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聴いてみた 第179回 ブルー・オイスター・カルト

今回聴いてみたのはニューヨークのハードロック・バンド、ブルー・オイスター・カルト。
彼らのデビューアルバム「Blue Oyster Cult」を近所のディスクユニオンで発作的に買ってみました。

ブルー・オイスター・カルトは「聴いてないシリーズ」でも採り上げていない。
理由は至極明快で、聴いてない以前に「何も知らない」からである。
聴いてないことを白状する前に聴いてみるという投げやり展開だが、わずかに期待したのは「アメリカ版ブラック・サバス」というアオリ。
サバスも1枚しか聴いてない(絶望)が、拒絶感や嫌悪感は全くなかったので、そこにかすかな望みを抱いたのだ。(安直)
そういう時はサバスをもう少し聴けよというお叱りが全国各地から来そうな予感はあるが、あまり深く考えずにブルー・オイスター・カルトを購入。

Blue-oyster-cult

聴く前に表層的にバンド並びにアルバム概要を学習。
ブルー・オイスター・カルトはニューヨーク州のロングアイランドで結成されたロックバンドである。
ヘヴィメタルのルーツとなったグループの一つとされる。(そうなの?)

バンドの原型は1967年にロングアイランドの学生寮で結成された「ソフト・ホワイト・アンダーベリー」という名のグループ。
メンバーは以下のみなさんであった。
・ドナルド "バック・ダーマ" ローザー(G)
・アルバート・ブーチャード(D)
・アラン・レイニア(K)
・レス・ブラウンスタイン(Vo)
・アンドリュー・ウィンターズ(B)

ロック評論家のサンディ・パールマンがバンドのジャムセッションを聴き、マネージャー兼クリエイティブ・パートナーになることを申し出て、バンド側も同意した。
サンディ・パールマンはレコード会社との契約を取り付け、また多くの曲の歌詞をバンドに提供。
バンドは68年にアルバム1枚分の楽曲を録音した。

しかしボーカルのレス・ブラウンスタインは69年春に脱退。
レスのボーカルで録音したアルバムはお蔵入りになってしまった。
後任ボーカルのエリック・ブルームは元々バンドの音響エンジニアとして採用された人物だった。
アラン・レイニアがたまたまエリックが昔歌っていた古いテープを聴く機会があり、エリックの才能に驚愕。
アランはソフト・ホワイト・アンダーベリーのリード・シンガーになるようエリックを説得した。

だがソフト・ホワイト・アンダーベリーは思ったほど人気が出なかったため、サンディ・パールマンはバンド名を次々と変えていく。
それって名前のせいか?という疑問はあるが、オアハカ、ストーク・フォレスト・グループ、サントス・シスターズなどいくつかの変遷を経て、最終的にブルー・オイスター・カルトに落ち着いた。
サンディによればブルー・オイスター・カルトとは「地球の歴史を監視するエイリアン組織」を意味するとのこと。
青い牡蠣が大好きな人・・・じゃなかったのね。

さらにサンディには名前以外にも作戦があった。
ヒッピーカルチャーが終焉を迎えていた当時、サンディは「これからはヘヴィメタルの時代が来る!」と確信し、メンバーに「ブラック・サバスのような音楽をやったらどうか」と提案。
早く売れたかったメンバーは提案を受け入れ、サバスを意識しながら最初のアルバムを録音。

こうして72年1月にデビューアルバム「Blue Oyster Cult(狂気への誘い)」はリリースされた。
メンバー全員が各曲のクレジットに偏りなくおおむね均等に割り振られ、アレンを除くメンバー全員がリードを歌っている。
歌詞は「カナダ騎馬警察に追われる逃亡者」「麻薬取引で殺された少年」「恋人から渡されるドラッグ」などダークな世界観に満ちたヤバめなサバスっぽい内容が多いらしい。
実績は全米172位。
・・・この実績はどういう評価になるの?
収録曲は今でもバンドがコンサートで定期的に演奏しているとのこと。
総合すると、初期のバンド運営やアルバム制作は基本的にマネージャーのサンディ・パールマン主導で進んでいたようだ。

やはり知ってた話はひとつもなし。
知ったところで安心材料が増えたわけでもないが、とにかく聴いてみることにした。
果たして自分はブルー・オイスター・カルトにサバスの香りを感じることができるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Transmaniacon MC(悪魔同盟)
2.I'm On The Lamb But I Ain't No Sheep(赤と黒(お前は奴隷さ))
3.Then Came The Last Days OF May(5月の最後の日)
4.Stairway To The Stars(星への階段)
5.Before The Kiss, A Redcap(キスの前にはドラッグを)
6.Screams(夜の叫び)
7.She's As Beautiful As A Foot(汚れた天使)
8.Cities On Flame With Rock And Roll(炎の街)
9.Workshop Of The Telescopes(悪魔ののぞき眼鏡)
10.Redeemed(底なし地獄)

以下はボーナストラック。
11.Donovan's Monkey (ドノヴァンの猿)
12.What Is Quicksand (油断大敵)
13.A Fact About Sneakers (スニーカーのあれこれ)
14.Betty Lou's Got A New Pair Of Shoes (ベティの真新しい靴)

うーん・・
うーん・・・
うーん・・・・
あれ?
これアメリカ版サバスなの?
想像してた音とはかなり違う。

確かにギターやベースがサバスっぽい太い音を出してる曲もあるけど、サバスの特徴である「遅い・暗い・重い・怖い」を感じる曲は全然ない。
曲調は暗めのトーンが多いが、サバスのような粘り気はなく、リズムは比較的軽快で飛ばしている曲が多い。
勘違いかもしれないけど、ブルース基調の楽曲が多い気がする。
時々初期パープルやクリームを思わせる音がある。
ただ曲はわりとバラエティに富んでいて、多様な展開。
「Redeemed」は若干曲がったドゥービーみたいだし、ボーナストラックの「Betty Lou's Got A New Pair Of Shoes」などはプレスリーみたいに楽しそうな曲だ。
こういうの実はサバスもやってたりするんでしょうか?

強いて言えば「She's As Beautiful As A Foot」「Cities On Flame With Rock And Roll」はサバスの香りがわずかに漂う気がする。
この曲ならオジーのボーカルを乗せても違和感は少ないと思う。

メンバーがそれぞれボーカルを担当しているとのことだが、突出して聞かせるような特徴的な人はいない。
思ったよりもコーラスを多用していて、みんなで仲良く歌おうバンドだと感じる。
とにかくオジーのようなオカルトなヤバいボーカルはいなかった。

これも全然アテにならない感想だけど、聴いてて感じたのはグランド・ファンク・レイルロードグレイトフル・デッドを聴いた時の感覚である。
曲は別にイヤじゃないんだけど、なんか聴いても頭に残らないというか・・・
通して何度か繰り返し聴いてみたが、今のところ定着の予感はまだない。
ただこの1枚だけでブルー・オイスター・カルトから離れてしまうのももったいない気はするので(本当か?)、他の名盤も試してみる必要はありそうだ。(どのアーティストもそうだけど・・)

あちこちのサイトに書いてあるが、このアルバムについては「軽めのサバス」のようだ。
そう言われて聴いても「まあそうかもしれんけど、そうかなぁ?」という感想になる。
拒絶感や嫌悪感は全くないけど、繰り返し聴いても思ったほど印象に残らない、というのが正直なところ。
とりあえず自分の想定するヘヴィメタルの範疇にはないです。

ジャケットはバンドのシンボルであるハンガーの先っちょをひっくり返したような変形十字をあしらったモノクロの絵。
下半分に広がるのは墓場だろうか?
ヘヴィメタルというよりはどこかプログレっぽいアートだと思う。

というわけで、「Blue Oyster Cult(狂気への誘い)」。
残念ながらサバスに感じた高揚感や定着感は、このアルバムには感じられませんでした。
勝手にサバスの香りを探しに行った自分が間違ってたとは思いますが、どう聴いても全然別の音楽なので、そこは分けて考えたほうが良さそうです。
やはり先にサバス学習を進める必要があると感じた次第です。

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聴いてない 第307回 トム・ウェイツ

全く聴いてないけど名前だけはなぜか知ってるトム・ウェイツ。
このままトムの曲を知らずに余生を過ごすんやろと勝手に思っていたら、実はあちこちでトムの曲がカバーされていることを知ってあわてて採り上げた次第。

トム・ウェイツのオリジナル曲は全く聴いてないので、聴いてない度は1。
しかし他のアーチストがカバーした以下の曲は聴いている。
・エヴリシング・バット・ザ・ガール「Downtown Train」
ロッド・スチュワート「Downtown Train」
イーグルス「Ol’ 55」

どれもトム・ウェイツのカバーだと知らずに聴いていた。
あの名曲が実はトム・ウェイツの作品だったの?という、「コロッケは知ってるけど美川憲一を見たことがない」というZ世代っぽいケースが発覚し(デタラメ)、今回トム・ウェイツについて調査してみました。

アーチスト調査において一番頼りにしてるのがウィキペディア。
だが英語版を見たら昭和の会社忘年会の役員挨拶以上にぐったりするほど長い。
こんなの訳して読むだけでも大変なので、日本語版とchatGPTを使って簡潔?にアジェンダを作成。

トム・ウェイツはアメリカのシンガーソングライター・俳優である。
本名はトーマス・アラン・ウェイツ。
1949年12月7日ロサンゼルス郊外に生まれる。
若い頃はロイ・オービソン、ジェームス・ブラウン、ボブ・ディラン、ライトニン・ホプキンス、セロニアス・モンクなどにあこがれ、ロックではなくフォークやR&Bやジャズに夢中になっていた。
特にボブ・ディランについては歌詞を書き写し寝室の壁に貼り付けるなど、強く影響を受けていたようだ。

70年頃から歌手活動を開始。
サンディエゴのコーヒーハウスで行われていたフォークのライブで歌い始める。
その後ロサンゼルスで当時フランク・ザッパアリス・クーパーのマネジメントを担当していたハーブ・コーエンの目に留まり、レコーディング契約を結んだ。
最初のアルバムはゲフィンから73年に発売されたジャズ志向の「Closing Time」。
続く74年の「The Heart of Saturday Night」も、ナイトライフや貧困・犯罪といった内容を叙情的に歌ったものだった。

その後アメリカやヨーロッパにツアーに出るようになる。
フランク・ザッパのツアーにも同行したが観客の受けは良くなく、トムはザッパツアーの同行はイヤだったらしい。
またこの頃ニューヨークでベット・ミドラーと知り合い、親しくなった。

76年7月にアルバム「Small Change」を発表。
アルバムは好評を博し、ビルボードのトップ100にランクインした最初の作品(最高89位)となった。
トムは後に「自分の技術に完全に自信を持った瞬間だった」と述べている。

77年1月には初めての日本ツアーを行い10都市で公演。
アルバム「Foreign Affairs(異国の出来事)」はベット・ミドラーも参加した「I Never Talk to Strangers」が収録されたが、前作ほどには売れなかった。
この頃には当時デビュー前だったリッキー・リー・ジョーンズと交際を始めている。

78年アルバム「Blue Valentine」を発表。
トムはセッションの途中でジャズ志向の少ないサウンドを作成するためにミュージシャンを交代し、主な楽器をピアノからエレキギターに切り替えたそうだ。
このアルバムからはミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の「Somewhere」がシングルとしてリリースされたが、チャートにはランクインできなかった。
なお裏ジャケットにはリッキー・リー・ジョーンズが写っている。

アルバム発表後もレコード会社エレクトラ・アサイラムはイーグルスやリンダ・ロンシュタットカーリー・サイモンクイーンなど、当然ながら稼げるアーチストばかり注力しており、会社のつれない対応にトムは次第に不満を抱くようになる。
トムは新しいバンドを結成し全米やヨーロッパやオーストラリアにツアーに出たが、売り上げにはあまり効果がなかった。

一方で恋人リッキー・リー・ジョーンズの音楽キャリアは軌道に乗りつつあった。
リッキーのシングル「Chuck E.'s In Love」は全米チャート4位の大ヒットとなったが、忙しくなったリッキーは次第にトムとの距離を開けるようになる。
さらにリッキーはヘロイン中毒になり、間もなく二人は破局を迎える。

80年に映画監督のフランシス・コッポラが、次回作「ワン・フロム・ザ・ハート」のサウンドトラック制作をトム・ウェイツに依頼。
トムはコッポラからの依頼に興奮したが、葛藤もあったらしい。
コッポラはサントラをトムの初期作品風な音楽で作ることを望んでいたため、トムはコッポラの要望がアーチストとしての「後退」であると感じたそうだ。
それでもトムはコッポラの希望に沿ってサウンドトラックの制作に取り組んだ。
このような働き方はトムにとって初めての経験であり、後に「最初はとても不安で、バケツ一杯の汗をかいた」と回想している。

サントラ収録曲は当初ベット・ミドラーとデュエットする予定だったが、ベットが参加できないことが判明。
そこでカントリー歌手クリスタル・ゲイルとトムがボーカルを務め、3曲はデュエットで録音された。
映画は82年に公開され、トムはトランペットを演奏する男として1シーンだけ出演している。
映画の評判は良くはなかったが、トムのサントラアルバムはアカデミー賞オリジナル音楽賞にノミネートされた。

このコッポラとの仕事が、その後のトムの躍進につながったと見る評論家も多い。
なおこのサントラ制作中、トムは映画編集アシスタントだったキャスリーン・ブレナンに出会い一目惚れ。
その後二人は結婚し、キャスリーンは曲作りやプロデュース、広報活動などで夫のサポートに力を発揮していくことになる。
キャスリーンの存在なしにトム・ウェイツの成功はなかった、と評する人も多いそうだ。

トムはエレクトラ・アサイラムとの契約上まだアルバムを作る義務があったため、コッポラのサントラ制作を中断してレコーディングした。
アルバムは80年9月に「Heartattack and Vine」としてリリースされ、全米96位・全豪36位を記録した。
シングル「Jersey Girl」は後にブルース・スプリングスティーンによってカバーされている。

アサイラムとの決別とキャスリーン・ブレナンとの出会いが、トム・ウェイツの方向性を大きく変えるターニングポイントだったようだ。
トムは自分自身を改革する時期が来たと決意し、キャスリーンの助言もふまえてトムを長くマネジメントしてきたハーブ・コーエンを解雇。
そして83年アイランド・レコードから「Swordfishtrombones」を発表。
ピアノをベースにした作曲やサックスを使ったジャズサウンドをやめ、珍しい楽器編成と抽象的で実験的なロックのアプローチへ移行した内容となっている。
評論家からは好評だったが、実績は全米167位という結果に終わった。
また同じ83年にはコッポラの映画「ランブル・フィッシュ」「アウトサイダーズ」「コットン・クラブ」に出演している。

85年に8枚目のアルバム「Rain Dogs」をリリースする。
このアルバムでトムはキース・リチャーズと初めて一緒にレコーディングしている。(キースは3曲ギターで参加)
トムは「キースなら理解してくれるだろうと確信していた。彼は素晴らしい声とスピリットを持っていた」とキースを絶賛。
収録曲「Downtown Train」は冒頭に述べたとおり、後にロッド・スチュワートやエヴリシング・バット・ザ・ガール、またボブ・シーガーやパティ・スミスもカバーしている。
またキースとの交流が、ストーンズのアルバム「Dirty Work」のゲスト参加(「Harlem Shuffle」でバックボーカルを担当)につながった。

その後トム・ウェイツは単に曲を書いて歌うだけでなく、映画やミュージカル用に曲やシナリオを作り、自らも俳優として出演し、構成や演出も手掛けるというマルチな活動が増えていく。
「Franks Wild Years」は87年にリリースされた10枚目のアルバムで、主に妻のキャスリーンと共同で同名の劇のために書いた曲が収録され、劇以外にも様々な映画やドラマに使用されている。
俳優としての活動も増えたが、どれも主役のヒーローではなく、どこかにダメージを負ったクセのある男を演じている。

87年9月のロイ・オービソンのロサンゼルス公演ではブルース・スプリングスティーンやエルビス・コステロジャクソン・ブラウンやKDラングとともにバックバンドに加わった。
このステージが縁で、コステロの89年のアルバム「Spike」にも参加。

92年8月アルバム「Bone Machine」をリリースし、グラミー賞の最優秀オルタナティブ・レコード賞を受賞。
曲の大半が妻キャスリーンとの共作であり、またラストの「That Feel」はキース・リチャーズとの共作共演である。
同年末にはミュージカル「アリス」の音楽を担当。

98年にはアイランド・レコードで発表した5枚のアルバムから23曲を集めた企画盤「Beautiful Maladies」をリリースした。
このアイランド期はトム・ウェイツにとって居心地のよい期間ではあったが、創設者で長年トムの良き理解者であったクリストファー・ブラックウェルが会社を去ったため、移籍を決意。
エピタフ・レコード傘下の小さなレーベルであるアンタイ・レコードと契約し、99年にアルバム「Mule Variations」をリリース。
このアルバムでトム・ウェイツは初めて全米チャートトップ30入りを果たし、ノルウェーでは1位、ベルギーでも2位を獲得した。

2000年に入ってもトム・ウェイツの創作意欲は衰えることなく精力的に活動。
歌劇「ヴォイツェック」のために曲を書き始め、また過去にミュージカル「アリス」用に作った曲の再録音を思いついた。
これらの曲はアルバム「Alice」「Blood Money」として2002年5月に同時にリリースされ、「Alice」は全米32位、「Blood Money」は33位を記録。
2004年、サクラメント郊外の廃校舎でピアノを使わずに録音した15枚目となるアルバム「Real Gone」を発売。
当時のブッシュ米大統領やイラク戦争に対する怒りを表現した曲を収録し、キャリアの中で最も政治色の濃いアルバムとして評価された。

2006年夏、トムは「Orphans」と題した南部と中西部の州を巡る短いツアーに出る。
ツアーには息子のケイシーも同行し父親と一緒に演奏した。
この年の11月には過去の未発表曲やレアなトラックに新曲を加えた54曲入り3枚組ボックスセット「Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards」を発売。
トムによれば中身は「夕食の準備中にストーブの後ろに落ちた曲」とのこと。

2011年3月、トム・ウェイツはロックの殿堂入りを果たした。
受賞式の際、トムは会場で受賞を称えた仲間を指して「彼らは、私にはヒット曲がなく一緒に仕事をするのが難しいと言っている・・・悪かったな!」と述べた。
同年10月に7年ぶりにアルバム「Bad as Me」をリリース。
キース・リチャーズが3曲参加し、タイトル曲「Bad as Me」がシングルとしてiTunesで配信された。
アルバムはグラミー賞の最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバム賞にノミネートされた。

2013年2月、コンピレーション・アルバム「Son of Rogue's Gallery: Pirate Ballads, Sea Songs & Chanteys」を発表。
このアルバムでもアメリカ民謡「Oh Shenandoah」でキース・リチャーズが参加。
5月にはオークランドで行われたローリング・ストーンズのライブにトム・ウェイツが登場し、ミック・ジャガーと「Little Red Rooster」をデュエットした。

ここ数年は音楽より俳優業や演劇に力を入れているようだ。
2018年にはNetflixで公開された西部劇アンソロジー映画「バスターのバラード」で主演を務め、ロンドンで上演された演劇「A Very Very Very Dark Matter」ではナレーションを担当した。
2021年の青春映画「リコリス・ピザ」では映画監督役で出演している。

今回も知ってた話は一切なし。
アジェンダとか言っときながら結局すんごく長くなってしまったが、簡単に済ますことのできないキャリアであった。
1行でまとめると「酔いどれ詩人」の異名を持ち、独自の幅広い音楽スタイルとキャラクター的なボーカルで知られ、「アメリカで最も優れたポストディランシンガーソングライターの一人」「ある意味ディラン以上にディラン」などと評されるのがトム・ウェイツである。
カルト的な人気でコアなファンに支えられ、同業者からは好評でカバーされることも多い上級者向けの歌手、ということで合ってますかね?

調べてみて思ったが、少なくとも柏村武昭が「サンスイ・ベストリクエスト」で中学生向けに紹介したり、「FMステーション」「ミュージックライフ」といった雑誌に頻繁に登場するタイプのアーチストではなさそうだ。
それでも交流のあった人物としては、ベット・ミドラーやキース・リチャーズなど自分でも知ってるミュージシャンが続々と出てくるので、そこからトム・ウェイツ情報を得ることができなかったのも残念な気がする。
ウィキペディアにも書いてあったが、トム・ウェイツはキャリアを通じてチャートでの成功はあまりなく、大きな商業的成功もなかったミュージシャンだそうだ。
大ヒットで毎週チャートを席巻したり毎晩深夜番組でプロモ・ビデオが流れたりがなかったので、自分みたいな偏差値の低いリスナーにまで情報が届かなかったと思われる。(毎度の言い訳)

今回いくつかトム・ウェイツの曲をYou Tubeで聴いてみたが、曲や時代によって声がかなり違うが、基本はうなるような野犬系の強烈がなり声である。
「Jersey Girl」なんてブルース・スプリングスティーン以上にがなり声であり、これでアルバム全曲歌われると個人的にはかなりキツイ感じがする。
顔も姿も少し怖いし・・・
もしコンビニのレジでトム・ウェイツがあの声で店員に文句言ってたら、自分は買い物をせずそのまま引き返すと思う。(失礼)

本人は自分の声を「サンドイッチの中の砂のようだ」と表現したそうだが、評論家からは「砂利のような声」「錆びた鋤の刃のような声」「浚渫船で黄泉の国を運ばれたような声(なんだよそれ)」「バーボンのタンクに浸し、燻製室に数ヶ月放置し、その後外に持ち出して車に轢かれたような声(なんだよそれ)」など、まあみんなホメてるつもりなんだろうけど、好き勝手な言われようである。
あの声こそがトム・ウェイツ最大の魅力なんだよと言われればその通りなんだろうけど、自分は理解できるまで相当時間がかかりそうです。

というわけで、トム・ウェイツ。
今回はいつにも増してハードルが相当高い予感がしますが、聴くとしたら曲だけは知ってる「Ol'55」「Downtown Train」を頼りに「Closing Time」「Rain Dogs」から恐る恐る始めてみるしかないか・・・?と思いますが、比較的初心者向けのアルバムなんてあるんでしょうか?
みなさまの鑑賞履歴とおすすめのアルバムを教えていただけたらと思います。

 

 

 

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