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聴いてみた 第185回 オアシス

今日聴いてみたのは、秋の来日公演が待ち遠しいオアシス。(行かないと思うけど)
しかも彼らのデビューアルバムである。
ミラノ・オリンピックまであと1年もないというのにまだこんな所にいるわたくしですが(関係ない)、発売後31年も経ってからやっと聴いてみました。
そもそもこのBLOG自体が手遅れ絶望コンセプトだが、オアシスでさえこの有様なので、今から何を聴いても手遅れである。

せめて手遅れ鑑賞前に制作経緯を稚拙に学習。
オアシスは93年に独立系レーベルのクリエイション・レコードと契約。
バンド初のシングル「Supersonic」は94年4月11日にリリースされ、全英チャートで31位に初登場。
続いて6月に「Shakermaker」が11位で初登場し、8月には3枚目のシングル「Live Forever」がリリースされ、初のトップ10ヒットとなった。

この3枚シングルが好調だったタイミングで、アルバム「Definitely Maybe」はリリースされた。
メンバーは以下のみなさんである。
ノエル・ギャラガー(G・Vo)
リアム・ギャラガー(Vo)
ポール・ボーンヘッド・アーサーズ(G)
ポール・ギグジー・マクギガン(B)
トニー・マッキャロル(D)

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全ての曲をノエル・ギャラガーが作っている。
その後メンバーの脱退や解雇や仲違いや殴り合いが勃発したため、オリジナルメンバーでの唯一のアルバムである。
270万枚以上の売り上げで全英アルバムチャートで1位に輝き、当時の英国音楽史上最速で1位を獲得したデビューアルバムとなった。
またアメリカでもヒットし、全米レコード協会からプラチナ認定を受けた。

大ヒットの理由はもちろんノエルの作った曲とリアムの歌の良さがあったからだが、制作の裏側では周囲の関係者の苦労がかなりあったようだ。
最初のプロデューサーはノエルの古い知り合いであるデイヴ・バチェラーが務めたが、メンバーが満足するような音にならず、またエンジニアとも意思疎通ができなかった。
ボーンヘッドは「うまくいかなかった。デイヴはこの仕事に向いていなかった」と語っている。

結局デイヴさんは解雇され、ノエルは音源を抱えてスタジオを移動したりプロデューサーを変えたり録音をやり直したりと試行錯誤と衝突の連続だった。
新人バンドで、しかも一番経験の浅い男がリーダーですけど全曲作ってきましたという状態だったら、プロデューサーもエンジニアも「まああんたら音作りなんてようわからんやろ。ウチらにまかしとき」となって当然だろう。
ところがこのリーダーはただの素人ではなく、音作りにも異様なこだわりを持っていたから、摩擦や衝突は必然だったと思われる。
ノエルはギターの歪んだノイズっぽい音をオーバーダビングで重ねるのが好きだったようだが、録音された後エンジニアがその音をまた外していく面倒な作業を繰り返した、といった状態だったらしい。

最終的にバンドとスタッフのどちらの意見が通って完成したのかわからないが、シングルもアルバムも大ヒットしたので、たぶん双方が「あの音はオレがこだわって作ったんや。あいつらなんもわかってへん」と言ってるような気がする。

デビューアルバムにして最高傑作との評価もある「Definitely Maybe」。
果たして自分の評価も間違いない・・たぶん・・なのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Rock 'n' Roll Star
タイトルどおりの軽快なナンバーでスタート。
「今夜オレはロックンロール・スターだ!」と連呼する、こっちが赤面しそうな青い内容だけど、その後本当に英国を代表するスターになってるので、有言実行な人たちである。

2.Shakermaker
セカンドシングルは特有の粘り気の強いリズムや騒々しいサウンド。
歌詞にある「Mister Sifter」とは兄弟が育ったマンチェスターにある中古レコード屋の名前らしい。

3.Live Forever
サードシングル。
有名な曲だがまともに聴くのは初めてである。
すでにオアシスのサウンドは確立されており、後のヒット曲たちにつながる要素があちこちに聞こえる。
素行とは裏腹な誠実で泣かせる歌詞もいい。

4.Up in the Sky
再び軽快なリズムに戻り、パンクの香りがする曲。
歌詞はスネた感じの内容だが、言ってることは前の曲からつながっているように思う。

5.Columbia
ミドルテンポで抑揚なく地味に進行。
サウンドは他の曲同様に分厚くガサガサする印象だが、実は使われているコードは3つだけだそうだ。
なおタイトルの「Columbia」はアメリカの団体や組織の名前などで使用され、南米のコロンビア共和国は「Colombia」と書くそうだ。
で、歌詞にはコロンビアは出てこない。なぜ?

6.Supersonic
オアシスのデビューシングルだが、これもフルコーラスで聴くのは初めて。
曲調は意外と重く、歌詞も「社会の底辺で生きる労働者階級の人間がそこから抜け出したいなら、自分の思いを世の中に訴える方法を見つけるんだ」といった教育的指導なことを歌っている。

7.Bring It On Down
疾走感のあるストレートなロック。
「Supersonic」ができるまではファーストシングル候補だった曲とのこと。
先に「Bring It On Down」の録音を始めたが演奏がうまくいかず、中断してノエル以外のメンバーは食事のため外出。
ノエルは一人でスタジオに残り、メンバーが飯食ってる間に「Supersonic」を完成させてしまったそうだ。
どっちもオアシスらしい曲ではあるけど、この曲のほうが若干平凡なロック感があるような気がする。

8.Cigarettes & Alcohol
この曲だけオムニバスCDで聴いて知っていた。
Tレックスの「Get It On」とチャック・ベリーの「Little Queenie」からギターリフを引用している。
そう言われて聴いてみると確かに「Get It On」のリフだ。(気づくのが遅い)
そもそも「Get It On」が「Little Queenie」のフレーズを引用してるそうですけど。
「タバコと酒」というヤングなタイトルと歌詞だが、中身は思ったより前向きで誠実なメッセージだと思う。

9.Digsy's Dinner
これも彼ら特有の騒々しいサウンド。
当時仲が悪かったとされるブラーへのあてつけに作られた曲という説があるそうだ。

10.Slide Away
このアルバムの中では異色?な、やや憂いのある曇ったメロディ。
その後のオアシスはすっかりこの路線も得意技にしていると思う。
ただ6分半もあり後半はタイトルコールが延々続くので、少し飽きる。

11.Married with Children
唯一のアコースティックナンバー。
おだやかなメロディだけど振られた男の哀れな心情を歌っており、ノエルの実体験が元になっているらしい。
この曲をラストに持ってきた構成は秀逸だと思う。

聴き終えた。
シンプルだが自分が求めていたオアシスのサウンドがあり、やはり聴きやすいと感じる。
粗野でガサツな部分は多々あるが、それが彼らの魅力でもあることは理解しているつもりだ。
少なくとも「Standing on the Shoulder of Giants」「Heathen Chemistry」を聴いた時のような違和感はない。
やはり自分は初期のオアシスの音が好みのようだ。
(「The Masterplan」は騒がしすぎてイマイチだが・・)

リアム・ギャラガーは決して歌唱力で押してくるシンガーではない。
声もキレイとは言いがたく、発音も「sunshine」を「さんしやーーいーん」と歌うなど粘性なボーカル。
手を後ろで組んで猫背で歌う姿も独特で、顔もMr.ビーンというビジュアルなので、芸能人としてどこなら高得点付けられるのかわかんない不思議な歌手だ。
だがこの変な声と変な歌い方がノエルの曲に乗ってバンドの演奏に組み込まれると、凄まじい化学変化が起こり最強の破壊力となる。

なのでどの曲も聴きやすく間違いはない・・のだが、この後に登場する「Wonderwall」「Don't Look Back in Anger」「Stand By Me」「Whatever」など後世に歌い継がれる名曲たちと比べると、さすがに少し弱いと思う。

その名曲が詰まった「Morning Glory?」「Be Here Now」を聴いてたんだから、すぐに「Definitely Maybe」も後追い学習すればよかったんだが、あまりその気にならなかった。
たぶん唯一聴いた収録曲「Cigarettes & Alcohol」にそれほど心躍るものがなかったんだろうと思う。
失われた30年はもう取り返しがつかないが、なんとか今聴けてよかったです。

野蛮で暴力的な言動と行動が当初から批判されてきた兄弟だが、音楽や歌詞についてはかなり実直で誠実な姿勢が見られる。
ノエルは当時のグランジ台頭をあまり良く思っていなかったそうだ。
「Rock 'n' Roll Star」「Live Forever」などはまさにグランジの退廃的な思想とは真逆の内容だが、オアシスは当時ダサいとされた直球でオールドなロックンロールを真剣に選択していたのだ。
ノエルはニルヴァーナの「I Hate Myself and Want to Die」という曲について、「自分が嫌いで死にたいなんてタイトルや内容、またこんな歌を好きだというヤツも受け入れられないと思った」「子供達はこんな曲を聞く必要はない」などと酷評している。
その後の暴れっぷりを知るとあまり説得力はないような気はするが、実は兄弟とも根はマジメで純朴な人たち・・なのかもしれない。

タイトル「Definitely Maybe」は「間違いない、たぶん」という意味らしいが、「間違いない」と断定しておきながら「たぶん」を付ける変な言葉は、当時ギャラガー兄弟の周辺で流行っていた言い方だそうだ。
「知らんけど」を付けるようなもんかな?
なお「Definitely」は日本の中学校でもまず教わらない英単語だと思うので、レコード会社も配慮したんだろうか、邦題は地味に「オアシス」である。

ジャケットの部屋はボーンヘッドの自宅の居間で、メンバーのお気に入りの物や好きなサッカー選手の写真などを置いて撮影している。
立てかけてあるギターもボーンヘッドが実際にレコーディングやライブで弾いていたものとのこと。
ビートルズの「オールディーズ」から着想を得たとされているが、ソファーに腰掛けてるところくらいしか共通点は見当たらないようだが・・
バンドロゴの強さに対してタイトルが手書きの白文字で背景の部屋に埋もれてしまっており、意図的なのか否かはともかく、デビューアルバムでこのデザインはどうなのかと疑問は残る。

というわけで、「Definitely Maybe」。
しょうもない感想ですけど、これはよかったです。
今さらですがやはり初期のオアシスのダサいとされた音は、ダサい自分には合っているようです。
残る未聴盤「Don't Believe the Truth」「Dig Out Your Soul」も早急に鑑賞したいと思います。

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Oasis Definitely Maybe (Remastered) (Deluxe)
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Oasis Dig Out Your Soul
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聴いてない 第330回 シャーデー

80年代当時、「どんなの聴きます?」という質問に答えると相手の姿勢がぐっと良くなるアーティスト、それがシャーデーである。(適当)
聴いてないのでイメージでしかないのだが、ここでエア・サプライと答えるのとシャーデーと答えるのでは相手の反応が確実に違うような気がする。
エア・サプライだけでなくナックやレイフ・ギャレットでも同じかも。
平たく言うとシャーデーはオシャレな音楽・・でいいと思うが、オシャレでなくナウくもなかったヤングな自分は当時から今に至るまで聴いていない。

回りくどくなりましたけど、シャーデー聴いてません。
代表曲「Smooth Operator」だけは知っているが、エアチェックしたこともなくフルコーラス聴いたことはない。
たぶん柏村武昭の趣味ではなかったんだろう。(知らんけど)
聴いてない度は2だが実質1でいい状態。(どうでもいい)
よく言われる話だが、シャーデーはソロシンガーではなくバンド。
勘違いしてた人も多いようで、自分も割と長いことソロシンガーだと思っていた。

あらためてナゾの音楽集団シャーデーを調査。
シャーデーはイギリスのソウル・ジャズ系ポップスバンド。
デビュー当初よりシンセサイザーやプロモーションビデオに凝るといった当時の流行を回避し、最小限の音で構築した音楽が特徴。
ただしボーカルのシャーデー・アデュは、自分の作品やバンドの音楽性をジャズとくくられることを嫌っているそうだ。

そのシャーデー・アデュは1959年ナイジェリアで生まれた。
本名はヘレン・フォラシャーデー・アデュ。
父親はナイジェリア人の経済学教師で、母親はイギリス人看護婦。
ヘレンが4歳の時に両親は離婚し、母親はヘレンと兄を連れてイギリスへ帰国した。
少女時代のヘレンはカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイを好んで聴いていたそうだ。

77年にデザイン学校に進学し、卒業後は友人と共に小さなファッション会社を起業。
また会社経営の傍らで写真のモデルや、ラテン・ソウル系の音楽活動もしていた。
モデルや経営というと華やかなイメージだが、実際はかなり貧しい生活で、暖房もない部屋で凍えながら暮らしていたらしい。

シャーデー・アデュは、初めはアリバというラテン・ソウル・バンドに参加していたが、その後プライドという名のバンドでバックコーラスを始めた。
このプライドにいた仲間と共に、83年にバンドを結成。
バンド名は中心人物となったシャーデー・アデュの名前を使用することにした。

メンバーは以下のみなさんである。
シャーデー・アデュ(Vo)
ポール・スペンサー・デンマン (B)
アンドリュー・ヘイル(K)
スチュワート・マシューマン (G・Sax他)
ポール・アンソニー・クーク(D)

84年2月、シャーデーは最初のシングル「Your Love Is King」をリリース。
全英チャートで6位のヒットとなった。
セカンドシングル「When Am I Going to Make a Living」は全英36位だったが、続く3枚目シングル「Smooth Operator」は全英19位、全米アダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位を記録。
あれ・・・?
「Smooth Operator」が最大のヒット曲・・じゃなかったの?
全英では最初のシングル「Your Love Is King」が現時点で最高位のようです。

で、これらのヒット曲を収録したデビューアルバム「Diamond Life」も全英2位を記録した。(ドイツやフランス、オランダでは1位)
このアルバムは半年以上イギリスのトップ10にランクインし、85年の英国最優秀アルバム賞も受賞。
後に「死ぬ前に聴くべき1001枚のアルバム」という本にも収録された。
ジャケットにはアデュしか写っていないので、彼女がシャーデーというソロシンガーだと思われてもやむを得ないと思う。(言い訳)

バンドは85年MTVビデオ・ミュージック・アワードの最優秀女性ビデオ・最優秀新人アーティストの2部門にノミネートされ、さらにあのライブ・エイドにも出演している。
83年に結成されたバンドが84年に大ヒットを飛ばし85年にライブ・エイドに出演、という驚愕のサクセスストーリー。
メンバーそれぞれに下積みはあったものの、シャーデーはスタートから絶好調だったようだ。

85年11月、シャーデーは2枚目のアルバム「Promise」をリリースし、全英・全米の両方で1位を獲得した。
売り上げ枚数は「Diamond Life」の1千万枚が上だが、「Promise」も930万枚の大ヒットである。
86年、アデュはアメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ソウルR&B女性ビデオアーティストにノミネートされ、バンドはグラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。
また同年6月にロンドン開催されたアーティスト・アゲインスト・アパルトヘイト・コンサートにも出演。
続く87年、バンドは「Promise」でグラミー賞の最優秀R&Bボーカルパフォーマンス賞にノミネートされている。
こんなすごい実績だったのか・・・

3枚目のアルバム「Stronger Than Pride」は88年5月に発売され、全英3位を記録。
シングル「Paradise」は全英29位、全米ACチャート3位に入った。
バンドは再び世界中をツアーし、89年にアデュは再び最優秀ソウルR&B女性ビデオアーティストにノミネートされた。

90年代に入ってもシャーデーはグランジの波に飲まれることなくマイペースだったようだ。
92年に4枚目のアルバム「Love Deluxe」を発表。
全英10位・全米3位を記録し、クアッドプラチナに認定された。
93年公開の映画「インデセント・プロポーズ」でシャーデーの「No Ordinary Love」が使用され、翌年のグラミー賞では最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞。

95年、アデュはジャマイカ人音楽プロデューサーのボブ・モーガンとともにジャマイカへ移住。
翌年長女を出産し、しばらくシャーデーとしての活動は休止する。
シャーデー休止中の96年に、アンドリュー・ヘイル、ポール・スペンサー・デンマン、スチュワート・マシューマンはサイドプロジェクトとしてスウィートバックを結成し、セルフタイトルのアルバムをリリースしている。

シャーデーとして活動を再開したのは2000年になってから。
10月にシャーデーはイギリスの音楽賞MOBOアワードでライブパフォーマンスを行い、11月には8年ぶり5枚目のスタジオ盤「Lovers Rock」をリリースした。
全英18位を記録したが、キャリア中トップ10入りしなかった唯一のスタジオアルバムとなった。(全米は3位)
2002年には最優秀ポップ・ボーカル・アルバムのグラミー賞も受賞。
バンドは2001年を通して全米ツアーを行い、ライブアルバム「Lovers Live」もリリースされた。

しかしツアー終了後、シャーデーは再び活動を休止。
アデュは音楽を急いで発表するつもりはなく、売るためだけにリリースすることには興味がないと述べ、イギリス南西部の田舎に移り住み、石造りのコテージを購入・改装するなどして過ごしていたそうだ。
真の理由は本人に聞かないとわからないが、結果的に活動休止期間は8年にも及んだ。

結局バンドはアデュの意志により休止したり復活したりだったようだ。
アデュは活動休止中にセッションのアイディアを集め始め、2008年にバンドを再結成してレコーディングを始めるようメンバーに電話。
急遽招集されたメンバーはそれぞれの仕事をやめてピーター・ガブリエル所有のスタジオに集合し、2009年6月よりレコーディングを開始。
メンバー全員が顔を合わせるのは、2001年のツアー終了以来初めてのことだった。
活動休止して8年も経ってんのに、突然呼び出されてもみんなちゃんと集まってアルバム作れるって、すごい話だなぁ・・
それはバンドの絆なのかアデュの恐怖政治なのかはわかりませんけど。

レコーディングは2009年夏に終了し、翌年2月に10年ぶりの新盤「Soldier of Love」として発表された。
アルバム「Soldier of Love」は全英4位、全米では85年の「Promise」以来25年ぶりの1位となった。
音楽評論家からも好評を博し、最優秀R&Bパフォーマンスグループのグラミー賞を受賞。
3曲がシングルカットされ、最初のシングル「Soldier of Love」は全米R&Bチャートで6位を記録した。
現時点ではこのアルバムが最新作である。
2018年7月にスチュアート・マシューマンは音楽雑誌インタビューで「シャーデーは7枚目のスタジオアルバムを制作中」と語ったが、まだ発表はされていない。

なおシャーデーは2017年公開の映画「Widows(妻たちの落とし前)」のサウンドトラックで「The Big Unknown」を、また翌年にはディズニー映画「五次元世界のぼうけん」のサウンドトラックで新曲「Flower of the Universe」を制作している。

以上がシャーデーのオシャレでハイセンスなアジェンダのサマリーである。(適当)
知ってた話はもちろん皆無。
ライブ・エイド出演も全然知らなかった。

前述のとおりアデュ本人はシャーデーをジャズにくくられるのは本意でないそうだが、ジャズ要素を含む音楽性であることは確かなようだ。
ウィキペディアによれば「ネオソウルという音楽ジャンルに影響を与え、1980年代に、ソウル、ポップ、スムースジャズ、クワイエットストームの要素を取り入れた洗練されたポップスタイルの曲で成功を収めたとされている。」とある。
そう言われても全然わからないですけど・・

「Smooth Operator」はジャズというよりゆるやかなレゲエ調のリズムに乗せたR&Bという感じがする。(知ったかぶり)
いずれにしろメタルやグランジやプログレや産業ロックといったジャンルとは縁遠い位置にいる人たちだと思う。
だが一方でシャーデーは多くのラップやヒップホップ、オルタナのミュージシャンから支持されており、ラキムやリック・ロス、カニエ・ウェストなどのラッパー達はいずれもシャーデーのファンであることを公言しているそうだ。

「Smooth Operator」の意味もわからずぼんやり聴いていたが、歌詞を見ると「口のうまい人・要領のいい人」のことのようだ。
アメリカのあちこちでうまいこと女をだまして飛び回る悪いヤツ・・といった内容。

シャーデーを語る多くのサイトに書いてあるが、人気の理由のひとつにアデュのルックスを含む優雅な魅力があるようだ。
どのアルバムもジャケットはアデュだけであり、やはり彼女のビジュアルもバンドを牽引してきたことは間違いない。
そういう意味ではブロンディプリテンダーズと同様の「バンドを率いる美女と存在感の薄い野郎ども(失礼)」という構成である。

というわけで、シャーデー。
聴くとしたらやはり「Smooth Operator」収録の「Diamond Life」から順番に・・でしょうか。
スタジオ盤は6枚なので、その気になれば全盤制覇も不可能ではなさそうですが、ジャズに疎い自分でも聴けそうな、ジャズ香の薄い作品がもしあれば教えていただけたらと思います。

Diamond-life
シャーデー Diamond Life
Promise
シャーデー Promise
Smooth-operator
スムース オペレーター

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