読んでみた 第49回 解読 レッド・ツェッペリン
今日読んでみたのは「解読 レッド・ツェッペリン」。
版元は河出書房新社だが、いつもの文藝別冊シリーズではない単行本である。
いちおうオリジナルスタジオ盤は全部聴いてるツェッペリン。
ロックバンドとプロレス団体にありがちな再結成も当分なさそうだし、新曲新譜なんかもう出ないと思うので、今はこうして書物や文献に目を通しながら知識を蓄積するという余生を送っている。
・・・などと書いてますけど、こと資料を用いた学習については、ツェッペリンはパープルよりも遅れをとっていて、この歳でまだ知らないことがたくさんあるのだった。
「解読 レッド・ツェッペリン」、著者は「ユリシーズ 編」となっている。
ユリシーズって誰・・?と思ったら、十数人からなるロック書籍編集集団だそうだ。
A5判228ページ、発売日は2014年6月27日、定価2,160円。
神田の古本まつりで購入。
発売開始後1年でもう古本になったようだ。
表紙は普通にメンバー4人のモノクロ顔写真を使用。
このシンプルでやや堅めの装丁から、なんとなく論調や雰囲気は感じるような気がする。
おそらくは「文藝別冊」よりもコアで深堀りした先鋭的内容だろう。(適当)
またおそらくは文中にディープ・パープルやリッチー・ブラックモアが登場することはないだろう。
ツェッペリンを語る人々はそもそもパープルは「眼中にない」のだ。
表紙をめくる前からそんなニオイが漂うような、そんな本である。
パープルはさておき、「解読」と歌っているからにはツェッペリンを様々な角度から解読するという学術書であろう。
全盤制覇したとはいえ、ただ聴いただけでペイジのギターワークの技術的考察やプラントの作詞の志向性について解析したわけではない三流リスナーなので、全くついていけない可能性も高いのだが、次回ぷく先輩の前で薄っぺらく相槌を打つためにもともかく読んでみることにした。
版元が作ったアオリ文句には「一歩踏み込んだ野心的な論考を中心に構成。バンドのパブリック・イメージを解体・更新する刺激に満ちた一冊」などといった表現が踊る。
そういうからにはあまり知られていなかった裏話や、独自性の高い興味深い考察などがさぞかしたくさん出てくるのだろう。
果たしてツェッペリンをどう解読してくれているのだろうか。
・・・・・読んでみた。
目次はこんな感じ。
第1章 レッド・ツェッペリンとその磁場
・「自伝」に抗い続ける燐光性の肖像群―『Jimmy Page The Photographic Autobiography』を読む
・コミュニケイション断絶―ツェッペリン・バッシングの真実
・私たちは「幻惑されて」いた?―歌詞の世界に近づくツールとしての対訳を考える
・仰角構図と縦空間―ペニー・スミスが捉えたレッド・ツェッペリン
・光と影の完璧なバランス―エントランス・バンド、レッド・ツェッペリンを語る
第2章 レッド・ツェッペリンの作品
・レッド・ツェッペリン
・レッド・ツェッペリン2
・レッド・ツェッペリン3
・レッド・ツェッペリン4
・聖なる館 ほか
第3章 レッド・ツェッペリンと300枚のアルバム
構成は意外にスタンダードで、第1章で各著者がそれぞれ語り、第2章でアルバムレビュー、第3章はメンバーの参加作品を含む、相互に影響されたとされる他のアーチストの代表作300枚をレビューする、という段取りである。
ページ数は少ないが巻頭・巻末にカラーグラビアもあり、若き彼らの姿を見ることができるという、中高年が喜びそうな編集がなされている。
まず感じたのは、文章がどれもやや難解であることだ。
そもそも音楽的知識が不足していて単語の意味がわからないということもあるが、そうではなく日本語の文章として難しい語句や修飾語を用いて語る傾向が強く、ストレートに言うと「ちょっと何言ってるかわかんない」という富澤状態にさせられることが頻発する。
音楽評論にはありがちな傾向ではあるが、それはこの本も相当に顕著だ。
「わかる人にはわかる」という素人放置のプロ仕様である。
第2章のアルバムレビューも、全スタジオ盤とBBCライブ盤などほぼもれなく解説はしてくれるのだが、どのレビューもあまり共感や納得というところまでたどりつかず、いまひとつアタマに入らない。
「聖なる館」を「最盛期の傑作」と評したり、「Physical Graffiti」は「原点回帰的なサウンドの成熟」と表現したりなのだが、個人的にはそうかなぁ?とも思う。
どのレビューも残念ながら自分のような素人リスナーにはスイングしないのだった。
第3章にある300枚のアルバムも、聴いたことがあるものはもちろんごくわずかで、名前すら知らないアーチストも多い。
巻末にはバンドの歴史年表が付いているのだが、むしろここをもっと掘り下げて書いてほしかったなぁ。
ボンゾの死からバンド解散まで、ドキュメンタリーとして詳細に追ってくれてたら夢中で読むんだが・・・
なお毎度しつこくて申し訳ないけど、この本でも後期のロバート・プラントの声の劣化について述べている人は誰もいない。
さて。
気になったのは河添剛という人の文章だ。
美術・音楽評論家、画家、グラフィック・デザイナー、アート・コンサルタントといった肩書きで通る人物だそうだが、文章でも対談でもどこか引っかかる箇所がある。
平治という人との対談では、こんなことを言っている。
「1971年の初来日時にツェッペリンは大阪ではノン・ストップで3時間半も演奏しやがったの。」
そうかぁ・・と一瞬受け入れそうになったが、巻末の著者紹介を見ると1960年生まれとある。
てことは71年の初来日の時は小学生で、おそらくは自身は大阪のコンサートには行っておらず、「演奏しやがったの」は伝聞ではないだろうか。(ホントに行ってたらすいません)
またあまりに鉄板すぎて笑ってしまうが、やはりこの人もパープル(とファミリー)は完全に下に見ているようで、特に「カヴァーデイル・ペイジはないよね。いくらなんでもあんまりだろう」とカバペーのことは全く認めていない。
盛り上がりついでに「カヴァーデイルなんてただのホストだよ。安っぽいホスト。実際あいつはホスト面をしている。(笑)」などと発言。
河添氏としてはペイジと組んだのがよりによってパープル出身のカバだったことが、音楽性以前に許せなかったのだと思われる。
また第3章の「レッド・ツェッペリンと300枚のアルバム」ではパープルの「Machine Head」をあえて紹介するという悪意に満ちた?編集なのだが、ここでも河添氏がレビューを書いている。
「ディープ・パープルは寝そべったレッド・ツェッペリンである。骨の髄まで世俗的なディープ・パープルは、後のヘヴィ・メタル・ファンの劣情のみに訴えることとなる。」
様々な語句を並べてはいるけど、ツェッペリン信奉者が書くパープル評論の典型のように思う。
まだある。
同じく第3章、フォリナーのファーストアルバムのレビューにも「ジミー・ペイジはロバート・プラントを連れて彼らのライヴに出向くが、もちろんどんな教訓も得ることがない時間を過ごす。」とある。
まさに見てきたような書きっぷりがステキ。
まあ確かにペイジがフォリナーを評価してたとも思えないけど、結局この人自身がフォリナー嫌いなんだろうね。
それでも文章は難解ではあるが勉強になる記述はあった。
近藤哲史という人の「私たちは『幻惑されて』いた?」というタイトルで書かれた文章は、ツェッペリンのアルバムにある訳詞のおかしな部分を丁寧な解説で正している。
もちろん英語のわからない自分にはすぐに理解できるものではないのだが、より正確な翻訳によってツェッペリンの詞の世界の理解を深めようという提案であり、なるほどと思う内容である。
また意外だったのは、第3章のジミ・ヘンドリックスのアルバムレビューにあった話である。
ペイジはジミ・ヘンドリックスのライブを見ることも会話したことも全くなかったそうだ。
へぇー・・そうだったんだ・・
なんかけっこう仲良しで情報交換でもしてそうな気が勝手にしてましたけど、そういうことらしいです。
以前読んだ本では、ペイジはジョン・レノンに会えなかったことを非常に悔やんでいたと書いてあったが、ジミヘンに対してはそういう感情はなかったんスかね?
ということで、「解読 レッド・ツェッペリン」。
高尚で知的な書物であることに異論はありませんが、正直、知り合いの少ない飲み会に参加させられたような、居心地の良くない印象が終始消えませんでした。
予想どおり上級者編であり、自分のような偏差値の低いリスナーにとってはレベルが高すぎたようです。
やはり骨の髄まで世俗的な自分には、東スポっぽい下世話で品のないゴシップ本が合っていると確信した次第です。
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コメント
SYUNJIさん、こんばんは。
20代の頃はミュージシャン読本やロックスター自伝などを買っていましたが、今はさっぱりです・・・
>発売日は2014年6月27日、定価2,160円。
>神田の古本まつりで購入。
幾らで購入されたんですか? 神保町は高いイメージがあります。
>私たちは「幻惑されて」いた?―歌詞の世界に近づくツールとしての対訳を考える
>光と影の完璧なバランス―エントランス・バンド、レッド・ツェッペリンを語る
目次だけでもそそるものがありますね。
>聖なる館 ほか
ほかって・・・(笑)
>「聖なる館」を「最盛期の傑作」と評したり
万人と同じ感じ方じゃ文章にならないという河出書房新社の戦略ですか?
>「カヴァーデイル・ペイジはないよね。いくらなんでもあんまりだろう」とカバペーのことは全く認めていない
ロックミュージックが個々の才能の化学反応だと言う事を知らなさ過ぎますね。結構好きですあの作品。
>ツェッペリン信奉者が書くパープル評論の典型のように思う。
リッチーのほうがギタリストに与えた影響がはるかに大きいのに・・・
まぁ全体的に面白そうですね(笑)
投稿: bolero | 2016.02.06 22:31
ボレロさん、コメントありがとうございます。
この本は1500円くらいでしたね。
新刊で出ていたことも知りませんでしたので、もう少し前のものかと思ってました。
>万人と同じ感じ方じゃ文章にならないという河出書房新社の戦略ですか?
どうなんでしょうね?
版元にそんな戦略があるとも思えませんが・・
ただウチのBLOGに来ていただいている方でも「聖なる館」を高く評価する人もいるので、自分の感じ方が世間と同じとも思ってませんけど。
>結構好きですあの作品。
あ、やっぱりそうでしたか?
自分もカバペーは嫌いではありません。
お互いの良さが出た面白いユニットだったと思っています。
>リッチーのほうがギタリストに与えた影響がはるかに大きいのに・・・
自分もなんとなくそう思います。
別に知り合いでもなんでもないですけど・・
>まぁ全体的に面白そうですね(笑)
そうですね、たぶん評価はまっぷたつだと思いますが、ツッコミどころも案外多いです。(邪道)
投稿: SYUNJI | 2016.02.07 10:16
SYUNJIさん、こんばんは。
全く知らない本でしたので、勉強になります。
さて、いつもの論点ですが、ロック評論を「初心者向け」
とするか「完全にマニア向け」とするか、編集方針が難しい
ところだと思います。今回は珍しく、後者のようですね。
>>まず感じたのは、文章がどれもやや難解であることだ。
私が特にいやなのはこういう解説です。なかったでしょうか?
「F#maj7→F#7/F#6→F#7という7度を半音上下させる進行で・・・・・・」
なんのこっちゃ、まったくわかりません。
ロックファンは、すべからコード進行を理解している。そうで
なければロックを聴く資格はない、と言われているような、
強烈な被害妄想に陥ります。
>>気になったのは河添剛という人の文章だ。
私はむしろ、この人の文章だけをまとめたロック評論、ZEP本を
読みたいと思いました(笑)。最近の評論では、あまり他のバンドを
「けなす」ことは少ないからです。
「極東の島国にこの人あり」といわれた御大・渋谷陽一氏の
毒のある評論はもはや「芸術」の域に達していますが、
河添氏は単なる悪口大会や知ったかぶり大会のようです。
1冊読んで、いろいろと突っ込んでみたいと思います(笑)
投稿: モンスリー | 2016.02.12 21:09
モンスリーさん、こんばんは。
>ロック評論を「初心者向け」とするか「完全にマニア向け」とするか、編集方針が難しいところだと思います。
そうですねぇ・・
ツェッペリン本で今さら初心者向けは出さないと思われますので、「軽い」か「深い」かの二極化ではないでしょうかね?
>ロックファンは、すべからくコード進行を理解している。
この本にはとりあえずコード進行分析はありませんでしたが、似たような論調の文章はあった気がします。
全然アタマに入らないんで、はっきり覚えてませんけど。
>「極東の島国にこの人あり」といわれた御大・渋谷陽一氏の毒のある評論はもはや「芸術」の域に達していますが、
ああっ!(大声)
そうだ、なんかヘンだと思ったら、陽一(呼び捨て)の香りがしてたんですね。
まあ陽一も(呼び捨て)パープルは眼中になし、フォリナー大キライだったはずですよね。(納得)
>1冊読んで、いろいろと突っ込んでみたいと思います(笑)
ああーぜひお願いいたします。
モンスリー師匠ならば自分とはまた違った角度からのツッコミができるのではないかと思います。
投稿: SYUNJI | 2016.02.13 18:38
はじめまして 「河添剛」で検索していたらここにたどりつきました。
ZEPの語り方も70年代80年代当時の日本のロック批評からだいぶ変化してるはずなのに、いまだに当時を引きずってる内容みたいですね。懐かしさすら感じます。
自分が不思議なのは、ZEP絡みでパープルの話を出すときなぜ第二期パープルばっかり取り上げられるのかということです。
パープルは一期の時点で商業でもサウンドの確も成功したバンドです。特にZEPデビュー前年の68年にリリースされたセカンド・アルバム収録の "Wring That Neck"(USタイトル "Hard Road")でもう既にハードロックを演奏しています。
ペイジ・ジョーンズのスタジオミュージシャン組がZEP結成に向けてあの曲を意識してないはずないでしょう。むしろ無関係と言い切ったらペイジ・ジョーンズに失礼だと思います。
もちろんパープルの影響度は他と比べると低いほうでしょう。ジミやベック・グループの方が主影響でしょうし、ゲス・フーやブルー・チアーなどアメリカやカナダのバンドの影響もとても大きいでしょう。68年頃の英米アートロックやガレージにフォークの流れをすべて飲み込み取捨選択したからこそのZEP 1stだと思います。
蛇足ですが、あのラウドなギターサウンドについて。エレキはペイジの大好きなリンク・レイ譲りでしょうが、アコギもラウドなのは初期エバリー・ブラザースでのチェット・アトキンスのアレンジの衝撃があったのかもなぁ とか思ってます。50年代の影響で捉えるとまた面白いですね。
ともあれ、300枚の中でせっかくパープルを1枚選べるのに マシン・ヘッドは勿体無いなぁと思いました。
以上 私は今から河添剛の他の本を買うか思案中なので、文章癖がわかって参考になりました。ありがとうございます。
投稿: 通りすがりのポップ音楽研究者見習い | 2018.12.14 20:47
初めまして、コメントありがとうございます。
>自分が不思議なのは、ZEP絡みでパープルの話を出すときなぜ第二期パープルばっかり取り上げられるのかということです。
言われてみるとその通りですね。
まあZEPとの比較がなくても日本ではパープルと言えば第二期という評論は多いんでしょうけど。
>特にZEPデビュー前年の68年にリリースされたセカンド・アルバム収録の "Wring That Neck"(USタイトル "Hard Road")でもう既にハードロックを演奏しています。
すいません、第一期はデビューアルバムしか聴いてませんが、セカンドですでにハードロックに着手してたんですね。
デビューアルバムも初めは第二期との違いにとまどいましたが、最近はかなりなじんできました。
>ペイジ・ジョーンズのスタジオミュージシャン組がZEP結成に向けてあの曲を意識してないはずないでしょう。
そうだったんですか・・
これは聴かねばなりませんね。
>ともあれ、300枚の中でせっかくパープルを1枚選べるのに マシン・ヘッドは勿体無いなぁと思いました。
そうかもしれないですね。
まあこの本はツェッペリンのファン向けなので、あえてパープル、しかも「マシン・ヘッド」を持ってきたという気もしますが・・
>私は今から河添剛の他の本を買うか思案中なので、文章癖がわかって参考になりました。
すいません、単に自分が気になった箇所だけ拾ってしまっただけです・・
こんな幼稚な感想文では参考にもなりませんので、ぜひ実際の本をご覧いただければと思います・・
投稿: SYUNJI | 2018.12.17 21:18