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聴いてない 第262回 ボブ・ウェルチ

少し前のニュースの「レートは点ピン、当日の負けは数千円」といった情報に過剰に反応したSYUNJIです。
退職金6千万円検事長と一流新聞社の社員が、そんな三流出版社みたいなレートで打つわけないだろ!
明らかに一桁少なく申告してるよね。
「ピンピンのサブロク、ありあり・ありありのオール伏せ牌」くらいですよね、ぷく先輩?(巻き添え)
あと記者クラブに出入りしてた一流マスコミ各社の方々も、かなり前からこうした楽しい賭場同好会が定期開催されてたこと、絶対に知ってましたよね?
「いや、ウチは全く知らなかった」と言うのなら、御社のその取材力のほうが不安です。

ということで、かなりズレた社会派?の私が今回白状するのはボブ・ウェルチ。
「Ebony Eyes」「Precious Love」の2曲聴いているので、聴いてない度は3。
「Precious Love」は発売当時の79年に一流音楽番組「サンスイ・ベストリクエスト」で録音。
「Ebony Eyes」はかなり後になってNOW系オムニバスCDをレンタルで聴いた。
なお「Precious Love」と同時に録音したのはレイフ・ギャレットの「ダンスに夢中」だったので、自分の脳内では長いことレイフ・ギャレットとボブ・ウェルチがセットだった。

ボブ・ウェルチの最大の肩書きは「元フリートウッド・マック」だろう。
自分はソロとしての新曲で名前を知ったので、実は元マックであることを知ったのはずうっと後だ。
90年代にフリートウッド・マックのベスト盤を購入したら、ライナーに「元メンバーのボブ・ウェルチ」という記述があり、そこで初めて知ることとなった。
知ってはみたものの、ボブ・ウェルチ在籍時のマックを掘り起こしたり、ボブのアルバムを学習したりする気配は全くなく、現在に至る。(いつもの無気力展開)

なので名前と2曲と肩書き以外は何も知らない。
さらに2012年に亡くなっていたことも今回初めて知った。
8年前のことだが、訃報を機に(失礼)記事を書いて学習することもできたはずである。
どこかの新聞記者並みのポンコツ取材力に恐縮しつつ、ボブ・ウェルチについて記者会見で挙手してみた。(意味不明)

ボブ・ウェルチは1945年ロサンゼルス出身。(英語版ウィキペディアではハリウッド出身となっている)
本名はロバート・ローレンス・ウェルチ・ジュニア。
父のロバート・ウェルチは映画プロデューサー、母親は歌手・女優というエンタメな家庭で育つ。
両親の影響を受けてジャズやリズム&ブルースやロック音楽に興味を持ったボブは、ジョージタウン大学というカトリック系の学校に進学予定だったが、入学直前にパリに行く。(なぜ?)
パリですっかり遊んでしまったボブは、帰国後カリフォルニア大学でフランス語を学ぶが、学位が取れず中退。

お勉強よりも音楽に目覚めたボブは、1964年ロサンゼルスで「セブン・ソウルズ」というバンドにギタリストとして参加する。
このバンド、スライ&ファミリーストーンとコンペで争うほどの実力を持ち、シングル「I'm No Stranger」をリリースしたが、残念ながら69年に解散。

その後再びパリへ渡ったボブは、「ヘッド・ウエスト」という3人組バンドを結成するが、これも長続きしなかった。
ここで登場するジュディ・ウォンという人が、ボブ・ウェルチの人生を大きく変えることになる。
ジュディはボブ・ウェルチの高校の同級生で、当時はフリートウッド・マックのマネジメントスタッフとして働いていた。
フリートウッド・マックはピーター・グリーンとジェレミー・スペンサーが相次いで脱退した直後で、代わりのメンバーを探していたところだった。
ジュディはボブ・ウェルチの名を思いだし、ミック・フリートウッドにボブを推薦。
1971年、ボブはイギリスに渡りフリートウッド・マックのオーディションを受け見事合格。
まるで漫画のような話だが、ジュディがボブ・ウェルチの名前を挙げなければ、フリートウッド・マックでの大活躍もなかった可能性が高い。
持つべきものはお友達ってのは洋の東西問わず真理であるようだ。

こうしてボブ・ウェルチはリズムギター担当としてマックに喜んで加入。
初めはリードギタリストのダニー・カーワンをバックアップしていたが、徐々に頭角を現し、同時期に加入したクリスティン・マクビーとともにバンドを牽引していく。
1971年、バンドはアルバム「Future Games」をリリース。(タイトル曲はボブの作品)

しかしここからはやっぱりロックバンドあるあるな展開。
後輩ボブ・ウェルチの加入を頼もしく思っていたはずのダニー・カーワンは、ボブの才能と発言力に次第にプレッシャーを感じるようになり、アルコールに依存していく。
そして72年アメリカツアーでのコンサートの前に事件が起こる。
ボブと酒に酔ったダニーが口論となり、ダニーはボブのギターを粉砕し楽屋を破壊し、ステージに上がることを拒否。
壊れたのはボブのギターや楽屋だけでなく、ダニーの精神でもあったようで、ダニーは楽屋の壁に頭をぶつけて血だらけという国際プロレスっぽい騒動に発展。
さすがの後輩ボブもこれには激怒。
バンドはダニーをクビにし、結局さらにボブ・ウェルチとクリスティンの発言力は増していくこととなる。

ボブがフリートウッド・マックに在籍したのは3年ほどだが、この間5枚のアルバムを制作し、マックにおける一時代=ウェルチ期を築く。
しかしながらバンド内はやっぱり年中モメ事が絶えず、またバンドのブルース志向に対してハードロックをやりたかったボブ・ウェルチは、74年に脱退してしまう。

1975年、ボブ・ウェルチは元ジェスロ・タルのグレン・コーニックと元ナッズのトム・ムーニーと3人で、新バンド「パリス」を結成。
このパリス、当時渋谷陽一は非常に高く評価しており、自身の出演するNHK-FM番組「ヤングジョッキー」で、パリスの曲をよく採り上げていたそうだ。ふーん・・(流し反応)
パリスはそれまでのボブの経歴の中で最もハードロックな音楽性を持っており、2枚のアルバムも発表したが、陽一の想いもむなしく全然売れず、ボブ・ウェルチはカネを使い果たす。

脱退後のボブの人生にもやはりマック・ファミリーは何かと登場する。
ボブ・ウェルチはパリスとして制作途中だったアルバムを、ソロ名義で「French Kiss」としてリリースすることにした。
パリス用に作っていた曲だが、全てがボブのオリジナル作品である。
その中の「Sentimental Lady(悲しい女)」は、元々マック時代のアルバム「Bare Trees(枯木)」の収録曲で、セルフ・カバーのレコーディングにはミック・フリートウッド、リンジー・バッキンガム、クリスティン・マクビーも参加。
プロデュースもリンジーとクリスティンが担当。
じゃあほぼマックじゃん。
脱退はしたけど、協力関係は途切れてはいなかったということですかね。
おかげでアルバムは200万枚以上売れて、全米12位を獲得。
ボブ・ウェルチは貧困から脱出できたそうだ。
自分が聴いた「Ebony Eyes」も収録されており、この曲はバックボーカルとしてジュース・ニュートンが参加している。

79年にアルバム「Three Hearts」を発表。
全米20位まで上昇し、シングル「Precious Love」も19位を記録した。
柏村武昭もめざとく極東のFM番組でオンエアしたものと思われる。

しかし80年代に入ると成績は低迷。
アルバムは発表するもののチャートの順位は芳しくなく100位にも入らなくなる。
80年には「Hollywood Heartbeat」という音楽番組の司会を担当するが、自身のセールスには作用しなかった。

落ち込んだボブ・ウェルチ、台本どおりに薬物に手を出す。
ここで名前が出てくるのが、やはりというか意外でも何でもないお待ちかねガンズ・アンド・ローゼズ
ガンズがボブ・ウェルチのガレージでリハーサルなどをしていたという間柄で、どっちから誘ったのか不明だが、ガンズとのドラッグ・パーティをきっかけにボブはコカイン&ヘロイン中毒となる。
85年には逮捕され治療のために入院もしたそうだ。
後のインタビューでボブは当時のことを「自分は非常に退廃的でダメな男だった。いい時間ではなかった。後悔している」と発言している。
ただ退院直後にボブ・ウェルチは結婚し、その後薬物には手を出さずに過ごしたそうなので、やはり周りの人がほっとかないタイプの人間のようだ。

一方で元のバンドメイトたちとはやはりモメてしまう。
ボブが脱退した後でフリートウッド・マックはさらにビッグな成長を遂げ、アルバム「噂」はウソみたいに売れてしまった。
このマックの大成功に、やはりおだやかでいられなかったようだ。
ボブが低迷したり薬物中毒になったりしてる間もマックは商業的には順調だったので、ボブの心に何かが鬱積していってもおかしくはない。
不満が溜まりまくったボブは、94年にフリートウッド・マックのメンバーやレコード会社に対して著作権使用料の支払いに関する契約違反で訴訟を起こす。
96年には和解したそうですけど、どういう結果に落ち着いたんでしょうね?

またフリートウッド・マックが1998年にロックンロールの殿堂入りした際、黄金期のメンバー5人の他、元メンバーであるピーター・グリーンやジェレミー・スペンサー 、ダニー・カーワンは「フリートウッド・マックのメンバー」とされたのに、ボブ・ウェルチは選ばれなかった。
ボブだけはずれた理由は不明だが、メンバーと訴訟でモメたりしてたことが不利に働いたらしく、政治的・恣意的選別がなされたという見方をする人もいる。

ボブ・ウェルチは後にこの時の思いを「バンド活動の場をイギリスからアメリカに移し、アルバム5枚を世に出し、リンジーやスティービー加入の橋渡し役を担ったのは自分なのに」と語っている。
うーん・・これはさすがにボブ・ウェルチに同情するなぁ。
殿堂入りから数年後にはミック・フリートウッドと再会し和解もしたそうだが、殿堂入りを決めた指名委員会や業界関係者のことはずうっと良く思っていなかったらしい。
まあそうでしょうね。

2000年以降はマックも含む自身の昔の作品を再レコーディングしたアルバムを2枚ほど発表しているが、目立った実績もなく新曲も出していない。
ソロでも確かな実績は残した人ではあるが、元マックの肩書きからは終生逃れられなかったと思われる。

で、冒頭に述べたとおり今回調べてみて初めて知ったのだが、ボブ・ウェルチは2012年に66歳で亡くなっていた。
テネシー州ナッシュビルの自宅で、自らの胸を拳銃で撃っての死だった。
死ぬ3ヶ月ほど前に脊柱の手術をしたが、痛みが治まらず悩んでいたとのこと。
ピストルで自殺とはロックミュージシャンらしい最期ではあるが、70年代に輝かしい実績を残した人が、80年代の音楽界の栄光を享受できずに終わったというのはやはり悲しいものがある。

聴いている「Ebony Eyes」「Precious Love」だが、特に苦手な印象はなく、ブルースやロックというよりも、80年代の華やかな音を予感させるポップなサウンドだ。
ギターがいずれも少しノイジーな感じだが、これがボブ・ウェルチの特徴なのだろうか。

ということで、ボブ・ウェルチ。
今回はもう明確に結論は出ましたが、ボブ・ウェルチを学習するなら、ソロ作品以前にマック時代のアルバムから聴くべきでしょうね。
マック学習も「噂」のみで全然進んでませんので、ピーター期も含めて早々に着手する必要がありそうです。(遅い)
小池知事の導きのもと、密を避けつつユニオンで探してみようと思います。

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聴いてみた 第156回 ELO

16年半も珍奇BLOGを続けていながら、聴いてて当然の名盤を未だに聴いてないという緊急事態が一向に解除できないSYUNJIといいます。
70年代名盤回帰シリーズ(遅い)、今回は信頼と実績の大英帝国名門バンド、エレクトリック・ライト・オーケストラの「Discovery」を聴いてみました。

「Discovery」は1979年の作品で、ELOとしては8枚目のアルバム。
全英1位・全米5位を記録し、さらに21の国でプラチナムやゴールドディスクを獲得というやたら輝かしき名盤である。
シングル5曲も本国イギリスではいずれもトップ10入りしており、簡単に言うとELOの代表作だ。
本当は全曲シングルカットする予定で、PVも全曲用意していたという意欲と自信に満ちた作品。
先日紹介したフェイセズ「Ooh La La」、ブロンディ「Parallel Lines(恋の平行線)」とともに渋谷のレコファンで購入。

Discovery

当時のメンバーは以下のみなさんである。
・ジェフ・リン
・ベヴ・ベヴァン
・ケリー・グロウカット
・リチャード・タンディ

全曲ジェフ・リンが作詞作曲。
タイトル「Discovery」は直訳すると「発見」だが、実は「Very Disco」を入れ替えたもので、当時流行のディスコサウンドを彼らなりに皮肉も込めて表現した・・という説があるそうだ。
本気でディスコブームに乗っかったわけではないにせよ、こうした売れ線意識丸出しの姿勢については、一部のプログレマニアからは厳しい評価を受けているとのこと。
まあそうかもしれない。
ジャーニーもボストンもそうだが、高い技術力や創造性を持ちながら、それをプログレ志向に振り向けていかない産業ロックバンドは、やっぱりプログレ好きのみなさんからは評判悪いんでしょうね。
でもそんなインダストリーなサウンドはおおむね自分の耳にはマッチすることが多いので、多少ディスコが混じろうが不安はほとんどない。
知ってる曲も半分くらいあるので、慢心増長の想い(なんだそれ)で聴くことにした。

・・・・・聴いてみた。

1.Shine A Little Love
これはベスト盤で聴いていたが、オリジナルはイントロが長い気がする。
タイトルのとおりキラキラとロマン輝くELOお得意のサウンド、ノリのいいリズム。
星屑を振り撒きながら通り過ぎる馬車のようなイメージ。
1曲目から期待感満載である。

2.Confusion
中学生の時に初めてエアチェックしたELOの曲がこれ。
リズムは比較的ゆったりだが、じゃららんと鳴るギター、どんどん!という象徴的なドラム、奥行きあるエコーサウンドやエレクトリックなアレンジは、何度聴いても飽きない。

3.Need Her Love
初めて聴く曲。
後の「Don't Walk Away」にも通じるバラード。

4.The Diary Of Horace Wimp(ホレスの日記)
これもベスト盤で聴いていた。
ホレスというモテない若者が一週間で天の声を聞いて恋して誘って告白して結婚するという物語を曜日ごとに分けて歌う。
歌詞に土曜だけ出てこないのは、英国男子にとって土曜日はサッカー見る日だからだそうだ。
途中からずんずんとリズムが強くなり、電気的にゆがめたバックコーラスやストリングスも効果的だ。
前の曲もそうだが、ポール・マッカートニーの香りが漂うという評価は同感である。

5.Last Train To London(ロンドン行き最終列車)
これもベスト盤にあって聴いてはいたが、特にリズムギターなどやや70年代ディスコっぽい音がするので、他の曲よりも相対評価は少し下がる感じ。
決して悪くはないが・・

6.Midnight Blue
3曲目の「Need Her Love」と同系統のバラード。
アレンジはそれほど強くなく、正統派のクラシカルな音造り。
基盤にビートルズがあるのはELOの特徴だが、個人的にはこの曲はジョン・レノンの色が濃いような気がする。

7.On The Run
テンポアップした楽しい曲。
この曲はエレクトリックなアレンジがふんだんにあり、コーラスワークも美しく整えている。
エンディングでスピードを落としているところはやはりビートルズの影響かな?

8.Wishing
この曲も初めて聴いた。
特に尖ったところもなく、イメージどおりのELOサウンドが続く。
間奏で電子オルガンなどでなくピアノを入れているのが特徴と言えるかも。

9.Don't Bring Me Down
ラストもおなじみ、どんどんばすばすドラムが響くELOの教科書サウンド。
シングルとしてはこの曲が一番売れて全米4位・全英3位を記録している。
メロディは決して楽しくはないんだが、つい体が揺れてしまうような楽曲。
エンディングはぶつっと終わるが、最後にわずかにカチャッというノイズが聞こえる(ような気がする)。

聴き終えた。
いやー楽しいね。
やっぱELOいいね!
軽いけど、そんな感想がまずある。
考え込むような音楽じゃないので、聴いていてラクだ。
聴いていた曲はもちろん、初めて聴く曲にも拒絶感や苦手意識は一切感じない。
聴く前の余裕と聴いた後の感動が整合する、聴いてみたシリーズでは割と珍しいパターン。

慣れてるつもりのELOサウンドだが、「Discovery」までは自分が聴いてきた80年代作品とは少し違い、ストリングスをより多用してるそうだ。
言われてみればそうかなくらいの認識でしかなかったが、聴いていて心地よい音なのはこの点にも要因がありそうだ。
ただし「Discovery」はむしろシンセサイザー使用によって前作「Out Of The Blue」よりもストリングスの比重は減っているとのこと。

どこのサイトにも書いてあり共感しかない「基盤がクラシックとビートルズ、味付けはシンセサイザー」だが、全くその通りだと思う。
ジェフ・リンはビートルズを基盤にこういうどんどんばすばすなサウンドでELOを作ってきたけど、その功績がポールやジョージに評価されて、再結成ビートルズやソロ作品にちゃんと還元されていってるってのは面白い話だ。
ジェフ・リンも音楽家冥利に尽きるというか、さぞかし嬉しかっただろうね。

断言できるが、発売当時にきちんと聴いていたら、間違いなくヘビーローテーション盤として定着していただろう。
遠ざける理由は何もない。
90分テープに録音して旅先にも持っていったはずである。
もっと早く聴いておけばよかった・・というこのBLOGでの決まり文句は、まさにこのアルバムのためにあるような言葉。

ジャケットはアラビアン・ナイトをモチーフにしたとされており、映画のポスターのようなアートである。
ELOのアルバムジャケットは芸術性が高いものが多く、メンバーのダサい集合写真などは使っていない。
このジャケットも壁にかけて飾っておける絵だと思う。

というわけで、「Discovery」。
発売後40年(!)以上経って聴いてる時点でもはや救いようはないが、死ぬ前に聴けてよかったと思います。(大げさ)
このバンドに対するマイナス感覚は全くないことを再確認できましたので、引き続き他の未聴盤も聴いていこうと決心した次第です。

 

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聴いてない 第261回 マイケル・センベロ

引き続き緊急事態宣言のさなか自粛警察の告発を恐れながら無益引きこもりBLOGを続けるSYUNJIといいます。
今回はゴールデンウィークにふさわしいアーチストをムリヤリ掘り起こしてみました。
マイケルと言えば国民の7割はこの方を思い浮かべるであろう、ジャクソンでもジョーダンでも富岡でもない、マイケル・センベロです。(中スベリ)
安くて不潔な飲み屋で酔っ払い、「いやー千円でべろべろ、マイケル・センベロ!」と意味不明な冷シャレをカマし、ムリヤリ連れてきた若いヤツに全く伝わらず涙目になった中高年がたぶん都内だけでも4人くらいいると思われる。

マイケル・センベロ、名前は知らなくても80年代に洋楽にまみれた経験があれば、あの曲は聴いたことがあるだろう。
全米1位を獲得し、映画「フラッシュダンス」のサントラに収録された「Maniac」。
発音に忠実に書くと「メーニアック」ですが。
で、全米の誰もが「どうせオマエそれしか聴いてないんだろ」と思ってたはずだ。
ところが実はもう1曲柏村武昭プレゼンツにより「Automatic Man」を聴いている。
従って聴いてない度は温情の3。

申し訳ないがここからさらに躍進して次々と大ヒットを飛ばし・・という展開ではなかったため、情報も鑑賞もこの2曲で止まっている。
当時の雑誌でもマイケル・センベロが何者かを詳しく紹介した記事に出会ったことがない。
そこでマイケル・センベロについて調査敢行。

さて心の友ウィキペディアは、意外にも英語版と日本語版で文章量は同じくらい。
それぞれの情報を勝手に要約すると以下のとおり。
マイケル・センベロは1954年にフィラデルフィアの西郊外のペンシルベニア州アードモアで生まれた。
本名はマイケル・アンドリュー・センベロ。
センベロという名前はこの人以外に見たことはなく、ルーツがどこにあるのかも不明。
フィラデルフィア生まれと書いてるサイトが多いが、地図で見るとアードモアという街はフィラデルフィア市街から10kmくらい西にあるところなので、まあほぼフィラデルフィアなんだろう。
実は勝手に西海岸の人ではないかと思っていたのだが、見事にはずしてしまった・・

ギターを手にした少年マイケル・センベロは、セッションミュージシャンとして働き始める。
スタートはジャズだったが、わずか17歳にしてスティービー・ワンダーのレコーディングに参加。
スティービーの76年のアルバム「Songs in the Key of Life」ではインスト曲「Contusion(負傷)」のリードギターを担当。
この曲はスティービーとの共作にもなっている。

他にもマイケル・ジャクソンダイアナ・ロスバーブラ・ストライサンドドナ・サマーなど様々な大物ミュージシャンのスタジオ・ギタリストとしてキャリアを積んでいった・・とある。
で、マイケル・ジャクソン関連で言うと、あちこちのサイトに書かれている「Carousel」という曲。
マイケル・センベロが作り、マイケル・ジャクソンに提供した曲で、アルバム「Thriller」のために録音されたが、残念ながら最終トラックリストからははずされてしまい、「Human Nature」に置き換えられた。
幻の「Carousel」はその後アルバムの25周年記念盤「Thriller 25」デラックスエディションのボーナストラックに収録されたそうだ。
なおCarousel=カルーセルとは元祖オネエの人ではなく、フランス語で回転木馬のことだそうです。

マイケル・センベロのソロ歌手としての最初の実績は82年のシングル「Summer Lovers」。
アメリカのラブコメディ映画の主題歌で、サントラ盤にも収録されている。
ふーん・・と通り過ぎるところだが、このサントラの曲リストを見ると、デペッシュ・モード、ティナ・ターナー、エルトン・ジョンシカゴなど結構豪華な名前が並んでいる。

センベロは初のオリジナルアルバム「Bossa Nova Hotel」を83年にリリース。
プロデューサーはフィル・ラモーン。
ジョージ・デュークや弟のダニー・センベロも参加。
これに自分が聴いた「Maniac」「Automatic Man」が収録されている。

映画「フラッシュダンス」との相乗効果もあり、「Maniac」はめでたく全米1位を獲得。
ただしアルバム「Bossa Nova Hotel」はサントラ盤ほどには売れず、全米80位という思ったよりも地味な実績。
当時のFM雑誌にジャケットごと紹介されており、読者からの「なぜふんどし姿なのか」といったツッコミ投稿が掲載されていたことも覚えている。
というかそんなくだらない小話しか覚えてないです、すいません。

その後のソロ活動に目立った実績はあまり書いておらず、90年代以降は他のミュージシャンのプロデュースや曲の提供、映画音楽の制作といった裏方の仕事が中心らしい。
現時点で最新のスタジオ盤は2002年の作品「Ancient Future」。
でもウィキペディア日本語版には「アンボン島やインドネシア、バルセロナ、ローマ、ミラノ、パリなど世界中でツアーをしている。」とある。
これいつ頃の話だろうか?
検索してもツアーのスケジュールやレポートがなかなか見つかりませんけど・・

ソロではなくプロジェクトの活動の情報はあった。
2008年にジェイニー・クルーワー、ブルース・ガイチとともにプロジェクト「Bossa Nova Hotel」を結成。
翌年にボーカルを6つの言語で録音したアルバム「Moon Island」をリリース。
内容はブラジル音楽風アレンジを施したアメリカンポップソングで構成されており、アース・ウィンド&ファイアーの「Let's Groove」やマドンナのヒット曲「La Isla Bonita」(ブルース・ガイチが作曲)などをカバーし、「Maniac」も聴ける。
2010年にはプロジェクトとして来日し、丸の内コットンクラブでライブを行い、収録曲の多くを演奏したとのこと。
ちなみにジェイニーとブルースは夫婦で、センベロ抜きの別のプロジェクトを組んで2012年に日本公演を行ったこともあるそうだ。

というわけで、やはり2曲以外に知ってた情報はなく、全て初耳学に認定。
「フラッシュダンス」はサントラ盤は聴いたが、映画はレンタルビデオで見た・・はずである。
だが記憶はもうあやふや。
テレビでもジェニファー・ビールスが踊ったり飛び跳ねたりのシーンをしょっちゅう流していたので、そこしか覚えていない。
「Maniac」が使われたシーンももちろん忘れている。
主題歌「Flashdance...What a Feeling」を聴くと反射的に堀ちえみを思い出すのは我々の世代ではやむを得ない。(断言)

堀ちえみは置いといて、マイケル・センベロ。
2曲しか知らないが、メロディは「Automatic Man」のほうが好みだ。
「Maniac」はノリもよくギターソロもテクニカルで聴きどころは多いが、やや神経質でせっかちなサウンドという印象。
成績は「Automatic Man」が全米34位・全豪49位なので「Maniac」とはかなり開きがある。
映画の評判はよくわからないが、販促効果は絶大だったことは間違いなさそうだ。

ここまでマイケル・センベロを調べてきたが、今のところ正直ソロよりはプロジェクト「Bossa Nova Hotel」にわずかだが興味がわいている。
知ってる曲がいくつかカバーされてるし、こっちから試すほうがなんかラクそう・・という毎度失礼で安直な発想。
ソロアルバムが全部日本で手に入るのかも不明ですが、聴いてた方がおられましたら、感想や評価など教えていただけたらと思います。

 

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