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聴いてない 第320回 オーシャン・ブルー

今日のお題はオーシャン・ブルー。
なんかありふれてて同じ名前のバンドが複数存在するかもしれないが、自分が知ってるのは93年に「Sublime」を歌っていた人たちである。
ただし聴いたのはこの曲だけで、メンバーや人数など他の情報は全くわからない。
当時の若者が全員熱狂していた・・というバンドではないと思うが、人気や知名度はどうだったんだろうか。
聴いてない度は2。

ネットでオーシャン・ブルーを検索すると稲垣潤一やユーミンの曲についての情報ばかり表示される。
このバンドを深掘りして聴いてきた人は日本にはあまりいないようだ。
インディーズ系バンドとされているが、調べてみると経歴や展開は少し変わっており、インディーズを経てメジャーに躍進という順路とはむしろ逆のコースをたどっている。
英語のページも含め、なんとかかき集めた情報は以下のとおり。

オーシャン・ブルーは、1986年にペンシルベニア州ハーシーで結成されたアメリカのインディー・ポップ・バンドである。
なおハーシーという街は全米最大のチョコレート製造会社ハーシーの本部がある場所。
個人的にはハーシーあんまし好きじゃないですけど。
やはりチョコレートは日本のメーカーのものが繊細でうまいと思う。

メンバーは中学生の頃に出会い、音楽活動を始める。
・デヴィッド・シェルゼル(Vo・G)
・スティーヴ・ラウ(K・Sax)
・ボビー・ミッタン(B)
・スコット・ストウファー(D)

ただしスコット君はデビュー前に脱退し、ロブ・ミニグが加入。
高校在学中にデモテープ制作を開始し、そのうちの2曲が地元のラジオ局のコンピレーションアルバムに収録された。
すると卒業前にもかかわらずメンバーはワーナー系メジャーレーベルのサイアー・レコードと契約を結ぶことになる。
チョコレート工場の街出身の高校生バンドがなんでいきなりメジャーレコードでデビューできたのかはよくわからないが、「長い下積みを経て念願のメジャーデビュー」といった苦労人コースはたどっていないらしい。
89年のファーストシングル「Between Something and Nothing」はビルボード・オルタナティブ・ソング・チャートで2位、続く「Drifting, Falling」は10位を記録し、アルバム「The Ocean Blue」は15万枚を売り上げた。

91年にセカンドアルバム「Cerulean」をリリース。
シングル「Ballerina Out of Control」はオルタナチャート3位、「Mercury」は27位にランクインした。
93年のアルバム「Beneath the Rhythm and Sound」も10万枚以上のセールスを記録し、シングル「Sublime」はオルタナチャートで3位となった。
だが「Sublime」が、現時点ではチャートに登場した最後の曲となっている。
自分はほぼリアルタイムで聴いているが、聴いた時点で人気・実績はピークだったことになる。
デビュー直後のヒット曲のように勝手に思っていたが、違ったようです。

サイアー・レコードとの契約もここで終了する。
もともとアルバム3枚という契約だったので、バンドとレコード会社は決裂したのか円満終了だったのかは不明だが、この後オーシャン・ブルーはメジャーからインディーズレーベルに移籍する。
この展開はけっこう珍しいのではないかと思う。

その後キーボード奏者のスティーヴ・ラウは音楽ビジネスに興味を持ち始め、ニューヨークでレコード会社を設立しバンドを脱退。
入れ替わりでオード・ローンが加入し、96年にマーキュリー・レコードと契約。
ポリグラムレーベルから4枚目のアルバム「See the Ocean Blue」をリリースする。
しかしチャートや売り上げで実績を残せず、ついにバンドはメジャーからインディーズに移ることになる。

99年、バンドは5枚目のアルバム「Davy Jones' Locker」をセルフ・リリースした。
タイトルを見て「デイヴィー・ジョーンズって、モンキーズの人のこと?」と思ったが、そうではなく「Davy Jones' Locker(デイヴィー・ジョーンズの監獄)」は海底を意味する言葉で、溺れた船乗りの死や船の沈没を表す英語の慣用句・・だそうです。
自前で作ったこのアルバムは、2年後にリマスター盤としてインディーズレーベルのマーチ・レコードから再リリースされている。
その直後、ドラマーのロブ・ミニグが脱退。
ロブ在籍中からバンドをサポートしてきたピーター・アンダーソンが正式メンバーとなる。

21世紀になってもオーシャン・ブルーはメジャーレーベルに戻ることはなかった。
2004年、W.A.R.レーベルから6曲入りのEP「Waterworks」をリリース。
2006年6月には、初の南米コンサートを行った。
この後しばらく新譜発表やライブを行わず、オーシャン・ブルーは停滞したかに見えた。

復活したのは2013年。
オーシャン・ブルーは1月にミネアポリスで2006年以来となるコンサートを行った。
3月にはシングル「Sad Night, Where Is the Morning?」とアルバム「Ultramarine」がコルダ・レコードからリリースされた。
コルダ・レコードは、デヴィッド・シェルゼルを含む数人のアーティストによって2012年に結成された、ミネアポリスを拠点とするレコード・レーベルである。
コルダとはスウェーデンの和音の意味で、翻訳ソフトだと「コルダ」となっているが、スペルは「Korda」なのでおそらく発音は「コーダ」だと思う。

2014年9月、オーシャン・ブルーは2004年にリリースした「Waterworks」に3曲を追加し、フル・アルバムとして再発した。
また翌年バンドはサイアー・レコードと協力し、初期の3枚のアルバムをLPレコードで再発している。
この展開を見ると、サイアー・レコードとの契約終了は決裂ではなかったと思われる。

現時点での最新作は2019年のアルバム「Kings and Queens / Knaves and Thieves」。
今年も年末まで全米各地でのコンサートが予定されているようだ。

唯一聴いた「Sublime」は、楽しそうなリズムに明るいメロディで、学園アニメのエンディング曲みたいなイメージだ。
MTVの音声をテープに録音したのだが、続けてオンエアされそのまま録音したのがキンクスの「Only a Dream」である。
なので自分の中ではこの2曲がセットで記憶されている。

今回「Sublime」以外の曲もいくつかネットで聴いてみたが、雰囲気はどれも似ていると感じた。
なのでまた勝手な解釈になるが、このバンドももう5年早く登場していたら、80年代の輝かしい音楽シーンにがっちり浸ったんじゃないかと思う。
「Sublime」は93年発表だが、すでにニルヴァーナの「Nevermind」は発売されて2年ほど経過しており、全米を暗いグランジの波が覆い尽くしていた時期である。
80年代の残り香をまとった文字通り青いサウンドと歌詞のオーシャン・ブルーが、グランジの高波の中で支持され続ける・・のはやはり難しかったのではないだろうか。

というわけで、オーシャン・ブルー。
聴くとしたら「Sublime」収録の「Beneath the Rhythm and Sound」かなと思っています。
今回はかなりコアなバンドだったようなので、情報をお持ちの方がおられるかわかりませんが、日本で入手可能かどうかも含め、教えていただけたらと思います。

The-ocean-blue
オーシャン・ブルー The Ocean
Beneath-the-rhythm-and-sound
オーシャン・ブルー Beneath the Rhythm & Sound
Halls-ocean-blue
モンデリーズ ホールズ オーシャンブルー 12粒 ×15個

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聴いてない 第319回 テン・イヤーズ・アフター

ブルース・ロックの元祖といわれるテン・イヤーズ・アフター。
元祖だけど1曲も知らない。
メンバーの名前も人数もわからず、バンド名だけをなぜ知っているのか謎だが、「夜明けのない朝」のジャケットだけ見覚えがある。
この歳になってもまだこういう「全く知らない」バンドが続出するという治療不可状態である。(今さら)
74年に一度解散してるそうなので、10年どころか解散後50年も経ってるバンドだが、50年記念に調べてみました。(適当)

テン・イヤーズ・アフターはイギリスのブルース・ロック・バンド。
バンドの源流は、60年代にノッティンガムで結成されたイヴァン・ジェイ&ザ・ジェイキャッツというグループ。
このグループにいたアルヴィン・リーとレオ・ライオンズが中心となって66年にテン・イヤーズ・アフターに改名。
バンドの名前の由来には諸説あるようで、レオ・ライオンズが雑誌で見つけた「Suez Ten Years After(スエズ危機)」という本の広告から拝借した説、「10年後もバンドが継続してるように」という願いを込めた説などがある。

バンドはマーキー・クラブでの継続的演奏や、ウィンザー・ジャズ・フェスティバルでのパフォーマンスが評価され、デッカの子会社であるデラム・レコードと契約。
67年10月、デビュー・アルバム「Ten Years After」をリリースする。
メンバーは以下のみなさんである。
・アルヴィン・リー(Vo・G)
・レオ・ライオンズ(B)
・チック・チャーチル(K)
・リック・リー(D)

リーさんが二人いるが、兄弟や親戚ではない。

68年、北欧とアメリカをツアーした後、ライヴ・アルバム「Undead(イン・コンサート)」をリリース。
2枚目のアルバムがライブ盤という大胆な展開だが、彼らの魅力はやはりライブにあったようだ。
69年にはニューポート・ジャズ・フェスティバルやシアトル・ポップ・フェスティバルに出演。
さらに同年8月にはあのウッドストック・フェスティバルにも登場している。
4作目のアルバム「Sssssh(夜明けのない朝)」は全米20位・全英4位の大ヒットを記録し、世界的な大きな成功を収めた。
・・・「夜明けのない朝」ってのはいい邦題だけど、原題の「Sssssh」ってどういう意味?

70年の「Love Like a Man」は全英チャートで10位を記録し、グループ唯一のトップテンヒット曲となった。
同年7月にはストロベリー・フィールズ・フェスティバルやワイト島フェスティバル1970に出演した。

71年にバンドはレコード会社を移籍し、アルバム「A Space in Time」をリリース。
このアルバムには彼らの最後のヒット曲「I'd Love to Change the World」が収録されている。

72年5月にプロコル・ハルムとのジョイント・コンサートで初来日。
同年9月、アルバム「Rock & Roll Music to the World」を発表。
翌年にはアルバート・ハモンドとともに再び来日し、2枚組ライブ盤「Ten Years After Recorded Live」をリリースした。

だが74年の「Positive Vibrations」発表直後バンドは解散する。
理由は不明だが、その後の展開を見るとアルヴィン・リーと他のメンバーとの間に確執があったものと思われる。
解散後アルヴィンはソロに転向したが、すぐに自身のバンド「テン・イヤーズ・レイター」を結成。
本人たちに聞いてみないとわからないが、アルヴィンのこういう行動が他のメンバーにイヤミと受け取られた面はあるんじゃないかと思う。
なおベースのレオ・ライオンズはプロデューサー業に転じ、UFOを手掛けて成功を収めた。

いろいろありそうなテン・イヤーズ・アフターだったが、83年にはオリジナル・メンバーによるステージが実現する。
この時はイベント出演のための一時的な再集結だったが、89年に再びオリジナル・メンバーでアルバム「About Time」を発表した。
バンドはその後も断続的に活動し、97年からは南米やヨーロッパでのツアーやイベントで演奏を行った。

2003年にアルヴィン・リーが脱退し、ジョー・グーチが加入。
2004年に自主レーベルを設立し、アルバム「Now」を発表。
2008年にはアルバム「Evolution」をリリースするが、アルヴィンのいないテン・イヤーズ・アフターの活動が話題になることはなかったようだ。

2013年3月、アルヴィン・リーが心臓手術後の合併症のため68歳で急死した。
同年12月にはジョー・グーチとレオ・ライオンズが脱退する。
2014年、マーカス・ボンファンティとコリン・ホジキンソンが加入。
2017年、9年ぶり13枚目のアルバム「A Sting in the Tale」を発表。

以上がテン・イヤーズ・アフターの50年以上にわたる歴史である。
知ってた話は一切なし。
現在も活動中だが、基本的には初期のジャズやブルース系の音楽性が評価されているバンドのようだ。
テン・イヤーズ・アフターを紹介するどのサイトでもアルヴィン・リーは「元祖速弾きギタリスト」「マシンガン・ピッキング」などと書かれており、フォロワーも多いとのこと。
じゃあ具体的に誰がフォロワーなのか?と思ったが、そこまで詳細に記したサイトは見つからない。

今回テン・イヤーズ・アフターの曲をいくつかYou Tubeで聴いてみた。
さすがに50年前の音なのでシンプルで乾いた感じがするが、アルヴィン・リーのギターは確かにテクニカルで、ライブ向きの演奏である。
「Crossroads」も聴いてみたが、さすがにクリームと比べるとやや重厚感や一体感が足りない感じがした。

「夜明けのない朝」のジャケットだけ見覚えがあると書いたが、実物のレコードではなく、雑誌(たぶんミュージックライフ)のレビューで見たような気がする。
メンバーの顔が重なったややオカルトチックなアートで、勝手にプログレのような音楽かと思っていた。

というわけで、テン・イヤーズ・アフター。
興味があるのは一応「夜明けのない朝」なのですが、このバンドにおいてはライブ盤を推す方が多いようなので、ライブ盤も含めておすすめのアルバムを教えていただけたらと思います。

Undead
テン・イヤーズ・アフター イン・コンサート
Ssssh
テン・イヤーズ・アフター 夜明けのない朝
10
荻原博子 10年後破綻する人、幸福な人

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