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やってない 第35回 野宿

旅行はするけどキャンプや登山は全然しない中高年のSYUNJIといいます。
キャンプや登山等のアウトドア活動と密接に関連する行為として野宿があるが、全然してません。
旅に出て、日が暮れたので今日はここで野宿・・という展開もない。
ホテルを予約したつもりが間違えて別の旅館を予約してたという三流な間違いはあったが、宿が見つからず駅で寝たというような経験もない。
キャンプも全然しないので、今日の記事も「やってない 第35回 キャンプ」でもいいじゃねえか、というご指摘もあろうが、キャンプやってません宣言だとなんかありきたりでつまんないので、よりピンポイントに野宿。
どっちにしてもつまんない告白ですけど。

野宿には大きく分けて二通りあると思われる。
キャンプや登山に伴いレジャーとして能動的に行う場合と、結果として野宿せざるを得なくなったアクシデントの場合である。
で、自分にはどちらも経験はほとんどない。
野宿は原則的に不便や苦痛を伴うものだ。
雨風や寒さ暑さ、野生動物や虫からの攻撃など、自然の中での睡眠という悪条件。
また都会での野宿の場合も、盗難や暴行などの犯罪、住民や警察による排除など、様々な苦難を克服しての活動となるため(大げさ)、そんなものを受け入れる根性など最初からないのである。

まずレジャーとしての野宿だが、冒頭に宣言したとおり基本的にキャンプも登山もやらないので、当然野宿もしない。
京都に旅行に行って宿に泊まらず郊外駅前の広場で寝る・・などといった外国人バックパッカーみたいなことは絶対にやらない。
大学生の頃にたまに北海道や東北や関西方面に行き当たりばったりの一人旅に出たが、野宿はしなかった。
当時から体力に自信もなかったし、カネで解決できるなら宿を探して泊まったほうがいいと軟弱に考えていたのだ。(若いのに・・)

では合法な教育的野宿体験というのはどうだろうか。
まわりくどく書いてるけど、要は学校行事のキャンプである。
子供の頃に学校のキャンプに参加したことはあるが、野外テントに泊まるという企画はまれで、たいがいはバンガローとかロッジに収容されて夜通し騒いだりというゆるいものだった。

家族や友人とともにキャンプして野宿という経験もほとんどない。
中学生の頃、父親の会社の人たちとどこかの川に出かけ、火を焚いてカレー作ってテントを張って寝て・・というキャンプのまねごとみたいな行事に連れていかれたことが一度だけある。
例によって父親は若干社会性を逸脱してる変人の部類だったため、テントを張って飯を作りカラオケまで持ち込んだ場所は、実はキャンプ禁止であった。
すっかり盛り上がってるさなかに河川管理者とおぼしき役人が現れ、当然ながら「禁止なので撤収しなさい」みたいなことを言い出した。
果たして父親はどう対応するのだろう・・と見ていたら、父親と会社の人たちは巧みに役人を火の回りに誘い、酒を飲ませて気分を良くさせ、土産にも酒を持たせて追い返すことに成功したのである。
全くどちらも悪いオトナの見本みたいな話ではあるが、結果として特に罰則など食らうことなく無事に違法キャンプを終えたのだった。
父親や会社の人たちはさぞかし痛快だったろうが、中学生の自分には「なんだかなぁ・・」という感じであった。

世の中には野宿愛好家という人がいて、旅の宿泊にはどこかに必ず野宿を仕込むという。
さらには野宿に関するミニコミ誌を発行して旅先での野宿体験や野宿イベントを開催したり・・ということをしている女性もいるそうだ。
また一部の大学には野宿同好会があったりするらしい。
同好会ではなくても、一部のサークルでは合宿やコンパなどのイベントの延長で気合いを入れて野宿しますみたいなこともやってるようだ。
若いっていいなぁ。
場所や季節にもよるが、日本は気候も比較的温暖で治安もいいため、レジャー系の野宿が全国で気楽にできる世界でも珍しい国なのだろう。
そんな恵まれた微笑み野宿の国日本に暮らしていながら、自分のように野宿を一切してこなかった国民というのは「もったいない」ことなのかもしれない。

一方のアクシデントとしての野宿体験も、幸運なことにここまでの人生で全くなかった。
若い頃に夜中まで遊んでいて終電を逃したことはあるにはあったが、終夜営業の喫茶店で過ごしたり先輩の家に泊めてもらったりで切り抜けてきた。

サラリーマンを長くやっていると「飲み過ぎて気がついたら野外で寝てた」という経験をお持ちの方も結構多いであろう。
職場でもこの手の「こんな場所で寝ちまったワイルドなオレ」を演出過剰に自慢するアホウな社員がけっこういる。
どこまで事実なのか不明だけど、「朝方通勤する人たちの足音で目覚めたら南千住駅の改札前通路にうつぶせで寝てた」とか「工事現場の土を運ぶベルトコンベアーの上に行儀良く寝てた」などの自称武勇伝が社内に伝わっている。
正直どれもちっともエラくはない話だが。

アクシデントと言えば、飲み過ぎなんかよりももっと深刻なのは災害である。
地震や台風などで帰宅困難となり野宿せざるを得なくなった・・という事態は、幸いにして今まで経験はないが、今後降りかかる可能性は大いにある。
3.11の時は会社にいた時に地震が来たのでそのまま会社に泊まることができた。
また台風や降雪などで首都圏の鉄道が軒並みストップするという事態にも遭遇はしたが、これも幸運なことに帰れなくなったことはない。
最近は特にネットで鉄道運行情報を得ることが可能なため、より的確な判断ができるようになっているのも一因であろう。
3年前に関東に夕方台風が上陸してあちこちの電車が止まった時も、携帯で天気や運行情報をチェックしながら、途中駅で降りてラーメンを食って運転再開を見計らって帰るなどという余裕ある行動をとることもできた。

あまり書きたくはないが、実は災害よりも深刻なのが貧困だ。
永続的に野宿せざるを得ない状況にならない保証はどこにもない。
若い頃新宿西口の雀荘で終夜働いていた経験があるが、店の入っているビルの地下にいつも寝に来るホームレスのじいさんがいた。
ダンボールを売って生活していて、時々自分たちアルバイト学生にも話しかけてくるという意外に楽天的で社交的なじいさんだったが、警察やヤクザに排除されたり、街の飲食店従業員からは商売のジャマだと言って嫌われたりしていたので、決して気楽な状況ではなかったはずだ。
今まで野宿はしたことがないなどとぬる甘なことを言っているようでは、災害や貧困による野宿生活なんか耐えられないだろう。
どこかで今後の備えとして野宿体験をしておいても損はないと思う。
なかなか決意はできませんが・・・

というわけで、野宿。
記事を書いてみて、いかに自分が貧弱で脆弱で情弱なのかをあらためて思い知るはめになりましたが、みなさまの野宿経験はいかがでしょうか?
特にアクシデントとしての体験があれば教えていただければと思います。

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聴いてない 第210回 グレッグ・キーン・バンド

遅くなりましたが、みなさま新年明けましておめでとうございます。
2016年最初の記事はやはり音楽ネタで始めたいと思う。(棒読み)
まずはサル年にふさわしいバンドの登場。(適当)
ここまで12年間聴いてない音楽を生ぬるく告白してきたが、今回は聴いてない理由がはっきりしないバンドの登場である。
グレッグ・キーン・バンド。
みなさまはご存じでしょうか?

グレッグ・キーン・バンド、名前は聞いたことがあるが、実は1曲も知らない。
だいたいこの12年間、プログレだから・メタルだから・70年代だから・国際プロレスだからといったわかりやすい?言い訳で切り抜けてきたのだが、グレッグ・キーン・バンドはどれも当てはまらないようだ。

しかも。
調べてみたら 最大のヒット曲は「Jeopardy(危険がいっぱい)」で、83年に全米2位を記録しているらしい。
さらに。
「当時MTVでかかりまくった」「アル・ヤンコビックがパロった」「1位になれなかったのはマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」に阻まれたため」などの情報もあった。
そんなバカな・・・(バカはお前だよ)

1983年と言えば毎晩サルのようにエアチェックしてはカセットテープを順次ためていた時期である。
当然「Billie Jean」だって録音したし、FMステーションやミュージックライフなどの雑誌で洋楽アーチスト情報をサルのようにかき集めていたのだ。
しかし当時グレッグ・キーン・バンドの曲に巡り合えた記憶は全くない。
バンドの名前はおそらくミュージックライフで仕入れたと思うが、83年にヒットを飛ばしたバンドという認識はさっきまでなかった。
少なくとも柏村武昭から案内されたことはないので、彼の好みではなかったのだろう。(勝手な推測)

仕方なくグレッグ・キーン・バンドの略歴を叱られた中二のようにイヤイヤ調査。
・・・と思ったらそもそもウィキペディアがない。
英語版には一応グレッグ・キーンのページはあるようだが、日本語で誰か書こうとしなかったのか?
全米2位だよ?(←知らなかったくせに)

それでもやはりネット上に博学な人たちはいるもんで、検索すると以下のことがわかってきた。
グレッグ・キーンは1949年アメリカはメリーランド州ボルチモア生まれ。
グレッグ・キーン・バンドはその名のとおりグレッグをリーダーに西海岸で結成された5人編成グループ。
メンバーはグレッグ・キーン(Vo・G)、ラリー・リンチ(D)、スティーブ・ライト(B・K)、ゲイリー・フィリップス(K・Vo)、グレッグ・ダグラス(G・Vo)。
リーダー名がバンド名になってる点ではトム・ロビンソン・バンドやスティーブ・ミラー・バンドと同じ。
なのでグレッグ・キーンさんがメンバー中最も多く税金を納めているに違いない。

「The Breakup Song」が1981年全米15位、前述のとおり「Jeopardy(危険がいっぱい)」が83年全米2位。
バンドは翌年解散するが、グレッグはその後もコンスタントに活動していて、最近だと2012年に「Kihn Family Christmas」というクリスマス盤を発表している。
アルバムタイトルに「ロッキーン・ロール」とか「市民キーン」などダジャレっぽいものがある。
本人のアイディアなのか事務所の戦略なのか不明だけど。

この人はカバーがけっこう好きなようで、特にブルース・スプリングスティーンとの関係が深いらしい。
1977年にボスの「For You(お前のために)」をカバーし、また79年にボスの作った「Rendezvous」という曲をアルバムに入れている。
また2000年のソロアルバムでは「Thunder Road(涙のサンダーロード)」をカバー。
一方でキンクスバーズなんかも好きで、それっぽい曲もあるとのこと。
そう言われてもキンクスもバーズもあんまし聴いてないので、イメージがつかめないが・・

結局調査結果の全てが初めて知る話であった。
あっそう・・・
そんな人だったのね・・・

さて疑惑の「Jeopardy」。
残念ながら原題にも邦題にも見覚えがない。
そもそもこんな英単語知らんし。(←低偏差値)
当時のMTVや「ベストヒットUSA」で盛んに映像で流れていたそうだが、なぜか全く知らない。
「ベストヒットUSA」の裏の「サタデーナイトショー」ばかり見てたからという可能性はあるが・・
アル・ヤンコビックがパロディをやったくらいだから相当流行っていたのは間違いないんだろう。
なおパロディの映像のラストにはグレッグ本人も登場するらしい。

グレッグ・キーンの顔も知らないし、レコードジャケットも全く思い浮かばない。
日本でのセールス記録はどんなものだったかわからないが、当時友人との会話に「いやーグレッグ・キーン・バンドがさぁ・・」と出てきた記憶も全くないので、自分の周辺ではそれほど人気はなかった(と思う)。
なぜ柏村武昭は彼らを遠ざけていたのだろうか?(勘違い)

ちなみにグレッグ・キーン・バンドとは全く関係ないと思うが、同じく80年代前半にキーンというバンドがいて、「Driving Saturday Night」という曲がヒットしており、CMにも使われていた。
こっちはレコードを借りた記憶がある。
だからなんだよって話ですが・・

というわけで、グレッグ・キーン・バンド。
全米2位のビッグバンドに対してあまりにもお粗末ですが、申し訳ありませんけどこんな状態です。
みなさんの鑑賞実績はいかがでしょうか?

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