聴いてない 第216回 アリス・クーパー
元祖ビジュアル系ロッカー、アリス・クーパー。
・・・という紹介でいいのか自信がありませんけど、そのくらい聴いてません。
アリス・クーパー、こんな自分でも1曲だけ聴いている。
80年に発表した「Clones (We're All)」という曲である。
邦題は「これが俺達さ」。
実はさっきまで「これが俺達だ」だと36年間チカラいっぱい間違えて覚えていた。
まあ大した違いではないし、イメージとしては「俺達だ」のほうが合ってる気もする。(開き直り)
なので聴いてない度は2。
この曲も柏村武昭の紹介により録音。
「俺達だ」と間違えて覚えたのは柏村武昭の滑舌のせいである。
以来アリス・クーパーの曲は全く録音する機会もなかった。
チャートにばんばん登場していた記憶もないし、日本での人気はそれほどでもなかったのだろう。
しかし自分の音楽鑑賞人生において、つくづく柏村武昭の功績は大きいと思う。
クイーンやポリスやスティクスやデュランといった誰でも知ってるバンドから、アリス・クーパーやイ・プーやSOSバンドやザ・ロード・オブ・ニュー・チャーチやアンジェロ・モスカやワフー・マクダニエルに至るまで、懇切丁寧親身の指導をしてくれたオトナは柏村武昭だけである。(終盤適当)
その柏村コレクションである「これが俺達さ」は、当時流行のテクノっぽいサウンドにオカルトチックなボーカルの乗った不思議な曲であった。
洋楽を聴き始めて間もない頃だったので、好みや系統を考慮せず、柏村武昭の繰り出す様々な曲を従順に録音していた。
なので記憶にはしっかり残ったが、その後自主的に鑑賞してみたことは一切ない。
時々ミュージックライフなどで見かけたアリス・クーパーは、おどろおどろしいメイクを施し目をむき舌を出した変顔ばかりで、キッスやオジー・オズボーンのような路線の人だと思っていた。
そんな偏見と功績と感謝のアリス・クーパー。
いったい何者なのかもよくわかっていないまま36年が経過。
あらためて経歴や実績を調べてみた。
アリス・クーパーは1948年デトロイトに生まれた。
当時の本名はヴィンセント・ファーニア。
68年頃にバンドを結成し、バンド名も本人もアリス・クーパーと名乗った。
命名の理由は「少女っぽい名前とのギャップを狙った」ということらしい。
アリス・クーパーは69年と70年に1枚ずつアルバムを発表するが、ヒットには程遠い結果に。
そこでプロデューサーにボブ・エズリンを起用し、メジャーデビュー。
ボブ・エズリンは後にキッスやフロイドのアルバムをプロデュースして名をはせた人物である。
70年のシングル「I'm Eighteen」は全米21位、この曲が収録されたアルバム「Love It To Death」は35位を記録。
オカルトチックなメイクとステージでのパフォーマンスも相乗効果を生み、バンドは一躍有名になった。
アリス・クーパーの音楽はショック・ロックと呼ばれるそうだが、他に誰がショックなのかは知らない。
72年にジャケットに本物の下着をかぶせたアルバム「School's Out」で大人たちの顔をしかめさせ、
続く73年にはマーク・ボランやキース・ムーンも参加した「Billion Dollar Babies」を発表。
ステージから客席に本物の蛇やドル札を投げたりギロチンのまねごとをしたりと、ギリギリな演出で人気は不動のものとなる。
しかしメンバー間にじわじわ摩擦が生じ、バンドとしては74年のアルバム「Muscle of Love」リリース後に解散。
ソロになったアリス・クーパーはめげずに活動を続ける。
解散後にテレビ番組のサントラとして「Welcome To My Nightmare(悪夢へようこそ)」をリリース。
この頃からアルコール中毒に陥り、体験を歌った曲なども作ってはみたが、人気は下降していく。
少しあせったアリス・クーパーはロイ・トーマス・ベーカーを起用し、ニューウェーブに傾倒したアルバム「Flush The Fasion」を発表する。
自分が聴いた「これが俺達さ」はこの頃の曲である。
ロイ・トーマス・ベーカーはカーズのアルバムのプロデュースでも有名だが、言われてみれば「これが俺達さ」は確かにカーズっぽい音がする。
だが、ロイの起用も残念ながらヒットにはつながらず、このアルバムはあんまし売れなかったそうだ。
この後しばらくアリス・クーパーは沈殿期間に入る。
テレビで役者やったりクイズ番組で解答者やったりしたらしいが、音楽分野では全然話題になることはなかったようだ。
89年にジョン・ボン・ジョビ、リッチー・サンボラ、ジョーン・ジェットらの協力を得て作られたアルバム「Trash」でようやく復活。
このアルバムは全米20位を記録した。
その後も俳優として映画に出演したり、ラジオDJなどの活動を続け、2011年にロックの殿堂入りを果たす。
・・・というのがアリス・クーパーの略歴である。
相変わらず全然知らない話ばかり。
「これが俺達さ」はちょうど人気が落ちていったあたりの曲のようで、冒頭に述べたとおり以来エアチェックの機会は全くなかった。
雑誌でたまにアリス・クーパーの写真をみたような気はするが、色物悪役レスラーみたいな奇怪なメイクや蛇を首に巻いた姿には全然興味もわかず、こちらから自主的に歩み寄ったことは一度もない。
浮き沈みの激しい人のようだが、そのわりには多作である。
70年代は10枚、80年代でも7枚のアルバムを残しており、21世紀になってからもコンスタントに作品を送り出している。
2009年に出たベスト盤の評価も高いようだ。
そんなに人気者だったんですね・・・
で、実は昨年ネットでアリス・クーパーの名前を時々目にしてはいた。
何やらものすごいメンバーを集めてアルバムを作ったというニュースである。
アリスは70年代にジム・モリスンやジミヘンやジョン・レノンとは飲み仲間で、ハリウッドにある「レインボー・バー&グリル」という店に入り浸っていた。
アリスを含む常連グループは「ハリウッド・ヴァンパイアズ」と名乗っていたようだが、そのハリウッド・ヴァンパイアズのメンバーの曲をカバーしたアルバムをリリースしたのだ。
アルバムにはザ・フーの「My Generation」、ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」、ジョン・レノンの「Cold Turkey」、フロイドの「Another Brick In The Wall part2」などのほか、セルフカバーの「School's Out」、書き下ろしの「My Dead Drunk Friends」などが収録されている。
参加メンバーが確かにすんごい豪華である。
ジョー・ペリー、ポール・マッカートニー、ブライアン・ジョンソン、スラッシュ、キップ・ウィンガー、ザック・スターキー、ジョニー・デップなど。
ここで俳優のジョニー・デップが登場するのも意外な感じだが、アリスとジョニーはもともと親交が深く、そこに共通の友人であるジョー・ペリーが参加し、様々なビッグネームを次々に巻き込んでいったそうだ。
この企画によってジョー・ペリーとポール・マッカートニーの初めての競演が実現している。
さらにプロデューサーには、前述のボブ・エズリンが起用されているとのこと。
見た目の印象だけでなんかすごい偏屈なおっさんで孤高のミュージシャンなのかと思ってたけど、いろんな人たちと親交があってつきあいもいい人のようだ。
プライベートではゴルフが非常にうまいそうで、たぶん日本でサラリーマンやらせたら相当でかい仕事できる人なんじゃないだろうか。
ということで、アリス・クーパー。
日本での人気は悲しいほど低いという話ですが、なんか結構自分には聴けるような気がしてきました。
何の根拠もありませんが・・・
とりあえず「School's Out」や「Billion Dollar Babies」「Trash」と、ハリウッド・ヴァンパイアズのアルバムには興味が少しだけわいています。
他におすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。
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コメント
SYUNJIさん、こんばんは。
記事の下の方に、知らないタレントさんの写真集のリンクが
上がっていますが、私は深田恭子さんの話題の写真集が見たいです。
いきなり脱線で申し訳ありません。
アリス・クーパー
アル・クーパー
どちらも名前しか知りません。このため、どちらがハード系の
人なのか、ブルース系の人なのか、メイクをする人なのか、
いつも混乱していました。
今回のSYUNJIさんの記事で、ようやく区別できるようになりそう
です。
>>ショック・ロック
こんなジャンルがあることを知り、今まさにショックを受けています(^^;)
投稿: モンスリー | 2016.08.16 19:09
モンスリーさん、こんばんは。
おや、広瀬アリスをご存じないですか?
広瀬すずのお姉ちゃんですが・・
深田恭子の写真集は2冊ともたぶんぷく先輩が買ってますよ。(適当)
そのうち「もう飽きたんでオマエにやる」と言って送ってくると思います。(具体的な妄想)
>アリス・クーパー
>アル・クーパー
そういやアル・クーパーって人もいましたね。
アリス・クーパー以上に知らないです。
1曲も聴いたことない・・
>こんなジャンルがあることを知り、今まさにショックを受けています(^^;)
自分もショック・ロックというジャンルは今回調べてみて初めて知りました。
他に誰が該当するのかもよくわかりませんが・・
投稿: SYUNJI | 2016.08.16 23:15