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聴いてない 第332回 チャーリー・ドア

今年になって女性シンガー(を中心としたバンド含む)を採り上げることの多い「聴いてないシリーズ」ですが、今日もそのパターン。
日本だと一発屋にもカウントされてるかもしれないチャーリー・ドア。
みなさんはご存じでしょうか?

チャーリー・ドア、80年の「Pilot Of The Airwaves(涙のリクエスト)」しか聴いていないので、聴いてない度は2。
最初に「サンスイ・ベストリクエスト」で録音したが、テープが足りず途中で切れてしまい、4年ほど待って「クロスオーバー・イレブン」でようやくフルコーラスを録音できた思い出の曲である。
以降他の曲を聴く機会はなく、また彼女について雑誌で情報を仕入れることもなく45年も経過。
今回生涯で初めてネットでチャーリー・ドアを調べてみた次第。(毎度のこと)
だが彼女のキャリアや実績は一発どころではなく、想像のはるか上を行くマルチタレントだった。

チャーリー・ドアはイギリスの歌手で作曲家・演奏家、女優である。
シンガーソングライターの他、他のアーティストへの作詞作曲・プロデュース、映画や舞台での演技、テレビ・ラジオでの活動や、映画やテレビ番組用の作曲なども行ってきた。

1956年にロンドン郊外のピナーという小さな街に生まれる。
ロンドンのアートスクールで演劇を学び、ニューカッスルのタインサイド・シアター・カンパニーで2年間劇団員として活動。
その後テレビ番組の曲を作ったり演奏していたが、この頃知り合った仲間に誘われ、ブルーグラス、ウエスタン・スウィングなどのジャンルを得意としていたフラ・バレーというバンドに加入する。

その後フラ・バレーはメンバー交代や改称を重ね、オリジナル曲も演奏するようになり、チャーリーが中心的存在となる。
一時期バンド名はチャーリー・ドアズ・バック・ポケットとも名乗っていたらしい。
またこの頃のバンドには、後にダイアー・ストレイツに加入するドラムのピック・ウィザーズがいたそうだ。

チャーリーはアイランド・レコードに見出され、 78年に契約。
アメリカに渡りテネシー州ナッシュビルで最初のアルバム「Where to Now」を録音した。
ラジオDJに憧れる少女の想いを歌ったシングル「Pilot of the Airwaves(涙のリクエスト)」は、全米ビルボードホット100で13位、キャッシュボックスでは12位に達し、チャーリーはレコードワールドニュー女性アーティストオブザイヤーとASCAP賞を受賞した。
自分もリアルタイムで録音できたので、当時日本のラジオ局やレコード会社の期待も高かったものと思われる。

順調なスタートだったが、チャーリーは次のアルバム「Listen!」制作にあたりなぜかアイランドを離れ、クリサリスレコードと契約。
しかもクリサリスはプロデューサーにあのグリン・ジョンズを起用。
それだけレコード会社の期待は大きかったようだが、会社はこれまたなぜか結果に満足せず、プロデューサーはスチュワート・レヴィンに交代し、アルバム全体はロサンゼルスで再録音することになる。
この時演奏をサポートしたのが、TOTOのスティーブ・ルカサーと、マイク&ジェフ・ポーカロだった。
そんな豪華なバックでも残念ながら前作ほどには売れなかったようだが、チャーリー・ドアは81年から82年にかけてバンドと共にツアーを行い、ヤマハ・ソング・フェスティバルでイギリス代表として東京も訪れている。

またこの頃から女優としても活動。
83年のイギリス映画「The Ploughman's Lunch」でジョナサン・プライスやティム・カリーと共演し、87年から89年にかけてテレビドラマ「A Killing on the Exchange」「Hard Cases」「国境の南」などに出演。
舞台「ホイッスル・ストップ」「ビッグ・スウィープ」では主役を務めるなど、女優の仕事も続いた。

さらにチャーリーはソングライターとしても成功している。
最初のヒットはジュリアン・リットマンと共作したシーナ・イーストンの「Strut」で、84年に全米7位を記録。
日本でもCMに使われたヒット曲だが、チャーリー・ドアが作詞してたのか・・・全然知らなかった・・・
その後もティナ・ターナーの「Twenty Four Seven」、ジョージ・ハリスンの「Fear of Flying」、セリーヌ・ディオン「Refuse to Dance」「Time Goes By」など、多くのアーティストが彼女の書いた曲を歌っている。
ジミー・ネイルが92年にチャーリー・ドア(+他2人)と共作した「Ain't No Doubt」は全英1位となった。

ちなみにジョージ・ハリスンの「Fear of Flying」は生前未発表曲で、2014年10月に発売された、BBCラジオ番組と曲で構成された同名のCDに収録されている。
音源はジョージの元妻オリビアがジョージのアーカイブの中から見つけたデモトラックで、79年頃にチャーリーがジョージの家を訪れた際に録音されたといわれており、元はチャーリー・ドアの曲だそうです。

95年にアルバム「Things Change」を発表。
このアルバムに収録された「Refuse to Dance」「Time Goes By」を、後にセリーヌ・ディオンがカバーしている。

21世紀に入ってもチャーリー・ドアはマイペースで活動。
2004年に内省的な歌詞とアコースティックなサウンドでアルバム「Sleep All Day And Other Stories」をリリース。
2006年にはジャズからカントリー、ポップスなどの要素をフォークで包み込み、ライブで録音したような音に仕上げた「Cuckoo Hill」をリリースした。
2008年にフラ・バレー時代によく演奏していたお気に入りのアメリカの歌を集めたアルバム「The Hula Valley Songbook」を発表している。

2011年に「Cheapskate Lullabyes」をリリース。
ラストの「Fifty Pound Father」のみチャーリーが一人で作り、他の9曲は長年のパートナーであるジュリアン・リットマンと共同で制作した。
2014年の「Milk Roulette」では、生と死や結婚、体外受精といった社会派なテーマから、音楽ダウンロードに対する抗議まで、様々な内容を歌詞にして歌っている。
2017年発表の「Dark Matter」も、個人的なテーマを様々な比喩や例えで語るユーモアと憂鬱さが巧みに混ざり合う内容。
チャーリー・ドアの作品は、年を追うごとに歌詞もサウンドも多面的になっているようだ。
最新作は2020年の「Like Animals」。
今年も年末までイギリス各地でのライブ予定が組まれている。

今回も知ってた話は微塵もなし。
シーナ・イーストンの「Strut」をチャーリー・ドアが作っていたと知っていた日本人はどれくらいいただろうか?(エラそう)
ジョージ・ハリスンの「Fear of Flying」の話も初めて知った・・

「Pilot Of The Airwaves(涙のリクエスト)」は思ったより複雑で秀逸な構成だと思う。
イントロは少しスローな楽器なしの混声アカペラで始まり、演奏とともに甲高いチャーリーのボーカルが続くが、間奏ではエレキギターやキーボードのような音も聞こえる。
ナッシュビルで録音とのことで、そう言われるとカントリーな香りもするが(知ったかぶり)、純アコースティックなサウンドでもない。
何よりチャーリーの声と演奏が非常にマッチしており、聴いていて心地よい曲である。
チェッカーズが歌うより5年も前に(別の曲だけど)「涙のリクエスト」は日本のFMでも流れていたのだ。
その後柏村武昭も小林克也も東郷かおる子も、チャーリー・ドアを採り上げなかったのが残念である。(エラそう)

というわけで、チャーリー・ドア。
聴くなら当然「涙のリクエスト」収録の「Where to Now」からだと思いますが、このアルバムにはジョージ・ハリスンも歌ったという「Fear of Flying」もあるようので、ジョージのバージョンとも聴き比べてみたいとも少しだけ思っています。
他のアルバムが日本で入手可能なのかわかりませんが、ご存じの方がおられましたら教えていただけたらと思います。

Where-to-now
チャーリー・ドア Where to Now
Listen
チャーリー・ドア Listen!
Checkers
チェッカーズ 涙のリクエスト

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