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聴いてない 第253回 ニュー・オーダー

80年代洋楽しか心のよりどころのない自分にとって、80年代にとても人気があったはずなのに全くかすりもしなかったバンド。
それがニュー・オーダーである。

実は1曲も聴いておらず、バンド名しか知らない。
曲名もメンバーの名前も人数もジャケットもジャンルも賞罰も一切知らず、聴いてない度は1。
ゼロでもいいです。
なぜバンド名だけ知っているのかも不明。
柏村武昭、東郷かおる子、小林克也のいずれからも紹介を受けていない。

人のせいにしても始まらないので、生涯初のニュー・オーダー調査を敢行。
まずウィキペディアをのぞいたら、日本語版もちゃんとあってしかも結構長い。
ロビー・デュプリーとはえらく違う。
その長い説明を要約すると以下の略歴となる。

ニュー・オーダーは英国マンチェスターにて結成されたグループである。
まずイアン・カーティスを中心に1977年マンチェスターで結成されたワルシャワというバンドが、ジョイ・ディビジョンに改名しデビュー。
メンバーはイアンとバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーブン・モリス。
前衛的なエレクトリックサウンドで人気を博し、「Love Will Tear Us Apart」がヒット。
しかし80年の全米ツアー直前にイアンは自宅で首つり自殺。
セカンドアルバム「Closer」はイアンの死後に発表された。

残ったメンバーは、バーナード・サムナーがボーカルを担当しバンドを継続することを決意。
バンド名をニュー・オーダーと改め、ジョイ・ディビジョン時代に作った曲をニュー・オーダーのデビューシングル「セレモニー」としてリリースした。
81年11月にアルバム「Movement」を発表。
82年に女性キーボーディストのジリアン・ギルバートが加入し、エレクトロ・ダンス・サウンドに傾倒し始める。

83年に「イアンの死を知った月曜日」を歌った「Blue Monday」を発売し、イギリス国内で大ヒットとなった。
この曲を含め、ニュー・オーダーは当時ダンス・サウンドを意識した12インチシングルの制作に重点を置いていたそうだ。
あまりよくわかってなかったけど、当時はやはり12インチシングルが流行っていたんですね。
確かにニュー・オーダーに限らず、この頃はFMでも12インチシングルバージョンの曲がよくオンエアされていたなぁ。
クロスオーバー・イレブン」でマドンナデュランなんかの12インチシングルバージョンをいくつか録音したもんです。(遠い目)

一方でアルバム制作も並行してきちんとこなしており、83年「Power Corruption&Lies(権力の美学)」85年「Low Life」、86年「Brotherhood」、89年「Technique」をコンスタントに発表。
どれもイギリスでヒットし、80年代のニュー・オーダーは堅実で順調な実績を積み上げていく。
特に「Technique」は当時最新とされたクラブ・サウンドに彩られており、本国イギリスはもちろんアメリカでもゴールドディスクを獲得した。
・・・このあたりの情報が、書き写してて一番居心地が悪い・・・
そんなに大ヒットを連発していたのに、なぜか一切知らない・・・

居酒屋で同僚のラグビー談義に全然参加できないような心境のまま、さらに厳しい情報は続く。
ニュー・オーダー、来日公演が80年代から何度も行われている。
初来日は85年、東京厚生年金会館での単独ライブ。
87年にも東京・大阪・名古屋で公演を行った。
また「11PM」に出演し「Bizarre Love Triangle」を生演奏で披露。
・・そんなこともしてたの?
「11PM」は火曜の「秘湯の旅」コーナーだけを凝視していたので、ニュー・オーダーの生演奏は見事に見逃している。

そんなニュー・オーダーだが、やはり90年代になると様子が変わってくる。
93年のアルバム「Republic」が発表されたが、音楽性が変化しており、評判や実績は下降していく。
この頃にはメンバーの関係悪化やソロ活動やレコード会社破綻など楽しくない出来事が多発していたようで、アルバム発表後に活動休止。
結局その後の90年代にはバンドとしての活動はほとんど行われていない。

21世紀に入りニュー・オーダーはようやく復活し、2001年アルバム「Get Ready」を発表する。
スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンがレコーディングやツアーに参加するなど話題性もあったが、直後にジリアン・ギルバートが脱退し、フィル・カニンガムが加入する。

2005年「Waiting for Sirens' Call」をリリース。
シングル「Krafty」には日本語バージョンがあり、日本盤にだけボーナストラックとして収録され、フジ・ロック・フェスティバルでも演奏されたそうだ。

その後バンドは再び怪しい雲行きになる。
2007年にピーター・フックは「ウチらもう解散してますのや」を表明したが、バーナード・サムナーとスティーブン・モリスは「いやいや解散してへん」と否定。
結局ピーター脱退・バンド継続となったようだが、目立った活動実績はなく数年経過。
ピーター・フックとはその後曲の権利関係で裁判沙汰というロックバンドあるある展開にもなったらしい。

しかし2010年代に入るとバンドはまた復活。
2011年9月にジリアン・ギルバートが復帰・ピーター・フック不参加でバンド再結成を発表。
(じゃあやっぱり解散だったんじゃ・・?)
主にライブで昔のヒット曲も演奏というスタイルで活動を続け、この間にトム・チャップマン(B)とフィル・カニンガム(G)が加入。
2012年8月にはサマーソニック大阪と東京にも登場した。

2015年にアルバム「Music Complete」を発表。
2016年にはまた来日し、新木場STUDIO COASTなどでジョイ・ディビジョン時代の曲も披露。
で、今年の3月にも日本に来て歌って演奏して帰っており、2020年3月の来日公演も決定している。

最新作は今年の7月に発表されたライブ盤「∑(No,12k,Lg,17Mif)」。
この不思議なタイトルにはいろいろ意味が隠されていて、「12k」はシンセサイザー12台、「17Mif」は2017年のマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルを示しているとのこと。
ジョイ・ディビジョンのデビューアルバムにあった「Disorder」という曲が、ニュー・オーダーの曲として収録されているそうだ。

・・・いろいろ聴いてないアーチストを量産してきたが、今回は関東最大級の聴いてなさである。(←いつものこと)
知っていた話は全くなく、やはり1球もかすりもしない。

調べてみて思ったのは、ジョイ・ディビジョンという前身バンド、そしてイアン・カーティスの存在の大きさである。
ロックバンドの略歴と変遷を説明する上で、前身や元メンバーが重要というケースは結構あるとは思う。
例えばビートルズで言えば、クォーリー・メンやスチュアート・サトクリフ、ピート・ベストといった情報も含めてファンに広く知られてはいる。
が、ニュー・オーダーの場合はジョイ・ディビジョンやイアン・カーティスを抜きに語ることは許されないくらいの次元のようだ。
イアン・カーティスがすでにこの世を去って40年近くになるが、ニュー・オーダーのライブでは今もジョイ・ディビジョン時代の曲が必ずセットリストに入るそうなので、現メンバーやファンにとっても今なお大きな存在なのだろう。

そこまではわかったんだが、当時自分が見て聴いていた範囲でのメディアにニュー・オーダーが登場していた記憶が全くないのはどうしてだろうか?(知らんがな)
少なくとも彼らが輝いていたはずの80年代黄金期間は、自分も日々ラテカセの前で息を殺してポーズボタンに指をかけたり、FM雑誌のチャートを濁った眼で追ったり、秘湯につかるうさぎちゃんを凝視していたはずなのだ。
チャラい産業ロックとは一線を画す音楽だとは思うが、それにしても柏村武昭もニュー・オーダーについてはつれない対応だった・・という結論でいいですかね。(知らねーよ)

ニュー・オーダーの大きな功績として、ライブにおけるミュージシャンと観客のあり方を変えたという点があるそうだ。
「ステージ上で歌い演奏する側と、客席で聴く観客」という一般的なコンサート図式から、ミュージシャンと客が同じフロアで一体となってダンスを踊る「レイブ」スタイルに変えたのがニュー・オーダーである、ということらしい。
その表れのひとつが、踊るのに適した12インチシングルバージョンだったんですね。
なるほど・・少しだけわかった気がします。(本当かよ)

この流れは後のクラブシーンというスタイルやDJというポジションを確立させていく。
当時のニュー・オーダーはまさに最先端を行っていた、ということだろうか。
またこれも多くのサイトに書いてあるが、電気グルーブの石野卓球もピエール瀧も、ニュー・オーダーに強い影響を受けたことを公言しているそうだ。
そうなるとやっぱし産業ロックとは同じレベルで気安く語ったりできないんだろうな・・

というわけで、ニュー・オーダー。
もちろん全く聴いてなかったので調べた情報全てが知らなかった話ですけど、プログレやメタルとは異質の難しそうな印象を受けました。
気軽に聴いてみるという音楽ではなさそうな感じですが、こんな素人にもわかりやすい入門アルバムがもしあるようでしたら、教えてください。

 

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行ってみた 第72回 木曽路・松本

翌日は飯田から1時間ほどかけて妻籠宿へ。

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前回も感じた印象ですが、妻籠の街並み家並みは奈良井や福島に比べると少し地味です。
逆に言うと古い建物がより多く残されているのが妻籠、ということだと思われます。
人出は奈良井よりも多く、やはり外国人観光客が目立ちます。

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妻籠から峠を越えて20分ほど進むと馬籠宿です。
ここが最もにぎやかなのは前回と変わりませんでした。
坂道に沿って発展した宿場町ですが、季節のせいか修学旅行の学生は見当たりません。

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坂道の一番下にある「白木屋」という店で、そばと五平餅のセットを食べました。
あまり詳しく知りませんでしたが、馬籠の五平餅は団子型で、他の地域の平たいわらじ型とは違うようです。
外国人もどんどん入ってきており、店の人も慣れた感じで英語でメニューの説明をしていました。

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馬籠から20分ほど西に行くと中津川です。
中津川と言えば栗で有名。
川上屋という和菓子店に行ってみました。
栗の季節にはまだ少し早く、新栗の和菓子が売られるのはもう少し後のようです。
喫茶スペースで栗アイスを食べました。

中津川から高速で松本まで移動。
距離感がいまいちわからず、渋滞もしていないのに意外に時間がかかりました。

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松本の駅前の「ご飯屋」という直球な名前の店で、名物山賊焼きを食べてみました。
山賊焼きとは鶏のもも肉を生姜やにんにくで味付けして揚げた料理。
なぜ山賊焼きと呼ぶのかですが、塩尻の居酒屋「山賊」が発祥とする説と、「山賊は物を取り上げる=鶏揚げる」の語呂合わせ説があるそうです。
松本・塩尻市それぞれに山賊焼きを出す飲食店の団体があり、松本市内ならあちこちの店で食べられるようです。
鶏の味付け揚げなので、これなら苦手な人はそう多くはないはず。
味は濃いめですがうまかったです。

なおどうでもいい情報ですが、この山賊焼きを食っている最中、店に流れていた有線のBGMで聞き覚えのある曲が流れてきました。
それは先日このBLOGで採り上げたジーザス・ジョーンズの「Right Here, Right Now」。
フルコーラス聴いたこともない曲ですが、覚えていた歌詞「I was alive and I waited waited」がそのまま流れてきたのでちょっとだけ感動。

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この日は松本のいろはグランドホテルに泊まりました。
フロントの女性は中国人。
外国人スタッフがいるホテルは京都や大阪や札幌だとふつうにありますが、松本もそうなりつつあるようです。

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翌日は松本城を見学。
たぶん3度目ですが、2度目がいつだったか覚えていないほど昔のことです。
なお初めて松本城を訪れた際は、友人10人くらいのグループで来たのですが、城には入れませんでした。
実はその時の全員分の宿泊費・食費を集めて持っていたヤツが途中で全額財布ごと落としてしまい、あわてて警察に行きました。
残りの連中はとりあえず松本城まで来たのですが、ほとんどの金を集金係に預けてしまい、見つかるかどうかもわからない状況だったため、城の入場料すらも払う気になれず、写真だけ撮って城を後にしたのでした。
その日の夕方、親切な方に財布は拾われ、奇跡的に全額手元に戻ったという思い出の城です・・・

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NHKで「真田丸」がやってた頃は相当観光客が増えたようですが、この日は平日でもあり、それほど混雑はしていませんでした。

ちなみに松本城と言えば、外壁が黒いことから「烏城」と呼ばれる・・と認識している方も多いと思います。
自分もそう思ってましたが、公式サイトでは「烏城は誤りです」と断言。
そうなの??知らなかった・・
文献上で「烏城」と呼ばれたという記述はなく、「別名は烏城ではない」というのが管理事務所の公式見解だそうです。
別名を言うなら「深志城」とのこと。

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信州まつもと空港に寄ってみました。
もちろん空路で帰るわけでもなく、たまたま帰り道に寄っただけで、来たのは初めてです。
自分は飛行機や空港はわりと好きなほうで、こうして旅の途中に用もないのに空港に行くことがたまにあります。

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大阪・札幌・福岡に定期便があるようですが、この日は到着に多少の遅れもあり、送迎デッキからは機体が1機も見えず、また滞在時間中は離陸も着陸も全くありませんでした。
空港に来たのに飛行機が全くなかったのは初めてでした。

というわけで、信州の旅も終了。
久しぶりの信州でしたが、さすがに気温も低く快適な旅ができました。
今度は北信地方に行ってみたいと思います。

 

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行ってみた 第71回 木曽路・伊那路

諸国漫遊徘徊芸人のSYUNJIです。
今年の夏は久しぶりに信州方面に出かけることにしました。
調べてみたら木曽路・伊那路に行ったのは11年前
木曽路の宿場町は昔ながらの街並みを観光資源にしているので、11年前と変わらない風景が残されているはずです。

初日の天候はいまいち。
まず伊那の「かんてんぱぱガーデン」に行ってみました。

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2度めの訪問ですが、11年で記憶はかなりあやふやになっており、「こんなに広かったっけ?」という印象。
11年前にもここで何か食べたはずが、全く思い出せません。
とりあえず敷地内のそば処「栃の木」で天ぷらそばなどを注文。
建物や内装の感じは、最近新築したか改装したようでしたが、後で調べたら2014年にリニューアルしたそうです。
みやげに寒天商品をいくつか調達。

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11年前と同様に権兵衛トンネルを抜け、木曽路の旧中山道沿いの宿場町「木曽十一宿」へ。
まずは奈良井宿。

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十一宿で最大規模だそうですが、観光客の数はあまり多くありませんでした。
その点は11年前と変わりませんでしたが、大きく違ったのはやはり外国人観光客。
この日は中国・台湾・スペインといった国々から来ていたようです。

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奈良井から南に数kmのところにある「寝覚めの床」という景勝地に行ってみました。
入口で金を払うと受付の人が「熊が出るかもしれないよ」などと半笑いで言うのでビビりながら川に降りていきました。
とりあえず熊は不在。

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本来は山川の風景や奇岩や美しい流れなど見所が多い場所のようですが、この日は雨による増水で川が濁流になっていて、かなり危険な光景。
川を見下ろす歩道の一部は立入禁止にもなっていました。

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この日は木曽駒高原の「森のホテル」に泊まりました。
実は11年前もここに泊まっています。
建物は以前と変わってませんでしたが、中庭のような場所にグランピング施設が新設されていました。
食事がおいしかった記憶はありましたが、じゃあ何を食べたんだと言われると何も覚えてません。(愚)
今回もうまい白身魚の刺身が出てきたので、ホテルの人に聞いたらナマズとのこと。
「ナマズ?!」と思わず大声で聞き返してしまいました。
ナマズは初めて食べましたが、泥臭いイメージとは全く違って味は非常に淡泊で、ニオイも感じませんでした。

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翌日は福島宿に行ってみました。

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以前は少し立ち寄った程度でしたが、この日は「木曽の手仕事市」というクラフトフェアが催されていて、街のあちこちで手づくり雑貨や食べ物などを売っていました。
10年以上前から始まったそうですが、街全体でイベントを盛り上げており、雰囲気は益子の陶器市にも似ていると感じます。

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ロープウェイで木曽御嶽山七合目の標高2150m地点まで登ってみました。
山の上は曇っていて眺めはいまいち。
気温は16度で寒いくらいです。
昼飯を食っていたら少しだけ天気は回復。

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木曽御嶽山は5年前に多くの方が亡くなったりケガをするという大噴火が起きましたが、今年になってようやく九合目までの入山規制も解除されたそうです。
ロープウェイ駅舎の上が食堂などレストハウスになっていますが、今も献花台が置かれ、当時の惨状を報道する新聞のスクラップもありました。

この日は飯田に泊まりました。
夕飯のため食事処を探して街を徘徊。
駅から少し歩いたところにあった「香港飯店」という中華料理店に入りました。

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ところが。
酢鶏や餃子などふつうのメニューを頼みましたが、これが驚くほどうまかったです。
我々以外に客は誰もおらず、正直あまり期待もしていませんでしたが、どの料理も味付けが甘く非常に食べやすかったです。
横浜中華街にあったら絶対通っている味。
特にグルメではない自分が言ってもあまり説得力はないと思いますが、飯田に行かれる方にはぜひおすすめします。

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飯田ではちょうど大宮諏訪神社秋季大祭というお祭りが行われていて、神輿が次々に通り、そのすぐ横の中学校の校庭では花火がハデに上がっています。
ただ、花火は延々2時間くらい(後で調べたら花火の数は1600発もあった)上がってましたが、校庭では見ている人があまりいません。
決して無造作に上げているわけではなく、協賛の企業や団体名などをアナウンスしてきっちり打ち上げるというマジメなイベントでしたが、どうも神輿の列のほうに人が集まっているようで、花火大会につきものの場所取りや屋台やテキヤや渋滞や駅大混雑といった光景が一切ありません。
ウチの地元ではありえない展開。
せっかくなので学校の隣の駐車場に座って30分ほど花火を堪能しました。

旅はあと2日続きます。

 

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