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聴いてみた 第160回 ELO その2

70年代ELO中高年手遅れ補講シリーズ、2時限目は「A New World Record(オーロラの救世主)」を聴いてみました。
今は亡き渋谷のレコファンで最後の購入となった。

A-new-world-record

「オーロラの救世主」は76年発表で、全英6位・全米5位を記録した名盤。
本国では「Livin' Thing」「Do Ya」「Telephone Line」「Rockaria!」がシングルカットされ、「Livin' Thing」が4位を記録。
メンバーはジェフ・リン(Vo・G)、ベヴ・ベヴァン(D)、リチャード・タンディー(K)、ケリー・グロウカット(B)、ミック・カミンスキー(Violin)、ヒュー・マクドウェル(Cello)、メルヴィン・ゲイル(Cello)。

なおウィキペディア日本語版には「アルバムタイトル「A New World Record」は、ミュンヘン・オリンピックのテレビ中継の「世界新記録」というテロップから取ったものである」と書いてある。
そうなの?
ミュンヘン・オリンピックは72年開催だよ。
76年だとモントリオールなんだけど・・

今回もシングル4曲がベスト盤「Light Years」にも収録されており、聴く前の恍惚と不安は全くない。
ヨギボーマックスに体をあずけながら余裕で聴いてみました。

・・・・・聴いてみた。

1. Tightrope
オープニングは壮大なイントロ。
本編は軽快なロックで、ギターを中心にストリングスやコーラスで飾り付けという教科書どおりの展開。
ラストはスピードを落として叙情的に終わる。

2. Telephone Line
この曲を聴くならやはり夜のほうがいいだろう。
電話のコール音、どこか遠く聞こえる歌声。
昔の「電話をかける」という体験があれば、この歌詞や演出に共感するのは当然だろうか。
思ったより複雑な構成だが、ストリングスを効果的に使った名バラード。

3. Rockaria! (哀愁のロッカリア)
ノリのいいロック。
タイトルはロックとアリアの融合を意味しているそうだ。
・・・アリアって何?
ウィキペディアによれば「叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲で、オペラ、オラトリオ、カンタータなどの中に含まれるものを指す」とある。
聞こえる女性の歌声はオペラ歌手のメアリー・トーマスのものだそうだ。
ここでもやはりストリングスとコーラスが効果的に使われており、ELOの方程式が確立されている。

4. Mission (A World Record)
初めて聴く曲。
哀愁を帯びたメロディだがそう単純でもなく、バックコーラスの音を無理めに震わせるなどややひねった構成とアレンジ。
人類の様子を観察してこいという指令を受けて地球にやってきた宇宙人のことを歌っているらしい。

5. So Fine
再び軽快なロック。
これも初めて聴くが、ギターがなんとなくドゥービー・ブラザーズっぽい音がする。
中盤の間奏がどこか民族音楽的。

6. Livin' Thing (オーロラの救世主)
タイトル曲がここで登場。
ただし原題はアルバム名と違い「Livin' Thing」で、いずれにしろオーロラも救世主も出てこない。
曲調は軽やかだが失恋を歌った悲しい内容。

7. Above the Clouds
この曲はギターがあまり聞こえず、ピアノとドラムを中心にストリングスとコーラスで構成されている。
ややはかなげなメロディで、盛り上がりもなく静かに終わる。

8. Do Ya
この曲はベスト盤ではなく、名曲寄せ集めオムニバス盤で聴いていた。
やや大げさで壮大な演奏に対してボーカルは意外とワイルド。
ザ・ムーブ時代の曲のセルフカバーだが、トッド・ラングレンやエース・フレーリーもカバーしたことがあるそうだ。

9. Shangri-La
ラストは「Telephone Line」にも似たゆったりとしたバラード。
歌詞に「ビートルズの「Hey Jude」のように彼女は去っていく」という部分がある。
歌が終わった後のアウトロが結構長い。

聴き終えた。
このアルバムもELOワールド全開で、サウンドは全て想定内の安心と信頼の1枚である。
毎回同じ感想になるが、若い頃に聴いていたら間違いなく愛聴盤になっていたはずだ。
ただし前回聴いた「Discovery」のほうが、やはり装飾は派手な印象。
ELOは来るべき80年代に向かってアルバムごとによりゴージャスになっていったのだろう。
評価は僅差だが、どちらかと言えばハデな「Discovery」のほうが楽しくていいと思う。

ELOは音作りが緻密で入念なことでも有名で、先に演奏とコーラスをとにかく完璧に完成させ、最後にボーカルを乗せるという方法をとっていたそうだ。
言われてみれば確かにどの曲においても、ガサツで適当な音や難な部分が存在しない。
プログレ出身というのが関係してるかどうかは知らないが、こういう精緻な土台の上に耳に心地よいクラシックやビートルズ風ポップな音が加われば、安心して聴けるのもわかる気がする。

ジャケットはその後のアルバムにも登場するELOのシンボルマークとも言える丸い宇宙船。
個人的には泉屋のクッキーのマークにも似てると思いますけど。
デザインを担当したのはジョン・コッシュという人だが、他にも数多くの名盤を手がけている。
調べてみて初めて知ったが、ビートルズの「Abbey Road」「Let It Be」、イーグルス「Hotel California」「The Long Run」、ストーンズでは「Get Yer Ya-Ya's Out!」、ザ・フーの「Who's Next」もジョン・コッシュのデザインだそうだ。

というわけで、「オーロラの救世主」。
軽い言い方になりますけど、この作品も非常に良かったです。
次は「Out of the Blue」を聴いてみようと思います。

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聴いてない 第266回 ニール・ダイヤモンド

華やかな洋楽の世界において、日本というマーケットはいったいどういう位置づけなのだろうか。
・・・なんだかテレビ東京の経済番組みたいな物言いですけど、日本に入ってくる過程でレコード会社や事務所や放送局や音楽出版社など様々なフィルターがかかって、ようやく自分みたいな極東の貧乏リスナーに作品が届く、という構図だと思われる。

で、その洋楽アーチストの中には日本での知名度や人気と、本国での評価実績に大幅な乖離が生じる人がいる。
過去に記事にした中ではミート・ローフビリー・レイ・サイラスなどがそうだろう。
今回採り上げるニール・ダイヤモンドも、おそらくそんな一人。
アメリカ国民の誰もが知る米国歌謡界の重鎮である。(知ったかぶり)
自分はもちろん聴いていないが、日本でもFMで頻繁にオンエアされたり雑誌の表紙を飾ったりといったことはそれほどなかったのではないかと思う。
まあジャンルとしてはロックでもなく、ミュージックライフやFMステーションに載るような歌手ではないと思われる。

しかし。
先に書いてしまうが、ウィキペディア日本語版の冒頭から仰天の記述。
「ビルボードチャートの歴史上で、最も成功したアダルト・コンテンポラリーのアーティストとして、エルトン・ジョンバーブラ・ストライサンドに次いで3位にランクされている。」
・・・本当ですか?
そんなにスゴイ人だったの?
いや、エルトン・ジョンもバーブラ・ストライサンドも聴いてはいないけど大物だという認識はありましたが、ニール・ダイヤモンドもそんなビッグな成功者だったとは・・・
すいません、全然知りませんでした。

あらためてニール・ダイヤモンド、ちっとも聴いておりません。
聴いたのは「Love On The Rocks」「Heartlight」の2曲だけ。
いずれも80年代の曲で、柏村武昭の案内により録音。
70年代のヒット曲は全く知らない。

衝撃の中、仕方なくニール・ダイヤモンド情報収集を続行。
なおGoogleだと「もしかして:ニール・ダイアモンド」として検索結果が表示されるようだが、ウチのBLOGではダイヤモンドで表記します。

ニール・ダイヤモンドは1941年ニューヨーク市ブルックリンで、ロシアとポーランドの移民の子孫であるユダヤ人の家庭に生まれる。
本名はニール・レスリー・ダイヤモンド・・って本当?
アメリカだと「ダイヤモンドさん」て普通にいるんでしょうか・・
日本人で言うと「金剛石よしお」という感じの名前でしょうか・・
ちなみにダイヤモンド・ユカイの本名は田所豊だそうです。(関係ない)

ブルックリンのエラスムス・ホール高校では合唱部に所属。
この時のメンバーにバーブラ・ストライサンドがいた。
16歳でギターを始め、曲を作るようになる。
ニューヨーク大学では医学や生物学を学び、フェンシングで奨学金を得るほどの多彩な学生だったが、一番やりたいのが音楽だと気づき、大胆にも大学を中退。

1960年に高校時代の友人ジャック・パッカーと組んでデュオグループ「ニール&ジャック」で音楽活動開始。
62年にはシングルを発表したが、全然売れずソロ歌手に転向。
シングル「At Night」をリリースしたもののやっぱり売れず、レコード会社との契約も解除され、その後作曲家として活動することになる。
この期間に作ったのがモンキーズが歌って大ヒットした「I'm a Believer」「A Little Bit Me, A Little Bit You(恋はちょっぴり)」である。
なのでニール・ダイヤモンドの最初の成功はシンガーではなくソングライターとしてのものだった。

66年に歌手としてレコード会社と契約。
シングル「Solitary Man」をリリースし、全米55位を記録した。
その後も全米6位の「Cherry, Cherry」や、22位「Kentucky Woman」などがヒットし、スターの座を確立。
ちなみに「Kentucky Woman」はディープ・パープルもカバーしてるそうです。

69年にはMCAレコードに移籍し「Sweet Caroline」がヒットする。
この曲はジョン・F・ケネディの長女キャロラインを歌ったもので、2013年から4年間駐日アメリカ大使を務めたあのキャロラインさんである。
2007年にキャロライン・ケネディ50歳の誕生日パーティが開かれたが、そこにゲストとしてニール・ダイヤモンドが登場。
その場でニールは「Sweet Caroline」は9歳のキャロラインを雑誌で見て作った曲だと初めて明かした・・と伝えられている。
ただその後どうもニールは発言を多少修正してるそうで、真相はいまいちよくわからない。
キャロラインのパーティーに招かれたんでつい盛ってしまった・・といった感じなのか?
なお理由はよくわからないが、この曲はアメリカやイギリスではスポーツの試合中に会場で流れたり観客が歌ったりすることが多いそうだ。
ボストン・レッドソックスの試合や、イギリスのサッカーやラグビーの試合でもよく起こる現象らしい。

1973年にコロムビア・レーベルに移籍。
そのコロムビアがニールに提示したのが、映画「かもめのジョナサン」の主題歌とサウンドトラックを作ることだった。
小説「かもめのジョナサン」は当時大ベストセラーとなっていたが、ニールはそのプレッシャーもあってか、どんな曲を書けばいいのか見当もつかず、一度は断ったらしい。
しかし考え直したニールは、かもめをイメージしながら「Be」「Skybird」などの曲を生み出し、サントラ盤「Jonathan Livingston Seagull」は全米2位を記録する大ヒットとなり、グラミー賞のサウンドトラック部門と主題歌賞を受賞した。
このコロムビア時代がニール・ダイヤモンドの絶頂期だったようで、73年から79年にかけてサントラを含む6枚のアルバム全てが全米トップ10以内という輝かしい実績。

1976年にはロビー・ロバートソンの強力な推しにより「ラスト・ワルツ」に出演。
ロビーとの共作「Dry Your Eyes」を歌った・・のだが、ロックを聴きに来ていた観客の反応はいまいちで、ニール・ダイヤモンドの登場はどうも場違いな感じだったそうだ。
ニールを呼んでスベらせたロビー・ロバートソンは、ザ・バンドの他のメンバーとの関係も悪くなり、83年のザ・バンド再結成にはロビーだけ不参加という展開。
ニール・ダイヤモンドを呼んだことだけが不仲の原因ではないだろうけど、呼ばれたニールも気の毒な話だ。

77年アルバム「I'm Glad You're Here With Me Tonight」をリリース。
収録曲「You Don't Bring Me Flowers」はバーブラ・ストライサンドがカバーしたが、その後デュエット版が録音され、翌年全米1位を獲得する大ヒットとなった。
このヒットによりニール・ダイヤモンドとバーブラ・ストライサンド主演の映画も企画されたが、実現はしなかった。

1980年には映画「The Jazz Singer」サントラ盤を発表。
これに自分が聴いた「Love On The Rocks」が収録されているが、全米2位の大ヒット曲だった。
全然知らなかった・・・これ日本でヒットしてましたっけ?
たまたま録音できただけですけど・・
なおサントラ盤も全米3位を記録しているそうだ。

82年にアルバムと同名シングル「Heartlight」をリリース。
シングルはニールとバート・バカラック、キャロル・ベイヤー・セイガーの共作である。
これも聴いているが、やっぱり全米3位という素晴らしい実績。(アルバムは9位)
こっちも知らなかった・・・(こればっか)
柏村武昭はニール・ダイヤモンドのファンだったんだろうか?
残念ながら以降ニール・ダイヤモンドの曲をエアチェックしたことはない。

全米チャートに登場したのは86年の「Headed for the Future」が今のところ最後の曲となっている。(最高53位)
その後もシングル曲はあまり売れなかったが、87年にはスーパーボウルで国歌を歌ったり、シングル曲「America」が88年の大統領選挙でマイケル・デュカキス候補の主題歌となったりした。

ただし活動は停滞していたわけではなく、90年代も企画盤を含む6枚のアルバムを発表している。
2005年にはリック・ルービンのプロデュースによるアルバム「12 Songs」をリリース。
ブライアン・ウィルソンがバックボーカルで参加しており、全米チャート4位まで上昇し、久々のトップ10入りを果たす。
さらに2008年のアルバム「Home Before Dark」は全米だけでなくイギリスとニュージーランドでも1位を獲得。
2014年にはアルバム「Melody Road」を発表。
デラックスエディションのボーナストラックにはビートルズの「Something」も収録されており、これも全米3位の好成績を残す。

しかし2018年にはパーキンソン病を患っていることを告白し、ツアーやコンサート活動から引退すると発表した。
予定されていたコンサートも中止されたが、レコーディング活動などは続けると表明しており、その後も時々チャリティーイベントなどにもサプライズで登場しているそうだ。

・・・毎度のことながら全く知らない話ばかりだった。
モンキーズやザ・バンドやバーブラ・ストライサンドを調べた時に引っかかりそうな話だが、正直ニール・ダイヤモンドにそんなに興味なかったんでスルーしてた可能性も高いです。すいません・・・

数字で見ると、この人はシングルよりもアルバムの実績のほうが良いようだ。
全米チャートに限るとシングルのトップ10入りは69~82年に集中しているが、アルバムのトップ10は70年代から2010年代までコンスタントに記録している。

聴いた2曲については、「Love On The Rocks」はやや重めのバラードで、「Heartlight」のほうがおだやかで味わい深い感じ。
好みかと言われると微妙だが、実力派シンガーであることは間違いない。
他の初めて聴く曲でもたぶんすぐにニール・ダイヤモンドだとわかると思う。
声質から勝手にジョー・コッカーとかボブ・シーガーみたいなひげ面熊顔の人かと想像してたんですけど、若い頃からあまりひげ面ではないですね。

というわけで、ニール・ダイヤモンド。
アメリカを代表する大スターについて、あまりの情弱ぶりに身の縮む思いですが、最低限これは聴いておくべきという作品があればご教示ください。

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