« 聴いてない 第231回 パット・ベネター | トップページ | 行ってみた 第59回 大阪・芦屋 »

聴いてない 第232回 クラフトワーク

元祖テクノポップ、ドイツが誇る偉大なる電子音楽隊クラフトワーク。
全く聴いておりません。
知ってるのはバンド名だけで、メンバーも一人も知らないし、アルバム名やジャケットも記憶にあるものはない。
ドイツやテクノといったキーワードもおぼろげにふまえている程度。
最近までプログレかと思っていたが、そうでもないらしい。
聴いてない度はスクエアに1。

聴いてないバンドやミュージシャンを書く時にはネットで概要を調べるのだが、その都度おのれの無知さ加減やおびただしい勘違いに愕然とすることもしょっちゅうである。
で、今回のクラフトワークも大幅な勘違いが判明。
結成が1970年と知って呆然。
90年代あたりに登場したバンドかと勝手に思ってました・・
モンスリー師匠やぷく先輩との会話でうっかりそんな勘違いを口にしなくて本当に良かった・・(遅い)

70年代末から80年代にかけて、あれほど毎晩勉強もしないでエアチェックに没頭していたのに、クラフトワークの音楽に出会ったことは一度もなかった。
バンドの名前をいつ覚えたのかも不明。
たぶん関東地方では人気がなかったんだろう。(適当)

またFMステーションやミュージックライフといったおなじみの雑誌媒体に、クラフトワーク情報が掲載されていた記憶もない。
なのでチャートにヒット曲をどばどば送り込んだりMTVで凝った映像を披露したり辣腕プロデューサーを招いてチャラい産業ロックにアレンジしたりグルーピーを追いかけまわして窓から裸の女を投げ捨てたりといった展開とは遠いところにいた人たちではないかと思う。

深いダメージを負いながらクラフトワークについてSLシータップを使用して電子的学習。(デタラメ)
ウィキペディアがまた異様に長い・・・

バンドの歴史は1967年に始まる。
西ドイツのクラシック音楽学校でラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが出会い「オルガニザツィオーン」というグループを結成。
若い人の中には昔ドイツが東西に分かれていたことなんか知らない人もいるんだろうね。
おじさんは昔分かれていた西のほうのドイツに行ったことがあるんだよ。

69年にアルバム「トーン・フロート」をイギリスで発表するも全然売れず、70年にバンド名をクラフトワーク(Kraftwerk:ドイツ語読みではクラフトヴェルク)と改め再デビュー。
その後クラウス・ディンガーが加入し、アルバム「クラフトワーク2」「ラルフ&フローリアン」をリリース。
この初期の作品はラルフ自身あまり気に入っておらず、「なかったこと」になっているという話もあるようだが、最近のインタビューでは「そんなことはない」と否定している。

74年にはカール・バルトスとウォルフガング・フルールが参加し、革命的アルバム「Autobahn(アウトバーン)」を発売。
全米チャートは5位、全英チャート4位を記録する大ヒットとなった。(驚愕)
・・・そんなにすごい人たちだったんスか?
確かにこの頃はまだ自分も洋楽なんか聴いてもおらず、柏村武昭の指導が始まるのは5年くらい後の話なんだが、それだけヒットしたならどっかでクラフトワークの情報が入ってきてもよさそうなもんだが・・

さらに75年「Radio-Activity(放射能)」、77年の「Trans-Europe Express(ヨーロッパ特急)」、78年の「The Man Machine(人間解体)」はバンドの黄金期三部作と呼ばれ、「テクノポップ」という新ジャンルを確立することとなる。

しかし。
80年代に入るとジャンル確立とともに多数のフォロワーも世界各地に出現し、また本来他のジャンルで活躍していたアーチストまでがテクノサウンドに傾倒するなど、クラフトワークの独創性にも影響が出始める。
さらに様々な技術革新により、クラフトワークでなくとも先進的なテクノサウンドを作り出すことが可能になっていった。
バンドは81年に「Computer World」、86年には「Electric Cafe」を発表するが、70年代と同様の支持やセールスを再現することはなかった。
87年にヴォルフガング・フリューア、91年にはカール・バルトスが脱退。

ここからの展開もなかなか興味深い。
90年代以降はライブに活動の重心をシフトし、ワールドツアーを行ったりイベントのテーマ音楽を手掛けたりした。
2003年アルバム「Tour de France Soundtracks(ツール・ド・フランス)」をリリース。
2009年にはラルフ・ヒュッターとともにバンド創始者として活動していたフローリアン・シュナイダーが脱退する。

だがバンドは解散せず、ラルフ以外のメンバーを入れ替えながら活動を継続。
2012年の反原発イベント「NO NUKES2012」では「Radioactivity」を日本語で歌い、翌年には来日公演を行い、その翌年にはサマーソニックにも出演するなど、日本とも関わりは深いとのこと。

・・・ということでやはりどれも全く知らない話であった。
ウィキペディアを含むいろいろなサイトを見てみたが、ド素人の自分には難解な文章も多く、バンド像というものはあまりイメージできていない。
ただ、日本も含む世界中のアーチストに多大な影響を与えた・・ということだけはぼんやりとわかった。

日本では70年代末にYMOが登場し、さらにランドセルやP-モデルやヒカシューやプラスチックスといったバンドが続々出現。
テクノポップが街中にウォークマンとともにあふれていたのだが、自分はこれら「J-テクノポップ」(とは誰も呼んでないが)にも全然ふれて来なかった。
YMOはさすがに街でも学校でもいやと言うほど流れていたので、いくつか知ってる曲はあるが、テクノポップ自体には大して興味はなかったのだった。

なので今さら興味も大してなかったテクノポップをクラフトワークでまともに学習できるとも思えないのだが、それでも「Autobahn」くらいは聴いておかねばまずいかなぁ・・とかすかに思っている。
もうほぼガイドラインは判明した形だが、クラフトワークを理解する上で「Autobahn」「Radio-Activity」「Trans-Europe Express」「The Man Machine」の4作品は一般教養で必ず履修ということだろう。
たぶん順番も重要で飛ばして聴いたらダメな予感もするのですが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

| |

« 聴いてない 第231回 パット・ベネター | トップページ | 行ってみた 第59回 大阪・芦屋 »

コメント

SYUNJIさん、こんばんは。

前にも書いたかもしれませんが、名前だけ知っています。レコード・
コレクターズ誌で、テクノ名盤や80年代名盤としてよく
取り上げられるのです。

ですので1曲も聴いたことがありません。さらに、70年代の終わりに
結成されたと思っていましたし、イギリスのバンドだと思って
いたところ、SYUNJIさんの記事で全部間違いであることが
わかりました。

テクノポップと言うことで、やはりYMOとの関係はどうか、気になります。
で、ユーチューブで検索上位にある音源を拾い聞きしてみました。
私の感想としては、ちょっと違う傾向だと思いました。強いて
いうなら、中期YMOの「BGM」や「テクノデリック」あたりが
やや雰囲気が似ているかもしれません。

>>2012年の反原発イベント「NO NUKES2012」では「Radioactivity」

このイベントにはYMOも参加して、公式ライブ盤が出ています。
1曲目がまさに「Radioactivity」のカバーで、高橋ユキヒロ氏が
英語で歌っています。

投稿: モンスリー | 2017.12.04 20:23

モンスリーさん、コメントありがとうございます。

>ですので1曲も聴いたことがありません。

えええ~?そうだったんですか?
きっと主なアルバムはおさえてるのではと思ってましたが・・

>SYUNJIさんの記事で全部間違いであることがわかりました。

いやーそうでしたか。(やや安心)
結成が1967年なんて驚きですよね。
80年代にクラフトワークなんて誰も教えてくれなかったしなぁ。(人のせい)

>私の感想としては、ちょっと違う傾向だと思いました。

なるほど。
どっちも聴いてないんで全然わかってませんが、YMOはクラフトワークに影響は受けたものの、決して類似品ではなかったということですかね。

>このイベントにはYMOも参加して、公式ライブ盤が出ています。

そのようですね。
このイベントにクラフトワークが参加した、というのはネットで見た記憶がかすかにあります。

投稿: SYUNJI | 2017.12.04 21:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 聴いてない 第232回 クラフトワーク:

« 聴いてない 第231回 パット・ベネター | トップページ | 行ってみた 第59回 大阪・芦屋 »