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聴いてない 第304回 シンニード・オコナー

先月56歳の若さでこの世を去ってしまったシンニード・オコナー。
全然聴いておらず、訃報を聞いてようやく採り上げるという毎度失礼な展開ですが・・・
なお名前の表記は以前からシニードやシネイドなどかなり揺れているようだが、今回は比較的なじみのあるシンニード・オコナーで統一します。
今はシネイドが正しい表記のようですけど、以前フィル・コリンズがインタビューで彼女の名を口にしてた時はやはり「シンニード・オコナー」と聞こえました。

シンニード・オコナー、ほとんど聴いていない。
大ヒット曲「Nothing Compares 2 U」は録音できなかったが、プロモ・ビデオを新婚旅行中にシドニーのホテルで見た記憶だけはある。
あとは92年に行われたボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートに出演したシーンを覚えている。
NHKテレビで放送されたので音声だけテープに録音したのだが、シンニード・オコナーはブーイングの中で突然ボブ・マーリーの「War」を歌い、その1曲だけで退場という強烈な映像だった。
なので聴いてない度は実質1である。

歌よりも行動や言動が注目されることが多かったシンニード・オコナー。
あらためてその生涯を調べてみました。

シンニード・オコナーは1966年12月8日、アイルランドの首都ダブリンに生まれた。
父親は弁護士だったが母親とは不仲で後に離婚する。
父親と後妻と暮らしていたシンニードは万引きや不登校などの問題行動を起こすようになり、教会が運営する保護施設に預けられた。

シンニードは84年半ばに学校を中退し、ダブリンで活動していたトン・トン・マクートというバンドに加入する。
バンドのサウンドはワールド・ミュージックに傾倒していたものだったが、周囲の関係者はバンドの魅力はシンニードの歌唱力とステージの印象にあると見抜いていた。
シンニード・オコナーは次第に業界から注目されるようになり、イギリスのエンサイン・レコードと契約する。
さらにU2とも関わりのあったファクトナ・オ・チェラーイがマネージャーに就いた。
しかしファクトナは問題発言も多くU2から解雇された人物で、その影響を受けてか、シンニードも政治問題について率直な意見を述べ、IRAの行動を擁護し、「U2の音楽は大げさだ」などとも発言。
後に「あの時は若すぎた」と撤回したが、デビュー当時からストレートな意見を言うタイプのミュージシャンだったようだ。
なおシンニードの母マリーは85年2月、車を運転中に凍結した道路でバスに衝突し、45歳で事故死している。

87年のファースト・アルバム「The Lion and the Cobra」は全英ウィークリーチャートで27位を記録。
ゴールド・レコードに輝き、グラミー賞で最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。
またシングル「Mandinka」はアメリカのカレッジ・ラジオで大ヒットし、翌88年に初めてアメリカのネットワークテレビに出演し「Mandinka」を歌った。

90年にセカンドアルバム「I Do Not Want What I Haven't Got(蒼い囁き)」を発表。
アルバムにはアダム・アンド・ザ・アンツとの共演で有名なマルコ・ピローニ、ザ・スミスのアンディ・ローク、ウォーターボーイズのスティーブ・ウィッカム、シンニードの最初の夫であるジョン・レイノルズが参加している。
シングルカットされたプリンスのカバー曲「Nothing Compares 2 U」が世界中で大ヒットし、アルバムは英米で1位を記録した。
ただしプリンスは自作の曲をシンニードがカバーしたことをあまりよく思っていなかったそうだ。
「Nothing Compares 2 U」のレコーディング後にプリンスから呼び出され、口論の末に殴り合いとなり、明け方にシンニードはプリンスの家から逃げ出したとのこと。

この頃から歌よりも言動や行動で注目を浴びることが増えていく。
アメリカ国内ではコンサートの前に国歌が流れる慣習があるが、シンニードはこれに反発し「国歌が流れたら演奏しない」と発言。
この発言が多くの批判を浴び、フランク・シナトラは「なんやねんアイツ。アメリカから出ていけや!尻蹴ったろか」と怒ったらしい。

1992年10月に自身最大の炎上事件が起こる。
シンニードはアメリカの深夜テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の生放送に出演。
持ち歌「Success Has Made A Failure Of Our Home」と「Scarlet Ribbons」を歌う予定だったが、2曲目に突然ボブ・マーリーの「War」(児童虐待に抗議する歌詞に変更)を歌い出した。
歌い終わるとカメラの前で当時のローマ法王・ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てるという行動に出た。
当時カトリック教会内で行われていたとされる児童虐待に対する抗議の表明だった。

この放送の13日後、シンニードはニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートに出演。
しかしステージに登場したシンニードに対し、観客から大ブーイングが起こり、鳴り止まない状態に。
ディランの曲を歌う予定だったが、結局シンニードはブーイングの中でまたボブ・マーリーの「War」を歌ってステージを下りた。

1992年、シンニードは当時恋仲にあったピーター・ガブリエルのアルバム「Us」に参加。
ツアーにも同行し、ステージで歌を披露した。
93年のMTVビデオ・ミュージック・アワードにピーターが出演した際も、シンニードが寄り添っていたそうだ。
しかしピーターはシンニードの奇行や睡眠薬中毒などに悩まされ、次第に扱いが雑になり破局を迎えている。

こうした騒動の中でもシンニードは92年にアルバム「Am I Not Your Girl?(永遠の詩集)」を発表。
前作には及ばなかったものの、本国アイルランドでは8位、全英6位を記録している。
94年には「Universal Mother」をリリースし、アイルランドで5位を獲得した。

21世紀に入るとシンニードの音楽性は多様化していく。

2000年にアルバム「Faith and Courage」をリリースし、シングル「No Man's Woman」にはユーリズミックスのデイブ・スチュワートが参加。
2002年のアルバム「Sean-Nos Nua」ではアイルランド民謡を原語で歌った曲を収録した。

2003年にはデモ音源と未発表曲やライブ音源を収録した2枚組の企画盤アルバム「She Who Dwells in the Secret Place of the Most High Shall Abide Under the Shadow of the Almighty」をリリース。
この直後に線維筋痛症の治療のため引退を発表したが、結局2年ほど活動休止した後に復帰。
2005年にはピーター・ガブリエル、マッシヴ・アタック、エッジ、U2などが参加したコンピレーション・アルバム「Collaborations」がリリースされた。

シンニード・オコナーは音楽配信にも意欲的だった。
2005年のレゲエ・アルバム「Throw Down Your Arms」はLPとCDの他ダウンロード盤も発表。
2007年6月にリリースされたアルバム「Theology」に収録された 「If You Had a Vineyard」と「Jeremiah (Something Beautiful)」の2曲を、公式ウェブサイトから無料でダウンロードできるようにした。

2012年にアルバム「How About I Be Me (and You Be You)」をリリース。
このアルバムを引っ提げた大規模なツアーを計画したが、体調不良に見舞われ、ツアーと2012年の残りのすべての音楽活動がキャンセルされた。

2014年2月、ロマンチックなオリジナルのラブソングで構成された新アルバムのレコーディングを開始。
新アルバム「I'm Not Bossy, I'm the Boss」は同年8月にリリースされた。
2014年11月、シンニードはイギリスとアイルランドのミュージシャンとともにチャリティ・スーパーグループ「バンド・エイド30」に参加し、西アフリカのエボラウイルス流行への募金を集めるために「Do They Know It's Christmas? 」の新バージョンをレコーディングした。

この頃から健康面や私生活でのダメージが重なり、活動の間隔が少しずつ開き始める。
2019年9月、5年ぶりにライブ・パフォーマンスを行い、アイルランド室内管弦楽団と「Nothing Compares 2 U」を歌った。

2021年6月、シンニードは「もうツアーもプロモーションもしない。レコード・ビジネスの仕事からも引退することを発表します。私は年を取り、疲れました」と、再び音楽業界からの引退をツイッターで発信する。
ただし直後にまた発言を撤回し、予定されていた2022年のツアーを決行すると発表した。
これだけでも当時彼女は相当混乱していたことがわかるような状態だった。

この後おそらくシンニード・オコナーにとって生涯最大の過酷な悲劇が起こる。
2022年1月7日、息子シェーンが17歳の若さで自殺により亡くなってしまう。
シェーンは精神を病んでいて、自殺の危険があるため入院していたが、病院を脱走して結局自殺してしまったそうだ。
息子の自殺はシンニードに計り知れない衝撃をもたらし、シェーンの死から1週間後に彼女も命を絶つことを示唆するようなツイートを連続発信し、その後自らの意思で入院した。
シンニードは離婚によりシェーンが13歳の時に親権を失っており、以来孤独を感じて精神科に通ったり自殺したいと思ったと発言していた。

今年の2月、シンニードはスコットランドで作られたゲール語の古い歌をアレンジした「The Skye Boat Song」を発表。
ファンも彼女の活動再開に安堵していた矢先に、7月26日に家族により突然の訃報が伝えられた。
またロンドン警視庁の発表では、現地時間の7月26日午前11時頃に自宅で女性が倒れているとの通報があり、警察が現場でシンニード・オコナー56歳の死亡を確認したが、不審死としては扱っていないとのこと。
死後1か月ほど経つが、死因は今も明らかにされていない。

以上がシンニード・オコナーの波乱に満ちた生涯である。
知ってた話は全然ない。

とにかく幼少期から晩年まで、どんな言葉で形容しても追いつかないほど過酷な人生だったことがわかる。
母親からの虐待、施設入所・脱走、数々の反発発言と炎上、4度の離婚や親権喪失、度々の引退宣言と復活、長年の大麻中毒など。
また線維筋痛症や双極性障害、心的外傷後ストレス障害、境界性人格障害、広場恐怖症など多数の病歴もあったようで、これだとまともに生きることは困難だっただろうと思う。
数々の問題発言や行動で批判されてきたが、後に撤回したり訂正したりすることも多く、直情型の性格だったようだ。

お騒がせタイプの歌手ではあったが、アイルランドでは国民的な人気を誇っており、今月行われた葬儀にはボノやボブ・ゲルドフ、またアイルランドの大統領と首相が参列。
首相は「彼女の音楽は世界中で愛され、その才能は比類なきものだった」とコメントしている。
英米のミュージシャンからの評価も高く、彼女の死に対してレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、R.E.M.のマイケル・スタイプなど多くのアーチストが追悼のメッセージを発信。
また死後から数日経った7月29日のフジロックに出演したフー・ファイターズアラニス・モリセットは、シンニードに捧げる特別パフォーマンスとしてデビューアルバム収録の「Mandinka」を演奏したそうだ。

「Nothing Compares 2 U」をYou Tubeで聴いてみたが、壮絶な人生とはあまり結びつかない素朴で感情豊かな歌声である。
オリジナルであるプリンス版も聴いてみたが、かなり雰囲気が違う。
シンニード・オコナーはオリジナルとは異なる独自の世界観を作っており、勝手な想像だがプリンスはシンニードの才能に嫉妬したんじゃないかとも思う。

というわけで、シンニード・オコナー。
気安く聴けるような感じではなくハードルの高いアーチストだと思いますが、今さらですけど聴くとしたらやはり「I Do Not Want What I Haven't Got(蒼い囁き)」は外せないでしょうね。
みなさまのシンニード評についてお聞かせいただけたらと思います。

 

 

 

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聴いてみた 第178回 リトル・フィート

致命的名盤を今さら聴いてみようかなシリーズ、今日聴いてみたのはリトル・フィートの「Dixie Chicken」。
実はかなり前にモンスリー師匠の名盤指導要領に沿って聴いてはみたものの、全く定着せずそのまま放置していた。
従って再履修ではあるが全曲にわたり記憶は喪失しているので、実質初めての鑑賞である。(問題外)

Dixie-chicken

再履修を前にアルバム制作背景を前室でスピード学習。
リトル・フィートは71年にデビューし、翌年「Sailin' Shoes」を発表するが全然売れず、ベースのロイ・エストラーダが脱退。
その後デラニー&ボニーのグループにいたケニー・グラッドニー(B)、サム・クレイトン (パーカッション)が加入。
さらにルイジアナ州出身のポール・バレアが加わり6人組となる。
ここからバンドは確変し、サウンドにファンク要素を採り入れていく。

73年にニューオーリンズ・サウンド大胆導入アルバム「Dixie Chicken」を発表。
ローウェル自身がプロデューサーを務め、ボニー・レイットもバックボーカルで参加している。
アルバムはチャートを賑わすような実績は残していないが、リトル・フィート初期の名盤として高く評価されているとのこと。

・・・名盤という評価はわかったが、ニューオーリンズやファンクがどういうものなのか全然理解しておらず、さらには聴いたくせに定着しなかったという前科があるため、再履修前から不安しかない。
もしまた定着しなかったら、それが自分の実力である。(ヤケクソ)
果たして自分はリトル・フィートやり直し鑑賞で小さな一歩を踏み出すことができるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Dixie Chicken
けだるいリズムにピアノとかすれたギターで始まる名曲。
がなり系ボーカルにガヤ系コーラスで思ったより騒々しく、ライブのようなノリである。
「Dixie Chicken」は「南部のちょっといい女」を意味し、メンフィスでいい女に会っていい歌を歌ってくれて酒場をハシゴしていい感じになった・・と思ったら、実は地元で有名な浮気女で、1年後にとあるバーに行ったらその場にいた男全員があの歌を知っていた・・という物語。

2.Two Trains
これも雰囲気は前の曲と似ている。
楽器の音がどれもけっこう尖って聞こえる。

3.Roll Um Easy
アコースティックギターで静かに始まる弾き語り。
どこかイーグルスドゥービーを思わせる部分もあるが、どちらにもない雑でワイルドな味わい。
後にリンダ・ロンシュタットもカバーしたそうだ。

4.On Your Way Down
アラン・トゥーサンの作品。
スローテンポにキーボードが印象的な、映画音楽のようなサウンド。

5.Kiss It Off
これもボーカル中心の静かに始まる曲だが、なんとなくエスニック調な音が聞こえたり、SF映画っぽい人工的な効果音がはさまれたりで不思議な感覚の曲。

6.Fool Yourself
LPではここからB面。
のちにリトル・フィートに加入することになるフレッド・タケットの作品。
大きな盛り上がりはないが、ボーカルとコーラス、リズムとサウンドのバランスが取れていてまとまった印象。

7.Walkin' All Night
ビル・ペインとポール・バレルの共作。
ボーカルはポール・バレルだが、ローウェル・ジョージに比べて少し線が細い。

8.Fat Man in the Bathtub
独特のリズムに投げやりな楽器が響き、ライブ感が最も強い曲。
タイトルの「浴槽のデブ男」とは後先を考えないダメな男のことで、目の前の女やクスリにすがる哀れな姿を歌っている・・らしいが、訳詞を見てもいまいち意味がわからない。

9.Juliette
ジャズっぽいサウンドに乗せてローウェルが物悲しく歌う。
コーラスもそれぞれが主張していて、あまり調和していない気がするが、これがリトル・フィートのスタイルなのだろう。

10.Lafayette Railroad
ラストはギター中心のインスト。
エンディングとしてはやや物足りない感じがする。
タイトルの「Lafayette」はルイジアナ州南部の都市名とのこと。

聴き終えた。
聴いた記憶が残っていた曲は全くなく、やはり全てが初鑑賞同然だった。
とりあえず苦手な音や受け入れがたい感覚はなく、想定内のサウンドである。
では具体的にどこがニューオーリンズなサウンドなのかというと、そこはよくわからない。

「Roll Um Easy」「Fool Yourself」など、イーグルスやドゥービー・ブラザーズに近い雰囲気を感じる曲もある。
ただしイーグルスの清らかさやドゥービーのスクエア感はあまりなく、リトル・フィートはステージ上のメンバーがなんとなく離れて立っていてソデからソデまで目一杯使ってわらわら音を出しているような感じがする。

「On Your Way Down」「Fool Yourself」はいいとは感じた。
では繰り返し聴きたくなるアルバムか・・?と問われると、まだそこまでの感情は起こっていない。
拒絶感や苦手な感覚は特になかったので、なぜ定着しなかったのかもよくわからない。
最近ようやくわかってきたが、イーグルスもドゥービー・ブラザーズもザ・バンドも、おそらく自分にとっては「流れていても問題ないが、能動的に繰り返し聴きたくなる音とは違う」のだろう。
リトル・フィートも「Dixie Chicken」はその範疇にあると思われる。

タイトル曲「Dixie Chicken」は味わい深い曲だとは思う。
ただ少し気になったのは歌詞の解釈である。
歌詞にある「Dixie Chicken」と「Tennessee lamb」という組み合わせは男と女を表しているようだが、和訳した人によってChickenとlambのどっちが女かは異なっている。
歌を歌ったのは女のほうなので、「If you'll be my dixie chicken, I'll be your Tennessee lamb」という部分は、女の立場からすれば「もしあなたが私のディキシー・チキンになってくれたら、私はあなたのテネシー・ラムになるわ」となるので、Chickenが男でlambが女ということになる。
でも「これは男の立場で歌っている」と解釈してるサイトもあって、それだと「Dixie Chicken」は「南部のちょっといい女」を意味することになる・・・のだが、正直どちらが正しいのかはよくわからない。

さらに言うと、チキンとかラムとか、肉を男女にたとえて歌うという図式が、当時も今もイケてることなのか全然わからない。
まあポークとビーフとかガツとホルモンじゃたぶんダメなんでしょうけど。
歌詞の解釈は聞き手にゆだねられている・・・ということならどちらでもいい気もするが、当時の世相とか南部固有の文化などを背景として理解した上で聴かないと、この曲の本当の良さはわからないだろう。
洋楽全般に言えることだが、やはりこのあたりは極東の三流リスナーでは条件的に非常に不利である。

ジャケットはネオン・パークというイラストレーターによる非常に印象的なアート。
長いアコーディオンに巻かれた謎の女の立ち姿なのだが、サウンドとは全然合っておらずプログレっぽいデザインだと思う。
リトル・フィートのジャケットはほとんどネオン・パークが手がけていて、一つ目の怪物少女がブランコで靴飛ばししたり、トマト女がハンモック上で微笑んだりと、やっぱりプログレっぽい独特の世界観である。
アートとしては面白いので、当時のナウいヤングはレコードジャケットを壁にかけてベルボトムにロンドンブーツでユラユラグルグルしていたんだろうなと思う。(適当)

というわけで、「Dixie Chicken」。
悪くはなかったんですけど、定着する予感も全然しないという身も蓋もない状態になりました。
もう少し聴きこんでみて、さらに他のアルバム鑑賞にも発展できたらいいなと思います。(棒読み)

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