やってない 第42回 遠慮
子供の頃から今に至るまで、ワタクシは遠慮したことがありません。
・・・こう書くと「じゃあオマエは今までずうっとズケズケ物を言って横柄に生きてきたのかよ」と各方面からつっこまれそうですが、そういうことではありません。
(そういう面も多少はあるかもしれないけど)
説明すると、「歓待・おもてなしを受ける場面において、飲食に関して遠慮したことはない」という話。
「なんだ、他人の金で好き勝手にじゃんじゃん高いもの注文して来たのかよ」と言われそうだが、それも違う。
日本では歓待・おもてなしをする側の決まり文句に「遠慮しないでどんどん食べろ・飲め」があると思うが、この言葉に期待どおりおこたえできたためしがない。
要するに自分は子供の頃から小食なため、必ず「遠慮しないで」を言われるのだが、こちらとしては決して「遠慮はしていない」のだ。
具体的には「大盛り」「おかわり」「追加」「シメの○○」といったことをしないので、普段どおり食べていると、一般の人からはどうしても「こいつ遠慮して食べていないんだな」と見えるらしい。
食事の形態やメニューにもよるが、一般的な「一人前」はなんとか食べられるが、「さらにもう一品」とか「大盛り」はまずしないというレベルである。
で、「遠慮しないで」に対して「小食である」「遠慮はしていない」ことを説明させていただくのだが、相手の反応はほぼ以下しかない。
・信用しない
・なんだつまらない
いずれにしろ楽しい会食の場が盛り下がるばかりで、殺伐(大げさ)とした空気になってしまう。
「小食な子供・若者」は大人から見れば「遠慮」か「異常」のどちらかである。
子供の頃は「遠慮しないで」をまず言われ、「遠慮はしていない」ことを告げると、ほぼ決まって「具合が悪いの?」と心配されたものだ。
こっちも面倒なんで時には「ごめんなさい、少し風邪気味で・・」なんて答えてその場をしのぐ、などという知恵もついてしまった。
いずれにしてもちっとも「かわいくない」子供である。
大人になっても小食は変わらず、おまけに酒も飲まないので、事態は全く好転しなかった。
新婚の頃に妻の親戚をたずねて会食したことがあったが、当然親戚の方々は「遠慮しないでどんどん食べてね」と様々な手料理を作ってもてなしてくれた。
まだ自分も若く、また味はとてもうまかったので自分にしては相当食べたつもりだったが、やはり限界はすぐ来た。
そこで「もう十分いただいた」「小食である」ことを説明したところ、いったん食事はお開きとなった。
・・・と安心していたのは自分だけで、10分後には大量の握り寿司がでかい桶で出てきたのである。
親戚のおばさんは満面の笑みで「お寿司なら食べられるでしょ?」と桶を自分の前に押してきた。
自分の「遠慮していない」「小食である」という主張は全く信用してもらえず、やむを得ず握り寿司にトライ。
しかしやはり限界はとっくに超えており、結局握り一つしか食べられなかった。
この時は自分の限界を察した妻が必死におばさんとの会話を盛り上げ、なんとか寿司から意識をそらせてくれたのだった。
15年ほど前、広島を旅行した時に現地在住の妻の知り合いの方(年配の男女)と会食する機会があった。
この時も地元で評判のお店で盛大な歓待を受け、きびなごやあなご飯などをたくさん食べさせていただいた。
「じゃあ次のお店に行こう」と言うので居酒屋で飲み足すのかな?と思ったら、着いたのは戦慄のお好み焼き屋であった。
広島名物お好み焼きをぜひ食べてほしい、というお気持ちはありがたかったが、すでに普段以上の量を食ってしまった自分には到底無理な相談である。
仕方なく妻と二人で一人前を注文したが、やはり箸は全く進まない。
とうとうその男性は「君らの食べっぷりは全くなっとらん!」と怒りだしてしまった。
自分はこの方と当日初めて会ったのだが、初対面の人からダメ出し食らうという情けない展開。
さすがに中年になって「遠慮しないでどんどん食べろ」と言われることももうあまりないので、実情としては解決したようなものだが、時々困るのは会社の忘年会などで若いヤツがこちらの分を取り分けてくれることである。
気がきくヤツほど皿が空くとすかさず次の分を鍋から大盛りで取り分けてくれたりするので、こっちも断りにくかったりする。
まあ会が進むにつれて連中も酔っぱらってそんなこともどうでもよくなっていくので、適当にもそもそ食っていればいいんだけど。
このとおり小食が有利にはたらいたということは人生で一度もない。(そりゃそうだ)
もてなす側にとって相手が小食だと、まず決定的につまらないし、もてなし甲斐がない。
昔武田鉄矢がテレビで言ってたけど、「世界中のどんな国に行っても現地の人と仲良くなるのに必要なのは、出されたものを残さず食べられる能力」だそうだ。
それ聞いた時「ああー自分には絶対ムリ」だと思った。
日本の接待において、接待する側・される側のいずれにも大食いの若者が一人いるだけで、場がとても盛り上がることは、多くのサラリーマン諸兄が共感するところだろう。
円滑なビジネスのために、大食いも有効な手段となりえるのだ。(経費はかかるかもしれないが・・)
うらやましいことこの上ない。
ギャル曽根を見ればわかるが、大食いはそれ自体が「価値を生む能力」であり、小食は何の価値もない「特異体質」「迷惑行為」でしかないのだ。
バラエティやドキュメンタリー番組でも、「ダイエット」はあるが「小食」はない。
「アメトーーク!」でさえ「小食芸人」という企画は成立していない。
そんなのつまんなくて誰も見ないと思うし。
昨今ダイバーシティという言葉が話題になることが多いが、こと人間の多様性を語る際に「小食」なんてジャンルはまず採り上げてもらえない。
女子ならともかく、「小食の男の子」は心配されるし、「小食の男」はビジネス周辺では「役立たず」である。
いえ、あたしの場合小食じゃなかったとしても役立たずですけど・・
ただ最近の子供や若者はアレルギーを持ってることも多いので、世間の理解もそのあたりから少しは進んでいるのかもしれない。
「お客様に遠慮させないでどんどん食べていただくのが真のおもてなし」という日本人の心意気は本来素晴らしいものだが、それがどんな客でも必ず通用するとは限らない、ということはわかってほしいとかなり真剣に思う。
というわけで、最後はダサい青年の主張みたいな話になりましたが、遠慮。
こんなクソちっちゃい話を気にしてるのは東日本でもあたしだけだと思いますが、みなさんは遠慮してますか?
自分と同じような経験や体質をお持ちの方、また逆に「世の中にそんなヤツが存在するのか」と驚愕された方、それぞれのお考えをお聞かせいただけたらと思います。
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