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2017年の終わりに

BLOGを始めてとうとう丸14年が過ぎてしまった。
14年も継続していながら進歩成長前進の実感は全くなく、もうたぶんこの体質のまま死ぬと思う。
何年経っても感覚的には毎年ド素人のままである。

ここまでの記事数は696。
コメントは、自分のものも含めて5403。
トラックバック(死語)は403だが、やはり2017年も1件も来なかった。
迷惑トラックバックすら来なくなって久しいので、この機能にはもう未来はないと思う。
そのうち機能自体がなくなるだろう。

今さらだけど当BLOGの目的は「聴いてなかった音楽を聴いてる人からのアドバイスで聴いてみる」である。
今年その目的にそって聴いてみた音楽は以下のとおり。

聴いてみた 第136回 スティクス
聴いてみた 第137回 エリック・クラプトン その2
聴いてみた 第138回 プリファブ・スプラウト
聴いてみた 第139回 フェイセズ
聴いてみた 第140回 ローリング・ストーンズ その17
聴いてみた 第141回 XTC その3

1年で6回なので全然多くもないが、今年は比較的みなさまのご指導にそって聴いてみたものばかりで、脈絡もなく発作的にユニオンで買っちゃったという例はない。
まあ発作的に聴いたらだいたいは玉砕するので、このポリシーは間違っていないだろう。

しかも今年は「聴いてよかった」と思えた作品が多い。
ストーンズの「Between the Buttons」、フェイセズの「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」、クラプトンの「Slowhand」、スティクスの「The Grand Illusion」がそうだ。
まあいずれも名盤であって今頃聴いて喜んでること自体がポンコツなんでしょうけど。
ポール・マッカートニーやクラプトンの学習もまだ全然途中であり、来年以降も引き続き聴いていかねばならない。

一方の聴いてないシリーズ、さすがに200回を超えてネタも枯れてきており、誰でも聴いてる大スター級の衝撃的発表もあまりなかった(と思う)。
実際聴いてない告白のあとすぐ聴いてみましたという例もなし。

個人的には「遠い」イメージなのが以下のみなさんである。

聴いてない 第222回 アズテック・カメラ
聴いてない 第227回 イギー・ポップ
聴いてない 第232回 クラフトワーク

1曲も聴いてないという当たり前な理由からだが、ホントに名前くらいしか知らないので、ハードルは依然高いままである。
比較は本来無意味なはずだけど、「イギー・ポップを聴いてない」よりは「ボブ・ディランを聴いてない」ほうがやっぱり深刻だと思うし。(どっちも早く聴けよ)

かすかに学習意欲が脳内に漂っているのは以下のアーチストだ。

聴いてない 第226回 ブラインド・メロン
聴いてない 第229回 ハノイ・ロックス

ブラインド・メロンの記事には残念ながら未だコメントがついていないので、題材としてはかなりコアだったかもしれない。

世間ではCDとかアルバムといった概念もじわじわ希薄になりつつあり、中古CD店も次々と閉店している。
さて聴いてみようかと思ったらもうそのCDを手に入れること自体が不可能、なんて事態になるんだろうか。
今さらあわててもしょうがないが、来年もたぶんオロオロしながら学習していくことになるだろう。

というわけで、コメントくださったみなさま、今年1年ありがとうございました。
15年目もよろしくお願いいたします。

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行ってみた 第60回 京都・明石

旅は2日目。
この日は京都方面に行ってみました。
目的地は比叡山のふもと八瀬地区。
京阪で出町柳まで行き、叡山電車に乗って終点八瀬比叡山口を目指します。
比叡山に登るつもりはなく、八瀬周辺の神社や寺で紅葉を見る作戦。
トップシーズンの京都ですが、さすがに八瀬あたりなら東福寺や永観堂みたいに大混雑もしてへんやろと見込んだのでした。
八瀬に行くのは初めてです。

ところが。
叡山電車の出町柳駅に行くと、なんだかホームが大変なことになっています。
叡山電車は途中の宝ヶ池で鞍馬線と本線(八瀬方面)に分岐するのですが、始発の出町柳ですでに八瀬方面行きの電車を待つ長蛇の列ができています。

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駅員のアナウンスによれば40分待ちとのこと。
この日は金曜日でいちおう平日だったのですが、やはり秋の京都は隅々まで人が来ているようです。
甘かった・・・

さすがに40分も待つ気力はありません。
鞍馬線のほうは制限も特になくふつうに乗れるようです。
作戦を変更し、鞍馬線で宝ヶ池の1つ先、八幡前まで行くことにしました。
この駅から徒歩5分くらいのところに三宅八幡宮があります。

鞍馬線にはあっさり乗れました。
叡山電鉄の客さばきは果たして正しいのかよくわかりませんでしたが、八幡前でふつうに降り、三宅八幡宮へ。

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観光客は誰もいません。
主に地元の人が参拝する神社のようです。
それほどハデではないものの、紅葉が楽しめました。

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三宅八幡宮から歩いて5分の三明院(さんみょういん)という真言宗の寺に移動。
少し道がわかりにくくうろうろしましたが、無事到着。
やはり観光客は全くいません。

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ここには多宝塔が建っています。
寺の人に案内されて塔の横の回廊?に立ってみました。
(塔の中には入れませんでした)
さすがに京都タワーや東寺などは見えませんでしたが、塔が崖の上のような場所にあるため眺めがよく爽快です。

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三明院から坂を下りて蓮華寺に行ってみました。
この寺にはけっこう観光客がいます。
寺の中はあちこち見学ができ、紅葉が楽しめる池泉回遊式庭園もあります。
書院から庭を優雅にながめることができ、雰囲気としては詩仙堂や曼殊院に似ていると感じました。

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今年は天候が不順だったようで、モミジの色づきは感覚的には今一つ。
木により葉により色はバラバラで、うなるような赤という状態ではありません。
それでもやはり京都の紅葉は素晴らしいと思います。

蓮華寺から歩いて15分くらいで八瀬比叡山口駅に着きました。
本当はこの駅から蓮華寺・三明院・三宅八幡宮と逆に巡るつもりだったのでした。

駅前には八瀬で最も有名な瑠璃光院という名刹があります。
浄土真宗東本願寺派の寺院ですが、紅葉の時期は特別拝観となります。
事前予約や団体優遇などは受け付けず、とにかく並んで拝観するしかありません。
しかし拝観料が2000円と高い上に混雑していて人の頭しか見えず紅葉をめでる時間もない、というキツい評判を聞いていたので、今回は入るつもりはありませんでした。

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少しだけ近寄ってみると、やはりものすごい行列ができています。
残念でしたがこのまま叡山電車に乗って退散することにしました。

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出町柳に戻り、京阪で三条に移動。
駅前にあった「CHOICE」というオーガニックカフェで昼食。
具沢山キッシュを食べましたが、味はやや薄いものの、健康的なメニューで疲れた体にはよかったです。

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そのまま歩いて青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)に行ってみました。
天台宗の寺院ですが、実はかなり前に一度訪れたことがありました。
・・・訪れたまでは事実ですが、実は中には入っていないという因縁の場所。
国宝の不動明王画(青不動)が公開された時で、ものすごい人出のため入場制限があり夕方入口で長い時間待たされ、寒さのあまり拝観を断念したというヘタレな結果に終わっていたのでした。
今回は全く待たずに堂々の入場。
観光客もそれほど多くはありません。

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境内は思ったより広く、ここも池泉回遊式庭園があります。
今回紅葉はここが一番鮮やかでした。

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大阪に戻り、阪急うめだ本店の12階にある「吹上舎」という和食の店で親子丼を食べました。
阪急は地下食料品売り場には何度も来ていますが、レストランフロアは初めてです。
9階が祝祭広場というイベントスペースになっていて、この日はクリスマスマーケットが催されていました。

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翌日は明石に行ってみました。
明石といえば天文台。
正式には明石市立天文科学館といい、日本の標準時子午線上にある天文科学館です。
灯台のような展望台に大時計がついており、中には原子時計やプラネタリウムもあります。
ここは学生の頃一度来ており、34年ぶりの再訪。

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展望台からは明石海峡大橋や淡路島がよく見えます。

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子午線とは真北から真南までを結ぶ経線で、明石は東経135度の子午線が通っており、科学館内のエレベーターや展望台、また山陽電鉄の人丸前駅のホームにも子午線が引かれています。
東経○○度の線はもちろん日本各地にずばずば通ってますけど、この135度線がなんで重要かというと、日本ではこの135度を太陽が通過する時を正午と定めているからです。
つまり明石では毎日昼の12時に太陽が必ず真南にあるというわけです。

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天文科学館の展望台正面にはでかい時計がついています。
阪神大震災で科学館も激しく揺れてあちこちが壊れ、正面にあった大時計も止まったそうです。
被災の様子や3年後にリニューアルオープンした話は、明石市のサイトに詳しく掲載されています。

天文科学館を出て、市の無料送迎バスに乗って1kmほど離れた明石公園へ移動しました。
普段はそんなサービスはありませんが、たまたまこの日の明石公園ではB-1グランプリが行われており、市役所側で観光客を会場へ誘導していたのでした。

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ところが。
会場についたら予想以上の人出で、どの店にもものすごい行列ができています。
残念ながらB-1グランプリで昼飯を食べることはあきらめ、明石城跡を見学。

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もともと天守閣のない城なので構えは地味ですが、大坂と姫路の間の要衝として江戸幕府は重要視していたようです。
明石城跡も阪神大震災で櫓や石垣が崩れたそうですが、今は修復されてどこが壊れたのかはわからなくなっています。

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明石駅の南にある魚の棚商店街に行ってみました。
地元の人は「うおんたな」と呼ぶ、その名のとおり海産物を扱う店の多い商店街です。
以前から名前は知っており、一度来てみたかった場所でした。

明石といえば明石焼き。
地元では卵焼きというそうですが、関東の人間にはあまりなじみのない食べ物です。
明石焼き専門店が商店街のあちこちにあり、どこも行列。
明石焼きだけだと昼飯にはならないような気がしたので、「喜楽」というたこ料理店で明石焼き定食を食べました。
明石焼きの正しい食べ方になったのかは不明ですが、たこ飯との相性も非常によくおいしかったです。

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明石を出て須磨に移動。
そのまんまの名前の須磨寺(すまでら)があります。

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正式には上野山福祥寺といい、平敦盛の首塚や源義経腰掛の松など、源平ゆかりの古刹でもある真言宗の寺院です。
・・・という案内でしたが、境内は山を含めて非常に広大なので、虚弱観光客の自分は一部だけ脆弱見学。
古刹ということでしたが、八角堂は最近完成したようで真新しく、他にも新しい施設を建設中。
あまり多くありませんでしたが、紅葉もありました。

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夕方大阪に戻り、新幹線で食べる弁当を阪神百貨店で買いました。
水了軒の八角弁当という弁当でふつうにうまかったのですが、帰ってから調べたら、大阪では有名な弁当屋だったのが2010年に倒産し、別の業者が商標権を買い取り「八角弁当」のブランドを守ったという戦いの歴史ある弁当だったのでした。
そんな苦労の積み重なった弁当とは全く知らず、のんきに名古屋あたりで完食してしまいましたが・・

ということで、今回の旅も終了。
京都の紅葉は一日だけでしたが、念願だった芦屋や明石にも行けて満足しました。
次回はまた桜の季節に訪れたいと思います。

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行ってみた 第59回 大阪・芦屋

毎年紅葉の季節になるとインフルエンザのように関西に行きたくなる病に感染するSYUNJIといいます。
昨年は京都嵐山を自転車で観光するという素人くさい企画を立てて痛い目にあいましたので、今年はできるだけ人の少ない隠れた紅葉の名所を徘徊することにしました。
とはいえ人出がホントに少ないかどうかは実際に現地に行ってみるまでわからないのが京都。
悩んだ末に3日間を大阪・京都・神戸方面に分ける行程にしました。(大したことない結論)

問題は3方面の順序です。
初日の天気がいまいちとの予報だったので、屋外観光中心の京都は2日目にして、この日は大阪に設定。
雨が降ったら買い物など屋内で過ごすというおばはん風の作戦を立てました。
でも新幹線で新大阪に着いたら雨はやんでおり、結局幸いなことに関西にいる間は雨には遭いませんでした。

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まず向かったのは難波八阪神社
以前テレビで見たことはありましたが、行くのは初めてです。

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境内に巨大な獅子頭があり、口の中が舞台になっています。
なんかアドベンチャー映画のセットみたいな風景ですが、神社は平安時代にはすでに存在していたそうです。
獅子頭は1974年完成。
全国の神社仏閣で凶を引き当てる凶運の妻も、ここでは見事大吉でした。

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歩いて道頓堀に移動。
大阪はそれなりに来てますが、この界隈はあまり来ない場所です。
大量の外国人観光客に混じってグリコや動くカニ看板を見たりといった今さらな観光をしてみました。

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昼になったので心斎橋でなんか食おうと思い、そば屋に入りました。
・・・新幹線で大阪まで来てなんでそばやねん、という関西方面からのツッコミが聞こえる気がしますけど、なんだかこの時はそばが食いたかったらしいです。
そばよし」という店で、大阪にいくつか店舗を構えるチェーンだそうです。
大幸寺そばという冷たいそばを食べましたが、甘めのダシにごまの香りが効いて非常にうまかったです。
大阪のど真ん中でこんなうまいそばが食えるとは思いませんでした。

午後は芦屋に行ってみました。
日本有数の高級住宅街としてその名をとどろかす芦屋ですが、特に著名な観光地ではありません。
もちろん訪れるのも初めて。
洋菓子のアンリ・シャルパンティエ本店が目的地です。

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全国の百貨店などに店舗がある有名洋菓子店で、ご存じの方も多いと思います。
菓子なら家の近所のデパートにも店があるので買えるのですが、本店にはカフェスペースが併設されており、ここでしか食べられないスイーツがあるとのこと。
以前からアンリの菓子は好きでしたが、いつか本店でスイーツを食べてみたい・・と、じじいのくせにOLみたいなことを考えていたのでした。

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本店は阪神芦屋駅前にあり、予想よりもかなり小さなお店でした。
もっとでかい構えで黒い高級車がどんどん入ってくるような広大な店舗を想像してましたが・・

クレープ・シュゼットとアシェット・ガトーを注文。
・・・サラっと書いてますけど、どっちも意味はわかってません。
クレープ・シュゼットとは?
公式サイト丸写しですが「薄く手焼きをしたクレープを、銅製の片手鍋に入れ、バター、オレンジ果汁、リキュールを用意すると、さあ、炎のパフォーマンスの始まりです。」とのこと。
確かに目の前で店員さんがセットしてフランベまでしてくれます。

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クレープといえば垢抜けない女子高生が観光地とかスーパーの1階にある安っぽい店で食ってるオヤツ、みたいなイメージですけど、アンリのクレープはもはや「食事」の領域です。
バターの風味、オレンジの香りがもう普通ではありません。(ダサい表現)
さすがは芦屋!ここでしか食えない!きぃー!・・と興奮しましたが、後で調べたら銀座のお店でも出してるそうです。

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アシェット・ガトーとは?
好きなケーキ1つとフィナンシェとバニラアイスとフルーツというバラエティなセット。
今回ケーキはモンブランにしてみました。
次回はもうないと思いますけど。
どのスイーツも予想どおりレベルが高く、破壊力抜群です。(ダサい表現)
カフェスペースは席数がそれほど多くないので少し待ちましたが、念願の本店で食べることができてよかったです。

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今回は2泊とも大阪の三井ガーデンホテル大阪プレミア
3年前開業の新しいホテルで、最上階に庭園浴場があります。
大浴場と言えるほど広くはありませんが、部屋のユニットバスに入るよりはくつろげていいと思います。
地下鉄四つ橋線肥後橋駅から少し歩きますが、肥後橋は西梅田の隣なので京都や神戸に行くにも便利でした。

ということで、旅はあと2日続きます。

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聴いてない 第232回 クラフトワーク

元祖テクノポップ、ドイツが誇る偉大なる電子音楽隊クラフトワーク。
全く聴いておりません。
知ってるのはバンド名だけで、メンバーも一人も知らないし、アルバム名やジャケットも記憶にあるものはない。
ドイツやテクノといったキーワードもおぼろげにふまえている程度。
最近までプログレかと思っていたが、そうでもないらしい。
聴いてない度はスクエアに1。

聴いてないバンドやミュージシャンを書く時にはネットで概要を調べるのだが、その都度おのれの無知さ加減やおびただしい勘違いに愕然とすることもしょっちゅうである。
で、今回のクラフトワークも大幅な勘違いが判明。
結成が1970年と知って呆然。
90年代あたりに登場したバンドかと勝手に思ってました・・
モンスリー師匠やぷく先輩との会話でうっかりそんな勘違いを口にしなくて本当に良かった・・(遅い)

70年代末から80年代にかけて、あれほど毎晩勉強もしないでエアチェックに没頭していたのに、クラフトワークの音楽に出会ったことは一度もなかった。
バンドの名前をいつ覚えたのかも不明。
たぶん関東地方では人気がなかったんだろう。(適当)

またFMステーションやミュージックライフといったおなじみの雑誌媒体に、クラフトワーク情報が掲載されていた記憶もない。
なのでチャートにヒット曲をどばどば送り込んだりMTVで凝った映像を披露したり辣腕プロデューサーを招いてチャラい産業ロックにアレンジしたりグルーピーを追いかけまわして窓から裸の女を投げ捨てたりといった展開とは遠いところにいた人たちではないかと思う。

深いダメージを負いながらクラフトワークについてSLシータップを使用して電子的学習。(デタラメ)
ウィキペディアがまた異様に長い・・・

バンドの歴史は1967年に始まる。
西ドイツのクラシック音楽学校でラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが出会い「オルガニザツィオーン」というグループを結成。
若い人の中には昔ドイツが東西に分かれていたことなんか知らない人もいるんだろうね。
おじさんは昔分かれていた西のほうのドイツに行ったことがあるんだよ。

69年にアルバム「トーン・フロート」をイギリスで発表するも全然売れず、70年にバンド名をクラフトワーク(Kraftwerk:ドイツ語読みではクラフトヴェルク)と改め再デビュー。
その後クラウス・ディンガーが加入し、アルバム「クラフトワーク2」「ラルフ&フローリアン」をリリース。
この初期の作品はラルフ自身あまり気に入っておらず、「なかったこと」になっているという話もあるようだが、最近のインタビューでは「そんなことはない」と否定している。

74年にはカール・バルトスとウォルフガング・フルールが参加し、革命的アルバム「Autobahn(アウトバーン)」を発売。
全米チャートは5位、全英チャート4位を記録する大ヒットとなった。(驚愕)
・・・そんなにすごい人たちだったんスか?
確かにこの頃はまだ自分も洋楽なんか聴いてもおらず、柏村武昭の指導が始まるのは5年くらい後の話なんだが、それだけヒットしたならどっかでクラフトワークの情報が入ってきてもよさそうなもんだが・・

さらに75年「Radio-Activity(放射能)」、77年の「Trans-Europe Express(ヨーロッパ特急)」、78年の「The Man Machine(人間解体)」はバンドの黄金期三部作と呼ばれ、「テクノポップ」という新ジャンルを確立することとなる。

しかし。
80年代に入るとジャンル確立とともに多数のフォロワーも世界各地に出現し、また本来他のジャンルで活躍していたアーチストまでがテクノサウンドに傾倒するなど、クラフトワークの独創性にも影響が出始める。
さらに様々な技術革新により、クラフトワークでなくとも先進的なテクノサウンドを作り出すことが可能になっていった。
バンドは81年に「Computer World」、86年には「Electric Cafe」を発表するが、70年代と同様の支持やセールスを再現することはなかった。
87年にヴォルフガング・フリューア、91年にはカール・バルトスが脱退。

ここからの展開もなかなか興味深い。
90年代以降はライブに活動の重心をシフトし、ワールドツアーを行ったりイベントのテーマ音楽を手掛けたりした。
2003年アルバム「Tour de France Soundtracks(ツール・ド・フランス)」をリリース。
2009年にはラルフ・ヒュッターとともにバンド創始者として活動していたフローリアン・シュナイダーが脱退する。

だがバンドは解散せず、ラルフ以外のメンバーを入れ替えながら活動を継続。
2012年の反原発イベント「NO NUKES2012」では「Radioactivity」を日本語で歌い、翌年には来日公演を行い、その翌年にはサマーソニックにも出演するなど、日本とも関わりは深いとのこと。

・・・ということでやはりどれも全く知らない話であった。
ウィキペディアを含むいろいろなサイトを見てみたが、ド素人の自分には難解な文章も多く、バンド像というものはあまりイメージできていない。
ただ、日本も含む世界中のアーチストに多大な影響を与えた・・ということだけはぼんやりとわかった。

日本では70年代末にYMOが登場し、さらにランドセルやP-モデルやヒカシューやプラスチックスといったバンドが続々出現。
テクノポップが街中にウォークマンとともにあふれていたのだが、自分はこれら「J-テクノポップ」(とは誰も呼んでないが)にも全然ふれて来なかった。
YMOはさすがに街でも学校でもいやと言うほど流れていたので、いくつか知ってる曲はあるが、テクノポップ自体には大して興味はなかったのだった。

なので今さら興味も大してなかったテクノポップをクラフトワークでまともに学習できるとも思えないのだが、それでも「Autobahn」くらいは聴いておかねばまずいかなぁ・・とかすかに思っている。
もうほぼガイドラインは判明した形だが、クラフトワークを理解する上で「Autobahn」「Radio-Activity」「Trans-Europe Express」「The Man Machine」の4作品は一般教養で必ず履修ということだろう。
たぶん順番も重要で飛ばして聴いたらダメな予感もするのですが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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