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聴いてみた 第133回 ドナルド・フェイゲン

今回鑑賞してみたのはドナルド・フェイゲンのソロアルバム「Sunken Condos」。
場内が多少ざわついているが、お察しのとおり永久初心者の自分がこんな高尚な音楽を自主選択するはずがない。
今回も自分の進歩のなさ加減を見かねたモンスリー師匠の教育的指導に従って聴いてみました。(万年依存体質)

Sunken

「Sunken Condos」は2012年10月発表の作品。
ソロとしては6年ぶり4作目だそうだが、制作には2年近くかけており、ファン待望の1枚となった。
と言ってもこの人の場合、次の作品まで長い時間かかるのが恒例のようで、2作目は11年ぶり、3作目は13年ぶりというボストンみたいな出し方なので、6年なんてのはこれまでに比べれば短いほうとのこと。

スティーリー・ダンはなんとかアルバム2枚を聴いたものの、2枚とも玉砕。
当然ドナルド・フェイゲンのソロは全く聴いていない。
ドナルド本人についても「スティーリー・ダンにいた人」という幼稚園児並みの説明しかできず、それ以外の情報は一切持ち合わせていない。
情勢は相変わらずアウェーであり、聴く前から不安のカタマリである。

ネットで「Sunken Condos」の評判を調べてみたが、比較的良好な評価が多い。
一方で前3作に比べて地味、という評価もいくつか見られた。
結局素人の自分には全然参考にはならなかったが、とにかく聴くことにした。

スティーリー・ダンの「Aja」「Gaucho」にソロの「The Nightfly」を加えて「三部作」と呼ぶらしいが、「The Nightfly」学習をすっ飛ばして最新作を聴くという、どこかマラソンの後半でタクシーを使ってズルしてしまった市民ランナーみたいな状態。
果たしてあたしはフェイゲン市民マラソン実行委員会にバレずにうまいことゴールできるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Slinky Thing
2. I'm Not The Same Without You
3. Memorabilia
4. Weather In My Head
5. The New Breed
6. Out Of The Ghetto
7. Miss Marlene
8. Good Stuff
9. Planet D'rhonda

思ったより軽快な曲が多い。
ブルースを基調にした都会的なサウンドだが、重厚なリズムや重苦しいボーカルの曲はない。
もちろんコブシやシャウトや絶叫や火吹きやパイプ椅子で背中を殴るといったこともなし。
これが世に言う「フェイゲン節」というものだろうか。
あまりよくわかっていないが、この洗練されたオシャレな世界観が今なお多くのファンを魅了しているのだろう。
なお「Out Of The Ghetto」だけがアイザック・ヘイズという人のカバーで、他は全てドナルド・フェイゲンの作品とのこと。

いろいろな楽器が使われているようだが、聞こえる音自体はそれほど新しいとは感じない。
何も知らずに80年代のアルバムなんですよと案内されたら、自分はおそらく信じてしまうだろう。
じゃあ明るく楽しく激しい90年代全日みたいな濃厚な音楽なのかというと全然違う。
明るくも楽しくもないけど、わりと軽い急ぎ足でスキップ気味の曲が多い。
基本的に朝や昼よりも夜に合う音楽だと思う。
プログレほど難解ではないが、簡単にわかる雰囲気でもない気がする。

一通り聴いてみた中では「I'm Not The Same Without You」「The New Breed」あたりはまあいい感じだ。
「Weather In My Head」はどこかイーグルスを思わせるサウンド。
この曲でのドナルド・フェイゲンのボーカルは少しドン・ヘンリーに似ている。

で、感想としては、やはり自分にはかなり難しい。
聴きにくい感覚はそれほどないが、好みの音楽でないことははっきりわかる。
楽器の音は精緻でありながらプログレのような理工学的なイメージではない。
力を抜きつつも高いレベルの演奏を楽しくこなすというかっこいいスタイル。
そこまではわかるんだけど、じゃあ好きかと聞かれると「違う」と即答できる自信だけはある。

ドナルド・フェイゲン学習とは、やはりまずはスティーリー・ダンに十分親しんでから「Nightfly」でステージを上げ、その後のソロ作品で路上に出る、というのが正しい順序のはずだ。
コヤマドライビングスクールでもだいたいそう教えていると思う。
しかし自分のこれまでの鑑賞成績は目を覆う有様である。
前述のとおりいちおう「Aja」「Gaucho」は聴いたものの、結果的には全くなじめずどっちも全く定着せずにいる。
その上「Nightfly」も聴かずにタクシーで近道してこんな上級編を聴くというのもそりゃあ無理というものだ。

参加ミュージシャンの一覧には20人以上の名前があるが、知っている人はゼロだった。
プロデューサーはマイケル・レオンハートという人だが、この人も残念ながら知らない。
ちなみにドナルド・フェイゲンはボーカルやピアノやオルガンを担当しているが、シンセ・ベースを弾く時はハーラン・ポストという芸名?を使っているそうだ。なぜ?

さてアルバムタイトルの「Sunken Condos」は「沈んだコンドミニアム」という意味らしい。
ジャケットの絵も海中に沈んだビルのような建物が描かれている。
沈みゆく地球環境や文明、投資マンションの暴落などを示しているのかもしれないのだが、何かを示唆しているのか、詳細はよくわからない。
青く美しい色彩がどこか物悲しい印象だが、悪くない絵である。

というわけで、ドナルド・フェイゲン。
予想どおり厳しく難しい結果になりました。
結局スティーリー・ダンからの連敗続きとなり、他のソロ作品に挑戦しようという意欲はもうほとんどありません。
「Nightfly」も宿題としては残っていますが、しばらくは放置・・というか逃亡してしまうことになりそうです。

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やってない 第37回 中央線沿線に住む

まず初めにお断り。
今回は東京都限定の話題です。
東京に土地勘のない方は申し訳ありません。
もうこんなBLOGどうせ誰も見ていないので断ったところで何ら影響はないと思いますが。

都内の大学に通い、都内の会社に勤めるという、東京にはわりと縁のある人生を送っているが、生涯で一度も都内の中央線沿線に住んだことがない。
それだけの話です。
まあ中央線に限らず、東西線も埼京線も西武多摩湖線も東武東上線もないですけど。

人生の大半を神奈川県で過ごしているが、東京都民になったことも少しだけある。
生まれた時の家は杉並区下高井戸にあった(らしい)。
その後町田市に移住したようだが、いずれも自分には記憶はない。
それから20年以上後に、再び都民となったことが2年だけある。
大学を出て都内の会社で働きだした時に、江戸川区小岩のアパートを借りたのだ。
住民票も移したので、2年間都民としてイヤイヤ税金も払い、パスポートも有楽町に取りに行き、運転免許更新も東陽町で行った。
2年後に神奈川県に戻り、以来一度も都民に返り咲いたことがない。
返り咲きたい野望もないのでどうでもいい話だが。

で、今回のテーマだが、この社会人スタートの時点で中央線沿線に住むという選択をせず、以来一度も中央線沿線に住んでいない、というだけのことである。
当時会社はまさに総武・中央線(黄色い電車)のとある駅前にあり、実際中央線沿線に住んでいた社員もたくさんいた。
時はバブル前夜で、中央線沿線は人気も家賃も高いエリアだった。
これは今でも変わっていないだろう。

そんな条件のもと、自分が自立開始の拠点にチョイスしたのは、中央線とは方向も雰囲気も真逆の総武線・小岩駅徒歩7分の風呂もないアパートであった。
新入社員なので当然上司や先輩から「どこに住んでるの?」という質問を受ける。
小岩であることを答えると、次の質問は「じゃあクニはどこ?」となる。
「地方から出てきて小岩に住んでる新入社員」だと思われたのだが、自分の答えは神奈川県である。
そうなるとその次の質問はほぼ100%「え、通えるじゃない。なんで小岩に決めたの?」となるのだった。

それぞれの事情はあろうが、当時江戸川区小岩を選ぶ若い人はあまりいなかったのだろう。
少なくともウチの会社で小岩に住んでいた若者は自分だけだった。
同期入社の男は東北出身で阿佐ヶ谷に住んでいたが、こんなのはとてもわかりやすい地方出身若者の典型であった。
阿佐ヶ谷がどれだけ偉いのかよく知らないが(半ギレ)、当時の若い女性に住所聞かれて「阿佐ヶ谷です」と答えるのと「小岩です」とでは反応が決定的に違ったのである。(ヤケクソ)
たとえて言えば、「どんな音楽聴きます?」と聞かれた時の、スティーリー・ダンエア・サプライくらいの違いである。(伝わらない)

中央線沿線を選ばなかったのは、家賃が高いこともあるが、勝手にイメージしていた雰囲気が「自分に合わない」と思ったからである。
全然説明になっていないが、なんとなく中央線沿線を「けっ」と思っていたのだ。

実際中央線沿線在住の社員はみんな楽しそうだった。
阿佐ヶ谷の同期の男は、同じく沿線に住む先輩たちと「木曜会」と称して毎週木曜夜に集まってはジャズダンスやボウリングや飲み会などのイベントに参加してかわいがられていた。
総武線沿線にも先輩社員は住んでいたはずだが、およそジャズダンスとかそういう系統の遊びには縁遠かったはずであり、「新小岩で毎週ジャズダンスやろうよ」といった企画自体がありえなかった。

まあこれは総武線が悪いんじゃなく、単純に自分がその頃からヒネていただけである。
おそらく仮に高円寺や西荻窪に住んでいたとしても、自分がジャズダンスや飲み会に積極的に出かけたとは到底思えない。
簡単に言うと当時の自分は「アンチ中央線」だったのだろう。
本当は条件さえ整えばオサレな中央線沿線に住みたかったのに、「あんなチャラいところに住めるか」と勝手に反発していただけだった。
つくづくアホウな痛いクソガキである。(今もアホウで痛いですけど)

住むどころか、中央線は未だに縁のない駅が多い。
東京駅から高尾駅まで、生涯で一度も使ったことのない駅はけっこうある。
順に言うと、大久保・東中野・阿佐ヶ谷・武蔵境・日野・豊田。
これらの駅は乗ったことも降りたこともない。
逆に言うとたまに使うのが中野(年に1回程度)・吉祥寺(年3回程度)・国立(年1回程度)・立川(年4回程度)・八王子(年3回程度)くらいで、他はどこも「以前一度だけ降りたことがある」レベル。
あんまし中央線沿線に用事ないんです、すいません。

話は総武線小岩駅に戻る。
アンチ中央線は勝手だが、じゃあそれでどうして小岩になるのか?
これまで小岩を選んだ理由を他人に話したことはほとんどない。
極めてミーハーな理由だが、実は椎名誠や明石家さんまに影響されたのだ。
彼らが若い頃住んでいた街が小岩だったのである。

椎名誠の著作には小岩に住んでいた頃の話がたくさん出てくるので、ご存じの方も多いと思う。
明石家さんまが東京に出てきて最初に住んだ街が小岩であることは、それほど知られていないのではないだろうか。
まだ学生だった頃、ぼんやりとテレビをながめていたら明石家さんまが「小岩に住み始めて駅前の喫茶店でバイトしていた」といったことを話していたのだ。
二人の熱烈なファンというわけではなかったが、どこかで憧れもあったのだろう。
大学卒業まで全く縁も土地勘もない小岩だったが、就職が決まった時点で何の迷いもなく小岩駅に初めて直行し、数件不動産屋を回りその日のうちにアパートを一人で決めてしまった。
若き自分のアホウな決断力に驚くばかりである。

実際住んでみて小岩の街に不満はほとんどなかった。
水道の水がまずい・見るからにカタギでない人がわりと多い・謎の外国人が駅前で大量のテレホンカードをやりとりしている(さすがに話が古い・・)、といったことは多少気になったが、暮らしていく分には特に不自由はなかった。
そのわりには2年しか住んでおらず、行きつけの店ができたり近所の人と交流したり商店街の祭りに参加したりといった三流ドラマのような展開も全くなかった。
気合い入れて小岩に住んだつもりだったが、結局どこでもよかったんじゃないかという気もする。
まさに「住めば都」な江戸川区小岩なのだった。

あれから20年以上が過ぎ、もう行くことも全くなくなった小岩。
だが、今でもたまにテレビで採り上げられると、知ってる店なんか出てくるはずもないのに「おっ小岩だ」とつい見入ってしまう。
中央線沿線に住んでいれば、それはそれでもっと強い地元意識も芽生えたであろうが、特に住まなかったことを後悔もしていない(と思う)。

というわけで、中央線。
いったい何が言いたいのか相変わらずよくわかんないカス展開な記事ですが、みなさんは都内で中央線沿線に住んだことはありますか?
中央線沿線でなじみの街・思い出の街などあれば教えてください。

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聴いてない 第215回 レニー・クラヴィッツ

世の中には様々なジャンルの音楽があるが、そのジャンルの壁を越えて存在するという規格外ミュージシャンがいる。
古くはジミ・ヘンドリックスがそうだったと言われるが、現代を代表するクロスオーバーでマルチジャンルでひとりオーケストラで三つ又の槍的なアーチストと言えば、レニー・クラヴィッツである。

そんな歩く音楽ジャンルのレニー・クラヴィッツ。
全然聴いてません。
こんだけのビッグネームでありながらずいぶんと登場までに時間がかかってしまった。
知ってる曲は「Rock And Roll Is Dead」「Are You Gonna Go My Way」の2曲だけ。
「Are You Gonna Go My Way」はCMによく使われていたので知っているが、たぶんきちんとフルコーラスを正座して聴いたことはない。
なので聴いてない度は2でいいと思う。
アルバムは全く聴いていない。

レニクラがジャンルを超越した存在であり、それは本人の血筋や生い立ちに源流がある、という考察は本やネットでもわりとよく目にするが、全然聴いてないミュージシャンなのであまり深くは学習して来なかった。
取り急ぎレニーのエントリーシートをイヤミな人事課のようにざっと斜め読みしてみることにした。
関係ないが、「就活」「イーエス」といった略語には未だにどうもなじめんなぁ・・
おじさんが若かった頃こんな言葉は日本にはなかったんだよ。

レニー・クラヴィッツは、1964年に東欧ユダヤ系の父とバハマ系黒人の母との間に生まれた。
父親はMBCテレビのプロデューサー、母親は後に女優となる人物で、両親ともに音楽好きであった家庭で育つ。
74年に一家はニューヨークからロサンゼルスに移住。
レニーはビバリーヒルズ高校というアメリカの青春テレビドラマの舞台みたいな名前の学校に入学。
この高校はOBにフィル・スペクターやスラッシュ、レッチリのアンソニー・キーディスとマイケル・バルザリーがいるという名門校だそうだ。
でもレニー・クラヴィッツはいろいろあってこの高校を中退。
プロのミュージシャンとして本格的に活動を始めたが、ソウル歌手として売り出そうとするレコード会社側の思惑と、ロック・ミュージシャンとしてデビューしたかったレニーの思いは合致せず、苦難の日々が続く。

89年、ファースト・アルバムの制作費を自前で用意し、ほとんどの楽器を自分で演奏し、プロデュースまで自ら手がけるという根性ラーメン屋の開店物語みたいなデビューを果たす。
アルバム「Let Love Rule」は「ジャンル破壊の象徴」のような扱いを受ける一方で「昔のロックをなぞってるだけ」といった厳しい評価もあったようだ。

ただレニーのマルチな才能は自身の作品以外でも様々な場面で話題を呼ぶことになる。
マドンナの「Justify My Love」を共作・プロデュースし、デビッド・ボウイのツアーで前座を務め、ミック・ジャガーのシングルにボーカルとして参加し、憧れのプリンスとも親交が始まるなど、デビュー間もない頃からビッグネームたちの高い評価と信頼を得ていた。

1991年、ビバヒル高の同級生スラッシュも参加したセカンドアルバム「Mama Said」が大ヒット。
93年には「Are You Gonna Go My Own Way(自由への疾走)」、95年に「Circus」、98年には「5」というヒットアルバムを実直誠実に発表。
こうした安心と信頼の実績は、本人の評価とともに他のアーチストや関係者からの支持にもつながっていく。

99年末にはバハマでのんびりオフを楽しんでいたところを先輩プリンスに突然呼びつけられミネソタ州ミネアポリスに急行。
レニー到着を待っていたムダにテンションの高い先輩プリンス、ここでもやっぱり寝ない。
結局レニーもほとんど寝かしてもらえないまま2日ほど音合わせと練習にあけくれ、そのままライブにも参加させられたそうだ。
キツイなぁプリンス。
休暇中の後輩を呼びつけて寝かさずライブにまで引っ張るとは・・
さすがは王子、たけし軍団みたいな体育会のノリである。
残っているライブ映像でも、異様に元気いっぱいのプリンスと過労で調子悪そうなレニーの動きや表情があちこちで確認できるそうです。

21世紀に入ってからのレニーは映画音楽の制作や俳優業にも活動の幅を広げてきた。
もちろん本業のほうでも2014年に直球なロックンロールアルバム「Strut」を発表。
ただ日本公演は体調不良との理由で何度か予定が中止となっており、日本のファンにとってはやや残念な結果になっている。
また最近はプリンスが亡くなったこともあっていまいち元気がないという噂。

毎度のことながら今回も知ってる話は全然なかった。
レニー・クラヴィッツを聴いてない理由は特にない。
どこかでソウルやファンクなヒトなんだと勘違いしていた可能性はあるが、明確な決意があったわけでもない。
いつもの言い訳だが、もう少しデビューが早く柏村武昭の後押しがあれば、結果は違っていたような気もする。(力のないコメント)
実は柏村武昭も深夜にレニクラをがんがんオンエアしてたかもしれないけど、もはや確かめるすべもない。
柏村武昭本人に聞いてみてもおそらくは「さぁ・・?覚えてませんね」と言って伏し目がちにお好み焼きをつつくだけであろう。

日本では「Are You Gonnna Go My Way」のほうが知名度は高いと思われる。
いくつかのCMやテレビ番組のテーマソングなんかに使われており、一番有名なのは「あなたも私もポッキー!」というグリコのポッキーのCMだろう。
また日産の「ウイングロード」とスズキ「アルトワークス」のCMにも使われたそうだが、自動車という同じカテゴリーの中で異なる会社・車種のCMに二度使われるというのは非常に珍しい話ではないかと思う。

先日の「アメトーーク!」の「ギター芸人」の回では、吉本新喜劇の松浦真也が「Are You Gonnna Go My Way」を「超しんどい」曲だと話していた。
ものすごく押さえにくいコード進行を延々と最後まで繰り返し続けなければならず、指がとても疲れる曲なんだそうだ。

自分が聴いた「Rock And Roll Is Dead」はたぶんNOW系のオムニバスCDに収録されていたもので、リアルタイムではなかったと思う。
少なくともこの曲はソウルやダンスといった趣きではない。
歌詞は「もうお前のロックンロールなんか死んでるんだよ!」という痛烈な内容らしいが、業界や特定のロックスターを批判しているわけではなく、金持ちになってロックな魂を失っていったロッカーを演じて歌ってみたら案外面白かった、とのこと。
逆説的にロックなサウンドだが、最初に聴いた時は特にいいとか気に入ったとかの感情はわかなかった。
今あらためて聴いてみると悪くなくかっこいい音である。
ちなみに先輩プリンスはこの曲に対して「Rock And Roll Is Alive!」という返曲?を作ったそうです。

というわけで、レニー・クラヴィッツ。
おそらくそんなに難解ではないだろうけど、好みに合致するのかそれほど自信はありません。
聴くならアルバム「自由への疾走」「Circus」ははずせないと思いますが、それ以外も含め、レニー・クラヴィッツ学習の定番をご指導いただければ幸いです。

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