« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

行ってみた 第73回 堺・京都・大阪

関西漫遊徘徊芸人のSYUNJIといいます。
新型肺炎騒動の最中、唐突に関西方面に出かけてみました。

自分のサイクルとしては紅葉または桜の季節に京都を中心に関西を巡る、というスタイルが定番だったのですが、最近は少しずつ時期がズレつつあります。
どちらの季節もムダに混雑しますし、時期をはずしたほうが安いしすいているのは明白。
それでも真冬の京都は行ったことがありませんでした。
理由は単純に寒いし雪でも降ったら足元がおぼつかないからです。

しかし。
今年は全国的な暖冬で京都も含めて雪が積もってる都市などほとんどない状態。
加えて折からの新型肺炎騒動で外国人観光客は激減。
さんざん世話になってきた土地である京都、こういう時こそ行くべきではないのか?といった安っぽい使命感が突然浮上し、キレ気味に新幹線と宿を予約。
別にキレなくてもどっちも直前でも簡単に取れました。
ただし宿は大阪です。

ということで新大阪に参上。
着いた時点ではっきりわかりましたが、いつも大量にいるはずの外国人観光客がやはり劇的に少なくなっていて、これは旅の間中ずうっと変わりませんでした。

Dscn2740_s

まず向かったのは堺。
世界遺産に認定された古墳群で有名な街ですが、実は2度目の訪問。
学生の頃に一度来ていて、仁徳天皇陵も見たはずですが、記憶はほとんどありません。

Dscn2739_s
Dscn2738_s

堺東駅前で自転車を借り、天皇陵の周りを一周してみました。
まあ走る前からわかってはいましたが、古墳は上空から見ないとあの鍵穴型というか人型のような形がわからないので、一周してもひたすら堀と森のような木々があるだけ。
もちろん一般人は中には入れません。
参拝できる場所がありましたが、以前ここに来たかどうかも覚えていませんでした。
世界遺産ですが、観光客もほとんどいません。

Dscn2741_s

Dscn2742_s

ボランティアのおじさんに「市役所の展望ロビーに行ったらええで」と言われたので行ってみました。
他に高い建物がないので古墳も含めて街が一望できます。
が、やはり古墳は盛り上がった森にしか見えず。
室内に貼ってある空中写真で形を確認するしかありません。

堺東駅前でそばを食い、気を取り直して街中を自転車で移動。
移動中に気づきましたが、堺は刃物と自転車の街だそうです。
どうり?で歩道が異様に広く、自転車での移動がとてもラク。
産業会館の土産コーナーで爪切りを購入しました。

20200208_142539390_s

旧堺燈台に行ってみました。
ここは初めてです。

Dscn2752_s

昔の燈台なので想像以上に小さく、高さも周囲の工場よりも低いくらいですが、西洋式を採り入れた明治時代のフォルムはけっこうオシャレです。
ここも観光客はほとんどいませんでした。

Dscn2859_s

Dscn2765_s

今回の宿は四ツ橋駅前の「ヴィアイン心斎橋四ツ橋」。
JR西日本が経営するホテルですが、まだ新しくきれいでした。
このホテルもバスルームとトイレが別で、洗い場もありました。
最近はこのような造りのホテルが増えてますが、やはり日本人やアジア人にとって使いやすいからだと思います。

Dscn2770_s

翌日は京都。
北野天満宮に行ってみました。

Dscn2788_s

紅葉や桜の時期に何度も来ていますが、梅の季節は初めてです。
というかここはむしろ桜ではなく梅の名所だったのでした。

20200209_111153203_s

20200209_111638682_s

この日の京都は雪と晴れが頻繁に入れ替わるという天気。
暖冬とはいえ、さすがに2月の京都は底冷えがします。
梅は五分咲きくらい。
茶菓子をいただいている間に晴れてきました。
見上げると細かい雪が青空に舞っており、あまり見ない光景に感動。

昼になったので上七軒の寿司屋でちらし寿司を食べました。
日曜の昼ですが他に客はおらず、大将も「全然人がいない」とこぼしていました。

Dscn2818_s

Dscn2823_s

午後は梅宮大社に移動。
昨年はあじさいを堪能した神社ですが、その名のとおり梅の名所でもあります。

Dscn2830_s

20200209_140019103_s

いつ来てもいろいろな花が咲いており、人も少ないのですっかりお気に入りの場所となりました。
なお今回は社務所にいた猫はこの1匹だけでした。

Dscn2843_s

Dscn2846_s

バスで京都駅近くの梅小路公園に行ってみました。
梅の木はありましたが、それほど多くなく開花もまだ三分程度。

Dscn2847_s

Img_20200209_152829_s

すっかり曇ってしまい気温も下がってきたので、近くの「笹屋伊織」という和菓子店のカフェに避難。
ぜんざいなどをいただいて一休み。

京都駅に戻り土産を物色しましたが、やはり外国人観光客は少なく、感覚的には人の数が桜の季節の半分程度でした。

Img_20200209_192452_sImg_20200209_191327_s

大阪に戻り、大丸の「トラットリア・アルレッキーノ」で夕食。
この店も何を注文しても非常にうまく、最近は大阪に泊まる際は必ず立ち寄るようになりました。

Dscn2860_s

翌日は南海電車で富田林に行ってみました。
寺内町というエリアに、古い街並みが残っています。

Dscn2874_s

Dscn2861_s

しかし。
来てから気づいたのですが、古い家屋を使用した店や見学できる施設が軒並み休み。
この日は月曜で、街全体が月曜休業だったのでした。
事前にガイドブックやネットで調べて行ったのですが、休日までは確認していませんでした。
仕方なく街並みを一回りして退散。

20200210_125704724_s

Dscn2876_s

気を取り直して大阪市内に戻り、あべのハルカスに上ってみました。
ハルカスは2度目ですが、今回は平日だったこともあり、エレベーターにも全く並ばず、展望フロアはかなり空いていました。

20200210_104604073_s

20200210_111211556_s

展望フロアを徘徊していて唐突に登場したのが「こたつ席」。
季節限定で鍋料理が食べられる企画席だそうですが、夜は満席になったりするんでしょうか。
自分は高いところからの眺めが好きなバカ中高年なので、このこたつではあまり鍋には集中できない気がします。

Img_20200210_112729_s

これは近鉄百貨店のバレンタインフェアにあった、チョコで作られた巨大あべのべあ。

ちなみに今回京都や大阪のデパートでバレンタインフェアをいくつか見ましたが、中でも阪急うめだ店は「バレンタインチョコレート博覧会」と称して特設会場を展開しており、売り場の広さ・人の多さ・店の数などが圧倒的に多く突出してすごかったです。(300ブランド・3000種類だったらしい)
東京や横浜でもそうだと思いますが、この手の催しに集う女性はもう日本古来?のバレンタインの趣旨である「愛する男性にチョコを贈る」などという目的はほとんど持っていないらしく、とにかく目当てのチョコ確保調達に余念がない感じ。
苦労して手に入れたチョコはやはり男なんかにあげず自分で食べるんでしょうか。
人気のショコラティエは来店時間前には整理券が出るなど純烈並みの集客力。
店によっては開店後数分で完売なんてチョコもあったようで、もはや自分のようなじじいには理解しがたい独特の文化が醸成されつつあるようです。

というわけで、初めての冬の関西旅行でしたが、天気もなんとか持ちこたえてよかったです。
人出が少なかったのは個人的にはありがたかったですが、いつまでもこんな状態では困ると思うので、一日も早く終息することを祈るばかりです。

 

| | コメント (2)

聴いてみた 第154回 フェイセズ その3

令和2年最初の聴いてみたシリーズ、今回はフェイセズの「Ooh La La」を聴いてみました。

「Ooh La La」は73年の作品。
フェイセズとしては4枚目で最後のスタジオ盤であり、全英では1位を獲得。(全米21位)
主にA面の曲をロッド・スチュワート、B面曲はロニー・レーンが作っているが、クレジット上はロッドが一人で作った曲はなく、ロニーやロン・ウッド、イアン・マクレガンとの共作である。
プロデューサーはグリン・ジョンズ。

Ooh-la-la

そもそもフェイセズは発生時点から全員が他のバンドで活躍していた実績を持つ役者揃いのグループだが、このアルバムを最後に解散してそれぞれが別の場所でまた活躍していく。
書き並べてみるとよくわかるが、解散後はロッド・スチュワートはソロ、ロン・ウッドはストーンズに加入、イアン・マクレガンはストーンズのサポート、ケニー・ジョーンズはザ・フーに加入する・・という、なんだか山田が西武、里中がロッテ、岩鬼がダイエー・・みたいな明訓高校っぽいドラマチックな展開なのである。
そんなフェイセズ高校の歴史的な転換期に位置する「Ooh La La」。
果たしてフェイ高最後のアルバムはどんな盛り上がりなのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Silicone Grown
オープニングは軽快なリズムで始まるロック。
ノリまくるピアノがフリージャズっぽくもある。

2. Cindy Incidentally(いとしのシンディ)
少しテンポを落としたリズムで、ロッドがキー高めに歌う安心の一曲。
左のギター、右のピアノ、奥のドラムといったシンプルな音の振り分けが臨場感を生んでてよい。

3. Flags And Banners
この曲はロニー・レーンがボーカル。
バンジョーのような音やオルガンも聞こえてくる楽曲は悪くない。
悪くはないんだが、やはりロッドを聴いたすぐ後だと、ロニーの歌は若干頼りない印象。

4. My Fault(俺のせいだ)
これもいかにもロッドのための課題曲といった調子で、終始叫びがちに甲高く歌うロッド。
エンディングが意外にはかなげでいい。

5. Borstal Boys
A面ラストはやや粗暴な歌と演奏。
イントロで繰り返し鳴るサイレンのような警告音で緊張が高まる。
ピアノよりはギザギザなギターがメインで、ドラムもかなりヤケクソに主張してくる。

6. Fly In The Ointment
B面の最初がインストという不思議な構成。
この曲はロッド以外の4人の共作で、各パートの持ち味が調和していていい感じ。

7. If I'm On The Late Side
どこかフォークやカントリーの香りのするバラードだが、テンポは思ったより早く、あまり湿っぽい雰囲気はない。

8. Glad and Sorry
ようやく本格的なバラード登場。
これもいい曲である。
レイドバックしたけだるいボーカルはロニーだが、ほぼ全編コーラスなので線の細さはあまり気にならない。
ロッドの声は聞こえない。
ロニーのボーカルに声を合わせているのはイアンだそうだ。
エンディングで少しだけ不協和音が混じる。

9. Just Another Honky
引き続きバラードで、今度はロッドが歌う。
これも演奏がまとまっていて非常によく、時々聞こえるころがるようなドラムが印象的。

10. Ooh La La
ラストはカントリーっぽいアコースティックなアルバムタイトルナンバー。
女に関する爺さんから孫への教訓?を歌った、どこか切ない内容。
やや投げやりに歌っているのはロン・ウッド。
ロンの歌声を意識して聴くのは初めてだが、思ったよりうまく(失礼)、曲調に合っていると思う。
ロニーとロンの共作だが、ロニーは当然ロッドが歌うもんだと思って作っていたらしい。
なんでロン・ウッドが歌うことになったんだろう?
ここまで歌える人ならストーンズでもたまにはボーカルを任されてもよかったんじゃないかと思うが、あっちのバンドではそうはならなかったみたいスね。

聴き終えたが、このアルバムも聴いてて目立った不満はほとんどない。
むしろここまで聴いたフェイセズの3枚のアルバムの中で、一番まとまりがある気がする。
大まかに言うとA面がブルース基調のロック、B面はカントリーやフォークで味付けしたバラード中心、といった構成。
これはバランスがとれてて非常にいいと思う。
さらにインストやロン・ウッドのボーカルなど、意外に聴きどころは多い。

自分がフェイセズに感じる「不安」はロニー・レーンのボーカルだけなのだが、このアルバムでは(聴き慣れてきたせいもあるが)それほど気にならなかった。
「Flags And Banners」だけがロニーほぼ一人のボーカルだが、もしロッドかイアンがバックでコーラスを当てていたら、全く問題なかっただろうと思う。

路線としては他のアルバム同様、とにかく楽しくやろうぜ的ガヤ系サウンドである。(特にA面)
尖っていない分、平凡なロックになってる可能性はあるが、どこから聴いても問題ない。
3枚聴いてわかってきたが、フェイセズは自分にとって安心できる信頼と実績のバンドなのだ。
聴いてみたシリーズをここまで続けてきた中で自分なりに分析すると、聴く前の緊張感期待感に対し、聴いた後の充足感満足感の比率が極めて高いのがフェイセズ、ということになる。

制作当時、バンド内の状況はあんまし良くなく(いつも?)、俺様ロッドはメンバーをバックバンドとして下に見ていたり、自分が歌う時だけしかレコーディングに参加しないなど、ロッドと他のメンバーとの間に様々な摩擦が生じていたようだ。
まあ同じ頃作ったロッドのソロでは実際にメンバーがバックバンドを務めてたんで、ロッドがそう考えるのも仕方ないとは思うけど。

で、「Ooh La La」発売直後にはロッドが「最悪なアルバム」などと発言し、その発言にキレたロニーは「こんな会社やめてやる!」と叫んで雪の札幌をさまよいバンドを脱退。(ボケ使い回し)
後任ベーシストとして日本人の山内テツが加入したが、ライブアルバムだけ出してバンドは解散してしまう・・という因縁の作品になってしまった。
後にロッドは「最悪」発言を訂正したそうだけど、たぶん作品じゃなくて人間関係が当時最悪だったんでしょうね。
ロックバンドを調べていていつも不思議に思うんだが、パープルイーグルスにおいて特に顕著な通り、音楽作品の質と人間関係の状態は必ずしも相関しない、というのがこのフェイセズの「Ooh La La」にも当てはまるようだ。

結局ロッド・ロニー・ロンの3Rは二度と同じバンドで共に活動することはなく、フェイセズとしても最後のスタジオ盤となった。
喧嘩別れした形の3人だが、その後ロニーが難病にかかった際にロッドとロンが治療費を出してあげた・・というイイ話もあるようだ。

ジャケットはエットーレ・ペトロリニというイタリアのコメディアンが演じたガストーネというキャラクターで、LPでは目や口が動く仕掛けになっていたとのこと。
70年代末のミュージックライフにアルバムレビューが掲載されていて、レビューの中身は忘れたがジャケットとタイトルは覚えていた。
気に入っていたわけではもちろんないが、印象に残るアートではある。
短い歴史のフェイセズだが、アルバムジャケットに関しては統一性は一切なかったようだ。

というわけで、「Ooh La La」。
今回も非常に良かったです。
今さらだけど、ここまでのクオリティで作品を世に出しながらも、これを最後に解散してしまった・・というのはやっぱり残念ですね。
これでフェイセズの未聴盤は「First Step」だけになりましたので、こちらも早いうちに聴こうと思います。

| | コメント (3)

聴いてない 第258回 ELO(70年代)

80年代に活躍したバンドの中で、70年代の作品をさかのぼることなく過ごしたパターンとして、これまでにスティクスハートなどを採り上げてきたが、もうひとつ大事な存在を忘れていた。
ご存じエレクトリック・ライト・オーケストラだ。

ELOの80年代作品は以下を聴いている。
・Xanadu(80年)
・Time(81年)
・Secret Messages(83年)

「Time」と「Secret Messages」は今もよく聴いており、好きな曲ばかりの名盤である。
だったら70年代の作品にもトライしてよさそうなもんだが、なぜかそうはならなかった。
「Out of the Blue」や「Discovery」が貸しレコード屋に並んでいるのを見た記憶はあるが、おそらく持ち合わせがなかったとかつまらない理由で借りなかったものと思われる。

この中途半端な鑑賞で危機感がないことが、学習の大きな障害となった。
この現象は前述のスティクスやハートやブロンディなどにも同様に起きていて、余命いくばくもない今頃になってあわてて聴き始めている状況である。
さらにELOについては数年前に「Light Years」という2枚組ベスト盤を買ってしまい、これまた名曲揃いですっかり満足。
結局未だに70年代のアルバムは全く聴いてないという壊滅的な状態。

聴いてない感覚は希薄なのだが、振り返ると知識も教養も希薄だ。
ジェフ・リンのワンマンバンドであることはよく知っているが、他のメンバーは顔も名前も知らない。
70年代を聴いてないと書いたが、90年代以降も聴いてないのは同じである。
そこで生まれて初めて能動的にELOを検索して調べてみたのだが、その歴史は想像以上に複雑だった。

ELOの源流は「ザ・ムーブ」という名のバンドで、1970年には「エレクトリック・ライト・オーケストラ」の名を併用して活動。
・・・併用ってどういうこと?
スタートから不思議な展開だが、理由や経理処理は不明。
またその併用期間で人事異動も多少あったらしく、草創期の人数が3人なのか4人なのかもよくわからない。
とりあえずELOとして発進した時のメンバーはロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベヴ・ベヴァン。
ベースのリック・プライスを加えた4人がELOとしての始まりとしてるサイトもある。
この後もいろいろなミュージシャンが出入りしてるらしいが、どこまでが正式なメンバーになるのかがどうもわかりにくいのもELOの特徴のようだ。

1971年にバンド名アルバム「Electric Light Orchestra」を発表。
ザ・ムーブとの併用は72年にはもうやめており、バンドはELO一本でやっていくことを決意。
2枚目のアルバム「ELO II」の制作中にロイ・ウッドは脱退。
このあたりからジェフ・リンのワンマン経営が始まる。

74年のアルバム「Eldorado」は全米16位を記録し、ゴールドディスクに輝く。
翌年「Face The Music」で初めて全米アルバムチャートのトップ10入りを果たす。(最高8位)
さらに76年「A New World Record(オーロラの救世主)」は全英6位・全米5位、77年には2枚組アルバム「Out of the Blue」で全英・全米とも4位を記録し、トップ10の常連となった。

78年に初の日本公演が行われた。
ただし意外なことに現時点では日本ではこの時しかライブをやっていない。
79年「Discovery」が初の全英1位となり、バンドとしても頂点を極める。
それまではアルバムチャート順位は本国イギリスよりアメリカのほうが毎回上だったが、この「Discovery」からは逆転する。
乱暴に言うと70年代はアメリカでのほうが売れており、80年代はイギリスでの成績のほうがよかった、ということになる。

80年に映画「ザナドゥ」のサントラ盤を発表。
オリビア・ニュートンジョン主演の映画だが、自分は例によって映画を見ておらずレコードだけ聴いている。
A面がELOサイド、B面がオリビアサイドだったが、オリビアの曲はいまいち好みに合わずA面ばかり聴いていた。
調べて初めて知ったが、ELOとオリビアのどっちがA面なのかは国によって異なるそうだ。
映画の興行成績は知らないけど、サントラ盤は全英2位・全米4位を記録したので、この企画はELOとしても大成功だった、ということになる。

勢いに乗ったバンドは81年アルバム「Time」をリリース。
ウィキペデイアには書いてなかったが、日本盤の副題は確か「時へのパスポート」だったと思う。
これもあっさりと全英1位を獲得。(全米は16位)
このアルバムには後に日本でテレビドラマ「電車男」のテーマ曲に使われた「Twilight」が収録されている。

名実ともにビッグなバンドとなり、てっきりうまいこと行ってるもんだと当時は思ってたが、実はこの頃から事務所とバンドの関係がこじれ始めるというどこかの国のお笑い芸人みたいな事態が発生していたそうだ。
83年にアルバム「Secret Messages」が出てきちんと全英4位の成績を収めるが、事務所とモメたせいか新作発表後の全米ツアーも行われることはなかった。
86年「Balance Of Power」が出たことは知っていたが、これは聴いていない。

その後ELOがどうなったのかはよく知らなかったのだが、ジェフ・リンは様々なモメ事に嫌気がさし、バンド活動を停止してしまったとのこと。
なんかジェフ抜きのELOができたとか名前でモメたとかうっすら聞いたような気がしたけど、そういうことだったのか・・

ここからの展開もやはり複雑なようだが、とりあえずベヴ・ベヴァンがELOとして活動継続を望んだものの、ジェフ・リンが拒否。
じゃあお前抜きでもELOやるからなとベヴがジェフに言ったら、ジェフはそれも拒否。
ジェフにしてみれば「オレ様がいないのにELOを名乗るのは許さない」ってことかな。
まあ実態は確かにジェフ・リン・バンドではあるけど、拒否ばっかでジェフの駄々コネという感じもするなぁ。
ベヴは仕方なく「ELO Part2」という偽物っぽい名前で活動開始。

ここで登場するのがジョン・ペイン。
後にエイジアに参加してボーカル務めたあの人です。
でも調べてみたらジョン・ペインはELO Part2としての実績はほとんどないようだ。
「元ELO」って紹介してるサイトもあったのに・・

整理するとベヴはジョン・ペインに歌わせるつもりで曲作りを始めたが、バンド名の話でジェフ・リンともめて、なんとかPart2で折り合いがついたものの、今度はプロデューサーになるはずのジム・スタインマンともめて、ジョン・ペインはそれがイヤでELO2の正式加入前に脱退・・・というロックバンドあるあるなプロレスっぽい展開だそうです。
誰が悪いのか知らないけど、ジェフがいないとやはりまとまらない人たちみたいスね。
ベヴ・ベヴァンも苦労しながらELO Part2としてライブ盤を含むアルバム3枚を発表している。
残念ながらチャートインしたことはなかったようだが・・

全然売れなかったので、ベヴ・ベヴァンは力尽きて2000年にELO Part2は解散。
しかし話はこれで終わらず、ベヴ以外のPart2メンバーのミック・カミンスキー、ルイス・クラーク、エリック・トロイヤーといった人たちが、エレクトリックもライトも取り外した「The Orchestra」という大ざっぱな名前でバンド活動を継続。
2001年にアルバム「No Rewind」をリリース。
2008年にはライブ盤「The Orchestra Live」、翌2009年にはコンピ盤「Anthology 20Years and Counting...」を発表し、ELOの曲中心にライブ活動を続ける。

力尽きたはずのベヴ・ベヴァンは一度は芸能界を引退したのに、2004年には「ベヴ・ベヴァンズ・ザ・ムーブ」というバンドを旗揚げ。
こちらは「The Orchestra」とは対照的に、ELOの曲もPart2の曲も一切演奏しないという意地のポリシーを持って活動していたとのこと。

一方ジェフ・リンはバンドが割れた80年代後半から90年代は何をしてたかというと、ビッグネームとの共演やプロデュース業に力を注いでいた。
ジョージ・ハリスンやトム・ペティ、ロイ・オービソンといったアーチストのプロデュースで大いに盛り上がり、とうとうボブ・ディランも加わって覆面バンドのトラベリング・ウィルベリーズを結成。
ビートルズのアンソロジーでも共同プロデューサーとしてがっちり爪跡を残している。
まとまりのないメンバーでイヤイヤELOやるよりも、大スターを支えるプロデューザー業のほうが圧倒的に楽しかったのだろう。

なおアンソロジーの際にポール・マッカートニーはジェフ・リンの参加に最初は難色を示していたが、ジョージの説得に押し切られたらしい。
ポールほどの大作曲家でさえ「あいつにやらせたら全部持っていかれる」と思うほどジェフの才能に恐れを抱いていた、ということだろうか。
後にポールもジェフの才能を受け入れ、97年発表の自身のアルバム「Flaming Pie」には共同プロデューサーとして採用している。

21世紀もいちおうELOは続いている。
2000年にELO結成30周年記念ボックスセット制作のため、久々に昔のメンバーとジェフが再会し、ジェフはELOとしての活動再開に意欲を見せ始める。
2001年にはELO(実態はジェフのソロプロジェクト)としてアルバム「Zoom」をリリース。
しかしその後しばらくELOは停滞。
10年以上経過した後、コンピ盤やライブ盤が散発的に発表され、2014年からようやく「ジェフ・リンズELO」として活動再開。
2015年にアルバム「Alone In The Universe」、2019年には「From Out Of Nowhere」を発表する。
やはり実態はジェフのソロプロジェクトだが、キーボード奏者のリチャード・タンディが、アルバム制作やライブでサポート参加しているそうだ。

ということでずいぶんと長く引き写してしまったが、90年代以降の経緯については、やはりほとんど知らない話ばかりだった。
ジェフのソロプロジェクトではあるが、ELOとして活動が再開され昨年アルバムも出たというのも今回調べてみて初めて知った。
まあモメ事が多かったのは予想通りだったが、やめたリーダーがバンド名を巡ってメンバーとモメるってのは、スティクスでも聞いた話だったような気がする。

説明不能な矛盾話だけど、聴いている範囲でのELOの音楽は非常に好みに合致している。
クラシック基調の壮大なメロディ、エレクトリックなアレンジ、緻密なコーラス、ばすんばすん鳴る印象的なドラム、どれを取っても魅力満載の楽曲とサウンド。
基盤にはビートルズとオーケストラがあることも丸わかりで、この音が苦手な人ってあんましいないんじゃないかとも思う。
なのでなぜ70年代作品にさかのぼることをしなかったのか、今もよくわからない。

ELO学習としては、時間とお金があれば当然ファーストから順に鑑賞するのが正しい教職課程ではあるが、その中でも実績から見てもはずせないのは「オーロラの救世主」「Out of the Blue」「Discovery」の三部作でしょうね。
いずれもベスト盤で聴いてる曲がそれぞれ収録されているし、そもそもELOやジェフ・リンのサウンドに抵抗感は一切ないので、おそらくは関東最大級の余裕な鑑賞となるはずである。(さっさと聴けよ)
むしろ黎明期の作品にこそバンドの真の魅力ありと分析されるファンの方もおられると思いますが、70年代作品で一押しはコレ!というのを教えていただければ幸いです。

 

| | コメント (4)

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »