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聴いてない 第270回 カジャグーグー

今日のお題は懐かしのカジャグーグー。
自称80年代洋楽BLOGとしてはあまりにも遅い採り上げ。
さすがにスルーも大人げないので、今回ようやく採用に至った次第。
決して暖めていたわけでも出し惜しみでもなく、BLOG開設18年目にしてようやく登場となりました。

カジャグーグー、聴いたのは大ヒットしたデビュー曲「Too Shy(邦題:君はTOO SHY)」と、あとは「Hang on Now」の2曲だけ。
アルバムは聴いておらず、聴いてない度は3。
メンバーはもちろんリマールしか知らない。
日本ではたぶんリマールの「ネバー・エンディング・ストーリー」のテーマソングのほうが知名度は高いのではないですかね?
リマールも含め、上記3曲とも全て「サンスイ・ベストリクエスト」で折り目正しく録音している。

長いこと80年代洋楽に溺れたことにしてきたつもりが、当時の大英帝国第7世代芸人の中できちんとアルバムまで聴き倒したのはデュランカルチャー・クラブくらいで、カジャグーグーもスパンダー・バレエABCヒューマン・リーグワム!もG.I.オレンジも全然マジメに聴いてこなかったのだ。
これだとちっとも溺れてませんね。
もっと本格的にカジャグーグー追っかけてた元少女は日本にもたくさんいたはずだ。

当時の日本の音楽雑誌での露出は多く、華々しいデビューだったことは知ってはいる。
デビュー曲「Too Shy」はニック・ローズがプロデュースしたこと、デュランの弟分バンドと言われていたこと、その後リマールが脱退して残ったメンバーがバンド名を「カジャ」に変えたこともなども情報として伝わっていた。

ただしアルバムもメンバーの個人情報も正しく学習するに至らず、知識と鑑賞はここまでで止まっている。
そこで台本どおりカジャグーグーの調査を開始。
ところがウィキペディア日本語版は予想以上に情報量が多く、驚いたことに英語版よりも長い。
日本にはそれだけ根強いファンがまだ多いということなんだろうか。

バンドの原型は78年に結成されたアール・ヌーヴォーという4人組。
メンバーはニック・ベッグス(B)、スチュアート・ニール(K)、スティーブ・アスキュー(G)、ジェレミー・ストロード(D)。
アール・ヌーヴォーは「The Fear Machine」という曲をリリースしたが、レコード会社との契約には至らなかった。

81年にリードボーカルのオーディションを受けてクリストファー・ハミルが加入。
クリストファーは加入と同時に芸名を「Hamill」の綴りを入れ替えて「Limahl」とした。
へぇー・・知らなかった。
山崎弘也がザキヤマと名乗ってるようなもんかな。(適当)
さらにバンド名もカジャグーグーに変更。

カジャグーグーがスタートから飛躍できたのは、リマールが加入したからである。
彼のボーカルとしての実力やビジュアルももちろんだが、リマールがデュランのニック・ローズと出会ったことも非常に大きな要因だった。

リマールが初めてニック・ローズに出会ったのは、ロンドンのクラブでウェイターとして働いていた時だった。
当時リマールのガールフレンドがサイモン・ル・ボンと知り合いで、サイモンを通じてニック・ローズと出会い、ニックがカジャグーグーをEMIのコリン・サーストンに紹介。
バンドは82年7月にEMIレコードと契約し、最初のシングル「Too Shy」が全英1位というジャニーズの新ユニットみたいな快挙を達成する。
続くシングル「Ooh To Be Ah」が7位、「Hang on Now」は13位を記録。
さらにニック・ローズとコリン・サーストンがプロデュースしたアルバム「White Feathers」も全英5位を記録した。

カジャグーグーが記憶に残っているのは、この輝かしいスタートの勢いがあまりにも短かったからだ。
翌83年には早くも内紛が勃発。
ロックバンドの定石どおり「音楽性の違い」を理由にリマールは脱退。
ホントのところはお金や力関係のもつれによる衝突で、リマールは解雇されたという話。
そもそもアール・ヌーヴォーとしてはファンクなサウンドを目指して活動しようとしてたはずが、リマール登場とEMIの戦略によりアイドル路線を強いられ、リマールはバンド内でエラそうにしやがるし・・といった不満が蓄積し我慢も限界に・・というわかりやすい展開。

84年、4人に戻ったカジャグーグーはシングル「The Lion's Mouth」「Turn Your Back On Me」とアルバム「Islands」を発表。
しかしリマール脱退のダメージは予想以上にでかく、いずれもチャートでは20位にも届かずに終わってしまう。
バンドはアルバム「Islands」のツアーで各国を巡り、日本公演も行われた。
ということは、この日本でのライブにはリマールはもういなかったんスね。
当時はまだ日本市場も期待されていたようで、シングル「The Power to Forgive」は日本でのみ発売されている。

日本から戻ったバンドはシングル「Turn Your Back on Me」リミックス盤を発表。
アメリカダンスチャートでは好調で、2週間で2位に到達するヒットとなる。
しかし次のアルバム制作途中でジェレミー・ストロードは脱退。

残った3人はバンド名を「カジャ」にリニューアル。
アルバム「Crazy Peoples Right To Speak(邦題:カジャ3)」とシングル「Shouldn't Do That(涙の傷あと)」を発表するが、アルバムは100位にも入らず、シングルも全英63位に終わる。
これでカジャの商業的失敗は決定的となり、バンドは85年12月に解散した。
その後メンバーはそれぞれバンドを組んだり他のアーチストのサポートをするなどして地味に活動。

一方リマールはカジャグーグー脱退直後に映画「ネバー・エンディング・ストーリー」のテーマソング「The Never Ending Story」を世界中で大ヒットさせる。
この曲はフェードインで始まり、最後はフェードアウトで終わっていくが、この演出が映画のタイトルどおり「終わりがない」ことを意味しているそうだ。
だがリマールもその後はヒット曲が出せず、87年にはレコード会社との契約が切れ、活動は停滞。
92年にはかつてのヒット曲をリメイクした「Too Shy '92」を発表したが、あまり話題にはならなかった。

カジャグーグー再結成に向けて動き出したのはリマールのほうだった。
98年頃からリマールは他のメンバーに再結成しようぜと呼びかけたが、ニック・ベッグスは応じなかった。
カジャグーグーの屋号が忘れられないリマールは、自身が脱退後にカジャグーグーが発表した曲を歌入れし直し、自分の新曲も加えたベスト盤として発表した。
脱退分裂しても、やはりリマールあってのカジャグーグー。
その後も「リマールのソロ+カジャグーグーの曲」といった企画盤は何度も発表されているようだ。
なおリマールからのお誘いを蹴ったニック・ベッグスは、99年にジョン・ポール・ジョーンズに同行する形で来日している。

もはやこれまでかと思われたカジャグーグー。
とりあえず一夜限りではあったが、再結成は2003年に実現した。
アメリカのケーブルTVの番組企画で、カジャグーグーの5人はロンドンでライブを行い、「Too Shy」「Hang on Now」と「ネバー・エンディング・ストーリーのテーマ」を演奏。
企画は大好評で、ファンからも関係者からも再結成を望む声や申し出があったが、やっぱりお金のことでメンバー間で意見の不一致が続き、結局リマールとジェレミーは再結成をあきらめて離脱。
残る3人はカジャグーグーとして活動を再開したが、契約や権利関係処理などで難航し、新曲やアルバム発表延期などグダグダが続いた。

2008年にようやく5人そろっての再結成が決まり、ツアーに出たり新曲をネット販売するなど、多面的に活動。
ただしこの頃からもうメンバーはバンドとしての活動自体にはそれほどこだわらなくなっていたらしい。
再結成プロジェクトも数年で盛り下がり徐々にフェードアウト。

2016年にはリマールが来日公演を行い、カジャグーグーやソロ曲の他、ジョー・ジャクソンやデュラン・デュランの曲も歌った。
同じ年にニック・ベッグスはスティーブ・ハケットの日本公演に同行。
カジャグーグー出身なのにプログレのスティーブ・ハケットに同行とは意外な気がするが、元々ニック・ベッグスは子供の頃はイエスのファンで、クリス・スクワイアのベースにあこがれてプロを目指そうと決心したそうだ。
・・・そこは「ジェネシスのファンだった」と言うべきではないのか、ニック?

ただニックは直前にリマールも来日公演してたことは全く知らなかったらしい。
連絡も取らず、互いの活動にも全く関心はないまま、それぞれが同じ年に来日して歌って帰った、という状態。
当時のインタビューでニックは「カジャグーグーは僕の中ではもう終わっている」「好きなアルバムは1枚もない」と発言している。

以上がカジャグーグーの華麗なる戦国歴史絵巻だが、5人組バンドとして人気絶頂だったのはわずか1~2年ほど。
ピークがあまりにも急激かつ短期だったため、メンバーにも周囲にもいろいろなトラブルが続発したんでしょうね。
ニック・ベッグスにしてみれば、「後から入ってきたリマールの野郎が、おカネも人気も全部持っていこうとしやがって・・」と感じたのだろう。
ロックバンドだから珍しくもなんともない展開だが、まあそうでしょうねという図式ではある。

聴いた2曲については、当時の英国エレポップの中ではやや柔らかく、デュランやABCのような神経質なテイストが薄いと感じていた。
そこはリマールのボーカルが醸し出す魅力でもあり、日本でも人気があった理由でもあると思われる。
「Hang on Now」はエコーが効いた幻想的なサウンドがなかなかよかったと思う。
仮定は無意味だが、もし「ネバー・エンディング・ストーリー」がカジャグーグーの曲としてヒットしていれば、ミーハーな若き自分はきっとアルバム鑑賞に進んでいただろう。

というわけで、カジャグーグー。
スタジオ盤は再結成後を入れても4枚だそうですが、聴くとしたら当然デビューアルバムでしょうね。
ただ今回はもう結論が出てしまってますが、自分はリマール&カジャグーグーのベスト盤でいいかなと思ってます。

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