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聴いてない 第205回 ブロンディ

苦節11年半恥辱の金字塔企画、本日はBLOG創設以来最大の告白になるかもしれません。
ご存じブロンディ、実は「聴いてない」に該当していたのでした。(場内大荒れ)

あー静粛に。
静粛に。
座布団を投げないでください。
いや、確かにこれまでデボラ・ハリーが好きだと発言はしてきたよ。
ただブロンディとしてまともにアルバムを聴いたことが実はないのであった。
こんなことを書くときっと明日にもぷく先輩やルドっちが「ライアーライアーらんらららライアー」と歌いながら我が家の周りをぐるぐるまわるんだろうなぁと不安な気持ちでいっぱいだが、聴いてないのは事実なのでしかたがない。

我がBLOGにおける「聴いてない」の定義は「アルバム=オリジナル・スタジオ盤の鑑賞履歴が1枚以下」というもので、ベスト盤・ライブ盤などはカウント対象外。
ブロンディはベスト盤だけ聴いており、オリジナルスタジオ盤は実は通しで聴いたものがない。
ムリヤリ言うとFMで放送したアルバム「Autoamerican」の特集番組をまるごとエアチェックはしたが、全曲オンエアではなかったのだった。
LPもCDも1枚も持っていないし、借りたこともない。
あーあ。
なので定義に当てはめると聴いてない度4に該当する。
偽装がバレて記者会見でアタマを下げながら謝罪の弁を棒読みする企業の広報担当者のような心境。

その代わりエアチェックで集めた曲は相当あるよ。(言い訳)
ウィキペディア(日本語)に掲載されてるシングルは22曲だが、このうち16曲は録音している。
その他にもシングルカットされていない曲も10曲以上はあるので、聴いてることにしてもいいのかなとも思ってはいたのだが。
やはり曲単位で評価されるバンドだしね。(勝手に決めてる)

アルバムを聴かなかった理由に深いものは何もない。
たまたま貸しレコード屋に在庫がなかったとかカネがなかったとか、どうでもいい理由だったと思う。
曲はたくさんエアチェックしたのでそれで満足してたと思われる。
聴いてない危機感も今まで全然無かった。

初めて聴いた曲は「Heart Of Glass」である。
当時まさに偏差値の低い病める中学生だったのだが、その時見たプロモ・ビデオは鮮烈に印象に残る映像であった。
今見ると別にどうという内容ではなく、ミラーボール輝く中で歌う妖艶なデボラと演奏する男どもといった予算の少なそうなミュージックビデオである。
だが全然勉強もしないでうさぎちゃんとかモモンガー・ユミとか麻生れいらとか水島裕子とかナース井手などが出てる夜中のテレビばっか見ていた金髪妖艶熟女に免疫のない極東の中学生にはやはり衝撃だった。(長い)

この頃デボラはすでに30歳を超えていたことになるが、当時そんな細かい情報も知らず、歌うデボラを呆然とながめていた。
中学生の感想として少しおかしいとは思うが、このビデオにしても雑誌やジャケットにしても、デボラの顔を自分は「かわいい」と思っていたのだ。じじいか。
数年後にはオリビア・ニュートンジョンが、さらにその数年後にはマドンナが、それぞれエロいとされる映像を伴ってヒット曲を世に放つのだが、自分の基準では二人ともデボラのレベルには遠く及ばなかった。

こんな有様なので、ブロンディを楽曲や音楽性から考えたりしたこともあまりなかったが、今回記事を書くためにネットでブロンディを少し調べてみた。
ネットでブロンディを検索すること自体が初めてなのだが、当然知らない話もたくさんあった。

まずブロンディというバンド名は当然デボラが金髪だからだと思っていたが、半分は当たりで半分はずれのようだ。
ウィキペディアによれば、デボラが通りがかりのトラック運転手に「Hey Blondie!」と声をかけられたことに由来するそうだ。
しかもデボラの金髪は染めたもので、ナチュラルに金色ではないそうです。
そうだったのね・・・全然知らなかった・・・

バンドの原型は70年代半ばに結成されたスティレットーズというグループで、デボラとクリス・スタインはスティレットーズ解散後に別のメンバーを募ってブロンディを結成。
76年にデビューシングル「X Offender」を発表し、翌年の「Denis(デニスに夢中)」が全英2位を記録した。
78年発表のアルバム「Parallel Lines(恋の平行線)」で初めて全英1位を獲得し、シングル「Heart of Glass」は英米で1位、「Sunday Girl」も全英1位となった。

なお「Heart of Glass」はもともとはタイトルもテンポも違う曲だったが、当時流行のディスコ調の曲に変えてリリースされた。
さすがは流行に敏感なブロンディ、と思いきやデボラ自身はこの頃すでにディスコソングなんてもうダサい音楽だと思っていたらしい。
このあたりの感覚は極東のイケてない中学生にはわかるはずもなかったが、デボラは「まあ1曲くらいディスコソングでもいいかも」くらいの考えだったそうだ。

80年に「Call Me」で頂点を極めたが、82年にはクリスの病気を理由にいったん解散。
この時の解散前の最後のシングル「War Child」はちゃんとエアチェックしている。
その後15年間以上のブランクを経て再結成、99年「Maria」をリリースし全英1位となる。
2006年ロックの殿堂入りを果たし、結成40周年の2014年にはベスト盤+新盤という2枚組アルバム「Blondie 4(0)-Ever」を発表した。
さすがに加齢による声や容姿の劣化は否めないが、日本で言うと今年古希を迎える女性がロックバンドでまだ歌ってるというのもすごい話である。

ブロンディはついついデボラの容姿やボーカルばかりに気を取られがちだが、あちこちのサイトに書いてあるとおり「楽曲の多様性」も大きな魅力のひとつだ。
言われてみれば確かにその通り。
パンクロックありレゲエありバラードありラップありテクノありディスコあり、ジャンルの枠にとどまらないブロンディは「ニューウェイヴ」などと呼ばれたりもしたが、その後のミュージックシーン拡散を示唆するような多面的な表現で人気を確保してきたのだ。
そのためか、思ったよりもカバー曲が多い。
「Tide Is High(夢見るNo.1)」はカバーだと知ってはいたけど、「Hanging On The Telephone」「Denis」もカバーだとは知りませんでした。

81年のヒット曲「Rapture」は、ジャンルとして確立される前のラップをポップミュージックとして堂々と採り入れ、しかも全米1位を記録した曲として有名である。
今でもラッパーの間では先駆的な曲として支持されており、また2010年にはアリシア・キーズがカバーしているそうだ。
ヒット曲の中には、「Dreaming」「Atomic」「Sunday Girl」など本国アメリカよりもイギリスのほうがチャート順位が上だったものがいくつかある。
見るからにアメリカンな人たちだと思っていたので、この実績も意外だ。
特に再結成後の「Maria」は全英1位の大ヒットなのに、本国アメリカでは50位にも入らなかったそうだ。
なぜ?

自分はやはり明るい曲やキーの高いメロディが好みだった。
具体的には「In the Flesh」「Denis」「Heart of Glass」「Sunday Girl」「Dreaming」「Union City Blue」などである。
最大のヒット曲は「Call Me」だと思うが、これはそれほど好きではない。
一番好きなのは「Shayla」というもの悲しい曲である。

というわけで、ブロンディ。
創設以来最悪のグダグダな内容(いつものこと)ですけど、すぐ聴きます聴きます。(軽い)
「妖女ブロンディ」「囁きのブロンディ」「恋の平行線」「恋のハートビート」のどれでも大丈夫のはずですので、すぐに聴くのでお待ちください。
なお皆様の鑑賞履歴も教えていただけるとありがたいです。

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聴いてない 第204回 シンデレラ

今日のお題はシンデレラ。
このバンド、みなさんはご存じでしょうか?

シンデレラ、聴いた曲は「Nobody's Fool」だけ。
おそらく柏村武昭の紹介だと思うが、この曲以外は全くエアチェックできなかった。
従って聴いてない度は2。
推測するに、きっと柏村武昭の好みではなかったのだろう。
もし柏村武昭が「いいえ、大好きでした。ライブも見ましたよ」なんてお好み焼きを食いながら思い出を語ったら相当驚くと思う。(知り合いかよ)

バンド名とこの1曲以外に一切情報を持ち合わせていない。
ということでよろよろとシンデレラをネットで調べてみたが、シンデレラを紹介しているところに必ず名前が見つかるのがジョン・ボン・ジョビジャニス・ジョプリンである。

シンデレラは1983年頃フィラデルフィアにて結成されたメタルバンドである。
結成当時のメンバーはトム・キーファー(Vo・G)、エリック・ブリッティンガム(B)、マイケル・スメリック(D)、トニー・デストラ(G)。
結成から解散に至るまで、実態はほぼトム・キーファーのワンマンバンドだったようだ。
みんなアメリカ東部出身なので、いわゆるLAメタルとは違うらしい。
と言ってもそもそもLAメタルが何なのか未だによくわからないですけど。
結成後まもなくギターはジェフ・ラバー、ドラムはジム・ドルネックに交代。
なおジェフは日系二世でおばあちゃんはタマ子という名前だそうです。

で、「シンデレラはフィラデルフィアでジョン・ボン・ジョビによって発掘された」ということがあちこちに書いてある。
デビュー後はボン・ジョビと同じレーベルに所属し、「ボン・ジョビの弟分」というキャッチで売り出されることになる。
・・・ボン・ジョビの弟分って他にもいなかったっけ?
あ、スキッド・ロウだ。
そういえばその昔河合奈保子は「西城秀樹の妹」というキャッチだったような・・・(関係ない)

85年頃兄貴分ボン・ジョビにくっついて全米ツアーをスタート。
翌年デビューアルバム「Night Songs」を発表。
このアルバムには兄貴バンドからジョンとリッチー・サンボラも参加し、全米3位を記録した。
自分の聴いた 「Nobody's Fool」 も収録されている。

87年にはやっぱり兄貴のボン・ジョビとともにイギリスやドイツでの「MONSTERS OF ROCK」に出演。
日本でも公演が行われ、名古屋・大阪・東京で多くのファンを魅了。
さらに「夜のヒットスタジオ」にも出演したが、司会の古館伊知郎は彼らを「ギンギンのパンクロック」と紹介したり、「Somebody Save Me」を演奏したけどやっぱり口パクだったりで、いつものとおり痛い放送だったようだ。

この後88年にアルバム「Long Cold Winter」(コージー・パウエル参加)、90年に「Heartbreak Station」(ジョン・ポール・ジョーンズ参加)をリリースするが、ブルース趣味に傾倒しすぎてか、セールス的にはいまひとつの結果に。
さらにドラマーが脱退するなどの危機の中、94年に「Still Climbing」を発表したが、すでにグランジが音楽業界を覆い始めており、シンデレラも含めメタルというジャンルは急速にイケてないものとされ、このアルバムも全く売れず。
翌年バンドは解散。
グランジに粉砕されたメタルバンドの典型となってしまった。

結果としてシンデレラはファーストアルバムが最も売れてしまい、その後残念ながら下降線をたどる一方であった。
たまに再結成ライブなどを行ってきたが、現在はバンドとしての作品発表は停止しているようだ。
トム・キーファーは2013年に念願のソロアルバムを発表している。
まあこういう情報はファンしか話題にしないものではあるけど、評判はかなりいいようである。

自分はシンデレラを1曲しか聴いてないので何の評価もできないのだが、「Nobody's Fool」に限って言うと、トム・キーファーはメタルなんだけどどこか演歌や歌舞伎のような、見得を切りそうな大振りの歌い方だと感じる。
この歌い方が災いしてか、トムは度々喉の不調を発症してきた。
そりゃそうだろうなぁ。
サビの手前で猛烈にコブシを効かせて(違うけど)シャウトするというスタイルは、ちょっとロニー・ジェイムス・ディオやケヴィン・ダブロウにも似ていておもしろいとは思うけど、やっぱり喉には悪そうだ。。
あちこちのサイトに「ジャニス・ジョプリンに強い影響を受けている」と書かれているが、そうかなあ?
自分はやっぱりジャニスよりもロニーに近いものを感じますが・・・

というわけで、シンデレラ。
今さらこのトシでメタルかよという気もするんだが、ここまで「聴いてみたシリーズ」を細々と続けてきた中で、ハードロックやメタルに対する自分の反応はそれほど悪くはないことがほぼ明らかになっている。
なのでもしかするとどのアルバムでもそれなりに聴けるのではないか・・?という甘い考えでおるのですが、みなさまの感想はいかがでしょうか?

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読んでみた 第47回 文藝別冊「ニルヴァーナ」

今日読んでみたのは、昨年出版された文藝別冊「ニルヴァーナ」。
カート・コバーン没後20年の節目に出版された本である。
書店に並んでいたのはなんとなく知っていたが、没後20年も経過していたことに今さらながら驚く。

Nirvana

正式な書籍名は「KAWADE夢ムック ニルヴァーナ カート没後20年/最後のロック魂」。
版元は河出書房新社、224ページ、定価1,404円。
構成は文藝別冊ロック本シリーズの基本フォーマットのとおり、複数の書き手がそれぞれのニルヴァーナ論・カート論を展開している。
執筆者は音楽評論家だけでなく作家や写真家や文芸評論家などもいる。
メンバーを含む本国関係者へのインタビュー記事はない。
日本人による少し堅めのニルヴァーナ評論集である。

自分はもちろんニルヴァーナを聴いていない。
大ヒットアルバム「Nevermind」はいちおう聴いてみたが、80年代の産業ロックとのあまりの乖離に全くついていけず、録音したテープも消してしまった。
そんなニルヴァーナ挫折組の自分が、こんな本を読んでもなおさらよくわからないとは思うが、カート・コバーンとは果たして何者だったのか?ニルヴァーナはなぜ支持されたのか?そもそもグランジとは何だったのか?といった挫折じじいの疑問に多少でも答えてくれそうな気がして、なんとなく図書館で借りてみました。
果たして20年ぶりのニルヴァーナ予備校の補講は功を奏するでしょうか。

・・・・・読んでみた。

目次はこんな感じ。

・ニルヴァーナ・ストーリー 一色こうき 
・I'm not the not only one よしもとばなな 
・ニルヴァーナという発明 津原泰水 
・寒いロック 清野栄一 
・恐竜の息子の排泄物 海猫沢めろん 
・私とカート・コバーン ミユキ(ハルカトミユキ) 
・午後の最後の恐竜 川﨑大助 
・「ティーン・スピリット」の匂い 佐々木敦 
・ニルヴァーナ原理の手前で 上野俊哉 
・野良犬のような存在感 石田昌隆 
・カートの「パンク魂」 行川和彦 
・ニルヴァーナ論 -グランジとはなにか 林浩平

執筆者全員がニルヴァーナの大ファンでしたというわけではなさそうで、ニルヴァーナではない他のミュージシャンを延々語るヘンな文章があったり、聴いてはいたがそれほど共感してなかったりという人もいて、なんとなく賛否愛憎入り乱れるネットの掲示板みたいな雰囲気も感じる。

読んでみて気づいたのが、ニルヴァーナ及びカート・コバーンを語る際にかなり重要なファクターとされるのが「年齢」及び「世代」であることだ。
これまで文藝別冊シリーズでストーンズやツェッペリンパープルを読んできたが、それらと違ってこのニルヴァーナ本の場合、書き手自らが文中で生まれ年を明らかにしているケースが多い気がする。
カートは1967年生まれで94年没だが、カートとの年齢差を提示した上で、バンドやグランジというカテゴリーについて述べているのである。
端的に言えば「年が近いから共感できる」「世代が違うから理解しづらい」ということなのだろうが、他のミュージシャンを語るのにそこまで年齢や世代の差が重要なことってあっただろうか?と思うのだ。

「オレはジミヘンと同い年」「アタシはマドンナの1コ下」なんてのは飲み屋で一瞬盛り上がるためのどうでもいい情報のはずだけど、どうもカート・コバーンの場合は意味合いが少し違うらしい。
日本ではカートよりも少し年下の世代、「Nevermind」が流行ったころに20歳前後だった人々を中心に支持されているようだ。
80年代のクソキラキラ商業主義まみれの産業ロック大好き世代(ワタシです)にとって、グランジの台頭は未だによく理解できない・・と思うし、90年代グランジにどっぷり浸かった世代においてカートはヒーローであり、80年代の音楽なんぞダサすぎて聴くのも恥ずかしい・・という、深い断絶が全体を覆っているようにも感じる。

この本にも書かれているが、映画「レスラー」の中に80年代メタルの栄華と90年代グランジ台頭を表す象徴的なセリフがある。
ミッキー・ローク演じるロートルレスラーのランディが、想いを寄せるトウの立った女キャシディと酒場で盛り上がる場面でのやりとり。
ランディが「ガンズ&ローゼズ!」と叫ぶと、キャシディも「モトリー・クルー!デフ・レパード!」と応じ、ランディが「でもあの女々しいカート・コバーンが出てきて全部台無しだ!」。
そして2人が「90年代なんぞクソくらえだ!」と言う。
このやりとりに対する共感の度合いは、80年代支持者と90年代支持者では当然正反対なのだそうだ。
やっぱそういう感じなのね。

しかし。
時代の寵児となったカートだが、決して裕福ではなかった子供の頃に聴いていたのは、サバスやツェッペリンやエアロスミスのほか、ナックチープ・トリッククイーン、ELO、ボストンといった、それこそグランジな世代からは真っ先にダメ出しをくらいそうなダサい産業ロックもたくさん含まれていたのだった。
カートの父親がLPレコード通販を利用していて、機嫌のいい時はカートにも選択権が与えられたりしたそうだ。
いやーそうだったんだ・・・ニルヴァーナ挫折組の自分としては、こういう情報を見るとなんとなくほっとするよ。

また世代論も度が過ぎれば見苦しいのはご承知の通り。
詩人の林浩平(1954年生まれ)という人は、冒頭から「我が家のCD収納ラックにはニルヴァーナのものは1枚もない」と切り捨てている。
さらにグランジを聴いていたような世代に対し、「電車の中で足を投げ出して座る」「ドアの前に尻を落とす」「他者の錯誤や失策に対して寛容になれない」などといろいろお気に召さないようで、実際に「グランジ嫌悪」という言葉も使ってこの世代について否定的な意見を書いている。
気持ちはわからんでもないけど、「寛容でない」と言ってるアナタがグランジ世代に全然寛容でないのでは?と突っ込みたくもなる。

グランジは音楽ジャンルだけでなくファッションとしても大きなムーブメントになっていったが、当のカートはファッションのつもりはなくて本当に貧乏で薄汚い格好をしていただけで、あんまし深く考えてなかったようである。
コートニー・ラブとの結婚式でも終始パジャマ姿だったのは有名な話だが、カートによれば「いつ睡魔に襲われてもいいようにパジャマ姿でいる」という理由だったそうだ。
確かにヘンな人だけど、おそらくカート自身も「オレってイケてるだろ?」と思って汚いカッコウをしていたわけではないのだろう。
いわゆる「イタい人」とは少し違う。
「着るものなんてなんでもいいや」と思ってたら周りが勝手に「これぞグランジ!時代の反逆児!きぃー!」なんて持ち上げてしまって、本人も困惑してたんじゃないかと思う。

なお日本では書籍でも雑誌でもほとんどカート・コバーンと表記されるが、作家の川﨑大助は「コバーンと書くのは完全に間違っている」と一喝している。
カートの姓はCobainなのでコベインと書くしかないそうだ。
こうなったのは俳優のジェームズ・コバーン(James Coburn)に引きずられての表記と川﨑大助は推理しており、日本のレコード会社か雑誌で最初にコバーンでええやろと勝手に書いてしまったのが定着してしまったらしい。
アドリアン・アドニスもそうだけど、外国人の名前を母国発音どおりカタカナで忠実に表記してない典型ですね。
で、この本でも多くはコバーンだが、執筆者によっては全てコベイン表記に徹底している人もいる。
ただし「ニルヴァーナ」も発音に則して書くと実は「ナーヴァナ」と表記するのが適切、とは誰も指摘していない。

ちなみに、仲が悪いという噂のアクセル・ローズとカートだが、この本には残念ながらそういう話は書いていない。
ネットでいろいろ調べてみると、どっちかっつうとアクセルのほうがやや分が悪いというか残念な結果になっているらしい。
アクセルは初めはカートをそれほど嫌っておらず、むしろニルヴァーナの音楽は気に入っていることも公言していた。
で、アクセルが人づてにカートに会いたいと伝えたがカートは無視。
カートはガンズモトリーみたいな商業主義まみれのチャラいバンドが大キライだったそうだ。
その後アクセルがコートニーの悪口を言い出してガチな不仲に発展。
ある日偶然バックステージで出くわした二人は台本どおり乱闘になったが、意外にもカートがアクセルをボコボコにしたそうだ。
アクセルはこの件に関しては全く口を閉ざしており、カートはライブで多少脚色もあれど「アクセルをぶん殴ってやったよ」などと楽しそうに話したことがあったらしい。

本とは関係ない話だが、今回この記事を書くにあたりネットでいろいろニルヴァーナを調べてみたが、その過程で見覚えのあるダサい文章に遭遇した。
自分が「聴いてないシリーズ」でニルヴァーナを採り上げたのはもう11年前なのだが、その時の記事の一部分が無断で2ちゃんねるのあるスレッド立てに使われていたのだった。
しかもスレッドが立ったのは2007年だが、コメントは2014年まで延々と続いていたのだ。
さらに。
このスレッドが先月別のサイトでまた無断で採り上げられており、そこにもまたコメントがいくつか付いているという状態。
全然知らなかった・・・誰だよ勝手に2ちゃんねるに転載したのは?まあいいですけど。
でもニルヴァーナを採り上げると、今なおこれだけ反応があるのはやはりすごいことだと思ったよ。

というわけで、「文藝別冊 ニルヴァーナ」。
やはり知らない話が多く、勉強になりました。
没後20年経ってもこういう書籍が出ること自体が、やはりカート・コバーンの非凡さ、ニルヴァーナの偉大さの表れである。
自分は「Nevermind」挫折以降ニルヴァーナは遠ざけていたので、他の2枚のアルバムについては全く聴いていないのだが、それぞれ内容も雰囲気もかなり異なり、評価も様々のようだ。
こんな本ばかり読んでいないで、やはり他の2枚もさっさと聴いてみないといかんのかなぁ・・とぼんやり思った次第です。

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