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聴いてみた 第168回 ポール・マッカートニー その5

ポール・マッカートニーの70年代作品をようやく聴き終えて、ジョン・レノン学習に移行するほど安心慢心していたのだが、ほんならポールの80年代作品は全部聴いたんかワレと言われると、やはりそうでもない。
80年代のアルバム6作品のうち、聴いたのは実は半分だけ。
「Tug of War」「Press to Play」「Flowers in the Dirt」は聴いていない。
もっと言うと90年代以降は全く聴いてないので、本来はもう少し深刻に考えねばならない状況である。
そこで衆議院選挙開票前に少しでも前進しようと思い立ち、まずは「Tug of War」を聴くことを決意。(遅い)

Tug-of-war

「Tug of War」は82年発表で、ジョン・レノンの死後初めてリリースされたポールのアルバムでもある。
シングル「Take It Away」「Ebony and Ivory」は柏村武昭の指導により誠実にエアチェックしており、なぜアルバムを聴かなかったのか明確な理由は不明。
たぶんレコードを借りるカネがなかったんだろう。

聴く前に発表の経緯を調べてみた。

まず最初に軽い衝撃。
あまりよく知らなかったのだが、前作「McCartney II」発表時点でウィングスは解散していた・・わけではないようだ。
ふーん・・・
なんとなくウィングスが解散したからソロアルバム「McCartney II」が出たんやろなと勝手に思っていたが、そうでもなかったのね。

「II」はソロとしてリリースされたが、次のアルバムを作るにあたり、ポールはまず80年8月頃までは一人で曲を作って録音し、その後リンダとデニー・レインを招集している。
この段階ではウィングスとしてのリハーサルだったので、このまま進行すればウィングス名義のアルバムができた可能性もあったはずだ。

さらに初めて知ったのだが、この頃録音した曲が「Tug of War」と「Pipes of Peace」に収録されたという話。
2枚のアルバムはほぼ同時に制作されていたことになる。

80年12月にはジョージ・マーティンのスタジオで「Ballroom Dancing」「Keep Under Cover」などの録音を開始した。
ところが80年12月8日、ジョン・レノンがニューヨークで死亡。
ロンドンにいたポールのもとに訃報が届いたのは翌日朝だった。
ポールはなんとか「Tug of War」「Ballroom Dancing」「Take It Away」「Wanderlust」などのデモ制作・録音を続けるが、動揺するポールを見ておそらくジョージ・マーティンも「これはムリだ」と感じたのだろう、いったんレコーディング作業は中断する。

レコーディングを再開したのは翌年2月になってからであった。
ロンドンを離れ、カリブ海のイギリス領モントセラト島にあるAIRスタジオでセッションを再開。
1か月の間にスタンリー・クラーク、スティーヴ・ガッド、リンゴ・スター、カール・パーキンス、スティービー・ワンダーといった大物芸人が入れ替わりで参加した。

ロカビリー界の大御所カール・パーキンスはポールやビートルズのメンバーにとって憧れの存在で、ビートルズの「Matchbox」「Honey Don't」はカールの作品のカバー。
しかも当時ビートルズが「Matchbox」を録音中のスタジオに、カール本人が激励に訪れたという話もあるそうだ。

「Tug of War」制作にあたり、ポールがカール・パーキンスに参加を依頼。
カールは快諾し、すぐに一人で飛行機に乗ってモントセラト島入りした。
カールが作った曲をポールとリンダに聴かせたところ、歌詞の中に偶然ジョンが最後にポールに向けた「Think of me every now and then, my old friend」という言葉が入っていて、ポールは激しく動揺。(動揺ではなく「感動」と書いているサイトもあり)
ポールは震えながら部屋を出て行ってしまい、リンダがカールに事情を説明したという話が残っている。

スティービー・ワンダーもポールからのアプローチにより参加が実現。
スティービーがモントセラト島に滞在したのは1週間程度だったが、録音はスムーズに進行。
「ポールはギターに頼らない曲作りをするのが特徴」とスティービーは発言している。
キーボードで作曲・演奏するスティービーにとって、ポールはおそらくいっしょに仕事がやりやすいミュージシャンなのだろう。

3月にはロンドンに戻ってレコーディングを続けたが、デニーがポールとの口論をきっかけにスタジオに来なくなり、入れ替わりでエリック・スチュワートが参加するようになる。
結局デニーは戻ってこないまま4月末でウィングスを脱退。

「Tug of War」がポールのソロアルバムになるという点について、デニーは不満だったらしい。
デニーは「Tug Of War」もてっきりウィングス名義で発表するんやろ印税入るしツアーも行くしと喜んでレコーディングしてたのに、ポールのソロ作品として出すと決まったので相当がっかりしたそうだ。
ソロ作品とするのを強く推したのはジョージ・マーティンだそうだが・・・
デニー・レインという人は実は金遣いがかなり荒く、当時ウィングス停滞によりおカネに少し困っていたという話もある。
ちなみにデニーさん、ウィングス脱退後に一度破産してるそうです。

デニー脱退直後の5月にはマイケル・ジャクソンが登場し、「Say Say Say」「The Man」を録音している。
このとおり「Tug of War」と「Pipes of Peace」の各曲録音はほぼ同時進行だったが、ポールがどちらのアルバムにどの曲を収録すべきか悩んだり録音し直したりしたため、「Tug of War」は当初の予定よりも大幅に遅れて82年4月にようやくリリースとなる。

こうしてジョンの死やデニーの脱退という厳しい出来事を乗り越え、多くの大物ミュージシャンの協力も得て完成した「Tug of War」。
果たして極東の引きこもり中高年の自分にはどう響くのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Tug of War
イントロに綱引きをする人々の掛け声や実況が入り、おだやかに曲がスタート。
中盤は様々な楽器やコーラスが加わり、ポールらしい構成。
やや騒々しい感じだが、壮大に終わる。
ベスト盤「夢の翼」に収録されていたはずだが、全然覚えていなかった。

2.Take It Away
この曲はリアルタイムでエアチェックしている。
軽快でコーラスも厚く、ウィングスの雰囲気を再現したサウンド。
リンダやエリック・スチュワートがコーラスで参加し、ドラムはリンゴとスティーブ・ガッド。

3.Somebody Who Cares
アコースティックギターで始まる静かな曲。
マラカスやケーナ?のような中南米風の音が聞こえる。

4.What's That You're Doing?
スティービー・ワンダーとのデュエットだが、これは初めて聴く。
ファンクでソウルフルな曲調はスティービー・ワンダー色が濃く、むしろポールがボーカルで参加といった感じ。
スティービーはシンセサイザーも弾いている。

5.Here Today
ジョンへ語りかける追悼歌。
アコギとストリングスは「Yesterday」に似ているという評価だが、確かにその通りだ。
ジョンの死後初めて出すアルバムにあって追悼歌となれば、もっと話題になってもよさそうだが、シングル化もされずベスト盤にも収録されていない。
ただ21世紀になってからポールはコンサートでこの曲を歌い始め、今もほぼセットリスト入りする扱いになっているそうだ。

6.Ballroom Dancing
LPではここからB面。
ポールらしいシャウトとしゃべりが聴ける。
どこかで聴いたことがあると思ったら、「ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)」でセルフカバーされていた。

7.The Pound Is Sinking
少し辛口なサウンド。
イントロとエンディングにコインの音が流れる通り、ポンドの下落や他の国の通貨との対比を歌っているとのこと。

8.Wanderlust
スローだが力強く壮大なメロディで、ドラムはリンゴ。
ホーンが効果的に使われている。
この曲も「Ballroom Dancing」と同様に「ヤァ!ブロード・ストリート」でセルフカバーされているので、ポールは気に入っているのだろう。
タイトルはなじみのない英単語だが、かつてポールがレコーディングで訪れたヴァージン諸島で宿泊用に使ったヨットの名前で、旅・放浪・航海といった意味らしい。

9.Get It
はじけるギターが印象的な、カール・パーキンスとのデュエット。
エンディングはカールの意外に長い笑い声が入っており、終わらないうちに次の曲に続く。

10.Be What You See (Link)
30秒ほどの短い曲で、前後の曲とつながっている。

11.Dress Me Up as a Robber
リズムはディスコっぽいが、ところどころフラメンコギターが入る、思ったより複雑な展開。
ラストもフェードアウトせずに終わる。

12.Ebony and Ivory
ピアノの鍵盤色を人種の違いに見立てて大ヒットした、スティービー・ワンダーとのデュエット。
人種問題という重いテーマを楽しいメロディでほがらかに歌うことには批判も生じたらしいが、そこはポールのセンスであり、当然だがジョン・レノンのアプローチとは異なる。
ポールが初めて全米と全英で1位を獲得した曲でもあるそうだ。
何度も聴いてきた曲だが、あらためて聴くとやはりスティービー・ワンダーの歌唱力が圧倒的である。
クレジットではドラムもスティービーが担当となっている。

聴き終えた。
全体として安定しており落ち着いた印象である。
尖ったロックもそれほどなく、難解でとっつきにくい曲もなし。
他のアルバムではたいてい1曲はあった、独善的な「ファン置き去り曲」「ヘンな曲」がない。
安い表現をすれば「より大衆的」なサウンドと楽曲である。
前作「McCartney II」と比べると、その差は非常にはっきりしている。
今さらだが、リアルタイムで聴いていれば間違いなく先発ローテーション入りしていたはずである。

リンダとデニーがいて、さらにリンゴやスティービー・ワンダーが参加し、ジョージ・マーティンがプロデュースとなれば、サウンドの質は申し分なくて当然だろう。
個人的にはポールの声が非常にいい状態だと感じた。
「Here Today」「Wanderlust」など落ち着いた曲でよくわかるが、少なくとも「McCartney II」や「Back to the Egg」の時の声よりも、伸びや張りがよい。

盟友ジョン・レノンの死という非常事態は、当然ポールの精神や活動に大きな影響を及ぼしたとは思うが、このアルバムについては、追悼歌「Here Today」はあるものの、作風や曲調に大幅な変化をもたらした・・といった状態ではないと感じた。

タイトルにある通り、このアルバムは二つの事象・事項の対立や対比といったテーマで作られた曲が多い。
また経済や人種などの問題を採り上げた社会派な曲も目立つ。
ジョンの死が影響しているという見方もあるそうだが、発表してももう批評してくれるジョンはいない中、どんな想いでポールは歌っていたのだろうか。

ジャケットも、ヘッドホンを両手で押さえるポールの左右に赤と青のカラーを配置し、タイトルとともに対比や対立を表現している。
ヒプノシスのデザインだそうだが、ポールのアルバムの中では好きなほうである。

そんなわけでようやく聴いてみました「Tug of War」。
これは予想どおり良かったです。
やはりリアルタイムで聴いておけばよかったと後悔させられたアルバムでした。
残る80年代未聴作品「Press to Play」「Flowers in the Dirt」は知ってる曲が少なく、作風もかなり違うようで不安が大きいですが、早めに学習したいと思います。

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聴いてない 第277回 レイ・パーカー・ジュニア

だらだらと適当に続く我が洋楽鑑賞遍歴において、ブラック・ミュージックは壊滅状態なのだが、当該案件についても例外ではない。
・・・まあ壊滅なのはブラックだけじゃなくメタルもプログレもパンクも同じですけど。
で、先日Mを調査していて名前を発見したのがこの方です。
お呼びしましょう、レイ・パーカー・ジュニアの登場です。(大歓声)

レイ・パーカー・ジュニア、聴いたのは2曲。
レイディオ名義の81年の大ヒット曲「A Woman Needs Love」、ソロの83年「Bad Boy」を聴いただけ。
「Bad Boy」は録音中テープが尽きてしまい、厳密には半分程度しか聴いてない。
映画「ゴーストバスターズ」のテーマソングも一応知っているが、エアチェック実績はなく、当時繰り返し流れた映画の予告編CMなんかで覚えてしまったレベル。
従って聴いてない度は2.5くらい。
壊滅してることに変わりはない。

「A Woman Needs Love」はアダルトなムード漂う感じは悪くなかったが、曲の良さを味わえるにはまだ幼かったためか、他の曲も聴いてみようとは思わなかった。
同時に録音したのが「Stars On 45 Medley」やジョージ・ハリスン「All Those Years Ago」、エア・サプライ「The One That You Love」、デュランの「Planet Earth」といった当時のヒット曲。
「A Woman Needs Love」はそれらにはさまれて録音されたので消さずにいただけという、重ね重ね失礼な状態だった。

レイ・パーカー・ジュニアについては、名前と上記3曲、あとは「ゴーストバスターズ」で訴訟問題に発展したことくらいしか知らず、顔もぼんやりとしか記憶に残っていない。
当時の雑誌で記事を見たこともなく、レイディオは何人組で誰がいたのかなど全くわからない。
そこで衆議院解散宣言を受けて総選挙直前にレイ・パーカー・ジュニアについて緊急街頭出口調査開始。

本名レイ・アースキン・パーカー・ジュニア、1954年ミシガン州デトロイト生まれ。
ジュニアと名乗っているが本人は次男で兄はオペルトンという名前。
父親レイ・パーカー・シニアは特に著名人ではないようです。

レイ・パーカー・ジュニアは大学卒業まで地元デトロイトで過ごしたが、高校生の頃には早くもナイトクラブで演奏するバンドのメンバーとして活動開始。
16歳でマーヴィン・ゲイのレコーディングに参加したり、17歳の時にはスティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンのバック・バンドで演奏。
ローリング・ストーンズの72年ツアーのオープニングアクトをスティービー・ワンダーが務めたとき、バックバンドでリードギターを弾いたこともあった。

ちなみに最初にスティービー・ワンダーからバンドでの演奏依頼があった時、レイはスティービー本人からの電話をニセモノと思い込み、切ってしまった。
その後も何度もかけてくる相手に怒ってついに「いい加減にしろバカやろう!」と叫んで電話を切ってしまったそうだ。若い・・
それでもスティービーはあきらめずレイに再度電話し、まだ信じないレイに自分の歌(Superstition)を聞かせてようやく信じてもらったとのこと。

その後もカーペンターズ、チャカ・カーン、アレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ボズ・スキャッグスのために曲を書き、セッションワークを行うなどの実績を積む。
レイが作った最初のヒット曲は、ファンクバンドのルーファス名義で録音され、R&Bチャートで1位・ポップチャートで11位を記録したチャカ・カーンとの共作「You Got the Love」。

1977年、レイ・パーカー・ジュニアは仲間3人とともにR&Bグループ、レイディオを結成。
翌年シングル「Jack and Jill」がR&Bチャート5位・ポップチャート8位に達し、アルバム「Raydio」もゴールドアルバムを獲得。
なおレイディオ名義のアルバム2枚は長い間CD化もされていなかったが、日本では最近ようやく紙ジャケットで再発されたそうだ。
日本にもレイディオの熱心なファンがかなりいるということだろうか。

80年にグループ名をレイ・パーカー・ジュニア&レイディオに改名。
名実ともにレイはグループのフロントマンとしてセンターに立つことになる。
シングル「Two Places at the Same Time」と同名アルバムともR&Bチャート6位を記録した。
81年にリリースされた最大のヒット曲「A Woman Needs Love (Just Like You Do)」 は、これまた同名アルバムともどもついにR&Bチャート1位を獲得。
この年には初来日してツアーも行われた。

しかしこの大ヒット直後にレイディオは解散。
理由が記されたサイトは見つからなかったが、まあお金回りが急によくなっていろいろグループ内に問題が噴出したんだろう。(違ったらすいません)

83年にレイ・パーカー・ジュニアはソロとしてアルバム「The Other Woman」を発表する。
ただし全米1位の有り余る報酬を惜しみなく投入・・といった派手な転職ではなく、レイ個人の所有するスタジオに一人こもって多重録音という地味なスタートだったそうだ。
堅実な経営が功を奏し、タイトル曲が全米4位の大ヒットを記録した。
じゃあこのアルバムに自分の聴いた「Bad Boy」も入ってんのかと思ったら、このシングルは当時どのアルバムにも収録されなかったそうだ。なんで?

あとシングル「I Still Can't Get Over Loving You」は「I・Still・愛してる」という脱力なダジャレ邦題が付けられたことで有名。
曲は聴いてないけどこの嫌がらせみたいな邦題は当時雑誌で目にしており、こんな邦題で日本市場での売り上げに影響しないのだろうかと心配になった記憶がある。

そんな極東の低偏差値な心配をよそに、この頃レイ・パーカー・ジュニアは他のアーチストにも積極的に曲を提供。
ニュー・エディションの「Mr. Telephone Man」、デニース・ウィリアムス「I Found Love」、ダイアナ・ロス「Love or Loneliness」「Up Front」などはレイの作品である。

そして84年、キャリア最大の問題作「Ghostbusters」が生まれる。
映画も大ヒット、曲も全米1位獲得というドリームな展開だったが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「I Want A New Drug」のパクリである疑惑が浮上。
経緯としては、まず映画のプロデューサーが「I Want A New Drag」を使いたいとヒューイ・ルイスに依頼したが、ヒューイ側は拒否。
拒否の理由は不明だが、困ったプロデューサーはレイ・パーカー・ジュニアに「「I Want A New Drag」っぽい曲を作るよう依頼。

で、レイは実直に似たような感じで「Ghostbusters」を作成した。
元は映画のシーンBGMで長さも1分半程度の予定だったが、映画監督がレイの作った音を気に入り、急遽シングル曲として用意することに変更。
レイは必死でテープをループさせたり歌詞を継ぎ足して、2日あまりでなんとかシングル用の尺を作り上げた。
クライアントのころころ変わるリクエストにムリヤリ応えて作られたもので、じっくり時間をかけて・・とはほど遠い状況だったらしい。

とは言え、簡単に言うとやはりパクリである。
やらせたプロデューサーや依頼内容を変えてきた監督が一番悪いが、真に受けたレイも芸術家としてどうなのかという話だ。
ヒューイ側はレイを訴え、パクリでしたすいませんと認めたレイの代わりに映画会社が和解金を支払うことで決着。

しかし。
和解の条件として「解決金支払いについては互いに公言しないこと」とあったのに、ヒューイ・ルイスが人気テレビ番組「Behind the Music」で勝手に「レイ側から和解金をもらった」と話してしまい、今度はレイがダイアン津田ばりに逆上。
2001年にレイがヒューイ側を訴えるというアメリカっぽい抗争に発展。
中身以上に因縁で名をはせる名曲となったのだった。

たぶん映画と曲がヒットしなければ、こんな訴訟合戦もなかっただろう。
ただしレイ本人は「Ghostbusters」騒動をそれほど負い目に感じていないようで、今でもインタビューで質問されても、イヤな顔もせずおだやかに答えているらしい。
いい人なのか懲りてないのかわかりませんが・・

騒動の影響もあってか、85年以降レイ・パーカー・ジュニアの人気と実績はじわじわ下降。
その後アルバム4枚・シングル6枚ほど発表するも、チャートでは50位にも入らないほど苦戦している。

90年代以降はプロデューサー業や映画音楽制作を中心とした活動に移行。
しかし両親の病気などで一時期音楽活動を休止せざるを得なくなる。
2000年にスティービー・ワンダーやボズ・スキャッグス達とともにレコーディングやライブ活動を再開。
その後方向性はジャズにシフトし、2006年には15年ぶりとなるスタジオ盤の「I'm Free」をリリース。
最近もテレビ番組やライブでも競演するのはジャズミュージシャンが多いそうだ。
2019年1月にも来日しビルボード東京で公演を行い、アルバム「A Woman Needs Love」を全曲まるごと演奏したとのこと。

やはり今回も知ってた話はほとんどなし。
パクリ騒動は知っていたが、レイが後になってヒューイ・ルイスを逆提訴したのは知らなかった。
一番驚いたのが、「A Woman Needs Love」をヒットさせた時、レイ・パーカー・ジュニアはまだ27歳だったこと。
本当?
そんな若さであんな雰囲気を醸し出していたとは・・
すいません、曲聴いた時は40過ぎのダンディなおじさまが歌ってんのかと思ってました・・

なおレイ・パーカー・ジュニアは、ミュージック・ビデオの世界に足を踏み入れた最初の黒人アーティストの1人とされている。
78年にはすでにレイディオの曲の映像を作成しており、テレビや映画でも流れていたそうだ。
それまでの単純な歌番組ステージ風景ではなく、ハロウィンやドラキュラなど欧米の風習や伝説を巧みに採り入れたストーリー仕立ての映像を、しっかり映画監督を起用して制作。
マイケル・ジャクソン以前からミュージック・ビデオを重視していた先進的なアーチストでもあったということになる。
これも非常に意外な話だった。
日本でそう認識していた人はほとんどいないんじゃないかと思う。

というわけで、レイ・パーカー・ジュニア。
当然レイディオ時代の「A Woman Needs Love」、ソロの「The Other Woman」が必修科目と思われますが、話題性なら「Ghostbusters」も対象でしょうか。
他におすすめのアルバムがあればご紹介いただきたいと思います。

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聴いてない 第276回 アイアン・バタフライ

60年代後半から70年代にかけて、サイケやヒッピーといった文化が音楽にも多大な影響を及ぼしたことはなんとなく知っているが、実際にそうした音楽を聴いてみたりベルボトムのジーンズはいてゴーゴー喫茶に通いつめたり六本木のハウスでヤバいクスリをやってみたりしたことはない。
あったら困るけど。
なので今日採り上げるアイアン・バタフライも、名前と有名なアルバムだけは知っているが、聴いたことは一切ないバンドである。

学生の頃プログレ好きな友人の家でELPの細かすぎる特徴を延々聞かされ、実際に曲をかけて説明されたことがある。
しかし当時自分が聴いていた80年代産業ロックとはあまりにも乖離しており、プログレに対しては難解なイメージしか持てなかった。
今もその感覚はあまり変わっていない。

で、その時友人が持っていたレコードコレクションに、アイアン・バタフライの名盤「In-A-Gadda-Da-Vida」もあり、友人は「B面はタイトル曲だけで17分もある」と誇らしげに説明した。
結局その日はアイアン・バタフライ鑑賞までには至らず、難しいELPだけ聴いて友人宅をあとにした。
自分のアイアン・バタフライに関する体験は以上である。
(レコードを見ただけ)
あれから30年以上は経過しているはずだが、現時点でも興味は全然わいていない。

アイアン・バタフライは、日本では主に「団塊の世代」に支持されていたようだ。
コロナ禍でどの世代とも話をする機会はもうほとんどないが、あの世代の方々と話を合わせるために知っておくと便利なバンドだと思われる。
ということで、来たるべき団塊の世代との邂逅に備え、自己批判しつつアイアン・バタフライ学習を決起邁進。(適当)

ところが。
聴いてないシリーズではまずバンド略歴をウィキペディアで調べることにしてるんだけど、日本語版を見てびっくり仰天(死語)。
バンドの歴史はそれほどの文章量でもないが、旧メンバーが60人以上もいる。

英語版はさらに詳しく、文章量は日本語版の倍以上。
ページの後半ほとんどで旧メンバーとラインナップ(期)、メンバー別タイムラインをカラーグラフで紹介。
ラインナップは細かく言うとたぶん40期以上ありそうだ。
こんなの見たらイエスパープルの離合集散なんてカワイイもんである。
アイアン・バタフライについて、期ごとのメンバーを正確に言える日本人なんているんだろうか?

バンドの歴史サマリーをアジェンダかレジュメに記そうと思ったけど(適当)、この量を見て急速に意欲減退。
仕方なく三流セミナーのプレゼン資料のごとくパワポ1ページ分程度に箇条書き。(雑)

・1966年カリフォルニア州サンディエゴで結成
・メンバーは、ダグ・イングル(V)、ジャック・ピニー(D)、グレッグ・ウィリス(B)、ダニー・ワイス(G)
・結成直後ダリル・デローチ(V)が加入
・68年のセカンドアルバム「In-A-Gadda-Da-Vida」は1年以上ビルボードチャートに残り、最終的に累計3000万枚以上の売り上げとなった
・次作「Ball」発表後にメンバー交代を経て71年にいったん解散
・74年、エリック・ブラン(G)、ロン・ブッシー(D)、フィリップ・テイラー・クレイマー(B)、ハワード・レイツェス(K)で再結成
・以降85年までメンバーチェンジを重ねながら活動、85年に再度解散
・87年にロン・ブッシー、エース・ベイカー(K)、ケリー・ルーベンズ(B)、マイク・ピネラ(G)で再々結成
・以降2012年までメンバーチェンジを重ねながら活動、2012年にまた解散
・2015年にロン・ブッシー、エリック・バーネット(G)、マイク・グリーン(Pa)、デイブ・メロス(B)、フィル・パラピアーノ(K)、レイ・ウェストン(D)で再々々結成
・2021年現在も全く異なるメンバーで活動中
・2021年8月29日、最も長く在籍してきたドラマーのロン・ブッシーが79歳で亡くなった
・スタジオアルバムは6枚

ものすごく大雑把だが、ヒストリーはこんな感じ。

アイアン・バタフライの音楽は、ブラック・サバスAC/DC、ラッシュ、アリス・クーパーユーライア・ヒープ、サウンドガーデンなど、数多くのバンドやアーチストに影響を与えたとされる。
歴史も長いが、実績も影響範囲も広いバンドである。
なおアルバム売り上げ実績は「In-A-Gadda-Da-Vida」が最高だが、チャート順位では最高4位で、「Ball」が最高3位を記録している。
通算で6枚しかアルバムを出していないが、この2枚が突出して売れたようだ。

しかしだ。
最新のアルバムは75年の「Sun and Steel」。
46年間新曲も新作アルバムも出ていない。
2014年にライブ盤が3枚発表されているが、音源はいずれも67年や71年のもの。
でもバンドは2021年現在も継続中。
・・・では76年以降活動としては何をしてるの?
60人以上のミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加しながら、ひたすら過去の作品をライブで演奏している・・ということ?

これまでいろいろな聴いてないバンドを調べてきたが、ここまでメンバーチェンジを重ねながらも50年以上も継続してきた(一時期解散していたようだけど)事例も珍しい気がする。
バンドのメンバーだけで累計60人超なのだから、周辺のスタッフもカウントしたら200人は超えるだろう。
これはバンド継続というより、伝統楽団をみんなで運営し続けているような状態なのか?
それとも「アイアン・バタフライ保存会」のみなさんが屋号を守るため必死に楽曲を伝承している・・ような感じだろうか?
その情熱は賞賛すべきだろうけど、原動力は何?

これだけ長い期間にこれだけ多くの人が関わっているとしたら、よほど事業として魅力的でなければおかしい気がする。
今のメンバーは過去の楽曲をライブで演奏して、それで儲かってるの?
過去のメンバーの間で、ギャラや印税の配分とかで混乱はないのだろうか?
例えば今自分が「In-A-Gadda-Da-Vida」の新品CD(って買えるの?)をタワーレコードで買ってみたら、誰に印税が入るんですかね?
事務所やレコード会社にとってアイアン・バタフライはどういう存在なのだろう?
謎は深まるばかり。
アイアン・バタフライの本とか出てるんでしょうか?

とりあえず名曲「In-A-Gadda-Da-Vida」を部分的にYou Tubeで鑑賞してみた。
どこのサイトにも書かれているが、「ドアーズヴァニラ・ファッジを安くしたような音」は確かにそう感じる。
聴いてて楽しくなる音楽ではないが、思ったほど拒絶感もわいてこない。

「In-A-Gadda-Da-Vida」という噛み合わせの悪そうなタイトルは、旧約聖書に登場する楽園を意味し、「生命の庭」「エデンの園」「安息の地」などという言葉に訳されたそうだ。
これ普通にアメリカ人に言って通じる言葉なのだろうか?
造語じゃないの?

というわけで、謎の伝統芸能団体アイアン・バタフライ。
鑑賞するなら当然「In-A-Gadda-Da-Vida」でいいと思いますが、それよりバンドの実態や継続の秘密について、詳しい方がおられましたらぜひご教授いただきたく存じます。

 

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