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聴いてない 第284回 ザ・レンブランツ

1曲だけ聴いてそれっきり、しかもそれは大ヒット曲というアーチストは結構いる。
思いつくだけでもヒューバート・カードン・マクリーンブラインド・メロンブラックウォーターボーイズなどが該当する。
今日紹介するザ・レンブランツも同じ状態。
大ヒット曲を聴いてまあまあ気に入っておきながら、その後他の曲やアルバム鑑賞にまで進むことはなかったという定番のパターンである。

ザ・レンブランツ、聴いてるのは95年の大ヒット曲「I'll Be There for You」だけ。
柏村武昭指導のFMエアチェックではなく、MTVの音声をテープに録音したのだが、映像は全く覚えていない。
なお同時期に録音したのはオアシスの「Roll With It」、スキャットマン・ジョン「Scatman」、TLC「Waterfalls」、ボン・ジョビ「Something For The Pain」などの懐かしいヒット曲たち。
聴いてない度は2である。

さてレンブランツを調べてみて、「I'll Be There for You」はアメリカのテレビドラマシリーズ「フレンズ」のテーマソングということを初めて知った。
当時日本でこのドラマの視聴は可能だったんだろうか?
ちなみにこの曲、日本の「鶴瓶上岡パペポTV」でも使われたそうだ。
やはり見てませんでしたが・・

ということでもしかしたら当時のナウいヤングはみんな知ってるレンブランツ・・かもしれない恐怖におびえながら、内偵開始。
しかし、心の支えウィキペディア日本語版は極めて淡泊で4行くらいしか書いておらず、詳細な経緯や実態が全然わからない。
しかたなく英語版をムリヤリ翻訳・・・といういつものパターンで調査を進めた。
最近はGoogleよりもDeeplという翻訳サイトを使用している。
これが非常に優秀で、自分みたいな日本語すらカタコトの三流でもかなりわかりやすい翻訳をしてくれるのだ。
以下は主にDeepl翻訳により得た情報のまとめ。

ザ・レンブランツは、1989年にダニー・ワイルドとフィル・ソレムによって結成されたアメリカのオルタナティブロック・デュオである。
ダニーは70年代にザ・クイックというバンドに所属しており、80年代にはソロアルバムを数枚リリースしている。
ダニーとフィルはあるパーティで出会い、お互いデビッド・ボウイが好きなことで意気投合。
その後二人はグレート・ビルディングスというパワーポップな4人組バンドを結成。
81年にアルバム「Apart From The Crowd」を発表したが、この1枚だけで解散。

89年にザ・レンブランツとして独立したダニーとフィルは、バンドと同名のファーストアルバムを発表。
アルバムは全米チャート88位という地味なスタートだったが、シングル「Just the Way It Is, Baby」は14位を記録し、最初の成功を収めた。
・・・そうなの?聴いたことがない・・・
日本ではヒットしてたんだろうか?

92年のアルバム「Untitled」では、「Johnny, Have You Seen Her?」が54位、「Rollin' Down the Hill」は映画「ダム・アンド・ダンバー」に使用された。

そして95年、彼らの代表作となる「I'll Be There for You」が大ヒット。
90年代以降、ビルボードなど全米のチャートはジャンルが細分化されており、ビルボードチャートの記録では最高17位だが、「Hot100」で11週連続1位、また「メインストリームトップ40」や「アダルト・コンテンポラリー」でも1位を記録している。
さらにカナダでも1位、イギリスやオーストラリアやニュージーランドでは3位を記録。
アルバム「LP」にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベルモント・テンチとリトル・フィートのビル・ペインが参加している。

しかし。
せっかく大ヒットを生み出したのに、2人は活動方針を巡って対立し、コンビを解消してしまう。
98年にはダニーが「ダニー・ワイルド&ザ・レンブランツ」を名乗り、アルバム「Spin This」をリリースする。

ここまでは「お金まわりが良くなると人間関係が悪化」というロックバンドあるあるな話だが、その後が少し珍しい展開。
二人は2000年に再会し、翌年レンブランツとして「Lost Together」をリリースした。
なので解散してた期間は数年程度だったことになる。

しかしその後新曲を次々発表・・とはならなかったようだ。
2005年に彼らは少し変わった形で企画盤を発表する。
「Choice Picks」というお気に入りの曲を再録音したアルバムだが、異なるレーベルから別バージョンとしてリリースされ、それぞれ別の新曲も1曲ずつ収録されている。
この試みが受けたのかどうかは不明。
何で普通のベスト盤にしなかったんだろう?

2006年には今度こそ本当にベスト盤「Greatest Hits」を発表。
全20曲からなるキャリア回顧録で、グレート・ビルディングス時代の曲も2曲収録されている。
現時点での最新作は、前作から実に18年ぶりとなる2019年発表の「Via Satellite」。

今回も当然知ってた話は全くないが、本国ではずうっと人気者でヒット曲連発・・という話でもなかったようだ。
日本での知名度もかなり厳しい状況にあると思われる。

最大のヒット曲「I'll Be There for You」はアメリカのテレビドラマシリーズ「フレンズ」のテーマソング・・ではあるが、曲としてフルバージョンが完成したのはドラマがヒットした後だそうだ。
しかもレンブランツの二人だけで純粋に作って歌った曲ではないらしい。

元々はドラマの音楽監督や製作総指揮担当者がメロディと歌詞を書き、フィル・ソレムがそれに手を加えてドラマ用の42秒しかない曲ができあがった。
ところがドラマ「フレンズ」が爆発的にヒットし、ナッシュビルの放送局がこの42秒しかない曲をループして流し始めた。

レンブランツはレコード会社からアルバム収録のためにこの曲をフルバージョン化するよう促された。
二人はハイ喜んで・・とやる気茶屋の店員みたいに引き受けたかと思いきや、実はそんなに嬉しくなかったらしい。
当時二人が取り組んでいたのは、もっと暗めで内省的でニュアンスに富んだ、少しヒネたヘビーなロックで、「フレンズ」みたいなナウいヤングの青春ドラマとは対極にあるような音楽だった。
なので二人はしぶしぶ?「I'll Be There for You」のフルバージョン化を実行。

完成された曲は、それでもやはりレコード会社の思惑に沿うものではなかったようで、結局やっぱりドラマ関係者によって大幅に手が加えられ、陽気で軽快な曲に仕上がった。
結果的にこれが大ヒットし、アルバム「LP」はプラチナ・ディスクになったので、レンブランツの二人も反論のしようがなかっただろう。

フルバージョンが公開された後も、レンブランツはこの曲への関与を控えめにしていた。
しかし「I'll Be There for You」の大ヒットは、その後の二人の人生も大きく変えてしまう。
レコード会社にせっつかれて突然ツアーに出た二人は、「自分たちよりも曲(とドラマ)のほうが圧倒的に有名」であることに気づかされる。
二人がステージに登場しても歓声がいまいち上がらず、「I'll Be There for You」を演奏し始めてやっと大歓声。
しかも演奏中ずっと「フレンズ!」と叫ぶファンばかり。
「I'll Be There for You」を終えると観客の半分が退場してしまったそうだ。
キツい・・・

またフィルは、殺到するメディアのインタビューを早朝から受けて声を酷使することに悩むようになった。
当時のレンブランツの曲ではフィルのボーカルはとてもキーが高いところにあり、おかげで声が枯れやすく、のどを回復させるための十分な休みもなかった。
でもダニーはライブ中心で活動したがり、できればスタジオにこもってやりたかったフィルと意見が合わなくなった。
そんな不満が積もり、フィル・ソレムは解散を決意する。
しかもフィルはその後離婚もしてしまい、レンブランツで稼いだおカネはほとんど離婚(訴訟?)に費やしてしまった。
「元妻がいなければ、もっとラクな人生だった」とド本音も漏らしている。

ただしその後レンブランツとして復活し、今も継続中なので「あんな曲もう二度とやりたくない」という感情はないようだ。
「フレンズ」の出演者たちとも仲がいいらしい。
「I'll Be There for You」のプロモ・ビデオにも、「フレンズ」の出演者が登場している。

「I'll Be There for You」は、確かにノリのいいリズムに覚えやすいメロディで、コーラスワークや手拍子などビートルズを基盤にしたサウンドという評価も共感できる。
ただレンブランツの本来の方向性とは異なるそうなので、このノリを他の曲にも期待して聴くとたぶん戸惑うことになるんだろう。
自分みたいなこれしか知らない三流リスナーが、気安くアルバムに手を出すと痛い目に遭いそうなバンドなのかもしれない。

というわけで、ザ・レンブランツ。
意外な歴史も持つユニットのようですが、日本での人気も知名度も全く見当がつきません。
聴くとしたら当然「I'll Be There for You」収録の「LP」からだとは思いますが、どなたかお詳しい方がおられましたら、おすすめのアルバムをご指導いただければと思います。

 

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コメント

SYUNJIさん、こんばんは。
名前すら知らないバンドです。
>>95年の大ヒット曲「I'll Be There for You」

その頃の私は、ピンク・フロイドの「原子心母」あたりを
「これこそ21世紀の音楽だ!」
と崇め奉り、逆に当時のリアルタイム洋楽を
「古くさ~い」
といって無視していたという、恐ろしい勘違いをしていました。なので当然
「I'll Be There for You」も聞いたことがなければ、「フレンズ」というドラマも
知りません。

>> FMエアチェックではなく、MTVの音声をテープに録音

これもですね、80年代の終わりくらいからFMといえば「ヘビロテ」。
1回目のサビくらいまで流してはDJチャットが入るという、1曲完全
放送してくれる番組がなくなってしまい、エアチェック氷河期に
突入していたと思うのです。氷河期どころか、エアチェッカー絶滅の
原因はヘビロテだと思っています。
気合の入った来日公演ライブ放送もなくなりましたし。

というわけで、肝心の記事には全く触れることができませんでしたが、
懐かしい気分になりました。ご容赦を~(^^;

投稿: モンスリー | 2022.04.06 20:42

モンスリーさん、コメントありがとうございます。
レンブランツ、ご存じなかったですか。
まあ自分もたまたまこの1曲のみ知ってただけですけど。

>その頃の私は、ピンク・フロイドの「原子心母」あたりを
>「これこそ21世紀の音楽だ!」
>と崇め奉り、逆に当時のリアルタイム洋楽を
>「古くさ~い」
>といって無視していたという、恐ろしい勘違いをしていました。

すごいプログレ原理主義ですね(笑)
21世紀の音楽と崇めるのがクリムゾンではないところがまた深いというか・・

>80年代の終わりくらいからFMといえば「ヘビロテ」。
>氷河期どころか、エアチェッカー絶滅の原因はヘビロテだと思っています。

ああー・・言われてみれば確かにそうでした。
自分の地元ではFM横浜が85年に開局したのですが、「これでさらにエアチェックの機会が増える」と期待してたところ、洋楽も英語のDJも多かったのですが、ノリはAMでどの番組もヘビロテで、フルコーラス流してくれることがあまりありませんでした。
来日公演ライブ放送なんて全然なかったように思います。
結局エアチェックには向いていなくて、他局もどんどんヘビロテ化して、逆に機会は減って行きました・・

投稿: SYUNJI | 2022.04.06 21:27

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