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聴いてない 第341回 アデル

本国と日本で人気や実績に大幅な乖離があるアーチスト、いわゆる「スモール・イン・ジャパン」と言えば、ミート・ローフグレイトフル・デッドAC/DCラッシュなどが該当するらしい。
今日のお題アデルもそんな扱いのようだ。そうなの?
日本でも知名度はあるし売れ行きも悪くはないが、我が国は本国の事務所やレコード会社が本気になるほどのマーケットとは思われていないとのこと。

・・・とエラそうな講釈を垂れ流しましたが、アデル全く聴いてません。
1曲も知らないので、聴いてない度も静謐の1。
アルバムジャケットにかすかに見覚えがある・・程度。
本国イギリスでは輝かしい実績を誇る大スターなのだが、自分は時々ジュエルと混同する有様である。(論外)

取り急ぎ共通テスト実施前にアデル概論を拙速受講。
アデルは1988年5月5日にロンドン北部のトッテナムで、イギリス人の母親とウェールズ人の父親の間に生まれた。
本名はアデル・ローリー・ブルー・アドキンス。
アデルが2歳の時に父親が家を出てからは母親に育てられた。

幼少の頃から歌うことに夢中になり、学生時代もギターを弾いて歌う日々を過ごす。
2006年に音楽・舞台芸術・アートを学ぶ専門学校を卒業。
同級生には後にそれぞれ歌手となるレオナ・ルイスやジェシー・Jがいたそうだ。

卒業後、アデルは自作曲のデモ音源をオンライン芸術雑誌や音楽サイトに投稿した。
21世紀ともなれば、売り込みの主流メディアはテープではなくネットなのである。
その中で友人がアデルに代わって投稿した曲が話題になり、音楽レーベルXLの社長兼ディレクターであるリチャード・ラッセルがアデルに連絡。
電話で連絡を受けたアデルはXLレコードを知らず、本当にレコード会社からの連絡なのかどうか怪しいと疑って、呼び出された場には友人を連れて行ったそうだ。
リチャードはまだ17歳だったアデルをすぐにXLと契約させた。

2007年6月、アデルはBBCの音楽番組で自作曲「Daydreamer」を披露しテレビデビューを果たす。
10月には16歳の時に作曲した「Hometown Glory」がデビューシングルとしてリリースされた。

翌年1月に「Hometown Glory」を含む自作の11曲と、ディランのカバー「Make You Feel My Love」を収録したファーストアルバム「19」を発表。
するといきなり全英チャートで初登場1位を記録した。
アメリカでは初登場61位とやや出遅れたかに思えたが、テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演後、11位まで急上昇し、最終的には4位に到達。
アルバム「19」は世界中で220万枚を売り上げ、ゴールドディスクも獲得した。
スタートから鬼のように順調なプロ歌手生活である。

2009年2月のグラミー賞で、アデルは最優秀新人賞に加え、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞も受賞。
シングル「Chasing Pavements」は年間最優秀レコード賞と年間最優秀楽曲賞にもノミネートされた。

アデルは2枚目のアルバム「21」を2011年初めに発表した。
このアルバムは恋人との破局にインスピレーションを受け、別れの後に経験した怒りや苦しみ・孤独感、傷心と後悔、最後に受け入れという重い感情の変動をテーマにした内容となっている。
またサウンドはモータウンやソウルの他、北米ツアー中に聴き始めたアメリカのカントリーやサザンブルースも採り入れている。
なお当初タイトルは年齢数字はやめて「Rolling in the Deep」にしようと考えていたが、やっぱり制作当時の年齢を表す「21」が最もふさわしいと考え直したそうだ。

決して明るく楽しい音楽ではない「21」について、レコード会社の幹部は「今度はそう簡単には売れんやろ」と思って、ネットでのプロモーションや、英米各地での地道なテレビ出演など、息の長いマーケティング・キャンペーンを行うことにした。
だが「21」は本人以上に事務所やレコード会社が震えるほどの実績を残すことになる。
どんだけすごい成績だったのか、箇条書きにすると以下の通り。
・全英チャートで初登場1位を獲得し、プラチナ認定
・全米チャートでも1位、24週間トップをキープ
・イギリスで540万枚、アメリカでは1200万枚を売り上げた
・2011年に世界中で1800万枚を売り上げ、最も売れたアルバムとなった
・翌2012年も830万枚で最も売れたアルバムであり続け、2年連続1位を達成
・オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、アイルランド、ニュージーランド、スイスでも1位
・シングル「Rolling in the Deep」「Someone like You」「Set Fire to the Rain」は全て全米1位

他にもいろいろな話があるが、「21」はイギリスではフリートウッド・マックの「噂」や、マイケル・ジャクソン「スリラー」よりも売れたスタジオアルバム、とのこと。本当?

また「21」の大ヒットにより「19」も全英チャートに再登場。
これによりアデルは1964年のビートルズ以来となる、シングルとアルバムの両方でトップ5に2枚同時に送り込むという快挙も達成した。
なおこの頃アデルは慈善事業家のサイモン・コネッキと交際を始め、2012年には長男が生まれている。

翌2012年のグラミー賞でアデルは年間最優秀アルバム賞・最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞など6部門を受賞し、ビヨンセに次いでグラミー賞史上2人目の「一晩で最も多くの賞を受賞した女性アーティスト」となった。
世界で最も好調な女性アーティストとなったアデルだが、さすがに周囲の狂騒には疲れたようだった。
2012年4月には「次のアルバムには少し時間をかけたいので、少なくともリリースは2年後になると思う」と述べた。

だがアデルは活動を停止したわけではなかった。
2012年10月、アデルはジェームズ・ボンド映画23作目「007スカイフォール」の主題歌「Skyfall」を発表。
「Skyfall」は全英2位・全米8位を記録し、世界中で500万枚以上を売り上げ、アデルはゴールデングローブ賞の最優秀オリジナル楽曲賞とアカデミー賞の最優秀オリジナル楽曲賞を獲得した。
ちなみに「21」や「Skyfall」をプロデュースしたポール・エプワースは、ポール・マッカートニーの2013年発表の「New」においても「Save Us」「Queenie Eye」「Road」など数曲を手がけているそうです。

アデルは2013年にロサンゼルスに移住する。
この年の暮れには英国音楽業界への貢献を認められ、MBE勲章(大英帝国勲章)を受章した。

3枚目のアルバムは2015年11月20日にリリースされた。
「少なくとも2年後」と語っていたが、実際には倍の4年後の発表となった。
タイトルは25歳になった時に作ったのでやっぱり「25」。
25歳になった彼女の人生と心境を反映し、過去の自分への憧れやノスタルジア、また時の流れへの憂鬱といったテーマに加え、母性や新しい愛、後悔といったテーマも取り上げられている。
サウンドは80年代風のエレクトロニックな要素と独創的なリズムパターンが採り入れられた。

4年経ってもアデルは無双状態で、「25」も恐ろしいほどの実績を叩き出す。
・全英チャートで初登場1位を獲得し、初登場週で80万枚というチャート史上最速の売り上げを記録
・アメリカでは発売後1週間で338万枚、アルバムの単一週売上枚数としては史上最大となった
 ※ただし今年テイラー・スウィフトの「The Life of a Showgirl」がこの記録を350万枚で塗り替えた
・カナダでは30万枚で初登場1位となり、それまでセリーヌ・ディオンが持っていた「Let's Talk About Love」の23万枚という最高売上枚数記録を更新
・全世界で初週売上570万枚を記録
・2015年に1740万枚を売り上げ、世界で最も売れたアルバムとなった
・オーストラリア、フランス、ドイツ、アイルランド、ニュージーランド、スイスでも1位
・ベルギー、チェコ、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、アルゼンチン、香港でも1位

50年前にビートルズがチャートで繰り広げた伝説を、アデルが再現したようなものである。
ジャスティン・ビーバー、リアーナ、サム・スミス、ワン・ダイレクションなど多くのミュージシャンが、アルバム売上に影響が出ないよう、アデルとの競争を避けてリリース時期を変更したとも言われている。

2016年の間「25」がずうっと売れ続けたため、翌2017年のグラミー賞では、最優秀アルバム賞・最優秀楽曲賞・最優秀レコード賞を受賞し、史上初めてこの「三冠」を2度制覇したアーティストとなった。

長くつきあってきたパートナーのサイモン・コネッキとは2018年に正式に結婚。
だが間もなく別居し、2021年3月には離婚が成立している。
当時アデルの資産は200億円とも言われ、離婚理由を口外しない条件でアデルがサイモンに慰謝料187億円を提示したらしい。
桁がでかすぎてよくわかんない話ですけど・・・

アデルの4枚目のアルバム「30」は2018年に制作を開始し、2021年11月19日にリリースされた。
「30」と言いながらアデルはすでに31歳になっていたが、コロナ禍の影響で発売が遅れたとのこと。
6年ぶりのスタジオ盤は、離婚の経験や不安、息子の人生に与えた影響、母性や名声にインスピレーションを得て制作。
そしてやはりアデルは6年経っても変わらぬ無敵の強さを世界中に知らしめることとなる。
・2021年に世界で最も売れたアルバムとなり、24の地域で1位を獲得
・イギリスでは261,000枚を売り上げてオフィシャルアルバムチャートで初登場1位を獲得
・アメリカでは3枚連続のビルボード200の1位
・オーストラリア、フランス、ドイツ、アイルランド、ニュージーランド、スペインでも1位
・日本のオリコンでは4位だったがダウンロードでは1位
・ブリット・アワードでブリティッシュ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞(ソロとしての3度の受賞はアデルが史上初)

2022年初めにアデルはラスベガスでのレジデンシー公演「Weekends with Adele」を開始。
レジデンシー公演って何?・・と思ったら、1つの会場で10回以上連続で行われる公演のことだそうです。
途中コロナ禍の影響や健康上の理由で何度か延期があったが、毎回20曲以上を歌い2時間を超えるステージは大好評で、度々追加公演が行われ、最終的に2024年11月まで延長された。
ステージ衣装の中にはステラ・マッカートニーがデザインした特注ドレスもあったとのこと。

2024年10月の公演では、アデルが観客席にいたセリーヌ・ディオンを見つけ、歌を中断してセリーヌの元に駆け寄り、二人は泣きながら抱擁という感動的な一幕もあったそうだ。
公演の模様を録音したライブアルバムは2025年2月にリリースされ、3枚のLPレコードに写真集とショーの紙吹雪が付いたボックスセットとなっている。
・・・ファンにとっては紙吹雪でもありがたいんスかね?
なお公演期間中のあるステージ上で、NBA専門スポーツエージェントのリッチ・ポールとの結婚も公表している。

ところが。
2024年7月、アデルは突然活動休止を宣言する。
インタビューで「新曲やアルバム制作の計画は全くありません」と語り、レジデンシー公演終了後は音楽活動を無期限に休止することを明らかにした。
真の理由は不明だが、本人は「音楽から離れてしっかり休みを取りたい・他のクリエイティブなことに取り組みたい」とも語っている。
現在も音楽活動は休止中のままだが、近いうちに映画で女優デビューを果たすのではないかとも報じられた。

以上がアデルの凄まじい略歴と実績である。
知ってた話は全くない。
「聴いてない」だの「スモール・イン・ジャパン」だの書いてしまったが、そんな告白したら英国大使館から厳重注意が来るんじゃないかと思うほどすごい成績だ。
ウィキペディアをご覧いただければおわかりかと思うが、とにかく「21」「25」「30」は欧米各国で軒並みチャート1位なのだ。
これまでいろいろな聴いてないアーティストを調べてきたけど、こんなに「1」が並んでるの見たことがない。
今さらですけど、こんなにすごい人だったんですね・・・すいません・・

欧米での実績と知名度は揺るがないことはわかったが、やはり我が日本での人気となると微妙な気がする。
もちろんファンは日本にもたくさんいて、貫地谷しほりや藤あや子はアデルのファンであることを公言している。
ただ日本公演もまだ実現していないそうで、自分のような三流素人リスナーを含む一般人における認知度となると、テイラー・スウィフトやブルーノ・マーズのほうが少し上なのではないだろうか。

アデルはとにかく歌や音楽について実直で誠実な反面、私生活や趣味や社会活動に関する発信にはあまり積極的ではないそうだ。
ド派手なファッションで注目を集めたり、マネージャーを次々とクビにしたり、パパラッチのシャツを引きちぎったり、ヤフーで天気予報を見たり、やよい軒でおかわりしたりといった日本のマスコミが好みそうな話題もないとのこと。
ファンもアデルの歌や曲そのもので自己表現する正攻法な姿勢を支持しており、本人もそれを崩してまで話題作りする必要性を感じていないのだろう。

アデルの功績は、ただアルバムを鬼のように売っただけでなく、ストリーミングではないフィジカルなレコードディスク購入への回帰を促すことに成功した点にある、と言われている。
ネット配信での入手が主流となった21世紀において、リアルな販売店舗に客を呼び戻し、CDやDVDを所有する喜びを若い世代にもたらし、傾きつつあった音楽業界を救ったと評されたそうだ。

というわけで、アデル。
今さらながら実績と自分の知識や認識との乖離にめまいがしますが、オリジナル盤は4枚なのでさっさと全部聴きなさいよって話ですね。
中でもやはりこの1枚、というアルバムがあったら教えていただけたらと思います。

19
アデル 19
21
アデル 21
30

アデル 30

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観てみた レッド・ツェッペリン:ビカミング

昨年末の話ですが、ようやく記事にすることになりました。
基本的に映画を観ることをほとんどしない自分ですが、今年も映画を1本も観ずに終わるんやろとぼんやり過ごしていた年の瀬。
ところが音楽関連の映画が立て続けに公開され、どうしようかと思っていたところにちょうど近所の映画館にようやくやって来たのが「レッド・ツェッペリン:ビカミング」。
他にも「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」や「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」も公開中でしたが、場所が遠かったり時間が合わなかったりで、こちらは鑑賞保留となりました。

前回ツェッペリンの映画「Celebration Day / 祭典の日」を観たのは13年も前でした。
再結成のライブだったんでファンの評価はやや微妙な印象でしたが、今回はデビュー前から初期にかけてのドキュメンタリーで、世界中で大人気となり、興行収入も2億円を突破したとのこと。
これはやはり観に行かねばなるまい・・・
ということで、観に行ってみました。

150席の小さな映画館だったので客が殺到してんのかと不安でしたが、行ってみたらガラガラ。
日曜の昼間でしたが、たぶん20人もいなかったと思います。
当然観客は高齢男性ばかり。
空いてるほうがこっちとしてはありがたいですけど。

Becoming

公式サイトによれば、初期の貴重なライブ映像、それを見ながらのメンバー3人のインタビューに加え、未公開のジョン・ボーナムの生前音声など、見どころが盛りだくさんらしい。
自分のような素人三流リスナーは当然知らない映像とエピソードだらけのはずなので、学習教材として申し分ないことは間違いありません。
果たしてどんな映画なのでしょうか。

これより先は映画の内容にふれる部分がありますので、未鑑賞の方はご注意ください。
・・・・・観てみた。

映画は大まかに言うと以下のような流れ。
・メンバー4人の生い立ち
・それぞれが音楽活動を始めた頃の話
・ペイジを中心にレッド・ツェッペリンを結成
・ファーストアルバム制作
・アメリカ市場を制覇、イギリスに凱旋

全体的に、自分は知ってた話はほとんどありませんでした。
メンバーの生い立ち紹介の部分でも、ギター少年ペイジがプロになる前にバンドを組んでテレビに出た映像を、昔どこかで観たことがあったかも・・くらい。
なので自分みたいな後追いの偏差値の低いリスナーにとってはありがたい教材でしたが、リアルタイムでツェッペリンを聴いてきたコアな陽一系ファンには答え合わせ的な内容かもしれません。

ロバート・プラントが親から公認会計士になるよう言われて専門学校に通っていたことも初めて知りました。
ジョン・ポール・ジョーンズはペイジがいたんで仕方なくベースに回ったのかと勝手に思ってましたが、子供の頃に自らベースギターが弾きたいと父親に頼んでベースを買ってもらったくらい、根っからのベース芸人とのこと。
もしジョーンジーがギタリストとして加入していたら、おそらくはペイジと衝突して早々に脱退していたんじゃないかとも思いますけど。

その後ペイジとジョン・ポール・ジョーンズはセッションミュージシャンとして様々なアーチストと仕事をするようになります。
ペイジはジェフ・ベックエリック・クラプトンデビッド・ボウイザ・フーキンクスなどの楽曲にギターで参加しますが、ビートルズとは仕事の機会がなかったと話していました。
やはりペイジとしてはビートルズとも仕事したかったんでしょうね。
またこれも初めて知ったのですが、シャーリー・バッシーが歌った映画「007/ゴールドフィンガー」のテーマソングのレコーディングに、ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが参加してたんですね。
歌は有名なのでもちろん知ってましたが、二人が参加してたことを全く知らずに聴いていました。

その後はよく知られているとおり、ペイジはジェフ・ベックに誘われてヤードバーズに加入します。
ただし誘ったベックはペイジ加入後半年くらいで脱退。
ロッド・スチュワート、ロン・ウッド、ニッキー・ホプキンス、エインズレー・ダンバーといった手練れの仲間を連れて自らのグループを旗揚げします。
意外だったのは、この頃のペイジは「仲間だったエリックやジェフがバンドを率いて成功していることに焦っていた」という点。
ヤードバーズという営業中の店舗にするっと入り込んだペイジに比べ、ベックやクラプトンは開店準備や従業員集めから始める苦労があったんじゃないのかとも思いますが、ペイジほどの技量や才覚があっても、友人の成功はやはり穏やかならぬものがあったんですね。

またニューヤードバーズ結成の頃、ペイジ以外の3人はすでにパートナーがおり、しかも揃って奥様方の存在が想像以上に大きかったようです。
ペイジがバンドを作るらしいとの話を聞いて、「ジミーに連絡してみたら?」と夫に参加を勧めたのはジョーンジーの奥さん。
「プラントと組むのだけはやめて!彼はハチャメチャよ」とお願いしたのはボンゾの奥さん。
どっちも言ってることはある意味的確だったようですが、特にボンゾは奥さんに頭が上がらないタイプだったそうです。
奥さんの意見に逆らってプラントと組んでみたらハチャメチャになってしまったのはボンゾのほうだった、というのは悲しい話ですが。

結成当時のデンマークでのライブ映像(Communication Breakdown)が流れました。
契約上まだニューヤードバーズとして北欧でツアーをこなす必要があったうちの一会場と思われますが、場内には座席もステージもなく、観客は見た目30人くらいでそれぞれ座布団?を引きずってプラントの目の前の床に座るという、村の寄り合いみたいなものすごく貧相な光景。
調べたらグラッドサクセ・ティーン・クラブという小さな街の小さな会場で、これが4人で観客の前で初めて演奏した時の映像とのこと。
プラントやボンゾはともかく、すでにミュージシャンとしてそれなりの実績は持ってたペイジにしてみれば帰りたくなるほどの客の入りだったはずですが、4人はペイジの「客の人数なんか関係ない。自分たちにしかできない音楽をやる」という信念のもと、ものすごいパフォーマンスを見せています。

レッド・ツェッペリンと改名した後、バンドはアメリカ進出を目指してアトランティック・レコードと契約。
この時ペイジが直接アトランティック・レコード社に出向き、自主制作したファーストアルバム音源を重役たちに聴かせ、さらにシングルは作らない・今後も制作方針に口出しさせない・アメリカでのツアーも行うなどの条件を提示して交渉に当たります。
ギタリストでバンドマスターでもあるジミー・ペイジですが、このビジネスマンとしての商才は、やはり後の成功に不可欠だったと思われます。
ピーター・グラントという敏腕かつガラ悪い相棒の同行もモノを言ったとは思いますが・・

契約と同時に進められたアメリカでのツアーで、バンドは人気と自信をどんどん身につけていきます。
プラントとボンゾはライブの成功に困惑していましたが、ペイジには当時のアメリカのヒッピー文化などに関する傾向と対策に裏打ちされた戦略があったようです。
アルバムでもステージでも、まずはでかい音で客を引きつける。
そこから一転してバラードやアコースティックやバイオリン奏法など様々な技法や怪しいサウンドで客を感心させ、最後に熱狂させてファンにしてしまう。
インパクトの強さと、動静の落差、完成度の高さ。
さらには既存のブルース曲のメロディや歌詞の借用(パクリ)と、オリジナルを凌駕するほどの強引なアレンジ。
かつてのビートルズとはまた違った、こうした革新的な要素が、アメリカでの人気に確実に結びついたと思われます。

バンド初期の曲が訳詞付きで紹介されますが、この頃の曲は「良い時も悪い時もあったけど!望んだものは手に入れてきた!オレのいい女がどっかの男のところに行っちまったけど気にしない!ああでも好き!きぃー!!」とか、「コミュニケーション不能!でもいつものこと!でも好き!きぃーー!!」とか、「お前落ち着けよ!俺はマジメだ!もう一度中学校でやり直せよ!でも好き!胸いっぱいの愛をやるぜ!きぃいぃーー!!」など、なんか結局ヤバイ女に惚れちゃって混乱してるヤバイ男の叫び系が多いよなぁと、字幕観ながらあらためて思いました・・
まあ当時の英米の流行歌やブルース全般がそういう傾向にあったのかもしれませんが。

どのレビューにも書いてあったことですが、ボンゾの生前のインタビュー音声を聴いていたメンバー3人がみんなおだやかに思い出をかみしめた表情だったのが印象的でした。
やはりツェッペリンて基本的に仲良し集団だったんだなと感じます。
ただ残念なことに残っていたのは音声だけのようで、ボンゾ本人が語る映像はありませんでした。
最期は破綻して命を落としたボンゾですが、言ってることは実直で誠実さにあふれており、酒さえ飲まなければ4人の中では一番マトモだったんじゃないかとも思います。

ペイジ自身も認めていますが、初期のツェッペリンは完全にペイジが独裁者で、音楽性や楽曲や歌詞やサウンドの全てを取り仕切り、ビジネスとしての方向性や戦略も全部ペイジ主導でした。
ただし重要だったのは他の3人が単なるペイジのバックバンドメンバーではなかった点。
特にプラントとボンゾはキャリアの浅い立場でありながら、ペイジの要望や指示に全て応え、さらには期待の上を行くパフォーマンスをスタジオでもステージでも披露しています。
自らの企てに絶対の自信を持っていたペイジですが、プラントとボンゾを発掘したことも、今でも誇りに思っているはずです。

アメリカでの成功を抱え、バンドはイギリスに凱旋。
結成後わずか2年でロンドンのロイヤル・アルバートホールでライブを行うという快挙をなしえたところで映画は終わります。
アルバムで言うと「Led Zeppelin II」発表あたりまで。
曲をわりとマジメに長く聴かせる映画なので、2時間ではツェッペリンの全歴史を語るには全然足りません。
この調子で解散まで全て紹介したら上映時間は6時間でもおそらく足りないはずです。
なのでエンドロールが流れると「ああ今回はここまでなんだ」とややがっかり。
これでは誰もが続編を期待すると思われます。

この映画はツェッペリンを含む全ての音源について、AI加工は一切行っていないそうです。
今の技術なら映像も音声ももっとクリアで高いレベルにまで持っていけるはずですが、監督はあえてそれをせず、観客にツェッペリンが登場した時のサウンドがいかに衝撃的だったかを、当時の人々と同じようにはっきりと体感してほしいとの思いで仕上げたとのこと。
なので確かにどの曲もムダに音量はでかいです。
また映像もビートルズ映画のようなAI加工はナシ。
若いペイジがアコースティックギターを奏でる映像なんかは、ノイズで画面が上下に分断されたままでした。
このあたりのこだわりは重要であることもわかりますが、自分が観た映画館はIMAXではなく音響がそれほど高精度でもなかったようで、でかいツェッペリンの楽曲は時々音が割れて聞こえるなど、個人的にはやや不快な部分もありました。
IMAXシアターで観たら(聴いたら)、また違った感想になるんでしょうか・・?

あと少し引っかかったのがタイトル。
「ビカミング」とは「なりつつある」「変化している」「ふさわしい」などの意味を持つ言葉だそうですが、ツェッペリンを聴いていた年代の日本人にはいまいちなじみのない英語のような気がします。
なのでここはやはり覚醒とか躍進・源流・黎明・飛翔伝説・原子心母・天龍革命・龍原砲など(後半適当)、かつては当たり前のように付けられていた洋楽アルバムタイトルのような副題を用意してくれたほうが、日本の元青少年にはより響いたんじゃないかと感じました。

というわけで、「レッド・ツェッペリン:ビカミング」。
バンドの足跡と楽曲を克明に紹介したわかりやすい構成で、月並みな感想ですが、自分のような素人でも非常に楽しめました。
栄光の歴史はさらに続きがありますので、やはり続編をぜひ観たいと思わせる映画でした。

Becoming_20260109180601
Becoming Led Zeppelin
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Led Zeppelin ポスター
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ピーターグラント 5人目のレッドツェッペリン

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