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2020年の終わりに

アジア唯一の珍奇BLOGを始めてとうとう丸17年が過ぎてしまった。
始めた頃は「よおし17年間続けたる!」などといった野望や気合いは一切持っておらず、それは今も変わらない。
ただやめなかったんで続いてるという町内会のつまんない役員みたいなあたしのBLOG。

ここまでの記事数は779。
コメントは、自分のものも含めて5764。
トラックバックはもう二度と来ないが、調べたら2013年が最後で通算402だった。

さて2020年は今なお続くコロナ禍という厄災の年であった。
世界中で全く影響なく過ごした人類なんかいないんじゃないかとも思う。
自分も3月以降は旅行も飲み会も行っていないし、家族と仕事関係の人以外には一切会っていない。
まあ旅行はともかく、コロナ騒動がなくても普段から飲み会も滅多に行きませんけど。

で、世界中がコロナ禍に包まれようともいっこうに聴いてない音楽は減らないが、今年白状した聴いてないシリーズは以下である。

聴いてない 第257回 パブロ・クルーズ
聴いてない 第258回 ELO(70年代)
聴いてない 第259回 ジュエル
聴いてない 第260回 ギルバート・オサリバン
聴いてない 第261回 マイケル・センベロ
聴いてない 第262回 ボブ・ウェルチ
聴いてない 第263回 パール・ジャム
聴いてない 第264回 ティナ・ターナー
聴いてない 第265回 クイーンズライク
聴いてない 第266回 ニール・ダイヤモンド
聴いてない 第267回 トム・ペティ

昨年同様11本であるが、まだ大物が多い気がする。
17年目でもまだこんなクラスのアーチストが登場する恐ろしい事態である。(今さら)

誰も覚えていない政党のマニフェスト並みに形骸化してる当BLOGの目的は「聴いてなかった音楽を聴いてみる」である。
今年その目的にそって聴いてみた音楽は以下のとおり。

聴いてみた 第154回 フェイセズ その3
聴いてみた 第155回 ブロンディ その2
聴いてみた 第156回 ELO
聴いてみた 第157回 ボブ・ディラン その2
聴いてみた 第158回 デビッド・ボウイ
聴いてみた 第159回 メタリカ
聴いてみた 第160回 ELO その2

令和になってなお、まだこんな名盤を初めて聴いてみたというポンコツ仕様である。
しかも今年は挑戦や冒険といった鑑賞はあまりなく、ブロンディやELOなどかなりラクな方面に流れた感がある。
すでに決まり文句になりつつあるが、ポール・マッカートニーもストーンズもクラプトンも学習は止まったままだ。
残念なことに本日時点でブロンディやメタリカにはコメントが来ていない。
メタリカせっかく聴いたのに・・(うるさいよ)

そしてあまり恒例にもしたくはないが、今年もやはり書かねばならないのが、悲しい話だけどミュージシャンの訃報だ。
かつて記事で採り上げたミュージシャンで、2020年に亡くなった人は以下である。

ケニー・ロジャース(聴いてない 第206回 ケニー・ロジャース
フローリアン・シュナイダー(聴いてない 第232回 クラフトワーク
イアン・ミッチェル(聴いてない 第59回 ベイ・シティ・ローラーズ
エドワード・ヴァン・ヘイレン(聴いてみた 第132回 ヴァン・ヘイレン その2
トニー・ルイス(聴いてみた 第98回 アウトフィールド

今年はやはりエドワード・ヴァン・ヘイレンの死が一番衝撃だった。
ネットでも雑誌でも今なお追悼記事が掲載される状態だが、それだけ世界中に与えた衝撃が生前も死後も大きかったミュージシャンだったということだろう。
月並みな昭和表現だが、あんなギタリストはもう出てこないよね。
ヴァン・ヘイレンのファンからもあまり支持されない希望だと思うが、自分は結成時の4人にサミーを加えた5人でステージに立ってほしかった・・・と、今でも思う。

読んでみた 第56回 ジミー・ペイジの真実
読んでみた 第57回 文藝別冊「リンゴ・スター」

今年読んでみたシリーズは2本書いたが、ペイジ本はリッチー本とは別の意味で面白かった。
今後もこのようなアーチスト本がたくさん出版されるといいなと思う。

あと記事にはしなかったが、今年の残念な出来事としてレコファン渋谷BEAM店閉店があった。
都内でも少なくなった中古CD店だが、品数も多く、聴いてみたシリーズのため何度も利用してきたし、ぷく先輩と初めて会った日にもご案内差し上げた思い出の店である。
時代の流れとして仕方がない話ではあるが、今後東京に新しく中古CD店がオープンすることなどもうないと思う。

というわけで、コメントくださったみなさま、17年間ありがとうございました。
果たしていつまで続けられるのかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
みなさまよいお年を。

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聴いてない 第267回 トム・ペティ

首都圏でもウチだけという低偏差値BLOGを始めて17年になるが、17年間で一度も「聴いてない」とは認識していなかったのが、おさかな人間ことトム・ペティ。
よく考えたらやはり決して聴いているとは言えなかったのだ。
ちなみに「おさかな人間」とはその昔ミュージックライフでトム・ペティに付けられてたエゲツないアダ名である。
とにかくあの雑誌は編集側も読者もよってたかってエゲツないアダ名を勝手にアーチストに付けていたのだ。
スティーブン・タイラーは「チョウチンアンコウ」、スティーブ・ペリーは「みみずく」、フレディ・マーキュリーに至っては「底なし変態」である。
アダ名禁止の傾向にある今なら炎上間違いなしだったろう。

トム・ペティの作品はソロやバンドも含めいろいろあるが、聴いているのは以下のハートブレイカーズ名義アルバムである。
・Into The Great Wide Open
・She's The One
・Greatest Hits

オリジナル盤は「Into The Great Wide Open」だけで、「She's The One」は映画のサントラ盤である。
あとはベスト盤で満足してしまい、他の作品はソロも含め聴いていない。
トラベリング・ウィルベリーズは2枚とも聴いたが、トム・ペティはバンドの一員でしかない。
従って聴いてない度は4。

日本でどれだけ人気があったのか不明だが、82年のシングル「You Got Lucky」「Change of Heart」はほぼリアルタイムでエアチェックしている。
どちらも悪くなかったが、アルバム「Long After Dark」を聴くことはなかった。
当時ヒット曲を聴いてアルバム鑑賞にまで発展したのはジャーニー「Frontiers」、リック・スプリングフィールド「Success Hasn't Spoiled Me Yet」、メン・アット・ワーク「Business as Usual」など。
こうして並べるとやはり産業ロック優先で、申し訳ないが個人的にはトム・ペティの鑑賞意欲はあまりなかったのがわかる。
トラベリング・ウィルベリーズは特にトム・ペティが気になって聴いたわけではなく、バレバレ覆面バンドの話題性につられて聴いたような感じだった。

トム・ペティ&ハートブレイカーズのアルバムを初めて聴いたのは90年代になってからだ。
「Learning To Fly」をMTVから録音し、気に入ったので「Into The Great Wide Open」をレンタルで借りて聴いてみた。
これは今でも聴くことがある。
サウンドはトラベリング・ウィルベリーズのノリを継承しており、ジェフ・リンの音がすると感じる。
「She's The One」は15年くらい前にたまたまCDを廃盤セール会場で見つけて買ったものだ。
映画は見ておらず、今聴くことはほとんどない。

こういう状態でベスト盤を聴いてしまったので、以降他のアルバムにトライすることもなく惰性加齢。
残念ながらトムは2017年に亡くなってしまった。
中途半端に鑑賞し交友や周辺情報も中途半端に知っている程度で、危機感もなく過ごしてきたアーチストの代表例である。
そこであらためてトム・ペティの略歴を地味に調査。

トム・ペティは1950年10月20日、フロリダ州ゲインズビルに生まれた。
父親はセールスの仕事をしており、母親は税務署員で、本名はトーマス・アール・ペティ。
プレスリーやビートルズ、ストーンズに夢中になり、17歳で高校を中退し音楽活動を始める。
トムによれば父親は飲んだくれのバクチ好きで、学校やめて音楽にのめり込むトムとの仲はあまり良くなかったそうだ。

最初に組んだバンド「マッドクラッチ」ではベースを担当。
ゲインズビル時代の仲間ドン・フェルダーは、トムにギターを教えたのは自分だと主張しているが、トムの記憶ではドンからピアノを弾くよう勧められたとなっているらしい。
じゃあなぜベースだったんだろう?

マッドクラッチはゲインズビルではまあまあ人気が出たものの、シングル「Depot Street」はチャート入りもせず、バンドは解散する。
トム自身は一時期ソロとして活動するも、やっぱりマッドクラッチを続けたかったので、メンバーだったマイク・キャンベル(G)とベンモント・テンチ(K)と再び合流。
そこにロン・ブレア(B)とスタン・リンチ(D)が加わり、トム・ペティ&ハートブレイカーズを結成。

ハートブレイカーズのデビューアルバムはアメリカよりもイギリスで売れ、全英24位の成功を収めた。
シングル「American Girl」は全英40位、「Breakdown」は全米40位。
78年にはセカンド・アルバム「You're Gonna Get It!」を発表。
シングル「I Need to Know」「Listen to Her Heart」はそれほど売れなかったものの、アルバムは全米23位まで上昇した。

初のトップ10入りは、79年発表のアルバム「Damn the Torpedoes(破壊)」で、全米2位・200万枚の大ヒット。
シングル「Don't Do Me Like That」も全米10位、「Refugee」が15位を記録した。

81年にはマイク・キャンベルとの共作「Stop Draggin' My Heart Around(嘆きの天使)」をスティービー・ニックスに提供。(全米3位)
トム・ペティはスティービーとデュエットし、ハートブレイカーズは演奏・コーラスにも参加している。

好調のバンドは同年アルバム「Hard Promises」をリリース。
プラチナ・アルバムを獲得するヒットになり、全米5位を記録。
収録曲「Insider」では再びスティービー・ニックスとデュエットしている。
なおこのアルバムのレコーディング期間中、ジョン・レノンが同じスタジオに入る予定だった。
トムやメンバーはジョンに会うのを楽しみにしていたが、スタジオ入り予定日直前にジョンは殺害されたため、残念ながらジョンに会うことはかなわなかった。
メンバーはジョンへの哀悼の意を表してレコードに「WE LOVE YOU J.L.」とエッチングを施している。
これCDにはたぶんないですよね?

ここまで順調に来ていたハートブレイカーズだったが、ベーシストのロン・ブレアが脱退する。
後任のハウイー・エプスタインが加入し、82年にアルバム「Long After Dark」を発表。
自分が聴いた「You Got Lucky」「Change of Heart」はこれに収録されている。

85年にはライブ・エイドに参加し、フィラデルフィアのJFKスタジアムで「American Girl」「Refugee」など4曲を演奏。
同年アルバム「Southern Accents」をリリース。
アルバムは全米7位、デイブ・スチュワートがプロデュースしたシングル「Don't Come Around Here No More」は全米13位となった。

80年代後半からはビッグネームとの交友関係による活動や作品が世間を賑わせることになる。
86年にハートブレイカーズはディランとのツアーでアメリカ・カナダ・オーストラリア・日本など50都市をまわり、ディランとの共作「Jammin' Me」を含むアルバム「Let Me Up (I've Had Enough)」を発表。
88年にはジョージ・ハリスンの発案で結成された覆面バンド、トラベリング・ウィルベリーズにトム・ペティが参加する。

この頃の盛り上がりの延長?で、トム・ペティのソロアルバム「Full Moon Fever」にはジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、ロイ・オービソンが参加している。
シングル「I Won't Back Down」のプロモビデオを見たことがあるが、リンゴ・スターが登場している・・のだが、実際にドラムを演奏したのはフィル・ジョーンズという人だそうだ。
初めて知った・・
リンゴがドラムを叩いてたんじゃなかったのね。

さらに91年にはトム・ペティ、マイク・キャンベル、ジェフ・リンの共同プロデュースによるハートブレイカーズ名義のアルバム「Into the Great Wide Open」をリリース。
収録曲の半分くらいがトムとジェフ・リンの共作で、全英3位・全米13位を記録した。
タイトル曲のビデオにはジョニー・デップ、ガブリエル・アンウォー、フェイ・ダナウェイが出演している。

94年にはスタン・リンチがハートブレイカーズから脱退し、スティーブ・フェローネが加入する。
スタンはジェフ・リンがトム・ペティやバンドの周辺で存在感を示すのが気に入らず、これが脱退の引き金になったとも言われているらしい。
同じ年にトム・ペティはリック・ルービンのプロデュースによるソロアルバム「Wildflowers」をワーナーから発表。
ソロではあるけど、ハートブレイカーズのメンバーが全曲ではないものの全員参加している。

96年、ハートブレイカーズはキャメロン・ディアスとジェニファー・アニストン主演の映画「She's The One(彼女は最高)」のサウンドトラックをリリースした。
冒頭で述べたとおりこのCDは持ってるんだが、持ってるだけで詳しくは知らない。
調べたらリンジー・バッキンガムやリンゴ・スターも参加しており、ベック(ジェフじゃないほう芸人)の「Asshole」のカバーも含まれていました。

2001年、「9.11」犠牲者のための慈善コンサートでハートブレイカーズとして「I Won't Back Down」を演奏。
翌2002年、コンサート・フォー・ジョージで「Taxman」「I Need You」「Handle with Care」をジェフ・リン、ジム・ケルトナーと共に演奏した。
同年にはロックの殿堂入りも果たす。

2006年、トム・ペティ&ハートブレイカーズは「30周年記念ツアー」の一環として、第5回ボナルー音楽芸術祭のヘッドライナーを務めた。
このステージには特別ゲストとしてスティービー・ニックス、パール・ジャム、オールマン・ブラザーズ・バンド、ブラック・クロウズも登場。
トム・ペティとスティービーによる「Stop Draggin' My Heart Around」も披露された。

2007年夏、トム・ペティは古いバンドメイトのトム・レドンとランドール・マーシュと再会。
ハートブレイカーズのベンモント・テンチとマイク・キャンベルも合流し、「マッドクラッチ」を再結成。
14曲を録音したアルバムも発表し、翌年にはマッドクラッチとしてカリフォルニアで短いツアーも行われた。

2008年夏、ハートブレイカーズはスティーブ・ウィンウッドをオープニングアクトとして北米をツアー。
ウィンウッドは一部のステージでハートブレイカーズと共にスペンサー・デイビス・グループやブラインド・フェイスのヒット曲を演奏することもあった。

バンドの12枚目のアルバム「Mojo」は2010年6月15日にリリースされ、全米2位を記録。
トム・ペティは「ブルースをベースにしており、いくつかの曲は雰囲気としてオールマン・ブラザーズのように聞こえると思う」と説明した。
そして2014年、13枚目のスタジオアルバム「Hypnotic Eye」を発表。
バンド史上初の全米1位を獲得した。
結果的に最後のスタジオ盤が最初の全米1位を記録したことになる。

2017年、ハートブレイカーズは40周年記念アメリカツアーに乗り出した。
ツアーは4月にオクラホマシティから始まり、9月ハリウッドボウルでの公演で終了。
最後の曲は「American Girl」だったが、この演奏がハートブレイカーズとして最後のショーとなる。

ハリウッドボウル公演終了からわずか1週間後の10月2日、トム・ペティはカリフォルニア州サンタモニカで死亡。
死因は違法なドラッグ過剰摂取などではなく、鎮静剤や抗うつ薬などの混合薬物毒性による。
肺気腫や膝・股関節の損傷など、体のあちこちに問題を抱えていたそうだ。
90年代後半にはヘロイン中毒に苦しんだ時期もあったようだが、治療には成功していたとのこと。

あらためて調べてみると、やはり知らない話だらけである。
最後のアルバムが全米1位だったのも初めて知ったし、ヘロイン中毒だったのも父親が飲んだくれのバクチ好きだったのも知らなかった。
なんかもう少しクリーンな人かと勝手に思ってたんですけど、そうでもなかったんスね。

感じたのはソロとバンドの垣根がかなりゆるい点。
ソロアルバムにはバンドメンバーがほぼ全員参加したり、ソロ曲をハートブレイカーズとして演奏したり、ソロとバンドの間を行き来しながら活動してきている。
バンドのフロントマンがソロ活動するのは珍しくないが、解散や分裂といった危機的状況には発展しなかったので、トムの統率力やバンド運営手腕が良かった、ということなのだろうか。

一方でレコード会社とは度々衝突し、レーベルを相手に訴訟で戦ったり、プロモーション方針に反発して音源をレーベルに引き渡すことを拒否したりしたそうだ。
こういう姿勢や理念が、メンバーにとっても頼もしいリーダーと映っていたんじゃないだろうか。
知り合いじゃないけど、多分トム・ペティは筋の通らないことが大嫌いな昭和な職人気質の人なんだと思う。

というわけで、トム・ペティ。
圧倒的歌唱力で観客を魅了・・という歌手ではないけど、曲も声もキライではないので、どの作品でも問題なく聴ける妙な自信はある。
聴くとすればソロ作品全て、ハートブレイカーズでは「Long After Dark」「Southern Accents」、あとは全米1位の「Hypnotic Eye」にも興味は湧いておりますが、みなさまのおすすめはどれになりますでしょうか?

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