« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

行ってきた アラン・トゥーサン 日本公演

リズム&ブルースに日々身をゆだねる初老のSYUNJIといいます。
先日行われたアラン・トゥーサンの日本公演に行って参りました。
すっかりおなじみになった日本での公演ですが、ニューオーリンズの風を充分に感じさせる贅沢な一夜となりました。
やはり本物はいつ聴いてもいいものですね。
今日のところは以上です。
スタジオにお返しします。

・・・・・すいません、これ以上間が持ちません。
「なんでオマエみたいなド素人がアラン・トゥーサンなんか見に行ってるんだよ?」という素朴な憤りがあちこちで噴出してる音がしますが、ご指摘のとおり。
いえ、見に行ったことは事実ですけど、知り合いに誘われてついて行っただけで、そもそも誘われるまでアラン・トゥーサンの名前も全然知りませんでした・・

知り合いから誘われたのは公演の5日前くらいだが、もちろん名前も曲も全然知らないし、ジャズやR&Bのミュージシャンだと聞いたのでどうしたもんかと思って、少しネットで調べてみた。
するとジャンルを超えて幅広く活躍してきた人で、こんな極東の初心者でもアランが作った曲や参加した曲をいくつか聴いていたことが発覚したのだった。

まあだからと言って自分が聴いていた他人の曲をライブでやってくれる可能性もほとんどないとは思ったが、なんとなく興味がわいたので行ってみることにした。
古くからのファンにとってはあまりにも失礼な動機かもしれませんが・・

まずは簡単な略歴を駅前のスピード写真みたいにあわてて調査。
アラン・トゥーサンはニューオーリンズ出身のミュージシャンで、今年77歳。
ピアニストであり歌手でありプロデュースもこなすアメリカ音楽界の重鎮である。
主に60年代から70年代にかけて幅広く活動し、自身の最高傑作とされるアルバム「Southern Nights」は75年の作品。

ロックの分野にも多くの曲を提供しており、ストーンズもカバーした「Fortune Teller」、ヤードバーズの「A Certain Girl」、リトル・フィートの「On Your Way Down」、アイアン・バタフライの「Get Out My Life Woman」などはアランの作である。
またロックやポップスのミュージシャンとの競演も多い。
ポール・マッカートニー&ウィングスの「Rock Show」でエンディングに流れるピアノを弾いているのもアラン・トゥーサンで、録音はニューオーリンズにあるアラン所有のスタジオで行われた。
78年のアルバム「Motion」にはラリー・カールトンやジェフ・ポーカロが参加。
2005年のハリケーン復興支援プロジェクトではエルビス・コステロと競演を果たす。
2011年、シンディ・ローパーのアルバム「Memphis Blues」に参加。
昨年発売されたポール・マッカートニーのトリビュート・アルバム「The Art of McCartney」には、アラン・トゥーサンが歌う「Lady Madonna」が収録されている。

2014年には「NATIONAL MEDAL OF ARTS」を受章し、ニューオーリンズの大学の名誉学位も授与された。
とにかくいろいろすごい人なのだ。(雑)
ここ数年は毎年のように来日してライブを行っているそうだ。
いやー全然知らなかった・・・

ということで会場のビルボード東京に参上。
この日は完全入れ替え制で2ステージあり、自分は19時開始の第1ステージを鑑賞した。
ここの座席構成は大まかに言うとステージ前(3F)と上階席(4・5F)に分かれており、料理や酒を楽しみながら歌や演奏を聴くというオトナの施設である。
そろいのハッピにハチマキでウチワを振ったりペンライトをスイングさせたりといった連中はいない。

知り合いと自分はステージ前の奥に着席。
始まる前のステージは背景が東京の夜景ですんごくいい感じ。
(演奏中はカーテンが閉まって夜景は見えませんけど)
3Fについては、客の入りはほぼ満席。
さすがに年齢層は高く、昔ジャズ喫茶でユラユラグルグル揺れていました風なおっさん(失礼)が多い感じ。
自分みたいな昔からジャズ全く聴いてませんでした風なおっさんはいたのだろうか。

バックを務めるローランド・ゲリン(B)、ハーマン・ルボー・ジュニア(D)、レナード・ポッシェ(G)の3人が先に登場し、ギターのレナードが「アラン・トゥーサン!!」と叫ぶとソデからスパンコール付きのハデなスーツに身を包んだアラン登場。
客との距離がむちゃくちゃ近い。
すぐそこに重鎮アラン・トゥーサンがいる。
バレーボールを投げたら絶対アランはレシーブしてくれる距離。(意味不明)

アランがピアノの前に座ると同時に軽快なリズムで演奏と歌が始まった。
MCは全くなく、次々と演奏する4人。
残念ながらやはり知っている曲はなく、時々アランが即興で繰り出すメロディに一部聞き覚えがある程度だったが、比較的明るい曲が多かった。
アランの歌声は見た目ほど太くも低くもなく、思ったより普通の声だった。
ピアノを弾かず歌だけという曲はなく、やはりピアノ演奏で聴かせるミュージシャンのようだ。

当然アランがメインで進行するが、ギターソロなどそれぞれパートにも見せ場があり、特にレナード・ポッシェはリコーダーを2本同時に吹いたりフルートを披露したりの活躍ぶり。
終盤にはアランが紙袋からネックレスや造花やフリスビーみたいな円盤を取り出して客席に投げるというコーナーもあった。
この催しはアランのステージでは定番っぽいようで、この時が一番盛り上がっていた。

アランだけが一度退場し、メンバーが演奏でつなぎ、アンコールで再びステージに登場。
ブルースのような曲を最後に、1時間ほどでライブは終了。
最前列の客から次々と握手や抱擁や花束贈呈までされながら拍手に包まれてアラン退場。

誘われるまで全く知らなかったので、そもそもこうして語る資格もない話ではありますけど、アラン・トゥーサン、見に行けて良かったです。
機会があればアルバムも聴いてみようかと思います。
また自分の貧弱な洋楽コレクションの中に、いくつかアラン・トゥーサンの作品や参加してる曲があるようですので、そこから少しずつ復習もしていこうかと考えております。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

聴いてみた 第120回 メガデス

先週おめでたく「聴いてないシリーズ」が200回をむかえ、間違った安堵感に包まれるSYUNJIといいます。
200組も聴いてないものを積み上げてる一方、「聴いてみたシリーズ」は今回120回目。
でもパープルストーンズみたいに何度も採り上げてるアーチストも多いので、実質「聴いてない」から「聴いてみた」にステップアップできたのは半分もないと思います。
そんな納期に大幅に遅れた編集プロダクションみたいな言い訳をしつつ、今日のお題をご紹介。

Rust_in_peace_2

人生初のメガデス鑑賞にあたり、グループ4作目の「Rust In Peace」を選択。
もちろんそうわかっていて選んだわけではなく、渋谷のレコファンで物色中に偶然手に取っただけ。
「Rust In Peace」は90年発表の作品。
メンバーは以下のみなさんである。
デイヴ・ムステイン(V・G)
マーティ・フリードマン(G)
デイヴ・エレフソン(B) 
ニック・メンツァ(D)

本作よりマーティとニックが参加し、ここからメガデス黄金期が始まるという歴史的にも重要なアルバムである。
2004年にはリマスター盤も発売されるなど人気の高い作品だそうだが、自分が購入したのは通常盤のようだ。
目玉はなんと言ってもギター職人マーティの織りなす独創的なメロディ。
メガデスは基本的にムステイン大佐が曲を作って歌って踊ってチケット売ってという労働配分に問題のありそうなバンドだそうだが、マーティ加入により表現力が飛躍的に向上し、名盤に仕上がったとのこと。
果たしてあたしもマーティのおかげで残業せずまっすぐ家に帰ることができるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1. Holy Wars...The Punishment Due
2. Hangar 18
3. Take No Prisoners
4. Five Magics
5. Poison Was The Cure
6. Lucretia
7. Tornado Of Souls
8. Dawn Patrol
9. Rust In Peace...Polaris

速い。
どの曲もとにかく楽天の社是みたいにムダに速く、また構成がそれなりに複雑で、なんとなくかすかにプログレの香りがする。
スピードも曲の中では一定でもなく、とにかく曲のどこかに必ず「急ぎのコーナー」が作られていて、メンバー全員そこだけは全力疾走納期厳守という約束になってる感じ。
なのでどれも同じに聞こえる・・といった失礼なことは言わないけど(言ってるやんけ)、曲ごとの特徴がいまいちつかみ切れず、いつの間にか次の曲に変わっているという状態。

何はともあれスピード重視・リフ多用・メロディアス上等といったメタルの王道を行くメガデス。
ムステインとマーティのギターも実直に速いが、インギーインペリテリのようなやりすぎ感はなく、むしろそこは安心して聴ける気がする。
似た進行パターンが多いが、ノリはキライではないので、慣れると結構サウンドとしては面白い。
「どどどどずーんずーんずーんずーん、ぽりぽりぽりぽりぽりぽり」といった音の繰り返し。
このアルバムに限っては、フェードアウトで終わる曲がなく、どれもバシッと冷徹に終了する。

曲はほぼデイヴ・ムステインとベースのデビッド・エレフソンによって作られており、マーティ・フリードマンの名はクレジットにはない。
明るく楽しそうなメロディやじっくり聴かせるメタルバラードはなく、かと言ってものすごく暗く重く不可解なサウンド・・という音楽でもないので、素人でも聴けるメタルといったおもむき。
デートドライブのBGMには向いてないけど、掃除する時に流したらはかどるんじゃないでしょうか。
繰り返し聴いていくと案外悪くない。

デイヴ・ムステインのボーカルは正直好みからやや遠い。
もっと金属的な声かと思っていたが、そうでもなく、ヘビーな楽器の音に対して意外に甲高く濁った声をしている。
アクセル・ローズをもっと一般人に寄せたような感じで、思ったほど絶叫したり音を長く伸ばしたりをしていないので、声楽として聴かせるような歌い方ではない。
「無機質ボーカル」という評価があるようだが、バラードとか歌わせたらもっとうまいんじゃないだろうか?

またところどころテープの回転数を落とした野太いバックボーカルやコーラスが聞こえるが、デイヴの甲高い声との対比を定型の様式にしているようだ。
ただしそれほど調和はとれておらず、ボン・ジョビデフ・レパードほどのハーモニーはない。
メガデスはあまりコーラスワークを重視する方向には行こうとしていない気がする。
なおムステインはかつてインタビューで「歌う時は別のキャラクターを演じている。クリント・イーストウッドなんかを参考にしてる」と発言したことがあるそうだ。

マーティのギターはさすがにこの後バンドを牽引していくだけのことはあると思わせるに充分なクオリティ。
エドワード・ヴァン・ヘイレンやインギーみたいなクスリっぽいイカレた部分はなく、まさに職人芸と呼べる勤勉なプレイである。
ちなみにマーティ、今ではすっかり「日本語に堪能でJ-POPにも詳しいアメリカ人」になっており、先日もニコニコ動画で「センター試験の英語問題を解く」という企画に参加し、ホリエモンにわずか1点という僅差で破れるという結果になった。
「アメリカ人なんだから英語の問題くらいできて当然やろ」という意見もあろうが、センター試験問題という特殊な日本語文章をまず理解した上でそれなりの結果を出した、という点に驚くべきだよね。
メガデスを脱退して日本語を独学で勉強し、読み書きも不自由しないレベルにまでなったらしい。
今マーティはBABYMETALを非常に高く評価してるそうです。

そんなわけで、初めて聴いてみましたメガデスの「Rust In Peace」。
ボーカルはやや苦手な感じですが、トータルとして悪くはなかったです。
次に聴くとしたらまたマーティ在籍期間の作品になると思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴いてない 第200回 マドンナ

偏差値の低い企画を延々11年も続けてる前代未聞の珍奇BLOGの主催者SYUNJIです。
我がBLOGのメインテーマ、聴いてないシリーズもとうとう200回を迎えました。
始めた時はまさか200回も11年も続けられるとは思っていなかったが、根気があるという話とは全く違い、単純に永久初心者道を貫いた結果こうなっただけ。
確認したらちょうど10年前の今頃、第50回としてクリストファー・クロスを採り上げたりしてました。

で、さすがに200回の節目なのでそれなりにインパクトのあるハイクラスなミュージシャンを持ってこないと・・と少し前から考えてはいたのだが、まさか200回記念にカジャグーグーとかG.I.オレンジとかロマンティックスとかオクソとかパット・マッグリンとかイアン・ミッチェルでもないよなぁと逡巡し、ふと気づいた大物女芸人がこの人。
マドンナである。

「あーあーこいつやっぱりマドンナも聴いてなかったのかよ」という今さらな驚きが世間のあちこちでこだまする音が聞こえるが(意味不明)、まあ全く聴いてなかったというわけでもない。
しかし決してきちんと聴いていた状況ではないのである。

整理すると以下のとおり。
・デビュー当時から2000年くらいまでのシングルはそれなりに知っている
・ベスト盤「ウルトラ・マドンナ・グレイテスト・ヒッツ」はCDを借りた
・スタジオアルバムで聴いたのは「True Blue」だけ、しかもLPやCDでなくFM番組のエアチェックで全曲録音
・CDは1枚も持っていない

聴いてる曲数はたぶん20くらいはあると思うが、目的意識を持ってアルバムに臨んだことがない。
「True Blue」を聴いてることにしたとしても、聴いてない度は4。
これだけのキャリアがありながらアルバムは1枚しか聴いてないのだ。
ベスト盤も兄が貸してくれたのを聴いただけで、自主的に借りに行ったわけではない。

正直、楽曲も歌声も顔もそれほど好みではない。
80年代に活躍した女性ボーカリストはたくさんいたが、容姿の点で好みだったのはデボラ・ハリーとスザンナ・ホフスくらいである。
マドンナの場合、むやみに流行っていてエアチェックの機会はふんだんにあったので、特に遠ざけもせず可能な範囲で録音してきた、というレベル。
曲ごとの好みはわりと明確で、「Borderline」「Material Girl」「True Blue」「Jimmy Jimmy」など明るい曲は好きだが、ダンスものや暗い曲はいまいち苦手。
一番好きなのは「Cherish」で、これは今も変わらない。
デビュー当時の異様に媚びた歌い方は賛否両論だとは思うが、自分はどっちかっつうとあの媚び声のほうが好きだ。
90年代以降では「You Must Love Me」「Ray Of Light」「Music」などは聴いている。
ライブ盤やサントラは聴いたことがないし、映画も全く見ていない。

最初に聴いた曲は確か「Lucky Star」だったと思う。
カネのかかってなさそうなプロモビデオもよく覚えている。
デビュー当時のビデオは体をくねらせて踊るマドンナをひたすら映すものが多かったよね。

マドンナは85年のライブ・エイドにも登場し、「Holiday」「Into The Groove」「Love Makes The World Go Roound」を歌ったが、生放送は見ていない。
というかマドンナの歌った場面って、日本の番組では放送されたの?
他にもマドンナはトンプソン・ツインズが「Revolution」を歌う時にも登場したそうだ。
なおライブ・エイドでは、バックステージでのマドンナの尊大な態度にあきれたベット・ミドラーが、「なんであたしがこの人を紹介するのかわからないけどね」といった感じでマドンナを紹介したという事件?も起きている。
You Tubeにはベットの紹介シーンも含めてたくさん動画があるが、確かにステージのマドンナはまだ若いのに堂々としてるなぁと改めて思うし、ベットは「なんだろうねぇ全くこの小娘は」という表情そのもので映っている。

音楽以外でも行動の全てが世界的な話題になるスーパースターなので、興味がさほどなくても情報を得ることは比較的簡単だった。
なので兄弟がやたら多いとかマドンナは本名だとかデビュー前にスターを夢見てタクシーでニューヨークのタイムズスクエアに降り立ったとか、基礎情報は当時の雑誌やラジオなどで仕入れてはいた。

92年出版の写真集「SEX」は日本でもすんごい話題となり、発売開始当日に書店で先頭に並んで買ったじいさんの「こんなものに興味はないが頼まれたので買いに来た」といった大ウソなコメントが日本中でツッコミの的となったこともよく覚えている。
ちなみに当時版元でこの写真集を担当した人は、実は自分の元上司である。
同時にリリースされた「Erotica」のビデオがエロいと評判だったので懸命に見たが、映像は安いオカルト映画みたいで落ち着きがなく、またマドンナの鍛え抜かれた肉体も彫刻や人形のようで、タイトルに反して全然エロないやんけ・・とがっかりした。

ここ数年は日本でも、No.1フォロワーのレディー・ガガのほうがメディア露出も多いように思う。
マドンナは決して過去の人ではないが、年齢を重ねるとともに活動も抑え目になっているのだろうか。

最近のマドンナ様は何をしてるのかと思ったら、昨年12月にニュー・アルバム「Revel Heart」をリリースしたそうだ。
(全然知らなかった・・)
シングルカットされた「Living For Love」ではアリシア・キーズがピアノを弾いているとのこと。
またそのアルバムのデモ音源のいくつかがリリース前にネットで流出してしまいマドンナ様激怒、という騒動もあったそうで、この件については「インターネットは、人々を繋げる有益な面もあるけど、人が傷つくような危険なことも可能にする、両刃の剣」と至極まっとうな発言もしている。

というわけで、マドンナ。
あんまし聴いてない自覚もなかったんですけど、あらためて確認するととても聴いてるとは言えない有様です。(いつものことですけど・・)
さすがにたくさんアルバムがあるので、好みや思い入れも人それぞれだと思いますが、みなさんにとってこれぞマドンナの最高傑作!というアルバムはどれでしょうか?

| | コメント (8) | トラックバック (0)

見ていない 第36回 お笑いマンガ道場

花の80年代に洋楽にまみれた自分にとって、海外アーティストや新曲の情報を定期的に供給してくれたオトナと言えば、東郷かおる子、小林克也、そして柏村武昭である。
この三頭体制の一角を担う柏村武昭だが、司会者として出演していた代表的なテレビ番組がご存じ「お笑いマンガ道場」。
・・・なのだが実はほとんど見ていない。
番組の存在は知っていたが、目的意識を持って見たことはなく、初めから終わりまで通しで見たことは一度もない。
柏村チルドレンの身でありながら非常にゆゆしき事態である。(棒読み)

以前からウチは時々柏村武昭を連呼することがあるというおかしなBLOGだが、たまたま毎週聴いていた「サンスイ・ベストリクエスト」の司会がこの人だっただけで、別にみのもんたでも橋幸夫でもターザン山本でも、誰が司会だろうと構わず聴いていたはずである。
むしろ柏村武昭と聞いて「サンスイ・ベストリクエスト」を思い起こす人のほうが圧倒的に少数派だろう。
関東では「お笑いマンガ道場」以外に出演してたテレビ番組を知らない、という人も多いと思う。

柏村チルドレンとして取り急ぎ番組概要を調査。(薄い)
「お笑いマンガ道場」は1976年4月から1994年3月まで放送された、中京テレビ製作の30分間バラエティ番組である。
スタート時は中京ローカルで、後に全国ネットとなる。
関東では東京12チャンネルで放送され、80年以降は日本テレビになった。
放送される曜日や時刻の変更がかなり多かったようだ。
木曜夕方にやっていたような記憶がうっすらある。

初代司会は桂米丸、二代目が柏村武昭。
主な出演者は本職の鈴木義司と富永一朗、車だん吉、三波豊和、江藤博利(元ずうとるび)、エバ(元ゴールデンハーフ)、秋ひとみ、川島なお美、森山祐子など。
女性出演者は司会者のアシスタントの役割だが、出演は各人同時ではなくエバから森山祐子まで順に変更していったそうだ。
川島なお美の代役として君島十和子が出ていたこともあるらしい。

基本的な構成は、司会者がテーマを出題して、レギュラー・ゲストの各解答者がフリップに絵(マンガ)を描いて解答し会場と茶の間の笑いをとるというものである。(合ってます?)
出演者の中で「鈴木義司対富永一朗」「車だん吉対女性アシスタント」という対立構造ができており、お互いを解答のマンガによってこきおろしたりいじったり、というパターンが受けていた。
このあたりは昭和のお笑い番組にはよくある構図だろう。
他にも漫画家富永一朗の描く巨乳?画や、ずうとるび江藤博利は何を描かせてもひどい絵になるところなどが、この番組の定番な見どころであった。

川島なお美は歴代の女性アシスタントの中では最も長い期間出演していた。
ところが出演して7年経った頃に、「水戸黄門」のロケ中にバスが川底に転落する事故にあい、全治3か月の重傷を負う。
治療中は他のタレントが代役で出演したが、結局川島なお美は復帰せずそのまま「卒業」という形で番組を降板。
その後川島なお美を取材する際は「お笑いマンガ道場」出演の経歴にはふれないこと、という掟のようなものが業界では定説となった、などといった噂もあったらしいが、後に本人は否定しているとのこと。

結局、番組も出演者もなんとなく記憶があるけどはっきりとは覚えていない、という状態。
見てなかった理由も思い当たらないが、平日夕方なのであまり家にいなかったとか、少し見たけどそれほど面白いと思わなかったとか、家にいてもテレビをつけてなかったとか、その程度の話だと思われる。
関東では裏番組は何だったんだろう?

それにしても柏村武昭である。
中国放送アナウンサーから司会者タレントに転身し、ラジオや「お笑いマンガ道場」で人気を不動のものとし、その後参議医院議員となり防衛庁長官政務官も務めたという、かなり特殊な経歴を持つ人物だ。
冒頭で述べたとおり自分にとっては「サンスイ・ベストリクエスト」のパーソナリティなんだが、ネットで見つかるプロフィールにはこの番組のことはあまり詳しくは書かれていないのだ。
出演ラジオ番組では71年から16年間放送された「サテライトNo.1」のほうが圧倒的に有名らしい。

「サンスイ・ベストリクエスト」では海外ミュージシャンをゲストに呼んで流暢な英語でインタビュー、なんてことは一切やらず、ひたすら1時間9曲を流すことに徹する堅い構成だった。
今思うと実はそんなに洋楽に詳しい人でもなかったんじゃないか?とも思う。
なぜFMで洋楽番組の司会など引き受けたのだろうか?(大きなお世話)

というわけで、「お笑いマンガ道場」。
見てなかったことへの後悔や危機感も全然ありませんし、DVDが出るような話もなさそうですけど、この番組の思い出など教えていただけたらと思います。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »