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聴いてない 第314回 ロビー・ネヴィル

今日ご紹介するのはロビー・ネヴィル。
おそらく日本では一発屋と評される気の毒な歌手だと思いますが、ご存じでしょうか?

ロビー・ネヴィル、聴いているのはその一発当たった86年の大ヒット曲「C'est la Vie(セ・ラ・ヴィ)」だけ。
聴いてない度は2だけど、自分と同じ状態の人は多いと思う。
ネット上でも彼を語るサイトはあまり多くなく、まあ一発屋なんで仕方がないかと思っていたが、情報をかき集めていくうちに意外な事実が判明。
歌手としての実績は確かに「C'est la Vie」を含む数曲程度だが、他のミュージシャンへの曲提供や演奏やプロデュース実績は想像をはるかに上回るものだった。

ロビー・ネヴィルは1958年10月ロサンゼルス生まれ。
11歳でギターを弾き始め、アマチュア時代はカバーバンドで演奏。
83年にオリジナル曲を発表し始め、他のアーティストに向けに曲を作っていたが、86年にマンハッタン・レコードと初めてレコーディング契約を結ぶ。
当時マンハッタンはEMIアメリカ傘下の新鋭レコード会社で、カナダの新人バンドのグラス・タイガーを成功に導き、勢いに乗っていたところでロビー・ネヴィルを発掘。
デビューアルバム「Robbie Nevil」を発表すると、シングル「C'est la Vie」がビルボード・ホット100でいきなり2位を獲得する。
さらにシングル「Dominoes」も14位、「Wot's It To Ya」が10位を記録。
うーん・・ということは、少なくとも本国アメリカでは一発屋ではなかったんスかね?

88年にはセカンドアルバム「A Place Like This」をリリース。
シングル「Back on Holiday」は全米34位、「Somebody Like You」は63位と健闘はしたものの、前作を超える実績には及ばなかった。(アルバムは全米118位)

91年に再起を賭けてアルバム「Day 1」を発表。
シングル「Just Like You」は全米25位、「For Your Mind」は86位。
善戦はしたと思うが、アルバムは200位にも入らず、歌手としてのオリジナルアルバム発表はこれで終了となった。
アルバムを3枚発表して終了って、本人は後悔しなかったのだろうか?

しかしロビーの音楽活動はまだ続きがあった。
この後は多くの著名なアーティストへの曲提供、歌・演奏、アレンジ、プロデュースを幅広く手がけていく。
ロビーの公式サイトを見ると、ド素人の自分でも知ってる人や曲がたくさん掲載されている。
・ポインター・シスターズ「Contact」:作詞作曲
・ジェシカ・シンプソン「Woman In Me(featuring Destiny's Child)」:プロデュース
・映画「カクテル」サウンドトラック:「Since When」:作詞作曲・歌・プロデュース
・ベイビーフェイス「Simple Days」:作詞作曲
・デイヴ・リー・ロス「A Lil' Ain't Enough」「Shoot It」:作詞作曲(デイヴとの共作)
・エターナル「This Love Is for Real」:作詞作曲
アース・ウィンド&ファイアー「You and I」:作詞作曲
・エル・デバージ「Someone」:作詞作曲
・スティービー・ニックス「Silent Night」(A Very Special Christmas):バックボーカル
スターシップ「It's Not Over」:作詞作曲
シーナ・イーストン「You Make Me Nervous」:作詞作曲
ケニー・ロギンス「What a Fool Believes」:アレンジ
・テイラー・デイン「Naked Without You」:アルバムプロデュース
・松田聖子「I'll Be There For You」:作詞作曲・歌

2006年には西海岸のロックバンド、スマッシュ・マウスのアルバム「Summer Girl」でマシュー・ジェラードとコラボレーション。
ジェラードは以前からディズニー映画の曲を書いており、その縁でロビーも「チーター・ガールズ」「ハイスクール・ミュージカル」「ハンナ・モンタナ」などのディズニーの映画やテレビドラマなどの仕事につながった。
2011年からはソニー傘下のエクストリーム・ミュージックで制作や作曲、プロデュースを行っている。

以上がロビー・ネヴィルの音楽活動の足跡である。
知ってた話は今回も全くなし。
90年代以降は完全に裏方として業界を支えてきたことも知らなかった。

自身のアルバムのクレジットを見るとわかるが、大半の曲が共作で、一人で作った曲はほとんどない。
また他のアーティストへ提供した曲も共作が多く、シングルカットされたりヒットしたりはしておらず、基本的にアルバム収録曲である。
自分一人で作って好きなように歌うという傲慢なオレ様タイプではなく、周囲のミュージシャンと協力しながら楽しく仕事をする人のようだ。
「C'est la Vie」の大ヒットをハナにかけて若手にマウントをとったり後輩のケツをバットで殴ったり・・という不適切なことはしていないと思う。

だが。
「C'est la Vie」の実績を調べてみると、どれだけすごいヒットだったかがよくわかる。
・全米2位(ダンス&ディスコ・クラブ・プレイチャートでは1位)
・全英3位
・カナダ・フィンランド・スイスで1位
・アイルランド・スウェーデン・西ドイツで2位
・ノルウェー・オーストリア・オーストラリアで4位
・スペイン7位、ベルギー13位、オランダ18位

とにかく当時欧米でサルのように売れた曲なのだ。
こんだけ売れたなら少しくらいはハナにかけてもいいかもしれない。
ちなみに「C'est la Vie」の全米1位を阻んだのは、グレゴリー・アボットの「Shake You Down」とビリー・ヴェラ・アンド・ザ・ビーターズの「At This Moment」だったそうだ。

自分は「C'est la Vie」をほぼリアルタイムで「クロスオーバー・イレブン」から録音している。
たまたま60分テープのB面ラストに録音したのだが、同じテープに録音したのがクラウデッド・ハウスの「Don't Dream It's Over」やスティーブ・ウィンウッド「Back In The High Life Again」などヒット曲ばかりだったので、ロビー・ネヴィルも含めてよく聴いたほうだ。
どこかけだるいリズムにガヤガヤした演奏、タイトルコールに「That's Life!」という合いの手が重なり、思った以上に聴きやすいし、今聴いてもそれほど古さを感じない。
またエンディングはフェードアウトでいったん無音になり、しばらくして同じリズムとメロディで戻ってくるという演出がある。
このあたりもビートルズのようで面白いと思っていた。

というわけで、ロビー・ネヴィル。
オリジナルアルバムは3枚だけなので学習も難しくはなさそうですけど、そもそも日本で入手可能なんですかね?
聴くとしたら当然デビューアルバムは外せないと思いますが、みなさまの鑑賞履歴や「C'est la Vie」以外の曲をご存じでしたら教えていただけたらと思います。

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ロビー・ネヴィル Robbie Nevil

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ロビー・ネヴィル A Place Like This
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聴いてない 第313回 ヴァネッサ・カールトン

一度聴いたら忘れないような、印象的なイントロという曲はいくつかあると思う。
ビートルズには「A Hard Day's Night」や「Let It Be」など数多いし、個人的にはイーグルス「Hotel California」やクイーンの「Tie Your Mother Down」、TOTO「Africa」やパープルの「Burn」なども当てはまる。
で、その昔ラジオから聞こえてきた「A Thousand Miles」も、思わず「おお・・」と反応してしまうくらい印象的なイントロだった。
曲名とアーティスト名を知ったのは少し後。
歌っていたのはヴァネッサ・カールトンである。

印象的で思わず反応とか言ってるけど、結局ヴァネッサ・カールトンの曲は「A Thousand Miles」しか知らない。
聴いてない度は2。
自分は長いこと勉強もせずFM放送やMTVを音源に60分テープのコレクションを作ってきたが、その最後の128本目に「A Thousand Miles」を録音している。
(MTVの2002年末特集を丸録り)
なのでリアルタイムで聴いたような感じにはなるが、歌い手であるヴァネッサ・カールトンについては全く情報もなくそのまま20年以上も経過。(毎度のこと)

取り急ぎ略歴を調査。
ヴァネッサ・カールトンは1980年8月16日、ペンシルベニア州ミルフォードに生まれた。
パイロットの父親と音楽教師の母親に育てられ、妹と弟がいる。
幼少の頃からクラシック音楽やバレエに親しみ、14歳でバレエ学校に入学。
卒業後はナイトクラブで歌い始め、実家に帰省していたある日ピアノで思いついたメロディを弾いてみたら、そばで聴いていた母親から「絶対ヒットする!」と言われて俄然やる気になった、という。
それが「A Thousand Miles」の原曲だそうだ。

その後ニューヨークに移り、コロンビア大学を中退しウェイトレスとして働きながら創作を続けた。
ある日プロデューサーのピーター・ジッツォと出会い、デモを録音。
A&Mレコードと契約し、アルバム制作に着手した。

だがアルバム制作は試行錯誤の連続で、一度は断念寸前まで行ったが、「Interlude」という曲のデモを聴いたA&Mの社長ロン・フェアが、自らプロデュースとアレンジを担当。
ロン社長の意向で後に「A Thousand Miles」に改題され、2001年の映画「キューティ・ブロンド」で使われ、サウンドトラックにも収録された。
だがこの曲が逆に映画のような展開となる。
ロン社長はA&M社の会長であるジミー氏に「A Thousand Miles」を聴かせたところ、ジミー会長が大感激。
まだアルバム制作中だったにもかかわらず、会長はすぐにミュージックビデオの撮影を指示。
まさかのトップダウン命令にロン社長もあわてて部下に撮影開始を伝え、年末進行でビデオが完成した。

こうしてシングル先行で「A Thousand Miles」が2002年2月に発売され、全米5位の大ヒットとなった。
さらにグラミー賞の年間最優秀レコード賞や年間最優秀楽曲賞、最優秀器楽編曲伴奏ボーカリスト賞にノミネートされた。
デビューアルバム「Be Not Nobody」も2002年4月に無事リリースされ、10万枚以上を売り上げて全米チャートで5位を獲得。
世界中で200万枚以上の売り上げを記録した。

若き才能と経営者の英断が見事に功を奏し、ヴァネッサ・カールトンはデビュー直後にいきなりスターになる。
2002年にアルバムのプロモーションのため全米ツアーを行い、グー・グー・ドールズとサード・アイ・ブラインドの前座を務めた。
同年早くも名古屋・大阪・東京で日本公演が開催され、2003年にはヨーロッパ・ツアーも行われた。

成功に気をよくしたレコード会社側の計らいもあり(多分)、デビューしたばかりなのにビッグアーティストとのコラボレーションも次々と実現する。
ジョニ・ミッチェルのレコーディングにボーカル参加したり、イタリアの歌手ズッケロの曲でピアノやバイオリンを演奏。
フォーク歌手キミヤ・ドーソンの「Moving On」ではバックボーカルを務めた。

そんな中で2枚目のアルバム「Harmonium」は2004年11月にリリースされた。
プロデュースは当時ヴァネッサと交際中だったサード・アイ・ブラインドのステファン・ジェンキンス。
しかし前作ほどの明るさがなく、シングル「White Houses」は歌詞が問題視されるなど物議を醸し、結局「Harmonium」は1年以上経っても15万枚しか売れなかった。
15万枚も売れたならええやんけとも思うが、デビューアルバムが200万枚だったらまあ15万はガッカリする数字だ。
この結果レコード会社との間にも摩擦が生じ、ヴァネッサは移籍を決意する。

3枚目のアルバム「Heroes & Thieves(英雄と盗賊)」は、アーヴ・ゴッティ、リンダ・ペリー、ステファン・ジェンキンスが共同プロデュースし、2007年10月にモータウン系レーベルのザ・インクより発表された。
実はすでにヴァネッサとステファンは破局を迎えていたが、仕事上の関係は続いていたようだ。
アルバムは評論家の支持は得たものの残念ながら商業的には失敗で、ビルボードでは44位止まりで、トップ40に入らなかった初めての作品となった。
結局ヴァネッサはこのアルバムだけでザ・インク・レコードからも去ることになる。

その後ヴァネッサは、チベット支援のために編集されたアルバム「ソングス・フォー・チベット」に曲を提供したり、慈善団体を通じて気候変動研究者らと協力するなど、社会的な活動が増えていく。
様々な体験を重ねるなか、次回作を通常のアルバムとするか映画音楽を追求するかで迷うことになる。
ヴァネッサが出した結論は「理想的な環境で完璧な音楽アルバムを録音する」ことだった。
こうしてスタッフもレーベルも刷新した4枚目のアルバム「Rabbits on the Run」は2011年7月にリリースされた。
内省的な歌詞と幻想的なサウンドは評論家からは絶賛されたが、チャートでは62位と前作よりもさらに低い評価に終わった。

2013年にヴァネッサはオルタナバンド「ディア・ティック」のジョン・マッコリーと結婚。
結婚式の司会はスティービー・ニックスが務めたそうだ。
しばらく音楽活動は休止となったが、こうした人生の変化を楽曲に反映したとされたのが2015年発表のアルバム「Liberman」である。
プロデューサーは前作に続いてスティーブ・オズボーンが担当。
スティーブは演奏や作曲でも協力しており、当時のヴァネッサのレコーディングには欠かせない存在になっていた。
チャート成績は全米32位だったが、ヴァネッサ自身はもうあまり順位を気にしなくなっていたのではないかと思う。

2017年に自身のビクターミュージックレーベルから「Earlier Things Live」というライブアルバムをリリース。
2018年末には久々の日本公演が行われた。
2019年にはキャロル・キングのミュージカル「ビューティフル」の主役でブロードウェイデビューも果たした。
現時点での最新作は2020年発表の「Love Is an Art」。
全曲がトリステン・ガスパダレックという人との共作である。

以上がヴァネッサ・カールトンの栄光と波乱のストーリー。
知ってた話は今回も全くない。

冒頭に述べたとおり、自分は「A Thousand Miles」をMTVの2002年末特集で録音したが、この年は多くの若い女性ミュージシャンがヒットを飛ばしており、番組では他にアヴリル・ラヴィーンの「Complicated」、ノラ・ジョーンズ「Don't Know Why」、シャキーラ「Whenever, Wherever」などがオンエアされていた。
2003年のグラミー賞でヴァネッサ・カールトンは年間最優秀レコード賞にノミネートされたものの、最終的にはノラ・ジョーンズが受賞したので、ヴァネッサにとっては強豪揃いの中で苦戦したとも言えそうだ。

「A Thousand Miles」は歌詞だけ読めば会えない男女の悲しい心情を歌ったものと解釈されるところだが、ヴァネッサ本人によれば「亡くなった祖父のことを想って作った」曲だそうだ。
「A Thousand」なのに「Miles」と複数形になっているのも、絶望的なほどの遠い距離を強調しているらしい。
悲しい歌詞を美しく印象的なピアノでリズミカルに進める名曲であり、繰り返しになるがとにかく「一度聴いたら忘れない」ようなイントロである。
今も世界中でプロアマ問わずこの曲を歌ったり弾いたりする人は多いようで、日本でも「A Thousand Miles」をストリートピアノで弾いてる動画もいくつか見つかる。

ここからは日本限定の話題だが、あることがきっかけで「A Thousand Miles」とヴァネッサが再び人気急上昇となった。
日本のロックバンド「ONE OK ROCK」のTakaが2014年の横浜でのライブ中、「今のところ世界でいちばん好きな曲」と紹介して「A Thousand Miles」を披露。
これを機にONE OK ROCKのファンを中心にオリジナル曲の人気も高まり、ワンオク版とともに再生回数も上昇。
レコード会社(ユニバーサル)も反応し、2020年10月には日本独自企画盤として「A Thousand Miles」も収録した「Piano Songs」の配信が始まったのである。

ONE OK ROCKの「A Thousand Miles」もYou Tubeで見たが、Takaのキーが女性並みに高く英語の歌詞もネイティブばりの発音で、元曲の雰囲気を損なうことなく歌いこなしている秀逸なカバーだ。
Takaのことも調べてみて初めて知ったが、この人はかつて元ジャニーズのNEWSのメンバー(ただし在籍期間は3ヶ月程度)で、父は森進一、母は森昌子。
国内外のミュージシャンのレコーディングにも多数参加する実力派ボーカルとのこと。
何が起きるかわからない芸能界だが、こういういい話は今後も世界中で起きていってほしいものである。

というわけで、ヴァネッサ・カールトン。
当然「A Thousand Miles」収録のデビューアルバムは外せないと思いますが、日本限定の「Piano Songs」からでもいいかなとも思っています。
他におすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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ヴァネッサ・カールトン Be Not Nobody
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ヴァネッサ・カールトン Piano Songs

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