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聴いてない 第311回 トレイシー・チャップマン

今日のお題はトレイシー・チャップマン。
昨日FMを聴いていたら「Fast Car」がオンエアされたので採り上げてみました。

トレイシー・チャップマン、予想どおり「Fast Car」しか聴いておらず、聴いてない度は2。
あとは92年のボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートで「Times They Are A-Changin'(時代は変わる)」を歌っているトレイシーを見たことがある。
映像は当時NHKで放送されたので、見た人は多いと思う。
だがトレイシーについて他のオリジナル曲やアルバムを聴くことはなく今に至る。
なので彼女の正体については何も知らない。
そこでまずは略歴を調査。

トレイシー・チャップマンはアメリカの歌手で、ウィキペディアによるとジャンルは「フォーク・ブルース・ロック・ポップ・ソウル」と書いてある。
思ったより幅広い音楽性を持っているようだ。

トレイシーは1964年オハイオ州クリーブランドで生まれた。
両親は彼女が4歳のときに離婚し母親に育てられるが、子供の頃はいじめや人種差別など苦労があったようだ。
8 歳でギターを弾き曲を書き始める。
大学で人類学を学んでいた頃、大学のラジオ局で自作曲のデモを録音した。
このデモテープがレコード会社の関係者に渡り才能が認められ、大学を卒業した後にエレクトラ・レコードと契約。

このあたりの展開が日本だと想像しづらいが、アメリカでは各大学の中に学生が運営するミニFMのようなラジオ局があり、大手レコード会社のプロモーションとは関係なく無名アーティストの楽曲を発掘しオンエアしているとのこと。
70年代末には全米のカレッジ・ラジオ局がネットワーク化され、独自のチャートを掲載する雑誌まであるそうだ。
なので「大学のラジオ曲でデモテープを作り、それがレコード会社に渡ってデビューにつながる」というのは、アメリカならではのサクセスルートだろう。

トレイシーは88年4月にデビューアルバム「Tracy Chapman」をリリースした。
リリース直後から評論家や若者に絶賛され、2ヶ月後にはロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催された「ネルソン・マンデラ生誕70周年記念コンサート」でデビュー曲「Fast Car」を演奏。
この出演によりシングルとアルバムの売り上げが大幅に加速し、「Fast Car」は2日間で12,000枚売れたとも言われている。
最終的にビルボード・ホット100で第6位を記録するヒットとなった。
アルバムも全米1位とマルチ・プラチナムを獲得し、グラミー賞で最優秀新人アーティストなど3部門を受賞した。

88年9月に「アムネスティ・インターナショナル・ヒューマン・ライツ・ナウ!」というコンサートに出演。
ブルース・スプリングスティーンピーター・ガブリエルスティング、ユッスー・ンドゥールなどと同じステージに立ち、注目の新人出演者となった。

89年にセカンドアルバム「Crossroads」を発表。
ダニー・コーチマーやニール・ヤングも参加し、全米9位・全英1位を記録した。
なので「Fast Car」だけの一発屋芸人という評価は正しくないと言える。

92年にはオマー・ハキムやマイク・キャンベル、ボビー・ウーマックなどまたしても大物先輩芸人多数参加の「Matters of the Heart」をリリース。
だが成績は全米53位と今ひとつな結果に終わる。
勝手な推測だが、この頃はすでに全米音楽業界はグランジの波に覆われており、トレイシー・チャップマンのような素朴なアーティストの売り上げにも影響したのではないかと思う。

それでもトレイシーは実直に音楽活動を継続。
95年に4枚目のアルバム「New Beginning」を発表。
それまでの顔ジャケットをやめ、花のアップ写真を採用し、文字どおり新たな出発を決意したアルバムは成功を収め、米国だけで500万枚以上を売り上げた。
このアルバムにはキャリア最大のヒットシングル「Give Me One Reason」が収録されており、97年のグラミー賞最優秀ロックソング賞も受賞。

98年にはホワイトハウス主催のスペシャルオリンピックスディナーでエリック・クラプトンと共演した。
2000年6月、カンボジアとチベットのためのチャリティーコンサートで、オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティと「Baby Can I Hold You」のデュエットを披露。

5枚目のアルバム「Telling Stories」は2000年にリリースされ、後にゴールドディスクとなった。
その後も2002年に「Let It Rain」、2005年に「Where You Live」を発表。
現時点で最新のスタジオ盤は2008年の「Our Bright Future」。
以来15年ほど新曲も新盤も発表はしておらず、時折イベントなどでステージに上がることがある、という状態。

だが「Fast Car」が歴史的名曲であることを証明するニュースが昨年報じられ、その余波が今も続いている。
昨年7月にカントリーの若手歌手ルーク・コムズがカバーした「Fast Car」がカントリー・エアプレイ・チャートで1位を獲得。
この快挙により、トレイシー・チャップマンはソロ曲でカントリーチャートの首位を獲得した初の黒人女性となった。
今月行われた第66回グラミー賞授賞式では、ルークが「Fast Car」を歌うためステージに登場。
ところがルークの横でイントロのギターを弾き始めたのはトレイシー本人だった。
トレイシーのサプライズ出演に気づいた観客からは大歓声が起こったそうだ。

「Fast Car」は他にもジャスティン・ビーバーやジョナス・ブルー、サム・スミスなどによりカバーされている。
カバーしたアーティストは10人以上にもおよび、日本でも矢井田瞳が歌詞を日本語にして歌っているとのこと。

今回も知ってた話は全然ない。
幸運なことにデビュー当時からリアルタイムで聴けたことにはなるが、デビュー曲だけの鑑賞で終わっている。

自分は「Fast Car」を88年9月頃に録音している。
MTVの音声をテープに録音したのだが、MTV側も期待の大型新人としてオンエアしたのだろう。
放送前からトレイシーの存在を知っていた日本人もほとんどいなかったんじゃないかと思う。
映像は照明が暗くトレイシーの顔も半分くらいしか見えず、声も中性的なため最初は十代の男性かと思っていた。

活動履歴を見ると、様々なジャンルのアーティスト(先輩から後輩まで)から、その実力を評価されたことがわかる。
デビュー直後からビッグイベントでビッグネームと共演し、その後もアルバムのゲストや自身のステージに数々の大物芸人を招いている。
またデビュー曲「Fast Car」が何度もカバーされているのも、トレイシーが最初からそれだけ力を持っていたからだろう。
事務所やレコード会社の力があったのかもしれないが、そう簡単なことではなく、実力が伴わなければ実現しなかったはずである。

一方で歌声や歌詞やライブでの所作などからは、非常に繊細で控えめな印象を受ける。
知り合いじゃないので断言はできないのだが(当たり前)、ディランのデビュー30周年記念コンサートでの歌い終えた後はにかみながら去って行く姿は、やはりとてもシャイな人のように感じた。
たぶんステージから「アリーナーーーーー!!」と叫んだり、全身スパンコールのボディスーツに身を包んで踊ったりはしてないだろう。
少なくとも80年代のマドンナシンディ・ローパーのようなグイグイ来る威圧系シンガーたちとは全然異なるタイプの歌手だと思う。

というわけで、トレイシー・チャップマン。
自分みたいな狭量貧弱リスナーでもトレイシーの歌なら暖かく響くのでは・・と淡い期待はあります。(本当か?)
聴くならデビューアルバムかベスト盤でいいかなとも思いますが、2000年以降の作品はどんな感じなのか、ご存じでしたら教えていただけたらと思います。

Tracy-chapman

トレイシー・チャップマン Tracy Chapman

Crossroads
トレイシー・チャップマン Crossroads

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コメント

SYUNJIさん、こんばんは。
一度も聞いたことがありませんが、名前は知っています。
私が名前を知っているのは、90年代以降の新しいムーブメントと
連動して登場した、いわば時代の旗手ではないかと思っていた
からです。

70年代に肥大化したロック産業やミュージシャンは
70年代の終わりに「ダイナソーロック」として批判の対象になりました。
「いずれ絶滅」とか「すでに化石」といったところですね。
ところが、80年代は「売れるは正義」として、商業性を
前面に出すことが当たり前になりました。マイケル・ジャクソン
とかマドンナとか。

90年代は「バカ売れロックは飽きた」といって、またしても
揺り戻しがあったと思います。で、私はこの時期は「ロックが
混沌に向かった」と思っています。
混沌の中にあるのがグランジや、チャップマンといった新しい潮流では
なかったでしょうか。

と、聞きかじったことを知ったかぶりして書いてみました。
個人的には、90年代はまだ大物再結成ブームが続いていたので
新しい潮流には目もくれず、ひたすらダイナソーロックに
明け暮れていました。それ以来ずっと変化がありません(笑)

追伸:ダイナソーロックって、検索してもヒットしません。
何で読んだのか、私も思い出せません。

投稿: モンスリー | 2024.03.05 20:59

モンスリーさん、こんばんは。

>一度も聞いたことがありませんが、名前は知っています。
>いわば時代の旗手ではないかと思っていたからです。

そうでしたか。
日本でのトレイシー・チャップマンの知名度はそれほど高くないのかもしれないですね。
グランジとは全く方向性が違いますが、それまでの80年代の音楽性やファッションとは別次元のアーティストが登場したような印象はありました。
若いうちから大きなイベントに呼ばれてスゴイなぁとは思ってました。

>70年代に肥大化したロック産業やミュージシャンは
70年代の終わりに「ダイナソーロック」として批判の対象になりました。

>90年代は「バカ売れロックは飽きた」といって、またしても揺り戻しがあったと思います。
>で、私はこの時期は「ロックが混沌に向かった」と思っています。

やはりそういうことなんでしょうかね・・
バカ売れの反動がグランジ・オルタナだったのではないかと思います。
結果的にニルヴァーナもバカ売れでしたけど・・
いつの時代でも揺り戻しやカウンターという現象は起こるのかもしれないですね。

>ダイナソーロックって、検索してもヒットしません。

自分も初めて知る言葉でしたが、日本で言う「産業ロック」が英語ではダイナソーロックだそうです。
ここのサイトに詳しい説明がありました。
https://history.sakura-maru.com/discomusic.html

投稿: SYUNJI | 2024.03.07 21:13

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