1話の「男はみんな淋しいのです」から、「男はどこか馬鹿なのです」「男はいつか歩き出すのです」・・・といった芳谷圭児調の題名が最終回「男の旅はいつまでも続きます」まで延々と続くのれす。
全然関係ないが、80年代に「○○どぇーす」という言い方が流行ってたけど、今書くとさすがにやっぱり疲労感。
なんでこんなの流行ったんだろうなぁ。

最初のシリーズが1年間しか放送していなかったのは少し意外だった。
こんな自分でもタイトルや役者の名前くらいは知っていたので、もう少し長い間放送してたもんだと思っていたのだ。
99年にはV6のメンバーによるリメイクも放送されたらしい。
ワカメ役はチューヤンだったそうだ。
でも、いずれも全然見ていない。

いわゆる青春ドラマの類についてだが、自分は世代としては微妙に乗れずにいたクチではないかと思う。
「俺たちの旅」が放送されていた時期は小学生であり、青春を体感するには少し早かった。
姉がこのドラマにチャンネルを合わせていた記憶は全くない。
中村雅俊も田中健も特に姉の趣味ではなかったらしい。
自分が見ていない理由もそのあたりにあるかもしれない。

で、自分がいざ高校に入る頃にはすでに「青春ドラマ=クサイ」という嘲りな図式が定着してしまっており、この手のドラマも急速にすたれていったと思う。
まあ中にはその後も王道路線を踏襲して人気を呼んだ「スクール・ウォーズ」なんてのもあったようですけど。
一応解説するが、この場合の「クサイ」は「わざとらしい」「ベタな演技」「暑苦しい」「鬱陶しい」あたりを意味します。
青春ドラマで純粋に感動する・・・なんてことは、自分がその年頃になってた時期にはとてーもダサイことだと評価されてしまっていたわけですね。

青春ドラマと呼んでいいかどうか不明だが、「スチュワーデス物語」という歴史に残る名作ドラマがあった。
堀ちえみの出世作であり、あえてクサイという評価を徹底して受けることを前提としていたフシがある。
堀ちえみ自身も当時のバラエティ番組で「わたしが演じるとどんな役でもどうしてもクサくなってしまう」という発言をしており、このドラマによるクサイ役者イメージの強固な定着は自覚していたようだ。
こんなドラマが登場した80年代、つくづく軽薄な時代だったと思います。
今はスチュワーデスとは言わないから、もしリメイクするとしたら「キャビンアテンダント物語」になるんだろうか。

さて中学生の頃、英語の若い教師(女性)のアダ名が「ワカメ」だった。
顔が森川正太に似ていたからだが、番組を見ていなかった自分はなぜそう呼ばれているのかよくわからず、サザエさんの妹のワカメから来ているのかと思っていた。
今思うと確かに森川正太そっくりな人だったんですけど。
ちなみに森川正太はトウモロコシが大嫌いなはずである。
昔見た旅番組で、トウモロコシが嫌いだと言っていた記憶がある。

主役の中村雅俊は、百鬼夜行な芸能界(失礼)にあって、ほとんど立ち位置を崩すことなく年齢を重ねている珍しい俳優である。
「真夜中に路上でキス」「実の妹が事務所の金を持ち逃げ」「息子が薬物中毒に」「不倫は文化」などといった大きなスキャンダルにみまわれたりすることもなかったと思うし、演じる役柄も熱血教師や誠実な刑事や敏腕弁護士といったあたりが多いんじゃないだろうか。
実際ヒモとかパチプロとかゴト師とかポン引きといった妙な役は、この人にはあまり回ってこないだろう。
「夜逃げ屋」って役柄はあったと思うけど、あんましダーティーな感じじゃなかったし。
貴重な人材ではあるが、役者としてはなんか物足りない気はしますけど。

そんなわけで中年なのに今更見てどうする、って感じな「俺たちの旅」。
他の青春ドラマも含め、みなさまなりの青春ドラマ観を存分に語っていただければと思います。


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見ていない 第12回 チキチキマシン猛レース

今回はあまり意外性のない展開です。
「チキチキマシン猛レース」、予想どおり見ていません。
ながめたことくらいはおそらくあるとは思うのだが、その時の情景を思い出すことが全くできない。
登場人物(動物?)やストーリーなども全然知らないし、テーマソングも知らないので、やはり見ていなかったんだろう。

全然見ていない自分だが、今の30代40代に「おもしろかったアニメ」というアンケートをとれば、必ず上位にランクインするアニメであることは知っている。
元はアメリカのアニメ番組で、本国では1968年放送開始。
原題は「Wacky Races」というらしい。

制作はハンナ・バーベラプロダクション。
ここのプロダクションによるアニメは日本でも人気があり、「トムとジェリー」「フリントストーン」「大魔王シャザーン」「怪獣王ターガン」「宇宙忍者ゴームズ」「ドボチョン一家の幽霊旅行」などがある。
うーん・・・
これらのアニメを全く知らないわけではなく、さすがに「トムとジェリー」は知っているし、「宇宙忍者ゴームズ」「ドボチョン一家の幽霊旅行」は見ていた記憶がちゃんとあるぞ。
「大魔王シャザーン」って、「出てこいシャザーン!」だよね。(そのかけ声しか知らないけど)
「ゴームズ」は日本でいう「ガッチャマン」のようなヒーロー集団ものだったはずだ。
毎回冒頭に主題歌とともに登場人物紹介があり、「のびろ!ゴームズ!(カラダがのびる男)」とか、「燃えろ!ファイヤーボーイ!」「砕け!ガンロック!」「消えろ!スージー!(カラダが消える女)」だったはずだ。
いやあ自分にしてはよく覚えてたなぁ。

「ドボチョン一家」は幽霊というか怪人たちが主人公で、時々ミュージカルのような展開があった。
怪人たちがいまひとつかわいくないので自分はイマイチ好きになれなかった番組だが、同級生のサイトウ君がなぜか毎回楽しみにしていて、半ばつきあいで見てやっていた、という失礼な小学生だった。
なのでハンナ・バーベラのアニメ全てを見ていなかったわけではないようだ。

さてチキチキマシン猛レースは11台の様々なマシン(レーシングカー)が多彩なコースを舞台にレースを行う、というストーリー。
当然アニメなのでマシンも素材が石だったり空を飛んだり、コースも砂漠や山などムチャな展開。
キャラクターと合わせてこのムチャな展開がこのアニメの人気だったようだ。

キャラクターの中ではケンケンというシニカルに笑うおっさんくさい犬が有名。
というか自分はこれしか知らないのだが、本国版ではマトレーという名でセリフも一切ないらしい。
日本版は当然声優の吹き替えになるが、この時ケンケンにもセリフをつける演出が施されたそうで、タイトルもオープニングのテーマソングも日本オリジナルとのこと。
結局日本ではずいぶんアレンジしてるってことですね。

ナレーションは野沢那智だそうだが、実はこのヒトも自分はなじみがないのだ。
「ナッチャコ」という有名なラジオ番組があったが、残念ながら一度も聴いたことがない。
AMラジオ番組といえば自分の場合それはほぼ100%ニッポン放送系列なのである。
野沢那智の名前を見て反射的に思い浮かべるのはいつも吉田照美だ。
別人だっつうのに。

日本(関東)では1970年にNETテレビ系で月曜夜7時半からの放送。
間違いなく家にいた時間帯だが、やはり全く記憶がない。
ただ初回放送時はさすがに自分も小学校にあがる前なので、記憶がなくて当然かもしれない。
再放送は何度もされており、局を東京12チャンネル(現テレビ東京)に移して放送したこともあるようだ。
いずれにせよ全然見ていないので、おそらく我が家では何か裏番組を見ていたと思う。
例によってこのアニメも純粋に女の子向けという位置づけではないし、姉が興味を持っていなかったのだと思われます。

チキチキマシン、今ではDVDも発売されているので、たぶんその気になれば全編見ることが可能だろう。
(たぶん見ないと思うけど)
今回も「見ていない」人なんかいないんじゃないかとイヤーな予感はするのですが、思い出に残るシーンなどあれば、みなさまで語り合っていただけたらと思います。
あたしはちょっと台所で茶碗洗ってきますんで・・・

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見ていない 第11回 踊る大捜査線

テレビが好きな自分だが、ここ数年見ているジャンルが非常に限定されていることに気づいた。
見ている主なジャンルは、バラエティ・報道・格闘技である。
あまりにも偏った傾向だが、現実にはこんなもんだ。
一方で全然見なくなったジャンルといえば、ドラマ・アニメ・映画・歌番組である。
アニメや映画はもともと見ないのだが、最近はドラマを本当に見なくなった。
見られる時間帯に家にいないし、録画までして追いかける情熱はもうない。
ということで、いつ見ても楽しいバラエティや格闘技になってしまうのである。
連載を読まず読み切り漫画ばかり読んでいるのに似ている。

そんなわけで世間ではもんのすごい人気を誇る名作ドラマが連綿と続いているにも関わらず、全く見ていないという状態になる。
そんな名作ドラマのひとつ、「踊る大捜査線」。
一度も見たことがありません。
シリーズ以外にもスペシャル版や映画まで作られ、大ヒットしていることは知っているが、全く見たことがない。

「踊る大捜査線」、知っているのはフジテレビ系番組で湾岸署が舞台であること、織田裕二が主演、柳葉俊郎やいかりや長介や北村総一郎が出演していること、「事件は会議室で起きてるんじゃない」という有名なセリフがあることくらいである。
フジテレビ見てるとしょっちゅう番組宣伝してるので、見ていなくてもこれくらいはわかるのだ。

初回放送は1997年1月。
10年も前に始まった番組ときいてちょっと驚きである。
「最近盛り上がってんな」くらいにしか思っていなかったのだが、案外歴史のある番組だ。
もっとも10年間連続して放送していたわけではないようだが。

主演の織田裕二と言えば世界陸上のムダに熱い実況が思い浮かぶところだが、そんなに人気あるヒトなのか(失礼)?と不思議に思っていた。
そこで少しネットで調べてみたら、このドラマの人気の秘密は単に織田裕二だけではなさそうなことがわかってきた。

刑事が主役だから刑事ドラマということになるはずだが、昭和の刑事ドラマとはかなり異なる作りらしい。
主人公は組織と捜査の間で悩むサラリーマンとして描かれていて、設定は相当リアルな「警察モノ」ドラマだそうだ。
発砲シーンや殉職も少なく、かと言って推理モノでもない、警察で働く人たちの「労働者ドラマ」ということのようだ。(あってます?)
刑事ドラマと言えばどうしても「太陽にほえろ!」「西部警察」といった昭和テイストな番組しかイメージできないのだが、それは自分が古い人間だからでしょう。

名作映画やアニメの細かいディテールを採り入れてみたりして、けっこう凝った作りになっているらしい。
黒沢映画や「ダイ・ハード」「エヴァンゲリオン」などの映画にも影響を受けた演出が施され、わかるヒトにはわかるという話になっているそうだ。
「織田裕二をフィーチャーした刑事ドラマ」という勝手なイメージは誤りのようです。
でも扱っているのは強盗殺人とか放火殺人未遂とかのハードな犯罪らしいし、映画の副題だって「レインボーブリッジを封鎖せよ!」なんて大げさな言葉が使われている。
このあたりはやはり刑事ドラマのツカミとして避けられなかったんですかね。
扱う事件が結婚詐欺ばっかりとか副題が「平井大橋を封鎖せよ!」とかだったら、やっぱ見てもらえないもんなぁ。

そんなわけで「踊る大捜査線」。
テレビ版も映画もDVDで発売されているようなので、見てみるのは比較的簡単なようだ。
みなさまなりの見所など教えていただければと思います。(できれば織田裕二以外で・・・)
あ、あと基本的な質問ですが、なぜ「踊る」なんでしょうか?

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見ていない 第10回 侍ジャイアンツ

chikazoさんのBLOGを見ていて思い出した、「侍ジャイアンツ」。
少年ジャンプに連載され、アニメ化もされた人気漫画である。
が、アニメのほうは実は全く見ていない。
まあ漫画のほうも全然まじめに読んでないんですけど。

「侍ジャイアンツ」、少年ジャンプの連載は71年から始まり、遅れること2年でアニメ番組放送開始。
その後雑誌とテレビで同時進行的に進んで(話の内容はあちこち異なるらしいが)74年に相次いで終了したとのこと。
まず漫画のほうだが、自分が本格的にジャンプを毎週読むようになったのは74年末からである。
すでに「侍ジャイアンツ」は終了しており、入れ替わるように始まったのが「炎の巨人(ジャイアンツ)」だった。
同じ頃「サーキットの狼」も始まっている。
「侍ジャイアンツ」はその後貸本屋で単行本を少し借りて読んだ程度で、全巻読破はしていない。

一方、アニメのほうの「侍ジャイアンツ」だが、なぜか全く記憶にないので再放送も含めて一度も見ていないと思う。
裏番組が何だったのか不明だが、漫画も連載が終わる頃に知ったくらいなので、初回放送の時は存在すら知らなかった可能性が高い。
おそらく例によって姉とともに女の子向けアニメを見ていたのではないかと思います。
「侍ジャイアンツ」に限らず、「巨人の星」も「ドカベン」も、アニメはほとんど見ていない。

「侍ジャイアンツ」の最大の見所はなんといっても番場蛮の繰り出す数々の「魔球」である。
このしかけは当時の少年野球漫画では多かれ少なかれ常識のように採り入れられており、「巨人の星」をはじめ「アストロ球団」「ドカベン」「炎の巨人」「野球狂の詩」など、魔球のない野球漫画を探すほうが難しいくらいだった。
ちばあきおの「キャプテン」には魔球はなかったと思うが。

その「魔球漫画」の中でも、この「侍ジャイアンツ」と「アストロ球団」は突出して荒唐無稽だったのではないだろうか。
科学的に説明がつかないのは当然として、ルール無用の魔球が次々に登場。
大回転魔球はやっぱボークだろうし、ハイジャンプ魔球も微妙だ。
「アストロ球団」の場合、「ビーンボール魔球」とか「殺人L字ボール」とか、野球というスポーツを超越して「バッターを傷つける・死に至らしめる」目的しかない魔球もあったりして、今思うと少年に読ませる内容としては相当物騒なものもあった。
ところが魔球はその大げさな開発コスト?のわりに、どれも結局はあっさりライバルに攻略されちゃって、運用上さほど効果もなく使えなくなっていくあたりはどの漫画にもおおむね共通する展開だった。

「侍ジャイアンツ」は「巨人の星」と同じく梶原一騎の原作による漫画だが、多くの少年が気づいていたとおり、花形満→眉月光、左門豊作→大砲万作といった感じでキャラがかぶっており(番宙太と八幡太郎平は見た目が全然違うが、主人公の良き理解者である点は共通している)、「裏巨人の星」などと言われることもあったようだ。
作画は井上コオだが、この漫画家の名を覚えている人はかなりコアなファンではないだろうか。
この人の作品は「侍ジャイアンツ」以外に知られておらず、作品のほうが圧倒的に有名だ。

「侍ジャイアンツ」をネットで検索すると、ヒットするのはほとんどがアニメ番組のほうである。
漫画を紹介するサイトはかなり少ない。
これは少し意外だった。
アニメの絵を見ると、漫画に比べてなんとなく番場の顔が幼い。
番組制作上の戦略なのかもしれないが、これでプロ野球選手なの?と思うくらい少年くさい顔になっている。

漫画では優勝をかけた中日戦で、分身魔球の投げすぎによる心停止?によって、マウンド上で立ったまま番場は死ぬ。
ところがアニメではこの話も書き換えられて、最後はハッピーエンドだそうだ。
大半の少年は漫画での結末を知りながらアニメの最終回も見ていたと思われるが、このストーリー変更の評判はどうだったのだろうか。

当時の野球漫画には、長島・王・金田・川上・田淵など、実在の野球選手や監督が登場することが多かった。
この傾向、今はどうなんだろうか?
水島新司の漫画は今でも松坂が出たりしてるが、それ以外ではどうだろう?
小笠原や藤川球児が登場する漫画なんてあるんだろうか?

そんなわけで、アニメ「侍ジャイアンツ」。
たぶん見ていた元少年の方も多いと思いますんで、ご感想など教えていただければと思います。

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見ていない 第9回 SMAP×SMAP

今年で放送10周年をむかえ、今なお高い視聴率を誇るフジテレビ系の人気番組、「SMAP×SMAP」。
「スマスマ」という略称を使うのもどこか抵抗はあるのだが、それもそのはずで、残念ながら1時間通しで見たことは1度もありません。

関東では月曜夜10時からの放送だが、あまり家にいないことが多く、いても「報道ステーション」を見たりしているので、「スマスマ」を見る習慣がない。
部分的にところどころ見たことがある程度だ。

構成としては、ゲストのためにメンバーがチーム対抗でお料理を作る「ビストロ・スマップ」と、パロディコントのコーナーがあるらしい。
「ビストロ・スマップ」は、こないだの米倉涼子がゲストの時は見ました。
でも彼女の顔を見るのに夢中で、どんな料理だったかどっちのチームが買ったのか、全く覚えていません。
あとコントでは「古畑拓三郎」はさすがに知っているが、せいぜいそのくらいです。

かつて80年代までのジャニーズのアイドルは、歌中心のバラエティ番組を持つか、お笑い番組にゲスト出演してそれなりに笑いをとる、というのが基本的な役割だったと思うが、SMAPあたりからはっきりと「歌番組ではない冠バラエティ番組を持つ」スタイルにシフトしてきている。
「10代の女の子だけが夢中になるアイドル」から、「オトナの鑑賞にも応えられるタレント」に変わってきているのだ。
TOKIOの城島やV6の井ノ原なんて、別にジャニーズでなくても全然バラエティタレントとしてやっていけそうなキャラクターまで許されるようになってきている。
バラ売りできるところも彼らの強みだろう。
いずれにしても、SMAPってみんな器用ですね。(歌はちょっとアレだが)
最近ではきっと料理のできないヤツはジャニーズ事務所には入れないんじゃないだろうか。
TOKIOの「鉄腕DASH」はたまに見るが、彼らもパワーショベル動かしたり水車作ったり、つくづく器用だと思う。

で、SMAPだが、特に誰が嫌いとかそういう感覚はない。
「ぷっすま」とか「ブラックバラエティ」なんかはくだらないと思いながらも結構楽しんで見てるし、たぶん「スマスマ」も1時間通して見てもそんなに退屈はしないような気もする。
ただキムタクだけはなんか少しムリしてるような気がするんだよなぁ。
それほどまじめにキムタクの番組を見てないからかもしれないけど、どこか「木村拓也」をムリして演じてるような印象なのだ。
キムタクだから熱くなきゃいけない、強くなきゃいけない、前にでなきゃいけない・・・みたいなワクに無理にはめられてるというか、「木村拓也」という着ぐるみを着せられているというか・・・
本人はもっとふつうののんびりしたキャラクターとかダメな男の役なんかもやってみたいんじゃないだろうかね?
まあダメなキムタクなんて、世間や事務所がそれを許さないんだろうけど。
渡哲也とやってるコーヒーのCMでも、なんか無理矢理キレ気味のキャラクターを押しつけられてるような気がするのだが・・

かつてSMAPのメンバーだった森くんは、オートレーサーという全く別の業界に転職している。
森くんのデビュー戦直前に川口オートに行ったことがあるが、走る前からレース場でも相当話題になっていた。
実際デビュー戦では普段絶対に絶対にオートレース場なんかにはいない女の子が大挙して押し寄せ、スタートと同時にコンサート開始と同じくらいの声援が飛んだそうだ。
で、各オートレース場は急遽女子トイレを増やしたり車券の買い方のわかりやすい説明書をこしらえたりしたらしい。
自分はあれからオートレース場には行っていないが、森くんは順調なんだろうか。

ファンの方にとっては痛い思い出だろうが、吾郎ちゃんは一時期警察のごやっかいになったことがある。
自分は吾郎ちゃんがつかまったことを、錦糸町のサウナで東京スポーツを見て知った。
自分が東スポを広げていると、横から知らないおっさんが「吾郎ちゃんつかまっちゃったなあ」と話しかけてきた。
こんなおっさんでも吾郎ちゃんが心配なのかよ・・と、あらためて彼の人気を錦糸町にて思い知った次第です。
錦糸町とSMAPは何の関係もありませんけど。
「スマスマ」の過去最高視聴率は、吾郎ちゃんが復帰した時に記録したそうだ。

というわけで「SMAP×SMAP」、現在進行形の人気番組なので見ている方もたくさんいると思いますが、みなさまなりの見所などあれば、教えていただきたいと思います。

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見ていない 第8回 カックラキン大放送!!

かつて金曜8時と言えば、自分の場合は「3年B組金八先生」でも「ワールド・プロレスリング」でもなく、「太陽にほえろ!」だった。
その「太陽にほえろ!」の直前、同じチャンネル(日本テレビ)の7時半からの人気番組が「カックラキン大放送!!」である。
ところが、これはなぜかほとんど見ていない。

「カックラキン大放送!!」、放送期間は75年から86年の11年間。
関東ではこの間ずっと金曜7時半から30分間で変わらなかった。
内容はみなさんもよくご存じだと思うが、坂上二郎、堺正章、井上順、研ナオコ、高田みづえなどを中心に繰り広げられる公開コント番組だ。
当時の新御三家である郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹が交代で出演し、また売れてない頃のラビット関根や細川たかしが出ていたことでも有名である。

全く見なかったわけではなく、たまに中途半端に見たりしたことはある。
ただ毎回楽しみにしていたわけでもなく、30分間通して見たことはおそらくないと思う。
轟二郎って出てませんでしたっけ?(うろ覚え)
カックラキンは新御三家に代わって田原俊彦や近藤真彦が登場するようになってから人気が落ちていき、結局終わってしまったそうだ。
トシちゃんやマッチの力をもってしても、番組を盛り返すことはできなかったということですね。(逆効果?)

もう少し時代をさかのぼると、この時間帯には「ハッチャキ!マチャアキ」という堺正章の番組があり、これは好きでよく見ていた。
境正章とゴールデン・ハーフ・スペシャルとのコントで人気があった番組で、このノリはたぶんカックラキンにも受け継がれていたはずだ。
その後「コント55号のなんでそうなるの?」という番組に変わり、日テレの金曜7時代は伝統的に公開コント番組を流していたようだ。

このあたりの一連のコント番組や、ドリフや欽ドンや欽どこなんかは相当真剣に見ていた記憶がある。
なので決してお笑いが嫌いなガキだったわけではなく、またお笑い禁止の高尚な家庭でもなかった。
まあ早い話、勉強なんか全然しないでこんなテレビばっか見てたんですわ。
なのでカックラキンがどうして抜け落ちているのか、よくわからないんですけど・・・

考えられる理由として、「自重していた」という可能性はあるかもしれない。
おそらく7時半は家族の誰かが裏番組を見ていたのだろう。
なんせ8時から1時間は自分が日本テレビを見るのである。
「太陽にほえろ!」を見たいがために、7時代の枠は姉や母に譲っていたのかもしれない。
そう思うとけなげなクソガキだなぁ。でもエラくもなんともないんだが。
いずれにせよ、そういう情熱をもっとお勉強に向けておれば・・・と相変わらず悔やまれるところです。

今もお笑い番組はたくさんあるが、カックラキンのような公開コント番組は少なくなっている。
それだけに今もしカックラキンを見ることができたとしたら、かなり新鮮かもしれない。
この番組ってDVD出てるんでしょうか?
機会があれば見てみたい気もしています。

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見ていない 第7回 はぐれ刑事純情派

平成の代表的刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派」。
どこがはぐれていて何が純情なのかよくわからないが、全然見ていません。
1回だけエンディングの2分くらいをちらっと見た程度。
1時間通して見たことは全くない。

初回放送が1988年。
「渡る世間は鬼ばかり」同様、いくつものシリーズを断続的に17年間放送し、昨年終了したとのこと。
結局一度も見ないまま終わってしまった長寿番組である。

このドラマについて知っているのは、主演が藤田まことということだけである。
シリーズ終了の理由が、役者が軒並み高齢化していること、また娘役2人も30歳を過ぎているのにまだ父親と同居している設定にも限界が来たこと、だそうだ。
でも30過ぎの娘が二人も同居って設定、むしろ今風な気もしますけど。
渡鬼もそうだけど、長寿ドラマって役者も歳とるからどうしても限界は来ますよね。
サザエさんが続いているのは声優の顔が画面には出ないからだ。
ちなみに藤田まこと主演の人気番組に「必殺シリー