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聴いてみた 第134回 ポール・マッカートニー

今日聴いてみたのはポール・マッカートニーのソロアルバム「McCartney」。
吉祥寺のパルコで開催された中古CDフェアで見つけて1488円で購入。
開催と言えば壮大な感じだが、買った時に場内にいた客は自分だけだった。
もうCDなんて中古でも売れない時代になってることを痛感。
なお自分が買ったのは1995年に発売された再発版である。

Mccartney

さて。
「McCartney」は1970年に発表されたポール初のソロアルバムであることは、ファンなら誰でも知っている。
しかし発表に至った経緯は、ビートルズ後追い世代である自分は今回ネットで調べてみて知ったことも多い。
大まかには以下のようだ。

69年9月:アップル社で行われたレコード会社との契約会議の席で、ジョンがビートルズ脱退の意志表明。(表沙汰にはならず)
69年末まで:ジョン脱退宣言のショックで、ポールがスコットランドに引きこもる。
69年末:持ち直したポール、ロンドンの自宅でソロアルバム用の録音開始。
70年2月:ポール、アビー・ロード・スタジオで「Every Night」「Maybe I'm Amazed」などを録音。
70年3月:ビートルズの「Let It Be」、リンゴのソロ、ポールのソロの発売順序を巡ってポールがアラン・クレインともめるが、結局リンゴのソロ→ポールのソロ→「Let It be」の発売順で落ち着く。
70年3月27日:リンゴのソロアルバム「Sentimental Journey」発売。
70年4月10日:ポール、マスコミ向けサンプル版でビートルズ脱退表明。すぐに新聞で報道される。
70年4月17日:「McCartney」発売。(アメリカでは20日、日本では6月25日)
70年5月8日:「Let It be」発売。(アメリカでは18日、日本では6月5日)

この流れで見ると、一般のファンはポール脱退をニュースで知り、さらにソロアルバム発表を知ってあわててレコード買う、ということになる。
どこまでがポールの意志によるものなのかわからないが、脱退宣言をソロアルバムのセールスに利用した、と見られるのもしょうがないタイミングだ。
実際この後長きにわたってポールは「ビートルズを解散させた男」として非難されることになり、この動きはジョンやジョージの不信を買うことにもなった。
メンバーもファンもレコード会社も事務所も大混乱の中で発表されたのが「McCartney」ということのようだ。

結果的にはジョンがこのポールのソロを作る動機になったと言える。
ジョンはビートルズ在籍中でありながらヨーコとともに独自の活動をすでに始めていて、ライブもやり始めていた。
ジョンの脱退意志を知らなかったポールは、ライブを始めたジョンに期待を寄せて「じゃあまた小さなクラブでギグでもどう?」と持ちかけたが、ジョンの回答は「オマエ何言うてんねん、オレもうビートルズやめたいんや」くらいにつれないものだったのだ。
ポールはショックで田舎に引きこもり、リンダの励ましによって蘇生する、というドラマな展開。
仮定は全く無意味だが、もしジョンがポールのライブ提案にもう少しゆるい回答をしていたら、ポールのソロアルバム誕生はもっと後になっていたのだろう。

これは全く自分の個人的な戯言なので「もっと勉強しましょう」とかのお説教はご遠慮願いたいけど、最初に脱退表明したのはジョンだったが、ジョンはもしかするとどこかで「ポール、オレは抜けるけどバンドはよろしく頼む」と思っていたのではないだろうか。
ポールがいればビートルズはなんとかなるだろうし、機会があればまた戻ってもいいし・・くらいに思っていたら、予想以上にポールが深刻に受け止めちゃって、ジョンより先に脱退宣言が表面化。
確かめる術はもうないけど、このあたりのズレが騒動を大きくしたんじゃないかなぁ・・などと勝手に思います。

いずれにしても「あのポール・マッカートニーがビートルズを脱退して初のソロアルバムを発表!」って、これ以上ないくらいのアオリであることは間違いない。
もし当時ネットがあったらYahooニュースでもダントツのトップニュースだったはずだ。
当時のナウいヤングの千々に乱れる心に思いをはせながら聴いてみることにしました。
果たしてポールはどんな音楽をファンに届けていたのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Lovely Linda
この曲は聴いたことがある・・と思ったらベスト盤にもあったことをすっかり忘れていた。
初のソロアルバムのスタートを飾るにふさわしい・・とも思えない、鼻歌のような小曲。

2. That Would Be Something(きっと何かが待っている)
これも同じフレーズを繰り返す実験曲。
シンバルは印象的だが、リハーサルっぽい感じがする。

3. Valentine Day
タイトルとあまり合っていない、やや辛口のブルース調インストナンバー。

4. Every Night
これもベスト盤収録だった。
おだやかなメロディで悪くない。
ベスト盤に入れたということは、ポール自身も気に入っていたのだろう。

5. Hot as Sun(燃ゆる太陽の如く)/Glasses
メドレーとなっているが、元は別々だった3曲をつなげたらしい。
いずれも短いのでどこが本来の切れ目なのかよくわからない。

6. Junk
この曲はかなり前から知っており、ビートルズを聴き始めた時に同時にテープに録音したことがある。
歌詞は物置に置かれたガラクタを擬人化しており、哀愁ただよう旋律とエンディングが好きだ。
ビートルズとしてインド滞在中に作った曲で、アンソロジーにも収録されている。

7. Man We Was Lonely(男はとっても寂しいもの)
リンダが参加した最初の曲。
あまり調和がとれている印象はないけど、ポールは楽しそうに歌っている。
ここまでの曲の中では一番丁寧に作り込まれているように聞こえる。

8. Oo You
ブルース基調のロック。
メロディはあまり明るくないのでそれほど楽しくはないが、ポールの趣味がにじみ出ている。

9. Momma Miss America
これもインストナンバー。
ドラムのサウンドは「Don't Pass Me By」なんかにも似ている。

10. Teddy Boy
アンソロジーにも収録されているので、メロディは覚えていた。
ベースが意外によく聞こえる。

11. Singalong Junk
「Junk」のインスト・カラオケ版。
ただし音や構成は全く同じではなく別テイクだそうだ。
確かにエンディングも違う。

12. Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)
唯一力のこもったシャウトを聴かせる、「Oh! Darling」にも似た完成度の高い曲である。
この後のアルバムにもこの路線の曲が時々出てくるので、ポールの得意技のひとつだろう。
フェードアウトで終わるのだが、もう少し豪快にラストを迎えてもいいように思う。
なおこの曲はアビー・ロードにあったEMIスタジオで録音されたそうだが、ポールは他のメンバーに知られないよう偽名を使ってスタジオ予約をしていたとのこと。
当時バンドはそこまでめんどくさい状況にあったということだが、悲しい話だ。

13. Kreen-Akrore
ラストはまたインストで、しかもプログレっぽい不思議なサウンドと構成。
動物の鳴き声や息づかいなどの効果音も入っている。
後半はこの効果音とドラムだけで、最後にまた思い出したようにギターが鳴る。
タイトルはブラジルのジャングルで暮らす原住民のことらしい。
うーん・・この曲はこのアルバムに必要だったのだろうか・・

聴き終えた。
知っている曲は「Junk」だけだと思っていたが、他にも聴いたことがある曲がいくつかあった。

全曲ポール作、演奏も全てポール。
このため作り込みは粗く、音もなんとなく曇っていてデモ盤みたいな感じがする。
曲のあちこちに末期ビートルズにもありそうな音が散りばめられている。
実際ビートルズ時代に作ったり録音しておいたりした曲もあるので、当然ではあるが。

全体的にはゆるく静かな調子の曲が多く、ビートルズ時代に得意としていたロックナンバーや物語調の楽しい楽曲はそれほど多くない。
インストが5曲もあり、やや間に合わせっぽい印象。
ラストの「Kreen-Akrore」もインストだがどこか散漫で、聴き終えた時の達成感は全然ない。
このあたりアルバムとしての組み立てとかバランスへの配慮は、ビートルズのアルバムとは比較にならないようだ。
ジョージ・マーティンもいないしね。

この後ポールはもう1枚のソロを経てウィングスを結成し、ワールドクラスのヒット曲や名盤を量産していくのである。
なのでこのソロアルバムは相対的に低い評価にならざるを得ないのが、多くのファンに共通することではないだろうか。
実際自分も繰り返し聴いてみてもそれほど大きな感動はわいてこない。

やはりこのアルバム、音楽として楽曲や歌声や演奏だけを純粋に鑑賞するのではなく、当時の状況や背景をふまえ、ポールの心情や決意、ジョンとの関係などをくみ取りながら聴くのが正しい姿勢であろう。
アルバムの付加価値もまさにそこにある。
全く同じ楽曲と構成だったとしても、もしビートルズが順調でその合間にポールが気まぐれに作ってみました的ソロアルバムだったら、セールスも評価も全然違ったものになっていたと思う。

ジャケットはリンダが撮影したドレンチェリーの写真。
ポールとリンダがカリブ海の島でバカンスを楽しんだ時、野鳥のために低い壁の上面にドレンチェリーを置いていたのを撮影した写真とのこと。
・・・ドレンチェリーって何?
調べたらお菓子の材料で、さくらんぼの種をとって砂糖漬けにして赤く着色したもの、だそうです。
あっそう・・・なんか醤油やイクラの宣伝ポスターみたいだと思ってたんですけど、そういうものだったんスね・・・

ということで、「McCartney」。
正直なところ音楽として聴いてよかった感はあまりありませんでした。
ただ周辺事情もいろいろ調べてみて聴いたことはよかったと思います。
解散前後のビートルズやポール・マッカートニーの一般教養として学習すべき教材であることは間違いありません。
残る70年代の作品も早いうちに学習しようと思います。

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観てみた ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK

相変わらず映画を全然観ないあたしですが、そのモノグサ野郎(←表現ダサすぎ)を動かす力を持った作品が日本にも上陸しました。
「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」。
ビートルズのライブを中心に構成されたドキュメンタリー映画です。

Eight_days_a_week

監督は「アポロ13」「ダ・ヴィンチ・コード」「ビューティフル・マインド」などの名作で知られるロン・ハワード。
・・・というのは受け売りで、実はどの作品も全然観ていません。
ウィキペディアで監督作品を調べたら、かろうじて86年の「ガン・ホー」を観たことがありました。

さて自分が観たのはTOHOシネマズ六本木。
ここで映画を観るのは初めてです。
新宿で観るつもりでしたが、ネットでチケット販売状況を見たらすでに完売。
やむを得ずなじみのない街である六本木に方向転換。
結果的にはこれが正解で、平日夕方の上映でしたが、客の入りは半分程度。
自分の左右と後ろには誰も来ませんでした。

これより先、映画の内容にふれる記述となりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

・・・・・観てみた。

Beatles_2

基本的な構成はコンサート映像と、当時の記者会見の模様、メンバーおよび関係者の回想。
さらにライブ周辺の様々な混乱と騒動を採り上げた記録映像の切り取り、映画撮影の話やスタジオ内の画像と音声などを織り交ぜて紹介。
ドキュメンタリーの手法としてはわりと普通で、話はおおむね時系列に沿って進行します。

とにかくビートルズがいかにすごかったか、そして彼らに夢中になった世界中の若者がいかに多かったか、行く先々で起こる騒動と鎮圧の状況がいかにすごかったか、の連続です。
ハンブルグでの修業時代、リバプールの熱狂、ブライアン・エプスタインによる統率とプロモーション、チャート制覇、アメリカ進出、キリスト発言騒動、映画制作と興行失敗、スタジオへの回帰・・
短いカットですが、プレスリーやモハメド・アリとの交流シーンもありました。
映像も50年前のものなので凝ったカメラワークなども少なく、企画としては極めてシンプルな造りです。

教科書どおりの進行ですが、この映画の基本はライブ演奏です。
リンゴも言ってましたが、やはりビートルズは世界で一番ライブがうまいバンドだったことを再認識させられる映像が続きます。
サービス精神も旺盛で、あるライブではステージの後ろ側の客にもよく見えるように?、途中でドラムやアンプの位置を180度回転させて再び演奏、なんてことをやっていました。

ただし。
確かに当時の騒動のすごさは伝わりますが、初めて知るようなエピソードはそれほど多くありませんでした。
ややエラそうな表現になりますが、過去に見た映像や本で得た情報を再確認していくといった感じです。
だからといって中身が退屈であるとか物足りないといったことではもちろんなく、なんつうか予定通り安心して見ていられる内容です。
昔観ていた懐かしいテレビ番組の再放送を久しぶりに楽しむような感覚。

当時の映像と音声は、いずれも処理によりクリアな品質になっているようです。
もっとも元の映像や音声と比べる手段がないので、自分のような素人には「ああ美しくなったなぁ」と実感するようなことはなく、ふつうの映画を観ているのと同じ印象でしかありません。
このあたりは今後DVDやブルーレイになった時に確認できるものなのでしょう。

当然存命であるポールとリンゴの回想が多いですが、ジョンとジョージも当時の混乱ぶりを語るシーンがあります。
ジョンの回想は解散前後の頃と思われますが、ジョージはもっと後の時代のインタビューが使われていました。
回想する人たちの中には当時のツアー同行記者やローディ担当者のほか、ウーピー・ゴールドバーグやシガニー・ウィーバーなどの女優、また作家・映画監督もいました。
各々がビートルズの公演について思い出を語るのですが、ウーピー・ゴールドバーグは今なおテンションが高く、またシガニー・ウィーバーは今も感動のあまり泣きそうな表情で、二人とも純粋に夢見る少女ファンのままです。
ミュージシャンではエルビス・コステロが登場し、「ラバー・ソウル」での音楽性の変わりように最初聴いた時は受け入れがたかったことを正直に述べていました。

ビートルズ来日に関する映像もありました。
日本公演のステージ映像の他、飛行機から降りてくるシーンや、武道館使用に反対する圧力団体、会場やホテルが厳戒態勢となったところなど、よく知られた来日時の映像が紹介されました。
ここで日本人回想者として写真家の浅井慎平氏が登場します。
ただ、浅井氏の感想はあまり頭に入ってきませんでした。
浅井氏自身も興奮したり熱狂したりはあったとは思うのですが、なぜ日本の若者までもがこれほど熱狂するのかがよくわからなかったようで、今も混乱しているように聞こえました。

よく知られているとおり、世界中どこでもあまりにも熱狂する観客のため、ステージ上ではお互いの楽器の音や歌も聞こえない状況に、メンバーは次第に嫌気がさしてきます。
またジョンのキリスト発言によりアメリカでは排斥運動が起こり、ビートルズのレコードを割ったり燃やしたりするイベントまで行われる事態に発展。
身の危険を感じたメンバーはますますライブへの意欲を失い、スタジオでの創作活動や映画撮影にシフトしていきます。

そして4人による最後のライブ演奏となった伝説のルーフトップ・セッション。
この映画では「Don't Let Me Down」「I've Got a Feeling」が採り上げられていました。
あらためて見るとジョンもポールも解散寸前のバンドとは思えないほど楽しそうな表情です。
残念ながら「Get Back」はなく、ジョンの「これでオーディションには受かっていればいいけど」という名セリフも出てきませんでした。

今ひとつ盛り上がりが足りないような感じでしたが、エンドロールが流れ始めました。
そしてファンクラブ向けに作られたクリスマス用レコードの音声が流れます。
ジョン、ポール、リンゴ、ジョージの順で、ファンに向けてクリスマスメッセージ。
エンドロールが終わりに近づく頃、出口に近い席から数人が早くも立ち上がり、階段を降りていきました。
自分は出口から一番遠い列に座っていたので、場内が明るくなるまで待つつもりでした。

ところが。
エンドロールが流れ切っても客席が明るくなりません。
なんか引っ張るなぁ・・しばらく余韻に浸れってことかな?などと思っていたら、スクリーンにまた映像が映り始めました。
実はここから第2部のような形で、1965年のニューヨーク・シェイ・スタジアムでのライブが始まったのでした。

意外な展開にちょっとびっくり。
いや、意外と思ったのは自分だけで、大半の人は落ち着いていたと思いますが。
さっき出ていった人たち、まだ映画は終わってないことに気づいていないんじゃないだろうか?
自分はたまたま奥にいたので立ち上がりませんでしたが、もし出口に一番近い席だったら、周りの人の雰囲気に押されて真っ先に出てしまった可能性が高いと思います。
「続いてシェイ・スタジアムのライブ映像をお楽しみください」くらいの案内があってもよかったのでは・・・
第1部終了で出ていってしまった人たちは、第2部開始後結構経ってから戻ってきたようでした。

第2部は純粋に当時のライブを収録したもので、スタジオ風景や関係者回想は一切なし。
狂乱するファンの大歓声の中、4人は誠実に演奏していきます。
これもあちこちで指摘されていることですが、明らかに日本武道館よりも4人のテンションは高いです。
ただし日本公演とアメリカ公演でどちらがメンバーのやる気が高かったのかは、いろいろな意見があるようです。
メンバーは狂乱するアメリカのファンに嫌気がさした、という話も、日本の観客が大人しすぎて受け入れてもらえなかったのかと不安になった、という話も聞いたことがありますが、どちらが真実なのかはメンバー本人たちにしかわからないんでしょうね。

MCではジョンもポールも「みんな聞こえる?」とたずねますが、観衆はそれには反応せず、みんな好き勝手に叫んでいます。
すでに第1部でも何度も出てくるシーンですが、気を失って運ばれる若い女性ファンが続出。
客席からグラウンドに降りて走り回るファンと必死に制止する警備員を見たジョンがMCの途中で「おおお~あれ見ろよ大丈夫か?」みたいなことを言いますが、やはり観衆にはあまり届いていないようでした。

ステージの下で、冷静な表情で場内やメンバーを見つめるブライアン・エプスタインが映ります。
大きな夢だったアメリカでの公演の成功に満足げな様子。
エプスタインこの時31歳。
そんな若さでこんなでかい仕事を成功させることができたんですね。

実はその昔テレビでこの伝説のシェイ・スタジアムの映像を見たことがあります。
1978年日本テレビで放送のビートルズの特番で、解説は大竹しのぶ。
調べたら「木曜スペシャル ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送」という番組でした。
番組のメインはもちろん日本公演ですが、その前にシェイ・スタジアムの映像も一部紹介されたのです。

ただ、どうも細かい部分で自分の記憶と少し違う部分があるような気がしました。
ラストは「I'm Down」でしたが、ジョンがキーボードを離れる最後のシーンは、自分の記憶よりも淡泊で「あれ?」と思いました。
ジョンの演奏のラストはもっとハチャメチャだったように記憶しています。
ビートルズは66年にも同じくシェイ・スタジアムでライブを行っているので、自分が昔見たのはこの映画とは別の映像だったかもしれませんし、音声だけ別の日のものだった可能性もあります。
また当時はシェイ・スタジアムではなく「シェア・スタジアム」と紹介されていました。
自分よりも上の世代の方々なら「シェア・スタジアム」のほうがしっくりくることでしょう。

第2部は30分ほどだったと思いますが、無事終了。
曲目は以下のとおり。

Twist and Shout
I Feel Fine
Dizzy Miss Lizzy
Ticket to Ride
Act Naturally
Can't Buy Me Love
Baby's In Black
A Hard Day's Night
Help!
I'm Down

第1部で終了だと思っていたので、なんか得した気分。(貧乏人)
今度こそ本当に終了で客席が明るくなりました。

ライブ映像ではあるものの、どこまでが本当の当時の映像と音声のままなのかは自分にはあまりよくわかりません。
それでもビートルズが世界一の水準にあったライブバンドということはよくわかります。
ビートルズ出現以降ポピュラー・ミュージックは50年間で様々な拡張を遂げ、ビートルズと同じくらいに世界中の若者を熱狂させるミュージシャンは出てきていないと思います。
何を今さらな感想ですけど、楽曲の美しさ・楽しさももちろんありますが、やはり4人の歌と演奏の調和がとにかく取れていると感じました。

自分の前の列には、当時まさに熱狂していたとおぼしき4人組の元若者男女が座っていました。
すでに足元もおぼつかない方もおられましたが、みなスクリーンの演奏や楽曲に合わせて体を揺らし、ジョンやポールのジョークに笑ったり、画面を指さして何か小声で話したりしています。
この方々にはおそらくリアルタイムでのビートルズ熱狂体験があり、すぐ後ろで見ている自分にはそれがありません。
やはり原体験のある人たちとは、この映画の楽しさの本質が違うのです。
そんなの当たり前のことで、言ってどうにかなるものでもないのですが、この「うらやましい」「引け目を感じる」感覚は、映画を観ている間中ずうっと消えませんでした。
まあ逆さに言うと、自分も生きてる間にこうした音楽や映像に出会えてよかったんだとも思います。

というわけで、「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK」。
鑑賞前からある程度予想はしてましたが、やはり良かったです。
もちろんDVDで観てもきっと良かったはずでしょうけど、大きなスクリーンで先輩方とともに鑑賞させていただいた、という記憶は一生残るものです。
これからもこうしてもっと貴重な記録が発掘・公開されればいいなと思いました。

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やってない 第38回 徹夜

子供はあまりやらないと思われる徹夜。
オトナになって頻繁にやるようになってしまった人もいるかもしれないが、自分は全然やってません。

徹夜の定義は人によって異なるかもしれないが、基本的には夜を通り越して朝まで起きて活動する、というあたりと考える。
まずは労働の話から。
夜中に働く人や、消防・医療機関など夜勤や緊急対応の多い職業は別として、我々昼型サラリーマンにとっては徹夜仕事は非常事態である。
で、わりと長いこと昼型サラリーマンやってるけど、徹夜仕事をしたことは実は一度もない。
深夜2時くらいまでイヤイヤ働いて、その後赤坂のカプセルに泊まったり錦糸町のサウナで仮眠したりはあるが、朝まで寝ずに働いたことはない。

理由は簡単で徹夜する体力も根性も意欲もないからである。
出版社なので担当によっては誤植とか版ズレとか台割間違えとか刷り直しとか菓子折りとか始末書とか謝罪とかで徹夜を強いられたヤツもいるとは思うが、自分は幸いにしてそうした経験はない。

印刷物は作ってしまうと訂正できないので、社内ではなく印刷会社の中でギリギリまで最後の校正を行うことはふつうにある。
出張校正と呼ばれ、大きな印刷会社だと専門の部屋まであったりする。
版元によっては社内より印刷会社の校正部屋にいる時間のほうが明らかに長い、なんて社員もいるだろう。
自分も出張校正の経験はあるが、それが徹夜になるほど長時間に及んだ、ということはない。
この時点で業界の人であれば「こいつ大した仕事してねえな」と気づくだろう。(←誰でもわかる)

冒頭で述べたとおり、そもそも徹夜は非常事態だ。
ふつうなら帰って寝るか飲み屋にいるような時間帯に、まだ労働せねばならない状態。
ところが。
どこの会社にも徹夜がけっこう好きな人間がいると思われる。
自分のようなナマケモノから言わせれば「ようしみんなで徹夜して仕上げるぞぅ!」といった掛け声は正直迷惑でしかない。

業務や職種にもよるとは思うが、徹夜仕事なんてやらせる会社も喜んでやる社員も問題。
徹夜せざるを得なくなった時点で、工程管理の責任者や会社自体の不手際なのだ。
回避策を事前にとっておくとか、他の手段を考えることが重要であり、安易に徹夜を選択すべきではないのは当然である。(←何様)

あとイヤなのが徹夜した後の「間違った達成感」だ。
そもそも徹夜しないで終わっていないといけない話なのに、徹夜になるとなぜか終わった時に異様な高揚感・達成感。
これがクセモノで、間違った達成感にとらわれるので、徹夜せざるを得なくなったことについて反省しなくなる。
「全員寝ないで朝を迎えた時は本当に感動しました」などというのは大きな勘違いで危険である。

それでも不可抗力的に徹夜を強いられる事態になることはあるだろう。
自分に非はなくても上司がポンコツだったり部下がアホウで大ミスしたり業者が思いっきり使えなくて仕様と全然違うものをよこしたりで納期に間に合わない・・なんてのはよく聞く話だ。(寒気)
その時は業務進行優先で徹夜するとしても、再発防止や常態化防止に努めるのが重要。
昼型サラリーマンが徹夜でできる仕事なんてたかが知れている。
どのみち長続きしないしね。

とまあいろいろ文句を書いてはみたが、要は平常時から勤労意欲が低いだけなのだ。
仕事ができないヤツが並べるゴタクの典型のようですいません・・・
学生の頃に徹夜のアルバイトを週1で2年続けたことがあるが、当時のほうが明らかに労働意欲は高かったなぁ。

仕事以外での徹夜も基本的にはしない。
夜通し飲んだり夜中に登山してご来光拝んだり朝まで踊ろうなんてのはしたことがないし、正月だって初詣に行くのはだいたい1月3日以降にのんびり出かけるので、神社の参拝行列に並んで新年を迎えるなんてのはやったことがない。
若い頃に友人と旅先で麻雀したことがあったが、やっぱり夜中には寝てましたね。

こんなじじい体質なので、最近(でもないか?)の子供たちの夜行活動には驚くばかりである。
今や中学生の間でも「オールする」なんて言い方がふつうに浸透しているそうで、早く寝ろよと言いたくなる。
そういや子供の頃もオールナイト・ニッポンを最後まで聴いたこともなかった・・

というわけで、徹夜。
もちろん自分は今後も極力避けながら生きていくのは間違いなさそうですが、みなさんはどれくらい徹夜してますか?
輝かしい栄光の徹夜体験や最長最大の徹夜仕事など、教えていただけたらと思います。

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