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聴いてない 第274回 レオ・セイヤー

どこかの国の組織委員会ばりの無能ポンコツ盤石安定の聴いてないシリーズ、今日も1曲しか知らないアーチスト、レオ・セイヤーの巻。

レオ・セイヤー、全米2位の大ヒット曲「More Than I Can Say(星影のバラード)」しか聴いておりません。
もちろん当時のナウいヤング憧れの流行最先端一流音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音したのだが、以降柏村武昭も急にレオ・セイヤーに対してつれなくなり、他の曲がオンエアされることはなかった。
実際にはあったかもしれないけど、自分は聴く機会はなかったです。
洋楽を聴き始めて間もない頃に録音したので、出会いだけはやたら早かったけどその後ふれる機会も全然ないままムダに加齢した状態。
聴いてない度は2。

日本での人気や知名度は全くわからないが、雑誌やテレビでレオ・セイヤーを紹介していたのを見た記憶もないし、姉や友人との会話に登場した実績もなし。
FM雑誌でも記事ではなくてカセットインデックス用のポートレート写真が掲載されていたのを覚えている。
「星影のバラード」は邦題はダサいけど曲は嫌いではなかったので、柏村武昭や東郷かおる子がもう少し本気を出して情報発信してくれていれば、鑑賞履歴はまた違ったものになっていただろう。(人のせい)

1曲聴いてから40年以上経過してやっとレオ・セイヤーの身辺調査に着手。

レオ・セイヤーは1948年大英帝国ウェスト・サセックス州ショアハムで、アイルランド人の母親とイギリス人の父親の間に生まれる。
本名はジェラルド・ヒュー・セイヤー。

三人兄弟の真ん中として育ち、ウエストサセックス芸術大学で商業芸術とグラフィックデザインを学ぶ。
その後ホテルでホールポーターとして働いていたときに、学生時代からのバンド仲間と音楽コンテストに出場。
そこでミュージシャンのデビッド・コートニーによって発掘されるという、漫画みたいな話から芸能生活が始まる。

デビッドとレオ・セイヤーがまず行ったのは曲の共作だった。
二人で「Giving It ALL Away」という曲を作り、ロジャー・ダルトリーに歌わせたら全英5位の大ヒットになった。
すっかり気を良くしたデビッドは、元ポップシンガーからマネージャーに転向したアダム・フェイスと組んでレオ・セイヤーを歌手としてプロデュースすることを決意。
こうしてレオ・セイヤーは73年にシングル「Why Is Everybody Going Home」でデビューする。
セカンドシングルの「The Show Must Go On」が、ピエロの衣装とメイクでイギリスのテレビ番組で人気となり、チャートで2位を記録。
デビューアルバム「Silverbird」も全英2位となった。

その後レオ・セイヤーは英米で順調にヒットを飛ばす。
74年のシングル「One Man Band」は全英6位、「Long Tall Glasses」は全英4位・全米9位。
翌年「Moonlighting」は全英2位を記録した。

76年にはビートルズの「I Am the Walrus」「Let It Be」「The Long and Winding Road」をカバー。
同年の4枚目のアルバム「Endless Flight」で国際的な人気を確立。
全英4位・全米10位で英米ともにプラチナアルバムに認定された他、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ニュージーランドなどでも実績を残した。

77年にレオ・セイヤーはついにアメリカで連続ナンバーワンヒットを達成する。
それがディスコスタイルの「You Make Me Feel Like Dancing(恋の魔法使い)」と、アルバート・ハモンドとキャロル・ベイヤー・セイガーによって書かれたバラード「When I Need You(はるかなる想い)」である。
「When I Need You」はイギリスとアメリカの両方でナンバーワンになった曲で、イギリスでの最初のナンバーワンシングルでもあった。

同じ年にアルバム「Thunder In My Heart」を発表。
売り上げは前作には及ばなかったものの、ラリー・カールトン、リー・リトナー、デビッド・ペイチ、ボビー・キンボール、レイ・パーカーJrなどゴージャスなメンバーが参加。
ジェフ・ポーカロが全曲ドラムを担当した。

1979年、ベスト盤「The Very Best of Leo Sayer」をリリース。
これが自身初の全英1位アルバムとなる。
80年にはアルバム「Living in a Fantasy」を発表。
これに自分が聴いた「More Than I Can Say(星影のバラード)」が収録されており、アルバムは全英15位。
直後の81年には東京と大阪で来日公演が行われた。
その後も82年にアルバム「World Radio」、83年「Have You Ever Been in Love」をリリースし、それぞれ全英トップ20に入る実績を残す。

しかし。
レオ・セイヤーの人気と実績はここから急激に落ち込んでいく。
90年以降5枚のアルバムを発表しているが、どれも英米のチャートでは100位にも入っていない。
その大きな要因は裁判にあった。

最初の妻ジャニスと1985年に離婚。
その後デビュー当時のプロデューサーだったアダム・フェイスが、どうやらレオ・セイヤーが稼いだ金を疑わしい投資とインチキくさい事業費に回していたことが明らかになり、レオ・セイヤーはアダムを訴える。
この訴訟は最終的に和解という形で解決され、レオ・セイヤーは65万ポンドの支払いを受け取ったが、この他にも初期の曲の版権を取り戻すために以前のレーベルと法廷闘争を行うなどしていたため、音楽活動にも大きな支障となった。
さらに1996年、レオ・セイヤーは年金基金が誤って管理されていたことで新しい経営陣を訴えたが、費用が足りず訴訟を放棄せざるを得なくなったとのこと。
こうして90年代の大半をモメ事の調整に費やしてしまったらしい。
せっかく稼いだのに・・・

ミュージシャンが周辺のスタッフや身内と、金銭や権利を巡って争うという話はよく聞くが、レオ・セイヤーも音楽の才能はふんだんにあったけど、お金の管理はやはり他人に任せっぱなしだったようだ。
レオ・セイヤー自身はたぶんいい人なんだろうが、人が良すぎて簡単に言うと食い物にされてしまったのだろう。

離婚と訴訟でぐったり疲れたレオ・セイヤーは、ヴァン・モリソンのアルバム制作に参加した実績のあるギタリスト、ロニー・ジョンソンとバンドを結成し、90年代後半からようやく地味に活動を再開。
2005年には初のセルフプロデュースアルバム「Voice in My Head」をリリース。
2008年の「Don't Wait Until Tomorrow」は、アコースティックやジャズ寄りにアレンジしたセレクションアルバムで、オーストラリアでのみ発売された。
この頃からオーストラリアとは相性がよかったのか、2009年にはメルボルンに移住している。

2015年にアルバム「Restless Years」を発表。
英米含む各国のチャートには記録すら残っていないが、全豪だけは39位となっている。
また同じ年には34年ぶりの日本公演がビルボード東京で行われ、大ヒット曲「はるかなる想い」「星影のバラード」などを歌い、アンコールでは「Let It Be」も披露したそうだ。
現時点での最新アルバムは2019年発表の「Selfie」。
本人が写ってるジャケットを見たが、さすがに歳とったなあという印象。

毎度のことながら、知ってた話がひとつもなかった。
90年代以降実績は下降したようだが、たぶん日本での人気や実績は、80年代のMTV全盛期に活躍したアーチスト達に押しのけられる形で、英米よりも早く落ち込んでいったのではないかと思われる。
もしバンド・エイドやライブ・エイドなどでかいイベントに参加していたら、日本での扱いも少しは違っていた気もする。

唯一聴いていた「More Than I Can Say(星影のバラード)」も、本人作ではなくカバーだと今回初めて知った。
オリジナルはバディ・ホリーのバックバンドだったザ・クリケッツ。
メンバーのジェリー・アリソンが詞を書きソニー・カーティスが作曲、1960年にザ・クリケッツの曲として発表された。
その翌年にはアメリカの歌手ボビー・ヴィーがカバーしている。

「星影のバラード」という70年代ムード歌謡みたいな邦題は、レオ・セイヤーがカバーした時に付けられたようだ。
当然・・でもないが、原曲の歌詞には星も影も出てこない。
なおレオ・セイヤー版は日本でリーバイスやアサヒの缶コーヒーなどのCMでも使われたとのことだが、これは全然覚えていない。
いずれにしろ各国でいろいろな歌手によってカバーされている名曲であることだけはわかった。(雑)
日本でも欧陽菲菲や柳ジョージがカバーしたそうです。

というわけで、レオ・セイヤー。
三流の自分が聴くとしたら「星影のバラード」を頼りに「Living in a Fantasy」からということになりそうだが、一番売れた「Endless Flight」や、TOTOのメンバーが参加している「Thunder In My Heart」も日本国民としてはずせないところだとは思います。
皆さまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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聴いてみた 第164回 ポール・マッカートニー&ウィングス その4

五輪直前ポール・マッカートニー緊急連続鑑賞シリーズ、今回はウィングスとして最後に残った未聴盤「Wild Life」を聴いてみました。

「Wild Life」は71年12月発表で、名義はウィングス。
鑑賞前に制作経緯を金融機関からの働きかけにより拙速学習。

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2枚のソロアルバム発表後、ポールは新バンド結成に向けて動き出す。
Ram」に参加していたドラマーのデニー・シーウェルと、ギターのヒュー・マクラッケンに、ポールはバンド参加を打診。
デニー・シーウェルは承諾したが、ヒュー・マクラッケンは拒否。
ポールは元ムーディー・ブルースのデニー・レインに声をかけ、さらに音楽経験ほぼゼロの写真家リンダを加えてウィングスを結成した。

その後のウィングス成功を思えばポールには先見の明があったと言えなくもないけど、ド素人リンダをよく加入させたもんだと思う。
失敗すれば夫婦ごと炎上だろうし、それで夫婦仲が悪くなるリスクも当然あったはず。
揺るがない自信が道を切り開いた典型である。
まあリンダではないしっかりしたプロが参加しても、成功はしてたとも思いますけど。

レコーディングは71年8月から始まる。
出版社の年末進行っぽい日程に驚くが、それで年末にはリリースしてるんだからすごいよなぁ。
8曲中5曲は1テイクというセッションっぽい録音で、場所はアビイ・ロード・スタジオ。
トニー・クラークとアラン・パーソンズがエンジニアを務めた。
オリジナル盤のジャケットにはバンド名もタイトルも記載されていなかったとのこと。

今回聴いたのは「ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズの一部として93年に発売されたリマスター盤。
果たしてウィングス最初にして最大の問題作はどんなワイルドな演奏を聴かせてくれるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Mumbo
どこか「Birthday」のような、キレ気味のロックナンバーでスタート。
リズムやメロディは終始同じで、時々聞こえるキーボードが安っぽくてなんかいい。
タイトルは音楽ジャンルのマンボではなく、ちんぷんかんぷん意味不明という意味・・らしい。

2.Bip Bop
ゆったりしたアコースティックギターに、ザラザラでワイルドなボーカル。
これポールの声?
一度聴いただけではわからないくらい、絞り出すように歌っている。
これもずっと同じリズムとメロディが4分も続き、少し長い。
ベスト盤「夢の翼」では「Bip Bop / Hey Diddle」のメドレーで聴いているはずだが、これも全然覚えていない。

3.Love Is Strange
50年代に全米1位を獲得したミッキー&シルヴィアというデュオのカバー。
長いイントロの後で歌が始まり、ポール登場はさらに後。
この曲はその後もケニー・ロジャース&ドリー・パートンや、エブリシング・バット・ザ・ガールもカバーしている。
エブリシング・バット・ザ・ガールのカバーは聴いていたが、ウィングス版はレゲエ調のアレンジになっており、一度聴いても同じ曲だとはわからなかった。

4.Wild Life
タイトル曲はややブルース調の物悲しい調べ。
ポールがやはり絞り出すように歌う。
シャウトに続きコーラスが当たり、ギターが鳴る。
タイトルは野生動物の意味で、歌詞は動物にも人間と同じように生きる権利があると訴える内容。

5.Some People Never Know
LPではここからB面。
ようやくポールらしいバラード。
シンプルな演奏に安心感が漂い、リンダとのハーモニーもまあなんとか聴ける。
解散後ずっと険悪だったジョン・レノンへのメッセージソングで、この曲に対するジョンの回答が「I Know」という曲だそうだ。

6.I Am Your Singer
ポールとリンダが歌うが、リードはリンダ。
ウィングスではバックコーラスでこそ力を発揮してきたリンダだが、この曲ではリードでも健闘している。

7.Bip Bop Link
2曲目のリプライズのインスト。
発売当時はタイトルもないシークレット・トラックの扱いだったが、CD化の際に初めてタイトルが付けられたそうだ。

8.Tomorrow
タイトルが「Yesterday」と対になっていて、しかもコード進行も同じらしい。
ただメロディやサウンドは全く違うし、自分には聴いてもコードが同じかどうかはわからなかった。
この曲もベスト盤「夢の翼」で聴いていたはずだが、やはりあまり印象に残っていない。
エンディングは壮大でやや大げさに終わる。

9.Dear Friend
ビートルズ解散直後に作ったバラードで、前作「Ram」のセッションで録音は済んでいたとのこと。
暗いメロディだが、ジョンとの和解を表している曲で、ポール自身リマスター盤発売時に「この曲はビートルズ解散に関する様々な論争の後に、僕がジョンに語りかけているような曲」「今聴くととても感情的になってしまって、涙が込み上げてくる」「歌詞はジョンに「ワインでも飲んで仲直りしよう」と話しかけているようなもの」と明かしている。
そういう情報を仕入れて聴くと味わいが違うのも不思議だ。

10.Mumbo Link
1曲目のリプライズのインスト。
これもアナログ盤ではタイトルなしトラックの扱いだったとのこと。
演奏はやや乱暴で、ポールらしい終わり方とも言えるけど、アルバムのラストに必要だったのかは疑問が残る。

以下はボーナストラック。

11.Give Ireland Back to the Irish(アイルランドに平和を)
この曲は初めて聴いた。
72年にアイルランドで起きた「血の日曜日事件」に衝撃を受けたポールが1日で書き上げたとのこと。
BBCでは放送禁止となったが、全英チャートでは16位を記録。
やや騒々しい印象だが、力のこもった歌と演奏だ。
ジョン・レノンは「歌詞が幼い」と批判したらしい。
厳しいけど、この頃もジョンはやはりポールのことをいつも気にかけていたんだろう。

12.Mary Had A Little Lamb(メアリーの子羊)
これはベスト盤で聴いていた。
タイトルと歌詞は童謡から取られているが、メロディはポールのオリジナル。

13.Little Woman Love
ジャズっぽいピアノに乗せてメンバーがワイワイと歌う。
思ったより短く、エンディングも突然終わる。
「Ram」のセッション時に録音された曲で、「Ram」リマスター盤にもボーナストラックとして収録されている。

14.Mama's Little Girl
Red Rose Speedway」制作時に録音された、ボートラの中では一番静かな曲。
おだやかな調べにポールが高いキーで歌い、メンバーがコーラスを当てる。
シンプルだが、バンドの一体感がありいい曲だ。


聴き終えた。
うーん・・・・
そもそも大ヒット曲やシングル曲が収録されておらず、初めて聴く知らない曲が大半だったが、第一印象としてはそれほど好みの曲がなかったのが正直な感想。
特にA面はポールの良さ・バンドの良さがあまり感じられず、まだなじめない。
もう少し聴きこんでいけば展望が開ける・・ような気もするけど。

逆にB面はジョンへのメッセージという話題性や、ポールらしい美しいメロディ、リンダとのハーモニーなど聴き所は多く楽しめる。
ネットでも「B面ばかり聴いている」という意見が見つかるので、同じように感じている人も多いようだ。
そう考えると、前回聴いた「Back to the Egg」同様、ボーナストラックの存在が大きい。
ボートラ4曲はどれもいい曲ばかりだ。

ビートルズ解散後のキャリアの中でも、このアルバムの評価は総じて低いようだ。
解散直後のセッションを含め、トータル制作期間が2週間、録音は実質3日程度というラフな造りで、バンドとしての一体感や厚みもなく、ヒット曲もない。
申し訳ないけど、自分みたいな三流リスナーが聴いてもそれは感じる。
なぜそんなに急いで作る必要があったんだろうか?

実績も全英11位・全米12位・・・は健闘したほうじゃないのかとも思うけど、これも当時は各方面から酷評だったんだろうなぁ。
ジョン・レノンだけは「悪くない。いい方向に進んでいる」と評価してたそうですけど。
これジョンの本音なのか皮肉なのかもよくわかりませんが・・

このアルバム発表後、ポールは英国内の田舎の大学などで地道にライブを行い、ウィングスの名を世界レベルにすべく奮闘を開始する、というストーリー。
実際それでバンドは成功につながっていくのだから、やはりポール・マッカートニーはすごい人なのだ。(単純)

ジャケットは水辺を背景にポールがギターを持って水中に立ち、メンバーは木に腰掛けるという観光記念写真みたいな絵。
タイトルに合ったデザインで悪くはないが、ウィングスのファーストとしては少し地味だと感じる。

さてこれで一応70年代のポール・マッカートニーとウィングスのオリジナルアルバムは全て聴いたことになる。(遅すぎ)
誰でもそうだと思うが、やはり明確な好みの序列はあるものだ。
自分としては、やはり「Venus And Mars」が最高傑作で、次点は「Band On The Run」。
後は「Wings At The Speed Of Sound」「London Town」「Red Rose Speedway」「Ram」と続き、現時点では「Wild Life」「McCartney」「Back To The Egg」がほぼ横並びといったところ。
「Wild Life」はもう少し聴きこめば上昇する可能性もある・・ような気もする。
実は80年代以降にも未聴盤はまだ残っているので、早いうちに片付けようと思います。

 

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