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読んでみた 第47回 文藝別冊「ニルヴァーナ」

今日読んでみたのは、昨年出版された文藝別冊「ニルヴァーナ」。
カート・コバーン没後20年の節目に出版された本である。
書店に並んでいたのはなんとなく知っていたが、没後20年も経過していたことに今さらながら驚く。

Nirvana

正式な書籍名は「KAWADE夢ムック ニルヴァーナ カート没後20年/最後のロック魂」。
版元は河出書房新社、224ページ、定価1,404円。
構成は文藝別冊ロック本シリーズの基本フォーマットのとおり、複数の書き手がそれぞれのニルヴァーナ論・カート論を展開している。
執筆者は音楽評論家だけでなく作家や写真家や文芸評論家などもいる。
メンバーを含む本国関係者へのインタビュー記事はない。
日本人による少し堅めのニルヴァーナ評論集である。

自分はもちろんニルヴァーナを聴いていない。
大ヒットアルバム「Nevermind」はいちおう聴いてみたが、80年代の産業ロックとのあまりの乖離に全くついていけず、録音したテープも消してしまった。
そんなニルヴァーナ挫折組の自分が、こんな本を読んでもなおさらよくわからないとは思うが、カート・コバーンとは果たして何者だったのか?ニルヴァーナはなぜ支持されたのか?そもそもグランジとは何だったのか?といった挫折じじいの疑問に多少でも答えてくれそうな気がして、なんとなく図書館で借りてみました。
果たして20年ぶりのニルヴァーナ予備校の補講は功を奏するでしょうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

・ニルヴァーナ・ストーリー 一色こうき 
・I'm not the not only one よしもとばなな 
・ニルヴァーナという発明 津原泰水 
・寒いロック 清野栄一 
・恐竜の息子の排泄物 海猫沢めろん 
・私とカート・コバーン ミユキ(ハルカトミユキ) 
・午後の最後の恐竜 川﨑大助 
・「ティーン・スピリット」の匂い 佐々木敦 
・ニルヴァーナ原理の手前で 上野俊哉 
・野良犬のような存在感 石田昌隆 
・カートの「パンク魂」 行川和彦 
・ニルヴァーナ論 -グランジとはなにか 林浩平

執筆者全員がニルヴァーナの大ファンでしたというわけではなさそうで、ニルヴァーナではない他のミュージシャンを延々語るヘンな文章があったり、聴いてはいたがそれほど共感してなかったりという人もいて、なんとなく賛否愛憎入り乱れるネットの掲示板みたいな雰囲気も感じる。

読んでみて気づいたのが、ニルヴァーナ及びカート・コバーンを語る際にかなり重要なファクターとされるのが「年齢」及び「世代」であることだ。
これまで文藝別冊シリーズでストーンズやツェッペリンパープルを読んできたが、それらと違ってこのニルヴァーナ本の場合、書き手自らが文中で生まれ年を明らかにしているケースが多い気がする。
カートは1967年生まれで94年没だが、カートとの年齢差を提示した上で、バンドやグランジというカテゴリーについて述べているのである。
端的に言えば「年が近いから共感できる」「世代が違うから理解しづらい」ということなのだろうが、他のミュージシャンを語るのにそこまで年齢や世代の差が重要なことってあっただろうか?と思うのだ。

「オレはジミヘンと同い年」「アタシはマドンナの1コ下」なんてのは飲み屋で一瞬盛り上がるためのどうでもいい情報のはずだけど、どうもカート・コバーンの場合は意味合いが少し違うらしい。
日本ではカートよりも少し年下の世代、「Nevermind」が流行ったころに20歳前後だった人々を中心に支持されているようだ。
80年代のクソキラキラ商業主義まみれの産業ロック大好き世代(ワタシです)にとって、グランジの台頭は未だによく理解できない・・と思うし、90年代グランジにどっぷり浸かった世代においてカートはヒーローであり、80年代の音楽なんぞダサすぎて聴くのも恥ずかしい・・という、深い断絶が全体を覆っているようにも感じる。

この本にも書かれているが、映画「レスラー」の中に80年代メタルの栄華と90年代グランジ台頭を表す象徴的なセリフがある。
ミッキー・ローク演じるロートルレスラーのランディが、想いを寄せるトウの立った女キャシディと酒場で盛り上がる場面でのやりとり。
ランディが「ガンズ&ローゼズ!」と叫ぶと、キャシディも「モトリー・クルー!デフ・レパード!」と応じ、ランディが「でもあの女々しいカート・コバーンが出てきて全部台無しだ!」。
そして2人が「90年代なんぞクソくらえだ!」と言う。
このやりとりに対する共感の度合いは、80年代支持者と90年代支持者では当然正反対なのだそうだ。
やっぱそういう感じなのね。

しかし。
時代の寵児となったカートだが、決して裕福ではなかった子供の頃に聴いていたのは、サバスやツェッペリンやエアロスミスのほか、ナックチープ・トリッククイーン、ELO、ボストンといった、それこそグランジな世代からは真っ先にダメ出しをくらいそうなダサい産業ロックもたくさん含まれていたのだった。
カートの父親がLPレコード通販を利用していて、機嫌のいい時はカートにも選択権が与えられたりしたそうだ。
いやーそうだったんだ・・・ニルヴァーナ挫折組の自分としては、こういう情報を見るとなんとなくほっとするよ。

また世代論も度が過ぎれば見苦しいのはご承知の通り。
詩人の林浩平(1954年生まれ)という人は、冒頭から「我が家のCD収納ラックにはニルヴァーナのものは1枚もない」と切り捨てている。
さらにグランジを聴いていたような世代に対し、「電車の中で足を投げ出して座る」「ドアの前に尻を落とす」「他者の錯誤や失策に対して寛容になれない」などといろいろお気に召さないようで、実際に「グランジ嫌悪」という言葉も使ってこの世代について否定的な意見を書いている。
気持ちはわからんでもないけど、「寛容でない」と言ってるアナタがグランジ世代に全然寛容でないのでは?と突っ込みたくもなる。

グランジは音楽ジャンルだけでなくファッションとしても大きなムーブメントになっていったが、当のカートはファッションのつもりはなくて本当に貧乏で薄汚い格好をしていただけで、あんまし深く考えてなかったようである。
コートニー・ラブとの結婚式でも終始パジャマ姿だったのは有名な話だが、カートによれば「いつ睡魔に襲われてもいいようにパジャマ姿でいる」という理由だったそうだ。
確かにヘンな人だけど、おそらくカート自身も「オレってイケてるだろ?」と思って汚いカッコウをしていたわけではないのだろう。
いわゆる「イタい人」とは少し違う。
「着るものなんてなんでもいいや」と思ってたら周りが勝手に「これぞグランジ!時代の反逆児!きぃー!」なんて持ち上げてしまって、本人も困惑してたんじゃないかと思う。

なお日本では書籍でも雑誌でもほとんどカート・コバーンと表記されるが、作家の川﨑大助は「コバーンと書くのは完全に間違っている」と一喝している。
カートの姓はCobainなのでコベインと書くしかないそうだ。
こうなったのは俳優のジェームズ・コバーン(James Coburn)に引きずられての表記と川﨑大助は推理しており、日本のレコード会社か雑誌で最初にコバーンでええやろと勝手に書いてしまったのが定着してしまったらしい。
アドリアン・アドニスもそうだけど、外国人の名前を母国発音どおりカタカナで忠実に表記してない典型ですね。
で、この本でも多くはコバーンだが、執筆者によっては全てコベイン表記に徹底している人もいる。
ただし「ニルヴァーナ」も発音に則して書くと実は「ナーヴァナ」と表記するのが適切、とは誰も指摘していない。

ちなみに、仲が悪いという噂のアクセル・ローズとカートだが、この本には残念ながらそういう話は書いていない。
ネットでいろいろ調べてみると、どっちかっつうとアクセルのほうがやや分が悪いというか残念な結果になっているらしい。
アクセルは初めはカートをそれほど嫌っておらず、むしろニルヴァーナの音楽は気に入っていることも公言していた。
で、アクセルが人づてにカートに会いたいと伝えたがカートは無視。
カートはガンズモトリーみたいな商業主義まみれのチャラいバンドが大キライだったそうだ。
その後アクセルがコートニーの悪口を言い出してガチな不仲に発展。
ある日偶然バックステージで出くわした二人は台本どおり乱闘になったが、意外にもカートがアクセルをボコボコにしたそうだ。
アクセルはこの件に関しては全く口を閉ざしており、カートはライブで多少脚色もあれど「アクセルをぶん殴ってやったよ」などと楽しそうに話したことがあったらしい。

本とは関係ない話だが、今回この記事を書くにあたりネットでいろいろニルヴァーナを調べてみたが、その過程で見覚えのあるダサい文章に遭遇した。
自分が「聴いてないシリーズ」でニルヴァーナを採り上げたのはもう11年前なのだが、その時の記事の一部分が無断で2ちゃんねるのあるスレッド立てに使われていたのだった。
しかもスレッドが立ったのは2007年だが、コメントは2014年まで延々と続いていたのだ。
さらに。
このスレッドが先月別のサイトでまた無断で採り上げられており、そこにもまたコメントがいくつか付いているという状態。
全然知らなかった・・・誰だよ勝手に2ちゃんねるに転載したのは?まあいいですけど。
でもニルヴァーナを採り上げると、今なおこれだけ反応があるのはやはりすごいことだと思ったよ。

というわけで、「文藝別冊 ニルヴァーナ」。
やはり知らない話が多く、勉強になりました。
没後20年経ってもこういう書籍が出ること自体が、やはりカート・コバーンの非凡さ、ニルヴァーナの偉大さの表れである。
自分は「Nevermind」挫折以降ニルヴァーナは遠ざけていたので、他の2枚のアルバムについては全く聴いていないのだが、それぞれ内容も雰囲気もかなり異なり、評価も様々のようだ。
こんな本ばかり読んでいないで、やはり他の2枚もさっさと聴いてみないといかんのかなぁ・・とぼんやり思った次第です。

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コメント

SYUNJIさん、こんばんは。
>アドリアン・アドニスもそうだけど、外国人の名前を母国発音どおりカタカナで忠実に表記してない典型ですね。
追記してないですが、分かる人だけ分かればいいっていう事ですか?(ニヤリ・・)

ニルヴァーナはオリジナル3枚持っていますが普通に好きです。
「ネバーマインド」も「イン・ユーテロ」も名作とは言わないまでも90年代を代表する傑作ではないかと思います。
イメージとしてはやっぱり「十代の気持ちの様な青臭い匂い」であってとことんネガティブな感じが好きですね。
そういう音楽を欲する年代だったって事でしょうか?
「イン・ユーテロ」の最後に「オール・アポロジーズ」って曲がありますが
あんな感傷的な曲で終焉してしまうなんて
コトニー・ラブに謝っている?っていう内容の曲さえなければ「イン・ユーテロ」は完璧だったのに・・・って思います(笑)

投稿: bolero | 2015.05.05 23:58

ボレロさん、コメントありがとうございます。

>追記してないですが、分かる人だけ分かればいいっていう事ですか?(ニヤリ・・)

あああまたしてもよくぞ拾っていただきました・・
アドリアン・アドニス、結構好きだったんスけど、新日本の扱いはいまいちつれなかったですね。

>ニルヴァーナはオリジナル3枚持っていますが普通に好きです。
>「ネバーマインド」も「イン・ユーテロ」も名作とは言わないまでも90年代を代表する傑作ではないかと思います。

おっとそうでしたか。
ネットでも「今聴くとふつうにハードロックとして楽しめる」みたいな評論もあるので、どんなもんかなと思ってはいるのですが・・

>イメージとしてはやっぱり「十代の気持ちの様な青臭い匂い」であってとことんネガティブな感じが好きですね。

うーん・・そうですねぇ・・
うまく言えませんけど、カート・コバーンはロックミュージシャンにありがちな、アクセル・ローズみたいなプロレスチックなところが全然ない感じがするんですよ。
スキがないというか、凄みが強すぎて自分には難しかったんですね。
その昔「Smells Like Teen Spirit」がヒットしてた頃、三浦半島の海の見えるオサレなレストランでこの曲が大音量でBGMとして流れてしまい、「違うと思う・・」と感じた思い出があります・・

>「イン・ユーテロ」の最後に「オール・アポロジーズ」って曲がありますが
>あんな感傷的な曲で終焉してしまうなんて

訳詞を見ましたが、これは確かに遺書と言われてもおかしくない内容ですね・・
いやー悲しい歌だなぁ・・
やっぱり他のアルバム2枚も一度聴いてみることにしようと思います。

投稿: SYUNJI | 2015.05.06 18:47

SYUNJI兄さん、こんばんは。
80年代のクソキラキラ商業主義まみれの産業ロック大好き世代でありつつ、実はファーストにドップリはまり、私と弟で知らずに同じ日に買ってきていたという(笑)セカンド以降はあまり聴かなかったけれど、その後のアル・ヤンコビックのまさかのPVは笑い過ぎて泣きながら見ていた程好きでした。衝撃でした。

今思えば、グランジというかオルタナというか、ダイナソーJr.、スマッシング・パンプキンズ(酷い事にどれも数枚で聴くのをやめてる中途半端なヒト)その周辺のものにも手を出したというのは、カートよりも数歳下という事だったからなんでしょうかねえ。中山美穂と及川光博と同い年なのですが、その辺は結構多種多様で、なんでもありだったのかもしれませんね。聴く音楽が統一されてないというか。年が近くても英語が得意ではないのでディープなところまで共感できたとは到底思えないし。。。

しかし、そうか、SYUNJI兄さん、スレッドに使われちゃってたんだ…凄いなあ。

アル・ヤンコビックの“Smells Like Nirvana”は時々無性に見たくなり、YouTubeで見つけては今でも楽しんでいます。

投稿: 祥 | 2015.05.06 18:49

祥お嬢、コメント感謝です・・が、

>産業ロック大好き世代でありつつ、実はファーストにドップリはまり

ええ~?そうなんですか?
そういう人もいるんだ・・そりゃそうですよね。
アル・ヤンコビックといえば自分の場合はやはり「Eat It」「Fat」「Like A Surgeon」などですけど。
なお当然ですけどダイナソーJr.、スマッシング・パンプキンズのどっちも聴いてません・・

>カートよりも数歳下という事だったからなんでしょうかねえ。

うーん・・自分にニルヴァーナを勧めた女性は実はお嬢と同い年です。
彼女も本当にカートに共感してたのかどうかはわかんないですけど、ニルヴァーナの音楽に対する評価は、自分の感想とは真逆なものでした。
まあ自分も同世代の連中に「ニルヴァーナ、どう思う?」なんて聞いたこともないんですけどね。
単純に当時の自分の好みに合わなかっただけの話かもしれません。

>しかし、そうか、SYUNJI兄さん、スレッドに使われちゃってたんだ…凄いなあ。

これ、スゴイことなのかどうかもよくわかりませんが・・
「音楽=楽しい物って考える>>1はロックの良さが一切分かってないだろ」なんて書かれてますけど・・(当たってる)

投稿: SYUNJI | 2015.05.06 20:57

こんにちは
私の気まぐれブログにコメントいただきありがとうございます。
こちらに伺うと、カート・コバーンの小汚い顔に驚きます。まさにグランジ。格式高いプログレ好きにはあまり、受け入れられないロックの時代でした。
とココで休憩時間が終わるので、後でまた来ます。

投稿: hello nico | 2015.05.15 13:00

nicoさん、コメントありがとうございます。

>こちらに伺うと、カート・コバーンの小汚い顔に驚きます。

そうスね・・
この本の中には他にもいい写真がたくさんあるのですが、表紙はやはりグランジっぽい小汚い顔が選ばれたようです。
自分はプログレすらも受け入れられずにいたクチですが、ニルヴァーナはとにかく難しかったです・・

投稿: SYUNJI | 2015.05.17 18:09

また昼休みに戻って来ました。最近自宅のパソコンの前に座ると眠くなってしまうのですよ。椅子から落ちたことが何度もあります。

シンデレラは私も聞いた事が無いので(ボン・ジョビもまともに聞いた事が無い)、こちらにコメント致します。

『Nevermind』は持っていて、時折思い出したように聞きます。「smell like teen spirit」は歌詞はよく分からないけれど、若者の青臭いにおいがプ~ンと漂ってくるような緊張感がある曲で、結構好きです。他にもアルバムを持っていますが、聞くのはこのアルバムだけです。
もうこの頃には、大人になっていて、こういう若者の鬱屈した物に(尾崎豊にも)共感できなくなっていたので、ヒット曲として聞いていました。
ガンズもヒットしたからこそ、この時期にちょっと聞いただけでした。
ダイナソーJr.とか出てきましたが、私の中では定着しないジャンルのグランジ・ロックでした。

投稿: hello nico | 2015.05.19 13:01

nicoさん、コメントありがとうございます。

>『Nevermind』は持っていて、時折思い出したように聞きます。

そうですか・・nicoさんは自分の11年前の記事にも「カッコイイ」とコメントされてましたね。

>もうこの頃には、大人になっていて、こういう若者の鬱屈した物に(尾崎豊にも)共感できなくなっていたので、ヒット曲として聞いていました。

なるほど。
ニルヴァーナに限らないと思いますが、やはり聴いた時の年齢は、好みとなるかどうかの大きな条件なのかもしれないですね。
自分もおそらく10代で出会っていたら感想は違っていた可能性は高いと思います。
(好みでなくても流行っていればファンのように振る舞っていた可能性が非常に高い・・)

>ガンズもヒットしたからこそ、この時期にちょっと聞いただけでした。

ガンズもそれほどマジメには聴いてませんでしたし、定着もしてませんが、曲によっては明確に好みに合致しました。
いずれにしてもあらためてニルヴァーナをちゃんと聴いてみる必要はありそうです。

投稿: SYUNJI | 2015.05.21 22:40

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