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聴いてみた 第182回 ロッド・スチュワート

先日有明アリーナでロッド・スチュワートの公演が行われ、SNSでも自分の複数の友人がタイムラインでライブの様子を発信していた。
その楽しそうなレポートをぼんやりと眺めているうちに急速に感じた危機感。(遅い)
実はロッド・スチュワートの70年代ソロ作品を全然聴いていなかったのでした。(遅い)
ということで間違った焦燥感に押し流されるようにあわてて聴いてみたのが「Foot Loose & Fancy Free(明日へのキック・オフ)」。(遅い)

聴く前にアルバム概要を拙速に学習。
「Foot Loose & Fancy Free(明日へのキック・オフ)」は77年発表。
ロッドは70年代前半はフェイセズに所属しながらソロ作品も発表していた。
75年にフェイセズは解散し、ロッドはワーナー・ブラザースに移籍。
アメリカで録音した「Atlantic Crossing」「A Night on the Town」がヒットし、引き続き多くのアメリカ人ミュージシャンが参加して完成したのが「明日へのキック・オフ」で、スタジオ盤としては8作目となる。

Foot-loose-fancy-free

ロッドのバックバンドとして演奏しているのは以下のメンバーである。
・ジム・クリーガン(G)
・ゲイリー・グレインジャー(G)
・ビリー・ピーク(G)
・フィル・チェン(B)
・カーマイン・アピス(D)
・ジョン・バーロウ・ジャーヴィス(K)

さらにスティーブ・クロッパー、ニッキー・ホプキンス、ジョン・メイオール、フレッド・タケットなどの大物芸人も参加し、豪華な内容となっている。
プロデューサーにはアメリカ進出以来成功を共有してきた信頼と実績のトム・ダウドを起用。
チャートでは1位は逃したものの、全英3位・全米2位を記録した。
構成としては「Atlantic Crossing」と同様に「A面=ファストサイド=ロック色の強い楽曲中心、B面=スローサイド=バラード・タイプの楽曲中心」となっている。

安心材料として、ロッドの代表作「Hot Legs」「You're In My Heart」や、ヴァニラ・ファッジもカバーした名曲「You Keep Me Hangin' On」が収録されている。
まあ仮に全曲初鑑賞だとしてもロッドのボーカルなので不安はあまりないはずである。
そんな思い上がった態度で聴いてみました。

・・・・・聴いてみた。

1. Hot Legs
ロッドの代表曲とも言えるガヤ系ナンバーでスタート。
意外に長いイントロからワクワクさせる。
やはりこういう下品な曲がロッドには似合う。

2. You're Insane
初めて聴く曲。
リズミカルではあるがやや重いメロディで、ベースがべんべんと響く。

3. You're In My Heart(胸につのる想い)
ファストサイドに収録されているが、思いっきりスローでおだやかな曲。
なんでA面に入ってんの?
これもロッドの代表的なバラードである。
歌詞をきちんと見たのは初めてだが、けっこういろんなことを語っている。
「You're celtic, united,」というサッカーチーム名を入れて女性への想いを語る部分が有名だそうだが、サッカー好きのロッドならではの表現だと思う。
ただ感覚的には日本人にはいまいちわかりにくい気がする。
例えば「君はガンバ、セレッソ」と言われてキュンとなる浪速女子がどれくらいいるのか・・・?

4. Born Loose
一転スピーディーなメロディのロック。
・・・と思ったら中盤でどんどんスピードが落ちてゆっくりになり、再び加速する不思議な構成。
タイトルは「生まれながらのだらしないヤツ」という意味らしい。

5. You Keep Me Hangin' On
シュープリームスの曲をヴァニラ・ファッジがカバーして大ヒットしたあの名曲を、なぜかロッドもカバー。
たぶん元ファッジのカーマイン・アピスの発案じゃないかと思う。
雰囲気はファッジ版に寄せていて、長さもキーボードもコーラスもファッジ風。
中盤の静寂のあと、ピアノやストリングスが鳴る間奏があり、ファッジ版よりも物憂い味付けになっている。
ちなみにこの曲、86年にキム・ワイルドもカバーしており、さらに日本では野口五郎や西城秀樹、五木ひろしもカバーしてたそうです・・

6. (If Lovin' You Is Wrong) I Don't Want to Be Right
この曲も聴いたことがあった。
ロッドのオリジナルかと思っていたが、元々はザ・エモーションズというグループのために書かれた曲のカバー。
他にも多くの歌手やグループがカバーしており、フェイセズも解散直前にレコーディングしたことがあるそうだ。(フェイセズとしては未発表)
スローサイドならではの憂いに満ちたバラードで、ロッドのボーカルはどんな曲でも合うのがよくわかる。

7. You Got A Nerve
さらに哀愁漂うバラードが続く。
アコースティックギターで静かに始まり、ロッドが一人で歌う。
コーラスはなく、メンバーのガヤもこの曲では聞こえない。
どこかフラメンコのようなスパニッシュな雰囲気。
時々鳴るインド風のような音は、スライドギターを使ってシタールのような音を出しているらしい。

8. I Was Only Joking(ただのジョークさ)
ラストは温かみのあるメロディのバラード。
アメリカではシングルカットもされ、22位を記録している。
この曲もアコースティックギター中心のサウンドだが、間奏ではエレキギターでのソロも入れている。
エンディングはロッドとは思えないほど声が小さくなっていて、どこか照れながら語りかけるようにささやき、静かに終わる。

聴き終えた。
当たり前だが全部ロッドのボーカルなので、やはりフェイセズよりも安心して聴ける。
本人も声が世界最強の武器であることを自覚して歌っているし、どんな曲調でもこなせる自信にあふれたアルバムになっている。
ファストサイド・スローサイドという構成も、このアルバムではうまく機能していると思う。
「You're In My Heart」がファストサイドのA面収録だけは変だけど。
発売当時から聴いていたら間違いなく定着していたはずだ。(後悔)

このアルバムがロッドの最高傑作であり頂点と評するファンも多いようだ。
この後の「スーパースターはブロンドがお好き」からディスコサウンドを採り入れるなど産業ロック化していき、日本では大ヒットしたが、古くからのファンには評判が悪くなっていったらしい。
本人はあまり気にしてなかったと思うが、キャリアの中では80年代はそれほど評価されていない、ということになっている。
個人的には「Tonight I'm Yours」「Baby Jane」「Infatuation」「People Get Ready」「Every Beat of My Heart」「Lost in You」など、80年代のシングルこそむしろマメに聴いてきたクチなので、そうなの?とも思うが。
実際79年の「Da Ya Think I'm Sexy?」以降10年間は全米・全英ともトップ10入りした曲がなく、再びトップ10入りしたのは89年「Downtown Train」である。

というわけで、「明日へのキック・オフ」。
これは非常に良かったです。
名曲の連続でアルバムとしてのまとまりもあり、ベスト盤くらいの水準にあるんじゃないかと感じました。
この前の作品である「Atlantic Crossing」「A Night on the Town」も、早急に鑑賞しておきたいと思います。
 

Foot-loose-fancy-free

ロッド・スチュワート 明日へのキック・オフ

Atlantic-crossing
ロッド・スチュワート Atlantic Crossing
A-night-on-the-town
ロッド・スチュワート A Night on the Town

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聴いてない 第312回 ロマンティックス

名前はとてもわかりやすいけど、日本での知名度はおそらくC-C-Bよりは低いであろう、ザ・ロマンティックス。
もちろん聴いてないのですが、みなさんはこのバンドご存じでしょうか?

ロマンティックス、聴いてるのは大ヒット曲「Talking in Your Sleep」と、「One In A Million」の前半。
どっちも当時の若者向け一流FM音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音したが、「One In A Million」はテープが足りず途中で切れてしまい、以来二度とフルコーラス録音ができなかった。
従って聴いてない度は事実上2。
雑誌に紹介記事があったこともかすかに覚えており、なんか黒い革ジャン姿の面々だったと記憶している。

当時日本のFM番組で曲がかかるくらいのアーティストであれば、今はネットでほぼ氏素姓や略歴や賞罰やイザコザが(真偽は別として)調査可能だ。
今回ロマンティックスも調べたらいろいろな情報が見つかったが、日本での「Talking in Your Sleep」だけの一発屋バンドという評価は、本国ではかなり違うことが判明。
詳細は以下のとおり。

ザ・ロマンティクスは1977年にデトロイトで結成されたアメリカのロックバンドである。
・・・いきなり勘違いで恐縮だが、ずっとイギリスのバンドかと思ってました・・
パワーポップやニューウェーブといったカテゴリーに組み入れられることが多いらしいが、どちらかというと50年代の古き良きアメリカのロックンロールやモータウンなどのR&B、また60年代のガレージロックに影響を受けたバンドだそうだ。
そう言われてもあまりよくわかりませんが・・

結成当時のメンバーは以下のみなさんである。
ウォーリー・パルマー(Vo、G)
マイク・スキル(Vo、G)
リッチ・コール(B)
ジミー・マリノス(D)

主にウォーリー・パルマーとマイク・スキルが作曲を担当し、メンバー全員がボーカルを取れる。
77年のバレンタインデーにデトロイトで初の公演を行い、バンド名をザ・ロマンティックスとした。

78年にインディーズレーベルでシングル「Little White Lies」「Tell It to Carrie」を発表しレコードデビュー。
79年にCBSと契約しこれらのシングル曲を再録音し、セルフタイトルのアルバムをレコーディングした。
このアルバム収録のシングル「What I Like About You」がヒットし、全米49位、全豪2位を記録。
アルバムも20万枚以上の売り上げとなった。(全米61位)
なおこのアルバムではキンクスの「She's Got Everything」をカバーしている。

80年にセカンドアルバム「National Breakout」をリリースするが、直後にマイク・スキルが脱退。
後任ギタリストのコズ・キャンラーが加入し、3作目アルバム「Strictly Personal」をレコーディングした。
しかしその後リッチ・コールが音作りに不満が募り脱退。
脱退したマイク・スキルがベーシストとして復帰することになった。

83年の4枚目のアルバム「In Heat」はロマンティックスにとって最大の商業的成功となる。
1・2枚目のアルバムをプロデュースしたピーター・ソリーを再度プロデューサーに起用。
ピーターさんはプロコル・ハルムの元メンバーで、エリック・クラプトンホワイトスネイクのレコード制作に参加したことがあり、ピーター・フランプトンやモーターヘッドのプロデュースもしたことがある人物だそうだ。
さらにミキシングを担当したのがイギリスのエンジニアであるニール・カーノン。
この人の実績を調べたら、ニール・ダイヤモンドジューダス・プリーストホール&オーツイエスカンサスドッケンクイーンズライクなど、ものすごい数の作品でプロデュースやミキシング、アレンジや演奏を手がけている。

このピーター&ニール効果もあって、アメリカではゴールドアルバムを獲得し、最終的には90万枚以上の売り上げを記録。
ファーストシングル「Talking in Your Sleep」はアルバム制作の最後に録音した曲で、当初はインストだったが、出来の良さにメンバーが共感して歌詞やサウンドを追加。
この判断が奇跡を起こし、「Talking in Your Sleep」は全米ビルボードホット100チャートで4週連続3位となる大ヒット。(カナダでは1位)
セカンドシングル「One In A Million」も翌年のチャートで37位、ダンスチャートでは21位を記録した。
ロマンティックスは「In Heat」のヒットを機に全米や国外でコンサートツアーを行い、テレビ番組にも多数出演。

だが。
この絶頂が実にわかりやすくバンド内外に様々な摩擦と軋轢を生むことになる。
84年にドラムのジミー・マリノスがバンドを脱退し、デヴィッド・ペトラトスが加入。
85年にまたピーター・ソリーがプロデューサーとなってアルバム「Rhythm Romance」をリリースするが、ピーター効果も前作に遠く及ばず最高72位に終わり、シングル「Test of Time」も71位と惨敗。
「Rhythm Romance」ツアーはチケットも売り上げが悪く、徐々にバンドとマネジメント会社やレコード会社との間に緊張が高まっていく。
その後バンドはソニー系のレコード会社から離れることになった。

80年代後半、ロマンティックスのマネージャーがレコードやライブから得た利益を不正に流用していたことが発覚。
さらにバンドのヒット曲「What I Like About You」が、テレビコマーシャルに使用するために勝手にライセンスされていた。
メンバーは87年にマネージャーに対して訴訟を起こしたが、面倒な訴訟手続きによりバンドは90年代半ばまで新曲のレコーディングをすることができなかった。

そんな事態にもめげずバンドは活動を続行。
90年にデヴィッド・ペトラトスが脱退するが、元ブロンディのクレム・バークがに加入する。
だがロマンティックスはその存在をほとんど忘れられ、小さな会場で地味にライブ活動を行う日々が続いた。

90年代半ばにバンドにようやく復活の兆しが訪れる。
マネージャーに対する訴訟で勝利したことで、曲のライセンス料がバンドに入ることが保証され、再びレコーディングができるようになった。
まず93年にイギリス限定のEP「Made In Detroit」を録音。
またベスト盤やライブ盤も発売された。
96年から97年にかけては、ドラマーのジミー・マリノスが一時的にバンドに戻りライブを行った。

2003年、プリティ・シングスの「Midnight To Six Man」やキンクスの「I Need You」をカバーした、ブルース志向の強いアルバム「61/49」を発表。
このアルバムでは一時期復帰したジミー・マリノスが半分の曲でドラムを叩いている。
ただ残念ながら商業的には成功とはいかず、チャートでも100位以内には入っていない。

2004年、クレム・バークが再結成ブロンディに参加のため脱退。
バンド4人目のドラマーはブラッド・エルビスで現在も在籍中。
2010年にはベースのリッチ・コールが28年ぶりにバンドに復帰。
2011年にギタリストのコズ・キャンラーがバンドを脱退し、マイク・スキルはようやく本来のポジションであったリードギタリストの座に戻ることができた。
息の長いバンドは他にもたくさんあるが、元リードギタリストが脱退せずに30年近くベースをイヤイヤ(かどうか知らんけど)務め、またリードに戻ったというのも珍しいケースのような気がする。

バンドは現在も活動継続中とのこと。
ただウォーリー・パルマーは若い頃よりだいぶ太ってしまったらしい。
以上がロマンティックスのロマン輝く栄光と軋轢の架け橋である。
知ってた話は当然なし。

多くの日本語サイトには「Talking in Your Sleep」のみの一発屋などと書いてあるし、実際自分もほぼそういう印象しかなかったが、本国ではやはり状況や認識が異なるようだ。
バンド初のヒット曲が実は「Talking in Your Sleep」ではなく79年の「What I Like About You」である、という情報はおそらく日本にはほとんど入ってこなかったんじゃないだろうか。
当時姉が読んでたミュージックライフにロマンティックスが載っていた記憶は全くない。(載ってたらすいません)
その「What I Like About You」はアメリカでバドワイザーのCMやテレビドラマの主題歌に使われ、複数のアーティストによってカバーもされてるそうだ。
さらにテレビゲーム「Guitar Hero Encore」にも使われており、エラい大儲けやん・・と思ったら、バンドはゲーム開発者側を不当な楽曲利用で訴えたとのこと。
ゲームソフトでカバーされた「What I Like About You」の出来が良すぎて本物のバージョンと区別がつかず、「消費者を混乱させ、バンドが実際に音楽をゲーム開発用に録音し製品を支持していると誤解させる」というのがロマンティックスの主張。
バンドはゲームソフトの販売中止と損害賠償を求めたが、提訴の翌年に連邦地方裁判所が「ゲーム開発側はライセンスを適切に取得している」として訴えは棄却されたそうです。
いずれにしろ多くのアメリカ国民に支持されたヒット曲であることは間違いない。

一方「Talking in Your Sleep」はイギリスでは全然売れず全英100位にも入らなかったが、バックス・フィズというグループがカバーして全英15位を記録したとのこと。
同じ曲なのに本家がこれほど売れずカバーしたほうが売れた・・・なぜ?
バックス・フィズというグループも初めて知ったが、アバと同じ男女混生4人組でイギリスではかなり人気があった人たち、だそうです。

ロマンティックスはむしろ当たった「Talking in Your Sleep」だけが、どうも彼ら本来の特徴や持ち味とは違ってたようだ。
本業はもっとワイルドでブルージーなパワーポップで、切り刻むカッティングやガヤ系コーラスが魅力のはずだったらしい。
そう言われると「Talking in Your Sleep」もリズムよくビートを刻むギターやドラムがよく聞こえる曲ではある・・が、サウンド全体はやはり80年代のラメっぽい造りが施してある気がする。
なのでその一般受けするサウンドがゆえに全米で大ヒットしてしまい、同じ路線を期待したニワカなファンが続きを聴いてみたら「なんか違う」となった・・・んじゃないかと思われる。
ロマンティックスを聴いてもいない素人の自分が仮定するのも無意味だけど、最初から得意技のパワーポップ路線で売り出していたら、「Talking in Your Sleep」のような大ヒットはなかったにしても、固定ファンもたくさん付いて違った展開だったんじゃないだろうか。

というわけで、ザ・ロマンティックス。
スタジオ盤アルバムは6枚なのでやる気さえあれば全盤制覇も可能ではありますけど、今日本で全部入手できるのかはわかりません。
聴くとしたら当然最大のヒットアルバム「In Heat」でしょうけど、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

Romantics

ザ・ロマンティックス The Romantics

In-heat
ザ・ロマンティックス In Heat
Ccb

C-C-B ロマンチックが止まらない

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聴いてない 第311回 トレイシー・チャップマン

今日のお題はトレイシー・チャップマン。
昨日FMを聴いていたら「Fast Car」がオンエアされたので採り上げてみました。

トレイシー・チャップマン、予想どおり「Fast Car」しか聴いておらず、聴いてない度は2。
あとは92年のボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートで「Times They Are A-Changin'(時代は変わる)」を歌っているトレイシーを見たことがある。
映像は当時NHKで放送されたので、見た人は多いと思う。
だがトレイシーについて他のオリジナル曲やアルバムを聴くことはなく今に至る。
なので彼女の正体については何も知らない。
そこでまずは略歴を調査。

トレイシー・チャップマンはアメリカの歌手で、ウィキペディアによるとジャンルは「フォーク・ブルース・ロック・ポップ・ソウル」と書いてある。
思ったより幅広い音楽性を持っているようだ。

トレイシーは1964年オハイオ州クリーブランドで生まれた。
両親は彼女が4歳のときに離婚し母親に育てられるが、子供の頃はいじめや人種差別など苦労があったようだ。
8 歳でギターを弾き曲を書き始める。
大学で人類学を学んでいた頃、大学のラジオ局で自作曲のデモを録音した。
このデモテープがレコード会社の関係者に渡り才能が認められ、大学を卒業した後にエレクトラ・レコードと契約。

このあたりの展開が日本だと想像しづらいが、アメリカでは各大学の中に学生が運営するミニFMのようなラジオ局があり、大手レコード会社のプロモーションとは関係なく無名アーティストの楽曲を発掘しオンエアしているとのこと。
70年代末には全米のカレッジ・ラジオ局がネットワーク化され、独自のチャートを掲載する雑誌まであるそうだ。
なので「大学のラジオ曲でデモテープを作り、それがレコード会社に渡ってデビューにつながる」というのは、アメリカならではのサクセスルートだろう。

トレイシーは88年4月にデビューアルバム「Tracy Chapman」をリリースした。
リリース直後から評論家や若者に絶賛され、2ヶ月後にはロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催された「ネルソン・マンデラ生誕70周年記念コンサート」でデビュー曲「Fast Car」を演奏。
この出演によりシングルとアルバムの売り上げが大幅に加速し、「Fast Car」は2日間で12,000枚売れたとも言われている。
最終的にビルボード・ホット100で第6位を記録するヒットとなった。
アルバムも全米1位とマルチ・プラチナムを獲得し、グラミー賞で最優秀新人アーティストなど3部門を受賞した。

88年9月に「アムネスティ・インターナショナル・ヒューマン・ライツ・ナウ!」というコンサートに出演。
ブルース・スプリングスティーンピーター・ガブリエルスティング、ユッスー・ンドゥールなどと同じステージに立ち、注目の新人出演者となった。

89年にセカンドアルバム「Crossroads」を発表。
ダニー・コーチマーやニール・ヤングも参加し、全米9位・全英1位を記録した。
なので「Fast Car」だけの一発屋芸人という評価は正しくないと言える。

92年にはオマー・ハキムやマイク・キャンベル、ボビー・ウーマックなどまたしても大物先輩芸人多数参加の「Matters of the Heart」をリリース。
だが成績は全米53位と今ひとつな結果に終わる。
勝手な推測だが、この頃はすでに全米音楽業界はグランジの波に覆われており、トレイシー・チャップマンのような素朴なアーティストの売り上げにも影響したのではないかと思う。

それでもトレイシーは実直に音楽活動を継続。
95年に4枚目のアルバム「New Beginning」を発表。
それまでの顔ジャケットをやめ、花のアップ写真を採用し、文字どおり新たな出発を決意したアルバムは成功を収め、米国だけで500万枚以上を売り上げた。
このアルバムにはキャリア最大のヒットシングル「Give Me One Reason」が収録されており、97年のグラミー賞最優秀ロックソング賞も受賞。

98年にはホワイトハウス主催のスペシャルオリンピックスディナーでエリック・クラプトンと共演した。
2000年6月、カンボジアとチベットのためのチャリティーコンサートで、オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティと「Baby Can I Hold You」のデュエットを披露。

5枚目のアルバム「Telling Stories」は2000年にリリースされ、後にゴールドディスクとなった。
その後も2002年に「Let It Rain」、2005年に「Where You Live」を発表。
現時点で最新のスタジオ盤は2008年の「Our Bright Future」。
以来15年ほど新曲も新盤も発表はしておらず、時折イベントなどでステージに上がることがある、という状態。

だが「Fast Car」が歴史的名曲であることを証明するニュースが昨年報じられ、その余波が今も続いている。
昨年7月にカントリーの若手歌手ルーク・コムズがカバーした「Fast Car」がカントリー・エアプレイ・チャートで1位を獲得。
この快挙により、トレイシー・チャップマンはソロ曲でカントリーチャートの首位を獲得した初の黒人女性となった。
今月行われた第66回グラミー賞授賞式では、ルークが「Fast Car」を歌うためステージに登場。
ところがルークの横でイントロのギターを弾き始めたのはトレイシー本人だった。
トレイシーのサプライズ出演に気づいた観客からは大歓声が起こったそうだ。

「Fast Car」は他にもジャスティン・ビーバーやジョナス・ブルー、サム・スミスなどによりカバーされている。
カバーしたアーティストは10人以上にもおよび、日本でも矢井田瞳が歌詞を日本語にして歌っているとのこと。

今回も知ってた話は全然ない。
幸運なことにデビュー当時からリアルタイムで聴けたことにはなるが、デビュー曲だけの鑑賞で終わっている。

自分は「Fast Car」を88年9月頃に録音している。
MTVの音声をテープに録音したのだが、MTV側も期待の大型新人としてオンエアしたのだろう。
放送前からトレイシーの存在を知っていた日本人もほとんどいなかったんじゃないかと思う。
映像は照明が暗くトレイシーの顔も半分くらいしか見えず、声も中性的なため最初は十代の男性かと思っていた。

活動履歴を見ると、様々なジャンルのアーティスト(先輩から後輩まで)から、その実力を評価されたことがわかる。
デビュー直後からビッグイベントでビッグネームと共演し、その後もアルバムのゲストや自身のステージに数々の大物芸人を招いている。
またデビュー曲「Fast Car」が何度もカバーされているのも、トレイシーが最初からそれだけ力を持っていたからだろう。
事務所やレコード会社の力があったのかもしれないが、そう簡単なことではなく、実力が伴わなければ実現しなかったはずである。

一方で歌声や歌詞やライブでの所作などからは、非常に繊細で控えめな印象を受ける。
知り合いじゃないので断言はできないのだが(当たり前)、ディランのデビュー30周年記念コンサートでの歌い終えた後はにかみながら去って行く姿は、やはりとてもシャイな人のように感じた。
たぶんステージから「アリーナーーーーー!!」と叫んだり、全身スパンコールのボディスーツに身を包んで踊ったりはしてないだろう。
少なくとも80年代のマドンナシンディ・ローパーのようなグイグイ来る威圧系シンガーたちとは全然異なるタイプの歌手だと思う。

というわけで、トレイシー・チャップマン。
自分みたいな狭量貧弱リスナーでもトレイシーの歌なら暖かく響くのでは・・と淡い期待はあります。(本当か?)
聴くならデビューアルバムかベスト盤でいいかなとも思いますが、2000年以降の作品はどんな感じなのか、ご存じでしたら教えていただけたらと思います。

Tracy-chapman

トレイシー・チャップマン Tracy Chapman

Crossroads
トレイシー・チャップマン Crossroads

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