聴いてない 第189回 ジョン・ウェイト
先週エイジアの記事を書いていて思い出したジョン・ウェイト。
この人はエイジアとは全く関係ない(と思う)。
そう、ジョン・ウェットンと名前が似ているので続けてみましたというだけの投げやりな展開。
実はジョン・ウェイト、過去に何度か書こうと思ったことはあるが、知識も鑑賞履歴も乏しく、うまく記事にできなかったのだった。
そんなのジョン・ウェイトに限らないけど。
従って数年寝かせた状態だが、その間も別に聴いてみたわけではないので、寝かせたことに全く意味はない。
日本での知名度や人気がさっぱり想像できない人である。
まずジョン・ウェイトについて、在籍バンドも含めて聴いたことがあるのは以下の曲しかない。
①Missing You
②Every Step Of The Way(明日へのステップ)
③When I See You Smile
④Price Of Love
①②がジョン・ウェイトのソロ、③④はバッド・イングリッシュの曲である。
80年代の曲だけで、ベイビーズ時代は全く聴いていない。
③は当時ジーンズか何かのCMに使われていたと思う。
ジョン・ウェイトを調べると必ず名前が出てくるのがジャーニーである。
ジョン自身はジャーニー加入の経歴はないが、加入の噂も出るほどメンバーとの関係は深かったようだ。
70年代半ばにイングランド(プログレのイングランドとは別だと思う)というバンドにいたジョン・ウェイトはイギリスとアメリカを行ったり来たりしていたがなかなか売れなかった。
しかし76年イギリスで結成したベイビーズによりようやく成功を収めることとなる。
メンバーはジョン・ウェイト(Vo/B/G)、マイク・コービー(G/K)、トニー・ブロック(D)、ウォルト・ストッカー(G)。
デビューシングル「恋のチャンス」がヒットし、77年にはアルバム「恋のチャンス~ベイビーズ誕生!」を発表。
その後「愛の出発」「ときめきの彼方へ」といったいかにも70年代な邦題の曲でヒットを飛ばし、日本でもアイドルバンドの扱いで人気を呼んだ。
しかし3枚目のアルバムをリリースした後、マイク・コービーは脱退。
この後ベイビーズに加入したジョナサン・ケインが、以降のジョン・ウェイトの活動にも大きな影響を与えることとなる。
ジョナサンとリッキー・フィリップスを加えたベイビーズは、プロデューサーにキース・オルセンを起用し、音楽性も技術も興行的にもより高いものにシフトしていく。
80年にジョナサンはジャーニーへの転職を決意。
ベイビーズにとってはジョナサン脱退のダメージは非常に大きく、バンドは解散してしまう。
ジョン・ウェイトはソロに転向し、「Missing You」「明日へのステップ」をヒットさせた。
バンド解散してソロになっても消えなかったのがジョンの偉いところだ。
この頃はどんんな音なら売れるのかを、ミュージシャンのみならずレコード会社も事務所もプロデューサーもみんなわかっていたと思う。
一方ジャーニーはアメリカでベイビーズとは比較にならないほどの地位と実績を確立したが、なぜかどんどん人数が減っていき、86年にはスティーブ・ペリーも脱退したため、ニール・ショーンとジョナサンだけになったバンドは休業状態となった。
売れてカネ回りが良くなるとバンドってのはたいがい内部から崩壊していくんだが、ジャーニーもいろいろあったんだろう。
ボーカルを失ったジョナサンはジョン・ウェイトに声をかける。
ただしジョナサンの誘いは「ジャーニーに来ないか?」ではなく「ベイビーズみたいなのをまたやらないか?」だったそうだ。
このお誘い話が89年に具体化してバッド・イングリッシュとなる。
アメリカや日本ではジャーニーのほうが圧倒的に知名度が高いので、「元ジャーニーのニール&ジョナサンが、ジョン・ウェイトと新バンド結成!」という紹介だったが、実態は「元ベイビーズのジョン&ジョナサン&リッキーがニール・ショーンを迎えて新バンド結成」だったようだ。
ドラムはディーン・カストロノヴォという人だが、ニールのソロアルバムに参加した実績があり、バンド結成にあたりニールが加入を強く要望したとのこと。
バッド・イングリッシュは前述の2曲しか聴いていないが、この2曲に限って言えばジャーニー色はほとんどない。
アルバムは聴かなかったが、もう2曲くらいヒットしていたらたぶんレンタルで聴いていたと思う。
なおバンド名のバッド・イングリッシュは「悪いイギリス人」という意味ではなく、ビリヤードで玉を突き損なった時に発する言葉だそうだ。
しかし。
曲がりなりにもジャーニーの代表取締役としてバンドを経営牽引してきたニール・ショーンは、バッド・イングリッシュでの自らの扱いに不満を抱くようになり、2枚目のアルバムを発表した後で脱退。
バッド・イングリッシュはやはり元ベイビーズのジョンとジョナサンが中心のバンドであり、ニール・ショーンは顧問みたいな役職には耐えられなかったのだろう。
結局バッド・イングリッシュは91年に2枚目のアルバムを発表するが、直後に解散する。
スーパーグループがゆえの宿命。
短命に終わった要因にはいろいろあるだろうが、図式として「復活ベイビーズ。ゲストにニール・ショーン」としてしまったことが大きかったようだ。
マスコミや世間が言うほどジャーニーのカラーを混ぜなかったため、セールスとしてもジャーニーに匹敵する実績をあげられなかった。
仮定は無意味ではあるが、もう少しベイビーズとジャーニーの融合を試みていたら、バンドの歴史も変わっていたのではないかと思う。
その後ニール・ショーンはハードラインという新バンドを結成する。
このニュースは当時の雑誌で読んで知っていたのだが、どんな曲を発表したのかは知らない。
で、ハードラインは全然売れずすぐ解散というハードな結末を迎える。
そこでニール・ショーンはジャーニーの活動再開を決意。
ジョナサンも合流しめでたくジャーニーが再結成され、ボーカルはスティーブ・ペリー以降3人ほど替わっているが現在も活動中である。
スティーブ・ペリーは病気のためバンドを脱退し、現在も音楽界には戻っていないらしい。
一方ジョン・ウェイトはバッド・イングリッシュ以降再びソロとなるが、それほど実績は残していないようだ。
というわけで、ジョン・ウェイト。
この人の活動を追うならば、ベイビーズ、ソロ、バッド・イングリッシュの3期に分けて学習する必要がありそうだ。
日本での人気ぶりはどうなのか見当もつかないのだが、それぞれの時代でおすすめのアルバムがあれば教えてほしいと思います。
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コメント
SYUNJIさん、こんばんは。
ジョン・ウェイトですが、大ヒット曲の「Missing You」
はタイトルしか知りませんでした。しかしサントラ「ビジョン・クエスト」
に収録されていた「Change」の80年代的なノリが大好きでした。
一昨年だったと思いますが、こんなライブ盤を発見して
購入しました。
http://www.hmv.co.jp/artist_John-Waite_000000000012550/item_In-Real-Time_3812396
1曲目が「Change」で確かにかっこいいのですが、バンド編成が
シンプルすぎて80年代のノリは全くなし、CDは「Change」を
ヘビロテしてそのまま聞かなくなってしまいました。
今なら安いベスト盤を探すところですが、また「Change」だけ
聞くのかと思うと、手が出ません。
バッド・イングリッシュですが、89年にジェフ・ベックと一緒に
来日したときに見ました。ボーカルはもちろんウェイト、
ショーンもケインもいました。が、バッド・・・・自体に興味が
なく、まるで記憶にありません。ジャーニー的なものを
期待して肩すかしだった、といったところでしょうか。
投稿: モンスリー | 2014.01.27 22:26
モンスリーさん、こんばんは。
>しかしサントラ「ビジョン・クエスト」に収録されていた「Change」の80年代的なノリが大好きでした。
あれ、「ビジョン・クエスト」にジョン・ウェイトの曲ってありましたっけ?
全然覚えていない・・自分の記憶力はこんなもんです。
テープが残ってますけど、もう20年以上聴いてないなぁ・・
>バッド・イングリッシュですが、89年にジェフ・ベックと一緒に来日したときに見ました。
へぇーベックと一緒だったんですか・・
調べてみたらスティーブ・ルカサーやチャック・ベリーも出てたようですね。
やはりバッド・イングリッシュはみなさんジャーニーを期待して見ていたんでしょうね。
投稿: SYUNJI | 2014.01.28 23:21
初心者の割りに結構詳しいですよね。プログレのイングランドなんてグループなんて普通知らないでしょ。。。
投稿: | 2014.02.04 20:53
まあ自分もイングランドはたまたま先輩筋の方からの圧力・・もといご厚意で聴いてみたことがあるだけです。
聴くまで名前すら全然知りませんでしたし。
もしBLOGやってなかったら、おそらくその存在を知ることなく死んでたと思いますが・・
投稿: SYUNJI | 2014.02.04 22:49