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聴いてない 第322回 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

長い名前と短い活動期間のバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。
全然聴いてません。
唯一聴いているのは「Have You Ever Seen the Rain?(雨を見たかい)」だけ。
FMの「アメリカン・ポップスDJ」という特番で、シカゴの「長い夜」やモンキーズの「恋の終列車」、ブレッド「二人の架け橋」などとともにオンエアされ、番組まるごと録音している。
バンド名が長すぎてテープのインデックスに書けなかったので、CCRと表記した。
その後も結局アルバムは聴かなかったので、聴いてない度は2となる。

持っている情報も「雨を見たかい」以外なく、メンバーも全く知らんなぁ・・と思っていたが、ネットで調べたらジョン・フォガティの名を発見。
ただジョン・フォガティも名前を知ってるだけで曲は聴いてないので、どっちにしろ聴いてない人たちである。(論外)
ということでジョン・フォガティも含め、CCRの歴史について出口調査開始。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)は、アメリカのロックバンド。
バンドの源流は1959年カリフォルニア州エルセリートで結成されたブルー・ベルベッツ。
中学校で出会ったボーカルとギターのジョン・フォガティ、ドラムのダグ・クリフォード、ベースのスチュアート・クックが、ブルー・ベルベッツを結成。
その後ジョンの兄のトムが加入し、シングル3曲をリリース。
このシングルを聴いていたのが、後に「アメリカン・トップ40」のDJで名を馳せることになるケイシー・ケイサムだった。
当時ケイシーはオークランドのレコード会社で働いており、ブルー・ベルベッツはケイシーの紹介で64年頃にサンフランシスコの独立系ジャズレーベルであるファンタジーレコードと契約した。

だがファンタジーの経営者は契約早々バンド名をヴィジョンに変更するよう命じる。
さらにゴリウォーグスと改名させられ、6枚のシングルを発表するが、メンバーはゴリウォーグスという名前を気に入らなかったらしい。
日本のサイトでは「ゴリウォッグス」と表記されていることが多いようだが、名前の由来は19世紀末にイギリスの児童文学者フローレンス・ケイト・アプトンが考案したキャラクター「ゴリウォーグ」にあるとのことなので、ゴリウォーグスでいいと思う。

67年にファンタジーの経営者が変わり、メンバーはアルバムのレコーディング中にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルに改名することを決意した。
この長い名前は由来も話せば長いそうで、クリーデンスはトムの友人クリーデンス・ニューボールから拝借し、クリアウォーターは当時のビール会社のテレビCMから取り、リバイバルはメンバーの決意を意味している。
他にもいろいろ候補はあったらしいが、スチュアート・クックはこのバンド名を「バッファロー・スプリングフィールドやジェファーソン・エアプレインよりも奇妙だ」と発言している。

その奇妙なCCRは68年に2枚目のシングル「Suzie Q」のカバーがヒットし、全米11位を記録する。
同年5月のデビューアルバムからは、さらにシングル「I Put A Spell On You」「Porterville」がリリースされた。
アルバムはブルースやサイケな曲などを含み、当時ヒッピー文化が全盛だった西海岸で人気が出て、全米チャートでも52位となった。

翌年のシングル「Proud Mary」「Born on the Bayou」「Green River」は全て全米2位に達した。
2枚目のアルバム「Bayou Country」も7位のヒットとなり、続く70年発表のアルバム「Green River」で念願の全米1位を獲得する。
またシングル「Travelin' Band」「Lookin' Out My Back Door」も全米2位だったが、どれも1位は取れなかった。
CCRは現在まで全米シングル1位を獲得できず2位が当時最多の5曲もあるという珍しい記録を持つバンドとなった。
なおこの最多5曲の第2位シングルという記録は、後にマドンナ(6曲)、テイラー・スウィフト(7曲)、ドレイク(9曲)によって塗り替えられている。

またCCRは69年のウッドストック・フェスティバルにも出演したが、ジョン・フォガティが演奏の出来に満足していなかったため、映画やサントラには収録されなかった。
なのでCCRが実はウッドストックに出ていたことを知らない人も多いそうだ。
(自分も知りませんでした・・)

70年には「Cosmo's Factory」「Pendulum」の2枚のアルバムを発表。
「Cosmo's Factory」は全米1位、「Pendulum」も5位を獲得した。
翌年のシングル「Have You Ever Seen the Rain?(雨を見たかい)」も大ヒット。
この曲がCCRの代表曲なんだから当然1位やろと思っていたが、実績は意外なことに最高8位だった。

「雨を見たかい」が代表曲となった理由のひとつに話題性があった。
歌詞の「雨」はベトナムにおける米軍のナパーム弾爆撃を指しており、曲は反戦歌であるという説が、当時のヒッピー文化の中で広まったためだ。
自分も雑誌やラジオ番組でこの話を見聞きしており、さっきまで反戦歌だと思っていた。
しかしジョン・フォガティは「歌詞はバンド崩壊を表したもの」と発言し反戦歌説を否定しているそうだ。

人気が出たら内紛が起こるのがロックバンド。
ジョンの予告?どおりCCRもこのバンドあるある展開をたどることになる。
原因はメンバー間の労働負担と人気のバランスにあった。
ジョン・フォガティが作曲や演奏の中心だったため、人気もジョンに集中しメンバーの間に軋轢が生じてくる。
実兄トムはバンドのマネージャーも兼務していたが、ジョンとの仲が悪くなり、71年に脱退。

ジョン・フォガティはCCRのパワーバランスを見直し、ダグとスチュアートに民主的な運営を提案。
残った3人で活動を続けることになる。
72年には3人で来日し名古屋・大阪・東京で公演を行ったが、なぜか「雨を見たかい」は演奏していない。
淡泊で短時間なステージに不満だったファンも多かったらしい。

新生民主CCRとして3人がそれぞれ曲作りに励んだはずだったが、意見や主張のすれ違いが起こり、バンド内の緊張は高まるばかりだった。
そんな中で作られた72年のラストアルバム「Mardi Gras」は、3人がほぼ均等に作曲とボーカルを分け合う構成だった。
アルバムは全米12位のゴールドディスクとなり商業的には成功し、シングル「Sweet Hitch-Hiker」も全米6位、「Someday Never Comes」は25位を記録した。
しかしこの2曲もやはりジョンの作品だったため、金銭面や法的な問題が重なり、バンド内の不安定な状況がさらに悪化。
CCRはアルバムツアー終了直後の72年10月に解散した。

ロックバンド解散は世界中で起こってきた話だが、CCRの場合も相当深刻な決裂だったようだ。
先に脱退したトム・フォガティは74年にソロアルバム「Zephyr National」を発表。
CCRのメンバー3人も参加したが、みんないっしょの同時演奏ではなく、ジョンのパートは別録音だった。
これが結果的にCCRの4人が参加した最後のアルバムとなった。
リンゴ・スターの「Ringo」と同じ図式である。

しかしトム・フォガティはソロではCCRほどの実績は残せず、また弟ジョンのソロ活動にも遠く及ばないまま、90年9月にアリゾナ州の自宅で輸血によるエイズ合併症で亡くなった。
兄弟はトムの死の直前になんとか和解しており、トムの葬儀ではジョンが弔辞を述べている。

弟ジョン・フォガティもCCR解散後ソロとして活動し、85年にはアルバム「Centerfield」で全米1位を獲得している。
ソロになってもCCRの曲は演奏しないと決意していたが、関係者やファンから苦情を受け、心労のため発声障害が再発。
声も出なくなるほど悩んでCCRの名曲演奏をかたくなに拒否していたジョンだったが、ボブ・ディランジョージ・ハリスンの助言もあり、87年のベトナム戦争退役軍人のための独立記念日慈善コンサートで、ついに「Born On The Bayou」「Proud Mary」などのCCRのヒット曲を演奏した。

だがジョン・フォガティのCCRにからむ苦難はさらに続く。
大ヒットアルバム「Centerfield」を巡っても、収録曲「The Old Man Down the Road」がCCRの「Run Through the Jungle」のパクリだとファンタジーレコード側から訴えられてしまう。
裁判所での証言中、ジョンはギターを持ち込んで2曲のパクリ疑惑部分を比較演奏し、「似ているように聞こえるかもしれないが、耳の肥えた人には違う曲だとわかる」ことを実証してみせたそうだ。(面倒くさそう・・)
この訴訟ではジョンが勝訴となったが、心身ともに疲れきったジョンはその後も度々活動を休止することになる。

93年にCCRはロックの殿堂入りを果たす。
ファンや関係者の誰もがこの機に再結成を望んだが、メンバー間の軋轢はそんな生やさしいものではなかったようだ。
ジョンは式典でのダグとスチュアートとの共演を拒否。
しかもダグとスチュアートはステージに上がることも禁じられ、ジョンはブルース・スプリングスティーンやロビー・ロバートソンを含むオールスターバンドとCCRの曲を演奏した。
ダグとスチュアートは客席のテーブルに座っていたが、ジョンの演奏が始まった直後に激怒して会場を出て行ってしまう。

アタマに来たダグとスチュアートは、95年にスティーブ・ガンナー、ジョン・トリスタオ、元カーズのエリオット・イーストンとともにクリーデンス・クリアウォーター・リヴィジテッドを結成。
リヴィジテッドはCCRの名曲を演奏しながら、2020年まで世界ツアーを続けてきた。
だが、結成直後にはやっぱりジョン・フォガティからバンド名の無断使用で訴えられ、やむを得ず一時期「コスモズ・ファクトリー」に変更していた。(後にリヴィジテッド側が勝訴)
つくづく仲の良くない人たち・・・

かたくななジョン・フォガティの姿勢にわずかな融解の兆しが見られたのは2011年頃。
再結成の可能性について新聞記者から尋ねられたとき、ジョンは「可能性はある。でもその電話はダグやスチュアートではなく外部からかかってくるかもしれないね」と答えた。
一方でダグとスチュアートは翌年の雑誌インタビュー記事で「CCRの再結成には興味がない」と述べている。
スチュアートはジョンの談話を「ジョンのイメージアップのための単なる練習」と切り捨て、ダグは「20年前ならいいアイデアだったかもしれないけど、もう遅すぎる」と答えている。
双方の温度差は現在も変わっていないようだ。

以上がCCRの栄光と摩擦と怨念のワンダーランド・名勝負数え歌である。
知ってた話は全くなし。
そもそもジョン・フォガティがCCRに在籍してたことも、85年のソロアルバム「Centerfield」で全米1位を獲得してたことも全く知らなかった。(ド素人)
85年ならば「サンスイ・ベストリクエスト」や「ベストヒットUSA」や「11PM秘湯の旅」を毎回欠かさずチェックしていた時代である。
が、残念ながらジョン・フォガティの曲を録音する機会もなく、オンエアを聴いた記憶もない。
柏村武昭は何をしていたのだろうか?(毎度人のせい)
エリオット・イーストンがクリーデンス・クリアウォーター・リヴィジテッドに参加してたことも驚きでしたけど。

それにしても想像を超えるメンバー間の軋轢である。
ハデに解散したビートルズでさえ25年後にアンソロジーを成功させ、モメ事御大リッチー・ブラックモアもジョー・リン・ターナーとは和解して共演もしてるのに、ジョン・フォガティは未だにダグとスチュアートとは再会もしてないらしい。
お互いに言い分はあろうが、ここまで長期間こじれてしまうと回復や再結成はもうムリなんじゃないかと思う。
モメてるバンドが好きな自分ではあるけど、なんか深刻すぎてあまり深入りする気が起きない・・

というわけで、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。
活動期間4年でオリジナルアルバム7枚だそうなので、全盤制覇も不可能ではないと思いますが、自分が試すならまずは「雨を見たかい」収録の「Pendulum」からと考えております。
他におすすめのアルバムがあればご指導いただけたらと思います。

Pendulum

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル Pendulum

Centerfield
ジョン・フォガティ Centerfield
Clearwater
クリアウォーターリップルパターン スイミングプールテクスチャエリアラグ

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