聴いてない 第235回 ダイアナ・ロス
ブラックミュージックの重鎮、モータウンの女王ことダイアナ・ロス。
あまりに偉大すぎて自分みたいな極東三流腸弱リスナーが採り上げること自体おこがましいですけど、聴いてません。
もちろん存在は認識しているつもりだし、ジャズやクラシックのような「全くなじみのないジャンルの人」というわけでもない。
80年代当時アジアの辺境貧乏学生だった自分にもダイアナ・ロスは寛容だったのである。(意味不明)
大スターが集う音楽祭で、キラキラのゴージャス衣装に身を包み大トリで歌う都はるみっぽい人、というイメージ。(雑)
シュープリームス時代も含め、聴いている曲は以下である。
・You Can't Hurry Love(恋はあせらず)
・Upside Down
・Endless Love
・Chain Reaction
・If We Hold On Together
「恋はあせらず」以外はいちおうリアルタイムで聴いている。
なお「恋はあせらず」はフィル・コリンズのカバーを先に聴いた。
ソロで最初に聴いた曲は「Upside Down」だが、聴く前からダイアナ・ロスの名前は知っていたと思う。
「Endless Love」はライオネル・リッチーとのデュエット。
「Chain Reaction」はバックコーラスにビージーズが参加している。
自分にしてはわりと聴けてるほうだと思うのだが、アルバムは全く聴いてないので、聴いてない度は3。
ブラックミュージックの女性シンガーとして最も成功した人であり、80年代も90年代も全く現役だったが、当時の日本のナウいヤングやダサい男子学生が最優先で聴いていたアーチストではなさそうである。
姉や友人との会話にダイアナ・ロスが登場した記憶もない。
なので当時から今に至るまで聴いてない敗北感や危機感もないまま惰性で歳をとっている状態。
ということで、あらためて偉大なるダイアナ・ロスの華麗なる経歴について拙速なる学習。
ダイアナ・ロスは、1944年デトロイトに生まれた。
父親は自動車工員、母親は白人家庭のメイドとして働く家庭で育つ。
中学生の時、近所の友人たちと4人組コーラス・グループ「プライメッツ」を結成。
(プリメッツと書いてあるサイトもあり)
デトロイトの小さなレコード会社からシングルレコードを発表した後、さらに大きなレコード会社であるヒッツヴィル(のちのモータウン)への売り込みを始める。
この時ダイアナ・ロスの売り込みを受けてモータウンの社長にプライメッツを紹介したのがスモーキー・ロビンソンだそうだ。
62年モータウンと正式に契約し、グループ名をシュープリームスと改める。
この時点でメンバーは1人抜けてダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソンとフローレンス・バラードの3人となった。
で、シュープリームスについても少し調べてみたが、今は発音により忠実な「スプリームス」と表記するようだ。
・・・なんか「ダイアナ・ロス&スプリームス」ってあまりなじめない感じですけど、もっと早く矯正できなかったんスかね?
カート・コバーンもレディー・ガガもアドリアン・アドニスもみんなそうだが、日本人てよその国の人の名前はホント適当だよなぁ。
シュープリームスもたぶん「シュークリーム」につられたんだと思う。(適当)
とりあえずウチのBLOGではシュープリームスに統一しておきます。
シュープリームスは64年「Where Did Our Love Go?(愛はどこへ行ったの)」で初の全米No.1を獲得。
翌65年には「Stop! In the Name of Love」がヒット。
この曲はのちにホリーズがカバーしてまたヒットしている。
さらに66年には「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」、「You Keep Me Hangin' On」もヒット。
(「You Keep Me Hangin' On」はヴァニラ・ファッジのカバーでも有名)
大量のヒット曲を放つスーパーグループに成長を遂げる。
67年に「ダイアナ・ロス&シュープリームス」と改名。
しかしダイアナ本人がセンターでいることにこだわり過ぎて、他の2人との確執・軋轢・摩擦が生じ、リーダーだったフローレンス・バラードは脱退。
69年にはダイアナもグループから脱退しソロとなる。
ソロ転向後もダイアナ・ロスの活動は順調に進んだ。
70年「Ain't No Mountain High Enough」でソロ初の全米1位を獲得。
73年にも「Touch Me In The Morning」をヒットさせた。
また映画女優としても活動の幅を広げ、「ビリー・ホリデイ物語」で主役を演じる。
しかし女優としては大成功とは言い難く、その後の主演映画「マホガニー物語」やミュージカル「ウィズ」は興行的には残念な結果に終わってしまった。
80年にナイル・ロジャースによるプロデュースの「Upside Down」でシンガーとして完全復活し、全米1位をまた獲得する。
81年ライオネル・リッチーとのデュエット「Endless Love」も大ヒットを記録。
いちおう全米1位獲得の曲はこの「Endless Love」を最後に出ておらず、モータウンからRCAに移籍する。
85年にはUSA for Africaに参加。
「We Are The World」でソロパートを歌い、マイケル・ジャクソンとも声を合わせた。
この後アメリカでは人気もセールスも下降していく。
しかし日本では91年発表の「If We Hold On Together」が、ドラマ「想い出に変わるまで」の主題歌に使われて大ヒットという日本限定の現象が起こる。
確かに曲は自分もリアルタイムで聴いているが、このドラマは見ていた記憶はない。
主演は今井美樹と石田純一、脚本は内館牧子というトレンディなドラマだったそうですけど・・・
ヒット曲は出ていないが、今もアメリカ音楽界の重鎮として記念行事や音楽祭などのイベントに登場し、変わらぬ歌声で観客を魅了している。(表現が昭和っぽい)
2015年には日本公演も行われ、またこの年からツィッターも始めるなど、現在も精力的に活動中とのこと。
繰り返しの言い訳で恐縮ですけど、偉大なる存在であることはもちろん認識してはいた。
が、上記の経歴話は半分も知らなかった。
エアチェックした曲は冒頭述べたとおりだが、積極的に録音しに行ったものではなく、柏村武昭の案内に従順に対応していただけの話である。
聴いている中では「Chain Reaction」がノリが良くていいと思う。
ウィキペディアには「シュープリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のビルボード1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。」と書いてある。
金額的にどうなのかはわからないけど、記録としてはグループ時代のほうがすごかったということになる。
なのできちんとダイアナ・ロス学習をするのであれば、シュープリームス鑑賞も必修科目となるはずだ。
楽曲や声の好みはともかく、歌唱力においては不安など感じる必要も一切ない、信頼と実績が誇る安心安定な歌手であることは間違いない。
ただ勝手な推測だが、ダイアナ・ロスもカーペンターズ同様にアルバムよりは曲単位での評価が主流ではないだろうか。
なのでシュープリームス時代のヒット曲も収録されたいい感じのベスト盤があれば聴いてみたいと、ムシのいいことを考えている。
ということで、ダイアナ・ロス。
偉大すぎて評価が難しいようなアーチストではあると思いますが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?
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