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聴いてない 第310回 ソフト・マシーン

20年も聴いてない音楽を延々公表していて、もうほぼ結論は出たジャンルがプログレである。
要は「プログレはあきらめた」という定着敗北宣言なんですけど、そんなのメタルもブルースもダンスもヒップホップもグランジも全部同じ状態。
今回採り上げるソフト・マシーンも聴く前から敗色濃厚ではあるのだが、調べていくとメンバーに聞いたことのある名前が数名見つかった。
これで少し興味がわいたので、さらに調べることにしました。

ソフト・マシーン、1曲も聴いてないので聴いてない度は盤石の1。
いつ頃結成されてどの時代にいくら稼いでいたのか全く知らない。
多分柏村武昭も小林克也も東郷かおる子も、ソフト・マシーンを80年代のナウい日本のヤングには紹介していないと思う。(してたらすいません)
80年代のFMステーションやミュージックライフにソフト・マシーンの記事が掲載されたこともないと思う。(載ってたらすいません)
仕方なくソフト・マシーンについて自主学習を開始。

ソフト・マシーンは、60年代後半から80年代初頭にかけて活動したイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンド。
「カンタベリー・ミュージック」の最重要バンドであり、ジャズ・ロックやプログレにおいて最も影響力を持つバンドとのこと。
・・・そうなの?
今さらだけどプログレといったらピンク・フロイドイエスキング・クリムゾンが闘魂三銃士で、四天王にはELPが加わり、五奉行だとジェネシスまで・・で合ってるよね?
ソフト・マシーンは最重要と言われてるけど五奉行には数えられないらしい。
五奉行のみなさんとは別系統なのだろうか・・?

メンバーの多くはケント州カンタベリーというロンドンの東にある古い街の出身で、その後カンタベリーで活動していた様々なバンドが音楽シーンを作っていったため、「カンタベリー系」と称されることになる。
カンタベリー・ミュージックという言葉もどこかで聞いたことはあったが、そういうくくりだったんスね。
日本の「渋谷系」みたいな言い方だろうか?

ソフト・マシーンの源流はサイケデリックバンドのワイルド・フラワーズにあった。
ワイルド・フラワーズはカンタベリー・シーンの元祖と言われ、活動期間はわずか3年間で作品もリリースすることはなかったが、解散後にメンバーはソフト・マシーンやキャラバン、キャメルなどシーンの主要バンドを数多く結成しているそうだ。

ワイルド・フラワーズのロバート・ワイアット(D)とケヴィン・エアーズ(B・Vo)は、WF脱退後にデヴィッド・アレン(G・Vo)、ラリー・ナウリン(G)と合流しミスター・ヘッドというバンドを結成した。
そのミスター・ヘッドにマイク・ラトリッジ(K)が加わりソフト・マシーンとなる。
黎明期はやはりジャズ風サイケデリック・ロックなバンドで、デビュー前のピンク・フロイドとは同じクラブで演奏したり交流したりもあったらしい。
バンド名はウィリアム・バロウズの小説のタイトルから付けられたとのこと。
ソフトとマシーンという硬軟混ぜ合わせな組み合わせは、レッド・ツェッペリンアイアン・バタフライなんかと似たようなノリってことですかね?

67年ファースト・シングル「Love Makes Sweet Music」を発表するが全然売れず、しばらくツアーを続けながらアルバム制作を保留していた。
翌年春のジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとのアメリカツアー中に、ニューヨークでデビューアルバム「The Soft Machine」を急いでレコーディング。
すでにラリー・ナウリンは脱退してバンドは3人組になっていた。

ソフト・マシーンの特徴として、(結果的にだが)メンバーチェンジが激しく音楽性の頻繁な変動という点があった。
なのでアルバムごとに主導する人が異なり、大まかにサイケ・プログレ期→ジャズロック期→フュージョン期→レガシー期→再興期と言われるそうだ。
上記のとおりとにかく結成前後から人事異動が激しく、デヴィット・アレンは麻薬所持によりフランスから帰国できずそのまま脱退。(早い)
アレンに代わって加入したのがアンディ・サマーズだった。
アンディはソフト・マシーンのデビューアルバム発表後に6週間アメリカツアーに参加したが、メンバーから3人トリオで活動したいと言われて脱退。(早い)
・・・そうなの?
アンディがポリス結成前にアニマルズにいたことは知ってたけど、その前にソフト・マシーンにも参加してたとは・・全然知らなかった・・・

一方ソフト・マシーンではケヴィン・エアーズがデビュー直後に脱退。(早い)
後任ベーシストにヒュー・ホッパーを迎え、69年にセカンドアルバム「Volume Two」を発表。
直後にサックス担当のエルトン・ディーンが加入。
アルバム「Third」はロバート・ワイアットとマイク・ラトリッジが主導しフリー・ジャズっぽい音楽を展開する。

その後ヒュー・ホッパーとエルトン・ディーンが台頭し、インスト演奏中心バンドに移行。
だが4枚目アルバム「Fourrth」の制作中のある日、ロバート・ワイアットはパーティで酔っぱらってビルの4階から転落し、大けがを負う。
その後下半身不随となりドラムを叩けなくなったため、ボーカル専任となる。

4枚目アルバム「Fourrth」のリリース直後、インストなんでボーカルはいらんやろという理由でロバート・ワイアットが脱退。
次のアルバム「Fifth」のレコーディングにあたりドラマーのフィル・ハワードが参加するが、制作半ばで意見が衝突しフィルはクビとなり、後任のジョン・マーシャル加入でなんとかアルバムは完成した。
フィル・ハワードは「Fifth」のA面、ジョン・マーシャルはB面にしか参加していないそうだ。

73年後半、今度はエルトン・ディーンが脱退し、サックス・キーボード担当のカール・ジェンキンスが加入した。
新加入のカールが主導した同年発表のアルバム「Six」はライブとスタジオ録音のダブルアルバムで、サウンドはさらにジャズ・フュージョン路線に向かっていった。
メンバーチェンジが激しいのは他のロックバンドでも全然あるあるな話だけど、新しく加入した人が次々と主導権を握るというのは不思議な運営だと思う。
元からいた人は「なんやアイツ新入りのクセにエラそうに」とかやりにくくなかったんだろうか?
名前のとおり柔軟性がある団体と言えなくもない気がするけど。

「Six」をリリースした後、ヒュー・ホッパーは脱退。
後任に元ニュークリアスのメンバーで6弦ベースを演奏したロイ・バビントンが加入した。
この期間はカール・ジェンキンスがリーダーとなりバンドを牽引する。
73年末にアルバム「Seven」をリリースした後、さらに元ニュークリアスのメンバーであるアラン・ホールズワースが加わり、「ソフト・マシーンはニュークリアス残党に乗っ取られた」と評する人も多いそうだ。

75年のアルバム「Bundles」はアランのギター演奏に重点が置かれたが、同年春にアランは脱退。(早い)
代わりにジョン・エザリッジが加入し、76年初めにはサックス奏者のアラン・ウェイクマン(イエスのリック・ウェイクマンのいとこ)が加入した。
この後マイク・ラトリッジが脱退し、結成時のオリジナルメンバーはいなくなった。
アルバム「Soft」発表後、ソフト・マシーンは5年ほど停滞。

停滞の間、OB組のヒュー・ホッパーとエルトン・ディーンは、他2名を伴いソフト・ヒープという分家っぽいバンドを結成。
その後メンバーを替えてソフト・ヘッドと改名し、ツアーやライブ盤発表なども行い、80年代まで断続的に活動。
10年間に4回のツアーを行いヨーロッパで合計25回のコンサートを開催した。

一方本家ソフト・マシーンは81年にアルバム「Land of Cockayne」をリリースする。
メンバーはカール・ジェンキンスとジョン・マーシャルのユニット状態で、アラン・ホールズワースやジャック・ブルースも参加したが、これがソフト・マシーンの実質的なラストアルバムとされている。
84年夏にカール&ジョンに4人のミュージシャンが加わり、ロンドンのロニー・スコッツ・ジャズ・クラブでの公演のためにソフト・マシーンとして短期間再結成している。

90年代以降は各メンバーがソフト・ウェア、ソフト・ワークス、ソフト・マウンテン、ソフト・バウンドなど、ソフトなんとかを名乗ったユニットで散発的に活動。
どれもバンド名をソフト・マシーンとしなかったのは、やはり権利関係などの問題があったためらしい。
なおこれらのユニットには日本人ミュージシャンの吉田達也やホッピー神山が参加したこともあったそうだ。

2003年にヒュー・ホッパー、エルトン・ディーン、ジョン・マーシャル、ジョン・エサリッジによりソフト・マシーン・レガシーの名でギグを開始する。
その後ソフト・マシーン・レガシーはメンバーを替えて3枚のアルバムをリリースした。
だがエルトン・ディーンが2006年に、ヒュー・ホッパーは2009年に他界する。
主要メンバーの死に直面したバンドの危機に旧友たちが相次いで呼応参加し、レガシーの活動を継続。
2010年10月にはオーストリアとドイツのステージを収録したライブ盤「Live Adventures」を発表。
2013年3月、レガシー名義でスタジオ盤「Burden of Proof」もリリースした。
アルバム制作の都度ソフト・マシーンとしての発表も検討されたが、様々な事情で結局レガシー名義となっている。

そして2015年秋、ジョン・マーシャル(D)、ジョン・エスリッジ(G)、ロイ・バビントン(B)、テオ・トラヴィス(K・Sax)が、ついにソフト・マシーンの名で演奏することを発表。
同年末にはバンド名を正式に「レガシー」なしとすることが発表され、これにより1984年以来初めてソフト・マシーンとして再活動することになった。
再生ソフト・マシーンは2015年から16年にかけてオランダやベルギーやイギリスでシリーズ公演を行った。
なおアラン・ホールズワースは、2017年4月15日にカリフォルニア州ビスタの自宅で心不全のため70歳で亡くなっている。

2018年秋、ソフト・マシーンは1981年の「Land of Cockayne」以来37年ぶりに新作スタジオ盤「Hidden Detail」をリリースした。
2020年3月には2018年から2019年にかけての大規模なワールドツアーが記録されたライブ盤「Live at The Baked Potato」も発表。

ソフト・マシーンは現在も活動中で、2023年6月には過去の名曲「Penny Hitch」「Joy of a Toy」を再収録した新作アルバム「Other Doors」をリリースした。
ジョン・マーシャルの最後の演奏が録音されており、ジョンはアルバム発表の3か月後にに亡くなっている。
現在のメンバーは、ジョン・エスリッジ(G)、テオ・トラヴィス(K・Sax)、フレッド・セロニアス・ベイカー(B)、アサフ・サーキス(D)。

以上がソフト・マシーンの長く複雑な歴史絵巻名勝負数え歌である。
いやー長い。
今回も知ってた話は一切なし。
67年結成で今も活動中というのも初めて知った。
ただファンの評価としてはバンドの歴史は81年までで実質終了していて、以降は同窓会が頻繁に行われてる状態と見られているようだ。
メンバーが頻繁に入れ替わりながら50年以上もバンドを続けている、という点ではアイアン・バタフライにも似ている気がする。
それだけみんなソフト・マシーンの屋号を大事に思って演奏しているということだろうか。

ロバート・ワイアット、ケヴィン・エアーズ、アラン・ホールズワースは、ロックを学習しているとどこかで必ず目にする名前だ。
でも知ってたのはホントに名前だけで、みんなソフト・マシーンに関わっていたことは今回初めて知った。(ド素人)
・・・と思ったら、実はその昔当BLOGでティアーズ・フォー・フィアーズを採り上げた際、ぷく先輩からロバート・ワイアットについて説明コメントを頂戴していました・・
すっかり忘れてました・・すいません先輩・・
アンディ・サマーズがポリス以前にアニマルズにいたことは知っていたが、ソフト・マシーンにも(短期間だが)在籍してたことは知らなかった。

アルバムごとにセンターで主導した人と音楽性が異なるという話だが、サイケ・プログレ・ジャズ・フュージョンというキーワードを並べても、正直どれも聴けそうな気がしない・・・
デビューアルバムから順に「Land of Cockayne」まで聴いてみるというのが正しい学習指導要領だとは思うが、2枚目あたりで挫折する可能性も高い。
そもそも初期のアルバムって日本でも入手可能なんだろうか・・?

というわけで、ソフト・マシーン。
壮大な歴史絵巻の基礎情報を薄く調べてはみましたが、この後どうしたらいいのか途方に暮れている心境です。(聴けよ)
自分のような万年素人はどれを聴いたらいいのか、入門編としてこの1枚より始めよというアルバムがあったら教えてください。

Softmachine

ソフト・マシーン Soft Machine

Third
ソフト・マシーン Third

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聴いてみた 第181回 パール・ジャム

21年目に突入した珍妙希少情弱BLOG、今日のお題はどういうわけかパール・ジャム
彼らのデビューアルバム「Ten」を聴いてみました。

「Ten」は1991年8月リリース。
前年にマザー・ラブ・ボーンというメタルっぽいバンドを解散させた後、ベーシストのジェフ・アメントとギタリストのストーン・ゴサードは、新しいギタリストのマイク・マクレディ、ドラムのマット・キャメロン、クリス・フリエルとともにリハーサルを開始。
この時録音したのは全てインストで、5曲入りのデモテープを作成した。
そのデモを聴いた元レッチリのジャック・アイアンズ(後にパール・ジャムに加入)が、友人のエディ・ヴェダーにもデモテープを聴かせた。
エディはデモにオリジナルの歌詞をまぜてボーカルをかぶせて録音。
それを聴いたメンバーはエディを気に入り、バンドに迎え入れることにした。
バンドはすぐにエピック・レコードと契約。
さらにデイブ・クルーセン(D)が加わり、バンド名はパール・ジャムとなった。
なおデイブは「Ten」発表前に脱退している。

「Ten」は91年にシアトルのスタジオで約1か月という短い期間で録音された。(あまり予算がなかったらしい)
ニルヴァーナの「Nevermind」よりも発表は先だったが、「Nevermind」は空前の大ヒットを記録する。
すると同期同郷芸人のパール・ジャムにも注目が集まり、2つのバンドが先頭でグランジというジャンルを牽引する形に発展。
全米の音楽業界の潮流を覆すほどの展開となり、結果的に「Ten」はじわじわチャートを上昇し最終的に全米2位の大ヒットアルバムとなった。
タイトル「Ten」は、バスケットボール選手のムーキー・ブレイロックの背番号10から来ているらしい。

Ten

グランジ2大巨頭のパール・ジャムの「Ten」。
果たしていまだにグランジ慣れしていない遅すぎな自分は、このアルバムを聴いて10点満点をとれるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Once
2.Even Flow
3.Alive
4.Why Go
5.Black
6.Jeremy
7.Oceans
8.Porch
9.Garden
10.Deep
11.Release

うーん・・・・・
直感的に言って考え込む音楽ではある。
おおおいいね!とか、楽しいね!とか、気分が高揚する音はどこにもない。
まあそうでしょうねという感覚。
やはり自分が聴いてきた80年代産業ロックとは相当遠い位置の音楽である。

歌詞もどの曲もひたすら重く暗い。
全曲エディ・ヴェダーが書いてるそうだが、自身の過酷な経験や暗い世相や痛ましい事件など、とにかく「本来起きてほしくなかったこと」について語る内容。
ただ難しい言い回しや例えなどはあまり使っていないようで、訳詞を読んでもエディの傷んだ心の叫びであることは理解できる。

これ、発売当時に何の知識もなく聴いていたらまず定着しない音楽だと思う。
今聴いても定着する予感は全然ないけど。
ニルヴァーナの「Nevermind」は実際そうだったし。
たぶんグランジに熱狂する年下の人たちにうっかり「・・・これ、何がおもろいん?」と地雷な質問を漏らしてしまって軽蔑されていた・・いた気がする。
メタリカのブラック・アルバムでも感じたことだが、「これなら売れたのもわかる」ではなく「こういうのがそんなに売れたんだ・・」という感覚。
やはりエア・サプライやデボラ・ハリーで喜んでた自分が気安く聴ける音楽ではないのだ。

しかし。
30年以上経過はしてしまったが(遅すぎ)、今グランジに関する表層知識を自分なりに装備し、ニルヴァーナやカートとの関係なども学習して聴いてみると、かなり深い音楽であることがなんとなくわかる。
グランジなのでやはりちっとも明るくなく、退廃的な音楽というくくりではニルヴァーナに共通するものもあるだろうけど、ギターとベースとドラムとボーカルという誠実な構成だし、サウンドの根幹にブルースやハードロックのニオイは感じるのだ。
実際メンバーはツェッペリンキッスに影響を受けていると明かしている。

変拍子や転調で小細工したりムダに絶叫したり火を吹いたりサーベルで若手をどついたりという演出はなく、たまにバラードも混ぜたりの実直なロックアルバムだと思う。
そういう意味では恐れていたほどの拒絶感はなかった。
「Black」「Oceans」などメロディやサウンドが美しいと思う曲もある。

実績としては前述のとおり最終的に全米2位まで上昇する大ヒットとなったが、1位獲得を阻んだのがビリー・レイ・サイラスの「Some Gave All」だったそうだ。
「Some Gave All」は17週連続1位という驚異的な記録を立てており、「Ten」も時期をずらして発表してたら間違いなく1位をとれたはず・・と今も言われているとのこと。

ジャケットはピンクっぽい背景に集結するメンバーの手の写真。
どこか野球チームっぽい演出で、あまり予算のないアマチュアバンドのようなデザイン。
バンド名ロゴはジェフ・アメンが作ったそうだ。
だがその後の躍進を示唆するような若いアートでもあり、こういうところも実直なロックバンドの雰囲気が出ていてよいと思う。
比較ばかりで申し訳ないけど、「Nevermind」はジャケットも中身と全然関係なくメンバーもいない強烈なインパクトだが、「Ten」のジャケットにはそこまでの衝撃は感じない。

というわけで、パール・ジャム「Ten」。
好みかと言われると非常に微妙(なんだそれ)でしたが、勉強にはなったというおかしな感覚はあります。
パール・ジャムもアルバムごとの作風はかなり違うとのことなので、機会があれば他のアルバムも試してみようかと思います。

Ten

パール・ジャム Ten

Pearl-jam
パール・ジャム Pearl Jam

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