聴いてない 第287回 スライ&ザ・ファミリー・ストーン
たとえば。
ぷく先輩やカナさんやモンスリー師匠やゲッツさんという列強の洋楽論客とともに世界の山ちゃんあたりで音楽談義に興じたとしよう。
レベルの高い話題に適当に相づちを打ちながら聞いていて、もし「やっぱスライは暴動だよ」「いやいやフレッシュでしょう」などといった展開になったら?
もはや相づちすら打てず、ひたすらメニューをながめて「次何を頼もうかな」と熱心に選んでいるフリをするしかない。
そんなバンド。
以上です。
・・・世界のスライに対してあまりにも雑な扱いで申し訳ないけど、自分の偏差値はこんなもんです。
聴いてないのはもちろん、そもそもよく知らない。
スライさんという人がやってるバンド、という低次元な認識はあるが、それ以上のことは何もわからない。
まあそんなのはスライに限らないけど。
スライ&ロビーというユニットも名前だけ知っていたが、実はこれも同じスライさんがやってるユニットだと思っていた。
・・・すいません、このスライさんはスライ・ストーンに憧れてスライを名乗ってる別の人(スライ・ダンバー)なんですね。
プリティ長嶋みたいなもんかな。(ずいぶん違う)
前置き長くなりましたが、スライ聴いてません。
ロックの長い歴史の中で非常に重要な存在であることはおぼろげに認識してはいるけど、1曲も知らない。
聴いてない度も1。
ただし「暴動」「Fresh」のジャケットだけはなぜか見覚えがある。
このままでは世界の山ちゃんに集合してもメニューを見るだけの時間が過ぎゆくだけなので、スライ&ザ・ファミリー・ストーンについて召集令状が来る前に学習することにした。
スライ・ストーンことシルヴェスター・スチュアートは、1943年テキサス州ダラスに生まれた。
父は教会の助祭としてギターを弾き、母はゴスペル・グループで歌うという音楽一家で5人兄弟の長男として育つ。
9歳でカリフォルニアに移住した後、1952年に弟妹たちと共に「スチュアート・フォー」というコーラスグループを結成。
さらに16歳でソロデビューして「Long Time Away」という曲でヒットを飛ばす。
なお「スライ」とは、シルヴェスターが小学生の頃に友だちがSylvesterのスペルをSlyvester=スライベスターと間違えたことがきっかけでついたあだ名とのこと。
スライ少年はその後ギターを演奏するようになり、高校時代には複数のバンドに参加。
人気が出てそのままプロに・・と思ったら、卒業後の仕事はカリフォルニアのラジオDJや、小さなレコード会社のプロデューサーだったそうだ。
実績としてはボビー・フリーマンやビリー・プレストン、またグレース・スリックが在籍していたザ・グレイト・ソサエティというバンドをプロデュースしている。
やがて裏方の仕事よりも自身がステージに立ちたいと考え、シングル数枚を発表するがあまり売れなかった。
66年には高校でバンドを組んでいたシンシア・ロビンソンと共にスライ&ザ・ストナーズを結成。
翌67年には弟のバンドと合体してスライ&ザ・ファミリー・ストーンが誕生する。
メンバーは以下の7人。
・スライ・ストーン(Vo・K)
・フレディ・ストーン(Vo・G):スライの弟
・ローズ・ストーン(Vo・K):スライの妹(ロージー)
・シンシア・ロビンソン(Vo・Trumpet):スライの高校時代の友人
・ラリー・グラハム(Vo・B):シンシアの親戚
・ジェリー・マルティーニ(Sax)
・グレッグ・エリコ(D)
スライからラリーまでが黒人、ジェリーとグレッグは白人という男女人種混合バンドである。
67年にアルバム「A Whole New Thing(新しい世界)」でデビュー。
シングル「Dance To The Music」はビルボードのポップチャートで8位、R&Bチャートでは9位のヒットとなる。
69年のシングル「Everyday People」で全米1位を獲得。
8月にはあのウッドストック・フェスティバルに出演し、10曲も演奏した。
アルバム「Stand!」も売り上げ300万枚以上となり、「Hot Fun in the Summertime」「Thank You」「Everybody Is a Star」のシングル3曲をチャートの上位に送り込んだ。
デビュー3年目にして歴史に名を残す快挙を成し遂げたことになる。
しかし。
成功の陰でスライは麻薬や周囲からの圧力などで大きなダメージを負っていた。
レコード会社からの売り上げ伸ばせ圧力も当然あったが、スライを最も苦しめたのはバンド内外の圧力だった。
当時バンド周辺にはブラックパンサー党などの黒人解放運動家たちが存在し、バンドの音楽性に口出ししたり白人メンバーを追い出すようスライに迫ったりしていたそうだ。
この圧力はファミリー・ストーンのメンバーたちとの仲にも影響し、バンド内にも摩擦が生じるようになる。
そんな圧力と混乱の中でもアルバム「There's a Riot Goin' On(暴動)」は発表された。
レコーディングにあたって、ファミリー・ストーンのメンバーがスライといっしょに演奏することを拒むほど、バンド内の亀裂は大きくなっていた。
仕方なくスライは大半の曲でボーカルや楽器を一人で録音し、メンバーの演奏のほとんどはオーバーダビングで録音された。
こんな異常事態の中作られた「暴動」だが、人気は非常に高く、今もファンクの名盤として評価されている。
71年にはグレッグ・エリコが脱退し、翌72年にはラリー・グラハムも解雇され、メンバーチェンジが相次ぐ。
ただバンドの人間関係悪化は作品の質や人気にはあまり影響がなく、73年のアルバム「Fresh(輪廻)」とシングル「If You Want Me to Stay」も高い評価を得た。
この「Fresh」のドロップキックジャケットはやはり強烈で、80年代の貸しレコード屋や音楽雑誌でも何度も目にしている。(目にしただけ)
74年にアルバム「Small Talk」をリリース。
メンバーの出番は少なく、実質スライのソロという見方もあるそうだ。
この頃にはスライの状態は心身ともにさらに悪化しており、ライブでもドタキャンを繰り返すようになっていた。
また麻薬や銃の不法所持、脅迫などで何度も警察に逮捕されている。
こうしてスライ・ストーンのイメージはどんどん悪化。
ファンやレコード会社やプロモーターからも見放されるようになり、75年1月のラジオシティ・ミュージックホールでの公演は席が1/8しか埋まらず大失敗に終わる。
これがスライ&ザ・ファミリー・ストーンの事実上の解散につながる最後の公演となってしまった。
バンド解散後スライ・ストーンはすぐ停滞したわけではなく、ソロアルバムを4枚も発表している。
残念ながら評価も成績もバンド全盛期には遠く及ばず、以降ボビー・ウーマックやアース・ウィンド&ファイアーの作品に参加したり、ジョージ・クリントンとの共演もあったが、話題になることはあまりなかった。
この後スライはほぼ隠居状態となる。
93年にスライ&ザ・ファミリー・ストーンがロックの殿堂入りを果たし、セレモニー会場にメンバーが久しぶりにそろって登場。
だがメンバーとの活動が復活するようなこともなく、スライは再び隠居。
後にドキュメンタリー映画「Coming Back For More」で明らかになるが、スライはこの頃マネージャーのジェリー・ゴールドスタインとの契約を無視されて収入がなくなり、生活保護や慈善団体の寄付で暮らしていたそうだ。
その10年後、ザ・ファミリー・ストーンのメンバー6人が新しいアルバム録音のためスライにも参加を呼びかけたが、スライはこれを拒否。
かつての輝きを失い生活にも困るほどの落ちぶれた姿を、昔の仲間には見せたくなかったのだろうか。
事態が少しずつ動き出すのは2005年頃から。
2005年7月、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲をカバーやサンプリングして作られたトリビュートアルバムが発表される。
2006年度グラミー賞授賞式の会場に、このアルバム参加者が集まってスライの曲を演奏したが、この時スライ本人も登場。
ザ・ファミリー・ストーンのメンバーと共に久しぶりに演奏した。
この共演がきっかけで、バンドは翌年からヨーロッパ各地のジャズ・フェスティバルに少しずつ参加するようになる。
2008年には東京で奇跡の初来日公演が行われた。
2010年には前述のドキュメンタリー映画「Coming Back For More」が公開される。
映画ではスライがマイケル・ジャクソンに提供するための曲を作っていたことも明らかにされている。
2011年に周囲の支援を受けて、元マネージャーのジェリー・ゴールドスタインを詐欺や契約不履行などで提訴し、5000万ドルの損害賠償を請求。
(500万ドルと書いてるサイトもあり。10倍違うんですけど・・?)
ゴールドスタイン側も名誉毀損でスライを訴えるという訴訟合戦に発展した。
この混乱の中でもスライはアルバム「I'm Back! Family & Friends」を果敢にリリース。
訴訟費用と浪費で再び生活に困窮し、一時期トレーラーハウスで暮らすなど波乱は続いたが、2015年に裁判には勝訴した。
以上がスライ・ストーンおよびザ・ファミリー・ストーンの華麗かつ波乱に満ちた名勝負数え歌である。
知ってた話はもちろんゼロ。
なお学習にあたり、いくつかのヒット曲もYou Tubeで見てみたが、やはり聴いたことのある曲はなかった。
80年代にほぼ隠居してたという点が、聴いてない最大の理由。
FMでスライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲を録音どころか聴けたことも一度もない。
自分にとっての洋楽三大講師である柏村武昭・小林克也・東郷かおる子からも、スライ関連情報を一度も受け取ったことがない。(うるさいよ)
ファンクというジャンルを確立させたミュージシャンとして、ジェームス・ブラウンという大御所もいるが、ファンの人たちから見ると「パワフルなJB、クールでロックなスライ」というイメージがあるそうだ。
この言葉どおりであるならば、自分にとって聴けそうなのはスライのほうではないかという気が(わずかに)する。
気がするだけで玉砕・無定着も十分あり得ますが・・・
というわけで、スライ&ザ・ファミリー・ストーン。
自分みたいな万年素人が手を出して平気な音楽なのかすらわかりませんけど、もし聴くとしたらやはり名盤「暴動」「Fresh」ははずせないでしょうか。(小声)
他のアルバムも含め、おすすめの作品を教えていただけたらと思います。
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