読んでみた 第60回 デヴィッド・ボウイ
今回読んでみたのは、ちくま新書「デヴィッド・ボウイ」。
2017年1月に出版された新書である。
版元は筑摩書房、価格は税込924円。
2017年1月5日出版、判型は新書判、256ページ。
副題は「変幻するカルト・スター」。
先に書いてしまうが、ボウイは2016年1月10日に亡くなっており、あとがきでボウイの死についてもふれている。
この本がボウイの死を受けて企画されたのか、執筆編集の途中で訃報が飛び込んできたのかはわからない。
ただボウイの死を受けてこの本を手に取った読者は多いはずである。
自分はボウイをロクに聴いておらず、ボウイについて書かれた本を読むのも初めてである。
こんな自分にボウイ本など読む資格があるのか疑問ではあるが、入門書として確認しておいたほうがよいだろうと勝手に判断して読むことにした。
・・・・・読んでみた。
目次はこんな感じ。
第1章 郊外少年の野望(1947‐1966)
第2章 ソロ・デビューからの試行錯誤(1966‐1971)
第3章 ジギー・マニア(1972‐1973)
第4章 変身を重ねるカルト・スター(1973‐1979)
第5章 インターナショナル・スーパースター(1980‐1992)
第6章 “大人のロックスター”の存在感(1992‐2006)
第7章 仕掛けられたグランドフィナーレ(2013‐2016)
生い立ちから音楽への目覚め、バンドデビューからソロへ、成功への道のり、スターとしての葛藤や沈黙、仕掛けられた遺作発表と、生涯を誠実に時系列に沿って記している。
ロックスターの伝記としては正調の構成であり、また本文は著者の想いや主張も控えめである。
発表してきたアルバムはジャケット付きで紹介しているが、曲リストまでは掲載していない。
この点は少し残念だが、新書という規格ではそこまでは難しかったかもしれない。
逆にボウイの楽曲・歌詞・サウンド・楽器などに関する音楽的考察もそれほど多くない。
そういう性質の本ではなく、あくまでロックスターであるボウイの一生をシンプルに捉えた伝記本である。
なので自分みたいなボウイを聴いていない素人リスナーにも非常にわかりやすい文章で書かれている。
基本的に書いてある情報は全部初めて知る話だが、こんな自分でも驚くようなエピソードは結構あった。
デヴィッド・ボウイの本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ。
1947年1月8日にロンドン郊外のブリクストンに生まれた。
なお同じ1947年生まれの有名人として、ビートたけし、高田純次、加藤和彦、平野レミ、細野晴臣、大島弓子、山岸涼子、エルトン・ジョン、ブライアン・メイ、アーノルド・シュワルツェネッガーなどを挙げている。
こういう情報はいかにも日本的だ。
日本人は互いの年齢を異様に気にするという世界でも珍しい民族だそうで、正直「ボウイと高田純次と平野レミは同い年」なんてどうでもいいトリビアなんだけど、著者も読者もこういう情報を好んでいるところがやはり日本人なんだろうなと思う。
欧米の著書にこんな同い年情報なんて書いてあったりするんだろうか?
デヴィッド少年は父親の影響でアメリカのポピュラー音楽が好きになり、さらに異母兄の影響でジャズ奏者にあこがれ、12歳で近所のサックス業者ロニー・ロスのレッスンを受けた。
デヴィッドはロニーに直接電話をかけ、「サックスを習いたい」とお願いしたそうだ。
その後ブロムリー工業中等学校に進学。
この学校の美術教員のオーウェン・フランプトンはピーター・フランプトン(ボウイの2歳下)の父親である。
17歳でディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズという音楽グループを結成するが、この時出資やマネジメントを実業家ジョン・ブルームに手紙で直接交渉している。
あまりイメージできませんけど、若い頃からやり手で積極的だったんスね。
ただ熱意は空転してキング・ビーズは全然売れず、65年にマニッシュ・ボーイズというバンドを結成する。
パーロフォンから「I Pity The Fool」という曲をリリースしたが、ギターを弾いているのはなんと若き日のジミー・ペイジ。
でもペイジ参加もむなしく、やはり全然売れなかったそうだ。
まあボウイもペイジもお互いまだ無名で、この時は特に奇跡は起きなかったみたいです。
この頃デヴィッド・ボウイに改名したが、19世紀に活躍したアメリカの開拓者であるジェームズ・ボウイから取ったとのこと。
また別の理由として、モンキーズのデイヴィー・ジョーンズとの混同を避けるため、というのもあったそうだ。
グループとしては結局芽が出ず、ボウイは67年にソロに転向する。
ソロになってからはその後長く活動を共にした、ミック・ロンソン、カルロス・アロマー、イギー・ポップなど盟友と呼ばれる人物が登場する。
意外なところでは71年「Hunky Dory」のレコーディングにリック・ウェイクマンが参加している。
その後リックはボウイのバンドとイエスの両方から加入の誘いを受けたが、結果的にはイエスを選んでいる。
70年代のボウイは変幻自在で多作だった。
順にグラムロック時代、アメリカ時代、ベルリン時代と呼ばれるそうだが、いずれもそれほど長期間でもなく、それぞれの時代は3~4年程度。
その間に名盤や話題作を次々と発表し、ジギー・スターダストやシン・ホワイト・デュークというキャラクターを演じては終焉を迎えることを繰り返している。
創造性や創作意欲にあふれたこの時期が一番好きというファンも多いと思う。
80年代に入ると、ポップスターと俳優業の印象が強い。
ハデで独創的で自主興行的な70年代の活動と比べると、他者の力も大きく利用しながら、より大衆的な芸能にシフトした感じがする。
アルバム「Let's Dance」はキャリア最大のヒット・アルバムだが、当時最強のヒットメーカーのナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したことが大きいのは、本人もファンも納得する点であろう。
ただこの本にはそうした考察とは別のほのぼのエピソードも紹介されている。
82年秋、ボウイはニューヨークのクラブで偶然ナイル・ロジャースに会う。
ナイルと意気投合したボウイは、次作のプロデュースを依頼するため、後日ホテルのバーで待ち合わせたが、お互いに相手が隣にいながらも20分間気付かなかったとのこと。
人間くさい話ではあるけど、誰か周りにいた人が教えてあげればいいのに・・・
ボウイの出演作品として日本人にとって最もなじみの深い映画「戦場のメリークリスマス」だが、この本では思ったほど紙面を割いていない。
取材上の限界はあっただろうが、せっかく日本の読者向けに出版するのであれば、できればビートたけしや坂本龍一のコメントや撮影時の裏話など、もう少し書いてくれたら・・と思った。
本書はやはり基本的にはミュージシャンとしてのボウイを紹介するスタンスのようで、「ラビリンス」出演についても一言程度の案内にとどまっている。
人気実績とも絶頂を迎えたボウイだが、やはり葛藤はあったようだ。
ファンからは以降のボウイは迷走期に入ったと言われているそうだが、その迷走のひとつがバンド結成だった。
ミュージシャンとは知らずに友達になっていたリーヴス・ゲイブレルス。
彼の妻はボウイのアメリカでの広報を担当しており、妻はボウイにリーヴスのデモテープを渡し、ギターを気に入ったボウイはバンドを結成して一員として活動するアイデイアを思いつく。
ボウイはリーヴスの他、イギー・ポップのバンドにいたトニーとハントのセールス兄弟を誘った。
これがティン・マシーンである。
ティン・マシーンは2枚のアルバムを発表するが、売り上げはそれまでのボウイの実績に遠く及ばず、4年ほど活動しそのままフェードアウト。
ボウイが何をねらってバンドを結成したのか、なぜ「ボウイ&ティン・マシーン」ではなかったのか、結局ファンにもあまり伝わらなかったようだ。
90年代に入るとアルバム発表の間隔は広がったものの、活動自体は止まることはなかった。
93年には再びナイル・ロジャースにプロデュースを依頼し、アルバム「Black Tie White Noise」発表
盟友ミック・ロンソンも参加したが、残念なことにミックは発表の3週間後に肝臓がんで死亡している。
95年のアルバム「Outside」では、「Lodger」以来のブライアン・イーノとのコラボが実現。
ボウイは早くからパソコンやインターネットに親しみ、93・94年ころからマッキントッシュを使い始め、お絵かきソフトで遊んでいたそうだ。
94年には早くも公式ウェブサイトを開設している。
日本ではまだ個人でPCを購入したりインターネットを使ったりしてた人は少なかった頃だ。
98年には「ボウイネット」を立ち上げ、会員限定コンテンツを提供するなど、時代を20年以上先取りしていた感がある。
2000年代前半までは活動的だったが、後半は沈黙の期間と呼ばれた。
2002年のアルバム「Heathen」では22年ぶりにトニー・ヴィスコンティと共演。
「Let's Dance」でナイル・ロジャースを起用したことから二人は疎遠になっていたらしい。
ピート・タウンゼンド、デイヴ・グロール、トニー・レヴィンも参加している。
2003年「Reality」を発表。
2004年のツアー中の公演で9曲演奏した後、肩の痛みを訴えてステージを降り、その後ハンブルグで入院し心臓手術を受ける。
2006年11月、HIVに感染した子供の家族支援チャリティイベントで、アリシア・キーズと「Changes」を歌った後、公の場での歌唱や演奏を行わなくなった、とある。
詳細や真相は明らかにされていないが、やはり健康面で問題がいろいろ発生していたと思われる。
しかし2013年「The Next Day」を発表し、突然のカムバックを果たす。
2011年から秘密裏にこのアルバムのための作業を進めていたそうで、レコーディングは自宅から徒歩10分のスタジオ。
この場所なら行き帰りを目撃されても散歩の途中と説明できる、という理由で選んだとのこと。
関係者には箝口令が敷かれ、内容を漏らさないという契約書の署名が求められた。
そして2016年1月8日、ボウイ69歳の誕生日に「★(ブラックスター)」リリース。
だがその2日後にはボウイ死去が伝えられた。
2年ほど闘病の末に肝臓がんで亡くなったそうだが、おそらくは2011年当時から病気を抱えながらの創作活動となっていたのだろう。
スターであるがゆえに弱った姿を見せず、病と闘いながら新作を発表したのだ。
自らの命をもアルバム発表の演出に使ってみせた遺作が「★」である。
著者は73年生まれで、70年代の変幻カルト・スターとしてのボウイについては後追い世代だ。
本人もアルバムを買い集めたりライブに行きまくったり・・といった熱狂的なファンではないことをあとがきで告白している。
そういう人がデヴィッド・ボウイについて1冊の本を出版するのは、かなり勇気がいる決断だったのではないかと思う。
70年代ボウイをリアルタイムで追っていた古参のファンはこの本をどう評価しているのか気になるが、素人の自分としては、マニア視点ではない分、フラットにボウイの生涯を記していてわかりやすいと感じた。
というわけで、「デヴィッド・ボウイ」。
非常にいい内容で、読めてよかったです。
ボウイの未聴盤なんて山ほど残ってるので、この本を見ながら次はどれにしようか選んでみるのもいいかなと思いました。
読む前はロックスターの伝記が新書なの?と思いましたが、初心者にはありがたい情報量と構成なので、版元や著者には今後も他のロックスターについてもシリーズ化出版をぜひお願いしたいところです。
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コメント
SYUNJIさん、こんにちは。
デヴィッド・ボウイのアルバムは、70年代のものを中心に欲しいと思うものは何枚もあるのですが、いまだに入手できておらず、2枚組のベスト盤で主要な楽曲をたまに聞く程度です。
ということであまり私は彼について詳しくありません。
数年前に映画「スターダスト」を見ましたが、彼のお兄さんが精神病で入院しており、自分も同様な症状が現れるのではないかという不安に苛まれながら活動していた様子は、なかなか興味深かったです。
私は10年くらい前に発売された写真家の鋤田正義さんの写真集を持っているのですが、彼が撮った写真の中でもデヴィッド・ボウイを撮ったものは別格という感じがします。
有体に言うと被写体としてミステリアスなんですよね。私から見ると、彼は生活臭がなく、生身の人間というよりは、ギリシャ神話に出てくる人達のようなイメージなんです。
私の中では、モーリス・ベジャールバレエ団の有名な演目であるボレロを最初に演じたジョルジュ・ドンのイメージと近い感覚を彼には持っています。
今回の書き込みをきっかけに、彼のオリジナルアルバムを少し集めようかなと思います。
投稿: getsmart0086 | 2023.10.08 13:52
ゲッツさん、コメントありがとうございます。
>2枚組のベスト盤で主要な楽曲をたまに聞く程度です。
あれ、そうだったんですか?
てっきり70年代名盤のいくつかはお持ちだと勝手に思ってました・・
>彼のお兄さんが精神病で入院しており、自分も同様な症状が現れるのではないかという不安に苛まれながら活動していた様子は、なかなか興味深かったです。
この本にも異母兄のことは書いてありました。
ボウイがスターになった後に残念ながら自殺したそうですが、ボウイのダメージはかなり大きかったようです。
>有体に言うと被写体としてミステリアスなんですよね。私から見ると、彼は生活臭がなく、生身の人間というよりは、ギリシャ神話に出てくる人達のようなイメージなんです。
これはわかる気がします。
自分はさらにボウイに詳しくありませんし、ロックスターの多くが当てはまるとは思いますが、確かに生活臭は感じない人ですね。
この本には子育ての話も少しだけ書いてあるので、実態はもう少し人間くさい面はあると思いますが。
>今回の書き込みをきっかけに、彼のオリジナルアルバムを少し集めようかなと思います。
自分もとりあえず「Let's Dance」は聴いておこうと思います・・
いつになるやらわかりませんが・・
投稿: SYUNJI | 2023.10.09 18:18