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聴いてない 第300回 スモーキー・ロビンソン

霊長類最低の珍奇音楽BLOGを続けて20年目。
恐ろしいことに聴いてないシリーズがとうとう300回を迎えてしまった。
第100回はストーンズ、200回はマドンナと、節目の回には超大物芸人を採り上げてきた。
なので今日は300回にふさわしい全米音楽界の重鎮、紹介すれば場内スタンディングオベーション間違いなしの御大スモーキー・ロビンソンの登場である。

ブラックミュージック界の大御所を前に大変失礼な話ですが、スモーキー・ロビンソン、全く聴いてません。
日本でどれだけの人気があるのか見当もつかないが、ミラクルズも含め聴いた曲は全くない。(いつものこと)
従って聴いてない度は1。

だが。
調べたら他のミュージシャンがカバーしていたり、あのヒット曲が実はスモーキー・ロビンソンの作品だったり・・という事例がいくつか判明。
なので本人とオリジナル曲は全然知らないが、他の人が歌うあの曲なら知ってますよというのがかろうじて少しだけある状態。
たぶんスモーキーは芸名だと思うが、そもそもなんでスモーキーなのかもよく知らない。
そこで300回記念なのでスモーキー・ロビンソンについて念入りに調査。

スモーキー・ロビンソンの本名はウィリアム・ロビンソン・ジュニア。
1940年2月19日、ミシガン州デトロイトのノースエンド地区の貧しい家庭に生まれた。
両親はアフリカ系だが、祖先にナイジェリア・スカンジナビア・ポルトガル・チェロキーなど多様な民族を持つ。
アレサ・フランクリンとは幼なじみで、アレサの兄とも仲がよかったそうだ。

スモーキーの愛称は叔父クロードから幼少時に付けられた。
ウィリアム少年はカウボーイ映画が好きで、クロードおじさんはよく映画に連れて行ってくれ、「スモーキー・ジョー」というカウボーイの名前もつけてくれた。
この愛称がそのまま芸名になったらしい。
・・・勝手に「声がハスキーで煙たい感じだからスモーキー」などと思ってたんだけど、全然違いました・・・

ハイスクール時代に友人達と一緒にコーラスグループ「ファイブ・チャイムズ」を結成。
その後メンバーを増やしてマタドールズと改名し、デトロイトで活動を始めた。
これが後のミラクルズである。

ミラクルズはモータウン・レコードが契約した最初のアーティストで、「Shop Around」でR&Bチャート1位を獲得したグループである。
1行で書けばその通りだが、詳細な経緯はもう少し複雑だったようだ。

実はミラクルズはモータウン契約の前にブランズウィックという別のレコード会社のオーディションを受けている。
残念ながらオーディションは不合格だった。
しかしその時出会った作曲家のベリー・ゴーディーが、スモーキーとミラクルズの運命を大きく変えることになる。

この頃スモーキーはまだ音楽のプロではなく、電気工学を学ぶ大学生だった。
スモーキーがオーディションに持参していたのが、自作曲を書きためたノートだった。
ベリーはスモーキーのボーカルと作曲力に感心し、自身が立ち上げたばかりのタムラ・レコードと契約するよう要請。
こうしてミラクルズは最初のシングル「Get a Job」をリリースする。
これがベリーとスモーキーの長く続いた協力体制の始まりだった。

「Get a Job」は全米R&Bチャートで5位を獲得。
スモーキーは音楽に専念する決意を固め、わずか2ヶ月で大学を中退。
ゴーディの設立したタムラ・レコードは、その後モータウン・レコードに統合されたため、ミラクルズはモータウンと契約した最初のアーティストとなった。
1960年、グループは最初のヒットシングル「Shop Around」を発表。
これがモータウン初のミリオンセラーとなった。

ミラクルズは60年代に26曲(!)のトップ40ヒットを生み出すことになる。
ビートルズもカバーした「You've Really Got a Hold on Me」や、「Mickey's Monkey」、80年にジャパンがカバーした「I Second That Emotion」、「Baby Baby Don't Cry」、グループ唯一のナンバーワンヒット「The Tears of a Clown」など、数々のヒット曲を発表。
なお65年のアルバム「Going to a Go-Go」をリリースした際に、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズとしてグループ名を変更している。

一方でスモーキーはモータウンのソングライター兼プロデューサーとしても活躍する。
メアリー・ウェルズの「Two Lovers」「The One Who Really Loves You」「You Beat Me to the Punch」「My Guy」、テンプテーションズの「The Way You Do The Things You Do」「My Girl」「Since I Lost My Baby」「Get Ready」、フォー・トップス「Still Water (Love)」など多くのヒットシングルを作曲している。

モータウンの隆盛に伴い、スモーキーの仕事の比率も歌手活動より作曲やプロデュースが多くなっていった。
忙しくなりすぎた60年代末期にはミラクルズでのツアーに負担を感じるようになり、72年7月にワシントンD.C.で行われたステージを最後にグループを脱退し、1年間休養する。

スモーキーは73年にアルバム「Smokey」をリリースしてカムバックを宣言した。
このアルバムにはミラクルズのトリビュート曲「Sweet Harmony」やヒットバラード「Baby Come Close」などが含まれていた。
翌74年にアルバム「Pure Smokey」がリリースされたが、ヒットを生み出すことはできなかった。
かつてのコラボレーターであるマーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、元テンプテーションズのメンバーであるエディ・ケンドリックスらがそれぞれ複数のヒット曲を出していたからである。

この状況をどう思っていたかは本人に聞いてみないとわからないが、自らが育てたと言ってもいいモータウンの後輩芸人たちの台頭が、スモーキーの曲のチャートインを阻んでいた・・ということになる。
うれしくて目を細めていたのか、くやしくてホテルの部屋で大暴れしたのか、どうなんだろう?
いずれにせよ評論家たちからは酷評されていたようだ。気の毒・・・

スモーキーは評論家連中を黙らせるべく75年に「A Quiet Storm」をリリースする。
このアルバムからは、R&Bチャートで1位を獲得した「Baby That's Backatcha」、「The Agony & The Ecstasy」、「Quiet Storm」などのシングルも発表。

しかし当時すでにモータウンの副社長になっていたスモーキーは、経営者としての仕事のせいで自身の音楽活動は後回しにされた。
その結果、76年から78年にかけて発表したアルバム「Smokey's Family Robinson」「Deep in My Soul」「Love Breeze」「Smokin」はプロモーションがうまくいかず、チャートでも40位以内には入らず(「Smokin」に至っては165位)、悪い評価を受けた。
さすがにこたえたスモーキー・ロビンソンは、その後他の作曲家やプロデューサーを頼ってアルバムを制作するようになる。

この他人の力に頼った判断が功を奏する。
ミラクルズ時代にのツアーに参加していたギタリストのマーヴ・タープリンが作曲した「Cruisin'」が、キャッシュ・ボックスで1位を獲得し、ビルボード・ホット100では4位を記録。
アルバム「Warm Thoughts」でも同様のアプローチをとり、シングル「Let Me Be the Clock」で再びトップ40ヒット(全米31位・R&Bチャートは4位)を記録した。

そして81年にバラード「Being with You」でキャッシュボックスで1位、ビルボードホット100で2位、全英1位の大ヒットを記録。
この曲はスモーキーにとって最も成功したシングルとなり、同名のアルバムも全米10位まで上昇した。

歌手としてのピークはこの頃で、その後は商業的には徐々に下降していく。
82年以降も毎年シングルやアルバムを出してはいたが、チャートの上位を賑わすほどのヒットにはなっていない。
83年にはモータウンのレーベルメイトであるリック・ジェイムスと組み、「Ebony Eyes」を発表するが、全米43位と微妙な結果に終わった。
85年にはUSAフォー・アフリカに参加し、「We Are The World」のコーラスを担当。

しかしスモーキー・ロビンソンは復活する。
87年アルバム「One Heartbeat」とシングル「Just to See Her」「One Heartbeat」でカムバックし、「Just to See Her」は自身初のグラミー賞を受賞。
アルバム「One Heartbeat」はアメリカ国内だけで90万枚以上を売り上げた。

なお、スモーキー復活に歓喜したABCはトリビュート曲「When Smokey Sings」を発表し、全米5位というABC最大のヒットとなった。
スモーキー復活に勝手に乗っかった企画曲・・という気もするが、もしコケてたらスモーキーも不満だったろうし、炎上必至だったはずだ。
大ヒットしてABCもほっとしたんじゃないだろうか。
ちなみに「When Smokey Sings」はスモーキーのことを歌った曲、ということだけは知っていたが、歌詞にはルーサー・ヴァンドロスやスライ・ストーン、ジェームズ・ブラウンやマーヴィン・ゲイも出てくるそうだ。

スモーキー・ロビンソンは88年にソロアーティストとしてロックの殿堂入りを果たしたが、ミラクルズのメンバーが同時に殿堂入りできなかったことが論争を呼び、スモーキー自身も不愉快に思っていたそうだ。
後に委員会はこの判定が間違いだったことを認め、結局ミラクルズの殿堂入りが発表されたのは2012年だった。

長年所属し貢献してきたモータウンだが、88年にモータウンはMCAに売却され、スモーキー・ロビンソンは副社長の座を降りる。
90年のアルバム「Love Smokey」をリリースした後、スモーキーはモータウンを離れ、別のレコード会社と契約した。
だがアルバム「Double Good Everything」は全然売れず失敗。

がっかりしたスモーキーは99年にモータウンと再契約し、アルバム「Intimate」で一時的にカムバック。
でも全米134位という成績に終わってしまった。
再びがっかりしたスモーキーは、2003年にモータウンとの契約を終了。
以降オリジナルアルバムはモータウンから発表していない。

その後はチャートや売り上げを意識しないおだやかな活動となる。
2004年にゴスペルアルバム「Food for the Soul」をリキッド8レコードからリリースしたり、子供向けアニメシリーズ「Tod World」の主題歌「Colorful World」を歌ったりした。

2009年には自身のレーベルであるロブソ・レコードからアルバム「Time Flies When You're Having Fun」を発表。
久々にチャートで59位を記録した。

2014年には「Smokey & Friends」という企画盤をリリース。
ミラクルズ時代を含むかつての持ち歌をエルトン・ジョン、スティーブン・タイラー、ジェームス・テイラーらとデュエットするという豪華な内容で、全米チャートで12位を記録した。

スモーキー・ロビンソンは今も現役で活動中である。
今月には全曲新作で10年ぶりのアルバム「Gasms」がリリースされる予定。
最初のシングル「If We Don't Have Each Other」は今年1月からすでにストリーミング・サービスで入手可能になっている。

以上がスモーキー・ロビンソンの華麗で巨大なる人間山脈、名勝負数え歌である。
知っていた話はほぼゼロ。(業務田スー子調)
81年のナンバーワンヒット曲「Being with You」もYou Tubeで確認してみたが、サビの部分にうっすらと聴き覚えがある程度だった。
感覚的には「本国やイギリスでは超有名人で偉大なスターだけど日本ではあんましなじみがない・・」ような人じゃないかと思うんですけど、違います?

冒頭に告白したとおり、ミラクルズの曲も含めFMでスモーキー・ロビンソンの歌声を録音できたことは一度もない。
ABCの「When Smokey Sings」はリアルタイムでエアチェックできたのに・・・
おそらく柏村武昭の好みではなかったのだろう。(適当)

ビートルズの「You've Really Got a Hold on Me」や、ジャパンの「I Second That Emotion」が実はミラクルズがオリジナルだと今回調べて再確認した。
どっちもなんとなく誰かのカバーだったよな程度の認識だったが、どっちもスモーキー・ロビンソンの作品だったんスね。
「I Second That Emotion」のミラクルズ版も聴いてみたが、ジャパンとは全然雰囲気が違う。
というかジャパンのほうが同じ曲とは思えないほど、大幅にねっとりニューウェイブ寄りにアレンジし倒していたのだった。

あと気になっているのがUSAフォー・アフリカへの参加である。
当時の雑誌や音楽番組でも盛んに報道されたので、スモーキーの参加は知っていたが、「We Are The World」ではソロパートは歌っていない。
なぜ?
ミラクルズで数々の奇跡を起こし、ソロでも全米1位の大ヒット曲を持つモータウンの実力者なので、一節歌っていてもおかしくない存在ではないかと当時から(聴いてないくせに)思っていたのだが・・・
なんかあったんスかね?
クインシー先生の楽屋にスモーキーが挨拶に来なかったとか、スタジオ入りした時にスモーキーが先生の足を踏んづけちゃったとか、心躍るエピソードをネットで探してみたが見つからない。
誰かご存じですかね?
集合写真ではスモーキーさんも笑顔で楽しそうにしてましたけど・・・

というわけで本日は300回記念にスモーキー・ロビンソンをお届けしました。
みなさんは聴いておられますか?
まあ20年間常に失礼なBLOGなんで今さら言い訳もできませんが、どこから聴いたらいいものやら見当も付きません。
ミラクルズ時代とソロでそれぞれベスト盤を聴くしかないかなとも思います。
あと、他の歌手が歌った作品集なんてのもあるんでしょうか?
聴くならこれというアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第176回 ジャーニー その2

当BLOGの基本運営理念である聴いてみたシリーズ
万年課題のジョン・レノンや緊急課題のジェフ・ベックを差し置いて、今回はなぜかジャーニーを聴いてみました。
・・・お察しのとおり、先日WBCがあったからです。

TBSではなぜか以前からWBCのテーマ曲としてジャーニーの「Separate Ways」を使ってきた。
歌詞の中身は男女の別れを歌ってるのに、なぜ野球大会のテーマ曲なのか?
局内の会議で「かっこいいから」という理由で決定し、以来誰も変えようとしてこなかったとのこと。
「TBSの英語ボケ」などと批判した評論家もいたが、選んだ人たちはボケじゃなくて本当に歌詞の意味をわかってなかったんでしょうね。

で、大谷や村上やヌートバーとともに繰り返し流れる「Separate Ways」でふと気づいたのだが、ジャーニーも結構未聴盤が残っている。
というか、聴いたのは全アルバムのうち半分もないのだ。

Journey (1975)
Departure (1980)
Dream, After Dream (1980)
Escape (1981)
Frontiers (1983)
Raised on Radio (1986)
Greatest Hits(1989)

上記が鑑賞履歴の全てである。
デビューアルバム「Journey」とサントラ盤「Dream, After Dream(夢・夢のあと)」は後追いなので、リアルタイムで聴いたのは80年代の4枚である。
自分にしては聴いてるほうで、また70年代のヒット曲はFM番組やベスト盤で聴いたりしたので、あまり切迫感もないまま過ごしてきた。
だが70年代の、特にスティーブ・ペリー在籍時代の「Infinity」「Evolution」を聴いていないのは大きな文化的損失と言える。
というわけで、WBCを契機にスティーブ加入後の最初のアルバム「Infinity」を聴くことにしました。(デタラメな動機)

Infinity

「Infinity」は78年発表の4作目のスタジオアルバムで、邦題は「無限との遭遇」。
映画「未知との遭遇」に完全に乗っかったレコード会社の命名だと思うが、あまり浸透しなかったようです。

メンバーは以下のみなさんである。
・スティーブ・ペリー(Vo)
・ニール・ショーン(G)
・グレッグ・ローリー(K・Vo)
・ロス・ヴァロリー(B)
・エインズレー・ダンバー(D)

それまでのいまいち中途半端な技巧派プログレバンドから脱したかったジャーニーは、レコード会社からの圧力もあり、ボーカルの強化を検討し始める。
目指したのはフォリナーやボストンのような存在感のあるボーカルを擁するバンド。
そこでロバート・フライシュマンという人が加入し、数曲をレコーディング。
しかしロバートさんは音楽性の違いやマネージメント契約でのモメ事などの理由からバンドを脱退。
直後にスティーブ・ペリーが加入し、バンド内に産業革命をもたらすことになる。
なのでスティーブを「ジャーニー2代目ボーカル」と紹介するサイトも多いが、厳密には3代目のボーカル担当ということになる。

ジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバートは、イギリス人プロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーに新盤「Infinity」のプロデュースを依頼した。
ロイはクイーンでの実績を生かし、層の厚いサウンドとコーラスを作り上げる。
これがその後もジャーニーのサウンドのトレードマークとなった。

こうして新しいリードシンガーと新しいプロデューサーにより、アルバム「Infinity」は全米チャートで21位を獲得。
バンドはこのアルバムを引っ提げ、ヴァン・ヘイレンやモントローズとともにツアーを開始した。

バンドの大きな転換となった「Infinity」。
果たしてスティーブ・ペリーとロイ・トーマス・ベイカーはジャーニーにどのような変革をもたらしたのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Lights
この曲はベスト盤で聴いていた。
スタートからスティーブ・ペリーが本領発揮の展開。
目の前にサンフランシスコの夜景が見えるようなサウンドと、その後多用されるコーラスワークも見事な構成である。
サンフランシスコ行ったことないけど。

2.Feeling That Way
静かなイントロで歌うのはグレッグ・ローリー。
その後スティーブとボーカルを分け合い、コーラスを当てつつメインがスティーブに移る。

3.Anytime
これも前の曲と似たサウンドで、グレッグが歌う。
中盤でスティーブが登場し、ニールのうねるギターをはさんで二人で歌う。
このサウンドとコーラスが新生ジャーニーの特徴であることを強調する意味で、当時のラジオではよくこの曲と「Wheel in the Sky」が連続してオンエアされたそうだ。

4.La Do Da
この曲もベスト盤で聴いている。
メタルっぽく刻まれたギターとドラムでややヘビーな印象。
タイトルはどういう意味だろう?

5.Patiently
一転おだやかに始まるバラード。
スティーブ・ペリーとニール・ショーンが初めて一緒に書いた曲だそうだ。
(作詞をスティーブ、作曲をニールが担当)
中盤から急に重厚なギターとドラムが加わって盛り上がり、エンディングは再度静かに終わる。
彼らの得意な攻撃パターンと言える。

6.Wheel in the Sky
ジャーニー初の全米チャート100位以内に達した曲。(75位)
当時FM番組でジャーニー特集が組まれるとよくオンエアされていた。
哀愁が充満したスティーブの演歌っぽいボーカルとコーラス、ニールのやけくそギター、どすどす響くエインズレー・ダンバーのドラム。
80年代に隆盛を極める彼らのサウンドの完成されたフォーマットが詰まった名曲。
タイトルの「空に浮かぶ車輪」とは太陽のことで、「回り続ける太陽=時の経過」を示しているとのこと。
この歌詞はロス・ヴァロリーの妻であるダイアン・ヴァロリーが書いた「Wheels In My Mind」という詩が原案で、またクレジットには脱退したロバート・フライシュマンの名前もある。

7.Somethin' to Hide
わりと大人しめの曲だが、キーがかなり高く、珍しく?スティーブがファルセットを多用。
基本ハイトーンボイスが売りな人なので、ムリに裏声を使わず、むしろキーをスティーブの声に合わせて設定したほうがよかったのでは・・・

8.Winds of March
これもスティーブの物悲しい演歌調の声が響き渡るバラード。
想定どおり各楽器が重苦しくからみ、静かにエンディング。
この曲もロバート・フライシュマンが作曲に参加している。

9.Can Do
「La Do Da」に似た重厚長大な楽曲。
ギターソロもかなり大げさで、タイトルをコーラスで連呼し、終了直前にボーカルを残して楽器だけ急に止まる。
これも80年代に時々使われた彼らの得意技。

10.Open the Door
ラストはどこかプログレの香りが残る、静寂と重厚が奏効するメリハリの利いた壮大な曲。
スティーブのボーカルならではの構成だが、シングルにはあまり向かない感じ。

聴き終えた。
評判どおりの産業ロック革命盤である。
やはり「Lights」「Wheel in the Sky」の存在感が強いが、「Feeling That Way」「Patiently」もいいと思う。
使いまわされた言い方になるが、このアルバムには捨て曲がない。

スティーブ・ペリーのボーカルはその後のジャーニーの方向性を決定する重要な要素であったことは間違いない。
以前も書いたが、この人の声はキーが高いがツヤがそれほどなく、ハスキーな枯れ声である。
だがこのヘタリのない安定した枯れ声にやはり特徴があり、唯一無二の存在となっている。
また歌だけでなく曲作りの面でもほとんどの曲に参加しており、功績は非常に大きかったはずだ。
それまでの技巧派プログレとは全く違うバンドになっており、たどった道としてはスティクスにも共通するものがあると思う。

今回調べて初めて知ったが、ロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースという点も大きいと感じた。
聴いていてクイーンのようなサウンドとコーラスが目立つなと感じていたが、ロイのプロデュースと聞いて納得である。(知ったかぶり)
次のアルバム「Evolution」もロイさんがプロデュースしてるそうなので、おそらく問題なく聴けると思われる。

ところでこのアルバムを最後に脱退したドラマーのエインズレー・ダンバーだが、これも調べて初めて知ったのだが、ものすごい経歴の持ち主だった。
ジャーニー加入前はジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズやジェフ・ベック・グループに参加しており、その後もザッパやジョン・レノン、デビッド・ボウイルー・リードのアルバムにも参加経験がある。
ジャーニー脱退後はジェファーソン・スターシップに加入したり、ホワイトスネイク「白蛇の紋章-サーペンス・アルバス」でもドラムを担当。
2000年以降もUFOやマイケル・シェンカー、キース・エマーソンのアルバムに参加している。
全然知らなかった・・・
実績と稼働年数はコージー・パウエル以上のものがある。
元々ブルース志向の人で、スティーブ・ペリー加入後の産業ロック化したジャーニーが合わなかったらしい。

というわけで、「Infinity」。
予想以上によかったです。
個人的には「Departure」よりも華やかでいいと感じました。
毎度の言い訳になりますけど、若い頃に聴いていたら、「Escape」「Frontiers」と並んで愛聴盤になっていたはずです。(後悔)
次回は「Evolution」を聴いてみようと思います。

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