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聴いてない 第302回 アンスラックス

前回アンブロージアをメタルだと勘違いして世界中に恥をさらした自分ですが、今回は正真正銘のメタルバンド、アンスラックスを採り上げます。
どっちにしろ聴いてないんで恥をさらすことに変わりありませんが・・・

アンスラックス、全く聴いてません。
メンバーの名前や顔も知らず、そもそも何人組なのかもわからない。
メタリカメガデスとスレイヤーとともに「The Big 4」と呼ばれるスラッシュメタル四天王の一角を担う・・・そうだが、スレイヤーとアンスラックスは1曲も聴いていない。
聴いてない度は破竹の1。

アンスラックスはスラメタ(って言うの?)スタイルを確立したパイオニア的存在だが、四天王の中では特異なバンドだそうだ。
四天王のうち三沢・小橋・川田・・・じゃなかった、メガデス・メタリカ・スレイヤーは西海岸出身だったが、アンスラックスだけは東海岸のニューヨークで結成されている。
そのため基盤のメタルにパンクやヒップホップといった東海岸テイストな要素を加えることにより、独自のミクスチャーな音楽性を確立していった・・・とあちこちのサイトに書いてある。
メタルだけでも大変なところに、さらに縁遠いパンクやヒップホップが混ざってるとなると聴ける気が全然しないんですけど、ともかくバンドの来歴だけ追っかけることにした。

アンスラックスは1981年にニューヨークでスコット・イアンとダン・リルカ、デイブ・ワイスによって結成され、その後ボーカルのジョン・コネリーと、ベースのポール・カーンが加わった。
バンド名アンスラックスは炭疽菌のことで、イアンが生物学の教科書(ウィキペディア日本語では百科事典となっている)で見つけ、邪悪な響きであることから選ばれたとのこと。

ただしアンスラックスはデビュー前からメンバーが非常に流動的で、全ての人事異動を正確に言えるファンはあんましいないんじゃないかと思うほど出入りが激しい組織のようだ。
最初のアルバム「Fistful of Metal」は以下のみなさんで録音されている。
スコット・イアン(G)
ダン・リルカ(B)
ニール・タービン(Vo)
ダン・スピッツ(G)
チャーリー・ベナンテ(D)

結成時のメンバーから早くも3人入れ替わっている。
英語版ウィキペディアの「List of Anthrax members」というページを見ると、81年の結成から1年半くらいの間にボーカルが6人くらい変わっていて、きっちり数えるとデビューアルバムを発表したのは第9期だ。
パープルよりすごいってどういうバンドだよ・・・

そんな感じでスタートから安定の少ないアンスラックス。
結成メンバーだったダン・リルカは他のメンバーとの間に様々な理由(何?)で緊張が高まり、最終的にはバンドがダンを解雇するに至った。
後任としてチャーリー・ベナンテの甥にあたるローディのフランク・ベロが加入。
さらに84年8月にはニール・タービンの個人的な趣味(何?)を理由に解雇した。
バンドは残った4人で一時的に別の名前で活動を継続。
この時はスコット・イアンがボーカルを務めている。

その後ボーカルのジョーイ・ベラドンナが加入し、セカンドアルバム「Spreading the Disease(狂気のスラッシュ感染)」を85年10月にリリース。
評価も高くバンドとしてはようやく安定・・なのだが、メンバーはわりと自由に活動していたようだ。
スコット・イアンとチャーリー・ベナンテは、なんと解雇したはずのダン・リルカと共にサイドプロジェクトとしてストームトルーパー・オブ・デスを結成。
アンスラックスのレコーディングの余り時間を使ってわずか3日間でアルバム「Speak English or Die」を録音し、アンスラックスのアルバムより先にリリースしている。
本人たちは楽しそうですけど、契約上問題はなかったんでしょうかね?

87年にはアルバム「Among the Living」を発表する。
プロモーションのために1年以上ツアーを行い、ヨーロッパではメタリカとも同行。
キッスのCrazy Nightsツアーもサポートした。
この努力は結果としてアンスラックスの人気と知名度を飛躍的に向上させ、シングル「Indians」は全英チャートで44位、「I Am the Law」は32位を記録し、アルバムも初のゴールドレコード認定となった。

翌88年に4枚目のアルバム「State of Euphoria」をリリース。
ジューダス・プリーストやメタル・チャーチと仕事をしていたマーク・ドッドソンがプロデュースを担当したこのアルバムは、前作ほどには評判が良くなかったが、リリースから約5ヶ月でゴールド認定された。
ジャケットは蚊取り線香みたいな渦巻き模様にメンバーの叫び顔が浮遊してるという、どこかパープルチックな絵ですけど。

人気が安定したアンスラックスは、89年頃にはライブイベントのヘッドライナーやオープニングアクトとしてアリーナで演奏するようになる。
オジー・オズボーンのツアーのサポートや、エクソダスとハロウィンとのアメリカ・ヘッドバンガーズボールツアーのヘッドライナーを務めた。

90年にリリースされた「Persistence of Time」は、レコーディング前のセッションの最中にスタジオで火災が発生し、高額な機材とリハーサルスタジオを失うというアクシデントの中で制作された。(全英13位・全米24位)
シングル「Got the Time」はジョー・ジャクソンのカバーで、全英16位という成績をジョー・ジャクソンも喜んだらしい。

91年にはパブリック・エナミーが88年にリリースした「Bring Tha Noize」を、本家と共演カバー。
ヒップホップとメタルをクロスオーバーさせた革命的カバーと話題になった。
ただ「カバーするんで共演せえへん?」とパブリック・エナミー側に連絡したが、スケジュールが合わず一緒にスタジオに入れなかったので、別々の場所でレコーディングをしたそうだ。

しかし92年の初めにバンドは大きな転換を迎える。
ジョーイ・ベラドンナは創造性とスタイルの違い(って何?)を理由にアンスラックスから解雇された。
円満退社という報道もあったらしいが、解雇と円満退社ってどうして真逆の報道になるの?
バンドは後任ボーカリストのオーディションを行うが、最終的に別のメタルバンド「アーマード・セイント」のジョン・ブッシュを円満に引き抜くことに成功した。

ジョン加入後の最初のアルバム「Sound of White Noise」は1993年にリリースされた。
オルタナティブロックに影響を受けた暗いサウンドで、ジョンの低く野太い声は評論家から「威嚇的で不吉なアルバム」などと書かれたりしたが、ファンからは高い評価を得ており、全英14位・全米7位の成績を残した。

バンド史上最大のヒットを出してもアンスラックスは安泰ではなかった。
ギターのダン・スピッツが時計職人になるという予想外の転職動機でバンドを脱退する。
4人組となったバンドは95年に7枚目のスタジオアルバム「Stomp 442」をリリース。
だがリリース直前にレーベルのエレクトラでは社長交代があり、新社長は「Stomp 442」の内容を良く思っておらず「ワシやったらこんなんOK出さへんかったで正味の話」などと語り、プロモーションも行わなかった。
結果「Stomp 442」は全英77位・全米47位と前作を大きく下回る実績しか残せず、レーベルとの仲は悪くなり契約は終了してしまう。

以降アンスラックスはバンド内よりもレーベルに関して不運が続く。
97年末には独立レーベル「イグニッション」と契約し、翌年「Volume 8: The Threat Is Real」を発表。
パンテラのボーカリストであるフィル・アンセルモがゲスト参加してくれたが、98年末にレーベルは倒産し流通が途絶え、全米チャートでは100位にも入らなかった。
バンドは再帰を賭けてビヨンド・レコードと契約し、99年にベスト盤「Return of the Killer A's」をリリースしたが、その後ビヨンドも倒産している。
なおこの時期、ジョーイ・ベラドンナとジョン・ブッシュのツインボーカルツアーが計画されたが、ジョーイは直前で参加を見送っている。

2003年、今度はサンクチュアリ・レコードと契約し、9枚目のスタジオアルバム「We've Come for You All」を発表。
ファンや評論家からは復調したと賞賛されたが、全米122位止まりで商業的には成功しなかった。

様々な混乱にもめげずアンスラックスは活動を継続。
2004年初頭には全曲が新録音によるセルフカバーアルバム「The Greater of Two Evils」をリリースした。
デビュー20周年を記念し、ホームページ上でのファン投票によって選ばれたナンバーをスタジオライブ形式で録音している。

2005年、ジョーイ・ベラドンナとダン・スピッツが復帰。(時計職人の夢は?)
名盤「Among the Living」リリース時のメンバーが揃い活動を再開。
ツアーも行われ「Among the Living」全曲を演奏した時もあった。
2006年10月14日には「LOUD PARK 06」で来日を果たす。
この再結成アンスラックスはツアー後にニューアルバムをレコーディングする予定だったが、2007年にはジョーイ・ベラドンナが再結成に同意せず結局脱退。
バンドはジョン・ブッシュにも復帰を持ちかけたがジョンも断っている。
2007年12月にボーカルのダン・ネルソンが加入し、ロブ・カジアーノが復帰すると発表。
2008年5月にシカゴで19ヶ月ぶりのライブを行った。

その後ボーカルは小刻みに変動。
2009年7月、バンドマネージャーは「ダン・ネルソンは病気により脱退した」と発言するが、ダンは「解雇された」と否定した。
予定されていたオーストラリア公演を前にバンドは動揺したが、頼れるボーカルのジョン・ブッシュが復帰。
公演の後、ジョン・ブッシュは次のアルバムのいくつかの曲のボーカルを再録音するつもりだと語った。

だが。
2009年末にヨーロッパでの「Big4」のライブが決定すると、ジョン・ブッシュはなぜかBig4ライブを嫌がってバンドを脱退する。
で、今度はジョーイ・ベラドンナがBig4ライブ参加のためにバンドに復帰。
ニューアルバムを録音することも約束した。
この流れを見ると、ジョーイとジョンは互いに「ヤツと同じステージやスタジオでは歌いたくない」と思ってるってことですかね?
ともあれジョーイ復帰でアンスラックスはめでたくBig4としてメタリカとメガデスとスレイヤーとともに史上初めて同じステージで演奏した。

2011年6月、アンスラックスは新曲まで数年待ったファンに感謝を込めてシングル「 Fight'Em 'Til You Can't」をウェブサイトでフリーダウンロード曲として公開。
9月にはアルバム「Worship Music」がリリースされ、全米チャートで初登場12位となった。
2013年にギターのロブ・カッジアーノが脱退し、ジョナサン・ドナイスが加入。
2016年に11枚目のスタジオ・アルバム「For All Kings」を発表した。

その後のアンスラックスはBig4も含めて他のメタルバンドとの交流が多いようだ。
アイアン・メイデンの中南米ツアーでオープニングを飾ったり、スレイヤーやデス・エンジェルと共に北米ツアーに出たりしている。
また2019年10月にはテスタメント、アーマード・セイント、デビルドライバー、メタル・チャーチらとともに、メガデス主催のクルーズ船上ライブ「メガクルーズ」に参加した。

2021年にはバンド結成40周年記念ツアーが予定されていたが、コロナ禍により翌年に延期された。
2022年7月に配信ライブのフルセットリストに加え、リハーサルや地元ニューヨークの案内映像も収録されたライブ盤「XL」をリリースした。

以上がアンスラックスのたどった長く輝かしい金属な道のりである。
脱退や復帰など楽しそうな離合集散が多々あったようだが、残念ながら知ってた話は一切なし。
メタル界隈での交流についても、出てくるバンド名は全然知らない。
パブリック・エナミーとの共演も全く知らなかった。

学習にあたりいくつかの曲をYou Tubeで聴いてみたが、どれも想定していたメタルのイメージそのものの楽曲とサウンドだった。
やたら早いリズムに早口ボーカル、騒々しいドラムにキレ気味ギター。
ジョーイとジョンのボーカルの違いもあまりよくわからなかった。
それくらい楽器の音が騒がしい。
申し訳ないがあまり楽しくなく苦手な音楽だった。
これを克服するのは相当な勇気と挑戦そして努力が必要だ・・・などと予備校のスローガンみたいなことを考えました。

あとアンスラックスってそんなにプロモ・ビデオに凝ってないようで、ふつうに(でもないけど)歌って演奏する映像が多かったように思いました。
ストーリー仕立てや俳優を使ったビデオもあったりするんだろうか?

そんなわけで、アンスラックス。
冒頭に述べたとおり正直聴ける気は全然しませんが、それでも初心者向けなアルバムがあったりするのであれば教えてほしいと思います。

 

 

 

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聴いてない 第301回 アンブロージア

関東最大級の無成長BLOG、300回を超えてもまだ聴いてないバンドが噴出する。
名前をなんとなく知ってる程度で、しかもどこでどう勘違いしたのか、先ほどまでメタルバンドだと思っていたのがアンブロージアである。
アンスラックスとかアイアン・メイデンとかアルカトラスとかアンタッチャブルとかアンガールズとか、メタルの人たちはアで始まるバンドが多いので、勝手にそう認識した可能性が高い。(適当)
事の重大さにようやく気付き、あわてていくつか曲をYou Tubeで確認したところ、「Biggest Part of Me」だけかすかに聴き覚えがあった。
でも実質全く聴いてないに等しいので、聴いてない度は孤高の1。

アンブロージアは結成当初はプログレで、後にAOR路線にシフトした珍しい歴史を持つバンドだそうだ。
これだけでも驚きだったが、さらに驚愕したのがブルース・ホーンズビーが在籍したことがあった、という話。
ブルース・ホーンズビーは結構好きで、レインジ時代やソロも含めて4枚もアルバムを聴いているが、全然知らなかった・・・
在籍期間も短く、目立った存在でもなかったようだが・・・

このトシになってもまだ知らないことだらけの全米芸能界。
あらためてメタルではなかったアンブロージアについて調査を開始。

アンブロージアは1970年にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成されたアメリカのロックバンド。
結成当時のメンバーは以下のみなさんである。
・デビッド・パック(G・Vo)
・ジョー・プエルタ(B・Vo)
・クリストファー・ノース(K)
・バーレイ・ドラムンド(D)

当初は「アンバーグリスマイト」という名前だったが、すでに「アンバーグリス」という名前を使ったバンドがあることを知ったため、ギリシャ神話にある不老不死の食べ物の名前「アンブロージア」という名前を選んだ。
・・・アンバーグリスってなに?と思ったら、マッコウクジラの腸内にできる結石のことで、「竜涎香」と言う別名があり、漢方薬や香料として珍重されてきたものだそうです。
どっちにしろ日本人にはほとんどわからない名前だ。

メンバーは同世代の多くの人々と同様に、ビーチ・ボーイズビートルズに影響を受けていた。
だがバンド結成時はクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに夢中になり、ボーカルにハーモニーを重ねる実験を始めた。
なので最初はフォーク・ロックのバンドだったが、ある晩に当時はまだ無名だったキング・クリムゾンのライヴを見て衝撃を受け、プログレに転向するようになったそうだ。
なんかどうも他人の影響を受けやすい人たちのように思えますけど・・・

75年にファーストアルバム「Ambrosia」をリリース。
この時ミキシングを務めたのはアラン・パーソンズで、アルバムはグラミー賞ベストエンジニア録音賞にノミネートされた。
シングル「Holdin' on to Yesterday」も全米チャート17位を記録している。

翌76年にアルバム「Somewhere I've Never Travelled(ピラミッドの伝説)」発表。
プロデューサーはアラン・パーソンズが担当。
ジャケットは確かにプログレな装いだが、どこかパープルっぽい気もする。
英語版ウィキペディアには「タイトル曲とシングル曲「Can't Let a Woman」が発表され、どちらも豪華なオーケストラとボーカルアレンジで、FMの人気曲となった」と書いてあるが、アルバムは全米79位で前作には及ばなかったようだ。

このあたりでバンドは方向転換を模索し始める。
プログレよりもポップやR&B、ジャズといった売れ線のサウンドを採り入れていくことになるが、この路線にクリストファー・ノースは納得できず、次のアルバム「Life Beyond L.A.(遥かなるロスの灯)」のレコーディング中に脱退した。

かなり大胆な転換だったと思うが、商業的には成功となる。
AORなシングル「How Much I Feel」は全米3位の大ヒットを記録し、アルバムも全米19位と復活。
フリートウッド・マックハートドゥービー・ブラザーズとの大規模なツアーも始まり、ライブバンドとして高い評価を受けるようになる。
78年のツアー中にクリストファー・ノースが復帰し、さらに2人目のキーボーディストのデビッド・C・ルイスと、ボーカルのロイス・ジョーンズが加入した。

80年4月にワーナーより「One Eighty(真夜中の晩餐会)」をリリース。
シングル「Biggest Part of Me」は全米3位、「You're the Only Woman (愛にときめいて) 」は13位を記録。
・・・そうなの?全然知らない・・・
80年の全米3位ヒット曲なのに、柏村武昭は何をしていたのだろうか?
オンエアしてたけど自分が録音し損ねた可能性もありますけど・・・

2曲の大ヒットにより、めでたくアルバム「One Eighty」はグラミー賞の3部門にノミネートされた。
日本公演も行われ、クリフ・ウーリーがギター、ハーモニカ、バックボーカルで参加した。
なお「One Eighty」とはバンドの方向性を「180度」変えたことを意味するとファンに信じられていたが、バンド側は80年1月にレコーディングを開始したことに由来すると主張している。

しかし栄光の後に波乱が起きるのがロックバンド。
82年にデビッド・C・ルイスは一時的にツアーグループを離れ、入れ替わる形でブルース・ホーンズビーが参加する。
同年に最後のスタジオアルバム「Road Island」を発表。
内容は大半が激しいハードロックで構成されており、商業的には全米115位と大幅に後退した。
クレジットや参加メンバーにブルース・ホーンズビーの名前はないそうだが、シングル「How Can You Love Me」のビデオに出演はしているとのこと。
アンブロージアはその後解散し、チャートでの成功の歴史に終止符を打った。

なおアンブロージア解散後、ブルースとジョー・プエルタはシーナ・イーストンのツアーバンドのメンバーとして活動し、後にザ・レインジを結成する。
またブルース・ホーンズビーはシーナ・イーストンのシングル「Strut」のプロモ・ビデオにも出演しているそうだ。
これも全然知らなかった・・・
もしかしてブルース・ホーンズビーのファンの間では常識?

アンブロージア解散後、デビッド・パックはマイケル・マクドナルドと仕事をしたり他のアーティストのプロデュースを手掛けたりしていた。
85年にはソロアルバムも発表。
マイケルの他、アンブロージアの同僚ジョー・プエルタ、カンサスのケリー・リブグレンとジョン・エレファンテ、TOTOのジェフ・ポーカロも参加している。

以降アンブロージアの活動は基本的に持ち歌をライブで披露する同窓会バンドになっている。
89年にオリジナルメンバー4人で再結成し、主に西海岸で再びライブ活動を開始。
ツアー中にメンバーを増やしたり入れ替えたりして活動を継続する。

97年にベスト盤「Anthology」をリリースした。
このCDには過去のヒット曲と、3曲の新曲およびデビッド・パックのソロ曲が収録されている。

2000年にはバンド結成30周年記念ツアーを開始。
しかし11月のアリゾナでのステージを最後にデビッド・パックが脱退。
脱退理由はよくわからないが、9月にカリフォルニアで行われたライブにはすでにデビッドの姿はなく、この時の模様を収録したライブ盤にもデビッドの歌や演奏は入っていないそうだ。
残ったメンバーや周囲が意図的にデビッド抜きのライブ盤を企画した、ということらしい。

一方デビッド・パックは2005年にアルバム「The Secret of Movin' On」を発表。
イーグルスのティモシー・B・シュミット、ジャーニーのスティーブ・ペリー、ハートのアン・ウィルソンなど豪華なメンバーが参加している。

その後もアンブロージアはメンバーを替えながら活動を継続中。
2021年のツアー開始時にはキップ・レノンがリードボーカルで参加した。
なおデビッド・C・ルイスは2021年6月に脳腫瘍で亡くなっている。
2020年頃には82年以来の全て新曲のアルバムを録音中という情報が流れたようだが、現時点でまだ発売はされていない。

以上がアンブロージア株式会社の壮大かつ大胆な社史である。
プログレやフォーク、ヨットロックやAORという形容はあるが、メタルとは全く関係なかった。
プログレでスタートして後にポップ路線に転換という歴史は、スティクスやジャーニーにも似ていると思う。
時期によって音楽性は異なるが、一番人気があったのはやはりAOR期で、デビッド・パックのハイトーンなボーカルに他のメンバーのコーラスを合わせたハーモニーが魅力だったようだ。

それにしても。
80年に全米3位の大ヒット曲を出していたのに、なぜ録音できなかったのだろうか?(知らんがな)
姉のコレクションにもアンブロージアはなかったし、友人との会話にアンブロージアが登場したことは一度もない(と思う)。
アルバムのタイトルもジャケットも全く見覚えがない。
また関わった人物もアラン・パーソンズやマイケル・マクドナルド、ブルース・ホーンズビーなど著名人が多いのに、そこからバンドにつながる情報を得ることはできなかった。
柏村武昭も東郷かおる子も小林克也も、アンブロージアについて何一つ教えてくれなかったのだ。(毎回人のせい)

長いこと洋楽の沼にはまってきた自負はそれなりにあったつもりだったが、ここまで情報を持たないバンドをこの歳になって知ることになったのはかなりショックである。(今さら)
アンブロージアについて「ああいましたね、アンブロージア。あまり聴いてなかったけど、メタルっぽいバンドでしょ?」などと知ったかぶりをカマさないでホントよかったです。

ちなみに。
今流行中のクラブハウス・・じゃなかった、chatGPT。
調子に乗ってあたしも使ってみました。
せっかくなので「アンブロージアとはどんなバンドですか?」と聞いたら、以下を即答してくれました。

「アンブロージア(Ambrosia)」は、1970年代から1980年代にかけて活躍したアメリカのプログレッシブ・ロック・バンドです。

彼らの音楽は、ロック、ジャズ、クラシック、そしてポップスの要素を融合させた、非常に洗練されたサウンドで知られています。代表曲には、「How Much I Feel」や「Biggest Part of Me」、「You're the Only Woman」などがあります。

彼らの初期の音楽は、プログレッシブ・ロックの影響を受けたものでしたが、後にはよりポップス寄りの方向性に向かい、グラミー賞にもノミネートされるなど、一定の商業的成功を収めました。
・・・思ったより誠実な回答。
自分で調べた情報とおおむね合致しました。
その昔FROCKLで知らないバンドについて質問した時に詳しい人が簡潔明瞭に答えてくれた・・ような感じ。
そのうち「方向性転換期におけるデビッド・パックの音楽性の変遷は・・」とか「マイケル・マクドナルドとの交流がもたらしたサウンドへの影響についての考察を端的に言うと・・」など、中の人も異様に詳しくなっていくんじゃないかと思いますが・・

というわけで、アンブロージア。
オリジナルスタジオ盤は5枚なので順番に全部聴けばええやんけが結論だとは思いますが、ベスト盤だけでもいいかなと甘いことを考えております。
一方でデビッド・パックの「The Secret of Movin' On」はゲストが豪華なので、こちらにも多少興味はわいています。
みなさまのおすすめはどのアルバムなのか、教えていただけたらと思います。
「そんなんchatGPTで聞けやボケ」かもしれませんけど・・

 

 

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