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聴いてない 第295回 ブラック・クロウズ

1曲も聴いておらず名前しか知らないバンドは山ほどあるが、このバンドはメンバーじゃない人によって名前を知ったという珍しいケース。
・・・どうでもいい話で、どっちにしろ聴いてませんけど。
ブラック・クロウズである。

もうおわかりだと思うが、「メンバーじゃない人」とはジミー・ペイジだ。
ブラック・クロウズは1999年10月にジミー・ペイジとロサンゼルスなどで共演し、レッド・ツェッペリンの曲と古いブルースやロックのスタンダード曲でライブを行った。
このライブの模様は、翌年「Live at the Greek」のタイトルで2枚組アルバムとして発売されている。
この時のニュースでブラック・クロウズの名前を知った次第。

なので「ペイジと共演した人たち」という情報以外は何も知らない。
ライブ盤も聴いておらず、収録されてるのがほとんどツェッペリンの曲だということも知らなかった。

あらためてブラック・クロウズについてペイジ関連以外の情報を調べてみた。
ブラック・クロウズは、1984年にジョージア州アトランタで結成されたアメリカのロックバンド。
・・・そうなの?
ペイジと共演したからイギリスの人たちかと思ってました・・(適当)

初めはミスター・クロウズ・ガーデンというバンド名だった。
ボーカルの兄クリス・ロビンソンとギターの弟リッチ・ロビンソンの兄弟が高校在学中に結成。
ジェフ・シーズ(G)とジョニー・コルト(B)、少し後でスティーブ・ゴーマン(D)が加わり、89年にブラック・クロウズと改名した。

90年にデビューアルバム「Shake Your Money Maker」をリリース。
シングル「Hard to Handle」(オーティス・レディングのカバー)や「She Talks to Angels」「Jealous Again」「Twice As Hard」「Sister Luck」「Seeing Things」がヒットし、アルバムはマルチプラチナムを獲得。
最終的に500万枚以上のセールスを記録した。
バンドは91年5月からツアーを開始。
その後ヨーロッパでモンスターズ・オブ・ロックツアーに参加し、メタリカAC/DCモトリー・クルークイーンズライクの前座を務めた。

しかし早くもメンバーチェンジが発生。
ギタリストのジェフ・シーズが脱退し、マーク・フォードに交代。
92年にセカンドアルバム「The Southern Harmony and Musical Companion」を発表した。
前作を超えるヒットとなり、全米1位を獲得。
なおこのアルバムではボブ・マーリーの「Time Will Tell」をカバー。

キーボード担当のエディ・ハーシュが正式加入し、6人編成となったバンドは94年に問題作「Amorica」をリリース。
アメリカ国旗のTバックを履いた女性の股間の写真ジャケットで話題となった。
このジャケットがCDショップにたくさん並んでいた記憶があります(こういうのは覚えてる)が、あれブラック・クロウズのアルバムだったんスね。
あんなジャケットのため取り扱わない店もあり、黒ベタ背景で国旗をかたどった三角形だけが見える別バージョンも同時リリースされたそうです。
実績としては前作には及ばず全米11位。

96年7月に4作目「Three Snakes and One Charm」を発表。
全曲オリジナルで全米15位まで上昇したものの、その後マーク・フォードは解雇され、ベーシストのジョニー・コルトも脱退。
いったんバンドは停滞する。

3年ほど経過した後、スティーブ・ゴーマンの友人であるスヴェン・パイピーンが参加し、ブラック・クロウズは再結成する。
99年にコロムビア・レコードに移籍しアルバム「By Your Side」を制作。
議論を巻き起こすようなそれまでのジャケットから一転して、白い衣装に身を包んだメンバー写真というジャニーズの宣材みたいなジャケットになったが、成績は全米26位止まりとやや後退。

しかしここからは予想外の展開(だと思う)。
冒頭で紹介したとおり、99年10月にバンドはジミー・ペイジを迎え、ニューヨークとロサンゼルス、マサチューセッツ州ウースターのセントラムセンターでライブを実施。
その後ライブ盤「Live at the Greek」としてリリースされた。

これ、どっちからのアプローチで実現したんですかね?
ブラック・クロウズ側からあこがれのペイジ様との共演を熱望したんやろ?・・・と勝手に想像してたんだけど、その後のクリス・ロビンソンのインタビューを見ると、そうでもなかったようだ。
クリスは「実はそれほど楽しくなかった」と不満を漏らしており、「ジミーは驚異的なギタリストだけど、僕にはただの仕事だった。ロバート・プラントの歌詞や歌はあまり好きではないので、少し退屈だった」と発言している。

ということは、ブラック・クロウズとしてはホンマはあんましやりたくなかったんやけど事務所やレコード会社からの圧力でペイジに忖度しながら仕方なく歌って演奏してやった・・のか?
それはそれで面白そうな話ですけど。
ちなみにレコード会社との契約上の問題から、このライブ盤にはブラック・クロウズの自作曲(演奏にはペイジも参加した)は収録されていないそうだ。
また2000年にはペイジと共に来日する予定だったが、ペイジの体調不良を理由に(本当か?)キャンセルとなっている。

その後の展開はやはりロックバンドあるあるな状態。
2000年にはスヴェン・パイピーンが解雇され、オードリー・フリードが加入する。
翌2001年アルバム「Lions」を発表し、ツアーで4度目の来日も果たす。
しかし2002年1月にスティーブ・ゴーマンが脱退し、バンドは活動休止を発表した。

2005年にはロビンソン兄弟とエディ・ハーシュで案外早く再結成を宣言。
マーク・フォードとスヴェン・パイピーンも合流し、さらにスティーブ・ゴーマンはツアーの途中にアトランタ公演でバンドに復帰した。
このツアーでの音源がライブ盤アルバム「Freak 'n' Roll...Into the Fog」として2006年に発表された。

元のなかよしメンバーでブラック・クロウズもようやく安泰・・・なあんてことはやっぱりなく、メンバーチェンジが激化。
2006年にマーク・フォードとエディ・ハーシュが脱退し、ポール・ステイシー(オアシスのサポートメンバー)とロブ・クロアーズが加入。
しかしこの二人も長続きせず、2007年に二人ともやっぱり脱退。
代わってアダム・マクドーガルとルーサー・ディッキンソンが加入した。

2008年アルバム「Warpaint」をリリースするが、脱退したポール・ステイシーはプロデューサーとして参加している。
ポールの尽力もありアルバムは全米5位を記録した。
メンバーもこのアルバムは気に入ったようで、翌2009年には「Warpaint Live」と題した2枚組のライブ盤をリリースしている。
1枚目はアルバム「Warpaint」を全曲演奏、2枚目は過去のヒット曲とカバー(クラプトンの「Don't Know Why」やストーンズ「Torn and Frayed」など)という構成。

2010年8月全曲アコースティックの2枚組アルバム「Croweology」を発売。
2012年にルーサー・ディッキンソンが脱退し、代わりにジャッキー・グリーンがギターとバック・ボーカル担当として加入した。

そして2015年にロビンソン兄弟の不和というオアシスっぽいバンド最大の危機が訪れる。
兄弟はバンドの権利関係を巡って対立し、リッチ・ロビンソンはバンドの解散を発表した。
その後数年間ロビンソン兄弟は話し合いも行わず、それぞれ元メンバーを従えて活動。
弟リッチはマーク・フォードとスヴェン・パイピーンと共にザ・マグピー・サルートというバンドを結成した。
兄クリスもオードリー・フリードとアダム・マクドゥーガル、アンディ・ヘスを伴って「アズ・ザ・クロウ・ファイル」を結成。
兄弟それぞれが元メンバー従えてブラック・クロウズの曲を演奏するバンドを作った、ということは、平たく言うと分裂・・でいいと思うけど。

そんな分裂兄弟が和解したのは2019年末のことだった。
クリスとリッチは「Shake Your Money Maker」発売30周年記念ツアー計画を発表。
ツアーには兄弟以外の元バンドメンバーは参加しない予定だったが、コロナ禍で延期となり、2021年再調整されたツアー日程とスヴェン・パイピーンが復帰することを明らかにした。
現在のブラック・クロウズも、ロビンソン兄弟とスヴェンの3人で構成されている。

今年の5月、ブラック・クロウズは再結成以来初めて新たに録音した音源として、1972年発表の名曲から、ストーンズの「Rocks Off」やデビッド・ボウイの「Moonage Daydream」、リトル・フィートの「Easy To Slip」など6曲のカバーEP「1972」をAmazon Music限定でデジタル・リリースしている。

以上がブラック・クロウズの混沌と分裂の軌跡である。
大雑把かつ適当に言うと、こんな感じだろうか。
初期:70年代色を帯びた野郎サザンロック期
中期:ポップ路線に転換&ペイジとも共演したよ期
後期:混沌と兄弟ゲンカ勃発で解散したよ期
以降:再結成を繰り返してる期

当たり前だけどペイジとの共演は彼らの活動のごく一部で、本業はメンバーチェンジの激しいロックバンドだった。
けっこうカバーが好きだということも初めて知った。
カバー好きな兄弟バンドという点ではヴァン・ヘイレンにも似ている気がする。

ブラック・クロウズの曲をいくつかYou Tubeで聴いてみたが、それほど尖った音ではなく案外聴きやすいと感じた。
初期は70年代風と言われるそうだが、なんとなくわかる気もする。
プロモ・ビデオも全然凝ってなくて、あまりお金のかかってなさそうな演奏風景やライブステージの映像のまんま。
「Jealous Again」「Hard To Handle」「Remedy」などは映像まで70年代調で、マイケル・ジャクソンデュランを通ってきた90年代のプロモ・ビデオとは思えない。
その点ではジャーニーに似ていると思う。

ペイジとの共演映像も見たが、クリス・ロビンソンはツェッペリンの曲をかなり誠実かつ器用に歌いこなしている。
さすがにツェッペリン前期のロバート・プラントほどの切れ味はないが、ここまで歌える人だったらペイジも共演したくなって当然のように思う。

というわけで、ブラック・クロウズ。
ここまで調べておきながら、正直なところペイジ共演ライブ盤「Live at the Greek」にしか興味がわいておりませんが、本業のオリジナルアルバムでおすすめがあれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第294回 ブルーノ・マーズ

今回は珍しく現役の若きミュージシャンを採り上げてみます。
先日来日公演も行われ、日本のナウいヤングにも大人気のブルーノ・マーズ。
名前をいつ知ったのかも不明だが、初めはどこかのオシャレなライブハウスの名前かと思ってました・・・
曲も全く聴いていない・・・と思ってたが、「Just the Way You Are」はどこかで聴いたことがあった。
もちろんビリー・ジョエルの名曲とは別の曲である。
調べたら「カネボウ・コフレドール」や「三井のリハウス」のCMで使われたそうです。
いずれにしろ能動的鑑賞はしたことがなく、聴いてない度は実質1。

ブルーノ・マーズはアメリカのミュージシャンだが、ジャンルはとても幅広く、ロックやポップス、R&B、ファンク、ソウル、レゲエ、ディスコなど、枠にとらわれずに表現する歌手。
歌うだけでなくギターやベース、ピアノにキーボード、ドラムなど様々な楽器を演奏し、また他のアーチストのプロデュースや、ミュージックビデオの監督まで手がける多彩な人物である。
・・・という基礎情報もさっき調べて知りました。
なんか有能な人なんだろうなということはうっすら感じていたが、調べたら想像以上にスゴイ経歴と実績の持ち主だった。

なぜ突然ブルーノ・マーズを採り上げようと思ったのか。
それはカナさんのBLOGに「彼の芸名が、ブルーノ・サンマルチノに似ているから」と書いてあったからだ。(そこかよ)
・・・まあブルーノを聴いてるヤングにはサンマルチノなんて誰それ?という感じでしょうね。
人間発電所の異名で馬場と幾多の名勝負を繰り広げ、スタン・ハンセンが首を折ったことで出世のきっかけにもなったプロレスラーである。(←説明がウザい中高年)
そんなわけで動機はデタラメだけど、とりあえず若いヒトたちの話題に遅れまいと必死でかき集めたブルーノ・マーズの情報は以下です。

ブルーノ・マーズは世界中で1億3千万枚以上のレコードを売り上げ、史上最も売れたミュージシャンの一人。
8曲がビルボードホット100で1位を獲得し、グラミー賞15回(うち年間最優秀レコード賞が3回)、ブリット・アワード4回、アメリカン・ミュージック・アワード11回、ソウル・トレイン・アワード13回など、数々の栄冠を手にしている。

本名はピーター・ジーン・ヘルナンデス。
1985年10月8日ハワイ州ホノルルに生まれた。
父親はニューヨーク出身でプエルトリコ人と東欧系(ウクライナとハンガリー)ユダヤ人のハーフ、母親はフィリピン出身でフィリピン人とスペイン人の血を引く。
ピーター少年は幼少の頃、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノに似ていることから父親からブルーノとあだ名を付けられ、これを後に芸名に採用。
ブラッシーとかフリッツ・フォン・エリックに似てたら芸名に使ったんだろうか。(うるさいよ)

芸歴は非常に長く、4歳で早くも映画に出演。
92年の二コラス・ケイジやサラ・ジェシカ・パーカー出演の「ハネムーン・イン・ヴェガス」で「リトル・エルヴィス」を演じている。
地元ハワイでは子役ブルーノ・ヘルナンデスとして、プレスリーやマイケル・ジャクソンのモノマネをしていた。
またジミ・ヘンドリックスに影響を受けてギターを弾くようになり、小学生の頃には家族のバンドで一晩に2回ステージに立ったり、雑誌の表紙に載ったりしていたそうだ。

2003年ロサンゼルスに住む姉に呼び寄せられて音楽活動をするためにロスに移住。
しかしヘルナンデスという名字はいかにもヒスパニックの人名ということで、最初に所属したレコード会社からは「スペイン語で歌え・ラテン音楽をやれ」と言われたそうだ。
ブルーノはラテン音楽をやるつもりはなく、レコード会社の指示も断ってしまった。
この時芸名をブルーノ・マーズに変えようと決心。

後のインタビューでは周囲の女性からその才能を「この世の人とは思えない」と高く評価され、じゃあいっそ火星からやって来たってことにしたろかと思ってマーズを名乗るようになった、と答えている。
しかし真の理由は、レコード会社や事務所がブルーノ・ヘルナンデスを名前だけでラテンの人と扱うステレオタイプな発想がイヤだった、ということでもあった。

ブルーノ・マーズの音楽活動は最初から順調だったわけではないようだ。
2004年にモータウン・レコードと契約を結んだが、1年足らずで解除されている。
今頃モータウンの担当者は上司からメチャクチャ怒られてるんじゃないだろうか・・・

しかしブルーノはその後もロサンゼルスに残り、2005年にレコードプロデューサーであるスティーブ・リンジーと出会う。
ブルーノはリンジーの元で5年ほど他のアーチストにヒット曲を書いてプロデュースする活動を続けた。
なのでブルーノ・マーズのロサンゼルスでの音楽活動は、歌手ではなく裏方から始まっているようだ。
やがてブルーノは音楽プロデューサーとして認められ、アレクサンドラ・バーク、アダム・レヴィーン(マルーン5のボーカル)、ブランディ、ショーン・キングストン、フロー・ライダーなどのために曲を書いた。

2009年にはイギリスの女性3人組シュガーベイブスのヒット曲「Get Sexy」を6人共同で書き、2010年のアルバム「Sweet 7」ではバックボーカルを担当した。
またアジア系ヒップホップユニットのファー・イースト・ムーブメントのアルバム「Animal」、ラッパーB.o.Bの「Nothin’ On You」にもシンガーとして参加。
この頃から歌手としての活躍が増えていくことになる。

ブルーノ・マーズのソロシンガーとしてのスタートは非常に華々しいものだった。
2010年にソロとしてのデビューアルバム「Doo-Wops & Hooligans」を発表。
全米3位を記録し、イギリスやカナダやオランダなどでは1位を獲得。
シングル「Just the Way You Are」「Grenade」は全米で4週連続1位となり、「The Lazy Song」も4位とヒットを連発した。
翌2011年のグラミー賞で、ブルーノ・マーズは「Just the Way You Are」でグラミー賞の最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を初めて受賞した。
ちなみにその次の2012年のグラミー賞では、ノミネートされた6部門すべてをアデルに奪われている。

2012年末には2枚目のアルバム「Unorthodox Jukebox」をリリース。
制作前のインタビューでは「より音楽的に変化に富んだものになる」「今日はヒップホップ、R&B、ソウル、ロックのレコードを作りたいと言える自由と贅沢を手に入れたい」と宣言。
内容は宣言どおりバラエティに富んだ傑作となり、全米やオーストラリア、カナダ、イギリスでも1位にチャートインし、世界中で600万枚以上売れた。
さらにシングル「Locked out of Heaven」「When I Was Your Man(君がいたあの頃に)」「Treasure」も1位を獲得。
プレスリーを除けば、ブルーノ・マーズほど早く5枚のナンバーワンシングルを達成した男性アーティストはいないという記録を打ち立てた。

若きスターの快進撃は続く。(表現が昭和)
2014年2月に行われたスーパーボウルのハーフタイムショウで、ブルーノはレッド・ホット・チリ・ペッパーズをスペシャルゲストに迎え、ヘッドライナーとして歌と演奏を披露。
スーパーボウルのハーフタイムショウで30歳以下のパフォーマーがヘッドライナーを務めたの10年ぶりのことだったそうだ。
しかもハーフタイムショウの視聴率は、試合の視聴率よりも高かったらしい。

2014年のグラミー賞で、ブルーノ・マーズの「Unorthodox Jukebox」が最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞を受賞。
「Locked Out of Heaven」は年間レコード・ソング賞に、また「When I Was Your Man」は最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞にノミネートされた。

2014年11月10日、イギリスのミュージシャンでプロデューサーでもあるマーク・ロンソンとのコラボで「Uptown Funk」をリリースした。
この曲は全米では14週、全英で7週1位となり、またオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでも1位を記録。
トータルの売り上げは2000万枚を突破している。

2016年2月にコールドプレイがスーパーボウルのハーフタイム・ショウでヘッドライナーを務め、ゲスト・アクトとしてブルーノ・マーズとビヨンセが出演。
ブルーノは二度目のハーフタイム・ショウでの登場となった。

2016年11月に発売行されたアルバム「24K Magic」は、アメリカの他カナダやフランス、ニュージーランドで初登場2位となり、世界中で売り上げ500万枚を突破。
シングル「That's What I Like」と、ラッパーのカーディ・Bをフィーチャーした「Finesse」はビルボードのR&B/Hip-Hopで1位を獲得した。
2018年のグラミー賞では、「24K Magic」でアルバム・オブ・ザ・イヤーおよびベストR&Bアルバム、タイトル曲でレコード・オブ・ザ・イヤーなどノミネートされた6部門全て受賞。

最近のブルーノはコラボや映画など多方面で活躍。
2018年にシックのアルバム「It's About Time」に参加したり、昨年はラッパーのアンダーソン・パックとシルクソニックというバンド名でアルバム「An Evening with Silk Sonic」を発表している。
また2年前にはディズニーと提携して自身が主演・製作・楽曲提供を担当する長編映画を製作すると発表された。(まだ公開はされていないらしい)

以上がブルーノ・マーズ栄光の歴史絵巻である。
知ってた話は今回も全くない。
こんなにすごい人だったのね・・・
本国と日本では人気や知名度に大幅な乖離がある、というパターンではなく、日本でも人気が非常に高い人でした。(自分がよく知らないだけだった)
日本の芸能人にもブルーノのファンはたくさんおり、特に女性からの人気が高いようだ。
観月ありさや倖田來未、水樹奈々、日向坂46の佐々木久美と影山優佳などが、先日行われた日本公演の鑑賞報告をSNSなどで発信しているとのこと。

ブルーノ・マーズのヒット曲をいくつかYou Tubeで聴いてみたが、楽曲はバラエティに富んではいるが、どの曲も聴きやすい。
各ジャンルの先人が築いてきた王道なサウンドを比較的誠実に表現しているように感じた。
どういう音楽が売れるかをよくわかっている、という印象。
この人はたぶんメタルやプログレには当分手を出さない気がする。
(やってたらすいません)

というわけで、ブルーノ・マーズ。
公式スタジオ盤としては3枚なのでさっさと全部聴けよということでしょうけど、中でもこれが一番というアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

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