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聴いてない 第214回 ドリーム・アカデミー

クソチャラいキラキラ産業ロック全盛の80年代に登場した異色のユニット、ドリーム・アカデミー。
どうやら一発屋の扱いを受けることも多いらしく、バンド名は知らなくても曲は聴いたことがあると思い当たるのではないだろうか。
なおコアなファンの間では「ドリアカ」「ドリデミ」とも呼ばれているそうです。(ウソ)

そのドリデミ、代表曲はもちろん「Life in a Northern Town」である。
「Ah hey, ma ma ma」というサビの掛け声?が特徴的な、フォークソングっぽい曲だ。
一応この曲以外に「Indian Summer」という曲も聴いているので、聴いてない度は3。
アルバムは聴いておらず、3人組という情報だけしか知らない。

男2人女1人という構成は同時期に活躍したトンプソン・ツインズと同じである。
自分の偏差値だと混同してもおかしくなさそうだが、とりあえず区別はついてはいた。
ちなみにドリーム・シアターとも一応区別はできた状態で今まで生きてきた。
何の自慢にもなりませんけど。
ということでドリーム・アカデミーについてネットでぼんやりと調べてみたら、意外な人の名前が出てきた。
デヴィッド・ギルモアである。

ドリーム・アカデミーは1983年にロンドンで結成された。
メンバーはボーカル兼ギターのニック・レアード・クロウズ、サックスやアコーディオンなどの担当ケイト・セント・ジョン、キーボードのギルバート・ゲイブリエル。
バンドの原型は70年代後半に活動していたジ・アクトというグループで、フォーク系のサウンド中心だったらしい。

ジ・アクトに参加していたニックとギルバートがケイトを誘い、ドリーム・アカデミーとなる。
ニックの以前からの知り合いであったデヴィッド・ギルモアの協力を得て、85年にファーストアルバム「The Dream Academy」をリリース。
シングル「Life in a Northern Town」は最初にして最大のヒットとなった。
このヒットの後で来日も果たし、「夜のヒットスタジオ」にも出演している。
ただし吉村真理が滞りなくドリーム・アカデミーを正確に紹介できたのかどうかは知らない。

その後87年に二作目のアルバム「Remembrance Days」、90年には三作目「A Different Kind Of Weather」を発表。
ジョン・レノンの「Love」をカバーするなどもしたが残念ながら全然売れずバンドは解散する。
解散後はニックがギルモアに呼ばれてピンク・フロイドの「対」に参加したり、ケイトはブラーのアルバムに参加するといったそれぞれの活動が長く続く。
経緯はよくわからないが、今年ニックとケイトによりめでたく再結成され、10月には東京でのライブが予定されているそうだ。

毎度のことながら知らない話ばかり。
そもそもフロイドもまじめに聴いてないので、ドリーム・アカデミーのフォークっぽいサウンドにギルモアのフォローが効いているというのもあまりピンとは来ない。
ギルモアさんの圧力でプログレにチカラいっぱいシフト、というなら多少わかりやすい気はするが、そういうことではないようです。

2曲しか聴いてないが、サウンドは嫌いではない。
根幹はフォークのようだがアコースティックなアンプラ音でもなく、どこかおぼろげで霞のかかったような不思議なまぼろしサウンド。
これは雰囲気があっていいと思う。
冒頭に述べたとおり「Life in a Northern Town」は「あへいおまんまんまんま」という掛け声が特徴的であり、ここの部分だけ覚えてるという人もいるに違いない。
北国の田舎町の楽しくて寂しい日常を歌った曲だが、歌詞にはジョン・F・ケネディやビートルズが出てくるそうだ。
この曲のイメージだけで勝手に北欧の人たちかと思っていたが、3人ともイギリス人である。
なおもう1曲「Indian Summer」を柏村武昭の指導により聴いているが、曲の感じはほぼ同じで悪くない。

というわけで、ドリーム・アカデミー。
アルバムは3枚だけなのだが、どれを聴いてもおそらくそれほど困ったことにはならないのではないかと軽く考えている。
というかそもそもアルバムはどれもふつうに手に入るのか?
ジョン・レノンの「Love」が収録されているという「A Different Kind Of Weather」を少し聴いてみたいと思ったりしてますが、みなさまの鑑賞履歴はいかがでしょうか?

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やってない 第36回 もんじゃ焼きを食べる

人生経験の少なさをハナにかけてBLOGに書くという倒錯した世界観を持つ逆ギレ中高年のSYUNJIといいます。(終始意味不明)
唐突ですが、都民のソウルフードもんじゃ焼き。
みなさんは食べたことがありますか?

もんじゃ焼き、まともに食べた経験は一度しかない。
都内で長く働いていながらこの経験のなさはやはりどこか異常なのかも・・という恐怖感はあるが、別に義務でもないしなぁ。
税金も受信料も今はきちんと納めてんだからもんじゃ焼きくらい気にしなくてもいいじゃない、とも思うが、まあ一度しかないのは事実なので仕方がない。
なのでもんじゃ焼きの材料は何か、作り方はどうなのか、お好み焼きとはどう違うのか、いずれもまともに答えられない。

10年以上前だと思うが、会社の連中10人くらいで月島にもんじゃ焼きを食べに行った。
当時の職場は月島からも比較的近く、連中がどの程度の頻度で食っていたのかは不明だが、焼く係の男は全く迷うことなく店の人の助けも一切借りずに淡々と調理していたので、食い慣れていたことは確かだ。
自分はその場で「実は今日初めて食う」といったカミングアウトもせず、できあがったもんじゃ焼きを、周りの人間の食い方をまねて食っていた。
味は特に記憶に残るものでもなく、店の名前も場所も忘れてしまった。

もんじゃ焼きという食べ物は、ラーメンみたいに全国どこにでも店があるというわけではない。
・・・ということも今回調べてみて知った。
ルーツは諸説あるようだが、やはり店は関東に多く、東京では浅草と月島が有名。
ただ浅草も月島も実際には観光客が多いようだ。
埼玉や群馬にも集中的に存在する場所があり、西日本では讃岐地方に見られるくらいで、関西にはほとんどないらしい。

もんじゃ焼きは昔と今では客層が決定的に違うようだ。
昭和40年代くらいまでは下町の駄菓子屋で子供が食べるのが主流であった。
その後、都市化や食生活の変化とともにオトナが懐かしがって酒のツマミに食うという状況に転換。
加えて東京の味として東京を訪れた観光客が食べる、ということになっているらしい。
最近はこの観光客に外国人が数多く含まれるようになっているそうだ。

で、自分はなぜこのトシになるまでもんじゃ焼きを食ってこなかったのかというと、子供の頃に駄菓子屋で食うという原体験がないのだった。
育ったのが下町でなく昭和の新興住宅地で、近所に駄菓子屋はあまりなく、あってももんじゃ焼きを食わせる店ではなかった。
ついでに言うと貧乏だったのでお金を持ち歩いて遊ぶという習慣もなかったのだった。
仮面ライダースナックは友達がカードを抜いて捨てたやつを拾って食ったりしていた。
こういう貧乏少年がそのまま中年になったので、駄菓子に懐かしいと反応することもない。

妻は横浜の下町育ちで、ふつうに駄菓子屋でもんじゃ焼きを食って育っており、「もんじゃ焼きを食わずにオトナになったヤツがいる」こと自体信じられないことのようだ。
自分の体験が国民の常識であると思い込む典型である。

残り少ない余生の中で果たしてもんじゃ焼きを食う機会があるのか皆目見当もつかないが、町内会なんかで「懐かしのもんじゃ焼きを食べるツアー」などといったトチ狂った企画が実施されないとも限らない。
そんな場で「え?あんたもんじゃ焼き食ったことないの?しょーがねえなあ」と町内会長からダメ出しされたらどうしよう・・
大阪のお好み焼きもそうかもしれないが、どこの土地でも「作り方・食べ方にこだわる」人はいると思われる。
もんじゃ奉行ってのがあんのかどうかは知らんけど、そういうプロ市民(違うけど)といっしょに鉄板囲んだりしたら「なんだよその土手は?」などと真っ先に叱られるんだろうなぁ。
果てしなくどうでもいい妄想ですけど。

というわけで、もんじゃ焼き。
自分の場合は妻の指導のもとで月島に通って実績を重ねる・・というのが正しい学習方法だと思われます。
たぶんしないけど。
これは育った土地や環境で大きく違うとは思いますが、みなさまのもんじゃ焼き経験やご意見などお聞かせいただけたらと思います。

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