« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »

やってない 第44回 「じゃりン子チエ」を読む

ただでさえやってないことだらけな上にコロナの影響であらゆることにやる気も失せる状況ですが、本日のテーマについては世代間はもとより、地域格差が大きいのでは・・と勝手に予想します。
名作漫画「じゃりン子チエ」ですが、ほとんど読んでません。
関西方面の方々は「そんなヤツおらんやろ」と思われるはずですが、他の地方では「あ、すいません自分も実は・・」とおずおず手を挙げていただける方もおられるのではないでしょうか。

「じゃりン子チエ」は「漫画アクション」にて1978年10月12日号から1997年8月19日号まで約19年間連載された、はるき悦巳の漫画である。
テレビアニメも2期に渡り放送され、第1期はチーフディレクターを高畑勲が務めたことでも有名。
大阪の下町を舞台に、定職につかないゴロツキのテツと、小学生ながらホルモン焼き屋を切り盛りする娘のチエ、親子の周囲の個性的な面々が織りなす人情喜劇漫画。

・・・というウィキペディア掲載の一般教養はなんとなく知っている。
厳密に言えば、1ページも読んだことがないというハード無知ではない。
自分は大学生の頃、新宿の雀荘で深夜アルバイトをしていて、夜中ヒマな時間はバイト仲間で店にあった漫画雑誌を回し読みしていた。
当時人気だったのは「スピリッツ」「モーニング」「ヤングジャンプ」あたりだったが、場所柄「近代麻雀オリジナル」「麻雀ゴラク」なんかもあり、「漫画アクション」もたまには読んだりしていた。
「じゃりン子チエ」も連載中だったので、実はリアルタイムで読んではいたのだ。

しかし。
「じゃりン子チエ」も読んではいたものの、文字通りヒマつぶしで夢中になるようなことは全くなかった。
バイト仲間と感想を言い合うようなこともなかったので、他の連中の感覚はもちろんわからないが、なんとなく同じような熱量だったのではないかと思う。

他の雑誌に連載されていた「めぞん一刻」「軽井沢シンドローム」は後で単行本を買ったし、「課長島耕作」「アクター」「ツヨシしっかりしなさい」「押忍!!空手部」など、毎号結構マジメに読んでた作品もあった。
でも「漫画アクション」は他の雑誌とは少し雰囲気が違い、どの作品もそんなに気合いを入れて読むようなことはなかったのだ。
余っていた「アクション」を読んでいて、バイト仲間が「スピリッツ」を読み終わったらすかさず「スピリッツ」にチェンジ・・みたいな扱いだった。
ちなみにバイト仲間の間でも「哭きの竜」はやはり人気がありました。

「じゃりン子チエ」になじめなかった理由にそれほど確固たるものはないが、今見ても絵があまり好みではないというのはある。
個人の感覚なんで説明のしようもないのだが、他の漫画で絵に対して「いやーこの絵は好みだ・・」とか意識したこともないので、単純にこういう画風が苦手なんだろう。
なおウィキペディアには「つげ義春を深く尊敬し、特に初期の頃につげ義春の画風が顕著に出ている」とあるが、「じゃりン子チエ」の絵の中には、むしろさらに源流である水木しげるの影響を感じるところがある。
・・・などと勝手なことを書いているが、つげ義春や水木しげるの画風には特に苦手なものを感じない。(説得力ゼロ)

さらに弱々しい言い訳にもなるが、セリフが全て関西弁という点もある・・かもしれない。
漫画を読む時、多くの人がセリフを自分のアタマの中で声優ばりに再生してると思うんだけど、関西弁の文字って、やはり関東育ちの自分の中ではネイティブのセリフには変換できないんだよね。
英語の文字列を脳内でクィーンズ・イングリッシュ再生できないのと一緒。(そうかなぁ)

説得力はあまりないが、登場人物の一部が関西弁ならばさほど気にならない・・ような気はする。
(例:「ドカベン」の岩鬼、「アストロ球団」の球四郎など)←例えが古くて恐縮です・・
が、「じゃりン子チエ」のように猫も含む全員が関西弁だと、やはりどっかでシンドさを感じるのかもしれない。
シンから楽しめないとはまさにこのことである。
「関西育ち」という基盤は、この漫画を楽しむ上でかなりのアドバンテージなのではないだろうか。

こういったつまんない理由が、作品の良さを感じる上で障害になっていたと思う。
ホルモン焼き屋で働くたくましい少女チエ、ごんたくれの父親テツ、会話する猫たちといったファンタジーな設定も、申し訳ないが「面白いなぁ」とは思えなかった。
それだけ自分も若かった・・と言いたい気もするが、今ネットで読める範囲で見返しても、感情としては当時とやっぱり変わらない。

漫画でこの有様だったので、アニメはもっと深刻。
一度も見たことがないし、そもそもいつどの時間帯にどの局で放送されてたのか全く知らない。
調べたら第1期が1981年10月3日から1983年3月25日まで、関東ではTBSで土曜17:00~17:30放送。
第2期は1991年10月19日から1992年9月22日まで、同じくTBSで金曜19:00~19:30放送とのこと。
残念ながら家族の誰も見ていなかったし、いずれもどんな裏番組を見ていたのかも全くわからない。
「じゃりン子チエ」を見てたとしても、やはり夢中になるようなことにはならなかったとは思う。

というわけで、「じゃりン子チエ」。
昨年末から「じゃりン子チエ COMPLETE DVD BOOK」という月刊DVDが発売されているようで、学習条件は揃ってはいる。
漫画に限らず芸術作品の全ては個人の感性に依存するので、画風の好みはともかく関西弁は言い訳にしかなりませんが、もし自分と同じように感じている方がおられましたら、ぜひ教えてください。
あ、もちろん作品の魅力についても、ぜひ教えていただけたらと思います。

 

| | コメント (4)

読んでみた 第56回 ジミー・ペイジの真実

今回読んでみたのはペイジ伝記本「ジミー・ペイジの真実」。
緊急事態宣言のさなか4月に発売された新刊である。

著者は元NME紙の名物ライターでロンドン在住のクリス・セイルヴィッチ、訳者は奥田祐士。
版元はハーパーコリンズ・ジャパン、定価3,300円(税込)。
国語辞典並みに非常に分厚く、544ページもあり、束は3cmもある。
帯には「Led Zeppelin アルバムデビュー50周年記念特別企画」と書かれた飛行船が浮かび、「ロックがひれ伏す伝説」とでかいアオリが踊る。

Page

これまで様々なミュージシャンの本を読んできたが、ツェッペリン関連の書籍やムックは結構読んでいると思う。
統計とったわけではないが、感覚的には日本で出版された本の中で、ビートルズとストーンズに次いで多いのはペイジ含むツェッペリン関連本ではないだろうか。
少なくともパープル本よりは多いはずだ。

「真実」と歌うからには、これまで知られていなかった実話がどっさり書かれているのだろう。
厚さと重さに戦いながら読んでみることにした。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

まえがき
序 章
第1章 サリーのスパニッシュ・ギター
第2章 ネルソン・ストームからセッション・プレイヤーに
第3章 シー・ジャスト・サティスファイズ
第4章 ベックス・ボレロ
第5章 欲望
第6章 「1000ドルぽっちのためにオレを殺すつもりか?」
第7章 「鉛の飛行船みたいに」
第8章 アメリカからの引き合い
第9章 〈胸いっぱいの愛を〉
第10章 《レッド・ツェッペリンⅡ》
第11章 「汝の思うところを為せ」
第12章 大いなる獣666
第13章 輝けるものすべてが
第14章 ZOSOの伝説
第15章 天使の街
第16章 王様(キング)とジミー・ペイジ
第17章 コカインの夜と幽霊屋敷
第18章 亡命中の事故
第19章 ケネス・アンガーの呪い
第20章 直接対決
第21章 交戦規則
第22章 ボンゾ最後の戦い
第23章 隠者
第24章 中年のギター神
第25章 魔法使いの弟子
第26章 不死鳥の飛翔
謝辞
参考文献

構成は一般的な伝記本のとおり時系列順に進行しており、ロンドン郊外に生まれたジェイムス・パトリック・ペイジ少年が、成長してセッションギタリストを経てヤードバーズ加入、レッド・ツェッペリン結成、解散、その後の様々なプロジェクト・・という流れ。
なお「まえがき」の前に写真が8ページほどあり、若き日のペイジやツェッペリンのメンバーが写っている。

各章とも非常に細かいエピソードが連結されて綴られている。
もちろん知らなかった話はたくさんあるが、どこかで聞いたエピソードもかなりあり、ああやっぱそうだったんだ、という確認ができる受験参考書のような書物だ。
真偽はともかくここまで詳細なペイジ伝記は日本では初めてだろう。
サウンドや歌詞に関する分析や考察といった音楽的視点はほぼない。
この点は素人の自分にはありがたかった。

改行や余白が思ったほど取られていないため、各エピソードの切れ目がわかりにくく、気づかないうちに場面や話が変わっていることが度々あった。
また当然人物名が全て外国人なので把握しづらく、有名人でないスタッフなど数人が一度に登場すると、誰が誰やらで確認するのにページを戻ったりすることが何度かあった。

いよいよ本編。
プロデビューからツェッペリン結成までにかなりのページ数をさいており、やはり知らなかった話は多い。
この時期ペイジ周辺の人物で多く登場するのは、ツェッペリンの3人とマネージャーのピーター・グラント、そしてジェフ・ベックである。

ベックの「Beck's Bolero」という曲にペイジが参加しているのはよく知られている話だが、他にもニッキー・ホプキンス、キース・ムーン、ジョン・ポール・ジョーンズも参加している。
しかも本当はジョン・エントウィッスルが参加するはずが、ジョンが現れなかったため急遽ジョーンジーが呼ばれたとのこと。
当時ペイジがキース・ムーンのバンドに加入するという噂もあったらしい。

良き友人同士であったはずのベックとペイジだが、仕事となれば美しい友情物語ばかりでもなかったようだ。
ジェフ・ベック・グループで録音した「You Shook Me」を、ペイジもツェッペリンとして同じ曲をファーストアルバムに収録したことを知ったベックは「怒りの涙がこみ上げてきた」と書いてある。
ベック的にはいい気分ではなかっただろうなと思っていたけど、そんなにイヤだったのか・・
この時ペイジはベックに「同じ曲を録音したよ」ではなく「ぼくが見つけてきたジョン・ボーナムって男を聞いてくれ」と言っている。
ベックは同じ曲を聞いてボンゾのドラムに脅威を感じ「またあとから来たのに追い越されるのか」と思ったそうだ。
ちなみにツェッペリンのファーストアルバムについては、ミック・ジャガージョージ・ハリスンにはあまり理解されなかったらしい。

エリック・クラプトンとの出会いは、短いながらまるで青春ドラマのような非常にいい感じで書かれている。
当時「ゴム底ズック」といういまいちイケてないあだ名で呼ばれていたクラプトン。
ペイジがある晩ステージを終えた後にゴム底クラプトンがやって来て、「君のプレイはマット・マーフィー(ブルース・ピアノ奏者メンフィス・スリムとコンビを組んでいたギタリスト)に似てるね」と、ペイジのギタープレイが気に入ったことを伝えた、とある。
その後の二人の関係はあまり書かれておらず、ベックと比較するとクラプトンの登場回数はかなり少ない。

キンクスの「You Really Got Me」でペイジがギターを弾いてる疑惑、は自分も本やネットでも何度も目にしている。
ペイジ本人の否定発言も読んだことがあり、大半は「噂にはなったが事実ではない」という論調だ。
この本にもその疑惑について、「ペイジはたしかにキンクスのファーストLPでリズムギターを弾いているが、「You Really Got Me」のリードを弾いた事実はない」という関係者の証言を掲載している。
他の曲でもリズムギターは弾いたが、リードギターを弾いたのは1曲もないそうだ。
あの印象的なイントロと、その後スーパースターとなったペイジのギターが勝手に結びつけられて「ペイジの弾いた印象的なイントロ」になってしまったと思われる。

本業のツェッペリンの活動履歴については、時期にもよるがおおむね時系列に沿って、ペイジ本人のインタビューや、関係者の証言などをベースにかなり詳細に記されている。
著者は特にアルバム「IV」を高く評価しているようで、ほぼ全曲について制作経緯や周辺情報を紹介している。
一方で後期ツェッペリンはバンド内外においてトラブルだらけであったこと、パンク台頭による「時代遅れ」的評価や、ペイジのヘロイン中毒、メンバー3人との間にできた溝なども忖度なく記載してある。

ペイジのヘロイン中毒は相当深刻で、あまりの体調の悪さに車椅子や担架でライブ会場入りしたり(本人やマネージャーは否定)、ヘロインから足を洗うためにコカインと酒だけに集中しようと画策したり(結局失敗・・そりゃそうでしょうよ)、意識朦朧のままステージに立ち、勝手に曲順を変えて演奏を始めたため、他のメンバーが合わせるのに苦労したり・・といった不細工な話が何度も書かれている。
クラプトンやキース・リチャーズもそうだけど、当時のロッカーたちはみーんなドラッグ中毒でトラブルだらけだったろうが、ペイジのヤバさはかなりのレベル。
ヘロインやめるためにコカインと酒にしますって・・キースもやらなかったジャンキーの典型的なデタラメ屁理屈。
よく復活(してないという見方はあるが)したもんだと思う。

こうしたペイジのパフォーマンス低下に、徐々にバンド主導権を取るようになっていったのがロバート・プラントだった。
結成当時はすでに一流ギタリストだったペイジに、無名のプラントとボンゾはついて行くしかなかったが、プラントは次第にバンドのフロントマンとしてその立ち位置を確立していく。
「In Through the Out Door」制作過程においては、ペイジのあまりのポンコツぶりにプラントが奮起し、ジョーンジーとともにバンドを牽引していった。
また偶発的ではあったが、プラントの息子の葬儀にペイジとジョーンジーは参列しなかった(理由は書いてない)という出来事が、4人の絆とパワーバランスに変化をもたらしたのは間違いなさそうである。

結局プラントの主導権は解散を経て再結成ライブとそのDVD発売に至るまでずうっと続いたようで、2007年のライブのDVDが発売されるまで5年もかかったのは、プラントが映像編集においてペイジに対して我を通したためだった。
そうだったのか・・
なんかいろいろモメてそうな話は聞いたような気がしてたけど、そんな経緯があったんですね。

なおボンゾの死とバンドの解散については、思ったほどの量でもなかったが、それなりに詳しく書かれてはいた。
ボンゾの死後もツェッペリンを続けるという選択肢は、少なくともペイジとプラントには全くなかったようだ。
ボンゾの死因はよく知られているとおり吐瀉物の誤飲だが、この本を読んでもそれが突然訪れた不慮の事故ではなく、そうなっても仕方がないような生活をしてきたんだなぁと思う。
とにかく日々酒を飲んでは行く先々でトラブルの繰り返しで、もし今の時代だったら炎上間違いなしの荒れっぷり。
ボンゾ自身の談話は全然ないので真相はわからないが、ボンゾはアルバムを出した後のツアーで長く家族と離れるのがイヤだった、というようなことが書いてあった。

ちなみにボンゾの死後、イエスのクリス・スクワイアとアラン・ホワイトが、マネージャーを通じてペイジとプラントに「スーパーグループ」を組んでみないかと持ちかけてきたそうだ。
しかもバンド名も決まっていたようで「XYZ」。
Xは「元」という意味で、Yがイエス、Zはツェッペリン・・
プラントは話を聞くなり「あり得ない」と一蹴して、スーパーグループXYZは幻となったとのこと。
これは知らなかった。
まあXYZが実現したとしても長続きはしなかっただろうという気はするが・・

結局ペイジ&プラントや再結成などで解散後も何度も競演した二人だが、「ペイジは結局パーシーが忘れられないんだ」という関係者の発言が真理だったと思う。

さてペイジと言えばオカルト。
この本でもそのオカルト趣味についてふれているが、それを語る上で最も重要なのがアレイスター・クロウリーなる人物である。
イギリスの魔術師でオカルト団体を主宰し、魔術に関する著書も多い。
で、確かにペイジはクロウリーの著書やアイテムをコレクションしたり、ネス湖のほとりにあったクロウリーの屋敷を買ったりという行動はしていた。

クロウリーについては、60~70年代当時のミュージシャンにも支持者が多く、ポール・マッカートニーリンゴ・スターも「ぼくらのヒーロー」「尊敬していた」などといった発言をしており、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のジャケットにはクロウリーの写真がある。(最後列左から二人目)
またデビッド・ボウイは71年の「Quicksand(流砂)」という曲で「クロウリーの制服に夢中だ」と歌っている。
この本には他にもドアーズのアルバム「13」の裏ジャケットでクロウリーの胸像写真が使われたり、オジー・オズボーンやアイアン・メイデンがクロウリーをモチーフに曲を作ったことも書いてある。
ファッション的な要素も含め心酔の度合いはそれぞれだが、当時も今も、一部のミュージシャンから支持されるオカルトの教祖的存在なのだろう。

ただペイジが実際に黒魔術を使って誰かに呪いをかけたりヤバイ儀式をおこなったり・・ということまでは、この本にも書いていない。
書いてはいないんだけど、周囲からは「ヤツはそういうこともしてるんじゃないのか」と恐ろしいイメージでとらえられていたこともあったようだ。

そのペイジのオカルト趣味について、同じくクロウリー愛好家として強い興味を示したのは他でもない、リッチー・ブラックモアだった。(拍手)
72年にペイジがそのネス湖のクロウリー屋敷にこもっていた時、リッチーがパープルの照明監督ディック・オーデルを伴って訪問。
オーデル氏によれば「たぶんリッチーはあの屋敷を見たかったんだと思う。きっと嫉妬していたんだろう」とのこと。
このエピソードでは残念ながらリッチー本人の談話はない。
その場で二人は殴り合いの騒動に発展・・という胸おどる昭和プロレス的展開は全くなく、午後の半日だけで二大巨頭対面はおだやかに終了。
ここにもし東郷かおる子が立ち会っていたら・・となぜか思わずにはいられない。
オーデル氏は「ふたりのギタリストは明らかにライバル意識を燃やしていた」「なごやかだったけれど、闘牛士が2人いるような感じ」という臨場感に満ちた発言をしている。
しかしながらこのエピソードはそこまで。
以降この本にはリッチーは二度と登場せず、ペイジがリッチーについて語るシーンもやっぱり一切なし。
がっかり・・わかってはいたけど、やはりそういうことなのだね。
記者がペイジに「リッチーについてどう思うか」と質問するのは、ダウンタウンに「とんねるずをどう思うか」と聞くのと同じくらいヤバイ質問なんだろうね。(たぶん違う)

というわけで、「ジミー・ペイジの真実」。
さすがに長かったし、リッチー本のような爆笑話はあまり出てこなかったけど、読めてよかったです。
総合すると、様々な浮き沈みはあれど世界中を驚喜させた偉大な音楽家である、という主張。
もちろん間違いではないし、批判やダメ歴史についてもけっこう載せてるので、日本人評論家によるツェッペリン礼賛本なんかよりはバランスが取れていてよほどマトモではないかと感じました。
あらためてツェッペリン解散後の作品を学習してみようと思います。

 

| | コメント (4)

« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »