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聴いてない 第336回 メリサ・マンチェスター

何も知らない女性ボーカリストシリーズ、今日はメリサ・マンチェスターの巻。
1曲も知らず、顔もよくわからない。
なぜ名前だけは知っているのかもナゾ。
聴いてない度は至高の1。

毎回同じ表現になるが、今回生涯で初めてメリサ・マンチェスターを調べてみたら、やはりその経歴は驚きの連続でした。(安い)
メリサ・マンチェスターはアメリカのシンガーソングライター、女優である。
1970年代から1980年代にかけて、特にアダルト・コンテンポラリー市場で広く活躍し人気を博した。

1952年2月15日、ニューヨークで生まれる。
父はメトロポリタン歌劇場のファゴット奏者、母は婦人服デザイナーのユダヤ系家庭。
なお日本語ウィキペディアでは「バスーン奏者の父」となっているが、バスーンとファゴットは基本的に同じ楽器だそうです。

メリサ・マンチェスターはマンハッタン音楽学校でピアノとチェンバロを学び、17歳でマンハッタンのワーナー系音楽出版社チャペル・ミュージックのスタッフライターとなった。

19歳の時、メリサはニューヨーク大学でポール・サイモンに師事し、作詞作曲を学ぶ。
この頃ポール・サイモンはアート・ガーファンクルとのデュオを解散し、大学で作詞作曲を教えていたそうだ。
その後マンハッタンのクラブなどで歌や演奏するようになったメリサは、友人のバリー・マニロウからベット・ミドラーを紹介され、ベットのバックシンガーグループ「ザ・ハーレッツ」にバリーと共に参加する。

73年アルバム「Home to Myself」でソロデビュー。
収録曲の大半はキャロル・ベイヤー・セイガーとの共作である。
翌年2枚目のアルバム「Bright Eyes」を発表するが、ここまではチャートの100位以内にも入らなかった。

この後メリサの人生を大きく変える曲が世に登場する。
75年にアルバム「Melissa(想い出にさようなら)」をリリースすると、シングル「Midnight Blue」が全米6位で初のトップ10ヒットとなり、チャートに17週間もランクインした。
この曲もキャロル・ベイヤー・セイガーとの共作で、デビューアルバム制作時に作っておいたものだった。

元々メリサは自身をアルバム・アーティストと思っており、シングルのことをあまり考えていなかったそうだ。
だが所属レコード会社のベル・レコードが突如アリスタに吸収されると、メリサのプロモーション方針が大幅に変更される。
シングル「Midnight Blue」の宣伝のため、メリサは全米各地のラジオ局や大学やレコード店などを精力的に巡った。
この地道な宣伝活動が功を奏し、めでたく全米6位の大ヒットを記録。
メリサも「Midnight Blue」以降、「すべてが変わった」と語っている。

76年にアルバム「Better Days and Happy Endings(幸せの日々)」を発表。
収録曲「Come In From The Rain(雨に想いを)」はシングルカットはされなかったものの、後にキャプテン・アンド・テニール、ライザ・ミネリ、ダイアナ・ロスなど、多くのアーティストによってカバーされた。

79年にはピーター・アレンの「Don't Cry Out Loud(あなたしか見えない)」をカバー。
演奏にはリー・リトナーやデビッド・ハンゲイト、ジム・ケルトナーも参加している。
この曲は全米10位に達し、メリサは最優秀ポップ女性ボーカルパフォーマンス賞にノミネートされた。

その年の10月にはアルバム「Melissa Manchester」をリリース。
ケニー・ロギンスとの共作「Whenever I Call You "Friend"」を収録し、演奏にはタワー・オブ・パワーも参加したが、全米63位と前作よりやや後退。
さらに1年と経たずにアルバム「For the Working Girl」を発表。
バッド・フィンガーのカバー「Without You」や、ピーボ・ブライソンとのデュエット「Lovers After All」が収録され、コーラスでドン・ヘンリーも参加したが、これも全米68位でさらに後退する。

だが82年にキャリア最大のヒット曲が登場する。
スティーブ・ルカサーやジェフ・ポーカロも参加した「You Should Hear How She Talks About You(気になるふたり)」は、キャッシュ・ボックスで4位、ビルボード・ホット100チャートで5位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで10位に達した。
それまでバラードを得意としていたメリサにとって、ニューウェーブ系のダンスミュージック的な要素がある「気になるふたり」は、大きな転換だったようだ。
本人も大ヒットの後でしばらく歌うのをやめていた時期もあったが、最近は「歌うのが楽しい」と発言している。
この曲でメリサはリンダ・ロンシュタットオリビア・ニュートンジョン、ジュース・ニュートン、ローラ・ブラニガンを抑えて83年のグラミー賞最優秀ポップ女性ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

大ヒットの後、メリサはデビュー以来10年間所属していたアリスタ・レコードを離れ、MCAレコードに移籍。
アルバム「Mathematics」(表記は「Ma+hematics」)を85年4月に発表した。
以前のシンガーソングライター風の作品とは異なり、シンセポップやニューウェーブ・サウンドに傾倒している。
収録曲ごとにジョージ・デューク、ブロック・ウォルシュロビー・ネヴィルらがプロデュースし、リー・リトナーやスティーブ・ルカサーやマイケル・センベロなど多数のミュージシャンが参加。
だがタイトルシングル「Mathematics」はビルボード・ホット100で最高74位止まり、アルバムも144位と低迷し、結局この1枚だけリリースした後、MCAレコードを離れることになる。

89年にディオンヌ・ワーウィックの「Walk On By」をカバーし、ACチャートのトップ10入りを果たした。
91年公開のミュージカルコメディ映画「フォー・ザ・ボーイズ」ではベット・ミドラーと共演し、テレビのドラマシリーズ「ブロッサム」にも出演。
さらに91年のワールドシリーズ第6戦では、試合前のセレモニーでアメリカ国歌を独唱してオープニングを飾った。
92年にはアニメミュージカル「リトル・ニモ」の主題歌を歌った。

95年にアトランティック・レコードに移籍し、アルバム「If My Heart Had Wings」をリリースした。
プロデューサーや参加メンバーを大幅に入れ替え、ドゥービー・ブラザーズの「Here to Love You」のカバーも収録したが、残念ながらチャート入りは果たせず商業的には失敗に終わる。

96年には山下達郎の「愛の灯~STAND IN THE LIGHT」で作詞と歌を担当。
山下達郎がフジテレビのミュージック・キャンペーン・ソングの依頼を受け、外国人女性とのデュエットという企画に対しメリサ・マンチェスターを指名。
メリサはオファーを快諾し、山下達郎作の曲を聴いた上で作詞したそうだ。

2004年、9年ぶりのスタジオ盤「When I Look Down That Road」を発表。
ソウルやジャズ、ボサノバなど様々な要素を採り入れ、全曲の制作(主に作詞)をメリサが担当し、「Where The Truth Lies」ではルパート・ホルムズと共作。
「Lucky Break」にはリッチー・コッツェンがギターで参加している。

2007年にはバリー・マニロウとのデュエットで、キャロル・キングの名曲「You've Got a Friend(君の友だち)」をカバー。
このカバーはバリー・マニロウのカバー集アルバム「The Greatest Songs of the Seventies」に収録された。

2011年には、ジュノー・テンプル、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ウィリアム・H・メイシーらが出演した青春コメディ映画「ダーティ・ガール」でメリサ・マンチェスターの曲が多数使用され、「You Should Hear How She Talks About You」「Singing From My Soul」「Midnight Blue」など5曲がサウンドトラックに収録された。
なおメリサは主人公が歌う「Don't Cry Out Loud」の伴奏ピアニストとして、セリフなしのカメオ出演を果たしている。

2015年にはジャズにシフトしたアルバム「You Gotta Love the Life」をリリースし、ビルボードジャズアルバムチャートで17位を獲得した。
このアルバム制作にあたり、資金を集めるためクラウドファンディングを利用してキャンペーンを行ったそうだ。
当時メリサは音楽学校の非常勤講師をしており、学生たちからインディーズアルバム制作を勧められ、クラウドファンディング利用を思いついたとのこと。
だが参加ミュージシャンはアル・ジャロウやディオンヌ・ワーウィック、スティービー・ワンダーなどビッグネームも多い。
ギャラのお支払いは大丈夫だったんだろうか・・?

2017年、メリサはトニー・ベネット、ディーン・マーティン、ジョニー・マティス、フランク・シナトラ、メル・トーメといった男性シンガーのカバーを収録した「The Fellas」をリリースした。
前作「You Gotta Love the Life」に続いての自主制作スタジオ盤で、彼女が講師を務める大学のオーケストラ伴奏がフィーチャーされているほか、バリー・マニロウとのデュエット曲「For Me and My Gal」が収録されている。

最新作は過去の名曲を再録した2024年のアルバム「Re: View」。
ケニー・ロギンスとのデュエット曲「Whenever I Call You "Friend"」の再録バージョン、ドリー・パートン参加の大ヒット曲「Midnight Blue」、ゴスペル調にアレンジされた「Just You And I」には、ジャズ界の人気サックス奏者ジェラルド・アルブライトを迎えるなど、かつての名曲を高いクオリティでリメイクしている。

以上がメリサ・マンチェスターの優雅で煌びやかな経歴である。
知ってた話は今回も一切なし。
山下達郎とのデュエットも知らなかった。
柏村武昭・小林克也・東郷かおる子の誰からもメリサ・マンチェスターの情報を教えてもらえなかった。

調べてみて気づいたが、デビュー当時から現在に至るまで、著名なミュージシャン・アーチストとの共演やゲスト参加が非常に多い。
学生時代にポール・サイモンに作詞作曲を習ったり、デビューにあたってバリー・マニロウやベット・ミドラーの協力があったなど、ミュージシャンとしてはかなりエリートコースでスタートしている。
またスティーブ・ルカサーやジェフ・ポーカロ、デビッド・ハンゲイトらTOTOのメンバーは何度も演奏に参加している。
事務所やレコード会社のセッティングもあるだろうが、多くはメリサ本人の実力や人柄もあっての話だろう。

最大のヒット曲「気になるふたり」をYou Tubeで見てみたが、やはり知らない曲だった。
ただし楽曲はいかにもあの頃流行していたサウンドやリズムだ。
プロモ・ビデオもメリサがノリよく歌い、バックで数人が踊るという構成だが、地方の営業ステージみたいな簡素な造り。
感覚的にはローラ・ブラニガンの「Gloria」に近い。
全米5位なのにこんなビデオなの?
本人も認めているとおり、それまでの方向性とは明らかに違ったハヤリの曲を仕方なく歌わされたけど予想以上にヒットした、ということのようだ。

というわけで、メリサ・マンチェスター。
そもそもこの人は日本でどれくらい支持されていたのか、見当もつかないのですが・・・
最大のヒット曲「気になるふたり」を求めて聴くならアルバム「Hey Ricky」となりますけど、それは彼女の本質を鑑賞することにはならないような気もします。
なので聴くとしたらやはり70年代の作品からだと思いますが、おすすめのアルバムがあれば教えていただけるとありがたいです。

Melissa
メリサ・マンチェスター 想い出にさようなら
Hey-ricky
メリサ・マンチェスター Hey Ricky
Manchester
マンチェスターシティ オフィシャル 1号球 選手サイン入り

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聴いてない 第335回 デバージ

前回採り上げたブロック・ウォルシュの「This Time」を録音した際、同時にエアチェックしたのがデバージの「Time Will Reveal(時のささやき)」である。
いずれも柏村武昭の異色経歴でもあるFM洋楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音したのだが、デバージも結果的にこの1曲のみの鑑賞で終わっている。
柏村武昭に落ち度はないけど、聴いてない度は2。

聴いてないけど、デバージが兄弟グループであることや、エル・デバージやチコ・デバージの名前もなんとなく知ってはいた。
同じく兄弟グループであるジャクソン・ファイブと比較されることも多かったらしい。
だが調べてみたら、ただ比較されるだけでなく、実はかなり深い関係にあったこともわかった。
以下はネットで調べたデバージの壮絶な略歴である。

デバージはデトロイト出身のデバージ兄弟により結成されたグループで、活動期間はほぼ80年代の10年間。
父親は白人の兵士、母親は黒人ゴスペル歌手。
だが夫婦仲は良くなく、結婚後4年で離婚。
しかも父親は離婚後も子供達を虐待するなど、兄弟は複雑で過酷な家庭環境で育つ。

兄弟は70年代半ばからデトロイトで音楽活動を始める。
長男ボビーと次男トミーは76年、グレゴリー・ウィリアムス、エディー・フルーレン、フィリップ・イングラム、マイケル・マクグローリー、ジョディー・シムズらと共にスウィッチというグループを結成。
スウィッチは78年モータウンからデビューし、「There'll Never Be」「I Call Your Name」「Best Beat in Town」などのR&B曲がヒットした。
スウィッチのデビューを後押ししたのが、ジャーメイン・ジャクソンと言われている。
スウィッチのメンバーがモータウンの事務所があったビルのエレベーターでジャーメインにデモテープを渡したところ、ジャーメインが気に入り、モータウンでのデビューを勧めたそうだ。
なんか映画や小説のような展開だが、本当なんだろうか?

80年にザ・デバージズという名でデビュー。
兄弟の中で参加したのは以下のみなさんである。
・長女バニー(Vo)
・長男ボビー(Vo・D・K)
・三男ランディ(Vo・B)
・四男マーティ(Vo・D)
・五男エル(Vo・K)

デバージズは81年にデビューアルバム「The DeBarges」を発表。
次男トミーはデバージズには参加せず、長男ボビーはアルバム発表まではスウィッチと掛け持ちだったらしい。
残念ながらアルバムはチャートを賑わすような実績は残せなかったようだ。
その後長男ボビーはいったんグループを離脱。

82年には六男ジェームスが加わり、全曲デバージ兄弟の作品で構成された2枚目のアルバム「All This Love」をリリース。
全米24位(R&Bチャートは3位)となり、シングル「 I Like It」「All This Love」もヒットした。
「All This Love」は後にビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで1位を獲得している。

83年9月、3枚目のアルバム「In a Special Way」をリリース。
前作と同様全曲デバージ兄弟の作品で、自分が聴いたシングル「Time Will Reveal(時のささやき)」も収録されている。
「Time Will Reveal」は全米R&Bチャートで1位を記録し、アルバムもゴールド・ディスクを獲得した。

だが人気の陰でトラブルも起こる。
84年、六男ジェームズ・デバージはジャネット・ジャクソンと極秘結婚。
すぐにジャネットが結婚を公表したが、翌年には離婚。
・・というか結婚自体が無効とされたそうだ。
ジャネットの若気の至りとも言われたが、ジェームスはこの頃薬物中毒だったらしく、結婚式の直後もジャネットに隠れてクスリをやってたとのこと。

デバージは85年のモータウン製作映画「ラスト・ドラゴン」のサウンドトラック用として「Rhythm of the Night」を録音した。
この曲はシングルとしてもリリースされ、全米3位・全英4位を記録。
グループ史上最大の売上となった。
また同名のアルバムにはデビッド・フォスターやスティーブ・ポーカロも参加し、ビルボードR&Bチャートで3位の成績およびプラチナ・ディスクを獲得した。

だが絶頂の裏でグループ内のパワーバランスは崩れつつあった。
エル・デバージがグループの中心として台頭しつつあることを察知したモータウンは、次のアルバム制作をエル一人で行わせようとした。
モータウンはエルの実力を信頼する一方で、ジェームスの薬物依存症の問題を懸念していたとも言われている。
結果的にグループの命運は、このモータウンの判断によって決定されてしまう。

アルバム「Rhythm of the Night」の大ヒット後、モータウンはエルとバニーに高額なソロ契約をオファー。
二人はソロ歌手として活動することを決意し、グループを脱退する。
モータウンは二人の力強いハーモニーを失った残りのデバージには商業的価値はないと判断し、86年に契約を解除する。
アメリカの芸能界も厳しい・・・

危機感を覚えた残デバージは、87年に長男ボビーが加入し建て直しを図ったが、メジャーレーベルとの契約に失敗したため、インディーズレーベルのストライプド・ホース・レコードと契約し、アルバム「Badboys」をリリースした。
だがストライプド・ホースはやはりカネがなく、満足なプロモーションもできず、モータウンの支援も受けられなかったため、アルバムはチャートインしなかった。
結果的にこれがデバージとしてのラストアルバムとなる。

デバージはその後もライブなど活動を続け、オープニングアクトには七男のチコを起用したり、テレビの歌番組にゲスト出演した。
なおチコ・デバージはソロ歌手で活動しており、兄たちのグループのデバージには加入していない。
・・・なぜ?
ビージーズに参加しなかった弟アンディ・ギブみたいなもんかな?

栄光のデバージ兄弟にとって最大の問題は、音楽ではなく薬物にあったようだ。
88年、ボビーとチコは麻薬密売の容疑で逮捕され有罪判決を受け、別々に刑務所に収監された。
この逮捕と収監によりデバージの音楽活動は終焉を迎え、89年に解散する。

薬物は音楽活動だけでなく個人の生活や兄弟仲にも深刻なダメージを及ぼし、破綻して命を落としている者もいる。
困ったことに兄弟のほとんどに薬物使用による逮捕歴があり、中でもエル・デバージは何度も逮捕され、治療を経て復帰も果たしたが、2018年に仲間との口論で逆上し車のフロントガラスを叩き割り、器物損壊で逮捕されている。
ボビーは長年のヘロイン中毒の末、エイズに感染し95年に死亡。
トミーも薬物の影響で腎臓が機能不全となり透析を受けていたが、2021年に腎不全で亡くなっている。

2008年、長女バニーは「The Kept Ones」と題した家族についての本を執筆した。
貧しい家庭に育った兄弟が成功していくというアメリカンドリームな内容で、2020年には続編も出版されたが、弟たちからは不評で、SNSなどで「バニーが書いた本は嘘だらけのフィクションだ」と言われたようだ。

以上がデバージの短く儚い栄光と炎上の過酷な歴史である。
知ってた話は当然皆無。
最大のヒット曲「Rhythm of the Night」もYou Tubeで聴いてみたが、全く知らない曲だった。

ジャーメインやジャネットなどジャクソン・ファミリーとの関係も全く知らなかった。
もっと言うとエル・デバージやチコ・デバージも当然デバージの一員で、グループでもソロでも並行して活躍してるのかと思っていたが、エルはグループを脱退してソロになっており、チコはそもそもデバージには参加していなかった。
この経歴を正確に把握してた日本人リスナーはどれくらいいるんでしょうか・・?

デバージ兄弟は歌ったり演奏したりはもちろん、ソングライターとしての才能も持っていた。
発表した曲の大半は兄弟の誰かが作ったもので、他人の作った曲やカバー曲はかなり少ない。
才能は間違いなくあったデバージ兄弟。
ジェームスの娘クリスティニアにもそれは受け継がれ、2009年に歌手デビューしている。
彼女が父親や叔父たちのようなトラブルに見舞われないよう祈るばかりだ。

才能や素質に恵まれながら、グループとしての活動期間はほぼ80年代限定だった。
長くは続かなかった原因の一つは間違いなく薬物だろう。
まあビートルズやストーンズやツェッペリンやクラプトンなど、60~70年代に活躍したミュージシャンの大半は薬物と酒でダメージを負ったり逮捕されたりしていたが、残念ながらデバージ兄弟はそうした先輩方のトラブルを教訓とはできなかったようだ。
仮定は無意味だが、もし兄弟が誰一人薬物には手を出さなかったら、少しは違った展開になっていたのではないかと思う。

「Time Will Reveal(時のささやき)」はゆったりしたオトナ向けバラード。
ただ個人的にはビージーズやアース・ウィンド&ファイアーを思わせるファルセットでコーラスというスタイルがやや苦手で、他の曲も聴いてみようという気にはならなかった。

というわけで、デバージ。
正直鑑賞意欲はほとんどありませんが、もし聴くとしたら「時のささやき」を頼りに「In a Special Way」から、ということになりそうです。
最大のヒット作「Rhythm of the Night」も含め、みなさまのデバージ鑑賞履歴をご紹介いただけたらと思います。

In-a-special-way
デバージ In a Special Way
Rhythm-of-the-night
デバージ Rhythm of the Night
Young-and-restless

クリスティニア・デバージ YOUNG & RESTLESS

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