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聴いてない 第289回 ラッシュ

カナダ最強のプログレバンド、ラッシュ。
気安くキャッチ書いてますが、実はカナダもプログレもさっき知ったばかり。
バンド名とニール・パートの名前をうっすら知っている程度で、1曲も聴いてないので実質何も知らない。
名前のイメージからなんとなくメタルやパンクなどを勝手に想像してましたが、全然違うようです。

なおイギリスにもラッシュというバンドが存在する。
カタカナで書くと同じラッシュだが、カナダがRush、イギリスがLushだそうだ。
どっちも聴いてないが。
今日はいつにも増してこんなレベルからいきなり路上教習スタート。

ラッシュは1968年にカナダで結成された。
メンバーは以下のみなさんである。
・アレックス・ライフソン(G)
・ジェフ・ジョーンズ(B)
・ジョン・ラトジー(D)

初めはザ・プロジェクションという名前で活動していたが、ジョン・ラトジーの兄の提案でラッシュに改名。
結成直後にジェフ・ジョーンズが脱退し、後任としてゲディー・リーが加入。

しかし結成からプロデビューまでは意外に時間がかかり、74年にようやくデビューアルバム「Rush(閃光のラッシュ)」をリリース。
アルバムのリリース直後、ジョンが体を壊しツアーにも耐えられないという理由で脱退。
アメリカ・ツアーを前に困ったアレックスとゲディーは急遽オーディションを実施。
合格したニール・パートが加入する。
・・・あっそう・・・ニール・パートって結成当時からのメンバーじゃなかったんスね。

そのニールが作詞を担当したことにより、音楽性や世界観も大きく変化し、それまでのハードロック路線から、前衛的なプログレッシブ要素を採り入れた路線に転換する。

75年に「Fly By Night(夜間飛行)」を発表。
プログレらしく組曲構成にしたりアコギを効果的に使用するなど、芸術性が向上した作品となった。
ラッシュはこの組曲を採り入れた大作志向が気に入ったようで、その後のアルバムでも何度も採用。
またプログレ標準飛び道具である変拍子や転調も好んで使用し、3人編成なのにものすごくたくさんの種類の楽器を使うなど、イエスクリムゾンなど大手プログレの影響を強く受けていることがうかがえる。

76年発表の「2112(西暦2112年)」は初期の名盤とされ、哲学的な歌詞と壮大なテーマを組曲で構成し、プログレとハードロックの融合サウンドで300万枚を売り上げた。

だがラッシュも80年代になるとかなり路線変更。
80年発表の「Permanent Waves」は、それまでの大作志向をやめて普通の長さの作品集となった。
これにはレコード会社や事務所の意向が強くはたらいており、レゲエやニューウェーブなどそれまであまりなじみのなかった音楽の要素を採り入れたり、ラジオ向けの短い曲を収録している。
このあたりの事情はイエスやジェネシスにも通じるものがある気がする。

そのポップとプログレとハードロックの混合スタイルの集大成が、81年のアルバム「Moving Pictures」。
ここまで培ってきたプログレ・ハードロック・哲学的歌詞をバックボーンに、ポップなメロディをプログレ風の組曲として高度な技術で演奏する、というラッシュにしかできないスタイルで表現されている。
セールスとしてもキャリア最高の全米3位を記録。
アメリカでは400万枚の実績を残している。
アルバムタイトルとジャケットにかすかな記憶はあるが、そんな名盤だったのね・・
収録曲「YYZ」はラッシュの代表インスト曲であり、ライブでも定番ナンバーだそうだ。
「YYZ」ってどういう意味?と思ったら、トロントのピアソン国際空港の識別コードとのこと。

次作「Signals」でラッシュはさらに変貌。
シンセサイザーを多用し、プログレ味もハード風味も薄まった80年代の若干チャラいサウンドに仕上がり、古参のファンからは評価されなかったらしい。
その後も80年代はシンセ前面押し出しの音でのアルバム作りが続く。
84年には日本公演も行われた。

91年の「Roll the Bones」ではファンクやジャズ、ヒップホップなど様々な音楽要素を展開。
方向性を見失ったかに思われたラッシュだが、93年発表のアルバム「Counterparts」では原点回帰。
ハードでヘビーなギターサウンドが戻り、80年代のキラキラしたシンセサウンドなんかなかったかのような音になった。
この回帰路線は次の「Test For Echo」でも継続。

しかし。
97年のツアー終了後、ニールの娘が交通事故で死亡する。
さらに翌年妻も癌で失い、精神的に大きなダメージを負ったニールは音楽活動を停止。
バイクで放浪の一人旅に出てしまい、バンドも停滞してしまった。

ラッシュの停滞は10年以上に及んだが、2001年になってようやく活動を再開。
翌2002年に新作「Vapor Trails」をリリースする。
キーボードもシンセサイザーも使わない武骨なサウンドで作ったアルバムだが、メンバーは音の仕上がりが不満だったらしく、2013年にリミックス盤を発売している。

しばらくライブとライブ盤発表を続けた後、バンドは2012年にSF風の物語を綴る歌詞とハードロックの楽曲で構成されたコンセプトアルバム「Clockwork Angels」をリリースする。

2015年にはデビュー40周年を記念して「R40」ツアーが行われた。
だがニール・パートは腱鞘炎が悪化しており、ツアーはバンドとして最後になると発表された。
さらに2018年にはゲディーがニールの引退を発表。
2020年にニールは亡くなったので、ゲディーとアレックスはニールが病気であまり長くはないことを知っていたのだと思われる。

以上がラッシュの壮大な歴史である。
毎度のことながら知ってた話は一切なし。
ニールが放浪したら停滞し、ニールが引退した時点でラッシュの歴史も終わっているので、ニールがバンドの命運を握っていたことになる。
作詞も大半の曲をニールが担当していたので、バンドはニールを中心に動いてきたと言える。

ニール・パートを紹介するサイトには、その圧倒されるドラムセットの写真や図が掲載されていることが多い。
周囲360度に配置された巨大な要塞セットがトレードマークだそうだが、ライブではセットした楽器は全て必ず使うそうで、無駄なものは置かない主義とのこと。

ニール本人はキース・ムーンに影響を受けてドラムや作詞を始めたと語っている。
キースの他に、ジョン・ボーナム、マイケル・ジャイルズ、ジンジャー・ベイカー、フィル・コリンズの名も挙げているが、意外にも?スチュワート・コープランドも影響を受けたドラマーの一人だそうだ。
影響を受けるほどにはキャリア違わないのでは・・?と思って調べたら、ニールとスチュワートは同い年だった。(1952年生まれ)
なおデイヴ・グロールは8歳でラッシュを聴いて音楽に目覚め、ニール・パートのドラムを聴いてドラマーになりたいと思い、独学でドラムを始めている。

ラッシュの魅力としては他にゲディー・リーのハイトーンなボーカルもある。
「鶏の首を絞めた声」と言われるそうですけど、これ褒めてるんでしょうか・・?
多くのサイトに書いてあるのが、「ロバート・プラントに似ている」という点。
ただラッシュのファンのみなさんも「まあ似てはいるけどプラントほどじゃない」という感覚は共通しているようで、自分もラッシュの曲をいくつか動画で聴いてみたが、確かにプラントほど圧倒されるような声でもないと感じた。
やはりロバート・プラントは唯一無二のボーカリストであり、ゲディー・リーよりはルー・グラムのほうが似ていると思う。

高い演奏歌唱技術と独自の様式や世界観を持つ最強の3人組バンド・・のはずなのだが、なぜか日本ではあまり人気がないというのが、ラッシュの悲しい現実である。
本人たちにとっては、日本で人気がないなんて話はどうでもいいことなんでしょうけど。
本国では絶大な人気を誇るが日本では人気どころか知名度も危うい・・という事例はいくつかあるけど、ラッシュも残念ながら該当してしまうようだ。

実際自分も今までFMでラッシュの曲に出会ったことは一度もないし、雑誌で記事を目にした記憶もない。
友人の口から「あのラッシュの曲がさぁ・・」と発されたことも一度もない(と思う)。
日本公演も84年以降行われず、「来日しない最後の大物バンド」というキャッチ?まで付けられたそうだ。
なんでだろう・・?
こういうケースって、周囲のスタッフの力の入れようが大事だとは思うんだけど、ラッシュは本国側と日本側のどっちに(どっちも?)やる気がなかったんですかね?

というわけで、ラッシュ。
作品数が多いので今さら全盤制覇はムリですが、聴くとしたら一番売れた「Moving Pictures」がいいかなと勝手に考えています。
相変わらずプログレにはなじめない自分ですが、こんな永世素人でも聴きやすいアルバムがあれば教えていただけたらと思います。

 

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聴いてない 第288回 スウィート

その昔姉がよく聴いていたカセットテープに入っていたある曲。
自分もメロディやサウンドは今でもほぼ脳内再生が可能なほどがっちり記憶してるが、残念なことに誰の何という曲かが全くわからない。

姉に聞いてみるのが早いんだろうけど、メロディを姉の前で歌わねばならず、もし姉の記憶が喪失してたら全くの歌い損である。
そんな面倒な展開はイヤだ。
今なら歌詞をネットで検索してみるという手はあるが、その歌詞は「アーイ!」とか「ユー!」「オケーイ!」くらいしかわからず(全然ダメじゃん)、結局不明のまま45年以上経過。

手がかりは「1975年頃のヒット曲」くらいしかない。
姉が聴いていたのが75年頃であり、同じテープにあったのがジョージ・ハリスンの「二人はアイ・ラブ・ユー」やレインボーの「虹をつかもう」、ミニー・リパートンの「Lovin' You」などだったのだ。
いずれも確かに75年頃のヒット曲である。
あの曲も75年のヒットで間違いない。

そこで2年ほど前からYou Tubeにある「1975年頃の洋楽ヒット曲集」みたいな動画を探して見ていた。
すぐに見つかるかと思いきや、なかなかあのメロディは出てこない。
前後の年のヒット曲にも広げて捜索してみたが、全然見つからず、いったんはあきらめた。

そして1年ほど経った先週。
ふと思いついて再度「1975年頃の洋楽ヒット曲集」を検索。
ついにあの曲にたどりついた。
それはスウィートの「Fox On The Run」。
長年不明だった曲はこれだったのか・・・

ということでいつにも増して長くつまんない前置きですが、スウィート。
バンド名も今回初めて知りました。
知ってたのは「Fox On The Run」だけやなと思ったら、73年の「Blockbuster」も聴いてることが判明。
安売りオムニバスCDに収録されてたのを聴いてただけで、サイレンの音がうっとうしいめんどくさい曲という印象しかない。

まあ長年の疑問が解明されてめでたいことは確かなので、スウィートについてもう少し調査することにした。

バンド結成の中心はブライアン・コノリー(Vo)とミック・タッカー(D)。
二人はウェインライツ・ジェントルメンというバンドに在籍していたが、脱退後にスティーブ・プリースト(G)、アンディ・スコット(B)を加えてスウィートを結成した。
実はアンディ加入の前にフランク君というギタリストがいて、スウィートショップという名でシングルをいくつか出したが全然売れず、フランク脱退・バンド名変更・レーベル変更という小刻みな変遷もあったそうだ。

なお源流であるウェインライツ・ジェントルメンには、イアン・ギランとロジャー・グローバーも参加していた・・と書いてあるサイトが複数見つかる。
ただブライアン・コノリーとミック・タッカーが在籍したのはギランが脱退した後で、みんないっしょにバンドやってた時期はないようだ。

デビューは1968年。
いくつかシングルを発表するも全然売れず、71年にRCAレコードに移籍。
このレーベル変更がバンドの転機となる。
ここで登場するのがマイク・チャップマンとニッキー・チンというコンポーザー・コンビ。
彼らが作った曲「Funny Funny」や「Co-Co」「Little Willy」がイギリスで大ヒット。
73年の「Blockbuster」でついに全英1位を獲得する。
・・・そうなの?
自分にはあまりいいと思えない曲だったんですけど・・・

しかしチャップマンとチンの力は絶大で、続く「Hell Raiser」「The Ballroom Blitz(ロックンロールに恋狂い)」「Teenage Rampage(ティーン・エイジ狂騒曲)」も大ヒットを記録した。
いずれも二人の共作である。
レコード会社やプロモーターは、スウィートを当時流行のグラムロックバンドとして売り出そうという戦略だったらしい。

驚くのは72年から73年にかけて早くもベスト盤が出ている点。
スウィートとしてはオリジナルアルバム1枚しか出てない時点でもうベスト盤が出るという、なんかジャニーズの新人バンドみたいな展開だが、それだけ当時人気があってヒット曲も多かったということだろう。

74年にセカンドアルバム「Sweet Fanny Adams」を発表。
チャップマン&チンの人気コンビは他の仕事でスウィートに手が回らなくなり、またメンバーもこの二人の音楽性に飽きてきたところだったので、大半の曲はバンドのメンバーの手で作られた。
チャートでは全英27位とまずまずの出来だったが、これは前作までの人気の反映とみられ、実際シングルでヒットした曲はない。

しかしこの自立が次の成功につながる。
75年にメンバー4人の共作である「Fox On The Run」が全英2位・全米5位を記録する大ヒットとなる。
これが日本でもオンエアされ、姉のカセットテープに収まったというわけか・・

バンドはこのヒットによって自立を確信し、76年のアルバム「Give Us a Wink(甘い誘惑)」はチャップマン&チンの力を一切借りることなく制作。
前年ヒットした「Action」も収録され、全米では27位を記録。
中にはズバリ「Cockroach(ゴキブリ野郎)」という曲もあるんですけど、これヒットしてたんでしょうか・・・?
ちなみに「Action」はデフ・レパードがカバーしているそうだ。

78年にアルバム「Level Headed(甘い罠)」をリリース。
邦題がまだグラムっぽいのが気になるが、本国では引き続き人気となりシングル「Love Is Like Oxygen」が全英9位のヒット。
しかし残念ながらこれがスウィートとしては最後のトップ10入りとなる。

翌79年にアルバム「Cut Above The Rest(標的)」を発表するが、全英全米とも100位にも入らず惨敗に終わる。
この年にブライアン・コノリーが脱退。
バンドは残った3人で活動を継続したが、ブライアン脱退のダメージは大きく、81年には解散してしまう。

ところが85年に過去のヒット曲メドレーのシングル「It's the Sweet Mix」が全英45位のヒットとなった。
そうなの?・・・・知らない・・・
日本のFMでもオンエアされたんだろうか?

このヒットを機にメンバーはそれぞれスウィートとしての活動を再開する。
ブライアン・コノリーは別のメンバーを集めて新生スウィートを結成。
一方アンディ・スコットとミック・タッカーもスウィートを再結成しツアーも行った。
たまにメンバー同士が共演することもあったらしいが、2つのスウィートは合併することもなく別々に活動。

アンディのスウィートはメンバーチェンジをしつつ、オリジナルアルバム制作やライブなども行い、現在も活動中とのこと。
ブライアン・コノリーは97年に亡くなったため、結局元のメンバーでのスウィート再結成は実現しなかった。
2002年にはミック・タッカーが、また2020年にはスティーブ・プリーストも亡くなっている。

スウィートの歴史絵巻は以上である。
そもそも2曲しか知らなかったので、名前も含めてこんなバンドであることも初めて知った。

「Fox On The Run」は改めて聴くとけっこうおもしろい。
イントロにはグラムやテクノっぽい音が聞こえ、リズムはタテノリでガヤ系だが、コーラスも厚くギターソロもちゃんとある。
クイーンに似ているという評価があるが、確かにそのとおりだと思う。
キッスを思わせるサウンドもあり、捜索中は「あの曲はもしかしてキッスか?」と思っていたくらいだ。

スウィートを語るサイトには「レコード会社やプローモーターに利用されたバンド」という表現が書かれていることが多い。
本人たちの音楽性や方向性とは違った曲を歌わされ、ヒットもしたんでこれでいけよという指示のもと活動はしたけど、そうじゃない!と自立して証明したのが「Fox On The Run」というわけだ。
自立前後の作品を比較してみることも、スウィート鑑賞の必修科目のようだ。

というわけで、スウィート。
長年の捜索がようやく終了したんで安心してそれっきりになる可能性が高いですけど、そもそもみなさんはこのバンド、ご存じでしょうか?
「Fox On The Run」以外でおすすめの曲があれば教えていただけたらと思います。

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