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聴いてみた 第139回 フェイセズ

今日聴いてみたのはフェイセズ。
特に予定もしてなかったのだが、たまたまユニオンに行ってCD見つけたので買ってみました。(失礼)

フェイセズはもちろん聴いてない。
昔借りたロッド・スチュワートのベスト盤にあった「Stay With Me」を知っているくらいで、BLOGで採り上げること自体初めてである。

フェイセズの来歴はストーンズハンブル・パイの学習過程でぼんやりとなぞった程度で、今突然フェイセズ検定を受けてもたぶん不合格である。
取り急ぎ試験前に血眼になってテキストをあちこちめくる往生際の悪いバカ学生のようにフェイセズについて付け焼刃学習。

源流はスモール・フェイセズというバンド。
なぜスモールだったのかというと背の低いメンバーばかりだからとのこと。
主力メンバーのスティーブ・マリオットがスモール・フェイセズから脱退し、ピーター・フランプトンとともにハンブル・パイを結成する。
スモール側に残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズと、ジェフ・ベック・グループを脱退したベタベタ仲良しコンビのロッド・スチュワート、ロン・ウッドが合流。
「クワイエット・メロン」という名で活動を開始するが、ロッドとロンは長身だったので、70年にスモールが取れた新生フェイセズとしてスタート。

フェイセズは4年ほどの期間にコンスタントに4枚のスタジオ盤を発表。
この過程でロッドのシンガーとしての人気がむやみに肥大し、ソロ活動も始めたため、フェイセズは次第にロッドのバックバンド化していき、バンド名も「ロッド・スチュワート&フェイセズ」になる。

バックバンドのメンバーという扱われ方に不満がつのったロニー・レーンは73年に脱退。
その後はベーシストとして日本人の山内テツが加入。
74年にアルバム「ウー・ラ・ラ」を発表するが、ロッドと他のメンバーとの間に軋轢が生じ、またロン・ウッドはストーンズのサポート活動に移ったため、フェイセズは解散する。
・・・フェイセズ概論としてはだいたいこんなところでしょうか。
ほとんど今初めて知った話ばっかですけど。

Faces

今回聴いた「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」はフェイセズとしては3枚目のアルバム。
71年発表で邦題は「馬の耳に念仏」。
原題をそのまま訳したわけではなさそうで、ことわざの意味として同じになってるかはよくわからない。
「猫に小判」とか「豚に真珠」にしなくてよかったとは思うが。(そんなの売れねえよ)

メンバーは以下の面々である。

・ロッド・スチュワート(V)
・ロニー・レーン(B/G/V)
・ロン・ウッド(G)
・イアン・マクレガン(K)
・ケニー・ジョーンズ(D)

プロデューサーはスモール・フェイセズ時代から作品を手掛けてきたグリン・ジョンズ。
ちなみにグリン・ジョンズはスモール・フェイセズを非常に高く評価しており、最近のインタビューでも「非常にエネルギッシュな連中で、アメリカに進出していたらそのうち世界制覇していたかも」と答えている。

そんな名プロデューサー・グリンの協力もあってか、フェイセズの「馬の耳に念仏」も全米チャートでは最高6位、全英では2位を記録した。
セールス的にはフェイセズ最大の歴史的名盤・・だと思うけど、果たして自分の耳には念仏のように聞こえるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Miss Judy's Farm
トップは辛口なブルース・ナンバー。
ロッドの投げやりなボーカル、ノイジーなギター。
終盤テンポアップしてくるところもなんとなくスリリング。

2.You're So Rude
前の曲よりは多少明るい感じで、ロニー・レーンとイアン・マクレガンの作品。
ロニーのボーカルは悪くはないが、声はやはりロッドに比べるとふつうの人。
ガヤガヤしたメロディはどこかストーンズに似ている。

3.Love Lives Here
これもその後のストーンズを思わせるようなバラード。
ロッドのバラードでの魅力もすでに完成されている。
決して歌がうまいとは思えないロッドだが、この声で歌われるとやはりしみじみいいなぁと感じてしまうから不思議だ。

4.Last Orders Please
ロニーの作で歌っているのもロニー。
ウキウキしたリズムにギターが左から、ピアノが右から響く。
ロニーのボーカルも少し砕けた感じ。

5.Stay with Me
フェイセズ最大のヒット曲で、これだけ知っていた。
右から聞こえるきゅいーんというロン・ウッドのギターがいい。
ロッドのボーカルはもちろんだが、エンディングの演奏も見事である。
歌詞はケバい?女を引っかけたチャラい男の適当で情けない叫びを歌ったもので、ロッドのボーカルに似合った内容である。

6.Debris
ロニーの作でメインのボーカルもロニーだが、バックでロッドも歌う。
ロッドが一歩引いてバックをしぶしぶ歌ったとも言われているらしいが、バックにロッドの声はさすがに無理があるように思う。
レベルは小さくともロッドの声は目立つし、ハーモニーも微妙でロニーとの相性もいいとは思えない。

7.Memphis, Tennessee
チャック・ベリーのカバー。
後半の演奏が意外に長く、この曲もラストは徐々にテンポアップ。

8.Too Bad(ひどいもんだよ)
跳ねるようなリズムにロッドのシャウト、ギターの絞り出す音や軽快なピアノが加わる一体感。
ただし歌詞の内容は、下町育ちの若者があこがれの上流階級の人々の集まりに出かけてみたが、拒絶されて追い返されるという悲しいもの。
ロッドとロンの作だが、酒や女を歌うだけでなく、こんな社会派な曲も作っていたんだね。

9.That's All You Need
ラストはさらに躍動感のあるロック。
終始叫び続けるロッド、間奏でばりばり鳴るロンのギター。
後半はキーボードなどいろいろな楽器の音がする。
この曲ではハリー・ファウラーという人がスティール・ドラムを叩いているそうだ。

さて聴き終えた。
楽曲としてはどれも刺激的でいい音がする。
71年発表だが、60年代の古き良きロックを継承したどの曲もおおむね自分の好みに整合しており、ジェフ・ベック・グループのロッドが歌った「Truth」「Beck-Ola」よりも断然いいと感じる。

やはり評価の中心はボーカルだ。
あらためてロッド・スチュワートの魅力が全開である。
ロニー・レーンもそれなりに歌えているが、やや線の細い声でブルースやロックを歌うには少し物足りない感じだ。
ただ物足りないと思うのはすぐそばにロッドがいるからという気の毒な部分もある。

ロニーはフェイセズのリーダーとして曲も作って歌って弾いてマルチに活動していたのだろうが、ロッド・スチュワートという突出した才能を持つボーカリストに歌わせたことで、相対的に評価が下がっていったのではないかと思う。
ロッドとともに同じバンド内で歌う、というのはボーカリストを務めるうえで非常にリスキーだ。
どうしたって比べられてしまうし、ロッド以上に歌でアピールするのは相当きついだろう。

ロッド・スチュワートはソロ転向以降、デュエットでヒットを飛ばした実績はあまりない。
やはりロッドといっしょに歌う、というのは「あんな人と歌ったら全部持っていかれる」無謀な行為だと大半の歌手は考えるからではないだろうか。
なのでこのアルバムも1曲おきにロニーも歌う構成になってるけど、正直「全部ロッドでいいじゃん」と思ってしまう。
意地悪な評価ですけど、もし全曲ロニーが歌っていたら、やはり全米6位はムリだったんじゃないでしょうか。

こうしたパワーバランスを考えればフェイセズ解散もやむなしと思うが、他にもロッドとロニーの音楽性の違いも要因としてあるようだ。
ロッドはロニーよりもブルースに寄った方向を向いており、ロック志向のロニーとのズレも埋めがたい溝になっていったらしい。
このアルバムでは、クレジットではロッドの単独作品はない。
ロッドの手がけた曲は必ずロン・ウッドとの共作になっている。(「Love Lives Here」だけロニーとロッドとロンの3人の共作)
ロニーとロッドはお互いの作る曲をあんまし良いとは思ってなかったのかもしれない・・などと思うとわくわくしますね。(邪道)

フェイセズは何度かイベント的に再結成しているが、結局この時のメンバー全員がそろうことはなかったようだ。
この後公式にフェイセズ再結成にロッド・スチュワートが登場するのは、なんと解散から40年後のことである。
97年にロニー・レーンが亡くなり、2008年頃には残る4人が集まって話合いやサウンドチェックまでしたそうだが、公の場での演奏には至らなかった。
2009年にはロン・ウッド、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの3人が、ビル・ワイマンやシンプリー・レッドのミック・ハックネルとともにステージに立ち演奏を行った。
そして2015年にようやくロッド・スチュワートが参加し、ロン・ウッド、ケニー・ジョーンズとともにフェイセズの再結成パフォーマンスを披露。
「Stay With Me」を含む7曲を演奏したそうだ。

というわけで、フェイセズの「A Nods Is As Good As Wink To A Blind Horse」。
これはかなりよかったです。
フェイセズは同時期に活躍していたストーンズやツェッペリンやザ・フーに比べて地味な印象で全然聴いてきませんでしたが、それは勝手な思い込みだったようです。
他に3枚スタジオ盤があるようなので、近いうちに全部聴いてみようかと思います。

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読んでみた 第52回 文藝別冊「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」

今回読んでみたのは、文藝別冊「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」。
昨年のノーベル文学賞受賞を受けて急ぎ出版されたムックである。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞は日本でもビッグニュースにはなったが、報道のされ方にいろいろ問題があり、受賞そのものとは違うところでも騒動となった。
発端としてはノーベル賞委員会側が受賞の連絡をしても反応のないボブ・ディランに対して「ボブ・ディランは傲慢だ」と表明したことにあった。
これに対してプロアマ問わずディランのファンがネット上で一斉に反応。
「傲慢なのはお前らのほう」「ディランのことを何もわかっていない」「ノーベル賞などにディランが迎合するはずがない」といった論調で委員会側を批判した。

しかし実は委員会側の表明には続きがあり、「ボブ・ディランは傲慢だ。しかしそれが彼というものだ。我々は彼からの連絡を待つ」という内容だった。
「傲慢だ」と「傲慢だがそれがディランだ」では意味合いがかなり違う。
委員会側の「ノーベル賞くれてやる」姿勢にはやはり問題はあるが、ボブ・ディランをなんにもわかっていないトンチンカンな集団というわけでもなさそうな話であった。
こうなると「傲慢だ」の部分だけ切り取って記事にしたマスコミの責任が大きい。

その後ようやく出されたディランの返事が思いがけず「素直にうれしい」「授賞式には行けたら行く」など受賞をわりと喜んでいるものだったため、過剰に反応してしまった自称「ディランをわかっている」人たちはさらに混乱。
結局授賞式は都合がつかず欠席し、スピーチも代読を依頼。
ここでも「栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄」「キップリング、トーマス・マン、パール・バックなど偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄」と表明。
少なくとも受賞を拒否したり無視したりはしておらず、ファンが期待していた?傲慢なディランではなかったようだ。
ファンであることにもそれなりの力量が問われるボブ・ディラン、ということだけは自分にもわかった。

上記の騒動は置いておくとしても、受賞をきっかけにマーケット的に様々な動きがあることは簡単に予想できた。
なんと言ってもボブ・ディラン+ノーベル文学賞である。
スタン・ハンセンがブロディをおんぶして花道に登場したようなものだ。(だいぶ違う)
当然音楽業界や出版業界にとっては大きなビジネスチャンスである。
なのでこの本の出版も企画や書き手の確保やページ構成やレイアウトや面付や出張校正やお弁当手配やカプセルホテルなど、とにかく大急ぎで進められたはずだ。
そんな版元の苦労にもらい泣きしながら読んでみることにした。(大ウソ)

Dylan

・・・・・読んでみた。

版元はおなじみ河出書房新社、192ページ、定価1404円。
書名の「マイ・バック・ページズ」は曲のタイトルから取られたもの。
目次は以下である。

<総論>菅野ヘッケル:だれもディランのように歌えない
<特別対談>保坂和志×湯浅学:ディラン談義
<インタビュー>
ピーター・バラカン:ボブ・ディランが開いた扉
中川五郎:正しく理解された受賞者
田中宗一郎:因果律を断ち切り、こんがらがった男
 
<エッセイ>
磯崎憲一郎:全ての芸術家の導き
坪内祐三:ボブ・ディランは『廃墟を見る人』だ、と片岡義男は言った
森達也:生きる反語としてのディラン
樋口泰人:巨大なモニターの前の小さな人
 
<論考>
四方田犬彦:道化が泥棒に
西崎憲:表徴としてのディラン
近藤康太郎:歌う人類史
マニュエル・ヤン:ラディカル・サイド・オブ・ボブ・ディラン
石川忠司:ディランのプロソディ
 
<アメリカ文学史の中で>
小澤英実:ホイットマン、ギンズバーグ、ディラン
波戸岡景太:ディランの声と文学の距離
長澤唯史:不幸な変り者の系譜
 
アルバムガイド 1962→2016

予想どおり全般的に誠実にディランを語る文章が大半で、論評とインタビューとアルバムガイドという普通の構成である。
テーマは特に歌詞に寄ったものだけではなく、書き手全員がそれぞれの得意分野である様々な主題でディランを評している。
対象がディランだからなのか、ノーベル賞という付加情報がそうさせるのかは不明だが、堅実でまじめな文章が多い。
ノーベル文学賞という栄誉やイベントの方から掘り下げた文章はあまりなく、ニュース性に引っ張られずに落ち着いて語っている印象。
時間的制約が多い中での編集だったであろうからムリだとは思うが、もう少し騒動の顛末や委員会側の主張の詳細なども書いてあったらよかったのにと感じた。

自分はディランを全然聴いていないので評価はできないが、少なくとも情報の品質としてはおそらくは非常にレベルの高い内容であると思う。
なにしろディランなので、うっかりぬるい評論や間違った情報を載せてしまうと炎上は必至である。
編集側も緊張しながら進行したであろう。
歌詞に言及する部分も多いので、正直ほとんど理解できないような文章が多い。
今回はディラン本だが、たぶん村上春樹本でも同じ状況が起こるはずである。

当然ディラン(とその曲)を愛する基本姿勢はどの著者にも共通しており、ニルヴァーナ本にあったような批判的な文章や発言はあまりない。
またディラン愛が過ぎるあまり他のアーチストを小バカにしたり独善的な論調を延々展開したりといった「ハナにつく」文章もなかった。(ツェッペリン本だとよくある)

読む前から予想できて、やっぱり書いてあったのが「受賞を伝えるマスコミのレベルの低さ」である。
磯崎憲一郎は「受賞を報じる新聞や雑誌に掲載された小説家や評論家のコメントは酷かった、読むに堪えなかった。」と嘆き、「現代の吟遊詩人」「ロックを芸術にまで高めた」という新聞におどるダサい表現を批判している。
また湯浅学は対談の中で「代表曲が「風に吹かれて」となったらテレビ全体がそうなっちゃって」と嘆き、聞き手の「象徴派やビートとの関わりも報道では見かけないですよね」という問いに「常識ないのかお前ら、と思う」とテレビの平易で浅すぎる報道を切り捨てている。

ボブ・ディランをある程度学習していれば、「現代の吟遊詩人」「フォークの神様」「アメリカを代表するシンガーソングライター」といったアオリは恥ずかしすぎて使えないはずだが、大新聞でもこうした表現は堂々と掲載されていて、そうした程度の低い記事に辟易する、ということだろう。
気持ちはわかるが、日本のマスコミ(特に大新聞)なんてそんなもんだと思う。(偉そう)

比較的わかりやすいと感じたのが田中宗一郎のインタビュー記事である。
ディランの音楽性の変遷と自らのディラン鑑賞歴とをうまく対比させながら、ディランの変化ぶりを的確?に説明している。

「ある種の身体的な反射神経みたいなものですり抜けながらやってきた唯一のアーティスト」
「ボブ・ディランのキャリアというのは、常に自分が築き上げてきたものをぶち壊しにする」
「デヴィッド・ボウイのように常に変化していくというよりは、ひとつ前のキャリアを台無しにする」

・・的確とか書きましたが、ディラン聴いてないので当たってるのかどうかは自分にはわかんないんスけど、説明は非常にわかりやすいです。
この解説を頼りにディラン学習を進めてみたい気持ちになった。

アルバムガイドも特にこきおろしたり駄作と決めつけたりといった陽一風の尖った評論はなく、懇切丁寧な解説で初心者にはありがたい内容である。

本を読んでこの記事を書いている間に、ディランの受賞記念講演をノーベル財団がWEB上に公開した。
映像はなく、ロサンゼルスで録音されたという27分間の音声のみ。
作曲を始めるきっかけとして、子供の頃学校で学んだホメロスの叙事詩「オデュッセイア」やレマルクの「西部戦線異状なし」などの文学作品がある、ということを説明しているそうだ。
このニュースは「報道ステーション」で知ったのだが、小川アナは「話し言葉の中でも韻を踏んでいるように聞こえるところがあった」と言っていた。

ディランは文学賞を受賞してから、果たして自分の曲は文学なのか?と自問自答したそうだが、「歌は読まれるのではなく、歌われることを意図してつくられている」と語っており、本の上で読まれる文学とは異なる、という結論に至ったようである。
ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞を27分も語った貴重な記録なので、近いうちにこの音声を全文和訳掲載した本が出版される予感がする。
なお今回の音声でも、受賞拒否とか返上といった傲慢な反応はしていない。

初めて知ったのだが、受賞の賞金を手にするには、期限内に受賞に関する講演を行うことが条件とのこと。
まあ受賞を無視するようなヤツにはお金やらないからな、という理屈なんだろうけど、こういう点はやはり財団・委員会側が傲慢な感じはするよなぁ。

本の中では、上述の田中宗一郎は「もらうものはもらうが、だからといって何も変わらない」と判断している。
一方ジャーナリストの森達也は、受賞のニュースを聞いた時、ディランは拒否するのではないかとも思っていたようで、「言葉を失っていた?嘘つけ。絶対にそんなタマじゃない。」と、受賞を素直に喜ぶディランを想像できなかったらしい。
同じように思ったファンもきっと多いはずだが、今のところ田中宗一郎の推測が当たっているようだ。
今後もおそらく受賞の喜びを歌にしたりノーベル賞を皮肉った曲を作ったりはしないと思われる。

というわけで、「ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ」。
正直内容面ではレベルが高すぎてついていけませんでしたが、今後ディラン鑑賞の教科書としては確実に役に立つ本だと感じました。
いつになるかはわかりませんが、アルバムを選ぶ時には参考にしたいと思います。

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