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聴いてない 第292回 ファルコ

80年代洋楽の沼をさまよいながら、ふと思い出したファルコ。
日本では「Rock Me Amadeus」だけの一発屋的な扱いだと思うが、実は本国オーストリアでは想像を超える大スターだった。
わりと早くに亡くなったことはうっすら知っていたが、調べたら40歳という若さでこの世を去っていた。

ファルコは意外に聴いてるほうで、最大のヒット曲「Rock Me Amadeus」以外に「Vienna Calling」「The Sound of Musik」も聴いている。
確か3曲とも柏村武昭プレゼンツではなく、「クロスオーバー・イレブン」でエアチェックしたと思う。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度は3。

「Rock Me Amadeus」がヒットしてた頃、FMステーションにもこの曲の記事が載っていた。
短髪にサングラス姿の顔写真もあり、グラハム・ボネットに似てると思った記憶がある。
しかし以降ファルコに関する情報を得ることはなく、3曲を聴いてそれっきり。
死亡したことを知ったのはずいぶん後である。(ネットで知った)

ファルコの短く儚い生涯を調査してみた。

本名ヨハン・ハンス・ヘルツェル、1957年2月19日オーストリアの首都ウィーンに生まれた。
幼い頃に両親は離婚し、母親に育てられる。

ヨハン少年は非常に早く音楽に目覚める。
4歳でピアノを始め、5歳ですでにエルビス・プレスリーやクリフ・リチャードやビートルズのレコードを聴いていた。

母親はクラシック音楽をやらせたかったらしいが、ヨハン本人はあんましマジメな学生でもなく、16歳で現在のウィーン市立音楽芸術大学に入学するもすぐに退学する。
17歳でオーストリア軍の兵役に徴用されるが、1年もたず除隊。

その後ウィーンのアングラなクラブなどで歌うようになり、芸名ファルコを名乗る。
ファルコという名は、東ドイツのアルペンスキー選手のファルコ・ヴァイスフロクから拝借したとのこと。

81年にデビューし、ドイツ語で歌った「Der Kommissar(秘密警察)」がヨーロッパでヒットする。
この曲はアフター・ザ・ファイアーというバンドが英語でカバーし、アメリカではチャート5位を記録した。

82年にデビューアルバム「Einzelhaft」をリリース。
続くセカンドアルバム「Junge Roemer(若きローマ人たち)」は、本国オーストリアでは1位を獲得したが、他の国では前作ほど売れなかった。

この後ファルコの運命を大きく変える曲が登場する。
ファルコはアカデミー賞を受賞した映画「アマデウス」に触発されて作った「Rock Me Amadeus」を85年に発表。
すると本人も驚く世界的なヒットに発展する。
・アメリカ、イギリス、日本を含む十数カ国で1位を獲得
・ビルボードホット100で3週間首位を維持
・ビルボードR&Bトップシングルチャートで6位を記録
・アルバム「Falco 3」はビルボードのアルバムチャートで3位を記録
・「Falco 3」はトップR&B/ヒップホップアルバムチャートでも18位を記録

実績数字としてもすごい記録だが、ヨーロッパ出身の白人アーティストが英語とドイツ語を駆使してモーツァルトの生涯をラップで歌ったという非常に珍しい曲の世界的ヒットでもあった。

続くシングル「Vienna Calling(ウィーン・コーリング)」も世界中で大ヒット。
ビルボードチャートで18位、キャッシュボックスチャートで17位を獲得した。
86年には来日公演も行われている。

同年アルバム「Emotional」をリリース。
シングル「The Sound of Musik」はアメリカのダンスチャートでトップ20に入るヒットとなった。
しかしアルバムはオーストリアと西ドイツで1位を獲得したものの、イギリスとアメリカでは記録に残る実績はない。
発表すらされなかったということだろうか?

「Rock Me Amadeus」成功後、アメリカの音楽関係者と本格的に仕事をする話もあったようだが、アメリカ側はファルコのヒットを冷ややかに見ていたようで、「オーストリア人がドイツ語でモーツァルトをラップで歌ったらたまたま珍しくて当たっただけ」という辛辣な評価もあったらしい。
またファルコはこの大事な時期にアルコールやドラッグ中毒にもなっていたそうで、それもアメリカの関係者からは敬遠されたようだ。

アメリカで話題にならなくなったファルコは、当然日本でも名前や曲を聞くことはほとんどなくなった。
88年にアルバム「Wiener Blut(ウィーンの血)」を発表したが、やはりオーストリアと西ドイツ以外ではあまり評判にならなかった。

90年にアルバム「Data de Groove」をリリースするが、本国でも最高5位どまりで1位を獲得できずに終わる。
92年のアルバム「Nachtflug(夜間飛行)」はオーストリアで再び1位となるが、ドイツでは73位と低迷した。

そして再起をかけた次作「Out of the Dark (Into the Light)」が、最後のスタジオアルバムとなる。
98年2月6日、ドミニカ共和国内の高速道路でファルコの運転するパジェロと大型バスが衝突し、重傷を負ったファルコは病院で死亡。
亡くなったことを知ったのもかなり後だが、死因が交通事故だったことを今回初めて知った。
当時の日本ではファルコ死亡のニュースはどれくらい報道されたのだろうか・・

死亡から3週間後に「Out of the Dark」がヨーロッパで発売され、オーストリアでは21週にわたってチャート1位を記録した。
さらに99年には生前録音した未発表曲を収録したアルバム「Verdammt wir leben noch」がリリースされた。
タイトルの意味は「ちくしょう、俺達はまだ生きているんだ」とのこと。

2000年にはベルリンでミュージカル「Falco meets Amadeus」が初上演され、その後もドイツ語圏各地で上演されている。
2008年には没後10年を記念して製作された伝記映画「Falco - Verdammt wir leben noch!」が製作され、オーストリア、ドイツ、チェコで公開された。
(日本では未公開だがDVDで発売された)

ファルコの生涯と作品は以上だが、他にも本国やドイツではスターであることを証明するエピソードがネット上で見つかる。
ファルコの友人である元F1レーサーのニキ・ラウダは、ファルコの死を悼んで経営するラウダ航空の飛行機に「ファルコ」と命名している。
またウィーン郊外にあるレストラン「マーチフェルダーホフ」では、今なおファルコ専用の予約テーブルが用意されているそうだ。

「Rock Me Amadeus」はサウンドやボーカルに様々なアレンジが加えられていて、ラップというよりダンスやディスコやDJのような曲だと認識していた。
タイトルを連呼するのが女性の声なので、最初はグループかと思った記憶がある。

自分が録音した「Rock Me Amadeus」はかなり長く、8分くらいあったと思う。
標準版シングルは3分半くらいなので、たぶんロングバージョンである。
当時の「クロスオーバー・イレブン」は、こうしたヒット曲の長いバージョンを好んでオンエアしていたのだ。
今思うとそれほど長さを感じず、わりと面白い音なので飽きずに聴いていた。

「Vienna Calling」「The Sound of Musik」も路線は似たような感じだ。
このサウンドや楽曲を苦手と思ったことはないが、アルバムを聴いてみようという意欲は起こらなかった。
自分の中ではと同じような位置づけである。
生声でゆったりボーカルを聞かせたり、アコースティックなサウンドに乗せて歌う曲なんてのはあるんだろうか?

というわけで、ファルコ。
今から聴くなら当然「Rock Me Amadeus」収録の「Falco 3」でしょうね。
日本ではデビュー当時から知ってたりアルバムを全部聴いたりといった方はあまりいないんじゃないかと思いますが、「Falco 3」以外でもおすすめのアルバムがあればご紹介いただけたらと思います。

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コメント

SYUNJIさん、こんばんは。
ファルコ、懐かしいですね。「ロック・ミー・アマデウス」だけ
MTVで見ました。サビをよく覚えています。
日本では一発屋ではなかったでしょうか。

サビしか思い出せないので、ユーチューブでフルコーラス聞きました。
とてもポップです。しかしひねりすぎです。今見ると、プロモビデオ
もおしゃれ(?)ですが、80年代型産業ロックに
毒されていた当時の私には、曲もビデオも難しすぎました。

>>オーストリア人がドイツ語でモーツァルトをラップで歌ったら

確かにラップですね。産業ロック衰退と同時にヒップホップや
ラップが台頭しています。ランDMCとか。そう考えると、早すぎた
バンドだったのかも。
はたまた、ドイツ語のネーナも一発屋どまりだったということは、
英語圏で欧州語曲をヒットさせるのは難しいのかもしれませんね。

投稿: モンスリー | 2022.08.22 20:44

モンスリーさん、こんばんは。

>日本では一発屋ではなかったでしょうか。

確かにファルコを一発屋と認識してる人は多いでしょうね。
それでも「Rock Me Amadeus」はやたら流行ってましたので、同世代であれば知名度はかなり高いのではないかと思います。

>今見ると、プロモビデオもおしゃれ(?)ですが、80年代型産業ロックに毒されていた当時の私には、曲もビデオも難しすぎました。

自分も産業ロックに毒されたクチですけど、ファルコの曲やサウンドは悪くなかったですね。
アルバム鑑賞にまで発展はしませんでしたが・・

>はたまた、ドイツ語のネーナも一発屋どまりだったということは、英語圏で欧州語曲をヒットさせるのは難しいのかもしれませんね。

あーそう言えばネーナもいましたね。
彼女も英語でも歌ってましたけど。
他にもドイツ語で歌ってたバンドでヒューバート・カーもいましたけど、80年代英米でのフランス語やイタリア語のヒット曲は思い当たらないです。
やはり英語圏では他原語の曲をヒットさせるのは難しいんでしょうね。

投稿: SYUNJI | 2022.08.23 18:24

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