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聴いてない 第219回 ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック

若干出遅れた感もありますが、SMAP解散報道に揺れる日本。
ファンの中には政府筋に働きかけて解散を阻止しようとする人たちもいるとのことですが、騒動の大きさや拡張範囲に驚くばかりです。
そんな騒動の中、海の向こうではこういう男性アイドルグループってのは存在するのだろうか・・と考えて思い当たったのが、今回採り上げるニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
ここでワン・ダイレクションとか言えないのが中高年むき出しですけど。

そんなムキ身のアイドルグループ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
長い名前なんで以下NKOTBと表記しましょう・・と思ったら、グループの歴史の中で本当に「NKOTB」という名前で活動した時期もあったとのこと。
ややこしくて中高年にはついていけない状況ですが、とりあえず先に進む。
急げ!時間はあと101。(←誰もわからない)

ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、聴いてない度は3。
と言っても聴いたことがあるのは「Step By Step」「Tonight」の2曲だけ。
これらは柏村武昭プレゼンツではなく、MTVだったと思う。
ただし映像は全然覚えておらず、またアルバムは当然聴いてない。
なお個人的につい混同してしまうのがバックストリート・ボーイズだ。
このグループはニュー・キッズよりも後で登場したと記憶している。 

2曲は聴いたけど、そもそも何人組なのかすら知らない。
ということで残暑厳しいさなかニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックについて地味にブロック調査。(意味不明)

グループはボストン出身のドニー・ウォルバーグを中心とする5人で結成された。
他のメンバーはダニー・ウッド、ジョー・マッキンタイア、ジョーダンとジョナサンのナイト兄弟。
結成にあたってドニーらを発掘したのがプロデューサーのモーリス・スターである。
モーリスはボビー・ブラウンもメンバーだった人気グループ、ニュー・エディションの白人版を作ろうと考え、メンバーを集めた。

結成当時はナヌークというグループ名だったが、デビュー前に改名。
1986年4月にグループと同じ名前のデビューアルバム「New Kids On The Block」を発表。
しかし少年によるラップという路線がそれほど受けなかったのか売れ行きはいまいちで全米チャート25位止まり。
 
グループはめげずに88年にポップ・ロックにシフトした2作目「Hangin' Tough」をリリース。
シングル「Please Don't Go Girl・・」「You Got It (The Right Stuff)」「I'll Be Loving You (Forever)」「Hangin' Tough」もヒットし、じわじわと人気が上昇。

そして90年のアルバム「Step By Step」が大ヒット。
シングル「Step By Step」は全米1位、「Tonight」も7位を記録。
自分はちょうどこの2曲だけ聴いたことになる。
「Step By Step」はいかにもナウいヤングなノリのいい曲だが、「Tonight」はどこかビートルズティアーズ・フォー・フィアーズを思わせる雰囲気のあるサウンド。
こんな曲もあるんだ・・と少し驚いたことを覚えている。

絶頂をむかえたグループだったが、好事魔多し(死語?)。
人気上昇の一方で黒人層からは不評だったり、モーリス・スターが実は借金まみれだったことが発覚したり、ドニーが放火容疑で捕まったり、スタッフによる口パク暴露(メンバーは否定)といった暗い話題が続いたのだった。
グループは一時活動停止状態となる。

ドニーは本格的に音楽に向き合い独自路線を歩むことを決意。
モーリス・スターとも決別し、グループ名を「NKOTB」と改め、94年にアルバム「Face The Music」をリリースする。
しかし路線変更が裏目に出たのか、チャート上位に食い込むこともかなわず、セールス的には惨敗。
グループは解散となり、基本的な歴史はここでいったん終了している。

その後ドニーは俳優に転身。
「シックス・センス」「ドリーム・キャッチャー」「デッド・サイレンス」などの映画に出演した。
ちなみに弟のマーク・ウォルバーグは映画「テッド」の主演俳優である。

2008年再結成し、アルバム「「The Block」を発表。
2011年から12年にかけてバックストリート・ボーイズとのジョイントライブを行い、2013年にはアルバム「10」をリリースするなど、活動は継続中。

というわけで、例によって何一つ知らない話ばかり。
現在も活動中というのも驚きだが、アイドルグループのパイオニアとしてバックストリート・ボーイズやワン・ダイレクションからも慕われているそうだ。
あっそう・・・全然知りませんでした・・・

アメリカでも男性アイドルグループが長期間にわたって人気を維持しつつ活動し続けるのは難しいようだ。
メンバーが中年になっても「○○キッズ」「○○ボーイズ」でもないだろうし。
そういう意味では今も現役で活動中であること自体が、やはりパイオニア的存在なのかもしれないスね。

さて音楽作品だが、現在までスタジオ盤アルバム8枚が発表されている。
やはり聴くとすれば90年の「Step By Step」であろう。
前述のとおり「Tonight」は不思議な曲だが悪くないと思う。
もっともこちらもすっかり中高年なので、全盤追っかけむさぼり鑑賞という意欲も全然ありませんけど。

というわけで、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック。
おそらくは聴いておられたのは女性のほうが多いのではないかと思いますが、皆様の鑑賞履歴はいかがでしたでしょうか?

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聴いてない 第218回 ジョン・デンバー

誰でも全く聴いていないジャンルはあると思うが、自分の場合カントリーはとにかく壊滅的である。
まあジャズもクラシックもフュージョンもシャンソンも同様に壊滅的ではあるが、カントリーも徹底して聴いていない。
テイラー・スウィフトが実はカントリーの人と知ったのもつい最近である。
そのカントリー界で、こんな自分でも名前を知っている数少ない歌手、それがジョン・デンバーである。

ジョン・デンバー、唯一聴いているのはド定番の「Take Me Home, Country Roads」。
邦題は「故郷へ帰りたい」だが、日本でも「カントリー・ロード」と認識してる人が多いと思う。
オリビア・ニュートン・ジョンがカバーしたことでも知られる名曲である。

唐突に思い出したジョン・デンバー、ネットで朴訥にざっくり調べた経歴は以下のとおり。
ジョン・デンバーは1943年ニューメキシコ州生まれ。
本名ヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフ・ジュニアという長い名前。
父親ヘンリーは空軍のパイロットで、いわゆる転勤族であり、ヘンリー坊やも全米各地を転々として過ごしたそうだ。
一時家族は日本にも住んでいたことがあり、弟ロンは日本で生まれている。

若きジョン・デンバー、ヘンリー君はハイスクール時代に音楽活動に没頭するようになる。
しかしやはり父親は息子をパイロットにしたがって親子衝突というありがちな展開に。
ヘンリー君はいちおう軍の採用試験も受けてみるが、近視のため不採用となった。
その後は建築家を目指して工学系大学に進学するが、音楽活動もやめることはできなかった。

60年代前半にあるオーディションに合格し、ロサンゼルスで歌い始める。
この頃芸名であるジョン・デンバーを名乗り、ミッチェル・トリオというフォークバンドでボーカルをつとめた。
なお芸名デンバーはコロラド州にある都市名からとったものだ。
ジョン・コロラドだと語感がいまいちな気がするので、デンバーさんで正解だったんじゃないだろうか。

その後ジョン・デンバー作の「Leaving on a Jet Plane(悲しみのジェット・プレーン)」をピーター・ポール&マリーが大ヒットさせ、69年に見事全米1位を獲得。
71年には友人たちとの共作「Take Me Home, Country Roads」がミリオン・セラーを記録。
全米のみならず世界的なヒットとなり、ジョン・デンバーはカントリー歌手として不動の地位を確立する。

その後「Rocky Mountain High」「I'd Rather Be A Cowboy(さすらいのカウボーイ)」「Sunshine on My Shoulders(太陽を背にうけて)」「Annie's Song(緑の風のアニー)」などの名曲を世に出し続け、全米を代表するカントリー歌手として活動。

一方でテレビドラマシリーズ「警部マクロード」に出演し、俳優業も始める。
「Oh, God!」「「The Christmas Gift」「The Leftovers」「Foxfire」などの映画にも登場し高い評価を得た。

だが。
80年代以降、全米チャートはキラキラなダンスやチャラいポップ中心となり、ジョン・デンバーの曲が上位に登場することはほとんどなくなった。
この頃からジョン・デンバーは反戦や環境保護活動に力を注いだり、スペース・シャトルの民間人搭乗計画に協力するなど、社会奉仕的慈善活動が多くなっていく。
大統領になるにはどうしたらいいか、ということを真剣に考えていた時期もあったらしい。
ミュージシャンとしてもソ連や中国でアメリカ人歌手として初めてツアーを行い、活躍の場を世界中に広げていった。

しかしながらアメリカ音楽市場においては大スターだった頃のセールスをあげることはかなわず、アルバムは出すものの商業的には非常に厳しい結果となることが続いた。
悲しいことに私生活も乱れ始め、病気になったり離婚したり飲酒運転でつかまったりと暗い話題で世間をにぎわすようなことが増えていく。

そして1997年10月。
小型自家用機を自ら操縦中に海上に墜落、53歳の若さで生涯を終えることとなった。

うーん・・・
もちろんどれも知らない話ばかり。
月並みな感想になるが、まるで映画のような人生である。
というかもしかしてすでに映画化や小説化されたりしてますかね?
歌と同様に素朴でおだやかな人生を送ってきた人なのかと思っていたが、やはりアメリカの芸能界はそんなに甘くないのである。
さすがにステージで火を吹いたりホテルの窓から女を投げたり逃げたグルーピーを寝台車の中で追いかけまわしたりはしてないみたいだが、浮き沈みはそれなりにあったんスね。
それにしても没後20年近く経つというのもけっこう驚きである。

最大のヒット曲「Take Me Home, Country Roads」はふたりの友人との共作だが、歌詞に出てくるウェスト・ヴァージニア州には、3人とも実は行ったことがなかったそうだ。
21世紀の今なら炎上必至な話だが、行ったことのない土地を想像して作った曲が大ヒットしてしまい、相当あわてたんじゃないだろうか。

一方「Rocky Mountain High」という曲は、ジョン・デンバーの故郷コロラド州アスペンへの愛着を現したものであり、2007年にはコロラド州の公式州歌に認定されている、といったことがウィキペディアに書いてある。
・・・あれ?
生まれたのはニューメキシコ州じゃないの?
故郷コロラド州ってスルっと書いてあるけど・・・
誰か校正したの?ウィキペディア。

まあセールス的には波も様々あれど、人気にあぐらをかいてふんぞりかえったり偉そうにしたり、というようなことはあまりなかった人のようだ。
アメリカのとある小さな田舎町で、たまたま「ジョン・デンバーそっくりさんコンテスト」が開かれていたのを知って、ジョン・デンバー本人はそっくりさんになりきって出場。
ところが本人なのに優勝できず5位に終わったそうだ。
これに似た話は他にもネットで見つかる。
テレビ番組のそっくりさんコンテストに身分を隠して出場したものの、審査員からキツイ評価を受け、出場者4人の中で最下位となった、という話。
伝わるうちに状況がいくつか変化した伝説という感じだが、根幹のところは事実だったのだろう。
ジョン・デンバー本人はコンテストで優勝できなかったことはあんまし気にしてなかったらしい。

ちなみにかなりあやふやな記憶だが、来日中のジョン・デンバーのテレビ映像をうっすら覚えている。
確かニュースのような番組であり、コンサート風景ではなく街中でファンに囲まれる姿なのだが、ジョン・デンバーは次々に握手を求めてくる日本のファンに気さくに応対していた。
そのファンに混じって握手してもらった女子高校生が、歓声をあげながらそばにいた友人に「ねえ、これ誰?」と大声で聞いていたのだった。
誰だか知らないけどなんか盛り上がってるし有名人っぽいから握手してもらおう、ということだったのだろうが、ジョン・デンバーはもちろんそんなことはわからずにこやかに握手していたのだ。

さて肝心の歌や楽曲。
カントリーの人は基本的に声につやがあってよく通る印象なのだが、ジョン・デンバーも全くその通りに聞こえる。
聴いてて精神的に安心するような声だ。
ガース・ブルックスはそうでもないが、アラン・ジャクソンは典型的なカントリーボイスというイメージ。
すごいハスキーなダミ声とか、舌足らずで甘ったれた鼻声のカントリー歌手っているんですかね?
音声学的に検証したわけではないが、カレン・カーペンターの声も、人の心を安心させるという点でジョン・デンバーと共通するものがあるように勝手に思う。

曲も「カントリー・ロード」のようなほのぼのサウンドであれば、あまり拒絶感はないような気はする。
ただし心がそんなにピュアな中年ではないので、アルバム1枚まるごと正座して聴けるのかどうか自信はあんましない。
退屈・物足りないといった感情がわく可能性も大いにあり得る。

カントリーというジャンルはアメリカの音楽の中で最も裾野の広い分野であり、ジョン・デンバーすら聴いてない極東のポンコシ中年には到底理解できるものではないだろう。
正直ベスト盤だけ聴いておくという安直な方法もあるけど、アメリカで大ヒットしたアルバムが、ゴールド・プラチナ合わせて20枚以上あるらしいので、どれか聴いてみてもいいかなとぼんやり考えている。

というわけで、ジョン・デンバー。
日本での人気が2016年現在どういう状態なのか見当もつきませんが、もしおすすめのアルバムがあればご指導いただきたいです。

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