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聴いてない 第225回 アトランタ・リズム・セクション

ロックにも様々なカテゴリーがあるが、ふと気がつくと全くなじんでいないのがサザン・ロックという分野である。
もちろんメタルもプログレもキャンディポップも全然なじんでないのは同じだが、ことサザン・ロックに関しては基礎知識すら大貧弱である。
レイナード・スキナードやスティーブ・ミラー・バンドなどが該当する、ということくらいしか知らず、曲も全然聴いていない。

そんな中唐突に名前を思い出したアトランタ・リズム・セクション。
サザン・ロックに所属するということも今回初めて知った。
なぜ名前を知っているかというと、実は1曲だけ聴いているからだ。
それは81年の「Alien」だが、例によって柏村武昭の紹介でエアチェックしている。
なおこの曲と同時に録音したのはキッスの「エルダーの戦士」、ポリスの「Every Little Thing She Does Is Magic」など。

ただし柏村武昭は曲紹介はしたがバンドの経歴や秘密などは一切明かしていない。
・・・と思うのだが、あの番組はとにかく「トークを入れずに曲だけ録音する」という前提で必死にポーズボタンに手をかけて聴いていたので、柏村武昭がバンドの経歴などしゃべってたとしてもたぶん「いいから早く曲かけろよ!」とラジオを凝視していて、話の中身なんか覚えていないんだろうとも思う。
もともと誠実に曲だけを流しトークをかぶせないという寡黙なDJによる番組(そうか?)だったので、アトランタ・リズム・セクションに限らずどのアーチストでも情報発信は少なかったが。
なのでこのバンドについても、人数構成やキャリアやメンバーの名前なども全く知らない。

「Alien」はどこかAORの香りただようオトナなナンバーである。
他の曲にはさまれて録音されたので消すこともできず、そのまま聴いてきたという状態。
この曲以外にアトランタ・リズム・セクションをFMで聴いたことはたぶんない。
おそらくは日本での人気はそれほどでもなかったものと思われる。

録音してから35年以上(!)の歳月が流れているが、遅まきながらアトランタ・リズム・セクションについて調べてみた。(手遅れ)
今回もある程度覚悟はしていたが、やはりウィキペディアの日本語説明は見当たらない。
あちこち掘り起こして集めた情報をまとめると以下のような感じである。

アトランタ・リズム・セクションは名前のとおりジョージア州アトランタで結成・・と思ったら、厳密にはアトランタのそばにあるドラヴィルという街で結成されたようだ。
「江戸川リズム隊」と名乗っているが実は市川で結成、みたいなもんだろうか。
ちなみにアトランタと言えば当時からあのブッチャーのホームタウンであり、現在もブッチャーはアトランタにバーベキューレストランを持っているそうだ。
あ、もういいですか?こういう情報は・・・

で、アトランタ・リズム・セクション。
60年代に活躍していたクラシックスIVというバンドが源流と言われる。
クラシックスにいたギターのJ.R.コッブ、そのプロデューサーであるバディ・ビューイが地元アトランタのお友達を勧誘して結成。
他のメンバーはロニー・ハモンド(Vo)、バリー・ベイリー(G)、ディーン・ドートリー(K)、ロバート・ニックス(D)、ポール・ゴダード(B)。
バディ・ビューイはメンバーではないが、曲作りやマネージャーやプロデューサーなど裏方としてバンドを支えた人物。

72年にバンド名をタイトルにしたアルバム「Atlanta Rhythm Section」でデビュー。
しばらくは骨太なサザン・ロックを主体としていたが、徐々にソフトな路線に変更。
76年「So In to You」が全米7位を記録し、アルバム「A Rock And Roll Alternative」(邦題:ロックンロール魂)も大ヒット。
78年には「Imaginary Lover」がまたも全米7位となり、「I'm Not Gonna Bother Me Tonight」も14位のヒットとなった。
バンドの最盛期はこの頃と言われているようだ。

79年には「Do It Or Die」「Spooky」がヒットするが、ドラムのロバート・ニックスが脱退。
81年にアルバム「Quinella」(邦題:アトランタ・フィーリング)を発表。
この中に自分が聴いた「Alien」が収録されている。
柏村武昭もレコード会社一押しの新曲としてオンエアしたのだろう。
結果的にはこの「Alien」が全米チャート100位以内の最後のヒット曲となる。(最高29位)

その後アルバム発表の間隔は徐々に開いていき、2000以降オリジナルスタジオ盤はリリースしていないが、活動は継続しているようだ。
2012年にロバート・ニックスが、2014年にはポール・ゴダードが亡くなっている。
今のオリジナルメンバーはディーン・ドートリーだけとのこと。

ということでやっぱりどれも全部初めて知った話であった。(もう誰も驚かない)
歴代のアルバムジャケットを見てみたが、見覚えのある絵はひとつもなかった。

唯一聴いた「Alien」はもちろん地球外生物の話ではなく、居場所のない孤独な男を歌ったものだそうだ。
サウンドはキーボード主体でそれほど盛り上がりもなく落ち着いたメロディ。
悪くはないが、当時も今も振り向くような感情の高ぶりは特にない。
どこか同時期のドゥービー・ブラザーズのような音がするように思う。

学習要領としては、まずはサザン・ロックのセンターにあるオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードを聴いて概要を学び、その後応用編としてアトランタ・リズム・セクションや38スペシャルなどに広げていく、というのが正しいと思われる。
・・・とは思ったものの、今回突然アトランタ・リズム・セクションを思い出してしまったので、取り急ぎ皆様の鑑賞履歴や感想を教えていただけたらと思います。

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行ってみた 第56回 裏磐梯・栃木

味噌田楽を食べたあと会津若松の街を散策しようと店を出たとたん、ゲリラ豪雨並みの大雨。
しばらく市街をうろうろしましたが、気温も低く止む気配もないので、この日の宿である猫魔に早めに移動することにしました。
猫魔までは磐梯ゴールドラインという観光道路を通って1時間程度。

Goldline1

ゴールドラインのあちこちにまだ雪が残っていました。

Goldline2

Goldline3

残雪は路面ではなく通行に影響はなかったのですが、5月に雪を見るというのは新鮮な体験です。
以前も連休に長野から富山に抜ける安房峠を越えた時に残雪を見たことがありますが、雪の量は今回のほうが多い気がしました。
ただし雪自体は泥だらけであまり美しい光景ではありませんでしたが・・

Hibarako

途中桧原湖にも寄ってみましたが、小雨のなか観光客はほとんどおらず、土産物屋も4時くらいで店じまいの準備を始めていました。
近くに五色沼という美しい観光ポイントもあるのですが、先月の東寺見学の悲劇が脳裏をかすめ(大げさ)、この寒さの中散策する気力はもうありませんでした。(虚弱)

この日の宿は裏磐梯レイクリゾート
以前は「裏磐梯猫魔ホテル」で、名前は変わりましたが10年前にも泊まったホテルです。

Dinner1

連休谷間の平日だったので満室ではなく、食堂も大浴場もかなり余裕がありました。
最近日本中の観光地で当たり前に見かける外国人観光客もそれほどいません。
食事は夜も朝もバイキングでしたが、ここのバイキングはかなりレベルが高いです。
具体的に「これがうまい」と特定できませんが、地方のホテルにありがちな味の落ちる雑なバイキングではなく、種類も多くどのメニューも非常にいい味です。
こういう時少食はつくづく不利。

Hotel

翌朝は逆襲の晴天。(意味不明)
キレ気味にホテルを出て、名家(みょうけ)というところに行ってみました。

Myouke1

特に観光物件があるわけでもない場所ですが、猪苗代観光協会のサイトでも桜の名所として紹介されており、桜は文字通りムダにきれい。
秋元発電所のわきに桜が固まって咲いています。

Myouke2

見ている人は誰もいません。
小さな広場のような場所ですが、公園のように整備されているわけでもなく、ベンチも看板もない微妙なスペース。
日によってはイベントなどあるのかもしれませんが、いずれにしてももったいない咲きっぷりです。

Myouke3

地元の人は前の晩から場所取りでブルーシートを敷いて新入社員を置き去りにしたり会社の名前をスプレーで大書きしたりといった下品なことはしないんだろうなぁ。
誰もいない美しい桜並木を眺めながら、そんな腐敗した感想を思い浮かべました。

Kamegajo1

猪苗代町の亀ヶ城跡に移動。
会津若松の鶴ヶ城に対して亀ヶ城というそうですが、戊辰戦争により建物は焼失して残っておらず、跡地が公園になっています。
ここも桜がたくさん咲いていました。

Kamegajo2

Kamegajo3

この桜も見事です。
城跡なので小高い丘のようになっており、桜のむこうに磐梯山を望める絶景スポット。

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やはりこの日は人がおらず、地元民が数人散歩したりカメラを構えるだけ。
あああもったいない。(貧乏性)
公園入口では翌日からの祭りの準備が始まっていたので、祭り開催中はもっとにぎやかなのでしょう。

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続いて磐梯山の山腹にある天鏡台という場所に行ってみました。

Tenkyodai2

Tenkyodai3

山から猪苗代の街と湖が見渡せる展望ポイントで、ここにも桜が並んでいますが、亀ヶ城より標高が高く、まだ一本も咲いてませんでした。
車で20分程度のわずかな移動でこうも風景が違うものかと驚かされました。
後で調べたら、ここの桜は八重桜でそもそもの開花が遅い品種のようです。

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東北道のサービスエリアで昼飯を食べ、途中で高速を下りて蔵の街栃木市へ。
ここも6年前に来たことがあります。
6年前に閉店した福田屋百貨店は、建物はそのままで中身は1階が東武百貨店で2階から上が市役所庁舎になっていました。

Totigi2

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連休中は市街地を流れる巴波川の上にそよぐたくさんのこいのぼりを見ることができます。
偶然舟に乗った新婚さんを見かけました。
地域の伝統的な慣習というほど堅苦しい雰囲気ではなさそうで、新郎新婦は川を眺める人々に手を振っていました。

というわけで、福島桜の旅も終了。
今年に限ったことだったかもしれませんが、連休中にこれだけの桜を見ることができて非常によかったです。
自分は旅は好きだが人混みが苦手というバチあたりな観光客ですが、どこに行っても連休中でありながら人出の少なさが非常にありがたかったです。
ただしそれは福島の観光客数はまだ震災前のレベルには戻っておらず、地元の人々にとってはまだ厳しい状況にある、ということだと思われます。
いずれにしても、こうして福島県を訪れることで自分も少しでも復興に貢献できたらと思いました。
次回は桜以外の季節にまた訪れてみたいと思います。

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行ってみた 第55回 猪苗代・会津若松・喜多方

先月京都にて桜は満開だけど雨と寒さでやや厳しい旅を経験したわたくしですが、懲りずにゴールデンウィークは福島に出かけることにしました。
福島に行くのは10年ぶりで、震災以降初めてです。
実は3年前の連休に行く予定で会津に宿も予約したのですが、出かける2日前に猛烈な下痢に襲われ、2つの宿予約をキャンセルし、あえなく旅行を断念したという経緯があります。

すでに連休前時点で桜前線は弘前あたりまで達していたので、正直福島県でのお花見はもうそれほど期待はしていませんでした。
場所や種類により咲いてたらラッキーくらいの感じで5日前くらいに会津若松と猫魔に宿を予約。
福島県内の桜開花情報は日々確認していましたが、大半の名所がすでに散った後。
わずかに残る標高の高い場所をチェックしました。

まず向かったのは猪苗代町の観音寺川沿いの桜並木。

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猪苗代湖の北東岸に位置します。
下流側のあまり広くない駐車場は思ったより混雑していましたが、ほとんどが地元の人たちで県外からの観光客はあまりいないようでした。

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ここの桜はとにかくやたらにきれいでした。
天気も良く風もおだやかで、雪の残る磐梯山をバックに咲きほこる光景は観光ポスターか絵葉書のようです。
目黒川のように混雑しておらず、車も入ってこないし、傾斜があるため流れが速く水がきれいです。
何より場所取りブルーシートやカラオケや酔客といった下品なものが存在しません。
屋台はいくつか出ていますが、ありがちな大音量の演歌や若者のヘタクソなバンド演奏などもなく、みなさんなごやかに花見を楽しんでいます。

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つくづくこうしたスタイルは理想的だと感じます。
地元の方に混じって屋台でおにぎりを買い、満開の桜の下で幸せなひとときを過ごしました。
もちろんこうした地域密着の桜名所は他にもあるとは思いますが、旅の最初の目的地をここに選んで正解でした。

湖から峠を降りて会津若松市内へ。
鶴ヶ城に行ってみました。

Turugajo1

観音寺川から車で1時間もかからない距離ですが、標高が違うためソメイヨシノは全て散っており、八重桜やしだれ桜が少し咲いている状態。

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鶴ヶ城も10年ぶりですが、記憶はほとんどありません。
最近幕末に関する興味が少しだけわいており、関連本をいくつか読んでいますが、そうした歴史的背景をふまえて城に入るとやはり見え方が変わってきます。
会津の人は今も山口や鹿児島に対して複雑な思いを抱いていると言われますが、松平容保の境遇や白虎隊の悲劇を知ってしまうと、それも致し方ないとも思います。

続いて喜多方に行ってみました。
喜多方と言えばラーメンと蔵の街。
・・・なのですが、実は喜多方も二度目ですが会津若松以上に記憶がありません。
ラーメンを食ったかどうかすらあやふや。
今回の目的は桜です。

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喜多方の桜並木と聞いて「ああーあそこね」とすぐ反応できる人もそれほど多くないのではないでしょうか。
日中線記念自転車歩行者道という、かつて線路があった2kmほどの場所を歩道にして、しだれ桜の並木を作っている場所があるのです。
「喜多方さくらまつり」ののぼりはありましたが、地味さ加減では観音寺川以上でした。
桜が若干盛りを過ぎたせいもあるのかもしれませんが、酔客はおろか屋台も出ておらず、人もあまりいません。

Kitakata3

この日は日曜でネットでも「駐車場は大混雑が予想される」などといったアオリがあったのですが、全然余裕。(しかも駐車場は無料)
散り始めとはいえ、延々続くしだれ桜の並木は圧倒的な美しさ。
これ都内だったら間違いなくブルーシートと演歌とテキヤとよっぱらいの大集合になるはずです。
贅沢な花見となりました。

Kitakata4

この日は会津若松に泊まる予定だったので、桜を見ただけで喜多方をあとにしました。
ラーメンや蔵を一切堪能することなく喜多方を出るというデタラメな観光。
・・・まあラーメンと蔵に興味が全くないわけでもないのですが、翌日は雨予報だったのでこの日のうちに桜をできるだけ見ておきたかったのです。

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夕飯は会津若松の「田季野」というわっぱ飯で有名な店に行きました。
この店は以前も来たことがあり、店構えや部屋の中の記憶もわりと残っていました。
古いせいか店内は照明がやや暗いのですが、そこがまたいい雰囲気。
10年ぶりのわっぱ飯はやはり感動的なうまさでした。

翌朝は予報どおり雨。
終日雨予報のため、花見をはずした観光を画策しました。
まず大内宿に行ってみました。
山あいに茅葺き屋根の家が並ぶ、最近むやみに有名になった宿場町です。

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大内宿は初めてです。
会津若松から車で1時間弱の距離ですが、連休谷間の平日で雨も降っていて気温も低いせいか、観光客はあまりいませんでした。

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会津は10年ぶりでしたが、10年前には大内宿の存在すら知りませんでした。
外国人も含めて人気のスポットとなったのは間違いなくここ数年の話です。
うわさ通りの時代劇のセットのような風景。
大内宿といえば箸の代わりにネギで食う「ねぎそば」が名物ですが、まだ早い時間だったので食べませんでした。

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大内宿から車で20分くらいのところにある「塔のへつり」という奇岩観光ポイントに寄りました。
ここは20年以上前ですが一度来たことがあります。

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川岸の崖が流れによって浸食され覆道のような形になっており、岩がえぐられた部分を歩くことができるのですが、柵もなく川に落ちそうなところもあります。
高所恐怖症の人にはキツイ観光名所ですが、自分はバカなのでこういうスリリングな場所が大好きです。
ただ地震か災害の影響でしょうか、以前に比べて歩ける部分がかなり制限されていた気がしました。

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会津若松に戻る途中、会津鉄道の湯野上温泉駅に立ち寄りました。
ここもまだ桜が満開。
駅の横には足湯もあります。

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Yunokami4

小さな駅舎は観光客でいっぱい。
列車が駅に入ってくると、大小さまざまなカメラを構えたおっさん達が競ってシャッターを切っていました。
桜と列車と田舎の駅舎は確かに被写体としてはレベルが高いです。
来るまで全く知りませんでしたが、鉄道界ではわりと有名な撮影ポイントのようでした。

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昼は会津若松の満田屋へ。
味噌田楽の有名店で、ここにも10年前にも来ています。
やはり街中にはあまり人がいないのに、この店は混んでいました。

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久しぶりに食べる田楽はやはりうまいです。
実は味噌田楽はそれほど好みでもないのですが、ここ満田屋の田楽は別格です。

旅はあと一日半続きます。

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聴いてみた 第138回 プリファブ・スプラウト

連休終了で日本中のサラリーマンが憂鬱になっている本日、聴いてみたのはプリファブ・スプラウトのセカンドアルバム「Steve McQueen」。
全英で2位を記録した大ヒットアルバムである。
・・・のだが、プリファブ・スプラウト、実は名前しか知らない。
そもそもなぜ名前だけ知っているのか不明だが、このトシになるまで一度も聴いたことがなかった。
東郷かおる子が当時推してたのかもわからないが、少なくとも柏村武昭が曲紹介をした記憶は一切ない。
アズテック・カメラもそうだが、どんなジャンルなのかもメンバーが何人いるのかも知らない。
今回はネオアコというキーワードを頼りにモンスリー師匠の指導のもと聴くことになったのだ。

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プリファブ・スプラウトは1982年にデビューしたイギリスのバンドである。
「Steve McQueen」は85年発表なので、自分にとってはリアルタイムで聴いていて当然の時代のはず。
82年と言えばカルチャー・クラブやエイジアが登場し、85年はa-haダイアー・ストレイツがチャートをにぎわせていた頃だ。
「We Are The World」も85年だし、ハニー・ドリッパーズが流行ったのも同じ年である。
毎晩サルのようにエアチェックに没頭していたのに、なぜプリファブ・スプラウトは聴いてないのか明確には説明できないが、おそらくはデュランやカルチャー・クラブやa-haに比べてFMオンエア頻度や雑誌などの掲載量が少なかったものと思われる。

メンバーは以下のみなさんである。
パディ・マクアルーン(Vo・G)
マーティン・マクアルーン(B)=パディの実弟
ウェンディ・スミス(Vo・G・K)
マイケル・サーモン(D)

のちにドラムはマイケル・サーモンからニール・コンティに変わり、今回の「Steve McQueen」ではニールが叩いているそうだ。

パディ&マーティンのマクアルーン兄弟を中心に77年頃に結成。
構成としてはウェンディだけが女性なのだが、プリテンダーズブロンディとは違い、女性ボーカルが男どもを牽引というスタイルではない。

前述のとおり82年にデビューし、84年に最初のアルバム「Swoon」を発表。
パンクロックが下火になりつつあった中で、80年代特有の大衆迎合的なチャラい音楽とは異なり、さらにはプログレやネオアコなどとも一線を画すという複雑な音楽性を持っていたそうだ。
・・・よくわからないけどネオアコというくくりにはまっただけの存在ではない、ということで合ってますかね?
で、ネオアコという言葉で検索すると同じようによく登場するのがアズテック・カメラだが、プリファブ・スプラウトとは接点や交流はほとんどないらしい。
仲悪かったんスかね?

85年にトーマス・ドルビーをプロデューサーに起用し「Steve McQueen」を発表。
・・・実はトーマス・ドルビーも名前しか知らない。
トーマスさんについても少し調べたので後述します。

バンドにとっては2枚目のアルバムだが、前作とは雰囲気が相当違うそうだ。
このあたりはトーマス・ドルビーのもたらした効果も大きいらしい。
日本ではこれがデビュー作で、このアルバムからプリファブ・スプラウトを知った日本の少年少女も多いと思われる。
タイトルの語源はもちろん俳優スティーブ・マックイーンだが、ジャケットもマックイーン主演映画の「大脱走」をイメージしている。

このアルバムからは「When Love Breaks Down」を含む4枚のシングルが生まれており、いずれもヒットしたそうだ。
・・・本当か?そんな状況の中、柏村武昭は何をしていたのだろうか?
ちなみに当時アルバムの日本語表記は「プレファブ・スプラウト」だったとのこと。
日本語読み風に「プレハブ・スプラウト」としなくてよかったと思う。

88年には「From Langley Park To Memphis」(邦題:ラングレー・パークからの挨拶状)をリリース。
このアルバムにはスティービー・ワンダーピート・タウンゼンドも参加。
シングル「The King of Rock 'N' Roll」が全英7位を記録するヒットとなる。

ここからプリファブ・スプラウトは全盛期を迎え、89年に「Protest Songs」、90年「Jordan: The Comeback」と3年間毎年アルバム発表という多忙な日々を送る。
いずれのアルバムでもトーマス・ドルビーがプロデューサーとして活躍しており、パディは全面的にトーマスを信頼していたようだ。

92年にベスト盤「A Life Of Surprises」を発表。
これまたイギリスでは大ヒットで全英3位を記録するが、その後ニール・コンティが脱退。
2001年にはウェンディ・スミスも出産を機に脱退する。

バンドとしてはほぼパディのソロユニットっぽくなってはいるがその後も継続しており、2013年の「Crimson/Red」が最新作である。
なおこの作品、発表前に曲順の異なるデモ音源がネット上に流出するという事件で話題を呼んだとのこと。
流出は関係者によるものかファンの仕業か明らかにはなっていないらしい。
パディは目や耳の難病を患い、苦労も多いがミュージシャンをやめてはいないそうだ。

毎回台本どおりの展開に辟易するが、終始全部一貫して知らない話であった。
事前学習に少し時間を取られたが、とにかく聴いてみることにした。

・・・・・聴いてみた。

1. Faron Young
2. Bonny
3. Appetite
4. When Love Breaks Down
5. Goodbye Lucille
6. Hallelujah
7. Moving The River
8. Horsin' Around
9. Desire As
10. Blueberry Pies
11. When The Angels

うーん・・・
うーん・・・・
うーん・・・・・

長いこと腐れ音楽BLOGを続けてきたが、文字で感想を表すのにここまで苦労した音楽はあまりない気がする。
ネガティブな感想は特にわいてこないし、聴きづらいとか難しいといった形容も当てはまらない。
似ているバンドも思いつかないが、突出して個性的な音が向正面からやって来るわけでもない。

ネオアコというキーワードについては、このアルバムにはあまり関係ないようだ。
少なくともアコースティックなナンバーはないし、比較的全編ポップなサウンドである。
しかしながら産業ロックのレシピに従った音の重ねやコーラスやアレンジといった技も希薄だ。
多少霧っぽい曇ったサウンドの造りを感じるが、当時全盛だったアンチ渋谷な音楽とは次元が違うところで勝負している気がする。

なのでどの曲にも「なんじゃこの音は?」「げぇー変な音楽」という疑問や不快感は一切ない。
・・・のだが、どの曲にも「おお」とか「へぇ」とか「いいね!」といったSNSっぽい感性の盛り上がりも全く感じない。
拒絶感はないけど、おそらく好みの音ではないのだろう。
この感覚はイーグルスを聴いた時のものに近い。
3回ほど聴いてみたが、まだ定着の予感は全然ない。
駅を降りて遠くにある新緑が美しい山を目指してしばらく歩いたが、いっこうに登山口に近づく感じがしない、というところだろうか。(伝わらない)

モンスリー師匠からの情報では、「Amazanのリスナーレビューの評価がすごく高い」とのことであったが、聴いたあと見てみたら確かに絶賛レビューが多い。
まあ総じてAmazanのレビューはどんなアーチストでも熱い評価が多いとは思うが、大半の人が星5つを付けているのはやはり驚きである。
あと「聴き込むほどに良さがわかる」といった意見も多いので、自分みたいに3回くらいでうなっているようではまだ学習が足りないのだろう。

ちなみに名前しか知らなかったトーマス・ドルビーだが、今回調べてみたら驚きの経歴が続出。
いえ、驚いてるのは自分だけでこんな話はどれも鉄板なんでしょうけど。
もともとトーマスさんはキーボード・プレイヤーで、あのブルース・ウーリー・アンド・ザ・カメラ・クラブにも在籍したことがあり、フォリナーの「Urgent」「Waiting for a Girl like You」のシンセサイザーもトーマスの演奏とのこと。
そうなんだ・・・全然知らなかった・・・

交流はデビッド・ボウイジョニ・ミッチェルデフ・レパードやロジャー・ウォーターズから坂本龍一まで非常に顔の幅広い人物である。
日本では「She Blinded Me With Science(彼女はサイエンス)」という妙な邦題の曲が有名らしい。(当然聴いてない)
92年の「Close But No Cigar(シガーにご用心)」というこれまた妙な邦題の曲ではエドワード・ヴァン・ヘイレンがギターで参加。
こういう情報だけだと産業ロック側のヒトという判定をされてもおかしくはない気もする。
渋谷陽一はトーマス・ドルビーをどう評価しているのだろうか?(どうでもいい話だが。)

というわけで、プリファブ・スプラウト。
パンクやプログレほどの困難さはなかったものの、残念ながら正直思ったよりも自分の好みからは遠い音楽でした。
もっと若い時に聴いていれば違った評価になっていた可能性も高いですが・・・
前作「Swoon」はかなり作風が異なるそうなので、期会があれば聴き比べてみようかと思います。

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